2 朝鮮総連
食糧を求めて、行列ができていた。
ここはもちろん北朝鮮。しかも平壌(ピョンヤン)だ。…こんな首都のど真ん中でさえ、このありさまだ。もちろん商店に並んでも食糧なんてない。皆、配給を待ち侘びているのだ。
姜吉成はそんな行列の横を歩いていた。
事務局(在日局)に行くためだ。
姜は今日も身支度を整えていた。髭が濃いたちのため、出掛けに剃ってきた。そのためか、顎のあたりが青々としていた。タックのはいったズボンを履き、アイロンのびっちりかかったYシャツを着て、ネクタイをしめ、一糸乱れぬ紳士ってところだ。
もちろん彼は「紳士」に違いない。
裸の女の前でも「紳士」でいられるかは疑問だが、姜吉成は今は堂々たる「紳士」だった。……この姜吉成にかなう者は手をあげろ、彼はそんな気分だった。
行列は、食糧配給だけではない。
収容所に送られる囚人たちの行列も、人目につかない裏道にできていた。…彼らは、ただ反体制的という理由だけで、”地獄”の収容所へとトラックで連れていかれるのだ。
姜吉成はそんな行列の横も歩いていた。
そんな時だったろうか、見張りのマシンガン銃を持った保衛部の将校が目をはなしたスキに、囚人の子供ひとりが逃げ出した。そして、ヤジ馬はあっとなった。
なんと、
「このガキ!」
と、保衛部の将校がマシンガン銃の銃口を逃げる子供に合せたからだ。
しかし、子供には弾は当たらなかった。なぜなら、その子の父親が必死になって銃にしがみついたからだ。…弾は狙いを外れた。だが、それが怒りをかってしまう。
「この薄汚い売国者め!」
保衛部の将校は、そういって怒りに身をふるわせると「この野郎!」と、叫んだ。そして、銃の金具の部分で父親を何度も殴った。
……血がしたたり、激痛で父親は「うあっ!ぐあっ!」と悲鳴をあげた。
子供はうまく逃げられたのか?というとそうじゃない。他の保衛部の鬼畜に銃殺されてしまっていた。……この国ではこれが運命なのだろうか。
そんな光景を横目でみながら、姜吉成は在日局に急いでいた。
だが彼だって、正常にその光景をみていた訳ではあるまい。彼だって思ったろう。
……”糞ったれめ!この国はどうかしている…”
と。そりゃあそうだ。この北朝鮮という国はどうかしている。異常だ。おかしい。
飢餓とテロと貧困、食べ物がなくなり、自由がなくなれば誰だっておかしいと思うだろう。そこが、金正日にはわかっちゃいないのだ。
国民は飢餓の中にいた。
そしてそれは・マンチョル少年一家も例外ではなかった。
李マンチョル少年は、空腹でふらふらになりながら自宅へ帰った。もう夕方だった。マンチョルは腹が空いて腹がすいて仕方なかった。学校でも給食は出ないし、食べ物といえば雑草のスープだけ…。そんな食事で、成長過程の子供には足りる訳はない。
「ただいま」
空腹でふらふらになりながら、李マンチョル少年は部屋へと向かった。
「おかえり」
母親は言った。
「……今日は何か食べれる?」
「ごめんなさい。今日もトウモロコシごはん少しと、雑草のスープだけよ」
母親は申し訳なさそうにいった。
「………また…?」マンチョルはガッカリした。そして「この国はどこかおかしいよ」と言った。それに対して父親は、「バカ…」と言った。…誰かにきかれて密告されたら収容所行きだぞ、というのである。「首領さまは絶対だ。そのうち奇跡がおこる」
とにかく、主体思想(金王朝絶対指示の思想・一種のプロパガンダ)の教えの国だから、反体制、反金日成、反金正日、反金正恩思想を持つことは罪になる。そこを父親は理解していた。
もちろん子供もマインド・コントロールにかけられているから反体制のことはいわない。だが、糞政府がいかに「地上の楽園」と宣伝しようと、食べ物がなくなれば誰だって「こりゃおかしい」と思うだろう。
…知恵遅れや知的障害者なら別だろうが、誰だって「おかしい」と思う。しかし、それは口にしてはならない。見付かれば収容所行きだからだ。
「首領さまは絶対だ。そのうち奇跡がおこる」
父親はそう頷くだけだった。
