長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

マジックエンジェル蛍MA蛍アンコール連載ブログ連載小説3

2012年01月30日 11時25分56秒 | 日記
 螢は魔法のお札に驚き、
「なに…これっ?どうなってんのっ?!」
 と、やっとのことで声を出した。息がするのもやっとで、心臓が止まりそうだ。
「あなたは伝説の戦士「マジック・エンジェル」に覚醒したのよ!人類を救うために地上に舞い降りた戦士…その戦士へと覚醒したのよ!」セーラは嬉しそうに熱っぽく続けた。「蛍ちゃん……あなたは伝説の戦士「マジック・エンジェル」!…そのリーダーのマジック・エンジェル・ブルーよ!!」
「え……っ?!」蛍は少し疑問を浮かばせて「でも…リーダーって、ひとりっきゃいないじゃんよぉつ」と皮肉をいった。
「…うーん。」妖精は少し言葉をつまらせてから「そのことは後で詳しく話すから、……とにかく、戦うのよ!!」と大声でいった。
「…うん。わかった!」
 蛍はそううなづくとなんとなくだが戦闘体制に入った。
 ダビデはほんの一瞬、伝説の戦士の覚醒に対して驚いて立ち尽くした。が、すぐに顔をギラリと鋭くして、由香をまるでゴミクズのように路面に投げ捨てると、蛍と対峙し、
「くらえっ!」
 と、両手を前方にかざして、手から光矢を何度も放って攻撃してきた。蛍はなんとかその攻撃を間一髪「うああぁっつ!!」と悲鳴をあげてかわした。その瞬間、彼女の立っていたアスファルトの路面が激しく爆発した。
「蛍ちゃん、必殺技を使うのよ!!」
「え?!…必殺技って……どうすんのっ?!」
 セーラは大慌てで敵の攻撃から逃げ回る蛍に大声で教えた。「レインボー・アタックよっ!!そう叫んで、両手をこうして前に突き出してポーズをとるの!」
「…えっ?!え?レイン……なにっ?!…うあっ」
「レインボー!」セーラは戸惑う蛍に少し感情的になって叫んだ。「レインボー・アタックっ!!」
 わかった!わかった!わかった!!…わかったわよ!やればいいんでしょう!!いいえ、やらなくちゃあ!ーよし!
 蛍はキッと目を鋭く輝かせると、両手を前方に突き出して、
「レインボーっ…」と叫び、続けて「…アターック!!」と大声で全身の力を込めて叫んだ。ビュウウ…ッ。あらゆる精霊たちのオーラが彼女の手のお札に吸い寄せられるかのように集まった。そして、次の瞬間、蛍の両手に輝かしい剣が出現し、まさにレインボー(虹)がダビデに向かってめまぐるしいスピードで放たれた。…七色に輝きつつ、ダビデにむかって空間を走る稲妻・ステロペスと雷鳴・ブロンテス、そして虹色の閃光・アルゲス!
「うああぁぁっ!」
 レインボー・アタックの直撃をなんとかかわしたダビデは衝撃でかなり後方に吹き飛ばされた。そして、倒れ込んだ。掌に血が滲み、激痛で意識を失いそうになった。
「や、やったわ!」
「はやく、封印して!」
 蛍もセーラも声をあげた。強敵を倒した?!だが、そうではなかった。倒れ込んでいたダビデは起き上がった。そして、「覚えてろよ、マジックエンジェル!」と捨て台詞をはくと激しい風とともに魔界へと姿を消していったのだった。しかし、とにかく…たすかった。「これで馬鹿にした連中を見返せる?」「もちろん!」螢に、セーラはいった。

  赤井由香は気を失ったまま道路に仰向けに横たわっていた。ジッとして動かないが、死んだ訳ではない。
「ゆ、由香ちゃん!!」蛍は大急ぎで由香のもとへと駆け寄った。彼女は体裁などぜんぜん気にしなかった。そんなことよりも由香の体のことの方が心配だったのだ。
 蛍はそっと由香の上半身を抱き上げて、
「由香ちゃん…しっかりして…!!」
 と、少し泣きそうになりながら呼び掛けた。そして、ジッと由香の顔を覗きこんだ。とても素晴らしい表情をしている。由香ちゃん!…由香ちゃん!
「うう…ん」しばらくして、赤井由香はそう微かにうなってから、静かにゆっくりゆっくりと瞳を少しずつ開け始めた。
「ゆ、由香ちゃん! だいしょうぶ?!」
「…ほ、蛍…。あなたが…たすけてくれたの?」
 由香は魅力的な微笑みを浮かべて、しぼり出すような声を発した。そして「ありがとう」 と、優しい笑顔で覗き込んでいる親友にいった。
「ううん。いいのよ…へへへっ」
「あ。」フト、そんな風に嬉しさで涙を流している蛍の肩越しにいた妖精の姿を見付けて、由香は控え目な口調で、囁くように
「あなたは妖精?…蛍…の…お友達なの…?」
 と尋ねた。「ーえっ?!」蛍とセーラのふたりは驚いて顔を見合わせた。どういうこと?!普通の人間には妖精の姿は絶対にみえないはずじゃなかったの!?なんで…?
「あ、あの由香ちゃん?!」
 ふたりは由香のほうへ顔をむけたが、彼女は何も答えなかった。疲れと安堵感からか、可憐な笑みを浮かべながら静かに眠りについていたからだ。
「………由香ちゃん」
 蛍とセーラはほっと安堵のタメ息を洩らして、ほんわりと微笑んでいた。



  VOL・2 アーティスト由香、画壇デビューか?!
         マジックエンジェル・レッド覚醒

  夜。月がきらきら輝いて、グレーの雲がゆっくり流れてふわふわ浮いていた。しんと光る月は、もの悲しくさえあった。
 蛍の部屋のド派手なパッション・ピンク色のベットに由香は安らかに眠っていた。蛍は、赤井由香を自分の部屋に誰にもみられずにそっと運ぶのに成功していた。
 蛍は優しい表情のまま、そっと由香の額にあてていた水タオルをとりかえた。そして、「…由香ちゃんって生意気なところもいっぱいあるけど、こうして眠っている顔をじっとみると…なんか可愛らしい顔をしてるわねっ」
 と、ほんわりと控え目な口調で微笑して呟いた。同じように顔を覗き込んでいたセーラも「ほんとよね」となぜか頷いていた。
 不思議な現実と空間と時間の流れが、三人(もしくは二人と一種)を包み込んでいた。 しばらくすると、由香の睫が少し動いた。
「ううん…」由香はやがて、瞳をゆっくりゆっくりと開けて目を覚まし、上半身を起こした。だけど、なんとなく「アタタ…」と頭が少し痛くなって両手でコメカミを押さえた。 いけない!セーラ弾かれたように蛍の背中のうしろへ隠れようと大慌てで飛んだ。
「あっ、いいのよ。隠れなくても…」
 由香がそんなふうに丁重な言葉で妖精に声をかけた。ーえ?なんで?!
「……あ、あのぉ。」
「蛍ちゃん、いるんでしょ?!お風呂冷めちゃうといけないから…早くはいっちゃいなさいね」
 妖精のオドオドとした呟きをさえぎるように、部屋の外の廊下から、蛍の母親「雅子ママ」の透き通る声がきこえた。雅子ママこと、青沢雅子は現在、四十才ではあるがけして「ブヨブヨの醜いオバタリアン」ではない。その美貌たるや、いまは亡きオードリー・ヘプバーンを日本風にしたくらい素晴らしい。
 細身で長身、長い睫に手足…。蛍はこの母親の血を受け継いだのかも知れない。
「あ、うん!わかったわ、雅子ママ」
 蛍は廊下の雅子ママに元気にいった。ちなみに、雅子ママは「蛍のような」馬鹿ではない。青沢蛍の頭の悪さは後天的なものである。
「あ、いけない!」
 由香は何かを思い出したらしく、そう大声で叫んだ。そして、ベットからバッと飛び起きて、
「じゃあ、蛍!私、急いでるから帰るね!!」といって駆け出した。
「あ、ちょっと、由香ちゃん!」
 由香は、蛍の声を無視するように扉を開けて、フト、振り返ってウインクをして微笑んで「じゃあ、蛍。妖精さん。またね!」
 と、駆け去ってしまった。
「妖精さん…だってさぁ」ふたりはそう呟くしかなかった。

  きらきら…。きらきらとした夜。まるで降ってくるような星座…夜空のパノラマだ。その星座の中で、一番輝かしい光を放つ赤い星が、由香の「お気に入り」の星だ。
「今夜も、ルノワールの赤い瞳、が眩しいわ」
 フト、由香は誰もいない道路で立ち止まって、夜空を見上げて呟いた。そして、なんとなく遠くを見るような寂しげな目になった。「ルノワールの赤い瞳」とは由香のオリジナル・ネーミングであって、そんな名前の星は存在しない。だが、「赤い瞳」とは、この少女にとっての「夢」「目標」「希望」そのものだ。赤色だから「情熱」でもある。
 しかし、夢みるのも一瞬で、
「いけないっ!こんなことしてられなかったんだわっ!早いとこ絵を描き上げなくちゃあ!…サロンの締切りに間に合わなくなっちゃうよ!!」
 由香はひとりごとを言ってから、弾かれたように駆け出した。サロン!サロン!サロン・デ・ラート!…締切りは後、数週間後なのよ!!

