白いラビリンス

2018-06-27 02:24:49 | 来生たかお
白いラビリンス / 来生たかお




怖くなるわ突然 恋の強さには
自分の想いばかり あなたに押しつけて

電話を思いがけず 途中で切られて
はじめて気づく私 迷惑なのですか

迷う心映し 白い雪が
ふいに目の前を よぎって行く

あなたをこんなに愛して… なのに
ひとりよがりなら 苦しくてつらすぎる

つぶやく声が細く 夜にふるえてる
恋心は叫びに 変わるほど熱くて

愛を私からは ねだらないわ
長い片思い それでもいい

あなたのすべてを 愛して今は
私のすべては 限りなくささげます
あなたのすべてを愛して… 白く
降りしきる想い 雪ほどにきれいです
迷いだけ 舞うばかり



「白いラビリンス(迷い)」は1984年11月1日リリースの来生たかおの17thシングルです。

もともとは“「セカンド・ラブ」の路線で”との依頼で作られた中森明菜への提供曲で、中森明菜のアルバム「POSSIBILITY」(1984年10月10日リリース)に収録されていますが、ここでのタイトルは「白い迷い(ラビリンス)」となっています。







































































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ピンクの豹

2018-06-25 04:04:16 | 懐かしの映画音楽
ピンクの豹 / ヘンリー・マンシーニ




某国王女ドーラ姫が所有する巨大な宝石“ピンクの豹”。

ある日、彼女はそれを身につけてアルプスへと向かった。

だが、巧手かつ狡猾な宝石泥棒としてヨーロッパ中でその名を轟かせている怪盗ファントムがその秘宝を虎視眈々と狙い、ドーラ姫に接近しようとしている。

一方、これまでファントムを追い続けてきたクルーゾー警部も、ファントムによるピンクの豹奪取を察知。

犯行を未然に防ぐため、ドーラ姫がバカンスを過ごすスキー場に乗り込むのだが…。

D・ニーヴン扮する怪盗ファントムと、P・セラーズのクルーゾー警部が巻き起こすドタバタを描いた傑作コメディ。






























































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縁切寺

2018-06-24 13:43:46 | さだまさし
グレープライブ 縁切寺




今日鎌倉へ行って来ました
二人で初めて歩いた町へ
今日のあの町は人影少なく
想い出に浸るには十分過ぎて
源氏山から北鎌倉へ
あの日とおなじ道程で
たどりついたのは 縁切寺

ちょうどこの寺の山門前で
きみは突然に泣き出して
お願いここだけは 止してあなたとの
糸がもし切れたなら 生きてゆけない
あの日誰かに 頼んで撮った
一枚切りの一緒の写真
納めに来ました 縁切寺

君は今頃 幸せでしょうか
一度だけ町で 見かけたけれど
紫陽花までは まだ間があるから
こっそりと君の名を 呼ばせてください
人の縁とは 不思議なもので
そんな君から 別れの言葉
あれから三年 縁切寺





縁切寺(えんきりでら)とは、女性の側からの離婚が困難であった江戸時代において、夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことです。

寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立するというもの。

江戸幕府公認の縁切寺には鎌倉の東慶寺、群馬(旧、上野国新田郷)の満徳寺があり、3000人以上の駆け込みがあったようです。

































































































































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まぶしい夏 太宰治グッド・バイ 森田童子

2018-06-23 03:54:57 | 森田童子
まぶしい夏 太宰治グッド・バイ 




玉川上水沿いに歩くと
君の小さな
アパートがあった

夏には窓に竹の葉が揺れて
太宰の好きな君は
睡眠薬飲んだ

暑い陽だまりの中
君はいつまでも
汗をかいて眠った

あじさいの花より鮮やかに
季節終わりの
セミが泣いた

君から借りた太宰の本は
寂しい形見に
なりました

ぼくは汗ばんだ
懐かしいあの頃の
景色をよく覚えてる



「高校教師」の森田童子死去 「ロフト」オーナーが語る謎の素顔

1993年放送のドラマ「高校教師」の主題歌「ぼくたちの失敗」などで知られるシンガー・ソングライターの森田童子さんが、心不全のため4月24日に亡くなっていたことがわかった。65歳だった。デビューは75年。森田さんをデビュー前から83年末の活動休止まで約10年間見守った、ライブハウス「ロフト」グループのオーナー、平野悠さんが振り返る。

