さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

【100分de名著】特別授業「シンデレラ」

2018-09-30 23:32:25 | 読書録
今日は台風24号のせいで、夜の予定はキャンセル。JRが20時以降運休になるとのことで、職場合唱団の練習が終わったらそそくさと帰ってきた。楽しみにしていたドラマ2つとも休みになって台風情報に代わった。とはいえ、先刻まで大したことなかったのに、さっきからなんかものすごい風雨になり、玄関のドアや今のドアががたがた言うので、ガムテープで留めた。それでもすごい音なので、眠れるかしらん?

色々予定がキャンセルになったので、積読解消にいそしむ。

こちらの本は、シャルル・ペロー童話と、グリム童話で、シンデレラがどのように違うかが具体的に書かれていて面白かった。グリム童話の方がシンデレラも王子も積極的なのだ。

「シンデレラ」については、白馬の王子様を夢見る女の子のイメージとか、いきなり大仕事に抜擢された新人とかのイメージに使われ、必ずしも肯定的なイメージではとらえられていないんだそうだが、私はそうは思ってなかったな。頑張って仕事して、耐え忍んだ人に福があるというお話だと思っていたから、ちょっと意外。ただそういう棚ぼた的なイメージはペローの童話や、それを原案としたディズニーの映画から来るものなんだろう。

そもそも世界中にシンデレラの類話って、5百以上もあるんだって。現存する最古の文献は9世紀の中国だという。小さい足のシンデレラは、そもそも纏足だったのかもしれない。纏足をしていたということは、もともとは上流階級だったということ。シンデレラの物語って、もともとは貴族ないしお金持ちだった人が母を亡くして、継母や連れ子にいじめられ、灰をかぶって仕事させられていたわけで、もともと身分が低かった人の成功物語ではないんだな。

日本にもシンデレラの類話があるという。それは、私が大好きなはちかづぎ姫の物語。彼女ももともとは貴族の出である。でも、はちかづぎがシンデレラと同じだとは認めたくないなぁ。

/////////////

ところで、話をペローとグリムに戻すと、そもそもペローやグリムがなぜ童話集を出したかという背景の違いからして面白い。

ペローは17世紀後半のフランスの人で、ルイ十四世に仕えた宮廷詩人だった。「古代ローマより自分たちの文化の方が優れている」と主張するために、自国の昔話を編纂したのである。読者は同時代の上流階級なので、当時の風俗が巧みに織り込まれている。グリムと比較すると、ペローが創作した部分(カボチャの馬車や仙女、ガラスの靴、十二時のタイムリミット)がわかるという。

グリム兄弟はペローよりも120年くらい後の人。三十年戦争の後遺症で三百もの小邦に分かれたままのドイツ。ドイツという国がまだ出来ていないなら、まずはドイツ国民文化を確立したいと願い、自分たちのルーツであるメルヒェンにそれを求めたのだという。実はペロー童話集よりもあとに編纂されたのに、グリム童話集の方が古い形を残しているのだという。兄ヤーコプは語り手の地方訛りを含めて、人々から聞いた通りの形にこだわったが、弟ヴィルヘルムはなるべく多くの人に楽しんでもらえるよう、標準ドイツ語に変え、表現も工夫した。だがこうした二人の共同作業であったからこそ、自由な創作は抑えられ、口承民話の原型が色濃く残されたのだという。

ちなみにグリムのシンデレラでは仙女は登場しないが、ペロー版では影薄いシンデレラの父が登場する。父が市に出かける時、二人の継姉は服と宝石をねだるが、シンデレラは帰りに父親の帽子に当たった最初の木の枝を所望する。それはハシバミの小枝であった。シンデレラはそれを母の墓へ植え、毎日三度そこへ行って祈り、流す涙で木をそだてる。やがてその木には白い小鳥が停まるようになり、木は一種の霊力を持つようになり、シンデレラが欲しいと頼んだものを落としてくれるようになった。シンデレラはハシバミの木に落としてもらったドレスを着て、舞踏会に行ったのだ。ハシバミの木はもともと神木とされていたことが背景にあるのだろう。ハシバミというとピンと来ないが、実は有名で、それはヘーゼルナッツという。へぇぇ~。

