花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

私の住まい史(8)

2008年02月19日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 そんな恐ろしい夢を見てから、私は日曜日毎に札幌での家探しを開始した。
 先ず市営住宅に入れて貰えないかと電話で問い合わせたが、条件が合わないと断られた。そこそこの収入に対して、家族数が少なかったためらしい。
 日本では、収入が低い人は色々と社会から保護され、収入がかなり多い人は自力で住み心地良い暮らしができる。ところが私のような中間層には誰も振り向いてもくれず、放って置かれるのだ。そんな矛盾を感じた。

 色々見たが、建て売り住宅は表面の内装仕上げは綺麗だが、建築途中の家を見に行くと柱は細く、断熱材の入れ方も今一つ不十分に思われた。中には目立たない場所で手抜きをしているらしい家もあった。当時、欠陥住宅が話題になっていた事もあり、価格の安い建て売り住宅は信用できなかった。

 その頃、次第に沢山建てられるようになったマンションも20棟位見て歩いたが、価格によって品質に大きな差があった。壁が薄かったり、間取りが画一的で生活するのにどうだろうかと思った物件も多かった。
 土地も探して見た。私が考える様な場所や方位、面積の土地はなかなか見つけられなかった。

 探し始めて1年後、やっと適当なマンションが見つかり、手を打つ事に決めた。正直な所、その時持っていたお金では、土地を買って家を建てるには少し不足していた。
 そこは建ててから2年半の中古の3DKだったが、JR駅にも徒歩2~3分という立地場所は娘の通学に安心だった。(娘はその家からJRで高校、大学へと通った)
 しかも札幌市の広い公園に隣接し、自然環境に恵まれ、建物自体も壁や床が厚くしっかりしていて、隣人の音は聞こえなかった。
 しかし、バブル期に建った高品質のマンションだったので、価格は郊外の一戸建ての家を買う位高かった。しかし私はローンを組むことは止め、貯金をかき集めてやっと支払い、引っ越しをした。
 (実は、金利が高かった時に預けた郵便局の定額貯金は絶対解約したくなかったので、足りない分を夫から借りた。2年後に当時の定期預金の利息を付けて夫には返済した。この事情は夫には未だに伏せてある)
 引っ越しの荷物がざっと片づいた二日後に前の借家に行ったら、その家は潰されて平地になっていたので驚いた。
 
 このマンションは暖かかった。真冬でも寝る時にストーブを消してタオルケットと薄い毛布を1枚ずつ掛けて寝るだけで良かったし、朝起きた時の室内温度は17~18度に保たれていたので、朝は全くストーブを焚かずに身支度をして出勤できた。
 都市ガスによる暖房方式は初めての経験だったが、ゴーゴーというガスが燃える音は好きになれなかった。
 また、余りにも機密性が高いので、各室の換気口は年中開放していたし、入浴後や調理の際は換気扇を回し、冬でも洗濯物はなるべく外で干すようにしたが、それでも窓は結露した。
 調理で鍋に味醂を入れたのに、うっかり換気扇を回さなかったら、途端に警報機が作動し、管理センターから管理人が飛んできて恐縮することも何度かあった。

 この家から私は、退職するまで二つの職場に自家用車で通勤した。
 

コメント
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