蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

生き方、上手、下手

2021-06-10 | 人生
生き方に上手、下手があるのだろうか。
どんなに偉人で、社会的に大成功をおさめた人でも、この世からの散り際が下手で、自分もさることながら、周りの手を煩わせることもある。

今は、高齢者施設に放り込めば、はい、終了!と、肩の荷が降りるのか?
成功者は現役中にうんと稼ぎ、お金はたっぷりあるから心配ないのだろうけれど。
その一方で、自宅で最期を迎えたいという希望を叶えてくれる家族や身内もいる。

男性目線と女性目線は違うように思う。
いくら大成功を収めた人でも、私生活はどうなのか?
日常の生活、家事をはじめ、自分のこともできないような人と暮らして楽しいか?
大成功に対して群がってくる人々に囲まれて送る余生は楽しいか?
家事や面倒なあらゆることを代行してもらい、さらに贅沢で優雅な生活をお金で買う、、、
自分がしたいことだけを自分でする、、、と、究極はお一人様が最善かも知れない。
若く美しい賢明な人を配偶者、あるいは付き人にして最期を看取ってもらう?
これは、理想的で憧れの生き方上手なのか?

世間に認められる成功と私生活は一致しているのか?

家庭の外と中では別人だという人がいる。
研究に没頭できる環境を整えてもらい、縁の下から、内から支えてもらう人もいる。
研究が日の目を見ない人もいる。
どんな研究をしているのか全く知らないけれど、心身共に病気にならずやっていってくれたらそれでよい、という身内もいるだろう。
これは生き方上手なのか?

寝食を忘れて好きなことに没頭し、たとえ路上でのたれ死んだとしても、幸せな人生だとわたしは思うが、これは生き方下手なのか?

周りに迷惑をかけないのが生き方上手なのか?
よくよく考えると、成功を収めるという観点、側面だけで他人は古今東西の人を評価する。
なぜなら、著名人、歴史的に残る人でなければ、その後に生きた人は、過去の他人を知ることができない。
だから、名前が残っている人の中で、生き方上手、生き方下手、と判断するのだろう。
名前が残るには、大成功を収めるか
大犯罪者か、、、。
しかし、後から歴史を塗り替えられることもある。
解釈の仕方を変えたり、意図的にねつ造したり。
その点、作品はねつ造のしようがない。
盗作はあり得るが。

話が逸れている。
ほとんどの多くの一般人は名を残さない、足跡を残さない。
わたしは無名の一般人なので、自分や自分の周りの無名人が基準になる。
だから、生き方上手、下手の論点がズレる。
どう生きたか、は、その人を時空を超えて俯瞰的に評価する大事なポイントだが、無名の一般人のわたしは、どう死んだか、が、その人の生き上手か、生き下手かを決めると感じる。

自分が死に直面すると、また考えは変わっているかも知れない。