長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

川崎・中1殺害(上村遼太くん・13)リーダー格「キレやすく」子分従えネットで実名顔写真も!

2015年02月27日 17時34分14秒 | 日記


川崎・中1殺害:逮捕のリーダー格「切れやすく」子分従え
【リーダー格の18歳少年を殺人容疑で逮捕】
【押さえつけ集団暴行か】両膝に多数のすり傷 手の防御創はなし
【君を忘れないよ】遺体の見つかった河川敷に置かれた上村さんへのメッセージ
夜間、自宅に迎えの男ら 近隣住民目撃
夕食後に普段着で外出 母との最後の会話は…
目周辺にあざ、周囲には「殺されるかも」
現場近くの防犯カメラが4人の姿をとらえる
 ◇上村さん「優しくしてくれる」が、次第に「使い走り」

 残忍な事件に関与した疑いが強まったのは3人の少年だった。川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)の刺殺体が見つかった事件。発生から1週間となる27日朝、神奈川県警川崎署捜査本部は殺人容疑で少年らの事情聴取を始め、リーダーとされる少年(18)を逮捕した。上村さんと少年らの間に何があったのか。

 捜査本部が置かれている川崎署。逮捕された少年は午前8時45分ごろ、タクシーで署に到着した。口をマスクで覆い、白の上着姿。母親とみられる女性と弁護士が付き添い、ややうつむき加減で足早に署内に入った。26日夜の取材に対し、同弁護士は「少年は上村さんの殺害とは無関係。上村さんとは面識があった程度」と説明していた。

 「グループを抜けたいと言ったら、『調子に乗るんじゃねえ』と言われて、また殴られた」

 上村さんは先月、少年らについて、親しい同級生にこう打ち明けていた。

 上村さんは2013年7月、自然豊かな島根県・隠岐(おき)諸島の西ノ島(西ノ島町)から川崎市に引っ越して来た。そのまま地元の中学に進学したが、大好きだったバスケットボールの部活動に次第に足が向かなくなった。ゲームセンターや夜の公園でバスケをして遊んでいるうちに、少年らと知り合ったという。

 当初、上村さんは友人らに「少年らが優しくしてくれる」と話していたが、次第に「使い走り」のように扱われ、暴力を振るわれるようになった。今年1月には、左目のまわりに大きな黒いあざができている姿を目撃されていた。

 友人らが問いただすと、逮捕された少年の名前が挙がった。別の2人を含めた少年グループのリーダー格で、少年らを「子分」のように従えていた。知人の少女によれば、切れやすく、けんかっ早い性格だったという。

 上村さんは、友人の一人に対し「一緒につるんでいる先輩たちから『スーパーで万引きをしろ』と言われ、断ったら殴られた」と説明。一方で、「万引きをしないと認めてもらえない。やりたくないけど、やらないと殴り殺されるかもしれない」とも打ち明けていた。



神奈川県で中学生男子・上村遼太くん(13)が河川敷で集団リンチで虐殺された事件で主犯格の18歳の芸能人

のJOY似のチンピラガキと、共犯の17歳のふたりの男(ひとりは眼鏡デブ)も逮捕された。遼太くんが”万引

き命令を断った”事が殺害の動機だという。こういうガキは大人用刑務所に入れよ!

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DVD映画『ワレサ(ヴァウェンサ)連帯の男』鑑賞。素人・元電気工の革命!ゴルビー映画化原作望む

2015年02月27日 15時21分35秒 | 日記






DVD映画『ワレサ(ヴァウェンサ)連帯の男』を観た。


JFKの様にはいかんが、素人・元電気工の革命だ。


なら、私の原作の『ゴルバチョフ×2』の映画化もハリウッドでして欲しい。


映画制作に一円も払わないが(笑)



「所詮は冷戦などペテンだった」では米国人が怒るか(笑)


エノラゲイ映画化も!臥竜




緑川鷲羽2015年始まりの年へ

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金持ち課税強化 是か非かについて「(毎日新聞クロストークの)勝間和代先生へ」フローでなくストック!

2015年02月26日 19時31分31秒 | 日記







金持ち課税強化 是か非かについて「勝間和代先生へ」


 トップ1%のお金持ちの年収は「1280万円」ということですが、これは世界規模なんですか?日本でですか?
アメリカ人の1%も?!意外と何億円とかいう億万長者ばかりじゃないんですね。わたしたちは小室哲哉が100億円以上儲けた、とかビル・ゲイツ氏の総資産7兆円とかアリババのジャック・マーが総資産数億万ドルとか、そういう景気のいい数字だけきいているから、マンガじゃないけど「もっとドリーミーな稼ぎ方してると思っていた!」と思いますよね。
でも、お金持ち増税はちょっと勤労意欲がそがれるというか。もちろんなんとか財閥の苦労知らずのバカボンやお嬢様が相続する相続税は、増税するのは当たり前(安倍晋三氏や小渕優子氏みたいな)です。
ですが、われわれが勘違いしがちですが増税はフローではなく、あくまでストックにするべきなんです。
つまり、消費税ではなく「貯蓄税」にするしかないんです。トマ・ピケティみたいな輩の「格差解消策」みたいなものは社会主義的なマルクス主義的手法で実施したら必ず失敗します。理想論ですから。
また、消費税増税で失敗して、連立与党の公明党などは「軽減税率導入」などというが駄目ですよね。
欧州では百年の歴史があるが、日本で軽減税率など導入したら官僚や政治家の利権だらけになりますよ(だから導入する訳だが(笑))。新聞の軽減税率ならわかるが、どうやって?税率のありなしを誰が決めるんですか?官僚や政治家でしょうか?まさに田中角栄的利権国家日本ですよ。大事なのは日本の個人資産1600兆円や大企業の内部留保270兆円を動かす事です。
そのために、消費税ではなく貯蓄税の導入です。わが師匠・大前研一先生の言う付加価値税みたいなものです。
フローに課税するなんて馬鹿げています。ストックに課税するしかないんです。
また、老人のセグメントへの減税で幾らでも好景気になりますよ。今の金持ち老人は、『九州夜行列車・七つ星』などでやけになって数日で120万円もの大金を「死ぬ前に何回でも乗る」などと遣う。あんなしょぼい列車のコンテンツで(墓場にまで金をもっていけないからとヤケクソになって)贅沢している。だから、こういう老人のセグメントのニーズをつかまなければ日本はおわりなんです。勝間先生ならわかりますよね?
要はフローでなくストックに課税しろ、と。老人の金持ちのセグメントが楽しくお金をつかい好景気にする戦略なんだ、と。
わかりますよね?勝間和代先生。

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DVD映画『それでも夜は明ける』鑑賞、主人公の逆境に負けない半生と完成度の高さに涙、脱帽!

2015年02月26日 15時51分05秒 | 日記








DVDで映画『それでも夜は明ける』を観た。


北部の自由な差別もない地域で育った知的階層の黒人の主人公が、


何かの間違いで南部の奴隷として奴隷扱いで自由を奪われ、


酷い仕打ちを受ける。

米国の闇の時代を只、知らせるだけでなく、


自由とは差別とは何か、を問う。


完成度の高さに只々涙涙である。臥竜



緑川鷲羽そして始まりの2015年へ

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子どもたちへの<遺言>ジブリの森の神々 宮崎駿とその時代(一部先行公開)ブログ小説2

2015年02月25日 19時35分44秒 | 日記








ディズニーの評価
前述の手塚治虫に対する批判の1年程前にディズニーに対しても批判をおこなっている。「ぼくはディズニーの作品がキライだ。入口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。ぼくには観客蔑視としか思えないのである」。その一方で、近年は賞賛の発言が見られる。スタジオジブリが協力したディズニー・アート展の特集番組では「芸の力」、「本当に驚きましたね」、「尊敬の念は消えません」など賛辞を述べている。
政治的・思想的スタンス[編集]
反戦[編集]
一貫して戦争の悲惨さ、愚かさを描き、湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明していた。また『紅の豚』も湾岸戦争に対する反感が作風に反映されているという。『風の谷のナウシカ』など複数の作品に登場する戦火にのまれる街の描写などは堀田善衛の方丈記私記をイメージしたものだという。ただし『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』などには、侵略者や圧制に対する武力抵抗を肯定するような描写もあり、そのスタンスは単純な非暴力・反戦というわけでもない。
最新作の「風立ちぬ」では、「自分は若い頃は戦争責任があるかないかと言う見方をしていた。しかし後の世から断罪するのは簡単。一方で、零戦を作った優秀な技師として二郎を祭り上げる動きもあります。いずれも、あの時代の空気を肌で感じようとしていない」「一つの時代を遠くから見て、灰色だとか決め付けることは間違っている」と発言している。
また「二郎を祭り上げる動き」に関しては、「零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は、コンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。僕は今度の映画で、そういう人々から堀越二郎を取り戻したつもりです」と発言している。
「二郎や自分の父親が無罪だなんて思っていません」
日本が第二次世界大戦に参加したことについては、子どもの頃に「本当に愚かな戦争をした」「実際情けない戦争だったんだ」と感じたとスタジオジブリ出版の小冊子『烈風』の寄稿文で述べている。
このほか、
「日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって「最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?」と言うのもおかしい」
「非武装中立ということは現実にはあり得ないです。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃいけない。ただ、それ以上は「ちょっと待て」っていうのがやっぱり正しいと思うんです」
「慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです」とも述べている。
憲法[編集]
憲法改正についての見解をスタジオジブリ出版の小冊子『熱風』2013年7月号での特集「憲法改正」で示した。この中で「憲法を変えるなどもってのほか」という題の寄稿文で宮崎は憲法改正に反対の立場であることを闡明にした。
寄稿文の中で憲法を議論する環境として「得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほか」であるとしている。
具体的に言及している条文には96条と9条とがある。
96条については「条項を変えて、その後にどうこうするというのでも成り立つ」が、それは「詐欺」で「やってはいけないこと」であるから、国の将来を決定するには「できるだけ多数の人間たちの意見を反映」させ「変えるためにはちゃんとした論議をしなければいけない」と述べている。
9条については「憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい。」と述べ、自衛隊は専守防衛に徹するべきであり、「そうしないと、本当にこの国の人たちは国際政治に慣れてないからすぐ手玉に取られてしまいます。もし戦争になるとしても、そのほうがまだましだと考えます」としている。
また、同寄稿文においては、自衛隊の活動について触れており、災害時の活動については「やっぱりこれはいいものだと思います。隊員たちはよくやっていて、礼儀正しい。」と評価、海外派遣の活動では「イラクに行かざるを得なくなっても、一発も撃たず、ひとりも殺しもせず帰って来ました。僕は立派だったと思います。」という評価をしている。
社会主義に対する考え[編集]
東映動画入社の志望動機書には「米帝ディズニーに対抗しうる国産アニメを作る」と書かれていたと岡田斗司夫が著書で述べている。実際に入社後は激しい組合活動を行った。その後も長らく左翼的思想を保ち続けていたが、中国やソ連などの現実の社会主義国への批判的発言も少なくない。特に1989年の天安門事件および東欧革命に大きな衝撃を受け、社会主義陣営の歴史的敗北という現実を前に、思想的修正を余儀なくされたとする向きもある。
宮崎の強権的「国家」に対する批判的姿勢は、宮崎が尊敬崇拝する作家の堀田善衛や司馬遼太郎らからの影響から、人間の実相を「もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る」ように凝視する、宮崎が"澄んだニヒリズム"と呼ぶところの姿勢に転換していく。例えば漫画版『風の谷のナウシカ』のラストなどに、その人間観・世界観の変化の影響が見受けられる。
しかし、これに対しては別の見方もある。宮崎はもともと統制的・強権的な社会主義には懐疑的であり、ソ連や中国の社会主義に対する批判は以前から行っている。また近年においてもアメリカ公演で毛沢東語録から言葉を引用したり、「若い人たちがまた独立系の労働組合をつくったりしているようですけど、いろんなところで立ち上がって革命をおこしたほうがいいんです。」と発言するなど、労働運動や革命など左派的な概念に関する肯定的姿勢は変わっていない。またインタビューでマルクス主義について問われた際、「マルクス的な見方を完全にしなくなった訳ではない」とする趣旨の発言をしている。
サン=テグジュペリの思想[編集]
フランスの作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの愛読者であり、とくに『人間の土地』を何度も読んでいる。後述のNHKのテレビ番組の中でははっきりと「サン=テグジュペリに一番影響を受けている」と発言している。サン=テグジュペリが当時危険だった航空郵便の飛行機乗りとしての経験を通じ作品の中で「生命より尊いものがある」と断言したことなどに共感をしめしている。NHK『世界わが心の旅』(1998年放送分)の企画でサン=テグジュペリの時代の飛行機で航空郵便のパリからトゥールーズ、さらにスペイン経由でサン=テグジュペリが所長を務めたカップ・ジュピー飛行場跡(モロッコ)まで訪れている。その時に描かれた絵がのちに新潮文庫の「夜間飛行」「人間の土地」の表紙に使用されているほか「人間の土地」の解説を書いている。
中尾佐助の思想[編集]
宮崎に深く影響を与えた思想に、植物学者中尾佐助による「照葉樹林文化論」がある。ヒマラヤ山脈南麓から中国南部・日本本州南半分までを含む地域が、茶・酒・柑橘類などの特色を持つ共通の農耕文化圏に含まれるとするこの学説に、国家の枠を乗り越える視点を与えられ、「呪縛からの解放」感を味わったという。この影響は特に『もののけ姫』に強く表れており、その後も宮崎はインタビュー・対談など事ある毎に中尾佐助を引き合いに出している。
ナショナリズムへの批判[編集]
閉塞感漂う日本の現状について尋ねられた際、「ナショナリズムからの解放」を主張するなど民族主義への批判を展開しており、「世界の問題は多民族にある」とも語っている。
『もののけ姫』における歴史観[編集]
『もののけ姫』には、従来の日本の中世史ではあまり語られてこなかった、たたら(鑪・鈩)製鉄技術者集団、馬子運送業者、ハンセン病患者が登場し、女性が産業を担い発言権を持っている描写や、「天朝さまとはなんぞや。」とうそぶく女性を登場させるなど、網野善彦の中世史観の影響が強く窺える。この作品については、網野自身も自著において「ずいぶん勉強した上でつくられている」と高く評価する。もっとも、いわゆる「網野史観」に全面的に依拠しているわけではなく、大規模な定着化した踏鞴場の描写など、技術者集団等の非定着性に注目した網野と対立する観点も散見される(ただし、蒸気機関等の動力が存在しない環境で周囲を禿山にした踏鞴場を維持し続けることは不可能で、資源の採取が困難になれば踏鞴場の移転もありうる。物語の都合上割愛されているわけだが、この点をもって網野の世界と対立するとは言い切れない)。
欧米世界への批判[編集]
J・R・R・トールキンの作品『指輪物語』がピーター・ジャクソン監督により映画化された際、悪の勢力に味方するために象をつれて登場した人々が“アジア的”に描かれていたため、宮崎はこれを「黄人差別映画」であると批判した。また原作についても同様の批判を展開し、西洋ファンタジーの古典にそうした側面がある事を理解しない風潮を「馬鹿なんです」とも語った。また上述の流れからアメリカ映画(ハリウッド)全体に対しても「アメリカ人はダーッと撃ったらドイツが爆発したとか、相変わらずそんな映画ばかり作っている」「アフガニスタン戦争での誤爆と同じ理屈」など痛烈な批判を行い、(作り手の欧米人はともかく)日本人が一緒になって喜んでいる事を「信じられないぐらい恥ずかしい事」と評した。
反原発[編集]
スタジオジブリの小冊子『熱風』2011年8号で、宮崎が「NO! 原発」と書いたプラカードをぶら下げて歩く写真が表紙を飾った。表紙の説明には「6月11日、宮崎駿監督は東小金井で小さなデモをした」と書かれてある。6月11日は同年3月に発生した東日本大震災の福島第一原子力発電所事故に関連して全国一斉にデモなどが呼びかけられた「6・11脱原発100万人アクション」の一環として新宿では約2万人が参加した大規模な反原発デモが行われた日であった。この号の特集「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」には、宮崎駿、鈴木敏夫、河野太郎、大西健丞、川上量生による特別座談会が掲載され、宮崎は原発をなくすことに賛成と語っている。座談会では他に、1年前の2010年夏ごろ福島原発の施設内(福島県双葉郡富岡町の「エネルギー館」)に知らないうちにトトロなどのキャラクター商品を販売する店が置かれていたことが発覚し撤去させたことや、ジブリとしては原発に反対であることなども語られている。また、2011年6月16日からは、東京都小金井市のスタジオジブリの屋上に、宮崎の考案で「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」と書かれた横断幕が掲げられている。
風刺画[編集]
フランス紙襲撃テロ事件をめぐる風刺画問題について、「まずもって自国の政治家にやるべきであって、他国の政治家にやるのはうさんくさくなるだけ」と指摘。その上で、他の文明が崇拝しているものを対象にすることは「やめた方がいい」と話した。
<ウィキペディアの宮崎駿氏のプロフィール参照>

別名義 秋津 三朗(あきつ さぶろう)
照樹 務(てるき つとむ 又は てれこむ)
生年月日 1941年1月5日(74歳)
出生地 日本 東京府東京市
国籍 日本
血液型 O型
職業 映画監督
アニメーション作家
漫画家
ジャンル 映画、テレビアニメ
活動期間 1963年-
配偶者 宮朱美(妻)
著名な家族 宮吾朗(長男)
宮敬介(二男)
事務所 スタジオジブリ
公式サイト スタジオジブリ
主な作品
アニメーション映画
『パンダコパンダ』(原案・脚本)
『ルパン三世 カリオストロの城』(脚本・監督)
『風の谷のナウシカ』(原作・脚本・監督)
『天空の城ラピュタ』(原作・脚本・監督)
『となりのトトロ』(原作・脚本・監督)
『魔女の宅急便』(脚本・プロデュース・監督)
『紅の豚』(原作・脚本・監督)
『もののけ姫』(原作・脚本・監督)
『千と千尋の神隠し』(原作・脚本・監督)
『ハウルの動く城』(脚本・監督)
『崖の上のポニョ』(原作・脚本・監督)
『風立ちぬ』(原作・脚本・監督)
________________________________________
実写映画
『柳川堀割物語』(製作)
________________________________________
テレビアニメ
『未来少年コナン』(演出)
________________________________________
漫画
『風の谷のナウシカ』(作)
『宮崎駿の雑想ノート』(作)
『風立ちぬ』(作)
________________________________________
絵物語
『シュナの旅』(作)
『もののけ姫』(作)
________________________________________
小説
『天空の城ラピュタ』(原作・絵)
________________________________________
音楽
『君をのせて』(作詞)
『となりのトトロ』(作詞)
『もののけ姫』(作詞)
『崖の上のポニョ』(補作詞)

実写作品[編集]
• 2002年 オーニソプター物語〜飛べ!ひよどり天狗号(出演)
• 2012年 巨神兵東京に現わる(巨神兵)
• 2013年夢と狂気の王国(出演)
その他の作品[編集]
漫画・絵物語・イメージボードなど[編集]
• 長靴をはいた猫
• 砂漠の民(秋津三朗名義)
• どうぶつ宝島 ※以上は初期作品
• 妹へ(「宮崎駿・大塚康生の世界」に収む)
• 風の谷のナウシカ(全7巻)、※第23回日本漫画家協会賞・大賞作品
• シュナの旅徳間書店アニメージュ文庫(原話は、君島久子の書いたチベットの民話「犬になった王子」、岩波書店)
• 駆けろ二馬力 風より疾く(『NAVI』1989年12月号、『CAR GRAPHIC』2010年8月号、各二玄社)
• 空中でお食事(日本航空のJALWINDS、1994年6月号に収む)
• 「風の谷のナウシカ-宮崎駿水彩画集」 徳間書店
• もののけ姫
• 飛行艇時代 「紅の豚」原作 大日本絵画 1992年、新装版2004年
• 宮崎駿の雑想ノート 大日本絵画 1997年
• 知られざる巨人の末弟
• 甲鉄の意気地
• 多砲塔の出番
• 農夫の眼
• 竜の甲鉄
• 九州上空の重轟炸機
• 高射砲塔
• Q.ship
• 特設空母安松丸物語
• ロンドン上空1918年
• 最貧前線
• 飛行艇時代
• 豚の虎
• 宮崎駿の妄想ノート 大日本絵画 2002年
• ハンスの帰還
• 泥まみれの虎
• 妄想カムバック 『モデルグラフィックス』に連載 大日本絵画
• 風立ちぬ(単行本未収録)
• 『ブラッカムの爆撃機』 ロバート・ウェストール・作、宮崎駿・編、金原瑞人訳 (児童書、岩波書店、2006年)
• 「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加え、宮崎の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併収。
• 『水深五尋』 ロバート・ウェストール・作、金原瑞人・野沢佳織訳(岩波書店、2009年3月)
• 続篇、チャス・マッギルのもう1つの物語
デザインワーク[編集]
• TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号」
• TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜」
• 実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船
• 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」(TVCMのアニメでは演出も担当)
• 神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」
• 三鷹の森ジブリ美術館
• 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」
• 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」
• 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」
• 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ」
• 1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団創設70年にあたる2006年、ファンクラブ設立にあたり起用したもの。熱心な中日ファンとして知られるスタジオジブリプロデューサー・鈴木敏夫の橋渡しによって採用されることとなった。
• 日本テレビ社屋外壁(マイスタジオ上)の大からくり時計「日テレ大時計」
• 広島県福山市鞆町の坂本龍馬のゆかりの宿「御舟宿いろは」
• 小金井市のイメージキャラクター「こきんちゃん」
• 日本アニメ(ーター)見本市のロゴ(題字)
作詞[編集]
• 『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』主題歌)
• 『となりのトトロ』(『となりのトトロ』主題歌)
• 『風のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)
• 『バロンのうた』(『耳をすませば』イメージアルバム より)
• 『もののけ姫』 (『もののけ姫』 主題歌)
• 『タタラ踏む女達』 (『もののけ姫』 挿入歌)
• 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム
• 『神々さま』
• 『油屋』
• 『さみしい さみしい』
• 『白い竜』
• 『崖の上のポニョ』イメージアルバム
• 『崖の上のポニョ』(『崖の上のポニョ』主題歌)※補作詞
• 『いもうと達』
• 『ポニョの子守唄』
• 『ひまわりの家の輪舞曲』
• 『お母さんの写真』(CMソング)
著書(対談・インタビュー・共著も含む)[編集]
• 『トトロの住む家』 (画文集/写真和田久士) 朝日新聞社(1991年)/増補改訂版 岩波書店(2011年1月)
• 『時には昔の話を』(加藤登紀子との共著、絵本、対談) 徳間書店(1992年)
• 『時代の風音』(司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談) UPU(1992年)。 朝日文芸文庫(1997年)
• 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒澤明との対談集) スタジオジブリ(1993年)
• 『巨樹を見に行く―千年の生命との出会い』(共著) 講談社カルチャーブックス(1994年)
• 『出発点 1979〜1996』(エッセイ・発言集) 徳間書店(1996年)
• 『教育について』(共著、インタビュー集) 旬報社(1998年)
• 『虫眼とアニ眼』(養老孟司との対談) スタジオジブリ(2002年)。新潮文庫(2008年2月)
• 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(渋谷陽一によるインタビュー集)ロッキング・オン(2002年)。文春ジブリ文庫(2013年11月)
• 『折り返し点 1997〜2008』(エッセイ・発言集) 岩波書店(2008年)
• 『本へのとびら―岩波少年文庫を語る』(お薦め本50冊の紹介) 岩波新書カラー版(2011年10月)
• 『腰ぬけ愛国談義』(半藤一利との対談)、文春ジブリ文庫 (2013年8月)
• 『続・風の帰る場所―映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか』(渋谷陽一によるインタビュー集)ロッキング・オン(2013年)
カバー・イラスト[編集]
• 『チェスタトンの1984年/新ナポレオン奇譚』(ギルバート・チェスタトン、春秋社)(1984年)
• 『惑星カレスの魔女』(ジェイムズ・ヘンリー・シュミッツ、新潮文庫、創元推理文庫)(1987年)
• 『夜間飛行』(サン=テグジュペリ、新潮文庫)(1993年)※新装カバー
• 『人間の土地』(サン=テグジュペリ、新潮文庫)(1998年)※同上
• 『真夜中の電話』(ロバート=ウェストール)
• 『遠い日の呼び声』(ロバート=ウェストール)
絵コンテ集[編集]
劇場用アニメーション映画[編集]
• パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
• ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
• 風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳間書店)
• 天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳間書店)
• となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3 (徳間書店)
• 魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳間書店)
• 紅の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳間書店)
• 耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳間書店)
• もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳間書店)
• 千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳間書店)
• ハウルの動く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳間書店)
• 崖の上のポニョ スタジオジブリ絵コンテ全集16(徳間書店)
• 風立ちぬ スタジオジブリ絵コンテ全集19(徳間書店)
• これら「絵コンテ全集」の出版とは別に、『風の谷のナウシカ』についてはアニメージュ文庫にて、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』についてはロマンアルバムにて(いずれも徳間書店)、映画公開から程なくして出版されたものの、いずれも現在は絶版である。
テレビアニメーション[編集]
• ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば愛しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
• 名探偵ホームズ 小さなマーサの大事件!?/ミセス・ハドソン人質事件/青い紅玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
• 名探偵ホームズ 海底の財宝/ドーバー海峡の大空中戦!/ねらわれた巨大貯金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)
幻の作品一覧[編集]
宮崎駿が関与・企画・構想するも諸般の事情で幻に終わった、もしくは実現していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮題である。
長くつ下のピッピ
1971年頃、アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品、宮崎らAプロダクションのスタッフたちはスウェーデンまでロケハンに行ったが原作者から映画化の承諾を得られなかった。そのイメージは後に『パンダコパンダ』や『魔女の宅急便』で活かされている。『幻の「長くつ下のピッピ」』がある(岩波書店、2014年10月。高畑勲・小田部羊一共著、宮崎によるイメージとストーリーボードを収録)。
ユキの太陽
ちばてつやの漫画。パイロットフィルムのみ製作された。(2013年12月から全国のイオンシネマで期間限定で上映)
もののけ姫
1980年頃、『美女と野獣』&戦国時代をモチーフとしているが、1997年に映画化された『もののけ姫』とは題名が共通なだけで、物語もデザインも全く異なる作品である。イメージボードは1993年にスタジオジブリ(後に徳間書店)から大型絵本として出版されている。
ルパンの娘
1981年頃、アニメ評論家の岡田英美子との対談で語ったもの。主人公であるルパン三世の娘が、頭の弱い不二子の姪とコンビを組む学園物。
ロルフ
1981年頃、リチャード・コーベン原作のアングラコミック。イメージボードが作成されている。舞台設定やデザインは『風の谷のナウシカ』の原型とも言える作品。
戦国魔城
1981年頃、日本の戦国時代を舞台にしたSFオリジナル作品。イメージボードが作成されている。ここで『ナウシカ』や『ラピュタ』へ繋がる設定が多く生み出された。
NEMO
1981-1982年、ウィンザー・マッケイ原作の『リトル・ニモ』の企画にテレコム・アニメーションフィルムのスタッフとして当初から関わって大量のイメージボードを作成していたが、制作発表前に降板して退社。フリーになっている。映画自体は1989年に公開されている。
風の谷の一日
1983年頃、ナウシカの幼年時代を、風の谷の日常を通して描くというもの。徳間書店の「アニメグランプリ」イベント用に宮崎が提案した。
アンカー
1980年代半ば、夢枕獏との対談で宮崎が提案した。『ラピュタ』完成後、原作夢枕、脚本宮崎、監督押井守、プロデューサー高畑勲で検討されるが、企画段階で中止される。宮崎の構想によると舞台は当時の東京、お姫様のような不思議な女の子が何者かに追われて、偶然に出会った男の子がその子を逃がすためにある場所まで送り届けると、また違う人間が別の場所まで送り届けるという恋愛要素を含んだ冒険ものであるという。しかし、美少女を出そうとする宮崎と鼻垂れ小僧のような汚い少女を出そうとする押井の間で企画は消滅した(「押井守の世界 2008年2月16日」より説)。
突撃!アイアンポーク
1985年頃、「宮崎駿の雑想ノート」から派生したOVA作品の企画で、これも監督に押井守が予定されていた。
大東京物語
ふくやまけいこの漫画。後に現代には合わないと判断している。
墨攻
古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説。構想では、敵に包囲された都市を1人の墨者が防衛するというもの。押井守の監督で検討されたが宮崎と話が食い違い、消滅する。
東京汚穢合戦
宮崎が1997年、NHK番組『トップランナー』に出演した時に語ったもの。
ゴチャガチャ通りのリナ
柏葉幸子原作の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』
煙突描きのリン
架空の震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でそのプロットが見られる。かなり具体的に構想され、約1年間の検討の末にボツとなった。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となり、主人公の「リン」の名は同映画の登場人物に再使用されている。
毛虫のボロ
長年宮崎が温めてきた「虫の視点から世界を描く」という企画。『もののけ姫』の前にボツになったが、後に『水グモもんもん』として実現した。
旅のラゴス
筒井康隆原作のSFファンタジー小説
ジョナサンと宇宙クジラ
ロバート・F・ヤングのSF小説
名探偵芥川龍之介対夏目漱石
明治の文豪が出てくる探偵モノ。
ポルコ・ロッソ 最後の出撃
紅の豚の続編
宮駿版ゲド戦記
宮崎は本作の古くからのファンであり、1980~90年代に出版社および原作者に対し、二度映画化の打診を行い断られている。その後2000年代に入り宮崎の映画が原作者にも知られることとなり、「もし「ゲド戦記」を映像化するとしたら、OKを出せるのはあの人だけ」と言わしめるが当の宮崎は既に本作に対する当時の情熱を失っており、紆余曲折の末宮崎の息子の五郎により映画化された。
受賞歴[編集]
• 第75回アカデミー賞 長編アニメーション映画賞
• 第87回アカデミー名誉賞
• 第61回ヴェネツィア国際映画祭 金のオゼッラ賞
• 第62回ヴェネツィア国際映画祭 栄誉金獅子賞
• 第52回ベルリン国際映画祭 金熊賞
• 第30回アニー賞 長編アニメ映画賞 監督賞 脚本賞 音楽賞
• 第41回アニー賞 長編アニメ部門脚本賞
• 日本アカデミー賞
• 第21回、第25回 最優秀作品賞
• 第32回 最優秀アニメーション作品賞
• 第25回 会長功労賞
• 毎日映画コンクール
• 第43回、第52回、第56回 日本映画大賞
• 第52回、第56回、第59回 日本映画ファン賞
• 第34回、第39回、第41回、第43回、第56回、第63回 大藤信郎賞、
• 第44回、第47回、第52回、第56回 アニメーション映画賞
• 第56回 監督賞
• 第13回、第26回報知映画賞監督賞
• 第7回、第10回、第19回、第26回ゴールデングロス賞 日本映画部門 マネーメイキング監督賞
• 日刊スポーツ映画大賞
• 第5回、第10回 石原裕次郎賞
• 第10回 監督賞
• 第14回 作品賞
• 第39回芸術選奨 芸術作品賞 文部大臣賞
• 第12回山路ふみ子映画賞
• アヌシー国際アニメーション映画祭| 長編部門賞
• アニメーション神戸
• 第2回部門賞 演出部門
• 第7回部門賞 作品部門
• 第1回、第5回文化庁メディア芸術祭 アニメーション部門大賞
• 第68回、第71回ニューヨーク映画批評家協会 最優秀アニメ賞
• ボストン映画批評家協会 特別賞
• 第37回シッチェス・カタロニア国際映画祭 観客賞
• 第16回ザグレブ国際アニメーションフェスティバル 功労賞
• 第9回ハリウッド映画祭・ベストアニメーション賞
• アメリカSFファンタジー作家協会 (SFWA) ネビュラ賞(脚本部門)
• 第8回ミンモ・ロテッラ財団賞
• フューチャー・フィルム・フェスティバル・デジタル・アワード特別表彰
• 東京国際アニメフェア2009 第8回東京アニメアワード・アニメーションオブザイヤー・国内劇場部門優秀作品賞・原作賞・監督賞
• アイズナー賞 漫画家の殿堂

