さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

イタリア語に軸足を移しつつ

2018-11-30 23:21:44 | つっこみ伊太利亜語
諸言語聞き流しな中も、来年の2月、3月に向けて、フランス語とイタリア語のウェイトを上げないと・・と焦っている。特にイタリア語。

月1度のイタリア語セミナーでも、ここ半年ぐらい、つい英語やドイツ語が先に出て来そうになって困っていたのだが、今日のセミナーではきっちりイタリア語以外の外国語は脳裏に浮かばなかったぞ・・・。実はちょっとした秘策を実施中なのだが、それはもう少し軌道に乗ってから明かそうと思う。

今日のセミナーのテーマは「歌から学ぶイタリア語」。

教室に入るといつも、Come stai? と聞かれて、いつもならBene,grazie.とかCosì così.とか言って済ませる私も、今日ばかりはHo caduto...と言いかけたら、先生がびっくり。実は先生も転んで怪我をしておられたのだった。

なんと右手の骨を折って3ヵ月ギターが弾けないのだという。見るからに痛々しいけどが、逆に右手を守ったせいで頭を打ってしまった私と、どっちが重症なんだか・・

でも、授業はとても楽しかった。自分はイタリアの歌といえば、オペラの曲しか聞いてこなかったけど、オペラ以外の曲も、勉強になるなぁ。オペラには出てこないような、日常使えそうな語彙が沢山出てきて楽しい。

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ベルヴェデーレ宮殿

2018-11-29 23:49:00 | いまさら独逸語
まいにちドイツ語入門編は、建築ネタのオンパレード。単語的には難しいものが沢山出て来るが、建築様式について、いずれちゃんと学びたいと思っている私にとっては渡りに船な教材であり、なんとか頑張ってついて行っている。

先月後半にはなつかしきシュトゥットガルト駅も登場したが、今月に入ってからはウィーンの建築物がテーマになっている。

で、今週(ストリーミングで聴いてるから実は先週の放送)聴いた中で、あっと驚かされたのがベルヴェデーレ宮殿。

シェーンブルン宮殿と並び、有名なこの宮殿、34歳ぐらいの時に私も行きましたのよ。



ほら、ここで一生懸命スフィンクスの真似をしようとしてて、全然似てないのが若き日の私でございまして・・・アホですね。

その12年後に再びウィーンに行った時は、中は見学しなかったけれど、宮殿の脇はバスで通ったのよ。ということで、2回も目の当たりにしながら全く気づかずに、今になって気付いたことがある。

ベルヴェデーレって、イタリア語じゃん!

Belvedere・・・よい眺めという意味だ。何でオーストリアにあるのに、宮殿名がイタリア語なのよ・・という話には残念ながら講座は突っ込んでくれない。

なので、自分でサイト検索してみたが、探し方が悪いのか、みつからない。

そもそもベルヴェデーレ宮殿は、私が行った時はもう夕方近くて、疲れていたので、どういう宮殿なのか全く勉強していなかったので、あらためて調べると、オイゲン公が作った宮殿だ。オイゲン公っていうのはハプスブルグ家に仕えた軍人・政治家で、たとえばオスマントルコによる第二次ウィーン包囲に際しても大手柄を挙げたの皮切りに、スペイン継承戦争など、ヨーロッパ各地の戦争を転戦している。

だが今初めて知ったのだが、オイゲン公って、フランス生まれの貴族なんだね。しかもサヴォイア家の出だ。サヴォイア家はのちにイタリア王を生む家系だ。そしてオイゲン公自身、晩年近くにはイタリアにおけるオーストリア領の副王になったりしている。

オイゲンというのはあくまでもドイツ語名で、オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリグナン(Eugen Franz von Savoyen-Carignan)
フランス語だとウジェーヌ=フランソワ・ド・サヴォワ=カリニャン(Eugène-François de Savoie-Carignan)
イタリア語ではエウジェーニオ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(Eugenio Francesco di Savoia-Carignano)