シンデレラは3度舞踏会に行き、三度逃げ帰るが、二回はおってくる王子様を振り切る。三回目は王子様が階段にタールを塗っておいたので、シンデレラはタールに脚を取られ、靴の片方を残して逃げるのだが、その靴はガラスの靴ではなく、金の靴なのだ。王子自らシンデレラを探しに来るが、姉は足の指を切ったり、かかとを切ったりして無理やり靴を履く。王子が連れ帰ると、ハシバミの木のそばを通ると、白い小鳥が「靴から血が出ている、靴が小さすぎる、本当の花嫁はうちにいる」と教えるのだった。

かくして王子はシンデレラを見つけ、めでたく結婚するが、ペロー版にはない復讐劇が待っている。姉たちは白い小鳥に目をつつかれ、失明してしまうのだ。

グリム版では、行動的なシンデレラや王子の様子が楽しめるが、復讐劇がちょっといただけないなぁ。そこは宮廷の読者を意識したペローの方が、やさしいエンディングになっている。姉たちに宮廷住まいを許し、結婚相手まで見つけてやったのだから。

グリムとペローの物語の違いについては、何となく聞いたことはあったのであるが、そもそも作られた背景が違うことが、そのストーリーの違いに大きく影響していることがわかり、大変楽しく読むことが出来た。

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【100分de名著】「赤毛のアン/モンゴメリ著」

2018-09-29 23:54:13 | 読書録
来月放送予定のテキストだが、放送が始まる前に懐かしくて読み切ってしまった。

赤毛のアンは1作目と3作目しか読んでないのだけれど、私は何となく「女の子女の子」している世界が好きではないものだから、それ以上読もうとは思わなかったのだけれど、今回の語りは、脳科学者の茂木健一郎氏。男性だけど、「女の子のモノ」と決めつけずにこの本を読み、大ファンなのだそうだ。なんて頭の柔らかい方なのだ。

逆に、赤毛のアンで私が大好きだったのはギルバート。正直ギルバートのことしか覚えていなかったくらい。今回も読み返してみて、やはりギルバートが出て来ると胸がキュンとなる。逆に茂木氏は子供の頃ギルバートにあまり興味がなかった様子。茂木氏は逆に、アンが想像力を働かせて、周りに影響を与え、難局を自分なりの方法で乗り切っていく方法を脳科学者の視点で見ている。この本はアンの成長物語でもあり、アンを取り巻く人々の成長物語でもあるのだ。

アンは気持ちを切り替えて、好転させるのが上手。そんな彼女でもギルバートのことがきっかけで一度不登校になったことがあるけれど、周りの人間は、アンが再び自分から学校に行くと言い出すまでひたすら我慢するし、アンの学力を伸ばしてくれる先生の教育法とか、子供達に演劇をさせる授業とか、100年以上前に書かれた本でありながら、現代でも注目されている教育法であるそうだ。

モンゴメリ自身は、教師や新聞社の仕事の合間に、せっせと文筆活動をし、出版社に10送っても9は突き返される経験を積み重ねながら、ついにベストセラー作家となった。まるで気持ちを切り替えるのが得意なアンのようだ。そして不屈の精神と「やりぬく力」を持っているところもまるでアンのようだ。

私も、アンやモンゴメリのようになりたいものだ。

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土佐錦魚(高知県天然記念物)

2018-09-28 23:13:23 | ただの日記
高知で泊まったホテルに飼われていたきんぎょ。金魚じゃなくて錦魚って書くのね。


なかなか表情豊かである。


上目遣いで見られている気がする。可愛いね。

金魚といえば、高知にもう一つ思い出がある。

アマチュアオーケストラフェスティバルの高知大会のAオケで、うちのオケの打楽器奏者が、マエストロから「何かペット飼ってますか・・犬と金魚4匹?・・とりあえず犬は忘れて金魚4匹にしましょう。その4匹って名前付いてます? 区別つきます?・・・じゃぁ、その4つの音符をそれぞれの金魚だと思って叩いてみて・・・」と言われていた。

そうしたら、その直後に叩いた音の1つ1つに本当に魂がこもっているように聞こえたのである。

そんな粋な指導をしてくださった若きマエストロが女子アナウンサーと結婚するという、ちょっとしたビッグニュースがネット上に表示され、JAOメンバーは大騒ぎ。

マエストロ・・おめでとうございます!

