長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

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小説文学賞についてのアドバイス『文学賞とは何か?』文章がうまい、話しが面白いだけでは駄目。漫画賞より格段にレベルが高い文学賞。文章だけで楽? 甘い考えは通用しない

2022年01月01日 16時57分32秒 | 日記
小説文学賞についてのアドバイス『文学賞とは何か?』文章がうまい、話しが面白いだけでは駄目。漫画賞より格段にレベルが高いのが文学賞。文章だけだから楽? 甘い考えは通用しない。見るのはオリジナリティ。


 ここ最近は、漫画で『キングダム』『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『ゴールデンカムイ』『ワンピース』など、スマッシュヒットが連発している。映像化、映画化……印税もすごい。
それに比べれば、小説はいまやほとんど売れなくなっている。
それでも、甘い考えの輩が後を絶たず、「漫画は絵が下手だから無理。でも、文章だけなら書けるから小説家になりたい」という。誠に、作家・小説家を舐めた輩たちが跋扈している。
漫画で駄目なら、作家・小説家などもっと無理に決まっている。書くのは文字ではない。物語だ。文章だけですべてを完結させ、感動させなければならない。創作で一番難しい。
だが、素人のそういうのに限って、小説もどきの駄文を書く。(しかも、「評価して欲しい」と掲示板にあげる。しかも、ほんの数十行のみ)
文学賞で問われるのは、実は文章の出来、などではない。
素人は「作家は文章が上手いもの」とかいうが。むろん、誤字脱字だらけでは駄目だが、文章など書き続ければ、自然とうまくなるものだ。文章が下手でも物語が面白ければいい。
文学賞で選考委員が求めているのは「文章力」などではなく、「アイディア力」なのだ。
素人に限って、小説(もどきの)文章をポエムのような気取った文章などに書いたりする。そうすれば「これはいい小説だろう?」と思うようだが。勘違いも甚だしい。
文章は気取って書かず、読んで意味がわかればいいし、逆に意味不明では駄目である。読んで、理解出来ればそれでいいのだ。気取るな。小説はポエムではない。
それと、小説家・作家は物語を紡ぐストーリーテラーだ。
既視感のあるどこかで見たような物語を書いていては、一生、プロにはなれない。
初心者ほど、学園物やタイムスリップ物、パラレルワールド物などを書いてしまうが、そんなものはどこにでもある物語構成である。つまらない。
後、SFも、最近は全部売れない。太宰治のような、主人公が悩みをもがき苦しむような物語も売れない。だから、最近の出版の作品(自費出版をのぞく。商業出版の作品)にそういうものがないのも、売れないからである。文学賞は「オリジナリティ」が試される。
例えば、『屍人荘の殺人』の、〝ゾンビを殺人の道具〟につかう……のような。
確かに、ゾンビ物語など掃いて捨てるほどある。だが、推理小説の〝殺人の道具〟はなかった。
小説のアイデアに特許はないから、それでもいいのだ。発想の勝利である。
文学賞はそういう「アイデア勝負」の場である。そこで、既視感のある物語を書いていては百年やっても受からない。まあ、わたしもまだまだだが。
少なくとも、『小説もどき』の数十行を書いているだけの輩よりはわたしはマシだ。
(『青空文庫』とかの文豪の過去の小説をコピペして、ちょこっと加筆して自作小説もどきにみせるとか……違法性はないのか? 盗作じゃないのか? 何よりやっている本人が惨めだろ?)
(これは誰に向けて……というのではないんですが。人間はまず努力を継続してナンボだと思うんですね。どんなジャンルでも努力に努力を重ねて、才能を磨き、評価されるのであって。何もしていないひとや準備しているだけのひとを評価するひとなんかいないんだし。小説家志望なら、二十も四十も完結作品(もちろん長編)を作り続けて、その後に、評価、の筈だし。音楽でもオリジナルを数十曲以上作って、だし。漫画もスポーツでもなんでもそう。努力を嫌うひとは何にもなれないですね。だって、努力を継続しなければ才能なんて磨けない。才能が光っていないひとを評価するプロなんかいない。努力が嫌なら夢を見ないことです。絶対にプロになれないから。人間は努力次第。努力が無理ならサラリーマンとかOLとか無難な生き方しかない。甘えるな。そんなに甘い世界ではない。努力はすべての基礎なので。基礎がないのに成功できる訳がない。当たり前ですが。こういうと逆恨みするひとがいますが。まさに甘えてるというか)