「ここで歌えるんですか?」

 まだ20歳ぐらいだった彼女が、デモテープを手に、平野さんの前に現れた。テープを受け取っただけで、そのときの印象はあまり覚えていないそうだ。

「テープを聴いて、その声質とリアリティーのある詞に、ぶっ飛びました。しかし、当時の音楽状況の中で、これがウケるとは思えませんでした」

 平野さんが言うには、当時は日本のロックが一気に市民権を得た時代。

「これからはロックだという時代に、太宰がどうしたとか、誰かが死んだとかいうようなことを、いつもボロボロ泣きながら、顔じゅう涙で濡らしながら歌ってたんです。友達が学生運動の最中に倒れて死んだ。そのひとのことを歌いたくて始めたんだということをよく言ってました」

 そんな彼女の歌に惹きつけられた若者が、ロフトに足を運んだ。

「コートの襟立てて、ボロボロのズボンはいて、だいたい一人で……。自分の生きる意味がわからない、うまく生きられない、行き場を失った若者が救いを求めるように集う場所でした」

 本名も素顔も、謎の多いアーティストだった。

「決して寡黙ではないけど、自分のことについては、絶対に話しませんでした。服装も、黒ずくめ以外見たことなかったですね」

 83年末の新宿ロフトでのコンサートが、表舞台に姿を現した最後だったと平野さんは振り返る。活動休止から10年後、ドラマであらためて脚光を浴びた当時も、一度も彼女は表舞台に姿を現さなかった。

「『私は専業主婦です。もう人前に出て歌うことはありません』と言い、ステージに出なかった。彼女の美学だよね」

(本誌・太田サトル)

※週刊朝日 2018年6月29日号






























































































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俺たちの旅

2018-06-22 09:41:38 | 小椋佳
「俺たちの旅」-小椋佳




夢の坂道は 木の葉模様の石畳
まばゆく長い白い壁
足跡も影も残さないで
たどりつけない山の中へ
続いているものなのです

夢の夕陽は コバルト色の空と海
交わってただ遠い果て
輝いたという記憶だけで
ほんの小さな一番星に
追われて消えるものなのです

背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ
背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ

夢の語らいは 小麦色した帰り道
畑の中の戻り道
ウォーターメロンの花の中に
数えきれない長い年月
うたたねをするものなのです

背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ
背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ




1970年代の吉祥寺を舞台に、現実世界の中でもがき苦しみながら成長していく若者たちを描いた、伝説の青春ドラマ「俺たちの旅」!

カースケ、オメダ、グズ六、ワカメ・・・懐かしい「いろは食堂」の下宿人たち。

十年、二十年、三十年・・・五十年。

時は彼らの町、生活をどう変えていった、・・・いくのだろうか?

彼らの友情は?そして、変わらないものは?







































































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22歳

2018-06-22 06:42:27 | アリス・谷村新司
22歳




白いシーツをまきつけ 背中でサヨナラの
悲しい別離を感じてた 窓の外は光る海

やさしさとか愛だとか 綺麗な言葉など
信じれる程 若くはない それは知っていたけれど

22歳になれば少しずつ 臆病者になるわ
何故かわかる? 貴方
私の髪の煙草の匂い 消えるまでの思い出ね
私の髪の煙草の匂い 消えるまでの思い出ね

やさしくもない貴方に 振りまわされた日々
遊びのふりを続けるには 夏は少し長すぎた

激しい愛の言葉で つづられた歌など
しばらくは もう聞きたくない 強がるには疲れ過ぎた

22歳になれば少しずつ 臆病者になるわ
何故かわかる? 貴方
愛の映画に照れて笑った 貴方が寂しかったわ
愛の映画に照れて笑った 貴方が寂しかったわ

22歳になれば少しずつ 臆病者になるわ
何故かわかる? 貴方
あー 夏がゆく傷を残して 風はもう秋の気配
あー 夏がゆく傷を残して 風はもう秋の気配



歳を経れば必ず進歩するわけでは無いけれど、選択や決断を迫られたときに、知識や経験の重みを痛感することは少なくありません。

もし10年前、20年前の自分にアドバイスできるとしたら、何と言ってあげますか?

もし10年後、20年後の自分がいたら、何をアドバイスして欲しいですか?