姜吉成は事務局(在日局)のあるビルに入った。
そこにはひとが大勢いた。それでも気にせずに姜は歩いていった。
事務所には大勢の日系朝鮮人たちがいた。彼らは、この国では酷い扱いを受ける。イジ
メにあったり、タカられたり、人質をとられて金を毟りとられる。
彼らは日本からの送金で人並み以上の生活をしているが、皆からはチェッポと呼ばれて蔑まれている。彼らへの受ける差別は例えていうならナチ政権下のユダヤ人に似ている。 金王朝政権にとって在日帰国者は『トロイの木馬』である。
朝鮮総連を通じてカネとモノがはいってくるのは歓迎するが、それ以外のことについては強い警戒心をもっている。在日帰国者十万人のうち、十~十五パーセントもの無実の人々を収容所にぶちこんでいるという。党や政府は、差別を規制するどころか逆に煽っている。怒りのはけ口、スケープゴートに利用しているのだ。
人質がいるから、日本に住む朝鮮人はカネを送らざる得ない。送金というより身代金だ。しかも、自転車七台、ビデオデッキ三台送れ……などと各家族にいってもくる。北では自転車に乗らずビデオデッキも使えないから、中国に横流しするためだ。
また、国連からの食糧も横流しされていて、外貨獲得の手段となっている。
話しを戻す。
「李英成(イヨンソン)はいるかー?!」
姜吉成は在日局の事務所で声をあげた。「李英成はいるかー?!」彼は、李英成なる男を探していた。英成は、在日朝鮮人帰国者で、計算高い事務のプロとのこと。そこに姜は目をつけたのだ。「……私ですが…」
李英成は椅子から立ち上がり、オドオド答えた。
彼は小柄な中年男で、角ブチ眼鏡をかけた事務的な人物だった。しかし、性格はよくて、温厚で親切な男でもあった。彼は怯えていた。無理もない。様々な迫害や差別を受けてきたのだから。…今度は殺されるのかも知れない。……そう思っても不思議ではあるまい。「………何か?」
「ちょっと別室まできてくれ。話しがある」
姜吉成はにこりとして言った。
別室で話をきくうちに、李英成は動揺してしまった。
姜吉成なる男のいうことが信じられなかったのである。
「………私は在日朝鮮人帰国者ですよ……」
李英成はオドオド言った。
「私は純粋朝鮮人だ。………それが?」
「い………いえ」
「つまり、私がいいたいのは…」姜吉成は一呼吸してから続けた。「…つまり、君にビジネスを手伝ってほしいということだ」
「……ビジネス…ですか?」
「あぁ」
姜吉成は頷いた。「まずトウモロコシ缶詰工場をやりたい。それと蟹缶詰工場だ」
「トウモロコシと蟹…ですか?」
「うむ。それには資金と人材がいる。まぁ、工場労働だから人材はまぁなんとかなるだろうし、工場も……金はある」
「この国では金よりも食料のほうが意味がありますよ」
「その通り。君は賢い!……君に経営と財務管理を任せてもいい。私は交渉と宣伝だ」
「私に……経営を……?」
「うむ」
姜吉成はもう一度深く頷いた。
在日朝鮮人帰国者のことを語る時、避けては通れない存在がある。
それは朝鮮総連である。正式名称は在日朝鮮人総連合会、で、この存在こそが現在北朝鮮で苦しんでいる在日同胞を北の”地上の地獄”に送りこんだ張本人だ。
朝鮮総連が設立されたのは一九五五年五月頃。原形は在日朝鮮人連盟(朝連)だったが、共産色が強いという理由でGHQの命令によって解散される。その後、すぐに民連(在日朝鮮統一民主戦線)が作られる。その当時は日本共産党と連帯しており、階層闘争を活動指針にしていた。
だが、それも長くは続かず、平壌政権のバックアップを受けた韓徳鉢(ハンドクス )が主導権を得て、階層闘争より民族主義を打ち出した。その為、日本共産党との連帯も切れ、民連は解体。すぐに朝鮮総連(正式名称は在日朝鮮人総連合会)が作られる。
総連の目的は金日成絶対主義を教育すること、徹底的に金王朝に従うように教育すること、だった。つまりマインド・コントロールだ。
「われわれは金日成(キムイルソン)元帥に従い、(中略)…日帝と李承晩(イ スンマン)売国逆徒たちに反対して断固として闘争するであろう」