なんだそうだ。イタリアにも縁のある人だから、ウィーンの夏の別邸として足かけ10年をかけて築いたこの宮殿にイタリア語名をつけてもおかしくはないのかも。

っていうか当時の北イタリアは、スペイン領になったり、オーストリア領になったり、フランス領になったりと、諸外国に蹂躙されていた。

3月に南ドイツであるシュトゥットガルトに行った時、イタリアレストランではイタリア語のメニューが出てきたので、イタリアを猛烈に近く感じた。

我々は今の国境線で考えてしまうけど、ドイツ・オーストリア・フランスから見て、イタリアって我々が想像する以上に近い存在なのかもしれない・・・って思った。

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【読書録】新・戦争論~僕らのインテリジェンスの磨き方

2018-11-29 23:24:46 | 読書録
佐藤優、池上彰/文春新書

この本は戦争について論じた本ではなく、戦争の火種になってしまいそうな地域別の確執を洗い出している。私が積読にしていたせいで、今となっては古い情報になってしまった部分はあるものの、それでも非常に勉強になると思った。書評を見ると、賛否両論のコメントがされているが、こうした本は、この本で得た知識が完成形なのではなく、この本を切っ掛けに興味を持ってもらって、今後各自で掘り下げよ・・という問題提起のための本だと思うので、そういう役割はしっかり果たしている本だと思った。当ブログではあまり政治向きのことは書かないようにしているので、この程度にしておくが、各種報道だけを見ていると断片的な理解しかできないので、これからも自分なりに背景等を整理するために、勉強していこうと思う。

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キズクイックパッド

2018-11-29 23:20:53 | 意外にすぐれモノ
抜糸はしても、まだ腫れてるし、だんだん痛かゆくなってきたので、つい傷口を触ってしまいがちになる。また傷口を日焼けさせるとよくないというので、絆創膏で保護することにした。

ドラッグストアを物色していたら、傷を湿らせたまま、傷から出て来る体液を集めて自然治癒力で治すタイプの絆創膏が目に付いた。大きさ的にちょうどいいし、貼ってもすごく目立たなそうなので買ってみた。


わお、傷の位置にちょうどピッタリ。まるで私のために作った絆創膏みたいだわ。


さらに眼鏡をかければ、怪我してるなんてほとんどわかんないくらいになるわ。

今日一日絆創膏貼ってたら、傷自体の痛みも軽減されてきたみたい。絆創膏の上からさわって、痛みをチェックするのが楽しくなってきたわ。

そしてトイレに行った時に鏡を見ても、まるで怪我する前の自分に戻ったみたいに明るい気分になったわ。

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【読書録】風雲児たち~幕末編(31)

2018-11-29 00:13:18 | 読書録
みなもと太郎/リイド社

久しぶりに「風雲児たち」の新巻を読む。だいたい年2回ペースで巻を重ねているが、古代史一辺倒だった私が幕末にも興味を持つようになったのはまさにこの漫画のおかげ。そこで前巻が出てから半年後に新巻を読むと、その半年間の間に私も何らかの形で勉強しているわけであり、半年前よりもさらにイマジネーションが広がるようになっているのである。

今年なぞはまさに大河ドラマが「西郷どん」だし、土佐で龍馬漬けになってきたし・・・

ちなみに本巻では西郷どんは一度も登場せず、久光公と一蔵どんが悶々とし、ヒー様(慶喜)がよい味を出し・・という感じであるが、大河ドラマが英雄物語的なのに比べ、本漫画はドロドロと色々書いてくれるからありがたいよ。

半面、本巻でもっともこき下ろされているのは松平春嶽。正直もっと賢い人だと思ってたよ。

本書によれば、春嶽が賢者のように思われるのは、橋本佐内という優秀で実行力のある家臣がいたからだで、左内亡き後、横井小楠という新たなブレーンを得るまでは、明確なビジョンを打ち出すこともできず・・・そうだったのかぁ。時代劇では春嶽はそれなりの役者が演じるので、本書のせいでだいぶイメージが崩れてしまったなぁ。

また、攘夷のための軍備増強の必要性から、各藩の財政を疲弊させてきた参勤交代について、頻度を3年に1回(100日)と緩和し、人質として江戸に置かれていた大名の妻子についても帰国を認めるくだりがあるが、この流れで江戸の大名屋敷に空き家が多くなり、それらの屋敷が捨て値で売られるようになり、そういう一軒を福沢諭吉が買い取って慶應義塾が誕生する・・・なんて流れ、考えたこともなかった。我が母校なのに、恥ずかしながら何も知らなかった。

大政奉還の5年前に、大目付だった大久保忠寛が、歴史に残る最初の「大政奉還論」を唱えるくだりもおもしろかったな。当時はさすがに受け入れられず、大久保忠寛はすべての役職を剥奪されて左遷されたのだという。

生麦事件についても、私が思っていたより、幕政への影響は大きかったようだ。詳細は次巻になるのだろうが、生麦事件も参勤交代の緩和と関連しており、幕府の統率力はさらにさらに弱体化していくのであった。教科書ではさらっと書かれてしまうことが、いかに色んな人間が悩み、苦しみ、暗躍し、運命を変えられ、命を奪われ、混沌とした中でも流れを止められずに歴史が動いてきたかが分かり、大変面白い。

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パスポート更新!

