アリス
横山みゆき
愛の故郷は どこにある
あなたは私に たずねたけれど
答えることは 出来なかった
あの時感じた 胸さわぎが
やがてくる別離を 教えてた
紫陽花の頃が過ぎ
心淋しい季節がくる
けれど私は一人きり
愛の故郷は どこにある
やっと気づいた 愚かな私
遅すぎたけれど 今はいい
死ぬほどつらい 想い出だけど
笑って話せる 気がする私
紫陽花の頃が過ぎ
心淋しい季節がくる
けれど私は一人きり
あなたは私に たずねたけれど
答えることは 出来なかった
あの時感じた 胸さわぎが
やがてくる別離を 教えてた
紫陽花の頃が過ぎ
心淋しい季節がくる
けれど私は一人きり
愛の故郷は どこにある
やっと気づいた 愚かな私
遅すぎたけれど 今はいい
死ぬほどつらい 想い出だけど
笑って話せる 気がする私
紫陽花の頃が過ぎ
心淋しい季節がくる
けれど私は一人きり
言問はぬ木すらあじさゐ諸弟(もろと)等が
練(ね)りのむらとにあざむかえけり
大伴家持
あじさゐの八重咲くごとく八つ代に
をいませ我が背子(せこ)見つつ偲(しの)はむ
橘諸兄(たちばなのもろえ)
昔から日本にあったと言われているアジサイ(紫陽花)ですが、歌としては戦後数年経つまでは万葉集に上記二首が載っているだけで、平安時代以降は、
練(ね)りのむらとにあざむかえけり
大伴家持
あじさゐの八重咲くごとく八つ代に
をいませ我が背子(せこ)見つつ偲(しの)はむ
橘諸兄(たちばなのもろえ)
昔から日本にあったと言われているアジサイ(紫陽花)ですが、歌としては戦後数年経つまでは万葉集に上記二首が載っているだけで、平安時代以降は、
殆ど歌に詠まれることがありませんでした。
その理由ですが、アジサイの「色が変る」というイメージが「心変り」や「変節」という事と結び付けられてしまったからと言われています。
それがこうしてメロデイー付きで結構歌われたり、現在各地にある、「あじさい寺」などのアジサイの名所が、観光地として取り上げられるようになったのは、
その理由ですが、アジサイの「色が変る」というイメージが「心変り」や「変節」という事と結び付けられてしまったからと言われています。
それがこうしてメロデイー付きで結構歌われたり、現在各地にある、「あじさい寺」などのアジサイの名所が、観光地として取り上げられるようになったのは、
戦後になって、それまでの「忠義」という概念を重んじた武士道、近代の軍国主義的な価値観の呪縛から、人々が解き放たれたためなのかも知れません。
さて、上記の歌ですが、家持のほうはアジサイを、心変わりを象徴するものとして見ているようですし、橘諸兄のほうは「アジサイが八重に咲くように、
さて、上記の歌ですが、家持のほうはアジサイを、心変わりを象徴するものとして見ているようですし、橘諸兄のほうは「アジサイが八重に咲くように、
家が八代までも栄えるように」という意味の事を詠んでいるようにその色の変化を良い喩えとして捉えていることが分かります。
つまり、花も鑑賞する心持ちで幾重にも感じとれる・・・・・。
この曲はもともとアリスの曲ですし、アリスの曲も好きなのですが今日は横山みゆきさんのcover曲を添えて紹介てみました。
きっと、マスターの今日の心持ちが、アリスから横山みゆきさんの歌唱を押すと心変りしているからかも・・・です。(笑)
つまり、花も鑑賞する心持ちで幾重にも感じとれる・・・・・。
この曲はもともとアリスの曲ですし、アリスの曲も好きなのですが今日は横山みゆきさんのcover曲を添えて紹介てみました。
きっと、マスターの今日の心持ちが、アリスから横山みゆきさんの歌唱を押すと心変りしているからかも・・・です。(笑)