3 宮崎駿論<アニメ作家・創作者としての天才>

  
宮崎駿は敗戦を鹿沼市の父の別荘へ移ってから、迎えた。といってもまだまだ赤ん坊であったことだろう。終戦後もそこで過ごしたらしい。
兄弟たちの証言によれば、宮崎駿はおとなしく、内向的で、目立たない子どもだったという。運動は苦手だった。絵を描くのがとにかくうまかった。小学生の時は漫画少年で、手塚治虫や杉浦茂が好きだった(手塚治虫の作品の中では特に『太平洋Xポイント』がお気に入りだった)また福島鉄次の絵物語『砂漠の魔王』の熱烈なファンで、これはのちに『風の谷のナウシカ』の世界観にも影響を与えているのだという。
小学校の頃は身体も弱かったらしく、部屋に引きこもって絵ばかり描いていたという。ディズニーアニメの全盛期で、よく模写したという。またウィキペディアでも触れているがアニメ作家となる決意となったのは日本初のアニメーション『白蛇伝』(藪下泰司、一九五八年)を見て(駿氏高校三年生当時)だという。
駿氏は学習院大学に進学する訳だが、本当は美術系の大学に行きたかったらしい。だが、父親の反対で美術系大学には進学できず、仕方なく、大学はマンガを描くためのモラトリアムの期間ときめたという。高校時代は漫画家という夢があったが、「寝ていた」、としかいいきれないような中途半端なニキビ面の青春だった。
だからとて、そんなに丈夫な肉体でもないから、不良生徒みたいなグレて万引きや暴走族だのやる訳でもない。自伝的アニメ映画『風立ちぬ』で描かれたように、高校生くらいで喫煙を覚えて以来、死にますよ(笑)というくらいの『ヘビー・スモーカー』になったらしい(笑)。学習院大学には漫画部はなかった。仕方なく、マンガに一番と近そうだ、という理由で、児童文学研究会に入った。部員たちの溜まり場でしかなかった。だが、ここで児童文学に目覚めたことがのちに「子どもたちのための映画を作る」という精神を自然と育んだようにみえるという。誰でも苦労するものだ。簡単に社会成功を掴めたり、億万長者に簡単になれたら誰も苦労しない。“シベリア”とかいうパンも当時食ってたという。
この時期は著者の両親も若い世代(団塊の世代)で、宮崎駿氏の安保闘争時のゲバ棒にヘルメットの写真が存在しており、あの宮崎駿が安保闘争の志士だった(笑)と少し笑える。
ちなみに私の父親は元々は農家の息子だが、定年まで警察官であり、まあ、団塊の世代の安保闘争の志士(笑)たちをおさえこむ側の立場だった訳だ(笑)。山形県でだけどもね(笑)
ソ連製アニメ『雪の女王』と出会い、ウィキペディアでもあるように、漫画家かアニメ作家かの選択肢でこの作品で「アニメ作家」の道を選んだのだという。
参考文献「宮崎駿論 神々と子どもたちの物語」杉田俊介著作、NHK出版22~25 ページ

我々世代だと宮崎駿氏高畑勲氏といえば旧・カルピス劇場・日本アニメーションの児童文学アニメが有名で、流行でもあった。アニメ版「赤毛のアン」、「母を訪ねて三千里」、「アルプスの少女ハイジ」、「あらいぐまラスカル」、「小公女セーラ」、「フランダースの犬」、「トムソーヤの冒険」……題名をあげただけでもワクワクする名作である。
まさに「子どものためのアニメ作品」である。
また余談だが、著者自身も子供の頃だが、アニメフリークで、宮崎駿氏のアニメだけでなく、それこそ「機動戦士ガンダム」や「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」や「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」「機動戦士Zガンダム」等、馬鹿のように夢中になったものだ。まさにアニメ・ヲタクであった(笑)。
だが、最近のアニメーションには正直ついていけない。
「美少女戦士セーラームーン」や「新世紀ヱヴァンゲリヲン」「けいおん!」くらいならなんとか理解できるが、「プリキュア」だの「艦これ」だの「妖怪ウォッチ」「ワンピース」だの意味がわからない。やはり、子供時代のワクワク感がなくなったというか劣化というか。自分が(笑)子供向けアニメーション向けの幼児的精神性やクリエーター精神が死んだ。
やはり、現在は幕末や戦国時代の歴史書などのほうが興味があるし、国際政治や国際経済なども大前研一先生の影響で興味がある。大人になった、ということか?
もう私は漫画の原作もアニメの原作も書けなくなったのだろう。僕のアニメ魂は完全に死んだ。僕の小説で「マジックエンジェル螢」というアニメ用の小説があるが、何十年も前に書いたものであり、現在はもうそのころの僕は死んだのだ。
「ガンダムもどき」の原作のメカニックデザインやキャラクターデザインもあるが、これも仙台時代に“いじめられながら”描いた空夢である。
少なくとも、「僕の道」はアニメや漫画ではない。
大人になるとはワクワク感を喪失してしまうことか。
僕は作家であるが、道はアニメや漫画ではない。アニメ作家ではないし、マンガ小説作家でもない。もっと“大人向け”の作家であり、子供向けではないのだ。
まあ、僕の道は他人には関係がないですが(笑)。
今現在、まあ21世紀になってコンピュータも発達し、スマホや携帯やインターネットや電子書籍や、タブレット端末、LINE、Facebook、ツイッター、インスタグラム、ウェアラブルパソコン、等道具(ツール)だけは物凄いことになっている。アニメも豊富だ。
今の子供はスマホ(スマートフォン)を一日七時間以上使用するという。
何に使っているのか?
大したことはない。LINEかメールかチャットか動画かゲームだという。道具(ツール)だけは立派になったが、人間的には劣化著しい。
今更のように「創造性の教育」などと文科相がいいやがる。私が25年前から警鐘を鳴らしてきたことだ。「創造しよう」も糞も屁ったくれもない。
今の子どもは「自分がいじめにあったらどんなにつらいか?」と、聞かれなければ想像も出来ない程劣化したのだ。当たり前のように、他人をいじめて、恐喝し、殺す(自殺に追い込んで)。こんなのが日常なら子供時代もつらいだろう。
僕だっていじめられたが、現在のいじめは当時よりもっと陰湿で悪質だから、たられば論も昔の感覚では通用しない。やはり徴兵制で、韓国のように若いうちに軍隊(自衛隊)にいれて、(戦場でなくてもいいから)東南アジアやアフリカの難民キャンプや老人ホームでボランティア活動をさせなければニートや引籠りやチンピラ連中は矯正出来ない。
宮崎駿論、アニメ論とは関係ないが現在の子供対策を書いてみた。参照してほしい。

宮崎駿氏の初期のアニメ作品には『パンダコパンダ』のような「となりのトトロ」の原作アニメみたいなものも存在するが、私が赤ん坊の頃のことであり、初期のアニメ作品には『太陽の王子ホルス』のようなくだらない作品もある。だが、天才の作品に凡作や駄作があるのも当たり前だ。モーツアルトも手塚もショパンやピカソにも凡作や駄作はある。
皆人間だ、ということだ。

アニメーションを作るとは、「虚構(嘘)」の世界を作ることだ。「その世界はゴリゴリの現実にくたびれた心や、くじけそうな意志や、近視性乱視になった感情をとぎほぐして、みる者をのびやかに軽快な心にしてきれいに、浄化されたすがすがしい気分にしてくれるものだ」参考文献「出発点」宮崎駿著作五十二貢。
しかし、アニメだから何でも嘘、虚構、でいい訳ではない。
世界観やキャラクター、時代設定が無茶苦茶では小説にしてもアニメでも漫画でも売れない。やはり、知識に裏付けされた設定や世界観の上での「嘘の世界」でなければ登場人物に感情移入が出来ない。

高校三年生の時、受験勉強の真っ只中にいた宮崎駿は、『白蛇伝』を見て、ヒロインに恋をした。「心をゆさぶられて、降りだした雪の道をよろめきながら家へ帰った。彼女たちのひたむきさに比べ、自分のぶざまな有様が情けなくて、ひと晩炬燵にうずくまって涙を流した」参考文献「出発点」宮崎駿著作一〇〇貢。

宮崎駿は、子どものころのどろどろした感情について、「みっともなく情けなかった」と総括しているという。幼少期から「いい子」を演じた事への慚愧の念であるという。
それは亡き母親にたいしての感謝の念でもあるという。
ちなみに宮崎駿氏の父親は赤紙(召集令状)がきて兵隊にとられるとき、ただひとり「女房を赤ん坊をおいてはいけません。残らせてください」と申し出たという。
宮崎の父親を可愛がっていた部隊長は、情けない、情けないと二時間ばかりも泣いた。いつ殴られるかと思いながら、直立不動で、彼が泣くのをじっと聞いていた、と。そんな話である。宮崎は、これもどこまで本当かわからない、ところどころ大げさに装飾しているのではないか、と苦笑しながら語っている。しかし、宮崎駿の父親は、ほんとうに戦地に行かずに済んだ。戦死を免れた。そのおかげで、一九四一に、息子の駿はこの世界に生まれる事ができた。
他方で、宮崎は、なぜか、母親の記憶についてはあまり多くのことを語らずにきた。
母親の美子(よしこ)は、一九一〇、山梨県の農家に生まれた。他人に親切で、お節介焼きで、非常に気の強い女性だった。正義感が強く、正しいと思ったら、どこまでも戦った。子供達への躾は厳しかったが、およそ「ほめて育てる」タイプではなかった。『天空の城ラピュタ』のドーラは美子がモデルだという。
脊椎(せきつい)カリエスを患った。宮崎が小学校のころには入退院を繰り返した。長く患い、自宅では寝たきりで、宮崎駿が高校生時代にやっと歩ける程度だった。
宮崎駿は母親と政治・経済から、文化・芸術までいろいろ話した。母は吉田茂を敬愛し、鳩山一郎が嫌いだった。保守本流の雑誌『文藝春秋』が好きだった。この国の文化人たちは、戦後になって言うことがコロっとかわった。そう怒っていた。大学時代には左寄りだった宮崎駿とは、激論し、宮崎が涙を流すこともあったという。
一九八三年に亡くなった。最後の数年はリウマチで動けなかったが、病院に行くことを頑なに拒んだ。遊び人だった父親に、晩年は、とことん住宅介護をさせた。
影響を受けたからこそ、そんな母親を語らない。宮崎駿流の男のロマン、である。
参考文献「宮崎駿論」杉田俊介著作、NHK出版、26~31ページ引用


一九六五年(駿氏二十四歳)の秋ごろから東映動画の労働組合などでアニメ映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』の構想が起こり、宮崎駿も準備に自然と加わった。参加メンバーは、高畑勲、大塚康生、林静一らがいた。
同年一〇月、東映動画の同僚だった太田朱美と結婚した。東村山市を新居とした。一九六七年(駿氏二十六歳)には、長男の吾朗(ごろう・後に『ゲド戦記』『コクリコ坂から』を監督。2014年秋から2015年にかけてNHKBSでアニメ連載『山賊の娘ローニャ』も担当するがすべての作品で親父・宮崎駿の猿真似をして、歴代のジブリファンから総スカンを食らった)が産まれた。なお宮崎駿氏は、結婚する時共働きを約束するものの、多忙を極めたために共働きは「無理」であり、子育ては「ほとんど女房まかせ」だった。「女房には申し訳なかった」とふりかえっている(「女房任せだった子育て」)。朱美も後々までそのことを本当の意味ではゆるさなかったという(「子どもにいちばん大事なもの」)。
一九七〇年には次男の啓介が産まれた。(著者の緑川鷲羽と同じ年ですね(笑))
東映動画の『太陽の王子 ホルスの大冒険』は六八年に三年がかりで完成されたという。
実際、著者の私も後年DVDで観ましたがお世辞にも言い出来とは言えないアニメです。
「こんな作品があの天才宮崎駿の処女作品か?(笑)」と思わず苦笑するしかありません。
つまらないアニメ映画です。ストーリーもくだらなく、キャラクターデザインもすべてにおいて無意味なアニメ映画ですよね。だが、誰だって最初はこんなものでしょうね。
最初から何でも出来るひとなどこの世に存在しません。
皆同じ人間だ、ということですよ。
 一九七一年(駿氏三〇歳)、東映動画を退社。『長靴下のピッピ』を作るという大塚康生の後を追って、高畑勲・小田部羊一とともにAプロダクションに移籍した。メインスタッフとして準備に入り、海外ロケ責任者として、スウェーデンに飛んだ。初海外渡航だった。実際の話、原作者にあえず、アニメ化の承諾も貰えず構想は消滅するのだが北欧の風景は宮崎駿の世界観をつくる上でのヒントになった。大きなインスピレーションをえた。
『ルパン三世』(1stシリーズ)終了後、ちばてつや原作『ユキの太陽』のパイロット・フィルムを作ったが、実現しなかった。テレビシリーズの『ど根性ガエル』の絵コンテまで描いたという。だが採用されなかった。苦難の季節が続いた。
同年、劇場用に『パンダコパンダ』に参加した。原案・脚本・場面設定・原画を担当した(演出・高畑勲、作画監督・大塚康生、小田部羊一)。翌年には続編として『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』を作った。宮崎のこの作品は、のちの『となりのトトロ』の原型ともなった。
そして一九七四年(駿氏三十三歳)、テレビアニメシリーズ『アルプスの少女ハイジ』である。宮崎の仕事は脚本や原画だけでなくレイアウトやキャラクターデザインなど多岐にわたった。そして一九七八年(駿氏三十七歳)――ついに、はじめての本格的演出作品として、テレビシリーズ『未来少年コナン』全話を手掛ける。アレグザンダー・ケイの『残された人々』が原作だが、駿氏は原作には満足せず、明るい少年少女向けにほとんどオリジナル作品として創造した。二十六回分創るのに一年三か月かかった。原案・脚本・キャラクターデザイン・原画・レイアウト・メカニックデザイン・ストーリー構築・演出・絵コンテ指導・作画レイアウト・原画チェック…と超人的な仕事ぶりだった。
私は小学生だったが夢中になってテレビにかじりついて観てましたね。
いやあ、最高だった。ガンダムとは違う世界観であった。今の子供は宮崎吾朗氏の創る『山賊の娘ローニャ』なる作品を同じようなワクワク感で観ているのだろうか?天才が父親だと辛いんでしょうねえ、プレッシャーとか。ブームになっているという話はきかないが(笑)
ずっとのちまで宮崎は、映画監督よりもアニメーターと呼ばれることを好んだ。ただし宮崎駿にとって本来アニメーターとは「作品全体にかかわりを持つ」存在のことだった。「かつてアニメーターは万能だった/絵を描き、物語をつくり、動かし、色をぬり、カメラを操り、声や音を吹き込んで、一つの世界をつくろうとした/」参考文献『出発点』宮崎駿著作、五三貢。なるほど完璧に自分がかかわらないと気が済まない完璧主義者、いや、これこそまさにプロフェッショナルの奥義ですよね。だからこその天才アニメーターな訳です。
一九七九年(駿氏三十九歳)、テレビアニメシリーズ『赤毛のアン』の場面設定・画面構成を十五話まで担当したあと、新しいルパンのアニメを作るために、東京ムービー新社へ移籍した。
そして同年に劇場版第一作品監督作となる『ルパン三世 カリオストロの城』である。
『カリオストロの城』は興行的には失敗におわったが、熱烈なファンや映画関係者が宮崎駿氏の天才を知ることとなった。私は小学生でしたが、テレビで観ましたね。のちに「何回やるんだよ」と、つっこみをいれたくなるくらい、テレビで再放送され続けた。
『ルパン三世 カリオストロの城』で有名になった宮崎駿であったが、実はまだまだ不遇の時代でもあった。世界的なヒットというのは、所詮は“英語圏での英語による(ディズニー的な)作品がヒットして金が儲かって”はじめて「成功」である。
日本ではその後にスタジオジブリを独立して設立し、名作『風の谷のナウシカ』をヒットさせて、アニメファンだけでなく、映画関係者や大衆の人気を不動のものにしていく。が、世界デビューは遅れた。まだ、日本だけの『井の中の蛙』状態というか天才だが『鳥なき里の蝙蝠』状態でもあった。だが、『コナン』や『ナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』に影響された芸術家も大勢出来た。日本がここまでアニメ大国になったのも“宮崎駿氏の天才”のおかげである。これは皆さんも同意見だろう。
参考文献『宮崎駿論』鈴木俊介著作、NHK出版、31~37ページ引用

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安保の城の妖怪 岸信介伝<安倍晋三の祖父・岸信介の安保闘争と革命>アンコール連載5

2015年02月24日 07時49分49秒 | 日記









『池上彰の解説塾(テレビ朝日内番組)』2014年5月12日放送分Ⓒ池上彰
(1)<国会議員の歳費(給与)>2014年4月までは年間約1700万円→2014年5月から年間2100万円に。「議員の数を削減しない限り歳費(給与)を上げない」と国民と約束していたのに「約束をやぶった」。また復興特別税は「所得税額」の2.1%増の2037年まで。「住民税」1000円増→今年度(2014年度)~2023年までに。消費税も5%から2014年度5月1日で8%、2015年度10月で10%になる。
「約束を破って歳費(給与)を増やした」というより、「元の状態に戻した」ということ。
2割(復興の為)400万円歳費を削減していた。つまり<2012年5月~復興財源確保約13%+12月~議員定数削減対策7%=20%(約400万円)年間>この期限が切れて、元に戻した。議員定数は全く減らないのだから、と日本維新の会やみんなの党や結いの党らはもっと20%でなく30%削減といい、公明党は7%削減、民主党や共産党は検討中……などであったが自民の石破幹事長が「地方から来た新人議員が借金をしてまでの状態にあり、議員生活が送れず、大変に困窮しているのは如何なものか」と疑問を呈して元に戻った。
確かに国会議員になれば東京と地方地元の事務所の運営など大金がかかる。議員に立候補して落選しても「ただのひと」で、再就職もない。ハイリスクだからハイリターンでいいのではないか?といいたいのだろう。なら<国会議員に使われる年間費用を見てみよう>①給与(歳費)→約2100万円②公設秘書給与(3人分)→約2000万円③文章通信交通滞在費→1200万円④新幹線グリーン車料金・航空運賃→(全額無料)、合計で年間6000万円である。だが、イギリスの議員給与は年間1.1123万円(下院のみ・1ポンド171.6円で計算2014年5月10日時点)であり、石破氏の発言の根拠はない。
(2)インターネットの<マイクロソフトのインターネットエクスプローラー(ブラウザ・Internet Explorerr)にウイルス感染の脆弱性があって、修正されて、今では安心して使えるようになった>脆弱性でのリスクは*遠隔操作*企業の情報漏えい*個人情報の流出*ネットバンキングでの不正送金などである。もっとあるが省く。
ちなみに<日本国内のブラウザのシュアを見てみよう>①インターネットエクスプローラー(マイクロソフト)53%②クローム(グーグル)24%③サファリ(アップル)7%④ファイヤーフォックス(モジラ(ファウンテーション))14%、である。リスクに対する対処法は①常に新しいソフトにアップデート②ウィルスセキュリティソフトの最新版のインストール③パスワードをひとつひとつ全部違うものに(全部同じだとハイリスク・危険である)
(3)シャドーバンキング(影の銀行)→中国では高金利で誘導して(年利10%とか)シャドーバンキングへの誘いが多い。シャドーバンキングだからといっても『違法ないかがはしいもの』ばかりではなく、銀行じゃない銀行のことを「シャドーバンキング」と呼ぶ。
証券会社やローン会社企業内金融、公的金融機関などある。きっかけは2008年の『リーマンショック』で世界大恐慌に。中国は景気対策と称して地方で銀行からお金を借りて公共事業を行い、高層マンションやビルを幾つも作った。もちろん、銀行では金利が低く、貸出額も限られるために、中国共産党政権は『融資平台』という投資会社を公的に作り、高金利を謳い国民からシャドーバンキングでお金を借り(約310兆円)高層ビル群を何万も造った。地方ではこのビルや住宅が売れ残り、『中国版住宅バブル崩壊』で『中国発世界大恐慌』になるのではないか?とも懸念されている。だが、意外と「中国の金融機関は全部国有化されているから、最後は国がなんとかしてくれるだろう」という楽観論も多いという。だが、世界第二位の経済大国の財政破綻はいずれにしろ恐ろしい。中国共産党や習近平国家主席の英断に期待するしかない。
(4)中国のテロ(新疆ウイグル自治区)なぜ新疆(しんきょうとは『新しい土地の意味』)ウイグル(ウイグル人とはトルコ系のイスラム教徒・建前としてウイグル人のひとが北京や上海のいい大学に行ってエリート層になっても自由、となっているが、漢族とはトルコ系の顔では違い、日本の在日朝鮮人在日フィリピン人のような扱いを受けることが多いという)の自治区ということ。
中国は漢族+55の民族の多民族国家だ。自治区は代表的には<新疆ウイグル自治区・チベット自治区・内モンゴル自治区・広西(こうせい)チワン自治区・寧夏(ねいかい)回族(かいぞく)自治区>などがある。ちなみに中国の五独を許さずとは①台湾②新疆ウイグル自治区③チベット自治区④内モンゴル自治区⑤朝鮮系自治区のこと。何故自治区の独立を認めないか?は当たり前ながら自治区には大量の天然ガスや石油や石炭やレアメタルや金が埋蔵されていることと、自治区の独立を認めれば国がバラバラになってしまうから。
ちなみに<自治区で建前として認められていること>を見てみよう。①民族の文字・言語の使用②独自の警察・民兵部隊をつくってもいい③独自の法律をつくっていい、等である。だが、これらは建前で主要な大多数派の漢民族が2000年度頃から『西武改革』と称して新疆ウイグル自治区やチベット自治区に大量に雪崩れ込んで、主要なエリート層やリーダー層の仕事を独占して、自治区民族と漢民族の「貧富の格差」が拡大している。また地方から都会に仕事を求めてくる貧困層も(例え高学歴があってもコネがないと)まともな職につけず、住めるのは地下の元・核シェルター(ために「鼠族」と呼ばれている)等と、バブル崩壊、中国共産党一党独裁、貧富の格差が中国人を苦しめる。まるで崩壊前のソ連である。まとめ緑川鷲羽2014年5月13日。


