緑川鷲羽(改名、上杉(長尾)景虎) 上杉奇兵隊日記「草莽崛起」<上杉松下村塾>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

【2018年度NHK大河ドラマ『西郷どん』】第三話「子どもは国の宝」より

2018年01月21日 19時22分52秒 | 日記




































 2018年度NHK大河ドラマ『西郷どん』第三話「子どもは国の宝」が2018年1月21日放送された。
 いわゆる主なテーマは「お由良(由羅)騒動」「お由良(由羅)崩れ」である。





 西郷吉之助は下僕の熊吉とともに山でイノシシをしとめる。しかし、下級武士の西郷家は貧しい。
祖父も病気、吉之助の弟でのちの西郷従道(信吾少年)も病気である。食う飯さえない。医者代もない。貧しさで困窮する薩摩藩のために東奔西走する吉之助の嘆願書を読むのちの名君・島津斉彬。
西郷家は豪商から百両を借りて、白い飯を食い、一段落するが、この借金は明治維新後まで続いた。
「このままではいかん」斉彬は薩摩藩主の父親・斉興から藩主の座を奪おうと幕府の重臣・阿部正弘に斉興の密貿易や琉球への出兵のとがをかそうとする。だが、薩摩藩の財政を立て直した調所は、すべての罪を自らかぶり毒薬で自決する。怒ったのは斉興である。「斉彬の子供らが次々と死んだのはお由良(由羅)の呪詛(じゅそ・のろい)じゃ」という”斉彬派”の一掃を斉興は命令する。
いわゆる「お由良(由羅)騒動」「お由良(由羅)崩れ」である。
”斉彬派”の家臣達は島流しや斬首されていく。その中には西郷や大久保たちの師匠・赤山先生の名も……。名君・島津斉彬が藩主となる前の騒動であった。この回にはのちの「人斬り半次郎」こと中村半次郎の姿も。薩摩藩に大打撃を与えた「お由良(由羅)騒動」……。西郷どんが斉彬の側近となる前の騒動であった。第四話の「新しき藩主」に続く。西郷どん、まだまだ!
維新の英雄・西郷吉之助(隆盛)よ、きばりんしゃい!!!

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NHKBS番組『文豪ファミリア 家族は見た!父・藤沢周平 元祖イクメンの日々』

2018年01月19日 16時25分48秒 | 日記





























NHKBS番組『文豪ファミリア 家族は見た!父・藤沢周平 元祖イクメンの日々』より。
昭和五十四年(1979年)真夏。小菅展子(こすげ・のぶこ・現在・遠藤展子・夫・遠藤崇寿)は人気大衆時代劇作家・藤沢周平(小菅留治・こすげとめじ)の娘。展子は理髪店で「どうする?展子ちゃん?」「思いっきりカーリーで!」「ふふ。いっちゃう?」「うん!」
カーリーヘアで自宅に戻ってきた愛娘・展子に周平は驚く。「わっ!」
「なんだその髪型は??!!!」「カーリーだよ。今はやってるの。」「すぐに元に戻してきなさい!」「なんで?いまかけてきたばかりなのに。」「明日から田舎に戻るんだ。戻してこい!」時代小説の文豪・藤沢周平(小菅留治)。しかし、こわい父親ではない。愛娘を叱ったのは後にも先にもこの一回だけ。藤沢周平(1927~1997)は歴史小説家で市井の人や下級武士たちをエンターテインメント小説として作品(小説)を次々と出して人気作家の仲間入りを果たしていた。人生の機微(きび)、人の世の哀感(あいかん)を描いた作家です。
父を亡くした下級武士が真実の愛をもとめてさまようことを描いた『蝉しぐれ』。牢獄での医者として働く下級医師の話『立花登青春手控え』(原作・立花登手控え)『清左衛門残日録』(原作・三屋清左衛門残日録)。藤沢周平の作品は何回も映画やドラマになった。
亡くなって二十年以上経つ今も多くの読者に愛される作家です。昭和38年2月、展子生まれる。同じ年の十月、展子を生んだ母親は、展子を生んで八ヶ月後になくなりました。そのために家事や育児も父親の留治の仕事になりました。そう、いまでいうイクメンです。保育園への連絡ノートにも周平の几帳面な文章がならぶ。
イクメンの周平は食事をたどたどしくつくる。その当時、藤沢周平は小説を小説雑誌に投稿していましたが、業界新聞のサラリーマン記者でした。
“片親しかいないというのはとても難しいものだと思います。特に父親などというものはたいてい家事オンチに近いものですから、ずいぶんと見当違いなことをやっているに違いありません。すべて万事そつなくするなどというのは不可能です。気のついたことをやっていくしかありません。”
祖母・たきゑ(たきえ・70才)は山形の田舎から上京し子供の展子をあやしている。しかし、周平の母親(展子さんの祖母)は目も腰も悪く、半分病人であり、留守番くらいしかできない。
「留治!はやぐすねど会社さおぐれっど!(早くしないと会社に遅れるよ)」
「かあちゃん、わがっでるず!今、保育園の連絡ノードかいでるどごだべした」
保育園に暑い中、急ぐ藤沢周平……保育園につくと「あ、小菅さん。もう少し早くお迎えに来ていただけるとありがたいのですが…」周平は保育園の女性先生にあやまる。
「すいません!」「ほら、のぶこちゃんのパパきたよ~」「はいはい、パパだよ~」
小説『たそがれ清兵衛』の定時で急いで帰り、子育てをする主人公は留治(周平)のこと。でもそれは病気の妻を世話するためだったのです。
“洋楽のレイ・チャールズの歌「愛さずにはいられない」を歌うと展子も口ずさむ。展子は歌が好きなようです”
藤沢周平(小菅留治)の娘・遠藤展子「レイ・チャールズの歌で父親の気持ちがわかります。」展子さんが昼から夜まで眠っていると心配する周平。
「かあちゃん。展子さすけねえ(だいじょうぶ)が?」
「さすけね。昼がら夜までねでる」
「昼がらねでる??!!おがしべした!昼からこげな夜遅くまでねでるんだなして!」
「さすけね。おまえも同じだっだ」
「んだげんども!母ちゃん、展子にお菓子ばっがりたべさせで夜遅くまでおきでっがらだべしだ!」「さすけねえ!子供はねるもんだすけ。」「んだども…」
藤沢周平は保育園の先生と話した。
「展子ちゃんはさみしいんだと思います。」「さみしい?」「無理に寝かせてはいませんか?眠くないなら無理に寝かせなくてもいいんですよ。」「……はあ。」
“ふだんいないことで愛情不足になっているんだと思いはっとしました。考えてみれば母は半分病人であり、ぼくは朝と夜しかいないわけです。そんなぼくがひとなみにしつけをしようというのがまずまず無理なわけで。展子に甘えるだけ甘えさせることも必要何だと思いました”藤沢周平は山形の湯四川(現・鶴岡市)での中学校教師時代、わずか二年で肺結核になり、東京東村山で六ヶ月療養。退院後、東京の食品系新聞の記者時代の昭和三十四年(周平三十二才)同郷の三浦悦子と結婚、昭和三十八年展子誕生。これから幸せな生活が送れると思いきや、悦子は昭和三十八年六月に入院……展子を田舎にあずけて病院内で周平は文学賞への原稿を書く。妻が入院して死ぬまでの期間で短編九作品も書いた。
それは小説を書いているのを見るのが好きな女房への周平からの愛だった。
昭和三十八年十月、小菅悦子病死、享年二十八才(展子生後八ヶ月)。
周平は友人に手紙を書く。“西海浄土までは十万キロの旅だそうです。方向音痴で何かにつけてぼくにきいていたアレにはそんなながい旅は出来るだろうか?そんな馬鹿げた考えでいまだに胸がきりきり痛むのです。ぼくも何一つ知らないあの世というものにひとりでやるのはかわいそうで、一緒に行くべきではないか?と真剣に考えました。子供がいなかったら、多分ボクはそうしたでしょう。それが少しも無理なくたやすく感じたほど、アレがなくなるとぼくは死というものにはなんの恐れもない気がします。”
幼児の展子を寝かしつけ、皿を洗う周平。タバコをふかす。サラリーマンの周平は小説を書く時間は夜と祝日と日曜だけ。妻を亡くし疲れ果てる周平。原稿用紙にむかう。この当時の気持ちを藤沢周平は晩年のエッセイで打ち明けています。『千年の紀』より“人の世にある不幸と不平等な社にたいする憤恨(ふんむ)。妻の命を救えなかった無念の気持ちは、どこかへ吐き出さなければならないものだった”
元・「オール讀物」編集者鈴木文彦(当時の周平について語る)「まさか!っていうか。一種の業(ごう)みたいなね。で、かなしかったのかも知れません。昭和三十八年になってからの“読み切り小説の”藤沢周平の生き様「忍耐生活」。これは応募原稿じゃなく雑誌の方からのオファーを受けて書かれた。それが年間で九本でしたね。しかも、業界新聞のサラリーマンとして働きながら。原稿料は医療費の少しのたしになったと思う。よくそのときにお書きになれたなあ、と。ある意味、強靭な精神というか。生まれながらの作家というか。」
昭和四十二年。展子四才。周平四十才。周平はサラリーマンの仕事を続けながら文学新人賞に応募をくりかえしていた。深夜、おきてしまった展子に草稿(書き損じ)のうらなどに展子に絵など悪戯書きをさせる周平。五才となり展子は幼稚園へ。運動会の朝、周平はカッパ巻を弁当につくる。「パパ、おむすびつくってるの?」「いや。カッパ巻だ」
「おめ、そだなものつぐれんのが?」「ああ、かあちゃん。つぐれる!ほれ展子、たべでみろ。」「おいしいー!」「んだが?」
また、幼稚園でトートバックをつくらねばならず周平は母親に「おめ、そげなものつぐれんのが?」ときかれ「つぐれる!」と不器用な針仕事で地味な背広の生地でバックをつくった。愛娘・展子が小学生になるとき、藤沢周平(小菅留治)は高橋和子という女性と再婚した。昭和四十三年のことだった。知り合って三ヶ月の電撃結婚だった。
昭和四十五年、団地から一軒家に引っ越した。この年に藤沢周平の代表作『猽(くら)い海』(晩年の葛飾北斎が主人公の小説。VS若き歌川広重)で第38回オール讀物新人賞(第64回直木賞候補→落選)を受賞して職業作家デビュー!最初の藤沢周平作品は暗い陰鬱とした文体と世界だった(『負のロマン』)が、江戸ものの大衆作品で明るい文体へ開花。第69回直木賞(『暗殺の年輪』作品により)(昭和四十八(1973)年三月)を受賞した。
周平四十六才展子十才。受賞を期に執筆の依頼が増えて、サラリーマンとの二足のわらじが難しくなり、周平は十四年つとめた会社をやめて作家一本に。昭和五十一年にはマイホームへ引っ越し、『隠し剣』シリーズ『用心棒日月抄』シリーズ。展子十三才。大衆小説家になる藤沢周平。この時期、展子は父親に始末書を書かせている。お菓子を友達が食べているから「この学校ではお菓子を食べていい学校だ」と思ったら先生が来て怒られた、という。遠藤展子(周平の娘)「父はいつも『普通が一番』といっていましたね。嘘をつかない。挨拶をきちんとする。正しいことをする。悪いことをしない。」
展子高校生の時に『立花登』シリーズスタート。登のいとこのちえは展子がモデルである。
藤沢周平作品・短編227作品長編31作品……小説家になったのはずっと家にいれて、展子と一緒にいられるから……と。展子さん「親ばかだなあ、と。(笑)」
思春期になっても展子さんは父親が好きで好きでたまらなかった。
ふたりはよく近所の道を散歩したという。
「展子はどんな男がタイプなんだ?」
「う~ん。……お父さんみたいなひと……っていったらうれしい?」
「この。(笑)」
「わたし……将来小説家になろうかなあ。」
「展子みたいにのほほんと生きてきた人間には小説は書けないよ。」
「え?……そうか。そうだね」
「そうだよ。」
ふたりは笑った。
1997年1月26日藤沢周平(小菅留治)死去。享年六十九才。タンスの中に遺書のようなもの。“展子をたのみます”……展子さん「普通、逆じゃないの?って母親と笑って。普通はわたしにお母さんをたのみます……ってのが普通で。最期まで親ばかだったんだなあ、と(笑)」


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【ソニー革命外伝】対談①丸山茂雄×黒川文雄「すべては凡人出井の失敗から…」

2018年01月15日 16時44分47秒 | 日記

































ソニーは、なぜおかしくなってしまったのか 丸山茂雄氏「ちょっとソニーの話をしよう」






黒川 文雄

2人で記念撮影(筆者撮影)© 東洋経済オンライン 2人で記念撮影(筆者撮影)
 1967年にCBS・ソニーレコード設立と同時に入社し、EPIC・ソニー、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント)、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)などの創業立役者として活躍した丸山茂雄氏に現在の音楽産業、日本の産業のこと、そしてソニーのことなど、広範な話を聞いた。ロングインタビューを3話に分けてお届けする。現在のソニーの経営についてもズバリ直撃した。

ちょっとだけソニーの話をしよう

 黒川:ちょっとソニーの話をお聞きしてもいいですか。この期に及んで、というと失礼ですけど、ソニーはいわゆる「アイボ」といった、かつてのプロパティを今になってまたやろうとしたりしています。

 いわゆる20年のブランクみたいなもの。出井(伸之)さんから始まって中鉢(良治)さん、(ハワード)ストリンガーさん、平井(一夫)さんまでの期間というのは大きなブランクであり、損失であったと僕は思うんですが、それはソニーにとって致し方なかったというか、そうならざるをえない流れというものがあったのでしょうか。もちろん、大賀さんが出井さんを指名したっていうのがあるんでしょうけど。

 丸山:大賀さんはソニーに大変大きな貢献をしたけど、出井さんを指名した時に理由を聞かれて「消去法です」って、つい言っちゃったんだよね。それはなんでかっていったら、後継社長にと思ってた人がスキャンダルっぽいことに襲われて……あれも『週刊文春』の記事だったよね。それで、その人が候補から落ちちゃったんだけど、今度はその対抗馬が「あ、俺に回ってきた」ってんで振る舞いが極めて、横暴になってしまったんだよ……。

 それで、その有力候補もいなくなって、しようがないっていうんで出井さんになったわけだけど、その「消去法で選んだ」ってのが出井さんのプライドをいたく傷つけて。それが大きかったんだけど、でも俺から言わせれば……そもそもトップになる準備をしてなかった人が社長になっちゃったから、そのあと迷走したってことだよね。

 そこで「あ、やっぱり俺は大ソニーの社長の器ではないな」って考えてくれればよかったんだけどね。早めに次に渡さなきゃいけないなって。ところが、やっぱりソニーの社長の座っていうのは……。

 黒川:手離したくないと思ってしまうものなんでしょうか。

 丸山:そりゃ気持ちいいもん。その座にずっといたくなるよ。でも、そこが単なる凡人たるところだよね。自分がなんにもできてないことに対する反省っていうのがないんだから。それをずーっと続けて、ソニーはおかしくなっちゃったんだよね。

 結局、ストリンガーさんに代表取締役の座を持っていかざるをえなくなったのも出井さんのせいだし。ただ、平井さんの代表取締役就任は意外とよかったかもしれないと俺は思っているんだよね。多分、平井さんは、自分がめちゃくちゃ優れてるとは思っていないんだよ。だから、よかったんだと思う。

 黒川:自分のことをわかっているという。

 丸山:部下の意見を聞くっていう部分で言えばね。出井さんみたいにちょこちょこっと何かの本を読んで、それをあたかも自分のアイデアのように振り回すみたいな、下の言うこと聞かずに、その付け焼き刃のアイデアを実行するっていうことはしてないからね。

 基本的には出来のいい下のヤツの言うことをちゃんと聞く。こう言うと自分のことをすごくほめることになるんだけど俺もそうだよ。俺も自分がそんなに利口だと思ってないから、出来のいい若いヤツ集めてそいつらにやらせる。俺が決めるのは方向だけ。まあ、俺の取り柄はカンがいいってことだけだな(大笑)。そういう意味では平井さんもカンはいいのよ。

平井さんが社長になったのは軽率?

 黒川:そういえば、丸さんが別のインタビューで平井さんがソニーの社長受けたのはちょっと軽率だったんじゃないかっておっしゃっていた記憶があるんですけど。

 丸山:うん、言った。

 黒川:それはどのように解釈すればいいんでしょうか。

 丸山:ソニーっていう会社は世界で名前が売れるようになってから優秀な頭のいい連中が毎年どんどん入るようになるわけよ。でも、一方でソニー・ミュージックには、お利口サンとか頭のいいヤツはエンターテインメントビジネスにはまったく向かないっていう考え方があってね。アホだけど面白いヤツだなっていうのを採用してたのね。

 だから、ソニー・ミュージックっていうのは「頭は悪いけど面白いヤツの集団」っていうふうにソニーからは見られてるわけ。その二等グループの社員が頭のいいソニーの人たちの上に立つってことになるとね。コントロールが難しくなる。人っていうのは、基本的にアタマの悪い人に支配されたくないって気持ちがあるし、反対に、その人に人徳や経験があれば「あの人の言うことだから聞こう」っていうのがあるでしょ? 正しいことを言ってるかどうかじゃなくね。

 そうなると旗を振っても、フッと後ろを見たとき誰もついてきてないっていう苦労をすることになる。だから、ソニー・ミュージックの社員がソニーのトップになるのはいかがなものかっていうのが俺にはあった。ソニーの人たちは、ソニー・ミュージックのアホな連中がって、という感じに思っているだろうなっていうのがわかっていたからね。

 黒川:なるほど。

 丸山:俺はなるべくソニーの土俵には乗らない。違う論点で親会社と戦うわけよ。当然のことながら向こうは、やれPLだBSだ、資本効率がどうのこうのみたいなことを言ってくる。そんなことしかわかんないから。この新人のこの曲が当たるかどうかなんてことはわかるワケないからね。

 だから、そういう攻め方をしてくるんだけど、こっちはそんなモン関係ないんだよって。あのミュージシャンはどうしようもない不良で、もしかしたら事件を起こすかもしれない。でも、アイツは今ね、純利益を毎年50億円を出しているんだと。アイツにはクスリやってるってウワサがあるとか、コンプライアンスがどうのこうのとか言ってクビにしていたら、エンターテインメントビジネスは成立しないんですよっていう。

 黒川:アハハハハ、でも確かにそのとおりですね。

 丸山:でしょ? そうやって俺たちはこっちでとても幸せな関係を築けているわけよ。そういうのが好きなヤツはこっちに入るんだし、そうじゃないヤツ、頭のいいヤツは向こうに行けばいいわけだからさ。で、俺は平井さんもこっちだと思っていたのよ。だから、平井さんがソニー・ミュージックの社長をやるっていうんだったらもう全然オーケーよ。

 黒川:あ~、なるほど。そういうことだったんですね。

平井さんが苦労するのは見たくなかった

 丸山:それに、俺は平井さんをかわいがってたから、苦労するのは見たくないなっていうのもあったよね。ソニーはホントに人材不足になっちゃってて、その極め付きが出井さんの社長じゃない。だから、あいつがソニーに行くことになったとき、「ヘタするとお前でも(社長で)いいって言いかねねえぞ」って。そこまで言ったんだよ。「ややこしくなるから、そうならないようにしろ」ってサジェスチョンした。

 黒川:すごい言い方をしたんですね(笑)。にもかかわらず、そこに手を出してしまったと。

 丸山:だから、やっぱりソニーの社長っていう肩書はすごい魅力的なんだろうね。

 黒川:そりゃあ魅力的でしょう。

 丸山:でもまあ、アイツは鈍感だからよかったんだろうね。

 黒川:ええ? 平井さんは鈍感なんですか?

 丸山:そうそう、鈍感なの。社長になった直後の何年間か、平井さんはボコボコにやられたじゃない。ソニーのOBたちからガタガタ言われ、アナリストやら日経新聞やらも「バカだなんだ」と、みんながたたいた。俺だったらあんなの耐えられない。普通の人間には耐えられないって思うよ。でも、あいつは耐えられたんだよ。それは鈍感だってことじゃない?

 黒川:鈍感と言っていいのかわからないですけど(笑)。

 丸山:もちろん、いい意味でだよ。いい意味で鈍感なんだよ。だから、そういう周囲の雑音なんかヘッチャラだっていうんだったら、(ソニーの社長も)できないことはないかなと。

 日経のインタビューでも俺はそういうふうに言った。鈍感っていう言葉は使わなかったけどね。けっこう胆の太いところがあるから、やれるかもしれないと。

久夛良木さんが社長になれなかったワケ

 黒川:ちなみに、久夛良木(健)さんを次期ソニーの社長に、といううわさが上がった時期もあったと思うんですけど、なぜなくなったんでしょうか。

 丸山:だって、大ゲンカするんだもん。久夛良木さんはこういう人間で、こういう言い方をしたらダメっていうのがわかってない。だから、みんなカッとくるわけよ。ただ、大賀さんやCFOだった伊庭(保)さん、徳中(暉久)さんとか俺とかは簡単に言うと人間の器が大きいから(笑)。

 久夛良木さんがどんな生意気なことを言っても、平気で聞き流せるっていうかね。やっぱり、そういう繊細さと鈍感さと両方を持ってないといけないわけで、久夛良木さんの言うことにいちいち反応してたらダメだよな。

 黒川:そうですね。

 丸山:久夛良木さんはミュージシャンと同じようなクリエイターなんだよ。でも、やっぱり久夛良木さんは変わっていて面白いよなっていうのもある。結局、ステージが違うんだろうな。ステージというか立ち位置と言えばいいかな。売れっ子ミュージシャンがすごい生意気なことを言っても、俺とはいる場所が、仕事が違うんだからと思えば腹も立たない。

 ミュージシャンとかクリエイターってさ、自分が考えているイメージや理想を一般人やファンに言ったりするだろ。単なるサラリーマンが独りよがりで、自分はすごいとか言っているのとワケが違うんだよ。そういう意味で言えば、器が大きいとかじゃなくて、ステージとか役割が違うからっていうふうに思えるかどうかだね。久夛良木さんが、自分と同じステージにいる人間だと思ったら価値観が違うんだから、そりゃあ大ゲンカになるよね。

 黒川:久夛良木さんには実力もあるし知識や経験もあると思いますが、渇望感のようなものを感じるんですが……。

 丸山:まあね……久夛良木さんはソニーでは、そんなに恵まれたところにいなかったから。

 黒川:もともとは音源チップの開発責任者でしたよね。

 丸山:そうそう。情報研っていうところにいたんだけど、そこはソニーがウンと儲かっていたとき、変わりものを集めて遊ばせとこうっていうところだったんだよ。だからかどうかわかんないけど、いつも見るからに戦闘態勢に入っているっていう顔をしてるもんなあ。

 黒川:そうですね。何かこう……人を寄せつけない感がありますよね(笑)。

 丸山:ダハハハハハ(爆笑)。

 黒川:お話をお聞きしたいっていう提案をしても「いや、もう話すことないから」「もうゲームと関係ないから」とけんもほろろなんです。それはそうでしょうけど、後進の人たちに何か語っていただけることがあると思うんですよ。

 丸山:でも、それはアナタにだけじゃなく全員そうでしょ。久多良木さんはこれまでプレイステーションとかソニーに対する発言をほとんどしてないじゃない。

 黒川:していないです。それは事実そうですよね。

 丸山:いったんタガが外れたら、ものすごいたくさんのことがダーッと出てきちゃうから、あえてストップしているんじゃない? だとしたら、そりゃあ取り付く島ないよね。

 黒川:なるほど、そうかもしれませんね。

公式の立場は「久夛良木さんのマネジャー」だった

 丸山:その点、俺は基本的に当事者マイナス0.6ぐらいの立場じゃない。当事者が1だとすれば俺は多分0.4ぐらい。そうだよな?

 黒川:0.4ですか(笑)。

 丸山:だって俺は久夛良木さんのマネジャーっていうのがオフィシャルな立場だったじゃない、アッハハハハ。

 黒川:確かに、ずっとそう言われていますよね。

 丸山:久夛良木さんの作ったプレイステーションの本丸の家老っていう立場じゃなくてね。俺は自分ができることといったらマネジャー役くらいだし、そういうふうに決めちゃったほうがわかりいいし。だから、コトが終わった後も平気な顔して、こうやってインタビュー受けて気楽にしゃべれるわけだけどね。

 黒川:ありがとうございます(笑)。

 丸山:まあ、俺が自分でアレをやったんだとか言うと自由度が失われるからね。やってねえって言ってるから自由度があるわけでさ。

 黒川:でも、すごく大きな功績だと思いますけどね。

 丸山:ずう~っと引いて見ると、大きいって思ってくださる方が中にはいるけどね。じゃあ俺がどんなすごいことやったのかって考えてみたら「思いつかない、ねえよな」ってなるよな。

 黒川:いやいや、そんなことはないでしょう。

 丸山:いや、そうなのよ。それはソニー・ミュージックなんかのときも同じで、俺がやったのは仕組みを作るとか人員配置とかで特別なことは何もしてない。いちばんヤバいのはいろいろ取っ払うと、俺には専門的な何かがなんにもないんだよ。

 黒川:だからこそプロデューサーなんだと僕は常々感じているんです。

 丸山:プロデューサーだなんだっていうふうにアナタが定義してくれればそうかもしれない。でも、ホントに何もないからね。むいてもむいてもなんにもない、タマネギかなぁ、みたいな(笑)。

 黒川:そんなことはないでしょう。何にもない人のところに誰も話を聞きにこないですよ。そもそも日本はプロデューサーってものに対する周りの人の意識が足りなさすぎると僕は思ってるんですよ。ハリウッドだとキャスティングして、ファイナンスして、システムを作って、ライン管理をして、最後の製作なりプロダクトに対して責任を持つ人がいるわけじゃないですか。でも、日本はそれが個別になっちゃってるから、プロデューサーってあまり表立って評価されないんですよね。

 確かにプレイステーションは丸さんだけでは生まれなかったかもしれませんが、久夛良木さんだけでも生まれなかった。丸さんの仕立てやサポートがあったから生まれたと僕は感じています。音楽のシーンで言っても丸さんは新しいジャンルを作ったし、新しいコンテンツや人も作ったし、レコード会社も作ったわけじゃないですか。その意味では壮大なプロデューサーだと僕は思いますし、そこにすごくあこがれるんですよ。しかも、1982年ぐらいから変わっていない。僕がオリコンで読んでいた頃からスタンスが変わっていないから、余計にすごいなって思うんです。

 丸山:こんな出来の悪い管理職をそういうふうに評価してくださるのはありがたいことです。まあ、俺の力じゃないけど関係したもの、手掛けたものはけっこう実績があるってことだよね。

 黒川:いやいや、僕は丸さんのお力だと思いますよ。

 丸山:いやだって俺の力だなんて一瞬でも思った途端に、こういう俺の像は崩れるちゃうじゃない。だからつねに自戒してないとね、ハハハハハ。

 黒川:やったのは俺だって言った瞬間に「そうじゃないですよね?」って言われちゃうかもしれないと。

 丸山:「そうじゃないでしょ」って声が、わーって沸き起こるから。

 黒川:でも、そう言っちゃうところが丸さんの東京生まれらしさというか、いさぎよくてカッコイイところですよね。

「ちゃんと育てられた」

 丸山:まあ、東京生まれで……俺のウチはカネはなかったけど、ちゃんと育てられたっていう気はするよね(丸山氏の父は丸山ワクチンの開発者である故・丸山千里氏)。「ちゃんと育てられた」っていうのがどういうことかというと、あなたが言うように一応礼儀とかマナーなんかを踏まえているっていうこと。でも、今はちゃんと育てるってことが難しくなってるよね。

 たとえば、ちょっと前に話題になった女性の議員さんは、子どものときから受験勉強して、私立の名門受験校に入って、東大法学部に行ったわけじゃない。それが「あのハゲー!」だからね。でも、アレがなければ、ああいう育ちの人は基本的にはよしとされてるわけじゃない。

 黒川:そうですよね。あと、ふたつだけ伺ってもいいですか? eスポーツの理事をおやりになってますよね。

 丸山:それはもう辞めた。

 黒川:え、辞めたんですか?