これが目的だ。(李承晩は、韓国の初代大統領)
この目的のため、朝鮮総連が力を入れたのが教育であるという。総連は現在、日本国内に幼稚園から大学まで二百以上の学校をもっている。そこでおこなわれているのは民族教育といえば聞えはいいが、金日成、金正日に絶対服従させるための”洗脳”である。いかに金日成、金正日が優れているか、祖国はいかに素晴らしいか、洗脳する訳だ。
だが、この洗脳も前まではよく効いたらしいが、現在では色褪せてしまっている。
祖国の現状をニュースなどで見るし、豊な国・日本に住んでいるし、修学旅行などで北朝鮮にいって”ひどさ”を実感するからだ。
「変なことを教えられても、逆に反発しますよ」
ある学生はそういった。
姜吉成は、さっそく李英成を親友の安全部の隊長・韓徳進(ハンドクジン)に紹介していた。もちろん、姜は韓にワイロを渡すのを忘れなかった。北朝鮮はワイロ天国だ。国境にも市の区切りにも道にも保衛部らがいる。その袖に、金ならぬタバコや食料券などを通すのだ。そうすれば見逃してくれる。
「やあ、姜。ひさしぶりだな。日本はどうだった?」
韓徳進はにこりとして尋ねた。堂々たる紳士という感じだ。
「まぁまあだよ」
姜吉成は白い歯を見せた。「こっちの男は、李英成……ビジネスのパートナーだ」
「……よろしくお願いします」
「うむ」韓徳進は頷いた。…それで姜は安心した。これでOKという訳だ。
金日成が崩御(笑)する前、北のエリートたちは一般人が知らないことを噂していた。
金日成が本物のパルチザンの英雄・金日成ではなくニセものだというのである。
このような北朝鮮のような国が、なぜ存在しえたか、これにはふたつ理由がある。
ひとつは米ソ冷戦。もうひとつが金日成・金正日親子の徹底したスターリン型恐怖政治。冷戦は終わったが、恐怖政治のほうはエスカレートするばかりだ。
北朝鮮という国家の誕生も金日成の登場も、米ソ冷戦の落とし子である。一九四五年、日本敗北と同時に日本軍の武装解除を名目に朝鮮半島に米ソが進駐。三十八度線をさかい
にアメリカの押す・承晩の韓国と、ソ連の押す金日成の北朝鮮が誕生した。 北朝鮮では金日成が若い頃から満州で抗日パルチザンを指揮し、日本軍を破って一九四五年八月に祖国に凱旋したと信じられている。しかし、これは歴史的事実とは違う。一九四五年八月には、金日成(キムイルソン)はまだソ連第八八特別偵察旅団の大尉として働いていた。しかも
その頃は金日成ではなく、金聖柱(キムソンジュ)という本名を名乗っていた。
金日成という人物は確かにいた。本物は確かに実在し、満州の山の中で日本軍相手に戦っていた。朝鮮人ならだれもが知る英雄である。だが、本物は(一九三七年に)三十六歳で日本軍に殺されている。しかし、名声を利用しない手はないとして、ソビエト側が金聖
柱を金日成として作り上げ英雄にまつりあげたのである。
もちろんその事を一般朝鮮人は知らない。
北朝鮮では、今だに金聖柱は英雄・金日成なのである。
姜吉成は、さっそく李英成を連れて、身支度を整え在日帰国者の集まる教会へと足を運んだ。ここで投資先を探すのだ。建物の中は殺伐としていて、汚かった。二、三人ひとが長椅子に座っているだけで殺風景だった。
姜はさっそく長椅子の男たちに近付き、
「いいシャツあるかい?」
と言った。…暗号なのだ。
「いくらかかるか知っているか……?」
「あぁ」
「シャツだけか?」
「いやもっとだ」
「どれだけ?」
「……じゃあ、ペイ・バックの金は…?」
「…金ではだめだ。どうせここの国の通貨はメルトダウン後、紙屑になる」
男は訝しげに言った。
「………じゃあ」姜吉成は一呼吸してから、続けた。「十トン分の食料だ」
「不服か?」
「いや」男たちは首をふった。そして「いいだろう」と頷いた。
……これで交渉成立なのだ。これで事業資金を得た。
姜吉成、また一歩前進である。
春だった。
