旅笠道中

2017-11-27 07:55:20 | 懐かしのメロディー
藤圭子♥旅笠道中


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160507031353a67.mp3

1 夜が冷たい 心が寒い
  渡り鳥かよ 俺等(おいら)の旅は
  風のまにまに 吹きさらし

2 風が変れば 俺等も変る
  仁義双六(すごろく) 丁半かけて
  渡るやくざの たよりなさ

3 亭主もつなら 堅気をおもち
  とかくやくざは 苦労の種よ
  恋も人情も 旅の空

4 情けないぞえ 道中時雨(どうちゅうしぐれ)
  どうせ降るなら あの娘(こ)の宿で
  降っておくれよ しんみりと




この曲、昭和10年(1935)2月28日公開の『東海の顔役』の主題歌でした。

映画は、市川右太衛門プロ制作、中川信夫監督、松竹キネマ配給のサイレント映画サウンド版で、内容は、清水の次郎長(本名:山本長五郎)若き日の物語。

サウンド版とは、音楽付きのサイレント映画で、サイレント映画からトーキーへの移行期に何本も作られています。

今に伝えられる次郎長の武勇伝ですが、一時期彼の養子になっていた天田五郎の著書『東海遊侠伝』(明治17年〈1884〉刊行)が元になっています。

この本にはかなりの誇張があるうえに、それをベースにした講談・浪曲・芝居・映画がさらに話をふくらませたため、一般に流布している次郎長像は、実際とはかなりかけ離れているといわれます。(笑)

ただし、幕軍軍艦・咸臨丸の乗員の死骸を、官軍の命に逆らって葬ったこと、富士の裾野の開拓、英語塾を開いたことなど、いくつかの事績は事実のようですが。

ところで、長年、フリーの事業コンサルタント業というヤクザな稼業を続けてきたマスターとしては、3番の「亭主もつなら堅気をおもち……」が身に染みます。

亡き妻は、(この人とは楽な生活はできないだろう)と思いながら私と結婚したようですが、実際いろいろ苦労をかけてきました。

「お前は堅気と結婚すべきだったね」と、仏前に言ってみたりしますが、今となっては何の足しにもなりませんよね。(笑)

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お祭りマンボ

2017-11-26 02:35:34 | 懐かしのメロディー
坂本冬美 お祭りマンボ 2005


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160505225920dfc.mp3

私のとなりのおじさんは
神田の生まれで チャキチャキ江戸っ子
お祭りさわぎが大好きで
ねじりはちまき そろいのゆかた
雨が降ろうが ヤリが降ろうが
朝から晩まで おみこしかついで
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
景気をつけろ 塩まいておくれ
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お祭りだ

おじさんおじさん大変だ
どこかで半鐘が なっている
火事は近いよ スリバンだ
何をいっても ワッショイショイ
何をきいても ワッショイショイ
ワッショイワッショイ
ワッショイワッショイ
ソーレ ソレソレ お祭りだ

そのまた隣の おばさんは
浅草育ちで チョッピリ美人で
お祭りさわぎが 大好きで
意気な素足に しぼりのゆかた
雨が降ろうが ヤリが降ろうが
朝から晩まで おかぐら見物
ピーヒャラピーヒャラ
テンツクテンツク
おかめと鬼が
ハンニャとヒョットコが
ピーヒャラピーヒャラ
テンツクテンツク
ソーレ ソレソレ お祭りだ

おばさんおばさん 大変だ
おうちは留守だよ からっぽだ
こっそり空巣が ねらってる
何をいっても ピーヒャラヒャ
何をきいても テンツクツ
ピーヒャラピーヒャラ
テンツクテンツク
ソーレ ソレソレ お祭りだ

お祭りすんで 日が暮れて
つめたい風の 吹く夜は
家を焼かれた おじさんと
ヘソクリとられた おばさんの
ほんにせつない ためいきばかり
いくら泣いても かえらない
いくら泣いても あとの祭りよ