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【読書録】歩けなくなるのがイヤならかかとを整えなさい

2018-09-27 23:27:23 | 読書録
宮本晋次 著/佐々木政幸 監修/アスコム

今年は、膝に泣かされて、2月ごろはこのまま歩けなくなってしまうのではないかと思ったけど、最近少しは良くなってきた。ヒアルロン酸注射は7月以降打っていないけれど、相変わらず鉄骨入りサポーターが手放せない。

何かとリハビリチックなことをやっては、かえって痛くなってしまって、やめてしまう日々。この本なら膝を直接触らないのでよいかなと思って買ってみた。

驚いた。足の甲を手で押さえた状態で、かかとの骨って、微妙に動くんだね。無理に動かすのは良くないらしいが、ゆっくり少しだけ上下させたり、回したり。意外に気持ちがいいなと思った。ストレッチした後も足の裏がポカポカする。

足首を反対側の膝にのせてお尻の筋肉をストレッチしたのを加えても、5分以内に終わるストレッチ。

五日間ぐらいやってみたら、ちょっとイイ感じなんで続けて見ようかな。

今までかかとなんてあまり意識したことなかったのだが、これをやってから歩く時にやたらかかとが気になる。かかとの骨をまるで竹馬の足のように、中心を芯でとらえると、足が左右に傾くことなくしっかりまっすぐ歩けることが分かった。これなら靴の外側ばかり減ることもない。かかとをまっすぐに地面に着地できれば、親指もつかって歩けるようになるのを実感。今まで指だけを気にしてたからうまく歩けなかったんだ。

無理せず続けて、年内には今まで通り歩けるように回復したいものだ。

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高知県立歴史民俗資料館

2018-09-26 23:05:19 | ただの日記
昨日に引き続き、8月20日の高知観光について書く。

昨日書いた岡豊城のすぐ下にあるのが、この歴史民俗資料館。新しくてとてもきれいな建物だ。


正面で我々を歓迎してくれるのが、長宗我部元親公の像であるが・・あの・・・スタイル良すぎませんか? 鎧を着てるのにウエストのくびれがくっきり。


ちなみに、こちら↑は別のところにある元親公の像であるが、やはりスタイルがよく、私にはとても入らないような細身の甲冑をつけておられる。

サイト検索で肖像画を調べてみると、こんなにカッコよくはないが、確かに細身の方だったようである。


資料館の中は、撮影してよいところと、撮影禁止のところがとても分かりやすく表示してあった。ちなみにこちらは長宗我部氏の本陣を再現したもので、長宗我部氏関連の特別展示の中で唯一撮影してよかったところである。カタバミをかたどった家紋はとても親しみやすい。


だからこのピンクのTシャツを、ここで衝動買いしちゃったのよ。


こちらは撮影OKコーナー。私、土器を見ると本能的にワクワクするの。


この古墳時代の変わった形の土器も好きだわぁ~。奥のある皿が沢山乗っているような台は「子持高坏」と呼ばれるそうな。


あ~、この銅矛もしびれる~。


こちらの城づくり解説漫画・・とってもいいね。


ということで、岡豊城まで山道を登って汗だくになった身体を休めて、リラックスするにはもってこいの資料館だった。

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岡豊城(おこうじょう)

2018-09-25 23:31:34 | 続日本100名城巡り
さて、なかなか書けない、先月の高知の話題より。

高知城が関ケ原以降に土佐に入ってきた山内家の城ならば、もとの支配者である長宗我部氏の城が岡豊城だ。現地で乗ったタクシーの運転手さんによると、地元では長宗我部氏の方が圧倒的に人気があるそうな。山内一豊は、相撲大会を開くと偽って長宗我部シンパの者を集め、虐殺した人物。妻がいくら賢妻でもそのようなことをしては、歴史に汚点を残すねぇ。武士階級内差別で虐げられた人々の中から志士が輩出され、明治維新への原動力となったわけであるが。

さて、山内家の高知城は日本100名城になっているが、長宗我部氏の岡豊城は趾しか残っていない。それでも続日本100名城にランクインされている。続日本100名城のスタンプラリーは今年始まったばかり。



私も早速ガイドブック兼スタンプ帳を買い込んだが、記念すべき初めてのスタンプがこの岡豊城だ。


わ~お!


