花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

「ポルトガル旅行」(10)

2014年01月29日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅠ」ポルトガル・英国
昨日まで2日間は最高気温が0度前後と暖かかったが、今は-9度だ。晴天なので、気温は最高ー5度まで上がるらしい。

≪天正遣欧少年使節団が滞在した古都、世界遺産「エヴォラ」≫

ポルトガルの5日目は、朝、首都「リスボン」のホテルを出て130km西に走り、「テージョ川」の「彼方」の意味だという「アレンテージョ」州の中心都市「エヴォラ」に行った。この州の面積は、現在のポルトガルの国土面積の1/3を占める程広い。
途中、目の前に広々とした耕地が開け、次第に「コルク樫」の木が目立ち始めた。「コルク樫」の皮を10年ごとに剥いて作るコルクは、ポルトガルの名産品の一つで、軽い上に断熱性、通気性があり、世界中に輸出されている。写真の木の幹も、良く見ると上の方で細くなっている部分があるが、剥いたのだろう。
傍にオレンジの木もあった。

 

「エヴォラ」の町も城壁で囲まれていて、城壁内には2~3世紀に造られたローマ時代の神殿や12~13世紀に建てられた教会がある。
ルネッサンス期には「エヴォラ大学」もあり、学問、文化の中心地だったようだ。
かって日本からはるばるヨーロッパに行った「天正遣欧少年使節団」の4人が、1584年9月に8日間滞在している。
この町からは、国境を越えてスペインに行くバスも1日2便出ているらしい。

高台にそのローマ時代の「ディアナ神殿」が残っていた。規模は小さいが、当時、ここを支配していたローマが、月の女神「ディアナ」を祀るために建てたものである。ローマやギリシャ、シチリア島などに比較すると、こんな小さな建物が1700年以上の長期に渡って保存されて来たことに驚いた。やはり神殿への信仰を集めたのだろう。
地区の高台から見下ろした町は、静かで落ち着いた様子に思われた。

  

「ディアナ神殿」の周りに「ロイオス教会」「美術館」「カテドラル」が並んで建っていたが、自由時間が限られていたので、あと5分で閉まるという「カテドラル」に入場料1.5ユーロ払って入り、急いで見学した。時間があるなら「カテドラル」の展望台にも登りたかったが残念。

この「カテドラル」は、12~13世紀に建てられた聖堂で、外観からは要塞の様に堅固な造りに見えた。
入り口を入ると左上部にパイプオルガンがあったが、暗過ぎてはっきりと見えない。これが430年前に「天正遣欧少年使節団」が来て、初めて目にし、音色を聴いたというパイプオルガンらしい。
私は、彼らと時代を超えて同じ場所に来たことに、少なからず感銘を覚えた。

  

  

「カテドラル」を出ると、途中にみやげ物店が並んでいて、外に飾られた陶器の絵柄が華やかだった。1つの店で「コルクの絵葉書」と「コルクのワイン栓」を見つけて買った。絵葉書は鍋敷きとして使えるし、ワイン栓は飲む時にどっと出ないので安心して注げる。また他の大きな醤油瓶などにも使えそうに思ったからだった。
バスの駐車場まで15分程歩いて戻り、また「リスボン」のホテルに帰った。

  

最後に「天正遣欧少年使節団」について、改めてネットで調べた事を書いておきたい。
それによると、1582~1590年、九州のキリシタン大名(大友宗麟、大村純忠、有馬晴信)の名大として13~14歳の少年4人がローマに派遣された。
派遣目的は、日本宣教の精神的経済的な援助を要請すること、西欧のキリスト教世界を見聞し、帰国後の布教に役立てることだった。
しかし、彼らの旅行中の1587年、豊臣秀吉が「バテレン追放令」を出したため、大名達の目論見は頓挫する。
使節団はグーテンベルグ印刷機を持ち帰った。それを使った活版印刷が日本で初めて行われている。






コメント (3)
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