長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

至誠の魂 勝海舟・龍馬の師・勝麟太郎の日本再生論アンコールブログ小説連載2

2013年07月17日 06時30分02秒 | 日記
         2 自由の国





  観光丸をオランダ政府が幕府に献上したのには当然ながら訳があった。
 米国のペリー艦隊が江戸湾に現れたのと間髪入れず、幕府は長崎商館長ドンケル・クルチウスの勧めで、百馬力のコルベット艦をオランダに注文した。大砲は十門から十二門整備されていて、一隻の値段が銀二千五百貫であったという。
 装備された砲台は炸裂弾砲(ボム・カノン)であった。
 一隻の納期は安政四年(一八五七)で、もう一隻は来年だった。
 日本政府と交流を深める好機として、オランダ政府は受注したが、ロシアとトルコがクリミア半島で戦争を始めた(聖地問題をめぐって)。
 ヨーロッパに戦火が拡大したので中立国であるオランダが、軍艦兵器製造を一時控えなければならなくなった。そのため幕府が注文した軍艦の納期が大幅に遅れる危機があった。 そのため長崎商館長ドンケル・クルチウスの勧めで、オランダ政府がスームビング号を幕府に献上した、という訳である。
 クルチウスは「幕府など一隻の蒸気船を献上すれば次々と注文してきて、オランダが日本海軍を牛耳れるだろう」と日本を甘くみていた。
 オランダ政府はスームビング号献上とともに艦長ペルス・ライケン大尉以下の乗組員を派遣し、軍艦を長崎に向かわせた。すぐに日本人たちに乗組員としての教育を開始した。 観光丸の乗組員は百人、別のコルベット艦隊にはそれぞれ八十五人である。
 教育過程は次のとおりであったという。
 班長担当
    綱索取扱い           週三時間
    演習              週三時間
    規程              週三時間
    地文学             週二時間
 一等尉官担当
    艦砲術             週五時間
    造船              週五時間
    艦砲練習            週六時間
    (歩兵操練監督)
 二等尉官担当
    運転術             週五時間
    数学・代数           週五時間
    帆操縦(測定器・海図・観測)  週九時間
 主計士官担当
    算術              週九時間
 軍医担当
    物理              週三時間
    代学              週三時間
    分析学             週三時間
    包帯術             週三時間
 機関士官担当
    蒸気機関理論
                    週六時間
   飽ノ浦工場建設、蒸気機関監督含む。
 軍人以外の教育担当
    オランダ語・算術教授      週十一時間
    乗馬              週十時間
 海兵隊士官担当
    歩兵操練            週十五時間
    船上操練            週四時間
    一般操練            週三時間
 鼓手担当
    軍鼓練習            週十二時間
 船大工担当
    造船所の操練
 製帆手の担当
    マストの操練
 水兵担当
    水兵の勤務実習
 看護手担当
    医官の手伝い・印刷部の手伝い長崎海軍伝習所の発足にあたり、日本側は諸取締役の総責任者に、海防掛目付の永井尚      
志を任命した。
 長崎にいくことになった勝麟太郎も、小譜請から小十人組に出世した。当時としては破格の抜擢であったという。
 かねてから麟太郎を支援していた箱根の豪商柴田利右衛門もおおいに喜んだ。
 しかし、その柴田利右衛門は麟太郎が長崎にいる間に病死した。勝海舟は後年まで彼の早逝を惜しんだ。「惜しいひとを亡くした」勝は涙目でいった。
 幕府から派遣される伝習生のうち、矢田堀景蔵、永持や勝麟太郎が生徒監を命じられた。 永持は御目付、奉行付組頭で、伝習生の取締をする。
 海陸二班に別れて、伝習生は長崎に派遣された。
 麟太郎は矢田堀とともに海路をとったという。
 昌平丸という薩摩藩が幕府に献上した船で、一行は九月三日朝、品川沖を出帆した。 
 長さ九十フィートもある洋艦で豪華な船だったが、遠州灘で大時化に遭った。
 あやうく沈没するところだったが、マスト三本すべて切断し、かろうじて航海を続けた。 長州下関に入港したのは十月十一日、昌平丸から上陸した麟太郎たちは江戸の大地震を知った。
「江戸で地震だって? 俺の家は表裏につっかえ棒してもっていたボロ屋だ。おそらく家族も無事ではないな」麟太郎は言葉をきった。「何事もなるようにしかならねぇんだ。俺たちだって遠州灘で藻屑になるところを、あやうく助かったんだ。運を天にまかすしかねぇ」
「勝さん。お悔やみ申す」矢田堀は低い声で神妙な顔でいった。
「いやぁ、矢田堀さん。たいしたことではありませぬ」麟太郎は弱さを見せなかった。 
 昌平丸は損傷が激しく、上陸した船員たちもほとんど病人のように憔悴していた。
 長崎に入港したのは十月二十日だった。麟太郎は船酔いするので、ほとんど何も食べることも出来ず、吐き続けた。そのため健康を害したが、やがて陸にあがってしばらくすると元気になった。長崎は山の緑と海の蒼が鮮やかで、まるで絵画の作品のようであった。 長崎の人口は六万人で、神社は六十を越える。
 伝習所は長崎奉行所の別邸で、教師はオランダ人である。幕府が一番やっかいだったのは蒸気機関である。それまで蒸気機械などみたこともなかったから、算術に明るい者を幕府は送り込んできた。
 教育班長のペルス・ライケンは日本語を覚えようともせず、オランダ語で講義する。日本人の通訳が訳す訳だが、いきおいわからない術語があると辞書をひくことになる。
 ペルス・ライケンは生徒達に授業内容を筆記させようとはせず、暗記させようとした。そのため困る者が続出した。
  勝麟太郎と佐賀藩士の佐野常民、中牟田倉之助の三人はオランダ語を解するので、彼等が授業後にレポートを書き、伝習生らはそれを暗唱してようやく理解したという。
 麟太郎はいう。「俺はオランダ語ができるのでだいたいのことはわかるから聞いてくれ。ただし、算術だけは苦手だからきかねぇでほしいな」
 ペルス・ライケンは専門が算術だけに、微分、積分、力学など講義は難解を極めた。
 安政三年十月から十一月まで麟太郎は江戸に一時戻り、長崎の伝習事務を取り扱っていた。幕府は、麟太郎をただの伝習生として長崎にやった訳ではなかった。
 のちの勝海舟である勝麟太郎は、以前からオランダ語をきけたが、ペルス・ライケンの講義をきくうちに話せるようにもなっていた。それで、オランダ人たちが話し合っている内容をききとり、極秘の情報を得て老中阿部伊勢守正弘に通報するなどスパイ活動をさせたのだ。
 やがて奥田という幕府の男が麟太郎を呼んだ。
「なんでござろうか?」
「今江戸でオランダ兵学にくわしいのは佐久間象山と貴公だ。幕府にも人ありというところを見せてくれ」
 奥田のこの提案により、勝麟太郎は『オランダ兵学』を伝習生たちに教えることにした。「なんとか形にはなってきたな」
 麟太郎は手応えを感じていた。海兵隊の訓練を受けていたので、麟太郎は隊長役をつとめており明るかった。
 雪まじりの風が吹きまくるなか、麟太郎は江戸なまりで号令をかける。
 見物にきた老中や若年寄たちは喜んで歓声をあげた。
 佐久間象山は信州松代藩士であるから、幕府の旗本の中から麟太郎のような者がでてくるのはうれしい限りだ。
 訓練は五ツ(午前八時)にはじまり夕暮れに終わったという。
 訓練を無事におえた麟太郎は、大番組という上級旗本に昇進し、長崎にもどった。
 研修をおえた伝習生百五人は観光丸によって江戸にもどった。その当時におこった中国と英国とのアヘン戦争は江戸の徳川幕府を震撼させていた。
 永井尚志とともに江戸に帰った者は、矢田堀や佐々倉桐太郎(運用方)、三浦新十郎、松亀五郎、小野友五郎ら、のちに幕府海軍の重鎮となる英才がそろっていたという。
 勝麟太郎も江戸に戻るはずだったが、永井に説得されて長崎に残留した。
 彼が長崎に残留したのにはもうひとつ理由があった。麟太郎には長崎に愛人がいたのである。名は梶久といい未亡人である。年はまだ十四歳であったがすでに夫が病没していて未亡人であった。
 縁は雨の日のことである。
 ある雨の日、麟太郎が坂道の途中で高下駄の鼻緒を切らして困っていたところ、そばの格子戸が開いて、美貌の女性がでてきて鼻緒をたててくれた。
「これはかたじけない。おかげで助かった」
 麟太郎は礼を述べ、金を渡した。しかし、翌日、どこで調べてきたのかお久が伝習所に訪ねてきて金をかえした。それが縁で麟太郎とお久は愛しあうようになった。当然、肉体関係もあった。お久はまだ十四歳であったが夫が前にいたため「夜」はうまかったという。 伝習所に幕府の目付役の上司がくると、麟太郎はオランダ語でその男の悪口をいう。
 通訳がどう訳せばわからず迷っていると、麟太郎は、
「俺の片言が訳せないなら言ってやろうか?」とオランダ語で脅かす。
 ある時、その上司の木村図書が麟太郎にいった。
「航海稽古の時、あまり遠方にいかないようだがもっと遠くまでいったらいいのではないか?」
 麟太郎は承知した。図書を観光丸に乗せ、遠くまでいった。すると木村図書はびびりだして「ここはどこだ?! もう帰ってもよかろう」という。
 麟太郎は、臆病者め、と心の中で思った。
 木村図書は人情に薄く、訓練者たちが夜遊びするのを禁じて、門に鍵をかけてしまう。 当然、門をよじのぼって夜の街にくりだす者が続出する。図書は厳重に御灸をすえる。あるとき麟太郎は激昴して門の鍵を打ち壊し、
「生徒たちが学問を怠けたのなら叱ってもよいが、もう大の大人じゃねぇですか。若者の夜遊びくらい大目にみてくだせぇ!」と怒鳴った。
 図書は茫然として言葉も出ない。
 麟太郎がその場を去ると、木村図書は気絶せんばかりの眩暈を覚えた。「なにをこの若造め!」図書は心の中で麟太郎を罵倒した。
 麟太郎を中心とする兵学者たちは、高等砲術や工兵科学の教示をオランダ人たちに要請した。教師たちは、日本人に高度の兵学知識を教えるのを好まず、断った。
「君達はまだそのような高度の技術を習得する基礎学力が備わってない」
 麟太郎は反発する。
「なら私たちは書物を読んで覚えて、わからないことがあったらきくから書物だけでもくれはしまいか?」
 教師は渋々受け入れた。
 研究に没頭するうちに、麟太郎は製図法を会得し、野戦砲術、砲台建造についての知識を蓄えたという。
  安政四年八月五日、長崎湾に三隻の艦船が現れた。そのうちのコルベット艦は長さ百六十三フィートもある巨大船で、船名はヤッパン(日本)号である。幕府はヤッパン号を 
受け取ると咸臨丸と船名を変えた。
 カッテンデーキがオランダから到着して新しい学期が始まる頃、麟太郎は小船で五島まで航海練習しようと決めた。麟太郎と他十名である。
 カッテンデーキは「この二、三日は天気が荒れそうだ。しばらく延期したほうがよい」 と忠告した。日本海の秋の天候は変りやすい。が、麟太郎は「私は海軍に身をおいており、海中で死ぬのは覚悟しています。海難に遭遇して危ない目にあうのも修行のうちだと思います。どうか許可してください」と頭を下げた。
 カッテンデーキは「それほどの決意であれば…」と承知した。
 案の定、麟太郎たちの船は海上で暴風にあい、遭難寸前になった。
 だが、麟太郎はどこまでも運がいい。勝海舟は助かった。なんとか長崎港までもどったのである。「それこそいい経験をしたのだよ」カッテンデーキは笑った。
 カッテンデーキは何ごとも謙虚で辛抱強い麟太郎に教えられっぱなしだった。
「米国のペリー堤督は善人であったが、非常に苛立たしさを表す、無作用な男であった」 彼は、日本人を教育するためには気長に粘り強く教えなければならないと悟った。
 しかし、日本人はいつもカッテンデーキに相談するので危ういことにはならなかったのだという。この当時の日本人は謙虚な者が多かったようで、現代日本人とは大違いである。 麟太郎は、さっそく咸臨丸で練習航海に出た。なにしろ百人は乗れるという船である。ここにきて図書は「炊事場はいらない。皆ひとりづつ七輪をもっている」といいだした。 麟太郎は呆れて言葉もでなかった。
「この木村図書という男は何もわかってねぇ」言葉にしてしまえばそれまでだ。しかし、勝麟太郎は何もいわなかった。
   
 薩摩藩(鹿児島県)によると、藩主の島津斉彬が咸臨丸に乗り込んだ。
「立派な船じゃのう」そういって遠くを見る目をした。
 麟太郎は「まだまだ日本国には軍艦が足りません。西洋列強と対等にならねば植民地にされかねません。先のアヘン戦争では清国が英国の植民地とされました」
「わが国も粉骨砕身しなければのう」斉彬は頷いた。
 そんな島津斉彬も、麟太郎が長崎に戻る頃に死んだ。
「おしい人物が次々と亡くなってしまう。残念なことでぃ」
 麟太郎はあいかわらず長崎にいた。

  コレラ患者が多数長崎に出たのは安政五年(一八五八)の初夏のことである。
 短期間で命を落とす乾性コレラであった。
 カッテンデーキは日本と首都である江戸の人口は二百四十万人、第二の都市大阪は八十万人とみていた。しかし、日本人はこれまでコレラの療学がなく経験もしていなかったので、長崎では「殺人事件ではないか?」と捜査したほどであった。
 コレラ病は全国に蔓延し、江戸では三万人の病死者をだした。

  赤坂田町の留守のボロ屋敷をみてもらっていた旗本の岡田新五郎に、麟太郎はしばしば書信を送った。留守宅の家族のことが気掛かりであったためだ。
 それから幕閣の内情についても知らせてほしいと書いていた。こちらは出世の道を探していたためである。
 麟太郎は岡田に焦燥をうちあけた。
「長崎みたいなところで愚図愚図して時間を浪費するよりも、外国にいって留学したい。オランダがだめならせめてカルパ(ジャワ)にいってみたい」
 はっきりいって長崎伝習所で教えるオランダ人たちは学識がなかった。
 授業は長時間教えるが、内容は空疎である。ちゃんと航海、運用、機関のすべてに知識があるのはカッテンデーキと他五、六人くらいなものである。
「留学したい! 留学したい! 留学したい!」
 麟太郎は強く思うようになった。…外国にいって知識を得たい。
 彼にとって長崎伝習所での授業は苦痛だった。
 毎日、五つ半(午前九時)から七つ(午後四時)まで学課に専念し、船に乗り宿泊するのが週一日ある。しかも寒中でも火の気がなく手足が寒さで凍えた。
「俺は何やってんでい?」麟太郎には苦痛の連続だった。
 数学は航海術を覚えるには必要だったが、勝麟太郎は算数が苦手だった。西洋算術の割り算、掛け算が出来るまで、長い日数がかかったという。
 オランダ人たちは、授業が終わると足速に宿舎の出島に帰ろうとする。途中で呼び止めて質問すると拒絶される。原書を理解しようと借りたいというが、貸さない。
 結局彼らには学力がないのだ、と、麟太郎は知ることになる。
 麟太郎は大久保忠寛、岩瀬忠震ら自分を長崎伝習所に推してくれた人物にヨーロッパ留学を希望する書簡を送ったが、返答はなかった。
 麟太郎はいう。
「外国に留学したところで、一人前の船乗りになるには十年かかるね。俺は『三兵タクチーキ』という戦術書や『ストラテヒー』という戦略を記した原書をひと通り読んでみたさ。しかし孫子の説などとたいして変わらねぇ。オランダ教官に聞いてみたって、俺より知らねぇんだから仕様がないやね」
 コレラが長崎に蔓延していた頃、咸臨丸の姉妹艦、コルベット・エド号が入港した。幕府が注文した船だった。幕府は船名を朝陽丸として、長崎伝習所での訓練船とした。
 安政五年は、日本国幕府が米国や英国、露国、仏国などと不平等条約を次々と結んだ時代である。また幕府の井伊大老が「安政の大獄」と称して反幕府勢力壤夷派の大量殺戮を行った年でもある。その殺戮の嵐の中で、吉田松陰らも首をはねられた。
 この年十月になって、佐賀藩主鍋島直正がオランダに注文していたナガサキ号が長崎に入港した。朝陽丸と同型のコルベット艦である。
 オランダ教官は、日本人伝習生の手腕がかなり熟練してきていることを認めた。
 安政五年、幕艦観光丸が艦長矢田堀景蔵指揮のもと混みあっている長崎港に入港した。船と船のあいだを擦り抜けるような芸当だった。そんな芸当ができるとはオランダ人たちは思っていなかったから、大変驚いたという。
 翌年の二月七日、幕府から日本人海軍伝習中止の命が届いて、麟太郎は朝陽丸で江戸に戻ることになった。
  麟太郎は、松岡磐吉、伴鉄太郎、岡田弁蔵とともに朝陽丸の甲板に立ち、長崎に別れを告げた。艦長は当然、勝麟太郎(のちの勝海舟)であった。船は激しい暴風にあい、麟太郎たちは死にかけた。マストを三本とも切り倒したが、暴風で転覆しかけた。
「こうなりゃ天に祈るしかねぇぜ」麟太郎は激しく揺れる船の上で思った。日が暮れてからマストに自分の体を縛っていた綱が切れ、麟太郎は危うく海中に転落するところだった。 だが、麟太郎はどこまでも運がいい。なんとか船は伊豆下田へと辿り着いたのである。「船は俺ひとりで大丈夫だから、お前らは上陸して遊んでこい」
 麟太郎は船員たちにいった。奇抜なこともする。

 日米修交通商条約批准のため、間もなく、外国奉行新見豊前守、村垣淡路守、目付小栗上野介がアメリカに使節としていくことになった。ハリスの意向を汲んだ結果だった。 幕府の中では「米国にいくのは日本の軍艦でいくようにしよう」というのが多数意見だった。白羽の矢がたったのは咸臨丸であった。
 江戸にもどった麟太郎は赤坂元氷川下に転居した。麟太郎は軍艦操練所頭取に就任し、両御番上席などに出世した。
 米国側は、咸臨丸が航行の途中で坐礁でもされたら条約が批准されない、と心配してポーハタン号艦を横浜に差し向けた。
 万延元年(一八六〇)正月二十二日、ポータハン号は横浜を出発した。咸臨丸が品川沖を出向したのは、正月十三日だったという。麟太郎は観光丸こそ米国にいく船だと思った。 が、ハリスの勧めで咸臨丸となり、麟太郎は怒った。
 だが、「つくってから十年で老朽化している」というハリスの判断は正しかった。観光丸は長崎に戻される途中にエンジン・トラブルを起こしたのだ。
 もし、観光丸で米国へ向かっていたらサンドイッチ(ハワイ諸島)くらいで坐礁していたであろう。
 勝麟太郎(のちの勝海舟)は咸臨丸に乗り込んでいた。
 途中、何度も暴風や時化にあい、麟太郎は船酔いで吐き続けた。が、同乗員の中で福沢諭吉だけが酔いもせず平然としていたという。
「くそっ! 俺は船酔いなどして……情ない」麟太郎は悔しがった。
「船の中では喧嘩までおっぱじまりやがる。どうなってんでぃ?」

  やがて米国サンフランシスコが見えてきた。
 日本人たちは歓声を上げた。上陸すると、見物人がいっぱいいた。日本からきたチョンマゲの侍たちを見にきたのだ。「皆肌の色が牛乳のように白く、髪は金で、鼻は天狗のように高い」麟太郎は唖然とした。
 しかし、米国の生活は勝麟太郎には快適だった。まず驚かされたのはアイス、シヤンパン、ダンスだった。しかも、日本のような士農工商のような身分制度もない。女も男と同等に扱われている。街もきれいで派手な看板が目立つ。
 紳士淑女たちがダンスホールで踊っている。麟太郎は「ウッジュー・ライク・トゥ・ダンス?」と淑女に誘われたがダンスなど出来もしない。
 諭吉はあるアメリカ人に尋ねてみた。
「有名なワシントンの子孫はどうしてますか?」
 相手は首をかしげてにやりとし「ワシントンには女の子がいたはずだ。今どこにいるのか知らないがね」と答えた。
 諭吉は、アメリカは共和制で、大統領は四年交替でかわることを知った。
 ワシントンといえば日本なら信長や秀吉、家康みたいなものだ。なのに、子孫はどこにいるのかも知られていない。それを知り彼は、カルチャーショックを受けた。
 カルチャーショックを受けたのは麟太郎も同じようなもの、であった。



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至誠の魂 勝海舟・龍馬の師・勝麟太郎の日本再生論アンコールブログ小説連載1

2013年07月15日 02時11分02秒 | 日記
小説 至誠の魂
     勝海舟
                           戦わずして勝つ

                 KATSUKAISHU~the last samurai ~開国せよ! 龍馬の師・勝海舟の「日本再生論」。
                 「江戸無血開城」はいかにしてなったか。~
                ノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

  黒船来航…
  幕末、勝海舟(勝麟太郎)は幕府の軍艦奉行に抜擢された。それまでは年五十石の貧乏武士であり、そのため奮起して咸臨丸という船にのってメリケン(アメリカ)に留学して知識を得た。麟太郎の弟子はあの坂本龍馬である。先進国を視察した勝海舟にとって当時の日本はいびつにみえた。勝は幕府を批判していく。だが勝は若き将軍徳川家茂を尊敬していた。しかし、その将軍も死んでしまう。かわりは一橋卿・慶喜であった。
 勝海舟はなんとかサポートするが、やがて長州藩による蛤御門の変(禁門の変)がおこる。幕府はおこって軍を差し向けるが敗走……龍馬の策によって薩長連合ができ、官軍となるや幕府は遁走しだす。やがて官軍は錦の御旗を掲げ江戸へ迫る。勝は西郷隆盛と会談し、「江戸無血開城」がなる。だが、幕府残党は奥州、蝦夷へ……
 勝海舟は官軍と徳川の間をかけもちしながら生き抜く。そして新政府の”知恵袋”として一生を終える。墓には勝海舟とだけ掘られたという。           おわり





