大日本赤誠会愛知県本部ブログ版”一撃必中”

当ブログは金銭目的ではなく、飽くまでも個人的な主義主張(思想や言論の自由)を表現する場として開設しています。悪しからず!

結局、日中いざこざの最大懸案は尖閣じゃないか!

2021年08月11日 20時19分02秒 | 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊
@昭和53年5月11日、小会尖閣領有決死隊が戦後初めて民間人として魚釣島に上陸を果たしたが、その時海保も一緒に上陸した訳で、そのまま治安維持名目で居座り続ければ良かったじゃないか。

シナに媚びる腰抜け海保職員が上陸を妨害し、上陸後、偉そうに小会会長に事情聴取する。



昭和53年5月11日 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊
(1978年)       魚釣島強行上陸          . 
隊長 小会会長笠原正敏 若干25歳 左から2番目

準備はできている、いつでもかかってこいよ!

日本、尖閣対処の専門輸送部隊を新設へ

2021年05月03日 16時00分57秒 | 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊

尖閣魚釣島

於:魚釣島 戦後初めて尖閣に上陸し、大日章旗を掲げた大日本赤誠会会員と笠原正敏会長(左から二人目)
昭和44年国連アジア極東経済委員会が報告書で尖閣諸島周辺に石油埋蔵の可能性を指摘すると、昭和45年北京政府は急遽尖閣の領有権を主張しだした。
昭和53年4月、日中平和友好条約締結に向けた交渉が行われている中、突然、100隻の武装中国漁船が尖閣諸島に接近し、領海侵犯、領海内不法操業を行うという事件が発生した。これに対し、我が国政府と海上保安庁はただ傍観するのみであった。
因って、小会は、昭和53年(1978年)5月11日尖閣諸島領有決死隊を結成し当局の不当な弾圧をはねのけ上陸を敢行した。この一次二次にわたる決死の行動がきっかけとなって現在も尖閣は竹島のようにシナに不当に占拠されずにいる。こうした決死の行動がなければ尖閣諸島はすでに覇権シナによって占有実効支配されていたに違いないのだ。

日本防衛省・自衛隊が、尖閣諸島など南西諸島に対する中国軍の侵攻に対応して専門輸送部隊を2024年に新設すると報じた。
防衛省と自衛隊は、中国が最近尖閣諸島周辺の日本領海を随時侵入するなど軍事的な脅威を強めているのに対抗し、有事に出動する兵力に燃料や装備品、弾薬、食料などを緊急に運ぶ輸送部隊を創設することにした。
陸海空自衛隊が合同で編成する海上輸送部隊は、積載能力2000トンの中型輸送船1隻、積載能力1000トン未満の小型輸送艦艇3隻を配備し、空輸しにくい重火器や重装備も輸送する予定だ。
中小型輸送艦は南西諸島への接近が容易で、尖閣諸島など離島の奪還作戦に向かう部隊に物資を支援する。新設される離島専門輸送部隊は沖縄基地に駐留することになる。

@バカだなー 尖閣に造れよ。
それと、多少カネはかかるが、福島の処理水、地元の漁師が風評被害でカネをよこせと言うならその金で、処理水は大型タンカーで尖閣に運んで放出すればいい。シナ海警が邪魔したら放水銃で処理水を浴びせてやれ!!

戦後初の日本国民による尖閣諸島魚釣島上陸 昭和53年5月11日 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊

2009年01月06日 14時43分17秒 | 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊
昭和53年5月11日 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊
(1978年)       魚釣島強行上陸          . 
隊長 笠原正敏 若干25歳


上陸前 船上にて右端が笠原正敏会長


上陸を阻止する海上保安庁
この当時からシナに媚びる我が国政府の事勿れ主義が始まった。


上陸用ゴムボートに体当たりをして上陸阻止を繰り返す海上保安庁警備隊
シナの漁船軍団には領海内で押し返されたそうだが、同胞には強気の体当たり
この締まらない構造は今も変わっていない。 目の前には魚釣島。


この後、日の丸を身体に巻きつけ海中に飛び込み泳いで魚釣島に上陸。


シナに媚びる腰抜け海保職員が上陸を妨害し、上陸後、偉そうに小会会長に事情聴取する。
戦後、初めて領有権を主張して日本国国民を代表して大日本赤誠会が魚釣島に上陸した。
(この当時の海上保安庁職員の制服は工事現場のオッちゃんスタイルだった)


左から2人目が笠原正敏会長。



この命懸けの行動が、第三次・四次の尖閣魚釣島上陸のきっかけとなって灯台建設に発展していった。



昭和44年国連アジア極東経済委員会が報告書で尖閣諸島周辺に石油埋蔵の可能性を指摘すると昭和45年北京政府は急遽尖閣の領有権を主張しだした。
昭和53年4月、日中平和友好条約締結に向けた交渉が行われている中、突然、約100隻の武装中国漁船が尖閣諸島に接近し、
領海侵犯、領海内不法操業を行うという事件が発生した。
これに対し、我が国政府と海上保安庁はただ傍観するのみであった。
よって5月11日尖閣諸島領有決死隊を結成し当局の不当な弾圧をはねのけ上陸を敢行した。
この一次二次にわたる決死の行動がきっかけとなって現在も尖閣は竹島のようにシナに不当に占拠されずにいる。
こうした行動がなければ尖閣諸島はすでに覇権シナによって占有実効支配されていたに違いない。

平成18年4月5日

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大日本赤誠会愛知県本部

昭和53年5月11日 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊 魚釣島強行上陸 Ⅲ

2007年12月13日 21時43分54秒 | 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊
笠原正敏が上陸(正面) 海上保安庁職員も続いて上陸し事情聴取。


戦後、初めて領有権を主張して日本国国民を代表して大日本赤誠会が魚釣島に強行上陸。日章旗を掲げる。

(この当時の海上保安庁職員の制服は工事現場のオッちゃんスタイルだった)


昭和53年5月11日 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊 魚釣島強行上陸 Ⅱ

2007年12月13日 21時24分05秒 | 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊
上陸用ゴムボートに体当たりをして上陸阻止を繰り返す海上保安庁警備隊。

シナの漁船軍団には領海内で押し返されたそうだが、同胞には強気の体当たり。
この締まらない構造は今も変わっていない。

この後、日の丸を身体に巻きつけ海中に飛び込み上陸を敢行した。

目の前には魚釣島。

昭和53年5月11日 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊 魚釣島強行上陸 Ⅰ

2007年12月13日 18時14分33秒 | 大日本赤誠会 尖閣諸島領有決死隊
昭和44年国連アジア極東経済委員会が報告書で尖閣諸島周辺に石油埋蔵の可能性を指摘すると昭和45年北京政府は急遽尖閣の領有権を主張しだした。

昭和53年(1978年)4月、日中平和友好条約締結に向けた交渉が行われている中、突然、約100隻の武装中国漁船が尖閣諸島に接近し、領海侵犯、領海内不法操業を行うという事件が発生した。

これに対し、我が国政府と海上保安庁はただ傍観するのみであった。
よって5月11日大日本赤誠会(隊長 笠原正敏 写真右端)は尖閣諸島領有決死隊を結成し当局の不当な弾圧をはねのけ上陸を敢行した。
この決死の行動がきっかけとなって現在も尖閣は竹島のようにシナに不当に占拠されずにいる。
こうした行動がなければ尖閣はすでに覇権シナによって占有実効支配されていたに違いない。

尚、補足するとこの上陸が戦後民間人としては始めての魚釣島上陸と記録されている。

順次写真(一切の無断転用を禁止します)アップします。