<テレビ朝日番組内 池上彰の解説塾2014年5月5日放送分>Ⓒ池上彰氏Ⓒテレビ朝日
まとめ緑川鷲羽。*貿易赤字17兆3000億円。「円安になると輸出が有利になり、得をするのでは?」という質問の答えは×。すでに日本の企業の工場は外国に出ていっているから。まあ、日本は「発展途上国」でも「新興国」でもなくアメリカのような「成熟国家」ということ。「日本は年金生活にはいった」ということ。ちなみに<2013年度>の貿易額を見てみよう。<2013年度*貿易収支(モノの輸出入)-10兆6千億円、所得収支(海外投資の利子・配当など)+16兆5千億円、サービス収支(観光・旅行などのサービス取引)-1兆5千億円、経常資金収支(海外への資金投入など)-9千億円<2013年度国際収支合計・財務省>+3兆3千億円>*サラリーマン残業代ゼロに。(年収一千万円以上の人と合意書)(<労働基準>一日8時間週40時間を法定労働時間)時間→成果へ(これがいわゆるホワイトカラーエグゼンプション*頭脳労働をよくしようという試み)>
*何故最近深海魚が次々に捕獲されっているのか?深海200m(太陽の光、海面の0.1%)深海1000m(100兆分の一)、超深海6000m(水圧=1cmあたり2600kg)、ダイオウイカは深海600m~1000mに生息。冬が寒すぎて海面が冷えて深海とまざったか?といわれています。
*全国初!裁判員裁判やり直し→仙台のひとりの被告が一人殺害。懲役15年→無期懲役。またやり直しで懲役15年へ。裁判員(国民の中から)が参加するのは一審のみ高裁からは裁判員いない。*成人年齢が20歳から18歳に下がる?。憲法改正など若者にも判断させようと。投票18歳なら成人の資格も?酒タバコも?(すべては日本の若者の政治へのコミットメントや関心が低すぎるから)(18歳~19歳の日本の人口約250万人(総務省調べ))
*商船三井の船(バオスティール・エモーション号)、中国の裁判所に差し押さえ→<損害賠償・裁判費用など遅延金など29兆1600億円 合計40億円払った(供託金)>1936年に商船三井が中国から船を借りた。その利息を払えと。商船三井は「船は日本軍に没収され、撃沈されて海に沈んだ」と。でも、2007年に中国の裁判所が賠償金約29億円払えと命令。示談交渉していたが、中国裁判所が船を差し押さえて。だから、供託金40億円払った。日本と中国との戦後賠償は(1972年の)日中共同声明で当時の田中角栄首相と周恩来首相が合意し、終了。…の筈だったが、社会主義では個人と国家の違いはない。だが、民主主義では国家間の賠償と民間は違う、といいだした。またオバマ大統領来日に合わせてけん制の意味で裁判所が動いたのではないか?ともいわれる。日中韓の関係が悪いからこういう無茶苦茶な裁判結果になる。関係改善さえなればこういう無茶苦茶な本末転倒の裁判などおこらない。*原発をやめるのかやめないのか?2011年5月で48基の日本の原発が全停止。<エネルギー基本計画>政府は「そう簡単に原発をもうやめようという訳にはいかない」。原発=重要なベースロード電源(昼夜問わず全稼働しても発電できる電源)。
政府が原発をやめない理由①電気料金の値上がりを止める(火力発電に99%特化で年間3兆6000億円のエネルギー代の負担。円安で更に打撃)②CO2の削減(フル稼働の火力発電はCO2大量放出)③海外への原発輸出。世界は安全で高技術な原発を求めている。(主な原発推進国)→アメリカ、フランス、ロシア、韓国、中国、インド、イラン、アラブ首長国連邦、トルコ、インドネシア、ベトナム、バングラディシュなど。(主な原発ゼロ・後進国)→ドイツ、オーストラリア、ベルギー、スイス、イタリアなど。世界中に稼働原発426基、建設中81基<原発の需要はある。ビジネスチャンスだ。福島で少し味噌が付いた感じではある日本の原発であるが「世界一の技術」がある。だからこそ福島の原発事故もあの程度で済んだのだ。集団ヒステリーはやめよう!>


企業・経営 大前研一の「産業突然死」時代の人生論「オバマのアジア歴訪、成果はフィリピンのみ」2014年5月7日。安倍晋三首相と米国のオバマ大統領は4月24日、東京・元赤坂の迎賓館で首脳会談を行った。両首脳は日米同盟がアジア・太平洋地域で主導的な役割を果たすことで一致したほか、共同声明では尖閣諸島が日米安全保障条約の適用対象であることを明言した。一方、焦点の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉は合意には至らなかった。結果を出せない交渉はレベルが低い。今回の首脳会談について、主要メディアは安全保障問題については「合格」、TPPを中心とした経済問題については「不合格」としている。しかし私から見れば、今回のオバマ訪日は最悪の内容だったと言わざるを得ない。
 ここで「日米共同声明のポイント」をご覧いただきたい。まず、TPPについては「2国間の重要な課題で前進する道筋を特定」とあるが、あまりにも抽象的だ。その特定した道筋が何であったのかを明示できないということは、実質的には前進はなかった、と言っていいだろう。事実その後の米上院財政委員会に呼ばれたフロマン米通商代表部(USTR)は、「オバマ政権は望ましくない合意が得られるよりは、何も合意しない方が良いと判断した」と述べた、とワイデン委員長自身が語っている。日本ではギリギリの交渉で煮詰まったとか、解決の道筋が見えたという報道が多いが、彼我の報道には大きな落差がある。つまり、日本の甘利明TPP担当相と米国のフロマン代表は、今年4月に入って48時間以上を直接協議に費やしたが、目に見える進展はなかった。結局、日本側が交渉術というものを理解していないことが影響していると思う。40時間以上もかけて結果を出せない交渉とは、相当にレベルが低い。フレームワークさえちゃんと作っておけば、もっと短い時間で合意に至ることができたはずだ。そうした方針を立てないまま、個別の項目について「これはどうだ」「嫌だ」といったやり取りを繰り返しているからこそ、協議の時間が長引いてしまうのである。また、どのくらい進捗があったのかも把握できないのだ。「米国の防衛義務は尖閣諸島にも及ぶ」発言は意味があるか。安全保障問題については、オバマ大統領から直接、「日米安保の防衛義務は尖閣諸島にも及ぶ」という発言を得たことで、日本政府は大喜びしている。ただこれも、それほど意味があることとは思えない。以前から米国は、国務長官や国防長官などが「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用範囲」ということを明言していた。国務長官らが言っていることに大統領が反対しているなんてことはありえない。それをわざわざ大統領に発言させたところで、日本の自己満足でしかないのである。このように、今回のオバマ訪日は、米国にとっても日本にとっても不毛なものだったと思う。日本側はオバマ大統領を国賓待遇にして大はしゃぎだったようだが、その姿勢は非常にみっともないものだった。オバマ大統領は国賓待遇にもかかわらず、夫人を同伴させなかったし、迎賓館にも宿泊しなかった。ホテルオークラに宿泊したオバマ大統領は、あくまでも「ビジネスモード」だったということだろう。オバマ大統領が泊まらなかった迎賓館とは?ところで、迎賓館という建物も今となっては恥ずかしいものだということを知っておいてもらいたい。1909年、日露戦争に勝利して「西欧に追いつき追い越せ」「それいけドンドン」とやっていた時代の作品である迎賓館は、外側がイギリスのバッキンガム宮殿を真似ていて、内側はフランスのベルサイユ宮殿そっくりになっている。まさに日本が西洋の物真似をしていた鹿鳴館時代の象徴なのだ(設計者もそのものズバリで、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルの弟子・片山東熊である)。ああいう恥ずかしい建物を日本の表玄関に置くことは、一刻も早く考え直してもらいたい。西洋のコピーのような迎賓館に招かれて、感動する外国人はいないだろう。ましてや1975年にはバッキンガム宮殿から御当主エリザベス女王がここに泊まっている! 日本は欧米の物真似をしていた時代もあるが、円高や貿易戦争で苦労してイノベーションでどうにか飯を食っていけるような国に脱皮しかけていた頃だ。その苦労を知る経済人は、あそこに外国の賓客を泊める神経は持ち合わせていない。おそらく仕事優先で来日したオバマ氏もいくら「国賓待遇」と言われても、あのようなところに泊まる気にはならなかったのではないかと思われる。
成果が見られたのはフィリピンだけ。さて、失敗に終わった日米首脳会談だが、オバマ大統領が日本の次に訪問した韓国でも、たいした成果は出ていない。その後のマレーシアでは、そもそも何のために訪問したのかも明確ではなかった。現職の米大統領としては実に48年ぶり、というセンセーショナルな見出し以外にはめぼしいテーマも成果もなかった。米国がTPPで求めている国有企業の民営化(米国企業による買収が可能となる)は日本の農産物以上に難題であるし、行方不明のマレーシア機の捜索に協力する、といっても時すでに遅し、ということで、オバマ大統領は何も結果を出せなかった。今回のアジア歴訪は、オバマ大統領にとっても相手国にとっても総じて失敗、あるいは成果なし、ということになるだろう。ただ、そのなかで唯一、成果が見られたのはフィリピンだ。オバマ大統領がフィリピンを訪問するのにあわせて、米国とフィリピンは新たな軍事協定に合意した。この協定により、少なくとも今後10年間は、フィリピンへの米軍派遣が拡大されることになる。1951年に締結された相互防衛条約により、フィリピンには米軍が駐留していたが、住民の米軍基地アレルギーが高まるなか、火山の大噴火で大きなダメージを受けたのを契機として撤退した。しかしその後、南シナ海に中国が進出してきたため、近年は米軍が定期的にフィリピンに立ち寄るようになっている。また定期的に合同演習なども行ってきている。中国の海洋進出を抑止する目的で米軍強化へ。今回の新軍事協定により、米軍は南シナ海に面したパラワン島西海岸を新たに使用することを検討しているという。また、冷戦時代に米軍基地があったルソン島のスービック地区なども候補に挙がっている。フィリピンでは外国の軍隊が駐留することを認めない憲法になっているため、まずは10年という期間を区切って国民の反発を和らげる目的であったと思われる。近年は南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)などでまさに中国軍と直接対峙するようになっているので、いまのところ目立った米軍排斥の動きは報道されていない。米国はおそらく中国の海洋進出を抑止する目的で沖縄、フィリピン南部、豪州の北部ダーウィン近郊(2500人の海兵隊がすでに駐屯している)などを今後強化していくものと思われる。オバマ大統領のアジア歴訪は、日本、韓国、マレーシア、フィリピンと、アジア重視路線を強調するものになるはずだった。しかし、そのなかで実質的な成果を生んだのは(おそらく大統領が訪問しなくても合意はできていたと思われる)フィリピンへの帰還(ダグラス・マッカーサー将軍が旧日本軍に追われてフィリピンを脱出する時に発した“I shall return”)だけだったのである。


『テレビ朝日番組 池上彰の解説塾』2014年4月28日放送分Ⓒ池上彰まとめ緑川鷲羽。
<韓国客船沈没事故>セウォル号乗員476人。事故からかなりの日付が経過していましたが、まだ韓国では客船沈没事故後のあとたった二週間で、今度はソウル市の地下鉄ソウルメトロのサンワンシム二駅で列車同士の衝突事故などがあり多数の怪我人が出ました。韓国の政府もいい加減で、最初、「全員救助した」等と言い、その後誤報を認め、「50人のダイバーが潜って捜索している」といいます。が、これも嘘で本当は最初は10人くらいのダイバーしか投入していませんでした。どうも事故原因は、過積載と、コンテナをちゃんと固定していなかった、という事などがわかってきました。右に舵を急に切ったら、コンテナや荷物が左側に全部移動して重みで傾き、沈没したのです。ちなみに『セウォル』とは『歳月・年月・年代…』などという意味の外来語です。実はセウォル号は日本の船でしたが韓国に売却されて改造され、その改悪が元で事故が起きたのでした。では、セウォル号の増設前をみてみましょう。<増設前>重心・11.7m・乗客定数・804名・貨物条件・2437t・復原性維持可能な客数88t・復原性維持可能なバラスト水10.23t<増設後>5階・甲板→講堂・4階・客室増設・3階・84名・定員増76・重心・11.78m(+51cm)・乗客定数921名(+117名)貨物条件・986t(実際は3608tであった)・復原性維持可能な客数83t・復原性維持可能なバラスト水・2030t(実際には情報ではバラスト水を抜いて空で運行していたのでは?との情報あり)。実は旅客船にはライバルがいた。LCC航空機(格安航空機)である。<LCCチェジュエアー>金浦~済州島・1日片道16便(平日)・約6500円・所要時間約1時間<旅客船セウォル号>仁川~済州島・週二便・約7000円(大部屋)・所要時間約13時間。では、韓国の政府のおおまかなヒエラルキーを見て観よう。まず一番の権力者が<大統領>だ。で次が→<国務総理(首相)>→<経済部>―<国防相>―<安全行政部>―<海洋水産部>などである。この日本で言うなら行政機関の警察や海上保安庁(海の警察)や農水省(海洋水産部)や海軍などてんでバラバラな対応をした。2014年4月16日午前十時事故初期の政府発表では救助者110人、午前十一時半には161人、午後零時には179人、午後二時には368人に……。海上警察らが文句をいったら救助者が「161人」と誤報を認めた。最初の沈没では潜水捜査は20人のダイバーだけ。日が暮れてから247人のダイバーを投入した。政府発表では「セウォル号に(17日朝)空気注入した」としたが、本当にしたのは30時間後であった。16日午後チョン校長は生徒の保護者全員に「全員無事」とメールを打つ(何のうらづけもなく)など奇行はあいついだ。首相は責任を取って辞任し、韓国の朴大統領は口先だけで謝罪しました。首相だけでなくあのポンコツ女性大統領が辞任する必要がある。それが、韓国の国の為だろう。それが韓国の国益にかなう筈だ。
 それで韓国新聞は結論として『わが国は三流国家だった』などとした。
<オバマ大統領来日の狙い>
今回の来日来韓比などは「アメリカの中国対策」であった。共同声明(抜粋)       ①「本日、両国はTPPに関する二国間の重要な課題について前進する道筋を特定した」
*(コメや麦は日本の聖域を認める)→牛肉は関税ゼロか?甘利氏は「8合目まできた」と。
②「日米安保条約下のコミットメントは尖閣諸島を含め…すべての領域に及ぶ」「米国は尖閣諸島に対する権利を損なういかなる行動にも反対する」
*(尖閣諸島で何かあったらアメリカは動くと(VS中国・日本の領土とは明言していませんが、)それは中国への配慮である)
韓国と日本の仲直りも望んでいる米国。フィリピンは1992年にスービック米軍基地を「冷戦終結」を言い訳に閉鎖に追い込んだが、中国に南沙諸島(ミスチーフ礁、スカーブ礁)をあらされているのでまたアメリカ軍を招聘し、フィリピンも再びの「パックス・アメリカーナ(アメリカの核の傘の下の平和)」を望んでいる。

『テレビ朝日池上彰の解説塾』番組内2014年4月21日放送分Ⓒ池上彰
<配偶者控除>→103万円以内(一年間の年収が103万円を超えると控除対象外で税金がかかるというのが今までの仕組みだった)<女性の生き方の問題>と直結していて、配偶者がいればまけてもらえて、結婚してなきゃダメなのか?配偶者控除103万円以内を控除ゼロにして『女性の社会進出の促進』というが、果たしてそうなのだろうか?赤ん坊の子供を預けられず、働けない女性だって沢山いる。両親の介護などで配偶者控除を打ち切られるのが困る女性だって多いのが実情だ。もう少し、日本社会が日本国民に優しい社会じゃないと、何処が「美しい国・日本」なのか?ということになる。
<ウクライナ問題>歴史的にロシアは必ず「反ロシア国」「非ロシア国」との間に緩衝地帯(バッファーゾーン)をつくりたいという考えがある。ソ連時代の東欧、ウクライナの場合も、ロシアが「ウクライナの連邦制度賛成」といっているのも、ウクライナを(アメリカの50州の合衆国みたいな)連邦制度にしてロシア拠りの州を緩衝地帯にしたいが為だ。
<捕鯨問題>貧しいころの日本は牛肉豚肉より鯨肉の方が安かったのだという(「鯨ベーコン」等)。私は食べたことない世代だが、今や鯨肉は高級品である。だが、今やふぐや高級牛肉並みの高級鯨肉も、はるか昔は牛肉や豚肉より安かった。今回、IWCにオランダのハーグの国際司法裁判で敗訴したことは『調査捕鯨・食用鯨肉』の終焉を意味する。ちなみに、ハーグの国際司法裁判は一回で終了であり控訴したり、裁判のやり直しもできない。さて、捕鯨国は39か国もある。IWC加盟国88か国。捕鯨国(日本、ノルウェー、アイスランド、韓国、中国等)、反捕鯨国は49か国(米国、オーストラリア、イギリス、イタリア、*ルクセンブルク、*チェコ、*スイス、*オーストリア、*スロバキア、*ハンガリー、*サンマリノ(*は海を持たない国で、数合わせの為にアメリカの反捕鯨団体が集めた))である。だが、アメリカの反捕鯨団体は「鯨を食べる日本人と話しない」とピシャットすぐバリケードを掲げるが、昔はアメリカ人もイギリス人も鯨油(鯨から採れる油・ランプや燃料など)の為に積極的に捕鯨していた。ペリーの黒船が浦賀沖にやってきたのも元々は日本近海の鯨を取る為の港としてつかいたいということだった。その後、鯨油に代って安価な石油や灯油が登場し、西欧人は捕鯨をやめたに過ぎない。誰も日本の『調査捕鯨』を批判できないのだ。ちなみに捕鯨国の代表格は<アイスランド、フェロー諸島(デンマーク領)、ノルウェー、ロシア(チェクチ領)、インドネシア、日本(北大西洋)(南南極海)、カナダ、ワシントン(マカ・インディア)、アラスカ(エスキモー)、カナダ、セントビンセント、グリーンランド(デンマーク領)>の9か国である。
1982年にIWCが『商業捕鯨禁止』を全世界に勧告、三パターンに分かれた。①先住民生活捕鯨(エスキモーなど)②商業捕鯨(ノルウェー、アイスランド)③調査捕鯨(日本)→ノルウェーとアイスランドのように商業捕鯨を日本がするためには多数派工作と莫大な準備資金が必要で、無理である。国際司法裁判所はオーストラリアの主張を認めて、南極海沖での調査捕鯨を禁止したのだ。だが、夜郎自大も甚だしい。ミンククジラは増えすぎて大量のマグロやメカジキなどを捕食し、食物連鎖がめちゃくちゃなことになっているという。でも、「鯨やイルカは頭がいいから食べちゃ駄目」と欧米諸国はステレオタイプな価値観をがんがんぶつけてくる。日本側も最強の布陣(国際法に詳しい弁護士や論客・国際的な討論者)で臨んだが、それでも敗訴した。人間は感情論や欲に弱い。裏金も相手方は大量に流し込んだに違いない。かくして、日本の調査捕鯨は裁判で敗れ去った。いと哀れ。<ネット通貨ビットコインbitcoin>ネット通貨である、ビットコインとはインターネット上にしか存在しないお金の名称である。日本にあったマウント・ゴックス社が破綻した。課題は世界通貨として使えるか?信用度の問題。投機の対象。などである。貨幣流通量を見て観よう。アイルランド通貨 約8600億円、ビットコイン通貨 約8000億円、アルバニア通貨 約6800億円、ナミビア通貨 約6600億円……。何故、ビットコインに注目が集まるのか?は儲かるのではないか?という投機目的だ。例えばあるひとが数年前に1ビットコイン(1札2000円分)買った。4年後忘れていた頃に1800万円に価値があがっていて、それを現金化して新築の家を買ったという本当の話があれば、「いつかは自分も…」という夢見る馬鹿は出てくる。毎年年末に宝籤を大量に買う連中とメンタリティは同じである。いつか…億万長者に…連中は実際大金を手にすると数年で散財し無一文だそうだ(笑)。


『フジテレビ報道2001』番組内2014年1月16日放送2014年舛添要一氏「都政改革案 Ⓒ舛添要一」<東京発特区制度活用10大プロジェクト>①スピーディーな法人設定を支援②ベンチャー企業丸ごとサポート③外国企業の人材確保支援④国際標準のビジネス空間づくり⑤創業の拠点形成⑥東京都版PMDA創設⑦外国人居住環境整備⑧東京シャンゼリゼプロジェクト⑨外国人の快適な滞在実現⑩外国人向け安心医療整備の提供
<Ⓒフジテレビ番組内『報道2001』2014年1月16日放送分>
<許認可>→国の基準でつくる保健所
<認証>→都の独自の基準でつくられる保健所
(<母子生活支援センター>→入所率は8割。夫のDVなどで母子が入るアパートのこと。(年々減少))(東京都未使用地→332か所)
<Ⓒフジテレビ 世界の都市総合ランキング 2014年度>
<総合スコア>①ロンドン②NY③パリ④東京⑤シンガポール⑥ソウル⑦アムステルダム⑧ベルリン⑨ウィーン⑩フランクフルト<文化交流>①ロンドン②NY③パリ④シンガポール⑤ベルリン⑥北京⑦ウィーン⑧東京⑨ロサンゼルス⑩イスタンブール
<Ⓒフジテレビ 日本の2014年度国家戦略特区>*沖縄(観光)*福岡市(雇用)*兵庫・堺市(観光)*新潟(農業)*関東圏(先端医療)*東京園(国際ビジネス拠点)

<日豪EPA>(番組『池上彰解説塾』テレビ朝日番組内2014年4月14日放送分Ⓒ池上彰)
日豪(つまり日本と豪州・オーストラリア)のEPAですが、基本的にはTPPよりも少しマイルドなEPA(経済連携協定)です。豪は中小企業は1年目から関税撤廃、大企業は3年目から関税撤廃です。ちなみにオーストラリアの牛肉、つまりオージー牛ですが以下のように締結しました。まずは冷凍牛(牛丼やハンバーグの具)では関税率は19.5%で維持し19万5000tを越えたら38.5%に戻す。冷蔵牛(○○牛、オーストラリア牛、スーパー、食肉)では関税率23.5%で維持し、13万tを越えたら38.5%に戻します。つまりEPAをつかってTPPを優位にする策です。アメリカに「日本の聖域(コメ、小麦、砂糖、牛肉、豚肉、乳製品)を認めない」というなら日本の消費牛肉がオージー牛になると脅す(国産4%オーストラリア産32%アメリカ産21%その他6%)のです。
<消費税 Ⓒ池上彰(同年月月)>
まずは<2014年度の予算の中から社会保障費をみてみましょう>「社会保障費(年金・医療・介護・子育て)社会保障の主な経費=30.5兆円」、消費税収15.3兆円………つまり差額は15.2兆円です。消費増税(年)17%でもトントンというところです。消費税は20%がいい。(OECDが日本国が財政破たんしない為にも20%がいい、と忠告しています)。
<日本の三大税収>①所得税②消費税③法人税(利益がないと払っていない会社30%<シンガポール法人税15%日本の法人税25%>)消費税が一番安定し、幅広く国民からとれるから消費税をあげたのです。また無駄な公共事業のために。利権のために。
<NHK組織2013年度>①経営委員会―監査委員会→会長(第21代籾井勝人会長(慰安婦問題発言で失言))<独立する形で「リスクマネジメント委員会」>→理事会→経営企画局―内部監査室―考査室→<「秘密室」―「総務局」―「人事局」―「経理局」―「関連事務局」―「情報システム局」―「アナウンス局」―「解法委員会」―「編成局」―「製作局」―「報道局」―「国際報道局」―「広報局」―「営業局」―「技術局」>等。
また独立した立場での「NHK経営委員会(定数12人・2013年度)」<浜田健一郎氏(ANA総研会長)><石原進氏(JR九州会長)><上村達男氏(早稲田大学教授)><渡辺恵理子氏(弁護士)><上田良一氏(商社社長)><美島のゆり氏(公立はこだて未来大学教授)><富田亮平氏(東京芸術大学長)><百田直樹氏(作家*アベトモ)><本田勝彦氏(JT顧問・アベトモ・元安倍晋三家庭教師)><長谷川三千子氏(放送大学教授・アベトモ)><中西尚正氏(海陽中等教育学校長・アベトモ)>


<「米沢市政の課題」緑川鷲羽考案>(1)川中島・武蹄式等の「上杉祭り」・スキー大会の成功*ふるさと納税の景品充実(米沢牛、ラ・フランスなど)*国内外の農業ライバルとの競争に強い米沢市の農業政策の大転換(我が上杉の城下町・米沢市の酪農家の(TPP対策として)『ブランド牛・米沢牛を高品質化で(安価外国牛に)対抗』という戦略は正しいし、全面的に支持したい。さくらんぼも林檎、ラ・フランス、鯉の旨煮もそうだが幾ら外国産より値段が高かろうが『嗜好品』『高品質でおいしくて安全』なら必ず生き残れる。戦略的に米沢を創り直そう。また高スキル主婦の中小企業へのインターシップや子育てしながらの週4日短時間労働等の『中小企業新戦略発掘プロジェクト』も米沢市政で実施したい。待機児童ゼロ、『子育てするなら米沢市で』を目標に私は(出生率1・86の)長野県下郷村のモデルを取り入れて行政のスリム化で予算捻出、子育て世帯に格安住宅や養育費を提供するプランを米沢市政でもやりたい。女性や高齢者、若者の輝ける米沢市にしたい。国家戦略特区に指定してもらって若者の政治参加(17歳で米沢市地方選挙投票権を付与)を進める。生活保護で働ける人々に一人当たり70万円の税金で1年間の職業訓練を受講させ社会労働者復活をバックアップ。安易な外国人単純労働者の受け入れ拒否)*道路などのインフラ整備*公共施設などの米沢市内のトイレをきれいにする(女性対策)*米沢市の市議会議員の給与ゼロと定数削減(議員はボランティア)*観光策など女性の声をとりいれる*観光立市宣言(特化)*コンパクトシティ構想*アニメの殿堂と宮崎駿風大正時代の町並みなどのパノラマ横丁化(上杉神社の東側を大規模に改築し、九里高校校舎は維持しながらも、ガンダムの等身大リアルな立像を建て、大正ロマンの建物やアニメの聖地にして観光立市化)*セキュリティーの強化(テロ防止等)*外国語表示・標識の整備*第二図書館建設中止(ゼネコンへの利権政治からの脱却)*大型バス駐車場の整備*上杉鷹山公レガシーの残し方に関する計画(2)国際競争力の向上と海外企業の誘致*国家戦略特区としてのアジアヘッドクオーター特区の推進*カジノ解禁に伴う総合リゾート(IR)の推進*上杉神社や観光地へのアクセスの推進*米沢市の更なる国際化*米沢の物流等の強化(3)高度な防災都市の実現*道路・橋の老朽化対策*木造家屋密集地の防火対策*ヘリサインの整備*帰宅困難者対策(一時滞在施設確保など)*PF1(住宅の1Fにコンビニやスーパー)(4)高齢者対策・子育て支援*地域包括ケアシステムの構築*訪問介護の充実・認知症患者に対応できる医療機関の充実*介護施設の安全確保*子ども子育て新制度に関する施設の充実*待機児童対策の充実*(5)抜本的な電力対策*電力システム・改革の推進*分散型電源の普及拡大*再生可能エネルギーの普及拡大(6)教育の充実*公立学校の教員定数の充実*私立学校助成の充実*就学支援制度の充実*教育委員会制度の見直し*いじめ対策(7)美しい景観・環境の整備*無電柱化*街路樹の倍増*公園の整備促進*水辺空間の緑化促進*河川の水質浄化*ヒートアイランド対策*地球温暖化対策*自動車排ガス対策(8)地方分権の推進*法人事業税の暫定措置の撤廃(地方税としての還元)*法人住民税の大幅減税*ハローワーク事業の民間企業経営