         1 立志



  勝麟太郎(勝海舟)にももちろん父親がいた。
  麟太郎の父・小吉の実家は男谷家といい、年わずか百石の百表どりだった。嘉永から文政にかけて百表三十何両でうれたが、それだけでは女中下男や妻子を養ってはいけない。 いきおい内職することになる。虫かごを作ったり、傘を張ったり、小鳥を飼って売ったりしていたという。この頃は武士の天下などとはほど遠く、ほとんどの武士は町人から借金をしていたといわれる。中には武士の魂である「刀」を売る不貞な輩までいた。
 男谷家で、小吉は腕白に過ごした。
 貧乏にも負けなかった。
 しかし、小吉の父・男谷平蔵は年百石のほかに勘定組頭の役料が入る。それに小吉の兄彦四郎は勘定役の信濃の代官であったという。あながち貧乏だった訳ではなさそうだ。                     
 平蔵は米山検校から巨額な遺産をもらったという幸運が成った。
 そのため食うにはこまらなくなった。
 それをいいことに小吉は腕白に育った。本所亀沢町へいよいよ仮屋敷を構え、男谷が引っ越すと、離れていたばばあ殿と小吉は一緒になった。はばあ殿は毎日、孫娘の許嫁である小吉に嫌がらせばかりしていたという。
 小吉はそれが嫌で、ばばあ殿が早く死んでくれたら、などと思った。憂さ晴らしに剣術の稽古に励んだ。
  稽古場で小普請組頭の石川という師匠の息子が「こいつの家は年四十石だ」と馬鹿にするので、小吉は頭にきて木刀でその息子をボコボコに叩きのめした。痣だらけにした。
 当然、翌日、師匠に叱られた。

  兄・林大学頭により、小吉は十二歳で学問所に足を運んだ。麟太郎は林大学頭という叔父をもつことになる。小吉は学問よりも馬に乗るのが好きで『大学』を五、六冊ほど覚えたところで追放された。小吉は、運がいい、と自分で思った。
  しかし、小普請組頭や徒士組の家の子が出世するには、人脈がなければ勉強以外にない。 ある日、彼は意地悪するばばあ殿が嫌で嫌で、とうとう家の金を持ち出して家出をした。 江戸の町をぶらぶらしていると侍がいた。
「お侍さん。上方は知ってるかい?」小吉は刀と脇差しを腰に差しながらきいた。
「知ってるさ。京のことならなんでもな。これからいくんだ」
「拙者も一緒でいいかい?」
 小吉は家出をし、京まで辿り着く頃までは所持金もなくなった。わらじもすりきれ、何日も風呂に入ってないから垢まみれの臭い体で乞食しながら歩いた。
 小吉は後悔していた。
 これじゃあ只の乞食だ。
 京で声をかける町人がいた。「おい乞食! どこからきよった?」   
「江戸からだ。俺は乞食じゃねぇ。小普請組頭の武士だ」
 初老の町人は笑った。「そうかそうか。まぁ、風呂に入っていけ。飯も食わしてやる」  小吉は風呂にいれてもらい、たまった垢を落とした。気持ちがよかった。
 江戸に帰ってきたのは半年後だった。途中、箱根で落石にあい、男性のシンボルを怪我したが、治った。そこで狼に食われなかったのは幸運だった……とのちに言われたという。 家出して心を入れ替えて就職活動に勤しんだがやはりうまくいかない。
 小吉は正直すぎて世間の俗物には受け入れられなかったのだという。
 そんな小吉も結婚し、子が生まれた。勝麟太郎(のちの勝海舟)である。文政六年(一八二三)正月三十日が誕生日であった。小吉二十二歳、妻お信二十歳のことである。
 夫婦は喧嘩が絶えなかったという。
 世間でも評判になるくらい喧嘩をした。麟太郎を身籠もったのも、檻の中だったともいわれる。小吉もお信も檻に入れられ、夫婦は「夜」にふけり、身籠もったのだ。
  小吉は檻の中で書を読みふけり、妻となにをして、過ごした。麟太郎は三歳まで檻の中で母親と暮らした。
 いろいろと騒ぎを起こす小吉の元で、麟太郎は順調に育った。お信も息子を可愛がった。  麟太郎には徳川幕府の大奥に勤める女がふたりいたという。ひとりは小吉の姉の亀田という女性。もうひとりは遠縁の阿茶の局という女性だった。
 阿茶の局との縁で、麟太郎は六歳の頃、江戸城のお座敷の縁側まで歩み寄った。      奥座敷から見ていた大御所の家斉(十一代将軍)が「あれは誰であるか?」
 と、尋ねる。小姓は「阿茶の局の縁者にござりまする」と答えた。
「左様か。わが息子(十二代将軍・家慶)の遊び相手にちょうど良い」
「しかし、只の小普請組頭の息子……卑しい身分のものです」
「かまわん! かまわん!」
 家斉のこの言葉で、麟太郎は阿茶の局の部屋で寝起きすることになる。
 悪戯好きだった麟太郎は、女中たちに捕まってはお灸をすえられたが、十三代将軍・家定の生母おみつの方(本寿院)は麟太郎を可愛がって菓子を与えるのだった。
 麟太郎は衣服や食事などなに不自由なく育った。
 彼は志を抱く。
 ………この徳川幕府の中で出世して公僕さまのために働きたい!

  麟太郎が九歳のときに事件はおきた。麟太郎は江戸の屋敷に引っ越し、旗本の家から塾にかよっていた。その道すがら、狂犬が麟太郎の金玉に噛み付いた。
 ぎゃあっ! 叩いてもはたいても犬は離れない。噛み付いたままだ。それに気付いた鳶職が犬を蹴飛ばして、麟太郎を抱えて家に連れて帰って介抱した。
 小吉は知らせを受けて駆けつけた。
「てめぇがぼんやりしてるからこんなことになるんでい! この馬鹿!」
 小吉は息子を散々叱りつけ、駕籠にのせて家に連れてかえった。「痛むか?」
 麟太郎は気絶寸前である。
 医者がきた。傷は深かった。金玉はぶらさがっているが出血がひどくやぶれていた。
 医者は麻酔もせず、傷口を縫った。麟太郎は気絶した。
「家の息子はどうですか? 先生」
「危ない。今晩が山だろう」医者は辛辣だった。しかし、嘘をいう訳にもいかない。
 小吉は愕然とした。俺の息子が……死ぬかも知れぬ。口をぽかんと開け、よだれを垂らしそうになった。世界の終りだ。家族は声をあげて泣く。小吉は「やかましい! 泣くな! 泣いて麟太郎が助かる訳じゃねぇ!」と叱り付けた。
 小吉は神仏に祈った。その晩から井戸端で水垢離をやって、近所の金比羅神社で裸参りにいった。帰ると小吉は息子を一晩中寝ないで自分の肌で抱きしめて、耳元で「しっかりしろ! しっかりしろ!」と囁き続けた。
 近所では「勝という剣術使いは子供の怪我で狂った」と噂になった。
 幸運なことに麟太郎は死ななかった。
 次の日に目を覚ますと粥をすすった。十日ほど療養するうちに起きられるようになった。  麟太郎は再び家斉の嫡男の小姓役を務め、その後三年を大奥で過ごし、天保五年(一八三四)、麟太郎は十二歳のとき御殿を下がった。
  天保八年十五歳のとき、家斉の嫡男が一橋家を継ぐことになり、一橋慶昌と名乗った。当然のように麟太郎は召し抱えられ、内示がきた。
  一橋家はかの将軍吉宗の家系で、由緒ある名門である。麟太郎は、田沼意次や柳沢吉保のように場合によっては将軍家用人にまで立身出世するかもと期待した。                                 
 一橋慶昌の兄の将軍家定は病弱でもあり、いよいよ一橋家が将軍か? といわれた。
 しかし、そんな慶昌も天保九年五月に病死してしまう。麟太郎は残念がった。勝麟太郎は十六歳で城を離れざるえなくなった。
 しかし、この年まで江戸城で暮らし、男子禁制の大奥で暮らしたことは勝麟太郎にとってはいい経験だった。大奥の女性は彼を忘れずいつも「麟さんは…」と内輪で話したという。城からおわれた勝麟太郎は剣術に熱中した。
 彼は家督を継ぎ、鬱憤をまぎらわすかのように剣術鍛練に励んだ。
 この年、意地悪ばばあ殿と呼ばれた曾祖母が亡くなった。
 直心影流の宗家となった従兄弟の男谷精一郎信友の影響で、その流派を習うことになる。 勝麟太郎は後年こういっている。
「俺がほんとうに修行したのは剣術だけだ。俺の家は剣術の家筋だから、親父もなんとか俺を一人前にしようと思い、当時江戸で評判の島田虎之助という人の弟子につけた。この人は世間並みの剣術家ではなくて、いまどき皆がやる剣術は型ばかりだ。あんたは本当の剣術をやりなさい、と言ってくれた」
 麟太郎は島田虎之助(九歳ほど年上。文政十一年(一八一四)九州豊前中津生まれの剣客)の道場に泊まり込んで、掃除洗濯煮炊きまでやり剣術を習った。道場と実家は距離があり、麟太郎が家に帰るときは何時間も歩いたという。
 道場では互いに打ち合い、転んでもすぐたちあがり木刀で殴りあうという荒っぽい稽古がおこなわれていた。そこで麟太郎は心身を鍛えた。
 弘化三年(一八四六)二十四歳の頃、麟太郎と、お民との間に長女夢子をもうけ、嘉永二年(一八四九)十月に次女孝子をもうけた。
 麟太郎の父・小吉は夢酔と号して隠居してやりたいほうだいやったが、やがて半身不随の病気になり、嘉永三年九月四日四十九歳で死んだ。
 小吉はいろいろなところに借金をしていたという。
 そのため借金取りたちが麟太郎の屋敷に頻繁に訪れるようになる。
「父の借財はかならずお返しいたしますのでしばらくまってください」麟太郎は頭を下げ続けた。プライドの高い勝麟太郎にとっては屈辱だったことだろう。
 麟太郎は学問にも勤しんだ。この当時の学問は蘭学とよばれるもので、蘭…つまりオランダ学問である。麟太郎は蘭学を死に物狂いで勉強した。
 彼が結婚したのは弘化二年(一八四五)二十三歳の頃で、ふたりの幼い娘の父となっていた。しかし、禄高はたったの四十一石、妻も病で寝たきりになり……
 貧乏のどん底にいた。しかも、亡父の借金もある。直心影流の免許皆伝となったが、道場で剣術を教えてもたかが知れている。次第に麟太郎は剣術を離れ、蘭学にはまるようになっていく。本屋にいって本を見るが、買う金がない。だから一生懸命に立ち読みして覚えた。しかし、そうそう覚えられるものではない。
 あるとき、本屋で新刊のオランダ兵書を見た。本を見るとめったにおめにかかれないようないい内容の本である。
「これはいくらだ?」麟太郎は主人に尋ねた。
「五十両にござりまする」
「高いな。なんとかまけられないか?」
 主人はまけてはくれない。そこで麟太郎は親戚、知人の家を駆け回りなんとか五十両をもって本屋に駆け込んだ。が、オランダ兵書はすでに売れたあとであった。
「あの本は誰が買っていったのか?」息をきらせながら麟太郎はきいた。
「四谷大番町にお住まいの与力某様でござります」
 麟太郎は駆け出した。すぐにその家を訪ねた。
「その本を私めにお譲りください。私にはその本が必要なのです」
 与力某は断った。すると麟太郎は「では貸してくだされ」という。
 それもダメだというと、麟太郎は「ではあなたの家に毎日通いますから、写本させてください」と頭を下げる。いきおい土下座のようになる。誇り高い勝海舟でも必要なときは土下座もした。それで与力某もそれならと受け入れた。「私は四つ(午後十時)に寝ますからその後屋敷の中で写しなされ」
  麟太郎は毎晩その家に通い、写経ならぬ写本をした。
 麟太郎の住んでいるのは本所錦糸堀で、与力の家は四谷大番町であり、距離は往復三里(約二十キロ)であったという。雪の日も雨の日も台風の日も、麟太郎は写本に通った。 あるとき本の内容の疑問点について与力に質問すると、
「拙者は本を手元にしながら全部読んでおらぬ。これでは宝の持ち腐れじゃ。この本はお主にやろう」と感嘆した。麟太郎は断った。
「すでに写本があります」
 しかし、どうしても、と与力は本を差し出す。麟太郎は受け取った。仕方なく写本のほうを売りに出したが三〇両の値がついたという。

  麟太郎は出世したくて蘭学の勉強をしていた訳ではない。当時、蘭学は幕府からは嫌われていた。しかし、艱難辛苦の勉学により麟太郎の名声は世に知られるようになっていく。勝麟太郎はのちにいう。
「わしなどは、もともととんと望みがなかったから貧乏でね。飯だって一日に一度くらいしか食べやしない」
 天保六年から七年にかけて大飢饉で、勝海舟も大変な思いをしたという。しかも四十一石と小禄で病妻と幼い妻をかかえている。勝麟太郎の身分は小譜請組頭で、せいぜい四十~五十石がいいところである。出世するためには上役の御機嫌をとったりワイロを配ったりしなければならない。プライドの高い勝海舟(勝麟太郎)にはそれがなかなかできない。 麟太郎には祖父明敏と父小吉からの反骨の気質がある。
(勝海舟の家系はもともとは幕臣ではなく、越後の小大名の家来出身である)
 徳川太平の世が二百五十年も続き、皆、戦や政にうとくなっていた。信長の頃は、馬は重たい鎧の武士を乗せて疾走した。が、そういう戦もなくなり皆、剣術でも火縄銃でも型だけの「飾り」のようになってしまっていた。
 勝海舟はその頃、こんなことでいいのか?、と思っていた。
 だが、麟太郎も「黒船」がくるまで目が覚めなかった。

  嘉永三年十月、高野長英という男が牢をやぶって麟太郎の元にたずねてきた。
「かくまってほしい」という。
 麟太郎は「私めは幕臣であるため義においてかくまうことはできません」と断った。そして続けて「しかし、あなたがきたことは誰にもいいません」ともいった。
 長英は了解した。長英は何時間にも渡って麟太郎と蘭学について口論したが、やがて萩生氏著作『軍法不審』をくれて帰った。
 勝麟太郎二十八歳、高野長英四十七歳であった。
 高野長英はやがて偽名を使い医者になるが、その名声が高まり町奉行の知るところとなった。逮捕の危機がせまっていたので、長英は江戸の蕎麦屋で家族と夕食を食べ、逃げた。が、すぐ追っ手に襲われ、ひとりを殺し、短刀で喉を突いて自殺した。
 麟太郎は長英の死を嘆いた。……いい人物が次々といなくなっちまう。残念なことだ。「高野さんはどんな逆境でも耐え忍ぶという気持ちが足りなかった。せめて十年死んだ気になっておれば活路が開けたであろうに。だいたい人間の運とは、十年をくぎりとして変わるものだ。本来の値打ちを認められなくても悲観しないで努めておれば、知らぬ間に本当の値打ちのとおり世間が評価するようになるのだ」
 麟太郎は参禅を二十三、四歳までをやっていた。
 もともと彼が蘭学を学んだのは島田虎之助の勧めだった。剣術だけではなく、これから学問が必要になる。というのである。麟太郎が蘭学を習ったのは幕府の馬医者、都甲斧太郎で、高野長英は彼の師匠であった。だから長英は麟太郎の元に助けを求めてきたのだ。
 小吉が亡くなってしばらくしてから、麟太郎は赤坂田町に塾を開いた。氷解塾という蘭学の塾である。家の裏表につっかえ棒をしているあばら家であったという。
 客に対応する応接間などは六畳間で大変にむさくるしい。だが、次第に幸運が麟太郎の元に舞い込むようになった。
 外国の船が沖縄や長崎に渡来するようになってから、諸藩から鉄砲、大砲の設計、砲台の設計などの注文が相次いできた。その代金を小吉の借金の返済にあてた。
 しかし、鉄砲の製造者たちは手抜きをする。銅の量をすくなくするなど欠陥品ばかりつくる。麟太郎はそれらを叱りつけた。「ちゃんと設計書通りつくれ! 俺の名を汚すようなマネは許さんぞ!」
 麟太郎の蘭学の才能が次第に世間に知られるようになっていく。

    
 この頃、麟太郎は佐久間象山という男と親交を結んだ。
 佐久間象山は、最初は湯島聖堂の佐藤一斉の門下として漢学者として世間に知られていた。彼は天保十年(一八三九)二十九歳の時、神田お玉ケ池で象山書院を開いた。だが、その後、主君である信州松代藩主真田阿波守幸貫が老中となり、海防掛となったので象山は顧問として海防を研究した。蘭学も学んだ。
 象山は、もういい加減いい年だが、顎髭ときりりとした目が印象的である。
 佐久間象山が麟太郎の妹の順子を嫁にしたのは嘉永五年十二月であった。順子は十七歳、象山は四十二歳である。象山にはそれまで多数の妾がいたが、妻はいなかった。
 麟太郎は年上であり、大学者でもある象山を義弟に迎えた。

 嘉永六年六月三日、大事件がおこった。
 ………「黒船来航」である。
 三浦半島浦賀にアメリカ合衆国東インド艦隊の四隻の軍艦が現れたのである。旗艦サスクエハナ二千五百トン、ミシシッピー号千七百トン……いずれも蒸気船で、煙突から黒い煙を吐いている。
 司令官のペリー提督は、アメリカ大統領から日本君主に開国の親書を携えていた。
 幕府は直ちに返答することはないと断ったが、ペリーは来年の四月にまたくるからそのときまで考えていてほしいといい去った。
 幕府はおたおたするばかりで無策だった。そんな中、麟太郎が提言した『海防愚存書』が幕府重鎮の目にとまった。麟太郎は羽田や大森などに砲台を築き、十字放弾すれば艦隊を倒せるといった。まだ「開国」は頭になかったのである。
 麟太郎は老中、若年寄に対して次のような五ケ条を提言した。
 一、幕府に人材を大いに登用し、時々将軍臨席の上で内政、外政の議論をさせなければならない。
 二、海防の軍艦を至急に新造すること。
 三、江戸の防衛体制を厳重に整える。
 四、兵制は直ちに洋式に改め、そのための学校を設ける。
 五、火薬、武器を大量に製造する。

  麟太郎が幕府に登用されたのは、安政二年(一八五五)正月十五日だった。
 その前年は日露和親条約が終結され、外国の圧力は幕府を震撼させていた。麟太郎は海防掛徒目付に命じられたが、あまりにも幕府の重職であるため断った。麟太郎は大阪防衛役に就任した。幕府は大阪や伊勢を重用しした為である。
 幕府はオランダから軍艦を献上された。
 献上された軍艦はスームビング号だった。が、幕府は艦名を観光丸と改名し、海軍練習艦として使用することになった。嘉永三年製造の木造でマスト三本で、砲台もあり、長さが百七十フィート、幅十フィート、百五十馬力、二百五十トンの小蒸気船であったという。


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東日本大震災 5原発10基再稼働申請「原発事故当時元・所長吉田昌郎氏(58)病死」

