第六策『インドへの策謀』
インドが中国と違うのは世界最大の民主主義国家であるということである。
世界は二大勢力の対立の場にいつもなるが、インドは第三の道を進み、もうひとつの道が世界にはまだあることを示している。
インドはヒンズー教だけではない。
仏教もイスラム教もシーク教もジャイナ教もある宗教大国だ。
今やIT先進国として世界をリードするのがインドである。
人口世界一に遂に「インドがとまらない」
人口が14億人を超え、インドは2023年初期に中国を抜いて世界一の人口となった。最近では「グローバルサウス」の盟主のような立場で、さらに世界的に注目されている。
GDPでは、かつての宗主国イギリスを抜いて世界5位に躍進しましたが、今のままでいくと、2027年には日本を抜いて、さらにドイツを抜いて3位になるかも知れない。
インドの勢いは止まりません。
インドは「世界最大の民主主義国家」と自賛しますが、ロシアによるウクライナ戦争では経済制裁に従わず、ロシアの足元を見て、ロシアから天然資源を安く買い占めています。
ロシアを批判もしていません。これで民主主義国家といえるのでしょうか?
また、インドは数多くの優秀な人材を世界に輩出しています。
例えば、現在(2023年~2024年時)のイギリスの首相はインド系のリシ・スナク氏で、妻のアクシャタはインド第二のIT企業インフォシス創業者ナラヤナ・ムルティの娘で、夫婦の総資産は英国王室の財産を軽く超えるそうです。
アメリカの副大統領(当時)のカマラ・ハリス氏もインド系です。
IT業界でも、マイクロソフトCEOのサトヤ・ナデラ、グーグルのサンダー・ピチャイ、IBMのアルビンド・クリシュナ、YouTubeのCEOのニール・モハンなど。
Twitterの元・CEOもインド系で、イーロン・マスクが買収して解任された。
スターバックスのCEOや、シャネルのリーナ・ナーイルなどもインド系で枚挙にいとまがありません。人口が多ければそれだけ人材が輩出されるといえばその通りなんですが。
だが、インドには理想的な教育システムが国中にある訳でもないのに、何故、これほどの人材が輩出できるのか?
まずは、インドの国柄にその秘密があります。
何といっても強みなのは英語が話せるということ。インドは元・英国の植民地ですので、ヒンズー語とともに英語が公用語です。流暢というのではないですが英語ペラペラな訳だ。
それに、インドでは数学を一生懸命に教えていることもあります。
また、そのインドの世界での位置づけ、ですね。
インドはちょうどアメリカやイギリスの地球の裏側です。つまり時差ですね。
例えば、ビジネスでアメリカで仕事をして、帰宅時間にインドの会社にプログラムを注文する。アメリカの帰宅時間はインドの早朝ですから、後はインドで仕事をして、インドの帰宅時にアメリカの会社に送信すれば、米国の早朝で注文が届いている――――という理想的な仕事が出来る。
だから、インドには世界的なコールセンターまであるのです。
さらにいえば、インドにはカースト制度があります。
いまだに根強く階層の身分が存在します。
最下層の人たちはどこにいっても最下層―――――――
そこで、ITな訳です。
インドでなくてもIT技術者であれば、米国でインドの給料の数十倍で稼ぐこともできる。
それこそアメリカンドリームというより、インドドリームな訳です。
2000年問題というのもコンピュータであったと思うんですが、00で、2000年ではなく1900年にパソコンが誤作動するのではないか――――という。
その時も、ほとんどの対応はインド人IT技術者が対応したんですね。
困ったときはインド人、という訳だ。
ちなみにカースト制度ですが、一応、説明しますとピラミッド状態の上から「バラモン(司祭・僧侶)」、「クシャトリヤ(王族・貴族)」、「ヴァイシャ(商人・市民)」、「シュードラ(被差別民)」、「「指定カースト」(不可触賤民)」となります。
これに対し「ジャーティ」は「家柄」による職業の世襲です。
大工の子は大工、靴職人の子は靴職人……とか約三千種類あるのだとか。
ちなみに、インド人が頭にターバンを巻いている、というイメージは、あれはインド人でもシーク教徒です。インドが植民地の時代に、英国人がインド人の召使を遣うときに、ヒンズー教徒でもイスラム教徒でもなく、シーク教徒を連れて世界各地に行ったのでそういうイメージがついたのだそうです。
インドがイギリスから独立したのが1947年です。
その独立の時に、イスラム教徒が多かったパキスタンは分離し、別の国・パキスタンとして独立して、インドと紛争になりました。