 丸山:そう、eスポーツは協会がいくつかあって、そのひとつが、俺が(理事を)やってたJeSPA(一般社団法人 日本eスポーツ協会)ね。JeSPAはオリンピック種目を目指すっていうのが基本的な目的だった。それで、実際にオリンピック参加を前提にするならば協会を統一する必要があるという話になった。

 黒川:正式種目になるかならないかで話題になりましたよね。

 丸山:そうそう。で、日本国内にある協会を一本化しなきゃいけないって話になったんだけど、統合するという方向性のなかで、JeSPAがほかの協会と融合することによって、オリンピックを目指すという目的が薄らいでしまったことが、俺がJeSPAを辞めようと思った動機だね。

 JeSPAは本来はアスリートのための協会だろう……。たとえば、陸上でいうと陸連の会長がマラソンランナーとして活躍した瀬古利彦さんとかだったらわかるよ。だけど、アディダスの社長が会長っていうのはおかしいだろ。

 黒川:そうですね。それはちょっと構成としておかしいですね。

 丸山:まあでも、俺は命を懸けてやってるわけじゃないからね。協会の皆さんがそうしたいと言うんならいいけど……いいけど俺の気分はそうだから。ハッハッハ。

 黒川:じゃあ、辞めたのは本当に最近のことだったんですね。

 丸山:だから、東京ゲームショウ2017のちょっと前のタイミングで理事は辞めたんだ。

 黒川:なるほど……わかりました。最後にゲームについて聞いてもいいですか? 先ほどはもう語らないと言われてましたが(笑)。

 丸山:もう言うことはねえよ、ゲームは(笑)。

 黒川:そうおっしゃらずに。ゲーム業界はいろいろな人が出てきて、もちろん大きな成功もあれば、失敗している人もいるとおっしゃってましたが、家庭用ゲームについて今何か思われることはありますか?

 丸山:家庭用ゲーム機であったり、あるいはスマホであったりとかいう部分はあるけど、多分俺はどのプラットフォームが生き残るかっていうのは、ほとんど意味がなくなってくると思ってるんだよね。

 黒川:あ~、なるほど、なるほど。

半導体の進歩は止まらない、これだけは間違いない

 丸山:プラットフォームからビジネスを立ち上げるっていう……任天堂、セガ、ソニーはそうやってきたんだけど、それがどんなふうになっていくのか、何かに集約するのかは俺にはわからない。ただ、どう考えても半導体の進歩は止まらないよね。そうすると、何もプラットフォームを変えなくてもいいというか。どんなプラットフォームでもできちゃう、OSやなんかも軽々とクリアしちゃう時代が来る気がするんだよね。だからグーグルとか、ああいうのだけがプラットフォームになっていくんじゃないかな。

 黒川:そんな感じはしますよね。アップルとグーグルだけとか。もしくはアマゾンですかね。

 丸山:そう、アマゾンとかね。このあたりがプラットフォームっていう意味になっちゃって、それ以外は簡単に言ったらアプリになっちゃうんじゃないかな。

 黒川:貴重なお話ありがとうございました。2018年も引き続きよろしくお願いいたします。

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【2018年度NHK大河ドラマ西郷どん】第二話『立派なお侍』まるで…龍馬伝・デジャブ?

2018年01月14日 21時37分42秒 | 日記
































  NHK大河ドラマ西郷どん第二話『立派なお侍』が2018年1月14日日曜日に放送された。



  第一話『薩摩のやっせんぼ』(少年時代)から6年後。西郷小吉から西郷吉之助と名を変えて成長したのちの西郷隆盛(鈴木亮平役)は、薩摩藩への農家からの年貢を仕切る役人の下っ端の役人として汗にまみれていた。だが、薩摩藩の農家は等しく貧しく、役人の不正や搾取も横行していた。
正義感あふれる西郷吉之助は我慢がならない。だが、身分は下から二番目の立場であり、禄高(給料)も極めて安い。あるとき、吉之助は貧農の少女が借金の形に遊郭に売られ連れていかれそうになるのをみかけ、藩からのわずかな給与を借金取りに渡してしまう。「藩は民・百姓あっての藩でごわす。百姓が死んだら藩も死にもうす!斉彬様ならわかってくれもんそぞ。次の藩主を斉彬さまに!」だが、正義感だけではどうしようもない。「吉之助さんは甘か!藩の重役でお殿様のご意見番の勘定奉行・調所さまはお世継ぎの斉彬さまを嫌っちゅう」大久保は西郷を諫める。吉之助は懸命に東奔西走するが、努力も空しく、やがて貧乏農家の娘・ふきは遊郭に奉公させられるため男達につれていかれる。ふきはそのさい「ありがとうございやした。うちはこげな立派なお侍さんのことを一生わすれもはん」と西郷に泣きながら礼を言う。とめられず、自分では何も出来なかった吉之助は道で号泣して、「おいは……立派なお侍……なんかじゃなか!……たったひとりのおなごも救えん……やっせんぼ(出来損ない)じゃ!」のちに吉之助の三番目の妻となる岩山糸・イト・はそんな西郷隆盛をみて、ただ頬をつたう涙をとめられずに立ちすくむ。
 結局、西郷吉之助は江戸にたつ島津斉彬への嘆願書は渡せなかった。
だが、第二話では会えずしまいの西郷と斉彬だが、今後、西郷はその正義感と政策立案能力で、数年後、斉彬の懐刀となるのだった……。

 

 全体として話が悲しく泣ける二話目だった。だが、何となくストーリーテーストが大河『龍馬伝』を観ているような「あれ?デジャブ??」と思うような作りだった。
確かに江戸時代だけでなく、昭和中期まで東北地方や北陸や四国・九州の貧農の少女がわずかな奉公の賃金や、借金の形に遊郭に売られていくのはけしてめずらしいことではなかった。
現代だって『男女平等』とは名ばかりで、セクハラやマタハラや女性蔑視や女性差別は多い。
いまだに日本国は『男尊女卑』がまかり通り、女性の社会的成功例は男性にくらべて一握りのみ…
まさにいまこそ女性が声をあげるべきだ!「差別をするな!男性と同等に扱え」、と!
大河ドラマ西郷どんは、第三話『子どもは国の宝』に期待。まだまだ!ガンバレ、西郷どん!

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【一攫千金後の貯蓄と現実?】億万長者になるも散財破産する馬鹿たち。

2018年01月14日 19時37分19秒 | 日記






























 メジャーリーグ(MLB)をはじめ、米国のスポーツ界は近年、年俸高騰が著しく、毎年オフになるとスター選手が大型契約を結んだことが日本でも報道されることが少なくない。しかし、一般人には考えられない大金を手にしている選手が多くいる一方で、そのお金を散財し、破産する選手があとを絶たないことが問題となっている。

 昨年6月には、米メディアのMSNが「自己破産した元スポーツスター」という特集を配信したことがあった。米プロフットボール(NFL)のビンス・ヤング、テレル・オーウェンス、MLBのジャック・クラーク、米プロバスケットボール(NBA)のデリック・コールマン、ボクシングのマイク・タイソンといったビッグネームが数多く含まれていたことに驚いた人もいるかもしれない。

 2012年には、ESPNが引退後に自己破産するプロアスリートのドキュメンタリーを放送して話題になったことがあった。番組のタイトルは「破産(Broke)」。そんなフィルムができてしまうこと自体が、米国のスポーツ選手たちが身を滅ぼすケースがいかに多いかを物語っていると言えよう。


マイク・タイソンも巨額を稼ぎながら破産したアスリートのひとり(写真:Getty images)© dot. マイク・タイソンも巨額を稼ぎながら破産したアスリートのひとり(写真:Getty images)
 2009年にスポーツ・イラストレイテッド誌が伝えたところによると、NBAプレイヤーの60%が引退から5年以内に自己破産するという。また、NFL選手の78%は引退後2年を持たずに破産するか、経済的に困窮する。

 統計によると、NFLプレイヤーは平均3.5年のキャリアを過ごし、年俸約190万ドル(約2億円)、生涯報酬は665万ドル(約7億円)。NBA選手は平均4.8年のキャリアで1年約550万ドル(約6億円)を稼ぎ、生涯報酬は約2640万ドル(約29億円)強に及ぶ。一般人には想像もつかない巨額を稼ぎながら、多くのアスリートたちはなぜ破産の末路を辿るのか。

 一般的な散財の原因はやはり浪費、離婚、投資の失敗など。中でも特筆されるのは、“アメリカンドリーム”を叶えた選手たちの遣いっぷりの激しさである。

「ヨット、マンションに加え、何台かの車を買った。それだけで700万ドル(約7億7000万円)は使ったな。つまり、俺は稼いだ金をすべて吐き出したんだ。また、家族や友人たちも平気で金をせがんでくる」キース・マッキャンツ(NFLプレイヤー)

「ジュエリーだけで100万ドル(約1億1000万円)は使ったと思う」アンドレ・リソン(NFLプレイヤー)

 前述の「破産(Broke)」というドキュメンタリーの中では、元選手たちが多くの赤裸々な証言を残している。これらのコメントにある通り、プロスポーツ選手としてのキャリアの短さを自覚せず、まるで“宵越しの金は持たない”とでも言うように派手な散財を続ける選手は今も昔も珍しくない。

 中でも有名なのは、現役時代に稼いだ約1億1000万ドル(約122億円)をすべて遣い切ってしまったアントワン・ウォーカーのケースだ。1996年にNBA入りしたウォーカーは、オールスターにも3度選出。しかし、ギャンブルで負けを積み上げただけでなく、ベントレー2台、ベンツ2台、レンジローバー、キャデラック・エスカレード、ハマー、マイバッハなど盛大な車のコレクションに多額をつぎ込んだことが喧伝された。さらにビジネスの失敗、取り巻きへの気前良すぎるサポートなどが重なり、2010年についに自己破産。そんなウォーカーのアップ&ダウンに溢れたライフストーリーは米国内で盛んに語られてきた。

 こうした失敗談はスポーツ界には他にも溢れ返っているにもかかわらず、破産するアスリートはそれでも後を絶たない。破滅を避けるためのスポーツ選手向けのセミナーなどは数多いが、大きな効果を発揮しているとは言い難い。

「若くして大金を手にしたプロ選手が金銭面での謙虚さを保ち続けるのは容易ではない。ロッカールームはミリオネアばかりで、そんな同僚たちと付き合えば支出も自然と大きくなる。特に彼らはもともと負けず嫌いの性分だから、散財の面でも張り合おうとしたがるんだ」

 NBAの某チームで働く職員のそんな言葉は真実を言い当てているようにも思える。アメリカンドリームを成就させたヤング・アスリートは、手に入れた金を使うことで成功を噛み締めようとする。選手としての向上を助けた負けず嫌いの精神が、ここでは良くない方向で発揮されてしまう。遊びにしろ、投資にしろ、金の費やし方を学習しているわけではないから、減っていくのも早い。こんな真実は、華やかな米スポーツの闇の部分を示していると言えるのだろう。(文・杉浦大介)

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GREENEAGLE緑鷲直2伝説の天才ウィザード級ハッカーVSファイヤーウォールとパンドラの匣

2018年01月12日 11時30分10秒 | 日記

































小説<GREEN(グリーン)EAGLE(イーグル)2>season2
 ~伝説のウィザード級天才ハッカーVSファイアーウォールとパンドラの匣~
                       
                       
                ~新たな真実!渾身の書き下ろし続編
                『伝説の天才ハッカー』の真実が甦る!
                 total-produced&PRESENTED&written by
                   UESUGI KAGETORA
                   上杉(長尾)景虎
 
          this story is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

……人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。
 くよくよするもんじゃない。肝心なことはねぇ、
  望んだり生きたりするのに飽きないことだ。………
     ロマン・ローラン作『ジャン・クリストフ』より

   この物語は漫画テレビドラマ『BLOODYMONDAY(ブラッディマンデイ)』(龍門諒原作・恵広史漫画 TBSテレビドラマ三浦春馬主演)と漫画テレビドラマ『BLOODYMONDAY(ブラッディマンデイ)season2』(同)、日本テレビドラマ『怪盗 山猫』のオマージュ作品です。物語の模倣ではなく、引用です。盗作ではありません。裁判とかは勘弁してください。


** 『小説<GREEN EAGLE>天才ウィザード級ハッカー緑鷲直 続編』あらすじ
 主人公は高校生の美少女・緑鷲直(みどりわし・なお)である。高校ではいじめられっこだったが、裏のネット社会では天才・ウィザード(魔法使い)級ハッカー“GREEN EAGLE”である。その天才少女は中学生の時、米国国防総省(ペンタゴン)や米国情報局(CIA)やイギリスの情報機関・MI6、イスラエルの情報機関・モサドにハッキングして逮捕・補導された過去を持つ(現実社会では公安や警察組織等しか知られていない)。いじめっこに復讐する為にいじめっこのスマホをハッキングしたことで日本の警察庁対テロ組織2SEELDZに依頼されることになる。こうして日本へのウイルス・テロのテロ集団と戦い見事に撃退したが、その二年後、緑鷲直は新たなテロ計画に巻き込まれる。伝説の天才ウィザード級ハッカー緑鷲直VSテロ集団魔界の鬼手&セモールラ民主主義人民共和国との最後の決戦はいかに!!!……。   *******

「ハッキング」は不正アクセス禁止法違反の犯罪です。
けして模倣や行動に起こさないで下さい。この物語はフィクションです。人物名・団体名・機関名等すべて架空のものです。


1  天才・ウィザード(魔法使い)級ハッカー緑鷲直「GREEN EAGLE」


あの事件から二年後の世界である。
  確かに美少女では、ある。
主人公は浪人生の美少女・緑鷲直(みどりわし・なお)である。
直は美少女である。細い脚腕に華奢な身体で、丸い顔、白い肌、大きな瞳にまつげがびっしり生えている。背はあまり高くはない。芸能人で言えば“広瀬すず”、というところか。
 但し、性格は暗い、というか。ネクラ、である。
ちょっと鬱病気味でもある。いじめられっこである。
高校ではいじめられっこだったが、裏のネット社会では天才・ウィザード(魔法使い)級ハッカー“GREEN EAGLE(グリーンイーグル)”である。その天才少女は中学生の時、難攻不落の米国国防総省(ペンタゴン)や米国情報局(CIA)やイギリスの情報機関・MI6、イスラエルの情報機関・モサドにハッキングして逮捕・補導された過去を持つ(現実社会では公安や警察組織等しか知られていない)。
 日本は安全で治安がいい、とよくいわれる。
だが、全然、安全なんかじゃない。安全で治安がよく見えるのは密かに誰かや組織がサイバー攻撃やテロを未然に防いでいるからでしかない。
最近は日本政府や省庁のホームページが“サイバー攻撃”を受けることもけっして珍しいことではなくなった。大企業のホームページにDDos攻撃(多くの情報ネットワーク・パケットを一斉にあらゆる踏み台のPCらからそのサーバーに一斉送信してサーバーをダウンさせるサイバー攻撃)を仕掛ける輩や集団も、最近は手口が巧妙になってきている。サイバー攻撃による個人情報機密情報漏えいとか。
標的型サイバー攻撃(トロイウイルス等)、水飲み場的サイバー攻撃(HPを観ただけで“エムディビ”という新型コンピュータウイルスにより)軍事機密や企業の特許情報や政府などの機密情報が盗み取られるという。日本の被害は一年に二万件(わかっているだけで。氷山の一角)である。
ひとりでも多くサイバー攻撃に備える“ホワイト・ハッカー(正義のハッカー)”が必要だが、現実は悪質な“クラッカー(悪いことをするハッカー)”ばかりが多い。
最近の子供は、スマホは持っているがパソコンに触れたこともない、という。
まあ、スマホ(スマートフォン)は“小さなネットワークパソコン”みたいなものだからわざわざネット回線や電話線を自室にひく若い者も少なくなった、というのがどうやら結論のようである。
パソコンも操れず、スマホだけで暮らす……、どうにも創造性が見いだせない。
だから駄目なんだ、というのは簡単ではあるが。
“タダの安全”等、この現実世界に存在はしない。
誰かが汗や血を流して、この現実世界の“安全”は保たれている。金も人もいる。
この世の中の安全は“ガラスの城”に過ぎないのだ。






 いわゆる魔界の鬼手の東京都内でのウイルステロ阻止の戦いで、緑鷲直が活躍して(と言ってもマスコミには箝口令が敷かれ、関係者以外直が日本を救ったことは知らないのだが)それから二年が経過した。
一年前に緑鷲直の父親・緑鷲健太は癌で病死していた。
あれから二年が経過していたが、サイバー関係はどんどん日進月歩で発展していたが、犯罪者との戦いは“いたちごっこ”の体を示していた。
物語は極東ロシア・ウラジオストクから始まる。
白人系ロシア人の集まる教会で、休日の正午のミサにウイルス・テロ事件がおきた。
いや、起きた、というのは正しくない。
テロ集団がウイルス・テロリズムを仕掛けたのだ。真冬の最中である。
白人系ロシア人がロシア正教の教会で祈りの後、椅子に座ったりしてわいわいやっている。
「"Я на самом деле делать?"(本当にやるのか?)」
椅子に座ったニヒルなサングラスの中年男が隣の男に訊いた。
「"Ох. Это план мирового перезагрузка"(ああ。世界再起動計画だ)」
「"Разве это не шутка?"(冗談ではないのか?)」
「"Это не шутка."(冗談ではない)」
アジア系の怪しげなスーツ姿の男がいうと、事件は起こった。
だが、白人系ロシア人の子供が急に鼻血を流し始める。
そして、パンデミック(大感染)!
大人も次々に血を吐き、苦しみ始める。サングラスのロシア人男も、である。
顔や手などに天然痘のような赤い疱瘡が出来、血を流し、息絶える人物が続発する。その致死力は天然痘やエボラ的に強大だと、素人にもわかるほどである。
「"Гуа"ぐああ」
「"Uu"ううっ」
教会内は血だらけのまさに地獄絵図である。
ロシアの教会の光景は見慣れたものだったが、血だらけのウィルス騒ぎは尋常でない。男や女性や子供が疱瘡のような顔になり、血を吐いて続々と屍だらけになる。まるで本当に血だらけの地獄絵図である。防ウィルス警察隊らは息を呑んだ。遺体は血色をなくした、泥のような顔であったが、見覚えのある顔まであった。間違いなく近所の知り合いの死体である。警察隊は頭部から爪先まで、冷気が滝のように駆け抜けた。手足が目に見えて震えて、思うように筋肉に力が入らず、指は、おののきながら宙を泳いだ。
教会は隔離され、ガスマスクや防護服の警察官たちが銃を持ちながら実況見分をする。
明らかに毒ガスか毒性の強いウイルス・テロ事件である。
地元の防ウイルス服の警察機関は累々と連なる屍をみて、恐怖におびえた。
「"Тянуться к небу! Арестовать!"(手を挙げろ!逮捕する!)」
姜正日こと鈴木良純はすでに抗ウイルス剤を摂取している為か死ぬことはなかった。
だが、密告で、ロシアの警察部隊が銃を向けた。
「"KAN JONG IL"(姜正日)!」
「"Преданная Do !!"(裏切ったな!!)」
姜正日はストレスの為か病気の為かわからないが髪が白く、次第ににやにやしだした。
精神がやられているのかも知れない。
あの東京でのウイルステロのとき、日本上等医学大学で鈴木良純として緑鷲直に接触した青年であった。そう、この人物こそ魔界の鬼手の手下であった。
とにかく、二年前に日本から国外逃亡をした鈴木良純こと姜正日(カン・ジョンイル)は囹圄のひととなった。姜は朝鮮系の人種であったが、国籍が日本にあったために身柄確保後の行く先は日本となった。その手筈はまたも2SEELDZがおうことになった。
そののち、ロシアの地元政府のサーバーにはロシア語で、
「毒性ウイルス“ドロポスZ”の実験成功"Экспериментальный успех вирулентного вируса" капли Z ""」
「“魔界の鬼手”より"" Макай kishu ", чем"」
という犯行声明とも呼べる書き込みがあった。
『魔界の鬼手(まかいのきしゅ)』とは世界的に有名なテロリスト集団のことである。
一時期の『オウム真理教』のような宗教団体の狂信者たちではなく、どちらかというとIS(イスラミック・ステート・イスラム国)に近い。極めて危険な狂信者揃いのテロリスト集団である。本体は極東のある国との関連性とも疑われるが、詳しくはわからない。
“スパイ天国日本“にも拠点があるものと思われるが、いまだに詳細を、日本の公安はその尻尾を掴んでいない。二年前から有力な情報があまり集まらなかった。
日本が毎日のようにサイバー攻撃を受けて機密情報が盗まれたり、クラッキングで政府資金が盗まれているのは誰もが知るところ、だ。
この日本は恰好のターゲットである。
スパイを取り締まる法律もまともにない有様だから、だ。
そんな中、2SEELDZは日本の東京への「核爆弾テロ」を察知した。だが、どこから核ミサイルが撃たれるのか?国内か?海外のテロ国家の可能性はまだつかめていなかった。
華奢な身体に艶のある短いショートボブの髪をもった緑鷲直の、大きな黒目がちの瞳の直は、見た目では十代後半くらいだ。そんな空間の静寂に抵抗するように緑鷲直は大声を出そうとした。が、声は喘いで途切れ、目の前が紫色になり、全身から汗が噴出した。

ウラジオストクには2SEELDZの松重と松形と桐野が派遣されていた。
姜正日こと鈴木良純の身柄確保・護送の為だ。
日本の警察庁公安三課対テロ対策組織2SEELDZ(ツウ・シールズ)の背広にコート姿の課長・桐野清二、眉目で痩身な男と日本人部下は気づいた。
「お前は二年前のウイルステロ事件で上等医学大学にいた…」
「はははは、まずは2SEELDZがアドバンテージを握った訳だ。だが、チェックメイトするのは僕らだけどね」
桐野たちは鈴木を保護した。
精神を病んでいるのか姜正日こと鈴木良純はにやにやしている。
確かにインターポール(国際警察局)の「L」、LEE GABAL捜査官のいったとおりだ。
鈴木良純が姜正日(カン・ジョンイル)という朝鮮名で年齢は二十六歳と判明した。
彼は不思議な印象を与える人物だった。年は成人だが、少年のようにも見えた。精神が幼稚という話ではない。がっちりとしていない肩幅は弱々しい感じもするが、すらりとした手足が白鳥のようで翔ぶが如く、である。瞳だけが老成しているみたいな。
「ですが、課長。この男を日本に連行してどうなるというのです?」
部下の疑問ももっともである。
桐野は「それは私にもわからないが、あのLの指示だ。何かあるのかも知れない」
こうして桐野や鈴木は日本行きの飛行機に搭乗した。
飛行機の客室に爆弾が仕掛けられているとも知らずに。
見るといつも穏やかな表情を崩さない桐野の顔色がどす赤く変わっている。桐野の背筋に冷たいものが走った。重苦しくなった胸に、早鐘のような鼓動がひとつ打つごとに蓄積していく。
だが、桐野は無理に微笑みを見せた。すべてはミッションのためだ。
桐野は腹部に急激な収束感を感じた。続いて胃がキリキリ痛んだ。嘔吐感だ。足首が何故か震えている。彼の本能が危険を予見しているような不思議な感覚だったが、本人には何故震えるのかわからなかった。これが霊感というものなのか……?頭を軽くふった。

ここでもう一度日本の警察庁公安三課対テロ対策組織2SEELDZ(ツウ・シールズ)について説明せねばなるまい。文字通り対テロ対策組織である警視庁公安三課にあるのが2SEELDZであるが、なぜ2なのか?当たり前ながら防衛省の対テロ対策武装部隊組織SEELDZのサイバー的な第二の組織だからだ。SEELDZは東日本大震災の際の2011年にテロ組織“魔界の鬼手”のテロ作戦を防いでいる。
2SEELDZのオフィスは警視庁の地下であり、白い壁に一面デカイモニターが何台も設置されている。当然ながらセキュリティも厳しく、オフィスへの出入りも金属探知機とIDカード認証である。「Lの指示通りに姜正日こと鈴木良純をあの国から日本へか…」
「この平和ボケ国家日本にね」
白髪頭の長篠麻里男室長は「日本は決して“平和”なんかじゃない。平和に映るのは誰かが我々のような組織がひとしれず血や汗を流しているからさ。これは例のグリーンイーグルにまた頼む事になるかなあ」
「グリーンイーグル?何じゃそりゃ?」
防衛省からの出向の高橋秀雄一等陸尉は顔をクエスチョンマークにした。
「伝説の天才ウィザード級のハッカーですよ」
「ウィザード??ハッカー????」
高橋は中年男で、キカイは苦手である。同僚は「ウィザードとは“魔法使い”で、ハッカーとはコンピュータのハッキングをするものです」
「何だ、パソコンヲタクか。」
赤いフレームの眼鏡をかけたSEの女性・宝田は大きなパソコン画面数台から目をそらして、「それがただのパソコンヲタクじゃないんですよ。我々が6年前本当に驚きました。この2SEELDZや難攻不落の米国国防総省(ペンタゴン)や米国情報局(CIA)や英国情報局MI6やイスラエルのモサドにハッキングした日本人が逮捕・補導されて……それが何と当時中学生の少女で、当時の緑鷲健太本部長の長女で。彼女のネット上の通称がネット上で畏怖されたGREEN EAGLEでして」
「え???じゃあ、グリーンイーグルってのは?」
「そうです。当時の緑鷲本部長の娘さんです。緑鷲直。報道規制が当時かかりましたし」
「なんだって?宝田。そんなガキがそんなにすごいのか?」
「まあ、高橋さんはまだここ(2SEELDZ)に出向に来る前でしたから信じられないでしょうが。二年前の東京でのウイルステロを阻止したのも彼女のハッキングの力でした。パソコンの世界では彼女の右に出る者などいません。わたしたち経験豊富なSE(システム・エンジニア)のさらに上。まさに魔法使い級です!」
「ふん!おいおい、ガキの出る幕かよ。お遊戯会じゃねえんだ。ガキになにができる??」
「昔の松重さんと同じ事をおっしゃられるんですね?それは見ればわかります。パソコンやネットワークの進化はドックイヤーですから」
「ガキがね。ガキの遊びじゃねえんだぞ?」
「わかってますよ。」
「なあにがグリーンイーグルだ???ガキの遊びじゃねえんだ」
武闘派でPCオンチの高橋には理解出来る訳がない。