初春のため、空はブルーで雲の隙間からきらきらとした陽射しが照り付ける。でもそれはとても柔らかなものであった。その陽射しが河辺でハレーションをおこす。そんな風景は目の前の恐怖を少なからずやわらげてくれるようだった。
でも、北朝鮮ではそうはいかない。
こんないい天気だというのに、またも在日帰国者が犯罪者としてトラックで収容所に連れていかれようとしていたのだ。
……行列ができていた。
それはチェッポと呼ばれ蔑まれている在日帰国者の群れである。彼等は保衛部の連中に銃で指示され、トラックの荷台へと次々と押し込まれていった。まるで家畜以下の扱いである。
「出ていけ、チェッポ!」
行列に向けて、ひとりの少女はそんな罵声を浴びせかけ、投石した。
その頃、姜吉成はどうしていたのか?というと、
「いいベットだ……」
彼は、追い出された在日帰国者の豪華な部屋を手にいれていた。…どうせ金はたいしてかかっていないのだろう。とにかく、いい物件だった。
その間にもチェッポたちはトラックに押し込まれていく。…皆、”地獄の中の地獄”収容所に運ばれて殺されるのだ。家畜のように……。
姜吉成はTVをつけてみた。
番組はアフリカの原住民の刺青姿と鼻に串を刺す映像だった。こうした番組と後インドの古い映画が主だ。こうしたものだけ流して、「あぁ、こいつらよりわれわれはまだマシだ」と思わせるためである。それ以外は徹底的に規制して流さないようにしているという。金王朝にしてみれば、もし情報開放してしまえば西側の豊かさと自分たち北朝鮮人の差がバレてしまう。今までのは安っぽい洗脳でした……などという訳にもいかないのだ。
例えば、西側でデモがあってそれをニュースで流したとする。それをみて北の人々はビックリするだろう。西側ではデモが普通にできて弾圧もされない。抑圧されているときいていた人々が立派な服を着て、背後には豪華なビルやデパートもある。自分たちの生活レヴェルは、韓国どころか中国にさえ劣っている……そう実感するに違いない。
それだけで”地上の地獄”北朝鮮は崩壊する。
姜吉成はふたたび思った。
「……この国はどうかしている」
と。
市の区切りにも国境の検問所にも、兵士がたっていて、ワイロを要求してくる。ソビエト連邦が崩壊した今、国内の移動さえ許可書がなければできないのは北朝鮮くらいだろう。
安全部の兵士が、通行人に主体思想を唱えさせていた。
主体思想とは、金日成教のことである。
では、以下の十大原則を読んでみよう。
一、偉大な首領・金日成同志の革命思想により、全社会を一色化するため身を捧げて闘わなければならない。
二、偉大な首領・金日成同志を忠誠をもって仰ぎ奉らなければならない。
三、偉大な首領・金日成同志の権威を絶対化しなければならない。
四、偉大な首領・金日成同志の革命思想を信念とし、首領様の教示を信条としなければならない。
五、偉大な首領・金日成同志の教示を執行するときには無条件性の原則を厳守しなければならない。
六、偉大な首領・金日成同志を中心とする全党の思想の意思統一と革命的団結を強化しなければならない。
七、偉大な首領・金日成同志について学び、共産主義的風貌と革命的事業方法、人民的事業作風を持たなければならない。
八、偉大な首領・金日成同志から与えられた政治的生命を大切に守り、首領の大きな政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術によって忠誠をもって報いなければならない。
九、偉大な首領・金日成同志唯一的領導の下に全党、全国、全軍が一体となって動く強い組織の規律を打ち立てなければならない。
十、偉大な首領・金日成同志が開拓された革命偉業を代を継いで最後まで継承し、完成させなければならない。
これだけでも主体(チュチェ)思想とは、金日成教のことであることは明白だ。
金日成は死んだが、息子の金正日が独裁を継承している訳だから、”偉大な首領・金日成同志”のところを”金正日、正恩同志”と考えてもいいだろう。
とにかく、これはちょっと異常である。
