(【読書録】そーなんだ!歴史編106)
しばらく彩雲国物語にかまけている間に、「そーなんだ!歴史編」がたまってしまった。彩雲国を読み終わった後はしばらく呆けてしまい、活字を読む気にならなかったが、ようやく回復してきたので、まずはたまっている「そーなんだ!歴史編」を片付けよう。
「そーなんだ!歴史編」は100巻を過ぎてからは、各県の歴史になっている。歴史も地理も好きな私にとっては、こういう切り口は好きで、地域史を切り口に読み解いていくと、いままで関係のないと思っていた2つの出来事がくっついたり、全国レベルでみると埋もれてしまうようなちょっと美味しい話も発掘できたりする。
106巻目は、千葉県、静岡県、富山県、岡山県がとりあげられており、それぞれに面白いが、とりあえずは今自分が住んでいる千葉県をとりあげてみよう。
私は生まれも育ちも神奈川県横浜市なので、正直千葉の歴史には疎い。今のところに住んでからは、市川市の歴史はそれなりに本を読んだが、千葉県全域になるとお寒い限りで。
だから本巻を読んで、千葉氏が、1028年の平忠常の乱でその名を知られる、平忠常の子孫だったことを知って驚愕した。忠常は京都に護送される途中で死んでしまうが、その子達は罪を許され、「千葉氏」と名乗ったのだそうだ。彼らは平氏の子孫なのに、源頼朝を助け、鎌倉幕府において御家人となり、下総国の守護に任命されたのだ。
☆ ☆ ☆
JR千葉駅の近くに千葉寺という千葉氏ゆかりの寺がある。坂東三十三箇所札所の一つになっているから、30代になりたての頃、ご朱印をもらいに行ったなぁ。だが、それもあって、千葉→千葉氏 と言う連想はすぐできるのだが、じゃぁ、千葉氏って何?と言われるとよく知らないのだ。鎌倉時代に急に活躍し出した一族なのかと思っていた。確かに平忠常の子孫なのであれば、平安初期に千葉氏がいるわけはないのであった。
「千葉氏」という名自体は、実は小学校3~4年の頃から知っていたんだ。それは八犬伝の影響。私は犬阪毛野のファンだったが、彼は千葉自胤(ちば よりたね)の重臣である、粟飯原 胤度(あいはら たねのり)の妾の子という設定なのだ。犬阪毛野は、粟飯原一族を滅ぼした馬加 大記 常武(まくわり だいき)および父を直接討った籠山 逸東太(こみやま いっとうた)を敵として狙うのである。そんないきさつで千葉氏を知ってるのだが、直接は登場しないため、どんな一族なのかは知らなかった。
八犬伝はフィクションだけど、上の設定からも感じ取れる通り、室町時代の千葉氏は内紛を起こしていたのであった。下総・上総で千葉氏が二つに分かれて対立し、そこにつけこんで、武田氏だの里見氏だのが流れ込み、房総は長い間戦乱が続く。ここらへんのぐちゃぐちゃした感じが、滝沢馬琴の創作意欲を書きたてたんだろうか?
戦国時代には、千葉氏は後北条氏と婚姻関係を結ぶことで、後北条氏の支援をもとに所領を守っていた。だが、豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡したことにより、千葉氏も所領を没収され、戦国大名としての千葉氏は滅亡してしまった。江戸時代には千葉の大部分が天領となり、残りの土地には1~2万石の小規模な譜代大名が数多く配置され、彼らの領地はしょっちゅう入れ変ったという。(今私が住んでいるところも、もとは天領だもんね。)
千葉氏の名前を知っても、何だか影薄く感じていたのは、そういう複雑な経緯のせいなのか、と初めて納得した。
しばらく彩雲国物語にかまけている間に、「そーなんだ!歴史編」がたまってしまった。彩雲国を読み終わった後はしばらく呆けてしまい、活字を読む気にならなかったが、ようやく回復してきたので、まずはたまっている「そーなんだ!歴史編」を片付けよう。
「そーなんだ!歴史編」は100巻を過ぎてからは、各県の歴史になっている。歴史も地理も好きな私にとっては、こういう切り口は好きで、地域史を切り口に読み解いていくと、いままで関係のないと思っていた2つの出来事がくっついたり、全国レベルでみると埋もれてしまうようなちょっと美味しい話も発掘できたりする。
106巻目は、千葉県、静岡県、富山県、岡山県がとりあげられており、それぞれに面白いが、とりあえずは今自分が住んでいる千葉県をとりあげてみよう。
私は生まれも育ちも神奈川県横浜市なので、正直千葉の歴史には疎い。今のところに住んでからは、市川市の歴史はそれなりに本を読んだが、千葉県全域になるとお寒い限りで。
だから本巻を読んで、千葉氏が、1028年の平忠常の乱でその名を知られる、平忠常の子孫だったことを知って驚愕した。忠常は京都に護送される途中で死んでしまうが、その子達は罪を許され、「千葉氏」と名乗ったのだそうだ。彼らは平氏の子孫なのに、源頼朝を助け、鎌倉幕府において御家人となり、下総国の守護に任命されたのだ。
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JR千葉駅の近くに千葉寺という千葉氏ゆかりの寺がある。坂東三十三箇所札所の一つになっているから、30代になりたての頃、ご朱印をもらいに行ったなぁ。だが、それもあって、千葉→千葉氏 と言う連想はすぐできるのだが、じゃぁ、千葉氏って何?と言われるとよく知らないのだ。鎌倉時代に急に活躍し出した一族なのかと思っていた。確かに平忠常の子孫なのであれば、平安初期に千葉氏がいるわけはないのであった。
「千葉氏」という名自体は、実は小学校3~4年の頃から知っていたんだ。それは八犬伝の影響。私は犬阪毛野のファンだったが、彼は千葉自胤(ちば よりたね)の重臣である、粟飯原 胤度(あいはら たねのり)の妾の子という設定なのだ。犬阪毛野は、粟飯原一族を滅ぼした馬加 大記 常武(まくわり だいき)および父を直接討った籠山 逸東太(こみやま いっとうた)を敵として狙うのである。そんないきさつで千葉氏を知ってるのだが、直接は登場しないため、どんな一族なのかは知らなかった。
八犬伝はフィクションだけど、上の設定からも感じ取れる通り、室町時代の千葉氏は内紛を起こしていたのであった。下総・上総で千葉氏が二つに分かれて対立し、そこにつけこんで、武田氏だの里見氏だのが流れ込み、房総は長い間戦乱が続く。ここらへんのぐちゃぐちゃした感じが、滝沢馬琴の創作意欲を書きたてたんだろうか?
戦国時代には、千葉氏は後北条氏と婚姻関係を結ぶことで、後北条氏の支援をもとに所領を守っていた。だが、豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡したことにより、千葉氏も所領を没収され、戦国大名としての千葉氏は滅亡してしまった。江戸時代には千葉の大部分が天領となり、残りの土地には1~2万石の小規模な譜代大名が数多く配置され、彼らの領地はしょっちゅう入れ変ったという。(今私が住んでいるところも、もとは天領だもんね。)
千葉氏の名前を知っても、何だか影薄く感じていたのは、そういう複雑な経緯のせいなのか、と初めて納得した。