その頃、その伝説の天才ウィザード級ハッカー『GREEN EAGLE』はというと、東京都内のコンビニでバイトをしていた。
『GREEN EAGLE』つまり、緑鷲直、である。
高校は無事卒業したが大学試験に落ちて浪人生になっていた。誰も、直のことを知らない。
本当は“伝説の天才ウィザード級ハッカー『GREEN EAGLE』”である、等知る訳もない。
ただ、ただ、バイトと勉強に明け暮れていた。
惨めな浪人生であるが、数学以外はまるで駄目なんだから仕方がない。
その頃、少しだが話し相手になっていた麻倍信子は高校卒業後、東京大学に進学していた。
緑鷲直より遥かにIQの高い信子は余裕で、トップクラスの成績で東大生になっていた。
緑鷲直は馬鹿ではなかったが、パソコンの能力と数学と創造力を除けばたいした人物でもなかった。つまり、日本の学歴主義だけでいえば「たいした人物」ではない、と言えた。
しかもアスペルガーめいていて他人と懇篤に話すのが苦手ときている。
緑鷲直はあらゆる意味で障害を抱えていた。
緑鷲直の吐息に震えが混じった。黄土色にかわった自分の顔が、目に見える気がした。直は微かな望みを捨てきれずに、頭をふった。
直はもどかしさを隠しきれずに、唇を軽くかんだ。誰にもわかってもらえない。眠れない夜。つぶった眼の網膜の血管の朱色が見えるかのようだ。耳元になにかの足音が近づいて聞こえるようだ。全身は金属のようにこわばったままだ。思考さえ停止しかける。
信子は女盛りというか美女になっていた。
確かに、緑鷲直も美女ではあったが、難しい性格、であり、素敵な恋人、とは無縁である。
「お客様、長時間の立ち読みはご遠慮願えませんか?」
コンビニの本棚の所で立ち読みしていた麻倍信子に、コンビニのアルバイト店員の緑鷲直が冗談めかして言った。
ギャグのつもりだった。まだ平日の午前中であった。
「直ちゃん、待ち合わせしているだけだって」
信子はにやついた。
「まさか、デート?信子さん?」
「うん」信子は照れた。「大学の同期で…この前告白されて…」
「どんな男?イケメン?」
「うん。まあまあ、イケメン」
「まあまあ」
ふたりは顔を見合わせ微笑んだ。
相手は東大生のイケメン相田翔哉という。
頭がよくイケメンで、性格もいいと評判の青年であった。
相田翔哉は二十歳。端整な顔立ちであるが顔の彫りが浅い、いわゆるしょうゆ顔というか。がっちりした体格は男らしく、瞳だけが老成しているような不思議な感覚を与える人物だった。まあ、イケメンであり、貧乏ながらエリートでもある。
「のぶちゃん、お待たせ!」
そんなイケメン彼氏がやがて歩いてやってきた。
確かに、イケメンであった。「紹介するわ…」
そんなとき、バイト仲間の女子大生の森田明日香(20)が、「控室のPCでトラぶってPCフリーズしちゃった!緑鷲さん、パソコン直してくれませんか?!」と焦ってやってきた。けっこう可愛い顔の女性である。
だが、緑鷲直は意外なことを言った。
「ごめん。森田さん、前にも行ったけど私、コンピューターとか詳しくないの。ごめんね」
「………ださ。」
「ごめんね!」
緑鷲はいった。明日香は店舗内の控室に戻った。
信子は「…直ちゃん、あなたまだパソコンを………?」
といい、緑鷲直ほどのウィザード(魔法使い)級ハッカーだった人間が「PCのことは詳しくない」ことに、驚く、とともに、可哀想な気分にもなった。
………あれだけの事件を経験して、PCやハッキングで活躍したが……事件のことをトラウマ(心的外傷ストレス障害)にまでなったのね…。
怒りに声は震え、直は支離滅裂な言葉を叫びそうになった。逃げなければ、と焦れば焦るほど足の力は抜けもつれるばかりだ。その瞬間、直は心臓に杭を打たれたような感覚に、立ちすくんだ。山積する問題は解決できそうもない。恐怖に押しつぶされて声も出ない。
まさに、恐怖、トラウマ、であった。
「じゃあ、いこうか?」
「………うん。」信子たちはデートに出かけた。
緑鷲直はもうPCやハッキングをやめたのか????
あれだけのスキルがあったのに……??
だが、すべて嘘だった。
緑鷲直はその時も、PCはやっていた。
 バイトがおわり、狭いビル街の一畳もないようなアジトに帰ると、アジト自室の大きなパソコンでかたかたと操作を始めた。この数台のディスクトップパソコンで「振り込め詐欺」や「フィッシング詐欺」などのパトロールをひとりでしていた。
この物語の主人公緑鷲直は、ネット上の悪辣サイト摘発(内部リーク)を匿名でやっていてパトロールまでしていた。警察サイドから金をもらっている訳ではなかった。すべてはボランティである。また、2SEELDZの情報にも精通していた。
「コンピューターの事はあまり詳しくない」どころか、PCスキル、ハッキングスキルは益々磨かれていた。まさに天才ハッカー、ウィザード級ハッカーで、ある。
「ごめんね、明日香ちゃん。PCがフリーズしたらブートアップすればいいのよん」
緑鷲直はUSBをパソコンに接続した。いわゆるUSBブートといって、USBにハッキングソフトやハッキングOSが入っているUSBを起動させるのだ。
USBブートを起動させると『GREEN EAGLE』のアイコンというか双頭の緑色の鷲にGREENEAGLEと描かれたフラッシュが写る。
すぐにコマンド打ち込みの窓が出来る。
後はコマンドプロンプトでハッキングプログラムを組むのだ。
root@kali:/# find / -type f –perm –u+s- ¥;maki aratame
-twxr-sr-x 1 root utmp 432580 1月 16 2017 /usr/bin/screen
-twxr-sr-x 1 root mail 1876775 3月 24 2018 /usr/bin/lookfile
-twxr-sr-x 1 root tty 18678/fail/ntt/whois…
実は、緑鷲直は恐ろしいことに米国のPCエンジニアが何年もかかって構築した米国のスパイ情報収集システムソフト『エシュロン』の日本語版をひとりで完成させていた。スノーデンで有名になった『PRISM(プリズム)』の更に上の諜報プログラムである。
いわゆる『GEE(グリーンイーグルエシュロン)』である。
また、普通のウイルス防御システム『ファイヤーウォール(防火扉)』の数百倍の威力のいわゆる『GEFW(グリーンイーグルファイヤーウォール)』まで完成させていた。
まさに「敵に回すと怖い」人物。それが緑鷲直、であった。
そのいわゆる『GEE(グリーンイーグルエシュロン)』で怪しげな情報を検索した直は匿名でインターポール(国際警察機構)に通報した。
それが前述したウラジオストクでの姜正日こと鈴木良純のテロ計画であった。
またも直がテロリスト逮捕に貢献したのである。


 緑鷲直の父親は一年前に癌で病死していたことは前述したと思う。
また、二年前のウイルステロ事件で弟も死んでいるから直はひとりぼっちである。
確かに親戚は北海道や東北地方にいるが、直は東京を離れる気にはならなかった。
カネなら公務員だった父親の遺族年金があるし、だからアジトまで用意できたのだ。
実家も留守がちになった。
寂しいのだ。
風呂と眠る為にだけ帰るようなものだった。
実家に帰ると直はテレビをつけた。
大型のディスプレイで、父親が生前に「直が活躍した記念だぞ」と奮発して買った高額な8Kテレビだった。今では観るのは直ただひとり、である。
緑鷲直はリモコンで、テレビをつけた。
すると報道番組をやっている。
麻倍信子の祖父・麻倍晋作法相は現在、民自党の総裁・内閣総理大臣にまでなっていた。
その麻倍首相の日本国に、数日後に米国のウエリントン大統領が訪日して日米首脳会談を軽井沢のホテルで開くのだという。
また、別のニュースではセモールラ民主主義人民共和国がまた日本海にミサイルを数発発射したんだという。大きなニュースだった。
「日米首脳会談か………また事件が起きなければいいけど」
直にはひっかかる感覚があった。
いわゆる『GEE(グリーンイーグルエシュロン)』での検索結果、である。
どうも不審人物や団体がある種の危険団体が秘密裏に日本に潜伏してテロ計画を練っているような情報がわずかだが『GEE』で検索がヒットした。わずかな情報で、当然、暗号化されているメール送受信だが、これは「なにかある」と経験でわかった。
勿論、緑鷲直程ではないにしろハッキングやクラッキングの上達者もいる。
敵にだってクラッカー(悪いハッキングをする者)はいるだろう。
直には、二年前の『魔界の鬼手』といわれたテロ集団が全て壊滅したのではないことぐらいわかっていた。まだまだ“伏兵”はいる。
用心にこしたことはない。
そんな夜、アジトの防犯センサーが鳴った。
侵入者が階段をあがってくる。
………魔界の鬼手か???!!
緑鷲直は強烈なフラッシュの光を眉間に喰らった気がした。ドミノ倒しの駒が倒れるように、冷たい血が全身の血管を流れ、震えに全身がやられていく。鼓動の早鐘のような動悸が耳にきこえる気がした。そんな筈はない!そんなはずは……震えた指は宙を泳いだ。
だが、直はにやりとなった。
疑惑の情報を圧縮ファイルにして匿名で、何台ものサーバーを経由させて、警察署に送信した。これで、テロ計画もおわりであろう。
すぐに警察がやってくる。
直はアジトの物置に隠れた。
すぐに警察や2SEELDZが来る。
怪しげな男たちは姿を消した。
だが、私服警察官に拘束された。
「なんだよ!離せよ!」
「緑鷲直。警察にいい情報をありがとう。さあ、いこうか?」
「2SEELDZですか?なら渡したいものが」
「いいからこい!」
直は覆面パトカーで連行された。
直は女性なので女性警官が拘束していた。
そこは警視庁公安三課対テロ組織2SEELDZ本部だった。
「なつかしいなあ。二年ぶりかあ」
「緑鷲直。いや、グリーンイーグルといったほうがいいかな?」
やがて、2SEELDZの尋問室の椅子に座らされた。
「すべての君が握っている情報を教えて欲しい。すべてだ!」
長篠麻里男室長は直に尋ねた。
それにしてもどうしてこうも自分の前ですべてのことがバラバラに崩れ落ちるのだろう。
すべては完璧な筈なのに何故……何故に自分の前ですべてが崩壊して、消え失せるのか?
とにかく糞食らえだ。こんな馬鹿馬鹿しいことでビジネスマンのケツを悩ますかわりに、クジラを助けるとか、原子力のメルトダウンを防ぐとかしたらどうなんだ。
いったいどうして彼が、厳しい厳格な親に育てられて一流大学を卒業した高級官僚が、何故、ピンチや危機的状況に見舞われなければならないのか?そうだ、思い出した。
室長は壁に書いてあるであろう答えを見つけようとした。
“お前の負けだ”そう書いてある気がした。
そんな馬鹿な!頭を激しくふった。だが、そう簡単には答えが見つかりそうにもない。
「急がば回れ」か?本部長は足を急いだ。このままではとんでもないことになる。そうさ。それくらいはわかる。俺は馬鹿じゃないんだ。そうさ。そうなのさ。
「黒田室長は?」
「黒田前室長は数か月前に定年でやめたよ。私は新室長の長篠麻里男だ」
「よろしく。松重さんはどうしてますか?あ、宝田さん。」
宝田は直に挨拶をした。そして「ところで直ちゃん、エシュロンの日本語版プログラムをひとりで構築したっていうのは本当なの?」
「え、あ、はい。少し時間がかかりましたが『GEE』は完成しました。また『GEFW』もです」
「あいかわらず凄いのね、直ちゃん。いや、グリーンイーグル!」
「私は『GEE』も『GEFW』も政府に売りますよ。ただで」
直はにやりと笑った。「すべては『GEE』の検索結果なんです。ウラジオストクでのことも、謎の言葉『世界再起動計画』『パンドラの匣』も」
長篠は「確かに姜正日こと鈴木良純を逮捕し旅客機で護送中だ。だが、二年前に逮捕した総統・金成正(キム・ソンジョン)こと金城徹も監獄で病死してしまった。もはや、姜正日こと鈴木良純しか我々の情報源がない」
「そうでもないでしょう?『GEE』と『GEFW』があればたいていのテロは防げます。最高の矛と最高の盾………矛盾ですけどね」
「それプラス伝説の天才ウィザード級ハッカーグリーンイーグルか。頼もしい!」
一同は渡りに船だと思った。
いや、寄らば大樹の陰、か???
何にせよ、また大規模なテロルが起きる気配だ。
「それにしても連中は二年前に旅客機に核爆弾をしかけたんですよね?今回もということはないのでしょうか?二度ある事は三度ある、といいますし…」
「それもそうだな。直くん。松重に連絡をとれ!スマホに電話だ。」
長篠室長は部下に命令した。直は「松重さんもウラジオストクに?」と聞いた。
「ああ、あいつは行くときかなかった。何か感じるものがあったんだろう」
鈴木良純は席でとなりの桐野清二に「桐野さん部下の敵討ちってこと?」とにやにや挑発する。「いや、部下じゃないや。フィアンセだっけ。えーと、名前はなんとか亜衣…」
「……鈴能亜衣だ。貴様!」
「じゃあ、持ってる銃でぼくを殺しちゃいなよ?」
「………」
良純は狂ったように笑う。
緑鷲直の端正な顔に少女っぽい笑みが広がった。少女っぽいと共に大人びてもいる。魅力的な、説得力のある微笑みであった。だが、そのときは見たひとにとっては彼女の片棒をかつぐのだけはごめんだ、と思わせた。しかし、直は天才的なハッカーであることにはかわりない。正直に評価できる天才であることにはかわりない。
やがてスマホがつながった。圏外ではなかった。
最近、基地局が大量に増えたからだ。
「はい。どうも松重です。」
「長篠だ。姜正日こと鈴木良純はちゃんとおとなしくしてるか?」
「はい、室長。両手に手錠をかけて拘束しています。精神を病んでいるのか……にやにや笑っていますが…」
直は思い切って声をかけた。「松重さん?」
「ん?あ!緑鷲直か??」
「はい!元気でしたか?松重さん」
「ああ。あのガキがね」
「いやいや、もう私は二十代ですからガキじゃありませんよ」
「二十代前半なんて俺には立派なガキだ。すまねえな。お前ももう普通に暮らしていただろうに。俺たちはお前を巻き込みたくなくて「あいつを放っておいてやれ。もうちゃんとした生活に戻っているはずだ」って反対したんだが」
「いいですよ。わたしは女版正義の世界一のホワイトハッカーですから」
「それ。自分でいっちゃう?」
「はい。」
ふたりは笑った。しかし、良純は機内に時限式爆弾があり、それはネット回線で操れるタイプだと白状した。このままならこの飛行機はシベリア上空で爆発するとも。
ネットで操れるが、腕の鈍った緑鷲直なんかに爆破を止められない、とも。
緑鷲直は2SEELDZの建物で新・室長と話した。
「犯罪を犯さなければ逮捕するなんて言われたのは二度目だわ」
「直くん。すまない。君を巻き込むつもりはなかった」
「あなたがたはいつもそう。勝手で仕事のことばかり…」
「私達は日本をテロから救っているんだ」
「それを手伝え、ってこと?」
「すまない。君のハッカーとしての腕が必要なんだ」
「でも、わたしが中学生の時逮捕補導された時、父さんはわたしを殴ったわ」
「…君の父親も混乱していたんだ。でも、嫌なら無理強いはしない。ただな、この東京に今日の夜にも核テロが起きるっていう確証をわれわれ2SEELDZは察知した」
「そういえば私もそういう情報はハックしたわ。それと怪しい団体か個人かわからないけどジャパンエアフライトに何回か不正アクセスのログも見た」
「ジャパンエアフライト?航空会社か?」
「ええ。今夜東京羽田に到着の極東からの便にアクセスが集中していたわ」
「……まさか…?爆弾テロとは…ミサイルではなく…飛行機にまた核爆弾なのか!」
「そこまでは…知らないわ。でももう誰も失いたくない!」
「直くん、これは危険だぞ!」
「日本が今夜核爆弾で壊滅する!」
 緑鷲直は驚いて息を呑んだ。
その後、お偉いさんに直はいわれた。
「君のハッカーとしての才能が必要なんだ!いいかい?今夜東京上空で爆弾が爆破したら君も君の親戚も君の友達もすべていなくなってしまうんだよ」
「でも……わたしはもう関係ない!かかわりたくないのよ!」
だが、直は高橋には胸ぐらをつかまれ、「このガキ!いいか?!!才能を神から与えられた人間はその神業をつかって歴史を動かす役割があるんだ!逃げるな!お前が東京を救わないで誰が東京を救うんだ?!!」
「…………くそっ!わかりましたよ!やりゃあいいんでしょう!」
「そうだ!二年前の奇跡を!もう一度奇跡をおこすんだ!!!」
緑鷲直は眉をひそめたが、またパソコンの画面に眼をうつした。直はその場で凍りつき、一瞬、眼をとじた。やるしかない!覚悟をきめた。震える手を何とか動かした。
直のみぞうちを占めていた漠然たる不安が、驚異的な形をとりはじめた。彼女の本能のすべての赤い警告のランプがついていた。「どういう意味なの?」思わず声をあげようとさえした。だが、理性が勝った。「ちくしょうめ」そういう汚い言葉まででかかった。だが、それにも理性が勝った。肩をいからせぜいぜいしたい気分だったが、それも理性が勝った。
警察にばれたら弟や父親の命はない。危険だがやらないよりはマシだ。そうさ!
彼らは片手をさしのべ、自分たちがついているのだと思い出させてくれた。やさしく、彼女の肩に触れた。直は「週末がだめになった」と言った。
「週末?」直の言葉があまりにも場違いだったために、一同は耳を疑った。
「緑鷲直……」直は視線をさけた。そして「弟はいじめられていたわたしの救いだった」
正直な感想を吐露した。一同は気の毒がった。
直はその後、泣き続けた。
何にしても漫画やドラマのように数分で解読できる訳がない。
しかも、相手は『時限爆弾』である。
#endif
Int rt_throttled;
U64 rt_time
U64 rt_runtime;
/* Nests inside the rq lock: */…
「くそっ!暗号が数百もある!」
直はキーボードをばん!と叩いた。
「…無理なのか???」
直はまたも速攻でキー入力を始め、「いいえ。要は金庫師と同じです。どんな頑強な金庫でも金庫の専門家なら開けられる!そのパソコン版です!」
「できるか?」
「…出来ないこともありません。時限爆弾を止めるだけなら!ですが、調べてわかったんだけど時限爆弾はある人工衛星のGPSが装置を止めてもGPSが極東にある限り…爆弾は爆発します。自衛隊のスクランブルはかかっているんですよね??」
「ああ。現在内閣総理大臣の勅命で、航空自衛隊の戦闘機二機がスクランブルをかけて飛行機に伴走している!最悪、撃墜して日本海内で爆発させる!それでも数千万人が犠牲になる!」
「じゃあ、二年前の奇跡を!人工衛星の管制所のNASAやペンタゴン(米国国防省)にハッキングして爆発解除のパスワードを入手するしかないわね!」
「でも、ペンタゴンやNASAのセキュリティの高さは世界一よ。どうするの?」
「確かにペンタゴンやNASAのセキュリティは堅牢でも管理者まで堅牢かはわからないわ!管理者のパソコンかスマホにアクセスして必ずハックしてみせる!二年前の奇跡を!」
緑鷲直は、やるしかない、とパソコンのキーボードを高速でかたかた叩き、ハッキングしていく。
その頃、日本国の内閣でも国家安全局会議が開かれていた。
「どうする?このままじゃ日本は壊滅だ」
「本当に政府に責任があるのか?テロだぞ」
「堺大臣、今更ご自分の保身を考えている場合ですか?」
「ふん。さすがは総理お気に入りのおんな防衛大臣だ。余裕じゃないか。もうすぐ日本上空で大爆発がおこるかも知れないのに」
「ですから、日本海上で旅客機を墜落させて海の中で爆発させるしかない」
「乗客は?」
「犠牲は仕方ない。日本が爆発するより旅客者の死の方がリスクが少ない」
「やれやれ。」
「あ!麻倍首相!」麻倍晋作は内閣総理大臣となっていた。
画面の地図上では飛行機は現在、シベリア上空を東にむかっている。
政府の命令で飛行ルートを変更したのだ。何も知らない乗客たちは「おかしい。町の明かりがみえない」「変だなあ」と動揺し始めた。
確かに凄い!まさに天才ハッカーである!驚愕する程の速さで暗号解読がすすむ。
だが、時限爆弾の時間はあと数分!二年前の奇跡をもう一度!!頼む!!!
凄い勢いで暗号が解読されていく。流石は天才ハッカーで“伝説”にまでなる女性である。
飛行機内では桐野がパイロットと話しているところだった。
パイロットは「わたしには乗客の命を守る使命があります」
「それはわかります。しかし日本上空で爆弾が爆発するのは困る。われわれは国民のために爆弾ごと海で死ぬしかない。だが、われわれは最期まであきらめない!」
「ひとの命の重さってなんですかね?」
「大勢が助かれば少数は死ぬべき、とは…」
「安心してください。こんな同じような状況で二年前…奇跡を起こした天才ハッカーがいます!今度も必ず彼女ならやってくれます!」
「……彼女?女性なんですか…??」
そんなとき、スパイ容疑で連行していた男(鈴木良純)が騒ぎ出した。
「大変だー!この飛行機内に核爆弾がある!テロリストが日本の国内の空上で爆発させる気だー!」などと手錠のまま騒ぎ出した。
猿芝居であり、乗客たちをパニックに陥れるためだ。「あいつがテロリストだ!」
桐野らを指さす。乗客たちはもうパニックだ。
「落ち着いて!落ち着いて!」桐野や松重は銃を構え、警察手帳を見せた。
「わたしたちは警察官です。正直にいいます。その男の言うとおりです。この飛行機内しかも飛行機内に小型爆弾があります。タイマーもカウントしています。ですが、われわれが必ずみなさんも日本国民も救って見せます!安心してください!」
パイロットも「このかたたちがきっと守ってくれます。しんじましょう!」
そこで直はハックしたパスワードをスマホ越しにつたえた。
「パスワードは………、爆弾の察知場所は客室です!」
「暗号は解読できても……接続のパソコンが駄目では…」
天才ハッカーは指を止めた。そしてハッと気づいた。
解読は出来るが…こんなシーンを二年前に体験した!!二年前と同じでいいのか??。
速攻でキー入力をしていく。二年前とはプログラムは違うが状況は同じ………賭けだわ!
時限爆弾…三分前…二分前…一分前……
松重は「くそう!まだ飛行機は日本海沖だ!」
内閣はNSC(国家安全保障会議)で、外相が「総理!撃墜指示を!」
「まってください!今、天才ハッカーがやっています!」
30秒前…20秒前……。「いけー!」直はエンターキーを、祈りを込めて押した。
ピー………。
地図上の飛行機のマークが消えた。撃墜???いや、また点滅しだした。無事だ!
核爆発は???「桐野です!核時限爆弾のタイマーが数秒前で止まりました…」
ほっ。NSCでも2SEELDZでも飛行機の客室内でも歓声が上がる。
緑鷲直はほっと肩を落とした。額の汗をぬぐう。
「いったいどうしたんだ???」
確かに疑問ももっともである。
直はにやりとなって、「二年前と同じですよ」と言った。
「二年前も私が人工衛星をハックしてGPS信号を改ざんしましたよね?それをもう一度出来るんじゃないか?って。プログラムは違いましたが…二年前に一度やってますし。」
室長は「しかし、二年前とは爆弾のシステムは難解になっていただろう??」
「ええ。でも、まだまだわたしのハッキング能力に比べたらまだまだです。」
松重も「この糞ガキ、二年前の奇跡を本当に再現化したって訳かあ。」とえらく納得した。「うまくいったからいいけど失敗したら日本はおわっていたぜえ」苦笑した。
……これが天才ハッカーの底力か!
一同は危機回避に安堵し、感謝の拍手喝采で祝った。
だが、誰も気づかなかった。
直は絶頂の中にいた。「二年前の奇跡の復活だ!」
陰謀の陰が忍び寄っているとも知らずに…。
それを聴いていた姜正日こと鈴木良純はにやにやと笑い、「グリーンイーグルこと緑鷲直か。はははは、君には二年前にも計画を止められたね?でも、今度はそううまくいかないよ。『世界再起動計画』はけして止められないよ」
「黙れ!姜正日!拘束されて仲間もいない空の上でお前に何ができる!」
松重は我鳴った。
それでも姜正日はにやにや笑っている。
「それはどうでしょうかねえ。魔界の鬼手が、こんな厄介な僕を生かしておくと思う?」
「何?まさか手前も核爆弾を…?!!!」
「いや。核爆弾ではないよ。只の爆弾………」
「何っ?!」
そして姜正日こと鈴木良純が手錠された両手を掲げた。
その瞬間、右手の時計が光った。信号が送信される……
ドォオオン!
日本海沖で松重や鈴木良純らを乗せた旅客機は空中爆破し、その破片は四散した。
2SEELDZのデジタル地図上のポイントから松重や桐野や護送中の姜正日こと鈴木良純の乗る旅客機のポイントが消えた。
やられた!まさに自爆テロ!旅客機に仕掛けられていた爆弾が爆発したのだ。
……まさか!!!!やはり、二年前の方法では奇跡は二度も起こせないか……
2SEELDZの一同は凍りついたように沈黙した。
しばらくして、長篠麻里男室長は「くそったれ!」とゴミ箱を蹴った。
「……『世界再起動計画』って……何?」
直は茫然としてから涙を流し、呟いた。
只々、一同は戦慄した。
「もう誰も失いたくない!もう誰も失いたくない!」
緑鷲直は号泣した。それは恐怖、であった。



 2 最後の晩餐『魔界の鬼手』暗躍!日本国・世界の終りか?
絶望の果てにひとは何を見るのか?



「その方が信子のフィアンセ(婚約者)なのか?」
東京都内の高級住宅街田園調布の豪邸で、背広姿の麻倍晋作は椅子に座り、背広姿の眼鏡の男に訊いていた。次の日の早朝である。
窓側の席である。珈琲をお手伝いさんがだしたのか、テーブルにはカップがある。
だが、珈琲どころじゃない。
「初めまして、麻倍総理。私は東大生の相田翔哉と申します」
相手は眼鏡の科学者の卵の相田翔哉である。イケメンだった。
「そうか、君が信子がうれしそうにうわさしていた相田くんか」
「…はい。」
「なら、数日後に軽井沢で開かれる首脳会談のパーティに信子と一緒に参加せねか?」
「…え?でも、私如き只の東大生がよろしいのですか??」
「かまわんよ。なんせ信子のフィアンセなんだ。もうすぐ家族になるのだろう?」
流石は強く言った。
「はい。ありがとうございます。」
「君はパーティ用の燕尾服は持っているかね??」
「あ、いいえ。そのようなものは…レンタル洋服店から借ります」
「……レンタル?」
「はい。貧乏なもので。上等な服はもっていませんで…」
「ははは…」麻倍晋作は笑った。
「気に入った!まあ、わしも貧乏サラリーマンから一代で代議士、内閣総理大臣までになった。男は少し貧乏な方がサバイバル能力が高い。しかも東大生、学歴は立派な武器だよ」
「………ありがとう。おじいちゃま」
「いや。信子がいいというなら相田くんにわしの地盤看板カバンを託して後継者にしてもよいよ。わしももう歳だからね」


*****続く(刊行本または電子書籍に続く)続く********

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【2018年度NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』】第一話から上々の展開!今後に期待

2018年01月09日 13時17分28秒 | 日記


















































今年のNHK大河ドラマ『西郷どん』の第1話が2018年1月7日、放送された。
舞台は1840年の薩摩藩で、第1話では西郷隆盛の少年時代が描かれた。



 小吉(のちの西郷)は仲間たちと“お菓子”を盗むために薩摩藩主の別邸に忍び込む。が、見つかってしまい逃走中、すすまみれになって砲撃を開発中の天狗のような出で立ちの男(渡辺謙)に出会い、「お前は一番幼い仲間を見捨てて逃げた。弱い者の身になれん奴は、弱い者以下のクズだ。そういう奴のことを、薩摩では“やっせんぼ”って言うのだ」と叱責される。その晩、自宅で小吉は家族を前にして「おいは、自分より弱か者を守りとうございます。そんために、もっと強くなりたか」と宣言する。
 そして後日、妙円寺詣りで小吉たちの郷中が一番となり褒美の餅を頬張っていると、薩摩藩主・島津成興(鹿賀丈史)の子、島津久光(青木崇高)が馬に乗って現れ、一同が地面に正座し頭を下げる。そして、なんと久光の後ろには先日出会った“天狗男”が甲をかぶり立っており、その男が藩主の“お世継ぎ様”島津斉彬であることを小吉は知る。
 斉彬の魅力に引かれた小吉は、将来斉彬の“お側に仕える”ことを決心し、ますます剣術の稽古に精を出していたが、道中で襲ってきた相手と格闘中に真剣で肩に大きな傷を負い、武士であるにもかかわらず一生刀を振れない体となってしまう。
 絶望して林の中で泣いていると、狩りをしていた斉彬に再び遭遇。小吉は「おいは、いつか斉彬様のお側で忠義を尽くしとうございます。じゃっと、こん右手で二度と刀を持てなくなりました」と訴える。すると斉彬は、「死んではならん。侍が重い刀を2本も差してふんぞり返る時代は終わるんだ。これからは弱き者の声を聞き、民のために尽くせる者のみが真の強い侍となる。お前はそういう侍となればよい」と言い残し、去っていく。そして小吉はますます将来斉彬に仕える決心を強くするところまでが放送された。


 第1話を見た感想としては、ほぼ全編にわたり小吉の少年時代が描かれていたが、川で子ども同士がケンカをしたり、藩主の別邸に忍び込んだりと、「まあ、歴代の大河ドラマの初回ではありがちな第一話」と感じた。
 主人公の少年時代を大河『おんな城主直虎』みたいに一ヶ月間もみせられるのは勘弁してほしいが、そうではないらしい。島津斉彬を神のようにみせるのは大河ドラマ『天地人』の上杉謙信(阿部寛)と同じパターン。また、西郷隆盛の三番目の妻・糸・イト・が最初に上野の西郷像を、「違う。うちの旦那さんはこげなひとじゃなかとよ。こげなひとじゃなか」というところからはじまるのは30年前の日テレ歴史ドラマ『田原坂』(杉山義法脚本)のいいところどり。また原作小説は、大河ドラマ『翔ぶが如く』や原作小説や他者著作本からの盗作が散見されたりした。
 これは脚本家の中園ミホ先生というより林真理子(原作者)先生の盗作のせいだろう。
 薩摩言葉が難しくて「何を言っているか分らない」という声もSNSなどでみられた。
 字幕でもつければいい。その程度の瑕疵である。わたしは全部わかったが、勉強不足の人間にはわからないんだろう。
なら大河ドラマ『龍馬伝』の土佐言葉にも字幕をいれるの?みたいな話だ。
 ナレーションの西田敏行(大河ドラマ『翔ぶが如く』へのオマージュ)も気持ちがはいっていていい。
 鹿賀丈史の演技もいい。何より主人公の西郷吉之助役の鈴木亮平さんが役作りで体重を大幅に増大させたのはいい。
あの演技上手の鈴木亮平さんなら大河でも充分やっていける。
あとは脚本家の腕のみせどころだ。大河ドラマだからと特殊に描く必要はないが、うまく西郷の内面も描くこと。
男にも女にももてただのだけではない、女性目線での西郷隆盛を描いて欲しい。
ひな型は大河『翔ぶが如く』があるのだから失敗はないだろう。輝くような西郷隆盛を描ききれ!!!!