現地からも熱いムードが漂ってくる。ただ、高知で泊まったホテルの人に行き方を聞いたところ「趾しか残っていませんが大丈夫でしょうか?」と聞かれた時は寂しかったな。続日本百名城は、日本百名城の近くにあることもあり、一緒に回った方が効率的だ。スタンプラリー開始に伴って、ここを訪れる人が増えるといいなぁ。


さて、ここから登っていくのだが、


最初から猛烈に傾斜が急である。


さすが南北朝時代初期頃の築城だ。この時代は山城が中心だからなぁ。蜂や蛇に出くわしませんように。


古式ゆかしき、建物趾(詰下段)。


中心となる「詰」には、櫓が復元されていた。


二階建て以上の建物であったこと以外はあまり詳細が分かっておらず、この櫓も来年2月には取り壊されてしまう。それは正解かもしれないね。仮に作ったものがイメージとして定着してしまう前に壊すということか。


もとも見晴らしの良い丘であるが、櫓の上から見ると、さらに素晴らしい光景が眼下に広がっている。


前を走る国分川は天然の堀の役目を果たす。すばらしい景色に見とれていたいところだが、黒い蜂が2匹ぶんぶんとうるさいので、早々に退散した。


二の段あたりからまた景色を望むと、


こんな景色を見たら、誰にでも、セザンヌのような絵心が生まれるかも。


ということで、さまざまにイマジネーションを駆使しつつ、岡豊城跡ウォーキングを楽しんだ。

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【100分de名著】「薔薇の名前/ウンベルト・エーコ著」

2018-09-24 23:21:30 | 読書録
いやぁ、この本は難しいぞ・・・。実はテキストを買ってから、猛烈に引き付けられて、1回目の放映分が始まる前に全部テキストを読んでしまうような、エキサイティングな内容でありながら、読み終わってみると、著者の笑いが聞こえてくるような結末である。

作者はイタリアの記号論学者。「知」を絵にかいたような人である。その人が48歳にして急に小説を書いた。「理論化できないことは物語らなければならない」と。この発想は理解できる。だが、エーコ氏は何を物語ろうとしたのか?

舞台は1327年の北イタリアのベネディクト会修道院。ここで次々と修道僧が亡くなっていく。そこにやって来たウィリアム修道士とアドソ見習い修道士の師弟コンビが、シャーロックホームズとワトソン君よろしく謎解きに挑んでいく。

その舞台設定が面白い。修道院の図書館がキーとなるのだが、修道院の図書館って、みんなが自由に本を読むためにある場所じゃなくて、禁書を封じ込めておくための場所なんだって? ウィリアムとアドソは少しずつ謎を解いていき、入ってはいけないと言われている図書館にも侵入・・・核心に近づいているようなのにどんどん人が死んでいく横溝正史的展開に。

そこに「笑い」を極端に嫌悪する人物が登場する。「笑い」をキリスト教的でないと考えるのは、笑い=不真面目の図式があるからかなぁ。

その、笑いを嫌悪する人物が禁書として隠し続けるアリストテレスの『詩学』の第二部(失われたとされる)は、喜劇や笑いについて書かれている(という設定)。

ここで書かれている「笑い」は、コントを見てゲラゲラ笑うような笑いに限らず、皮肉なども含む、もっと広義のものであるようだ。著者のエーコは、人間は、まじめに考えすぎたり、絶望したり、そのために死のうとして多くのものを道連れにしたりしないようにするために人間は笑うと考えているようである。

この本では「笑い」は真理を暴く力をもっているとされるが、凝り固まった考え方を笑うことで、逆に真理が見えるようになる・・ということなのかなぁ。

「笑い」ってそんな御大層なもんだったけ、と思いながら読んでいくと、ミステリーだと思っていたものが、最終的にミステリーのパロディであることがわかる。つまりストーリーとして最終的には「笑い」が勝つ。笑いというよりも皮肉・・つまり広義の笑いに属するものかもしれないけど。

