龍の声

龍の声は、天の声

「大馬鹿になれ」

2018-02-18 07:02:30 | 日本

馬鹿の上にもう一つ“大”の字をつけるといいね。大馬鹿になればよいのだよ。大馬鹿になるということは、現在意識も潜在意識も捨ててしまうということだ。つまり人間智を捨てることが、神の無限智を汲むことなのだね。
小賢しい人間の知恵で対処するのではなく、我を捨てて何もつかまない、青空のように広い神の智慧と一つになって生きなさい、という意味である。

私たちの感じている現実世界とは、実は人類全体の集合意識が顕わしたところの架空の世界かもしれないのだ。
 
この世界は「思う通りになる世界」であり、この世は物質で出来ており、思う通りにならないと思っていれば、その通りの世界が現出してくるのである。
「思う通りになる世界」が今、ここに忽念として現出してくるはずである。

環境と自分とを対立するものと錯覚し、その環境の中に小さな自分があるという一般的な考え方がある。それに対して「神の子」の悟りに基づいた見方は全く逆に考える。環境は「神の子」が創造した生命顕現するための場であり、むしろ環境は私たちの中にあり、私たちはそれを如何様にも変えていく力を持っているのである。
これを仏教では「三界唯心蔵」とも呼び、、森羅万象全ては仏の心に浮かんだ観念であるとも云っている。
 
錯覚というものは、内にあるものを外にある様に見るところの顛倒(さかさま)の想いであります。これを「顛倒夢想」と『般若心経』には書いてあります。顛倒とはさかさまの意味である。無い物がある様に見え、ある物が無い様に見えることを謂う。夢想と云うのは夢中の想い。夢という奴も何もないものをあるように見ている。物質はないのに、ある様に見ている。肉体は無いのにあるように見ている。吾々は宇宙という容れ物の中に、自分がいるんだとこう見ているのだけれども、実は宇宙は自分の心の中にある。すべてが自分の心の世界なのである。宇宙旅行と云うのも、自分の心で描いた世界に、自分の心で描いたところの、心で設計したロケットに乗って旅行する。それをお釈迦様は 「三界唯心蔵」と言った。三界即ち現象界は、唯、心のうちに蔵(しま)われている。心の中に蔵されている。

宇宙が自分の心に中にあるとすれば・・宇宙を地球を周囲の人を変えることを求めるのではなく、まず自身の心を変えることに目を転じるべきである。自分の心のチャンネルが変われば神の無限供給の世界が展開してくる。

自分の意識を変えるためには、頭で考えていては限界がある。
何でもいいから、体を使って動いてごらんなさい。人生の壁を壊すきっかけは、日常にいくらでも転がっている。

人間の“我”の心で造った道であるから途中で行き詰まることになるのである。人間の智慧才覚で、“これが善であると固く把んでいる”ような道は本当の道ではないのである。それは大道ではないのである。では、大道に載るには如何にすべきであろうか。そのためには“人間智”を棄てなければならないのである。“人間智”が無くなったところに、神の智慧があらわれるのである。自我を放棄し、自我を超えたとき、あたかも積乱雲の上にまで飛行機が飛翔すれば、常住の蒼空の輝きが見えるように神の智慧が輝きはじめるのである。
 
自我を放棄し、自我を超越し、迷いの積乱雲上に超出する道は如何にすべきであろうか。
祈るがよいのである。自我の観念を棄て去り、ひたすら神と一体ならんことを期し、神想観し、「われ今、わが好悪を棄て、私心を去り、“我”の判断を棄て、心を空しうして神の導きたまう叡智と一体ならんことを期す。神の叡智われに流れ入り給いて、いま御意の如く導きたまうのである」と念じて、しばらく無我無心のまま神と融合する心境でいるのがよいのである。

(谷口雅春師 掲示)












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