2013年07月10日 06時54分07秒 | 日記
 「東日本大震災」 
 
東電の福島第一原発事故の当時事故対応にあたった吉田昌郎(まさお)元・所長が病院で食道がんにより死亡した。享年58歳であった。氏は大阪府出身、1979年東電入社であった。放射能による病気ではない(5年以上潜伏期間があるから)が、訃報は残念。5原発10基が再稼働申請です。5原発とは北海道電力の北海道の泊原発、東京電力の新潟県の柏崎刈羽原発、関西電力の福井県の高浜原発、、四国電力の愛媛県の伊方原発、九州電力の佐賀県の玄海原発、九州電力の鹿児島県の川内原発です。まあ、福島の原発事故で感情論がいりまじり、地元知事は「脱原発」で胸を張る傾向にあります。集団ヒステリーは醜悪ですね(何故「脱原発は危険か?」は後述)。福井県敦賀(するが)原発が活断層の上にあるとして廃炉が決まりそうです。まあ、あの福島原発事故の経験と教訓からすれば当然ですね。「脱原発」「原発はテロだ」などと官邸前でいささかヒステリックにデモをしなくても、政治家も有識者も「原発再稼働」など言えない雰囲気です。殺されるといえば大袈裟ですがそんな雰囲気です。大規模災害対策 「大規模災害復興法」を4月上旬にも閣議決定。震災復興 避難生活者 約31万5000人。避難者対策 居住者向け放射線量の安全指針づくりに着手。太陽光発電 再生可能エネルギーの価格政策を見直し。発電燃料 火力発電の燃料価格が高止まり。電力問題 今夏も節電要請の方針。
 政府は大災害時の対応を迅速にするため、大規模災害復興法を4月上旬にも閣議決定し、今国会に提出する方針を明らかにしました。今後、想定される南海トラフ巨大地震や首都直下地震に備える考えです。
 つまり、地方自治体を超えて直接政府が指示をしていくということです。
 東日本大震災の際には、当時の菅首相が直接現地に乗り込んで指揮しようとしましたが、結局そういう制度がなかったために機能せずに終わってしまいました。
 大規模災害の際には、都道府県間、県・市区町村間のコーディネートなどもあるので、政府が全責任を追って対応するのは極めて重要なことだと思います。東日本大震災から2年を経て、仮設住宅などで避難生活を送る人はなお約31万、福島第1原子力発電所事故の影響で福島県から県外へ避難した人は5万7135人にのぼります。この事実から見れば、2年間にわたって日本はある意味において無政府状態だったと言わざるを得ないでしょう。
 私は震災の一週間後には復興計画案を発表しました。高台移住の提案、津波プレインの制定も含め、福島第1原発から5キロ圏内の居住できない旨をいち早く通達し、人生の計画を早めに立て直せるようにすべきだと述べました。いち早くこうした計画を立てて責任を持って実行するのが政府の役目だと思います。関東大震災のときは、短期間で対策案をまとめたと言います。当時よりも、日本の復興対策ブレーンの力は衰えたと言われても仕方ないでしょう。また未だに30万人の仮設住宅居住者がいるという異常事態に何とも感じていないことにも、私は驚いてしまいます。日銀人事やアベノミクスも大切かもしれませんが、その前に優先すべき事項があるということを自民党にも改めて認識してほしいと思います。
 自民党は避難者対策として居住者向け放射線量の安全指針づくりに着手したそうですが、これは早急に進めて欲しいところです。現在は長期的な除染目標の「年間積算線量1ミリシーベルト以下」を参考値としていますが、これは厳しすぎます。もっと現実に合わせた安全指針を策定し、一刻も早く帰ることが出来る人に戻ってもらえるようにするべきだと思います。
 政府は太陽光発電の急拡大を支えてきた再生可能エネルギーの価格政策を見直すとのことで、買い取り価格を2013年度から約1割下げる案を決定しました。当時の民主党政権が一部の業界に煽られて、20年間の固定買取制度を決めてしまったのですが、明らかに勇み足でした。かつてドイツやスペインでも20年間の固定買取を決定したことがありましたが、最近になって価格を下げる方向で修正をしています。再生可能エネルギーの買取価格を高いままで固定していたら、おそらくゆがんだエネルギーミクスになるでしょう。太陽光、風力によって得られるエネルギーは気まぐれの要素が強く、それを貯めておくためのバッテリーをどう用意するのか?といった問題も解決されていません。さらに太陽光発電についてはあまりに高価格で買取価格を固定してしまったため、参入業者が増えすぎて困っている状況です。この程度の展開を予想することさえできなかったのは残念です。
 自民党は一刻も早く是正してほしいと思います。また再生可能エネルギーに固執する必要はなく、他のエネルギーについてもしっかりと検討することが大切です。例えば、火力発電に使う液化天然ガス(LNG)や重油の価格が高止まりしています。LNGのスポット価格は東日本大震災前に比べ9割上昇し、重油も6%上がっています。原子力発電所が相次いで停止したのに加え、中国や南米など新興国で発電燃料の需要が拡大しているためということもあります。もっとも、そもそも再生可能エネルギーの価格が高すぎるというのが問題なのです。
 2013.03.11号のBusinessweek誌でも記事になっていましたが、再生可能エネルギーの価格が高止まりしているのに対し、化石燃料の価格は下がってきています。二酸化炭素の排出という問題はありますが、カナダのように政府が負担を増やして対処するなど、方法を模索することはできるでしょう。特に石炭火力の発電コストは原子力に匹敵するほど低価格です(原子力:8.9、石炭火力:9.5、LNG火力:10.7、石油火力:36、それぞれ円/1キロワット時当たり、2010年の価格)から、これを利用しない手はないと思います。
 日本は歴史的に石炭に対するアレルギーがあります。世界的には発電量に占める石炭の割合は約40%ですが、日本は30%弱に過ぎません。中国は約80%、韓国、米国、ドイツも40%を超えています。日本は意識的に石炭を避けて比較的クリーンなLNGに傾いていましたが、ここに来て価格は高止まりしています。確かに石炭には二酸化炭素の問題がありますが、最先端の技術を利用することで、排出される二酸化炭素をクリーンなものに変えることも可能な時代になりつつあります。夏の電力需給のため東京電力が石炭火力発電所を新設する計画に、環境省が反対の姿勢を示していましたが、先日自民党によってひっくり返されました。自民党は民主党に比べて現実的な判断を下したと言えるでしょう。 盲目的に「再生可能エネルギーが良い」と考えるのではなく、様々な可能性を検討していくべきだと私は思います。(大前研一先生談2013年3月22日)
2011年3月11日未曽有の被害をもたらした「東日本大震災」があり、2013年3月11日で2年、遺族には3回忌ですね。死者1万5881人行方不明者2668人。復興は進んでいない。ちなみに復旧は「もとの状態に戻す事」復興とは「再び盛んにする事」ですよね。復旧(道路100%鉄道92%電気96%都市ガス86%)ライフラインは復旧しましたが復興はまだまだ先です。大震災直後には避難民は45万人いましたが、現在(2013年3月時点)は31万5196人(仮設住宅に約11万人、民間の賃貸住宅に約15万人、親戚・知人などの家に約1万5000人)といいます。今は一か所「避難所」が埼玉県加須市にあり、福島県双葉町民139人が暮らしになられています。でも町つくり自体これから。「復興住宅整備に着手しようとしているのが27%」「集団移転に国交大臣の同意が82%」「かさ上げの計画決定が66%」です。いいですか?集団移転とか復興住宅とか出来たのではなく「計画中」な訳です。復興予算は5年間で25兆円(安倍内閣、道路整備・下水道・仮設住宅・瓦礫処理→今年度末(2013年)まで17.5兆円)。お金はどこからもってくるか?まあ政府の歳出削減で14.5兆円、国債20兆円、増税10.5兆円(所得税・年間16000円×25年間=7.5兆円)(法人税・年間10%×3年間=2.4兆円)(住民税・年間1000円×10年=0.6兆円)です。ですが復興予算の流用が2兆円もあるという。簡単に説明すると「海外青年団交流費に75億円」「反捕鯨団体対策費(宮城県石巻市にクジラ工場があるから)に23億円」「核融合エネルギー開発に29億円」「沖縄の国道整備費に34億円」という。(復興費の)お金が遣えないのは「予算が遣いきれない」からで、被災3県の繰り越し予算は「岩手県2062億円・入札率15%」「宮城県4592億円・入札率38%」「福島県3300億円・入札率24%」という。入札率とは建設業者の入札率のことで人材不足や資材不足などで工事関係者のコストが高くなっていて、儲かるどころか赤字になっているらしいです。まあ、大工や道路工事にしても「技術職」ですから。原発の今を学びましょう。確かに福島第一原発の修復工事の詳細はテレビでもあまりやらないし、2012年12月には野田元首相が「事故そのものは収束した」と宣言しました。だが、とんでもない。安倍首相の2013年2月の「とても収束と言える状態ではない」という言葉こそ真相であろう。一日3000人が原発処理作業に当たっている。行程としては燃料棒取り出し(5年以内)→冠水(10年以内)→燃料取出し(25年以内)→廃炉(40年以内)という。また汚染水も1日に400t(小学校プール1つ分)でる。汚染瓦礫や燃料棒や汚染水の最終処理場は決まってもいない。原発避難者は11万人(「帰宅困難区域・今後5年以上帰宅困難・年間放射能50mシーベルト超」「居住制限区域・数年間居住難しい・年間放射能20mシーベルト超から50mシーベルト以下」「避難指示解除準備区域・近い将来帰宅可能・年間放射能20mシーベルト以下」)です。ホースによる原発炉心への放水はもうやってなくて、とにかく核燃料を冷やすということで水をとにかく循環させている。被災地は悲惨だが、原発事故はもっと悲惨である。「子供の為にも原発は今年で全部廃炉!」という集団ヒステリーもわからないではない。現実離れしている主張ですがね。
弘前被ばく医療研究所は2013年1月11日、福島第一原発による放射性ヨウ素による甲状腺被ばく量は、推定で最大4.6ミリシーベルトだったと発表しました。IAEAはもっと低く、健康への影響は小さいという。比較的早いタイミングで調査を行っており、放射性ヨウ素とセシウムの比較を見てセシウムの量から逆算して当時の放射性ヨウ素の被ばく量を計算したものです。誤った被ばく量やデマゴーグ的数値で恐怖心を煽るのはやめて欲しい。そんなに恐れるほどの数値でもないし、除染作業も進捗している。また原子力規制委員会が原発の「第二制御室の必要性」に拘泥している。が、福島第一原発にも「第二制御室」があったが津波でやられたのだ。それほど必要ではないが作るならお金をあまりかけず作ることだ。それにしても原子力規制委員会は「鳥なき里の蝙蝠」だ。師匠・大前研一先生ほどの人物がいるのに委員じゃない。これでは片落ちだ。今、原子力発電所が全部停まって火力発電所に99%特化しています。そこで使われるのが天然ガスですがこれはメタンガスのことです。プロパンガスというのは石油から分離する一番軽いもの(①プロパンガス②ガソリン③軽油④中油⑤重油)です。日本に輸入される天然ガスは零下160度で冷やし、1/600の液体にしてLNGタンカー船で運びこみます。非常に高コストです。単純に比較できないのですが、日本LNGは57.3ドル、アメリカのパイプラインは16.7ドルです。ロシアからのパイプライン計画も北方領土問題がネックです。でも、関係ありません。ロシアと日露安全保障条約を結び、シベリア開発、経済連携、天然資源共同開発など「経済連携」を密にすればいい。まずは経済連携でパートナーシップを高める。これだ。アメリカは100年分のシェールガス(頁岩・けつがん・シェール)が発見され「資源輸入国」から「資源輸出国」になりました。日本にはシェールガスはないのですが、メタンハイドレートが200年分日本海底に眠っています。東京電力は2012年12月14日、原子力部門の改革案を発表しました。原子力部門から独立して安全対策を指導、徹底する社内改革組織の設立などを柱に据え、過酷事故につながりかねない「負の連鎖」を断つ組織つくりを考えたそうだ。最終報告は2013年2月という。記者会見の問題点は(1)能力不足(2)知っていたが言えなかった(3)外部から圧力があった、です。45年前に福島第一原発建設時地元住民に「嘘をついていた」と認めた。また原発事故2日目にはメルトダウンしていたが、認めたのは11月後であった。後言いたいのですが活断層=危険=原子炉停止という流れは短絡的過ぎるということ。なら新潟中越沖地震で新潟県の柏崎刈羽の原子力発電所は何故大丈夫だったのか?普通の地震でも激しい地震でも普通は原子炉は安全に停まるんです。福島原発も地震で停止しています。その後の(想定外の)津波で原発全電源が停止して原子炉がメルトダウンしたのです。マスコミはそのことを知っているのに「脱原発派」におもねって報道しません。すべては視聴率、購買率の為なんです。皆さんもっと頭を使ってください。今、「脱原発!」などというのは赤ん坊でもできます。甘い嘘より苦くても大切な現実に目を向けましょうよ。原子力規制員会は活断層があるとして敦賀原発を廃炉にするという可能性を示しました。そんなこといっていたら日本中の原発は全部廃炉になりますよ。しっかりしてください。東電は福島に復興本拠地を4000人体制で設置すると決定。賠償も現地権限をもつという。日本海などにメタンハイドレート群が見つかりました。網走沖、秋田山形新潟沖、隠岐周辺沖にかなりの量のメタンハイドレート(メタンガスが凍ったもの)があるという。原発にかわる代価エネルギーとして期待大ですね。よかったですね。小林よしのり著作「ゴーマニズム宣言スペシャル 脱原発論」小学館刊行「読書感想文」フリージャーナリスト緑川鷲羽わしゅう。まず私が主張したいのは私は「原子力ムラ」の人間ではなく、「利権」とも無縁であるということ。マンガチックな「原発ブラボー再稼働」でもないということ。そして小林よしのり氏の本を読んで、「首相官邸の前で集団ヒステリーでお祭りデモに参加している連中と同じだ」という感想だ。確かに福島原発事故や乳飲み子の母や赤ん坊が泣いている映像を観たら誰だって「脱原発」になるのが人情だ。しかし、したり顔で「脱原発」を主張するなど赤ん坊でも出来る事なんだよ。小林氏は「一時的に電力が足りなくなって企業が出ていく?その程度の企業なら外国にどうぞ」という。現実がわかっていない。電力不足が「一時的」な訳ないだろう。企業は漫画家とは違う。1円2円の円高、電力料金で中小零細企業(全体の99%)は採算をとっている。そんな企業が中国やベトナム、インド、ミャンマーに出ていけば二度と帰って来ない。深刻な失業率になるだろう。漫画家の替りなど幾らでもいるが、職場の替りはない。また小林氏は「自分が9歳の頃(1956代)には原発はおろか火鉢しかなかった。大学生の頃漫画家デビューしたが(1970年代)、九州ではまだ原発はなくても幸せであった」という。現代エネルギー革命や、産業イノベーションがわかっていない。氏が学生や幼かった頃にはなかったスパコン、コンピュータやハイテク家電、スマートフォン、高品質テレビ、(節電)家電、クーラー…なにより電気がなければ水道の水さえ流れない。そういう基本的な事がわかっていない。悪戯に原発の危険や人々の恐怖心を煽り「原発は安全じゃない」と断罪する。これでは農家の恐怖心ばかり煽る農協と同じではないか。絶対に安全なものなどこの世に存在しない。車も飛行機もバスも全部「危険」であろう。何より太陽光や風力といういわゆる「再生可能エネルギー」が電力の1%であり、原発分はいままで30%であり、その分がすべて火力に特化しているから(電力の約99%)「電力不足」「電力料金値上げ」があるのであって、火力発電のエネルギー源の価格高騰に触れられていない。今「円高」であるので石油やガスの値段は高くない。だが、石油・ガスの価格高騰は続いている。価格高騰問題に触れられていないのは違和感がある。原発分の30%のキャパシティを太陽光・風力ではカバー出来ないのだ。それが現実だ。小林氏はあまりに感情に流され、プラグマティズムやコンストラクティブな思考を怠っている。只の「お涙頂戴」の「感情論」に騙されて、したい顔で「脱原発」では救われない。4号機の核燃料棒プールの危機など、政府も関係者も皆知っている。プロパガンダで原子力発電とオウム真理教を結び付けて描いているが、原子力を再稼働したり原発を廃炉にしながら新エネルギー開発(メタンハイドレード、シェールガス、地熱発電、新潟沖の未知の石油)していくのが「ヒトラー」(笑)だとでもいいたいのか?TPP交渉は「ナチス」(笑)か?私も政府の「冷温停止状態」「安全宣言」など信じていない。3・11の事故後すぐ私は「メルトダウン」もしくは「メルトスルー」していると思っていたのだ。だが「危険だ、危険だ」といっていても仕方ない。小林氏は「安全だというならお前が福島に住んでみろ!」という。私は福島ではないがすぐ近くの米沢(福島市郡山市のすぐ隣り)に住んでいるが健康だ。氏のいう「原発の代替案」が太陽光や風力では「お先真っ暗」だ。むしろ大事なのは「脱原発」と「原発再稼働」を二極化しないことだ。原発を求めている人々すべて賄賂をもらっているとか、右翼と決めつける氏こそ「左翼」になった「元・右翼」である。どっちみち福島原発事故で「新規原発開発」も「既存の原発再稼働」も殆どムリで、30年後には自然と「脱原発」になる。原発は全部停まるのだ。私だって将来的には「脱原発」の人間だ。氏の漫画は「感情論」であり「結果論」である。事故を観て恐怖を感じ、集団ヒステリー集団アレルギー、感情論を「プロパガンダ漫画」で描いているに過ぎない。こんなものでまともな代替案もなく、したり顔で「脱原発」を叫ぶなど、まさに「団塊の世代の安保闘争」「集団ヒステリーお祭りデモ」だ。マンガチックであり、主張が「子供」である。本書は一読の価値は確かにある。だが、氏がオウムテロの時のように脅迫に晒されているのは甚だ不幸ではあるが、こんなひとがジャーナリストの仲間とは、日本も甚だ「呑気な国」である。                
2012年10月1日青森県下北半島の大間原発(Jパワー)の再建設が始まりました。集団ヒステリーの「脱原発」ポピュリスト達はまた反発しています。が、Jパワーの会長は「原則40年稼働させたい」と現実的思考です。こういう現実がわかるひとの台頭は喜ばしい限りです。2012年9月27日「指定廃棄物(核のゴミ)」最終処理場が千葉県・宮城県・群馬県・栃木県・茨城県に決まりました。2012年9月20日「原子力規制委員会」が発足です。委員長・田中俊一氏。経団連など財界は「原発2030年代ゼロ」に反対していて、米倉氏が政府戦略会議辞職です。まあ、現実が見えている人々には当たり前の意見ですね。理由は後述しています。政府はとうとう「30年代原発ゼロ」を決定してしまいました。まさにポピュリズム(大衆迎合)です。でも閣議決定は見送りであるという。経済界からのはんぱつのおかげですよ。現実が見えない人たち(脱原発論者)には困ったものです。政府エネルギー戦略会議は「核燃料サイクルを維持」する方針を固め、もんじゅを研究炉にし、30年代に原発ゼロも併記するといいます。「2030年原発ゼロ」目標が、世論の圧力で明文化された。青森県の三村知事が、核燃料サイクル堅持を要望しています。国民の7割が脱原発をしたり顔で主張し、古川国家戦略担当大臣を枝野経済産業大臣も「脱原発」を決めてしまいたいといいます。やめて欲しいのはあと数か月後にはなくなる民主党政権に今後数十年続くエネルギー政策を付け焼刃で決めてほしくないということです。脱原発をし、原発をゼロにすると三十年後には核燃料再生が不要になります。青森県は結果として「核燃料永久貯蔵地」になってしまいます。青森県は「中間貯蔵地」であり「永久貯蔵地」という話になると話は違ってくると思います。事故調(福島原発事故調査委員会)のレポートは本質を突いていない。事故とは物理的な原因が起こり、波紋のように広がるものです。管首相(当時)や斑目委員長(当時)や枝野官房長官(当時)が悪かったうんぬんの前に物理的な自証を考えるべきです。「もう少しいい人材と英雄や天才的人物がいれば事故は防げた」とは思いません。全電源が地震や津波で喪失したら原子炉は冷やせないし、核は暴走する。どんな天才がいようが事故は(遅らせることは出来たかもしれないが)発生したと思います。設計上の問題であり、人材・組織の問題ではないからです。事故調のレポートは「犯人捜し」で、「脱原発論者」は「ポピュリスト(大衆迎合主義者)」だと私は断言します。理由は後述します。南海トラフの巨大地震被害想定は死者32人、浸水1015平方キロでそうです。10分以内の避難で14万人減、100%耐震化で3万人減です。備えあれば憂いなし、ということですか。全国の工業団地に万単位のメガソーラー計画があるそうです。だが、どんなに太陽光パネルを張り巡らせても原発分の3割は無理なんですよ。現在の技術では。だから単純にしたり顔で無策で「脱原発!」と声高に叫んでも集団ヒステリーだ、というんですよ。原発の将来を考える国民会議並びに国家エネルギー戦略会議は「1930年代前半に原発ゼロに」との結果になりました。東京電力福島第一原子力発電所事故の原因などを政府の事故調査・検証委員会は2012年7月23日最終報告書をまとめ、野田首相に提出した。被害が拡大した根源的問題として「東電も国も安全神話にとらわれていた」と指摘。危機管理対策の練り直しを促したとのこと。我が師・大前研一先生は政府と国双方のレポートを読み「率直に言ってどちらも役に立たないな」といいます。原因は津波?なら福島第二原発や東海第二原発は何故大丈夫であったのか?違いは「外部電源」です。福島第一原発は地震で外部電源がやられ、さらに津波で非常用電源もやられてメルトダウンしたのです。「外部電源」さえ無事なら大丈夫なんです。また「活断層の傍に原発あるから危険…脱原発!」というのには私は与しません。なら新潟の地震のとき柏崎刈羽原発は何故大丈夫だったのか?「脱原発デモ」など改革でも革命でも何でもない。くだらん「集団ヒステリー」でしかない。「再生可能エネルギー(太陽光・風力)」で原発分の30%のキャパはカバーできない。「集団ヒステリーデモ」などやめるべきだ。変なガキが「(nhkクロ現で「脱原発デモ」を取り上げることで)デモがないとかいっていたおっさんも黙るな」と悪口を書き込んでいた。私緑川鷲羽わしゅうは「デモがない」などといっていない。原子力規制委員会で委員長として田中俊一氏が内定しました。田中氏は放射線物理の専門家です。が、私は残念です。我が師・大前研一先生こそ委員長・規制庁長官にふさわしいと思っていたからです。