それによって人生は大きく変わるかもしれません。ただし昔の自分が聞く耳を持っていたら…の話ですが。




































































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人生の空から

2018-06-21 04:16:50 | 松山千春
人生の空から




深く耳をすませば 朝一番の汽笛
街はにわかに ざわめいて

遠い旅の空から 君に送る便りは
力まかせの なぐり書き

まわり道でも 旅の終わりに
君にもう一度 会えたならいいね

いつも怯えていたね 風の音にふるえて
はき出す言葉は ぐちばかり

君なら良くわかるね こんな僕の気持が
今なら一から やれるよね

まわり道でも 旅の終わりに
君にもう一度 会えたならいいね

まわり道でも 旅の終わりに
君にもう一度 会えたならいいね



会うは別れの始めなりといいます。

しかし、出会った時が、じつは別れる時の始めであるなんて、考えれば、この言葉は悲しいですね。

それが、人生の真実であるならば、人は人と別れるために、人と出会うということになるのでしょうか。

でも、出会った時から、別れの日が来る事を予感して身構えていても、何も始まりません。

いつかは別れる人だからと、悲観的に、刹那的に接していては、人とのつきあいが、深まることも、またそれにより、自分を高めることもありません。

だからこその一期一会。

一生に一度だけの機会と心得て、前向きに、誠意をもって接していこうという言葉。











































































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難破船

2018-06-19 04:06:19 | 加藤登紀子
難破船 中森明菜




たかが恋なんて 忘れればいい
泣きたいだけ 泣いたら
目の前に違う愛が見えてくるかもしれないと
そんな強がりをいって見せるのは
あなたを忘れるため
さびしすぎて こわれそうなの
私は愛の難波船
折れた翼 広げたまま
あなたの上に 落ちて行きたい
海の底へ 沈んだなら
泣きたいだけ 抱いてほしい

ほかの誰かを 愛したなら
追いかけては 行けない
みじめな恋つづけるより
別れの苦しさ えらぶわ
そんなひとことで ふりむきもせず
別れたあの朝には
この淋しさ 知りもしない
私は愛の難波船
おろかだよと 笑われても
あなたを追いかけ 抱きしめたい
つむじ風に身をまかせて あなたを海に沈めたい

あなたに逢えない この街を
こん夜ひとり歩いた 誰もかれも知らんぷりで
無口なまま 通りすぎる
たかが恋人を なくしただけで
何もかもが消えたわ
ひとりぼっち 誰もいない
私は愛の難波船




80年代を駆け抜け一世を風靡した中森明菜さん、その中森明菜さんの代表曲とも言えるのがこの「難破船」です。

曲そのものはシンガーソングライター加藤登紀子さんの楽曲で、彼女のスタジオ・アルバム『最後のダンスパーティ』 の収録曲として、1984年12月1日にポリドールより発表されました。

それから役3年後の1987年9月30日に、中森明菜さんの19枚目のシングルとしてワーナー・パイオニアからリリースされるわけですが(加藤登紀子さんからの楽曲提供として)、これにまつわるエピソードとして、

加藤さんがテレビ番組で中森の22歳の誕生日祝いをしているのをふと見て、この楽曲のシーンと中森の雰囲気がぴったりであると思い、加藤自身しばらくこの歌を歌うのを止めるから、あなたが歌ったほうがいいとコメントし、この楽曲を送った

と明かしています。

ところで、当時の中森明菜さんの曲にはまず「はずれ」などなく、この曲も瞬く間に大ヒット、幾度となくこの歌を各局の歌番組で披露したわけですが、この1988年1月6日放送の夜ヒットでの「難破船」はそれら他の番組での「難破船」とは明らかに違う雰囲気がありました。

この回には、当時彼女と交際中だった近藤真彦さん、そしてこの歌の作者・加藤登紀子さんもゲスト歌手の一人として出演しており、この2人が見守る中で、着物姿でこの歌を披露しました。

常にカメラアングルとは違うところに視線を置きながら、語りがけるような感じで歌う、というのがこの曲における中森明菜の歌唱スタイルで、感情移入の度が強いせいか、間奏部などの部分になると、マイクを持つ手が震えていたのも印象深いところですが、この時の夜ヒットでの「難破船」は、この歌の「生みの親」と、自分の「恋人」が見守っているという特別なシチュエーションだったこともあって、より一層感情の起伏が大きかったように思います。