2018-11-28 23:42:10 | ただの日記
パスポートの更新の申請手続って、平日の、結構早い時間帯でないと出来ないのね。こんなことで休暇を使いたくない私は、行政書士さんにお金を払って申請手続を代行してもらったのであるが、先般パスポートの引換証が書留で送られてきた時、指定時間に間に合うように帰宅を急いで、歩道で転んで大けがして救急搬送されて入院・・結局会社を2日を休む羽目になってしまった件は、当ブログにも書いた。

その後、退院してからあらためて引換証を受け取り、今日ようやくパスポートを受け取りに行ってきた。受け取りは平日の終業後や日曜日でも受け取れるようになっている。

傷だらけで手にした、更新パスポート・・・嬉しいなぁ。

思いおこせば、これが私にとって4冊目のパスポートなのだ。

1冊目はアメリカ留学時のもので、これは確か親に手続きしてもらったか・・少なくとも独力では申請していない。
2冊目は社会人になってインドへ行くために申請したものだが、旅行代理店が代行申請してくれた。
3冊目は2冊目が失効して1年半くらい放っていて、休暇中に思い立って申請したみたいだなぁ。戸籍抄本から取んなきゃいけなくて面倒くさかった。
4冊目は3冊目の有効期限内の更新。

なので、今回初めて、ちゃんと更新したわけだが、申請書類を書こうとして本籍を忘れていて親に聞いて・・・。

本籍なんて今どき都道府県しか書いたことないのに、パスポート申請の時は、詳細まで必要なんだね。私の場合、独立してから実家のある地域の住居表示が変わった時に、本籍の表示も変わったから、わかんなくなっちゃってたよ。

こんな風に書いていると、私自身がいかにものぐさで、いい加減な人間なのかというのが分かって来ていやになるな。

もうイイ歳なんだから、しっかりしなくちゃね。

で、パスポートの中身の自分の写真を見比べてみると、うんうん、10年間でしっかり歳をとったのがわかるよ・・・。

世間ではこういうの「劣化」と称しているみたいだけど、いやな言葉だね。内面は10年前よりはるかに濃くなってるのにね。

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抜糸

2018-11-27 23:41:49 | ただの日記
昨日、近所の整形外科に行って、目の上の傷の抜糸をしてもらった。

大体2cmくらいの傷で、先週の日曜日の夜、救急搬送された病院の脳外科で、若い先生とベテランの先生が2人がかりで「細い糸で、綺麗に縫ってますからねぇ・・」と言いながら、縫ってくださったもの。私は以前、やはり怪我の多い同僚から「ちゃんとした美容外科じゃないと、医療用ホチキスでバチバチ留められるぞ。」と聞いていたので、私もホチキス行きじゃないかとビビッていたのだが、「細い糸できれいに縫ってる」という宣言を聞いて、だいぶ安心したものである。

先週も、別の同僚が「俺も小さい頃、7針縫ったけど、今はこんなに目立たなくなった」と自分のほっぺたを見せてきて、本当に目立たなくなってるんで、希望を持った。

実は私、縫われるのも人生初なら、抜糸も初めてなのだ。

また別の同僚が「抜糸ってよぉ~、なんか痒ぃぃぞ」と言ってくる。今の職場・・傷を舐め合える優しい同僚が沢山いて嬉しいよ。

で、縫っていただいた病院で抜糸すると時間がかかるので、近所でやってもらえと言われたので、近所の整形外科に言ったわけだが、そこの先生ったら私の傷跡を見て「ずいぶん細~い糸で縫ってるねぇ。こりゃぁ髪の毛よりも細い糸だねぇ。」とおっしゃる。

縫ってもらっている時は、麻酔をされていて、傷みはMAXで眉毛を抜かれる程度の痛みだったが、抜糸は麻酔なしだ。大丈夫かなぁとひやひやしながら台の上に横たわり、目をつぶりながら、先生が糸を1目1目切っているらしいのを感じる。幸いこっちもあまりいたくなく、やはり眉毛を抜かれる程度の痛みで済んだ。

