へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

被災地にて

2013-09-05 06:41:28 | 旅とランニング
 2日から昨日までの3日間、石巻市内の雄勝町というところに行ってきた。今回の旅の目的は被災地を訪れるというより、メンタルコーチになるためのトレーニングの一環で、今まで室内で行ってきたワークを一気にフィールドワークに変換させ、また違った学びとメンバーとのチームビルデイングが目的である。その合宿所がここ雄勝町にあったわけである。

 初日、仙台空港でレンタカーを借り、雄勝町に入った時、右に見る海岸線が自分が走っている道路より高いことに気付いた。事実、地震で地盤沈下し、現在、護岸修復工事と併せて道路のかさ上げ中であった。

 この雄勝町は、金華山の手前の半島の北東部に位置し、市町村合併で大きくなった石巻市の中では陸の孤島になる。事実、震災直後は、海辺のルートが寸断され、唯一、クルマ一台通れるような山側のルートしかなく、救助から取り残された、忘れ去られた地区であった。

 そのような中、2日目、プレハブの海産物屋の主人がみんなで学校に逃げ、校庭にSOSと書いて2週間後、ようやく救助に来てくれたのは空からSOSを視認して降りて来た米軍ヘリだった。

 以前から陸の孤島だった雄勝町は震災後、さらに人口が減り、今では10分の1の400人程度しか住んでいない。

 海岸線に沿って建てられた住宅は全壊し、背後の山肌の斜面を階段状にして造成工事が進められていた。

 今、ここでは他の被災地同様、建設業が、特にコンクリート会社が儲かっている。けれど、おわかりだろうか?他の被災地以上にこの地は過疎化と高齢化に悩まされている。震災がそれにさらに拍車をかけている。せっかく護岸工事をしても住宅を建てるための造成工事をしても、果たして将来を担う若者は、この地に定住する若者はどれだけいるのか?ということなのだ。問題は・・・

 だから、愛する土地を捨てて多くの者は他の地へ移り住んだ。それでもあきらめきれずに、無駄な努力かもしれないけれど一縷の望みを託して定住を決めた海産物屋の主人のような人たちによって、何とかこの町は生き延びている。

 震災によって、私たちは被災地から、そこに住む人々から「生きる」ということを学んだ。あれから2年半を経て今、私たちは「生き延びる」すべをそこから学ぼうとしている。
コメント
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