それを象徴しているのが、この歌を歌い終わるあたりで流した一滴の涙。

このときの夜ヒットでの涙が一体何を意味していたのか、当時マスコミでも、また彼女のファンの間でもこの点についてちょっとした論議を呼びました。

そして、その翌年、中森明菜さんは留守中の近藤真彦さんのマンションで左手首を切り自殺未遂をしています。

まぁトップアイドル同士の恋愛でしたので真相は「藪の中」ですが、少なくとも純愛の結果であって、平然と不倫するアイドル・国会議員とは違っていたことだけは確か。(笑)



















































































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鈴木一平 水鏡

2018-06-15 05:08:41 | 鈴木一平
水鏡 鈴木一平





一生一度きりの別れならばいいものを 
人は幾度となく悲しみを繰り返す
手探りの中でふと抱かれるような 
甘い想い出は通り過ぎて行く
振り返ることなく明日だけを見つめながら 
いつか来た道と気付かずに歩いた
そこは幸せと不幸の分かれ道 
悲しみおぼえた出会い道
私だけのあなたにはなってくれるはずがない
心のぬくもりも今は
忘れてみるわ 忘れてみよう
揺れる二人の夢もよう

水に浮かぶ枯葉に目を向けると 
ちょうど今の私同じように見えた
風にうたれ雨にうたれたどる道は 
苦しみおぼえた迷い道
はかない恋のほろにがさを知って 
強がりはよせよと口ずさんでみます
あふれる涙はとめどなく流れて 
とまどう私は闇の中
私だけのあなたにはなってくれるはずがない
心のぬくもりも今は
忘れてみるわ 忘れてみよう
揺れる二人の夢もよう




一生一度きりの別れならばいいものを 人は幾度となく悲しみを繰り返す・・・

さて、旧ソビエト連邦の生理学者、イワン・ペトローヴィチ・パブロフが、犬に対して、ベルを鳴らしてからエサを与える事を繰り返すことにより、犬はベルを鳴らしただけで、唾液を出すようになったというのが、「パブロフの犬」の話しで、条件反射の理論として有名です。

この理論をあてはめると、別れを繰り返しているうちに、別れただけで悲しくなり、悲しむだけで、泣くようになるという条件反射が生じることになります。(笑)

もっとも、これを条件反射とするには、かなり異論があるでしょうね。
涙とよだれをいっしょにするわけにもいかないですし、それくらいのデリカシーは持ち合わせたいものかも知れません。(笑)

しかし、泣くということに関しては、100年以上も前に、生理的、身体的な反応、変化が生じて、それが感情を引き起こすとする、つまりは、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ。」という、心理学者のジェームズ(William James)と、ランゲ(Carl Lange)が提唱した、いわゆるジェームズ=ランゲ説と呼ばれる有名な古典的心理学説があります。

ある種の感情が生じて、ある種の身体的な反応が起こる、つまりは、悲しいから泣くのであり、楽しいから笑い、恐いから震えるのだという、それまでの経験則的な常識を覆すような学説でした。

これに対して、生理学者のキャノン(Walter Cannon)とバード(Philip Bard)は、脳の中枢で生じた感情が脳の大脳皮質に伝達されて感情を経験し、同時に身体的反応が生じると主張して、いわゆるキャノン=バード説というものを提唱しました。

さらに、大学の心理学の教授であったシェクター(Stanley Shachter)は、ジェームズ説を発展させる形で、大学での学生とのさまざまな心理実験により、生理的な反応とともに、そのことを認知することが、感情を生成する重要な要因であるとした、情動二要因論を展開していきます。

しかし、いずれにしろ、人は何故、別れ・悲しみを繰り返すのかは彼等はけっしてわからないでしょうし、そしておそらくは誰もわからないことだと思います。

あふれる涙はとめどなく流れて とまどう私は闇の中・・・

ともあれ、泣くということがストレス解消になり、涙を流すことが、免疫力を高めて、またうつ病の予防にもなるという医学的な研究もすすんでいることですから、みんなで一緒に泣いたらどうでしょうか。(笑)

まあ、すでに加齢により涙腺が緩んだ方々には、お勧めしなくても、すでに本を読んでは泣き、人の話を聞いては泣き、映画やテレビを見ても、よく泣いていらっしゃるかと思いますが。(笑)

私だけのあなたにはなってくれるはずがない・・・

人は孤独のなかに生まれて、孤独のなかに死ぬという、哲学的なことを意識せずとも、ひとりのときの孤独よりも、ふたりのときの孤独の方が、より孤独の深淵に近しいものだということを、人は出会いと別れの繰り返しの中で、経験的に知っていくものなのですよ。