抜糸をした直後は、まだ傷口を塗らせないので、また絆創膏を貼られる。でも明日の朝になったら剥がして、夕方になったら、お風呂に入っていいよと言われる。

今日になって絆創膏をはがしてみて、自分の傷と初めてご対面。う~ん、かさぶたもかぶってるから思ったよりくっきりした傷になってるわね。でも眼鏡の内側だから、メガネをしてれば目立たないね。

まだちょっと腫れていて、押すと痛いけど、この歳になっても一週間で確かな回復が感じられるのが嬉しいね。かさぶたが取れればもっと目立たなくなるだろうし、化粧で十分隠せる傷だと思うわ。

ということで、ちょっと恥ずかしいけど、抜糸記念に写真を載せておこう。



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【100分de名著】「人生論ノート/三木清 著」

2018-11-26 23:09:23 | 読書録
本の題名は前から知っていた。一度も手に取ったことがないか・・というと、何となく一度は手に取ったことがあるような気がする。でも何の記憶も残っていないのは、たぶん2~3ページ読んだだけで難しいと思ったからではなかろうか。

この番組は、なぜこの本が難しいのか・・という話から入る。それは逆に言うと、わざと難しく書かれた本だからである。なぜならこの本が書かれたのは、第二次世界大戦前夜でだったから。言論統制が始まり、「欲しがりません勝つまでは」の時代に、幸福について等を論じることがどういうことか・・・、だから分かりにくく書いたのである・・という話がすとんと腑に落ちた。

私は、わかりやすい文章を書くことこそ善と思っていたが、そうではない事情が存在することをあらためて認識した。

そうまでして慎重に書いても、分かる人には分かる。三木清が1942年1月に中央公論誌上に書いた「戦時認識の基調」という投稿は軍部の怒りを買い、論壇から締め出された他、徴用され陸軍報道部員としてフィリピンのマニラに配属される。戦争の推進に不都合な人物は国外に追放されたのだ。その後、1942年に帰国しても三木は思うような執筆活動が出来ず、配線の年の3月に疎開先で逮捕される(政治犯たる友人をかくまった罪)。獄中で終戦を迎えたが、1ヵ月を経ても解放されず、獄中で病死してしまった。

日本の無条件降伏後、戦争批判派は直ちには釈放されなかっただという。戦争責任を逃れるために、思想犯に都合の悪いことを言われたくないという思惑が働いたのだろうとのこと。そんな事情、考えたこともの無かったが、この歳になると何となくわかるような気がする。

三木の著作は、戦前の古いものであるはずなのに、現代に通じる新しい面を持っている・・・つまりなんかちょっと書くと炎上してしまうような現在、言論統制の張られていた戦前・戦中と変わらないのではないか・・という気もする。

三木の書いていることで、一番ピンと来たのは「嫉妬について」だな。嫉妬は自分を高めようとすることはなく、後ろ対象を自分の位置に低めようとするのが普通で、「平均化を求める傾向」があるとのこと。そして嫉妬は「量的なもの」と「一般的なもの」に対して働き、特殊なものや個性的なものは対象にならないと指摘されている。

「嫉妬する人はつねに嫉妬のネタをさがしまわっていて、決して落ち着くことがない」ので極めて非生産的で、心を惑わす存在だ。それを消し去るには他を個性として認め、自分を個性として理解することだという。我々の馴染んでいる言葉でいいかえれば、同じ土俵で戦わない・・ということなのだろう。

言うは易し、行うは難しかもしれないが、そのように頭が整理されていると、余計なことで悩まなくて済むかもね。実は、行きつけのストレッチ専門店のトレーナーさんから嫉妬の問題の話を切り出された時、三木清のこのくだりを偉そうに披露してしまった・・・。あちゃ~。

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一山超えた感じ・・

2018-11-25 23:22:46 | ただの日記
転んで眼窩底骨折をし、さらに顔を7針縫う怪我をしてから初めて迎える週末。

本当は23日(金)はトランペットの本番だったのに、耳鼻科の先生のアドバイスに従って、あきらめて休養につとめた。

木曜日、金曜日はやはり時折、目がゴロゴロしたり、頭が疲れてきたりするととても心配になった。鼻の奥から口へ、にょろっと血に染まった紐状の痰がでてきた時はビビった。でも幸い血を見たのはそれっきりだ。

土曜日は、美容院で頭を洗ってもらった。まだずっと下を向いているのが辛いし、抜糸前は眉毛を濡らすこともできないので、美容院に行くしかなかった。病院で一度髪は洗ってもらったが、まだ髪の毛に血の塊が残っていたらしく、こんどこそしっかり洗ってもらった。