1952年8月15日発売された、美空ひばりさんのヒット曲のひとつです。

東京市日本橋区日本橋馬喰町出身の原六朗氏がその当時流行していたマンボのリズムに乗せ、お祭り好きな江戸っ子気質をテーマに自ら作詞作曲し、編曲まで担当。

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関東春雨傘  美空ひばり

2017-11-26 02:26:09 | 懐かしのメロディー
関東春雨傘  美空ひばり


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160505225152986.mp3

関東一円 雨降るときは
さして行こうよ 蛇の目傘
どうせこっちは ぶん流し
エー エー…
エー 抜けるもんなら 抜いてみな
斬れるもんなら 斬ってみな
さあ さあ さあさあさあさあ
あとにゃ引かない 女伊達(だて)

花が散ります 桜の花が
太く短い 命なら
派手に行こうよ この啖呵(たんか)
エー エー…
エー 抜けるもんなら 抜いてみな
斬れるもんなら 斬ってみな
さあ さあ さあさあさあさあ
こわいものなし 女伊達

女だてらに朱鞘(しゅざや)を差して
罪でござんす ご時世が
やくざ渡世の 身の辛さ
エー エー…
エー 抜けるもんなら 抜いてみな
斬れるもんなら 斬ってみな
さあ さあ さあさあさあさあ
恋も知らない 女伊達
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一本刀土俵入り 三橋美智也

2017-11-25 06:52:37 | 懐かしのメロディー
一本刀土俵入り/三橋美智也


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160506012756658.mp3

1 角力(すもう)名乗りをやくざに代えて
  今じゃ抱寝(だきね)の一本刀
  利根の川風まともに吹けば
  人の情けを
  人の情けを思い出す

2 忘れられよか 十年前を
  胸にきざんだあのあねさんを
  惚れたはれたと言うてはすまぬ
  義理が負目(おいめ)の
  義理が負目の旅合羽(たびがっぱ)

3 見せてあげたい男の夢も
  いつか崩れた一本刀
  悪い奴なら抑えて投げて
  行くがおいらの
  行くがおいらの土俵入り




長谷川伸の同名の戯曲に基づいた歌で、昭和32年(1957)のヒット曲。

この戯曲は、歌舞伎や新派、新国劇として幾度となく上演され、さらに何度も映画化されていて、粗筋は次のとおり。

相撲取りの駒形茂兵衛は、才能がないと親方から見放されて帰郷する途中、水戸街道取手(とりで)の宿にやってきます。
一文無しで、飢えて途方に暮れている茂兵衛を、宿屋の2階で見ていた酌婦お蔦は、事情を聞いて、櫛(くし)、簪(かんざし)、巾着(きんちゃく)を与え、もう一度江戸に戻って修業するよう励まします。

10年後、望みを果たせず、やくざになっていた茂兵衛は、取手に戻り、お蔦を探しますが、なかなか見つかりません。
お蔦は、船印彫(だしぼり)師・辰三郎と夫婦になり、娘お君をもうけていました。辰三郎は、土地のやくざ・波一里儀十(なみいちりぎじゅう)一家と悶着を起こしていました。
偶然のことからお蔦に出会った茂兵衛は、襲ってきた儀十一家のやくざたちを叩きのめし、3人を逃がします。その際、茂兵衛が言った名文句が、次の言葉です。

「お行きなさんせ。仲よく丈夫でおくらしなさんせ。ああ、お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵衛の、これが、10年前に櫛、簪、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の土俵入りでござんす」



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倍賞千恵子 旅の夜風

2017-11-25 05:46:52 | 懐かしのメロディー
倍賞千恵子= 旅の夜風= ver2


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150518171926b50.mp3

1 花も嵐も踏み越えて
  行くが男の生きる途(みち)
  泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
  月の比叡(ひえい)を独(ひと)り行く

