「私たちは常に心の波風とともに生きています。 ときには嵐のように吹き荒れることもあるでしょう。 世の中には思い通りにならないことがたくさんあります。 そんな人生において、平常心を保つにはどうしたらよいでしょうか。 思い通りにならないことがあるときこそ、他者を思いやり、これまでに受けたご恩を思い出して、周りの人や社会にお返しする気持ちを持ってみましょう。 思いやる気持ちは心に平和をもたらします。 これを慈悲心といいます」 (臨済宗住職) 昔上司から「君は風のような人だね」といわれました。 その詳しい意味は忘れましたが、何となくありがたいとお礼を言った記憶があります。 人のために生きるという言葉に「無心風来吹(むしんにかぜきたりふく)」という言葉があります。 夏の暑い日に、そよそよと風が吹く。 一時の涼をもらうことができます。 しかし、風は私たちを涼しくさせようとして吹いているわけではありません。 ただ無心に吹いているだけです。 幸せとは分け与えるものではなく、自分が何も持っていないのに他人に与えることが幸せを分けるといいます。 まわりの人の幸せを願うこと、無心になって 一陣の風になる。 この言葉の意味に気づいたのです。 合掌
「たれこめて 春の行くへも 知らぬまに 待ちし桜も うつろいにけり」 (古今集) 部屋に閉じこもっているばかりで、春の移って行くことも知らない間に、花盛りになるのを待っていた桜も散ってしまったことだ。 現代でもこのように感じている人も多いでしょうね。 「花散りて また静かなり 里の寺」 もとの静な里の風情になりました。 合掌
私たちの本質の魂は、本来は幸せしか知らないそうです。 ですから、私たちが自分の魂と触れあうとき、私たちは不幸を知りません。 でも、自分が不幸だと感じている人が多いのはなぜでしょうか。 それは、本当の自分自身と触れあっていないからだといいます。 幸せは自分の外側のできごとによって作られるものではありません。 自分の希望が叶った、大成功した、恋人が出来た、子どもが生まれたなど、外側のできごとは一瞬の間の幸せです。 本当の幸せとは、心の中から湧き上がるものです。 ただ歩いているだけなのに、急に幸せを感じる時、あなたは本当の自分と触れあっているのです。 (魂の言葉より) 禅の言葉に「心外無別法(しんげむべっぽう)」があります。 幸福や不幸というものは、何かの形で現れるものではありません。 それは、心のもようで変わるもの。 つまりは感じるということ。 不幸になるというのではなく、不幸だと感じる。 すべての現象や存在は、自らの心によって起こるもの。 それを「心外無別法」 といいます。 不幸にならないためには、それを不幸と感じないことと説いています。 以前ある事務員の女性から相談を受け、私は不幸な人間なのでしょうか? と聞かれました。 私は即座に答えたのは 貴方が不幸だと思っていることは、きっと私には大したことではないのです。 「すべて、あなたの心が決めているだけですよ」と答えました。 小さな悪いことにあって、いちいち不幸だと感じていたら、不幸だらけの人生になってしまいます。 小さなことにも幸せを感じる心。 少々悪いことが起こっても、これですんで良かったと思う心。 この二つの心をもつことが不幸にならないための大切なことなのです。 私が手相をしていた時 、いろんな悩みを人は抱えて生きているものだと感じました。 その時は手相に加えて、人生相談のアドバイスをしたものです。 病気も、失敗も、失恋も、挫折もすべて成長の踏み台になると。 人は苦悩をとおして、 真の歓(よろこ)びを知るようになる。 苦難を乗り越えた人には人の痛みが分かり、人の喜びが分かる。 強さの中に優しさができる。 辛い哀しいことがあったから、幸せのありがたみが分かる。 どん底を知ると怖いものがなくなる。 いろんな人生を送った人は、すべてが幸せに通じるものと感じるものです。 不幸だと思わないことが、不幸にならないことなのです。 合掌
「無事に生きる」という言葉があります。 禅語では不要なことに振り回されないこととあります。 不要とは「三毒」のことです。 1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。 2.ささいなことで怒ること。 3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。 この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。 今日の気づきになれば。 合掌
道元は1252年54歳で亡くなりました。 その数日前、京都東山にかかる中秋の名月を詠みました。 「また見んと おもひし時の 秋だにも 今宵の月に ねられやはする」 いよいよ死が迫る。 また見ようと思っても、もう二度とこの月は見られない。 道元はこの別れに、 京都の月を眺めながら、一睡もしなかったといいます。 また、弟子たちに 生きる指針となる言葉を残しました。 けっして忘れることのないようにと。 「八大人覚(はちだいじんかく)」を説きました。 1.小欲(しょうよく) 2.知足(ちそく) 3.楽寂静(ぎょうじゃくじょう) 4.勤精進(ごんしょうじん) 5.不忘念(ふもうねん) 6.修禅定(しゅぜんじょう) 7.修智恵(しゅうちえ) 8.不戯論(ふけろん) 1,小欲とは「未来に対して」欲を持ちすぎると、苦しみや悩みがふえて、かえってやすらかな生活ができなくなる。 欲こそが苦しみや悩みの種だから、持ちすぎないことと、説いている。 2.知足とは、「いままで得たこと」に満足して心安らかに生きることである。 こうして、ここまで生きられて、ありがたいことだ。 大好きな人と出会えて、まことに幸福だ。 どうにか三食無事に食べられ、健康で文句をいうことは一つもないと過去を振り返って満足して生きる。 これを知足の生活という。 欲を言えば限りがない。 ああ、これでよかったのだと「足る」を知れば苦痛から解放されると説いています。 3.楽寂静(ぎようじゃくじょう) たまには世の中の雑音から逃れて、静かな場所に行きなさい。 4.勤精進(ごんしょうじん) やりたいことを一つにしぼる。 5.不忘念(ふもうねん) 自分の「あるがまま」を受け入れる。 6.修禅定(しゆぜんじょう) 一歩引いて見つめてみる。 7.修智恵(しゆうちえ) 前向きな話を聞く。 8.不戯論(ふけろん) 口論中でも相手を傷つける言葉は使わない。 以上です。 私は個人的には、三大僧侶としては、空海、道元、良寛の生きざま、言葉が好きでつい多く紹介しています。 良寛は道元を師として生きて来たので、道元の言葉に似ています。 辞世の句なども、 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり (道元) 形見(かたみ)とて 何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉(ば) (良寛) 伊豆の踊り子の作者 川端康成はノーベル賞受賞のスピーチに 道元のこの句を詠んで、日本の四季の美しさを表現したといいます。 古典から心ひかれた 言葉などからも癒されたり、勇気出る言葉を探して紹介したいと思います。 未熟な自分への自戒を含めてですが。 今日を生きるあなたへのエールになりますように。 合掌