また、唯一心配なく練習できるヴァイオリンの練習に精を出した。右手はまだ小指を握れないほど痛いけれど、演奏には支障はない。

土日は連続して、12月の定演に向けた、オーケストラの練習。小学生の歌や吹奏楽との合わせ、プロのカスタネット・ソリストさんとの合わせがあり、猛烈にエキサイティングな練習だった。十分に防寒対策をしていったのに、めちゃくちゃ寒かったのには閉口したけど、練習が楽しかったので、何とか乗り切れた。

練習の後は、声楽レッスン。一応、歌は大丈夫と病院で言われていたが、Hi-C、Hi-Dあたりになると、鼻の奥の振動が気になるので、今日はやめておいた。でもほかの音域は気にせず歌うことが出来、レッスン後も特に支障なく、帰って気分は爽快。一週間たって、何とか一山超えたような気がする。

あと3週間は、強く鼻をかんではならず、くしゃみの時も鼻をつまむ必要があるが、目の上の傷の方は、上から押した時の痛みは相当に和らいできた。明日の抜糸が楽しみだなぁ。

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長芋の味噌汁

2018-11-24 23:11:36 | 下手くそ料理帖
味噌汁を作るのが楽しい季節になった。

今日は大好きな長芋で味噌汁をつくってみようかな。

参考にしたのはこのレシピ。

▼*ほっこり!長芋のお味噌汁*
https://cookpad.com/recipe/5191086

材料 (3〜4人分)
長芋   150g程
片栗粉  大さじ2
味噌汁  600ml
小ねぎ  適量


長芋をすりおろし、片栗粉を混ぜる。


味噌汁を作って、片栗粉を混ぜた長芋を大さじ1ずつ、落としていく。思ったよりしっかりした団子状にはならず、何となく固まってるような固まってないような感じ。

自分はいつも味噌汁を500ml作るのが習慣のため、レシピに反して500mlでやってしまったんだけど、鍋がちょっと小さかったかな。


団子の形はあまりきれいに出来なかったけど、それでも美味しかった。

味噌汁ととろろって、もともとよく合うよね。とろろ汁に味噌汁を入れることもあるくらいだし。

また片栗粉もとろろを固め過ぎず、何となくまとめてる感じなので、とてもやさしい食感で、心が満たされた。


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五香粉でなんちゃってマサラチャイ

2018-11-23 23:40:49 | 下手くそ料理帖
中華風鶏チャーシューを作るために買った、五香粉。肉料理だけに使ってたらもったいないかも。

使うたびに思うのは、意外にシナモンの分量が多いこと。ふわっと甘く香る。

ちなみに五香粉の成分は、八角、シナモン、フェンネル、クローブ、花椒で、メーカーによって配合割合や、使われるものは若干異なるという。(陳皮などが入ることも。)

シナモンとクローブ、フェンネルはマサラチャイにも使われるよね・・・ひょっとして、五香粉でマサラチャイモドキが作れるかも・・と思い当たった私は早速行動。

ま、量は適当なんだけど、

ティーカップ2杯の水を片手鍋で沸かして、沸騰したらティーカップ半分強の牛乳を注ぎ、再沸騰しそうになったところで火を止める。ティーバック2個を突っ込み3分ぐらい置いてから取り出す。砂糖は大さじ2くらい(好みで加減)を溶かし、五香粉小さじ1/2を入れてよくかき混ぜる・・

飲んでみたらまさしく、インドのマサラチャイ!

時折脳裏を中国の風が吹くけど、まぁいいんじゃない?

これに生姜チューブの生姜をちょっと加えたり、カルダモンの粉を入手出来たら加えてもいいかも。

急に寒くなってきたので、あったかい紅茶が美味しい季節になったねぇ。


(追記 12/2)
おろし生姜チューブをちょっと加えただけで、なんちゃってどころか本格的なマサラチャイになったので、最近猛烈にハマってます。

分量もちょっと変えたので、最近お気に入りの分量はこれです。

水・・・・・・・・・・・350ccぐらい
牛乳・・・・・・・・・・180ccぐらい(雪印メグミルクの特濃タイプを使ってます。)
おろし生姜チューブ・・・2cmくらい
日東紅茶ティーパック・・2袋(最近100個入り箱分を2年くらいかけて使い終わり、また100個入りの箱を買ってしまいました。)
砂糖・・・・・・・・・・大さじ2(量はお好みで。最近何のために買ったかわからないザラメが2袋も出てきたんで消化のためにザラメ使ってますが)
五香粉・・・・・・・・・小さじ2

五香粉は身体をあたためますし、そもそも生姜紅茶が体をあたためるので、最近寒くなったので、今の季節にピッタリですね。

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パリきのこって?