2 優しかの君ただ独り
  発(た)たせまつりし旅の空
  可愛い子供は女の生命(いのち)
  なぜに淋しい子守唄

3 加茂の河原に秋長(た)けて
  肌に夜風が沁みわたる
  男柳がなに泣くものか
  風に揺れるは影ばかり

4 愛の山河(やまかわ)雲幾重(くもいくえ)
  心ごころを隔てても
  待てば来る来る愛染かつら
  やがて芽をふく春が来る



『旅の夜風』、昭和13年(1938)に公開された松竹映画『愛染かつら』の主題歌です。

この映画は爆発的な人気を集め、主題歌のこの曲も、120万枚という驚異的なレコード売り上げを記録しました。

当時、日本にあったプレーヤー(蓄音機といいましたが)の台数を考えると、今日の2000万枚ほどのメガヒットにも相当するかもしれません。

『愛染かつら』は、川口松太郎が雑誌『婦人倶楽部』に連載した小説を映画化したもので、美貌の看護婦・高石かつ枝と若い医師・津村浩三の恋を描いたメロドラマの傑作です。

映画と主題歌の大ヒットを解くカギの1ですが、もしかすると、「愛染かつら」という名前かも知れません。

長野県別所温泉の奥に北向観音という古刹があり、その境内に、愛染明王堂と並んでカツラの巨木が立っています。

川口松太郎は、別所温泉に逗留していたとき、この木を見て「愛染かつら」という言葉を思いつき、恋物語の想を得たとされています。

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並木の雨

2017-11-17 06:51:30 | 懐かしのメロディー
ALFRED HAUSE - Namiki no Ame 並木の雨


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160505041417fc2.mp3

1 並木の路に 雨が降る
  どこの人やら 傘さして
  帰る姿の なつかしや

2 並木の路は 遠い路
  いつか別れた あの人の
  帰り来る日は いつであろ

3 並木の路に 雨が降る
  どこか似ている 人故に
  後ろ姿の なつかしや



昭和9年(1934)7月に、コロムビアからレコード発売されました。
歌ったミス・コロムビアの本名は松原操。

戦前、クラシックを教える音楽学校はどこも、歌謡曲という「低俗な音楽」をレコーディングしたり、舞台で歌ったりする学生は、退学処分などのペナルティを科せられるのが普通でした。
たとえば、東洋音楽学校(現・東京音大)出身の淡谷のり子は、歌謡曲を歌ったのが卒業後だったにもかかわらず、母校の名誉を汚したとして卒業生名簿から削られてしまいました(のちに復籍)。

こうしたことを考慮して、コロムビアレコードは、東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)を卒業したばかりの松原操を、ミス・コロムビアという覆面歌手としてデビューさせました。

覆面歌手というのは、正体をいっさい公表しないだけでなく、レコードジャケットや宣伝写真に載せる顔写真も目隠しして売り出すといった作戦です。
これは、やはり東京音楽学校の卒業生だった小林千代子(『涙の渡り鳥』などのヒット曲がある)を、日本ビクターが金色仮面という覆面歌手として売り出し、ミステリアスな魅力で人気を得ていたのに倣ったもの。

作戦は図にあたり、ミス・コロムビアは以後、『十九の春』『並木の雨』『旅の夜風』『一杯のコーヒーから』『目ン無い千鳥』などのヒット曲を連発します。

昭和15年(1940)、カタカナの芸名を禁止する内務省の指令により、本名の松原操で歌うようになります。太平洋戦争中は多くの軍国歌謡を歌いました。

戦後も人気は衰えませんでしたが、夫の霧島昇を支え、家事に専念するため、昭和23年(1948)の『三百六十五夜』を最後に芸能界を引退しました。

作曲の池田不二男は、原野為二、金子史郎ほか、複数のペンネームを使っています。『並木の雨』のほか、『花言葉の歌』『片瀬波』などの佳作を発表し、将来を期待されましたが、38歳で亡くなりました。

「並木の路」というと、かつてみごとな柳並木のあった銀座通りが浮かんできます。ティールームかどこかから、別れた恋人に似た人を通行人のなかに見かける、といったイメージです。

失った人の面影を人混みのなかに見つけるというのは、よくある話です。しかし、ただの知り合いもしくは友人の1人にすぎないのに、その人によく似た人を街中で頻繁に見かける、ということはありませんか。
もしあったら、自分の心の中を一度よく探ってみたらどうでしょう。もしかしたら、それまで気がつかなかったその人への特別な感情を発見するかもしれません。

