蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

引退しそうで、しない

2021-06-01 | 日々のこと
朝からスマホと格闘し、目がチカチカ。
古い方の(買い替える前の)スマホに合わせたスマホカバーは、大好きだったがボロボロに劣化したため2年前に取り替え用に買っていた。
が、前のカバーが好きすぎて、付け替えることなく、ボロのまんま今日に至る。
しかし、この度、それまでのスマホは第一線を引退することになった。
もうその古いスマホのバージョンは製造していないだろうから、今、その旧式スマホを動くうちに使っておかないと、もう使う機会はない。
それで、やっと2年前に購入していたスマホカバーをつけることにした。
スマホは引退するのに、かたや、やたら元気で華々しい朱色のスマホカバー。
現役の頃に装着していたら良かったかも。

だが、やはり、ボロボロにはなってしまったものの、前のスマホカバーが好き。
テイスト、色合い、仕様、全てが大好きだ。
これって、わたしの生き方にも似ているかも知れない。
現役を退いてまで、現役時代のものに愛着を示す。執着する。
ボロボロなのではあるが、何しろ気に入っている。
新しいスマホに前と全く同じスマホカバーを新たに購入して付けようとインターネットで探したが、旧式バージョンしか売ってなかった。
がっかり。
気長に探そう。

で、今、手元にあるのは、取って付けたような還暦祝いの赤いチャンチャコを身に纏っているようなカバーに包まれた引退スマホと、かつて引退スマホが装着されていた、今はもぬけの殻になったボロボロ愛着カバー。
それと、ピカピカ産まれたて裸んぼう新スマホ。
なんか、へんな光景だ。


ちなみに、話はころっと変わる。
わたしは、ブログで毒づき、愚痴り、ハラワタ腹黒を吐き出すが、その一方で、一応、言葉を選んでいる。
なぜかというと、忌み嫌う言葉遣いがある。
イヤミたっぷりや、皮肉、大袈裟、誇張、演出はオッケーなのだが、ガラの悪い乱暴な男言葉は嫌いだ。
街やスーパーでも、そういうガラの悪い人や光景は本能的に飛び退けるようにして避ける。
もし、仮に言葉が通じない異国の人だったとしても、独特な雰囲気を放つ。
だから、言葉ではない。
わたしの感性が相容れないのだ。
苦手。

ブログにもそういう類のものをたまに見かける。
内容には共鳴するが、表現から放つ何とも言えないドス黒いものには、わたしはその場限りならどうにかなっても、一定の時間の共有はかなり困難を来たす。
文化の違いだとは思うが。
混ぜて融合することはないので、サラダボールのように、それぞれの個が独立して自立したまま混ざらないなりに混合するのだろう。

インターネット通りすがりの人が、わたしのブログに対するマイナス感想を吐き出して立ち去った。
よほど虫の居処が悪かったのか、わざわざ立ち止まり嫌な感情を吐き出さずにはいられなかったのか、あるいは、あまり深い考えはないのか。
自分は何処の誰かを明らかにせず、闇の中から不意に斬りつける。
世の中には色んな人がいる。