2018-11-22 23:31:13 | リベンジ仏蘭西語
まいにちフランス語・・引き続きめげずに聞いている。

最近、お!っと思ったのは、champignon de Parisという言い方。

champignon(シャンピニョン)・・・と聞けば、マッシュルームのことだと思うが、champignonには単にキノコ類を指す時にも用いられるとのこと。

でもchampignon de Parisと言えば、確実にマッシュルームのことだという。ではなぜパリなのかというと、ラジオの講座ではパリ郊外に自然に生えているところを発見されて栽培が始まったことから、champignon de Paris と呼ばれるようになった・・と言っていた。

生物好き&歴史好きの私としては、ここはもっと掘り下げずにはいられなかった。

ウィキペディアを見ると、「ヨーロッパで古代ギリシア、古代ローマの時代から馬厩肥などに自然発生していたものを利用していたものが、17世紀頃にフランスなどで人工栽培が行われるようになったといわれている。」と書かれていた。マッシュルーム自体は古代から使われていたが、パリというのは人工栽培が始まる切っ掛けになった土地のようである。

さらに見ると、マッシュルームの人工栽培の切っ掛けになったのは、メロン栽培だったということだ。メロンはもともと高温乾燥を好む西アジア起源のもの。それが南欧経由16世紀にフランスやイギリスに入ってきた。フランスは西アジアに比べれば寒冷多雨。そこで厩肥(きゅうひ・・家畜の糞尿と藁や落葉等を混合し、牛馬に踏ませることで腐熟させた有機質肥料)の発酵熱を熱源とする温床を作ることでメロン栽培を始めた。17世紀半ば、あるいはもう少し早い時期に、パリ郊外のメロン栽培に用いられた廃温床の熱源厩肥にハラタケ類(マッシュルームはハラタケ科)が発生しているのが発見され、まずそれが食用にされ、この廃温床に家畜の糞や敷き藁をかぶせて、そのキノコの栽培を開始。さらに優良な菌を選りすぐり、栽培法も工夫して、開発していったのが、マッシュルーム=シャンピニオン・ドゥ・パリChampignon de Paris(パリきのこ)なのだ。

いやぁ~それにしても、そんな汚らしいところに生えるキノコを最初に食べた人は本当に勇気があるな・・と思う。子供の頃、マッシュルームが動物の糞の上に生えるキノコだと知った時は、しばらくマッシュルームなんて食べたくないと思ったものだが、今では大好きだし、生でも食べられる貴重かつ偉大なキノコだなあと思う。

当ブログでは書きそこなったが、以前パセリドレッシングというパセリとガーリックとオイルを合わせたようなドレッシングを駅の仮設店舗みたいなところで売っていて、その試食コーナーで、生のマッシュルームを4つ割りにしたものに、ドレッシングをかけただけで、めっちゃ美味しく食べられたので、そのドレッシングを衝動買いしたことがある。

また、生のマッシュルームをスライサーでスライスし、パルミジャーノ・レッジャーノチーズのスライスと合わせた上に、オリーブオイルを回しかけ、塩コショウしただけで、立派な一品になることも知っている。

▼自宅で、マッシュルームのカルパッチョ
https://blog.goo.ne.jp/y-saburin99/e/bde0e30660c7f271f3ccecbeeada25fe

そんなマッシュルームが生まれるきっかけになったのが、パリ郊外のメロン栽培跡地だったとはね。一つの言葉にピンときたことで、色々世界が広がって嬉しいな。

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ランデヴー (rendez-vous)

2018-11-21 23:22:29 | リベンジ仏蘭西語
フランス行きが現実的になったので、
 月曜日:ビジネス英語
 火曜日:まいにちイタリア語
 水曜日:まいにちドイツ語
 木曜日:まいにちフランス語
 金曜日:まいにち中国語
をストリーミングで聴き流すのに加え、旅するイタリア語・ドイツ語・フランス語・テレビで中国語もちゃんと見てはいるのでは、なかなか身につかないので、空いた時間や週末などを使って、フランス語の入門書を聴き直そうと思った。