 上杉(長尾)景虎  臥竜

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【2018年度大河ドラマ西郷どん】勝海舟役・坂本龍馬役・木戸孝允役・徳川慶喜役

2018年01月04日 17時02分22秒 | 日記

























いよいよ2018年度NHK大河ドラマ『西郷どん』(主演・鈴木亮平さん)がスタートしますね。

そこでここではまだクレジットのない勝海舟役・坂本龍馬役・木戸孝允役・徳川慶喜役の予想と願望を書きます。

NHKさんよろしく(笑)

まずは勝海舟(勝麟太郎)役は小日向文世さん、です。か、北大路欣也さん。か、武田鉄矢さん。

無名な俳優の勝海舟はむしろ危ない。もっと若い俳優でも。東出昌大さんとか高橋和也さんとか。

そして坂本龍馬役は年末ドラマで蛇のような演技で光った新井浩文さん。逆に龍馬役にアイドルは危ない。

木戸孝允(桂小五郎)役はディーンフジオカさん。か、高橋一生さん。木戸はイケメン枠ですから(笑)

徳川慶喜役はいまはまだわからない。予想もつかない。

堺雅人か原田泰造か筒井道隆か????正直、わかりません。

だいたいにして決めるのはNHKサイドだし(笑)

高杉晋作役と沖田総司役にイケメンをそろえるのも視聴率対策ですね。ジャニタレとか(笑)

高杉や新撰組は出ないか(笑)

維新三傑は絶対出る。なら、木戸はディーンさんクラスじゃないと。

維新三舟(海舟・鉄舟・泥舟)も出さなきゃ駄目。ここは無名俳優でも我慢。庄内藩とのエピソードも。

あまりイケメン大河みたいなF層へのこび売りみたいなキャスティングはむしろ大河『花燃ゆ』の二の舞だ。

鈴木亮平さんが西郷なら勝も若くないと。おじいさん俳優と江戸無血開城ドラマ場面はむしろ危ない。

NHKは大河『花燃ゆ』で学んだはずだ。過去の失敗を未来に生かせ!!!





上杉(長尾)景虎   臥竜


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【村本大輔氏幼稚園児レベルの知識】”朝生”後炎上 無知な痛いおっさん芸人

2018年01月04日 04時34分46秒 | 日記
































ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏の発言を中国・環球時報が報道 「中国に尖閣を侵略されたら白旗を挙げて投降する」の見出しで





ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏の発言を中国・環球時報が報道 「中国に尖閣を侵略されたら白旗を挙げて投稿する」の見出しで: 笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏=東京・豊洲(今井正人撮影)© 産経新聞 提供 笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏=東京・豊洲(今井正人撮影)

 中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は2日、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏(37)が、元日にテレビ朝日系で生放送された討論番組「朝まで生テレビ! 元旦スペシャル」で、沖縄県石垣市の尖閣諸島が侵略された場合、「白旗を挙げて投降する」などと述べた発言を掲載した。

 2日の環球時報インターネット版では「日本の芸人、釣魚島(尖閣諸島の中国名)が『侵略』されたら、白旗を挙げて投降する」との見出しで、村本氏の発言を報じた。

 「中国が沖縄を欲しいと言ったらあげるんですか」との龍谷大の李相哲教授の問いに「だって中国から取ったんでしょ」と述べたことを紹介。

 村本氏の「尖閣諸島を守るために人を殺すくらいなら、(尖閣は)いらない」「僕は(尖閣諸島を)取られてもいいです」「なぜ中国や北朝鮮が日本を侵略するという話になるのか、私、分からない」という発言も報じた。

 さらに村本氏が昨年12月17日のフジテレビ系番組「THE MANZAI」に出演した際、沖縄県の米軍基地に関して「日本全体の問題をなぜ沖縄に押しつけるのか」「(日本政府は)見て見ぬ振りをしている」と発言したことも掲載した。

 一方で日米関係については「大量の兵器を買ってくれる日本は、米国にとって『友好国家』ではなく『便利な国』にすぎない」との村本氏の発言を引き、一連の村本氏の発言の結果、自身のツイッターが炎上し「日本の教育の失敗だ。小学生以下の知識だ」などという非難であふれた上、テレビ朝日に「今後、村本氏を使うな」という声が殺到しているとした。

 村本氏のツイッターには「沖縄は中国から取った」発言などを非難するものが今もあふれている。(WEB編集チーム)

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【村本大輔氏馬脚を現す】「非武装中立」「尖閣あげる」「沖縄は中国からとった」笑´

2018年01月01日 18時39分17秒 | 日記



































ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏、テレ朝の「朝生」に出演 「侵略されたら降参する」 「沖縄はもともと中国から取ったんでしょ」





 お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏(37)がテレビ朝日系討論番組「朝まで生テレビ元旦スペシャル」(1日午前1時から同5時50分)に出演した。

 村本氏は、尖閣諸島問題に議論が及んだ際、「非武装中立論」を説き、「(尖閣が)侵略されたらどうするの」との問いに「白旗をあげて降参する」と主張。「なぜ中国や北朝鮮が日本を侵略するのか、意味が分からない」などと述べた。 また「尖閣諸島は人を殺して国を守るなら、(尖閣を)取られてもいい」と答えた。龍谷大の李相哲教授が「沖縄をくださいと言ったら、あげるわけですか」と問いかけると「もともと(沖縄は)中国から取ったんでしょ」と答えた。

     ◇

 尖閣諸島の部分の主な討論内容は以下の通り

 井上達夫・東京大大学院教授「村本さん、非武装中立が多くの人は何を意味するか理解しないでいっているわけね。じゃあ、攻撃されたらどうしますか」

 村本氏「なぜ攻撃されるんですか」

 井上氏「侵略されないに越したことはない。じゃあ、もし侵略されたらどうするの。白旗を挙げて降参するの」

 村本氏「僕はそっちかなと思います」

 井上氏「そしたら侵略者に対して、侵略者に侵略のインセンティブを与えちゃうよね」

 村本氏「なぜ、侵略されるのか、意味が分からないです。なぜ、中国や北朝鮮が日本を侵略するという発想になるのか、私、分からない」

 井上氏「それは君が問題を避けているの。君の良いところは問題を逃げないことだと思ったけど、今までの非武装中立論は皆、そうやって…」

 村本氏「手を挙げて言います。白旗を挙げて…」

 司会の田原総一朗氏「例えば具体的に言うと、もしも日本が、米軍と自衛隊がいなかったら、尖閣は、中国は取るよ」

 村本氏「分かりました。じゃあ、僕は逃げずに答えますけども、僕は…僕の意見は…」

 田原氏「取られても良いわけね」

 村本氏「僕は取られても良いです。僕は明け渡します。僕はですよ」

 田原氏「何で」

 村本氏「だって、だって…、もし皆さんの身内に自衛隊とか軍隊がいて、その身内が人を殺して国を守ることって…」

 井上氏「じゃあ、自分の身内が殺されるってときに、敵を殺さないで自分が殺される状況に置かれたらどうする? 」

 村本氏「じゃあ、殺されます」

 井上氏「何で」

 村本氏「だって、誰かを殺すわけでしょ」

 井上氏「そういうこと、言う人は多いの」

 村本氏「分かりました」

 李相哲・龍谷大教授「尖閣諸島をよこせと言ったら大丈夫だと言ったけど、じゃあ、沖縄を下さいと言ったらあげるんですか」

 村本氏「もともと中国から取ったんでしょ」(WEB編集チーム)

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年末年始一気読みスペシャル特別編成『おんな城主井伊直虎』ブログ小説VOL.4

2017年12月30日 16時19分37秒 | 日記










































**井伊直虎って女性なのか!? NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」先取り人物事典**
 2017年大河ドラマの主人公は「井伊直虎」である。戦国ファンや同時代のゲーム好きには割とよく知られた名前だが、その一方で主役を演じるのが柴咲コウさんだと聞いて驚かれた方も少なく無いだろう。
 直虎って女性なのか!?
 答えは、イエス。彼女は幼名を「おとわ(幼名不明のため大河ドラマではおとわ、この小説では麗)」、出家して「次郎法師」と言い、最終的には地元・井伊谷(いいのや)の女地頭になって「井伊直虎」を称する。
 一体、直虎という「おんな城主」はどんな人物だったのか? 幼少期の「おとわ」時代から解説していこう。
(直虎が男性だったという説が一部報じられていますが、本稿ではこれまで検証されてきた女性説の資料をもとに解説していきます)
◆虎の目を持つ一族と呼ばれた井伊家の人々
 彼女は一体、ドコでいつ生まれたのか?
 井伊直虎に限らず、戦国時代の女性は、名前も年齢も分かっていないことが多い。
 徳川家康の正室・築山御前ですらそうなのだから、地方の小領主に過ぎなかった井伊家の女性など、ある意味、不明で当然だ。が、それでは物語が何も進まないから、ある程度は演出を伴って物語は進んでいく。
 ドラマ『おんな城主 直虎』で、直虎の幼少期は「おとわ」(柴咲コウさん)という。
 おとわの生年は、許婚者の亀之丞(かめのじょう・三浦春馬さん)が1535年生まれであるため、1535±5年と推測。亀之丞にとって彼女は、年下の可愛い女の子であったとも、年上の男勝りの女の子であったとも言われている。
 作家は、数ある説の中から、ストーリーに都合のいい説を選びがちだ。それがメディアを通じて広まり、いつしか「定説」となり、気がつけば「真説」として定着してしまう。さて、大河ではどう描かれたか。
 柴咲コウさんの気丈なイメージ、かつ三浦春馬さんの優しげな風貌からして、直虎が年上となる。
 いずれにせよ井伊一族には、不思議な伝承がある。
 虎の目を持つ一族――というのがソレ。
 「虎の目」とは、「野性的な目」と解されるが、私は「茶色の目」と解している(茶色の目の持ち主といえば、時代劇の俳優なら静岡県出身の里見浩太朗さん、アイドルなら大島優子さんや橋本環奈さん辺りだろうか)。
 相手に安心感を与えて信頼される目。人を惹きつける目。魅力的な目ということであろう。
 おとわの父親は、井伊22代宗主直盛(なおもり・杉本哲太さん)である。直盛の幼名は、江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』に「虎松」とある。「虎丸」とする説もあるが、いずれにせよ、虎の目を持つ人間であったのであろう。
 一方、おとわの母は、ドラマでは新野千賀(ちか・財前直見さん)となっている。新野氏は、今川氏の庶子家で、御前崎市新野の地頭(この当時の「地頭」は「領主」の意)であった。井伊家と新野氏・娘との結婚は、今川氏との結びつきを深めるための政略結婚だったとされている。
 こうした両親のもと、おとわが生まれた場所は井伊谷(いいのや・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の井伊氏居館と伝えられている。
 が、残念ながら直盛夫妻が授かった子は「おとわ」のみで、井伊家の宗主であるにも関わらず息子に恵まれなかった。
 そこで井伊20代宗主直平(なおひら・おとわの曽祖父、前田吟さん)が、「男子が生まれなかった場合は、わしの息子の井伊直満(なおみつ・宇梶剛士さん)の子・亀之丞と、おとわを結婚させる。亀之丞に井伊家を継がせるのだ」と決めた。
 おとわが、まだ2~3歳の時だったという。
◆亀之丞は信州へと亡命 出家して「次郎法師」を名乗る
 「おとわ」と呼ばれていた時代、彼女は宗家の娘として、何不自由なく過ごしていた。
 が、間もなく悲劇が起きる。井伊直満(亀之丞の父)が今川義元に誅殺されてしまった上に、当時のならいで息子の亀之丞(当時9歳)にも殺害命令が出されたのだ。直虎の許婚者であり、井伊家宗主候補だった亀之丞は、かくして信州へと亡命し、消息不明となってしまう。
 若かりしおとわが絶望の底へ突き落とされたのは想像に難くない。
 当時の女性の結婚適齢期は13歳前後と言われている。その年頃になったおとわは、なぜか自分で自分の髪を切り、大叔父の南渓和尚(なんけい・龍潭寺二世住職・小林薫さん)の元へ出向いた。
「出家したい。尼の名前を付けて欲しい」
 それを聞いたおとわの両親(直盛・千賀)は驚いて、「尼の名だけは付けるな」と南渓和尚に迫ったという。両者の板挟みにあった和尚は、親の意を汲んだ「次郎」という俗名と、娘の意を汲んだ「法師」という僧名を合わせ、「次郎法師」と名付けた。
※このあたりのヤリトリは、江戸中期に祖山和尚(龍潭寺九世住職)によって書かれた『井伊家伝記』に、まるでその場にいたような描写で書かれている
 おとわが「出家したい」と考えた理由は
「(亀之丞はいつか帰ってくると信じて)愛を貫くため」
 すなわち、次々と舞い込む縁談を断るためとも
「(亀之丞が死んだと信じて)いいなずけの菩提を弔うため」
 とも言われている。
 ドラマ風にアレンジするならば、おとわは亀之丞だけを永遠(とわ)に愛したのであった。
◆桶狭間で直盛が死んだけど、直政が生まれた
 南渓和尚が付けた「次郎法師」の「次郎」という俗名は、井伊家当主が使う通称である。
 つまり、「次郎法師」とは女性(尼)の名ではなく、男(僧)の名であった。この「次郎法師」と名乗っていた時期を「男として生きる準備期間であった」と位置づけている方もおられる。
 亀之丞(9歳)が信州に亡命して10年後の弘治元年(1555)2月、ハタチになった亀之丞が井伊谷に帰ってきた。
 ここで「次郎法師」という名が活きる。尼であれば還俗できないが、僧であれば還俗して結婚できるのである。
――次郎法師は、還俗し、亀之丞と結婚して、幸せに暮らした。
 と書きたいのであるが、現実はさにあらず。彼女は、還俗をしなかった。むろん結婚もしていない。なぜか。
 理由として考えられるのは、彼女の結婚適齢期を超えていたからということもあろうが、亀之丞がすでに信州で子(高瀬姫・後の彦根藩家老の川手氏の妻など)をもうけていたことにショックを受けたのであろう。
「立場が上である嫡流の彼女は愛を貫いたのに、傍流の男に裏切られた」
 つまり宗家が舐められたとしてプライドを傷つけられ、還俗も結婚もしなかったのではなかろうか?と私は思う。
 結局、亀之丞は直盛の養子となり、元服して直親(なおちか)を名乗った。そして、奥山氏(井伊家の庶子家)の娘・しの(奥山家文書によると実名は「おひよ」・貫地谷しほりさん)と結婚したのである。
 直虎にとっては不運な運命としか言いようないが、井伊家にとっては、ひとまず跡取りが現れ、安泰。と、そんなところで歴史を揺るがす大事件が起きる。
 桶狭間の戦いである。
 永禄3年(1560)5月19日、直虎の父・直盛が「桶狭間の戦い」で殉死すると、母・千賀は出家して「祐椿尼」(ゆうちんに)と称し、直親が23代宗主となった。そして、翌永禄4年(1561)2月9日、新しく虎の目を持つ男の子が生まれた。
 名は直盛と同じ「虎松」。後の徳川四天王・井伊直政である。歴史を知る我々からすれば、なるほどこれで井伊家の家運は上昇したのであろうか、と考えがちかもしれないが、そうは簡単には進まない。
 翌永禄5年(1562)、今度は井伊直親(三浦春馬さん)が「徳川家康に内通している」として、今川忠臣の朝比奈泰朝に誅殺されてしまったのだ。
――そして井伊家には成人男性がいなくなった。
◆井伊谷では「静の直虎・動の直政」と対比される
 井伊家が消滅する。
 そう思われたが、1つの望みはあった。虎松である。次郎法師は、還俗して「井伊次郎直虎」と名を変え、虎松の後見人となった。
 「女城主・井伊直虎」の誕生である。
 その名に恥じない武将として、『彼女はさぞかし勇ましい男として生きたのだろう』と考えられがちだが、地元・井伊谷では「女地頭・次郎法師」と呼ばれ、物静かで優しい女性だったと伝わっている。
 「静の直虎・動の直政」と対比されるほどで、ドラマではどう描かれるか楽しみの一つだ。
 実際、彼女が「女城主」だった頃には、幸いなことに大きな戦いもなく、「女武将」としての勇ましい手腕は未知数だ。むしろ「女地頭」「女領主」としての内政能力のほうが高く評価され、土地訴訟の解決や新田開発に力を入れた。
 地味な話ではあるが、直虎最大の功績は、今川氏真が永禄9年(1566)に出した「井伊谷徳政令」を2年間凍結したことであるとされる。
 ただし、永禄11年(1568)11月9日に徳政令を施行すると、地頭職を解かれてしまい、さらに命まで狙われるようになった。そこで直虎は尼となって「祐圓尼」(ゆうえんに・「圓」は「円」の旧字体)と名乗り、実母の祐椿尼(ゆうちんに)と共に龍潭寺に入った。
 後の井伊直政である虎松は鳳来寺へ。また、時をおいて虎松の実母・しのは、徳川家臣・松下源太郎清景(きよかげ)と再婚した。
◆「日本最強の赤備え」山県隊が井伊谷に襲いかかる
 直虎の地頭解任後、家老であった小野政次(高橋一生さん)が地頭に任命された。
 が、その期間は短く、わずか1ヶ月。永禄11年(1568)12月に徳川家康(阿部サダヲさん)が三河国から侵攻してきたのだ。旧井伊領は徳川氏に寝返った「井伊谷三人衆」のものとなり、小野政次は家康によって処刑された。
 その後、家康の遠江侵攻を阻む戦いが、堀川城(気賀)や、堀江城(舘山寺)で行われ、井伊谷衆は、徳川方として戦った。
 祐圓尼は、これらの戦いには参加していない。合戦によって多くの死者が出て、各地で葬儀が重なったにも関わらず、僧侶自身も戦いで多くが亡くなってしまい、南渓和尚と祐圓尼が葬式のために回ったことが『南渓過去帳』から窺い知れる。
 そして元亀3年(1572)、武田軍が遠江国に侵攻すると、12月22日、徳川軍と三方ヶ原で衝突。武田軍が勝利をおさめ、旧井伊領はそのまま武田領となった。
 武田軍は、旧井伊領刑部で越年すると、翌年1月3日には「日本最強の赤備え」と恐れられた山県隊が井伊谷に襲いかかった。この時、龍潭寺は全焼。後日、武田信玄が死ぬと、旧井伊領は家康が奪い返し、再び井伊谷三人衆の領地となる。
 天正2年(1574)12月14日、井伊直親の13回忌法要に、後の井伊直政・虎松が鳳来寺から龍潭寺へやって来た。実母・しの、南渓和尚、祐圓尼(直虎)、祐椿尼(直虎の実母)の話し合いにより、虎松は鳳来寺へ帰さず、しのの再婚相手・松下清景の養子とした。
 「松下虎松」の誕生は、すなわち約600年続いた名門・井伊家が途絶えたかのように見えた。が、彼等の狙いはそうではなかった。
 松下虎松の将来について、しの、南渓和尚、祐圓尼、祐椿尼たちは、
――徳川家康に引き合わせ、仕官させよう。
 ということになったのだった。祐圓尼は、家康と対面させるために着物を縫い、遠くからでも目立つように四神旗を作ったという。
 そして天正3年(1575)2月15日、鷹狩に出た家康は、首尾よく虎松を見つけると……
――こやつ虎の目を持っておる。はて、どこかで見たような?
 と、浜松城へ連れて帰り、身元を聞いて納得した。徳川に寝返ろうとして討たれた直親の子であり、桶狭間の戦いでは共に先鋒を務めた直盛の孫(直親は直盛の養子)であると知り、
――取り立てずんば叶わじ(召し抱えないわけにはいかない)
 として、虎松を小姓にし、「井伊」の復姓を許して「井伊万千代」と名付けたのだ。所領は300石。後の井伊家大躍進から見ればまだまだ小さな石高であったが、ともかく井伊家は、家康のおかげで絶えずに済んだのである。祐圓尼は喜んだ。
◆時には男として生き、生涯未婚 早すぎる死を……
 万千代の仕官後、祐圓尼は、愛した人の子の出世を祈り続けた。
 彼女の祈りは届いたのであろう。天正10年(1582)6月2日の本能寺の変に続く「神君伊賀越え」では、万千代も功績をあげ、家康から「孔雀の陣羽織」を賜るなど順調に出世していった。それに安心したのか、同天正10年(1582)8月26日、祐圓尼は、龍潭寺の松岳院で南渓和尚に看取られながら、静かに息を引き取った。病魔に侵され早すぎる最期ではあったが、死に顔は穏やかであったという。
 井伊家を虎松(万千代→井伊直政)に引き継いだ女性は、時には男として生き、生涯未婚であった。享年は不明だが、母・祐椿尼の死から4年後であることから早逝であることは明らかであり、当時の平均寿命50歳には程遠かったと考えられている。
 位牌と墓は、彼女の戒名「妙雲院殿月舩祐圓大姉」にちなんで「妙雲寺」と改名された菩提寺の自耕庵にある。
平成19年(2007)、彦根城築城四百年記念祭に合わせて、龍潭寺の境内に「徳川四天王 井伊直政公出世之地」碑が建てられた。まるで、龍潭寺での祐圓尼の祈りのおかげで、直政が出世できたと言わんばかりのその佇まい。
 徳川家康は、約17年間、遠江国(浜松)で過ごし、その間、遠州(遠江国のこと)の多くの武将が家康の軍門に下ったが、「徳川二十八神将」に選ばれた遠州人は、井伊直政、只一人である。
 直政の出世はさほどに異例であり、神がかっていたとしか言いようが無く、彼自身の努力の賜物であることは間違いないが、「井伊」という名門の血、人を魅了する虎の目、そして、祐圓尼の祈りが、出世に無関係だったとは言い切れない。*
<著者/戦国未来>



駿河上田の田んぼではのちの大盗賊の竜雲丸(りゅううんまる)と弟の時宗丸(ときむねまる)がドジョウ取りをふんどし姿でやっていた。当時、五歳かそこらである。
「兄上~っ。」時宗丸はもうあきたとばかりに畦道にすわって文句を言う。
竜雲丸は「あと少し。ドジョウは母上の病気によいのじゃ」
とドジョウすくいの籠をかまえて粘り強い。畑の川辺ではおんなたちが歌をうたいながら洗濯をしている。竜雲丸・時宗丸の父親である五右衛門は、
「竜雲丸!時宗丸~!」と笑顔で声をかけて近づいた。「ドジョウすくいか?よしわしも!」
しばらく親子はドジョウをとった。「そっといけよ。おーっ!」
親子は泥だらけになった。
五右衛門は手ぬぐいで息子の顔を拭いた。「竜雲丸はいい面(つら)になりそうだ」
「侍の面か?」
「いい面が侍の面かどうかはわからんぞ。田を耕す百姓も商人もみんないい面をしておる。そういう意味ではみんないい面じゃ」
そうか、とばかりに幼い竜雲丸や弟の時宗丸は頷く。
そんな時、畦道を孔雀のような羽根の旗指物をした伝令の侍が馬で駆け抜けた。
「何かあったのやもしれんなあ。」
五右衛門は不安になった。
 駿河の国主・今川義元は関東の平定のために行軍していた。
たぐいまれな軍事の才で関東を束ねるという使命に燃えていた。軍の行進で、白馬にまたがる今川義元。旗印や今川家の家紋などがたなびく。
一時関東の山奥で布陣をはり、幔幕のなかで休憩した。織田信長に討たれることになる今川義元、である。
近藤景綱は酒樽から酒をすくって呑んで、
「武田信玄め!またしても関東に出てきおって!」と文句。
長尾晴家は「北条と手を結び、ぬけぬけと関東をあらしまわってるわ!」
後藤高広は「それにしても北条め!我らが正々堂々と堕とした下野(しもつけ)常陸(ひたち)の城をまた寝返らせるとは。」
佐藤宗信は「この山さえなければ、関東平定などたやすいものよ」と苦い顔をする。
今川義元は「山に邪心はない。邪心あるものは必ず滅びよう。われらは駿河管領としてこの関東を不動明王に恥じないすばらしき義の国とすることじゃ。義の心を掲げ、その役目をまっとうするのみ!」という。
そこに孔雀のような羽根の旗指物をした伝令の男がきた。平伏する。
「いかがした?」
伝令は焦って、
「御屋形さまの命を受けて動いていた小野道好(道高の子)さまと井伊直満さまが家臣の讒言により井伊谷城でお討ち死に!」という。
「何と??!!」
義元は驚いた。
今川家は井伊家とは犬猿の仲だった。
井伊谷城下は混乱の渦である。
小野道好は今川家家臣小野道高の実の子供であり、井伊家の監視役。井伊家にはのちの井伊家当主となる十歳の井伊直親と九歳の許嫁の井伊麗姫(のちの次郎法師・直虎)のみ。
幼い井伊直親には誰もついてはこない。
直親の父親・井伊直満も小野と同じく横死し、直虎の母親・祐椿尼だけが残されていた。
もう井伊谷城や城下は騒乱の渦である。五右衛門の家でも妻のお藤が幼い息子たちに、
「竜雲丸、時宗丸!家の中に入るのです。戦になるやも知れない。いいですね?出てはなりませんよ!」といい家に急いだ。
竜雲丸(のちの大盗賊)だけは「戦かあ。」と、にやりとする。
騒然の井伊谷城下である。
そこに馬にのって今川義元がやっていた。
「射るな!射るな!」五右衛門は足軽達が義元公に矢を射るのを止めた。
だが、少しの矢は放たれた。だが、さすがは太守さまだ。刀で矢をはじいた。
竜雲丸は山道の近くでそれを観て、「あれが今川義元さまか。」と関心した。
その義元は怪物のようだが雑兵数十人の軍団を刀で一刀両断にした。
そして蹴り上げると雑兵達はくずれ、たおれた。みねうちであり、死者はない。
雑兵たちは驚愕して腰を抜かすぐらいに騒乱する。
「道をあけよ!われは重臣・小野道好・井伊直満の弔いに参った!」という。
黒い鎧にマントすがたの今川義元はまさに太守さまである。公家のように眉を剃り、おしろいで顔は真っ白だ。「まろに道をあけよー!」
雑兵は道を開けざるを得ない。

