NHK BSプレミアムで7月4日にやっていたこの映画を見た。
公開は1989年12月(1990年2月17日)ただでさえ映画に興味がなく、トム・クルーズも好みではなく、入社2年目で激務に喘いでいた私は、この映画が公開されたことも知らなかったが、題名を知ったのは10年近く前のことである。私の周りには「7月3日に生まれて」の人が本当にたくさんいるので、そんな話題の中で偶然知ったのであるが、いやぁ・・見て良かった。こんなに重く、考えさせられる映画だったとは知らなかった。
7月4日はアメリカ独立記念日。アメリカのように歴史が浅く、しかも努力で独立を勝ち取った国にとっては、それは大変重い意味を持つであろう。しかもその日が自分の誕生日となれば・・・毎年7月4日に地元で開かれるパレード・・そこには車椅子で行進に参加している足に怪我をした帰還兵たちの姿もあり、皆から尊敬の視線を受けている・・主人公のロン・コーヴィックは自然と愛国少年に育っていくのであった。
レスリングのトレーニング・・ああ、この時代のアメリカもかつての日本と同じように精神主義的トレーニングだったのだな・・・大事な試合で挫折を味わったロンは、海兵隊のプロパガンダに心を奪われる。理屈も何もなく、ただプライドだけをくすぐる説明・・陸海空軍の機能を持ち少数精鋭で、海外遠征が主要任務となる海兵隊・・・でも軍服に見覚えがあるぞ・・私が30年前に飯田橋某所で衝動買いし、その後オペラ等で何回か活用したやつではないか!
久しぶりに取り出して見てみる。もう太った今の私じゃ着れないけれど。
腕のマークでグーグル・レンズ検索をしてみて、海兵隊だと確信。もう・・・売るなよ・・・。
ま、米軍払い下げのものは、今やネットで普通に買える時代のようであるが。。
という話はともかく、共産主義と戦うことが国を守ることだと本気で信じた青年たちとともに、主人公はベトナムに送られた。その結果は推して知るべし。民間人や仲間を誤射し、自分も撃たれて瀕死の重症を負う。下半身不随となり、劣悪な病院で看護を受け、奇跡的に自分の家に帰ってきた。そこで待っていたものは、反戦ムード高まる中で注がれる自分への冷たい視線。
7月4日・・自分の誕生日のパレードで、帰還兵としてオープンカーで行進に参加するが、物は飛んでくるわ、自分に注がれる視線は冷たいわ・・・壇上でマイクを向けられたロンは途中で喋れなくなってしまう。
反戦は正論かも知れないけれど、愛国心から志願し、戦地で命懸けで戦い、半身不随となった自分の行為を無駄で有害な行為とされるのは耐えられない。自分が地獄にいた時、優雅な学舎にいた者に何がわかるのだ。しかし自分の元恋人が大学で反戦活動をしているのを知り、見に行ったロンは、そこで丸腰の同胞を攻撃し、逮捕する自国人を見た。同じ帰還兵でも硫黄島で戦った帰還兵にはプライドがあり、意見が合わずに喧嘩になる。こうして居場所を失ったロンはメキシコに行って自堕落な生活を送る。半身不随で男性機能も失った彼も売春宿に行く。最初は楽しかったが、それでも拭い切れない仲間を誤射した記憶。半身不随になった米国人同士で喧嘩もする・・だが、彼はそこで自分を取り戻した。
誤射した仲間の家族に会いに行き、涙ながらに謝罪する。本気で反戦運動に身を投じる。そして本を執筆し、かつて母親が夢見たように、大統領のように大衆の前で演説する。。。
そこに至る音楽は実に効果的に使われている。ジョン・ウィリアムズの作曲だが、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」の「Il nome suo nessun saprà!」に似ているテーマが繰り返し繰り返し現れる。オペラを知ってる人なら最後にvincerò が来ることを知っている。自分の居場所を失った彼が、目覚め、再び自分を取り戻していく過程が表現されている。そして、ヴォーン・ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」の雰囲気にも似た弦楽多重合奏部分は、主人公が重ねてきた数々の経験や想いを象徴している。そして極め付けは反戦運動の行進で口笛で演奏される「ジョニーが凱旋するとき」。この曲は英会話番組などでよく紹介されるから、真面目に英語を勉強した人なら知ってるだろう。元々は17世紀イギリスで生まれたバラード曲にルーツがあり、さまざまな替え歌が存在し、南北戦争時の北軍が、南軍を蔑みながら歌われていた酒宴歌としても使われていたものが、新しい歌詞を付けられて軍歌に編曲されたものが有名になり、何故か南軍でも歌われたのだった。悲しいメロディだが、一度聞いたら忘れられないほどのインパクトを持つ。このメロディーには「あのジョニーはもういない」という反戦歌も存在する。ジョニーが手足を失い半死半生で戦地セイロンからアイルランドに帰還した様を描いている。戦意を鼓舞されてベトナムに行ったが、半死半生の半身不随で帰ってきた帰還兵を象徴している。
こういう映画がまじめに作られていることは素晴らしいと思う。本当に見ていて辛い映画であり、晴れ晴れとした気分になるのは最後だけだが、近い世代の人たちには身につまされる内容であろう。その想いは伝えていかなければいけないものだ。
私がアメリカにいた1982年当時、エルサルバドル内戦が話題になっており、アメリカ史の授業でも教科書にはないビデオを見せられ、先生が「みんなよく見なさい。ベトナムと同じことになるかもしれないよ。」と言ったのが忘れられない。
しかし事は簡単ではない。別の敵が現れ、アフガニスタンで再び・・・それはまた別途語られるだろう。