話を変える。
マイクロソフト社は一歩一歩『大企業』へと歩みつつあった。
はじめは華々しい躍進だった。
しかし、新世紀頃からITはバヴル化が濃くなりはじめた。その泡は弾けた。
弾けると、統制されていた経済も政治もボロボロになっていった。
家庭からは「パソコン家電」といわれた。
ウインドウズ95も規制され、独占禁止法律で訴えられた。
ゲイツは政治家の偉いひとに呼ばれた。
驚いた。
MS社を分割しろと注文がきたのだ。
まったく驚きだった。
いままでシリコンバレーを、いや米国を牽引してきたのはMS社ではなかったのか?!
「この話は断らせていただきます」
「そこをなんとか、引き受けてくれ」
といわれても、受けることは出来ない。
それでもまだ無理難題をいわれる。
今度は「飛行機のソフトをつくってくれ」というのだ。
飛行機のソフトはIBMでつくるが、調整はマイクロソフトのほうでつくってくれという。
ビル・ゲイツは社員に激を飛ばして、飛行機用のソフトをつくった。
社員たちからは、感動がおきた。
飛行機が飛んだときだ。
「ビル・ゲイツという男はたいしたものだ」
軍部の大将も感動していた。
戦争のための飛行機をつくる………
これは、ビル・ゲイツにとって避けられない選択であった。
けして、戦争に賛成していた訳ではない。
しかし、従業員を食べさせてやらなければならない。
ゲイツは船や戦闘機のソフトをつくり続けた。
だが、戦争は惨めな敗北におわる。
中東ではアメリカ人が訳のわからぬ自爆テロで次々と殺されていく…
「ああ…」
泣きくずれた。声もなく、米国人は泣いた。
しかし、これからが勝負だ!、と思っている男がいた。
ゲイツである。
この頃、MS社は従業員数二万四千人にもおよぶ巨大企業へと成長していた。
その晩は、寝床でゆっくりと寝て、
「いやぁ、長い一日だったなぁ」
とゲイツはいったという。
「だけど、これからがMSの始まりだ」
「あなた……すごいこと考えるねぇ」
「ぼくは世界一の経営者になるんだ! 世界一だぜ! そしてこの米国って国を世界一の『技術立国』にするんだ! それがぼくの使命だ!」
「まぁ、『技術立国』? あなたはすごいこと考えよるなあ」
妻は感動するやら呆れるやら。
ゲイツは社員に、
「これからはぼくらの時代です。米国は戦争には負けたが、これから経済で勝つつもりで頑張って下さい!」と激を飛ばす。
拍手と歓声がどっとあがった。
ビル・ゲイツは40歳になった。若い血がないとマイクロソフトは死ぬ。
もっかの敵はネットスケープだ。その敵の大将はシリコン・グラフィク創始者、ジム・クラークだ。MSーDOSは運転免許。ウインドウズ95、NT、XP…7…8…は飾り…
パソコンのソフトは初勤務の秘書のようなもの……
ゲイツは野心を向きだしにする。
「ぼくは勝つ! 今度も勝つ! 今度も…」
ゲイツは以前から日本に興味をもっていたという。
宣伝のため、何度も日本に通っていた間に、親しい日本人も出来ていた。それらも親友は頭の回転が早い。
「日本人っていうのはすごいなぁ」
ゲイツはそう思った。
しかし、ホリエモンとは会ってない。孫正義とは会った。
びっくりしたのはソニーだった。当時の盛田昭夫にあった。
ソニーのビジネススタイルは……といっても米国流だが、素晴らしいものだった。
「日本はすごい国だなぁ。米国が経済戦争に負けたのもわかる」
ゲイツにとって豊かな日本の光景は驚きの連続だった。当時の日本は治安もすべてよかった。豊かな時代である。
ゲイツは思う。
「遠からず、米国にもこういう時代がくる。いやこなけりゃいかんなぁ。勤勉でいいじゃないか。皆平等だ。だが、米国のほうが努力したものが金持ちになれる。
会社では社長と部下でも、外にでれば仲間同士……米国では考えられない。
米国もこういう国にしなければならない!」
「いいものはどんどん真似して、技術や哲学を吸収して、生かさなければ駄目だ!」
マネしたソフト……マイクロソフトの本領はいよいよここから発揮されていく。
5 世界一のプログラマ
2003年、ハーバード大学2年生のマーク・ザッカーバーグは、高校時代から腕利きのプログラマーであったが、人付き合いは苦手だった。
ガールフレンドのエリカを、酒の席で怒らせ、別れることになった。そんな彼が寮の自室に戻り、やけでビールを飲みブログに彼女の悪口を書いていたが、そのうちに「動物と女子大学生を比較して…いや、女の子同士を比較して、投票させたらオモシロイ」と思い立ち、ハーバード中の寮の名簿をハッキングし、女子学生たちの写真を並べてランク付けするサイト作りに取りかかる。