鈴木一平さん、あまりメジャーな方ではありませんが大好きな歌手です。
フォーク・ニューミュージック系にはなるんでしょうが、曲調は演歌っぽいシンガーソングライターかも・・・。
この曲も同様、歌詞もメロディーもほぼ演歌・・・・・それゆえ、演歌歌手によるcoverも多く、彼の曲の中では最も親しまれている曲です。

















































































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異国の丘

2018-06-14 04:37:31 | 懐かしのメロディー
美空ひばり ♪異国の丘




1 今日も暮れゆく 異国の丘に
  友よ辛かろ 切なかろ
  我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
  帰る日も来る 春が来る

2 今日も更けゆく 異国の丘に
  夢も寒かろ 冷たかろ
  泣いて笑うて 歌って耐えりゃ
  望む日が来る 朝が来る

3 今日も昨日も 異国の丘に
  重い雪空 日が薄い
  倒れちゃならない 祖国の土に
  たどりつくまで その日まで



第二次大戦の最末期、日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻したソ連軍に日本軍は降伏しました。武装解除された日本軍将兵は、在満の民間人や当時日本国籍だった朝鮮人とともに、ソ連領内の収容所に送り込まれました。一般にこれを「シベリア抑留」と呼んでいます。

シベリア抑留というものの、収容先はシベリアだけでなく、モンゴルや北朝鮮、中央アジア、ヨーロッパロシアの各地に及んでいました。
収容者数は、約65万人というのがいちおうの定説になっていますが、実際には約107万人だったと見られています。

収容された日本人たちは、劣悪な居住環境と粗悪な食事のもと、過酷な強制労働に従事させられました。
作業は建築や土木建設、木材伐採などでしたが、ノルマが課せられ、ノルマが達成できないと、減食されたり、欠食とされたりしました。
また、定期的に共産主義教育が行われ、反・非共産主義的と見なされると、共産主義に感化された同胞からつるし上げや人民裁判、ときにはリンチを受けました。

連日の過酷な作業のため、収容期間中の死者は、収容人数の1割近い約6万人に達したとされています。
ただし、アメリカの研究者ウイリアム・ニンモの調査では、実際の死者は約34万人とされており、また約37万5000人とする調査結果もあります。収容者数を約107万人とすると、犠牲者はその3分の1以上にも達したことになります。

収容者の帰還は昭和22年(1947)から、ソ連との国交が回復する昭和31年(1956)にかけて逐次行われました。共産主義教育に反抗的だった者ほど、帰還を遅らされたと伝えられます。

抑留からの帰還者によって日本にもたらされたものがいくつもあります。前述したノルマという言葉や歌声運動などがその例ですが、『異国の丘』もその1つです。

昭和23年(1948)8月1日(8日説あり)、NHKの人気番組「のど自慢素人演芸会」に1人の復員兵が出演、みごとに鐘を打ち鳴らしました。シベリアから復員した中村耕造という人物で、歌ったのは作詞・作曲者不明の『昨日も今日も』という歌でした。

望郷の思いを切々と歌い上げるその歌にビクターが着目、佐伯孝夫の補作詞と清水保男の編曲を施したうえで、中村耕造と当時の人気歌手・竹山逸郎に歌わせてレコード化しました。
同年9月、『異国の丘』と改題されたそのレコードが発売されるや、たちまち全国に大流行、大人から子どもまで口ずさみ、NHKや各地ののど自慢大会でこれを歌う者が続出しました。

はじめはだれが作った歌か不明でしたが、やがて吉田正が名乗り出て、作詞は増田幸治、作曲は吉田正と判明しました。
吉田は昭和23年8月にはシベリアから帰還していましたが、大流行している歌が自分の歌だという実感が湧かなかったので、名乗り出るのが遅れたそうです。
昭和25年(1950)4月には増田幸治も帰還して、歌のできた経緯がさらに明らかになりました。

吉田正と増田幸治は、シベリア・ウラジオストク郊外アルチョム収容所にいっしょに収容されていました。中村耕造も同じ収容所にいたはずですが、2人の名前は記憶していなかったのでしょう。
あるとき、吉田が戦時中に作った『大興安嶺突破演習の歌』という軍歌を紹介したところ、増田がそれに『俘虜(ふりょ)の歌える』という歌詞をつけ、副題を『異国の丘』としました。
 後年、増田はそれを発表したときのようすを、次のように語っています。

