日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

コスタンティーノ・ドラッツィオ講演会「カラヴァッジョの秘密(Caravaggio Segreto)」に行ってきました(2017.10.30)@イタリア文化会館

2017年11月12日 | イタリアの美術館・博物館
コスタンティーノ・ドラッツィオ講演会「カラヴァッジョの秘密(Caravaggio Segreto)」に行ってきました(2017.10.30)@イタリア文化会館


昨年3月に「カラヴァッジョ展」を見に行ってからひさびさのカラヴァッジョの講演会ですが この日は 新しく発見された資料を踏まえて最新にアップデートされてこの 月に出版された本「カラヴァッジョの秘密(Caravaggio Segreto)」の著者自らの講演会で 通訳はこの本を翻訳された方とあって 丁寧に補足して説明してくださり さらには内容も新説の発表とあって 聴いていて身体がふわっと宙に浮いてしまいそうな興奮!! この本もサイン入りでたくさんの方が買い求めていました!!

   *     *     *

昨年邦訳が出版された『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 天才の挫折と輝き』(2016, 河出書房新社)と同じ<秘密>シリーズ第一作で、イタリアでベストセラーとなった『カラヴァッジョの秘密
17世紀以降の西洋絵画に絶大な影響を与えたカラヴァッジョ その常軌を逸した人格と 成功への執着が生み出した彼の傑作は 今なお永遠に生きる
―カラヴァッジョの革新的な光と闇の手法と 理想化することなく聖と俗を見つめた視点は バロックという新時代の美術を開花させる原動力となった
波乱に満ちた短い生涯を生き生きと物語った最新・最良の決定版! 本書は“秘密シリーズ”の第一弾で、イタリアで大きな成功を収めた(本の紹介より)

本書邦訳の出版を機に来日する著者ドラッツィオが 謎多き天才画家カラヴァッジョの魅力の秘密について熱く語ってくださいました

講演者は原稿も持たず スクリーンの絵をひとつひとつ とても迫力のある聞きやすいイタリア語で説明してくださり とてもよくわかりました♡ 

1571年に彼がミラノで洗礼(battesimo)を受けた書類も この本には収録されています そのため 近郊のカラヴァッジョ村出身ではなくミラノ出身とのこと 

1600年は カラヴァッジョ(1571-1610年)が 生まれ故郷のミラノからローマ にやってきて4年めでした これは知られているようにミラノに来たのは1592年ではなく 2013年以降に 1596年だと判明したそうです (詳しくは著書を) そのため1592-95年は「空白の4年間」として 書類なども残されておらず謎が残るとのこと 

この1600年大聖年(Giubileo)であり ファルネーゼ家はカラヴァッジョに 2人の画家がなしえなかったサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂の室内装飾を依頼した これはおそらく彼のパトロン デル・モンテ枢機卿の力添えによるもの
このときに描かれたのが『聖マタイの殉教 (Martyrdom of Saint Matthew)』と『聖マタイの召命』で たちまちのうちに大評判となりました 

しかしカラヴァッジョの絵は ジョルジョーネやティツィアーノ(ヴェネツィア派)の真似だと後に揶揄されたエピソードを 二つの絵を対比した上で語ってくださいました 

トカゲに噛まれた少年」(1593-4) これは 注文主もないままに自主的に描いた一作 画家としての道をつくるため(per farsi strada) パンテオンの周囲で開催される新人画家たちの展示会で披露したそうで 実は 感情表現の練習のために ザリガニに噛まれて泣く子どもの絵の模写が当時は広く行われており カラヴァッジョはそれを一歩進めて 「たった今トカゲに噛まれたばかりの」少年(実はモデルはミンニーティ)の 様々な感情の絡まった表情を まるで写真のように瞬間を切り取った「即時性」を際立たせて描いたのです

次は「トランプ詐欺師」(1598年頃)  3人を描いた絵で右端の男は詐欺師で ベルトの背中側にはさまった偽カードを出そうとしている臨場感が描かれています これはカラヴァッジョの転機となる作品であり 庶民の日常生活を描いている風俗画のひとつ 

