大日本赤誠会愛知県本部ブログ版”一撃必中”

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安重根 伊藤博文暗殺 ロシア語で「韓国万歳!」 3発命中、

2008年10月24日 19時19分48秒 | どうでもよい朝鮮半島
1909年10月26日早朝、ハルビン。満30歳の安重根(アン・ジュングン)は席を立った。現在のハルビン駅北側の森林街34号にあった金成白(キム・ソンベク)の自宅でのことだ。カトリック信者だった安重根は「今日、わたしが2000万同胞の敵を処断することができるよう、助けてください」と神に祈った。黒い毛織りのスーツの上に半コートを羽織り、平べったい帽子をかぶった彼は、ブラウニング8連発拳銃を取り出し、ハンカチで拭いた後、右側の内ポケットに入れた。

 午前7時、安重根は馬車に乗り、ハルビン駅に到着した。ロシアの軍人たちが厳重な警戒態勢を敷いていたが、安重根は伊藤博文の到着を待つ日本人たちに紛れ込み、駅構内に入ることができた。そして駅構内のプラットホームがよく見える喫茶店に入り、しばし一服した。前韓国統監の伊藤はこの日、ロシアの大蔵大臣ココフチェフと会談するため、ハルビンへ向かっていた。伊藤が乗った列車が到着するまでの2時間はとても長く感じられた。

 午前9時、緑色の特別列車がハルビン駅へゆっくりと入ってきた。ホームで待っていた日本人たちが日章旗を振り、「ようこそ!」と叫んだ。ロシア軍の儀仗隊が捧げ銃の敬礼を行い、荘厳な軍楽が流れた。ココフチェフが列車に乗り込み、伊藤を出迎えた。30分後、伊藤が列車から降りてきた。各国の外交官らとあいさつを交わした伊藤は、整列したロシア軍の儀仗隊を閲兵した。

 やがて伊藤が列車の方に戻ろうとしたとき、安重根は喫茶店を飛び出し、ホームへ向かった。ロシア軍の儀仗隊の後ろにぴったり張り付いた安重根の前に伊藤が近付いてきた。伊藤が安重根の目の前を2‐3歩歩いたとき、その間隔は10歩ほどだった。次の瞬間、安重根は拳銃を取り出し、伊藤を狙撃した。7発の銃声が鳴り響いた。うち3発が伊藤に命中し、残りの4発のうち3発は伊藤に随行していた秘書官、ハルビン駐在の日本総領事、南満州鉄道の役員に当たった。銃を放り出した安重根は、大きな声で3回こう叫んだ。

「コレア、ウラー(ロシア語で“韓国万歳”の意)!」

 安重根はすぐさま、ロシアの憲兵に取り押さえられた。伊藤は現場で応急処置を受けたが、内臓からの出血がひどく、30分後に息を引き取った。11時40分、特別列車は伊藤の遺体を乗せハルビン駅を離れた。駅構内の派出所で取り調べを受けた安重根は、夜9時ごろに体を鎖で縛られ、現在の花園街97号にあった日本総領事館へ移送され、地下の独房に収監された。安重根が旅順監獄に移送されたのは6日後の11月1日のことだった。

@今月26日が安重根の伊藤博文暗殺から99年目にあたるそうだ。


2 コメント

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画像お借りしました (流れの面)
2009-04-24 10:29:40
この記事の画像お借りしました。
安重根といふのはどうも韓国民の健全な歴史認識の醸成の為には癌になつてゐるやうですね。
なほ不都合の旨お申し出あらば削除致します。
流れの面さん、 (@sekisei)
2009-04-24 12:08:01
こんにちは!
どうぞどうぞ、お使いください。
早速拝見させて頂きましたが、中々鋭い切り込みですね。
ご健闘を祈っています。