このサイト“フェイスマッシュ”はたった2時間で22,000アクセスに達し、マークの名前はハーバード中に知れ渡る。これが利用者全世界8億人以上のSNS“フェイスブック”の始まりだった。
2004年。資産家の家に育ち、次期オリンピックにも出場が期待されるボート部のトップ、双子のウィンクルボス兄弟は憤慨していた。自分たちが企画した学内男女のインターネット上の出会いの場“ハーバードコネクション” 立ち上げのためマークに協力を要請していたが、彼は“ザ・フェイスブック(The Facebook)”を立ち上げてしまったのだ。
彼らは、早速、自分の父親の会社の弁護士を介し知的財産の盗用だ、として停止警告を送る。ところが、マークはそんな彼らを無視し、大学の垣根を越えて、その利用者を増やしていった。さらに、ザ・フェイスブックの共同創業者&CFO、エドゥアルド・サベリンとマークはNYへ広告スポンサー候補との会合に出かけ、19歳で“ナップスター(Napstar)”を作ったショーン・パーカーに出会う。
ショーンは、「フェイスブックは、これからも巨大に成長するサイトだ。釣り好きは、小魚を14匹釣っても評価されない。巨大なメカジキを釣ってこそ、評価される。
評価額、10億ドルを目指せ」とアドバイスする。そして、そこまで成長させるためカリフォルニアに来るように持ちかける。
マークはスタッフを増やしサーバーを増設、ショーンは次々に投資家とのミーティングを設定する。それに怒ったエドゥアルドは、会社の口座を凍結することを決意する。一方で、そのことがさらにマークの逆鱗に触れる。「フェイスブックは、絶対にサーバーダウンしない設計が売りの一つだ。それなのに、口座を凍結して、サーバー維持ができないようにしてしまうなんて…利用者を失望させると、サイトは見限られてしまう!」と、エドゥアルドを痛烈に批判した。だが、ショーンの働きかけもあり、出資者が見つかって事なきを得る。株保有率は当初、マークが60%、エドゥアルドが30%程度となっていた。事実上、サイト運営者のナンバー2という地位は保証されていたかにみえた。
ところが、巨大なサイトに変貌していく中で、エドゥアルドは取り残されてしまう。新規株発券に伴い、エドゥアルドの株保有率は0.03%程度にされそうになり、そのことに彼は激怒する。エドゥアルドは創業者としての権利を主張、マークを告訴した。
また、やがてウィンクルボス兄弟も「アイデアを盗用された」と言い、マークを告訴するに至った(ConnectU論争)。
2つの告訴を受けて、マークは「Facebook」を守ろうと抗弁する。その中で友人との関係性悪化に悩んでもいた。裁判前の調停中、新人弁護士に「あなたは嫌な人ではない。嫌な人に見せようとしているだけ。でも、そのことは陪審員に伝わるかどうかは、分からないわ」と言葉をかけられる。そこで思いだされるのが、元恋人、エリカのことだった。ふと思い立ち、彼はエリカのフェイスブック上のページにアクセスする。そして、彼女に友人になって欲しい、とコメントを送る。マークはその後、エドゥアルド、ウィンクルボス兄弟と和解することになる。
こうして紆余曲折を経てマーク・ザッカーバーグは「若き天才」としてカリスマとなり、「若き天才の野心」は世界最年少の億万長者として、そしてフェイス・ブックのユーザー8億人(2014年度時)という大成功をみせるのである。
このままザッカーバーグの物語は「現在進行形」で続くだろう。
成功は億万長者として、そして名声・地位・名誉をもたらした。
後はノブレス・オブリージュ(社会奉仕)の任務(ミッション)だろう。(「フェイスブック「若き天才の野望」」デビッド・カークパトリック著作 滑川海彦訳 日経BP社出版 参考文献)
『フェイスブック「若き天才の野心」facebook マーク・ザッカーバーグ伝』おわり。
話を変える。後はビル・ゲイツの物語でおわかれしましょう。
ゲイツは、渡日して、家電、秋葉原、新宿、TV局や半導体などを見て、「このまんまんだったら米国はおいてかれる」
と恐ろしくなったという。
それだけ日本の技術力は当時優れていたのだ。
「………米国はまだまだ外国に学ぶことは多いのだなぁ」
ゲイツは思う。
そう思っていたのは共に米国を『技術立国』にした英雄、インテルのアンドリュー・グローヴさんも、同じ思いであった。
まだまだ米国はこれからだ。まだ技術が足りない……
そこでゲイツは日本の企業と提携して、技術を得ようと考える。
まず、どの会社にするか?