  由香が帰宅すると、平凡な母親が台所から、「あら、由香、おかえり」と声をかけた。そして「あなた…いったい今、何時だと思ってるの?少しは早く帰って勉強するとか…」 と、小言を言った。「もぉっ、ほっといてよ!」由香は冗談めかしにそう答えるだけだった。それから、彼女は、フト、リビングでテレビを観ている父親の存在に気付いて足をとめ、「パパ、いつスケッチ旅行から帰ったの?!」と、明るい笑顔になった。
 …そう、由香は、「凡人」の母親は嫌いだったが、「天才画家」の父親は大好きだったのだ。
「あぁ、ついさっき火星のコロニー(宇宙空間に浮かぶ人口衛星巨大都市)からスペースシャトルで、ネオ成田空港に着いて帰ってきたばかりだよ」
 由香の父親。少女の誇り。憧れの父は、もの静かな口調でそう答えた。この父親の名前は赤井宝林(ほうりん)という。ルックスは由香の大好きなルノワールのようにも見える。細身、パリジャンのようなスーツ、片手にもったパイプ、そしておだやかな瞳の五十才。 宝林とは、実はペンネームだ。本当は、赤井大という。だい…じゃない。まさる…だ。日本を代表する洋画家であり「天才」と呼ばれているくらい凄いひとだ。
「じゃあ、パパ」
 由香は魅力的な笑顔を父親にみせると、自分の部屋へと駆け出した。
 ちなみに、宝林は、お馬鹿の蛍のように「アニメ番組」をみていた訳でも、アイドル歌手がよく出没する「ミュージックS」という音楽番組をみていた訳でもないし、ましてや低レベルのワイドショーをみていた訳でもない。
「週刊美術」というNHHKの教養番組をジックリみていただけである。…

  由香の部屋は、お馬鹿の蛍のような少女趣味系の部屋ではない。というよりほとんど何もない。あるのは、おおきなキャンバスの山。絵の具箱にパレット…筆…。スケッチ・ブック…それと素朴なベットだけだ。それが彼女らしい。ほんわりした空間だ。
 どこにも教科書や哲学書・参考書などないのはこの少女のイグノランス(無知)さの現れでもある。でも…本は山のようにある。しかし、それらは美術雑誌である。ルノワール特集、ドガ、マネ、アングル、シャガール、ゴヤ、ダリ…著名な作家の名前が並んでいる。「…とにかく、頑張らなくちゃ!パパに負けてられないわ」
 由香は懸命に五十号の大作に取り掛かっていた。かなりにピッチで筆がキャンバス上を踊り狂う。繊細なタッチ、表現力、絵の具の塗り方…。それは、なにか少女らしい可憐さが漂っていて印象的なきらきらと光るような絵だ。
 絵のテーマは、やはり少女である。可愛らしいパリ・ジェンヌの日常の生活と喜び・幸福と夢…。なんのことはない……ルノワール風の絵である!!
 しかし、そんな自信満々の由香も、
「……ううん」と、筆をとめてから少し不安気に瞳を閉じていた。心の中での葛藤。
「サロンで入選できるかなぁ。でも…落ちたら…どうしよう。……私には絵しか…ないのに…さぁ」
 由香は珍しく落ち込んだ口調で呟いていた。

  一方、お馬鹿さんの部屋では、なにやら怪しげな二人組(蛍とセーラ)が真剣な表情で座って話をしていた。セーラが口火をきる。
「やっぱりおかしいわよ!私の姿がみえるなんてさぁ」
「でも…あたしにだって見えたんだから…」
「それは、蛍ちゃんが伝説の戦士だったからでしょう?!」
「…ううん」蛍はそわそわと立ち上がった。そして「あのさぁ。……テレビ観たいんだけどぉ。はやくしないと『セーラ・ムフーン』(アニメ)が始まっちゃうのよねぇ」
 と、馬鹿らしい主張をした。
「………え?」セーラは何とも情なくなったるなんでいつもいつも蛍ちゃんってばこうなのかしら?妖精は深く溜め息をついてから、
「あの蛍ちゃん。あの由香ちゃんって子、気をつけた方がいいわね。もしかしたら……魔界の手先かも知れないわよ」
「あはは…まさかぁ!」蛍はふりかえりもせずに一笑すると、リビングのTVでアニメ番組を観に部屋を出ていった。…なんとも低レベルな女の子である。…

  次の日の朝。由香の自宅の玄関先。
 由香は、元気いっぱいに学校に向かって
「いってきまぁーす!」
 と駆け出した。そんな由香を呼び止めるため、「あ、待って由香」と宝林は声を出した。そして、ニコリと笑って振り返った愛娘に、
「実は、今週の金曜日に、東京銀座四丁目にある画廊で個展を開くんだ。よかったら、友達もつれてみにおいで!」と、告げた。もちろん由香は、
「はーい!」と明るく返事をしたのだった。

  誰にでもなんらかの特技があるものだ。どんな人間にだって平等にチャンスは与えられる。そうしたチャンスを生かせないのは努力をしないからだろう。タレント(才能)などというものはダイヤの原石と同じで、磨かなくては光らないものだ。…そうした努力を、まがりなりにも、赤井由香はしているように思う。…レイジー(怠け者)の蛍とは大違いだ!
 由香は、午後の部活の時間に、学校の美術室で静物をなにやらニヤニヤとしながらスケッチしていた。もちろん椅子に座ってだ。だけど、広い室内には誰もいなかった。
 別に美術部員が赤井由香だだひとり…という訳ではない。単に、他の部員は「無気力」なだけであり、また由香ほどの才能もないだけ。だからサボってるのだ。
 別に美術部員というものは、日本中の学校でもそうであるように五人くらいいればマシな方である。蛍と由香の学校と有紀の通う青山町学園では六人なのでかなりいい方なのだ。そしてどこでもそうなように、担任は「画家になれなかった」美術の先生であり、例によってこの先生もサボッているっていう訳である。
 孤高のアーティスト由香はたった一人で……などと書いても仕方がない。
 いつのまにか蛍が美術室に忍び込んでいて、真剣な表情で由香の背後から「絵」を覗き込んで、
「いやぁ、さすがは、天才画家”赤井たからばやし”の娘だねぇ。上手なもんだわ!」
 と、感心してほめた。
「たからばやし…じゃなくて宝林(ほうりん)よ!宝林(ほうりん)!」
 由香は少し呆れ顔でいった。蛍は、
「…そ、そんなことわかってるわよ。ジョークよ、ジョーク!」なんて言ってる。
 ちなみに蛍は部活動はなにもやってない。幼稚さを生かして「マンガ部」にでも入部すればいいのかも知れない…。
「ねぇ、蛍」由香は、フト、筆を止めて、素直な顔で横にいる親友に「あんたも描いてみる?」と笑顔をみせた。
「うん、いいよ」蛍は自信たっぷりに返事をして「まあー…みててよっ。この蛍ちゃんの才能、才能ってもんをお見せするっしょ!!」
 と、いってサラサラと何かを描きあげた。
「ーどう?」
「どれっ?」由香は絵を覗きみて、思わずズッコケてしまった。…蛍の描いたのは、何と、”トラエモン”というアニメの主人公だったからだ。しかも、随分とヘタクソである。
 ひたすら蛍という女の子は低レベルだ!
   やがて夕暮れになって、蛍と由香はオレンジ色に染まる誰もいない下校道を、自宅にむかってトボトボと歩いていた。仲良しの二人…。オレンジの雲がゆっくりと流れていた。やがて、暗い夜がくる。二人はそれを待ちたい気にもなった。
「…そうだ。今度さぁ、うちのパパの個展があんだけどさぁ。どう?みんなと一緒に行かない?!」
「…あぁ。赤井たから…じゃなくて宝林さんのこてん…?こてん…っていうと古い話の?」「それは古典っ!」由香は静かに「個展っていうのは「個人が開催する展覧会」ってところかしらね」
「へぇーっ…」蛍はなんとなく感心した。そして、「もち(ろん)、その個展にいくっしょ!」と、明るくいった。ちなみに蛍に北海道系の訛りらしきものがあるのは別に北海道に住んでいたからではなくて、『北の故郷から…94初恋』とかいうテレビドラマの再放送を熱心に観ていたら口グセになっただけである。
「でもさぁ。」蛍は少し上目遣いで甘ったるい声で「私は、由香ちゃんが羨ましいよ。だってさぁ、絵の才能ってもんがあるんだもの…」と呟くようにいった。
「あんただって才能くらいあるわよ。例えば、あんたはアニメ・ソングを二百曲暗記しててカラオケで歌えるじゃないの」
「…でも、そんなの才能じゃないもん」
「……まぁ、ね」由香は冗談めかしにうなづいた。そして「まぁ、私の才能…いいえ、天才ってもんを見ててよね!絶対にサロン…つまり官展に入選して…いつかイタリアのパリ(フランスの!)に旅立つんだからっ!!」
「…かんてん…っていうとあのブヨブヨした…」
「ーそれは食べ物の寒天っ!」由香は感情的になって続けた。「私はパリに行ってさぁ。いつかは、日本の天才描家…もしくは日本の女ルノワールって呼ばれちゃったりする訳よ!」と夢を語った。いや、叫んだ。
「……ル、ルノワール……?」蛍はきょとんとして足りない頭で考えてから、「あぁっ!」と考えが浮かんだ。なんだ!ルノワールか!!
「へえーっ、由香ちやん…喫茶店始めるんだぁっ」
「…へっ?」
「だってルノワールって喫茶店の名前のことでしょ?よく、街にあるじゃん」
「なにいってんのよ!ルノワールってのは描家の名前のことよ!!」
 由香は思わず蛍に飛び蹴りをくらわした。

    ・
「……なんか、羨ましいなぁ。由香ちゃんには大きな夢があってさぁ。…私なんて何もないもんなぁっ。」
 由香と別れた蛍は、ひとりっきりの黄昏た街路地を歩きながらそう呟いた。そして、少しだけ遠くをみるような寂しげな瞳になった。確かに、蛍には「大きな夢」はない。「小さな夢」もない。何もないのだ!
 かなりの、自分に対しての失望感、諦めの気持ち、臆病者の気持ち、自分の無能さに対しての嫌悪感……それらは蛍のちいさなちいさな胸をえぐるには十分な程の大きさだった。「…はぁあ。」
 なんとなく蛍は、大きく溜め息をつくしかなかった……。

  赤井宝林の「個展」の準備はなんとかうまくいっていた。彼は、少し楽しそうな気分で、「絵」をどこに置くのかなどをアシスタントに指示していた。
「…あれがターゲットの男か……」
 壁にもたれかかって、遠くから宝林の姿を覗きみていたフィーロスは冷酷な瞳のまま低い声でそう呟いていた。あれが「輝石」の持ち主…?!