ということで、無理やり腹落ちさせて、この読書録を終えよう。

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panier

2018-09-23 22:22:33 | リベンジ仏蘭西語
旅するフランス語より。

「あら~可愛いパニエが沢山・・」という文脈で出て来るパニエとは、かごのことなんだね。

私は、パニエと言われると、疑似職業病的偏屈さから、スカートの下に履くアレしか思い浮かばなかったんだけど、そうか・・もともとはフランス語で“かご”という意味だったのか。


↑しかし、2010年から使っているこのパニエ・・・最初に着用した時は、それこそ夢見心地だったんだけど、今ではすっかりペッチャンコで、この画像を見ても「かご」という名詞は浮かんでこない。


↑でも今年新調したワイヤー入りのこのパニエなら、確かに「かご」と言ってもおかしくはないわね。大きすぎて、まだ使いこなせてないんだけど。


左が、以前から持ってるパニエ、右が今年買ったワイヤー入りパニエ・・・同じパニエでも威力が全然違う。

ということで、あらためて気付いたんだが、私はパニエと言えばドレス用のものしか持っておらず、このブログ記事を飾るにふさわしい可愛らしいかごなど一つも持っていないことにあらためて気付いた。引越しで捨てちゃったんだな~。

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【読書録】イタリア家族 風林火山

2018-09-22 21:14:16 | 読書録
ヤマザキマリ著/ぶんか社

我が敬愛するヤマザキマリ氏の壮絶な人生を理解するために買った本なのであるが、ちょうど私の親指がかかっているところにいるおじさん、舅のアントニオ氏の破壊力が抜群で、一冊読み終わっても、アントニオ氏のことばかり頭に残り、きっと変なおじさんが載っていた本ということで私の脳裏に記憶されるんだろうな。

ヤマザキマリ氏が結婚したイタリア人の家族は大家族で、しかも個性たっぷりな人ばかり。特に女性陣の強さといったら・・・あの強いヤマザキマリ氏ですら小さくなって過ごさなければならない家族。

そんな中で、舅アントニオ氏は、よくわかんないものを作り出す名人。おんぼろヨットに旦那ベッピーノ氏とマリ氏と息子デルス君と舅アントニオ氏が乗り込み、アントニオ氏は釣った魚をすぐ焼けるグリルを作り出すのであった。ところが魚が全然釣れない。だが、アントニオ氏がトイレに行って、出て来たら魚が急に獲れるようになった。それは何故か・・・。

ちょうど海で泳いでいたマリ氏は、アントニオ氏がトイレに入った時にヨットの船底から、何物かが噴出しているのを見てしまう。なのでアントニオ氏が釣って、グリルで調理した魚を食べる気にならず・・・。

ということでどんな強い女性も性格温厚なる変なおじさんのインパクトには勝てないのであった。

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銀座線1000系特別仕様車に遭遇

2018-09-21 22:11:11 | 鉄への道?
先日何気なく乗った電車が1000系特別仕様車だったらしい。

そんな準備をしてないから、先頭車両はまともに撮れなかった。あぁホームドア恨めし・・でも事故防止のためのホームドアなんだから仕方ない。


外見・・・特に側面はあまり変わらないから気付かなかったのだが、


内装がやたら木目調で・・そう、つり革の形で分かったよ。誕生したばかりの、昭和2年頃の銀座線は、つり革が涙型だったのだ。


これは私が以前、地下鉄博物館に行った時に撮った写真だが、木目調の車内に涙型のつり革だ。これを模そうとしていることは一目瞭然。


一応、普通の丸いつり革も用意してあるようだ。


他のお客様もいらっしゃるので、あまり大っぴらに取れないが、この特別仕様車は2編成しかないらしい。

ほとんどの人は気にせず乗っているような気がする・・・乗り慣れるのか、そもそもどうでもよいと思っているのか・・カメラを出していたのは私だけ。

こういう復古調の車両を作ることになんの意味があるのか・・と思う人もいるかもしれないけれど、私はこういう車両をみるたびに、今の我々の便利な暮らしが、先人たちの努力の積み重ねの賜物であることを思い出させてくれるものとして、とても神妙な気持ちになるのである。

今回は2駅しか乗らなかったけれど、ぜひこの特別仕様車、また落ち着いて乗ってみたいものである。

ご参考:地下鉄博物館に行った時のブログへのリンクはこちら。

https://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/db6caf8231223a65b95c70e27f502e5d

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スルポンだと~!?

