石川ひとみ 冬のかもめ

2017-12-01 15:56:13 | 西島三重子
石川ひとみ 冬のかもめ (New Version)


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2015030607370074e.mp3

あなたがくれた桜貝は
あなたが眠る冬の海に
返して来るのが一番いいと
みんな言うのです

バスを乗り継ぎ 小雨に濡れて
ひとり砂浜 歩いてみれば
無邪気に遊んだ 夏の日のこと
見えるようです

冬のかもめ 冬のかもめよ
伝えてよ あの人に
いつか涙が かわいても
忘れはしないと...

あいつが誰より愛していた
君がひとりで冬の海へ
たずねて行くのが一番いいと
みんな言うのです

悲しみ束ねた この花束を
波打ち際に 置いてゆきます
あなたのそばに ひと足早い
春が来るように

冬のかもめ 冬のかもめよ
伝えてよ あの人に
どんなに時が 流れても
忘れはしないと...

冬のかもめ 冬のかもめよ
伝えてよ あの人に
どんなに時が 流れても
忘れはしないと...




ふうちゃん、ひさしぶり。

もう旅先で模造刀を買うクセは治りましたか?

修学旅行の貴重なおみやげ代を模造刀に注ぎ込んだふうちゃんを思い出すと笑ってしまいます。

ふうちゃんに私が「何かドキドキしないのよね。最初からだけど」と冷たく言ってお別れすることになったあの日から、もう30年が経ったのですね。

月日が流れるのは早いものです。

お手紙を書いたのは、とくに意味があってのことではないんです。

ただふと思い出して懐かしかったので、思いつくままに手紙に書こうと思いました。

ふふ。驚いたかな?

思い返してみると、あのころはふうちゃんはとても優しくて、大人びていたなぁと思います。

私は素直になれなかったから、平気で「ふうちゃんはどうせ胸さえ大きければいいんだよね!」なんて責めるようなことを言ったけど、ふうちゃんは「そんなことはないよ。カラダ全体が大事だよ」って優しく諭してくれたのを覚えています。

少しヒドイと思ったけれど今でも心に響いています。

あのときふうちゃんにとって初恋の相手が私かな?

私にとっては8人目の彼氏だったかと思います。

あ、そうそう、ふうちゃんは最初からキスが濃厚で少し気持ち悪かったなぁ(苦笑)。

でも何かの雑誌で読んでキスの練習してきたって言うから、黙っているしかなかったんですけどね、私。

告白するときのふうちゃんは、必死で「一生大事にするから」とか酔っ払ったことを言っていましたね。

とても嬉しかったのですが、お別れしたときには、やっぱり詐欺だったなぁと思ったものです。

後先考えないところはふうちゃんらしいとも思いました。

恋愛を総合的に考えれば、私はふうちゃんと付き合えてよかったなぁと思います。

当時は少し恥ずかしかったし疲れたけれど、私が男性のように強くなれたのも、ふうちゃんがどこか頼りなかったおかげだと思っています。

いろいろ書きましたが、私はふうちゃんが大好きでした。

これからもふうちゃんらしさを大切に、夢のドS女性を探しながら(笑)、いつか幸せになってください。

またいつか会いましょう。では。

(追伸)わたしが、幸せにしてあげ・・・・たい。!!



追伸というのは、手紙の本文を書き終えたあとで、書き忘れた文章などを、末尾に書き足すときに使います。

本来は、本文を書き直すほどでもない些細なことを、書き足す程度のものを言うのですが、ときとして、この追伸で、あらためて、手紙の趣旨や本音を告げる手法としても使われます。

行間に見え隠れさせた文字を・・・、書いては消してとうとう書けなかった文字を・・・、追伸に忍ばせて・・・。

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千登勢橋

2016-12-30 00:04:05 | 西島三重子


http://blog-imgs-64.fc2.com/f/o/o/footyan0214/2014063016554345c.mp3

駅に向かう学生たちと
何度もすれ違いながら
あなたと歩いた目白の街は
今もあの日のたたずまい
指を絡めいつもと違う
あなたのやさしさに気付き
もうすぐ二人の別れが来ると
胸が震えて悲しかった

電車と車が並んで走る
それを見下ろす橋の上
千登勢橋から落とした
白いハンカチが
ヒラヒラ風に舞って
飛んで行ったのは
あなたがそっとサヨナラを
つぶやいたときでしたね

胸の想い言い出せなくて
遠くでカテドラルの鐘
思わずこぼした涙を拭いて
無理に笑った風の中で
心のすべて燃やした恋を
いつも見ていた橋の名は
千登勢橋です
あなたの淡い思い出に
こうして会いに来ては
一人たたずんで
あなたのくれた青春を
抱きしめ目を閉じます