「ねぇ、いこうよ個展っ!」
「ーこてんっていうと古い話しの…?」
「まぁ、いいからいいから!」由香は蛍の二度目のギャグをさえぎるように言うと、続けて、「さぁ、早く行きましょうよ!」
 と、元気よく、蛍とあや、良子、奈美にいった。ちなみに、ここは学校の教室だ。そして、もう下校の時間である。
 赤井宝林こと、由香のパパの個展開催の日になっていた。もう、金曜日だ。
 こうして、お馬鹿さんと仲間たちは、教室を抜けて廊下をかっ歩して出した。…すると、 あの「可愛らしくておとなしい文学美少女」こと黒野有紀が、そんな五人とすれ違った。有紀はいつものようにうつ向き加減で、肌は病人のように青白い。しかし、可憐でもある。「お友達がひとりもいないのよ」という噂はじつは本当であって、秀才の美少女「黒野有紀」はいつも孤独だった。誰とも話せない。ダイアローグ(対話)ができない。いや、したくっても「お友達」がいない。
 そんな影響だろうか?有紀の可愛らしい大きなおとなしそうな瞳の置くにはどこか「影」がある。ちいさな淡い桃色の唇は「暗さ」をあらわしているかのように、少しだけキュと閉じている。
 彼女は「お勉強が出来る」「可愛らしい」そして「やさしい性格」……それだけの女の子なのかも知れない。それはそれで素晴らしいのだけれど、自分自身でパフォーマンスできない、もしくは表現できない…という性格はマイナス面が多すぎる。
 誰だって「神」じゃないから、話しをしたり何かを見たりしなければ「そのひとの良さ」などわからないものだ。だから…黒野有紀という少女は他人からは「頭はいいかもしんないけど、なんかあの子暗いのよね。一緒にいるのも嫌って感じよね」といつも思われるのである。
 でも、蛍や由香は違った。彼女らは、
「あ。あのぉ、有紀ちゃん」
 と、少し遠慮気味ではあるけれど、ふりかえって、有紀の後ろ姿にそう声をかけた。
「……。」有紀は少し驚いた様子で、静かに立ち止まって蛍たちのほうへ振り向いた。有紀はちょっとドキドキしていた。なぜなら、そんな風に親しい口調で話しかけられたことがいままでなかったからだ。…私のこと…?
 しかし、有紀はほとんど何の感情も顔に現さなかった。いや、その大きな瞳は、どこか恐怖心と嬉しさが混じったようにきらきらと輝いても見えた。
「……。」有紀は人見知りのはげしい性格を現すかのように、ジッと上目遣いの不安気な視線を蛍たちに向けていた。なんとなく有紀の手足や肩が微かにふるえても見える。
「……あ、あの…」有紀はやっとのことで、微かな声らしきものを発した。と、同時に気の弱い子供がよくやるように細長い両手首を胸元にオドオドと持ってきて…ギュッと両手をにぎりながら、また静かに黙りこんでしまった。……なんとも弱々しい女の子だ…。
 有紀は確かに声を発した。しかし、それは蚊の鳴くように微かで、あまりにも繊細な声であったため、誰も発言したことには気付かなかった。
「あのさぁ、有紀ちゃん。私たち、これから…「絵」をみにいくことになってんのよ。」蛍に続いて由香が「そう。…それでさぁ。どう?一緒にいかない?楽しいかどうかはわからないけど、けっこうボンジョビ……じゃなくてエンジョイできるかもよ」
 と、魅力的な笑顔でいった。
「……」有紀は微かに、ほとんど誰も気付かないくらいに、微かに口元に笑みを浮かべた。しかし、それも一瞬で、すぐに不安な顔になり、
「……あの、その……ごめんなさい…。私、これから塾にいかなくちゃならない…の。だから…そのぉ…」
 と、オドオドと、蚊が囁くように呟いた。
 だけども、やっぱり誰にも聞こえなかった。
「…え?有紀ちゃん、今、何かいった?」
「まさか!幻覚…じゃなくて幻惑…じゃなくて幻想…じやなくて幻々?!…ね」
「ちょっと。何、ゲンゲンゲンゲンいってんのよ。由香ちゃんってぱさぁ、頭悪いんだから…あんまり難しい『英語』使わないほうがいいよっ」
「な、なに言ってんだか、この馬鹿蛍!」
 由香は少しムッときて怒鳴った。そして、気分を落ち着かせてから、おだやかな口調で、「あの、有紀ちゃん。一緒にいくわよね?」
「……あぁ。だから…その…私…」
 やっぱり有紀の声はきこえない。
「ねぇ、いこうよぉ。一緒にさあっ。たいした絵じゃないけどさぁ」蛍は失礼なことをいった。由香は呆れて「ぁんたねぇ…いっていいことと悪いことがあんでしょ…?!」
「…あの…ごめんなさい。その…」
「……え?」
 ほんの微かではあるが蛍と由香の二人組は有紀の弱々しい声を聞いた…ような気がした。「……え?え?え?」ふたりはオドオドと立ち尽くしている黒野有紀の口元に、静かに耳を近付けた。そして…、
「…あのっ。ごめんなさいね。もう一度、いってくれるかしら?」と明るくお願いした。「…あの…」有紀はやっと動揺した声で囁いた。「…だから……ごめんなさい。私…いけないわ」
「…?!何?」
「………いけないの」
「……あ?あぁ。いけない……え?行けないの?!」
「…えぇ。それじゃあ、私、これで……」有紀はそういうと、身を翻した。
「え?何っ?なんていったの?」
「……。」有紀は何も答えずに、そのまま可憐な足取りでゆっくりゆっくり歩き去った。 蛍と由香は、うーん、と頭をひねって「なんていったのかしら…ねぇ?」と思わず呟くしかなかった。

  東京銀座四丁目の画廊「ギャレット・ラ・パームズ」の室内はさほど広くはない。
 広くもない室内にはついたて板が並んでいて、絵は額に入れて吊されていた。その絵とはもちろん赤井宝林の洋画のことである。
 蛍たちは個展会場へ向かって明るく、やはり「無駄話しながら」並んで歩いていた。
「あのねぇ。蛍ちゃん、蛍ちゃん!そんなことしている場合じゃないでしょっ」
 突然、空からひらりととんできたセーラが蛍に近付いてきて、そんな風に呟いた。ほとんど、誰もがその存在を忘れるほどに、この妖精はどこかに姿を消していた。そんなこともあって…、
「…誰?あんたは誰かしら?あんまり姿がみえないんで私忘れちゃったよ」
 と、蛍は冗談めかしにいった。
「あの…ねぇ。もおっ」妖精は少し言葉をつまらせてから。熱っぽい口調で「そんなことより…魔の女王「ダンカルト」の魔の手がこの地上に刻一刻と迫ってきているのよ。特訓とかしてさぁ…戦士としての自覚をもってもらわなくちゃ困るのよねぇ。それに…」
「まぁ、まぁ!」蛍はカラカラと笑っていった。「いいじゃん、今が楽しけりゃ!」
「…あのねぇ」セーラはやたらと呆れてしまった。まったく蛍ちゃんってば…。
「そういう考えだから…!!…あ、ちょっと待ってよ!」セーラは「お説教」を呟き出したが、それは無駄だった。蛍が、何も聞きもせずにスタスタと遠くまで歩いていったからだ。 そして、そんな蛍に付き合って呆れた時に口ずさむセリフ、口癖になってしまったロゴス(言葉)「…あのねぇ。もおっ、知らない!蛍ちゃんなんて大っ嫌い!」を溜め息まじりに妖精セーラはあもわず言ってしまうのである。そして、
「……なによ、何よ、もおっ!妖精だとおもって馬鹿にしちゃってさぁ!蛍ちゃんなんて……馬に蹴られて死んじゃえーっ!!」と可愛らしく癇癪を起こしてしまうのであった。

  画廊「ギャレット・ラ・パームズ」の人気のない会場内の一角にたっていた赤井宝林は戦慄した。冷酷で無慈悲な魔物・フィーロスが襲いかかってきたからだ。
「…うっ」
 フィーロスは「静かにしなさい」と、暴れる宝林を押さえ込んで、左手を宝林の胸元にあてた。宝林の胸元から白い閃光が四方八方に飛び散って放たれていくと、芸術家は「…ぐうっ」といって気を失って気絶してしまった。だが、フィーロスの期待どおりにはならなかった。フィーロスの望んでいたものは手に入らなかった。
「…なによ。もぉ。この男…トゥインクル・ストーンの持ち主ではないじゃないの!!」
 フィーロスは怒りを顔に現して吐き捨てるようにそう言った。そして、しばらくして、「…そうだわ。この男を操って…例のマジックエンジェルをおびきだせば…」
 フィーロスはそう呟いてニヤリと悪魔の笑みをうっすら浮かべると、鷹のような鋭い目をギラリと光らせた。そう、魔術をつかったのだ。
「…ーヴうっ」赤井宝林は悪魔のパペット(操り人形)と化して、控え目な瞳を曇らせ手、ギラリと眼光を赤色に輝かせていた。つまり、エクソシスト(悪魔払い師)の造語でいう「悪魔付き」になったのである…。

 蛍たちは個展会場である画廊「ギャレット・ラ・パームズ」になんとか辿り着いていた。なんとか…とは、着くまでに、例によって「より道」を何度も繰り返したからである。個展会場はけっこう人込みがすごかった。そんな芸術の熱にすこしだけ押される感じで、蛍たちは会場をかっ歩していった。
「…あの…蛍ちゃん…蛍ちゃんってば……」
 妖精はこりもせず「出来そこない」の耳元の近くをひらひらと舞い飛びながら呟いた。「蛍ちゃん…!ちょっと…無視しないでよ!!」
 次の瞬間、蛍はセーラの顔をキッと睨んで「う、騒さいのよ!もおっ」と、なぜかポケットから殺虫スプレーを取りだして、噴射した。
「…ごほっ、ごほっ」セーラは煙りにむせかえってから、
「ち、ちょっと!ちょっと!なにするのよぉ。私はハエじゃないのよっ!!」
 と、激しく憤慨して叫んだ。いや、怒鳴った。もおっ、何を考えてるのよ蛍ちゃんは?