食糧を求めて、行列ができていた。
ここはもちろん北朝鮮。しかも平壌(ピョンヤン)だ。…こんな首都のど真ん中でさえ、このありさまだ。もちろん商店に並んでも食糧なんてない。皆、配給を待ち侘びているのだ。
姜吉成はそんな行列の横を歩いていた。
事務局(在日局)に行くためだ。
姜は今日も身支度を整えていた。髭が濃いたちのため、出掛けに剃ってきた。そのためか、顎のあたりが青々としていた。タックのはいったズボンを履き、アイロンのびっちりかかったYシャツを着て、ネクタイをしめ、一糸乱れぬ紳士ってところだ。
もちろん彼は「紳士」に違いない。
裸の女の前でも「紳士」でいられるかは疑問だが、姜吉成は今は堂々たる「紳士」だった。……この姜吉成にかなう者は手をあげろ、彼はそんな気分だった。
行列は、食糧配給だけではない。
収容所に送られる囚人たちの行列も、人目につかない裏道にできていた。…彼らは、ただ反体制的という理由だけで、”地獄”の収容所へとトラックで連れていかれるのだ。
姜吉成はそんな行列の横も歩いていた。
そんな時だったろうか、見張りのマシンガン銃を持った保衛部の将校が目をはなしたスキに、囚人の子供ひとりが逃げ出した。そして、ヤジ馬はあっとなった。
なんと、
「このガキ!」
と、保衛部の将校がマシンガン銃の銃口を逃げる子供に合せたからだ。
しかし、子供には弾は当たらなかった。なぜなら、その子の父親が必死になって銃にしがみついたからだ。…弾は狙いを外れた。だが、それが怒りをかってしまう。
「この薄汚い売国者め!」
保衛部の将校は、そういって怒りに身をふるわせると「この野郎!」と、叫んだ。そして、銃の金具の部分で父親を何度も殴った。
……血がしたたり、激痛で父親は「うあっ!ぐあっ!」と悲鳴をあげた。
子供はうまく逃げられたのか?というとそうじゃない。他の保衛部の鬼畜に銃殺されてしまっていた。……この国ではこれが運命なのだろうか。
そんな光景を横目でみながら、姜吉成は在日局に急いでいた。
だが彼だって、正常にその光景をみていた訳ではあるまい。彼だって思ったろう。
……”糞ったれめ!この国はどうかしている…”
と。そりゃあそうだ。この北朝鮮という国はどうかしている。異常だ。おかしい。
飢餓とテロと貧困、食べ物がなくなり、自由がなくなれば誰だっておかしいと思うだろう。そこが、金正日にはわかっちゃいないのだ。
国民は飢餓の中にいた。
そしてそれは・マンチョル少年一家も例外ではなかった。
李マンチョル少年は、空腹でふらふらになりながら自宅へ帰った。もう夕方だった。マンチョルは腹が空いて腹がすいて仕方なかった。学校でも給食は出ないし、食べ物といえば雑草のスープだけ…。そんな食事で、成長過程の子供には足りる訳はない。
「ただいま」
空腹でふらふらになりながら、李マンチョル少年は部屋へと向かった。
「おかえり」
母親は言った。
「……今日は何か食べれる?」
「ごめんなさい。今日もトウモロコシごはん少しと、雑草のスープだけよ」
母親は申し訳なさそうにいった。
「………また…?」マンチョルはガッカリした。そして「この国はどこかおかしいよ」と言った。それに対して父親は、「バカ…」と言った。…誰かにきかれて密告されたら収容所行きだぞ、というのである。「首領さまは絶対だ。そのうち奇跡がおこる」
とにかく、主体思想(金王朝絶対指示の思想・一種のプロパガンダ)の教えの国だから、反体制、反金日成、反金正日、反金正恩思想を持つことは罪になる。そこを父親は理解していた。
もちろん子供もマインド・コントロールにかけられているから反体制のことはいわない。だが、糞政府がいかに「地上の楽園」と宣伝しようと、食べ物がなくなれば誰だって「こりゃおかしい」と思うだろう。
…知恵遅れや知的障害者なら別だろうが、誰だって「おかしい」と思う。しかし、それは口にしてはならない。見付かれば収容所行きだからだ。
「首領さまは絶対だ。そのうち奇跡がおこる」
父親はそう頷くだけだった。