千登勢橋から落とした
白いハンカチが
ヒラヒラ風に舞って
飛んで行ったのは
あなたがそっとサヨナラを
つぶやいたときでしたね



この曲は西島三重子さんの8枚目のシングルとして、昭和54年(1979)に発売されました。

代表作『池上線』と同様、恋を失った女性の心の痛みが切々と伝わってくる名曲です。

女性の失恋歌ですが、青春期に恋に傷ついた経験がある人なら、男性でも胸のどこかに共鳴する部分がきっとあるはずです。

『池上線』でもこの歌でも、彼はなぜ別れを告げたのでしょう。

留学か仕事で海外へ長期に行くことになった、あるいは家業を継ぐためとか老親を介護のために帰郷しなければならなくなった、しかし女性にはついていけない事情があった……そんなところでしょうか。

少なくとも、男性の身勝手で彼女を捨てたわけではないと思いたいですよね。(笑)

ところで、曲のタイトルは『千登勢橋』ですが、舞台になった地名の正式名称は千登世橋です。

東京の目白駅を出て目白通りを東南方向に歩いて行くと、学習院大学のキャンパスが終わったところにあります。

橋の下を明治通りと都電荒川線が通っている跨道橋(こどうきょう)かつ跨線橋(こせんきょう)です。

跨線橋の部分は、正式には千登世小橋というそうですが、見た目には一体の橋で、現在は、明治通りの地下を東京メトロ副都心線が走っています。


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池上線/西島三重子

2016-11-22 02:58:32 | 西島三重子
☆池上線/西島三重子


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2015030607452480b.mp3

古い電車のドアのそば 二人は黙って立っていた
話す言葉をさがしながら すきま風に震えて
いくつ駅を過ぎたのか 忘れてあなたに聞いたのに
じっと私を見つめながら ごめんねなんて言ったわ

泣いてはダメだと胸にきかせて
白いハンカチを握りしめたの

池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの

最終時刻を確かめて あなたは私と駅を出た 
角のフルーツショップだけが 灯りをともす夜更けに 
商店街を通り抜け 踏切り渡ったときだわね
待っていますとつぶやいたら 突然抱いてくれたわ

あとからあとから涙あふれて
うしろ姿さえ見えなかったの

池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの



古い電車のドアのそば 
二人は黙って立っていた
話す言葉をさがしながら
すきま風に震えて・・・


池上線(いけがみせん)、・・・現在は、東京都品川区の五反田駅と大田区の蒲田駅とを結ぶ東京急行電鉄(東急)が運営する鉄道路線で車両も普通ですが、この曲の発売時は結構古い車両だったようです。

それこそ、ドアから、すきま風の吹くような車両が、走っていたのかもしれませんね。(笑)

そんな電車内で・・・

別れを決意した二人にとっては、明日の約束はおろか、もはや共通の話題を語り合うこともなく、沈黙がちになります。

その重い沈黙に耐え切れずに、意味なくつぶやいても、答えはうつろにしか返ってこない・・・

そして、一緒に乗っている電車は、同じ方向を向いて走っているというのに、二人の人生という名の線路は、はや分岐したかのように、遠ざかりゆくばかりです。

きっと、待たせることに明日を見出せない男と、待つ事しか明日が見えない女の間には、遮断機の下りた開かずの踏み切りのように、もはや心の通い合う行き来はないのでしょう。

詩の内容は単純な「男女の別れ」の「ありふれた様子」ですが、メロディーと「池上線」というタイトルのせいでしょうか、いつまでも心に残る名曲です。


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鬼無里の道 

2016-10-30 05:14:41 | 西島三重子
鬼無里の道 


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201503060730556ee.mp3


むかし女に 化けし鬼の 忘れ形見と 伝え聞く

あぁ 紅葉訪ねて 鬼無里の道 女心を 君知るや


悪しき女と 世に流れ 覚え無きとも すべもなし

あぁ 紅葉訪ねて 鬼無里の道 陰に日向に 君思う


たとえ生涯 会えねども 募るいとしさ 誰に負けん

ついにもらさぬ わが心 のちに煙にくれようか


逢いし夫婦(めおと)の 語らいに

しばし安らぐ 浮世かな

あぁ 紅葉訪ねて 鬼無里の道 むすび適わぬ わが恋や




鬼無里とは長野市鬼無里地区のことで、かつては鬼無里村と呼ばれていました。
ここには『紅葉(もみじ)伝説』という「鬼女」の伝説が残されており、『鬼無里の道』もその伝説にモチーフを求めた歌詞となっています。
しっとりとしたワルツタッチは、そう、マスター好み?。(笑)

さて、その伝説の概略ですが・・・

平安時代のこと、会津で暮らしていたある夫婦に娘が生まれ、呉葉(くれは)と名付けました。
呉葉は才色兼備な娘に成長し、やがて京の都に上って、名を紅葉(もみじ)と改めます。
京で琴を教えていた紅葉ですが、ある時、源経基(つねもと)の目に留まり、側室となった紅葉は経基の子供を身篭ります。

