播田安弘/講談社ブルーバックス
このシリーズ、1冊目が面白かったので、2冊目も借りてみた。
この人の本の何が好きって、船の専門家の視点があるからだ。
なんとなく船好きな私。でも太陽アレルギーだし乗り物酔いも激しいので、実際に乗って楽しむことはできない。でも船の形とか構造とかには興味がある。
この本の最初の方に書かれていること・・ちょっとショックだなぁ。
古代船による実験航海の数々・・かなり苦戦している。
埴輪などに残っている船の形を再現しただけでは、北九州から朝鮮半島に渡ることはできないのだ。丸木船もしかり。う〜ん、北九州と朝鮮半島は近いから、もっと簡単に渡れるものだと思っていたよ。
ヘイエルダールが作ったような筏は日本古代史の中には現れないのね・・という話はともかく、どこが大変かというと対馬海峡の横断が大変らしいのよ。
というわけで、卑弥呼時代の航海の再現は非常に困難を極めている。多くの畿内説がとっている瀬戸内海を通るルートも、瀬戸内海の潮の流れの難しさを考えると厳しく、畿内説を取るならば山陰ルートで行ったのでは・・というのが筆者の考え。ただし、卑弥呼が没した直後に起こった日食の記録を見ると、九州説の方に分があるという。(日食の起こった時、畿内だと日没後で見えなかった可能性が高いため。)だが、魏志倭人伝に記述されたコースから検討すると、九州をどうしても突き抜けてしまうため、畿内説に分があるのではという。果たして、筆者がどういう考えを導き出したかについては、ぜひ本を入手されて読んでくださいまし。
糸魚川で翡翠が取れるのはフォッサマグナのおかげだったのか。糸魚川からフォッサマグナが始まるという話と同地で翡翠が取れるのは知っていたが、私の中では全く結びついていなかった。マントルは橄欖岩でできているがこの岩は水に反応して蛇紋岩という緑色の石に変質して地上に上昇。ここに1万気圧以上の圧力と、いくつかの鉱物の取り込み、低音という条件が合致すると翡翠ができるのだという。フォッサマグナの変動による圧力と日本海による冷却のおかげで糸魚川に翡翠ができたのだ・・中国では玉と言われ、金よりも価値があった時代もあり、朝鮮半島の鉄と交換する重要な交易品になっていた。このため朝鮮半島→山陰の「鉄の道」と糸魚川から山陰に向かう「翡翠の道」という2つの船のルートが日本海側にあったということで、筆者の山陰ルートというのは翡翠と鉄のルートに重なっているのである。
その他、朝鮮出兵における亀甲船の兵力分析、日露戦争の日本海戦など、興味深い内容でいっぱい。