「なんとおいたわしや。しかし、祐椿尼、心配なさるな。尼御前にはこの今川義元がついておりまする」小野道好と井伊直満の遺体をみた義元は祐椿尼を励ました。
娘の麗姫も許嫁の直親も哀しい顔で遺体をみていた。
今川義元(いまがわ・よしもと)は不動明王の化身と称し、駿河を束ねていた。
井伊直親と今川義元は山麓から領地をみた。
「わしのことを戦の天才、神仏、不動明王の化身というものもいる。尊敬するものもいる。だが、神ではない。わしとてひとりの生身の人間……。哀しいときや辛いときや泣きたいときもある。じゃが、民のために民のための国をつくる覚悟がある!いいか、井伊直親。民をいつくしむ民のための政が肝要じゃ!わしとともに不動明王に恥じぬいい国をともにつくろうではないか!」
義元は目を細めた。
無口で有名な井伊直親(のちの次郎法師・直虎の許嫁)は無言で頷く。まさに、圧巻である。
 井伊直親とその小姓の少年達は学び舎である駿河の龍譚寺(りょうたんじ)で学ぶこととなった。教えるのは僧侶長の南谿瑞聞(なんけいずいけん)和尚と坊主達である。
だが、井伊直親は無口で表情もなく、なんとも困った性格であった。
口が重く、人間関係をつくるのが苦手であった。
祐椿尼や弟の直信は遠くで見ていた。
やはり、井伊直親は誰ともうちとけずひとりっきりで暗い顔をしていた。
祐椿尼は「娘の許嫁の直親はあのように口が重く、他の小姓達もいちはやく直親の意思を汲もうと必死なのですが。これは困ったことです」
南谿和尚は無言「………。」
井伊直信は「姉上は直親の“北斗の七星”をおもとめなのですな?」ときく。
「北斗の七星……。」
祐椿尼は頷いた。
北の夜空に炯々と輝く北斗の北神の星…。それを守るように輝く北斗の七星……
祐椿尼は井伊直親にたてついたある少年を考えた。
間違いない。あれぞ井伊直親の北斗の七星であろう。
 さっそく祐椿尼は竜雲丸を小姓に、という話をすすめた。
当然、坂上城の勘定奉行にすぎない五右衛門は大喜びだった。
「いいか。竜雲丸!お前を井伊直盛さまのご養子で直虎さまの許嫁の直親さまの小姓に…というありがたい話がきた。これからはお主は直親さまの小姓じゃ。わしなんぞは上田の坂上城の勘定奉行がせいぜいだったが、お前は井伊家の家老にさえなれるやも知れん。いい話であろう?」
「竜雲丸を小姓に?五歳で小姓に、などきいたこともありません。」
母のお藤は戸惑った顔をした。
「辛抱じゃ。これは井伊様、祐椿尼さまからのありがたいお話なんじゃ」
だが、竜雲丸は反発した。
「そんなものにはならん。わしは父上と同じ坂上城の勘定奉行になるのじゃ。ならん」
「なんじゃと?!!」
「そんなものにはならん!」
……馬鹿者!父親の坂上五右衛門は息子の竜雲丸を納屋に閉じ込めた。
「そこでよっく考えてみよ!」
「父上-!母上-!うええぇん。」竜雲丸は泣く。「よい子になるからだしてくだされ。小姓なんかになりとうはない。うえええぇん。いい子になるから。家に居たいんじゃ。うえええぇん。うええぇん。」
夜中になっても閉じ込めて、竜雲丸は泣き続けた。
ふとんに横になっていた五右衛門はお藤に言った。「ならん」
「様子をみるだけにございます」
「ならん」
お藤はその夜、泣き続けた。そして、覚悟を決めた。
 その朝に竜雲丸を納屋からだしたお藤は言った。
「竜雲丸。……何故に紅葉はあんなに鮮やかなのかわかりますか?」
「…母上。」
「紅葉が赤く鮮やかなのは御屋形である大樹の身代わりとなってああやって赤や黄色に色づき身代わりで散っていくのです。来たるべき厳しい冬に備えて身代わりで散っていく…」
「…身代わり?」
「お前はもう母の子ではない。この遠江の井伊谷の子となりなさい。紅葉のような家臣となるのですよ。」
「いやじゃ!いやじゃ!うええぇん。」
「もう決めたことなのです!」
親子は泣きながら抱擁した。「もう決めた…こと…なのですよ」
「…母上……」「…竜雲丸。」
こうして親子は離れた。
 坂上竜雲丸(のちの大盗賊)は龍譚寺に出奔した。
上座に今川義元や祐椿尼や井伊直信や直親・直虎がいて、横座に小姓の少年たちがいる。
わずか五歳の竜雲丸はやってきて、
平伏して「坂上城勘定奉行坂上五右衛門の一子、竜雲丸でざいます。この度は直親さまの小姓となるべく誠心誠意………」言葉が続かない。苦い顔の竜雲丸…
南谿和尚は「言葉が続かないのは他のものの言葉を鵜呑みにして語ろうとするからじゃ。まだ出ぬか?そなたの本当の言葉が……?」
すると竜雲丸は無言から一転して不敵なまでの言葉を発した。
「わしは……わしは侍ではなく大盗賊になるのじゃ!」
今川義元は笑った。「わはははっ。面白い」竜雲丸に近づき頬をひねった。「気に入った!」
これが直親の北斗の七星であろう。
さすがは今川義元である。さすがは井伊直虎である。
竜雲丸の才覚を見抜いた。
だが、竜雲丸は幼すぎる。まだ五歳でしかない。
……母恋しの気持ちは抑えきれない。
紙の母親の肖像画を見て「…母上。」と泣いていると直親が声をかけた。
「…母御にあいたいのか?」
「あわせてくれるのか?帰ってもいいのか?」
「……。」
「これ!無礼であろう!帰れるわけがなかろう!」先輩の小姓の少年が竜雲丸を諫める。
またも直親は無口である。
その深夜、竜雲丸は龍譚寺から姿を消した。気づいたのは直親のみ。他の小姓少年達は眠っていた。竜雲丸はふとんにいなかった。
すぐに直親は和尚の部屋のふすま越しに「竜雲丸がおりません。…もしや里親の元に帰ったのかと。どうすればよろしいでしょうか?」と問う。
南谿和尚はふとんのまま、
「それを決めるのはわしではありませんな。亀之丞(直親)殿が竜雲丸をどうしたいか…でしょうな。」


****続く(刊行本または電子書籍に続く)続く*******

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年末年始一気読みスペシャル特別編成『おんな城主井伊直虎』ブログ小説VOL.3

2017年12月30日 16時16分08秒 | 日記
































徳政令を出す迄に地元の成金商人・大河ドラマでは瀬戸方久を家臣として、領地を与え、村への徳政令(商人に百姓の借金を棒引きにする命令)を年貢によってなしにするという直虎のアイディアだった。しかし、農民らは伊井谷を乗り越えて、直接、今川氏真に徳政令を要求した。直虎は村の集団に瀬戸方久を人質にとられ、「徳政令を出さねば方久の命はない」と恫喝。しかし、直虎は農村の稲を僧侶たちとともに植え始める。「そんなことをしてもおらだらはほだされないぞ!」しかし、直虎は「確かにお主らの村は瀬戸方久の所領とした。しかし、井伊家の借金のためではないぞ。方久が村の領主となれば年貢が入る。これでそなたたちの借金は年貢で払われる」「徳政令のほうがいいだで!」「目先のことばかり考えるではない!確かに徳政令をだせばお主らの村の借金はなくなる。だが、今後、また借金ができたら?凶作にまたなったらどうする?確かに方久は強欲じゃ。なれど自らの所領となれば銭を得たくてお主らのいいように銭をうむ妙案も考え、お主らを大事に扱おうぞ。今の井伊家には銭も人材もいない。今は方久のような裸一貫から豪商になりあがったような人材が大事なのじゃ!勿論百姓のお主らもじゃ!われを信じてくれぬか!!?」「………初めから……そういってくれれば。」「んだんだ。」「田植えじゃ。田植えじゃ。」
二度も太守である今川家の命に背いたことで直虎は呼び出しをくらう。「おなごじゃからとおおめにみてはくれないですかのう?」南溪和尚は「無理だろうのう。向こうの実質的な太守もおなご(寿桂尼)じゃからのう。おなごじゃからと馬鹿にすることもないかわりにおなごじゃからとおおめにもみてもくれないじゃろう」
こうして直虎は駿河の今川屋敷に召喚される。道中、今川からの刺客たちが直虎の命を狙うが、傑山・昊天ら僧兵に命を守られる。直虎は「お主はどうやって領土を豊かにする?」という寿桂尼の問いに「民を潤しまする。大名や武家は、百姓の年貢あっての家禄でござりますれば、国が潤えば民百姓も豊かに暮らせまする」「……なるほど。さすがは出家上がりに直虎なる男名を名乗り井伊谷を治めるおんな城主じゃ。このおんな大名寿桂尼、感心した。井伊谷の領主は直虎…そちじゃ!」こうして、井伊直虎は牛歩戦術で時間をかせぎ2年半後、徳政令を出す。瀬戸方久は領地で綿毛の栽培のアイディアまで出したという。今川家が滅んだのはその半年後の永禄十三年(1569)である。徳川家康と武田家が密約を結び、井伊谷三人衆(鈴木重時しげとき・近藤康用やすもち・菅沼忠久すがぬま・ただひさ)の手引きで徳川が遠江から武田が駿河から侵攻して今川家を滅亡させたのだ。
この後、盗賊、竜雲丸たちと直虎は出会い、ひと悶着があり、井伊家・井伊谷を守る。
さて、武田信玄につくか?それとも徳川家康(松平元康)につくべきか?
そこで井伊直虎は亡き元・いいなづけの井伊直親の“徳川びいき”を思い出す。
「ここは徳川さまに義理の息子を仕官させるしかない。井伊家の未来はこの小童に託されている。見ていてくだされ、直親さま。」
まず、井伊直虎は、三河(愛知県 新城市)の鳳来寺(ほうらいじ)で学問好きの家康に好かれようと、幼い虎松(のちの井伊直政)に学問をしこんだ。また未亡人となっていた直親の元・妻しのを徳川家の重臣の松下源太郎と再婚させた。
政略結婚である。直虎は義理の息子を家康に仕官させようと就職活動に知恵をねった。
井伊直虎は自ら鮮やかな小袖を縫って十五歳の直政に着せて、鷹狩りの徳川家康と対面させて仕官させた。天正3(1575)年2月15日のことである。
「家康さま。ある尼と若い者があいたいと申して参上していまする」
普通は大大名の徳川家康にあえる筈はない。だが、直虎は家康の鷹狩りの日を調べて参上したのだった。徳川の幔幕の中の徳川家康は「誰じゃ?まあ、こんな遠くの山中だ。逢おう」家康は尼姿の直虎と立派な裃烏帽子直垂すがたの直政にあった。
「実は虎松(のちの井伊直政)は松下源太郎さまの実子ではなく、本当の父親は井伊家の井伊直親というわれの元・許嫁であり、直親も徳川さまに仕官したいと希望していました」
「…ほう。」
「しかし、暗殺され井伊家は没落いたしました。われらは徳川さまに頼るしかない!」
直政も「家康さま!禄は少なくてもかまいません!何でもやりますのでどうか家臣にしてくだされ!お願い申します!」
家康は井伊直政をただならぬ者と感じた。(「徳川実記」より)
「わかった!これよりこの徳川家康の、わしのそばにおれ!そなたの名は今日より虎松でなく井伊万千代(のちの直政)と名乗るがよいぞ!」
「ありがたき幸せ!」
喜び合う直虎と直政。……これで井伊家も安泰じゃあ。その後、井伊直政は“井伊の赤鬼”と恐れられていく。草履番から足軽、色小姓、武将そして軍師へと大出世をするのだ!のちに彦根藩三十五万石、五人もの幕府大老を出すにいたる。徳川幕府の屋台骨であり、徳川四天王(酒井忠次・榊原康政・井伊直政・本多忠勝)のひとりである。
徳川家康は直政の力量をわかり、家臣に取り立てた。
そこからが鯉もかくあらんという大出世を井伊直政はする。
家康の暗殺を未遂におわらせ、明智光秀「敵は本能寺にあり!」……本能寺の変(天正10(1582)年6月2日)で織田信長が死ぬと、近くにいた徳川家康をすくう。
いわゆる伊賀(三重県)超えで、徳川家康を三河の城まで守った。
そこで、井伊家は近江の彦根に領地をあらたに与えられ、直政は武功により“孔雀尾具足陣羽織(くじゃくおぐそくじんばおり)”を与えられた。
井伊直虎が死ぬのはこの伊賀超えの三ヶ月後、享年四十七歳、であった。
井伊家の繁栄を確証したかのような死、であった。
義理の息子・井伊直政は二十年後の関ヶ原で、敵陣突破を謀った薩摩の島津を撃追して、戦勝の恩賞で彦根三十三万石の大大名になる。
井伊直虎の墓は元いいなづけの井伊直親のとなり、であった。そこで彼女は永遠の眠りに、ついている。

***
初夜の日、幾島に「しのさま、くれぐれも亀之丞様に好いていただけるように」
「わかっておる」
しの(亀之丞の隠遁地での愛人・のちの妻)は白い寝巻の着物で向かった。
しかし、亀之丞は「わしは疲れた。もうやすめ」などという。
「若様、ふつつか者なれど正室としてこのおしの、せいいっぱい務めて…」
「うるさいのう。目が覚めてしまったではないか。」
「すいません。」
「眠れぬ。何かおもしろい話をせよ。」
「イスパニアについて!」
「それのどこが面白い?昔話をせよ。」
「ははっ!…え~、昔々、すもうの好きな鼠の親子がおりました……」
「ほう。おもしろそうだ。それで?………?」
亀之丞は驚いた。「しの!寝ているのか。え~っ!」
人払いをした舘の寝室でふたりだけで話した。
「何故、若さまはうつけのふりなど?」
「わしはうつけではない」
「ですから何故そのようなふりを?」
「もういい。昨晩の鼠の話をせよ。すもうがすきだという。昔話じゃ。」
「あくまでうつけを演じ続けるおつもりですか?」
「………」亀之丞は考えた。
 するとしのは井伊亀之丞の胸に飛び込んだ。抱擁……
「うつけ殿なら謀略の的にはならん。わしは井伊家というより井伊の家族が守りたい」
「なればなおのことうつけのふりなど…」
「そなたになにがわかる?戦国大名は孤独じゃ。わしは大名になどなりたくはなかった。ずっとあやつとどこぞかの田舎で畑仕事でもしながら暮らしたい。だが、無理じゃ。わしは身体が弱くてのう。生い先は短い。だが、だからこそ井伊家の家族を守りたい」
井伊亀之丞は語り始めた。

  話を少し戻す。





**井伊直虎って女性なのか!? NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」先取り人物事典**
 2017年大河ドラマの主人公は「井伊直虎」である。戦国ファンや同時代のゲーム好きには割とよく知られた名前だが、その一方で主役を演じるのが柴咲コウさんだと聞いて驚かれた方も少なく無いだろう。
 直虎って女性なのか!?
 答えは、イエス。彼女は幼名を「おとわ(幼名不明のため大河ドラマではおとわ、この小説では麗)」、出家して「次郎法師」と言い、最終的には地元・井伊谷(いいのや)の女地頭になって「井伊直虎」を称する。
 一体、直虎という「おんな城主」はどんな人物だったのか? 幼少期の「おとわ」時代から解説していこう。
(直虎が男性だったという説が一部報じられていますが、本稿ではこれまで検証されてきた女性説の資料をもとに解説していきます)
◆虎の目を持つ一族と呼ばれた井伊家の人々
 彼女は一体、ドコでいつ生まれたのか?
 井伊直虎に限らず、戦国時代の女性は、名前も年齢も分かっていないことが多い。
 徳川家康の正室・築山御前ですらそうなのだから、地方の小領主に過ぎなかった井伊家の女性など、ある意味、不明で当然だ。が、それでは物語が何も進まないから、ある程度は演出を伴って物語は進んでいく。
 ドラマ『おんな城主 直虎』で、直虎の幼少期は「おとわ」(柴咲コウさん)という。
 おとわの生年は、許婚者の亀之丞(かめのじょう・三浦春馬さん)が1535年生まれであるため、1535±5年と推測。亀之丞にとって彼女は、年下の可愛い女の子であったとも、年上の男勝りの女の子であったとも言われている。
 作家は、数ある説の中から、ストーリーに都合のいい説を選びがちだ。それがメディアを通じて広まり、いつしか「定説」となり、気がつけば「真説」として定着してしまう。さて、大河ではどう描かれたか。
 柴咲コウさんの気丈なイメージ、かつ三浦春馬さんの優しげな風貌からして、直虎が年上となる。
 いずれにせよ井伊一族には、不思議な伝承がある。
 虎の目を持つ一族――というのがソレ。
 「虎の目」とは、「野性的な目」と解されるが、私は「茶色の目」と解している(茶色の目の持ち主といえば、時代劇の俳優なら静岡県出身の里見浩太朗さん、アイドルなら大島優子さんや橋本環奈さん辺りだろうか)。
 相手に安心感を与えて信頼される目。人を惹きつける目。魅力的な目ということであろう。
 おとわの父親は、井伊22代宗主直盛(なおもり・杉本哲太さん)である。直盛の幼名は、江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』に「虎松」とある。「虎丸」とする説もあるが、いずれにせよ、虎の目を持つ人間であったのであろう。
 一方、おとわの母は、ドラマでは新野千賀(ちか・財前直見さん)となっている。新野氏は、今川氏の庶子家で、御前崎市新野の地頭(この当時の「地頭」は「領主」の意)であった。井伊家と新野氏・娘との結婚は、今川氏との結びつきを深めるための政略結婚だったとされている。
 こうした両親のもと、おとわが生まれた場所は井伊谷(いいのや・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の井伊氏居館と伝えられている。
 が、残念ながら直盛夫妻が授かった子は「おとわ」のみで、井伊家の宗主であるにも関わらず息子に恵まれなかった。
 そこで井伊20代宗主直平(なおひら・おとわの曽祖父、前田吟さん)が、「男子が生まれなかった場合は、わしの息子の井伊直満(なおみつ・宇梶剛士さん)の子・亀之丞と、おとわを結婚させる。亀之丞に井伊家を継がせるのだ」と決めた。
 おとわが、まだ2~3歳の時だったという。
◆亀之丞は信州へと亡命 出家して「次郎法師」を名乗る
 「おとわ」と呼ばれていた時代、彼女は宗家の娘として、何不自由なく過ごしていた。
 が、間もなく悲劇が起きる。井伊直満(亀之丞の父)が今川義元に誅殺されてしまった上に、当時のならいで息子の亀之丞(当時9歳)にも殺害命令が出されたのだ。直虎の許婚者であり、井伊家宗主候補だった亀之丞は、かくして信州へと亡命し、消息不明となってしまう。
 若かりしおとわが絶望の底へ突き落とされたのは想像に難くない。
 当時の女性の結婚適齢期は13歳前後と言われている。その年頃になったおとわは、なぜか自分で自分の髪を切り、大叔父の南渓和尚(なんけい・龍潭寺二世住職・小林薫さん)の元へ出向いた。
「出家したい。尼の名前を付けて欲しい」
 それを聞いたおとわの両親(直盛・千賀)は驚いて、「尼の名だけは付けるな」と南渓和尚に迫ったという。両者の板挟みにあった和尚は、親の意を汲んだ「次郎」という俗名と、娘の意を汲んだ「法師」という僧名を合わせ、「次郎法師」と名付けた。
※このあたりのヤリトリは、江戸中期に祖山和尚(龍潭寺九世住職)によって書かれた『井伊家伝記』に、まるでその場にいたような描写で書かれている
 おとわが「出家したい」と考えた理由は
「(亀之丞はいつか帰ってくると信じて)愛を貫くため」
 すなわち、次々と舞い込む縁談を断るためとも
「(亀之丞が死んだと信じて)いいなずけの菩提を弔うため」
 とも言われている。
 ドラマ風にアレンジするならば、おとわは亀之丞だけを永遠(とわ)に愛したのであった。
◆桶狭間で直盛が死んだけど、直政が生まれた
 南渓和尚が付けた「次郎法師」の「次郎」という俗名は、井伊家当主が使う通称である。
 つまり、「次郎法師」とは女性(尼)の名ではなく、男(僧)の名であった。この「次郎法師」と名乗っていた時期を「男として生きる準備期間であった」と位置づけている方もおられる。
 亀之丞(9歳)が信州に亡命して10年後の弘治元年(1555)2月、ハタチになった亀之丞が井伊谷に帰ってきた。
 ここで「次郎法師」という名が活きる。尼であれば還俗できないが、僧であれば還俗して結婚できるのである。
――次郎法師は、還俗し、亀之丞と結婚して、幸せに暮らした。
 と書きたいのであるが、現実はさにあらず。彼女は、還俗をしなかった。むろん結婚もしていない。なぜか。
 理由として考えられるのは、彼女の結婚適齢期を超えていたからということもあろうが、亀之丞がすでに信州で子(高瀬姫・後の彦根藩家老の川手氏の妻など)をもうけていたことにショックを受けたのであろう。
「立場が上である嫡流の彼女は愛を貫いたのに、傍流の男に裏切られた」
 つまり宗家が舐められたとしてプライドを傷つけられ、還俗も結婚もしなかったのではなかろうか?と私は思う。
 結局、亀之丞は直盛の養子となり、元服して直親(なおちか)を名乗った。そして、奥山氏(井伊家の庶子家)の娘・しの(奥山家文書によると実名は「おひよ」・貫地谷しほりさん)と結婚したのである。
 直虎にとっては不運な運命としか言いようないが、井伊家にとっては、ひとまず跡取りが現れ、安泰。と、そんなところで歴史を揺るがす大事件が起きる。
 桶狭間の戦いである。
 永禄3年(1560)5月19日、直虎の父・直盛が「桶狭間の戦い」で殉死すると、母・千賀は出家して「祐椿尼」(ゆうちんに)と称し、直親が23代宗主となった。そして、翌永禄4年(1561)2月9日、新しく虎の目を持つ男の子が生まれた。
 名は直盛と同じ「虎松」。後の徳川四天王・井伊直政である。歴史を知る我々からすれば、なるほどこれで井伊家の家運は上昇したのであろうか、と考えがちかもしれないが、そうは簡単には進まない。
 翌永禄5年(1562)、今度は井伊直親(三浦春馬さん)が「徳川家康に内通している」として、今川忠臣の朝比奈泰朝に誅殺されてしまったのだ。
――そして井伊家には成人男性がいなくなった。
◆井伊谷では「静の直虎・動の直政」と対比される
 井伊家が消滅する。
 そう思われたが、1つの望みはあった。虎松である。次郎法師は、還俗して「井伊次郎直虎」と名を変え、虎松の後見人となった。
 「女城主・井伊直虎」の誕生である。
 その名に恥じない武将として、『彼女はさぞかし勇ましい男として生きたのだろう』と考えられがちだが、地元・井伊谷では「女地頭・次郎法師」と呼ばれ、物静かで優しい女性だったと伝わっている。
 「静の直虎・動の直政」と対比されるほどで、ドラマではどう描かれるか楽しみの一つだ。
 実際、彼女が「女城主」だった頃には、幸いなことに大きな戦いもなく、「女武将」としての勇ましい手腕は未知数だ。むしろ「女地頭」「女領主」としての内政能力のほうが高く評価され、土地訴訟の解決や新田開発に力を入れた。
 地味な話ではあるが、直虎最大の功績は、今川氏真が永禄9年(1566)に出した「井伊谷徳政令」を2年間凍結したことであるとされる。
 ただし、永禄11年(1568)11月9日に徳政令を施行すると、地頭職を解かれてしまい、さらに命まで狙われるようになった。そこで直虎は尼となって「祐圓尼」(ゆうえんに・「圓」は「円」の旧字体)と名乗り、実母の祐椿尼(ゆうちんに)と共に龍潭寺に入った。
 後の井伊直政である虎松は鳳来寺へ。また、時をおいて虎松の実母・しのは、徳川家臣・松下源太郎清景(きよかげ)と再婚した。
◆「日本最強の赤備え」山県隊が井伊谷に襲いかかる
 直虎の地頭解任後、家老であった小野政次(高橋一生さん)が地頭に任命された。
 が、その期間は短く、わずか1ヶ月。永禄11年(1568)12月に徳川家康(阿部サダヲさん)が三河国から侵攻してきたのだ。旧井伊領は徳川氏に寝返った「井伊谷三人衆」のものとなり、小野政次は家康によって処刑された。
 その後、家康の遠江侵攻を阻む戦いが、堀川城(気賀)や、堀江城(舘山寺)で行われ、井伊谷衆は、徳川方として戦った。
 祐圓尼は、これらの戦いには参加していない。合戦によって多くの死者が出て、各地で葬儀が重なったにも関わらず、僧侶自身も戦いで多くが亡くなってしまい、南渓和尚と祐圓尼が葬式のために回ったことが『南渓過去帳』から窺い知れる。
 そして元亀3年(1572)、武田軍が遠江国に侵攻すると、12月22日、徳川軍と三方ヶ原で衝突。武田軍が勝利をおさめ、旧井伊領はそのまま武田領となった。
 武田軍は、旧井伊領刑部で越年すると、翌年1月3日には「日本最強の赤備え」と恐れられた山県隊が井伊谷に襲いかかった。この時、龍潭寺は全焼。後日、武田信玄が死ぬと、旧井伊領は家康が奪い返し、再び井伊谷三人衆の領地となる。
 天正2年(1574)12月14日、井伊直親の13回忌法要に、後の井伊直政・虎松が鳳来寺から龍潭寺へやって来た。実母・しの、南渓和尚、祐圓尼(直虎)、祐椿尼(直虎の実母)の話し合いにより、虎松は鳳来寺へ帰さず、しのの再婚相手・松下清景の養子とした。
 「松下虎松」の誕生は、すなわち約600年続いた名門・井伊家が途絶えたかのように見えた。が、彼等の狙いはそうではなかった。
 松下虎松の将来について、しの、南渓和尚、祐圓尼、祐椿尼たちは、
――徳川家康に引き合わせ、仕官させよう。
 ということになったのだった。祐圓尼は、家康と対面させるために着物を縫い、遠くからでも目立つように四神旗を作ったという。
 そして天正3年(1575)2月15日、鷹狩に出た家康は、首尾よく虎松を見つけると……
――こやつ虎の目を持っておる。はて、どこかで見たような?
 と、浜松城へ連れて帰り、身元を聞いて納得した。徳川に寝返ろうとして討たれた直親の子であり、桶狭間の戦いでは共に先鋒を務めた直盛の孫(直親は直盛の養子)であると知り、
――取り立てずんば叶わじ(召し抱えないわけにはいかない)
 として、虎松を小姓にし、「井伊」の復姓を許して「井伊万千代」と名付けたのだ。所領は300石。後の井伊家大躍進から見ればまだまだ小さな石高であったが、ともかく井伊家は、家康のおかげで絶えずに済んだのである。祐圓尼は喜んだ。
◆時には男として生き、生涯未婚 早すぎる死を……
 万千代の仕官後、祐圓尼は、愛した人の子の出世を祈り続けた。
 彼女の祈りは届いたのであろう。天正10年(1582)6月2日の本能寺の変に続く「神君伊賀越え」では、万千代も功績をあげ、家康から「孔雀の陣羽織」を賜るなど順調に出世していった。それに安心したのか、同天正10年(1582)8月26日、祐圓尼は、龍潭寺の松岳院で南渓和尚に看取られながら、静かに息を引き取った。病魔に侵され早すぎる最期ではあったが、死に顔は穏やかであったという。
 井伊家を虎松(万千代→井伊直政)に引き継いだ女性は、時には男として生き、生涯未婚であった。享年は不明だが、母・祐椿尼の死から4年後であることから早逝であることは明らかであり、当時の平均寿命50歳には程遠かったと考えられている。
 位牌と墓は、彼女の戒名「妙雲院殿月舩祐圓大姉」にちなんで「妙雲寺」と改名された菩提寺の自耕庵にある。
平成19年(2007)、彦根城築城四百年記念祭に合わせて、龍潭寺の境内に「徳川四天王 井伊直政公出世之地」碑が建てられた。まるで、龍潭寺での祐圓尼の祈りのおかげで、直政が出世できたと言わんばかりのその佇まい。
 徳川家康は、約17年間、遠江国(浜松)で過ごし、その間、遠州(遠江国のこと)の多くの武将が家康の軍門に下ったが、「徳川二十八神将」に選ばれた遠州人は、井伊直政、只一人である。
 直政の出世はさほどに異例であり、神がかっていたとしか言いようが無く、彼自身の努力の賜物であることは間違いないが、「井伊」という名門の血、人を魅了する虎の目、そして、祐圓尼の祈りが、出世に無関係だったとは言い切れない。*
<著者/戦国未来>