ゲイツは一回目の渡日では満足せず、今度はEUへ渡った。
その頃、MS社は大きな会社になっていたが、それでも提携が必要だ、とゲイツは思っていた。
ゲイツには夢があった。
それは、米国を『技術立国』にすることだ。
米国製品は「安かろう悪かろう」ではなく「安くて品質のいい長持ちする製品」にすることであった。そのターゲットがゲイツの場合、”ソフト”だった。
なにしろ『経営の神様』と呼ばれていたゲイツのことである。
やることも大きい。
ヨーロッパ・オランダ(現・EU)のフィリップス社に単身乗り込み、提携書にサインした。アイルランドには工場をつくり、中国にも眼を向けた。
”また一緒に取り引きしないか?”
と誘われて、それで提携したのだという。
新しい技術関係というのは子を生み出すための夫婦関係のようなものだ。
だから相手選びには慎重にならざるえない。
「技術提携がうまくいくんもいかんも、自分に相応しい相手を選ぶことに限る」
ゲイツの考えはそういうものだった。
相手がどんなに優れた技術をもっていても、相性があわなければうまくいかない。
人間でも会社でもそれは同じなのだ。
「だから自分の目で、じかに確かめにゃいかん」
とゲイツはいう。
フィリップス社は小さい国土の中で、世界有数の技術をもった企業に育った会社だった。その点は初期のMS社と似ていた。
相性もバッチリだった。
オランダと米国とは肌の色も同じだ。しかし言語が違う。
しかし、「そんなもん関係ない」と開きなおるのがゲイツのすごいところだった。もちろん、経済では交流があった。
戦争と経済は別なのだ。
ゲイツ哲学を発揮して、米国代表のような気分にひたっていたゲイツだった。
技術提携といっても、マイクロソフトは教えてもらう立場だったので、技術指導料という形で月謝を払わなければならない。それではあまりにも一方的で、負担も大きい。
ゲイツはこう提案する。
「たしかにマイクロソフトはあなたのところから教えてもらう立場ですから技術提供料はお支払いします。だけど、そのかわりうちは会社を経営するんだから経営指導料をもらいます。経営も技術ですから」
これは相手のフィリップ社もびっくりした。
「経営指導料なんてきいたころもない」
しかし、ゲイツはねばる。
ついにはフィリップ社も根負けして、「わかりました」と受け入れたという。
フィリップ社は他にも他社と提携していたが、マイクロソフトは最高にうまくいっている会社だった。フィリップ社は、
「さすがに経営指導料をとるだけの会社だ」と納得した。
ゲイツは『経営の神様』といつしか呼ばれるようになっていく。
ときには政治家にも意見をいう。
するといわれた政治家も、
「そうか! さすがは目のつけどころが違う」といって納得する。
ゲイツは若い頃、虚弱体質で病気だったせいもあり、”自分を管理”してきた。
その若い頃の経験と、起業や経営経験が天才的な「経営哲学」を生んだことを見逃してはならない。
そんな『経営の神様』を世界は放ってはおかない。
米国のタイム誌がゲイツの”伝説”を取り上げ始める。