姜吉成は事務局(在日局)のあるビルに入った。
そこにはひとが大勢いた。それでも気にせずに姜は歩いていった。
事務所には大勢の日系朝鮮人たちがいた。彼らは、この国では酷い扱いを受ける。イジ
メにあったり、タカられたり、人質をとられて金を毟りとられる。
彼らは日本からの送金で人並み以上の生活をしているが、皆からはチェッポと呼ばれて蔑まれている。彼らへの受ける差別は例えていうならナチ政権下のユダヤ人に似ている。 金王朝政権にとって在日帰国者は『トロイの木馬』である。
朝鮮総連を通じてカネとモノがはいってくるのは歓迎するが、それ以外のことについては強い警戒心をもっている。在日帰国者十万人のうち、十~十五パーセントもの無実の人々を収容所にぶちこんでいるという。党や政府は、差別を規制するどころか逆に煽っている。怒りのはけ口、スケープゴートに利用しているのだ。
人質がいるから、日本に住む朝鮮人はカネを送らざる得ない。送金というより身代金だ。しかも、自転車七台、ビデオデッキ三台送れ……などと各家族にいってもくる。北では自転車に乗らずビデオデッキも使えないから、中国に横流しするためだ。
また、国連からの食糧も横流しされていて、外貨獲得の手段となっている。
話しを戻す。
「李英成(イヨンソン)はいるかー?!」
姜吉成は在日局の事務所で声をあげた。「李英成はいるかー?!」彼は、李英成なる男を探していた。英成は、在日朝鮮人帰国者で、計算高い事務のプロとのこと。そこに姜は目をつけたのだ。「……私ですが…」
李英成は椅子から立ち上がり、オドオド答えた。
彼は小柄な中年男で、角ブチ眼鏡をかけた事務的な人物だった。しかし、性格はよくて、温厚で親切な男でもあった。彼は怯えていた。無理もない。様々な迫害や差別を受けてきたのだから。…今度は殺されるのかも知れない。……そう思っても不思議ではあるまい。「………何か?」
「ちょっと別室まできてくれ。話しがある」
姜吉成はにこりとして言った。
別室で話をきくうちに、李英成は動揺してしまった。
姜吉成なる男のいうことが信じられなかったのである。
「………私は在日朝鮮人帰国者ですよ……」
李英成はオドオド言った。
「私は純粋朝鮮人だ。………それが?」
「い………いえ」
「つまり、私がいいたいのは…」姜吉成は一呼吸してから続けた。「…つまり、君にビジネスを手伝ってほしいということだ」
「……ビジネス…ですか?」
「あぁ」
姜吉成は頷いた。「まずトウモロコシ缶詰工場をやりたい。それと蟹缶詰工場だ」
「トウモロコシと蟹…ですか?」
「うむ。それには資金と人材がいる。まぁ、工場労働だから人材はまぁなんとかなるだろうし、工場も……金はある」
「この国では金よりも食料のほうが意味がありますよ」
「その通り。君は賢い!……君に経営と財務管理を任せてもいい。私は交渉と宣伝だ」
「私に……経営を……?」
「うむ」
姜吉成はもう一度深く頷いた。
在日朝鮮人帰国者のことを語る時、避けては通れない存在がある。
それは朝鮮総連である。正式名称は在日朝鮮人総連合会、で、この存在こそが現在北朝鮮で苦しんでいる在日同胞を北の”地上の地獄”に送りこんだ張本人だ。
朝鮮総連が設立されたのは一九五五年五月頃。原形は在日朝鮮人連盟(朝連)だったが、共産色が強いという理由でGHQの命令によって解散される。その後、すぐに民連(在日朝鮮統一民主戦線)が作られる。その当時は日本共産党と連帯しており、階層闘争を活動指針にしていた。
だが、それも長くは続かず、平壌政権のバックアップを受けた韓徳鉢(ハンドクス )が主導権を得て、階層闘争より民族主義を打ち出した。その為、日本共産党との連帯も切れ、民連は解体。すぐに朝鮮総連(正式名称は在日朝鮮人総連合会)が作られる。
総連の目的は金日成絶対主義を教育すること、徹底的に金王朝に従うように教育すること、だった。つまりマインド・コントロールだ。
「われわれは金日成(キムイルソン)元帥に従い、(中略)…日帝と李承晩(イ スンマン)売国逆徒たちに反対して断固として闘争するであろう」