その頃から経基の正室が病に伏せるようになり、比叡山の高僧に祈祷を依頼したところ、 なんと!正室の地位を奪わんとする紅葉の妖術が原因であることが発覚し、紅葉は信州戸隠の水無瀬(みなせ)の地に追放となりました。

水無瀬の里にたどり着いた紅葉は、村人に都の知識を授け、また妖術で病を治してやったりしたので、次第に村人の信望を得て、経基との子・経若丸と平穏に暮らしていました。

しかし経若丸の成長を見るにつけて、再び都の華やかな暮らしに戻りたいという思いが日ごと強くなり、その資金を得るために盗賊集団を率いて近隣の村々を荒らしまわるようになります。
そしてその悪名は「戸隠の鬼女」として都にまで響き渡るほどとなりました。

そこで朝廷は鬼女討伐のために平維茂(これもち)を戸隠に向かわせますが、紅葉の妖術に 阻まれて苦戦を強いられます。
かくなる上はと観音様に祈りを捧げたところ、夢枕に現れた白髪の老僧から降魔の剣を授かります。

維茂の神剣に妖術を封じられた紅葉は敗れ、その首を刎ねられて果てました。
紅葉、三十三歳の秋でした。

その後、鬼のいなくなったこの村は「鬼無里(きなさ)」と呼ばれるようになりました。

っとまぁ、こういった内容です。

長々と紅葉の伝説を書きましたが、紅葉伝説はあくまでも伝説。史実ではありません、たぶん(笑) 

紅葉が炎を吐いたとか、降魔の短剣なんて下りは、まるでドラクエの世界ですからね。(笑)

しかし、元になった話はあると思われます。
日本の鬼退治の話は大抵朝廷から遣わされた武将達が鬼をやっつけるプロットになっていますからね。

鬼のモデルも、朝廷に抵抗している地方豪族だったり、タタラの民と呼ばれる人たちだったり、あるいは山賊だったり。
紅葉一派も、もしかしたらそうした類いであったとしても不思議ではありません。

ですから、紅葉一派のモデルも実は山賊だったのかもかもしれません。
山賊というと、ならず者の集まりのようなイメージがありますが、実際は隠れ里の人々と言ったほうがしっくりくるかもしれません、そう、平家の落人みたいな人達?。
また、朝廷と戦って敗れたり、あるいは都の勢力争いに敗れた貴族や豪族が都落ちをして、山賊となった者も少なくなかったようで、そう言った人達だったかもしれません。

そうして山賊の身となった者達は、鬼の面を付けて旅人達を脅かしていた事もよくあったそうです。
仮面をかぶって顔を隠すのは、もちろん旅人達を騙したり、脅かしたりするためでもありますが、盗賊に落ちぶれた貴族や豪族が恥じて顔を隠す為だったとも言われています。

ところで、この紅葉伝説は、能の題材にも使われましたし、紅葉伝説がモチーフになった演舞もあります。
そして、紅葉の悲劇をしのんで、歌もつくられました。
それがこの「鬼無里の道」、・・・悲しげな歌です。
それほどヒットはしませんでしたが、マスターはとてもいい曲だと思っています。


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うぬぼれワルツ

2016-09-22 06:53:17 | 西島三重子
うぬぼれワルツ


http://blog-imgs-75.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150522151625106.mp3

別れの言葉が 云えない時には
おかまいなしに 話題をみつけ
楽しさまぎれに 二人のことを
思い出みたいに しゃべればいいさ
そんなあんたを目の前にして
話を合わせて 笑ってみせる
楽しかったね あの夏の日は
夢だったんだね 思った通り

※踊りましょうよ こんな時こそ
ラッタッタ ラッタッタ うぬぼれワルツ
あんた男前 私いい女
ラッタッタ ラッタッタ うぬぼれワルツ
もっと抱きしめて 悲しい時こそ
ラッタッタ ラッタッタ うぬぼれワルツ
ふたり羽のない 天使になって
やさしい気持ちで うぬぼれワルツ※

この世に不幸な 女が多いのは
女の歴史が 夜つくられるから
幸せの女神が 寝ているうちに
勝手気ままに 恋をするから
だからあんたをうらんでもしょうがない
うぬぼれていたのはお互い様さ
楽しかったね出会った頃は
もう泣かずにすむとはしゃいだものさ

(※くり返し)



「自分に自信を持って」とか「自信がある」とか、「自信」という言葉は当たり前のように使用されている言葉です。
大辞林で調べると『自分の才能・価値を信ずること。自分自身を信ずる心。』と出てきます。

その一方で否定的な意味で使われる言葉に「自惚れる」という言葉があります。
この言葉を調べると『(実際以上に)自分をすぐれていると思って得意になる。』と出てきます。

使用法としては一見明確に分かれているようですが、考えてみるとこの2つの言葉にはそれほどの明確な境界線がないようにも思えます。
というのも、双方とも実は自分を自分で評価する意味の言葉だからです。

違いと言えば「自惚れる」は『実際以上に』という注釈部分でしょう。

それでは「実際」とは果たして何なのか? 