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マジックエンジェル蛍MA蛍アンコール連載ブログ連載小説2

2012年01月30日 11時24分16秒 | 日記
 青沢蛍は「彼女らしい」寝言をいいながら眠っている。この娘は、バカか?
悦にひたる蛍の横のベットの端で、身体を横にしていたセーラは呆れ顔で眉をピクピク動かしながら、
「この娘ってば…ほんとうに伝説の戦士なのかしら?」と呟いた。そして、もおっ、と頬杖をついてプイっと顔をよこに向けていた。
 まったくなんて娘なの!!

  次の朝。蛍たちの通う青山町学園の期末テストの日だ。ドジな蛍は、いつものように寝坊すると、大慌てで学校にむかって駆け出していった。
「あ、待ってよ!蛍ちゃん!」
 セーラは蛍の後を追ってフワッと飛んだ。
  テストはいたって難しかった。いや、蛍にとって由香にとっては、とてつもなく難しかった。彼女たちにとっては「ルート」とか「645年大化の改新」とかいうのは暗号のようにでも思えるのだろう。まぁ、はっきりいって「そうした知識」は社会では何の役にもたたないけど…。それでも、知らないより知っていたほうがマシではある。
「…よし、いくのよ、セーラ!」
 机に座って答案用紙に顔をむけていた蛍は真剣な表情で、顔の近くに浮いていたセーラに囁くように小声で命令した。
「……でも…ねぇ。」
「さっさと行くのよっ。私のテストの成績がかかっているんだから!!」
「…だって……さぁ…」
「あんた、私がテストでまた0点とかとってもいいっていうのっ?!」
 セーラは眉をひそめて、おそるおそる、
「…そんなに頭が悪い…の?」と尋ねた。
「…そういう見方もあるかしらねぇ。でも、それもチャーム・ポイントのひとつよ。ほら、女の子は少し馬鹿な方が可愛い、って男の人がよくいうじゃないの」
「…そんなこときいたこともないわよ」
「ええっ?!でもさぁ、女性雑誌の『ティーンズ・エイジ』っていうのの占いコーナーにのってたもん!」
 セーラはやたら呆れてしまった。ひどく虚しくもあった。
「…あのねえ、蛍ちゃん。占いだとかオマジナイとかはほとんど嘘なの。デマでしかないのよ。だいたい少し考えればわかるでしょ?”牡羊座のO型の今月の運勢は?”とかいうのだって”牡羊座でO型の人間”なんて何百万人もいるのよ。その何百人もの人間がすべて”恋はちょっとダメ”だったり”勉強はまぁまあ”だったりとかすると思ってるの?
 そんなわけないわよね?それと…頭の悪い女の子の方が可愛い…なんていうのもデマね。誰だって「頭のいい女の子」の方が魅力的だとおもうんじゃないかしら?蛍ちゃんみたいに考えている女の子がいるとしたら、それはただの怠惰っていえるわね」
「タイダ…ってどういう意味っ?また英語っ?」
 セーラは首を少し振って、
「怠惰…。つまり怠けて努力しない。あなたは、お勉強をする努力をなまけているだけなのよ!」
「へん」蛍は癪にさわった感じで顔をそむけて、次の瞬間、セーラをキッと睨んで、
「…もおっ。いいからさっさと行くのよ!」
 と低い声で、もう一度、命令した。「そうしないと…封印なんて絶対にしないからね!」 セーラは「……う」としばし絶句して、それから「…わかったわよ」と情ない声でいった。本当に情なかった…。というより少しだけ腹立たしくもあった。なにも命令されたからではなく、蛍という少女のメンタリティの低さが情なく、また悲しかったのだ。
 どうして蛍ちゃんって、こうなのかしら?
  妖精セーラの姿は、答案用紙に目を通している同級生たちには絶対にみえない。それをいいことに、蛍は、セーラに「同級生たちの答案を覗き見て自分に教えるように」命令したのだ。恥知らずなオポーチェニズム…いやたんなるシェイムレスネス(恥知らず)もここまでくると絶賛に値する。…限りなく低レベル…だ。
 もぉ、なんで私がこんなことしなくちゃならない訳…?妖精セーラは愚痴を呟きながらも、「お馬鹿さん」に答えを伝えまくった。
「……なにかしら?あれっ」
 由香は、フト、妖精の姿や存在に少し気付いて独り言を呟いた。
   ・
 こうしてテストもすべて終了した。
 狡猾で老獪な蛍(この瞬間だけ)は、あまりに旨くいったので嬉しさが胸元から沸き上がってきて、笑顔になっていた。なにかすばらしいものが口から飛び出してそうな錯覚にも襲われた。とにかくハッピーだった。その表情は「お馬鹿さん」そのものだ。
 場所は、午後の体育館の裏であり、蛍とセーラは白い壁にもたれかかって話をしていたのだった。陽射しが辺りを真っ白にしていた。しんと光ってた。
「いやあ、それにしても…うまくいったねえ」蛍はニヤニヤして続けて「ごくろうさん、セーラ。あんたはよくやったよ!」
「…あのねぇ。」妖精は苦笑してから、気を取り直して熱心に言った。「そうそう、蛍ちゃん!ちゃんということきいてやったんだから…「封印」してくれるんでしょうね?そうよね?」
 その言葉の次の瞬間、蛍は
「嫌よ!」とカラカラ笑った。
「な?!なによっ。ひどいじゃないのっ!」
 セーラは激しく抗議した。「約束やぶるなんて最低っ!最低の人間のすることだわ!」「約束なんてやぶる為にあんのよ」
「そういうのを「身勝手」とか「恥知らず」とかいうのよっ!どっちにしてもレベルが低いわね!!」
「どうせノヴェルが低いですよ」
「ノヴェルなんて言ってないでしょ!レベルよ、レベル!ノヴェルなんていうのは小説のことよ」
 セーラは息を荒くして怒鳴った。…いやはや疲れる。この蛍という「出来そこない」には何をいってもわからない。馬鹿につける薬はない…とはこのことだ!
「蛍っ!」
 フト、気付かないうちに、赤井由香が近付いていて、そんな風に明るく声をかけてきた。由香はいつものように、可愛らしい猫のような瞳をきらきらと輝かせてとても眩しい。
 わっ、とセーラは驚いて素早く蛍の背の陰へとかくれた。なんとか見付からなかったらしい…。でも、まてよ!そういえば普通の人間には妖精に姿はみえないんだったわ。セーラは苦笑した。
「あら、由香ちゃん。何か用?」
「…あんた。」由香は皮肉たっぷりに微笑して、前髪を右手でかきあげながら、「あんた、カンニングしたでしょう?!」
 と、冗談めかしに尋ねた。ー確かに…。
「な?!な、な、な、な……何いってんのっ?!馬鹿じゃないのっ?!」
「ほらっ、そうやって慌てる所が怪しいのよ!」
「べ、別にっ、慌ててなんてないもん!!」
「慌ててるじゃないのっ。…もおっ、馬鹿なんだからさぁ。あたしはあんたとは幼稚園の時から一緒だったんだから…。そういう私に見えすいた嘘が通用すると思ってんの?!」
 蛍は少し黙ってから、苦しい声で「別に…嘘なんてついてないわよ!」と叫んだ。
「……」由香は、怪しいなぁ、という視線を蛍にむけてから、可愛らしい猫目をきらきらと輝かせて、
「…そういえばさぁ。話はかわるけど…あんたの瞳はいつもと違うわね。きらきらと輝いてるっていうかさぁ。何か特別なことでもあったんじゃない?」
「……え?なんでわかるの?」
「そりゃあ、ねぇ。」
「そりゃあ、ねえ……?まあ、いいや。じゃあ、何があったと思う?!」
「うーん」由香は足りない頭を回転させてから、ニヤリと笑って、「わかった!カラー・コンタクトにしたのね?」と真剣に言った。
「つまんない」蛍はつまらなくてズッコケてしまった。やっぱり由香も低レベルだ。
  螢は息を呑み、心臓が二回打ってから、「つまんないこといわないでよ」といった。 しばらくしてから由香は、
「そうだ!早いとこ『ムーン・ライト』に行きましょうよ!」と無邪気な笑みでいった。「うん。そうだね!!」
”お馬鹿さん”コンビはそういうと駆け出していった。ちなみに『ムーン・ライト』とは英語で「月明り」の意味だが、まさかふたりが月面にいった訳ではない。『ムーン・ライト』とは蛍たちの住む青山町にある喫茶店の名前のことである。