福島第一原発の事故調査委員会で電力会社(東電)と民主党(官邸)・政府・当局が地震、津波対策を先送りしたことを「事故の根本的原因」と指摘し「自然災害ではなく人災」と断定しました。我が師・大前研一先生は「人災は一致するが、其のうえで「交流電源が長期的な損失を前提にしなくていい」という事故調のスタンスに問題があった」といいます。それに事故調は原子炉の分析を行っていません。原子炉内部にはいれない、ということで関係者1000人からアンケートをとり分厚い調査書を作成しただけ。こんなもの馬鹿馬鹿しい週刊誌やワイドショーと同じです。「外部電源」に触れられてないが「外部電源」が損失すれば3・11と同じことになります。再生可能エネルギー20年20%買い取りですが今は再生可能エネルギーのほうが値段が高く誰も買いません。夜間の電力料金引き下げも再生可能エネルギー20年20%も原発フル稼働しないと無理です。このままヒステリーで「脱原発」ムードでは日本の自殺です。皆さん目を覚ましてください。原発と原爆は違います。皆さんは誰かと同じでいい、皆脱原発というし、みたいな、「団塊世代の安保闘争」みたいな馬鹿はやめて目覚めてください。2012年7月5日に国会事故調が報告書を完成。述べ1167人に調査して、「東電・保安院の怠惰」否定せず、とした。地震・津波が起因ではあるが「人災」だ、という。2012年7月1日から再生可能エネルギー(太陽光、風力、地熱、バイオマス)の買い取り法案が実施されましたね。誰が買うのか?政府か?電気会社か?株式会社か?いいえ、国民です。国民が電力料金に上乗せして払うのです。今まで再生可能エネルギーは1Kwh=10円くらいで採算がとれず普及しませんでした。それが太陽光(10円→42円)風力(10円→23円)地熱(時価→27円)となり値上げ分は国民が払います。最初は84円負担ですが国が再生可能エネルギーを30%にすれば月に800円から2300円の値上げになります。電気は税のようなもので選べないし、電気がなければ生活できません。基本的なことですが「再生可能エネルギー」が「原発分の30%」をつくれるか?ですがつくれないんです、今現在は。まあ、携帯電話みたいなものです。最初の20年前の携帯電話はカバンくらいおおきかった。それがいまや掌に隠れるほど小さくなり、且つ高性能になりました。再生可能エネルギーも同じようにイノベーションで大きく成長分野としては有望です。だが、今はまだ原子力程のキャパは無理なんです。福島第一原発事故で、日本国内では「原発の建設は危ない」と思いがちです。が、日本の原子炉建設メーカーである日立や三菱重工や東芝らは優秀です。世界でも日本勢に匹敵しているのはフランスのアレヴァ社くらいです。この市場に対しては韓国や中国も虎視眈々と参入を狙っています。しかし、日本勢の足元にも及びません。東芝・米ウエスチングハウス連合の原子炉である「AP1000」は、仮に福島原発事故と同じになっても最後まで自力で冷却できる設計であるそうです。今は原子炉建設は被害感情もあって難しい。だが、20年から30年後再生可能エネルギーに限界がきたとき原発が見直されると思います。また反原発脱原発ムードを創ったのはマスコミです。過剰報道をするから「脱原発デモ」などが起こるのです。脱原発のデモ(作家・大江健三郎・音楽家・坂本龍一呼びかけ)で代々木公園で10万人のデモがありました。いっとくが原発と原爆は全然違う。プロパガンダ(大衆操作)にいいからってリンクさせるな。私緑川鷲羽の立場はけして「原発ブラボー再稼働」などの漫画チックなバカげた考えの立場ではありません。私も「将来的には「脱原発」」という立場なんです。私が言いたいのは福島の原発事故や乳飲み子の母親と赤ん坊の涙をみれば誰だって「脱原発」の考えになるし、それが人情でしょう。が、只したり顔で「脱原発」と声高に叫ぶのなんて赤ん坊でもできる事なんですよ。大飯原発は再稼働したが、依然として原発分の3割の電力は火力発電に特化したまま。このままなら電力不足、電気料金高騰…最悪な事態が日本の産業に壁として立ちはだかります。それでもいい。何が何でも「脱原発」というなら地獄に行ってください。どんなに悲惨な日本経済になるか。勿論福島原発があんなことになって「新規原発開発」も「既存原発再稼働」も無理だし、拒絶反応もわかる。だが、真実から逃げて「脱原発!」と無策で叫んでいたら状況は好転するんですか?小林よしのりも櫻井よしこも勝間和代も無知すぎる。我々は甘い嘘よりもつらい現実に目を向けるべきだ。現時点で「再生可能エネルギー(風力・太陽光など)」では原発分の3割のキャパはカバー出来ない。将来の地熱発電やメタンハイドレードや新潟県沖の未知の石油など「将来のエネルギー開発」を急ぎながら、私だって嫌だが原発を廃炉にしていきながら「(日本経済に深刻な悪影響のある)計画停電」を回避していきましょう。甘い嘘や夢では食べていけない。我々は現実的な行動と思想で行動しよう。団塊の世代の「安保闘争」みたいな集団ヒステリーではなく、現実的に行動しようよ。悪戯に恐怖心を煽る前にもっと勉強しろ。このままでは日本の中小零細企業は電気関連でバタバタつぶれるぞ。もっと皆にはコンストラクティブな議論をして欲しい。集団ヒステリーでお祭りデモに参加してる人達を説得して下さい。2012年6月8日、野田首相は「原発を再稼働しないと日本がたちゆかなくなる」と会見。大飯原発を16日に再稼働し、夏期間限定ではない、と表明した。正論だね。大飯原発3,4号機の再稼働を橋下大阪市長は「ピーク時の3か月限定」というが賛成できません。ひとつは原子炉の安全性というのは、飛行機が離陸時と着陸時がリスクが高いのと同じに、原発は稼働時と停止時が高いリスクのタイミングだからです。一度稼働して定常状態になればリスクは高くありません。もうひとつは再び福島第一原発事故のような津波や地震が来ても、大飯原発は大丈夫で問題ないということです。これは専門家も証明しています。但し、今の事故調や民主党政権(というより財務省内閣)が原発を再び稼働させるのは橋下さんでなくとも疑問が残るでしょう。規制庁だの事故調だの「今更」です。あの3・11から1か月の「無政府状態」の方がむしろ事故被害より「国家として恐怖の国」なのです。事故調は管直人前首相、枝野経産相、海江田万里・元経済産業大臣を国会で証人喚問しました。またしらばっくれています。自分には罪がない、だの、知らなかった、だの。政治家も官僚もいつもそれです。だから私は嫌いなんです。政府は原発15%路線で検討だそうです。また東電がいよいよ完全国有化ですね。数兆円という損害賠償も税金で負担です。また東電新社長に広瀬直己氏(59歳・常務)です。2012年4月26日旧ソ連(ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故から26年目ですね。東京湾北部地震での予想死者数は9700人だそうです。また東電会長に下河辺(しもこうべ)和彦・運営委員会委員長(64)=弁護士が就任だそうです。天下りの馬鹿どもはどんどんリストラしてくださいね。福井の大飯原発再稼働です。まずはよかった。原発が稼働しなければ火力発電に原発の30%分が特価したままとなり電力不足電気料金値上げですから。脱原発の過激派のひとたちももう少し頭つかおうね。2012年4月から放射線セシウムの新基準が決定されました。肉・魚・野菜・米100ベクレル、水10ベクレル、乳児用食品牛乳50ベクレルです。放射線暫定基準は500ベクレルから100ベクレルになった訳です。まあ100ベクレルでも健康に悪くはないし安全なのですが、「集団ヒステリー」ですね。生協は肉・野菜を50ベクレル、水牛乳を10ベクレル魚50ベクレル乳児用食品4ベクレルお菓子4ベクレルにしています。「集団ヒステリー」になって「ベクレル・デフレ」になるのが危険。一般的に国際基準は1000ベクレルなのだから。親ばかで「安全なものを子供に食べさせたい」も危険です。人間はそんなに簡単には死なない。自然界には常に40ベクレルは浮遊している。何も食べないわけにはいかない。出荷停止は24種類だ。昔からスリーマイルやチェルノブイリでICRP(国際自然保護委員会)では370ベクレルを国際基準としている。チェルノブイリと基準を日本は踏襲するべき。だが、とにかく福島の原発事故での集団アレルギーで、原発近くの産地食糧を食べたくないが国民の38%もいるという。とくにいえるのは食品の放射線濃度の検査費の高騰がもろに食品にくるということ。問題は3つ。1つ機械が足りない(高精度測定器1台2000万円・改修費700万円(2トン)維持費500万円)千葉県2機、福島10機。2つは時間がかかる。3つは数が多い(主要4産地、その他32産地)。「集団ヒステリー」は高くつくということだ。
南海トラフ(駿河湾から九州沖の浅い海溝)での巨大地震での予想津波は20メートル超と試算しました。どこに逃げればいいのでしょうか?また福島産コメは100ベクレル超で廃棄。あと驚いたのですが福島県民全員に補償する(浜通り40万円、中通り20万円、会津10万円)。新潟県の柏崎刈羽第一原発6号機が停止し、残りは北海道の泊原発3号機1機だけになった(泊原発も4月で停止)。「帰還困難」の慰謝料が600万円、「居住制限」の慰謝料は240万円と決まりました。 3・11「東日本大震災」から1年である。福島第一原発事故後、原発はゴキブリのように嫌われ、すべての発電は火力に特価した。私緑川鷲羽わしゅうも原発にかわる電力をいろいろ考えてみた。そこでアイスランドのような地熱発電ではないか、という結論に至ったのである。日本には火山・温泉も多く、アイスランドと似ている。勿論地熱発電には反対意見もある。①初期費用が高い(1回のボーリングで1億円)②温泉が涸れるのではないか?という不安③国立公園内であること。だが、仮に日本のすべての地熱を発電に使うと原発20基分だ。サトウキビ、海藻、ミドリムシなどからのバイオエタノール(開発中)、また日本海には天然ガスが凍ったメタンハイドレードが100年分ある。しかし、すべては未来でのこと。が、原発を蠅のように嫌うなら以上の発電しかない。原発がダメなら地熱・バイオエタノールだ。政府は東電の全役員に辞任を要求しました。また放射能汚染は深刻ですね。除染には2014年3月までかかるそうです。それだけ汚染は深刻だ、ということですね。①汚泥(おでい)は東京下水だけで160トン・13都県6万9000t。②家庭用ごみ7県で1万5400トンです。焼いても沸騰させても放射性セシウムは減らないからたまるのです。今は原発から放射能汚染物質はでていません。国は8000ベクレル以下は埋め立ててもかまわないという方針です。が、また子持ちの母親の涙のプロパガンダで反対され「埋め立て」は進んでません。ちなみに1ベクレルは0.0001ミリシーベルトです。ごみを分担するから「絆」ではなく東北地方にゴミ処理場や電力施設をつくって復興を図るべきです。東京電力は政府から9808億円の大借金をして、「2011年度の賠償金」を払いかえしていく予定です。政府は福島第一原発事故の「廃炉」まで30年かかると明らかにしました。やっぱりね。復興債の償還は25年間だという。また福島第一原発の2号機が一時臨界になり微量のキセノン(放射性物質)が検出されたという。震災で転校が2万5025人で7割が福島であるという。2011年3月11日の東日本大震災では義援金が3245億円が集まったが1109億円が渡っていない。義援金は税金ではないので政治家や官僚が配っている訳ではないのです。それぞれ国レベルの配分委員会(堀田力会長、プール金363億円)で被災者・原発避難者(避難地区認定住民のみ)・家が半壊または全壊したひと(家が壊れない被災地は☓)に渡される訳です。国単位の委員会から県単位の配分委員会(プール金403億円)にいき市町村単位の委員会(プール金343億円)から被災者に渡る。一家族に110万円から51万円くらい。募金では税金ではないので救えないのです。困っているひとの「一息」のためが義援金です。 9・11米国同時多発テロ事件から10年、東日本大震災から半年。米国ではアルカイダによる米国国内のテロの信ぴょう性の高い情報があるという。何も起こらないといいね。ただ、言っておくが我々が戦っているのはアルカイダなどのテロリスト集団でイスラム教徒ではない。9・11に歴史的必然などない。「脱原発」はテロリストレベルだと思います。3年間原発を一切使わなければ日本の産業はどうなりますか?一部の人は(1)世界唯一の被爆国日本こそ「核なき世界」を(2)再生可能エネルギーを国家戦略とすべき、と思っている。子供を抱えた母親の涙でプロパガンダですか?何度も言うが「原発の30%」は太陽光発電システムや風力発電ではカバー出来ない。結局火力に特価して電力料金値上げ電力不足で産業空洞化です。アメリカの国債が「Aaa(トリプルエー)」から「Aa+(ダブルエープラス)」に格下げになった。世界同時株安です。ですが米国が2013年までゼロ金利政策を続けると政策を発表して、世界同時株安は一服です。東証359円安、株価9300円割れです。心配していた「二番底」ですか?ここでは原子力発電と核兵器について述べます。「東日本大震災」復興財源と節電策。123号機はやはり炉心融解でした。浜岡原発停止「支持」は66%「原発全廃」は12%です。1号機の二重扉を開放し作業員が建家内部で作業しましたね。政府は30年以内にM8クラスで87%で起こるとされる東海大地震の対応として、静岡の中部電力浜岡原発の4号機5号機や全炉の停止(3670万KW)を決定した。(1号機2号機は廃炉、3号機は検査調整中)東北山形秋田新幹線全線開通。政府は「東北自動車道」の無料化です。原発賠償「交通費・宿泊費」「放射能検査料」「失業保証」「家畜の保証」「健康被害賠償」「計画停電」は何だったのですか?「計画停電」で信号や照明、店、工場がとまり経済観光をズタズタにしたのは明らかな「人災」です。消費者物価指数が下落したのも「人災」。政府はもっとちゃんとした判断をしてほしい。阿呆なら阿呆なりに「余計なこと」をしないで欲しい。クーラーは高いというがガスや灯油のほうが安くすむようになった。電気の冷暖房の方がお得。自粛は☓。お金はつかったほうが被災地の為になる。消費すると消費税と被災地の復興需要になる。56万人も宿泊場キャンセルだ。2ヶ月から6ヶ月間はステップ①準備作業、放射線量の測定方法検討。ステップ②冷却・放出の抑制、土地・家屋の計測・除染。現在2ヶ月の住宅などの建築期限を最長8ヶ月延長し、各地の農家を集約して、対規模化。東北地方を「食糧保管地区」へ。政府が土地を買いあげて高台に開発はコストが高いがやらねばならぬ。地震保険の支払が1854億円、東電の賠償金は8.3兆円だといいます。まあ、電気料金値上げと国からの公的資金導入でしょうね。原発から20Km圏内が「警戒地域」に指定されました。「警戒地域」とは罰金罰則があり、10万円以下もしくは拘束ですね。「震災復興賠償機構」が設立です。死者の9割が水死で、被災3県の60歳以上65%の死者もそういう老人であったそうです。汚染水の移送も開始されました。原発の炉心内部にロボットを搭載し、炉心内部が1時間あたり65mSv(ミリsh-ベルト)であると検知した。岩手県の地震と津波で壊滅した300Kmは「災害危険地域」に指定、政府も「原子力政策」を再検討するそうです。東電の石田顧問が辞任しました。半世紀にのぼる「天下り」の批判を受けてのことです。東電や原子力保安委員は放射線抑制まで6ヶ月から9ヶ月かかると発表しました。これで年内避難解除は困難になりました。2011年4月15日千葉県浦安にあり「液状化」の被害を受けていた東京ディズニーランドが一ヶ月ぶりで再開された。東北地方の宿泊施設では風評被害で39万人(うち6割外国人)ものひとがキャンセルしたといいます。気象庁は数ベクレルの放射線ヨウ素131が標高20mから500mで検出されたと発表した。こうなると浪江町や飯舘村は「安全です」とは言いにくい状態ですね。だが、原発から30Km内の500ミリシーベルト(mSv)とは1年間浴び続けて1万人に1人が癌になる、という程度です。過剰反応は駄目です。落ち着いて。あと「東日本大震災」という名称が外国人に混乱を与えています。「東日本大震災…日本の東側全部被災したのか?」というのです。名称変更がベストです。「復興構想会議」の五百旗頭真議長は「復興税」を提案してますね。なお「「義援金」「支援金」「寄附金」の違いは?」ですが「義援金」は被災者に直接渡る金で、「支援金」はボランティア活動の財源や支援物資や治療費などで、「寄附金」とはその都道府県の被災地のインフラやライフラインの復興やメンテナンスに遣われるお金です。義援金は大体「日本赤十字社」や「国連WFP協会」によって集められ被災地役所の「義援金配分委員会」に行き、そこから市町村役場→個人口座(あるいは直接支給)です。とにかく「罹(り)災証明」が必要なんですが、家や証明書すべて津波で流されて「本人確認」が出来ないというので「罹災証明」なしでも支給しようと決まりました。死者・行方不明35万円、家屋全焼全壊1戸35万円、半壊18万円、原発被害1戸100万円で、被害総額は25兆円になりそうです。第一次補正予算(5月)には4兆円だす(子ども手当なしに、高速道路無料化なしに、予算削減、年金半分税負担なしに)。増税は確かにすぐ出る金ではありません。法案を通すまででません。ですが900兆円も借金があるのにまた「赤字国債」ですか?日本国債の暴落の危険があり私は反対です。復興国債(2年から10年で元本返済(普通の国債は60年で元本返済ルール))しかないですね。その際「日銀」が買っては駄目。金融機関でないと。「復興税」というか被災地以外で10年間限定消費税2%(40兆円)増税です。また原発ですが今は更なる「水素爆発」を防ごうと「窒素」を炉心内部に注入しているところです。だが、ストロンチウムという放射線まで検知されました。ストロンチウムはカルシウムのように人骨に浸透する放射線です。チェルノブイリ事故では放射能汚染は10日間で520テラベクレル、福島第一原子力発電所事故では一ヶ月で63テラベクレルです。風向きによりあらたに福島県川俣町、飯舘村、南相馬市、田村町にも避難指示であるという。ちなみに「避難地区」は法的拘束力がない。「警戒地域」なら法的拘束力があり罰金もある。「電力ピークの夏が危ないなら4月5月6月に電気を貯めていればいいのでは?」は「電気」は貯められないのです。乾電池も「電気を貯めているのではなく元素反応で発電している」だけです。大きな乾電池が「発電所」という訳です。1987年7月24日の「大東京都心部大停電」の二の舞は避けたい。震災から1ヶ月以上過ぎればこんどは「心のケア」だ。欝、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、不眠、悪夢、生活やお金、病気…まだまだこれからだ。ボランティアさんは「自己完結型」で被災地にいってください。食料も水もテント、車、被災民に迷惑にならないで「お役に立つ」仕事をしてください。2000万トンの瓦礫を分別・撤去・処分するのに最低でも5年はかかるそうです。瓦礫処理代は3000億円、道路・港湾整備に1.3兆円です。トモダチ作戦には68億円かかったそうです。ちなみに「余震はいつまで続くの?」という質問ですが、何十年と弱まりながら続きます。震度0という微弱な地震が阪神淡路大震災の神戸地方ではまだ余震があるという。マスコミの広報でおなじみになったメガネの中年のおじさん・西山秀彦さんは経済産業省でTPPに関して担当していた方です。前任者の中村氏、根井(ねい)氏は専門家でしたが、専門的過ぎて説明がわからないと移動になりました。現在原発の処理班は257名です。東京電力社員207人、関連会社社員50名で免震重要棟というところでパンやレトルト食品を食べながら通路に雑魚寝して頑張っています。「原発はいつ終結するの?」は、せいぜい10年から20年です。ですが、日本の技術力は災害後わずか6日間で870Kmもの寸断された道路を復旧させたことです。それというのも「災害対応対策協定」というのをゼネコンや中小土木業者と協定を結んでいたからに他なりません。また「品薄」ですが確かに「納豆」「ヨーグルト」「牛乳」「ペットボトル水」「ビデオテープ」「紙おむつ」がないですが、「買い占め」というよりは容器の石油原料が足りないのと「計画停電」のせいです。教育の遅れも深刻です。震災孤児は阪神淡路大震災の64人を上回る150人以上だそうですね。政府は農作物・コメの作付け制限を実施、「原発事故での放射能汚染には賠償金を払う」と決めました。東京電力は当分の間「計画停電」を実施しない予定です。福島第一原子力発電所事故が長期戦となるとして20キロ圏の住民の一時帰宅在を政府が認めました。海水の放射性ヨウ素の濃度が通常の14万倍で、震災転校は1万1000人、一時補正4兆円、支援額1兆円だそうです。日米軍による「オペレーション・トモダチ(トモダチ作戦)」が終了しました。これから2、3ヶ月はボランティアさんが大勢きて「瓦礫の撤去」「掃除」「遺体捜索」「ペットの世話」などマンパワーが必要だが1年、3年となってくると「心のケア」「生活相談」「うつ病」「不眠」「PTSD」「猛暑」など精神科医や主婦やケア・マネージャー、ボランティア・コーディネーターが必要になる。ちなみにですが「4号機はメルトダウンしてないの?」は、4号機は地震津波時に休炉中で炉心に燃料棒そのものがない為、(使用済み核燃料棒以外では)危険が少ないということです。メルトダウンでプルトニウムや放射性ヨウ素・放射線セシウムが検知されたということは、「炉心の下」か「配管」か「サプレッション・プール」かにヒビがはいっていて漏れ出しているのですね。今、「集中環境室」に低濃度放射能汚染水が溜まっていて、高濃度放射能汚染水を入れたい為に海に仕方なく放出したのです。「苦悩の内陸部避難」が始まりました。宮城南三陸町、岩手県・宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市などの避難民が内陸部に「集団避難」しました。今、汚染水が直接海に流れている状態でした。ピット(電源ケーブル収納施設)に亀裂があり1000mSv/hの放射性ヨウ素が出ていました。一回コンクリートで固めて亀裂を埋めようとしたが失敗、高分子ポリマーという水をジェル状にするものを注入し、その後コンクリートを注入しましたが失敗。2011年4月6日早朝、2号機のピット(立て杭)から海に漏れていた高濃度放射能汚染水が、水ガラスという物質を注入したことにより海への流出が止まりました。これは一端の朗報です。 「大規模停電」を防ぐ為の「計画停電」は愚策である。しかも「計画停電」は栃木や埼玉、静岡という「田舎」ばかり…。