<「米沢市政の課題」緑川鷲羽考案>(1)川中島・武蹄式等の「上杉祭り」・スキー大会の成功*道路などのインフラ整備*セキュリティーの強化(テロ防止等)*外国語表示・標識の整備*第二図書館建設中止(ゼネコンへの利権政治からの脱却)*大型バス駐車場の整備*上杉鷹山公レガシーの残し方に関する計画(2)国際競争力の向上と海外企業の誘致*国家戦略特区としてのアジアヘッドクオーター特区の推進*カジノ解禁に伴う総合リゾート(IR)の推進*上杉神社や観光地へのアクセスの推進*米沢市の更なる国際化*米沢の物流等の強化(3)高度な防災都市の実現*道路・橋の老朽化対策*木造家屋密集地の防火対策*ヘリサインの整備*帰宅困難者対策(一時滞在施設確保など)*PF1(住宅の1Fにコンビニやスーパー)(4)高齢者対策・子育て支援*地域包括ケアシステムの構築*訪問介護の充実・認知症患者に対応できる医療機関の充実*介護施設の安全確保*子ども子育て新制度に関する施設の充実*待機児童対策の充実*(5)抜本的な電力対策*電力システム・改革の推進*分散型電源の普及拡大*再生可能エネルギーの普及拡大(6)教育の充実*公立学校の教員定数の充実*私立学校助成の充実*就学支援制度の充実*教育委員会制度の見直し*いじめ対策(7)美しい景観・環境の整備*無電柱化*街路樹の倍増*公園の整備促進*水辺空間の緑化促進*河川の水質浄化*ヒートアイランド対策*地球温暖化対策*自動車排ガス対策(8)地方分権の推進*法人事業税の暫定措置の撤廃(地方税としての還元)*法人住民税の大幅減税*ハローワーク事業の経営


    2013年12月17日「国家安全保障戦略(NSS)」
<1 策定の趣旨>
 我が国の安全保障をめぐる環境が一層厳しさを増している中、国際社会の中で進むべき針路を定め、国家安全保障のための方策に政府全体として取り組むことが必要である。
 この戦略では、国際協調主義に基づく積極的平和主義を明らかにし、国益について検証し、国家安全保障の目標を示す。戦略内容は、おおむね10年程度の期間を念頭に置いたものであり、政策の実施過程を通じて国家安全保障会議(NSC)において定期的に体系的な評価を行い、適時・適切に発展させていく。
<2 国家安全保障の基本理念>
 1 我が国が掲げる理念
 2 我が国の国益と国家安全保障の目標
 〈国家安全保障の目標〉
 我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な抑止力を強化し、我が国に直接脅威が及ぶことを防止するとともに、万が一脅威が及ぶ場合には、これを排除し、かつ被害を最小化すること。
<3 我が国を取り巻く安全保障環境と国家安全保障上の課題>
 1 グローバルな安全保障環境と課題
 (1)パワーバランスの変化及び技術革新の急速な進展
 新興国(中国、インドなど)の台頭により国家間のパワーバランスが変化している。特に、中国は国際社会で存在感を高めている。
 米国は安全保障政策及び経済政策上の重点をアジア太平洋地域にシフトさせる方針を明らかにしている。
 非国家主体によるテロや犯罪の脅威が拡大しつつある。
 (2)大量破壊兵器などの拡散の脅威
 北朝鮮、イランによる核・ミサイル開発問題は大きな脅威である。
 (3)国際テロの脅威
 (4)国際公共財に関するリスク
 海洋においては近年、資源の確保や自国の安全保障の観点から、力を背景とした一方的な現状変更を図る動きが増加しつつある。シーレーンの安定や航行の自由が脅かされる危険性も高まっている。
 (5)「人間の安全保障」に関する課題
 (6)リスクを抱えるグローバル経済
 2 アジア太平洋地域における安全保障環境と課題
 (1)アジア太平洋地域の戦略環境の特性
 (2)北朝鮮の軍事力の増強と挑発行為
 北朝鮮は、核兵器を始めとする大量破壊兵器や弾道ミサイルの能力を増強するとともに、軍事的な挑発行為や我が国などに対する様々な挑発的言動により、地域の緊張を高めている。我が国に対する脅威が質的に深刻化している。
 金正恩(キムジョンウン)体制の確立が進められる中、北朝鮮内の情勢を引き続き注視する必要がある。北朝鮮による拉致問題を含む人権侵害問題は、我が国の主権と国民の生命・安全に関わる重大な問題であり、国の責任において解決すべき喫緊の課題である。
 (3)中国の急速な台頭と様々な領域への積極的進出
 十分な透明性を欠いた中で、軍事力を広範かつ急速に強化している。東シナ海、南シナ海などの海空域において、既存の国際秩序とは相いれない独自の主張に基づき、力による現状の変更の試みとみられる対応(尖閣諸島付近の領海侵入・領空侵犯、独自の「防空識別区」の設定など)を示している。
<4 我が国がとるべき国家安全保障上の戦略的アプローチ>
 国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、日米同盟を基軸としつつ、各国との協力関係を拡大・深化させるとともに、我が国が有する多様な資源を有効に活用し、総合的な施策を推進する必要がある。
 1 我が国自身の能力・役割の強化・拡大
 (1)安定した国際環境創出のための外交の強化
 (2)我が国を守り抜く総合的な防衛体制の構築
 厳しい安全保障環境の中、戦略環境の変化や国力・国情に応じ、実効性の高い統合的な防衛力を効率的に整備し、統合運用を基本とする柔軟かつ即応性の高い運用に努める。自衛隊の体制整備にあたっては、統合的・総合的視点から重要となる機能を優先しつつ、各種事態の抑止・対処のための体制を強化する。
 (3)領域保全に関する取組の強化
 領域警備に当たる法執行機関の能力強化や、海洋監視能力の強化を進める。国境離島の保全・管理・振興に積極的な取り組みを推進するとともに、国境離島などにおける土地利用などの在り方について検討する。
 (4)海洋安全保障の確保
 (5)サイバーセキュリティーの強化
 (6)国際テロ対策の強化
 (7)情報機能の強化
 (8)防衛装備・技術協力
 武器輸出三原則などがこれまで果たしてきた役割にも十分配意した上で、移転を禁止する場合の明確化、移転を認め得る場合の限定及び厳格審査、目的外使用及び第三国移転に係る適正管理の確保などに留意しつつ、武器などの海外移転に関し、新たな安全保障環境に適合する明確な原則を定めることとする。
 (9)宇宙空間の安定的利用の確保及び安全保障分野での活用の推進
 (10)技術力の強化
 2 日米同盟の強化
 (1)幅広い分野における日米間の安全保障・防衛協力の更なる強化
 国内における関連の検討作業と整合的な形で「日米防衛協力のための指針」を見直し。
 (2)安定的な米軍プレゼンスの確保
 在日米軍駐留経費負担などの施策のほか、抑止力を向上しつつ、沖縄を始めとする地元の負担を軽減するため、在日米軍再編を日米合意に従って着実に実施する。
 3 国際社会の平和と安定のためのパートナーとの外交・安全保障協力の強化
 中国には、大局的見地かつ中長期的見地から、「戦略的互恵関係」の構築に向けて取り組み、地域の平和と安定及び繁栄のために責任ある建設的役割を果たすよう促すとともに、力による現状変更の試みとみられる対応については、事態をエスカレートさせることなく、冷静かつ毅然(きぜん)として対応していく。
 北朝鮮の拉致・核ミサイル開発といった諸懸案については、日朝平壌宣言、6者協議共同声明及び国連安全保障理事会(安保理)決議に基づき、包括的な解決に向けて、北朝鮮に具体的な行動を求めていく。拉致問題の解決なくして国交正常化はあり得ないとの基本認識で全力を尽くす。
 ロシアとの間では、安全保障及びエネルギー分野を始めとするあらゆる分野で協力を進め、日ロ関係を全体として高める。最大の懸案である北方領土問題は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する方針で交渉を行う。
 4 国際社会の平和と安定のための国際的努力への積極的寄与
 (1)国連外交の強化
 安保理改革・我が国の常任理事国入りの実現に向けた取り組みを推進する。
 (2)法の支配の強化
 (3)軍縮・不拡散に係る国際努力の主導
 (4)国際平和協力の推進
 国連平和維持活動(PKO)などに一層積極的に協力する。PKOと政府の途上国援助(ODA)事業との連携の推進、ODAと能力構築支援の戦略的な活用を図る。
 (5)国際テロ対策における国際協力の推進
 5 地球規模課題解決のための普遍的価値を通じた協力の強化
 (1)普遍的価値の共有
 (2)開発問題及び地球規模課題への対応と「人間の安全保障」の実現
 (3)開発途上国の人材育成に対する協力
 (4)自由貿易体制の維持・強化
 環太平洋経済連携協定(TPP)、日・欧州連合(EU)経済連携協定(EPA)、日中韓自由貿易協定(FTA)、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などの経済連携の取り組みを推進。こうした取り組みを通じ、アジア太平洋地域の活力と繁栄を強化する。
 (5)エネルギー・環境問題への対応
 エネルギーを含む資源の安定供給に向けた各種取り組みに、外交的手段を積極的に活用し、供給源の多角化などに取り組む。気候変動分野に関しては、攻めの温暖化外交戦略を展開する。
 (6)人と人との交流の強化
 2020年に開催される東京五輪・パラリンピックなどを活用し、個人レベルでの友好関係を構築する。
 6 国家安全保障を支える国内基盤の強化と内外における理解促進
 (1)防衛生産・技術基盤の維持・強化
 防衛装備品の効果的・効率的な取得に努めるとともに、国際競争力の強化を含め、防衛生産・技術基盤を維持・強化していく。
 (2)情報発信の強化
 (3)社会的基盤の強化
 国民一人一人が、地域と世界の平和と安定を願いつつ、国家安全保障を身近な問題として捉え、その重要性や複雑性を深く認識することが不可欠。
 諸外国やその国民に対する敬意を表し、我が国と郷土を愛する心を養う。
 領土・主権に関する問題などの安全保障分野に関する啓発や自衛隊、在日米軍などの活動の現状への理解を広げる取り組みなどを推進する。
 (4)知的基盤の強化


 

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僕は安倍晋三独裁政権の瓦解崩壊を強く望む!安倍晋三は資質もなく英会話も戦略も審美眼もない

2015年02月23日 19時20分51秒 | 日記









不正献金疑惑で


安倍独裁政権の西川農相が辞任した。


僕は安倍晋三という政治家が大嫌いだ。


志が低く、英語も話せず、


高学歴老人と安倍ポチ議員・官僚しか登用せず、


世間知らずの金持ちのお坊ちゃんで、


政治家・指導者としての資質もない。


外交を知らず戦略もない。祖父の岸信介の天才の欠片も持ぬ。臥竜


緑川鷲羽2015年そして始まりの年へ。

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第三次安倍政権・西川農水相政治献金疑惑で辞任、後任は林芳正前農水相返り咲き。安倍独裁政権打撃瓦解危機

2015年02月23日 18時56分04秒 | 日記








西川農相 安倍首相に辞表提出
2月23日 17時55分


西川農林水産大臣は、23日、安倍総理大臣と総理大臣官邸で会談し、みずからの政党支部が国の補助金を受けた企業などから献金を受けていた問題などで、これ以上、国会審議に影響が出ることは避けたいなどとして辞表を提出し、受理されました。
安倍総理大臣は、辞表を提出した西川農林水産大臣の後任に林芳正前農林水産大臣。

西川農林水産大臣の政党支部を巡っては、国の補助金を受けた栃木県内の木材加工会社から300万円の献金を受け取っていたほか、国の補助金を受けた砂糖の業界団体の代表が社長を務める会社からも100万円の献金を受けていたことが分かりました。
西川大臣は、これまでの国会審議などで、「違法性はないと判断している」としたうえで、「農林水産大臣という職責に鑑みて、疑問を持たれないようにいずれも返金した」と説明してきました。
しかし、野党側が「資質に問題がある」として追及を強めていたことなどから、西川大臣は、これ以上、国会審議に影響が出ることは避けたいなどとして、閣僚を辞任する意向を固め、23日午後5時すぎ、総理大臣官邸で安倍総理大臣と会談して辞表を提出し、受理されました。
会談のあと、西川大臣は総理大臣官邸で記者団に対し、「私がいくら説明しても分からない人は分からないということで、農林水産大臣の辞表を出してきた。安倍総理大臣からは『農業関係の仕事を大変よくやってくれた。引き続きできればやってほしい』ということだったが、私はもう自分で決めたので、政府から外れるということを申し上げてきた。安倍総理大臣も了承してくれた」と述べました。
そのうえで、西川大臣は「全部説明できたし、法律に触れることはないということは安倍総理大臣も分かってくれた。これから農政改革をやるときに内閣に迷惑を掛けてはいけないということでみずから辞表を出した」と述べました。
安倍総理大臣は、国会審議などへの影響を最小限に抑えるため、速やかに後任人事の調整を進めることにしていて、林芳正前農林水産大臣を充てる方針を固めました。

献金問題の経緯
西川農林水産大臣は、去年9月に発足した第2次安倍改造内閣で初入閣を果たしました。
就任後の記者会見では、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の早期妥結や、農協改革の実行に強い意欲を示しました。
しかし、去年10月、西川大臣はみずからの政党支部が大臣の親族が経営する企業に事務用品代などの名目で支出していたことが明らかになりました。
このときは、「通常の商取引で、批判を受ける話ではない」として、違法性はなく、法律にのっとって適正に処理しているいう認識を示しました。
その後、第3次安倍内閣で農林水産大臣に再任されますが、今月、政府・与党による農協改革の関連法案の骨格がまとまった直後、再び政治と金を巡る問題で追及を受ける事態になります。
今月13日には、みずからの政党支部が国の補助金を支給された栃木県の木材加工会社から300万円の献金を受けていたことが明らかになりました。
政治資金規正法では、会社などは国の補助金の支給の決定から1年間、政治献金をすることは原則として禁じられています。
これについて、西川大臣は「違法性は認識をしておらず、知らないままで政治献金を受けた」として、献金を返金しました。
これに加えて、17日には、別の補助金を支給された砂糖の業界団体の代表が社長を務める会社から100万円の献金を受けていたことが分かり、「疑問を持たれないため」として、この献金も返金しました。
これらの問題について、今月19日に開かれた衆議院の予算委員会で、野党側から事実関係の説明を求められました。
この中で、西川大臣はみずからに違法性はないと重ねて強調したうえで、「農林水産大臣という立場から道義的なことを考えて返金した」と述べていました。
しかし、農協改革の関連法案の策定作業が進むなかで、西川大臣は第3次安倍内閣で再任されてから僅か2か月で閣僚を辞任することになりました。

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歌舞伎役者・坂東三津五郎さん病死(享年59歳)2015年2月22日膵臓癌若すぎる死にファン号泣

2015年02月23日 18時48分09秒 | 日記






坂東三津五郎さん死去 59歳、すい臓がん闘病中
2015年2月22日20時15分




 踊りの名手として知られ、端正な芸で幅広い役を演じた歌舞伎俳優の十代目坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう、本名・守田寿〈もりた・ひさし〉)さんが21日、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去した。59歳だった。遺族による密葬の後、本葬は25日午後3時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は長男の二代目坂東巳之助(みのすけ、本名・光寿〈みつひさ〉)さん。

三津五郎さん「生きる場所は歌舞伎座」円熟期を前に急逝

 2013年7月に膵臓の異常がみつかり、8月末から入院。9月に膵臓の悪性腫瘍(しゅよう)と脾臓(ひぞう)を切除する手術を受けた。療養後、14年4月に「寿靱猿(ことぶきうつぼざる)」で東京・歌舞伎座の舞台に復帰し、同年8月にも「たぬき」「勢獅子(きおいじし)」に出演した。9月には東京・国立劇場での舞踊会でも踊った。

 9月の定期検査で肺の異常が発覚し、12月に出演を予定していたこまつ座の舞台「芭蕉通夜舟」の降板を発表。10月の小唄演奏会での舞踊が最後の舞台となった。

 東京都出身。先代三津五郎の長男に生まれ、1962年、五代目八十助(やそすけ)を襲名し初舞台を踏んだ。八十助として長らく活躍。2001年に三津五郎を襲名した。「喜撰(きせん)」などで、折り目正しさの中に妙味のある芸を見せた。「魚屋宗五郎」の宗五郎といった世話物の役をはじめ、「勧進帳」の弁慶などの荒事や時代物の役もよくこなし、新作歌舞伎、現代劇まで幅広く演じた。NHK大河ドラマ「功名が辻」やTBS系「ルーズヴェルト・ゲーム」などテレビ、映画「武士の一分」にも出演。日本舞踊の坂東流家元としても知られた。

 06年日本芸術院賞。09年紫綬褒章など。著書に「あばれ熨斗(のし)」などがある。

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安保の城の妖怪 岸信介伝<安倍晋三の祖父・岸信介の安保闘争と革命>アンコール連載4

2015年02月21日 07時29分23秒 | 日記









<「長期的視座」付け焼刃の「足りないから入れる」だけでは必ず失敗する <右翼も左翼も関係ない、国を愛し憂うならば世界唯一の「ニッポン移民システム」を作れ>>Ⓒ大前研一氏(経営コンサルタント)「人間力の時代第78回」小学館SAPIO誌2014年6月号。
2050年の日本の人口ピラミッドは、男女とも70代後半が最も多く、低年齢になればなるほど少ない“モスラの幼虫型”になっている。このままだと生産年齢人口は大きく減少し、現在の国力を維持できないのは火を見るより明らかだ。そもそもデモグラフィーや人口ピラミッドが何のためにあるのかと言えば、国家の長期的な政策を決めるためである。いいかえれば人口に関することは教育などと並ぶ国の「基本計画」であり、それを変えるには少なくとも20年かかる。国家が(試行錯誤が必要な)人口問題を解決しようとする際にも20年以上かかるのは当然だろう。逆に言うと、20年かけずにその場しのぎで移民政策を進めたら必ず失敗する。たとえば25~30年前のバブル期、人手不足になった土木建築業や製造業で働くため、南米の日系人をはじめ、パキスタン、インド、イランなどから労働者が続々とやってきた。日本政府は単純労働の受け入れを認めていないため、彼らは観光ビザ、学生ビザなどで来日して不法就労の形で働き、それを政府も事実上、黙認してきた。ところがバブル崩壊で不景気になると、日本の大半の企業は不法就労の外国人労働者を容赦なく解雇して追い出した。なかには不法滞在して働き続ける外国人も少なくなかった。そうした付け焼刃な対応をしたため日本は評判を落とした。あるいは今シンガポールやUAE(アラブ首長国連邦)のアブダビはハイテクタウンを建設し、破格の待遇で世界中から優秀な研究者を集めている。だが、彼らはおおむね3年間で結果を出せなければ母国に帰国させられてしまう。そういう短期間で成果を求める不自然なやり方は、政策として上手くいかないと思う。永住を前提としてこそ「命がけで」その国の中で活躍し、その国に貢献しようとするのである。安倍晋三首相と政府は人手が不足している建設や高齢者介護、農業、家事サービスなどの分野で外国人労働者の受け入れを拡大する方針を示す一方で、「移民政策と誤解されないように配慮しつつ、検討を進めてほしい」と指示した。しかしそれでは25~30年前と同じ失敗を繰り返すだけである。政策には今年生まれの子供が15年、社会で活躍するのに30年かかる。重ねて言うが今後も日本が国力を維持する方法は移民の受け入れしかないし、今が最後のチャンスなのである。<移民政策3ステージ>ステージ①世界中から野心溢れる優秀な人材を年間1000人くらいずつ呼び込み、付加価値を作って富を創出する「グローバルステージ(舞台)」だ。代表的な例は、インド、イスラエル、台湾、ロシア、東欧などからトップ人材が集まっているアメリカのシリコンバレー(今はサンフランシスコ周辺を含めたベイエリアに地域が拡大している)だが、日本では、たとえば医療や環境など何種類かのステージがあってよい。ただし、それは1か所に集めてクラスター化し、1つの“生態系(エコシステム)”を形成しなければならない。立地場所も東京都圏、関西圏などだ。世界が魅力を感じる大都市の近くでないと優秀な人材が集まって来ない。そこにスタンフォードやMIT大のようなグローバルな大学教育施設をつくる事。筑波研究所や関西文化学術研究所などのような都会から離れた場所は論外だ。ステージ②医師、看護師、弁護士、消防士など「士(サムライ)」ビジネスの担い手だ。今後はそうしたプロフェッショナル領域の人たちが圧倒的に不足するので、世界から年間10万人規模で呼び込む必要がある。サムライビジネスの場合、そのスキルは世界でおおむね共通している。したがって自分の国でそれらの資格を取得して仕事をしていた外国人、あるいは日本で一定期間訓練を受けて技能試験の合格した外国人は、差別なく働けるようにすべきだと思う。インドネシアとフィリピンから看護研修生を招聘して、日本人でもパスするのが難しい日本語の国家試験を2年間以内で合格できなければ強制退去……こういうやり方は搾取であり、外国人でも母国ででも国家試験をパスしたなら、評判が良ければ日本で継続的に就業できるようにするべきだろう。外国人による介護や看護を敬遠する声もあるが、そんな悠長な事を言っていられる状況ではない。日本では65歳以上の高齢者人口は2025年に3657万人に達し、42年に3878万人でピークを迎える。60年には高齢化率は39.9%に達して国民の2・5人にひとりが高齢者になると見込まれている。今後は生産年齢人口である15~64歳が毎年約60万人ずつ減少していく。どう考えても介護や看護は外国人に任せるしかない。ステージ③一般労働者の場合。人口が減ってくると建設業者や漁業者など厳しい仕事の現場は人材確保が難しくなってきていくので、この領域に今後は外国人労働者を年間30万人規模で受け入れなければ立ち行かなくなると思う。とはいえ「人手が足りないからどんどん入れましょう」では、言語や習慣、文化などが理解できないまま日本で働き、生活することによる軋轢や、トラブルを生む懸念がある。となれば母国でしかるべき教育を受けて、日本で働きたい人材に関しては、政府が費用を負担して日本の学校で2年間、我が国の法律や言葉、社会習慣など基礎を学んでもらう。そして卒業試験の結果、問題なく生活できると判定されたら「日本版グリーンカード(国籍がなくとも永住することができる権利およびその資格証明書)」を発行して労働市場に出てもらえばよいと思う。他に例がない、外国人労働者の居住スラム化を防ぐ有効な手段となる。若い保守層に「移民の受け入れ反対」「治安が悪くなる」「スラム化する」「賃金が下がる」「職が奪われる」といささかヒステリーを起こしている人々が大勢いるが、60年代70年代の安保闘争や最近の脱原発デモのような「集団ヒステリー」でしかない。その愛国心・憂国心をもとに、もう少し長期的な視座にたって日本の将来を見ると、この国のためには移民はいずれ何らかの形で受け入れざる得ないという現実を直視できるようになると思う。「愛国者は移民受け入れに反対するべき」「移民政策は反日的」などといった二元論では問題は解決しない。「右翼」「左翼」というレッテルに惑わされることなく、この国の将来を真剣に考えるべき時が来ている。
<SAPIO intelligence database<世界を読むための情報羅針盤>プーチンが発した「中国とは同盟しない」重要シグナル>小学館SAPIO・サピオ誌2014年6月号Ⓒ佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
東西冷戦終結の象徴でもあるG8体制が崩壊した。ロシアがウクライナのクリミア自治共和国を編入したことに対して、米国、EU(欧州連合)、日本などが対露経済制裁を発動し、さらにG8(日米英仏独伊加露)からロシアを排除する決定を行った(6月にロシアのソチで行うG8サミットをボイコットし、ベルギーのブリュッセルでG7サミット行った)。仮に今後G8にロシアが復帰する場面があったとしても、G8は米露が自らの政治宣伝(プロパガンダ)を展開する場になり、国際社会の重要問題を建設的に解決することはできない。冷戦には2つの特徴がある。第一は、共産主義対資本主義というイデオロギー対立だ。ロシアも米国、EU、日本も資本主義国で、政治指導部が国民による投票によって形成される。ウクライナ問題を巡っても、ロシアと米・EU・日の間にイデオロギー対立は存在しない。第二の特徴は、ブロック間対立だ。ウクライナ問題をめぐっては、ロシアを全面的に支持し、ブロックを形成する国はない。イデオロギーに基づくブロック間対立という特徴を有していない現下のロシア・米・EU・日の対立を新冷戦と名付けるのは適当ではない。
 現在進行しているのは、主要国、国家連合(EUは独仏提携を基本とした広域帝国主義ブロック)の帝国主義的対立だ。主要国間の全面戦争を避ける傾向がある。仮に戦争になっても、それは主要国以外の場所(イラク、アフガニスタン、シリア、リビアなど)で行われる傾向がある。ロシアは戦争を望んでいない。ウクライナで、兄弟民族であるロシア人とウクライナ人が戦争を行えば、両者の民族対立がロシア国内に波及し、ロシアの国家体制を揺るがすことをプーチンが懸念しているからだ。ウクライナ暫定政権と米国は連邦化に激しく反発しているが、ウクライナにおける歴史的経緯、ロシア語常用者、正教信者の分布を考えた場合、連邦化は現実的な選択肢だ。さらには日本ではまったく報道されていないが、ウクライナの西部でスロバキア、ハンガリーと国境を接するザカルパチア地方の人々は「ルシン人」という自己意識を持っており、反ウクライナ、反スロバキア、親チェコ、新ロシアの感情が強い。この地方にもロシアへの編入要求が根強く存在する。ここでも地方政府に広範な自治権を持たないと今後、西ウクライナでも騒擾(そうじょう)が発生する危険がある。ロシアはウクライナ暫定政権の合法性を認めていない。しかし、2014年5月25日に行われたウクライナ大統領選挙の結果には、反対も反発もしていない。
大統領選挙で選ばれたポロシェンコ大統領とその政権の正統性をロシアは認め、事態の安定化に向けた交渉を行う用意があるということだ。ウクライナの暫定前政権は自国民に「テロリスト」というレッテルを貼り、対テロ作戦を仕掛けた。CIA(米国中央情報局)やSIS(英国秘密情報部、いわゆるMI6)など欧米のインテリジェンス機関との協力を深化させた。新大統領のポロシェンコ氏もその政権もそうだろう。危機感を抱くロシアもウクライナ領内にFSB(連邦保安庁)、GRU(軍参謀本部情報総局)に所属する秘密工作員を派遣し、ウクライナ新政権の権力を弱体化させようとしている。このような行動は国際法に違反する内政干渉で、断じて認められない。またプーチンは「中国との軍事政治同盟の形成など問題にしていない」と断言した。中露枢軸の形成を意図していないということだ。プーチンは、ロシアも中国も帝国主義国なので、適宜(てきぎ)取り引きをしながらも、それぞれの国益の極大化を図っていくことを考えているのである。