これも大辞林で調べると『 物事の、あるがままのようす。本当の姿。 (理論や推測ではなく)実地。〘仏〙 存在の究極的な真実、すなわち真如のこと。』とあります。

当然これは、自分が自分で評価をした結果ではなく、他者が自分を評価した結果を意味します。
つまり「自惚れる」とは、他者の自分への評価と自分の自分への評価に差異が発生した状態とも言えます。

すると純粋に自分の自分への評価を意味する「自信」という言葉は、そこに他者の自分への評価という状況が加味された場合、いつでも「自惚れる」という状態に変化しうるという曖昧なものなのです。

そもそも自分の能力や価値とは、常に他者との比較で評価が定まるもので、評価が定まっていないものを自分で信じることは「自惚れる」ことに繋がる危険性を内包しているのです。

ですから自分に「自信がない」人は、自分で自分を評価することの無意味さ、また「自惚れる」ことの恐怖を漠然とでも知っているのでしょうし、それはある意味正しい判断と言えます。
逆に「自信がある」と簡単に言い切れる人は、悪い言い方をすれば無知で無神経だと言えます。

ふうちゃんは「自信」という言葉が安易に使われることには疑念を持っています。
多くの人は慰めや奮起を促す言葉として使用していますが、他者との比較を結びつけて使用しない限り、無責任な言い方だと思うのです。

な~んて、少し理屈っぽく書いちゃいましたが、言いたいことは「自信とうぬぼれは紙一重、だから、その使い方や思いにはご用心」というだけなんですが・・・。(笑)



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おひさまのたね

2016-06-22 02:50:54 | 西島三重子
ohisamanotane


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160622025523eb4.mp3

こどもは だれもが おひさまの種を
にぎって 生まれてくるんだよ
えがおの ひざしと 涙の雨が
きみの大地に そそぎこむ

おひさまになれ おひさまになれ
やさしく強い 心をもって
おひさまになれ おひさまになれ
そばにいるだけで あったかい

ことばにだしても 伝わらないけど
いつでも 両手は ひろげてる
振りきるのもいい つかまるのもいい
きみのいのちが うるおうなら

おひさまになれ おひさまになれ
笑っていつか 話をしよう
おひさまになれ おひさまになれ
離れても心は そばにいる

あしたの 天気に くよくよするほど
きみの大地は ちいさくない

おひさまになれ おひさまになれ
やさしく強い 心をもって
おひさまになれ おひさまになれ
そばにいるだけで あったかい



「こども」、「平和」、「健康」、・・・現代日本の三代神様。

とは言っても、最近はそうでもないみたいですよね。

「子どもの声がうるさいから」と保育園開園を阻止したり、「しつけ」と称して子どもを虐待したり。

子供は生まれてくるとき、ぎゅっと手を握りしめて生まれてくること。

その中にはお父さんとお母さんからもらった「おひさまのたね」が入っていること。

それを大きく育てて、あなたはおひさまのようになりなさいと願っていること。

とっても心温まる歌詞です。


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目白通り 西島三重子

2016-06-21 03:47:32 | 西島三重子
目白通り 西島三重子 (Mejiro Dori Ave. by Nishijima-Mieko)


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201606210401104c9.mp3

千登勢橋の欄干にひじをついて話しこんだ
あの夜は卒業のコンパの帰りでしたね
走りすぎる都電さえさびしそうな後姿
もうあなた社会人 私は学生のまま

春が過ぎたら落ちつきました
だけどあと少し目白道りには来てはほしくないの

今は同じサークルに恋人なら出来たけれど
まだイチョウ並木道 あなたの影が消えない
くせになった煙草までやめたけれどそんなことで
何一つ変わらない私は私でいるの

春が過ぎたら落ちつきました
だけどあと少し目白道りには来てはほしくないの

春が過ぎたら落ちつきました
だけどあと少し目白道りには来てはほしくないの




明日は参院選の公示日、自公を含めた改憲党が議席の三分の二に達するのか、民進・共産党などの野党が阻止するのか、興味ある選挙です。
とは言っても、所詮モラルのモの字もないのが日本の政治家、どう転んでも、・・・かもしれません。(笑)

モラルがないというと、都議会議員、リオ五輪に1億以上の税金を使って視察と称して27人が大名旅行するそうです。
自民16人、公明5人、民進6人、・・・共産党は辞退だそうですが。(笑)






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