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会津若松で快速郡山行きに乗り換え

2019-11-20 00:00:00 | 2019冬_信越東北エリアの未乗区間消化の旅
 郡山を起点に日本海に向かう路線は西側なので、磐越西線。太平洋に向かうのは東側なので、磐越東線。今回の旅は未乗区間の新津から喜多方まで乗車。磐越東線の距離は85.6キロ、磐越西線は175.6キロもあります。そのうち、電化区間は郡山から喜多方まで。新津からのディーゼルカーが会津若松まで直通。

 快速でもないのに、会津豊川駅、姥堂駅通過。塩川駅に停車。

 塩川駅はすべての列車は停まるが、会津豊川、姥堂、笈川(おいかわ)、堂島は1日5本のみ。この駅を出ると、2駅を通過して終点、会津若松。

 あっという間に終点。新津から同じ車両で111キロ。およそ2時間半。幼い頃過ごしていた山陰本線と同じ汽車なので、長時間乗っても苦になりませんでした。

 ここはスイッチバック駅なので、いったんここに着いて、反対方向に向かいます。

 比較的新しいE721系。100~300番台までは直流、400~600番台までは交流、直流どちらでも対応、700番台以降は交流のみ。

 「会津若松市」の手話表現は、切腹と全く同じです。江戸時代から明治に変わる頃の戊辰戦争中、会津藩の処遇を巡って新政府を推し進める長州藩と戦った。会津では14~17歳の少年兵士で編成する白虎隊はとても有名です。守るべき天守閣(会津若松城)が燃えているように見間違えてしまい、「今こそ殉ずべきときである。諸君、覚悟したまえ」と次々と自決した悲しい歴史があります。明治維新が行われ、1868年から江戸を「東京」に改め、天皇陛下の居住する御所を京都から東京に移し、明治元年となりました。明治以降はひとりの天皇陛下に1つの元号と決められ、現代に至っています。

 111キロも乗り続けたキハ47に別れを告げ、快速で郡山へ・・・。
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