2018-09-20 20:55:05 | リベンジ仏蘭西語
旅するフランス語の8月放映分アヴィニョン橋が出てきた。

アヴィニョン橋といえば、「アヴィニョンの橋で、踊るよ踊るよ♪」という童謡を思い出す。

小学校で習ったのは「橋の上で、踊るよ踊るよ♪」という歌詞だった。でも両親が童謡のレコードを買って来て、「アヴィニョン橋」バージョンもあることが分かり、・・というかそっちの方が本家本元っぽいな~と思っていた。

なのでアヴィニョンといえば、教皇のアヴィニョン捕囚で知られる教皇庁よりも何よりも私にとっては、「いろんな人が通る橋」のあるところだ。

現在のアヴィニョン橋は、洪水などによって大部分が流失してしまっているから、川の途中までしかかかっておらず、誰も通らない橋になってしまっているが、テレビ画面に写し出された白い橋は、非常に古式ゆかしく美しい、石造りのアーチ橋(正式名:サン・ベネゼ橋)であった。

で、フランス人の先生が、「この橋について有名な歌があるよね」ということで「アヴィニョンの橋で~♪」をフランス語で歌い出したのであるが、その歌詞に驚愕した。

「スルポン ダヴィニョン~(Sur le Pont d'Avignon~)」

何、スルポンだと~!?

スルポンと言われれば、弦楽器奏者であればだれでも、駒近くを弾いて固く金属的な音を出す、あの技法のことを思い出すだろう。

しかしスルポンはあくまでも略称であり、正式にはスル・ポンティチェロだ。慌ててスル・ポンティチェロのスペルを調べに行くと、

sul ponticello だった。こっちはイタリア緒かぁ。微妙にスペルが違うなあ。でもここであきらめない。

sulと言うのは上を表すsuと定冠詞ilのくっついた形だから。su il ponticelloと同義である。

で、ponticelloはponte(橋)の小さいものをさす。つまり小さい橋のことで、転じて弦楽器の駒を表すのだ。思い出した。ギターだとあの部分は駒と言わずにブリッジと言っていたな。

そうか。弦楽器の「駒」は欧米に行けば「橋」と表現されるのだ。

ということは、「スルポン」はイタリア語的に考えようが、フランス語的に考えようが、「橋の上」であることに変わりはない。

ということで、次にオケ譜で「スルポン」指示を見たら、あの童謡「橋の上で、踊るよ踊るよ♪」を思い出してしまいそうだ。

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Wappen

2018-09-19 23:33:48 | いまさら独逸語
ドイツ語が分からなくても、聞き流すだけでいろんな発見がある、まいにちドイツ語応用編「ドイツ人が見たい日本」と聞いていて、またギョッとすることを発見。

日光東照宮に関する説明の中で、徳川の紋章(三つ葉葵)をdas Tokugawa-Wappenと言っていた。Wappenは発音はヴァッペンだが、要するにワッペンのことである。

ワオ~! 

何と「この紋所が目に入らぬか!」と「このワッペンが目に入らぬか!」は同義なのだ。

なんか、国境をまたぐと、イメージがずいぶんダウングレードしてしまうなぁ・・と思いつつ、ワッペンに盾形のものが多い理由が分かった。もともとは西洋の紋章だからだ!

ワッペンといえばいろんな思い出があるけれど、一番の思い出は、剣道の試合前に、先輩の胴着の左袖に、校章を盾形にアレンジしたワッペンを縫い付けたこと。

通い合宿中だったか・・コインランドリーで剣道着を洗いながら、先輩と一緒に洗濯機の前で椅子に座りながら針仕事をしていたら、見知らぬおじさんが「よく頑張るねぇ」といって干芋をくれた。見知らぬ人からもらった食べ物なんて、怪しくて食べられない~とか思いつつ、お腹空いてたんで食べちゃって、結局何ともなんなかったので、「おじさん、疑ってごめんなさい」とか思った思い出。

あん時も、何で盾形なんだと思いつつ、縫ってたのであった。

そうそう・・剣道部がらみで他にもある。男子は学ランだったけど、女子は紺のブレザーに金色の縁取りがしてある、試合用とは別の盾形のワッペンを縫い付けて制服とし、試合の行き帰りなんかに着ていたなぁ。