「初めて異国の丘を発表したのは収容所の演芸会だった。合唱していると胸が詰まり、歌いながらみんな泣いた。これ以降、作業の行き帰りや夕方の人員点呼時に、皆が口ずさんだ。お互いをいたわり、励まし合うようになり、自分さえよければといった殺伐とした雰囲気は次第に薄れていった。シベリア最初の冬がようやく終わる昭和21年(1946)の3月ごろだった」

歌が単なる娯楽以上の力をもちうるという顕著な証拠がここにあります。

吉田はビクターから専属作曲家として迎えられ、以後数々のヒット曲を連発したことはよく知られているとおりです。




























































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夢芝居/小椋佳

2018-06-11 05:22:16 | 小椋佳
夢芝居 小椋佳




恋のからくり夢芝居
台詞ひとつ 忘れもしない
誰の筋書き 花舞台
行く先の影は見えない

男と女あやつりつられ
細い絆の糸引き引かれ
稽古不足を幕は待たない
恋はいつでも初舞台

恋は怪しい夢芝居
たぎる思い おさえられない
化粧 衣裳の 花舞台
垣間見る素顔可愛い

男と女 あやつりつられ
心の鏡 のぞきのぞかれ
こなしきれない 涙と笑い
恋はいつでも初舞台

男と女 あやつりつられ
対のあげはの誘い誘われ
心はらはら舞う夢芝居
恋はいつでも初舞台




2018年1~3月期のGDP(国内総生産)はマイナスに転じてしまいました。デフレ傾向が強まり消費が弱くなったことや、輸出が減ったことが原因のようですね。

アベノミクスの失敗、・・・というよりアベノミクスそのものがそもそも夢芝居だったのかもしれません。

出口のない異次元緩和トンネルは確かに円安を生み、株価を高騰させ、「夢」は持たせましたが、その「夢」は心はらはら舞う夢芝居だったようです。

政府債務は1千兆を越し、もはや増税だけで解決出来ない域に達してしまいましたし、調整インフレするにしてもとてつもない国民負担を強いなければいけません。

3本の矢どころか10本、20本の矢を放たないと・・・(笑)

とは言っても、アベ内閣の支持率はまだまだ高いまま、もしかすると負担が現実になる「未来予想図」より「夢芝居」の心地よさを喜んでいるのは国民なのかも。





























































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おお牧場はみどり

2018-06-10 03:28:06 | 世界の民謡
おお牧場はみどり (チェコ民謡)




1.おお牧場はみどり 草の海 風が吹く
  おお牧場はみどり よく茂ったものだ(ホイ)
   雪が解けて 川となって
   山を下り 谷を走る
   野をよこぎり 畑をうるおし
   よびかけるよ わたしに
2.おお聞け歌の声 わこうどらが歌ううた
  おお聞け歌の声 晴れた空のもと(ホイ)
   (以下同じ)
3.おお仕事は愉快 山のように 積み上げろ
  おお仕事は愉快 みな冬のためだ(ホイ)
   (以下同じ)

【原曲の歌詞】
1.
Horela lipka, horela, horela lipka, horela,
pod ňou má milá, pod ňou má milá.
Horela lipka, horela, pod ňou má milá sedela. Hej!

Tečie voda zhora, bystrá je ako ja,
točí sa okolo, okolo javora.
Tečie voda zhora, bystrá je ako ja,
točí sa okolo, okolo javora.

2.
Keď na ňu iskry padali, keď na ňu iskry padali,
všetci mládenci, všetci mládenci.
Keď na ňu iskry padali, všetci mládenci plakali.

Tečie voda zhora, bystrá je ako ja,
točí sa okolo, okolo javora.
Tečie voda zhora, bystrá je ako ja,
točí sa okolo, okolo javora.

3.
Iba ten jeden neplakal, iba ten jeden neplakal
Iba ten jeden, iba ten jeden,
iba ten jeden neplakal, čo jej hlavičku obviazal.

Tečie voda zhora, bystrá je ako ja,
točí sa okolo, okolo javora.
Tečie voda zhora, bystrá je ako ja,
točí sa okolo, okolo javora.