「うーん。やっぱり、勉強のあとに飲むオレンジジュースって最高よねっ」
「いやいや。やっぱ、さぁ…コーラで決まりっしょ!」
  蛍と由香の二人は、喫茶店『ムーン・ライト』のテーブルに座って顔を見合わせて、くだらない話をしていた。ーちなみに、日本のオレンジ・ジユースのほとんどは輸入品の「カリフォルニア・オレンジ」だったり「コカコーラ」が優位にたっているのは日本国内だけでアメリカ本土では「ペプシ」のほうが人気があることなどは詳しくは書かない。知らなくていいことだからだ。
「やあ、蛍ちゃん、由香ちゃん」
 喫茶店『ムーン・ライト』でアルバイトをしている蛍たちの一年先輩の鈴木直樹が笑顔で声をかけてきた。この男の子は、けっこうハンサムだ。だが、いかんせん男の「ダンディズム」だとか黒人男性にありがちな「セクシーさ」だとかは微塵もみられない。何処にでもいるような普通の男の子。誰もが「優しそうだね」と感じてしまうような少年だ。
 彼は確かに不思議な印象を与える人物だった。年は螢たちと同じように見える。すらりと細い身体に、がっちりとした肩や首がクールな感じにみえる。ちょっと見には彼の制服はぴったりなのだが、唯一、瞳だけはきらきら光ってみえる。
 鈴木先輩…っ。蛍は鈴木直樹と、フト、目が合って、ポッと頬を赤くした。恥ずかしかった。じつは蛍は鈴木先輩のことが好きだった…いや憧れていたのだ。惚れていた…のだ。 ラブ・アット・ファースト・サイト(一目惚れ)。
 いやいや、ファースト・サイトではない!なぜなら以前から存在は知っていたのだから…。
 愛や恋とは、ある種、突発的なものであるのかもしれない。「恋愛のおまじない」に毒されると「理性」や「知性」があっても逃げることは出来ないのかも知れない。…愛には「エロス(愛欲)」「クピード(欲望)」そして「アガーペ(神の愛)」などがある。
エロス、クピード…などというとなんとなく俗欲的な…下半身的な…というニュアンスがしないでもない。だが、それらはある種の意味あいがあるのだ。エロスとは人間関係ノなかで芽生える愛であり、クピードは欲望…言い換えれば「自分はこうありたい!」というハングリー精神ともいえる。…アガーペは、
 レイモンド・チャンドラー著「長いお別れ」の主人公フィリップ・マローウの有名な台詞「タフでなければ生きていけない。…優しくなければ生きる資格はない」という優しさと同意語だ。他人を思いやる優しさ、博愛「他人の痛みを自分の痛みのように考えて、時にはともに涙を流し、そして神のような心で他人を愛していく」
 たとえば、マザー・テレサのように…。ああいう聖なる愛こそがアガーペなのだ。
 ところが日本ではどうか?
 遊ぶ金欲しさ、ブランド品欲しさに「援助交際」などと称して売春し、「オヤジ狩り」などと称して強盗する。陰湿なイジメを繰りかえして自殺に追いこんでもなお反省もなにもしない。平気で他人に罵声を浴びせ掛けたり投石するメンタリティー。
 こういう連中には「愛」を語る資格などない!といえなくないだろうか?
 …話しを元に戻そう。
「…あたしさぁっ。今度のテスト…けっこう自信あんだ。もしかしたらクラスで一番かもしんないよぉっ」
 鈴木が立ち去って、しばらくしてから、蛍は甘ったるい声で由香にそう言った。
「ああ、わかってるわよ。…クラスで一番の最下位ってことでしょう?…いつものことじゃないの」
「…ち、違うわよ!!その逆!」蛍は反発して、オーバ・ジェスチャーで明るく宣言した。「今度のテストで、あたしは「クラスで一番のトップ」になってやるんだからぁっ!」
 由香は呆れて眉を少しだけ動かして「そりゃあ無理だわね。…例え地球が滅んだって、宇宙人が攻めてきたって…ありえないわよ!阪神タイガースがリーグ優勝する確率くらいに無理な話ね。ーいわば、そんなことをいうのは、クレイッ……クレイターよ」
「クレイター?何よ、それっ?!どういう意味なのよぉっ」蛍は皮肉っぽく尋ねた。
「……クレッターだったかしら…?クリッター?クラッター?クラッカー……?」由香は足りない頭をひねったが答えが出ずに、ついに、そんな自分自身に癇癪を起こした。「もおっ!!なんで私ってば…いつもいつもこんななのよオ!」
「そりゃあ由香ちゃんが、「お馬鹿さん」だからじゃないのかなぁ」
 蛍は堂々と熱意をこめて皮肉をいった。
「な、な、なんですって?!あんたねぇ!あんたみたいな本物の「お馬鹿さん」にそんなこといわれたくないわねぇっ」目を火のようにぎらつかせて、由香はいった。
「あんたはいつもいつも、ほとんど、毎日、テストで5点とか0点とかとってるじゃないのよぉ!そんな人に「お馬鹿さん」なんて言われたくないですよぉだ!この馬鹿蛍!」
 蛍はきっと由香を見た。「ち、ちょっとさぁ!それってば言い過ぎなんじゃないの?!」”憤慨して叫んだ。「由香ちゃんだってさぁっ、テストで6点とか1点とかばっかじゃんよぉっ!!ほとんど私と変わらないじゃんよ!!」
「じゃあねぇ」由香は切り返した。「じゃあ、一+一は?」
「…え?」蛍は少し考えてから、自信あり気に「そりゃあ決まってるっしょ?!もちろん漢字の”田”よ」
「はっ?」由香はそう声を出してから、馬鹿馬鹿しい、という顔でニヤリと笑って、
「そりゃあ、あんた。トンチじゃないのっ。金太郎じゃあるまいしさあっ」
「…違うよ。トンチで有名なのは…花咲か爺さんだよぉ」
「ええっ!そうだっけ?でも確か…牛若丸だったような気もするけどぉ…」
 ”出来そこない”のふたりは頭をひねった。冗談でいってるのではなく本当に知らないところは甚だ滑稽だ。(ちなみにトンチで有名なのはキッチョムさんだったり一休さんなどだ)
 フト、蛍と由香はじっと顔をのぞきこんだ。そして、何もかも忘れたかのようにほんわりとして、
「まぁ、いいか!そんなことどうだって!!」
 と声をそろえて笑いあっていた。


  魔界とは、文字通り「魔物の住む世界」のことである。ギリシア神話でいえばハデスが支配する冥界に似ている。石灰岩質の岩山ま多い地域に薄暗い鍾乳洞があって、そうした巨大な空間が冥界である。ハデスはその冥界の王だ。そして魔界をいま支配するのは魔の女王ダンカルトだった。ダンカルトは石造りの魔物のような大きな化物だ。
 薄暗い空間。長い支柱…。魔界の「三騎士」とよばれる人間らはゆっくりと魔の女王の前へと進んだ。この「三騎士」と呼ばれた人間たち…いや、正確には人間の姿をした魔物の名は、アラカン、フィーロス、ダビデ、であり、アラカンとは「魔天使」アルカンのことだ。アラカン、ダビデは男性の姿をした魔物で、フィーロスは美貌と知性と残忍性をかねそなえた女性の姿をしている。スマートな体躯、細長い顔に足首、きらきらした髪、鷹のような鋭い目、肌は青白く透明に近い。服装はまるでナチスのゲシュタポが着ていたような「道徳上好ましくない」ものでもある。腰には重そうなベルト、突撃隊のようなアグレッシヴなロング・ブーツ…。
 まさに人類にとって、ペルソナ・ノン・グラータ(好ましくない人物)たちである。
 フィーロスはダビデとピッタリとくっついて立ち、魔の女王ダンカルトと向き合った。忠僕アラカン、ダビデ、フィーロスは尊敬的で丁重な言葉で、
「御機嫌うるわしゆう、ダンカルトさま」と挨拶をして頭をさげた。魔の女王ダンカルトはスペインのガウディの塔くらいに巨大で凄まじい存在感がある。
「地上の侵略の具合はどうか?」
 ダンカルトは低く響く声で、穏やかな口調のままいった。
「はっ。」アラカンの太い眉がピクリと動いた。
「誠にこのましい状態にあるといえます。ですが…地上を支配するためには、伝説の「トゥインクル・ストーン」という輝石が必要となるのです!」ここぞとばかりに、アラカンは「輝石」のことについて熱心に説明した。しかし、ダンカルトは表情ひとつかえなかった。
「トゥインクル・ストーンがなければ、我々魔界の者は…地上でわずか数時間しか行動することが出来ません。そして、その「輝石」はピュアな心を持った人間だけが身体の中に持っているものなのです!」
「ならば…なぜ、その石を奪ってこないのだ!」魔の女王の顔がゆがんだ。しかし、すぐに態度を和らげた。
「ダンカルト様!すでにピュアな心をもっていると考えられる人間の娘をみつけております」
 ダビデはいった。絶妙のコンビネーションだった。
「ほぉ……それは誰だ?」
「この娘です」と、ダビデは熱っぽい口調で答えた。そしてその次の瞬間、ダビデの指差す空間にホロ・グラム(立体映像)がゆっくりと浮かびあがった。その映像は、とてもはかない硝子細工のように輝いていた。そして少しだけ幻想的でもあった。
 だが、そうしたメランコリックな気分には浸ってられないのが現実というものだ。
 それはそうだろう。なんせ、その立体映像に浮かび上がった人物とは、何と、赤井由香だったからだ…。蛍の親友…。主人公のかけがえもない友…。そして「小悪魔」的な美少女、由香だ。どことなく、ジョディー・フォスターを憎ったらしくしたようなコケテッシュな魅力を持つ少女…。

