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「首長霊信仰によって日本統一をなし遂げた大和朝廷」

2014-07-21 09:05:20 | 日本

武光誠さんの「首長霊信仰によって日本統一をなし遂げた大和朝廷」の論文が素晴らしい。
以下、要約し記す。



日本の古代史については、意外に皆知っているようで知らないのではないかと思う。学校の教科書にも明確な記述がないので、日本という国の誕生について、われわれ素人には、曖昧で不明瞭な部分が多い。

そこでまず、日本の成立というのは日本人の成立とも深く関わるわけだが、今のような日本人のもとができたのは、弥生時代の終わりである。

その前に縄文時代というのがあったわけだが、縄文人というのは、もともと北の方から日本列島に渡ってきた人たちで、狩猟、漁(ぎょ)ろうを中心に生活していた。そこへ、紀元前2世紀以降、水稲耕作という新たな文化を持った、いわゆる弥生人たちが、朝鮮半島から大量にやってきた。そして、縄文人と交流・混血しながら、弥生文化をつくりあげていったわけである。その弥生文化が日本国内で互いに交流して、ひとつまとまったものになったのが、3世紀の半ば頃である。

そしてその時期に、奈良盆地に今の天皇家の先祖にあたる大和朝廷が生まれて、数多くの小国や部族をとりまとめ、日本統一をなし遂げた。大和朝廷が国家統一を成し得た最大の要因は「首長霊信仰」といえると思う。すなわち、一つの信仰のもとにすべての日本人をまとめ、国家をつくりあげたのである。有力豪族の祖先を「首長霊」として祭り、その霊が、自身の子孫だけでなく、庶民も守ってくれるとする発想である。

そして大和朝廷は、「天皇霊(すめらみことのみたま)と呼ばれる大王(おおきみ)の首長霊を最も尊いものとし、これを頂点として、豪族達の首長霊の序列をつくった。つまり、天照大神(あまてらすおおみかみ)がいちばん偉い神だとし、天皇の祖先神を中心に神々の序列をつくったわけである。

そしてそれを上から一方的に強制するのではなくて、確かに序列はあるけれども、民にとっては、各氏族、各地方の神様がいちばん大切だ、というように、それぞれの自立性を残しながらまとめていった。誰もが、自分たちの神様の系列をたどっていくと天照大神につながっていくわけだから、国民の間に自然に一体感が生まれてくるというわけである。
一つの村が一つの神様を祭り、その信者同士がお互いに助け合ってまとまっている。その村々も、同じ神様を信仰するもの同士、助け合いにつながっているわけである。そういう日本の神社信仰はごく最近まで残っていた。今でも人間のつながりとか、人間の和というのは、われわれ日本人の中に根強くある。
また、日本人は単一民族で価値観が割合一定していてまとまりやすいという要因もあった。そのうえ、ずっとその後、一つの国家が分裂しないで続いているのも大変珍しいと思う。
ほんとうにこれは特殊なケースである。他民族から征服されることなく、村の首長がそのまま大きくなった形で国が統一されたというのは、外国にはない珍しい例である。そのうえ日本というのは、現代でも行政指導が意外に強い。それも、政治家が独裁的に決めるのではなくて、いろんな企業の意向を、なんとなく役人が調整する。あまり表立った議論をしなくても、いつの間にかみんなが望むような政策が取れるシステムになっている。そのへんが、古代の日本の政治そのものである。

また、日本人は外交が下手だ、とよくいわれるが「マアマア外交」などといわれながらも、日本をここまで大国に押し上げてきた、という点で、日本の政治力はやはり優れているといえる。

ところで、縄文人と弥生人の基本的な違いはどういうところだろう?
大きな特徴をいえば、縄文人は「円の発想」、弥生人は「区分の発想」を持っていた、という点である。

「円の発想」というのはアニミズム(精霊崇拝)から生じたもので、人間も生き物も、風、雨、太陽、月、星等の自然現象もすべて精霊を持った平等な存在とみるものである。人間は何とでも互いに友達になるという発想で、むやみに木を切ったり、動物を殺したりしない。狩りで捕えた獲物にしても粗末にはしないで手厚く祭るし、人間も動物も、死ねば同じところに葬ったわけである。自然の恵みのままに、自然を壊さないで、自然の一部として生活していこうという考え方である。
集落も、円形の広場を中心にして、周囲には竪穴住居がめぐらされ、その周りにゴミ捨て場(貝塚)があるというもので、その三者が同心円を形成している。
それに対して弥生人は、人間は自然の一部ではない、有益な動植物を増やし、有害な生き物を排除する権利を持っている、そして、人間には能力差があるから、それに見合った身分が必要だ、という発想を持っていた。これが「区分の発想」である。逆にいえば、そういう発想があったからこそ、土地を拓き、そこにいた動植物を追い出して水田を作ることができたのだということになる。その点縄文人が、農耕を知っても、森林や草原を壊さない範囲で耕作をして、決して自然の生態系には手を触れようとしなかったのとは対照的である。

また、人々の信仰も、精霊信仰に代わって、弥生人の間では人間中心の祖霊信仰がもてはやされるようになった。祖霊が、太陽の神、水の神、山の神などになって、自然物を支配し人々を支えるという発想である。そして、祖霊のお告げを聞く巫女(シャーマン)が集落の人々の農作業や祭祀を指揮する指導者になっていった。
弥生時代の集落には、多くの溝がみられる。まず、外界と集落とを分ける幅の広い深い溝、さらに個々の住居や水田も他者の進入を拒否する溝で囲まれている。同じ集落の中に、広い住居、狭い住居があり、時には、水はけが良く、眺望の美しい位置を独占している住居もみられる。これらは、その時代の人々が決して平等な暮らしをしていたのではなかったことを表すものである。

また、弥生時代の集落には広場と貝塚がない。これはつまり、共同のスペースを持たず、各家々が穀物を保管していたことになる。死者は住居から離れた墓地に葬られ、動物や魚介類の残滓や壊れた道具は、単なる不要物とされた。
農耕は、狩りとは違い、土掘り、土運び、種まきなど、大勢の人間が歯車の一部みたいになって共同作業しなければならない。根気もいるし、誰か強い指導者がいて号令をかけていないと、みんな働かなくなってしまう。

ところで、戦後日本の急成長の中で、企業は、競争に勝とう、シェアを拡大しよう、と必死になっていた。しかし、最近はそのへんはトーンダウンして、地域の住民との融和とかコミュニケーション、あるいは地球や自然と仲良くしようといったエコロジーの問題に取り組むところが増えてきている。企業PRもそういうことを積極的に打ち出す傾向が強い。まるで縄文時代に戻っているような感じである。
経済中心の弥生時代的な価値観できたけれど、それが行き詰まってしまった今、ひょっとしたら弥生時代以来、大事なものを忘れていたのではないか、と考えるようになり、自然の中の人間というものを見つめ直す“ゆとり”が生まれてきたのではないのか。
この2~3年の自然保護の動きを見ると、日本人は捨てたものではないな、日本人の良心は信用できるな、と思う。「割箸はひょっとして木の無駄遣いではないか」「フロンガスをなくそう」「埋立てになるプラスチックボトルはなるべくなくそう」という声が起こると、徐々にみんなに受け入れられて市民運動などに広がっていく。
日本人には、平均的に誰でもわかっていくというすばらしさがある。それは日本人の良さである。それと、日本人は勉強好きだし、雑誌や新聞もよく読む。新聞記事にさりげなく自然保護のことが出た途端に、それがいつの間にか市民の声となっていく。











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