これが目的だ。(李承晩は、韓国の初代大統領)
この目的のため、朝鮮総連が力を入れたのが教育であるという。総連は現在、日本国内に幼稚園から大学まで二百以上の学校をもっている。そこでおこなわれているのは民族教育といえば聞えはいいが、金日成、金正日に絶対服従させるための”洗脳”である。いかに金日成、金正日が優れているか、祖国はいかに素晴らしいか、洗脳する訳だ。
だが、この洗脳も前まではよく効いたらしいが、現在では色褪せてしまっている。
祖国の現状をニュースなどで見るし、豊な国・日本に住んでいるし、修学旅行などで北朝鮮にいって”ひどさ”を実感するからだ。
「変なことを教えられても、逆に反発しますよ」
ある学生はそういった。
姜吉成は、さっそく李英成を親友の安全部の隊長・韓徳進(ハンドクジン)に紹介していた。もちろん、姜は韓にワイロを渡すのを忘れなかった。北朝鮮はワイロ天国だ。国境にも市の区切りにも道にも保衛部らがいる。その袖に、金ならぬタバコや食料券などを通すのだ。そうすれば見逃してくれる。
「やあ、姜。ひさしぶりだな。日本はどうだった?」
韓徳進はにこりとして尋ねた。堂々たる紳士という感じだ。
「まぁまあだよ」
姜吉成は白い歯を見せた。「こっちの男は、李英成……ビジネスのパートナーだ」
「……よろしくお願いします」
「うむ」韓徳進は頷いた。…それで姜は安心した。これでOKという訳だ。
金日成が崩御(笑)する前、北のエリートたちは一般人が知らないことを噂していた。
金日成が本物のパルチザンの英雄・金日成ではなくニセものだというのである。
このような北朝鮮のような国が、なぜ存在しえたか、これにはふたつ理由がある。
ひとつは米ソ冷戦。もうひとつが金日成・金正日親子の徹底したスターリン型恐怖政治。冷戦は終わったが、恐怖政治のほうはエスカレートするばかりだ。
北朝鮮という国家の誕生も金日成の登場も、米ソ冷戦の落とし子である。一九四五年、日本敗北と同時に日本軍の武装解除を名目に朝鮮半島に米ソが進駐。三十八度線をさかい
にアメリカの押す・承晩の韓国と、ソ連の押す金日成の北朝鮮が誕生した。 北朝鮮では金日成が若い頃から満州で抗日パルチザンを指揮し、日本軍を破って一九四五年八月に祖国に凱旋したと信じられている。しかし、これは歴史的事実とは違う。一九四五年八月には、金日成(キムイルソン)はまだソ連第八八特別偵察旅団の大尉として働いていた。しかも
その頃は金日成ではなく、金聖柱(キムソンジュ)という本名を名乗っていた。
金日成という人物は確かにいた。本物は確かに実在し、満州の山の中で日本軍相手に戦っていた。朝鮮人ならだれもが知る英雄である。だが、本物は(一九三七年に)三十六歳で日本軍に殺されている。しかし、名声を利用しない手はないとして、ソビエト側が金聖
柱を金日成として作り上げ英雄にまつりあげたのである。
もちろんその事を一般朝鮮人は知らない。
北朝鮮では、今だに金聖柱は英雄・金日成なのである。
姜吉成は、さっそく李英成を連れて、身支度を整え在日帰国者の集まる教会へと足を運んだ。ここで投資先を探すのだ。建物の中は殺伐としていて、汚かった。二、三人ひとが長椅子に座っているだけで殺風景だった。
姜はさっそく長椅子の男たちに近付き、
「いいシャツあるかい?」
と言った。…暗号なのだ。
「いくらかかるか知っているか……?」
「あぁ」
「シャツだけか?」
「いやもっとだ」
「どれだけ?」
「……じゃあ、ペイ・バックの金は…?」
「…金ではだめだ。どうせここの国の通貨はメルトダウン後、紙屑になる」
男は訝しげに言った。
「………じゃあ」姜吉成は一呼吸してから、続けた。「十トン分の食料だ」
「不服か?」
「いや」男たちは首をふった。そして「いいだろう」と頷いた。
……これで交渉成立なのだ。これで事業資金を得た。
姜吉成、また一歩前進である。
春だった。