子供の頃はワッペンにほのかな憧れを抱いていた。そもそも西欧の家の紋章としてリスペクトしていたものがルーツであれば、わざわざ憧れを誘うデザインであったことも頷ける。

日本の家紋も、布ワッペンのように身近に身に付けられるようになれば、面白いかもしれないね。

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【読書録】国境のない生き方~私を作った本と旅

2018-09-18 23:04:31 | 読書録
ヤマザキマリ著/小学館新書

ヤマザキマリさんについては、テルマエ・ロマエの原作が出たころから知ってはいたが、実際にどんなお顔で、どんな風なしゃべり方をする方なのかについては、去年、テレビで「旅するイタリア語」に月1回程度ゲスト出演されているのを見て初めて知った。そして先月の100分で名著forティーンズでさらにお人柄に触れることが出来た。

私より2歳年下だが、まずまず同世代の方、しかも学校は違うと思うが同じようなミッションスクール出身。・・それなのにこの方はどうしてこんなにオトナで、説得力のあるしゃべり方が出来、こんなにカッコ良いのだろう。

それが気になって、この本を手に取った。

いや~すごい。この行動力と、知性。

14歳の時、母親に勧められて1ヶ月ドイツとフランスを一人旅したというが、それがどれほど大変なことか、一応曲がりなりにも16~17歳の1年間外国で暮らしたことのある私なら分かる。言葉もろくに通じない中、より若い年齢で、しかも2か国を一人旅だなんて信じられない。またその時に会った人の縁で、17歳でイタリアに渡り、フィレンツェのイタリア国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で美術史と油絵を学びながら11年間過ごしたというが、その時の生活がまたかなり極貧なのである。お金がなくて、ライフラインを止められて、観光ガイドのアルバイトや、似顔絵書きなどをしながらの暮らしの中で、貪るように本を読み、ガレリア・ウプパというサロンで、議論し合う・・・。いやぁ、議論もおしゃべりも苦手な私にはとてもできない世界。

私も学生時代は本好きではあったが、まるで読んでいるジャンルが違う。歴史関係の本が多かったから、とりあえず書いてあることをそのまま受け止めるだけ。文芸作品はほとんど読まなかったから、作者が言おうとしていること、言外の意味などまるで忖度することなく、今まで生きてきてしまった。

年をとって、足も悪い今の私が、今更、彼女のような人生は生きられないので、せめてもう少し外国語を勉強し、もう少しちゃんと本を読もう・・。できればこの本に書かれている、自分は全く読んだことがない安部公房や三島由紀夫などの本にも目を通してみようかな。

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オペラ「アドリアーナ・ルクヴルール」本番

2018-09-17 23:31:07 | ただの日記
三連休の最終日は、心地よい秋晴れの中、サントリーのブルーローズで「アドリアーナ・ルクヴルール」の本番。合唱団の一員として参加しました。


7月に千葉商大でやったバージョンとは、キャストの方が半分近く入れ替わり、演出も気持ちも新たに今日の日を迎えました。


6月中旬から続いてきた毎週本番状態も、今日が終われば2週間ほど小休止。実はこの三連休も毎日本番だったので、疲労困憊状態で、痛い足を引きずり、眠い目をこすりながら楽屋口に向かいました。



合唱は出番は少ないけれど、貴族役なので、かなり着飾って登場します。特に、ドレスは広がっていればいるほどよい時代を扱った作品だからと師匠に言われ、初めてワイヤーのパニエを購入したが、さすがに広がり過ぎて、舞台裏のいろんなところにぶつかるので、パニエを裏返しにしたり、ワイヤーを調節して少し小さくしたつもりなのだけれど、それでも楽屋を猛烈に狭く感じるほど場所を取り、難儀をしました。

幕が上がってみると、びっくりするほどの大入りで、舞台から見ると、顔・顔・顔・・・の連続。お客様からもエネルギーをいただいて、素晴らしい舞台になりました。

カーテンコールでも拍手が止まらずに、いったん退場したところを再入場して再度カーテンコール。オペラ合唱団に入って以来、こんなことは初めて。

今回私は、本番スケジュールがキツすぎてあまり声掛けが出来なかったのだけれど、6月にオペラ勉強会をやった障害者施設の方や、同じオケの先輩、オペラ仲間も見に来てくれました。