しかし彼は絵画よりも 刀剣不法所持等の乱行の数々でローマにおいて有名であり 難しい人物とされていたのです

そんな彼に 初めての公共の場での絵画の仕事が来ます それは前述の1600年 サン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂の室内装飾であり ここで「聖マタイの殉教」「聖マタイの召命」「聖マタイと天使」のマタイ三部作が フレスコ画ではなくカンバス画で描かれました フレスコ画はやり直しがきかないためだとのこと

ここで初めて彼は 注文主に合わせて 報酬のために明るい光を(ローマ風)描かずに 本来の影(scuro)を描く これがキアロスクーロよりもに強い明暗法 テネブリズムです

また1951年の調査により この「聖マタイの殉教」の絵の下には すでに完成された他の絵があったことがわかりました これは このフランチェージ教会は一般人は入れず 右の壁に描かれた「聖マタイの殉教」を見ることになると気付いたためとのこと 

そしていよいよ「聖マタイの召命」 これは右端のキリストがマタイを示して呼ぶシーンですが 誰が聖マタイかは何十年もの論争がありました (イタリアでは真ん中の髭の男 ドイツでは左端の青年がマタイではないかとの論争がある) 著者はこう証明したのです: 右上から入る光に照らされた 左から三番目の(真ん中の)髭の男の「手の甲」は 光を受けずに暗い それは左端の若者ではなく 自分自身を指示しているのではないか? 若者を差しているのであれば光があたっているはずとのこと そういわれてみれば...
また ひげを蓄えていることが他の絵とも共通しており (文盲の市民のために分かりやすく描く必要があった) また帽子にコインがついているのは当時の徴税人の制服で...つまり 聖マタイはいったい誰なのか... これを聞いた時は私も椅子からふわりと身体が宙に浮くような高揚感を覚えました 過去に証明されたものが くつがえされた瞬間に居合わせたような...!!
彼はそしてこの仕事で得たお金でローマにアパートを借りることができ モデルを雇い キアロスクーロの技法で描いた ひとつの絵には そのアパートの灯り取りの小さな窓が描かれている 実際に彼は窓から差す光を描いたのだ


彼は見えるものを描いた いや 見えるものしか描かなかった そのためモデルを用いた 金のない時代は金を払わずにすむ友人等を あるいは娼婦を 時にはテヴェレ川に上がった水死体となった娼婦を 眠っている姿として「死んだあとも」描いたという...


1606年に彼は殺人事件を起こし ローマからナポリに逃げる そしてマルタ島へ マルタ騎士団を除名されて次はシチリアのシラクサ そして再びナポリへ さらには恩赦を求めてローマへと向かう途中に ポルト・エルコレで熱病で客死...39才の若さでした

この逃亡資金を得るために 大きな絵を急いで描く必要ができ バックを黒で下塗りして描いた 「節約技法(pittura risparmio)」が生み出されました 粗悪な材料のため損傷が激しいとのこと

最後の作品「聖ウルスラの殉教」(1610年6月) 亡くなる1か月前に描かれたという この絵の右上には自画像が描かれています 彼は自画像をその絵の中に描くことがありました 様々な意味を込めて...

こうして彼は その絵の技術を 人生のそれぞれの転換期において その人生と重ね合わせながら その都度改革してきたのです...  

彼の真筆とされるものは現在45点 またそうではないかと考えられる作品も同じくらいの数があるといいます しかし将来の研究により また新たな発見があるかもしれないと 残っている書類が少なく それだけに講演者自身も 空白の4年間を含めて 限られた中での作業だったとのこと 実際に 2013年以降に見つかった資料をもとに最新にアップデートされたカラヴァッジョの本なのですね 

著者自身は宗教画「ホロフェルネスの首を斬るユディト」(1598-99)が好きとのこと 大男を手にかける(斬首する)ユディトの意志と 寝ている間に首を斬られるホロフェルネスの驚きと苦しみの感情表現の比較が気に入っているそうです

最新の資料を元に書かれたこの「カラヴァッジョの秘密」を 皆さんサインをいただきながら手にしていかれました 

あなたは どのカラヴァッジョの絵がお好きですか?

本は こちら


開催のお知らせは こちら
素晴らしい講演会を開催してくださいましたイタリア文化会館様に心よりお礼申し上げます


美術館・ギャラリーランキング

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする