京都の叔母を迎えに、長門二見駅へ。私がこの駅を利用したのは3歳から18歳の15年くらい。昔は貫禄のある木造駅舎で、駅員さんも駐在。もちろん、長門二見から国鉄線の硬券(昔の硬い切符)もありました。無人駅化は1989(平成元)年10月1日から。
大正14(1925)年開業時から使われた木造駅舎は平成11(1999)年に取り壊し。
これもあとから増築した、夫婦岩ふれあいステーション。駅寝もできそうな施設ですが、JRは駅舎の中で泊まることは禁じられているので、夜間は施錠されます。
平成元年に比べると、本数がかなり減らされてしまいました。日本一秘境駅の小幌駅(1日3本(東室蘭方面)&5本(長万部方面)に比べると12本はまだマシなほうですかね・・・。
子どもの頃は、幅の広い階段だったということは記憶しているのに、今見ると狭くなったような感じ。子どもの目で見ると、小さいものが大きく映っていたかも知れません。ウニも然り。子どもの目からもみるとサッカーボールのような大きさでした。
15年間も昇り降りしていた階段。(うち3年は亡き祖母と通学)
本当に懐かしい風景。マルス端末の電報略号は「ヒロフタ」。今だったら、JR北海道のマルスでも「ナガト」を入力しただけでも「長門」の付く駅名候補一覧が自動的に出ますが、昔の駅名の穴に緑色のピンで差し込む端末は不可。穴にあらかじめ登録された駅名がないときは、「ヒロフタ」を入力。
しばらく待っていたら、子どもの頃みた風景と全く同じ國鐵(首都圏)色に戻したキハ47がやってきました!!
キハ47 11は見慣れない番号です。子どもの頃乗ったキハ40、47の番号をすべて脳裏に記録。番号を見ただけで、子どもの頃からあったものと、途中で転属されたものの見分けができるほど。当時の若番は、キハ47 22。調べてみたら、数年前に豊岡地区の山陰本線から転属されたものでした。
叔母下車!!相変わらずお元気な姿に安心しました。来年は傘寿だけど、京都から新幹線で乗り継いでここまで来れるのはすごいだと思います。キハの話はまだまだあります。本当に懐かしいと思うなら、汽車に乗ればいいのに今回は残念ながらレンタカー。