ボーイズ・ビィ・アンビシャス(北海道)

2022-04-04 16:42:25 | Jポップス
ボーイズ・ビィ・アンビシャス(北海道)



ボーイズ ビー アンビシャス
ボーイズ ビー アンビシャス
君等の胸に 抱け大志を
賭けろ人生 戦いぬこう
男なんだ 男なんだ
忘れるな

ボーイズ ビー アンビシャス
ボーイズ ビー アンビシャス
君等の若さ それが宝だ
賭けろ人生 戦いぬこう
涙なんか 涙なんか
流さない

ボーイズ ビー アンビシャス
ボーイズ ビー アンビシャス
君等の腕で 世界を支え
賭けろ人生 戦いぬこう
生きるものに 生きるものに
幸福を



北海道のガイドに必ずと言って良いほど登場するウィリアム・クラーク博士。

なぜかとっても人気がありますよね、そしてほとんど誰もが知っている「少年よ大志を抱け!」というお言葉。

札幌ドームを見下ろす羊ヶ丘展望台に立つクラーク博士の銅像は観光客につとに知られ、豊平区というちょっと不便な場所にあるにもかかわらず、大勢の人が訪れて一緒にポーズをとって写真に収まっています。

このあまりに有名な銅像のせいでしょうか、ほとんどの人は、この見晴らしの良い羊ヶ丘の展望台でかの有名な言葉を語ったと思っているようです。

しかし、実は、全然ちがうのです

マサチューセッツ農科大学の学長だったウイリアム・スミス・クラーク博士は、西洋文明を猛烈な勢いで取り入れようとしていた明治政府の招聘に応じ、1876年5月15日アマーストの自宅を出発しました。

彼を日本政府に紹介したのは幕末明治に掛け留学生として米国で学んでいたあの新島襄。

彼はアマースト大学で教鞭を執っていた頃のクラーク博士の生徒となり、帰国後に日本政府に博士を推薦します。

クラークは大陸を二週間掛けて汽車で横断し、建国100年に湧くアメリカを後にして西海岸から長い航海に出ます。

そしておよそ1月後の6月29日、横浜に到着しました。

数日後にアメリカ本国は、7月4日の記念すべき独立100周年を迎えます。

その輝かしい時をどのような気持ちで迎えたかは分かりませんが、博士は東京でいくらかの手続きに時間を費やした後、札幌に新設される札幌農学校(後の北海道大学)の教頭となるべく海路「北の大地」を目指しました。

クラーク博士は、アメリカ建国から100年が過ぎようとしていた地元の教会が、次第に物質主義に傾く姿に失望していたといいます。

さらに、アメリカそのものにも憤りを感じていたようです。

フロンティアが消失しつつあったアメリカもまた、ヨーロッパ諸国に遅ればせながら植民地を獲得しようとアジアに食指を伸ばしていました。

高い宗教的理想に燃えた博士は、日本の若者たちにその理念を伝えたいという熱情に駆られたのでしょう。

アメリカを後にした50才の博士は地球を半周して日本へ、そしてさらに北の果ての札幌まではるばると旅をしてやってきました。

後の北海道大学、新設札幌農学校で博士を待ち受けていたのは野人のような学生たちでした。

激しい内戦である戊辰戦争が終わってまだ数年、集められた士族の師弟を中心とした学生たちは荒くれのようだったと言います。

この好奇心に満ちた若者たちに博士は何を教えるでしょう。

多くの規範を押しつける代わりに一言、「紳士たれ」というのが博士の言葉でした。

明治の若者たちは、次第にこのアメリカ人に心酔してゆきます。

クラーク博士は1876年9月から教壇に立ち翌4月までのわずかな期間多くの科目を担当し、そして聖書片手に生徒たちへキリスト教精神を説いてゆきました。

教えたものの中には、必ずしも専門分野とは言えない学科も含まれていたようです。

博士は当初、マサチューセッツ農科大学の学長を辞して札幌農学校に赴くつもりだったようですが、慰留されて「1年間の休暇扱い」という形を取ることになったため、9ヶ月という短かい在任期間になりました。




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