なお、mp3では美空ひばりさんの歌で聴けます。

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雨降る街角 ちあきなおみ

2017-11-01 01:29:01 | 懐かしのメロディー
雨降る街角/ちあきなおみ


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160505040217f36.mp3

1 辛いだろうが やぼな事言うでない
  これきり逢えぬ 二人じゃないさ
  せめて震える 肩を引きよせ
  揺れて歩けば 雨が降る
  ああ 別れ街角

2 あれもこれも ひとときの夢ならば
  今さら俺が 泣けたりするか
  洩れる吐息に うるむ青い灯
  なぜか今宵も 雨が降る
  ああ 馴れた街角

3 想い出して ただ一人待っていな
  忘れずきっと 迎えにゃ来るぜ
  未練きれずに 濡れてたたずむ
  影に嘆きの 雨が降る
  ああ さらば街角




昭和28年(1953)12月にレコードが発売されました。春日八郎はこの前年に『赤いランプの終列車』、翌年に『お富さん』と立て続けに大ヒットを飛ばしています。

作曲した吉田矢健治は大正12年(1923)、山口県岩国市生まれ。明治大学マンドリン部を経て作曲家になるという、古賀政男の跡を追うかのような道をたどっています。

春日八郎とのコンビでは、ほかに『ごめんよかんべんナ』『別れの燈台』『足摺岬』などのヒット曲があり、そのほか三橋美智也の唄で『お花ちゃん』『夕焼けとんび』、バーブ佐竹の唄で『女心の唄』というヒット曲があります。


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雨に咲く花

2017-10-31 00:18:01 | 懐かしのメロディー
来生たかお - 雨に咲く花(2005)


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160508014910f23.mp3

1 およばぬことと 諦めました
  だけど恋しい あの人よ
  儘になるなら 今一度
  ひと目だけでも 逢いたいの

2 別れた人を 思えばかなし
  呼んでみたとて 遠い空
  雨に打たれて 咲いている
  花がわたしの 恋かしら

       (間奏)

3 はかない夢に すぎないけれど
  忘れられない あの人よ
  窓に涙の セレナーデ
  ひとり泣くのよ むせぶのよ





昭和10年(1935)10月に公開された新興キネマ作品『突破無電』の主題歌。レコードは同年12月に発売されました。

昭和35年(1960)、井上ひろしの歌でリバイバル発売され、新規発売時を上回る大ヒットとなりました。



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旅姿三人男 藤圭子

2017-10-31 00:10:12 | 懐かしのメロディー
藤圭子♥旅姿三人男


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201605070338138f4.mp3

清水港の 名物は
お茶の香りと 男伊達
見たか聞いたか あの啖呵
粋な小政の 粋な小政の旅姿

富士の高嶺の 白雪が
解けて流れる 真清水で
男磨いた 勇み肌
なんで大政 なんで大政国を売る

腕と度胸じゃ 負けないが
人情からめば ついほろり
見えぬ片眼に 出る涙
森の石松 森の石松よい男



昭和14年(1939)にテイチクから発売。
幕末から明治にかけて、"海道一の大親分"と謳われた清水の次郎長の子分のなかでも、とりわけ人気のあった3人をテーマとした股旅演歌。

ジャズ・ブルースなど洋楽系を得意としたディック・ミネの歯切れのよい、小粋な歌唱が大ヒットにつながりました。

清水の次郎長の元の名前は高木長五郎。子どものなかった母方の叔父・山本次郎八の養子になったため、山本長五郎が本名になりました。「次郎八のところの長五郎」から次郎長と呼ばれるようになったといわれています。

子どものころ、マスターはいろいろ覚えるのがおもしろくて、真田十勇士、水滸伝の108人の統領たち、清水二十八人衆の名前などを暗記したりしたものですが、年を経た今ではもう主だったキャラクターの名前しか出てきません。(笑)


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春日八郎 赤いランプの終列車

2017-10-30 04:08:21 | 懐かしのメロディー
春日八郎 - 赤いランプの終列車


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150519050626e2f.mp3

1 白い夜霧の灯りに濡れて
  別れ切ないプラットホーム
  ベルが鳴る ベルが鳴る
  さらばと告げて手を振る君は
  赤いランプの終列車

2 涙かくして 微笑み合(お)うて
  窓に残した心の温(ぬく)み
  あの人は あの人は
  いつまた逢える旅路の人か
  赤いランプの終列車

3 遠い汽笛に うすれる影に
  一人たたずむプラットホーム
  さようなら さようなら
  瞼の奥に哀しく消える
  赤いランプの終列車



春日八郎さんは大正13年(1924)、福島県会津に生まれ、敗戦後間もないころ、歌手を目指して上京しました。
昭和27年(1952)のデビュー作『赤いランプの終列車』が大ヒット、以後『お富さん』『別れの一本杉』『あん時ゃどしゃ降り』『長崎の女』と立て続けに大ヒットを放ちました。

