龍の声

龍の声は、天の声

「坐ということ」

2017-03-07 08:53:51 | 日本

背を曲げておって明るい気持ちは湧かない。背を伸ばして暗い心持ちになることは出来ない。この身に位置を与えずして心の落ち着きは得られない。この身の手足はどうあるかによって、その位置を得るか、この身の五臓はどうすることによって正しき位置にあるかを学ぶことが坐である。


徳川時代の武士の魂は、裃(かみしも)を付け正しく坐ることによって養われたと聞いている。われわれは愚痴を言うとき、どういう姿態をするものであるか。また、われわれが瞋恚(しんい)を起こし、あわてふためいているとき、どういう呼吸をしているものであるか。坐を学ぶものには自然、それらのことがわかるようである。


こうと決めた方に行けるものではないところに人生があるのではなかろうか。人生は勝人決まってもいなければ、敗けるとも決まってもおらぬ。行くようにしか行かぬ。落ち着くところに落ちつくしか落ち着かぬ。勝っても坐る。敗けても坐る。落ち着いても坐る。落ち着かなくても坐る。そこに坐ることのみに意味がある。


仏像は半眼半閉である。半眼の眼は客観であり、半閉の眼は内観である。外だけを見て内を見ないのが多くの人間の生活である。いくら良書を見ても、内を観なかったら、その真意を見失ってしまう。


◎岡田虎二郎先生とは

岡田虎二郎(1872〜1920)は、明治5年に旧田原藩士岡田宣方の次男として愛知県田原市田原町に生まれた。1920年、四十九歳の若さで突然逝去し、田原蔵王墓地に葬られた。病名は急性尿毒症であり、1日3時間睡眠という過労がその原因と見られた。虎二郎は、書いたものは誤って読まれることがあると言って、著書も出さず、日記も残さなかった。一時は静坐の道も姿を消すかと思われたが、門弟たちは黙々と坐り続け、今日もその命脈は途切れず、根をひろげ続けている。


◎岡田先生の御言葉
 
・「道はおのれにあり、静かに坐ればその道はおのずからに開ける。」
・「病気その他一切の苦痛の多い人ほど、神の恵みの大きい人である。悲しむどころか、大い
   にお祝いせなければならぬ。」
・「道元禅師は、坐禅は習禅にあらず、安楽の法門なりと教えたが、後の人は多く坐禅の苦行
   をしている。形は同じようでも、心の中、一分の相違が、天地の差を作る。」
・「静坐では一々説明したり教えたりすることはいらない。ただ皆が変わるのを待てば良い。そ
    れで新たに来る人がどんどん変わっていく。」
・「自己から始まるのは一である。科学から始まるのは二である。静坐はゼロである。一も二も含
   む。」
・「古の聖人の教は一番やさしいことである。ゼロであって決してむずかしくない。」
・「一年二年三年静坐して、心身が全く生まれかわりたるごとく他人も思い、己も思うのは実は
   人格発達の道程においては僅かに発芽当時の双葉のみ。矗々たる杉檜は数十年の日月を
   要する。」
・「思案するより黙って坐れ、坐っておれば思案した以上の智慧が内から湧いて出る。」
・「無念無想になろうとするな、ただ油断なき事腹の力を抜かぬこと。」
   ・「静坐は「我」をすてる事である。」
   ・「心外に名聞利達を求めてはならぬ。」
   ・「自分はあらゆる艱難にことごとく出会うて、これを敵とせず、恩師として迎えていったから、
    どんな不幸な人に会っても同情する余地がない。」


◎静坐とは、

どなたにでもできる。
どんな場所でもできる。
いすに坐ってもできる。
たとえば満員電車の中で立ったままでもできる。
部屋の中では座布団一枚で自分の宇宙を創ることができる。
これが静坐の世界である。
心の落ちつくのは丹田呼吸である。


◎静坐の仕方

無念無想や精神集中ということを考えず、あるがままに行う。小船が静かな水面に漂うような気持ちで心身を静かにして坐する。静坐する日々が重なるにつれて 体内に一種の微動ないし動揺を感じてくることがあるが、動揺の種類、程度は人によりさまざまであるが、自然にまかせておけばよい。
◎姿勢
1.土踏まずのところで両足をX字型に深く組み、正座する。
2. 膝は接触させず、少し開いて坐る。握りこぶし二つ位。女性は一つ。
3. 腰を立て、背筋をまっすぐにする。
4. 尻をなるたけ後方に突き出し、鳩尾(みずおち)を落とし胸と肩の力をゆるめる。
5. 両手は軽く握り合わせて腹につけ、掌を下にして膝の上に置く。握り方は一方の手でもう一方の手の四本の指を軽く握り、親指と親指を交差させる形にする。
6. 顔はまっすぐにして正面を向き、口、および両眼は力まず軽く閉じ顎を引く。


◎呼吸

呼吸の調子を整えるのが大切で、軽く整調に心掛ければおのずから整調になる。数も深さも自然に適度なところに落ち着く。
1.鳩尾(みずおち)の力を抜き、静かに息を吐きながら下腹部(丹田)に力を入れる。吐く息はゆるく長くし、全部吐き切るのではなく2分くらい残す。
2. こんどはお腹の力をゆるめ、鼻から入ってくる息を吸う。意識的に吸うのではなく自然にまかせる。吸う息は短くてよい。熟達すれば呼吸は平静になり、人にわ
からないほどになります。


◎時間

静坐は朝夕、三十分前後。ちょうど三十分くらいが、身も心も落ち着いてくる時間である。
熟練者は朝夕に限らず、何時、何処でも時間を無駄にせず、静坐すること。


◎注意

・息を吸うとき胸部が収縮して腹部が膨張し、息を吐くときは腹部を極端に収縮して胸部を圧迫してはならない。
・下腹部に力を入れるために全身を堅くして力んではならない。
・重症患者、出血者、出血時、有熱者、その他安静平臥を要する者は行ってはならない。