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年末年始一気読みスペシャル特別編成『おんな城主井伊直虎』ブログ小説VOL.2

2017年12月30日 16時14分14秒 | 日記



































「井伊亀之丞だな?」母親の千賀らはおとわがいないこと気づいて「おとわは何処じゃ?」
ひそひそ守り役のたけにきく。たけは「申し訳ありません。わたくしが目を離したすきに」
「亀之丞らしき小僧を捕らえたぞー!」男達の声が井伊谷に響く。
しかし、それはおとわだった。深夜の山中であった。
直盛や千賀らが「それは亀之丞ではありません!」「そうです!井伊家のひとり娘のおとわでございます」「何?」「何故小僧の格好をしていた!?何故逃げた!?」
おとわは「竜宮小僧を探しておったのじゃ」といういい訳を貫いて、それで許された。
のちにおとわは両親に井戸端で亀の笛を見つけて無性に駆けだし、亀の従者である今村藤七郎に出くわして、笛を渡す機会を得たという話をした。
「笛を届けてくれたのか?ありがとう、おとわ」
「亀の大事な笛ではないか。」
「この笛は亡き父上に買ってもらった大事なもの。本当にかけがえのないものだった」
「絶対に死ぬな!亀…生きのびて…」
「俺はもっともっと強くなって必ずおとわを迎えにくる!」
涙をこらえる亀之丞……おとわ…
そして逃亡……「とにかく若!お逃げください!」「しかし……井伊家は?」
「井伊亀之丞!覚悟―!」「ぐうっ。おのれー!」「若!逃げまするぞ!若!!」
斬り合いの末、井伊亀之丞(のちの直親)らは逃亡した。
直満の葬儀が行われる。今川家の手先である小野和泉守政直が今川の姫と小野の息子・鶴丸を結婚させて井伊家を継がせるという策を披露する。すると激怒した井伊直平が刀を抜いた。「貴様ー!最初からそのつもりであったなー!」しかし直盛が曾祖父直平を羽交い締めにして止めた。「やめてくだされ!おじじさま!」
鶴丸はおとわに「わが父上は今川に直満おじさんを売って、今度のわしとおとわとの婚儀はその褒美なのじゃ」と下唇を噛みしめる。
おとわは家出をした。自分がいなくなれば問題はなくなる、と思ったからだ。
しかし、山中の乞食に拾われ、井伊谷に戻された。
天文13(1544)年、直虎十歳で、伊井谷の家臣のひとりが直親を殺そうと暗殺団の刺客を送ったことで、井伊家の次期惣領だった筈の井伊直親(亀之丞)は信濃(長野県)の松源寺(長野県下伊那郡)へ身を隠す。それは直虎へも秘密であった。
逃がしたことも生きているか死んでいるかもすべて秘密…知られればたちまち駿河の今川に攻め滅ばされてしまう。すべては遠江の領地・井伊谷の井伊家のためであった。
生きているのか死んでいるのかもわからないまま、直虎は傷心で過ごした。
すべては井伊直親の命を守る為である。
鶴丸(のちの小野政次)の父親・小野和泉守政直が井伊直親を殺そうとしたからだ。
鶴丸改め小野政次に父の小野政直は「お前もいずれわしのようになる」と忠告した。
「父上!母上!亀之丞は何処へいかれたのですか??!!お教えくだされ!亀はどこへ?」
だが、両親は答えられない。そんな傷心の麗は考えた。
若かりし麗(おとわ)が絶望の底へ突き落とされたのは想像に難くない。
 当時の女性の結婚適齢期は13歳前後と言われている。その年頃になった麗(おとわ)は、なぜか自分で自分の髪を切り、大叔父の南渓和尚(なんけい・龍潭寺二世住職)の元へ出向いた。出家だ!家出して出家すれば亀をまてるし、鶴丸と夫婦にならないですむ。
そう考えて自分で刃物で髪を切りつづけた。おかしな頭になる。
そんなとき今川家からおとわを人質に出せ、という命令が下る。
「人質など反対じゃ!戦をしようぞ!もはや戦しかない!」直平は激昴して叫ぶ。
だが、おとわと従者は今川家の城にいく。今川の軍師・太原雪斎(たいげん・せっさい)に気に入られるおとわ。また、のちに徳川家康の正室になることになる瀬名(のちの築山殿)に出会い、瀬名はおとわのへんてこの頭髪に笑い転げる。美少女である。
井伊家の人質の佐名姫(南谿和尚の妹)を、おとわに守り役のたけは耳元で、
「今川さまのお手つきになられたという女性ですよ。」と気の毒そうに囁く。
今川の寿桂尼(じゅけいに 義元の母親)はおとわの出家を認める。
今川舘では今川義元の嫡男・龍王丸と瀬名たちが蹴鞠(けまり)で勝負していた。龍王丸(たつおうまる・のちの今川氏真)に勝てば何でも望みを叶える、と知っておとわは蹴鞠勝負をして勝つ!
「この!何度も何度も卑怯だぞ!」
「このおとわを井伊谷の戻してほしいのです。そのかわり出家しますからどうぞこの望みを叶えてくだされ!」
おとわの必死の懇願に無口の今川義元も「よかろう」と認めた。
井伊谷に帰ったおとわは龍譚寺にすぐに行った。
「出家したい。尼の名前を付けて欲しい」
 それを聞いた麗(おとわ)の両親(直盛・千賀)は驚いて、「尼の名だけは付けるな」と南渓和尚に迫ったという。両者の板挟みにあった和尚は、親の意を汲んだ「次郎」という俗名と、娘の意を汲んだ「法師」という僧名を合わせ、「次郎法師」と名付けた。
「亀之丞以外の男には嫁がない!わたしは龍譚寺(りょうたんじ)に出家いたす!」
「え?!!何を…!馬鹿げたことだ!やめるんだ!」
「いいえ。亀が戻るまで出家しまする。但し、次郎法師・井伊直虎として。」
 おんなの覚悟である。こうして次郎法師・井伊直虎は誕生する。
南谿和尚は「そなたは何故にここに来た?」と問うた。
「出家を親にさせられました」
「出家とはなんぞ?」
「お坊様に……なること?」
「僧?……僧とはなんぞ?」
「僧?……毛のないひとですか?」
「では、頭の禿げ上がった爺は僧か?毛のない蛙は僧か?」
厳しい修行に音を上げたおとわはわずか一日で井伊谷城に逃げ帰ってくる。
母の千賀は「たったの一日で逃げ帰ってくるとは情けない」たけも「辛抱を学びなされ」
「ムリムリ!修行は厳し過ぎるのじゃ!わしは姫じゃぞ!」
「馬鹿者!」母親の千賀の雷が落ちた。
龍譚寺に戻されたおとわは腹が減った。しかし、僧たちは「托鉢(たくはつ)をしてまいれ!」という。「托鉢?」「家の前で念仏を唱え、その托鉢鉢に供物をもらうのじゃ」
おとわは井伊谷の食べ物屋にいき、出鱈目な念仏を唱えて「腹が減った!食べ物をくれ!」
「なんだ?!このガキ!消えろ!」
剃髪しているのでおとわ、姫とはわからない。
腹が減って腹が減って、おとわは村の畑の野菜にかじりついた。
それを鶴丸にみつかってしまう。泣き出すおとわ。
だが、食べ物屋の水瓶を運んでいっぱいにして働くとおとわはつけものを托鉢してもらった。「腹が減った!これが托鉢か……われこそ竜宮小僧じゃ。」がつがつ食べ笑顔を見せた。
昊天が「何故次郎法師を迎え入れたか?」ときき、南谿は「あの娘は特別な虎の目をもっておる。井伊家の初代さま井伊共保さまもそうであったろう。あの子供こそ竜宮小僧じゃ。」
「われが井伊家を守るのじゃ!」出家した井伊直虎・次郎法師は極寒の中、滝行をする。
冷たい滝にうたれながら般若心経を唱えた。すべては井伊家の為の祈り、である。
次郎法師は出家したので坊主頭の少女である。姫時代は馬で駆けた。おとわの乳母はたけ。
次郎法師は禅の修行や般若心経などの念仏も修行した。現在の禅の修行はひとと向かい合ってのものだが、戦国時代当時は壁に向かって瞑想し禅で念仏をそらんじた。
龍譚寺では兄弟子の傑山などが弓矢や槍の稽古をする。「次郎法師!おなごだからと手加減せぬぞ!かかってまいれ!」だが、兄弟子たちは次郎法師を生涯守ることも誓う。僧兵だ。
教育係の僧侶・昊天も、次郎法師に学問や歴史経世済民などを教えるのである。
「雑巾になりきれー!寺の掃除をしっかりとやるのじゃー!」「おおっー!」
「志を大事にせよ!ひとは志次第でどうとでもなる!井伊谷や龍譚寺だけが世界ではないぞ!お前は学べ!しゃかりきに学べ!のう次郎法師!」
「はい!われは学びまする!井伊家、井伊谷、すべての国のために!われは井伊谷に生まれようござりました!」井伊直虎・次郎法師は志をたてる。
天文二十二年(1554年)、亀之丞が井伊谷を去ってから十年もの歳月が経っていた。
鶴丸は小野但馬守政次と元服して名を改めていた。直盛も四十七歳になった。
井伊家筆頭家老小野政直が息子の小野政次と次郎法師を結婚させようとした。
次郎法師は「そうなれば両家のわだかまりもとけるのう」
政次は「亀のことはいいのか?」ときいた。
次郎法師は「もし、生きておったとしても亀には別の人生がとっくにあろう。」
「それでおとわはいいのか?」
「いいもわるいもない。わしは文句を言える身ではない」
こんな評定は荒れて当然である。しかし、今川の息のかかった小野政直のいいようにことがすすんだ。だが、政直は病気で倒れる。
死ぬ前に政直は息子に「お前は俺を醜いと思っているだろうがお前もこのわしと同じようになる!いずれ…わしと同じとなるぞ。」といい、その後病死した。
こうしたことでやっと十年ぶりに亀之丞は井伊谷に帰ってくることができた。
「俺はおとわと一緒になるつもりじゃ。」直親(亀之丞)はいう。長い長い間待ち望んでいた言葉。しかし……
「われこそ次郎法師!井伊直虎である!!」
のちに、そう男装し、赤備えの兵で武装した馬上の直虎は跡継ぎの虎松(のちの井伊直政)がわずかに二歳の赤子で跡継ぎの男子がいなくなったために、次郎法師が井伊直虎となり発した。
一度は諦めた井伊家の存続であった。だが、没落する。今川家などに攻められて城もすべて失ったことがある。龍譚寺で一計をこうじて義理の息子・井伊直政を徳川家康に仕官させ、“松下”からふたたび井伊を名乗ることを家康に認めさせた。
晩年、直虎は祐圓尼(ゆうえんに)と号し、母・千賀(祐椿尼・ゆうちんに)と龍譚寺で過ごし1582年死亡した。織田信長の暗殺・本能寺の変の数ヶ月後、であった。
話を戻す。
実は小野政次は次郎法師・のちの井伊直虎に懸想(けそう・恋愛感情)をしていて、幼い頃の絆はどこへやら、亀之丞改め井伊直親(なおちか)と対立するようになる。
「鶴?いかがした?何故わしを狙う?われらが戦うのは井伊家のため、麗のため。」
「だまれ!わしは…もう鶴丸ではない、この井伊谷の領土を狙う小野政次だ!」
井伊直虎の曾祖父・井伊直平は「麗(大河ドラマではおとわ)!ようやくこの時が来た!亀之丞を連れ戻すぞ!戻ってまいるぞ!」と龍譚寺で笑顔になった。
「しかし、わし井伊直平が領主のときに今川軍にやぶれて今川領となり、息子達も傷だらけになった。亀の暗殺された直満も直盛の父親も戦で負傷した。じゃから、わしは今川家が憎い。憎いのじゃ!今川義元は殺してやりたい!もはや、戦じゃ!戦しかないのじゃ!」
麗・おとわの曾祖父・井伊直平の今川家への憎悪はすざましい。亀の父親が独眼になったのも今川家との合戦で、である。ちなみに井伊谷(いいのや)とは「井の国」とも呼ばれ、竜宮小僧(りゅうぐうこぞう)の守る浜名湖の北側の小国(静岡県浜松市井伊谷)である。
最初、この遠江の井伊谷の領地は今川家が攻めてきて支配して、次に徳川家康に攻められ、北からは武田軍が攻めてきた。交通の要所であり、戦国武将の欲しい領土だった。
ちなみに井伊家とは幕末に安政の大獄をやって、桜田門外の変で水戸浪人に暗殺された井伊直弼大老は、井伊直虎・井伊直政の子孫である。井伊直弼は直政から十三代目の子孫。
次郎法師直虎の許嫁(いいなづけ・亀之丞・のちの井伊直親・なおちか)が帰郷する。
だが、麗は「亀が戻ってきたところでわしは出家の身じゃ。何もかわるまいに。」
亀之丞は馬で井伊谷の城に帰ってきた。
直虎が二十一歳のころである。弘治元(1555)年、直親は戻ってくる。
だが、直虎はすでに出家していて……
しかし、そこは先の見えるおなごである。その当時、尼になれば結婚も俗世にかえるのも不可能であった。だが、直虎は僧侶、つまり、男として次郎法師として出家し龍譚寺に行っていた。僧侶とて結婚することは出来ないが俗世に戻ることは出来る。
武田信玄も上杉謙信だって僧侶となり、俗世に戻っている。
亀之丞は馬で悠々と戻ってきた。
直虎の父へ平伏し、「井伊亀之丞、ただいま戻りました」と告げる。
「おおきうなったのう鶴丸!麗も。戻ったぞ、麗!わしが戻れたのも麗がいてこそだ!」
元服して亀之丞改め“井伊肥後守直親”となる。
「立派になった。立派になった」
直虎の父親・井伊直盛は目を細めた。
「これで井伊家も安泰じゃあ」数少ない家臣達が喜んだ。酒席である。
だが、しかし、もはや出家した直虎の出る幕はない。
ちなみにのちの井伊直政の命をすくったのは井伊家家臣・新野左馬助、である。
おとわの還俗はいつになるやら。龍譚寺の南谿和尚はとんちを披露する。次郎法師に言う。
「昔、趙と言う国の道威という王がふたりの大臣のうちひとりをやめさせることになった。王はふたりの大臣、中と伯に饅頭(まんじゅう)を二個ずつ与えた。中は一つを食べ、もうひとつを飢えた子供に与えた。伯は一つを食べ、もうひとつはながらくもっていてカビさせてしまった。さて、王はどちらを大臣として雇った?」
次郎法師は自信ありげに「中でしょう!饅頭をカビさせてはいみがない!」
南谿和尚はにやにや嗤っている。
「え?……違うのですか?」
「よおっく、考えてもみよ。次郎法師」南谿和尚は笑顔のままだ。
直親は次郎法師・おとわを死んだことにして別人として妻に迎えるという策をだした。
だが、次郎法師はその策にのらなかった。
そこで饅頭とは志である、と知る。
「われは死なない。われは一個の饅頭なのだ。饅頭をひとつ食べれば腹が減ったのをしのげる。しかし、二個食べてしまえばもしも本当に困ったときに食べられない。われはカビた饅頭になる。カビた饅頭となって井伊家を守る!」
その決意をきいた直親はしのという女性と結婚することになる。
「すまない、麗・おとわ。じゃが、仕方ないことなんだ。」
 直親はうしろから直虎を抱擁するが、………涙をぬぐってから、次郎法師井伊直虎は振りほどいた。
「何がじゃ?」
「わしは命を狙われて隠遁生活じゃった。その頃にいつもわしを気遣ってくれたのが今の妻・しの、なんだ」
「煩悩に負けたからじゃろう?!亀!見損なったぞ!」
「それもある。それについては……すまん、麗・おとわ。すまん。すまん。」
「………もはや、われは麗・おとわではない。次郎法師じゃ。」
「そうであったな。次郎法師さま。井伊家のおんな城主井伊直虎さま。」
「これ。ふざけるでない。」
 ふたりは笑った。
井伊直親は曾祖父の井伊直平の隠れ棚田に感嘆する。「これは…見事な…」
「これが井伊家の砦じゃ」直平は隠れ棚田・川名(かわな)を自慢する。
直親は筆頭家老の小野政次にこの棚田を検地の範囲から外してくれ、と頼む。
「おとわのためにともに井伊谷を守ろう!」
政次は「俺はおまえのそういうところが嫌いなのじゃ」子供の頃の嘘偽りない表情だった。
瀬名(のちの築山殿)は三河からの人質・松平元信(のちの元康・徳川家康)と結婚させられた。姉さん女房であった。“三河のぼんやり”家康は陰で馬鹿にされていた。
直親としのが結婚して丸四年。さっぱり子供が出来なかった。
しのはあらゆる薬草を飲み、食べ物を食べた。子供が欲しい!欲しい!
次郎法師も昊天に妊娠するによい薬草をきくが高額で一禅僧に買える額ではない。そこで次郎法師は亀之丞の亡き父親に買ってもらっていた笛と対の鼓を小野家の政次に見せた。
「何で俺が次郎法師の鼓を買って、高価な薬草を手に入れてしのに渡さねばならなんだ?」
「父上や母上に知られたくはないからじゃ。鶴。いや、政次殿、頼む。」
だが、薬草をしのは断った。受け取らなかった。
しのが妊娠する前は次郎法師としのとの関係はいまでゆう元カノと今カノの戦いでバチバチしていた。「次郎さまはしのに子供が出来なければよいと思うてらっしやるのでしょう?!」
「何を馬鹿なことをいうのじゃ!それでも井伊家の惣領の嫁か!!」
あるときはしのは懐剣をもって脅迫した。次郎法師は「殺したいならころすがいい!」
やがて織田信長の命令で徳川家康は瀬名(築山殿)と子供(竹千代と亀姫)らを殺した。
直虎の父親・直盛は今川家に従って織田攻めに加わった。「これから今川義元さまにしたがい、織田を成敗することとなった!」「えいえいおーっ!えいえいおーっ!」
今川軍は二万五千、織田勢は三千人……まさか誰も今川がやぶれるとは思わない。
井伊直親も参戦しようとしたが、井伊直盛にとめられた。「お主は御曹司じゃ!井伊谷に残ってくれ!」「しかし!わしも刀や槍の稽古を積んできました!」「残ってくれ!」
だが、奇跡の桶狭間合戦が起こる。今川義元は織田信長に討ち取られ、直盛らも戦死する。
直虎の父が桶狭間合戦で死に、直親らもやがて今川家臣に斬り殺された。
しんしんと雪が降る中、血だらけで雪原で横たわった直親は、
「……井伊谷は何処じゃ……おとわ………鶴…無念じゃ。」血を吐いて死んだ。
悲しみに暮れる井伊谷の井伊家……次郎法師は念仏を唱えながら号泣する。
直親の遺体に触ろうとした次郎法師にしのは涙ながらに怒鳴った。
「さわるでない!われの夫じゃ!」
しのは妊娠し、出産していた。直親の嫡男・虎松(のちの井伊直政)である。
龍譚寺の井戸では奇跡が起こっていた。枯れた井戸だったが、みずがわきあがってきたのだ。だが、井伊直虎・次郎法師は不吉な予感を感じて、念仏を唱える。
小野政次がしのの父親を殺して、武田信玄が病死し、小野政次は謀反人として磔(はりつけ)になるに至って、次郎法師は決意する。直虎は磔の政次に「よくも、井伊家をたばかりおって!地獄へ落ちろ、小野但馬!」と槍を突き刺した。
「笑止!もともと……おなご頼りの伊井谷のおなごの城主になにができる?!!地獄で……観ていてやるわ!」
 血を吐きながら政次は渾身の嘘をつく。彼が井伊家の”生け贄の羊”となって死ぬことで井伊家はすくわれた。
涙なく槍で突き刺した直虎も、小野も、すべては井伊家の為だった。「小野但馬守!天誅……じゃ!」胸が爆発寸前だ。
先だって唯一の成人男性の曾祖父の井伊直平さまも病死(毒殺の疑いも)した。もはやおんなしか残っておらぬ。残されたのは赤ん坊の虎松(のちの直政)だけ………
直親の遺体が届くと、直虎は決心する。井伊家は亀之丞の息子(のちの井伊直政)がおおきくなるまでわたしが守る!!おなごなれど“おんな城主井伊直虎”として生きよう!井伊家はわれが守る!
ちなみに直親の妻しのは恋しい直親と仲の良い元・許嫁の直虎に嫉妬して、理不尽な物言いもしたらしい。どこの時代でもある愛憎劇である。
元・いいなづけの井伊直親が暗殺されたとき、息子の虎松(のちの井伊直政)はわずかに二歳の赤子……これでは惣領は勤まらない。そこで次郎法師が“直虎”と男装し男のなりで惣領となった。ここでおんな城主井伊直虎が誕生する。
「わたしが…このおなごの身のわたし…次郎法師、井伊直虎がこの井伊谷の当主となる!必ずや井伊家を再興し必ず井伊家を家族をもりたてる!必ず時代を歴史をかえるほどに精進する!この井伊直虎がおんな城主である!わかったか!」
直虎は赤備えの馬の上で覚悟を決めた。
「いざ!井伊直虎まかり通る!われこそが井伊直虎である!」
 それは“おんな城主井伊直虎”の誕生だった。
井伊直虎は次郎法師が独創した男装の大名の名前であった。
「井伊次郎法師・井伊直虎、ただいま井伊谷(いいのや)に帰って参りました」
「おお、麗・おとわ。いや、おんな城主井伊直虎さまじゃな。」
尼姿の直虎を母の祐椿尼や家臣団は迎えた。「万歳-!万歳-!」
赤備えの馬で男装して赤い着物で馬で行軍する。赤備えの兵、僧兵もいる。
まさに“おんな謙信”の如き、である。
直虎は領民思いの優しいおんな城主だった。凱旋行軍である。
農民が領土を巡って対立して裁いてもらおうと直虎の元に訪れると「個人の田畑ではなく、村で共有する田畑ではどうか?」と名裁き。井伊家の家系が苦しいとき領地の商人から銭を借りた。利息はあっても年貢までの辛抱である。領民から里芋などを贈られると酒宴を開いて直虎自身が酌をしたりもしたという。まるで名君・上杉鷹山公の如きおんな城主だ。
気配りの女性であり、人情味あふれるおんな城主直虎、である。
今川義元が御屋形さまで、義元の息子が今川氏真(うじざね)、義元の母親が寿桂尼(じゅけいに)であり、今川家には三河の松平家からの人質がいた。これが松平元康、つまりのちの徳川家康である。少年の人質・家康は今川家のおんな瀬名・のちの築山殿を正室にむかえる。悪女であり、妖艶な美形の女性である。能で般若の面で家康を恫喝する。
小心者の徳川家康はそんな姉さん女房の尻に敷かれることになる。
ちなみの小野政次の父親は井伊家筆頭家老だったが、「こいつ邪魔だなあ」と思われていた。
井伊直虎は男装だけではなく男性の戦国大名がつかった花押(かおう・いわゆる書状のサイン)もつかった。だが、遠江の領地を狙う今川義元は謀略をしかけてくる。
まずは徳政令を出して遠江の領地を大混乱にして奪おうと考えた。
だが、おんな城主井伊直虎は時間稼ぎをして結局、領民や商人や百姓の身を守った。
商人などに徳政令免除書を発行したのである。
しかし、そんな井伊家もやがて今川家に城も領地も奪われる。
大河ドラマでは井伊直親の隠し子である高瀬なる娘が武田領より伊井谷にやってきた。
本当の直親の忘れ形見であるという。そして、盗賊集団・竜雲党との因縁……
直虎と瀬戸方久らは浜名湖の南の商人の町・気賀(きが)へ。物見遊山の直虎たちであったが、ひとりの少年が直虎にぶつかってきた。「……ん?銭袋がない。こらー!かえせー!」
盗人の少年を猪突猛進に追いかける直虎。しかし、逆に盗賊集団・竜雲党に拉致監禁される。直虎は「縄をほどけ!わしは井伊家の頭領の井伊直虎じゃ!このままならそちらを死刑にするぞ!」とわめき散らす。そこに現れたのが竜雲党の頭である竜雲丸だった。
「そなた……あのときの?!」「あのときの尼殿さまじゃねえか。」「そなたらは泥棒を生業にしていたのか……」「泥棒?……おれからすれば大名のほうがよっぽど泥棒じゃねえか。泥棒も泥棒、大泥棒でさあ。」「大名のどこが泥棒なのだ?」「ガキでもわかる理屈でさあ。大名は百姓から年貢をとる。これは泥棒じゃないか」「しかし、井伊家の領土で取れたコメを年貢として取り立てているだけじゃ。領地が井伊家のものだから当たり前であろう?」
「それが泥棒の始まりでさあ。では、何故にここからここまでが俺らの土地じゃ、と決められる?搾取も許される???」「それは……その昔に井伊家が朝廷や天子さまより領土を頂いたからだ」「どうも……話が通じねえなあ」
やがて、人質から解放された直虎は思う。「確かに大名は泥棒かも知れん。ならば泥棒として奪うだけじゃない世をつくるぞ!」
竜雲党を井伊家の領土の木こりとして取り分を七分三分で話をつける直虎。「何で俺らに??」「そなたたちには技能がある。生かさぬ手はない!!もったいない。のう?!!」
こうして竜雲党は悶着や騒動を起こしながらも井伊家の直虎の家来、傭兵部隊へとなる。
「その木の切り方は違いやす。こうでさあ。」竜雲丸は直虎の手をとって教えるが、直虎は頬を赤くして心臓をばくばく高鳴らさせる。古かろうがもう乙女でなかろうが、中身は女の子なのである。直之は「あれは何処ぞかで見た顔の男!ああ!盗人の男ではないですか!!」と反発するが、「過ぎたことはよかろう」と直虎にいなされる。
寿桂尼も年を取り、腰の曲がった老婆になる。それでも斜陽著しい今川家を守る為に策を弄していた。駿府の今川屋敷に直虎をよぶ。寿桂尼は直虎に直親のことをきくが、直虎は「世の中は綺麗事だけではやっていけません。確かに恨みはあるでしょうがこれも戦国の常」という。寿桂尼は、孫の氏真に「直虎はわれがいつも政をするときに自分にいいきかせていることをいった。井伊家の城主は今川をたすけない」と、遺言して死ぬ。
また、直虎の乳母だったたけが病気になり、倒れたときは直虎は馬でたけを彼女のふるさとまで送り、看取った。たけの代わりにたけの外見そっくりの姪・梅があらたに直虎の侍女となる。去る者があればあらたにおとずれるものもあるである。
次第に織田や松平(徳川)や武田の脅威が迫る。武田信玄対徳川家康……武田信玄の死……織田対武田の長篠の戦い……武田今川の滅亡と、井伊谷の敗北と流浪の日々へ………
武田が今川との同盟の契りをやぶったのは織田信長による策略であったとも。武田は今川を捨て、尾張の織田家と庇護配下の三河の松平(徳川)家康と同盟を結べば西の憂いもなくなる。駿河を狙う松平(徳川)にも、南の海が欲しい武田にも大事な策であった。
だが、織田はその密約を反故にして武田や今川を駆逐する………
没落した時代に、今川義元が桶狭間で討ち死にし、武田家や徳川家の侵攻で今川氏真の今川家は滅びる。駿河や遠江の領地・井伊谷をあらたに支配したのは徳川家康だった。
井伊直虎と義理の息子・虎松(のちの井伊直政)は龍譚寺に身を寄せるしかない。
だが、武田軍は戦国最強!家康は三方原の合戦(1572(元亀3)年)で武田軍にこてんぱんに敗れ、馬で逃げる際にあまりの恐怖で糞尿まみれになった。信玄、恐ろしや!
そんな中おこったのが長篠の戦い(1574年・元亀5年?天正元年?)である。
尾張の新興勢力である織田信長軍に今川は滅亡させられ武田信玄は病死、武田軍御曹司武田勝頼は討ち取られた。家康は織田信長に謀叛の疑いをかけられた長男・信康と瀬名(築山殿)を泣く泣く成敗した。つまり、殺した。信長のいいがかりであったという。
そして駿河の今川家も甲斐信濃の武田家も滅んだ。(今川氏真は有力武将を放浪庇護を受け、その今川氏真の今川家は朝廷工作のキーパーソンとして明治維新後まで生き延びる)
直虎の母親の千賀(祐椿尼)は井伊家の山城で壁に向かって号泣した。旦那の井伊直盛が桶狭間の戦いで戦死したときだ。……もはや井伊家に男子はいない。…おわった…
それは絶望だった。しかし、龍譚寺から次郎法師が帰ってきた。
「母上!心配めされるな!この次郎法師が井伊直虎としてこの井伊家を継ぎまする!」
「次郎法師…」尼になった母親は涙を流した。「よう帰った。よう帰った!」