  喫茶店で、思いっきり「馬鹿話」に花を咲かせた蛍は、「じゃあ!また明日ねっ、由香ちゃん」と明るく言って由香と別れた。もう、陽も暮れようとしている頃で、蛍はそんなどことなく寂しげな街路道を一人で歩いていた。淡いセピアが辺りを包む。うすい雲がオレンジに染まり、早足で流れていく。それは、幻想、だ。
 だが、けして「黄昏て」ではない。むしろウキウキとした気分で歩いていた。
「明日の、テスト結果が楽しみだわ」
 と、嬉しさでヤニ上がっていたのだ。非常に低いメンタリティ(精神性)だ。自分の実力でテストを受けたわけでもないのに……。この少女には恥を知る心…というものがどこにも存在していないのだ。
「ねぇ、ねえ、蛍ちゃん!蛍ちゃん!蛍ちゃんってば!」
 いままで、どこかへ消えてて姿を現さなかった妖精セーラがフイに飛んできて、そう声をかけた。ひさしぶりのことであった。螢は思わず息を呑んだ。
「なによ、セーラ。あんたいままでどこにいってたのよ?」
「…うーん、ちょっとね。それよりさぁ…」セーラは少し微笑んで、丁重に言葉を選んで、「あの、蛍ちゃん。そろそろ封印とかしてみちゃったりしてくれないかしら?」
 その言葉をさえぎるように、蛍は、
「嫌です!!」と言って、プイっと横を向いた。
「なによっ、もお。そんな言い方ってないでしょ!!」
 セーラは反発して言った。「そんな性格だからダメなのよ!少しは正直になって「わかったわ」っとか言えないの?!」
「もぉっ、うるさいのよ。黙っててよ!だいたい、妖精のくせに人間様に文句を言うなんて、百年早いのよ!!」
 セーラは、蛍のナマイキで傲慢な態度に対して、あまり感情的にはならなかった。ただ、「…あのねぇ、百年たったら、蛍ちゃんはもう生きてないでしょう?だから…いまいってるのよ」
 と、控え目な言葉で母親のようにいった。
 しかし、「お馬鹿さん」は、すでに遥か彼方へと遠ざかっていたので、何も答えなかった。セーラは頭痛がして、氷の杭を心臓に突き刺された感じの無力感と痛みを覚えた。
「…はぁ」セーラはなんだか疲れてしまい、そんな風にタメ息をついてから、「…本当に、あの蛍ちゃんが伝説の戦士なのかしら?もしかしたら私…勘違いしているだけだったりして…」と、心の底から呟いていた。

  由香の家は、さほど広くない。でもまぁ、日本という島国で「豪邸」などというのはまず無理な話しだ。地方ならまだしも、蛍や由香たちの住む青山町は埼玉という首都圏の東京に近い場所にあるからだ。
「……こんなもんかしらねぇ!」
 夜もだいぶ過ぎた頃、赤井由香は自分の部屋で、机にむかって真剣な表情でいった。そして、自信ありげにニヤリと微笑んだ。興奮し、頬が火照ってきた。
 別に「お勉強」をしている訳ではない。この少女の特技ともいえる「絵」を描いていたのである。「絵」とひとことでいってもいろいろある。古典、写実、印象、抽象、シュールレアリズム…。その中で由香という美少女は「印象派が好き」なのであり「印象派のなかでも「やっぱりルノワールが最高よっ!」
 と、いつも考えているのである。
 とにかく、そう思っている由香はよく少女画を描いている。それは別に悪いことではない。可愛らしい少女にはアーティスティック・チャームがあるからだ。広告的にいえば、「美女と子供と動物」は注目を集める三大要素だ。そういう意味からいっても、美少女画は注目を集めるのには理想的ともいえる。
 そして、今夜も、由香はスケッチブックに少女画をスラスラと描いたのである。それがうまく描けたので、
「…こんなもんかしらねぇ」
 と、思わずニヤリとしたのである。それは、きらきらと輝く表情。由香は、命がけで絵画を愛した。
 しかし、才能溢れる(かは知らないが)由香をジッと睨んでいる人間がいた。いや、人間ではなく魔物の「三騎士」のひとり、ダビデである。
「あの娘か……?」
 ダビデは夜空にフワリと浮きながら、窓からみえる由香の横顔を遠くから観察して、恐ろしいくらい低い声でいった。……


「よし。ー次、青沢っ、青沢蛍!」
  次の日の教室で、テスト用紙が返されていたる担任の神保先生に呼ばれて、蛍は冷静さを保ちながら教壇の前まで歩いていった。そして…、
「…あのぁん」
 と、意味不明の言葉を呟きつつ、先生の手からテスト用紙を掴みとった。
 いつも「冷酷で無慈悲な機械」と呼ばれて恐れられていた神保先生は、驚愕するほどにほんわりと微笑んだ。
「ほ、蛍っ!!すごいじゃないか!!先生、びっくりしたよ。…お前もやれば出来るんじゃないか!」
 神保先生はとても魅力的な表情で、蛍を褒めて、鋭い歯をきらきらと見せて笑った。
「えっ?」蛍は弾かれたように、右手に握っていたテスト用紙をバッと開いて慌てて覗き見た。そして、次の瞬間、
「う、嘘つ!!」と驚きの声を上げた。なんと、九十点だったのだ。蛍は感動して、
「…九十点なんて、いままでとったことないよ。…夢じゃないのかなぁ…?!」
 と、呟いた。いや、夢ではない!しかし、夢のほうがよかったのではないかと思う。自分の実力でテストをうけた訳ではないし、こうした嘘やズルはすぐにバレるものだからだ。「みんな、蛍がこのクラスのトップだ!なんとこの難しいテストで九十点(カンニングしたなら百点とれるのでは?)という成績だ!みんなも青沢を見習って、勉強をしっかりやるんだぞ!」
 神保先生は堂々と、そして青沢蛍を誇らし気にアピールして大声で宣言した。
「青沢蛍はバカではなかった!!やれば出来る人間だったのだ!」
 クラスの同級生たちの驚き、センセーションは凄まじいものがあった。驚愕、狂喜乱舞、喚声と拍手。とにかく、”出来そこない”の変貌はクラスの話題となったのであった。

  通路の掲示板に張り出された成績表の順位をジッと見て、ニヤニヤしているのはもちろん蛍だった。そんなにたいした順位ではない。しかし「お馬鹿さん」にとっては奇跡的な順位でもあった。ー学年で82位だ。
「へへへへへへ…っ」「やっぱり、さあっ。あんた絶対にカンニングしたでしょう?」
 となりでジッと順位表を見ていた由香が、そう嫌味っぽく尋ねた。「あんたが学年で82位だなんてさぁ…、まさに、ミラ……ミラージュ…ねっ!」
「もおっ、何をいってんだかぁっ。そういうのを負け惜しみっていうのよォーっだ!」
 蛍はニヤリと言った。由香は癪にさわって、「だ、誰がっ?!誰があんたなんかに!!」
 と、顔を赤くして怒鳴った。
 フト、ほとんど何の存在感もなく、一人のちいさな美少女が歩いてきて、順位表の前で立ち止まった。この女の子は、いつでも学年トップの成績をとっている「知的レベルの高い」お嬢さん、だ。…蛍たちとは人間が違う。
 知性と教養と才能にあふれ、しかも美貌をも身につけたチャーミングな美少女だ。男の子なら誰もが好きになるような、可愛らしくておとなしい文学美少女…である。いや、秀才少女である。知性的というと、どこか「冷酷な人間」のようにも考えられるが、そんなことは微塵もない。この美少女は、他人の痛みを知る…博愛に満ちた性格なのである。だけど、その分、おとなし過ぎていつもチャンスを逃してしまうほどナーバスでもある。
 しかし、彼女には素晴らしいチャームがある。
 なんといってもインテリジェンス(知性)に裏付けされたルックスだ。丸い顔、長くてさらさらした黒髪は両肩でおさげにしている。そして、おおきくピュアな瞳はこの少女のおとなしさを現し、全身は細くて肌は真っ白だ。胸はやっぱり大きくないけれど、それも少女らしさをあらわしている。ぴしっと制服を着て、背は低く、それも可愛い。
 その愛らしい唇から発せられる声は「薔薇色の声」、というより「よくききとれない声」でもある。あまりにも「か弱い」ので響かないのだ。
 その少女は掲示板を上目使いでみて、何の表情もみせずに、そのうち歩き去った。
「…あの子だれ?ずい分とおとなしそうなこじゃないの」
「あんた知らないのっ?まったく「お馬鹿さん」なんだからっ。一年A組の秀才少女、黒野有紀ちゃんよ。いつもいつも学年トップの成績をとるんで有名なこよ」
 由香はインテリのように蛍に教えた。そして「あんたとは頭の出来がちがうって訳ね!」と続けた。
「ひとのこと言えないでしょ!」
 蛍は思わず由香に飛び蹴りをくらわした。