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東日本大震災 5原発10基再稼働申請「能天気な脱原発お祭り集団ヒステリー」の危険

2013年07月09日 06時21分25秒 | 日記
「東日本大震災」 
 
5原発10基が再稼働申請です。5原発とは北海道電力の北海道の泊原発、東京電力の新潟県の柏崎刈羽原発、関西電力の福井県の高浜原発、、四国電力の愛媛県の伊方原発、九州電力の佐賀県の玄海原発、九州電力の鹿児島県の川内原発です。まあ、福島の原発事故で感情論がいりまじり、地元知事は「脱原発」で胸を張る傾向にあります。集団ヒステリーは醜悪ですね(何故「脱原発は危険か?」は後述)。福井県敦賀(するが)原発が活断層の上にあるとして廃炉が決まりそうです。まあ、あの福島原発事故の経験と教訓からすれば当然ですね。「脱原発」「原発はテロだ」などと官邸前でいささかヒステリックにデモをしなくても、政治家も有識者も「原発再稼働」など言えない雰囲気です。殺されるといえば大袈裟ですがそんな雰囲気です。でもメタンハイドレードやシェールガス、新潟県沖の未知の油田(しかも100年分!)と日本近海の海底には資源があります。日本には資源がない、など嘘なのです。
大規模災害対策 「大規模災害復興法」を4月上旬にも閣議決定。震災復興 避難生活者 約31万5000人。避難者対策 居住者向け放射線量の安全指針づくりに着手。太陽光発電 再生可能エネルギーの価格政策を見直し。発電燃料 火力発電の燃料価格が高止まり。電力問題 今夏も節電要請の方針。
 政府は大災害時の対応を迅速にするため、大規模災害復興法を4月上旬にも閣議決定し、今国会に提出する方針を明らかにしました。今後、想定される南海トラフ巨大地震や首都直下地震に備える考えです。
 つまり、地方自治体を超えて直接政府が指示をしていくということです。
 東日本大震災の際には、当時の菅首相が直接現地に乗り込んで指揮しようとしましたが、結局そういう制度がなかったために機能せずに終わってしまいました。
 大規模災害の際には、都道府県間、県・市区町村間のコーディネートなどもあるので、政府が全責任を追って対応するのは極めて重要なことだと思います。東日本大震災から2年を経て、仮設住宅などで避難生活を送る人はなお約31万、福島第1原子力発電所事故の影響で福島県から県外へ避難した人は5万7135人にのぼります。この事実から見れば、2年間にわたって日本はある意味において無政府状態だったと言わざるを得ないでしょう。
 私は震災の一週間後には復興計画案を発表しました。高台移住の提案、津波プレインの制定も含め、福島第1原発から5キロ圏内の居住できない旨をいち早く通達し、人生の計画を早めに立て直せるようにすべきだと述べました。いち早くこうした計画を立てて責任を持って実行するのが政府の役目だと思います。関東大震災のときは、短期間で対策案をまとめたと言います。当時よりも、日本の復興対策ブレーンの力は衰えたと言われても仕方ないでしょう。また未だに30万人の仮設住宅居住者がいるという異常事態に何とも感じていないことにも、私は驚いてしまいます。日銀人事やアベノミクスも大切かもしれませんが、その前に優先すべき事項があるということを自民党にも改めて認識してほしいと思います。
 自民党は避難者対策として居住者向け放射線量の安全指針づくりに着手したそうですが、これは早急に進めて欲しいところです。現在は長期的な除染目標の「年間積算線量1ミリシーベルト以下」を参考値としていますが、これは厳しすぎます。もっと現実に合わせた安全指針を策定し、一刻も早く帰ることが出来る人に戻ってもらえるようにするべきだと思います。
 政府は太陽光発電の急拡大を支えてきた再生可能エネルギーの価格政策を見直すとのことで、買い取り価格を2013年度から約1割下げる案を決定しました。当時の民主党政権が一部の業界に煽られて、20年間の固定買取制度を決めてしまったのですが、明らかに勇み足でした。かつてドイツやスペインでも20年間の固定買取を決定したことがありましたが、最近になって価格を下げる方向で修正をしています。再生可能エネルギーの買取価格を高いままで固定していたら、おそらくゆがんだエネルギーミクスになるでしょう。太陽光、風力によって得られるエネルギーは気まぐれの要素が強く、それを貯めておくためのバッテリーをどう用意するのか?といった問題も解決されていません。さらに太陽光発電についてはあまりに高価格で買取価格を固定してしまったため、参入業者が増えすぎて困っている状況です。この程度の展開を予想することさえできなかったのは残念です。
 自民党は一刻も早く是正してほしいと思います。また再生可能エネルギーに固執する必要はなく、他のエネルギーについてもしっかりと検討することが大切です。例えば、火力発電に使う液化天然ガス(LNG)や重油の価格が高止まりしています。LNGのスポット価格は東日本大震災前に比べ9割上昇し、重油も6%上がっています。原子力発電所が相次いで停止したのに加え、中国や南米など新興国で発電燃料の需要が拡大しているためということもあります。もっとも、そもそも再生可能エネルギーの価格が高すぎるというのが問題なのです。
 2013.03.11号のBusinessweek誌でも記事になっていましたが、再生可能エネルギーの価格が高止まりしているのに対し、化石燃料の価格は下がってきています。二酸化炭素の排出という問題はありますが、カナダのように政府が負担を増やして対処するなど、方法を模索することはできるでしょう。特に石炭火力の発電コストは原子力に匹敵するほど低価格です(原子力:8.9、石炭火力:9.5、LNG火力:10.7、石油火力:36、それぞれ円/1キロワット時当たり、2010年の価格)から、これを利用しない手はないと思います。
 日本は歴史的に石炭に対するアレルギーがあります。世界的には発電量に占める石炭の割合は約40%ですが、日本は30%弱に過ぎません。中国は約80%、韓国、米国、ドイツも40%を超えています。日本は意識的に石炭を避けて比較的クリーンなLNGに傾いていましたが、ここに来て価格は高止まりしています。確かに石炭には二酸化炭素の問題がありますが、最先端の技術を利用することで、排出される二酸化炭素をクリーンなものに変えることも可能な時代になりつつあります。夏の電力需給のため東京電力が石炭火力発電所を新設する計画に、環境省が反対の姿勢を示していましたが、先日自民党によってひっくり返されました。自民党は民主党に比べて現実的な判断を下したと言えるでしょう。 盲目的に「再生可能エネルギーが良い」と考えるのではなく、様々な可能性を検討していくべきだと私は思います。(大前研一先生談2013年3月22日)
2011年3月11日未曽有の被害をもたらした「東日本大震災」があり、2013年3月11日で2年、遺族には3回忌ですね。死者1万5881人行方不明者2668人。復興は進んでいない。ちなみに復旧は「もとの状態に戻す事」復興とは「再び盛んにする事」ですよね。復旧(道路100%鉄道92%電気96%都市ガス86%)ライフラインは復旧しましたが復興はまだまだ先です。大震災直後には避難民は45万人いましたが、現在(2013年3月時点)は31万5196人(仮設住宅に約11万人、民間の賃貸住宅に約15万人、親戚・知人などの家に約1万5000人)といいます。今は一か所「避難所」が埼玉県加須市にあり、福島県双葉町民139人が暮らしになられています。でも町つくり自体これから。「復興住宅整備に着手しようとしているのが27%」「集団移転に国交大臣の同意が82%」「かさ上げの計画決定が66%」です。いいですか?集団移転とか復興住宅とか出来たのではなく「計画中」な訳です。復興予算は5年間で25兆円(安倍内閣、道路整備・下水道・仮設住宅・瓦礫処理→今年度末(2013年)まで17.5兆円)。お金はどこからもってくるか?まあ政府の歳出削減で14.5兆円、国債20兆円、増税10.5兆円(所得税・年間16000円×25年間=7.5兆円)(法人税・年間10%×3年間=2.4兆円)(住民税・年間1000円×10年=0.6兆円)です。ですが復興予算の流用が2兆円もあるという。簡単に説明すると「海外青年団交流費に75億円」「反捕鯨団体対策費(宮城県石巻市にクジラ工場があるから)に23億円」「核融合エネルギー開発に29億円」「沖縄の国道整備費に34億円」という。(復興費の)お金が遣えないのは「予算が遣いきれない」からで、被災3県の繰り越し予算は「岩手県2062億円・入札率15%」「宮城県4592億円・入札率38%」「福島県3300億円・入札率24%」という。入札率とは建設業者の入札率のことで人材不足や資材不足などで工事関係者のコストが高くなっていて、儲かるどころか赤字になっているらしいです。まあ、大工や道路工事にしても「技術職」ですから。原発の今を学びましょう。確かに福島第一原発の修復工事の詳細はテレビでもあまりやらないし、2012年12月には野田元首相が「事故そのものは収束した」と宣言しました。だが、とんでもない。安倍首相の2013年2月の「とても収束と言える状態ではない」という言葉こそ真相であろう。一日3000人が原発処理作業に当たっている。行程としては燃料棒取り出し(5年以内)→冠水(10年以内)→燃料取出し(25年以内)→廃炉(40年以内)という。また汚染水も1日に400t(小学校プール1つ分)でる。汚染瓦礫や燃料棒や汚染水の最終処理場は決まってもいない。原発避難者は11万人(「帰宅困難区域・今後5年以上帰宅困難・年間放射能50mシーベルト超」「居住制限区域・数年間居住難しい・年間放射能20mシーベルト超から50mシーベルト以下」「避難指示解除準備区域・近い将来帰宅可能・年間放射能20mシーベルト以下」)です。ホースによる原発炉心への放水はもうやってなくて、とにかく核燃料を冷やすということで水をとにかく循環させている。被災地は悲惨だが、原発事故はもっと悲惨である。「子供の為にも原発は今年で全部廃炉!」という集団ヒステリーもわからないではない。現実離れしている主張ですがね。
弘前被ばく医療研究所は2013年1月11日、福島第一原発による放射性ヨウ素による甲状腺被ばく量は、推定で最大4.6ミリシーベルトだったと発表しました。IAEAはもっと低く、健康への影響は小さいという。比較的早いタイミングで調査を行っており、放射性ヨウ素とセシウムの比較を見てセシウムの量から逆算して当時の放射性ヨウ素の被ばく量を計算したものです。誤った被ばく量やデマゴーグ的数値で恐怖心を煽るのはやめて欲しい。そんなに恐れるほどの数値でもないし、除染作業も進捗している。また原子力規制委員会が原発の「第二制御室の必要性」に拘泥している。が、福島第一原発にも「第二制御室」があったが津波でやられたのだ。それほど必要ではないが作るならお金をあまりかけず作ることだ。それにしても原子力規制委員会は「鳥なき里の蝙蝠」だ。師匠・大前研一先生ほどの人物がいるのに委員じゃない。これでは片落ちだ。今、原子力発電所が全部停まって火力発電所に99%特化しています。そこで使われるのが天然ガスですがこれはメタンガスのことです。プロパンガスというのは石油から分離する一番軽いもの(①プロパンガス②ガソリン③軽油④中油⑤重油)です。日本に輸入される天然ガスは零下160度で冷やし、1/600の液体にしてLNGタンカー船で運びこみます。非常に高コストです。単純に比較できないのですが、日本LNGは57.3ドル、アメリカのパイプラインは16.7ドルです。ロシアからのパイプライン計画も北方領土問題がネックです。でも、関係ありません。ロシアと日露安全保障条約を結び、シベリア開発、経済連携、天然資源共同開発など「経済連携」を密にすればいい。まずは経済連携でパートナーシップを高める。これだ。アメリカは100年分のシェールガス(頁岩・けつがん・シェール)が発見され「資源輸入国」から「資源輸出国」になりました。日本にはシェールガスはないのですが、メタンハイドレートが200年分日本海底に眠っています。東京電力は2012年12月14日、原子力部門の改革案を発表しました。原子力部門から独立して安全対策を指導、徹底する社内改革組織の設立などを柱に据え、過酷事故につながりかねない「負の連鎖」を断つ組織つくりを考えたそうだ。最終報告は2013年2月という。記者会見の問題点は(1)能力不足(2)知っていたが言えなかった(3)外部から圧力があった、です。45年前に福島第一原発建設時地元住民に「嘘をついていた」と認めた。また原発事故2日目にはメルトダウンしていたが、認めたのは11月後であった。後言いたいのですが活断層=危険=原子炉停止という流れは短絡的過ぎるということ。なら新潟中越沖地震で新潟県の柏崎刈羽の原子力発電所は何故大丈夫だったのか?普通の地震でも激しい地震でも普通は原子炉は安全に停まるんです。福島原発も地震で停止しています。その後の(想定外の)津波で原発全電源が停止して原子炉がメルトダウンしたのです。マスコミはそのことを知っているのに「脱原発派」におもねって報道しません。すべては視聴率、購買率の為なんです。皆さんもっと頭を使ってください。今、「脱原発!」などというのは赤ん坊でもできます。甘い嘘より苦くても大切な現実に目を向けましょうよ。原子力規制員会は活断層があるとして敦賀原発を廃炉にするという可能性を示しました。そんなこといっていたら日本中の原発は全部廃炉になりますよ。しっかりしてください。東電は福島に復興本拠地を4000人体制で設置すると決定。賠償も現地権限をもつという。日本海などにメタンハイドレート群が見つかりました。網走沖、秋田山形新潟沖、隠岐周辺沖にかなりの量のメタンハイドレート(メタンガスが凍ったもの)があるという。原発にかわる代価エネルギーとして期待大ですね。よかったですね。小林よしのり著作「ゴーマニズム宣言スペシャル 脱原発論」小学館刊行「読書感想文」フリージャーナリスト緑川鷲羽わしゅう。まず私が主張したいのは私は「原子力ムラ」の人間ではなく、「利権」とも無縁であるということ。マンガチックな「原発ブラボー再稼働」でもないということ。そして小林よしのり氏の本を読んで、「首相官邸の前で集団ヒステリーでお祭りデモに参加している連中と同じだ」という感想だ。確かに福島原発事故や乳飲み子の母や赤ん坊が泣いている映像を観たら誰だって「脱原発」になるのが人情だ。しかし、したり顔で「脱原発」を主張するなど赤ん坊でも出来る事なんだよ。小林氏は「一時的に電力が足りなくなって企業が出ていく?その程度の企業なら外国にどうぞ」という。現実がわかっていない。電力不足が「一時的」な訳ないだろう。企業は漫画家とは違う。1円2円の円高、電力料金で中小零細企業(全体の99%)は採算をとっている。そんな企業が中国やベトナム、インド、ミャンマーに出ていけば二度と帰って来ない。深刻な失業率になるだろう。漫画家の替りなど幾らでもいるが、職場の替りはない。また小林氏は「自分が9歳の頃(1956代)には原発はおろか火鉢しかなかった。大学生の頃漫画家デビューしたが(1970年代)、九州ではまだ原発はなくても幸せであった」という。現代エネルギー革命や、産業イノベーションがわかっていない。氏が学生や幼かった頃にはなかったスパコン、コンピュータやハイテク家電、スマートフォン、高品質テレビ、(節電)家電、クーラー…なにより電気がなければ水道の水さえ流れない。そういう基本的な事がわかっていない。悪戯に原発の危険や人々の恐怖心を煽り「原発は安全じゃない」と断罪する。これでは農家の恐怖心ばかり煽る農協と同じではないか。絶対に安全なものなどこの世に存在しない。車も飛行機もバスも全部「危険」であろう。何より太陽光や風力といういわゆる「再生可能エネルギー」が電力の1%であり、原発分はいままで30%であり、その分がすべて火力に特化しているから(電力の約99%)「電力不足」「電力料金値上げ」があるのであって、火力発電のエネルギー源の価格高騰に触れられていない。今「円高」であるので石油やガスの値段は高くない。だが、石油・ガスの価格高騰は続いている。価格高騰問題に触れられていないのは違和感がある。原発分の30%のキャパシティを太陽光・風力ではカバー出来ないのだ。それが現実だ。小林氏はあまりに感情に流され、プラグマティズムやコンストラクティブな思考を怠っている。只の「お涙頂戴」の「感情論」に騙されて、したい顔で「脱原発」では救われない。4号機の核燃料棒プールの危機など、政府も関係者も皆知っている。プロパガンダで原子力発電とオウム真理教を結び付けて描いているが、原子力を再稼働したり原発を廃炉にしながら新エネルギー開発(メタンハイドレード、シェールガス、地熱発電、新潟沖の未知の石油)していくのが「ヒトラー」(笑)だとでもいいたいのか?TPP交渉は「ナチス」(笑)か?私も政府の「冷温停止状態」「安全宣言」など信じていない。3・11の事故後すぐ私は「メルトダウン」もしくは「メルトスルー」していると思っていたのだ。だが「危険だ、危険だ」といっていても仕方ない。小林氏は「安全だというならお前が福島に住んでみろ!」という。私は福島ではないがすぐ近くの米沢(福島市郡山市のすぐ隣り)に住んでいるが健康だ。氏のいう「原発の代替案」が太陽光や風力では「お先真っ暗」だ。むしろ大事なのは「脱原発」と「原発再稼働」を二極化しないことだ。原発を求めている人々すべて賄賂をもらっているとか、右翼と決めつける氏こそ「左翼」になった「元・右翼」である。どっちみち福島原発事故で「新規原発開発」も「既存の原発再稼働」も殆どムリで、30年後には自然と「脱原発」になる。原発は全部停まるのだ。私だって将来的には「脱原発」の人間だ。氏の漫画は「感情論」であり「結果論」である。事故を観て恐怖を感じ、集団ヒステリー集団アレルギー、感情論を「プロパガンダ漫画」で描いているに過ぎない。こんなものでまともな代替案もなく、したり顔で「脱原発」を叫ぶなど、まさに「団塊の世代の安保闘争」「集団ヒステリーお祭りデモ」だ。マンガチックであり、主張が「子供」である。本書は一読の価値は確かにある。だが、氏がオウムテロの時のように脅迫に晒されているのは甚だ不幸ではあるが、こんなひとがジャーナリストの仲間とは、日本も甚だ「呑気な国」である。                
2012年10月1日青森県下北半島の大間原発(Jパワー)の再建設が始まりました。集団ヒステリーの「脱原発」ポピュリスト達はまた反発しています。が、Jパワーの会長は「原則40年稼働させたい」と現実的思考です。こういう現実がわかるひとの台頭は喜ばしい限りです。2012年9月27日「指定廃棄物(核のゴミ)」最終処理場が千葉県・宮城県・群馬県・栃木県・茨城県に決まりました。2012年9月20日「原子力規制委員会」が発足です。委員長・田中俊一氏。経団連など財界は「原発2030年代ゼロ」に反対していて、米倉氏が政府戦略会議辞職です。まあ、現実が見えている人々には当たり前の意見ですね。理由は後述しています。政府はとうとう「30年代原発ゼロ」を決定してしまいました。まさにポピュリズム(大衆迎合)です。でも閣議決定は見送りであるという。経済界からのはんぱつのおかげですよ。現実が見えない人たち(脱原発論者)には困ったものです。政府エネルギー戦略会議は「核燃料サイクルを維持」する方針を固め、もんじゅを研究炉にし、30年代に原発ゼロも併記するといいます。「2030年原発ゼロ」目標が、世論の圧力で明文化された。青森県の三村知事が、核燃料サイクル堅持を要望しています。国民の7割が脱原発をしたり顔で主張し、古川国家戦略担当大臣を枝野経済産業大臣も「脱原発」を決めてしまいたいといいます。やめて欲しいのはあと数か月後にはなくなる民主党政権に今後数十年続くエネルギー政策を付け焼刃で決めてほしくないということです。脱原発をし、原発をゼロにすると三十年後には核燃料再生が不要になります。青森県は結果として「核燃料永久貯蔵地」になってしまいます。青森県は「中間貯蔵地」であり「永久貯蔵地」という話になると話は違ってくると思います。事故調(福島原発事故調査委員会)のレポートは本質を突いていない。事故とは物理的な原因が起こり、波紋のように広がるものです。管首相(当時)や斑目委員長(当時)や枝野官房長官(当時)が悪かったうんぬんの前に物理的な自証を考えるべきです。「もう少しいい人材と英雄や天才的人物がいれば事故は防げた」とは思いません。全電源が地震や津波で喪失したら原子炉は冷やせないし、核は暴走する。どんな天才がいようが事故は(遅らせることは出来たかもしれないが)発生したと思います。設計上の問題であり、人材・組織の問題ではないからです。事故調のレポートは「犯人捜し」で、「脱原発論者」は「ポピュリスト(大衆迎合主義者)」だと私は断言します。理由は後述します。南海トラフの巨大地震被害想定は死者32人、浸水1015平方キロでそうです。10分以内の避難で14万人減、100%耐震化で3万人減です。備えあれば憂いなし、ということですか。全国の工業団地に万単位のメガソーラー計画があるそうです。だが、どんなに太陽光パネルを張り巡らせても原発分の3割は無理なんですよ。現在の技術では。だから単純にしたり顔で無策で「脱原発!」と声高に叫んでも集団ヒステリーだ、というんですよ。原発の将来を考える国民会議並びに国家エネルギー戦略会議は「1930年代前半に原発ゼロに」との結果になりました。東京電力福島第一原子力発電所事故の原因などを政府の事故調査・検証委員会は2012年7月23日最終報告書をまとめ、野田首相に提出した。被害が拡大した根源的問題として「東電も国も安全神話にとらわれていた」と指摘。危機管理対策の練り直しを促したとのこと。我が師・大前研一先生は政府と国双方のレポートを読み「率直に言ってどちらも役に立たないな」といいます。原因は津波?なら福島第二原発や東海第二原発は何故大丈夫であったのか?違いは「外部電源」です。福島第一原発は地震で外部電源がやられ、さらに津波で非常用電源もやられてメルトダウンしたのです。「外部電源」さえ無事なら大丈夫なんです。また「活断層の傍に原発あるから危険…脱原発!」というのには私は与しません。なら新潟の地震のとき柏崎刈羽原発は何故大丈夫だったのか?「脱原発デモ」など改革でも革命でも何でもない。くだらん「集団ヒステリー」でしかない。「再生可能エネルギー(太陽光・風力)」で原発分の30%のキャパはカバーできない。「集団ヒステリーデモ」などやめるべきだ。変なガキが「(nhkクロ現で「脱原発デモ」を取り上げることで)デモがないとかいっていたおっさんも黙るな」と悪口を書き込んでいた。私緑川鷲羽わしゅうは「デモがない」などといっていない。原子力規制委員会で委員長として田中俊一氏が内定しました。田中氏は放射線物理の専門家です。が、私は残念です。我が師・大前研一先生こそ委員長・規制庁長官にふさわしいと思っていたからです。福島第一原発の事故調査委員会で電力会社(東電)と民主党(官邸)・政府・当局が地震、津波対策を先送りしたことを「事故の根本的原因」と指摘し「自然災害ではなく人災」と断定しました。我が師・大前研一先生は「人災は一致するが、其のうえで「交流電源が長期的な損失を前提にしなくていい」という事故調のスタンスに問題があった」といいます。それに事故調は原子炉の分析を行っていません。原子炉内部にはいれない、ということで関係者1000人からアンケートをとり分厚い調査書を作成しただけ。こんなもの馬鹿馬鹿しい週刊誌やワイドショーと同じです。