龍の声

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「平和主義で成り行かない日本②」

2017-12-20 05:55:07 | 日本

◎実戦的な演習でなかった一例

筆者の現役時代の兵站訓練の一場面を紹介して、自衛隊が置かれた状況の参考としたい。当時はソ連の北海道侵攻が懸念されており、千歳近くの後方支援の本拠地から、有事には旭川周辺に進出して前方補給点を開設して支援する計画になっていた。

ほとんどの制服自衛官は前方に進出して第一線部隊の支援に当たるため、本処から前方への補給品追送は残留した技官や事務官に依存することになる。
ところが、現実には彼らには自衛隊車両の運転が許可されていない。実戦を意識した普段の訓練になっていなかった一例である。

念のために申し添えると、これは20余年も前の話しで、既に多くは改善されていると思いたいが、必ずしもそうばかりとは言えないようである。

丹念に防衛政策に関係する資料や報道などを調べている樋口氏は、「特に問題なのは燃料や弾薬の備蓄・補給などの後方支援(兵站)体制、そして後方支援分野の自衛能力である」という。

念を入れて「平時の訓練を支えることはできても、しかし実戦を考えれば、規模の過小さや冗長性の不足は致命的である」とも書いている。

また、筆者が自衛隊幹部と接触して聞いた話や、防衛官僚で自ら防衛政策に関与してきた関肇氏が勇気を奮い立たせて著した『役に立たない自衛隊、だからこうする』(平成22年刊)には「日本の防衛に関する考え方は異常だ。自分の手を縛ることが平和だとしている」「自衛隊の現状も、防衛が可能な姿にあるとは思えない」などと述べる。

予算の制限と装備の多様化で、ホークやSSM部隊の中隊長は在任間、実弾の射撃指揮を行えない場合さえ出現している。

旧軍の指揮官は砲弾の飛翔音の大きさなどから砲種や距離・方向などを判別するまで演練したとも聞いたことに比すると、関氏の発言も現実味を帯びてくる。

先進国のほとんどの軍事予算が対GDP比2~3%前後である事実からも、教育訓練の練度維持・向上や編制装備の充足・更新などには、これくらいが相当であるという証左であろう。

樋口本でも分かるように、米軍も撤退する代わりに日本に対GNP(当時、国民総所得)比3.5~4%を求めていた。

世界最強の軍隊を目指すとしている中国との格差は広がるばかりである。これは日本の安全にとり、空白域が生じることを意味し危険である。空白域を広げないためにも、これまでの対GDP比1%前後から、2%を目標に国民的合意を得る必要があろう。

日本では国民皆兵どころか、戦後の70余年間は軍事忌避が続いていたと言っても過言ではない。

災害派遣などで、自衛隊への認知は高まり、世論調査などからは90%以上が親近感を抱いているとされる。しかし、それは災害復旧などに尽力する自衛隊への認知で、国防に対する認知ではない。

◎「平和主義」がもたらす弊害

古代ローマでは「汝、平和を欲するならば戦いに備えよ」という諺があるそうだ。日本は平和を欲してきたが、戦いに備えることは怠ってきた。

米国の大学を卒業後、日本の大学院で学び、在沖米海兵隊政務外交部次長に就任し、東日本大震災ではトモダチ作戦の立案にも携わったロバート・エルドリッヂという人がいる。

氏は日本の自衛隊は装備の面はとても優れているが、体制や人員配備などのソフト面では課題があるという。

また、実戦経験がないために、いざという時、危機管理体制や指揮体制がちゃんと機能し、素早く正しい判断ができるかは分からないと疑問を投げかけている。

実戦云々となると自衛隊は誰一人経験していないわけで、何とも返答のしようがない。イラクや南スーダンに派遣された隊員は幾分かの戦場雰囲気を感じ取ったかもしれないが、決して実戦場裏ではない。

氏はまた、日本人の愛国心のなさもつくづく感じたようだ。

大学院時代、台湾海峡危機が起き、論文の翻訳などを手伝ってくれていた日本の同僚に「日本が攻撃されて、侵略された場合、戦いますか」と聞いたところ、「いや、戦わない」と答えたそうで、「大変驚いた」という。

その日本人は左系でもない好青年であり、多くの日本人からもそれ以外の返事を聞いたことがないので、「特に若い人たちには、本当に国を守りたいという感じはあまりないのではないか」と感じ取っている。

彼らは自衛隊を尊敬もしていないし、自衛隊に入りたがってもいない。自分の国を守るということを他人や他国に任せっぱなしの国民のように感じると述べている。

家庭では祭日に国旗を掲げている所もほとんど見かけないところから、「国家に対する感謝がいかに軽薄であるかを象徴していると言わざるを得ない」とも述べ、米国の幼稚園児の方が日本の大学生や野党の政治家より愛国主義をもっていますという。
◎おわりに

石原慎太郎氏は『新・堕落論』で、戦後の平和は軍事を抜きにした「いびつな平和」であり、また米国の軍事力で平和が保たれたことから「あてがい扶持の平和」とも見ている。

これでは「時代の危機と格闘する思想こそ、真に思想とよぶに値する」(今村仁司)から見る限り、「平和主義」は思想とは呼べないようだ。

800人前後の日本人が北朝鮮に拉致されている可能性があるが、奪還のめどは立たない。

また日本が戦争に巻き込まれることがあるとするならば、それは多分に戦後エンジョイしてきた平和(平和ボケ? )に原因があると言えよう。戦争抑止としての軍事力の造成を怠ってきたからである。

中国は鄧小平が掲げていた「韜光養晦」(力がないときはその養成に尽力する)通りの動きを胡錦濤時代までは見せてきた。

しかし習近平時代になって、「中華民族の偉大な復興」を実現するために、「世界最強の軍隊」を造り、中国夢の実現に向かうことを高々と宣言した。

その意味するところは、尖閣諸島は言うに及ばず、沖縄までも中国の辺疆(中国流の国境)に組み込まれる危険性があるということである。日本は「平和主義」などと言ってはおれない状況に嵌められつつあるということではないだろうか。

<了>










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