なので、以前も一度流し聞きしたことのある「フランス語をはじめよう」をまた読んでいるのだが、前半部分にちょっと懐かしい言葉を発見。

そうか、ランデヴーってフランス語だったんだね・・って、今頃気づくなよ・・って感じなのだが、最近ランデヴーと言う言葉は使われなくなったね。

私が子供のころ、大人が使ってた外来語だと思う。私は子供の頃、ランデヴーとは「男と女がいちゃいちゃふらふら一緒に歩き回ること」という意味だと思い込んでいたが、単に「会う約束」とか「デート」の意味だったのか。

そういえば、宇宙船とか人工衛星が互いに接近することにもランデヴーという言葉が何年か前に使われているのを発見して、ふざけていると思った記憶がよみがえってきた。

今の若い人たちはランデヴーなんて言う言葉は使わないかねぇ。私も使わないけど。

※同じフランス語でも、デジャヴ(déjà-vu)はよく使われるのに。

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退院!

2018-11-20 21:55:03 | ただの日記
昨夜、無事本日退院できることを聞いていたので、朝、朝食前に洗濯をした。

着の身着のままで入院したので、最初に来ていた服は汗でびしょ濡れ。昨日の途中からはレンタルの寝間着を着れたので、院内のコンビニで買った洗剤を使い、テレビカードを使って洗った。テレビ視聴120分が洗濯にあたり、60分が乾燥機使用30分・・・だったかな~要するにテレビを見るよりも洗濯・乾燥機利用の方が高い。

血糊の付いたジャンパーも洗って、血は取れたんだが、舗道を転がった時に着いた傷のようなものは取れなかった。でもとりあえず、帰る時に着れるものはそろった。

朝食を食べて、薬もらって、最後の消毒をしてもらって、会計の明細書もらって、アンケート書いて、同室の人や看護師さんたちにお礼を言って帰ろうとしたら・・私が手に持っていた長いつっぱり棒を見て、看護師さんたちに「そのつっぱり棒、謎だったんですよ。何でこんなところにあるのかって。」と言われた。

すみません・・つっぱり棒買って帰る途中に転んだもので・・・。

確かに、つっぱり棒を持って入院する人はまずいないだろうなぁ。

思ったより高くついた入院費。でもとりあえず保険証も現金もクレジットカードも持ってる時で、不幸中の幸いだったよ。

タクシーで家に帰って、スマホ充電したら、メッセージが来てたんで会社に電話を入れ・・午後は出社する気まんまんであったが、大事を取って今日も休むことになった。

近所の整形外科に行って、抜糸の相談。以前ヒアルロン酸注射を打ってくださった先生なのだが、私の傷にびっくり。来週の月曜日の夕方、抜糸することになった。

そのあと、音楽教室に楽譜を届けに行ったり、いろんなものをキャンセルしたり、取りためてた番組や、語学ストリーミングのキャッチアップ、書いてないブログも鋭意キャッチアップ中。

転ぶ原因の一つとなった、書留郵便も受け取った。パスポートの更新のために休みを取りたくなくて、行政書士に6000円払って手続きを頼んだので受取証が書留で来たのであるが、これを受け取るために急いで転んで2日も休んだのかと思うと、とても悔しい。

そして転ぶ原因のその二。つっぱり棒を使って、カーテン生地をつるしてみたが、あんまりきれいじゃなくて、がっくし。

転んだ原因その三、時計だが、目覚まし時計だけじゃなくて、ちょっと大きな壁時計が欲しくて、買ってきたのであるが、秒針の進む音がまるでメトロノームみたいにうるさくて、これでは眠れない。こんなもののために転んだのかと思うとくやし~い。

しばらくトランペット吹けない。これはバイオリンを練習せよという天啓だな。右の手首は痛いけど、バイオリンの弓を持てないほどではない。くじけずに頑張ろう。

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入院2日目

2018-11-19 23:13:07 | ただの日記
昨夜は夜半まで眠れなかったが、明け方近くにようやく寝れたらしい。朝食の匂いで、病院生活の一番の楽しみが食事であることを思い出した。ペロッと平らげた・・・が、同室には満足に食べることが出来ない人が存在するらしい。色々あるが、食事を美味しく食べられていることに感謝。