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年末年始一気読みスペシャル特別編成『おんな城主井伊直虎』ブログ小説VOL.1

2017年12月30日 16時11分55秒 | 日記




































葵のジャンヌダルク<おんな城主井伊直虎>
~傑物の義理息子・井伊直政を育てた女大名 井伊直虎とその時代~
             
               
               
               
               
                total-produced&PRESENTED&written by
                  UESUGI KAGETORA
                   上杉(長尾)  景虎

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


この作品は引用が多くなりましたので引用元に印税の数%を払い、引用料としてお許し願えればと思います。それでも駄目だ、というなら印税のすべてを国境なき医師団にすべて寄付しますので引用をお許しください。けして盗用ではないのです。どうかよろしくお願いします。上杉景虎   臥竜

この物語のベースは大河ドラマ『おんな城主直虎』漫画『花の慶次』(原作・隆慶一郎・漫画・原哲夫)と高殿円著作『剣と紅』児玉彰三郎著作『上杉景勝』からです。


        あらすじ

井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代の女性領主。遠江井伊谷(静岡県浜松市北区(旧・引佐郡)引佐町・いなさちょう)の国人井伊氏の当主を務め、「女地頭」と呼ばれた。井伊直親と婚約したが、生涯未婚であった。井伊直政のはとこであり養母。
戦国時代、運命と戦ったおんな城主がいました。その名は井伊直虎。ふるさとは駿河(静岡県)浜名湖の北の遠江の領地・井伊谷(いいのや)。井伊家の家紋は“井”

時代 戦国時代- 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正10年8月26日(1582年9月12日)
改名 祐圓尼、直虎
別名 次郎法師、女地頭(渾名)
戒名 妙雲院殿月泉祐圓大姉
主君 今川氏真→徳川家康
氏族 井伊氏
父母 父:井伊直盛、母:祐椿尼
子 養子:直政
女性で出家後に井伊家の跡をまかされ、義理の息子・井伊直政を育て、徳川家康に仕えさせたその井伊直虎の生涯はまさに「大河ドラマ」である。2017年大河ドラマ(いわゆるおんな大河)『おんな城主直虎』主演・柴咲コウで放送された。原作『おんな城主直虎』『剣と紅』『葵のジャンヌダルク<おんな城主井伊直虎>』。2017年放送。
                                おわり         

1 関ヶ原


井伊家伝記の有名な言葉“女こそあれ井伊家惣領(そうりょう)に生まれ候”(父親の殿さまのただひとりの子供が女子という意味)男子が生まれなかったらしい。惣領=跡継ぎ。この文献で直虎が女性だった、とわかる。また、最近、井伊直虎は男性だった、なる新説の古文書がみつかった。が、「女地頭、次郎法師・井伊直虎が男装していたので勘違いしたのであろう」、と結論している。もはや、決着した議論である。
井伊直虎は美貌の少女であった。生年月日は不明、没年は義理の息子の武功『主君・徳川家康の伊賀越え』を成功させた年のわずか数か月後の天正十年(1582年)八月二十六日(九月十二日)没している。幼名・不明、改名・祐團尼、直虎、別名・次郎法師、女地頭(綽名)、戒名・妙雲院殿月泉祐團大姉、主君・今川氏真→徳川家康、氏族・井伊氏、父・井伊直盛、母・祐椿尼。養子が井伊直政である。
「直政、お主がわしの鷹狩での草原で、烏帽子直垂でわしらと遭遇したとき、となりに若き尼がいたが、それがお前の義理の母御前か?」
「いかにも!徳川さまに仕官する案も義母御前のものでした」
「太閤殿下の前では女謙信とまで申したの?」
「あれは本当にございます。なれど心は優しい艸風(そうふう・草原に吹く風)の如き義母でありました」
「なるほどな。惜しい人を亡くしたのう」
「御意にござる」直政は両目に涙を浮かべた。

石田三成は安土桃山時代の武将である。
 豊臣五奉行のひとり。身長156cm…永禄三年(1560)~慶長五年(1600年10月1日)。改名 佐吉、三也、三成。戒名・江東院正軸因公大禅定門。墓所・大徳寺。官位・従五位下治部少輔、従四位下。主君・豊臣秀吉、秀頼。父母・石田正継、母・石田氏。兄弟、正澄、三成。妻・正室・宇喜多頼忠の娘(お袖)。子、重家、重成、荘厳院・(津軽信牧室)、娘(山田室)、娘(岡重政室)
 淀殿とは同じ近江出身で、秀吉亡き後は近江派閥の中心メンバーとなるが、実は浅井氏と石田氏は敵対関係であった。三成は出世のことを考えて過去の因縁を隠したのだ。
「関ヶ原」の野戦がおわったとき徳川家康は「まだ油断できぬ」と言った。
当たり前のことながら大阪城には西軍大将の毛利輝元や秀頼・淀君がいるからである。
 しかるに、西軍大将の毛利輝元はすぐさま大阪城を去り、隠居するという。「治部(石田三成)に騙された」全部は負け組・石田治部のせいであるという。しかも石田三成も山奥ですぐ生けどりにされて捕まった。小早川秀秋の裏切りで参謀・島左近も死に、山奥に遁走して野武士に捕まったのだ。石田三成は捕らえられ、「豊臣家を利用して天下を狙った罪人」として縄で縛られ落ち武者として城内に晒された。「お主はバカなヤツです、三成!」尼姿の次郎法師(井伊直虎)はしたり顔で、彼を非難した。
「お前のような奴が天下など獲れるわけあるまいに」
(*注・実際には井伊直虎こと次郎法師は天正十年(1582)年八月二十六日に享年四十八歳で没しているので、三成の関ヶ原の役では生きてはいないが「特別出演」(笑)で出演させたことは理解して欲しい。直虎の幽霊と話す設定がちょうどよい(笑))
「お前は誰じゃ?」
「井伊直政の義母・次郎法師こと井伊直虎じゃ!」
三成は「わしは天下など狙ってなどおらぬ」と直虎の霊をきっと睨んだ。
「たわけ!徳川家康さまや(義理)息子・井伊直政が三成は豊臣家を人質に天下を狙っておる。三成は豊臣の敵だとおっしゃっておったわ」
「たわけはお主だ、直虎、いや次郎法師!徳川家康は豊臣家に忠誠を誓ったと思うのか?!」
「なにをゆう、徳川さまが嘘をいったというのか?」
「そうだ。徳川家康はやがては豊臣家を滅ぼす算段だ」
「たわけ」直虎は冗談としか思わない。「だが、お前は本当に贅沢などしとらなんだな」
「佐和山城にいったのか?」
「いいえ。でも家康さまや(義理の)息子・井伊直政からきいた。お前は少なくとも五奉行のひとり。そうとうの金銀財宝が佐和山城の蔵にある、大名たちが殺到したという。だが、空っぽだし床は板張り「こんな貧乏城焼いてしまえ!」と誰かが火を放ったらしいぞ」
「全焼したか?」
「ああ、どうせそちも明日には首をはねられる運命だ。酒はどうじゃ?」
「いや、いらぬ」
 直虎は思い出した。「そうか、そちは下戸であったのう」
「わしは女遊びも酒も贅沢もしない。主人が領民からもらった金を貯めこんで贅沢するなど武士の風上にもおけぬ」
「ふん。淀殿や秀頼殿を利用する方が武士の風上にもおけぬわ」直虎は何だか三成がかわいそうになってきた。「まあ、今回は武運がお主になかったということだ」
「直虎殿、いや直政殿の義母ごぜ」
「なんじゃ?」
「縄を解いてはくれぬか?家康に天誅を加えたい」
「……なにをゆう」
「秀頼公と淀君さまが危ないのだぞ!」
  直虎は、はじめて不思議なものを観るような眼で縛られ正座している「落ち武者・石田三成」を見た。「お前は少なくともバカではない。だが、徳川さまが嘘をいうかのう?五大老の筆頭で豊臣家に忠節を誓う文まであるのだぞ」
「家康は老獪な狸だ」
「…そうか」
 直虎の霊は拍子抜けして去った。諌める気で三成のところにいったが何だか馬鹿らしいと思った。どうせ奴は明日、京五条河原で打首だ。「武運ない奴じゃな」苦笑した。
 次に黒田長政がきた。長政は「三成殿、今回は武運がなかったのう」といい、陣羽織を脱いで、三成の肩にかけてやった。
「かたじけない」三成ははじめて人前で泣いた。

*大河ドラマでは度々敵対する石田治部少輔三成と黒田官兵衛。言わずと知れた豊臣秀吉の2トップで、ある。黒田官兵衛は政策立案者(軍師)、石田三成はスーパー官僚である。
*参考映像資料NHK番組『歴史秘話ヒストリア「君よ、さらば!~官兵衛VS.三成それぞれの戦国乱世~」』<2014年10月22日放送分>
*三成は今でいう優秀な官僚であったが、戦下手、でもあった。わずか数千の北条方の城を何万もの兵士で囲み水攻めにしたが、逆襲にあい自分自身が溺れ死ぬところまでいくほどの戦下手である。*(映画『のぼうの城』参照)*映像資料「歴史秘話ヒストリア」より。*三成は御屋形さまである太閤秀吉と家臣たちの間を取り持つ官僚であった。
石田三成にはこんな話がある。あるとき秀吉が五百石の褒美を三成にあげようとするも三成は辞退、そのかわりに今まで野放図だった全国の葦をください、等という。秀吉も訳が分からぬまま承諾した。すると三成は葦に税金をかけて独占し、税の収入で1万石並みの軍備費を用意してみせた。それを見た秀吉は感心して、三成はまた大出世した。*
三成の秀吉への“茶の三顧の礼”は誰でも知るエピソードである。*映像資料「歴史秘話ヒストリア」より。

“原始、女性は実に太陽であった。真正のひとであった。しかし、いまや、女性は月である”「青鞜」平塚らいてう(らいちょう)1936年(明治36年)~1971年(昭和46年)

“上手に人をおさめる女性とは上手に人を愛せる女性”ナイチンゲール
ナイチンゲールやジャンヌダルクのように、戦国時代の日本にも『葵のジャンヌダルク、井伊直虎』がいた。直虎というが実は女性。映像参考文献NHK番組『歴史秘話ヒストリア「それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎 愛と悲劇のヒロイン~」』井伊直虎こそあの徳川四天王のひとり、井伊直政の義理の母親で、あった。
*<徳川家康の四天王>とは、酒井忠次(さかい・ただつぐ)、榊原康政(さかきばら・やすまさ)、井伊直政(いい・なおまさ)、そして本多忠勝(ほんた・ただかつ)の4人の家康の重臣たちのことだ。猛将の忠次、がんこ者の康政、人格者の直政、剛力の忠勝は、家康を助けた。彼らがいなければ、家康も天下を取れなかったかも知れない。4人の子孫は、みな幕府の重臣となっている。*<「戦国武将大百科」げいぶん社 47ページ>

  関ヶ原合戦のきっかけをつくったのは会津の上杉景勝と、参謀の直江山城守兼続である。山城守兼続が有名な「直江状」を徳川家康におくり、挑発したのだ。もちろん直江は三成と二十歳のとき、「義兄弟」の契を結んでいるから三成が西から、上杉は東から徳川家康を討つ気でいた。上杉軍は会津・白河口の山に鉄壁の布陣で「家康軍を木っ端微塵」にする陣形で時期を待っていた。家康が会津の上杉征伐のため軍を東に向けた。そこで家康は佐和山城の三成が挙兵したのを知る。というか徳川家康はあえて三成挙兵を誘導した。
 家康は豊臣恩顧の家臣団に「西で石田三成が豊臣家・秀頼公を人質に挙兵した!豊臣のために西にいこうではないか!」という。あくまで「三成挙兵」で騙し続けた。
 豊臣家の為なら逆臣・石田を討つのはやぶさかでない。東軍が西に向けて陣をかえた。直江山城守兼続ら家臣は、このときであれば家康の首を獲れる、と息巻いた。しかし、上杉景勝は「徳川家康の追撃は許さん。行きたいならわしを斬ってからまいれ!」という。
 直江らは「何故にございますか?いまなら家康陣は隙だらけ…天にこのような好機はありません、何故ですか?御屋形さま!」
 だが、景勝は首を縦には振らない。「背中をみせた敵に…例えそれが徳川家康であろうと「上杉」はそのような義に劣る戦はせぬのだ!」
 直江は刀を抜いた。そして構え、振り下ろした。しゅっ!刀は空を斬った。御屋形を斬る程息巻いたが理性が勝った。雨が降る。「伊達勢と最上勢が迫っております!」物見が告げた。
 兼続は「陣をすべて北に向けましょう。まずは伊達勢と最上勢です」といい、上杉は布陣をかえた。名誉をとって上杉は好機を逃した、とのちに歴史家たちにいわれる場面だ。

***
遠江(とおとうみ)の下、浜名湖に守られながら、室町時代後期、戦国時代を戦火から救うことになるひとりの女性がいた。
名前を直虎、幼名・麗姫(れい・おとわ)、井伊次郎法師・井伊直虎(じろうほうし・いいなおとら)という。
明応42年(1536)1月6日、井伊家(いいけ)に子供が生まれた。のちの井伊直虎である麗姫(れい・大河ドラマではおとわ)である。
父親は井伊直盛(なおもり)、母親は新野千賀(ちか)………
おぎゃああ、おぎゃああ…
「おお!産まれたか!」
「御主人さま、大変にお元気でおおきな…おおきな…」
「おおきな…おおきな?」
「姫さまにございまする!」
「ひ、姫?!!」
父親の直盛は肩を落とした。井伊といえば剛毅な男の世界である。
「まあ、姫か。」と思った。「嫡男はいない。そうするとおんなで長女か。」
当たり前だがそうである。
もし、麗の曾祖父の井伊直平のいうように宗家に世継ぎが生まれなければ直平の息子の井伊直満のひとり息子・亀之丞(のちの井伊直親・なおちか)をひとり娘の婿養子として井伊家を継がせればいい。それでお家は安泰の筈である。
父親は紙に書いた名前をまだ寝ている母親に見せた。
「麗?」
「そうじゃ。れいと呼ぶ」
「まあ、いい名前?」
「これは綺麗のれいからもきているが混じりけのない純粋なおなごに育てよ、というわしからの贈り物の名前でもある。そう、麗、麗姫じゃ。」
「……麗姫?まあ、いい名前ですわ。」
「そうであろう。そうであろう。」
直盛は目を細めた。「この子意外に子がなかったらおじじさまの言うとおり井伊直満の息子・亀之丞の嫁として嫁がせ、元服したら亀之丞は……そう井伊直親としよう」
赤ん坊は何故か夢見心地、の顔だ。
そんな麗姫は少女になった。
浜名湖を眺めながら母親の千賀は五歳か六歳頃の麗姫(おとわ)に言ってきかせた。
「いいか、麗(おとわ)。この世の人はすべてそれぞれ世に生まれた理由があるのです。生まれてくるのに遅いも早いも関係ない。ひとはそれぞれやるべきことがあるから生まれてくる。それをみつけて実行するのがさだめというもの。それは百姓たちを守る武家も、足軽も、百姓も関係ない。だが、現在は百姓を守るのは武家。いいですか、あなたは誰よりも学問と教養で天下のために働くおなごになるのですよ。」
「はい。」麗姫改め次郎法師は頷いた。
 そんな麗姫も成長し十代になると学問がしたくて男装までして菩提寺の学問所にいりびたるようになる。というか後述するが許嫁(いいなずけ)の亀之丞が隠遁生活にはいり髪を切って出家し僧侶になって仏門にはいったのだ。
井伊家には御曹司がいる。名前を井伊亀之丞(かめのじょう)という直虎の許嫁である。
直虎の許嫁・亀之丞と鶴丸少年(小野政次)は授業中にひそひそ話をしていた。今川義元来襲と室町幕府の弱腰外交の皮肉である。
教える先生はまだ若い。先生役の和尚は叱った。
「昨今の室町幕府の騒動をどう思う?次郎法師殿」
「さようですな。」直虎は明敏さもみせる。「これはモンゴル軍の来襲にも似ていまする。」
「うむ。」
「しかし、違うのはモンゴル軍はただ攻めてきただけですが、室町幕府や朝廷の官僚たちはこの日本国に開国を主張しています。」
「それで?」
「もはや外国との貿易なくして我が国はやっていけません。鎖国など無理!武力が違いすぎまする!ここは開国して西洋列強の進んだ文明文化技術をとりいれて国を富ます政策しかないかと。」
「面白い。なれば幕府は開国でいくわけだ」
和尚は唸った。「凄いおなごもいたものじゃ。おなごで歴史にくわしいとはおそれいった」
帰宅の足で、男装の直虎と亀之丞と鶴丸少年は団子屋によった。
「麗(おとわ)!どうゆうつもりじゃ?!!父上や母上は何と申しておった?」
「いいえ、何も」
「何もだと?!」
「ええ、何も誰にも知らせず寺に行きました故」
「次郎法師殿には驚いた。今川義元来襲で皆戦々恐々と安芸人がなっているのに“鎖国反対”“日本開国”論ですから。」
「鶴丸はどう思いまするか?」
「いやあ、正直、わかりません。鎖国も開国も。書物やひとのうわさだけで、実際に外国人とあって話さなければ…」
「なるほど。片方のひとのことばかり聞いて沙汰するな、と。両方の意見をきかねば物事は判断がつかない、と?」
「そんな立派なことではないんですが…」
「鶴丸、うちにきて一局どうですか?」
「………一局?」
 次郎法師・井伊直虎と鶴丸は夕方頃、向かい合って囲碁をした。
老女のたけは姫さまはおなごのくせに男装などして…学問所に男装していくなどおなごのくせに……説教くせなのか老女はぐだぐだ五月蠅い。
「たけ!無礼ではないか!」
「……わかりました。」老女は下がった。
「いつも“おなごのくせに”“おなごのくせに”と五月蠅いのです」
ふたりは微笑んだ。
碁を打つと、懐から生まれた時に授かったお守りが畳におちた。
それはおおきな井伊家の“井”の一文字紋のお守りだった。
何故か次郎法師・井伊直虎のは青い柄のお守りだった。
「…そ、それは!わたくしも同じものをもっておりまする!」
鶴丸(小野政次)は赤い柄の同じ井伊の一文字紋のお守りを見せた。「あ!同じですね!」
「そうだ!」
「なんです?」
「このお守りを交換しませんか?きっとふたりは出会う運命だったんです。そうしましょう。きっと生涯大事にいたしまする」
「は。ははあ。」
半信半疑のままふたりはお守りを交換した。のちの次郎法師こと直虎は悪戯なかおのままいった。「でも驚きました。囲碁……すごいお下手なんですね?」
今川義元に支えていた直虎らの父親・井伊直盛(なおもり)は自宅謹慎の憂き目を見た。納得がいかない次郎法師と鶴丸は今川義元さまの館におしかけた。
すると今川義元はわるびれることもなく「わしは駿河(静岡県)で抜荷(ぬけに・密貿易)をしている」などという。「抜荷を?!」
「室町幕府には禁じられているが、今川家の為にのう。すべてはわしの役目の為じゃ」
直虎は「他に手だては?」ときくが、今川義元さまは、
「なら、あなたならどうするかな?」
と不敵に笑う。
悔しいが直虎も鶴丸も何も言えない。帰路の浜名湖がみえる丘で直虎と鶴丸は思う。
「くやしい。ですが、それはわたしたちの学問や知識・学識が足りない為…私は知りたい。もっともっと世界のことが知りたい」
「わたしもそうでございまする」
「この世の中は複雑怪奇…これから今川義元来襲後この遠江の領地は…日本国はどうなるか…?」
「この鶴丸も知りたく思いまする。この時代の風を明日を知りたく思いまする」
「なれば鶴丸。ますます学問じゃな?」
「次郎法師さま。…まさに!」
 あるとき、直虎は落ち込んだままだった。
自宅に帰ると直虎は落ち込んだ。
「わたしはひとの誇りを傷つけてしまいました…」母に苦難を吐露した。
「……そのひとは弱いひと?」
「いいえ。」
「ならそのひとの誇りは傷つくことはない。そう考えるのはあなたのおごりです!」
うまいことをいうものである。
直虎は初めて号泣した。熱い涙を流し、
「遠江に…生まれてきて…ようございました。私は井伊谷が大好きでござる」
彼女ははじめて遠江の領地のことを思い、熱くなった。

浜名湖を眺める丘で夕焼け空で鶴丸に亀之丞の許嫁にのちになる直虎はいった。
「どんな男が好きか?か?……そうはのう。“日本一(ひのもといち)の男”じゃな」
「は?日本一?」
「そう。日本一じゃ」
のちの小野政次は直虎のことを好いていたが、わしが日本一に…なれるのか…??と苦悩もしたらしい。この頃は、まだ小野政次ではなく、鶴丸という名前である。
龍譚寺にいくとき、たけは直虎に「いいですか。姫、おなごの道は一本道ですよ。こうと決めたらまずは前進する。いいですね?」
「おう。わかった。さらばじゃたけ。それに母上兄上父上も…お世話になりました」
「体に気を付けるのですよ」
「麗、がつがつ食べるなよ」
「わしの子じゃ。どんなに偉くなっても名前や身分がかわってもわしの子じゃ。わしの娘じゃ。」親子兄妹は号泣してわかれた。
龍譚寺(りょうたんじ)の南谿(なんけい)和尚は麗姫を尼ではなく僧侶として名前を与えた「お主は今日から次郎法師…井伊直虎じゃ」
「直虎……ははっ!」
「そなたの教育係として僧侶が勉学をしこむ。よく励むように…!」
「それなのですが…」
「何故にそなたを僧侶にか?か?」
「ははっ!申し訳ありません。でも、何故わたくしが尼ではなく僧侶かと?」
「そういう姫じゃからじゃ。」
「………そういう?」
「まあ、わしの勘じゃな。初めてあったときぴんときたのよ」
「…はあ。」
「いいか次郎法師、これからは修羅の道じゃ。わしの道具となってもらおう」
「は?道具…にござりまするか?」
「そうだ」南谿和尚は頷いた。「それも井伊谷の為。わしはのう。井伊谷から龍譚寺から日本をかえたい。そのために龍譚寺の僧侶となって欲しい」
「……僧侶?ははっ!」
次郎法師は平伏した。
次郎法師は龍譚寺の出家前に浜名湖にお礼をいった。
「いままでありがとうございました!これからもこの遠江を井伊谷をお願いいたしまする!」
僧侶からの猛特訓で話し方や所作、茶道や琴や太鼓や武術など学んで、いよいよ井伊家の惣領となると大名行列のように行列が井伊谷内を練り歩いた。
……われがおんな城主井伊直虎である!
次郎法師の本当の母親は「あの娘が生まれる時、仙人のような男が「その娘を遠江に迎えに来る」といっていた夢を見た」と後年証言したという。
まさに歴史がかわる前の激動、であった。





****
話を変える。
 井伊麗姫(のちの井伊次郎法師のちの井伊直虎、2017年NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』ではおとわ)は駿河遠江国(現在の静岡浜松市)井伊谷城で生まれた。生年月日不明(おおよそだが天文五年(1536年))…天文十年(1541)の駿河遠江国(するが・とおとうみ)では井伊直虎と井伊直親がわんぱくに育っていた。
子供の麗(のちの次郎法師・井伊直虎 大河ドラマではおとわ)と亀之丞(のちの井伊直親)と家臣筋の鶴丸(のちの小野政次)は遊んでいた。山を駆け、野を駆け、三人の絆は深い深いものとなった。森でかくれんぼをしていて、麗(大河ドラマではおとわ)は「亀!鶴丸!こっち!こっち!」と呼ぶ。麗はフクロウの巣の赤ちゃんを見つけた。
「わああっ、可愛い」3人の子供はほっこりとした笑顔になった。
井伊家の元祖となった井伊家の祖先で井伊家の始まりとなったのは井伊家の井戸(現在も井伊谷に保存されている)を三人は眺めた。「この井戸に井伊家の祖・初代さま井伊共保(ともやす)公が捨てられていて拾われた。これが井伊家のはじまりである!」
「だが、何故、井戸に捨てられたのに溺れ死ななんだ?」
「きっと井戸端に捨てられたのじゃ」
「なるほど!」
子供時代は浜松の天白磐座(てんぱく・いわくら)遺跡(1500年前からあるとされる古代祭祀遺跡)を遊びまわっていた筈である。井伊家は代々、この天白磐座遺跡を祀る王の末裔でもある。戦国時代は男だけの城主・大名だったが直虎以外のおんな城主はいる。
一は“男勝りの城主 立花誾千代(ぎんちよ)”筑前(いまの福岡県)で永禄十一年、島津の大軍が攻めてきた立花山の戦いで、島津軍を追い払った。二は、“おんな戦国大名 寿桂尼(じゅけいに)(今川義元の母)”四十年に渡っていっさいを取り仕切り今川家繁栄の礎を築いた。今川を有力大名におしあげた知略家である。そんなおんな城主のひとりが直虎。
麗・おとわの父親の直盛は心やさしい性格で生け花が趣味。麗・おとわに「麗・おとわ、お主がこの井伊家井伊谷の領主としてあとを継ぐか?」とおどおど訊いて、幼い麗・おとわは「え?わたしはずうっと最初からわたしがあとをつぐと思っていましたが…違うんですか?」といわれて困惑する。
「そんな訳はあるまい!」逆に母親の千賀は教育母親的な女性で、おとわが亡くなる四年前まで生きていた。おとわが悪戯や悪い口をきくとおしりぺんぺんしてしつけた。
やがて、幼いうちに麗(のちの次郎法師・井伊直虎)と亀之丞は大きくなったら結婚することを誓う。曾祖父の井伊直平(なおひら)が、麗の叔父で亀之丞の父親の井伊直満(なおみつ)の息子と麗(おとわ)を許嫁とした。井伊家本家では嫡男が出来なかったからだ。
「麗……わしたちは夫婦になるのじゃ」
「わかった。亀之丞」
「しかし…わしのような病弱な男の嫁で嫌ではないか?」
「亀、何を言う!そなたには笛があるではないか。」
「わしは笛を吹くことしかできぬ。鶴丸のように頭がいい訳でもない。麗・おとわのように体が丈夫な訳でもない。何の意味も無い存在なのじゃ!出来損ないなのじゃ!」
「ばかもの!」麗・おとわは亀之丞の頬を平手打ちした。
「おまえは意味があっていきておる!われの未来の旦那さまになるのであろう?!!情けないことをいうでない!いうでない!」
「……麗・おとわ…。」
「亀は立派な男子(おのこ)じゃ!のう?!!お前が戦えぬならわれがかわりに戦う。亀、お前が領主が出来ないならわれがかわりに領主となろう!」
「わかった。わしはもっと強い男子になる。みていてくれ!」
「おう!われも綺麗な嫁になるからみていてくれ!」
ふたりは笑顔になった。
 直虎と亀之丞が許嫁(いいなづけ)の関係になったのは直虎五歳のことである。
だが、亀之丞は井伊家の亀の父親が暗殺され井伊家当主が桶狭間で討ち死にすると隠遁生活にはいる。
 麗(おとわ)の父親は、井伊22代宗主直盛(なおもり)である。直盛の幼名は、江戸幕府の公式文書『寛政重修諸家譜』に「虎松」とある。「虎丸」とする説もあるが、いずれにせよ、虎の目を持つ人間であったのであろう。
 一方、麗(大河ドラマではおとわ)の母は、ドラマでは新野千賀(ちか)となっている。新野氏は、今川氏の庶子家で、御前崎市新野の地頭(この当時の「地頭」は「領主」の意)であった。井伊家と新野氏・娘との結婚は、今川氏との結びつきを深めるための政略結婚だったとされている。
 こうした両親のもと、麗(おとわ)が生まれた場所は井伊谷(いいのや・静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)の井伊氏居館と伝えられている。
 が、残念ながら直盛夫妻が授かった子は「麗(おとわ)」のみで、井伊家の宗主であるにも関わらず息子に恵まれなかった。
 そこで井伊20代宗主直平(なおひら・おとわの曽祖父)が、「男子が生まれなかった場合は、わしの息子の井伊直満(なおみつ)の子・亀之丞と、麗(おとわ)を結婚させる。亀之丞に井伊家を継がせるのだ」と決めた。
 麗(おとわ)が、まだ2~3歳の時だったという。
 「麗(おとわ)」と呼ばれていた時代、彼女は宗家の娘として、何不自由なく過ごしていた。 が、間もなく悲劇が起きる。
「これから駿河の今川さまの屋敷に行って参る」
「………」
「いかがした?亀之丞?」
「父上、領内でよからぬ噂がたっておりまする。今川様のところへはいかぬほうがよいかと。」
「何じゃ。亀、お主までこの父親を疑うのか?井伊直満は北条に内通していると。馬鹿者」
「しかし、今川義元公は…」
「考えすぎじゃ。わしは今川屋敷にまいる」
 だが、やはりだった。今川義元に責められた。「お主は北条に内通しているのであろう?!」
「いいえ、そのようなことは…陰謀にございまする!」
「だまれ!井伊直満!」
井伊直満は右目を戦で負傷していたため眼帯を独眼竜政宗のようにしていた。直満の北条への内通書が示される。ばれた!!う…ぐああ!案の定、今川義元は今川舘内で家臣達に直満を包囲させて、「殺せ!」の命令で井伊亀之丞(のちの井伊直親)の父親は殺された。「一豪族ふぜいが……まろを舐めるな!」
今川義元は吐き捨てるように言った。
井伊直満の首が届けられる。
全員、戦慄した。「書状には井伊家を滅ぼす、と書いてあるぞ!井伊家を、と!」
「そんな馬鹿な!!??」「今川家から攻められたら井伊谷などひとたまりもない!」
「どうしたらいい??!!」「このままなら井伊家滅亡じゃぞ!!」
井伊直満(亀之丞の父)が今川義元に誅殺されてしまった。
「父上―!父上-!」亀之丞は号泣した。
さらに、今川からは亀之丞を殺せとの命令が出ていたが井伊家は逃がした。
曾祖父の井伊直平がきて「小野か?小野が今川へ直満を売ったのか?!」
「おじじさま。今は時がありません」
「まだ九歳の亀之丞を殺すつもりか?!!今川の命令に従うつもりか?!!」
当時のならいで息子の亀之丞(当時9歳)にも殺害命令が出されたのだ。直虎の許婚者であり、井伊家宗主候補だった亀之丞は、かくして信州へと亡命し、消息不明となってしまう。「麗・おとわ、必ずそなたの元に帰ってまいる!」
「まっておるぞ、亀!」
亀之丞が姿をくらまして、亀之丞かと思って今川家の家臣達は農民姿のおとわを捕らえた。

