今日は台風24号のせいで、夜の予定はキャンセル。JRが20時以降運休になるとのことで、職場合唱団の練習が終わったらそそくさと帰ってきた。楽しみにしていたドラマ2つとも休みになって台風情報に代わった。とはいえ、先刻まで大したことなかったのに、さっきからなんかものすごい風雨になり、玄関のドアや今のドアががたがた言うので、ガムテープで留めた。それでもすごい音なので、眠れるかしらん?
色々予定がキャンセルになったので、積読解消にいそしむ。
こちらの本は、シャルル・ペロー童話と、グリム童話で、シンデレラがどのように違うかが具体的に書かれていて面白かった。グリム童話の方がシンデレラも王子も積極的なのだ。
「シンデレラ」については、白馬の王子様を夢見る女の子のイメージとか、いきなり大仕事に抜擢された新人とかのイメージに使われ、必ずしも肯定的なイメージではとらえられていないんだそうだが、私はそうは思ってなかったな。頑張って仕事して、耐え忍んだ人に福があるというお話だと思っていたから、ちょっと意外。ただそういう棚ぼた的なイメージはペローの童話や、それを原案としたディズニーの映画から来るものなんだろう。
そもそも世界中にシンデレラの類話って、5百以上もあるんだって。現存する最古の文献は9世紀の中国だという。小さい足のシンデレラは、そもそも纏足だったのかもしれない。纏足をしていたということは、もともとは上流階級だったということ。シンデレラの物語って、もともとは貴族ないしお金持ちだった人が母を亡くして、継母や連れ子にいじめられ、灰をかぶって仕事させられていたわけで、もともと身分が低かった人の成功物語ではないんだな。
日本にもシンデレラの類話があるという。それは、私が大好きなはちかづぎ姫の物語。彼女ももともとは貴族の出である。でも、はちかづぎがシンデレラと同じだとは認めたくないなぁ。
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ところで、話をペローとグリムに戻すと、そもそもペローやグリムがなぜ童話集を出したかという背景の違いからして面白い。
ペローは17世紀後半のフランスの人で、ルイ十四世に仕えた宮廷詩人だった。「古代ローマより自分たちの文化の方が優れている」と主張するために、自国の昔話を編纂したのである。読者は同時代の上流階級なので、当時の風俗が巧みに織り込まれている。グリムと比較すると、ペローが創作した部分(カボチャの馬車や仙女、ガラスの靴、十二時のタイムリミット)がわかるという。
グリム兄弟はペローよりも120年くらい後の人。三十年戦争の後遺症で三百もの小邦に分かれたままのドイツ。ドイツという国がまだ出来ていないなら、まずはドイツ国民文化を確立したいと願い、自分たちのルーツであるメルヒェンにそれを求めたのだという。実はペロー童話集よりもあとに編纂されたのに、グリム童話集の方が古い形を残しているのだという。兄ヤーコプは語り手の地方訛りを含めて、人々から聞いた通りの形にこだわったが、弟ヴィルヘルムはなるべく多くの人に楽しんでもらえるよう、標準ドイツ語に変え、表現も工夫した。だがこうした二人の共同作業であったからこそ、自由な創作は抑えられ、口承民話の原型が色濃く残されたのだという。
ちなみにグリムのシンデレラでは仙女は登場しないが、ペロー版では影薄いシンデレラの父が登場する。父が市に出かける時、二人の継姉は服と宝石をねだるが、シンデレラは帰りに父親の帽子に当たった最初の木の枝を所望する。それはハシバミの小枝であった。シンデレラはそれを母の墓へ植え、毎日三度そこへ行って祈り、流す涙で木をそだてる。やがてその木には白い小鳥が停まるようになり、木は一種の霊力を持つようになり、シンデレラが欲しいと頼んだものを落としてくれるようになった。シンデレラはハシバミの木に落としてもらったドレスを着て、舞踏会に行ったのだ。ハシバミの木はもともと神木とされていたことが背景にあるのだろう。ハシバミというとピンと来ないが、実は有名で、それはヘーゼルナッツという。へぇぇ~。
シンデレラは3度舞踏会に行き、三度逃げ帰るが、二回はおってくる王子様を振り切る。三回目は王子様が階段にタールを塗っておいたので、シンデレラはタールに脚を取られ、靴の片方を残して逃げるのだが、その靴はガラスの靴ではなく、金の靴なのだ。王子自らシンデレラを探しに来るが、姉は足の指を切ったり、かかとを切ったりして無理やり靴を履く。王子が連れ帰ると、ハシバミの木のそばを通ると、白い小鳥が「靴から血が出ている、靴が小さすぎる、本当の花嫁はうちにいる」と教えるのだった。
かくして王子はシンデレラを見つけ、めでたく結婚するが、ペロー版にはない復讐劇が待っている。姉たちは白い小鳥に目をつつかれ、失明してしまうのだ。
グリム版では、行動的なシンデレラや王子の様子が楽しめるが、復讐劇がちょっといただけないなぁ。そこは宮廷の読者を意識したペローの方が、やさしいエンディングになっている。姉たちに宮廷住まいを許し、結婚相手まで見つけてやったのだから。