「外部電源」に触れられてないが「外部電源」が損失すれば3・11と同じことになります。再生可能エネルギー20年20%買い取りですが今は再生可能エネルギーのほうが値段が高く誰も買いません。夜間の電力料金引き下げも再生可能エネルギー20年20%も原発フル稼働しないと無理です。このままヒステリーで「脱原発」ムードでは日本の自殺です。皆さん目を覚ましてください。原発と原爆は違います。皆さんは誰かと同じでいい、皆脱原発というし、みたいな、「団塊世代の安保闘争」みたいな馬鹿はやめて目覚めてください。2012年7月5日に国会事故調が報告書を完成。述べ1167人に調査して、「東電・保安院の怠惰」否定せず、とした。地震・津波が起因ではあるが「人災」だ、という。2012年7月1日から再生可能エネルギー(太陽光、風力、地熱、バイオマス)の買い取り法案が実施されましたね。誰が買うのか?政府か?電気会社か?株式会社か?いいえ、国民です。国民が電力料金に上乗せして払うのです。今まで再生可能エネルギーは1Kwh=10円くらいで採算がとれず普及しませんでした。それが太陽光(10円→42円)風力(10円→23円)地熱(時価→27円)となり値上げ分は国民が払います。最初は84円負担ですが国が再生可能エネルギーを30%にすれば月に800円から2300円の値上げになります。電気は税のようなもので選べないし、電気がなければ生活できません。基本的なことですが「再生可能エネルギー」が「原発分の30%」をつくれるか?ですがつくれないんです、今現在は。まあ、携帯電話みたいなものです。最初の20年前の携帯電話はカバンくらいおおきかった。それがいまや掌に隠れるほど小さくなり、且つ高性能になりました。再生可能エネルギーも同じようにイノベーションで大きく成長分野としては有望です。だが、今はまだ原子力程のキャパは無理なんです。福島第一原発事故で、日本国内では「原発の建設は危ない」と思いがちです。が、日本の原子炉建設メーカーである日立や三菱重工や東芝らは優秀です。世界でも日本勢に匹敵しているのはフランスのアレヴァ社くらいです。この市場に対しては韓国や中国も虎視眈々と参入を狙っています。しかし、日本勢の足元にも及びません。東芝・米ウエスチングハウス連合の原子炉である「AP1000」は、仮に福島原発事故と同じになっても最後まで自力で冷却できる設計であるそうです。今は原子炉建設は被害感情もあって難しい。だが、20年から30年後再生可能エネルギーに限界がきたとき原発が見直されると思います。また反原発脱原発ムードを創ったのはマスコミです。過剰報道をするから「脱原発デモ」などが起こるのです。脱原発のデモ(作家・大江健三郎・音楽家・坂本龍一呼びかけ)で代々木公園で10万人のデモがありました。いっとくが原発と原爆は全然違う。プロパガンダ(大衆操作)にいいからってリンクさせるな。私緑川鷲羽の立場はけして「原発ブラボー再稼働」などの漫画チックなバカげた考えの立場ではありません。私も「将来的には「脱原発」」という立場なんです。私が言いたいのは福島の原発事故や乳飲み子の母親と赤ん坊の涙をみれば誰だって「脱原発」の考えになるし、それが人情でしょう。が、只したり顔で「脱原発」と声高に叫ぶのなんて赤ん坊でもできる事なんですよ。大飯原発は再稼働したが、依然として原発分の3割の電力は火力発電に特化したまま。このままなら電力不足、電気料金高騰…最悪な事態が日本の産業に壁として立ちはだかります。それでもいい。何が何でも「脱原発」というなら地獄に行ってください。どんなに悲惨な日本経済になるか。勿論福島原発があんなことになって「新規原発開発」も「既存原発再稼働」も無理だし、拒絶反応もわかる。だが、真実から逃げて「脱原発!」と無策で叫んでいたら状況は好転するんですか?小林よしのりも櫻井よしこも勝間和代も無知すぎる。我々は甘い嘘よりもつらい現実に目を向けるべきだ。現時点で「再生可能エネルギー(風力・太陽光など)」では原発分の3割のキャパはカバー出来ない。将来の地熱発電やメタンハイドレードや新潟県沖の未知の石油など「将来のエネルギー開発」を急ぎながら、私だって嫌だが原発を廃炉にしていきながら「(日本経済に深刻な悪影響のある)計画停電」を回避していきましょう。甘い嘘や夢では食べていけない。我々は現実的な行動と思想で行動しよう。団塊の世代の「安保闘争」みたいな集団ヒステリーではなく、現実的に行動しようよ。悪戯に恐怖心を煽る前にもっと勉強しろ。このままでは日本の中小零細企業は電気関連でバタバタつぶれるぞ。もっと皆にはコンストラクティブな議論をして欲しい。集団ヒステリーでお祭りデモに参加してる人達を説得して下さい。2012年6月8日、野田首相は「原発を再稼働しないと日本がたちゆかなくなる」と会見。大飯原発を16日に再稼働し、夏期間限定ではない、と表明した。正論だね。大飯原発3,4号機の再稼働を橋下大阪市長は「ピーク時の3か月限定」というが賛成できません。ひとつは原子炉の安全性というのは、飛行機が離陸時と着陸時がリスクが高いのと同じに、原発は稼働時と停止時が高いリスクのタイミングだからです。一度稼働して定常状態になればリスクは高くありません。もうひとつは再び福島第一原発事故のような津波や地震が来ても、大飯原発は大丈夫で問題ないということです。これは専門家も証明しています。但し、今の事故調や民主党政権(というより財務省内閣)が原発を再び稼働させるのは橋下さんでなくとも疑問が残るでしょう。規制庁だの事故調だの「今更」です。あの3・11から1か月の「無政府状態」の方がむしろ事故被害より「国家として恐怖の国」なのです。事故調は管直人前首相、枝野経産相、海江田万里・元経済産業大臣を国会で証人喚問しました。またしらばっくれています。自分には罪がない、だの、知らなかった、だの。政治家も官僚もいつもそれです。だから私は嫌いなんです。政府は原発15%路線で検討だそうです。また東電がいよいよ完全国有化ですね。数兆円という損害賠償も税金で負担です。また東電新社長に広瀬直己氏(59歳・常務)です。2012年4月26日旧ソ連(ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故から26年目ですね。東京湾北部地震での予想死者数は9700人だそうです。また東電会長に下河辺(しもこうべ)和彦・運営委員会委員長(64)=弁護士が就任だそうです。天下りの馬鹿どもはどんどんリストラしてくださいね。福井の大飯原発再稼働です。まずはよかった。原発が稼働しなければ火力発電に原発の30%分が特価したままとなり電力不足電気料金値上げですから。脱原発の過激派のひとたちももう少し頭つかおうね。2012年4月から放射線セシウムの新基準が決定されました。肉・魚・野菜・米100ベクレル、水10ベクレル、乳児用食品牛乳50ベクレルです。放射線暫定基準は500ベクレルから100ベクレルになった訳です。まあ100ベクレルでも健康に悪くはないし安全なのですが、「集団ヒステリー」ですね。生協は肉・野菜を50ベクレル、水牛乳を10ベクレル魚50ベクレル乳児用食品4ベクレルお菓子4ベクレルにしています。「集団ヒステリー」になって「ベクレル・デフレ」になるのが危険。一般的に国際基準は1000ベクレルなのだから。親ばかで「安全なものを子供に食べさせたい」も危険です。人間はそんなに簡単には死なない。自然界には常に40ベクレルは浮遊している。何も食べないわけにはいかない。出荷停止は24種類だ。昔からスリーマイルやチェルノブイリでICRP(国際自然保護委員会)では370ベクレルを国際基準としている。チェルノブイリと基準を日本は踏襲するべき。だが、とにかく福島の原発事故での集団アレルギーで、原発近くの産地食糧を食べたくないが国民の38%もいるという。とくにいえるのは食品の放射線濃度の検査費の高騰がもろに食品にくるということ。問題は3つ。1つ機械が足りない(高精度測定器1台2000万円・改修費700万円(2トン)維持費500万円)千葉県2機、福島10機。2つは時間がかかる。3つは数が多い(主要4産地、その他32産地)。「集団ヒステリー」は高くつくということだ。
南海トラフ(駿河湾から九州沖の浅い海溝)での巨大地震での予想津波は20メートル超と試算しました。どこに逃げればいいのでしょうか?また福島産コメは100ベクレル超で廃棄。あと驚いたのですが福島県民全員に補償する(浜通り40万円、中通り20万円、会津10万円)。新潟県の柏崎刈羽第一原発6号機が停止し、残りは北海道の泊原発3号機1機だけになった(泊原発も4月で停止)。「帰還困難」の慰謝料が600万円、「居住制限」の慰謝料は240万円と決まりました。 3・11「東日本大震災」から1年である。福島第一原発事故後、原発はゴキブリのように嫌われ、すべての発電は火力に特価した。私緑川鷲羽わしゅうも原発にかわる電力をいろいろ考えてみた。そこでアイスランドのような地熱発電ではないか、という結論に至ったのである。日本には火山・温泉も多く、アイスランドと似ている。勿論地熱発電には反対意見もある。①初期費用が高い(1回のボーリングで1億円)②温泉が涸れるのではないか?という不安③国立公園内であること。だが、仮に日本のすべての地熱を発電に使うと原発20基分だ。サトウキビ、海藻、ミドリムシなどからのバイオエタノール(開発中)、また日本海には天然ガスが凍ったメタンハイドレードが100年分ある。しかし、すべては未来でのこと。が、原発を蠅のように嫌うなら以上の発電しかない。原発がダメなら地熱・バイオエタノールだ。政府は東電の全役員に辞任を要求しました。また放射能汚染は深刻ですね。除染には2014年3月までかかるそうです。それだけ汚染は深刻だ、ということですね。①汚泥(おでい)は東京下水だけで160トン・13都県6万9000t。②家庭用ごみ7県で1万5400トンです。焼いても沸騰させても放射性セシウムは減らないからたまるのです。今は原発から放射能汚染物質はでていません。国は8000ベクレル以下は埋め立ててもかまわないという方針です。が、また子持ちの母親の涙のプロパガンダで反対され「埋め立て」は進んでません。ちなみに1ベクレルは0.0001ミリシーベルトです。ごみを分担するから「絆」ではなく東北地方にゴミ処理場や電力施設をつくって復興を図るべきです。東京電力は政府から9808億円の大借金をして、「2011年度の賠償金」を払いかえしていく予定です。政府は福島第一原発事故の「廃炉」まで30年かかると明らかにしました。やっぱりね。復興債の償還は25年間だという。また福島第一原発の2号機が一時臨界になり微量のキセノン(放射性物質)が検出されたという。震災で転校が2万5025人で7割が福島であるという。2011年3月11日の東日本大震災では義援金が3245億円が集まったが1109億円が渡っていない。義援金は税金ではないので政治家や官僚が配っている訳ではないのです。それぞれ国レベルの配分委員会(堀田力会長、プール金363億円)で被災者・原発避難者(避難地区認定住民のみ)・家が半壊または全壊したひと(家が壊れない被災地は☓)に渡される訳です。国単位の委員会から県単位の配分委員会(プール金403億円)にいき市町村単位の委員会(プール金343億円)から被災者に渡る。一家族に110万円から51万円くらい。募金では税金ではないので救えないのです。困っているひとの「一息」のためが義援金です。 9・11米国同時多発テロ事件から10年、東日本大震災から半年。米国ではアルカイダによる米国国内のテロの信ぴょう性の高い情報があるという。何も起こらないといいね。ただ、言っておくが我々が戦っているのはアルカイダなどのテロリスト集団でイスラム教徒ではない。9・11に歴史的必然などない。「脱原発」はテロリストレベルだと思います。3年間原発を一切使わなければ日本の産業はどうなりますか?一部の人は(1)世界唯一の被爆国日本こそ「核なき世界」を(2)再生可能エネルギーを国家戦略とすべき、と思っている。子供を抱えた母親の涙でプロパガンダですか?何度も言うが「原発の30%」は太陽光発電システムや風力発電ではカバー出来ない。結局火力に特価して電力料金値上げ電力不足で産業空洞化です。アメリカの国債が「Aaa(トリプルエー)」から「Aa+(ダブルエープラス)」に格下げになった。世界同時株安です。ですが米国が2013年までゼロ金利政策を続けると政策を発表して、世界同時株安は一服です。東証359円安、株価9300円割れです。心配していた「二番底」ですか?ここでは原子力発電と核兵器について述べます。「東日本大震災」復興財源と節電策。123号機はやはり炉心融解でした。浜岡原発停止「支持」は66%「原発全廃」は12%です。1号機の二重扉を開放し作業員が建家内部で作業しましたね。政府は30年以内にM8クラスで87%で起こるとされる東海大地震の対応として、静岡の中部電力浜岡原発の4号機5号機や全炉の停止(3670万KW)を決定した。(1号機2号機は廃炉、3号機は検査調整中)東北山形秋田新幹線全線開通。政府は「東北自動車道」の無料化です。原発賠償「交通費・宿泊費」「放射能検査料」「失業保証」「家畜の保証」「健康被害賠償」「計画停電」は何だったのですか?「計画停電」で信号や照明、店、工場がとまり経済観光をズタズタにしたのは明らかな「人災」です。消費者物価指数が下落したのも「人災」。政府はもっとちゃんとした判断をしてほしい。阿呆なら阿呆なりに「余計なこと」をしないで欲しい。クーラーは高いというがガスや灯油のほうが安くすむようになった。電気の冷暖房の方がお得。自粛は☓。お金はつかったほうが被災地の為になる。消費すると消費税と被災地の復興需要になる。56万人も宿泊場キャンセルだ。2ヶ月から6ヶ月間はステップ①準備作業、放射線量の測定方法検討。ステップ②冷却・放出の抑制、土地・家屋の計測・除染。現在2ヶ月の住宅などの建築期限を最長8ヶ月延長し、各地の農家を集約して、対規模化。東北地方を「食糧保管地区」へ。政府が土地を買いあげて高台に開発はコストが高いがやらねばならぬ。地震保険の支払が1854億円、東電の賠償金は8.3兆円だといいます。まあ、電気料金値上げと国からの公的資金導入でしょうね。原発から20Km圏内が「警戒地域」に指定されました。「警戒地域」とは罰金罰則があり、10万円以下もしくは拘束ですね。「震災復興賠償機構」が設立です。死者の9割が水死で、被災3県の60歳以上65%の死者もそういう老人であったそうです。汚染水の移送も開始されました。原発の炉心内部にロボットを搭載し、炉心内部が1時間あたり65mSv(ミリsh-ベルト)であると検知した。岩手県の地震と津波で壊滅した300Kmは「災害危険地域」に指定、政府も「原子力政策」を再検討するそうです。東電の石田顧問が辞任しました。半世紀にのぼる「天下り」の批判を受けてのことです。東電や原子力保安委員は放射線抑制まで6ヶ月から9ヶ月かかると発表しました。これで年内避難解除は困難になりました。2011年4月15日千葉県浦安にあり「液状化」の被害を受けていた東京ディズニーランドが一ヶ月ぶりで再開された。東北地方の宿泊施設では風評被害で39万人(うち6割外国人)ものひとがキャンセルしたといいます。気象庁は数ベクレルの放射線ヨウ素131が標高20mから500mで検出されたと発表した。こうなると浪江町や飯舘村は「安全です」とは言いにくい状態ですね。だが、原発から30Km内の500ミリシーベルト(mSv)とは1年間浴び続けて1万人に1人が癌になる、という程度です。過剰反応は駄目です。落ち着いて。あと「東日本大震災」という名称が外国人に混乱を与えています。「東日本大震災…日本の東側全部被災したのか?」というのです。名称変更がベストです。「復興構想会議」の五百旗頭真議長は「復興税」を提案してますね。なお「「義援金」「支援金」「寄附金」の違いは?」ですが「義援金」は被災者に直接渡る金で、「支援金」はボランティア活動の財源や支援物資や治療費などで、「寄附金」とはその都道府県の被災地のインフラやライフラインの復興やメンテナンスに遣われるお金です。義援金は大体「日本赤十字社」や「国連WFP協会」によって集められ被災地役所の「義援金配分委員会」に行き、そこから市町村役場→個人口座(あるいは直接支給)です。とにかく「罹(り)災証明」が必要なんですが、家や証明書すべて津波で流されて「本人確認」が出来ないというので「罹災証明」なしでも支給しようと決まりました。死者・行方不明35万円、家屋全焼全壊1戸35万円、半壊18万円、原発被害1戸100万円で、被害総額は25兆円になりそうです。第一次補正予算(5月)には4兆円だす(子ども手当なしに、高速道路無料化なしに、予算削減、年金半分税負担なしに)。増税は確かにすぐ出る金ではありません。法案を通すまででません。ですが900兆円も借金があるのにまた「赤字国債」ですか?日本国債の暴落の危険があり私は反対です。復興国債(2年から10年で元本返済(普通の国債は60年で元本返済ルール))しかないですね。その際「日銀」が買っては駄目。金融機関でないと。「復興税」というか被災地以外で10年間限定消費税2%(40兆円)増税です。また原発ですが今は更なる「水素爆発」を防ごうと「窒素」を炉心内部に注入しているところです。だが、ストロンチウムという放射線まで検知されました。ストロンチウムはカルシウムのように人骨に浸透する放射線です。チェルノブイリ事故では放射能汚染は10日間で520テラベクレル、福島第一原子力発電所事故では一ヶ月で63テラベクレルです。風向きによりあらたに福島県川俣町、飯舘村、南相馬市、田村町にも避難指示であるという。ちなみに「避難地区」は法的拘束力がない。「警戒地域」なら法的拘束力があり罰金もある。「電力ピークの夏が危ないなら4月5月6月に電気を貯めていればいいのでは?」は「電気」は貯められないのです。乾電池も「電気を貯めているのではなく元素反応で発電している」だけです。大きな乾電池が「発電所」という訳です。1987年7月24日の「大東京都心部大停電」の二の舞は避けたい。震災から1ヶ月以上過ぎればこんどは「心のケア」だ。欝、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、不眠、悪夢、生活やお金、病気…まだまだこれからだ。ボランティアさんは「自己完結型」で被災地にいってください。食料も水もテント、車、被災民に迷惑にならないで「お役に立つ」仕事をしてください。2000万トンの瓦礫を分別・撤去・処分するのに最低でも5年はかかるそうです。瓦礫処理代は3000億円、道路・港湾整備に1.3兆円です。トモダチ作戦には68億円かかったそうです。ちなみに「余震はいつまで続くの?」という質問ですが、何十年と弱まりながら続きます。震度0という微弱な地震が阪神淡路大震災の神戸地方ではまだ余震があるという。マスコミの広報でおなじみになったメガネの中年のおじさん・西山秀彦さんは経済産業省でTPPに関して担当していた方です。前任者の中村氏、根井(ねい)氏は専門家でしたが、専門的過ぎて説明がわからないと移動になりました。現在原発の処理班は257名です。東京電力社員207人、関連会社社員50名で免震重要棟というところでパンやレトルト食品を食べながら通路に雑魚寝して頑張っています。「原発はいつ終結するの?」は、せいぜい10年から20年です。ですが、日本の技術力は災害後わずか6日間で870Kmもの寸断された道路を復旧させたことです。それというのも「災害対応対策協定」というのをゼネコンや中小土木業者と協定を結んでいたからに他なりません。また「品薄」ですが確かに「納豆」「ヨーグルト」「牛乳」「ペットボトル水」「ビデオテープ」「紙おむつ」がないですが、「買い占め」というよりは容器の石油原料が足りないのと「計画停電」のせいです。教育の遅れも深刻です。震災孤児は阪神淡路大震災の64人を上回る150人以上だそうですね。政府は農作物・コメの作付け制限を実施、「原発事故での放射能汚染には賠償金を払う」と決めました。東京電力は当分の間「計画停電」を実施しない予定です。福島第一原子力発電所事故が長期戦となるとして20キロ圏の住民の一時帰宅在を政府が認めました。海水の放射性ヨウ素の濃度が通常の14万倍で、震災転校は1万1000人、一時補正4兆円、支援額1兆円だそうです。日米軍による「オペレーション・トモダチ(トモダチ作戦)」が終了しました。これから2、3ヶ月はボランティアさんが大勢きて「瓦礫の撤去」「掃除」「遺体捜索」「ペットの世話」などマンパワーが必要だが1年、3年となってくると「心のケア」「生活相談」「うつ病」「不眠」「PTSD」「猛暑」など精神科医や主婦やケア・マネージャー、ボランティア・コーディネーターが必要になる。ちなみにですが「4号機はメルトダウンしてないの?」は、4号機は地震津波時に休炉中で炉心に燃料棒そのものがない為、(使用済み核燃料棒以外では)危険が少ないということです。メルトダウンでプルトニウムや放射性ヨウ素・放射線セシウムが検知されたということは、「炉心の下」か「配管」か「サプレッション・プール」かにヒビがはいっていて漏れ出しているのですね。今、「集中環境室」に低濃度放射能汚染水が溜まっていて、高濃度放射能汚染水を入れたい為に海に仕方なく放出したのです。「苦悩の内陸部避難」が始まりました。宮城南三陸町、岩手県・宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市などの避難民が内陸部に「集団避難」しました。今、汚染水が直接海に流れている状態でした。ピット(電源ケーブル収納施設)に亀裂があり1000mSv/hの放射性ヨウ素が出ていました。一回コンクリートで固めて亀裂を埋めようとしたが失敗、高分子ポリマーという水をジェル状にするものを注入し、その後コンクリートを注入しましたが失敗。2011年4月6日早朝、2号機のピット(立て杭)から海に漏れていた高濃度放射能汚染水が、水ガラスという物質を注入したことにより海への流出が止まりました。これは一端の朗報です。 「大規模停電」を防ぐ為の「計画停電」は愚策である。しかも「計画停電」は栃木や埼玉、静岡という「田舎」ばかり…。「節電」というなら何故「東京26区」はダメなのだ?品川区や新宿区一回「計画停電」で神奈川県全体分ではないか。ならどうすればいいかをこの「プランナー」で「ストラテジスト(戦略家)」のフリージャーナリスト・緑川鷲羽(わしゅう)さんが献策する。まずは①「サマータイム導入」②「夏の高校野球・甲子園の延期(夏ではクーラーとテレビ齧りつきで電力の無駄)」③「電気の無駄使いに罰金(許容量の30%や50%なら無駄使いする度に罰金が重くなる)」④10年間限定で復興財源に消費税2%増税(40兆円)する。⑤地方分権化(道州制)。戦略とは顧客(国民)第一主義でなければならない。なんとか総研とか○○大学教授だの集めるだけ無駄。知恵や策略とはそんな学歴エリートには考えられないものなのだ。が、とうとう策がなくなって低レベルの放射線汚染水を海に「緊急避難で」放出しました。大事なのはメルトダウン(炉心熔解)が1号機2号機3号機ではすでに起こっていて、4号機の使用済み核燃料棒も危険だということ。メルトダウンしたからこそ原発付近で通常の3000倍や4000倍の放射能や「プルトニウム」がトレンチやピット(立て杭)から検出されているのです。1日に600tも冷却の為に放水すれば「満杯」になるのは道理。後、4、5年は放水をやり続けなければならない。10年後くらいで落ち着いたら燃料棒を搬出し、コンクリート漬けにするしかない。