(関係ない話ですが、You-tuberのヒカルとかいうひとの『炎上商法』の動画で、「中堅芸人に食事の時、(You-tubeを)馬鹿にされた」とかいうのがありますが、その場で喧嘩沙汰にならないのは大人だったろうが。後で、〝負け犬の遠吠え〟みたいに、「俺はお前なんかより、お前が30年で稼ぐ額を二年で稼いだ。なめるな!」とか。誰のおかげでその金が銀行口座に入ってきているのか?動画を観たひとの広告料金でしょう? どんなに邁進したって、今から二十年後や三十年後まで、「You-tuberでーす」とハンバーガーの大食いとか百万円分の宝くじを買って……とか白髪頭になってもやっているわけないんだから。傲慢にならないでそこは謙虚にいこうよ。確かに、悪口を言われたら頭に来るけど、動画で後から口汚く悪口をいっても意味がない。相手と同じ土俵にのるだけ。何故、その場で「すいません。侮辱です。あやまってください」といえなかった? どうせ、村本か陣内だろうけど(ただの予想です)。相手と同じ土俵に立たないことだよ。動画収入者自体がバブルなのは本当じゃないか。なにが違うの?じゃあ、君は三十年後もそれやってる?やってないよね?今の若者が数十年後も同じ動画を観ているとでも?バブルじゃなくて、なんなの?あまり人気に邁進せず、そこは謙虚にいこうよ。傲慢になったら負けだよ。その芸人と同じになっちゃうよ。謙虚に、「自分はまだまだ…」のほうが人間としてずっといい。謙虚に生きようよ。傲慢は敵だよ。邁進しない。常に謙虚に)
(小説家への近道は優れた小説や文豪作品の〝写経〟だが、写経とはノートに筆で文章を写し取るものやスマホかパソコンに一文字ずつ入力していくもの。それを、誰とは言わないけど『青空文庫』の文豪の小説をコピペして、ちょっと手を加えて、〝自分の小説〟と誤魔化して開き直ってSNS上にアップしている輩がいた。当たり前だが、コピペは写経じゃない。その行為はただの盗作・剽窃。泥棒であり、盗人行為でしかない。コピペして少し加筆したって、文体も何も身につかない。自分ではきちんとした文体で書けないからと、盗作・剽窃してどうする?こういうひとは是非、写経で、数年間努力して、文体や小説のリズムを身につけて!(何年も努力をしないなら何も身につかないよ)盗作でしかきちんとした文章を書けないなら、こういうひとはまだ小説を書くレベルに達していないということだよ。絵でもなんでも同じ。絵が下手だ、で何もしないなら下手絵なまま。だが、世界の名画の画集を購入して何万回も模写すれば、確実に、100%上手い絵が描けるようになる。すべて努力次第なんだよ。実力が達していないなら、基礎から固めて、数年努力して…ということ。努力しないなら何にもなれない。それはどんなジャンルでも同じこと。実力がないなら努力をしましょう。すべて自分にかえってくる。努力して数年後にプロになるか、怠けて、努力を嫌って、そのままおわるのか。すべては自分次第。自分の努力次第)
(努力は必ず報われる、というのは嘘でも綺麗事でもないが、報われない方が多い。当たり前だ。努力して皆全員報われるならそこら中、成功者だらけだ。だが、努力を継続しなければ、ライバルたちと同じ「スタートライン」にさえ立てない。努力しなければ才能は磨けないし、有名な天才だってみんな才能だけではなく、それプラス血の滲むような努力を継続しているからこそ〝神業〟のような業績を残している。努力してナンボで、「才能がないと努力しても……」など言い逃れであり、逃げ、だ。「努力したが報われなかった」いったい何年努力を継続したのか?ほんの数ヶ月か一年か?せめて五年やれ。それでとんとんだ。数ヶ月や一年だけで何をいっているのか?報われなくても努力すれば何かは残る。目標をかえればいいだけ。過去と他人は変えられない。自分と未来しかかえられない。努力しない言い訳だけうまくなっても、才能はまったく磨けない。才能を磨く方法は努力だけ。天才の才能だけみて嫉妬して、「努力しないことの言い訳」だけいってても何の意味もない。そんな人間は誰も評価しない。馬鹿にされるだけだ)