やっと一人でトイレに行って良いというお許しが出た時、何と両親が病室を訪ねてきてしまった。スマホの電池が切れそうなので、ずっとオフにしており、メールが来ていたのに気づかなかったのだ。私の救急搬送騒ぎで両親を呼んでしまったのは、これで3回目。昨日も、病院から「近所に身元を引き受けてくれる人はいないか」とさんざん聞かれ、1人暮らしだから誰もいない・・・と言い続け、誰も呼ばないようにしていたのに・・・。

ということで、散らかったままにしていた部屋も見られてしまったようで、がっくり。きれいにしようと思って、いろんなものを買って来て、帰る途中に転んで救急搬送されただけに悔しい。

今日は大忙しで、整形外科、眼科、耳鼻科の診察を受けた。右手はきのうはグーパーできたのに、今日はやたら痛いのでレントゲンを撮っていただいた。幸い骨には異常はなかったが、あとから出て来ることがあるから・・と来週初めの外来の予約を勧められたので、入れた。その後大丈夫なようだったらキャンセルしても良い・・という話だったが。め

眼科では、視力や目を動かす筋肉に異常がないことは確認いただいたが、CT画像を見せられて絶句した。目と副鼻腔の境目の骨が確かにポキッと折れて、副鼻腔側に入り込んでおり、まるでマンションの間取り図のドア部分を見ているかのようであった。この骨が、目を動かす筋肉とかみ合ってしまったりすると、猛烈な痛みや、下を見た時にモノが二重に見える等の弊害が出るそうだが、今のところ大丈夫だという。強く鼻をかまないでくださいねと念を押され、くしゃみも我慢すること。声楽は大丈夫だが、トランペットは気を付けるように言われた。1ヵ月後に再度受診することになった。

相当待った上で、最後に呼ばれたのが耳鼻科。鼻の中に薬剤を吹きかけられただけで・・いきなりしてはいけないくしゃみ・・・。どうやら鼻をきっちりつまんだ上でくしゃみをすれば大丈夫らしい。ちなみになぜ鼻をかんだりくしゃみをしたりしてはいけないのかというと、折れた骨のところから目側に空気が入ってしまい、腫れるとのこと。だが、一ヵ月我慢すれば、鼻と目の境目が固まってくるので、それ以降は鼻をかんでも大丈夫だとか。CTを見ると、明らかに詰まっている箇所があるか、それが鼻血なのか、副鼻腔炎の膿なのかCTではわからないので、カメラで診ようとされていたが私のくしゃみが激しく、ちょっとみたところでは鼻血ではないようであるということで、検査は終わりになった。ただこんなにくしゃみが出やすいようでは1ヵ月大変でしょうということで、寝る前に飲むようにとザイザルを処方された。ちなみにトランペットはどのくらいダメかと聞いてみたら、一週間は我慢してほしいと言われた。なので、差し迫った本番二つや直近のレッスンを泣く泣くキャンセルした。

病院はとてもきれいで、先生方や看護師さんたちには本当に良くしていただいた。私の髪が血だらけになっており、朝起きたら枕が血だらけになっていたので、ベッドに寝た状態で髪を洗っていただいた。洗いながら「赤いエキスが沢山出て来る」と言われたから、本当に洗っていただいて正解だ。入院慣れしている私も、髪を洗っていただくのは初めてである。また着の身着のままで入院したので、寝間着が無かったが、急遽レンタルの寝間着を借りることが出来た。同じ病室の向かい側の方が、充電できなくて困っている私にスマホの充電器を貸してくれた。午後には売店に行き、歯ブラシやマスク、テレビカード、洗剤、水などを買った。(充電器はコンセント式のモノがなくて買えず。)やっと歯磨きできるようになって、快適。

テレビカードでテレビ見るの初めてかな・・・。でも角度の関係で、結構見るの疲れんだよね。それにしょっちゅう呼ばれるので、ゆっくり見ることができない。ヒマなようで忙しい不思議な病院生活。夜になって、最初に診てくださった脳外科の先生がお二人で来てくださって、晴れて明日退院できること、抜糸は近所の整形外科でやって欲しいので手紙を書いたことなど、一通り説明してくださった。この先生が入院を勧めてくれなかったら、眼科や耳鼻科の診察をスムーズに受けることも出来ず(それでもだいぶ待ったが)、もっとつらい目に遭ったであろうことは想像に難くない。

目と鼻のことは心配だが、やはりCTを見せていただいたので、どこらへんがダメなのかがよくわかり、全然わからずにただただ不安だった昨夜とは大違いだ。入院の身には大変なごちそうである夕食に舌鼓を打ち、昨日の分も含めてぐっすり眠ることが出来た。

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