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警察と機動隊の違い「緑川鷲羽の学べるブログ」

2013年07月08日 14時03分58秒 | 日記
日本の警察と海上保安庁(海の警察)
 
「機動隊と警察官は違うのですか?」とコメントがあったのでお答えします。機動隊も警察の一部で全国の警備部の一部です。機動隊の任務は「治安警備・警戒警備・災害警備・雑踏警備(DJポリス)」などで特殊部隊が「銃器対策部」「爆発物処理班」「水難・山岳救助隊」「SAT(100人くらいか?正体も人数も機密で不明・テロ対策ハイジャック対策部隊)」死者を出さず逮捕する部隊で、機動隊は60年安保闘争のときに死者(東大生女性)を出して「あさま山荘事件」で強化された。連合赤軍と名乗る犯人全員逮捕し、その犯人がのちに集団リンチで仲間を大量殺戮していたことがわかる。欧米なら犯人は射殺か後進国なら軍がでてくる。警察の昇進テストの内容は「刑事訴訟法」と「時事問題」である。長崎県西海市の2女性殺害(長崎ストーカー事件)で事件を巡り、千葉県警習志野署がストーカー被害届を先送りして慰安旅行にいっていた事件で警察側は「(慰安旅行優先は)捜査解決に影響があった」と認めた。隠避は否定。本部長ら32人を処分注意勧告した。2010年6月に就任したばかりの大林宏検察総長が一連の事件の責任をとり辞任です。後任は笠間治雄東京局検察長です。2010年11月23日、北朝鮮が韓国に砲撃した「朝鮮有事」のとき国家公安長官の岡崎トミ子氏が登庁しなかったという。このひとは警察のトップで、北朝鮮工作員などが国内でテロ行為を警戒するために指令を発しなければならない立場だ。どういう神経をしたおばさんなのか?多分、何も考えていないのだろう。仙谷官房長官は自衛隊を「暴力装置」というし、この内閣どうなっているの?まずは検察について紹介します。「検察官、裁判官、弁護士」になるには司法試験を合格する必要があります。日本ではよく「法曹三者と呼ばれるのは裁判官(3611人)、検察官(2667人)、弁護士(2万8891人)」です。ちなみにですが検察官はバッチをしていますが弁護士のひまわりではなく、秋霜烈日章という星型バッチです。検察組織はうえから「最高検察庁」、「高等検察庁(全国8箇所)」、「地方検察庁(全国50箇所)」、「区検察庁(全国438箇所)」です。また小室やホリエモン事件のときにきいた「検察庁特捜部」ですが「東京、名古屋、大阪」の「地方検察庁」にしかありません。特捜部は上から、特捜部長、副部長、主任検事、検事、事務官、という組織です。また保釈金はどんな悪いやつでも金払えば保釈できるの?という質問ですが、殺人事件犯人などは駄目です。また保釈とは逃亡しない、証拠隠滅の恐れはない被告になり、保釈金はそのひとの資産次第で値段も違うのです。保釈の条件は①住所確定②必ず出頭③事件関係者にあわない④1泊以上の宿泊や海外旅行は駄目、などです。保釈金払って過去に逃げたやついる?の質問ですがいます。保釈金の日本の最高額は2004年の牛肉偽装事件の20億円です。「反日デモ」の元となったのが、「日本の領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船にぶつかってきた」といういわゆる「尖閣領海事件」ですが海保は2001年には北朝鮮工作船と銃撃戦をしています。では「海上保安庁」って何ですか?ですが海の警察(Japan Coast Guard)です。海上保安官は1万6000人いて、拳銃を携帯して逮捕権もある国家公務員です。主な海保の活動は①不審船の監視②密輸、密入国を防ぐ③沿岸にある重要施設(原子力発電所などの警備)の警備④違法活動の取り締まり⑤救難活動(潜水士129名、機動救難士48名、特殊救難隊36名)⑥消防活動⑦交通整理⑧環境を守る⑨海洋調査(海図製作)などです。なお海保には年齢制限があって官僚を育てる海上保安大学校が18歳から24歳で全寮制で4年間。普通の海保保安官は海上保安学校で20歳から24歳で全寮制で2年です。だいたいは巡視船に配属されます。巡視船は「海のパトロール船」です。457隻あります。日本最大の巡視船は「しきしま」です。領土から12海里が「領海」(通交自由だが経済活動駄目)、領土から12海里から200海里は「排他的経済水域(いわゆるEEZ)」200海里以上は「公海」です。前代未聞の大事件です。2010年9月21日に大阪地検主任検事の前田恒彦被告(43)が厚生労働省局長であった村木厚子氏の事件(無罪確定)でFDのデータを改ざんしたとして証拠隠滅罪で逮捕されました。また大坪弘道被告、佐賀元明被告らの大阪地検元特捜部長らが「犯人隠避(いんぴ)罪」で逮捕されましたね。これはモラル・ハザードというか検察のクレディビリティ(信憑性)を揺るがす一大事です。また、よく聞かれる質問なのですが、「警視庁と警察庁の違いって何?」ということです。まあ、警視庁は「東京都の警察」で警察庁は「国の行政機関」です。ちなみに警察庁は公務員ですがスーツにネクタイ姿で制服は着ていません。皇宮警察は「天皇や皇族の身辺警護」をするところです。では警視庁はですが、総務部(備品調達)、警務部(捜査や不正)、交通部(駐車違反やひき逃げ)、警備部(要人警護)、地域部(100番)、公安部(テロ対策)、刑事部、生活安全部、組織犯罪取締部(ヤクザや暴力団対策)などに分かれています。
ちなみに刑事部は捜査一課(殺人、強盗、誘拐担当の為プロの目が必要であり、ノンキャリアがなります)、捜査二課は(詐欺、汚職)、捜査三課は(窃盗対策で、これもプロの目を持つノンキャリアがなります)。
では警察の階級を説明します。ピラミッド形でひらが「巡査」(「巡査長は巡査のリーダー」)→「巡査部長」→「警部補」→「警部」→「警視」→「警視正」→「警視長」→「警視監」→「警視総監」です。その上に「警察庁長官」がありますが「職務」であり、警察官僚のトップは「警視総監」です。
では「キャリアとノンキャリアって何?」という質問はいわゆる「キャリア組」は東大法学部の生徒でも難しい「国家公務員Ⅰ種試験」(年41人)を合格したエリートで、「準キャリア組」とは「国家公務員Ⅱ種試験」を合格したひと。「ノンキャリア組(もしくはノンキャリ)」はその他の高卒とか試験に合格しないひとです。警察用語でホシは「犯人」、レツは「共犯」、ニンチャクは「人相と着衣」、サンズイは「汚職」、ショクシツは「職務質問」です。