(よく自分の夢や目標を語る割には、まったく努力をしていないし、行動も何もないひとがいるかと思います。そんな相手に、「頑張って努力して行動すればいいじゃん」とツッコミを入れると、「でも、(仕事が忙しい)(お金がない)~でさ、できないんだよね」と返され、結局、「だからできないでしょ?」という会話をおわらせる目的なだけに終始する。すべて周りが悪い。親や環境が悪い、自分の容姿が悪い、と。もし自分の能力のなさを自覚してしまえば、何を目的にして生きていけばいいのかわからなくなるから。言い訳して、努力から逃げる。(イケメンと努力しても報われないブス)(天才と凡人)(才能がないのに努力しても無駄)とか。つまり、面倒なことを避け、逃げているのです。努力する努力量を考えたら、言い訳をして面倒なことをしない選択のほうが、よほど楽だから。(「名画の模写何万回?面倒くさい」とか)それを自覚しているのです。夢は人を成長させる。しかし、努力を継続しなければ100%夢はかなわない。「努力しなくても運が……」運も努力で引き寄せ、努力で才能は磨くもの。(イケメンや美女だってストイックに努力している)才能も努力もない人間を評価する人間なんかいない。努力しないなら夢を見ないことだ。努力が面倒で、それで逃げているだけなら、(もしくは努力の方向性が間違っているなら)夢を見ず、凡庸に生きるしかない。努力しなければ100%その夢は叶わないだけ。だが、それも自業自得だ。)(言っときますが、誰にあてたとかはないですが、この上記の文章はアドバイスであり、悪口ではないですからね。悪口ととらえて逆恨みして誹謗中傷の限りを尽くす……とか。やめてください。アドバイスと悪口の違いもわからないならもう人生を詰んでるだけ。ご愁傷さま。違法行為には確実に抵抗し、法的であれ、何であれ、必ず百倍にして復讐しますので。無茶苦茶な逆恨みで、誹謗中傷とか。本当にやめてください。それでも人間か?)
(新人文学賞はその新人のオリジナリティを見るものである。文学賞に詳しい先生によると、新人文学賞の一次選考で落ちる作品の半分以上が既視感のある作品(タイムスリップもの・パラレルワールドもの・学園物)だという。しかも、そのほとんどが青春の悩みがなんたらかんたら……とかいう太宰治みたいな作品。まあ、誰でも書けるし、書きやすいから。でも、青春の悩みものなど百年前から腐るほど書かれてきた。だから、そういうのは十羽ひと束にして、ボツゴミ箱行きになる。当たり前だ。オリジナリティ作家を探しているのに、「大正か?」みたいな作品を読ませられたらそりゃあゴミ箱行きになる。新人賞に既視感満載の作品は駄目だということ。まずは智慧と戦略を練らなきゃあ。でないと、百年経ってもプロになれないですよ。)
(小説を書く前に、プロット(概要)と、人物表、人物相関図、ストーリーのフロチャートは書いていたほうがいいですね。プロットは設計図みたいなもので、家を建てるにもCADで設計図を作るし、絵を描くにも下書きをするはず。ただの簡単なメモだけで小説を書けるひとは〝天才作家〟や〝文豪〟だけ。天才ぶって、何も準備もしないで書いても、どうせくだらない小説しかかけない。あとで物語の〝辻褄〟が合わない、とか。天才ぶってる場合じゃない。我々は凡才。天才ぶっても天才の足元にも及ばない。凡才は天才の百倍努力してそれでも〝とんとん〟。天才ぶっても天才にはなれない。何事も〝下準備〟が大切なのだ。設計図もなく家は建たない。小説も同じことだ。天才や文豪ぶっても仕方がない。我々は凡才なのだ。天才と同じことができるなら、もうとっくに認められている。凡才ならそれなりに妥協して、凡才らしく戦うしかない。天才ぶってもパフォーマンスや才能が違うのだから〝無理ゲー〟のようなもの。凡才なら、天才より何百回も下準備して、大量の伏線と回収で、読者を驚かせろ。下手な文章なら、文豪作品の写経で、文才を磨け。それからでも小説の執筆は遅くはない。天才ぶっても意味がない。アイドルに憧れて歌真似するのと同じ。凡才には凡才の戦い方がある。我々は文豪でも天才作家でもない。だからこそ、それにあった戦い方をするしかないのだ。〝高望み〟するな。天才ぶるな。意味がない。)
学園物語や恋愛、青春の悩みみたいな物語が小説だと思っているなら甘い、ということ。
今更、SFなんか誰も読まない。五十年前、百年前に、SFは掃いて捨てるほど書かれた。
推理小説も、SFも、ほとんどアイデアは出尽くした。
それだけに、小説家・作家のプロデビューは難しいのだ。「文章だけだから楽」とか、とんでもない!
甘い! そんな甘い考えで作家志望だというなら、世の中舐めまくっているとしか思えない。
それから、小説は完結させてナンボ。あらすじみたいな文章を書いてプロになれるほど甘い世界ではない。背水の陣で、満身創痍になってもやる覚悟がないなら、やめておけ、と助言する。
小説の世界こそ、甘い覚悟ではやれない。それをやはり知って欲しいですよね。

 長尾景虎  2022



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