戦争もやっているのです。
インド独立の父といえば、皆さんご存じマハトマ・ガンジー(1869~1948)さん抜きには語れません。
「マハトマ」とは「偉大なる魂」という意味。
ガンジーの『非暴力主義』、学校で習ったと思いますが。
インドのグジャラート州で生まれ、宗主国イギリスのロンドン大学(ちなみに伊藤博文や井上毅(こわし)や森有礼(ありのり)や夏目漱石もこの大学で学んだ)に学び、イギリス紳士として南アフリカで弁護士になった。
だが、そこで人種差別にあって、ガンジーさんはインド人としてのアイデンティティを強くして帰国。その後、インド独立のために邁進するようになる。
イギリス製品の不買運動やインド人に独立精神を説いて回る。だが、邪魔に思った英国により何度か投獄までされるのです。
釈放されたガンジーさんは武装蜂起……などではなく『非暴力主義』で、独立を目指した。
簡単に『非暴力主義』といってもそれを行動するのは大変です。銃を持った英国兵士の前に非武装で向かうのです。当然、それらのインド人は撃たれたり殴られたりして死んでいく。
それでもガンジーは『非暴力主義』を訴え続けます。
第二次世界大戦をはさんで、1947年にインドは悲願の独立を果たしましたが、翌年、1948年にガンジーさんは暴徒に銃で撃たれて暗殺されました。享年78歳。
また、インドとパキスタンの国境に、カシミール地方というのがあり、世界地図では真っ白だと思いますが、これは「どちらの領土でもない」という国境が確定していないことを示しています。
カシミアというとセーターですが、ここでのカシミア山羊の毛での製品だからカシミアと呼ばれている。
この地帯では両国との紛争で、戦争があって、死者も出ていたりします(今まで三回戦争になり、そのたびにインドが勝利している)。
インドは中国とも戦争(『中印戦争』1962年)をしましたので、インドと中国の間はほんとうに仲が悪い。
ガンジーとともに独立運動をしていたジャワハルラール・ネールは、「非同盟主義」を唱え初代インド首相になりました。
戦後すぐの日本で、当時の子供たちが「象が見たい」と思ったときにその日本の動物園に象を送ってくれたのがネールさんで、象に娘の名前「インディラ」を名付けました。
象の名前となった娘のインディラ・ガンディー(独立運動をしたガンディー(ガンジー)とは無関係)は第5代と第8代の首相となり、孫息子のラジーヴ・ガンディーは第9代首相となった。こうしたことから、ネール一族は「ネール・ガンディー王朝」と揶揄されることもあるそうなんだとか。
インドの東西にそれぞれイスラム教の地帯があり、東パキスタンと西パキスタンと呼ばれていました。が、領土は分かれていましたが一つの国として独立しました。1971年に独立戦争の末、東パキスタンが民族の違いから独立してバングラデシュという国が誕生しました。「ベンガル人の国」という意味だそうだ。
アメリカ、オーストラリア、日本、インドの四か国で「QUAD(クアッド)」を結成し、中国包囲網として戦略を示した。これは「日米豪印戦略対話」と呼ばれているもので、インド太平洋の平和のために協力していこうという多国間の取り組みである。
日米は経済でもインドを取り込みたい。
だが、日本は中国ともビジネスはやぶさかではない。
日本の貿易相手国は、確かに一位はアメリカであるが、二位は中国だ。
日本とアメリカの関係はせいぜい百七十年ほどでしかないが、日本と中国の関係は二千年。もとより年期が違う。中国は大事にしなければならないから、日本としては笑顔で握手はしないが、挨拶はする、という関係性が理想だ。
中国では経済発展での公害や環境汚染が深刻だから、先に問題を解決してきた日本人はアドバイスができる。そうやって関係を親密にしていくのだ。米国との経済摩擦(本当は経済戦争)の経験からのアドバイスも、日本は中国にできる。
アメリカは中国と仲が悪い。インドは(ダライ・ラマ14世の亡命を受け入れたことや過去の戦争でのこともあり)中国とは仲が悪い。敵の敵は味方、という戦法である。
インドはTPP(環太平洋経済連携協定)にもRCEP(地域的な包括的経済連携協定)にも加盟していないが、バイデン大統領(当時)が打ち出したIPEF(インド太平洋経済枠組み)という枠組みには加盟した。これにより、IPEFは発足し、13カ国(現在は14か国)でスタートした。
「枠組み」というと抽象的ですが、協定のような縛りがなく、関税を引き下げなくてもいいという自由な枠組みということ。
「インド太平洋」つまり、中国包囲網。そこまでしてでもインドを取り込みたいということなのです。