修学旅行

2024-03-27 10:13:32 | 青春歌謡
舟木一夫



二度とかえらぬ 思い出乗せて
クラス友達 肩よせあえば
ベルが鳴る鳴る プラットホーム
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
はるばると はるばると
若いぼくらの 修学旅行
 
地図をひろげて 夢見た町よ
僕のカメラで 撮した君を
思い出すだろ いついつまでも
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
ひとすじに ひとすじに
若いぼくらの 修学旅行
 
霧の港に 湖畔の宿に
名残りつきない 手と手を振れば
あとを追うよな 小鳥の群よ
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
さようなら さようなら
若いぼくらの 修学旅行




「高校三年生」に続く舟木一夫の二枚目のシングルです。

修学旅行は多くの人にとって学園生活最大の思い出でしょうが、舟木の「学園ソング」のシリーズ化がここに決定したわけです。

「汽車はゆく汽車はゆく」ですから、歌詞の語り手にして主人公である「ぼく」は、たしかに、いま、修学旅行の車中にいます。

でも、「二度と帰らぬ思い出乗せて」と歌い出します。

彼はこの現在を、ひとたび過ぎ去ったら二度と帰らぬ「思い出」になってしまうのだ、という感慨でながめているのです。

彼の身体は修学旅行のさなかにいますが、彼の意識は愉しいこの時の「終り」を先取りして、進行中の現在を「終り」から眺めているのです。

そこに痛切な愛惜の念が生じます。
 
「僕のカメラで撮した君を思い出すだろいついつまでも」と歌う二番の歌詞も同じですね。

「君」は女生徒でしょうか。

もしも「君」が「ぼく」の淡い恋心を抱く女生徒だとしたら、ここでは、いまだ始まらない恋が、始まらないままに終ってしまうであろうことさえ

予感されているのかもしれません。

恋の始まりにおいて終わりを思う、というのは終末意識に浸透された日本浪漫派(保田与重郎)の恋愛美学でした。

青春の現在を哀別の思いで歌うこと、そこに舟木一夫の青春歌謡のかすかな哀愁がにじみます。

これが、橋幸夫とも西郷輝彦とも、さらには三田明や山田太郎とも異なる、舟木一夫の青春歌謡の世界なのかも知れません。















































































































































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