小学館SAPIO(サピオ)誌2014年6月号Ⓒ小学館SAPIO編集部<SAPIO’S EYE>痛ましい韓国船事故を未来につなげられるか。オバマ大統領「明治神宮参拝」の真意が報じられていない。**3ページまとめ緑川鷲羽2014年5月16日。
韓国「セウォル号」の事故は海難史上に残る惨事となった。犠牲者が300人規模というだけでなく、その多くが未来或る若者だったことに世界はショックを受けた。船長以下、船員のモラルと技術の欠如、船舶会社の改造や整備に呈された疑惑、救助に際して関係部門が縦割りの弊害や責任転嫁を見せたこと__いずれも海運大国、造船大国の恥ずべき汚点と言わざる得ない。この国がまだ経済発展に見合う社会制度や国民意識を醸成できないことが垣間見れる醜態だが、それはどこの国も通る道であり、これから発展する途上国なら他山の石にすべき教訓を含んでいる。日本も1954年に1125人の死者を出した青函連絡船「洞爺丸」の沈没事故の沈没を引き合いに出せば「そんな古い話と同列には語れない」と反発もあるだろう。その悲劇をきっかけに日本では船舶の安全に関する法整備が進み、安全性は飛躍的に高まったが、失敗から学ぶことによって今日が作られたことは紛れもない事実だ。最近でも2005年の福知山線脱線や2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原発爆発など、油断や警告無視、組織による管理不行き届きといったヒューマンエラーによる重大事故は起き続けている。韓国が日本の救助の申し出を断ったことが報道され批判されたが同じようなことは大震災で日本もやった(アメリカの原発事故収束への協力提案を拒否したり、台湾の救援隊を足止めしたりした)。これらは政治家と官僚のメンツ優先や打算によって起きた失敗だ。前に「韓国の嘘が、虚像が、世界にバレ始めている」といったが<韓国の嘘がバレる日が近づいてきた今こそ、我々は「ざまあ見ろ」と罵るのではなく、正しい知識と歴史的事実、そして国際社会の常識を共有できる隣人となるべく手を差し伸べる包容力を見せるべきだ>と言ったのに、この文章が本誌ウェブサイトなどに紹介されると、一部の読者から“嘘つきと付き合えるものか”“悪いのは向うなのだからほっておけ”“サピオは頭がおかしくなったのか”といった反論が寄せられた。実に憂うべき病巣が日本にもある。現在でも課題が残る。同じ特集でも指摘した環境問題でも、日本は高度経済成長に大きな犠牲を払ったから今がある。「人種差別」も取り上げたがヘイトスピーチの広がりを見れば、この点では韓国と大差ないと言える。「子供叱るな、いつか来た道」と格言が戒めるように、先に、発展した我々が後に続く国に範を示し、必要なノウハウを提供するのは当然であり、「そんなことも出来ないのか」と馬鹿にするのは驕りである。痛ましい事故で未来を奪われた若者たちの犠牲が、韓国と日韓関係の輝かしい未来の礎になることを切に願う。オバマ大統領が明治神宮に参拝した意味を日本のマスコミは報道しなかった。国家神道に敬意を示したとか、日韓併合を決めた明治天皇を評価したことになる、などと日本に都合のよい解釈をする右派論客やネット右翼が多かったが、実際には全く逆で、これは安倍首相らの靖国参拝に対する強烈な抗議の意思表明である。明治神宮には2002年にブッシュ(Jr)大統領(当時)も参拝している。小泉首相(当時)はブッシュ大統領に靖国神社参拝を打診していたが、戦勝国アメリカの大統領が靖国神社を参拝したのでは中韓が批判の根拠がなくなる恐れがあり、当時の政府は決断できず、日本側から妥協で明治神宮参拝にしてもらったという経緯がある。つまり、米国側から「明治神宮に行きたい」と言ってきたのは「我々は靖国神社には決して行かない」というメッセージなのである。現実を直視するべきだ。
小学館SAPIO(サピオ)誌2014年6月号<INVESTIGATIVE REPORT 政府・自民「年間20万人受け入れ」でどうなる!?移民と在日外国人><移民政策賛成派の意見>から。
*アメリカでは雇用は奪われなかったし、賃金も上がった<人口、GDPはもちろん年金もプラス、世界の実情が「移民は国を救う」と示している>Ⓒ法政大学准教授・小黒一正氏。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、出生率が現在のままだと2012年に1億2752万人だった人口は2060年に約8700万人まで減少する。生産年齢人口(15歳~64歳)も同期間に約8000万人から約4400万人まで減少し、高齢率は約4割に達する。●社会保障費増大。社会保障の最大の問題は世代間格差だ。年月とともに現役世代の負担が増す。内閣府の資料から、生涯における医療・介護・年金などの社会保障や教育など公共サービスを通じて政府部門から受ける受益と、税金や社会保険料として支払う負担の差額である「世代会計」を試算すると、60歳以上は4875万円の受益超過(黒字)。毎年1兆円ずつ膨張する社会保障関連費は若い世代を圧迫し、40代で172万円の支払い超過(赤字)、84年以降に生まれた将来世代は4585万円の支払い超過(赤字)となる。まさに「財政的幼児虐待」(ボストン大学・コトリコフ教授)なのだ。●国と地方の借金はGDPの2倍に達して、1000兆円を超す。人口減少でGDPが縮小すれば返済は大変困難となる。新規国債の発行ができなくなり、財政破綻もありうる。●マーケットの縮小。国連の試算(2004年)によると1950年に世界5位だった日本の人口は2000年に9位となった。それが2050年には15位までランクダウンする。その時点で上位を占めるのはインド、中国、パキスタン、インドネシアなど新興国で、トップ20に入る先進国はアメリカ(3位)と日本のみ。日本の強みは、国内に巨大な市場があったからだ。国内で十分な利益を上げて商品開発できるため、独自の新商品を生み出し、それを海外に輸出できた。マーケットが縮小すれば、新商品の開発もおぼつかなくなる。<移民受け入れのメリットが大きいのに誤解が多いため国民的合意が得られない。誤解の例を見てみよう>誤解①<賃金が下がる>最たるものが<外国人労働者の流入により自国労働者の賃金が低下する>との説だが、アメリカの研究(Ottaviano and peri[2006])はその誤りを明らかにした。研究では、自国労働者を「高校中退」「高卒」「大学中退」「大卒」の4ランクに分け、移民の流入による賃金の変化を1990年から2004年までトレースした。すると「高校中退」の賃金がわずかに低下(マイナス1.1%)したものの、残る3ランクの自国労働者の賃金は0.7%~3.4%上昇していた。4ランク平均で1.8%の賃金アップとなった。誤解②<雇用が奪われる>アメリカを見ていてもわかるように、移民の受け入れによって雇用が奪われることはない。日本の場合、安価労働者を海外に移転した工場の国内回帰が期待できる。法整備の違いなどのカントリーリスクを低減させたい企業にとって国内の移民労働者は大きな魅力になる。薔薇色ではないし当然リスクは伴うが、移民は無理だと言っている場合ではすでにない。誤解③<社会保障コストが増える><外国人が長期滞在すると年金、医療など社会保障のコストが増える>という説はまやかしである。前述したとおり、社会保障問題のポイントは受け手と担い手のバランスであり、高齢化率がどう推移するかだ。移民は大抵は、20~30代の若者だ。多くが数十年は担い手となるため、将来の高齢率は低下し、負担はむしろ軽減される。誤解④<生産性を上げればよい>人口が減る分、Ⅰ人当たりの実質GDPを上げればいいという意見がある。つまり生産性を上げるということだ。だが、2003~2012年の日本の1人当たりの実質GDP生産率の平均値(年率)は0.82%。同じ時期にオーストラリアが1.4%、アメリカが0.9%、イギリスが0.64%、フランスが0.45%、イタリアがマイナスo.67%だ。この中で日本は中位(4場目)の成長率である。メディアなどでたびたび日本の生産性の低さが指摘されるが、実際にはアメリカ並みで、さらに引き上げるのは現実的な目標とは言えない。危機を克服する切り札は、やはり移民政策だ。<主要国の総人口に占める移民の割合>ルクセンブルク32.1%、スイス27.3%、オーストラリア26.7%、イスラエル23.6%、ニュージーランド23.6%,、カナダ20.1%、アイルランド16.8%、オーストリア16.0%、スウェーデン15.1%、スペイン14.6%、ドイツ13.1%、アメリカ13.0%、ノルウェー12.4%、イギリス12.0%、フランス11.6%、オランダ11.4%、イタリア9.0%、ロシア7.9%、日本1.1%(OECD2013年資料より)また次に<移民政策反対派の意見>を述べます。*(緑川鷲羽自身は大前研一先生の移民政策に賛成です。これぞ第三の開国ですね)
<台湾では貧困で出生率が低下し、スウェーデンでは若い移民の40%が失業<生産年齢人口の年間減少幅は総人口の1%未満 国民の生産性を高めれば国力は維持できる>>Ⓒ三橋(みつはし)貴明氏
*前述したように各種データは移民の必要性を示している。ただし、人の営みはデータだけでは測れないし、国柄の違いも大きい。経済評論家の三橋高明氏は「日本経済再生に移民は不要」と断言する。***移民の受け入れには断固、反対だ。内閣府の経済諮問会議ワーキング・グループは「少子高齢化で生産年齢人口が減れば経済成長ができない」などと移民受け入れを提唱するが、それは明らかなまやかしだ。生産年齢人口が減っても経済成長が出来る。彼らが移民受け入れに積極的なのは「100年後の日本」「国家百年の計」ではない。真の狙いは「短期的な外国人労働者の拡充」である。だが、労働力不足を補う目的で安易に移民を受け入れれば、将来的にさばざまな社会問題が噴出するのは諸外国の例を見ても明らかだ。移民受け入れを議論する上で決して無視できないのが、移民の出生率の高さだ。移民第一世代はマイノリティだったとしても、世代を重ねることで勢力が拡充される。EU諸国ではそうした傾向が顕著に表れている。スペインの外国人比率は1980年代までに1%程度だったが、今では15%に迫っている。ドイツやスウェーデンも人口の約15%は外国人だ。スウェーデンでは移民の失業率が16%に上る。若い移民に至っては約40%に上る都市もあり、社会保障制度を蝕んでいる。文化や宗教上の対立など、移民を巡る社会問題も深刻だ。また、EU諸国から移民が急増したスイスでは今年2月、移民流入規制を巡る国民投票が実施され、過半数の50.3%が流入移民規制に賛成票を投じた。日本国政府は毎年20万人の移民受け入れることで100年後も人口1億人を維持できると試算するが、出生率の高い移民ばかりが増えれば、純粋な日本人は5000万人を切り、国民の半数以上が外国人という事態もあり得る。
<職を失った外国人労働者が日本の社会保障に群がる>震災復興や五輪特需などで不足する土木・建設業を中心とした単純労働従事者の確保がある。すでに自民党は外国人労働者の受け入れを拡大すべく、建設現場などで働く外国人技能実習生の在留期間を3年から最大で6年に延長する方針を打ち出している。しかし、彼らは労働者ではなく、あくまで技能実習生という立場のため、自給300円程度で働かされているケースがざらにある。まさに「奴隷労働」といえるが、そうした人々が「6年を過ぎたら解雇」と言われても、すんなり自国に戻るとは限らない。むしろ、どうにかして日本に残ろうとする不法滞在者が増えるだけだ。これは遠い将来の話ではない。五輪後は雇用期間を終えた大量の不法滞在者が街にあふれるだろう。仕事があればよいが、五輪特需が終われば仕事は減り職にあぶれることが予想される。職を失った外国人は生活の為に犯罪に手を染める可能性がある。バブル崩壊後に外国人が違法テレホンカードを売っていたのはその典型だ。外国人を期間限定でなく永住させる社会コストは莫大になる。彼らが失業すれば失業手当や生活保護などを支払わなければならない。「グローバリゼーションに逆らえば日本は衰退する」しかし、外国人頼みのグローバル化を進めれば、全体のGDP(国内総生産)は増えるかも知れないが、賃下げによって一人当たりのGDPは下がる。生産年齢人口が毎年減少するといっても、その数は総人口の1%未満に過ぎない。重要なのは生産性を高めることである。現在、生活保護受給者は216万人いるが、そのなかで就労可能な受給者は30万人に上るといわれている。そうした人たちに一人当たり100万円かけて職業訓練を施す手もある。わずか3000億円で済む話だ。土木・建設はもちろん、農業や医療、介護など人手が不足している業種で働ける人材を増やせば、生産性は向上する筈だ。日本で人手不足で土木・建設を外国人に任せれば、やがて日本人だけではインフラ整備が立ちいかなることも想定される。20~30年後には日本人が高層ビルを建てられなくなるかもしれない。「日本経済は日本国民が成長させる」という気概が必要だ。
<ヘイトスピーチは「日本人の心」に反す <外国人に「日本の価値観」を理解させるために私たち自身も伝統と美徳を取り戻すべきです>>Ⓒ櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)。アメリカは元々WASP(White Anglo-Saxon Protestantの略)と呼ばれる白人でアングロサクソン系のプロテスタントの人たちが政治や経済の中心にいて、彼らの価値観に基づいて作りあげてきた国家だと言えます。歴代大統領44人のうち、現在のオバマ大統領とカトリック教徒だったジョン・F・ケネディ氏を除く全員がWASPと分類される人々です(父親がアイルランド系のレーガン氏もWASPではないという意見があります)。最近、在日韓国人や在日朝鮮人に対するのヘイトスピーチが問題になっています。残念ながら日本人としての誇りや道徳が欠如していることの表れだと思います。根拠もなく日本人に罵詈雑言を浴びせ続ける中国人や韓国人と同じことをするとしたら、彼らと同じレベルに落ちてしまうことを自覚するべきです。地方では、フィリピンなどから来た花嫁が、うまく地域に溶け込んでいるケースが少なくないと聞きます。勿論うまくいかない事例もあるとは思いますが、むしろ地方のほうがしっかりと自分を守りつつ、外国人を受け入れているように感じます。それは言葉、食べ物、風習、そして宗教や教育も、都市より地方の方が濃密に「日本らしさ」を保っているからではないでしょうか。日本人らしさ、日本らしさ、をわすれなければ移民受け入れもうまくいくでしょう。
<「数合わせ」で同化できなければ新たな対立と差別を生む <茶碗の扱い、靴を揃える向き、電車の乗り方、私も苦しんだ文化や生活習慣の違いは大きな壁だ>>Ⓒ呉善花氏(評論家オ・ソンファ氏)「年間20万人」という数字ありきの移民政策はあまりに短絡的に思える。私自身(呉(オ)さん)の経験を踏まえて言えば、来日する移民が日本文化を理解し、社会に溶け込んでいくことは容易ではない。いわゆる「わびさび」や電車に並ぶ、出ていく人が先、モノを親しいひとにももらったら「ありがとう」、「つまらないものですが」「お世話様です」「いらっしゃいませ」敬語、謙譲語、カタカナ英語………慣れるまで何年間かかかる話です。「数」で解決しようとすると、大切なものがこぼれ落ちかねない。
<「建設労働者が足りないから」で安易に決めていないか <自民党国際人材議連・小池百合子会長に「移民受け入れ」と「将来のリスク」で直撃!>>Ⓒ小学館SAPIO編集部
<基本的な移民政策について認識をお聞きしたい>小池「まずお断りしておきますが、国際人材議連は「1000万人構想」を引き継いだ訳ではありません。ゼロベースで、わが国の持続、発展に何が必要かを考えていくのが目的です。ですから議連の名称は「移民」「推進」という言葉は使っていません。「移民」というと国民には強いアレルギーがある。」<安倍政権は目先の建設労働者不足から外国人労働者の受け入れを拡大したのでは?>小池「出稼ぎの労働者で、彼らはプロジェクトが終われば稼いだお金を持って自国に帰っていく。住み着くわけではありません。仕事とカネを求める外国人労働者と、労働不足を補える受け入れ先はウィンウィンの関係です。外国人研修生に多くを頼る農業でも、彼らは懸命に働き、農家の方の評価は高い」<単純労働者の受け入れは治安上の問題が大きいという指摘があるが?>小池「特に、建設など単純労働者は期限付きにして、工事が終われば帰国してもらうことを厳格にやらなければいけません。一方で、日本で研修を受けて医療や介護などの資格を取った能力のある人は働ける期間を長くするなど、日本社会に貢献してもらえるようにする。社会保障の面では相手国との条約を整備し、日本で働くことが不利にならないようにする制度作りも必要です。働く側も働く国を選択しますし」<そんなに都合よくいくのですか?期限付きの労働者では人口減をカバーすることにはならない。「移民」を入れるかどうかの課題は残るが?>小池「「移民」というのは非常に狭い見方です。UAE(アラブ首長国連合)の人口は約920万人ですが、その8割が外国人。しかし、国際人材であっても、私は地方参政権付与には否定的です。参政権を望むなら日本国籍の取得が不可欠です。国籍付与は、日本に必要な人材かどうか、こちらが厳選すればよいわけです」<親日的な国ならまだしも、反日教育をしている国から労働者を受け入れるのはリスクが大きい。受け入れる国を選別するべきと考えますか?>小池「国際人材でも中国人比率は高くなるでしょう。ノーリスクとは言いません。日本が国家として衰退するリスクに向き合う必要があります。世界に通用する人材を日本が確保するという決意で臨む必要があると考えます」
<朴正煕が私に語った欧米諸国になかった日本の先進性 <太古から世界の人材と文化を受け入れてきた日本の寛容を知れ>>Ⓒ石原慎太郎(作家・衆議院議員)<安倍首相が「外国人材の活用の仕組みを検討」するうよう指示した。どう評価するか?>石原「人口は国力と言い換えてもいいものです。このまま人口が減少すれば、国力の低下は必至です。現状がどうにもならんのだから労働力確保のためにも、移民を受け入れるべきだ。私は10年以上前から移民が必要だと説いてきました。一生懸命働いて慣れてきたところで「期限が来たから帰れ」とは酷でしょう。日本の生活に溶け込み、日本を愛しているならば、安住する道があってもよい。私は八丈島に行くことがあるのですが、そこに釣り名人の親子がやっているおいしい寿司屋があります。跡取り息子のところに嫁がこなくて周囲が心配したところ、フィリピン女性と結婚した。当初は反対していた周囲も1年後、子供が生まれ、奥さんが家族に溶け込もうと努力した結果、今では「こんな素晴らしい嫁はいない」と実家からも大変信頼されている。これは理想形のひとつです」<移民反対派には、今でも「日本は単一民族国家」という考えが根強くある>石原「それは間違った認識です。日本人の民族的ルーツは東西南北あちらこちらにある。日本に早くから住んでいたのはアイヌや沖縄人であって、その他はシナ大陸(中国大陸)や朝鮮半島から渡来しました。細かなルーツを辿ると、インドやモンゴル、南方のポリネシアやメラネシアにまで及んでいる。沖縄・八重山列島のアカマタ・クロマタや鹿児島・悪石島に伝わるボゼなどの秘祭は、メラネシアのそれと非常に似ています。私の父はインド系の顔をしていました。母は典型的なシナ人(中国人)の顔つきでした」<移民政策が治安を悪化させるとの声がある。現に在日外国人の犯罪が増えているが>石原「都知事時代、池袋の中国人街を視察したことがあります。中国語で書かれた同胞向けの新聞が何紙も発行されていた。日本語を習っている中国人向けに、「探偵募集」の求人広告がありました。日本語を習っている最中の若者が探偵の手伝いなどできるのかと質すと、実は泥棒の見張りだという。外国人犯罪をいかに防ぐかは大きな課題です。また、不法就労、不法入国がまかり通っているから治安問題が生じていると考える事も出来ます」<受け入れる日本側にも問題はないか?>石原「例えば入国管理の手続きの煩雑さなど、外国人に対する「壁」が多すぎます。元サッカー日本代表のラモス瑠偉さんはかつて「指導者の資格を得るための日本語が難解すぎる」とこぼしていた。川淵三郎さん(元日本サッカー協会会長)にそのことを話したら、早速改善したようで、ラモスさんは今、FC岐阜で監督をしています。彼みたいな優秀な人材が、日本語の壁によって長く監督の道を阻まれていた。日本の閉鎖性を示す象徴的な例です」<一部の日本人の排外主義も問題ではないか。在日韓国人・在日朝鮮人に対してヘイトスピーチを行う者がいる>石原「在日韓国人・在日朝鮮人問題と移民とは別の問題です。歴史的に彼らが差別を受けたこともあったと思います。また韓国側が事実と違う事を言って来たり、要人が日本人を挑発するような発言を繰り返せば、当然、日本人はよくない感情を抱くでしょう。外国人はどうしても母国の評判を背負ってしまう」<教育は重要だと思うが、島国の日本は異文化で育った人々を登用できるだろうか>石原「現在の朴大統領のお父さんの朴正煕元大統領と以前、お酒を酌み交わしたことがあります。その席で彼は「日本の朝鮮統治はそう悪かったとは思わない。欧米諸国とは違う政策を行なった」と言いました。彼は、成績はよかったが、家が貧乏でした。すると日本人教師が「これからは朝鮮人が朝鮮人を教える時代だ」と無償で行ける師範学校を薦めてくれたそうです。そこに行くと「これからは軍人の時代だ」と士官学校を薦められた。満州軍軍官予科に行くと今度は「優秀だから市ヶ谷に行け」という。最終的に彼は市ヶ谷の陸軍士官学校に編入、上位で卒業しました。西洋列強の植民地でこんなに教育を施した例はなかった。その話をするときの彼のうれしそうな顔を今も忘れません。戦前の日本では朝鮮人も士官学校に入れましたし、朝鮮名のまま日本兵を指揮した将軍もいました。官僚や裁判官はもとより、衆議院や貴族院にも朝鮮人は議席をもっていた」<外国人に参政権を与えるのは?>石原「それには反対です。国政でなく地方参政権ならば与えていいという意見がありますが、間違っています。例えば青森県の六ヶ所村に核燃料の再処理工場があります。ある意図をもって移民が集団移住すれば、国策的な施設の稼働や存続が住民投票によって決められてしまう可能性がある。沖縄県の与那国町の自衛隊基地問題も同様です。人口約1500人の町に中国系移民が集団転住したらどうしますか?参政権などなくても日本のすばらしさがわかれば「日本に住みたい」という外国人はたくさんいると思いますね。そういう人は帰化したらいい。
<単純労働者の移民を多く受け入れれば財政にマイナスになる <狭い日本に1億3000万人は定員オーバーだ。高付加価値経済なら「強く美しい小国」ができる>>Ⓒ森永卓郎氏(経済アナリスト)*「ドイツがこんなに苦しんでいるのになぜ日本は同じ轍を踏もうとするのか?」経済企画庁総合計画局で労働政策に携わっていた1980年代半ば、ドイツの政策担当者に言われたその言葉をいまも忘れる事が出来ない。ドイツの経済成長は、トルコなどからの移民による、との見方が短期的にはあった。だが、長期的にみてみると、彼らの為の住宅対策、失業対策、子弟の教育対策など莫大な社会コストが国民に跳ね返ってくる。低賃金の単純労働であれば納税額は小さく、財政にはマイナスだ。医療や年金などの社会保障も同様。外国人労働者は、その瞬間は気分がいいが後で躰全体がボロボロになる麻薬みたいなもの。日本の国益にならない。たとえ人口が減っても昭和初期は現在の人口の半数だった。やはり、移民に盲目的に頼るより三橋氏のいう様に生活保護者の働けるひとを再教育して……というほうが政策的には正しい。すでにヲタク文化は世界的に浸透し、「かわいい」はグローバルで通用する言葉となった。そうした海外での日本ブーム=ジャポネズムは歴史上、何度も起きている。「1億総アーティスト化」を実現できれば頭数をそろえる為の移民政策は必要ない。肝心なのは少子化対策、教育の投資であることは間違いがない。
<イギリスとニュージーランドの関係を日本の在日韓国朝鮮人にあてはめられるか EU型、英連邦型、北欧型………「外国人参政権」を論じるには、まず「国益」を示せ>Ⓒ小学館SAPIO編集部<外国人参政権を認める国には大きくわけて3タイプがある。第一はEUタイプ。「EU内において、地方参政権の相互的保障が各国に義務付けられている各国自国民の権利保障を目的とするもの」第二は英連邦タイプ「イギリスと連邦構成国などの間で相互に地方参政権が認められていることがある。歴史的経緯、文化的・言語的共通性を基礎とするものだ」第三は労働補充のタイプ「70年代から外国人に選挙権を与えていたスウェーデンがその典型。国内労働力の不足を補うため積極的に外国人労働者を受け入れ、彼らをスウェーデンの政治社会に統合することを目的とするものだった」><移民受け入れを拡充しようとすれば、参政権が必ず議論となる。「投票したいならば帰化すべき」という論はシンプルだが、それでは海外から優秀な人材は集められないと考える国も現にあり、幅広い議論が尽くされるべきだろう。>
<ある女子中学生はコリアンタウンで「在日クソチョンコ!虐殺を実行しますよ」と叫んだ。在日コリアン(約53万人)在日中国人(約65万人)との共生をぶち壊す先進国として恥ずかしいヘイトスピーチ>Ⓒ小学館SAPIO編集部<デモ参加の女子中学生が鶴橋大虐殺を宣言><ハーケンクロイツを掲げ、笑いながらデモ行進>移民を受け入れるかどうか以前に、日本を誰も来たがらないような差別国家にしてはならない。
<小林よしのり氏『大東亜論 血風士魂編』上記コメントよりⒸ小林よしのり氏>
<安倍晋三の異常さは度外れしている。が、その異常さが自称保守にはわからない。集団的自衛権の行使を政府解釈だけで容認し、閣議決定してしまう。事実上、憲法9条は改憲されたも同じ><わたしは憲法9条には疑義があるが、安倍のやり方が容認されたら、次に護憲政党が政権をとれば個別的自衛権も政府解釈で違憲とし、閣議決定できることになる。異常だ!><憲法96条の見直しで憲法改正手続きのハードルを下げようとし、それがダメなら閣議決定さけで解釈改憲してしまうと言う。安倍晋三は異常な「立憲主義」の破壊者である><個別的も集団的も国連憲章で認められているが、やはりそこまで変えるというなら、正々堂々と「憲法改正」に打って出るしかないだろう。姑息な道から立憲主義の破壊者というデタラメは許されるものではない><安倍晋三は解釈改憲について「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙の審判を受ける」と言い放った。異常である。選挙で勝ちさえすれば、時の政権が憲法解釈を自由に決めていいのか?信じられない異常さだ><靖国参拝で米国に「失望」され、河野談話の見直しをしないと誓い、米国に日米韓の会談の仲裁をしてもらい、その負い目から「国賓待遇」でオバマを呼び、集団的自衛権でひたすら米軍に抱きつきたい安倍晋三は、米国の「政奴隷」だな><そもそも尖閣諸島を守るにせよ、米艦への攻撃に反撃するにせよ、個別的自衛権を強化すれば足りるものだ。むしろ個別的自衛権の強化をしないまま、米軍に頼ることを考える方が卑怯だろう>
<「日本語を話せない隣人」とどう付き合うか <すでにゴミ出し、学校、病院で悲鳴 避けて通れない「外国人」の重荷>>Ⓒ小学館SAPIO編集部
在日コリアン(約53万人)在日中国人(約65万人)在日フィリピン人ブラジル人(約20万人)、在日ベトナム人(約6万人)、在日ペルー人(約5万人)などが日本に住んでいる。彼らが数多く集まって暮らすエリアでは残念ながらトラブルが起きているのも事実だ。外国人との共存を目指す取り組みも多いが、歳月の経過とともに課題も生じてもいる。愛知県豊田市保見(ほみ)団地は住民約7100人のうち、日系ブラジル人を中心とした外国人住民が約3200人で外国人比率が最も高い地区のひとつであり、90年代には右翼の街宣車が押し寄せたこともある。厚労省によると、外国人の生活保護受給者は4万3479世帯(11年)。80年代以降に中国、ブラジル、フィリピンなどから来日した「ニューカマー」が中心となり、近年では年5000世帯のペースで急増している。日本生まれの外国人が増加し、「貧困の再生産」が生じていることも看過できない。「日本語のできない親元で育った子供(二世)が中学卒業後、定時制高校などに進学しても勉強についていけず、結局、ドロップアウトして親と同じように工場などで単純労働に就く。彼らは日本語もポルトガル語も十分に読み書きできない『ダブルリミテッド』のため、若くして結婚して子供(三世)をもうけても勉強を教えられない。結果、学校に行かず、自宅に引きこもって鬱気味の三世が増えています」『保見ヶ丘ラテンアメリカセンター』代表・首都大学東京の野元弘幸准教授(多文化教育)はそういう。「このまま貧困問題を放置すると、将来的に住民や警察が手を出せない、無法地帯の『外国人スラム』が生じる可能性すらある」とも。
<不法移民の“合法化”を狙うオバマ政権、中国人が占領するスペイン <移民受け入れ先進国の制度・法律とメリット、デメリットはどうなっているの?>>Ⓒ小学館SAPIO編集部
<米国>米国の移民人口は約458万人で、総人口の13%を占める。移民帰化法(INA)は、米国人の配偶者や未成年の子供がいる場合や、高度な人材を優先的に年間67万5000人まで移民として受け入れることを認めており、2010年度は42万2000人が新たに移住した。移民なしには経済が成り立たないと言われ、人手が足りないサービス業から高度な人材が欲しいIT業者まで移民受け入れには肯定的である。<スペイン>スペイン政府は外国人の移住に積極的だ。しかし、中身は労働者ほしさではなくカネほしさだ。中国人約16万人のうちスペインの風俗店、ビル、アパートを中国系移民が占領している。<フランス>戦後のフランスはムスリム系移民を大量に受け入れ、彼らが経済発展の原動力となった。ここ数年、その二世、三世がアイディンティティクライシス(自己喪失)に陥り、暴動を起こして治安を脅かしている。サルコジ政権時に移民排斥規制が強化された。<ドイツ>EUのエンジンで牽引車のドイツには移民が13年1月から半年間で55万5000人の移民が入国、前年比5万5000人増だった。ドイツは2020年までにさらに170万人の外国人労働者を必要としている。<オーストラリア>オーストラリアは労働力不足を補うために第二次世界大戦後、積極的に移民を受け入れてきた。そのうち移民人口は約650万人、総人口の4人に1人が外国生まれである。年間一万人以上の難民を受け入れ、審査を通過すれば居住を許可される。収容施設のコスト増が批判されている。
<行政のスリム化で予算捻出、子育て世帯に格安住宅を提供する長野県下郷村 <増税してばら撒き公共事業、育休3年は大失策!安倍政権は出生率1・86の「奇跡の村」に学べ>>Ⓒ岸川貴文氏(ジャーナリスト)
移民受け入れの必要性と深く関係するのが少子化対策の成否だが、安倍政権はむしろ対策を後退させている。長野県南部に位置する人口約4000人の下郷村。91年に人口減少が底を打って出生率は高水準を維持し、人口構造では60代と50代の次に10代が多い。少子化を食い止めた「奇跡の村」と呼ばれる。下郷村は人口10万人の飯田市から車で30分。92年に就任した伊藤喜平村長によって大胆な少子化対策が進められた。中でも目玉となったのが97年から建設が始まった村営の「若者定住促進住宅」だ。「子供がいる/結婚の予定がある」などの入居条件を課し、2LDK(20坪)で家賃は3万3000円。飯田市の相場の約半額だ。「集合住宅タイプ124戸を整備し、12年度からは戸建ての建設費の10%を補助する事業(45歳未満が対象。上限100万円)を実施しています」(下郷村総務課)さらに高校卒業までの医療費無料化、村営保育所の保育料引下げ、義務教育の給食費40%補助などを実施。同村での出産・育児を望む入居者が集まった結果、年少人口(0~14歳)の比率16.8%は県トップとなった(10年)。「子供を育てられる環境」があれば、産みたいという若者は少なくないことを証明した。重要なのは財源である。伊藤村長はガソリンスタンド経営などの経験をもとに、職員の意識改革に着手。コスト意識を徹底させて職員数を大幅に削減した。「職員は32人(一般行政職)で、人口1000人あたり7.84人。類似規模団体平均(17.02人、総務省調べ)の半分以下の水準です」(同前)職員の生産性を倍にして、行政のスリム化を行ったのだ。道路現場では村民が自らミキサー車やコンクリート舗装を行う。日本では男性中心の雇用形態であり、女性が出産・育児となると会社を辞めねばならない。フルタイムでは働けず、パートは時給も安い。仕事を辞めても暮らせる男性と巡り会わず独身のままの女性や晩婚化が進んでいる。フランスやスウェーデンでは同一労働同一賃金が浸透し、雇用形態ではなく仕事の内容に応じて収入が決まる。安倍政権が打ち出した「育休3年間」もそうだが、日本では「女性が家で育児に専念できれば出生率が上がる」という考えが幅を利かせている。世界常識からみれば大きな間違いで、安定収入がなければ子育てはできないからだ。