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2013年nhk大河ドラマ「八重の桜」主演・綾瀬はるか主演あらすじと配役

2013年07月01日 04時20分25秒 | 日記
大河ドラマ(2013年)「八重の桜」

企画・製作[編集]
当初はまったく別の作品を計画していたものの、2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生したことを受け、NHK内部で東北復興を支援する内容にすべきだとの意見が上がり方針を転換。福島県会津出身で、同志社を創設した新島襄の妻となった八重の生涯を描いた作品となることが公式発表以前にマスメディアを通して明らかにされていた[1]。
同年6月22日に制作発表が行われた。この発表では同時に主演俳優も発表され、大河ドラマ初出演となる綾瀬はるかが起用されることになった[2]。
クランクインは2012年9月9日。舞台となる福島県会津地方でのロケーション撮影から開始され、9月13日には鶴ヶ城において出演者による記者会見が行われた。
あらすじ[編集]

この節の加筆が望まれています。
1865年、アメリカでは南北戦争が終結。不要となった武器の多くが日本へもたらされることとなる。そして明治元年(1868年)、それらを装備した新政府軍の攻撃にさらされる会津若松城の中に最新式のスペンサー銃を手に抗戦する一人の女性がいた。山本八重、後の新島八重である。
時は遡って幕末、諸外国からの開国要求が高まり、日本国内は開国派、攘夷派などの思想の違いによる分断が起きようとしていた。この時代の転換期に、会津藩の砲術師範の家に生を受けた八重は、藩軍備の洋式化を目指す兄・覚馬や、その友である洋学者・川崎尚之助らの側で、会津そして日本の変化を感じていた。
幕末の争乱により治安が悪化する京都警護のため藩主・松平容保が京都守護職に指命され、徳川将軍家への忠義を尽くさんと、会津は藩を挙げて倒幕派追討への動きに加わることとなる。それは後にいわれる「会津の悲劇」の序章であった。
登場人物[編集]
主人公とその一族[編集]
主人公とそのパートナー[編集]
川崎八重(かわさき やえ)
(山本八重 → 川崎八重)
演:綾瀬はるか(幼少期:鈴木梨央)
主人公。会津藩砲術師範・山本家の長女。米俵を軽く持ち上げるほどの腕力の持ち主で、性格は自由奔放かつ男勝り。
幼い頃から砲術に興味があり、父・権八に反対されながらも、いつか鉄砲を扱うことを夢見ていた。やがて成長し、兄・覚馬から銃の手ほどきを受け技能を伸ばし、新式銃の開発にも携わるようになる。覚馬の勧めもあり、川崎尚之助と夫婦の契りを結んだ。
川崎尚之助(かわさき しょうのすけ)
演:長谷川博己
洋学者。元出石藩士。
江戸の象山塾で覚馬と知り合い、共に学ぶ。覚馬の人柄に惚れ込み、彼が設立する蘭学所に誘われて会津を訪れ、そのまま山本家の居候となって八重、覚馬と共に新式銃の開発を行う。藩への仕官が叶えば兵制改革がより一層進むと考えた覚馬から八重との縁談を勧められ、葛藤の末に承諾して八重と夫婦となる。
その後、働きが認められて会津藩への仕官が叶い、京都の情勢の変化から会津が戦火に巻き込まれる可能性を予測し、覚馬の計画を元にして防衛策を練る。
山本家とその関係者[編集]
山本覚馬(やまもと かくま)
演:西島秀俊
八重の兄。会津藩士。
文武両道に秀で、藩命で江戸に留学して佐久間象山の門下で学ぶ。帰藩後は八重の熱意に折れて彼女に鉄砲の手解きをする一方で藩軍備の洋式化を目指すが、藩の保守的な気風に阻まれ、重役を批判して禁足処分を受けるが、西郷頼母の尽力で処分を解かれ、兵制改革の担当者に登用される。藩主・松平容保と共に上洛し京都の治安維持に当たり、禁門の変でも活躍するが、白そこひを患い、銃調達のために赴いた長崎で医師から失明宣告を受けた。
山本佐久(やまもと さく)
演:風吹ジュン
八重の母。山本権八の妻。
山本権八(やまもと ごんぱち)
演:松重豊
八重の父。会津藩砲術師範。
八重の砲術の才能を認めながらも、女子が砲術を学んでも活かす場が無いことから、八重が砲術を学ぶことには頑なに反対した。
山本うら(やまもと うら)
演:長谷川京子
覚馬の妻。会津藩勘定方・樋口家の娘。
林権助の仲人で覚馬に嫁ぐ。従順で控えめな性格だが気が強く、嫁いだ当初は自由奔放な八重とそりが合わなかった。第一子を妊娠中に攘夷派の浪人に襲われた覚馬を庇ったことがもとで流産してしまうが、その後、長女・みねを出産する。
山本三郎(やまもと さぶろう)
演:工藤阿須加(少年期:村山謙太 / 幼年期:山崎智史)
八重の弟。
兵制改革を訴える兄や、新式銃の開発に苦心する姉たちの力になりたいと権平に内緒で佐川官兵衛の部隊(別撰組)への入隊を志願し、その忠義の志は佐川も認めていたが、「死なせるには忍びない」と若年を理由に断られている。その後、江戸に留学する。
鳥羽•伏見の戦いでは、目を患い戦線を離れた兄に代わって奉公したいと果敢に敵陣に攻め入ろうとするが、銃撃を受け死亡する。
山本みね(やまもと みね)
演:池田沙弥花(乳児期:中山香楽(第6回) / 谷川夢歩(第7回)[3] / 幼児期:千葉理紗子[3] / 幼少期:豊嶋花)
覚馬とうらの長女。
父親が京都に出仕中で不在の中、母親に厳しく育てられる。
徳造(とくぞう)
演:戸田昌宏
山本家に仕える下男。
お吉(おきち)
演:山野海
山本家に仕える下女。
会津藩[編集]
会津松平家[編集]
松平容保(まつだいら かたもり)
演:綾野剛(幼少時:山下哲平)
会津藩第9代藩主。幼名は之丞(けいのすけ)、官名は肥後守(ひごのかみ)。会津中将とも呼ばれる。
美濃国・高須藩に生まれ、12歳で会津藩主・松平容敬の養子となり、その跡を継ぐ。
幕末情勢の混乱の中、幕府より京都守護職の就任要請を受け、当初は拒むも、藩祖・保科正之より伝わる会津家訓の精神[注 1]を貫かんと、家臣らの強い反対を押し切って就任の決断を下す。
着任当初は言路洞開路線をとって尊攘派との融和を図るが、彼らの真意が倒幕にある事を知ると一転して厳罰主義を採り、藩士や新選組を使って尊攘派を取り締まった。しかし、却って尊攘派の恨みを受け、また都で会津の武名が上がったことから幕府からも疑いの目を向けられる。藩の疲弊を理由として帰国を望み、受け入れられるが、孝明天皇の崩御により帰国は取り止めとされる。王政復古が出されると同時に、御所から追い出され、慶喜の大坂退去に従う。慶喜が挙兵すると、会津藩を率いて挙兵するが鳥羽・伏見の敗戦と共に慶喜が江戸帰国を宣言、当初はこれを受け入れなかったが、御家訓を引き合いに出され、やむなく慶喜に従い、大坂を脱出。官位を剥奪され、朝敵と呼ばれるようになった。さらに追い打ちをかけるように登城を禁じられ、江戸からも追われることになった。
照姫(てるひめ)
(照姫 → 松平照)
演:稲森いずみ
容保の義姉。
文武両道に優れており、その人柄は八重たち会津の女性たちに深く慕われている。
容保に幼い頃から想いを寄せていた。一度は他家に嫁ぐが、離縁されて松平家に戻り、容保夫妻と江戸屋敷に住まうが、後に会津に移る。
松平容敬(まつだいら かたたか)
演:中村梅之助
会津藩第8代藩主。容保、照姫の養父。
容保に対し、「徳川将軍家への忠義を第一に掲げる会津家訓[注 1]に沿って生きるように」と説いた。
敏姫(としひめ)
演:中西美帆
容保の正室。松平容敬の実娘。
疱瘡を患い、照姫に「姉として容保を支えて欲しい」と遺言して世を去る。
松平喜徳(まつだいら のぶのり)
演:嶋田龍
会津松平家第10代当主。容保の養嗣子で徳川慶喜の実弟。幼名は余九麿(よくまろ)。
西郷家[編集]
西郷頼母(さいごう たのも)
演:西田敏行
会津藩家老。
会津に赴いて間もない容保に近くで仕え、会津藩の藩風や仕来りなどを教育した。藩の兵制改革にいち早く賛同し、覚馬を取り立てた。幕府の京都守護職要請に際しては、「藩政が第一である」と藩主・容保を諌めて要請の拒否を強く求め、守護職就任後も速やかな辞職を求め続けたことで容保の不興を買って家老職を解かれ、謹慎を命じられる。
西郷千恵(さいごう ちえ)
演:宮崎美子
頼母の妻。
西郷眉寿(さいごう みす)
演:中島亜梨沙
頼母の妹。
西郷由布(さいごう ゆう)
演:玄里
頼母の妹。
西郷細布(さいごう たえ)
演:田中明
頼母の長女。
西郷瀑布(さいごう たき)
演:豊田留妃
頼母の次女。
西郷律(さいごう りつ)
演:久松夕子
頼母の母。
西郷吉十郎(さいごう きちじゅうろう)
演:関ファイト
頼母の長男。
西郷常磐(さいごう とわ)
演:田嶋絆
頼母の四女。
山川家[編集]
山川大蔵(やまかわ おおくら)
(山川与七郎 → 山川大蔵)
演:玉山鉄二(幼少期:里村洋)
山川家の長男。幼名は与七郎(よしちろう)。
八重とは幼馴染で、密かに想いを寄せていた。父親を早くに亡くし、若くして山川家の当主となる。
京都へ上り、容保の側近として活躍して奏者番に昇進。さらに幕府の外国奉行の供として欧州を回り見聞を広めて帰国する。
山川健次郎(やまかわ けんじろう)
演:勝地涼
大蔵の弟。
山川艶(やまかわ えん)
演:秋吉久美子
大蔵の母。
山川兵衛(やまかわ ひょうえ)
演:山本圭
会津藩元家老。大蔵の祖父。
山川登勢(やまかわ とせ)
(北原登勢 → 山川登勢)
演:白羽ゆり
大蔵の妻。会津藩士・北原匡の娘。
山川咲(やまかわ さき)
演:水原希子(乳児期:大谷美玲[4] / 幼少期:ほの花[5] / 少女期:愛川あおい)
大蔵の五妹。
山川美和(やまかわ みわ)
演:守田菜生(幼少期:酒井彩音[6] / 少女期:澤田汐音[7])
大蔵の次妹。
山川操(やまかわ みさお)
演:竹島由夏(幼少期:川島鈴遥[8])
大蔵の三妹。
山川常盤(やまかわ ときわ)
演:永野芽郁(少女期:信太真妃[9])
大蔵の四妹。
神保家[編集]
神保修理(じんぼ しゅり)
演:斎藤工
会津藩家老・神保内蔵助の息子。
京都では公用方として常に冷静沈着な態度で藩主を補佐し、過熱する主戦派の佐川官兵衛らを鎮めてきた。
鳥羽・伏見の戦いで旧・幕府側が不利と見ると、慶喜に江戸へ帰国するよう進言。その後、総大将の慶喜が江戸へ逃亡すると、批判が集中し、そのまま切腹を命じられた。
神保内蔵助(じんぼ くらのすけ)
演:津嘉山正種
会津藩家老。
田中土佐と共に、大坂の適塾で学んでいた古川春英の帰藩を周旋した。病身のため帰国する横山主税と交代で京都詰めの家老として上洛する。
神保雪(じんぼ ゆき)
(井上雪 → 神保雪)
演:芦名星
修理の妻。会津藩士・井上丘隅の娘。
八重たちとは黒河内道場の同門。祝言を挙げてほどなく、夫は容保に仕えて京都に赴くこととなった。
梶原家[編集]
梶原平馬(かじわら へいま)
演:池内博之
会津藩側用、後に家老。
守護職の容保に従い上洛。薩長の工作による幕府・朝廷内の勢力図の急転に伴い、協議のため江戸へ出立した。
山川二葉(やまかわ ふたば)
(山川二葉 → 梶原二葉)
演:市川実日子(幼少期:愛川あおい[10])
梶原平馬の妻。山川大蔵の姉。
夫に従い京都に滞在し、寅千代を生んだ。
梶原寅千代(かじわら とらちよ)
演:永田龍我[11]
平馬と二葉の間に生まれた長男。
高木家[編集]
高木時尾(たかぎ ときお)
演:貫地谷しほり(幼少期:山岡愛姫)
八重の幼馴染。
幼い頃から大蔵に想いを寄せていたが、想いは伝えられなかった。照姫が会津に帰国すると、彼女の祐筆に選ばれ、鶴ヶ城に奉公に上がる。
高木澄江(たかぎ すみえ)
演:宮下順子
時尾の祖母。
八重や時尾たちに裁縫を教えている。
高木盛之輔(たかぎ もりのすけ)
演:大倉栄人(少年期:首藤勇星)
時尾の弟。
その他の会津藩士[編集]
田中土佐(たなか とさ)
演:佐藤B作
会津藩家老。
守護職の容保に従い上洛した。第二次長州征伐の開戦後、覚馬と修理に大量の洋式銃の調達を命じ、長崎へ派遣した。
林権助(はやし ごんすけ)
演:風間杜夫
会津藩大砲奉行。
覚馬を高く評価しており、江戸への留学生に推挙し、彼の縁談も世話した。頼母と共にいち早く兵制改革に賛同したひとりで、八重の銃の腕前も高く評価している。
鳥羽・伏見の戦いでは、伏見方面の敵と相対するところに布陣。難所ゆえに下がるよう求められたが、「難所と聞けば退かぬのが武門の心得」と断った。前線で指揮して戦うが、敵の銃弾を浴びて、激戦の最中闘死。
佐川官兵衛(さがわ かんべえ)
演:中村獅童
会津藩士。
頼母と並び称されるほど武芸に優れた忠義の士だが、江戸で旗本を斬ったことで謹慎処分を受ける。容保の京都守護職拝命を名誉であると待望していたが、謹慎の身ゆえ京への同行は叶わず、脱藩してまで後を追おうとした。
京の情勢悪化を受けて謹慎を解かれ、藩士の次男以下の子弟で構成された部隊を率いて上洛。「別撰組」の名を与えられ、その隊長となる。着任当初は新選組を「得体の知れない浪人共」と嫌っていたが、斉藤一とは稽古や任務を通じてその腕を認め合う仲となる。事ある毎に容保を振り回す慶喜には不信を抱いており、彼の面前でその不実を責める舞を舞ったこともある。
鳥羽・伏見の戦いでは林権助らと共に出陣する。修理の進言によって慶喜が撤退を決めたことに怒り、強く修理を責める。さらに容保や慶喜の姿がないことを聞いた際は、同様に姿がなかった修理を真っ先に疑った。
横山主税(よこやま ちから)
演:国広富之
会津藩家老。
容保の側近く仕え、京都にも同行。病身を押して勤め、神保内蔵助と入れ替わりで帰国する。病床では、京都での長期戦にあえぐ会津の将来を憂いた。容保から罷免された秋月の身の上を託されていたが、病のため思うように動けず、彼を頼母に託し病死した。
萱野権兵衛(かやの ごんべえ)
演:柳沢慎吾
会津藩家老。
保守的な性分で当初は藩軍備の洋式化にも反対していたが、京都の情勢悪化を受けて洋式化を受け入れ、尚之助に会津防衛策の策定を命じる。
秋月悌次郎(あきづき ていじろう)
演:北村有起哉
会津藩士。
公用方として容保らに先行して京に入る。京では新選組の採用や薩摩藩との連携で手腕を発揮するが、池田屋事件の責任を問われて罷免され、会津に帰国させられる。会津では八重の結婚の際に仲人を務めるが、藩の役目に復帰は叶わず、蝦夷地の代官へと左遷される。
京都の情勢悪化を受けて再び公用人として復帰した。
広沢富次郎(ひろさわ とみじろう)
演:岡田義徳
会津藩士。
公用方として容保らに先行して京に入る。京では公卿や新選組との間を取り持った。
黒河内伝五郎(くろこうち でんごろう)
演:六平直政
会津藩武芸師範。
簗瀬三左衛門(やなせ さんざえもん)
演:山野史人
会津藩家老。
保守的な気質で、覚馬の唱える藩軍備の洋式化に反対した。
古川春英(ふるかわ しゅんえい)
演:小市慢太郎
会津藩士。医師。
覚馬とは古い知人で脱藩して大坂の適塾で学んでいたが、神保内蔵助、田中土佐の取りなしで藩に復帰し、また覚馬の斡旋で日進館蘭学所の教授に就任する。後に長崎でオランダ人医師に師事し医術を修める。
伊東悌次郎(いとう ていじろう)
演:中島広稀(少年期:下地幸多)
会津藩士の子弟。
八重の家の隣に住み、鉄砲を八重から学ぶ。射撃練習の妨げになると、髪の毛を切られたこともある。
竹村幸之進(たけむら こうのしん)
演:東武志
会津藩士。大蔵の友人。
小出鉄之助(こいで てつのすけ)
演:白石朋也(少年期:矢部光祐[12])
会津藩士。大蔵の友人。
内藤介右衛門(ないとう すけえもん)
演:志村東吾
会津藩家老。梶原平馬の実兄。
大庭恭平(おおば きょうへい)
演:山中崇
会津藩士。
京で攘夷派に密偵として潜り込んでいたが、彼らに感化され、足利三代木像梟首事件の実行犯となる。
岡本一蔵(おかもと いちぞう)
演:並樹史朗
会津藩士。
山本家に八重の縁談を持ち込む。
野沢鶏一(のざわ けいいち)
演:小林優斗
会津藩士。覚馬の弟子。
浅羽忠之助(あさば ちゅうのすけ)
演:五十嵐貴裕
容保の小姓頭。
日向内記(ひなた ないき)
演:武智健二
白虎士中二番隊頭。
篠田儀三郎(しのだ ぎさぶろう)
演:今村信也
白虎士中二番隊隊士。
飯沼貞吉(いいぬま さだきち)
演:峯崎雄太
白虎士中二番隊隊士。
井深茂太郎(いぶか しげたろう)
演:秋田卓郎
白虎士中二番隊隊士。
石田和助(いしだ わすけ)
演:讃井優
白虎士中二番隊隊士。
海老名郡治(えびな ぐんじ)
演:ウダタカキ[13]
会津藩の女性たち[編集]
中野竹子(なかの たけこ)
演:黒木メイサ
会津藩勘定役・中野平内の長女。
江戸の育ち。薙刀の名手で、鉄砲を侍の武具として認めていない。また歌にも秀でており、諏方神社に奉納する幟を届けにきた照姫の前に遅参した際、薙刀を稽古していたという偽りなき心を歌で表した[注 2]。
日向ユキ(ひなた ユキ)
演:剛力彩芽
八重の幼馴染。山本家の近所である日向家の娘。
水野テイ(みずの テイ)
演:MEGUMI
会津藩江戸屋敷出入りの能楽師の娘。
中野こう(なかの こう)
演:中村久美
中野竹子の母。
中野優子(なかの ゆうこ)
演:竹富聖花
中野竹子の妹。
滝瀬(たきせ)
演:筒井真理子
照姫の侍女。
岡村すま子(おかむら すまこ)
演:白洲慶子
娘子隊隊士。
依田菊子(よだ きくこ)
演:吉谷彩子
娘子隊隊士。
依田まき子(よだ まきこ)
演:小出ミカ
娘子隊隊士。
松島(まつしま)
演:安田陽子[15]
敏姫の侍女。
久栄(ひさえ) / 綾絵(あやえ)
会津藩士の娘。黒河内道場では八重らと同門。
江戸幕府[編集]
徳川将軍家[編集]
徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
(一橋慶喜 → 徳川慶喜)
演:小泉孝太郎
一橋徳川家当主。徳川斉昭の実子。
将軍・家定の継嗣候補として松平春嶽らに担がれるが、慶福(家茂)派に敗れ、登城停止処分となる。井伊直弼の死後、政界に復帰し将軍後見職となる。聡明な人物だが、情勢によって言動を次々と翻して容保や会津藩を振り回す等、その言動には本心が見えず周囲の評価は芳しくない。
家茂の没後、徳川宗家を相続し長州再征伐の勅命を受けたが、華々しい手柄を上げて将軍職を継いで幕府を根底から改革する為に将軍襲職を拒んでいた。しかし時勢の変化に逆らえず、将軍宣下を受けて15代将軍となる。その翌年、討幕派の攻撃をかわし、徳川家の生き残りを図ろうと大政奉還の建白書を朝廷に提出した。
徳川家定(とくがわ いえさだ)
演:ヨシダ朝
江戸幕府13代将軍。アメリカ総領事・ハリスと引見し、大統領親書を受け取った。
徳川家茂(とくがわ いえもち)
演:葉山奨之
江戸幕府14代将軍。元紀州藩主、前名・慶福(よしとみ)。
第二次長州征伐で上洛を果たすが、脚気に罹り急死した。
幕閣諸侯[編集]
井伊直弼(いい なおすけ)
演:榎木孝明
彦根藩主。大老。官名は掃部頭(かもんのかみ)。
開国問題や将軍継嗣問題で徳川斉昭ら一橋派と対立。大老に就任すると、将軍継嗣に徳川慶福(家茂)を据え、また勅許を得ずに通商条約を締結。安政の大獄を起こして一橋派の諸侯や攘夷派の志士を断罪して恨みを買い、江戸城桜田門外で水戸浪士らによって暗殺された。
生前、容保と親交があり、予め戒名も定めて違勅の条約締結や大獄の罪を一身で背負う覚悟を明かしていた。
阿部正弘(あべ まさひろ)
演:久松信美
老中。
ペリー来航を受けて開国するか否かを諸大名に諮る。
安藤対馬守(あんどう つしまのかみ)
演:倉石功
老中。
久世大和守(くぜ やまとのかみ)
演:津村和幸[16]
老中。
阿部正外(あべ まさとう)
演:佐渡稔
老中。
松平康英(まつだいら やすひで)
老中。
幕臣[編集]
勝海舟(かつ かいしゅう)
(勝麟太郎 → 勝海舟)
演:生瀬勝久
幕臣。名は安芳(やすよし)、通称を麟太郎(りんたろう)、官名は安房守(あわのかみ)。
覚馬や尚之助らと共に象山塾で学び、象山塾の閉鎖後は自身の塾で覚馬らを指導する。アメリカへ派遣される咸臨丸の船長を務める。幕府制度の限界に気づいており、優れた大名の合議によって国のあり方を決める公議政体への転換を目指す。
第二次長州征伐では幕府側不利の状況下で慶喜に説得されて講和の使者となるが、実際は停戦の勅命を引き出すための時間稼ぎに利用される。
榎本武揚(えのもと たけあき)
(榎本釜次郎 → 榎本武揚)
演:山口馬木也
軍艦頭。通称は釜次郎(かまじろう)。
鳥羽・伏見の戦況を知るべく、大坂に停泊。しかし、江戸帰国を決意した慶喜に開陽丸を乗っ取られてしまう。
井戸対馬守(いど つしまのかみ)
演:脇坂奎平(第2回) / 長谷川公彦(第5回)
江戸町奉行。
吉田寅次郎の密航未遂に絡んで佐久間象山を取り調べた。後に安政の大獄に連座した寅次郎も取り調べ、彼に斬首の刑を宣告している。
中村(なかむら)
演:太田雅洋[17]
下田奉行。
大沢(おおさわ)
幕府歩兵第五連隊隊長。
諸藩[編集]
薩摩藩[編集]
西郷吉之助(さいごう きちのすけ)
演:吉川晃司
薩摩藩お庭役。
藩主・島津斉彬に重用され、江戸や京都で政治工作に従事する。
禁門の変では薩摩藩兵を率いて覚馬の危機を救った。第一次長州征伐の参謀に登用されるが、勝海舟に内戦の愚を説かれ、長州藩に恭順を求める穏便な策で事を収める。また勝の公議政体論に影響され、幕府を倒して新体制を作ることを目指して暗躍。薩長同盟を結んで、第二次長州征伐を幕府の敗戦に導き、岩倉具視と組んで朝廷から倒幕の密勅を引き出すことに成功する。徳川慶喜が大政奉還で徳川家の延命を図ると、兵を動かして会津藩を御所から追い出す。
大山弥助(おおやま やすけ)
演:反町隆史
薩摩藩士。西郷吉之助の従弟。
京都の情勢が風雲急を告げる中、薩摩兵1,000を率いて上洛する。
大久保一蔵(おおくぼ いちぞう)
演:徳重聡
薩摩藩士。隠棲中の岩倉具視と通じ倒幕を画策する。
島津斉彬(しまづ なりあきら)
演:林与一
薩摩藩主。
身分にとらわれず下級藩士の西郷を重用し、また国政が譜代大名に独占されている現状を憂い、これを正す人物として一橋慶喜に期待していたが、コレラに罹患して急死した。
大山格之助(おおやま かくのすけ)
演:村上新悟
薩摩藩士。奥羽鎮撫使参謀。
伊地知正治(いぢち まさはる)
演:井上肇
薩摩藩士。奥羽鎮撫使参謀。
中村半次郎
演:三上市朗
薩摩藩士。
高崎佐太郎(たかさき さたろう)
演:浜谷康幸[18]
薩摩藩士。
長州が孝明天皇の攘夷親征を計画していることを秋月に知らせ、会津・薩摩両藩の連携を図る。
村田新八(むらた しんぱち)
薩摩藩士。
薩長同盟締結後、長州藩の伊藤俊輔と共に銃の調達のため、長崎のグラバー邸に赴いていた。
長州藩[編集]
吉田寅次郎(よしだ とらじろう)
演:小栗旬
長州藩士。松陰(しょういん)と号する。
佐久間象山の門下で学ぶ一方で諸国を旅して見聞を広めており、会津を訪れた際には八重とも出会っている。ペリーの黒船に密航を試みて捕えられ、長州での謹慎処分となる。後に過激な攘夷論を唱えるようになり、幕府に捕らえられて処刑されたが、その真意は自分が犠牲になることで国を想う人間を一人でも多く立ち上がらせることだった。
木戸孝允(きど たかよし)
(桂小五郎 → 木戸孝允)
演:及川光博
長州藩士。前名・桂小五郎(かつら こごろう)。
攘夷論者だが、過激な行動をとる久坂らに全面的には賛同しておらず、時に彼らを諌めることもある。
池田屋・蛤御門の危機を辛くも逃げ延びると国元に逃れ、藩の兵制改革を行う。さらに水面下では西郷・大久保らと密約を結び、軍備の拡充に成功する。
世良修蔵(せら しゅうぞう)
演:小沢仁志
長州藩士。奥羽鎮撫使参謀。
久坂玄瑞(くさか げんずい)
演:須賀貴匡
長州藩士。
過激な攘夷論者で三条実美と組んで京で暗躍するが、八月十八日の政変で都を追われる。都の奪還を目指して軍を率いて御所に攻め寄せるが敗れ、桂たちを逃がして自刃した。
吉田稔麿(よしだ としまろ)
演:石川雄亮
長州藩士。
池田屋で新選組に斬殺される。
来島又兵衛(きじま またべえ)
演:関戸将志
長州藩士。
久坂らと軍を率いて御所に攻め寄せるが、蛤御門の戦いで覚馬に狙撃される。
白井小四郎(しらい こしろう)
演:多田広輝
長州藩士。
伊藤俊輔(いとう しゅんすけ)
長州藩士。
薩長同盟締結後、薩摩藩の村田新八と共に銃の調達のため、長崎のグラバー邸に赴いていた。
槇村正直(まきむら まさなお)
演:高嶋政宏
土佐藩[編集]
板垣退助(いたがき たいすけ)
(乾退助 → 板垣退助)
演:加藤雅也
土佐藩士。旧姓・乾(いぬい)。
政局が討幕派に有利に傾く中、討幕派に土佐藩を加えようと西郷に接近する。
後藤象二郎(ごとう しょうじろう)
演:京極圭
土佐藩士。
山内容堂の命を受けて、慶喜や諸藩に大政奉還を周旋する。
山内容堂(やまうち ようどう)
演:田中隆三
前土佐藩主。
小御所会議に参内するが、慶喜が欠席のまま徳川家の処分が決まる過程に不満を持ち、岩倉具視を非難するが、逆に論駁され、最後は西郷の脅しに屈した。
岡田以蔵(おかだ いぞう)
演:尾関伸嗣[19]
土佐藩士。
京において「天誅」と称する数々の暗殺を行う。
坂本龍馬(さかもと りょうま)
演:柾賢志[20]
土佐脱藩浪士。
薩長同盟の場に立ち会う。翌年、京の近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺されたことが乾(板垣)退助に報告される。
二本松藩[編集]
木村銃太郎(きむら じゅうたろう)
演:大地泰仁
二本松藩士。
江戸の江川砲兵塾で学んだ後、二本松に戻り少年らに砲術を指南する。
二階堂衛守(にかいどう えもり)
演:金児憲史
二本松藩士。
銃太郎を補佐し、少年らに砲術を指南する。
成田才次郎(なりた さいじろう)
演:吉井一肇
二本松藩士の少年。八重から砲術上達のためとして願掛けの達磨を手渡された。
岡山篤次郎(おかやま とくじろう)
演:大嶋康太
二本松藩士の少年。
その他の奥羽越の諸藩[編集]
但木土佐(ただき とさ)
演:嵐芳三郎
仙台藩家老。
内藤新一郎(ないとう しんいちろう)
演:木下政治
米沢藩士。
木滑要人(きなめり かなめ)
演:西沢仁太
米沢藩家老。
上杉斉憲(うえすぎ なりのり)
演:倉持一裕
米沢藩主。
伊達慶邦(だて よしくに)
演:天野勝弘
仙台藩主。
河井継之助(かわい つぎのすけ)
演:岡森諦
長岡藩家老。
姉歯武之進(あねは たけのしん)
演:管勇毅
仙台藩士。
遠藤条之助(えんどう じょうのすけ)
演:渡邊修一
福島藩士。
その他の諸侯[編集]
松平春嶽(まつだいら しゅんがく)
演:村上弘明
前越前藩主。
将軍・家定の後継に一橋慶喜を担ぐが、慶福(家茂)が後継と決まると井伊直弼によって隠居謹慎処分となる。容保の京都守護職要請に際しては、会津家訓[注 1]を引き合いに出し、幕府への忠義を強く迫りこれを受諾させた。
家茂薨御の後は、慶喜に将軍家および徳川宗家の継承を強く迫り後者を受諾させたが、長州の処遇を巡って慶喜と対立し、慶喜の不実な対応に怒り袂を分かつこととなった。
小御所会議では、容堂と共に徳川への過酷な処遇は不敵と岩倉に食って掛かった。
徳川斉昭(とくがわ なりあき)
演:伊吹吾郎
前水戸藩主。海防参与。
強硬な攘夷論者で開国派の井伊直弼らと対立する。直弼が無勅許で通商条約を結ぶと息子・慶篤らと押しかけ登城して抗議するが、これを罪に問われて謹慎処分となった。
徳川慶勝(とくがわ よしかつ)
(徳川慶恕 → 徳川慶勝)
演:金子賢
尾張藩主。容保の実兄。前名・慶恕(よしくみ)。
通商条約締結に抗議する為、水戸家の徳川斉昭らと押しかけ登城を行った。
第一次長州征伐が始まると征長大総督に就任する。
徳川慶篤(とくがわ よしあつ)
演:杉浦太陽
水戸藩主。徳川斉昭の息子。
父・斉昭らと通商条約締結に抗議する為の押しかけ登城を行うが、これを罪に問われて処罰された。
松平定敬(まつだいら さだあき)
演:中村隼人
桑名藩主。京都所司代。容保の実弟。
兄と共に幕府への忠義を示すべく、京都の治安を守った。鳥羽・伏見の敗戦後、会津藩と共に朝敵の烙印を押される。
松平茂昭(まつだいら もちあき)
演:斉藤悠
越前藩主。
第一次長州征伐の副総督を務める。
その他の諸藩士[編集]
新島襄(にいじま じょう)
(新島七五三太 → 新島襄)
演:オダギリジョー(少年期:小林海人)
安中藩士・新島民治の子。本名は七五三太(しめた)。
密航を企て、南北戦争直後のアメリカに渡った。
佐久間象山(さくま しょうざん)
演:奥田瑛二
松代藩士。佐久間象山塾の主宰。
西洋の脅威に対抗するために国を開いての国力増強を説き、覚馬や吉田寅次郎ら多くの若者を指導するが、寅次郎の密航を煽った罪に問われ、松代での謹慎処分となる。
後に謹慎を解かれて京都に入り、朝廷に開国を解くと共に天皇の彦根遷座を画策するが、攘夷派の浪士に暗殺される。死後、攘夷派の勢いを恐れた松代藩は「敵に背中を見せた」等の言いがかりに近い理由で佐久間家を取り潰した。
宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)
演:宮内敦士
肥後藩士。
吉田寅次郎の友人で彼と共に会津を訪れ、八重や覚馬と出会っている。
長州藩と組み、京にて尊皇攘夷の活動を行うが、池田屋で新選組の襲撃を受け、追い詰められて自害した。
真木和泉(まき いずみ)
演:嶋田久作
久留米藩士。
長州藩や攘夷派の公家と組んで京都で暗躍するが、八月十八日の政変で都を追われ、長州軍と共に都に攻め入るが、幕府軍に敗れて自害した。
佐久間恪二郎(さくま かくじろう)
演:下江昌也
松代藩士。佐久間象山の息子。
宇津木六之丞(うつぎ ろくのじょう)[21]
彦根藩士。
朝廷[編集]
孝明天皇(こうめいてんのう)
演:市川染五郎
第121代天皇。
容保の誠実な人柄に深い信頼を寄せている。長州と組んだ攘夷派の公卿たちに朝廷の主導権を握られていたが、八月十八日の政変でこれを奪回。その際に容保の忠勤を賞して宸翰と御製を贈る。京都守護の要として容保を頼る一方で彼の苦境も察しており、容保の帰国についても尽力を約束していたが、疱瘡に罹患し急逝した。
岩倉具視(いわくら ともみ)
演:小堺一機
公家。
攘夷派に命を狙われ、洛北・岩倉村に隠棲していたが、倒幕を目指す薩摩藩と手を組んで復権を画策する。
長い謹慎がとかれると、朝議に参内し、「王政復古の大号令」を宣言。小御所会議では容堂や春嶽に食ってかかられたが、これを抑えこんだ。
三条実美(さんじょう さねとみ)
演:篠井英介
攘夷派の公卿。
攘夷派で長州藩と手を組み、国事御用掛の立場を使って偽勅の作成して会津藩を都から追い出そうとするなど、会津に様々な嫌がらせを行うが、八月十八日の政変で京都を追われ、長州に都落ちするが、王政復古と共に復官。
近衛忠煕(このえ ただひろ)
演:若松武史
左大臣。
孝明天皇の側近で、薩摩藩と連携して一橋慶喜の将軍擁立を画策。攘夷派の台頭で朝廷から遠ざけられていたが、八月十八日の政変を機に復帰する。
中川宮(なかがわのみや)
演:小須田康人
皇族。
攘夷派と対立しており、会津・薩摩藩の助力を得て、八月十八日の政変で長州と三条ら攘夷派公卿を追い落とすことに成功する。
二条斉敬(にじょう なりゆき)
演:伊吹剛
佐幕派の公卿。
中山忠能(なかやま ただやす)
演:小川隆市
公卿。睦仁親王の外祖父。
仁和寺宮(にんなじのみや)
演:西海健二郎
皇族。
九条道孝(くじょう みちたか)
演:河原健二
左大臣。奥羽鎮撫使総督。
大原(おおはら)
勅使。
宇郷玄蕃頭(うごう げんばのかみ)
九条家家臣。
岡田以蔵らに暗殺された。
姉小路公知(あねがこうじ きんとも)
尊攘派の公卿。
何者かに暗殺されるが、犯人は薩摩藩士との噂が立ち、薩摩藩は朝廷から遠ざけられた。
睦仁親王(むつひとしんのう)[22]
第122代天皇。
京都の人々[編集]
新選組[編集]
斎藤一(さいとう はじめ)
演:降谷建志
新選組副長助勤。
新選組の中でも有数の剣の使い手でただならぬ殺気を放っているが、無闇な殺生は行わないことを身上としている。別撰組隊長の佐川とは、その腕前を認め合う間柄。
近藤勇(こんどう いさみ)
演:神尾佑
新選組局長。
倒幕派の弾圧にあたり、池田屋切り込みでは隊士を引き連れ、尊攘志士を壊滅させた。
土方歳三(ひじかた としぞう)
演:村上淳
新選組副長。
京都で無聊を託っていた浪士組を会津藩に売り込んだ。
沖田総司(おきた そうじ)
演:鈴木信二
新選組隊士。
池田屋切り込みの際、喀血した。
永倉新八(ながくら しんぱち)
演:水野直
新選組隊士。
近藤らと共に池田屋切り込みにも参加。
藤堂平助(とうどう へいすけ)
演:住吉晃典
新選組隊士。
池田屋切り込みの際、重傷を負う。
尾関雅次郎(おぜき まさじろう)
演:三島亮太
新選組隊士。
市井・浪人など[編集]
大垣屋清八(おおがきや せいはち)
演:松方弘樹
人足口入れ業の会津藩御用総元締。
小田時栄(おだ ときえ)
演:谷村美月
丹波郷士・小田勝太郎の妹。
古高俊太郎(ふるたか しゅんたろう)
演:花城紳一
尊攘派の志士。変名・枡屋喜右衛門(ますや きえもん)を名乗る。
新選組に捕らえられて拷問され、攘夷派の天皇拉致の陰謀を自白した。
半平(はんべい)
演:宮川浩明
佐久間象山の従者。
明石博高(あかし ひろあきら)
演:橋爪遼
会津藩洋学所の生徒。
本間精一郎(ほんま せいいちろう)
越後浪人。
天誅の対象にされ、暗殺された。
文吉(ぶんきち)
京都の目明し。
岡田以蔵らに暗殺された。
坂梨誠二郎(さかなし せいじろう)
忍藩脱藩浪士。
外国人[編集]
アメリカ合衆国[編集]
ペリー
演:スティーブン・アッシュトン
アメリカ東インド艦隊提督。
リンカーン
アメリカ大統領。
ハリス
アメリカ総領事。
大統領親書提出のため、家定との謁見を果たす。
テイラー[23]
アメリカ商船の船長。
長崎の外国人[編集]
カール・レーマン
演:エリック・ボシック[24]
ドイツ人武器商人。
当初は覚馬らに旧式のゲベール銃を売りつけようとし、強引に新式のツュントナーデル銃を求める覚馬の態度を嫌悪していたが、ほどなくその人となりを理解し打ち解け、銃の取引を承諾した。長崎を発つ覚馬に自らのスペンサー銃を信頼と友情の証として贈った。
ルイーズ
レーマンの娘。
ボードウィン
精徳館のオランダ人医師。
長崎に留学中の古川春英に医術を教授する。武器調達のため長崎に赴いた覚馬を診察し、失明宣告をした。
トーマス・ブレーク・グラバー[22]
イギリス人武器商人。
主に西国諸藩と武器の取引をしている。
スタッフ[編集]
• 作:山本むつみ
• テーマ音楽:坂本龍一
• 音楽:中島ノブユキ
• テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
• テーマ音楽指揮:尾高忠明
• 題字:赤松陽構造
• 語り:草笛光子
• タイトルバック:菱川勢一 ほか
• 時代考証:大石学 / 山村竜也
• 建築考証:平井聖
• 衣装考証:小泉清子
• 儀式儀礼考証:佐多芳彦
• 資料提供:野口信一 / 小西雅徳 / 高橋一美 / 北沢栄 / 鈴木崇資 / 野本禎司 / 荒木康彦 / 徳島大学付属図書館
• 殺陣武術指導:林邦史朗
• 舞踊・所作指導:橘芳慧
• 馬術指導:田中光法 / 菅野敦
• 邦楽指導:本條秀太郎
• 砲術指導:佐山二郎
• 茶道指導:鈴木宗卓
• 和歌・芸能指導:友吉鶴心
• 槍術指導:一箭順三
• 流鏑馬指導:小笠原清基
• 書道指導:望月暁云
• 唐人凧指導:会津唐人凧保存会
• ガラス細工指導:篠原裕
• 操船指導:堤明夫
• 民謡指導:森川玄翠
• 医事指導:酒井シヅ / 深瀬泰旦
• 染織指導:箕輪直子
• 和裁指導:上野洋
• 刺繍指導:柿崎清
• 彫刻指導:吉川端慶
• 撮影協力:福島県 / 京都府 / 水天宮 / 福島県会津若松市 / 福島県猪苗代町 / 福島県下郷町 / 千葉県香取市 / 君津市 / 栃木県那須塩原市 / 栃木県那須町 / 山口県萩市 / 神奈川県横須賀市 / ラトビア共和国リガ市 / 千葉県フィルムコミッション / 栃木県フィルムコミッション / 那須フィルムコミッション / いしおかフィルムコミッション / きみつフィルムコミッション / 会津小松獅子保存会 / 会津天寧獅子保存会 / 会津唐人凧保存会 / 会津かるた会 / 宮内庁京都事務所 / 環境省京都御苑管理事務所 / 関西吟詩文化協会
• VFXプロデューサー:結城崇史
• 会津ことば指導:新國弘子 / 河原田ヤスケ / 小暮智美
• 薩摩ことば指導:中村章吾
• 長州ことば指導:一岡裕人
• 土佐ことば指導:岡林桂子
• 肥後ことば指導:前田こうしん
• 京・御所ことば指導:井上裕季子
• 米沢ことば指導:加賀山和香
• 仙台ことば指導:遠藤かおり
• 長岡ことば指導:伊藤富美也
• 英語指導:塩屋孔章
• オランダ語指導:ヨアヒム・ヨンケーレ / リチャード・ヴァン・ローイ
• フランス語指導:杉浦愛力
• 制作統括:内藤愼介
• 演出:加藤拓 / 一木正恵 / 末永創 / 清水拓哉 / 佐々木善春
オープニング映像[編集]
本作のオープニング映像は、中盤部分が各月ごとに変更される[25]。映像には「アートの力で東北を応援する」というコンセプトの下[26]、以下の芸術家(個人およびグループ)が桜をモチーフに「挫折と再生」を表現した[27]作品が使用されている。
• 小野山和代[1](染織工芸家、1月)
• 福光彩子[2](墨絵師、2月)
• WOW[3](映像クリエーター、3月)
• 矢野藍秀[4](藍染め職人、4月)
• 古屋絵菜[5](染色画家、5月)
• 川尾朋子[6](書家、6月)


八重の桜紀行[編集]
• 語り:久保田祐佳
• 作曲 / ピアノ演奏:坂本龍一
• チェロ演奏:藤原真理(第一話 - 第二十四話)
• ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏:フレットワーク(第二十五話)
放送[編集]
通常放送時間[編集]
• NHK総合テレビジョン:日曜日 20時00分 - 20時45分
• NHK BSプレミアム:日曜日 18時00分 - 18時45分
• (再放送)NHK総合テレビジョン:土曜日 13時05分 - 13時50分
 
 

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