暗い照明のプラットフォームで別れを告げる。あの人が乗った列車はゆっくり走り出し、終列車を示す最後尾の赤いランプがしだいに遠ざかっていく……。このイメージは、現代ではほとんど理解されないかもしれません。

ホームは昼間のように明るく、新幹線はあっという間に視界から消えてしまうので、その場にたたずむこともなく帰宅する、というのが現実でしょう。
もう、駅での別れの情趣はなくなりましたよね。

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哀愁列車 三橋美智也

2017-10-30 03:52:51 | 懐かしのメロディー
哀愁列車/三橋美智也


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2015051905225566d.mp3

1 惚れて 惚れて
  惚れていながら行く俺に
  旅をせかせるベルの音
  つらいホームに来は来たが
  未練心につまずいて
  落とす涙の哀愁列車

2 燃えて 燃えて
  燃えてすごした湯の宿に
  うしろ髪ひく灯(ひ)がひとつ
  今宵逢瀬(おうせ)を待ちわびる
  君の幸せ祈りつつ
  旅にのがれる哀愁列車

3 泣いて 泣いて
  泣いているのを知らぬげに
  窓は二人を遠くする
  こらえきれずに見返れば
  すがるせつない瞳(め)のような
  星がとぶとぶ哀愁列車



昭和32年(1957)リリース。

三橋美智也は、ビジネスなんぞに色気を出さず、歌一筋にやっていたら、美空ひばりに匹敵する国民的歌手になったはずと、いつだったか立川談志さんがいっておりましたが・・・。

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青い山脈 小柳ルミ子

2017-10-29 01:39:38 | 懐かしのメロディー
青い山脈 小柳ルミ子


http://blog-imgs-84.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160410034216741.mp3

1 若くあかるい歌声に
  雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
  青い山脈 雪割桜(ゆきわりざくら)
  空のはて 今日もわれらの夢を呼ぶ

2 古い上衣(うわぎ)よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら
  青い山脈 バラ色雲へ
  あこがれの 旅の乙女に鳥も啼く

3 雨にぬれてる焼けあとの
  名も無い花もふり仰ぐ
  青い山脈 かがやく嶺の
  なつかしさ 見れば涙がまたにじむ

4 父も夢見た 母も見た
  旅路のはての その涯の
  青い山脈 みどりの谷へ
  旅をゆく 若いわれらに鐘が鳴る



敗戦後、大衆文化の世界では、軍国主義の重苦しい桎梏(しっこく)から解き放たれた喜びを謳歌する作品が次々と生まれました。

歌謡曲でそうした風潮を代表したのが『りんごの歌』と『青い山脈』。

『青い山脈』は、昭和24(1949)年、同名の映画の主題歌として作られましたが、映画の完成が遅れたため、藤山一郎と奈良光枝のデュエットで一足先に発売され、爆発的にヒットしました。

このB面にあったのが『恋のアマリリス』です。あまり知られませんでしたが、この時代に青春を過ごした人びとの一部でカルト的な人気を博しています。

映画は、石坂洋次郎の朝日新聞連載小説が原作です。

古く封建的な考えの残る地方の女学校に赴任してきた新任の女教師が、生徒間の争いの仲裁をしたことから、町の封建勢力と対決せざるをえなくなり、彼女の新しい考え方に共鳴した教師や生徒たちの協力を得ながら古い考えに立ち向かっていく、というお話。



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越後獅子の唄

2017-10-29 01:22:31 | 懐かしのメロディー
越後獅子の唄 田川寿美


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150519051156ea5.mp3

1 笛にうかれて 逆立ちすれば
  山が見えます ふるさとの
  わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
  ながれながれの 越後獅子