【歌詞の大意】
(参照:江波戸 昭 「世界の民謡を訪ねて」 日本書籍)

広い緑の牧場には、草が青々と生えている。
山から流れ出す 私のように清らかな水が
モミジのまわりを、私のまわりを流れていく。
草を刈る二人の娘さんが 悲しそうに泣いていた。

お城からそれを見ていた若殿さま、馬丁を呼んで言うことにゃ、
“これ、馬の用意をせい、戦いに出るのじゃ”
“鉄砲に弾丸をこめてもないのに、どうなさりますだね”
“あそこの小鹿をうつんじゃ、あの18歳の娘ッ子をな”



『おお牧場はみどり』は、1961年にスタートしたNHK「みんなのうた」で最初に放送され、日本で有名になったチェコスロバキア民謡です。
日本語への訳詩は、日本福音連盟によって1958年に発行された讃美歌集「聖歌」編集者の中田 羽後(なかだ うご/1896-1974)。

一説によれば、原曲の歌詞はオーストリア=ハンガリー帝国時代に、若い娘を召し上げる好色な領主を風刺した歌だったようですね。






























































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森田童子/G線上にひとり

2018-06-09 20:06:46 | 森田童子
森田童子/G線上にひとり



夏草の上に
ねそべって
まぶしい孤独な
夢がひろがる

ひとり目ざめて
あくびして 涙ふいた
夏の空は
ヒコーキ雲

何にもいわない
六月の空は
ぼくの好きな
みずいろです

暗闇よ ぼくを呼べ
遠い記憶へ
あなたの ところへ
ぼくをつれてって

やさしい風は
ぼくをなでて
ひとりは とても
いい気持

夏草の上に
ねそべって
いま ぼくは
死にたいと思う



「死」、・・・ニューヨーク州サフォーク郡で救命士として働いているマシュー・オライリー氏、彼によると、死にゆく人には3つのパターンがあるそうです。

一つ目は、宗教や文化的背景に関係なく、許しを請うという願望。

二つ目のパターンは、記憶への願望。

そして、最後のパターンは自分の人生に意味があったのだと知りたい想い。

・・・だとか。










































































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昨日の雲じゃない  吉田拓郎

2018-06-04 17:12:18 | 吉田拓郎
昨日の雲じゃない




あの空に浮かぶのは 今日の雲
それは 昨日の雲じゃない

幾度も 君に伝えたが
すれ違うような 時が行く

この淋しさを 乗り越えて
いつか わかり合える 二人になれる

いつもと同じに 出来ぬ僕
君にも変化を 求めてた

もし君に何かが 起きるなら
僕はこらえ切れず 泣くだろう

約束などは 出来ないが
君の気持ちを 抱きしめる

この虚しさを 突き抜けて
きっと わかり合える 二人になれる

あの空に浮かぶのは 今日の雲
それは 昨日の雲じゃない



麻生財務相、辞任を否定=閣僚給与12カ月分を返納―森友文書改ざん

麻生太郎財務相は4日、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書改ざん問題に関して記者会見し、「行政全体の信頼を損なった」と述べ、自身の閣僚給与の12カ月分を自主返納すると発表した。(時事通信)

あの空に浮かぶのは 今日の雲
それは 昨日の雲じゃない

嫌なことは、忘れたい?(笑)





























































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雨のクロール /森田童子

2018-06-02 05:00:46 | 森田童子
雨のクロール /森田童子




夏の浜辺に
二人は今日別れる
僕は黙って草笛吹いた
うふふふ うふふふ
君は花柄の
ワンピース置いて
静かに涙色の
まぶしい水の中
うふふふ うふふふ
雨に君の泳ぐクロール
とてもきれいね

雨に君の泳ぐクロール
とてもきれいね
夏が巡りめぐっても
僕はもう決して
泳がないだろう



日大・田中理事長が理事会で謝罪 常務理事辞任の内田前監督は自宅待機

日大選手の関学大選手への悪質タックル問題に関し、日本大学の大塚吉兵衛学長らが1日、文部科学省及びスポーツ庁と東京都千代田区の同庁で面会を行い、この日、面会に先立って行われた理事会で決まった事項を報告した。30分の予定だった面会は約1時間30分にも及んだ。日大側が面会後に会見。理事会で田中英寿理事長が対応の遅れを謝罪したこと、常務理事を辞任した内田正人前監督(62)を自宅待機にしたことなどを明かした。(スポニチアネックス)

うふふふ うふふふ、・・・
















































































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