  夕方。あらゆるものがオレンジ色に染まる時刻…そして空間。可憐な夕日とほんわりほんわりと揺れる雲たち。きらきらと光るファンタジック・ビジョン。それは永遠のように胸を締め付ける。なんともいえない景色だ。こういうものを大事にすべきだ。二人は思う。そして、螢と由香はそれを愛した。
 何ともいえないそんなしんと夕暮れの街路地を蛍と由香は歩いていた。ーそして、
「じゃあ由香ちゃん、また明日ね」といってふたりは別れた。しばらく歩いた由香は「ミッド・ナイト・ピース・ラブ・フォーエバー…」と上機嫌でなにかのアニメソングを口ずさみ、スキップした。もう蛍は、曲がり角を進んでいたので、姿は、見えなくなっていた。しかし、由香にとっては「そんなことはどうでもいい」ことであった。彼女の性格は、蛍のような「寂しがりやの甘えん坊」ではなくて「孤高を守る芸術家タイプ」なのだ。それが由香のパーソナリティだ。そして、それが彼女の強さだ。何が彼女をそこまで運んでしまったのだろう?しかし、そんな平凡で幸福な気分も、長続きはしなかった。おの残忍な「三騎士」のひとり、ダビデが由香に襲いかかったからだ。
「きゃああぁぁーっ!!」
 由香の激しい悲鳴を耳にした蛍は、ハッとして駆け出した。由香ちゃんが危ない!
 ダビデは「おとなしくしろ!」と、暴れる由香を押さえ込んで、左手を彼女の胸元にあてた。赤井由香の可憐な胸元から赤色の閃光が飛び放たれるていく。と、由香は、
「ううっ…」と小さくうなって気絶してしまった。だが、ダビデの期待していた通りにはならなかった。ダビデは怒りで声も震え、支離滅裂な言葉を発していた。
「くそっ。この娘は、トゥインクル・ストーンの持ち主ではない!」
 ダビデは顔をしかめて吐き捨てるようにいった。やがて由香の胸元から放たれていた閃光は輝きを失い、そしてフウッと音もなく消えた。次の瞬間、ダビデは、
「死んでしまえ!」と、ドスのきいた越えで叫ぶと由香の首根っこを締め始めた。このままでは赤井由香は死んでしまう!
「ゆ、由香ちゃん!!」
 やっと駆け付けた蛍はそう叫ぶと、頭から冷水をかけられたかのように驚愕して立ち尽くしてしまった。いったいどうしたらいいの?!あまりの恐ろしさで全身が小刻みに震えた。両脚がガタガタと鳴る。長くさらさらとした髪の毛が逆立つ。戦慄と恐怖で、体の力が抜けて、足はもつれる。「何やってるのっ?!蛍ちゃん、封印よ!封印するのよ!」
 いままで何処かに姿を消していた妖精セーラが猛スピードで飛んできて、慌てた口調で叫んだ。
「で、でも…」蛍は躊躇しながらも震える声で「…へ…封印ってどうするんだっけ…?!」「お札よ、魔物を封印せよ、よ!もってる赤いお札をかざして、いうの!叫ぶの!」
 セーラは熱意を込めて、祈るようにいった。もうやるしかないのよ!封印よ、蛍ちゃん! 蛍は大きく息を吐くと決心したように眉をキッとつりあげて、お札に手をかけた。そして、おもいっきり前にかざして、
「お札よ、魔物を封印せよ!」
 と、燐とした声で叫んだ。ー次の瞬間、カッ、と前にかざしていたお札から青色に輝く閃光が四方八方へと飛び散り、しだいに蛍の身体をつつみこんだ。
 そして、ついに、「封印」しようと光の塊が魔物に向かった。魔物はよけたが、あの蛍が、伝説の戦士マジック・エンジェルになったのだ。
 魔物を封印する、マジック・エンジェルに…。



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マジックエンジェル蛍MA蛍アンコール連載ブログ連載小説1

2012年01月30日 11時19分46秒 | 日記

マジックエンジェル 

                  ほたる
~JUST NOW 2050~
                -MAGIC ANGEL"hotaru-



    …”The future is not a gift;
             It is an achievement”…
”封印”のお札で戦う戦士たち!
 魔物たちを倒せばひとつだけ”願い”が
 叶うというが……!







                total-produced and presented and written  by
                              midorikawa washu
                               緑川 鷲羽