”世界のMS社””ウインドウズ”をつくった男………世界中がゲイツを注目しだす。ボサボサの高校生のような顔付きのゲイツの顔写真が表紙をかざる。と、世界は「米国にゲイツあり」と初めて知った。
というより、ウインドウズは知っていたが、社長がこの米国人だとは知らなかったのである。
ゲイツは国際会議に出席していう。
「企業経営というのはいろいろあります。たとえば大統領が国を経営するんも経営ですなぁ。またアメリカに無数にあるドラックストアーを経営するんも経営です。それらに共通しているのは、経営者というもんは、いつも自分のやっていることのよしあしがわかって、それに点数をつけられることです」
また、テレビ対談では時の大統領・クリントンと対談をやったりパフォーマンスまでした。「ヒトラーは破綻したドイツ経済をわずかな間に立て直した。そこまではよかった。しかし、やりかたがまずかったんだと思うんです。全体的な経営ということで方向性が間違っていた。まちがった見通しと方法によって、全ヨーロッパの経営などというだいそれた考えをもち、それで失敗したんだと思います」
さきに『タイム』にとりあげられると、今度は『ライフ』にとりあげられるゲイツ。
そのどこか高校生のようなメガネの童顔が表紙に飾られる。
すると、世界がゲイツに注目する。
その人気ぶりはすごく、『世界一のソフトをつくった男』として、有名になっていった。この頃、尊敬する米国人は誰か? とアンケートをとったところ、
……”ビル・ゲイツ”……
というのが一番だったそうだ。
これは、大統領のクリントン(当時)やJFKさえも勝てなかった。それくらい米国人に尊敬されていた。
なにしろ若い。しかも中退して十九からスタートしたまさに立身出世の英雄である。そのどこか高校生のような風貌と人生は、人々を熱狂させずにはいられないものがあったのだろう。
九〇年になると世界経済に陰りが見えてきて、不況になった。
バタバタと会社がつぶれていく。
MS社も苦しい時期だったが、ゲイツはリストラはしなかったという。
そのかわり、導入したのが、ワークシェアリング、
そして、週休二日制度だった。
ゲイツは先を見ていた。
「こんな不況なんてすぐおわりだ。米国は復活する。そのためにもMSはふんばらにゃあかん。米国を『技術立国』にするんはぼくだぜ!」
ビル・ゲイツはどこまでも経営の天才だった。
今苦しいからといって、せっかく育てた『技術屋』をリストラしたら後で困る……
ゲイツはどこまでも先を見ていたのである。
そして、やがて米国経済もコンピューター産業も息をふきかえした。
「それみろ!」
ゲイツはサム・アップした。……これでまた勝てる!
もはや世界でマルチメディア、あるいはプロードバンドという言葉をきかない日はない。映画好きのゲイツは映画産業をも飲み込むに違いない。なにしろ映画ソフトをすべてもっているほどのオタクなのだ。しかし、日本人は焦ることはない。
ホリエモンみたいに暴走してても損だけだ。
ネットが万能な訳ではない。
ネットでメディアがなくなる訳はない。ネットで服が作れるか? 食べ物が食べれるか! もっと頭をつかいなさい!
と、いうことだ。
日本には技術がある。日本は『ものづくり』では世界一だ。
まだゲイツに勝てる!
