龍の声

龍の声は、天の声

「歴代天皇&三輪族⑤」

2018-01-12 07:01:36 | 日本

「第96代 後醍醐天皇&南朝忠臣 三輪勝房・子息信房」

大神(三輪)信房(おおみわ のぶふさ) 延元3年/建武5年5月22日(1338年6月10日)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の神官・武将。大神神社の神主の大神勝房(三輪西阿)の次男。通称は神二郎(しんじろう)。大神神社(奈良県桜井市三輪)の神官。三輪高市麻呂を祖とする代々、大神神社の神主を世襲した社家の人物でありながら、南北朝の内乱の際には一族ともに南朝に属して武将として活躍した。

大神神社の神主勝房の次男信房として生まれた神官であるが、1338年の北畠顕家の上洛軍に従軍したとも考えられる。顕家は前年より奥州の霊山城から西へ進軍し、同年2月に奈良に入り、般若坂の戦いで人生初の敗戦を経験している。顕家は同じく南朝側の大神氏に援軍を要請し、信房はその前後に合流し武将として戦い、天王寺の戦いや石津の戦いにも従軍していた可能性が指摘される。同年5月22日に阿倍野で戦没したという記録に鑑みた経緯である。顕家の軍は和泉国の坂本郷・観音寺城(大阪府和泉市)を拠点にして、高師直と細川顕氏ら率いる北朝・室町幕府軍らと戦った。顕家は石津の戦いで戦死したが、なぜか信房は同日に約10km離れた阿倍野で戦死している。

信房は阿倍野で戦死、信房の子の三輪為房も南朝に属し、孫の三輪信重は吉野の後醍醐天皇に仕え、子孫は伊勢の北畠氏に属した。

父の大神勝房の曾孫である高宮保房は吉野の北山で自害、保房の子の神山冬房も南朝に属し後醍醐天皇に仕え、冬房の孫の神山徳房は伊勢南朝方の北畠氏に属し、伊勢で討死した。


◎四條畷神社と三輪勝房、信房

四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)は、大阪府四條畷市にある神社。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社である。

南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神としている。父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれるが、地元四條畷市民や近接地に住む大東市民の間で単に「楠公さん」と言えば正行や当社を指す場合が多い。1975年(昭和50年)には「楠公」という町名まで誕生し、他にも周辺に楠公と付く地名が複数誕生している。


<四條畷神社祭神>

楠木正行(主祭神)
他、楠木一族の将士24柱を配祀している。

楠木正時、楠木正家、楠木正家子息
和田賢秀、和田正朝、和田紀六左衛門、和田紀六左衛門子息、和田紀六左衛門子息、大塚惟久、畠山與三職俊、畠山六郎、野田四郎、野田四郎子息、野田四郎子、金岸(某)、金岸(某)弟、関住良円、関住良円子息、三輪西阿(勝房)、三輪子息(信房)、河邊石掬丸、譽田(某)、阿間了願、青屋刑部










最新の画像もっと見る