初春のため、空はブルーで雲の隙間からきらきらとした陽射しが照り付ける。でもそれはとても柔らかなものであった。その陽射しが河辺でハレーションをおこす。そんな風景は目の前の恐怖を少なからずやわらげてくれるようだった。
でも、北朝鮮ではそうはいかない。
こんないい天気だというのに、またも在日帰国者が犯罪者としてトラックで収容所に連れていかれようとしていたのだ。
……行列ができていた。
それはチェッポと呼ばれ蔑まれている在日帰国者の群れである。彼等は保衛部の連中に銃で指示され、トラックの荷台へと次々と押し込まれていった。まるで家畜以下の扱いである。
「出ていけ、チェッポ!」
行列に向けて、ひとりの少女はそんな罵声を浴びせかけ、投石した。
その頃、姜吉成はどうしていたのか?というと、
「いいベットだ……」
彼は、追い出された在日帰国者の豪華な部屋を手にいれていた。…どうせ金はたいしてかかっていないのだろう。とにかく、いい物件だった。
その間にもチェッポたちはトラックに押し込まれていく。…皆、”地獄の中の地獄”収容所に運ばれて殺されるのだ。家畜のように……。
姜吉成はTVをつけてみた。
番組はアフリカの原住民の刺青姿と鼻に串を刺す映像だった。こうした番組と後インドの古い映画が主だ。こうしたものだけ流して、「あぁ、こいつらよりわれわれはまだマシだ」と思わせるためである。それ以外は徹底的に規制して流さないようにしているという。金王朝にしてみれば、もし情報開放してしまえば西側の豊かさと自分たち北朝鮮人の差がバレてしまう。今までのは安っぽい洗脳でした……などという訳にもいかないのだ。
例えば、西側でデモがあってそれをニュースで流したとする。それをみて北の人々はビックリするだろう。西側ではデモが普通にできて弾圧もされない。抑圧されているときいていた人々が立派な服を着て、背後には豪華なビルやデパートもある。自分たちの生活レヴェルは、韓国どころか中国にさえ劣っている……そう実感するに違いない。
それだけで”地上の地獄”北朝鮮は崩壊する。
姜吉成はふたたび思った。
「……この国はどうかしている」
と。
市の区切りにも国境の検問所にも、兵士がたっていて、ワイロを要求してくる。ソビエト連邦が崩壊した今、国内の移動さえ許可書がなければできないのは北朝鮮くらいだろう。
安全部の兵士が、通行人に主体思想を唱えさせていた。
主体思想とは、金日成教のことである。
では、以下の十大原則を読んでみよう。
一、偉大な首領・金日成同志の革命思想により、全社会を一色化するため身を捧げて闘わなければならない。
二、偉大な首領・金日成同志を忠誠をもって仰ぎ奉らなければならない。
三、偉大な首領・金日成同志の権威を絶対化しなければならない。
四、偉大な首領・金日成同志の革命思想を信念とし、首領様の教示を信条としなければならない。
五、偉大な首領・金日成同志の教示を執行するときには無条件性の原則を厳守しなければならない。
六、偉大な首領・金日成同志を中心とする全党の思想の意思統一と革命的団結を強化しなければならない。
七、偉大な首領・金日成同志について学び、共産主義的風貌と革命的事業方法、人民的事業作風を持たなければならない。
八、偉大な首領・金日成同志から与えられた政治的生命を大切に守り、首領の大きな政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術によって忠誠をもって報いなければならない。
九、偉大な首領・金日成同志唯一的領導の下に全党、全国、全軍が一体となって動く強い組織の規律を打ち立てなければならない。
十、偉大な首領・金日成同志が開拓された革命偉業を代を継いで最後まで継承し、完成させなければならない。
これだけでも主体(チュチェ)思想とは、金日成教のことであることは明白だ。
金日成は死んだが、息子の金正日が独裁を継承している訳だから、”偉大な首領・金日成同志”のところを”金正日、正恩同志”と考えてもいいだろう。
とにかく、これはちょっと異常である。