こちらは友人からのいただきものです。

オペラって一公演一公演が本当に大変だけど、お客様・参加者みんなが喜べる本番が出来て、本当に良かったと思います。

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【読書録】星の王子さま

2018-09-16 23:42:14 | 読書録
サン=テグジュペリ著 河野万里子訳/新潮文庫

この本は、子供の頃に読んで、最も面白くない本の一つだと思っていたのだが、先月のEテレの「100分で名著」におけるヤマザキマリ氏の解説に触発されて、あらためて購入して読んでみたのである。

いやぁ~、やはり本というものはダイジェストだけ読んでいても伝わらず、全部読むからこそグッとくるものがあるんだね。

子供の頃に面白くないと思った理由は1つ。私は王子さま=イケメンだと思っていて、星の王子さまはイケメンどころか、まどろっこしいことをくどくど言うガキにしか見えなかったので、当時興味を抱かなかったのだ。(ま、そもそも読解力のない子供であったし。)

今は、王子さま=イケメンという図式は私の中では崩れているし、正直イケメンなんてどうでもよいと思っているので、昔より自由な心でこの本と向き合うことが出来たんだろうな。

まぁ、読んでいて、やはりこの本は子供には分からないことがある・・と思った。王子さまは「大人ってやっぱりすごく変だ」とつぶやくが、王子さまとバラの花の関係に、バリバリに大人の事情を感じるのである。王子さまの星に生えてきたバラの花は、どうみても女の人の象徴だ。王子さまはバラの花に振り回されて、自分の星を飛び出してしまう。花は王子さまとの別れを悲しむが、気丈にふるまう。王子さまは地球まで来て、自分が花を愛していたことに気付く。地球に来て沢山のバラの花を見た王子さまは一瞬とまどう。だが自分にとって唯一無二な存在とは何かについて、キツネが「なつく」という言葉を使い、身をもって教えてくれたことで、自分の星に置いてきてしまったバラの花が自分にとって特別の存在であったことに気付く。そこらへんの経緯を、王子さまは語り手である「僕」に回りくどく説明するのである。

王子さまは、地球に落ちて来るような形で、地球に来た。その落ちた地点の真上に王子さまのもといた星が来るのは、ちょうど1年後だった。その日を選んで、地球で最初に会った、砂漠の黄金の毒蛇の力を借りて、王子さまは肉体を脱ぎ捨て、自分の星に帰って行ったのだ。

ここら辺が私が子供のころ分からなかったところだが、何故わからなかったのか。たぶん幼児の頃、「人は死んだら星になる」とかオトナに言われていたこと、かつキリスト教では蛇は人をだます存在であったこと・・これが私が自由にこの本を読むのを邪魔したんだと思う。何だかんだ言って王子さまは実は蛇に騙されて、本当は死んでしまっていて、星に帰ったと「僕」が思うのは、亡くなった人について大人が子供に「星になった」と説明するのと同じ次元の話なのではないか・・と思ったのである。

ここまで書いてくると自分は子供の頃、今よりも頭が固かったのではないか・・などと思えて来る。

何故今まで旅してきた星は普通に旅が出来たのに、地球から帰る時だけ何で死んだようにならなきゃいけないのよ・・・という点は気になるが、それはたぶん、王子さまが訪れた地球以外の星は人が1人しか住んでいないような小さな星ばかりで、引力が弱かったのだろう。王子さまは地球に落ちるようにして来たのであるから、引力のせいで今までと同じ方法では地球から出ていけない。宇宙船もないのだから、あのような方法で帰るという設定にしたのではないかなどと思う。

ヤマザキマリ氏によると、この本は人生の節目節目に取り出して読むと、その時々に応じて違ったインスピレーションをくれるとのこと。今の私は、王子とバラに象徴される男女の恋のすれ違いと、好きな男性に友情を持って接するキツネの切なさに心を惹かれるわけであるが、この本を10年後に再び読んだら、自分がどんな解釈をするか楽しみである。

なので、いつも本を読むときはアンダーライン引きまくりの私だが、この本に関しては一切汚さなかった。きれいなまま本棚に入れておいて、いつの日かまた取り出そう。

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