ゲイツの戦略はだいたい読めている。まずOS、次ぎにゲーム、次ぎはインターネット関連、スポーツやメディアや音楽とのコラボ、銀行や財布、映画・CGなどのコンテンツ、化粧や癒しやサロンや医療介護分野、ペット、ロボット……情報…ヴァーチャル・ワールドでのビジネスやM&A(企業買収)……
だいたいわかる。
なにせ著者だって昔はプログラマーだったのだから…。
そして、私のほうが戦略をたてるのがうまい。他人に負けない自信がある。
6 ネット革命
ゲイツはナポレオンやリンカーンの大ファンだ。
「ナポレオンの戦争や南北戦争は米国の短い歴史の中でも特筆すべきもんだ。それがなければ米国は植民地になっていた。今日のような発展をとげることもなかったかも知れない」 ゲイツは中でも、ナポレオンが大好きで、その才能、行動力、天才ぶりを高く評価していたという。講演でも度々「ナポレオン」の話がでる。
いまではゲイツのおかげで、墓もきれいになり、線香をあげる観光客が絶えないという。 彼はMS社の前に十五体の銅像を建てた。それはゲイツが尊敬する人物たちだった。
トヨタ自動車をつくった豊田佐吉やナポレオン、リンカーンなど……
また発明家としては、エジソンやマルコーニ、オーム、ファラデーなどが選ばれた。
エジソンの像は中央においた。
ゲイツは自分とエジソンをだぶらせる。
「発明王のエジソンは小学校では低能扱いされ、たった三ケ月で退学させられたが、自然化学から学ぶことに長けていた。おどろくほどの才能を発揮した。
ボクもそうなりたく思う」
ゲイツは「企業秘密」などといって工場内部をみせないような男ではない。
堂々と外国人たちやライバル企業に工場見学させた。
工場を見た一行たちはいっせいに、
「なんとうつくしく明るい工場だろう」と感嘆したという。
ゲイツにとって企業秘密などどうでもいいことで、「例えマネされてもうちもマネしてるんだしマネされた頃にはMSはもっと先へいってる」
といったひとつの信念があった。
また、ゲイツはこの頃より、
「米国にはすぐれた環境がある。観光立国にもならにゃだめだ!」とうったえはじめる。 LAやNY、フロリダ、アラスカ……
外国人たちが遊べる、楽しめる観光スポットは米国中にある。
観光は米国の技術との両輪だ!
ゲイツは日本人の丁寧さ、器用さに尊敬の念をもっていた。
「外国にいくとわかるが、ウェイトレスはどうでもいいようにいかげんにコーヒーをつぐ。これは能率的にやろうとしてのことやろうが、むかつく。
その点、日本人はお客様に迷惑をかけまいと慎重につぐ……これが日本人のいいところだとぼくは思う。この気配りこそが大事なんだ」
事業も海外進出などめざましい発展があった。
すでに40歳となっていた。
ゲイツは「他社のいいところはマネして、付加価値をつけて売れ」
「いつも一商人なんだと心掛けよ」
「社長は社員のおかげでメシが食えると思え」
などと言った。
しかし、ゲイツは思う。
米国の教育の腐敗………
……教育革命…
これが、次のゲイツの前の解決さねばならぬ”問題”だった。
この頃から、米国の教育はおかしくなっていった。
校内暴力、少女売春、ひきこもり、いじめ、麻薬、殺戮、暴走族………
米国の今の教育のままでは”暗記だけの暗いロボット人間”が大量に排出されるだけだ! ゲイツは教育こそ国の力だと思っていた。
現在の学生を見るがいい。
大学生が婦女暴行や痴漢で逮捕され、中学生までもが売春し、「憂える」さえ読めない。「天動説」まで信じている学生までいる。
ホームレスを集団でリンチして殺すガキや、売春して稼いだ金でホスト通いの女子もいる。平気で親や他人を殺す……
ゲイツは米国の教育が衰退しているのを知っていた。
だからこそのソフトだった訳だ。
ゲイツは嘆いていた。
「このまんまでは米国は終りだ」
このどうしようもないガキたちをどうするか?
著者の提案をいおう。
『ボランティア研修』だ。
老人ホームか、東南アジアやアフリカに点在する難民キャンプに学生をボランティアでいかせて何か月か研修させるのだ。
自分とは違った世界にいるひとの苦しみを知ってそのひとたちのために献身的に働く。しかも語学まで学べる。他人の痛みもわかる。
英語なんて話せなくていい。通訳をつけて、学生たちをボランティア研修させるのだ。 そうすれば、他人に平気で罵声を浴びせ掛けたり、嘲笑したり、殺したり売春するガキもいなくなる。もちろん内戦しているところへいけとはいわない。
ただ、治安が守られて、通訳がいるところで辛い汗をかかせなければ、今のガキたちは変わらない。『ゆとり教育』だの『教育見直し』などの前に、ボランティア研修をさせることだ。そうすればガキどもも変わる。
教育革命とはそういうことだ。
ビル・ゲイツはソフトだけでなく、ハードやネットもやる。BASIC…ウィンドウズ…対マック……ネットワーク、ブロードバンドでインターラクティヴ化…ホームページ…ブログ…ツイッター…フェイスブック…
あのメガネのおかしな男に今後どれだけのことが出来るか……
見物ではある。