オルハン・パムク著/宮下遼・訳/早川書房
この本、別の訳者で「わたしの名は紅」という邦題になっているハードカバーを、このブログを始める前に読んだことがあるが、とても読みづらく、一冊読み終えた記憶があるが、内容はほとんど忘れてしまっていた。まるで芥川の「藪の中」のようなストーリー展開で核心に迫っていき、最初は読みづらいが最後の方に行くと面白くなった・・という記憶はあった。
最近トルコドラマにハマっていたところ、この本を読んでみてはどうですかと勧められ、それは別の訳者で文庫版2冊になっているということなので、改めて読み直してみる気になったのである。
確かに、トルコに対する理解が深まった中で読むと、以前より内容が頭に入ってくるようになった。しかしやっぱりこの前半部分は読みづらい。
面白いなと思ったのは絵に対する考え方である。このストーリーはある有能な細密画師が殺されるところから始まっているが、その細密画にはいろんな制約がある。
細密画のルーツは中国にあるらしく、昔の名人は絵の中で佳人を描くとき、中国人のような風貌にするのだ・・ということに始まり、愛する人の面影を混ぜるのは良いが、一見して誰かわかるのはダメ。自分の署名も残してはいけない。とにかく古の名人のように描くのが良いとされる。
これと対極にあるのがヴェネツィアの絵画だ。遠近法を用い、写実的で、誰の作品かはっきりしており、物によっては画家自身が絵の中にいたりする。トルコの細密画でヴェネツィアの真似をしてしまったら異端だとされるのだ。写実的に描けば描くほど、神の創造を真似る行為とされ、イスラム教の教義に反するということらしい。
だが時代の流れは変えられない。ヴェネツィア流に心を寄せる絵師が出てきても不思議ではない。また細密画の描かれた本を綴じるために使われるアラビア糊には、魚や骨や蜂蜜が混ざり、ページには卵白や澱粉で作られた艶出し液が塗られているから、長い年月の中ではネズミや虫に食べられてしまうよ・・などと恐ろしいことを言う者もいる。またイスタンブールは20年に一度大火に見舞われる土地らしく、そういう中で細密画の伝統を守っていくことは大変なことらしい。
このように長々と細密画のことが語られ、どうやら絵に対する見解の違いが殺人に繋がったらしいことがわかったところで第二の殺人が行われる。その2番目に殺された老人の死を隠して、結婚式を挙げる娘と甥。死臭を、香草で炒めた羊肉の匂いで消し、まるで死人が生きているかのように口元に耳を近づけて何か喋っているように見せかけたり、死人の手にキスをしたり・・・。死臭漂う家に大勢の客を招いた婚礼で、誰も気づかない何てありえないが、そこは上手くやっている。女性はとても虐げられていて、夫は戦から長年帰らないのに婚家に縛り付けられていて離婚ができない。でも離婚できるかどうかは法官の属するイスラム教の教派によっても違うらしく、頭の良いシェキュレはカラと凶暴して法官を買収。離婚を認める派の法官に離婚を認めてもらい、晴れて大好きなカラと結婚式を、死臭漂う実家で挙げたのであった。策を労する彼女も、彼女の置かれた立場を考えれば理解はできる。
まぁ、結構な無理をして結婚した反動が来るのを心配しつつ、下巻に向かう。