■ ~大前研一ニュースの視点~2014年5月16日大前研一氏談『人口減少問題・外国人受け入れ制度・国内財政~問題解決に必要な目標設定』人口減少問題、中長期国家目標で「50年後に1億人維持」。外国人受け入れ制度、高度人材、及び腰の「歓迎」、国内財政、国と地方の財政の長期試算を公表。▼ 感情論で否定せず、移民を受け入れる体制を整えるべき政府が「50年後(2060年代)に人口1億人程度を維持する」との中長期の国家目標を設けることが3日明らかになりました。日本の人口はこのままでは2060年に約8600万人まで減る見通しのため、2020年ごろまでに集中的に対策を進め、人口減少に歯止めをかける狙いとのことです。相変わらず、政治家や役人はずるい表現をするものです。「50年後」には誰も生きていないでしょうし、責任を問われることもないでしょう。ただし、政府にこのような態度を取らせてしまう責任は国民にもあります。日本が人口を維持するとなれば、計画的に移民を受け入れる以外に方法はないと私は思います。しかし日本人は移民の受け入れに、異常なほどマイナス感情を持っています。本来ならば、50年後といわず「数年後」と言いたいところなのでしょうが、国民感情を考えて50年後と言っているのだと思います。50年後と言いながら、徐々に国民に危機感を抱かせ、理解してもらうという手順を想定しているのでしょう。しかし私に言わせれば、逆にそれでは「危機感」は生まれてきません。50年後ではなく「5年後」と言うことで、強烈な危機感を抱かせるほうが良いと私は思います。そして、遅々として移民対策は進んでいません。政府は2012年5月から外国人受け入れの優遇制度を始めましたが、結局機能していません。これまで単純労働者は認めない一方、高度人材は歓迎すると説明してきましたが、実際の受け入れペースは鈍く、高度人材の認定数は今年1月までの20ヶ月間でおよそ900人、月50人程度のペースで法務省が見込んだ認定ペースの3分の1以下に留まるとのことです。世界の外国人労働力人口の割合を見れば、米国15%、ドイツ10%程度です。英国も最近大きく割合が上がってきています。そんな中、日本はほとんどゼロに等しい状況です。最近では、建設業界で人手不足のため一時的に外国人労働者を受け入れていますが、需要がなくなったら、再び本国に返してしまいます。これではダメなのです。人口減少、高齢化社会、労働人口不足は「構造的な」問題だからです。「外国人=犯罪」というイメージなどが強く、日本は異常なほど外国人アレルギーを持っています。それでも移民を受け入れ、2年間の教育制度を整備して、グリーンカードを配布するなどの施策を私は20年以上前から提唱しています。こんなことを言えば、周りから叩かれるので誰も言いたくないのでしょうが、本当の意味で日本の将来を考えれば、やらなければいけないことです。年間30万人以上の移民を受け入れなければ
間に合わないのだという事実を認識し、すぐに動き出してもらいたいと思います。


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聖徳太子、本当はいないってよ。小説聖徳太子<ブログ連載特別編>聖徳太子小説3

2015年02月20日 07時43分04秒 | 日記





         戦いの日々






  蘇我氏は邪魔者や愚か者には容赦なかった。家臣の死とともに、物部守屋との会談により、かれは変貌したのだ。鬼、鬼神のような阿修羅の如く強い男に。
 家臣の霊に報いるように、蘇我馬子は物部守屋との戦いに邁進した。まず、馬子は大和の外れに城を築いた物部守屋配下の松部を攻撃した。しかし、松部は以外と強くて蘇我軍は大敗した。そこで蘇我は「わしは物部を甘くみていた」と思った。
「おのれ!」馬子の全身の血管を怒りの波が走りぬけた。「物部守屋めが! この馬子をなめるなよ!」怒りで、全身が小刻みに震えた。それは激怒というよりは憤りであった。 くそったれ、くそったれ……鬱屈した思いをこめて、馬子は壁をどんどんと叩いた。そして、急に動きをとめ、はっとした。
「皇子じゃ! 皇子をたてよう!」馬子はきっぱりいった。
 蘇我馬子は皇子など偉いともなんとも思っていなかった。いや、むしろ軽蔑していた。大王(天皇)の栄華はいまや昔………今や名だけの実力も兵力もない天皇など”糞くらえ”と思っていた。が、もちろんそんなことを言葉にするほど馬子は馬鹿ではない。
 用明天皇に謁見したとき、馬子は頭を深々とさげ、平伏し、耳障りのよい言葉を発した。そして、その無能天皇に大いなる金品を献じた。用明天皇は馬子を気にいったという。
 この頃、馬子には新しい敵が生まれていた。
 用明天皇の弟・穴穂部皇子である。穴穂部は物部と結託し、倭国支配を目指し、侵攻を続けていた。しかし、そうした緊張状態にあるなかでもっと強大な敵があった。いうまでもなく物部守屋である。
 物部守屋は天皇支家であり、天皇の後釜になりうる。かれはそれを狙っていた。都には蘇我馬子などがのさばっており、物部守屋は不快に思っていた。
「わしが上洛し、都にいる不貞なやからは排除いたする」物部守屋はいった。
「不貞なやからとは?」家臣が守屋に尋ねた。
「蘇我馬子よ、厩戸皇子よ」
 物部守屋は馬上で大声で、当然のことのようにいった。
「今度の大王は穴穂部皇子である!」
「穴穂部皇子、支持!」
 家臣たちから歓声があがった。
「今度の大王は穴穂部皇子である! そして…」物部守屋はにやりと続けた。「大王の補佐役はわしだ! この物部守屋さまよ!」
「物部守屋さま、支持!」
 家臣たちからはまたも歓声があがった。


  厩戸皇子は屋敷で物思いに耽っていた。
 亡くなった父・用明天皇のこと……さまざまなことが脳裏をよぎった。それは懐かしい心暖まる感情だった。父と一緒に田畑を耕し、天を見つめ、きらきら輝く太陽をみたこと。 父は「あの天の光がわれわれを豊にしてくださる」といっていた。
 また、妻・刀自古のことも………
 父が病でみまかったとき、厩戸皇子は泣いた。とても悲しかった。そして、その父の死が新たな戦火の火種になることも、聡明な皇子にはわかっていた。
 穴穂部皇子を推す物部守屋と、われわれの陣営(蘇我馬子たち)の間で戦闘となるのは火をみるより明らかである。厩戸皇子はキッと天を眺めた。その天はあのときの父と見た天となんらかわらない。しかし……
 もう父上はいない……
 厩戸皇子は何だかやりきれない気持ちになった。
 穴穂部皇子だろうが、物部守屋だろうが、蘇我馬子だろうが関係ない。誰が大王になっても世は乱れるばかりだ。戦いとは人を殺すことで、無益な血が流されるだけのことだ。 戦がさけられればよいのだが……
 そう思うと、厩戸皇子は目をぎゅっと閉じた。そうすることで何かが好転するのではないか、という気持ちだった。もちろん聡明な皇子はそれが無意味なこともわかっていた。

        
「泊瀬部皇子はどうか?」
 蘇我馬子は館でひとり考えていた。……泊瀬部皇子か……
「ダメだ。頭も弱く、軟弱過ぎる」馬子は頭を軽く振った。
「……ならば厩戸皇子か…?」
 蘇我馬子は苦笑した。そして続けて「厩戸皇子は若すぎる。頭がよく徳を積んでいるが、あまりにも若く、政をするのには脆弱である」と独り言をいった。
 蘇我馬子は物部守屋との対決のための「旗印」を探していた。穴穂部皇子を担ぐ物部守屋に対抗するため、自分は泊瀬部皇子か厩戸皇子を担がなければならない。
 来目皇子では若すぎて論外だ。
 蘇我馬子は頭を回転させ、もっとも好ましい人選を巡らせた。
 泊瀬部皇子は頭も弱く軟弱だ……しかし、あの頭のいい厩戸皇子を「旗印」とすれば、のちのちやっかいなことになりそうだ。頭脳明晰な若い少年は、自分の思い通りに動いてはくれまい。むしろ自分の立場があやうい。
 いちばんいいのは頭のあまりよろしくない、自分のいいなりになるような凡人である。「よし! 泊瀬部皇子だ!」
 馬子は決心した。
 物部守屋との対決のための「旗印」は、泊瀬部皇子だ!
 やっと決まった。あとは計算通りに事が運べばいいのである。泊瀬部皇子ならば自分のいいなりになり、うまく使えることは間違いない。泊瀬部皇子は凡人中の凡人……
「これでわしの天下よ」
 蘇我馬子はひとり笑った。


  穴穂部皇子と物部守屋軍は昼間、陣営で軍儀をひらいていた。
「……まずは馬子に痛い思いをさせてやったわい」
 物部守屋は椅子に座ると、にやにやした。
「これもひとえに八百長の神の御利益ぞ」穴穂部皇子は続けて「松部の力もあったがの」  「今度の大王は穴穂部皇子さまです」
「そうじゃ! わしが大王にならずして誰がなる? 泊瀬部皇子か? 厩戸皇子か? くだらん! わししかおらんではないか」
「その通りです」物部守屋は頷いた。
「一番いやなのは……」穴穂部は言葉をきった。そして続けた。「泊瀬部じゃ、あんな阿呆などに大王になられたのではたまらん」
「まったく」
「しかし、厩戸だけは用心が必要だ」
「用心?」
「厩戸は頭がいい。恐らくこの国一番の切れ者じゃろう。その厩戸が大王になれば……わしの出番はない」
 物部守屋は答えなかった。彼自身、厩戸皇子が才能と知能あふれる不世出な人物であると見ていたからだ。だが、だからこそそんな「目の上のタンコブ」は潰さなければならない。邪魔者は消さなければならない。
「蘇我馬子はおそらく、泊瀬部を担ぐに違いない」
 穴穂部皇子はにやりとした。
「何故?」物部守屋は驚いた顔をした。
「わしらと同じ考えというものよ」穴穂部は笑った。「頭が良すぎるのは怖い怖い」
「なるほど」
 物部守屋も笑った。そして、
「敵が担ぐのが阿呆なら、従う軍も阿呆じゃ」といった。
「その通り」穴穂部皇子はいった。


 額田部皇女(ぬかたのべのおうじょ・亡き敏達(びたつ)天皇(厩戸皇子の祖父)の妻)は美貌の女性だった。のちに推古天皇となるこの女性はおつむはよくなかったが、政と人事の才にだけは長けていた。
 彼女の館は壮大で、大きく、屋根には魔除けの仏像まで彫られている。柱には金箔までほどこされていた。しかし、だからといって額田部は贅沢三昧の生活を送っていた訳ではない。館といい、金箔といい、すべては夫であり大王であった敏達天皇の「置き土産」である。彼女は贅沢などしてはいない。だが、やはり多くの国民が貧困にあえいでいる中でも食事も安定的にとり、睡眠も安定したものをとり、恵まれた環境にいた。
 そろそろ雨が降出してきそうな空の午後、蘇我馬子は彼女に逢いにやってきていた。
「蘇我馬子殿、物部守屋との前哨戦では痛い敗退であった」
 皇女はいった。彼女は上座の椅子にすわり、周りには着飾った次女たちがいた。
 馬子は平伏しながら、「不覚でありました。小部族・松部にしてやられるとは…」
「そうではあるまい」
「は?」
「松部軍にしてやられたのではなく、物部守屋にやられたのであろう」
「………ははっ」蘇我馬子は深いぶかと頭をさげた。「まさに不覚」
「物部守屋は穴穂部皇子を担いでいるらしいのう」
「はっ」
「ならばなぜ…」皇女は続けた。「ならばなぜそちは厩戸皇子を担がないのじゃ?」
 蘇我馬子は答えなかった。息を吸い込んだ瞬間、喉仏が上下した。
「厩戸皇子は若すぎます。頭がよく徳を積んでいるが、あまりにも若く、政をするのには脆弱であるかと…」
 皇女は首を左右にゆっくり振って反発した。「厩戸皇子こそ大王にふさわしい器じゃ」「額田部皇女さまは何故それほどまでに厩戸皇子を好まれるのです?」
「美しいものは好まれる」
「……美しい?」
 額田部皇女は続けた。「厩戸皇子は美しい。その外見だけではなく、あの聡明で明晰な頭、知恵、人徳、誠実さ……厩戸皇子こそ天がわれらに与えてくださった方なのではあるまいか」
 蘇我馬子は声もでなかった。ちくしょう! わしと同じことを考えてやがる。
 だが、その聡明で明晰な頭、知恵、人徳、誠実さ……の厩戸皇子に大王になられたのでは堪らない。自分の影響力がなくなってしまう。
 馬子はあえぎあえぎだが「このままでは物部守屋の担ぐ穴穂部皇子の天下となりまする」と言った。頭がひどく痛かった。なんだろう、この痛みは……
「では、そちは厩戸皇子を担ぐか?」
 皇女は眉をひそめてきいた。
「いや……そのお」ためらった。蘇我馬子は言葉を探し、やっとのことで「…い…今は泊瀬部皇子を担ぐ…のが妥当だと…」
「なぜじゃ?」
「厩戸皇子は…そのお」
「もうせ」
「はっ! 厩戸皇子は若過ぎます。泊瀬部皇子は崩御なされた用明天皇の実弟……大王にふさわしいのは泊瀬部皇子の方かと…」
 額田部皇女は馬子の言葉を耳にし、不快な顔をした。
「しかし、泊瀬部皇子はうつけと評判ぞ」
「いえ………本当のうつけ(阿呆)は穴穂部皇子のほうです」
「……さようか」
 額田部皇女はそれ以上きかなかった。きいても馬子は耳障りのいいことをいうだけだろうし、馬子は悪知恵が働く輩……聞くだけ無駄というものだ。馬子は立場上、本当のことなどいうはずはない。なぜなら、蘇我馬子は馬鹿ではないからだ。
「わかった。貴殿の好きなようにやりなさい」
 皇女にいえるのはその程度だった。
「ははっ!」馬子は平伏した。
  館を去ると、馬上の馬子はにやりとした。
 ……所詮女子だ。わしの謀略など知りもしない。皇子だの皇女だのと、糞くらえだ。偉いのは「黒幕」であるこのわしだ。蘇我馬子さまだ! ハ ハ ハ ハ!



「戦は避けられないんですの? あなた」
 刀自古は、夜、厩戸皇子の館の一室で、心配気にきいた。彼女は寝間着姿であったが、体が小刻みに震えていた。それが寒さのためではないことを厩戸は理解していた。
 厩戸は妻・刀自古を愛しく思った。なんと純粋な女子だろう。
 ……愛してるよ、愛してるよ、刀自古。
 厩戸は妻・刀自古の肩を抱き、抱擁した。ぬくぬくとした温かいぬくもり、華奢な体と手足、ちいさな胸……それらは厩戸皇子を崩壊から逃れさせる唯一のものだった。
 なんといい女子だろう………
「………戦は避けられないんですの?」刀自古は震える声で、もう一度きいた。
「避けられぬ」厩戸皇子は妻を抱き締めながら力なくいった。「神教を信仰する物部守屋(の担ぐ穴穂部皇子)とそなたの父・蘇我馬子の信仰する仏教との宗教戦争なのだ。ただし、どちらが勝っても意味はない」
「…意味が…ない?」
「そうだ」厩戸皇子は頷き、暗い声でいった。「なに教を信じようとそれは個人の勝手というものじゃ。無益な血がまた流される……ただそれだけのことじゃ」
「あなた…父上をとめられないのですか?」
「無理じゃ。そなたの父は野心家だからのう」
「父上も血が好きなのでしょうか?」
「さあな。只、戦だけは避けられない。物部守屋の野心を砕かねば天下泰平の世は来ぬ。また、物部の担ぐ穴穂部叔父にしても火種じゃ」
「まぁ」刀自古は溜め息をついた。
「誰も戦を望んでいる者などいまい。血が流されるのは人間の欲望のせいじゃ。醜い欲望と虚栄心……刀自古、われわれは”和をもって尊し”となすべきじゃ」
「あなた」
 ふたりは抱き合った。
 夜空のまるい月がきらきら輝いていた。


  伊良のつくった小さな仏像をふところからとりだし、厩戸皇子は眺めた。
 きらきらとした太陽が眩しかった。「釈迦如来か」呟いた。
 彼は、妻の刀自古とともに貧しい民のために救済活動に没頭していた。そんな矢先のことである。お釈迦様のご利益があればいいが……
「……また「釈迦如来か」ですの? 気がふれたと思われます。もう十度目です」
 刀自古は呆れた。
「釈迦如来はのう、刀自古」厩戸皇子は続けた。「国の王子として贅沢な生活を送っておったが、あるとき国の貧しき者たちをみて改心し、城を捨て、家族や地位も名誉も捨て、ただ一心に修行し、悟りをひらいたそうじゃ」
「悟りを?」
「そうじゃ。わしも見習いたいものじゃ」
 厩戸皇子は頭を激しく振ると「しかし……今のわしは……なんとも情ない。こんなに国中に貧しく困窮している民がいるというのにわずかなものしか救えん」
「あなた…」
「わしは無力ぞ」
 厩戸皇子は空虚な落ち込んだ気分だった。さらに悪いことには孤独でもある。そう孤独なんだ。妻の刀自古と弟の来目はいるが他のものたちは何もしない。協力もしてくれはしない。みな宴をひらき、贅沢ざんまいの生活を送っている。物部守屋も穴穂部叔父も、そして蘇我馬子叔父でさえも…………
「なんとも情ない」
 厩戸皇子は涙を流した。それはしんとした感情だった。
  彼等は粥の配給をしていた。貧しい身形をした民たちが大勢、行列をつくっていた。もう昼だった。皇子や刀自古と弟の来目は一生懸命に、大きな鍋から粥を民たちに配っていた。皆、皇子たちに感謝し、涙ぐむものまでいたという。
 そんな中、行列の中から悲鳴があがった。
 ひいいいっ……行列は煙りを散らしたようにある病人の周りに散った。そして、ボロボロの身形で肌に青痣がたくさんできて、ふらふら歩く、病の老人を遠巻きでみた。
 あきらかに当時の流行り病である。近付くとこちらまで病気になる……。民たちは恐怖で遠くからその老人を見ることしかできなかった。
 やがて老人は力尽きたのか、地面に倒れた。
「これはいかん!」
 厩戸皇子は駆け出し、老人に近付いた。
「いけません! あなた! 病いがうつります!」刀自古はいい、来目皇子も「兄上!」ととめた。しかし、厩戸皇子は老人の肩を抱いて、「しっかりいたせ」と声をかけた。
 病人は虫の息で、ぶるぶる震えていた。衰弱がはげしかった。
「寒いのか?」皇子は自分の衣を脱ぎ、老人にふわりとかけた。水じゃ……厩戸皇子は茶碗を取りだし、近くの川で水をくむと、老人の元へ駆け戻り、口に含ませた。
 老人はにこりと微笑むと、そのまま死んだ。
 皇子は「これでは犬や猫と同じぞ。人間の命はもっと尊いものぞ! つまらぬ宴や戦にいそしむ暇があるなら……もっと大勢を救いたい! 救いたい!」
 と泣いた。刀自古もももらい泣きした。伊良もそれをみていた。
 一同は号泣であった。


  蘇我馬子は館で鎧姿のままにやりとした。
「そうか! 穴穂部を討ち取ったか!」家臣の伝令ににやりとしたのだ。
 もう夜だった。穴穂部皇子はよく戦い、蘇我軍の兵士たちの何人かを討ち殺し、刀がぼろぼろになると刀をかえて戦ったが、多勢に武勢、やがて自害した。
 館は炎上し、蘇我馬子は、館からも見えるその夜空をも明るくする紅蓮の炎を眺め、
「これで……物部守屋も担ぐものがなくなった。物部は”賊軍”ぞ!」と笑った。
 事実、その通りであった。
 穴穂部皇子が殺されてしまえば、もう物部守屋には大儀名分がない。ただ、神道を!
というだけのことだ。本当にただの宗教戦争になるだけだ。
「糞ったれの蘇我馬子めが!」
 物部守屋は歯ぎしりしたことだろう。そして、自分が不利な立場に立たされたことさえも知って、動揺したに違いない。このままでは危ない……
 物部守屋は飛鳥を引上げ、本拠地「河内国 渋川郡」(大阪やお市)に本陣を置いた。「皆の者! 敵は朝廷ではない! 蘇我馬子ぞ!」
 馬上で物部守屋は兵を鼓舞した。
「物部守屋さま支持! 物部守屋さま支持!」兵士たちから奇声があがった。
「穴穂部皇子さまの敵を討つのじゃ! よいか! 皆の者!」
「おおおっ!」
 兵士たちから奇声に、物部守屋は笑い、手を高々と挙げた。「わしは死なんぞ!」

  蘇我馬子は案の定、朝廷をまきこんだ。
 額田部皇女の館へ出向き、泊瀬部皇子を正式に担いだ。その中には厩戸皇子の姿もあった。厩戸皇子は「今こそ、物部守屋を討伐せねば天下は乱れるばかりじゃ」といった。
 額田部皇女は金の矛を投げて吉凶占いをした。占いの結果は”吉”だった。
「皆の者! 大吉である! われらの勝ちぞ!」皇女はいった。
「ははっ!」蘇我馬子は平伏した。
 こうして西暦五八七年、蘇我馬子連合軍と物部守屋による日本史上唯一の『宗教戦争』が開始された。討伐軍は渋川郡へと進軍した。
 そして、両軍は対峙した。
「おろかな蘇我馬子よ! 野戦ではわしのほうが有利じゃ」
 物部守屋は笑い、続けた。「やはり阿呆の泊瀬部を担いだか! 馬鹿め!」

  夜、蘇我馬子連合軍は軍儀をひらいた。
 陣内では馬子の家臣、膳臣賀抱夫と巨勢臣比良夫が侃々諤々と議論しているところだった。側には難波皇子の姿もあった。
 厩戸皇子は陣の外でいぶかしがった。
「軍義にくわわらなくてよいのでしょうか?」
 きかれた泊瀬部は「こちらは敵の数倍の兵力ある。楽勝じゃ。わざわざわしら朝廷のものがでんでもよい」と凡庸に答えた。
「しかし…」
「しかしも屁ったくれもない」泊瀬部はわらった。
 兵士たちは厩戸皇子の姿をみて平伏した。伊良もやってきて平伏した。
「国を捨て、病のものを残して……戦はむごい。大臣は戦を楽しむかのようなふるまいじゃこれは許せぬ」
 厩戸皇子はひとり、苦悩した。                         


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緑川鷲羽「草莽掘起宣言」コンピュータ・プログラマから救国の上杉米沢市日本国維新回天特別編

2015年02月18日 18時48分58秒 | 日記







学生時代にこれからはコンピュータの時代だ、と言われ

やみくもにプログラマになり


米沢NECや山形NEC等でビジネスに勤しんだ。


それから長い間精神疾患で仕事が出来なかったり、不遇だった。


が、プログラマではなく座業に、

という自分が見えてきた。


自分と向き合い、救国の道を決めた。


草莽掘起だ!