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大河小説 東日本大震災「震災から6年数ヶ月」未曾有の大震災の真実2

2017年12月24日 06時31分32秒 | 日記


















































参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P299~310)
わしは、お供を連れて平成22年3月、江田島の幹部候補生学校を取材。
校長・野井健治海将補、副校長・大津雅紀1等海佐に話を聞いた。その日は卒業式前日だった。
野井「海上自衛隊の幹部は全てここ(江田島海上自衛隊幹部候補学校)を卒業しています。卒業式をご覧になって皆さん驚かれるのは国歌斉唱。本当にすがすがしい。大きな声でみんな歌いますので。なかなか大きな声で「君が代」歌える場所ってないんですよ。」
最近は主にスポーツの分野で「日の丸」も「君が代」も普通に接するようになってきたが、まだまだ沖縄や北海道など、カルト的左翼教育と左翼マスコミの洗脳が強い所では「君が代」は封印されている。まったく情けないが…。
小林「赤鬼・青鬼の話を聞きましたか?」
野井「怖いですよ、もう……本当に。」
小林「校長すら怖いのですか?…脱落する人はいないのかな?」
野井「やっぱりおりますね。自信をなくしてしまって。もう自分のイメージと違ったという人もいまして。」
小林「なるほど。そういう現実を聞かせて頂けるのは公明正大でいいですね。」
大津「途中で何人か、適応障害のような形になったりします。慣れてしまえば何とかなるんですけど。やはり小さい頃から団体生活に慣れていないとか、社会性のない人もいますもんでね。」
確かに今は、あらゆる所に「社会性」のない人間が生まれている。「引きこもり」が70万人もいるとNHKがドキュメントでやっていたほどだからな。
野井「大部屋ですし、お風呂も当然、大浴場ですから、本当に自分をさらけ出して、プライバシーがないというか、それに慣れないとちょっときついかなあ…と。」
小林「最初からパイロットになりたいとか、希望する人もいるんですか?」
野井「はい、おります。」
大津「やはり、航空関係が多いですね。海上の中でもP-3C操縦。」
野井「ヘリと航空関係が多いですね。あと艦艇、潜水艦。わりと補給艦ですね。それと地上勤務も人気があるますね。」
小林「一般的にはイージス艦とかが花形なイメージがありますが?」
大津「日本全体、海離れで、あまり船に乗りたがらないですね、若い人は。」
野井「携帯電話が通じなくなるとみんなダメなんですよ。航空部隊なら必ず地上に帰ってきますから。」
大谷3佐も同じことを言っていたが、ケータイの出現によるライフスタイルの変化が、こんなところにまで影響を及ぼしているとは…
だが、卒業を翌日に控えた幹部候補生たちと話してみると、そんな世間の若者たちのような雰囲気は微塵も感じられなかった。そこでこんなことを聞いてみた。
小林「怖いって感覚はないですか?世の中、命だけは惜しいとか、安穏と暮らしたいという人が多いのに、あなた方は日々、自分に緊張を強いて、職務に励まなければいけないわけでしょう?命をかけなきゃならないことに関してどう思いますか?」
卒業生「怖い部分が全くないとは言いません。しかし誰かがやらねばならないことであって、自分にできることであり、努めてそこは、乗り越えていきたいです。」
小林「わしは自衛隊に関して、どこまで描いていいか躊躇する時があります。例えば後方支援とか、なるべく安全な場所への派遣なら「行くべきだ」と言える。でも米軍の最前線では映画「ハート・ロッカー」のように爆弾処理の兵士が特殊防塵服で危険地帯をずんずん歩いていって爆弾の配線を切ったりしている。帰国してもPTSD(心的外傷ストレス障害)に罹る兵士は多い。将来、日本が憲法改正して国軍ができたとき、場合によったら、米軍同様、最前線まで、あなた方を送るべきだと、わしが主張していいのかどうか考えてしまうわけです。もちろん今だって、自衛隊は危険な仕事を国内外でやっているはずです。だがそれを国民は自分のこととして考えていない。ニュースではほとんど伝えられない。保守派の者たちの中には自衛隊の家族のことまで考えることなく、ほとんど自己陶酔のために「勇ましいこと」を主張しているのではないかと疑いたくなる人だっている。わしは、あなた方が命を落として、家族や恋人が悲しむことを考えると筆が鈍りますね。本当に憲法改正をして、米軍と同等の危険を背負ってもいいの?」
卒業生②「自分はやはり望んでやります!」
小林「ほう、すごいね。」
卒業生③「命じられたことは、したいと思います!」
卒業生④「私は、さきほどおっしゃったような「勇ましいこと」を言っている人を含めて、やっぱり守るべきだと思います!」
小林「う~む…さすがだ…」
卒業生⑤「ただ正直、自分自身は望んで来たのでいいんですけど、仲間や部下や、あるいは他の人が、自分の意志のせいで死んでしまったり負傷してしまったりというのは正直言ってちょっと怖いというか不安ではあります。」
幹部「階級的には、彼は、先生がおっしゃった最前線を担うところにおりまして、これから、今言ったように自分の命令で部下を動かすということで、段々本当の怖さをこれからわかってくるところなんですね。」
大谷3佐「幹部候補生ですからね。そういうことでは部下の命も預かる立場になるということですね。」
幹部「死生観というものが海上自衛官としては必要になってくる。」
小林「なるほど。米軍の海兵隊などは粗暴なイメージがあるけど、自衛隊の場合、こうやってみんなの顔を見たらそんな印象がないなあ」
井上和彦「特に船舶立ち入りなんか若い隊員が年取った兵隊を指示して乗り込んでいく。私はいろいろな国の軍隊を見てきましたが、小林先生のいう通り知的な部分が全然違うんですね。向うは軍人になるのは国籍や永住権を取得するためというひともいるし、でも日本ではこれだけ冷遇されて冷たい世論の中で志願して、ものすごい倍率を突破して来るわけだからそれは4万数千人の海自とはいえ、すごい士気の高さを持っているのだろうなと思いますね。外国の軍隊を見てもイギリスのケントって船なんか、海自の船とは比較にならないくらい汚れてますしね。塵は落ちてるし、真鍮をあんなにピカピカに磨くなんてことは全然ないし、よっぽど皆さんのほうが士気は高いと思いますよ。」
小林「皆さん、ぜひとも武人としての強さと共に、優しさや知性を同時に育てて欲しいですね。それがやはり日本の自衛隊の誇りになる。そのような美徳が戦場で人の敬意を集めるし、敬意を集めること自体が勝利につながるのだと思います。現地の人々に尊敬され、敬意を払わなければ、秩序や統率が保てないはずですから。」

卒業式を見た。沖縄の毎年荒れる成人式みたいなおふざけの欠片もない。厳しい倍率をを勝ち抜き、シゴかれた幹部候補生なら当たり前だが、逆に頼もしい。
卒業式では赤鬼が卒業生たちに声をかける。卒業生は家族とあわないまま卒業と同時に次の日から海洋実習がまっている。
「俺の一番好きな言葉を最期に伝えておく!花びらは散る。花は散らない。お前ら今日ここを出て行って俺も来週にはここを後にする!毎年みえるものやみるものも経験も違ってくるし、同じものはない!けれど俺がこの江田島でお前らに伝えたかったことは目に見えない事の方が大事ってことだ!お前らが将来幹部になるにあたって大事なものにきづくのはそんなにすぐじゃない。多分、シバかれた記憶が生々しい今じゃない。俺だって4年目でたまたまこの仕事に就いたから気づいたんだ。それに気づくのはきっとお前らが将来行き詰った時だ!」
いよいよ卒業生が江田島に別れを告げる時。卒業生は楽隊が奏でる「軍艦マーチ」の中、「赤レンガ」の正面玄関から一列縦隊で敬礼しつつ後進。教官や家族の前を通り、各艦隊へと乗り込む。ヘリやP-3Cが壮行飛行を行っている。幕僚長、学校長が帽子を振り、手を振る中、卒業生たちが船出していく。なんともかっこいい。映画のどんなワイドスクリーンでも、3Dでもこの勇壮さは伝わらない。なんというカッコ良さ!相当の技術と訓練がなければこんなに美しく艦隊を動かすことはできまい!
花びらは散る。花は散らない。まさに自衛隊こそが“日本の花”、である。


参考文献『国防論』小林よしのり著作、小学館出版より引用(P175~P190)参照
 平成22年3月14日自衛隊のことを学ぼうと思って横須賀に行った。「横須賀」というと海軍のイメージしかなかったが、今回取材するのは陸上自衛隊・武山駐屯地にある「少年工科学校」の卒業式である。控室で取材のコーディネートをしてくれた軍事ジャーナリストの井上和彦氏から説明を聞く。
小林「「工科学校」って工兵を養成してるの?」
井上「いいえ、全般のスペシャリストの養成です。昔の日本軍でいえば、陸軍幼年学校ですね。」
陸軍幼年学校?だったら『戦争論』で紹介した高村武人さんの後輩たちということじゃないか!
戦後、「自衛隊」は「軍隊」ではないということにするために、あらゆる名称が変更されてしまった。階級ひとつにしても「大佐」「少佐」なら誰でもわかるが「1佐」「3佐」なんて言われたって全然ピンとこない。歩兵はなんと「普通科」だし、砲兵は「特科」だそうだ。まるで暗号である。こんな特殊用語を使っていることも、自衛隊が国民になじみにくくなっている大きな要因だと思うが、これを普通の軍隊用語に直すのも、まず憲法9条を改正して自衛隊を普通の軍隊にしなければならないらしい。
少年工科学校は10代の少年たちが入校するエリート養成校であり、受験倍率は20倍という狭き門。多くは中学校を卒業して入ってくるが、中には一旦普通高校に進学しながら、国防の意識に目覚め、中退して受験し直して入学する者もいる。
旧日本軍は、下士官は世界一優秀と言われたが、この学校はその下士官を養成している。少年工科学校の生徒は入学と同時に「3等陸士」の位に就き、15、16歳にして正式に国家公務員たる自衛官の身分となり、毎月給料も支給される。
そして親元を離れて全寮制の学校で3年間、ハイテク兵器が主力となる現代戦の即戦力たりうる電子機器工学、情報工学のエキスパートになるため研鑚を積む。2年目は2等陸士(2等兵)、3年目は1等陸士(1等兵)に昇進、卒業すると士長(上等兵)になり、一部の生徒は防衛大学や航空学校に進み、大半はそれぞれの専門別に、各地の「中期校」に入校。1年間の特殊教育、部隊実習を終えると3等陸曹(伍長)に昇進、全国の各部隊に配属される。世界中の軍隊でも10代の伍長、というものは他国に例がなく「世界一の伍長」と呼ぶひともいる。すぐに班長や部隊長として配属され、自分よりずっと年上の者を含む部下を率いることになるが、それでも動じない精神力やリーダーシップも少年工科学校での鍛錬で養われるのだ。
ところが実は今年(平成22年当時)が「少年工科学校」最後の卒業式だという!
というのも、片山さつきが財務省主計局主計官時代にやらかした陸上自衛隊削減のせいで、4月から「少年工科学校」は「高等工科学校」に改名、制度変更もされるのだ。
自衛隊の人員削減にために工科学校の生徒は「自衛官」ではなく「学生」という身分になり、3等、2等、1等の「陸士」の階級もなくなり、ただの「1年生、2年生、3年生」になる。そして毎月15万円程度支給されていた給料は「学生手当」という奨学金のようなものになり、大幅に減額されてしまう。10代にして自衛官として給料をもらって伍長になるのと只の学生で奨学金みたいなものをもらうのではまるで違う。これが自民党時代の失政である。現場ではいかにして少年工科学校の伝統を損なわず、新たな制度に移行するのか苦心しているらしい。
体育館に案内され、いよいよ卒業式が始まる。
さすがに顔にはあどけなさも残っているがその目つき、たたずまいは、そこらへんの高校生とは違う。15歳にして親元を離れた生活、そして自衛官を目指す3年間の訓練、それが実に辛いものであり幾多の困難を乗り越えて今日に至っているということは何も聞かなくてもこの雰囲気でわかる。
「気をつけ!」ダンッ!「敬礼!」ザッ!「直れ!」ザッ!
最初の学校長に対する敬礼だけでこの一糸乱れぬ動きだけで度肝を抜かれる。
張りつめた厳粛な空気の中、壇上に来賓が入場、さらに陸上幕僚副長が臨場、敬礼の後、閉式の辞、国歌斉唱。続いて卒業証書の授与。「浅倉大介」「はい!」「小室尚登」「はい!」「鈴木誠」「はい!」「鈴木亜斗夢」「はい!」
きびきびと、はっきりとした生徒たちの態度が見てて心地よい。一人ひとりの名を呼び上げる区隊長(クラス担任に相当)が名簿を見ていない!生徒の顔を見て名を呼んでいる!
生徒と教官の絆が相当強いんだろう。学校長賞の授与。成績優秀者が呼び上げられ、表彰状とメダルが与えられる。今どきの学校は平等主義だから優秀者の表彰など考えられないな。ただし、学業、体力、だけでなく生活態度などに至るまで様々な基準により優秀者を選考されており、一部の偏った選考基準で選んでいるのではないという。
表彰が終わると申告。
「申告します!陸上自衛隊生徒、1等陸士、ミヤギトシヒロ、他250名は、平成22年3月14日付をもって第35期陸上自衛隊生徒前期課程、修了を命じられました。敬礼!」
学校長祝辞、陸上幕僚副長訓示、政治家の祝辞があった。
そして在校生代表送辞に続いて、卒業生代表答辞。
とつとつと静かに話し出す。自分の言葉で話しているからだ。
「楽しい事ばかりじゃない少年工科学校の生活も、同級生がいたからこそ乗り越えることができました。……普段は照れくさくて言えないけれど今日は言います…本当にありがとう……」
次第に卒業生のしゃくり上げる声が大きくなっていく。見ると多くの卒業生たちが感極まって泣いている。
「そしてこの場にはいませんが、闘病の末、この世を去ってしまったワタナベタカヒロ生徒…食べるのが好きで、走るのが苦手で…でも頑張り屋で…少しうっかりしていているところがあって、でも優しく…そんなワタナベ生徒…」
前年末に亡くなった生徒の話が出るとすすり泣く声が一層大きくなった。
「私たち53期生、251名は、これから全国各地に散らばり、それぞれの道に進みますが、どこにいても、少年工科学校最後の卒業生としての自信と誇りを胸に、日々、精進します。」
そこいらの高校生が卒業式で泣いたってどうとも思わないが、ここの生徒は違う。
隣では軍事ジャーナリスト界のみのもんた・井上氏が号泣していた。わっ、汚な…すぐ泣くんだよな、この男。わしは涙管が詰まって泣いているわけじゃないが…。
「仰げば尊し」の斉唱があり、それが終わると一転して勇壮な曲調の校歌斉唱。
「御国の護るゆるぎなく我等は少年自衛官」
この「我等は少年自衛官」の校歌は、23年度から「少年自衛官」が「学生」へと制度が変更になっても、一字一句変更されず引き継がれる。この校風も何も変わらずに引き継がれてほしいと心から願う。
卒業式が終了して屋外へ移動。在校生生徒隊による送別パレードが行われる。先導する吹奏楽隊が演奏するのは「陸軍分別行進曲(扶桑歌、抜刀隊)」だ。
旧日本軍時代から、連綿と変わらずに陸上自衛隊でも演奏され続けている行進曲である。実にかっこいい!パレードに引き続いて上空から轟音が近づいてくる。最新銑戦闘ヘリAH-64アパッチなどによる祝賀飛行だ。
パレードが終了すると、ドリル部による「ドリル演技」が始まった。日本で「チアリーディング」とか「バトントワリング」とか呼ばれている競技の総称が「ドリル」だそうだ。
軍隊における基本教練の反復練習の「ドリル」(つまり「学習ドリル」の「ドリル」)からそう呼ばれている。そもそも、バトントワリングも、軍隊の指揮者が指揮杖を振り回したのが始まりだ。
軍隊のドリルといえば、儀仗隊の名物である。シンクロスイミングのように軍服で、機銃をまるでバトンのように空に投げたりキャッチしてシンクロしてかっこよく決める。さすが28名のメンバーが全員ぴったり息を合わせ、シンクロして動く様は見事だった。
その後は食堂に移動し、卒業生が家族と昼食を共にする「午餐会(ごさんかい)」である。
卒業生全員が未成年なのでお茶で家族と乾杯し、学校の食糧班が心を込めてつくった赤飯のお弁当を食べる。少工生は3年間も親元を離れて過ごしながら、卒業後は一日どころか一晩も家族と共にすごすことはできない。卒業式の全日程がおわれば、そのままバスにのり込んで、各地の中期校へ向かうのだ。万歳三唱で午餐会は終了。そして卒業生たちは旅立ちのときを迎える。校長が最後に訓示を言う。
「これから未来へ向けて、一緒にがんばろう。只今をもって、第3教育隊の指揮を解く!」
拍手の中、楽隊の行進曲の中、卒業生たちがやってくる。
突然、一人の卒業生がかけよって来た。
「小林先生ですか!自分『戦争論』読んで少工希望しました!」
「おう!がんばれよ!」
その後、バスに乗り万歳三唱の中、去って行った。
卒業式後、数名の卒業生たちに教室に集まってもらい話を聞かせてもらった。
その中には、中学生の時から『SAPIO(サピオ)』(小学館の月刊誌・国際政治経済雑誌)を読んで国際情勢に興味を持ち、国防を目指した者もいる。数年前は阪神・淡路大震災災害救助を見て、自衛隊を志した者が多かったという。
現在は(2015年時)は東日本大震災(2011年)や2015年度関東・東北豪雨等か。
それにしても子供に危険な仕事をさせたくないと反対する親が多そうな昨今、ここに子供を送り出した親は本当にえらいと思う。
小林「普通の学校にはない、厳しい規律を守ってやってきて、その上さらに防衛大に進んで、厳しいルールで自分を律していこうというのか。そろそろ自由になりたいと思わないの?」
すると即座に、「思います!」
「やっぱり思うのか!?」
「多少は」教室がドッ!とわく。
彼らによれば厳しい規律の中とはいえ、慣れればその中での限られた自由を楽しむ術がそれなりに身につくものらしい。
「少工病」と言われるものがあり、生徒たちは町に繰り出してもいつのまにか手足が揃ってしまったり、どんな女の子を見ても、かわいく見えたりするらしい。
一同笑いながら「少工あるある」ネタで盛り上がった。
「女の子のストライクゾーンは広がりますね」
「中学生の時はナシだったけどみたいな。」
「開校祭に来る近くの女子高生に声をかけるのは3年生だったら結構います。1年の時は先輩に譲るので。」
小林「休みの日は私服でどこまで出かけるの?」
「中学校出たての頃はお金の使い方もわからなくて近所を。でも、徐々に慣れてきて年をかさねると目標が東京とか。」
「でも服装でも何となく少工ってわかることありますよ。服を買う店が大体同じだから。」
「3年になると自分の好きな服を買うようになるんです」
小林「制服で外出してもかっこいいと思うけどなあ。この制服でモテるってことないの?」
「駅員に間違われます。何番線はどっちですかって。」一同爆笑。
小林「ええ~っ!そりゃひでえなあ。(笑)」
学校長の山形克己陸将補(少将)に話を伺った。
山形「3年間で身体も大きくなりますけど、一番変わるのは精神面ですね。「徳育(道徳教育)」というのが一番、伸びが違う。例えば「挨拶」と「敬礼」の違いですよ。相手を敬いながら心を込めてする。これがマナーです。自衛隊の規律では目上の階級の人に敬礼しなさいってなっていますけど、相手を敬う前にまず階級章を見ちゃいます。そういうものが積み重なると、恰好だけはいいけど中身が出来上がらない」
小林「なるほどなあ。では「愛国心教育」というものを重要視されているのですか?」
この質問に対して意外な答えが返ってきた。
山形「いえ、そんなことはないですね。愛国心はこういうものだと教えてもダメじゃないですかね。逆に、社会だとかそれこそ一般社会の中で道徳を教えた方がいい。」
小林「そうですよね。わしもネット番組で、年取って漫画が描けなくなったら公園の草むしりをする、といったら反発されたんですよ。」
三原光明副校長1等陸佐(大佐)「そういうことは大事な事ですよね。デモで声高に叫んでも、道にゴミを捨てて平気でいる人間なんかの言う事なんか誰も聞きませんよ。自分の家の前じゃなくとも、ゴミがあったら拾いゴミ箱に捨てる、これが社会性というものですよ。道徳心とは教えて伸びるものじゃなく、自分を厳しい環境において精進していれば自然と身につくものです。だから、この学校の卒業生はもっともっと社会で伸びるんじゃないかな。」
少年工科学校は「一身独立して、国家独立する」の教育をしている。本来ならば全国の学校で道徳教育として『工科学校型の道徳教育』が当たり前に実施されて当たり前ではないか?だが、いっておくが自衛隊の宣伝の為にこの小説を書いているのではない。
戦闘機に乗ってG(重力)を体感するとか保守系の言論人の誰もが体験するものだし、一日入隊なんか後で全身筋肉痛になるだけだ。
私は作家で、身体が弱く、もう中年のおじさんで、団体生活も自衛隊のような苦役も苦手だ。そういう視点での自衛隊論があってもいいんじゃないかな?と思う。
だから、この物語には自衛隊論を掲載したのだ。自衛隊の広報のためじゃない。
この物語を読んだからとて「これが自衛隊に入るきっかけになりました」と言うな。責任を感じてしまうじゃないか。自衛隊の広報新聞や小説じゃないんだ。



 2011年3月6日、都内某所野内で秘密裏に防衛省直属特殊工作部隊の入隊式が開催された。特殊工作部隊の隊名はSEELDZ(シールズ)という。SEELDZは第一班としてサイバー攻撃などに対処するサイバー課、第二班として歩兵第一課、歩兵第二課、第三班として砲兵第一課、第四班としてSATなどと同じような船舶家屋施設特殊工作課、などがある。鈴木崇も大島仁も所属となった。大勢の兵隊たちの前で松長仁志大将(陸将・陸上幕僚長)がスピーチというか訓示を述べた。崇と仁もマイクの前で訓示を述べる松長を整列してみていた。
「天皇陛下と皇国日本国のために死ぬ覚悟で戦え!国民の命がまず第一、国土国民皇族天皇陛下を守るのがSEELDZの使命である!」等という。
けっこう狂人的な人格だった。主賓席には桐島博文1等陸佐(大佐)や部下の中澤や杉、佐竹らサングラスの秘密部隊がテントの主賓席で座って、したり顔で松長の訓示を聴いている。
主賓席の席でも、桐島は不快な顔をした。兵士の小間使いのような高校生くらいの者が冷えた水をもってきたが、兵隊たちの列の横で眩暈をおこして崩れた。崇や仁の横だったために、
「だいじょうぶか?坊主?」
と起こしたが、桐島1等陸佐(大佐)は激怒して鞭を打った。「貴様!たるんどるぞ!」
「やめてください!まだ子供です!」
鈴木崇や大島仁が庇ったが、考えてみればその眩暈で倒れた少年がのちの少年工科学校隊士の子供兵士だった訳だ。桐島はふん、と不敵な笑みを口元に浮かべて、
「貴様ら、名は?無冠ではあるまい。名前と兵隊の位をいえ!」
「はっ!鈴木崇、位は一応3等陸尉(少尉)であります!防衛大卒です!」
鈴木崇・大島仁は敬礼をした。「同じく、大島仁3等陸尉(少尉)であります!防衛大卒業です!」
桐島は「ほう。学徒の大学生か?!私は米国MIT大学卒の学徒兵士、桐島博文1佐(1等陸佐・大佐)だ!これよりSEELDZの隊長である!いいか、覚えておけ、私や上官からの命令は天皇陛下からの命令と心得よ!」
「…は、はっ!」
ふたりは敬礼し続けた。え?
すると驚愕した。
「ふん!虫けらめ!少しは刃向ってくると思ったが、くだらん」
桐島1佐は不敵な男であった。
鈴木たちは手も足もだせない。桐島1佐はいわゆる今でいうイケメンであり、痩身で、軍部の制服を着ている。若い年代だ。部下たちは意味ありげなサングラス制服部隊である。
だが、鈴木崇たちには、憎しみ、だけが残った。
天皇陛下の為に戦う、のは当たり前だが、あの桐島1佐の為に死ぬのは御免だ。
怪しげな“闇の陰謀家”のような桐島1佐たちは姿を消した。
何なんだ、あのひとは……???不気味な静けさだけが骨身に堪えた。

哀しみを抱えたまま大島仁は転勤していった。SEELDZ第一特殊工作部隊という特殊ゲリラ部隊の隊員という官職であった。
上官は防衛省からの出向のエリート官僚であるという。あの防衛省のエリート官僚か?大島は恐れた。
常人なら当たり前の反応ではあった。
「元気でな、大島。また会おうぜ」
鈴木崇と大島仁は握手を交わした。
これが永遠の別れになることなど夢にも思わない。
こうして大島はSEELDZの拠点とする習志野(SKG)向かった。


*****続く(刊行本または電子書籍に続く)続く********

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