2 今日も今日とて 親方さんに
  芸がまずいと 叱られて
  撥(ばち)でぶたれて 空見上げれば
  泣いているよな 昼の月

3 打つや太鼓の 音さえ悲し
  雁が啼く啼く 城下町
  暮れて恋しい 宿屋の灯(あかり)
  遠く眺めて ひと踊り

4 ところ変われど 変わらぬものは
  人の情けの 袖時雨(そでしぐれ)
  ぬれて涙で おさらばさらば
  花に消えゆく 旅の獅子



この曲は昭和26年(1951)公開の松竹映画『とんぼ返り道中』の主題歌です。

この映画は、監督:斎藤寅次郎、脚本:八住利雄で、越後獅子の少年を美空ひばりが演じました。
共演は、高田浩吉、宮城千賀子、川田晴久、堺駿二など。

越後獅子の少年が、幼い頃に殺された親から形見に、金山のありかを記した地図を託されたことから、さまざまな冒険が始まるという物語。

越後獅子は、越後国西蒲原郡月潟地方から出た獅子舞。子どもが小さい獅子頭をかぶり、身をそらせ、逆立ちで歩くなどの芸をしながら、銭を乞い歩きました。蒲原獅子、角兵衛獅子ともいいます。
実際、江戸時代には、貧しい家の子やみなし子などが買われて、親方に虐待されながら芸をしたという例も多かったようです。

ちなみに、4番の袖時雨は、着物の袖に涙がこぼれることです。


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国境の町

2017-10-28 04:57:04 | 懐かしのメロディー
国境の町


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2016021516294314c.mp3

1 橇(そり)の鈴さえ 寂しく響く
  雪の曠野(こうや)よ 町の灯よ
  一つ山越しゃ 他国の星が
  凍りつくよな 国境(くにざかい)

2 故郷はなれて はるばる千里
  なんで想いが 届こうぞ
  遠きあの空 つくづく眺め
  男泣きする 宵もある

3 明日(あす)に望みが ないではないが
  頼み少ない ただ一人
  赤い夕日も 身につまされて
  泣くが無理かよ 渡り鳥

4 行方知らない さすらい暮し
  空も灰色 また吹雪
  想いばかりが ただただ燃えて
  君と逢うのは いつの日ぞ





四方を海に囲まれているうえ、長い間鎖国してきた日本では、一般国民が「国境」を意識することはほとんどありません。
日本人が国境を体感するようになったのは、明治政府が大陸に向かって侵略的進出を開始してからです。

この歌は昭和9年(1934)のリリース。
この年、室戸台風が阪神を直撃し、全国で死者・行方不明者3036人、全壊・半壊・流失家屋8万2000戸あまりという大被害を出しました。
また、東北地方が大凶作に見舞われ、窮乏による自殺・行き倒れ・娘の身売りが続出しました。

この歌の背景には、そうした社会状況があったのかも知れません。


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純情二重奏 舟木一夫

2017-10-28 04:25:10 | 懐かしのメロディー
純情二重奏_舟木一夫


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2016021711292519f.mp3

1 (女)
  森の青葉の 蔭に来て
  なぜに淋しく あふるる涙
  想い切なく 母の名呼べば
  小鳥こたえぬ 亡き母こいし

2 (男)
  君もわたしも みなし子の
  ふたり寄り添い 竜胆(りんどう)摘めど
  誰に捧げん 花束花輪
  谺(こだま)こたえよ 亡き母こいし

3 (女)
  母の形見の 鏡掛け
  色もなつかし 友禅模様
  抱けばほほえむ 花嫁すがた
  むかし乙女の 亡き母こいし

4 (男女)
  春は燕(つばくろ) 秋は雁(かり)
  旅路はてなき みなし子二人
  合わす調べに 野の花揺れて
  雲も泣け泣け 亡き母こいし



松竹の歌謡映画『純情二重奏』の主題歌。
声楽家への夢を抱く栄子を高峰三枝子、ライバルの八千代を木暮実千代が演じました。監督は佐々木康で、ほかに松原操、伊藤久男、淡谷のり子、松平晃、二葉あき子、霧島昇など、昭和の歌謡界を代表する歌手が数多く出演しました。

全歌詞、快調そのものですが、わけても4番の「春はつばくろ、秋は雁/旅路はてなき、みなし子二人……」は、みごとというほかありません。
限定された音数でこれだけ流麗でドラマ性を感じさせる歌詞を書ける西條八十氏のような人は、もう現れそうにありません。

3番の「鏡掛け……友禅模様」でイメージが浮かぶ人はどのくらいいるでしょうか。
私が幼児のころ、上の鏡掛けとは模様も色も違いますが、母の鏡台には友禅の鏡掛けが掛かっていました。
しかし、小学校2,3年のころにはなくなっていました。
鏡台とセットになった母の嫁入り道具の1つだったのでしょうね。

マスターはときどき、少女時代から青春時代の母はどんなふうだったろうと想像してみることがあります。(笑)


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