緑川鷲羽はじまりの2015年へ!

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聖徳太子、本当はいないってよ。小説聖徳太子<ブログ連載特別編>聖徳太子小説2

2015年02月18日 07時58分57秒 | 日記







         大后







  穴穂部皇子が物部守屋の物部家に転がりこんだのは、まだ、敏達天皇が生存中のことだ。その頃、物部守屋は蘇我馬子の攻略を考えていた。何の理由もなく侵略攻撃はできない。しかし、これで大義名分が出来た訳だ。穴穂部皇子が「どうかわれを次の大王にしてくだされ」と頼ってきたのだ。
「わかり申した」物部守屋は強く頷いた。「必ずや逆臣・蘇我を討ち果たしてみせましょう」こうして、戦いは始まった。
 厩戸皇子もこの頃、元服し、厩戸殿と名乗る。そして、叔父である蘇我の側につき、初陣となった。物部氏との同盟軍・色部の拠点を攻撃することとなった。厩戸少年の武者姿はそれは美しいものであったそうだ。蘇我勢は色部の拠点の漁村に放火した。
 ごうごうと炎が瞬く間に上り、炎に包まれていく。村人たちは逃げ惑い、皆殺しにされた。厩戸少年はその炎を茫然とみつめ、「これが……戦か」と、力なく呟いたという。
「皇子はどうかしたのか?」蘇我馬子は家臣に尋ねた。
「いや。わかりませぬ」家臣は首をかしげた。たかが放火と皆殺しだけで、なぜ若皇子がそんなに心を痛め、傷ついてしまったのか…。典型的な戦国家臣には理解できなかった。叔父・馬子も、あんな軟弱な肝っ玉で、大王になれるのか、と不安になった。
 この頃、物部家に穴穂部皇子が転がりこむ。
「今度の大王(天皇)は大兄皇子か? 穴穂部皇子か?」
 穴穂部の弟・泊瀬部皇子は「大兄兄上です。兄上は鉄を要求して、新羅との戦を治めようとしています。穴穂部兄じゃは戦に夢中になるばかり…」
「なんじゃと?」穴穂部は驚きの声をあげた。
 穴穂部が隣で平伏する少年をこずくと、「穴穂部皇子さまが次の大王になるべきです。民は皆そう申しております」と、あえぎあえぎだが少年は、やっと声を出して名乗り、また平伏した。
「穴穂部兄じゃ、その童子をどこで手に入れたのじゃ?」
「もともとこの童子は民の代表のようなものじゃ。よくきいたか? この穴穂部が次の大王になるべきだといっておる。これが民の声なのじゃ」
 穴穂部はにやりとした。してやったりといったところだろう。
 泊瀬部皇子は困惑した。「民がみな兄じゃを……?」彼はいった。「まさか…そんなことは…」
 そして、泊瀬部皇子は物部氏の邸宅を後にした。民が望んでいる…というのは嘘だった。すべては穴穂部皇子がしくんだことで、民が本当に欲しているのは謙虚で、聡明な厩戸皇子であった。
 物部家の当主・物部守屋は侵略攻撃がうまくいかず苛立っていた。敵方の当主の松部広忠の父松部清康が勇猛な武将で、結束したその家臣団は小規模な集団ながら、東から物部に攻められたが孤軍奮闘していた。
 しかし、やはり物部か蘇我につくことにして、結局、物部につこうということで物部に人質の少年を送ったのである。
 松部は拡大を続け、次第に松部姓を名乗る豪族が増えていった。しかし、数がふえれば諍いが起こる。松部家は内部分裂寸前になり、そこに大和の物部守屋と蘇我馬子が入り込んできた。
 馬子はすでに「大王を掲げて、自分の旗をたてる」という野望があった。
 天皇といっても大兄皇子らを追い立てて、自分が天皇になるという訳ではない。
 そんな野望のある蘇我馬子は、伊勢に逃れた松部を救済した。
「わしが物部を抑えるうえ、故郷にもどられよ」
 当然、松部広忠は感謝した。蘇我馬子は大軍を率いて三河に出陣した。そんな頃、人質の少年が戸田に奪われ、物部氏にやってきたのだ。



  厩戸皇子はこの頃、十五か十六歳である。穴穂部はあいかわらず鷹狩りとうつけにうつつを抜かしていた。そして、この頃、事件が勃発する。皇子の父・大兄皇子が次の大王(天皇)に決まったのだ。それは蘇我馬子の策であった。
 当然ながら、穴穂部皇子を推す物部守屋は反対した。
 穴穂部皇子は「われが大王ぞ! 大兄皇子では蘇我のいいなりぞ!」と怒鳴ったという。  厩戸皇子は蘇我馬子の娘刀自古(姫)と結婚した。刀自古は十歳、厩戸皇子は十五歳であり、まるでままごとのような夫婦であった。
 姫を嫁に出すとき、父・馬子は短刀を渡した。姫の母は名門の生まれで、美貌であり、馬子は剃髪して髭を生やしてはいるが結構美男子だった。当然、刀自古(郎女)も美少女であったという。短刀を渡しながら馬子はいった。
「厩戸皇子というのは大和では知恵者と評判がたっておる。もし、お前の目からみて本当に知恵者だったら、この短刀ですぐ殺せ。そしてわがもとに帰ってまいれ」
 が、刀自古(郎女)は「さて、どうでしょうか。逆にこの短刀で父上を殺すかも知れません」と答えた。冗談めかしだが、顔は真剣そのものだ。
「…さようか」馬子はにこりと笑った。が、心の中では、この娘も俺が父親だということを疑っているのだろうか、と不安になっていた。

  穴穂部皇子は諦めきれない様子だった。
 長男の大兄皇子が即位した式では苦虫を噛み潰したような顔でみていた。
 蘇我馬子は矛、物部守屋は太刀で即位式を飾った。
 前の天皇の妻、つまり大后は中央の祭壇に座っていた。未亡人とはいえ、すばらしい美女だった。のちに推古天皇となるこの女性は、額田部皇女といった。
 皇女はきれいな柄の服を着て、ティアラを頭につけていた。
 いったいどうして彼女が、城で寵愛を受けて育った、美しい、きびしいしつけを受けて育った、頭のいい娘が、どうして”うつけ殿”と呼ばれて蔑まれている馬子なんかとめぐり合うことになったのだろう。もっといい人生も送れたはずの彼女がどうして。なぜ、未亡人になったのだろう。なぜ馬子のコントロール下にあるのだろう。
 そうだ、思い出した。………皇女は彼をみつめて長いあいだ立ち尽くした。疑問の余地はない。彼女がいままで目にした男たちの中で、甥の厩戸皇子こそ一番の色男だ。長身、みごとな筋肉、だが、そのわりに細くてしなやかな十七歳の身体を持った厩戸皇子、髪を耳の回りでもえぎ色の糸でむすんである。目は切れ長で、大きく、きらきら輝くはしばみ色で、濃いまつげが影を落としている。唇はふっくらしていて、笑みを浮かべるまでは少女の唇といってもいいほどだ。皇子が笑みを浮かべると……あぁ、誰がその微笑にうっとりせずにいられよう。
  大兄皇子の即位式が終わると弟・穴穂部皇子が食ってかかってきた。
 弟・穴穂部皇子は正装のぴしっとした身形である。皇子は兄に猛烈に腹がたっていた。  「兄上!」珍しく声を荒げた。「われが大王ぞ! かならずわれが大王になるぞ! 兄上と戦してでも! 父上はあの世で泣いておられまするぞ!」
 大兄は大声で笑った。なにがあの世だ、そんなものあるものか、というのだ。
「穴穂部……そのような乞食同然の格好をしていては資質を問われるぞ!」
「乞食か」皇子はにやりとした。「まぁ、兄上と一緒に町をあるけば、兄じゃは大王、わしは乞食か雑兵にみられるわな」
「穴穂部!」
 大兄皇子(用明天皇)は一瞬、その場で凍りついた。
 彼は慌てて振り向いた。穴穂部皇子の顔は暗く、目は怒りの炎でぎらぎらしていた。
「この穴穂部に指図しようとは百年早いわ」怒鳴りつけた。「なめるな!」
 兄の用明天皇は彼になぐられたようにすくみあがったが、唇をきゅっと結び、彼が四方八方から受けている圧力のことを考慮に入れた。穴穂部はカッとなりやすく、圧力釜に長いこと入り過ぎていたため、釜のバルヴが壊れて、あらゆるものが噴きこぼれていた。うつけと呼ばれ、攻撃され、嘲笑され、罵倒され、危なっかしく生活しながら、何もかもひとりでまとめようと奮闘している。
「穴穂部、お主の苦しみ……この用明にはわかるぞ」説得しようとした。
 しかし、無駄な努力だった。穴穂部は怒りで顔を真っ赤にして、「わしの何がわかるというのだ!」と歯をぎりぎりしながら立ち上がり、座していた兄に強烈な蹴りを食らわした。そして、厳しい視線を向ける兄に怒鳴るようにいった。
「兄じゃ! 物部とともに兄じゃ、兄じゃを攻め滅ぼす!」
 兄は崩れた身体を起こしながら、弟をにらみつけた。やはり、穴穂部皇子はうつけ(阿呆)だ。少しでも同情したわたしが馬鹿であった。天皇が茫然と黙り込むと、穴穂部はどかどかと歩き去った。……うつけを始末せねば天皇家もあやうい…天皇は強く思った。それは、嫉妬というより怒り、激しい怒りであった。
 深夜、伊良は夜陰に乗じて穴穂部皇子を殺そうとした。しかし、失敗した。だが、かれは捕まらなかった。穴穂部皇子は一命をとりとめた。



「うつけもここに極まれりか」
 物部守屋はいった。中臣勝海も「あれほどうつけがひどいとはな」と頭をふった。
 しかし、ふたりは穴穂部皇子を推して天皇にし、蘇我氏にかわって実権を握ろうと画策していた。
 あるとき、酒席で泊瀬部皇子(穴穂部皇子の弟)が穴穂部に文句をいった。うつけ者(穴穂部のこと)には大王になってはほしくない。穴穂部はぐっと唇を噛んだ。
 すると、物部守屋の家臣・中臣勝海が「しかし、穴穂部皇子さまは天下の器ですぞ!」 大見栄をきった。だが、泥酔の泊瀬部は「穴穂部兄じゃでは大王とはなれぬ!」とのたまった。
「許せぬ! その言い方はゆるせぬ!」中臣勝海は太刀を抜き、泊瀬部皇子を斬り殺そうとした。が、同僚たちに抑えられとめられた。「後生だ! 斬らせて下され!」暴れた。  穴穂部皇子の命令で、額田部の家臣が殺された。その報復に、蘇我馬子らは中臣勝海を殺した。物部守屋と蘇我馬子の確執は決定的となった。
 そのとき、用明天皇(大兄皇子)は無力であった。
 用明天皇は蘇我馬子のパペット(操り人形)であった。

  厩戸皇子は十九歳となった。
 彼はとてもハンサムな青年に成長していた。彼は、親友となっていた伊良の鍛治場へと足をはこんだ。いつもの癖で、顎をさすっていた。
 伊良は鉄の板を数枚、地面に落としてしまった。それを見もせず、遠くを見るような目をしていた厩戸皇子は「足元に二枚、後ろに三枚、右に四枚…」と呟くようにいった。
 …その通りだった。そこに板はあった。
「な? なぜ板の場所がわかりましたのか?」
 伊良はあえぎあえぎだが、やっと尋ねた。是非とも答えがききたかった。
「音じゃ。それぞれの音がした」
 遠くの山を見ているのか、振り向くこともなく厩戸皇子はいった。
「このままでは国は乱れるばかりじゃ。物部守屋でも蘇我馬子でも、罪を与えねば…」
「大陸には…」伊良は続けた。「随という国があります。民の中からも有能とみれば登用し、有能なものは民であっても重役になれるときいていまする」
「ほう」厩戸皇子は興味を示した。
「この国も随のような国とならねばならぬ。仲間内で争っているうちはまだまだじゃ」
「……まことに」
 来目皇子(厩戸皇子の弟)が馬に乗り、血相を変えてやってきた。「どうした? 来目?」
「父上の病が……」来目皇子は泣きそうにいった。「もうすぐみまかられそうです!」
「なにっ?!」厩戸皇子は仰天した。
  その日(587年7月)、用明天皇は亡くなった。
 額田部皇女と蘇我馬子(額田部の叔父)は、葬儀で祈った。
 このままでは、あのうつけの穴穂部皇子が大王になってしまう。
 興味深々なのは蘇我馬子の方である。もし、うつけが演技で、本当は頭のいい策士ならどえらいやつを敵にまわすことになる。しかし、うつけは演技ではなく、只の阿呆なら、天下はまちがいなく自分の手に落ちる。阿呆だったら、攻撃も楽なものだ。しかし……本当の正体は……
 物部守屋のお共の者も八百人くらいだ。ところが、その者たちは片衣どころか鎧姿であった。完全武装で、まるで戦場にいくようであった。家臣の半分は三メートルもの長い槍をもち、もう半分が弓矢をもっている。蘇我馬子は死ぬほどびっくりした。
「物部め! 何を考えておるのだ?!」彼は呟いた。
 馬子は眉をひそめて馬上の穴穂部皇子を見た。
 茶せんにしたマゲをもえぎ色の糸で結び、カタビラ袖はだらだらと外れて、腰には瓢箪やひうち袋を何個もぶらさげている。例によって、瓜をほうばって馬に揺られている。
 通りの庶民の嘲笑を薄ら笑いで受けている。馬子は圧倒された。
「噂とおりのうつけでございますな、大臣」家臣は呆れていった。
 馬子は考えていた。穴穂部皇子は確かにうつけで馬鹿だ。しかし、それを推す物部守屋は強敵だ。物部軍の兵士たちは奇声をあげた。「今度の大王は穴穂部さまじゃ!」   


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脚本「北風と横田めぐみと北朝鮮の拉致と」~悲劇のヒロイン、横田めぐみ!めぐみさんは生きてる!1

