花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

「イラン」の旅(5)

2015年10月19日 | 海外旅行「中近東Ⅰ」イラン
≪「テヘラン」市内観光≫(1)

昼食後、市内観光をした。観光客用のバスが走っていた。日本人は見かけなかったが、ヨーロッパ各国から来た観光客が大勢いた。



①世界遺産「ゴレスタン宮殿」
「ガージャール朝」が「テヘラン」を首都にしたのは1795年。この宮殿は1828年に建てられた煌びやかな宮殿で、伝統的なペルシャ建築と西洋建築が統合していた。ペルシャ式前庭には噴水が出る長方形の池が造られていたが、この時は水は無かった。
玉座がある中央の建物の内部には無数の鏡が貼り付けてあって、光を反射して眩いばかりだった。
長く続いた王制は、オイルマネーによる繁栄と専制政治が引き金になった「イスラーム革命」によって1979年に終結した。

       

 

       

②「イラン民俗学博物館」
「ゴレスタン宮殿」に隣接するこの博物館では、昔の人々の生活や民族ごとの服装などが展示されていた。(フラッシュ無しなら撮影できたが、ガラスケースに入っている場合は一部反射している)


(伝統的な暮らし方)

 
(臼で小麦をひく姑)              (赤ちゃんを守する若い嫁)


(多民族国家なので、民族毎に服装に特徴がある)

③「イラン国立考古学博物館」
ここには紀元前6000年から19世紀までの歴史的に重要な発掘物や美術品が展示してあった。4日目に行った「ペルセポリス遺跡」から発掘された貴重な文物も集められていた。古代メソピタミア文明の遺物に興味が湧いた。

 
(ドーム型天井の博物館入り口)         (ネアンデルタール人が最初に死者を渓谷に葬った)

(横向きに葬られている)

(土器の焼き方)

  
(紀元前13世紀~7世紀のエラム王国の遺跡から発見された牛の像。楔形文字が刻まれている)
(右図は紀元前550年~330年 「ペルセポリス」の様子を想像した図)

(謁見の間にあった「謁見図」の一部分。王は一段高く座り、大きく表現されている)
 
(「ペルセポリス」の「百柱の間」にあった「対になった牡牛の柱頭」)(足が揃っていないのは、生きていた人)


(1993年に塩抗で発見された3世紀のミイラ「ソルトマン」。塩漬け状態だったので、状態が良い)
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2 コメント

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興味深いですね~。 (ガチャピン)
2015-10-20 23:35:27
こんばんは。
イランの旅行記、大変興味深く楽しく拝見しております。
博物館に立ち寄られたのですね。
私は民族衣装に興味がありますので、民族学博物館の写真には惹かれますね~。
女性の目のお化粧のお話も興味深いです。
イランの踊りは民族舞踊のサークルでもなかったし、
ほとんど詳しいことを知らない国なので
今後も楽しみにしています(*^^*)
ガチャピンさんへ (ソナタ)
2015-10-21 08:05:04
お早うございます。
早速コメントを頂き、有難うございました。

日本にはイランの情報がほとんど入ってこないので、まさに神秘の国になっていますね。

イランは地理的に幾つもの国と接しているので、多民族国家なんです。民族が違えば、言葉、生活習慣が全く異なるそうです。
女性は顔または目だけしか出さないので、そのポイントで自己表現するようになった様ですね。 

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