グリムとペローの物語の違いについては、何となく聞いたことはあったのであるが、そもそも作られた背景が違うことが、そのストーリーの違いに大きく影響していることがわかり、大変楽しく読むことが出来た。
色々予定がキャンセルになったので、積読解消にいそしむ。
こちらの本は、シャルル・ペロー童話と、グリム童話で、シンデレラがどのように違うかが具体的に書かれていて面白かった。グリム童話の方がシンデレラも王子も積極的なのだ。
「シンデレラ」については、白馬の王子様を夢見る女の子のイメージとか、いきなり大仕事に抜擢された新人とかのイメージに使われ、必ずしも肯定的なイメージではとらえられていないんだそうだが、私はそうは思ってなかったな。頑張って仕事して、耐え忍んだ人に福があるというお話だと思っていたから、ちょっと意外。ただそういう棚ぼた的なイメージはペローの童話や、それを原案としたディズニーの映画から来るものなんだろう。
そもそも世界中にシンデレラの類話って、5百以上もあるんだって。現存する最古の文献は9世紀の中国だという。小さい足のシンデレラは、そもそも纏足だったのかもしれない。纏足をしていたということは、もともとは上流階級だったということ。シンデレラの物語って、もともとは貴族ないしお金持ちだった人が母を亡くして、継母や連れ子にいじめられ、灰をかぶって仕事させられていたわけで、もともと身分が低かった人の成功物語ではないんだな。
日本にもシンデレラの類話があるという。それは、私が大好きなはちかづぎ姫の物語。彼女ももともとは貴族の出である。でも、はちかづぎがシンデレラと同じだとは認めたくないなぁ。
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ところで、話をペローとグリムに戻すと、そもそもペローやグリムがなぜ童話集を出したかという背景の違いからして面白い。
ペローは17世紀後半のフランスの人で、ルイ十四世に仕えた宮廷詩人だった。「古代ローマより自分たちの文化の方が優れている」と主張するために、自国の昔話を編纂したのである。読者は同時代の上流階級なので、当時の風俗が巧みに織り込まれている。グリムと比較すると、ペローが創作した部分(カボチャの馬車や仙女、ガラスの靴、十二時のタイムリミット)がわかるという。
グリム兄弟はペローよりも120年くらい後の人。三十年戦争の後遺症で三百もの小邦に分かれたままのドイツ。ドイツという国がまだ出来ていないなら、まずはドイツ国民文化を確立したいと願い、自分たちのルーツであるメルヒェンにそれを求めたのだという。実はペロー童話集よりもあとに編纂されたのに、グリム童話集の方が古い形を残しているのだという。兄ヤーコプは語り手の地方訛りを含めて、人々から聞いた通りの形にこだわったが、弟ヴィルヘルムはなるべく多くの人に楽しんでもらえるよう、標準ドイツ語に変え、表現も工夫した。だがこうした二人の共同作業であったからこそ、自由な創作は抑えられ、口承民話の原型が色濃く残されたのだという。
ちなみにグリムのシンデレラでは仙女は登場しないが、ペロー版では影薄いシンデレラの父が登場する。父が市に出かける時、二人の継姉は服と宝石をねだるが、シンデレラは帰りに父親の帽子に当たった最初の木の枝を所望する。それはハシバミの小枝であった。シンデレラはそれを母の墓へ植え、毎日三度そこへ行って祈り、流す涙で木をそだてる。やがてその木には白い小鳥が停まるようになり、木は一種の霊力を持つようになり、シンデレラが欲しいと頼んだものを落としてくれるようになった。シンデレラはハシバミの木に落としてもらったドレスを着て、舞踏会に行ったのだ。ハシバミの木はもともと神木とされていたことが背景にあるのだろう。ハシバミというとピンと来ないが、実は有名で、それはヘーゼルナッツという。へぇぇ~。
シンデレラは3度舞踏会に行き、三度逃げ帰るが、二回はおってくる王子様を振り切る。三回目は王子様が階段にタールを塗っておいたので、シンデレラはタールに脚を取られ、靴の片方を残して逃げるのだが、その靴はガラスの靴ではなく、金の靴なのだ。王子自らシンデレラを探しに来るが、姉は足の指を切ったり、かかとを切ったりして無理やり靴を履く。王子が連れ帰ると、ハシバミの木のそばを通ると、白い小鳥が「靴から血が出ている、靴が小さすぎる、本当の花嫁はうちにいる」と教えるのだった。
かくして王子はシンデレラを見つけ、めでたく結婚するが、ペロー版にはない復讐劇が待っている。姉たちは白い小鳥に目をつつかれ、失明してしまうのだ。
グリム版では、行動的なシンデレラや王子の様子が楽しめるが、復讐劇がちょっといただけないなぁ。そこは宮廷の読者を意識したペローの方が、やさしいエンディングになっている。姉たちに宮廷住まいを許し、結婚相手まで見つけてやったのだから。
グリムとペローの物語の違いについては、何となく聞いたことはあったのであるが、そもそも作られた背景が違うことが、そのストーリーの違いに大きく影響していることがわかり、大変楽しく読むことが出来た。