2015年02月12日 13時53分18秒 | 日記








 脚本 「北風と横田めぐみと北朝鮮の拉致と」
    ~悲劇のヒロイン めぐみ。めぐみさんは生きている!~


   あらすじ 1977年、新潟……横田ゆぐみさん(当時13)は北に拉致された。北朝鮮が本当に拉致を認めたのは90年代。それまで横田夫妻ら拉致家族は不安なまま過ごす。やがて小泉首相(当時)が訪朝し、蓮池さんや曽我さんらは帰ってくる。しかし多くの拉致被害者やめぐみさんは死亡とされた。それはそんなめぐみさんに迫る脚本である。
<キャスト> *字幕つけること 音楽 久石譲
 横田滋………篠田三郎/横田めぐみ(中学)…広瀬すず/小島晴則…寺田農
 横田早紀江…浜木綿子/横田めぐみ(成人)…多部未華子/真保節子…市毛良枝
 横田めぐみ(少女)…芦田愛菜/(成人)ボンボ…今村雅美…アイクニ…原田真希
 兵本達吉…梅宮辰夫/新潟県警キャリア…緑川鷲羽(藤原竜也)横田滋(若い頃)……高嶋政伸/横田早紀江(若い頃)…壇れい
○1 東京都内空撮……六本木ヒルズや都庁…官邸…国会がみえてくる。
S”原作・原案 横田早紀江、滋/脚本・企画・総合プロデュース 緑川鷲羽”
N(藤原竜也)「北朝鮮問題は何も進展がない。このままでは日本はナメられたままだ」 壮大な音楽が流れる。
タイトル”北風と横田めぐみと北朝鮮の拉致と
       ~悲劇のヒロイン めぐみ。めぐみさんは生きている!~”
    ”作家/総合プロデューサ・緑川鷲羽による悲劇のヒロイン「横田めぐみ像」! 悲劇のヒロイン「めぐみ」のすべて! total-produced&PRESENTED&written by
 Midorikawa Washu 緑川  鷲羽
          story is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.
 ”たとえ全世界を手に入れても、自らの魂を失ったなら何の利益があるだろう”                 アタイ伝16の26”
○2 朝日が差す東京……S”東京。1964年”TVでは東京オリンピックを流している。メダル・ラッシュ……当時のニュースに赤ん坊たち……
N「横田めぐみさんが生まれたのは1964年。ちょうど東京オリンピックが開催された年である。誕生日は10月5日という。生きてれば40代だ。めぐみさんの父親・横田滋さんは女の子がほしかったようで、母・横田早紀江さんも女の子を望んだ。生まれたのはやはり女の子だった。名前はめぐみ……悲劇ヒロイン・横田めぐみさんである。
生まれてみるとめぐみさんは大きな赤ん坊で看護婦から「御所ちゃん」(御所人形みたいだったから)と呼ばれたという。そんな愛娘が13才のときに北の独裁国家に拉致された訳だ。はっきりいおう、金正恩は「黄色いヒトラー」だ! 倒さなければならない相手である。北は少なくとも金王朝に反対する20万人もの人々を虐殺している。ナチスと同じなのだ。めぐみさんはそんなかの地でどう生活しているのだろう?
 だが、めぐみさんは確実に生きていると私は思う。それは偽遺骨やらでわかる。あまりにも独裁国家の秘密を知っているから死んだことにしているのだ。経済制裁しかない!
 めぐみさんが拉致されたと報道されたのは1997年2月3日のこと。実名で公開されると反響は大きかったらしい。小泉訪朝まで動かしたのだから……
 しかし、甘いと思う。まずこういう異常国家はまともに相手にしないことだ。必ず謀略がまっている。
 ヒトラー金正恩を倒さない限り拉致も核も麻薬も偽札も人権弾圧もとまらない。われわれはああいう異常国家と対峙しているのだ…という自覚が必要なのだ」
○3 青空……カメラゆっくり横田家(木造一建家)へ。S”新潟県新潟市水道町横田家。1977年11月15日”N「横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月15日……新潟県新潟市水道町でのことだった。11月にしては穏やかな暖かい日だったという。そのときは拉致とはわからず失踪扱いだったという。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という」
○4 東京マンション外観…内部…S”そして拉致から20年たった1997年1月21日……双子の弟の哲也の結婚が決まった”
近所のオバさんたち「おめでとう! 早紀江さん」祝福した。しかし、早紀江さんはいつも愛娘・めぐみさんのことを思い、陰で泣いていた。神に祈った。神様仏さま…… どうかめぐみが生きてますように…
○5 横田家(木造一建家)早朝。S”新潟県新潟市水道町横田家。1977年11月15日” TVでさかんに東京オリンピックの報道している。双子の弟はまだ小さい。めぐみさんは13歳だ。めぐみさんの父親・横田滋も、母・横田早紀江もまだ若い。
めぐみ(中学生徒)「おはよう…お父さん」S”横田めぐみ(当時13歳)”
 めぐみさんは中学校の制服でバトミントンのクラブをもっている。「ああ、おはようめぐみ」新聞を見ながら滋さんはいう。S”父・横田滋、母・横田早紀江”
 友達の女の子の「ヨコー! おはよ~っ!」の声。
めぐみ「まって! すぐいくわ!」
○玄関
 めぐみさん、いつものように玄関から出ようとした。
早紀江「今日は暖かいけど夕方寒いよ。コートもっていきなさい」
めぐみ「ん~どうしようかなぁ。今日はいいや。置いてく……じゃあ行ってくるね」
 友達と出掛ける。N「それが……めぐみさんの家族たちが見た最期の姿である」
 暗転…S”そしてまた1997年……”
○6 東京ひと気もない夜道…厚着の白髪の早紀江歩く(ひとりで)帰宅…
N「早紀江さんは複雑な心境だった。あの頃…小学生だった拓也も哲也ももう結婚である。時間がどんどん過ぎていく。めぐみちゃんのことはけして忘れてはないけれど……」
 寒い日。体を震わす早紀江。
N「横田夫妻は東京付近のマンションに住んでいた。滋さんは元・日銀マンである」
○7 横田夫妻マンション 夜……帰宅する早紀江。静か。
早紀江「ただいま。あら?」
 夫の滋がソファで深刻な顔して座っている。
早紀江「どうしたの? お父さん?」
滋「実は……今日……不思議なことがあったんだ。」
早紀江「不思議…不思議なことって?」
滋「実はめぐみが……北朝鮮で生きているそうなんだ…」
早紀江「え?! まさか!」
滋(深刻な顔のまま)「ある議員の秘書の方から連絡があった…」
早紀江「じゃあめぐみちゃんは生きてるの?!」
 夫妻は年寄りとなり白髪頭。
滋「20年前に行方不明になってから以来……情報らしい情報といえばいいが…本当なのかは…」
早紀江「めぐみちゃんが!」老眼鏡を落としそうになるくらい動揺。(心の声)”めぐみは北の工作員に拉致された……?? めぐみ!”
○8 新潟 夜 S”新潟1977年11月15日……”横田家 夜。
 ドォーン! という大きな音がする。夜。双子の弟たちもびっくり。
若き早紀江さん「いまの何の音?」不気味がる。
双子は「飛行機でも落ちたの?」とラジオをつけてみる。何もない……もう夜の7時をまわったところ(時計)
早紀江「ねぇ、お姉ちゃん、今日何かいってなかった? こんなに遅くなるなんて…」
双子「何もいってないよ」ひとりはバイオリンの練習…
早紀江「変ねぇ?」
○玄関から外へ
 若き早紀江さん、不安になって外出。
早紀江「お母さん、学校までいってみてくるわ」
 隣のお婆さんがみかけて声をかけてくる。
お婆さん「あら? どこかへお出掛けですか?」
早紀江「はい」動揺しながらも「めぐみがまだ帰ってこないので学校まで向かえにいきます」と答えた。
 もう真っ暗で街灯が光っていた。
○学校 夜 暗い
 学校では体育館などに明りがついていて練習をしている。
早紀江「なんだ。まだバトミントンの練習してたんだ…」
 覗いてみる。若き早紀江さんは動揺。バレー? めぐみちゃんが……いない!
N「体育館のバトミントンの練習をしていた生徒は夕方六時には帰ったという。いよいよおかしい。若き早紀江さんは娘の友達の家にもいってみた。いない! まず帰宅してみた」
○9 横田家 新潟自宅…夜
早紀江「お姉ちゃん、帰ってない?!」
双子「いないよ。どうしたの?」と動揺する母親にきく。
早紀江「どうしたんだろう? 学校にもいないのよ」
 若き早紀江さんは電話をかける。
○佐藤宅 夜 電話が鳴る。とる。
                 あきお       
N「バトミントン部の顧問だった佐藤明雄さんだった」
佐藤「え? 横田さん? まだ帰ってないんですか? 変だなぁ。門のところで皆とわいわい笑ってたんだけど……中学生くらいになりますと寄り道も多くなるでしょう? もう少しまってみたらどうですか?」
○横田家 時間の経過(時計)
 若き早紀江さんはもう一度、佐藤さんに電話。
佐藤(声)「まだ帰ってない?! じゃあぼくも探してみます」
○深夜の街路時 懐中電灯をもって歩きまわる早紀江
早紀江「めぐみちゃ~ん! どこ~っ!」
双子たちはえんえん泣く。
○深夜の日本海
 若き早紀江さんは荒波の日本海までやってくる。どこにもいない。
○横田家自宅外 深夜
  先生がまっている。
佐藤「横田さん! まだ帰りませんか?!」
早紀江「はい」
佐藤「すぐに警察に知らせたほうがいいのではないですか?」
(回想)そんなとき家の黒電話が鳴った。滋からだった。
滋「あ、私だけど…歓迎会がおわってね。これから麻雀をするので…」
若き早紀江さんは我鳴る。「お父さん! それどころじゃないわ! めぐみがまだ帰ってきてないの! すぐ戻ってきて!」
滋「え?! めぐみが……いかんな。わかった」
○日本海の荒波を進む小型船 深夜
N「横田めぐみさんはその夜、北朝鮮の船の船底に閉じ込められていた」
(回想)日本海の荒波をいく小型船。激しく揺れる。船底の閉じ込められて泣くめぐみ。めぐみ(制服のまま)「母さん! 助けて! お母さん!」
 暗く寒い船底に閉じ込められている。
めぐみ「お母さん! 助けて! お母さん!」
 制服のまま、船の底を手でかきむしる。血がでる。
めぐみ「助けて! お父さん! お母さん!」
N「しかし誰も助けにはこなかった。北の独裁国家へと……船は向かっていた」
○10 やっとのカラーTVに東京オリンピックが映されている。赤ん坊の生まれる声…
N「1964年は東京オリンピックの年だった。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。まだ小さい。めぐみさんは13歳だったという。
 めぐみさんの父親・横田滋も、母・横田早紀江さんもまだ若かった」
(回想)「病院外観……」
N「10月5日、早紀江さんは出産した。女の子だった。
 早紀江さん(当時28歳)滋さん(当時31歳)だった(若い頃のキャストは似た若い俳優をつかうこと)」
看護婦「はじめてのお子さんね。でも、女の子ですよ」
 早紀江は赤ん坊を抱いてみた。「赤ちゃんってこんなに重いのかなぁ?」
滋「え? そんなに重いの?」滋さんも抱っこしてみた。「ほんとだ」
看護婦「健康な赤ちゃんですね?」
 滋さんは名前を考えた。
滋「名前はひとみかめぐみ…この娘はひとみって感じじゃないな。そうだ! めぐみだ!横田めぐみ! いい名前だ」
早紀江「まあ、あなたったらもう親バカ?」ふたりは笑った。
○11 夜中、繁華街をタクシー走る。内部。背広の滋と同僚……。N「そして1977年11月15日……滋さんはタクシーで自宅に向かっていた」
滋「麻雀すまなかったねえ」
同僚「いいえ。麻雀なんていつでもできますから……それより娘さん心配ですね?」
 滋さんは不安な顔のまま「すぐ帰ってくると思うけど…」という。
○12 新潟夜中……真っ暗……ひと気はない。
 夫婦と先生で探す。しかし、いるはずもない。
○学校校舎 深夜
 先生は暗くなった校舎を探しまわる。滋さんも早紀江さんも探す。しかし見付からない。
○横田家自宅  深夜
 滋さん、警察に電話。
滋「警察のひとがすぐきてくれるそうだ」肩をおとす。
早紀江は狼狽しながら「家出かしら…? そういえばめぐみはバドミントンの強化選手に選ばれて大変だっていってたわ……そのプレッシャーから…」
滋「それはないだろう。そうだ! 小学校時代の広島には友達がいっぱいいるはずだ! そこではないかい?」
早紀江は希望をつかみたくて電話する。「あ、いないはいすみません」
滋、不安にかられる。
滋「めぐみは汽車のキップを買ったことないし、そもそも今日がこずかいをあげる日だ。家出なら……こずかいをもらってからいくだろう?」
 そんなとき警察がくる。「横田さん。新潟中央署のものです!」
N(回想)「めぐみさんはそれまで一度も寄り道も学校を休んだこともないという。警察は警察犬をつかった。身の代金目当ての誘拐と思った……交通事故かも…?
 しかし犬は匂いを見失う。家から1、2分のところだった。横田夫妻は動揺を隠せない。警察は横田夫妻の電話に録音機をつけて時をまった。犯人が誘拐電話をかけてくる時を…警察たち「今日はいったん警察のほうは捜査を打ち切ります。明け方から再開しますので今日はお休みください」警察はいう。
 深夜。盗聴組は身をすくめている」
○深夜、夫妻はふとんにはいる。眠れる訳はない。
早紀江は狼狽しながら「家出かしら…? そういえはめぐみはバトミントンの強化選手に選ばれて大変だっていってたわ……そのプレッシャーから…自殺かも…」
滋「いや。あの子は広島にいたころ溺れかけたことがある。そういう子は自殺…しない…自殺なんかする訳ない…」滋は目をぎゅっとつぶった。めぐみ!
N(回想)「その前日は滋さんの誕生日だった。つまり11月14日だ。
 めぐみさん(当時13歳)は父親に櫛をプレゼントしたのだった」
めぐみ「これからはお洒落してね」ピース・サインをみせて微笑むめぐみ。
滋「……あの子が自殺や家出なんかするはずない!」
N「そして…20年の時が流れた…」
○14 東京青空 S”1997年1月27日……”
N「衆議院議員秘書をしている兵本達吉さんから電話があった」
滋「めぐみが…生きている?!」白髪頭となった横田滋さんは驚愕して受話器を落とす。
N(回想)「横田夫妻が東京品川区大井に住んでいた頃。めぐみさんの弟がうまれた。双子だった」
若き早紀江さん「あら? みーたん。おしめどうするの?」S”横田めぐみ(当時4歳)” 若き早紀江さんは洗濯ものを干しながらきく。まだめぐみさんは小さい。
めぐみ「いいの。ちょうだい!」そういって外出する。
 早紀江、ベランダから下をみて驚く。
 めぐみ、な蛙にオシメをして抱きながら遊んでいる。
近所のガキども「キモい! キモい!」という。
N「しかし、幼いめぐみちゃんは無邪気に遊んでいる。横田夫妻にとってめぐみちゃんは太陽のような存在だった」
○15 (回想)新潟 県警数千人規模の捜索……ヘリも飛ぶ! N「そして1977年…翌日の16日には県警の機動隊もかけつけて薄明りの午前5時頃から捜査がはじまる。新潟県警キャリアが地図を差して部隊に指示…S”新潟県警キャリア・緑川鷲羽”しかし、何もみつからず。ヘリ飛ぶ…千人の捜査部隊…夫妻は涙枯れるほど流した。
 …一週間後、誘拐の線は薄いと判断した警察は公開捜査に踏み切った。
 この少女を探してください…横田めぐみ…(ポスター)
 テトラポットの隙間を巡視船が、ボランティアのダイバーたちがテトラポットの底まで潜ってもみた。新潟県警最大規模の大捜査になった。しかし、みつかる訳はない。
 刑事たちは張り込みを続けた。夫妻は心配のあまり眠ることもままならない。
 夜になるとふとんで泣いてばかりいた」
○16 新潟横田家夜
早紀江「厳しくしつけ過ぎたのかしら? あの時……だってめぐみは…」
 早紀江泣く。滋も泣く。N「めぐみさんはバドミントンの強化選手に選ばれて「やだな~断ろうかなぁ?」などといっていたという」
早紀江「あのとき、相談に乗って…れ…ば…手をかしてれば…」
滋「いや、あの子はそんなことで家出なんかする子じゃない。きっと…めぐみは生きているさ……自殺も家出もない…」
早紀江「なら…めぐみは生きてるのかしら?」
滋「きっと…」
(回想)滋さんはお風呂で男泣き。母親の早紀江さんひとしれず泣く。
N「もうこの苦しみから逃れたい…でも、息をとめてみても悲しい朝はやってくるのでした。悲しい日々……」
○17 東京午後 S”東京議員会館”S(当時のニュース映像・回想)”そして1997年1月27日、共産党参議院議員橋本敦の秘書・兵本達吉という初老の眼鏡をかけたオッさんがめぐみさん生存情報を掴んだ。それをもどること1987年11月29日、大韓航空機事件がおこり、蜂谷真由美と名乗る金賢姫が捕まり証言していた。(金の逮捕映像重なる)李恩恵という日本人拉致被害者が話題になった。兵本達吉は横田滋さんを事務所まで呼んで知らせた”
(回想)議員事務所 昼頃…
兵本「1980年1月7日にサンケイ新聞の朝刊一面を飾った日本海アベック蒸発事件……それから私は拉致問題を研究してきた。これを読んでほしい。横田さん」達吉はペーパーを渡す。
 兵本「その文章とお宅のめぐみさんが重なると思う。朝日放送の石高健次というひとが書いた現代コリアの記事がファックスで送られてきたんだ……めぐみさんらしい」
 滋さんみる。”残酷なものだ。子供なのである…””十三歳の少女が…”
 動揺。白髪頭の滋さんは「めぐみに間違いない!」と思う。しかし、日本海の新潟のどこの浜かは書かれてない。
(回想)少女はクラブの帰りだった。海岸から脱出しようとした工作員が目撃されたために捕まえて帰ったのだという。朝鮮語をマスターした。そうしたらお母さんたちのところへ返してくれると嘘をつかれて……それがかなわないとわかり精神に異常をきたしたという。
滋「……めぐみ! これはめぐみに間違いありません!」泣く。
○12 (回想)
 横田滋さんはめぐみさんを写した写真……例の桜の前での…をみつめて泣く。
N(回想)「あのとき、娘は風疹のあとが顔にあるから写真はやだといったのだ。しかし、桜が散ってしまうからと撮影したのだ。制服姿の……」
 (回想)N「兵本のもとにサンケイ新聞の阿部雅美という男がやってくる。そして、事件は公になる」
N(回想)「そして、事件は公になる。 横田夫妻のもとに朝日放送報道局(当時)石高健次というひとがカメラをつれてやってきた。メディア・スクラムである。「カメラまわしますので…」」S”朝日放送報道局(当時)石高健次”
○17 東京横田マンション 午後
滋「はあ、横田です」
早紀江「初めまして妻の早紀江です」
N「石高が情報を得たのはその一年前、1995年6月23日だったという。ある工作員の取材で安全保証部員の元工作員と韓国で話した。13人の日本人拉致者がいるという。しかも13歳くらいの少女まで拉致されたという。男は本当のことをいっているようだった。
 関西訛りの石高は情報を探った。そして、捜査段階として現代コリアに少女拉致の記事を載せたのだった。それがヒットした。現代コリア研究所の佐藤勝己氏からの調査でもめぐみさんに間違いないという」
 横田夫妻は動揺。早紀江さんはめぐみちゃんが羽織りを着て少しだけ口紅を塗ったときの写真をながめている。涙がでてきた。滋さんも泣いた。記憶、回想。実物写真…
石高「しかし私がゆうてるのは情報で……事実とは…しかし工作員にあってみますか?」横田夫妻は「是非会いたい!」という。
N「重たい。ソウルでもどこでもいくという。しかし、記事になり公になれば拉致被害者たちは殺されるかも知れない。経済制裁をしても同じ不安は募る。だが、横田さんたちには時間が限られている。もう還暦を過ぎているのだ。横田夫妻はひさしぶりに新潟へと新幹線で向かった」
○新幹線列車内部 午前 天気曇り
早紀江「(列車にゆられながら)大丈夫かしら。怖い国だから……めぐみの写真をみて…こいつだ。殺せ!ってことにはならないの?」
滋「わから……ない。しかし……何もやらないよりはマシだ。日本がこれだけ情報をもっているって北にわからすのだよ! そのためには経済制裁しかない!」
○18 門だけが残るかつての新潟横田家借家……午前 曇り
 もう家はない。門があるだけだった。N「実名報道すれば命の危険があるのはわかっていた。しかし、そのほうが拉致問題は進展すると思った。ふと、昔のことを思った」
○(回想)昔、めぐみさんが中学の頃、同級生たちと漫画を描いていたことだ。…ドイツに花咲く娘たち……スパイ漫画だった。
早紀江「将来は漫画家?」滋「ふふ、歌手じゃなかったのかい?」夫婦は笑った。
めぐみさん「そんなのわかんないって」赤くなったという
早紀江「となりのお婆さんにあげた事件のときの蕾の山茶花ももう大きくなっている。……めぐみちゃん……あともう少しまっててね……きっと取り返すわ」
(回想)拉致報道と雑誌……問題視!
N「こうして1997年2月3日……雑誌「アエラ」と産経新聞一面トップに横田めぐみの実名と写真が大きく報道された」雑誌内容(例のめぐみさんの写真!)
○19 横田夫妻・マンション午前
 もう白髪まじりの横田夫妻は雑誌をマンションで読み、感慨深い様子。
早紀江「本当によかったのかしら…?」
滋「20年間何も分からなかったんだ。少しでも前身しないと…何もわからなくなる。ふたりとも年を取り過ぎたんだよ」
 マスコミ、スクラムを組んでやってくる。
○20 飛び立つ飛行機……ゆっくりと見えなくなる。
               アンミョンジン         
N「横田夫妻はソウルへと飛び、安明進工作員と会談した」
○(回想)安は最初、少女だった被害者の親とあうのを嫌がる。
安「恨まれる」
石高「あなたを恨むようなことはない! 是非!」
○ホテルの部屋 午後 テーブルに座る。
 安と横田夫妻話している。
N「彼は平譲でめぐみさんを見掛けたのだという。拉致工作員の教官がいて、ホールでみたという。その頃、めぐみさんは二十代頃だったという。彼女は生きている!」
○(回想)北朝鮮のホールで金正日バッチを胸をつけて着席するめぐみさん……安は遠くから見る。えらい綺麗だ。
安(声)「彼女は拉致されたことを恨んでいる様子でした」
○24 韓国繁華街……進む観光バス
N「しかし実際にいける訳はない。38度線(DMZ)の板門店から北を見るだけだ。早紀江さんはバスから結婚式店の光景をみて、めぐみさんのウェディング姿を想像したという」(イメージ回想シーン)鉄合網がみえてきた。
石高「ここからさきは北だ! 核地雷が仕掛けられていてスパイも行き来できない」(38度線のパノラマ)
○25 板門店午前……(韓国映画のセット借用)
N「板門店には韓国と北の警備員が物もいわずに睨み合ってつっ足っている。共同警備区域(JSA)という。北に目を向けると赤茶けた山とダミーの家がみえた。
 (回想)夫妻は寂しい気持ちになった」
早紀江「…あんなところにめぐみちゃんは閉じ込められてるの?」
滋「…めぐみ……」夫妻うるうる。石高、深刻な顔……
(回想)林檎の思い出がふと頭をよぎった。ちいさなめぐみちゃんがお婆さんを手伝って林檎をもらったのだ。「せっかくお婆ちゃんが買ってきたのに悪いことしちゃったね」
 涙があふれてきた。
○26 韓国繁華街……ハングル文字……食事店…
 食事をとると、ハングルの文字のところに何やら日本語が書かれている。”千里の道も一歩から”……
夫妻「そうだ! 世論を動かすには自分たちが動かなければならない!」
N「友達の真保恵美子さんも彼女に助けられたひとりだという」
○(回想)
N「ボンボこと真保さんは泣き虫だった。しかしめぐみさんが励まして、直した。」
めぐみ「ボンボ、泣いたら髪切るからね。いい?」
N「…あの日、つまり1977年11月…あの夜、恵美子の母親・節子も自動車から呼び止められて逃げたのだ。また知り合いの娘もあの頃、夜、怪しげな男ふたりに尾行されたという」
ボンボ「あのとき突き指してなければ…ヨコ(横田めぐみ)じゃなく私だったのかも知れない……」
(回想)成人・ボンボ、アイクニ…祈る。母親となにか話す。
アイクニ「ヨコ…死んでないよね?」
N「相賀(現・山田)くに恵さんもそんなめぐみさんを慕うひとり。ヨコにまたあいたい
○(回想) 体育館 午前
S”…中学時代”
めぐみアイクニ(相賀さんの愛称)私の悪口いってるの?」と体育館で制服で座っているとききいた。
 相賀「ラインハルト…あのことかぁ」という。
N「ラインハルトとは女子たちが好きな男の子につけたコード・ネームで、めぐみさんの好きな子はクラウスとかユースとか呼んでいて何人もいたという」
○(回想) 教室 午後
 ラインハルト「おい、相賀」と教室で呼ぶ。
アイクニ(心)…きゃ。ラインハルト!
 ラインハルト「この字、誰のかわかるか?」
 字……”相賀さんはあなたのことが好きなんです。もっと気をつかってあげて下さい”N「……めぐみさんの字だった」
○(回想) 体育館 午前
相賀「あれは別に…ちょっとヨコってお節介だね。っていっただけよ」
めぐみ「私……以前、アイクニに新潟祭りに行かないって断られたし、……本当に嫌われてるのかと思って…」
相賀「……あれは別に! たまたま外に出るのがおっくうだったからだよ!」
 めぐみ微笑む。「よかった! ラインハルトのことはごめんね!」………そういって去っていったという。
アイクニ(声)「ヨコは少し強引なところもあったけど……それは友達を思ってのことだし…」
N「何よりも別々のクラスになって社交的なヨコが昔の友達だった相賀さんやボンボこと真保さんたちを大切にしているのが嬉しかったという」
○ボンボ自宅 過去 夕べ
 母親の節子「あれ? 恵美子。ポストにこんなものがはいってたわ」という。
ベルサイユの薔薇だか何かの漫画カードに”ボンボさんはやくよくなって!”と書いてあった。
ボンボ「(風邪をひいてた)うれしかったです。でも、できたら会いたかった。それから10年…20年……ヨコに会えなくなるなんて…」
めぐみ(声)「ボンボ、好きな先輩みつけちゃった!」
*(回想)アイクニ(成人)夜空を見上げて祈る。
○27 東京道路。夜中、早送りのヘッドライト、テールライト……
N「やがて救う会が作られた。発起人は小島晴則というおじさんともちろん横田夫妻。さっそく署名活動が始まった。小島は元共産党員であったという。彼は在日朝鮮人たちを、『地上の楽園』と称して送った者のひとりだった”
    マンセー  マンセー 
○回想”万歳! 万歳!
N「しかし、実態は地上の楽園ではなく『地上の地獄』だった。そこは貧しい搾取と金日成と金正日の独裁体制だったのである。餓死者まででる楽園だった。
 小島は後悔した。共産党や共産主義、社会主義は間違っていた!」
(回想)北朝鮮の悲惨映像、独裁体制、プロパガンダ・ニュース…そして金正日・金正恩が重なり
○28 会合・居酒屋……夜…
小島「横田さん! 何でも力を貸します!」
横田夫妻「ありがとうございます!」
 横田夫妻は感涙した。
○29 新潟夜……曇りの寒い日…
S”1997年4月12日新潟……”
児島(声)「はっきりいって不安だった。安保闘争などのときの署名は名ばかりでひとなど集まらなかった……今回も……」
N「しかし違った。国民は拉致に怒っていた。次々と署名してくれる。これだ! と思った」署名にあつまる人だかり。
小島「横田さん、早くタスキを!」横田夫妻はタスキをかける。
 …”母・横田早紀江””めぐみを助けてください!” 
早紀江「めぐみの母です! めぐみは北朝鮮に拉致されています! どうか助けてください!」
N「署名は50万人を突破した。しかし、無能な日本政府はなにも手を打たない。むなしいまま五年が過ぎた。2002年3月、やっと動いたのが小泉首相(当時)だった。小泉純一郎の父親・純也は1960年代に北朝鮮への帰還事業にかかわっていたのだ。小泉はうなった。「わかった」そういった。本当はわかってなかった」
○官邸、小泉との拉致被害者たち面会(回想)S”内閣総理大臣・小泉純一郎(当時)” 横田早紀江さんは講演でスピーチした。「私は横田めぐみの母親です。だからなんとしても北には拉致者を帰せといいたい! 人間の命をもののように考えている金正日は許せません! ただ……朝鮮人のひとがすべて悪い訳ではありません。私が子供の頃、京都に住んでいたのですが、そこにも在日の朝鮮人の子供たちがいました。しかし、日本人の子供たちは在日朝鮮人の子供をイジめるんです。私は幼稚園ころだったのですが、大きな日本人のおにいちゃんたちがイジめて在日の子供をこずいて「あっちいけ!」っていったんです。私は真似しました。しかし、私の父親がそれをみていたのです。「早紀江帰ってこい!」父親は私を殴りつけました。父はいいました。「人間は皆誰より偉いと思っている。……でも誰より偉い人間はいない! どんな国の人間だろうと貧しかろうと豪華な家に住んでいようと関係ない! 大事なのは心の清さなんだ!」って…私は北の人々にはその心を求めます! 必ずめぐみは生きてます! どうか私たちを応援して共に闘ってください! 一緒に闘って下さい!」
○(回想 ニュース映像)
N「第一回目の訪朝が成った。しかし、拉致の被害者5人が帰ってきたのみで横田めぐみさんは自殺して死亡したという。有本恵子さんも同じだった。」
○(回想)TV報道”有本恵子死亡……横田めぐみ死亡……”メディアはスクラムを組んだ。カメラの前で泣く横田夫妻。 合同会見が開かれた。滋「めぐみが死んだなんて…」涙を流した。
早紀江、突然マイクをにぎった。「日本の国のために犠牲になった若いものを忘れないで下さい! 国家のためめぐみは犠牲となり、こうして大きな政治問題となりました! 日本にとっても北朝鮮にとっても重要なことです! いずれひとは皆死んでいきます。めぐみもそうです。でもめぐみはいきています! まだ生きていると信じて闘ってまいります! めぐみを愛して下さったひとたちに心から感謝します!」涙がぼろぼろ散る。
○(回想)小泉訪朝…金正日との握手……福田官房長官……国会議事堂…動く時計と平譲.。 N「また無能の外務省は藪中三十二(外務省太平洋担当(当時))や斉木昭隆(アジア太平洋局審議官(当時))を北にいかせてるが、まともな外交もできず、子供の使いのようにめぐみさんの遺骨とされたものを持ってかえってきた。(回想 遺骨壺)夫のキム・チョルジュンにはあったものの誰だかもわからず、娘というキム・ヘギョンのVTRを渡されていた」
○回想 暗い室内、藪中たち黒眼鏡のキムチョルジュンに会う)
○30外務省 事務室 横田夫妻VTRをみせられる。
ヘギョン(VTR映像)「お母さんは死にました。おばあちゃんやおじいちゃんに会いたいです。でも私は小さいので日本にいけません。こっちにきてください」
N「(回想)横田夫妻は動揺した。横田夫妻はヘギョンちゃんに会いたいといった。反対したのは被害者会会長の蓮池透さんだった。
○会議室 午後 横田夫妻ら被害者会
蓮池透「それでは北の金正日の謀略にはまる! 横田さんの孫にあいたい気持ちはわかるが……もし一家で北にいったら北は歓迎ストーリーをつくる。タラップを降りると歓迎ムードで、空港にはヘギョンちゃんがまっていて抱き合う。あの北の女アナウンサーや当局が『感動の再会』と報じる。ヘギョンちゃんはいうだろう。…「母は死んじゃったの」そして偽者の墓に横田一家はお参りする。北の策略に嵌まる! そうしたら我々の活動はおわったといわれ……活動は水の泡となりますよ!」 横田夫妻は苦汁の選択をした。現在、金正日は病死して横田さんらはモンゴルで孫のヘギョンちゃんやめぐみさんの夫とされる男性と会った。敵は金正恩に代わった。日本政府は北朝鮮と交渉したが無策無能であった」
○会議室 夜
 マスコミに滋
滋「当分の間、北朝鮮にいく気はありません」
N「当分とは一年か10年か…? そして遺骨は偽者だとわかる。日本中が怒った。あとはいままでの通りである。戦略も情報ももたない日本に何ができるだろう? 横田夫妻たち拉致家族は05年猛暑の中、官邸前で座り込みまでする。しかし、「北が拉致を解決しないなら厳しい態度をとる!」……という小泉内閣は郵政法案なんかで時間を費やすのみだった…… 横田さんや有本さんたちには気の毒だが、無能な安倍政権なんからの連中には何もできないのである。
 ここで誰かが、天才的な策略をもつ軍師がでてこなければ北朝鮮問題は解決しない」
○(回想)横田夫妻はめぐみさんの朝鮮での写真をそっと撫でた。飛行機での不安な顔の写真だ。涙があとからあとから溢れ出てくる。めぐみのあらゆる思い出、走馬燈のように…早紀江「めぐみちゃん………ごめんね。きっとお母さんとお父さんたちが日本に帰してあげる。きっと……」
N「横田夫妻はめぐみさんが帰国したら六本木ヒルズやディズニー・シーにもつれていくつもりだという。金正恩よ、めぐみさんや拉致被害者を帰せ! 被害者たちの思いは案外、簡単に解決するかも知れない。北朝鮮という異常な独裁国家が崩壊すれば……」
○31 水平線に沈む太陽……
N「今から30年以上前、ひとりのいたいけな少女が拉致されて悲劇がおこった。このことだけでも我々は覚えておくべきだろう」
○32 北朝鮮映像  平譲広場と金日成象…餓死者……金正日と金正恩とヒトラー被る
 壮大なる音楽…S”/原作・原案 横田早紀江、滋/脚本/総合プロデュース 緑川鷲羽” クレジット  おわり

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須田慎一郎の「千里眼」メディアも知らない安倍首相と財務省の蜜月関係「なんちゃって謀略劇」

2015年02月11日 14時26分30秒 | 日記









<ジャーナリスト須田慎一郎の「千里眼」>メディアも知らない安倍首相と財務省の本当の関係 2015年2月11日小学館SAPIO誌2015年3月号83ページより
「いったい誰が、あんな話を広めているんでしょうね……」
安倍晋三首相が、親しい内輪の席でこう言って苦笑したという。安倍首相の言うところの「あんな話」とは、2014年度12月解散総選挙を巡る、安倍首相と財務省のやりとりについてのものだ。
財務省が、与党の国会議員を個別に訪問し、増税の必要性を説いて回るなどの猛烈な巻き返し工作をした結果、安倍官邸は増税派に包囲されて身動きがとれなくなってしまったというのだ。そして、安倍首相は、こうした“包囲網”を突破するために、伝家の宝刀を抜いて解散に打って出た…、というストーリーに他ならない。だが、そもそも本当に増税を巡って「安倍官邸VS財務省」なる対立の構図があったのか、ここ一連の動きを検証してみると、はなはだ疑問に思わざる得ないのだ。
例えば2014年御用納めの夜、安倍晋三首相は銀座の高級イタリア料理店で、昭恵夫人とともに、北村滋内閣情報官夫妻、林肇外務省欧州局長夫妻、そして田中一穂財務省主計局長夫妻と夕食会を楽しんでいる。
一見すると何の脈絡も無いように見える出席メンバーだが、安倍首相と三人の官僚は強固な人間関係がある。「その三人は、第一次安倍政権時の首相補佐官を務めていた。つまり安倍首相にとって三人は、一番苦しかった時代に苦楽を共にした、最も信頼の置ける部下なのです」(官邸中枢スタッフ)
中でも、田中主計局長が注目だ。田中局長は2015年夏に事務次官への昇格がほぼ確定しているという。「ある意味でこの昇格人事が実現したら、異例中の異例となります。なぜなら昭和54年入省組では、三人目の次官誕生となるからです。それもこれも、安倍首相の強い意向が働いたと見ていいでしょう」(財務省幹部)
安倍首相と財務省が激しく対立していたらば、こんな形での夕食会も人事もない訳で。
まあ、メディアはこの会合も人事もスルーしているが。
確かに消費税増税の数字が悪かった。だから、財務省は「再増税はやらない」方針であった。安倍官邸は「あの財務省に勝った安倍首相」というペテン芝居を打つことで「財務省VS官邸」という馬鹿げた嘘のストーリーで人気を確立した。首相側近(谷内正太郎と飯島勲)が仕掛けたイメージ戦略は、こういうちっぽけな世界での戦略だが、実に巧みだった。
この狡猾さの何分の一かでも「日本人人質事件」の対応戦略に生かされればよかったが、せいぜい谷内や飯島が出来るのはこうした「なんちゃって謀略劇」がいいところだ。
馬鹿は死ななきゃ治らない。只、笑うしかない。


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