  第一章 マジック・エンジェル
 VOL.1 蛍とセーラの出会い
       マジックエンジェル・ブルー覚醒


                                    青沢螢は、親戚の叔父さんに買ってもらった宝クジで3億当たって、狂喜乱舞した。 蛍は夢をふくらませた。大金を手にして、興奮し、それから螢は強烈なフラッシュの光を眉間に食らった気がした。螢は目を覚まし、息を呑んだ。見覚えのある担任の神保の怒り顔があった。間違いない。螢は授業中に居眠りしていたのだ。宝クジ当選は夢だったのだ。今は、西暦2050年の近未来都市・東京の隣県、その学校の授業中である。
 螢は頭頂から爪先まで、冷気が走るのを感じた。そして、がつん、神保に殴られた。螢はレイジー(怠け者)で努力もしない。で、アニメ番組や少女コミックを読みあさる。まったくの”出来そこない”。
 だけども、その分、螢は可愛らしい顔をしている。丸い顔、長くてさらさらした髪、大きな瞳、全身が細くて肌が白い。胸はけしておおきくないけれども、それは少女らしさを現しているともいえなくもない。そして、これがチャーム(魅力)だ、といえばいいのか、性格が明るいのだ。極めて社交的であり、オプチュミストだ。百六十センチで、制服姿だ。 螢という少女に負けず劣らずの”出来そこない”もいる。しかも、蛍のすぐ近くに、同じクラスにいる。それは蛍と同じ埼玉県青山町学園一年の、赤井由香という少女である。 この螢の同級生であり、親友でもある由香も、やはり「お勉強」ができない。性格はどうかといえば、ひたすら明るい元気印の少女である。これは救いか(?)。そして、蛍に負けないくらいルックスはいいのである。螢と同じ、百六十センチで、制服姿だ。
 由香は蛍のような童顔ではないけれど、大人の魅力があるわけでもない。ある意味では「小悪魔」的な美少女である。髪の毛はセミロングで、後ろ髪がピンとはねている。瞳は猫のようだ。全身が細くて肌が白く、腕も脚もスラリと長い。彼女はナイーヴだ。
 ちなみに英語のナイーヴには、天真爛漫、素朴な、という意味がある。この言葉こそ由香にはふさわしいのかも知れない。青山町学園の女の子の制服は、黒色のセーラー・スカートに、純白のワイシャツ、胸元には赤いリボンをアクセントにつける。冬にはベストを着るわけだがあえて触れない。平凡な日々。…平凡な学校。緑の蔦と苔に覆われた壁はやや古ぼけてもみえる。いまはけだるい午後だ。
 学校は、期末テストの前日をむかえていた。
 蛍はニヤニヤと笑いながら、それでいて少し困った顔で、机に腰かけて、向かいあっている由香に、顔を真っ赤にして興奮して、それで抑圧のある声で、
「もおっ。なんでテストなんてもんが、この世の中に存在する訳?なにが期末テストよっ…そんなものどっかへ飛んでっちゃえ!ってなもんっしょ!」
 と、オーバーなジェスチャーで蛍はいった。さすがに「お馬鹿さん」である。話しに品がない。
「本当よねっ。テストで人間のなにがわかるっていうの?!お勉強なんて出来なくたって、成功したひとはいっぱいいるじゃないの!」
 由香は少し声を荒げて、少し早口で言った。そして続けて「例えば、エジソンとかアインシュタインとか…それから…それから…えーと、…エジソンとか……エジソンとか…」 声がしぼんだ。その瞬間、由香は心臓に杭を打たれたような感覚に襲われ、言葉を呑んだ。
 知性のない由香にとってはご立派な言葉ではある。確かに、エジソンもアインシュタインも勉強は出来なかった。エジソンが幼少のときに「出来が悪い」ので学校を追い出されたのは有名な話しだ。しかし、天才とはそこからが違う。ちゃんと努力をしたのである。「発明とは一%の霊感と99%の努力である」
 エジソンの有名な言葉だ。天才の彼でさえ、努力を続けたのである。そういった意味でいえば、努力もしないで「将来はお金持ちになりたい」などという輩は、ただの怠惰であり、限りなくアグリーなのである。
「もぉ、いっそのことさぁ…」
 蛍は小悪魔のような可愛らしい微笑みを浮かべた。そして「やっぱさぁ…」と小声でいった。なにか火照ってくるような感情の高鳴りに、心臓の鼓動を早めた。
「やっぱ…何よ?」由香は皮肉っぽくきいた。
「カンニングでもしちゃおうよ!」
「えぇ…っ??」
「私たちが救われる道はただひとつ、よ。カンニングっきゃないっしょ?やっぱ、さぁ」「でも…ねぇ。あんたはプライドってもんがないからいいけどさぁ。私の…芸術家としてのプライドが許さないのよねぇっ」
 蛍は嫌味ったらしく笑って、「あははは…由香ちゃんってばっ!!この前のテストで6点とっといてさあ。ブラインドウもなにもないじゃんよ!!」
「ブラインドウ?馬鹿じゃないの?!…そ、それに、あんたは0点だったでしょ!!」
 由香は真っ赤になって怒鳴った。蛍は、カラカラと笑っている。はっきりいってどっちもどっちであり、ふたりとも低レベルである。
「蛍ちゃん、由香ちゃん、カンニングなんてダメよっ!」
「そうよ、そうよ!」
 友達のあやと、良子、奈美がやってきて口をそろえた。この意見は至言である。しかし、この三人の女の子のルックスとかはあえて触れない。単なる脇役だからだ。
 夕方となり、辺りはオレンジ色に染まっていった。淡い黄昏…そんな雰囲気ではある。辺りがしんと光り輝くような。
「じゃあ、由香ちゃん、また明日ね!」
 蛍は校門で由香と別れて、元気よく駆け出していった。別に何をするわけでもない。ただ、好きな少女コミックとアニメ番組をみるのが蛍の習慣になっているのだ。
 チャンスはある意味では突然やってくる。突然、何のまえぶれもなく、いきなり目の前に訪れる。しかも、ほとんどの場合、人生において一度だけ訪れる。極言すれば、千載一遇の好機はたった一度きり、ともいえる。掴まなければ、暗い闇だ。
 平凡な少し頭の足りない美少女、青沢蛍にとってもやはりそうであった。
 彼女にとってのチャンスとは、妖精セーラとの運命的な出会い、であった。妖精…とは甚だコミカルだが、実は、この物語はファンタジーなので仕方がない。
 ひと気のない住宅街の路地を悠々とかっ歩していた蛍は、フト、何かの微かな音をきいて足をとめた。落ちつかなければと焦れば焦るほど動揺し、足の力が抜けて、もつれた。「なんの音かなぁ?…もしかして大川なんとかみたいにキリストの声とかがきけるのかなぁ?そうしたら本でも出版してお金をガッポリいただいちゃうっていうのもいいなぁ。でも……なんだろうなぁ?」
 左右に目を配っても何もみつからない。風を切る微かな音。何かの迫る気配!でも、何っしょ?!
「い、痛いぃぃっ!」
 蛍は顔面に直撃をうけて、少しよろけてしまった。突然に、何かが、彼女の頭上から降ってきて顔にぶち当たったのだ。螢は一瞬、棍棒で頭を殴られたような感覚に驚いた。
「な、なんだっていうのっ…もぉっ!」
 蛍は顔に手をあてて情なく叫んだ。
 そして、アスファルトの路上に横たわって動かない「あるもの」に気付いて動きをとめた。彼女はたいして驚かなかったけど、しばらく冷水を頭から浴びせかけられたように立ち尽くしてしまった。呼吸が荒くなり、心臓が早鐘ように高鳴った。
「な、な?!まさか、これって…」
 やっとのことで声がでた。そして、「これってば、妖精じゃないのさぁ!」
 そうだった。路上に横たわって動かないものとは、天空から降ってきた(墜ちてきた))妖精セーラだったのだ。死んだのか?それとも気を失っているのか?妖精はピクリとも動かない。
 妖精というくらいだから、身長は25センチもない。顔も全身も手も何もかも細く白く、睫がやけに長い。髪の毛は「栗色」でロングであり、ソヴァージュがかかっていて、可愛らしいリボンまでつけてある。洋服はフリルつきのもので背中に羽根がついている。とにかく、可憐でピュア(純粋)な妖精だった。
「…死んじゃってるのかなぁ?」
 蛍は妖精に近ずき、顔を覗きこみながら囁くように心配していった。妖精セーラは傷だらけでボロボロだった。透明にちかい羽根にも愛らしい顔にも傷がついていて痛々しい。 とにかく、ここに放って置くわけにはいかないわ!蛍は、そっと、優しく妖精を両手で包み込むと胸元にだいてバッ!と駆け出した。
 自宅へ!
  夜もどっぷりふけていた。蛍は夕食を素早く済ませると、すぐに自分の部屋へと戻った。ー乙女チックな部屋である。カーテンもベットもどこもかしこもピンク色の「少女らしい」部屋だ。彼女は、そうしたてきらきらとした空間を命がけで愛した。
 蛍は、心配そうにベットに近付いた。彼女は、あの「妖精」を誰にもみつからずに部屋まで運ぶのに成功していた。ピンク色のベットに、妖精は寝かされていた。一応、水タオルらしきものを額に当ててもらっている。これは蛍の「博愛」の証しだ。彼女には、こういう人間性もある。それは、しんと光るようなものだ。大事な、愛の証し。
「人間にとって忘れてはならないのは人間性だ。血も涙もない人間に誰がついてくるか!人間性とは何か?それはすなわち「愛」にほかならない。愛とは何か?それはけして見返りを求めることなく与え続けること」
 鉄の女、マーガレット・サッチャーの言葉だ。この言葉は尊敬に値する。
「…う…う……うん」
 妖精セーラは、そううなるように声をあげた。そしてセーラは少し頭を軽く振った。なんだか視点がぼやけたが、それはあまり気にしなかった。しかし、次の瞬間、セーラは思いっきり驚いた。なぜって?それは、
「あのぉ。妖精さん、お体は大丈夫かしら?」
 と、目の前で覗きこんでいた少女がオドオドと尋ねてきたからだった。まさか…そんな!「…妖精さん…お名前は…?喋れるの…?」
 蛍はオドオドと、微笑を浮かべてさらにいった。セーラは唖然としながらも「あ、あなた…私の姿がみえる…の?」とやっとのことで声を出した。とても可愛らしい声である。「妖精の姿は、普通のひとには絶対に見れないものなのよ。みえるのは、赤ちゃんかもしくはある種のパワーをもったような…」
「パワーって何っ?白い粉状の?」
「いいえ。…それは、つまりその……」そう説明しながらも、セーラはハッと気付いた。 まさか!この娘が?!…でも、まさか、ね。
 セーラはオドオドと「あなた…まさか…」といって、フト、言葉をにごした。この可愛らしいが、見るからに頭の悪そうな少女が、自分の探していた「戦士」だなんて、とても思えなかった。
「でも…まさかねぇ。伝説のマジックエンジェルが…まさか、こんな娘だなんて」
 セーラは顔をプイっと横に向けて、ニガ笑いして独り言をボソボソと言った。
「マジックエンジェルって、何っ?」
 蛍は元気いっぱいに明るくきいた。この少女はほとんど人の話をきかない。いや、それを理解するだけのメンタリティがないのだ。コギャルだかマゴギャルだとかみたいなのと同じだ。つまり、頭が悪いのだ。しかし、どうでもいいことだけは耳にする。そして、たまに傷ついたりもする。極めてナーバスなのだ。
 おかしな話だ。この青沢蛍という少女のどこにも「恋の悩み」だとか「生きていく苦悩」だとか「死への恐怖」「心の葛藤」といった心理が感じられないのに…。
 セーラは少し戸惑って、目を丸くした。あまりのことに動悸を覚え、手足が震えた。
「あ、あのねぇ。…そういえば!まだ、あなたの「お名前」をきいてなかったわよねぇ?」「私のお名前?!私は蛍(ほたる)!青沢(あおざわ)蛍よ。齢は十六才、キャピキャピの高校一年生で、趣味は少女マンガとアニメをみることかなぁ」
 蛍は嬉しそうに愛らしい微笑みを浮かべながら「それとただいまボーイフレンド募集中なのよっ!ケビン・コスナーみたいな。…そうだ!…妖精さん…あなたのお名前は?!」
「え?別にいいでしょう、そんなの」
「いいじゃんよ、別に…」
 セーラは「うーん。わかったわ。私は、セーラよ」と言った。
「セーラ?なんかきいたことあるわねぇ。えーと、アニメかなにかで…」
「別にそんなマニアックなこといわなくてもいいわよ」
 セーラは冷静にいった。
「え?え?マニ…ニ…マニ…って何?」
「マニアック!専門的な、とか、趣味的な…とかいう意味の英語ね」
「へぇーっ、セーラってば妖精のくせに、そんな難しい英語しってるんだあっ」
「…別に難しくなんてないわね」
「でもさぁ、私なんかさぁ。ハロー(こんにちは)、サンキュー(ありがとう)、グッバイ(さよなら)、ギブ・ミー・チョコレート(チョコレートください)、とかしか知らないもの」
「そ…それは、あなたが「お馬鹿さん」だからじゃないの…?」
「ヘヘヘ…っ。そうかなぁ?」
「…そうね、多分」
 セーラは冷たいラプテフ海のような言葉を彼女に言った。蛍は反発して顔をあげて声を荒げ、
「ち、ちょっと!何よ、何よ、そんな言い方しなくてもいいっしょ?!…もおっ。あたしだってねぇ、いっぱいいっぱい…いい所あるんだから。…そりゃあ、あんまり頭はよくないかも知んないけどさぁ。顔だって、スタイルだってものすごくいいんだから!」蛍は続けようとして、フイ、に下を向いた。そして、「それに…それに…」と震える声でいったっきり、沈黙した。こぶしをぎゅっとこわれそうなくらい握った。震えた。
 涙が目を刺激した。蛍はなんとか両手で止めようとしたが無駄だった。みるみるうちに大粒のきらきらとした透明な涙が頬をつたわって、ゆっくりゆっくりフローリングにポタポタと落ちていった。全身が悲しさで小刻みに震えた。単にルックスだけ。…なんとなく顔やスタイルがいいけど頭はカラッポ…という「薄っぺら」な自分の存在。
 何もかもが情なくって、そんな自分自身でいることが悔しい。…もう人間なんてやめちゃいたい!そんな風に、蛍はしんと心の奥底で感じた。螢は小学生のときにイジメられた記憶を思い出した。あの時自分は泣いた。でも、昔のことだ。しかし、その自分の”トラウマ”に螢はわれながら驚くのであった。
「あ…あの…蛍ちゃん…」
 セーラは同情をこめて小声でいって、フウッと宙に浮いて、立ち尽くして泣いている蛍の顔まで近づいて、「ちょっと言い過ぎたわ。ごめんなさいね」と謝った。
「いいのよ…どうせ「頭の悪い」のは本当のことだから…私なんてさぁ…結局…あんまり生きている価値ないのよね…多分さ。…あぁ、こんなことなら生まれてくるんじゃなかったよ」
 セーラはしばらく黙ってから、「それは違うわ」と声を高めて言った。
「生まれてはいけない人間なんて一人もいないのよ。人は生まれるときに、ある種の運命的な使命を与えられるものなのよ!…それは人によって違うけれどもね。ある人は、命を救う「お医者さん」だったり、国を動かす「政治家」だったり、そしてやさしいやさしい「お母さん」だったり…。
 人間にはそれぞれ可能性ってものがあるのよ。それは誰だって…どんな国の人だって…例外はないのよ。蛍ちゃんには「生きる価値」がある!きっときっと…いいえ、ぜったいにあるのよ!」
「でも…」
 セーラは魅力的な微笑を浮かべて、
「しっかりしなさい!泣いてたってなにも変わらないし、なんの変化もおこらないのよ!元気いっぱいに笑ってさぁ、明日という地図を手に駆け出すのよ!それっきゃないわ。さぁ、笑って!笑うのよ!」
 蛍は少し不思議そうな狐につままれたような顔をしたが、しだいに口元に微笑みを浮かばせた。「そうね。私を馬鹿にした連中を見返してやるわ!」希望の笑み…それはほんの少しの希望…駆け足ではなく、ようやく生きていく程の希望ではあるけれども、セーラの言葉は蛍に実に好ましい影響を与えたようだった…。
  しばらくして、セーラは少しだけ思い出したように、
「そうそう。蛍ちゃんにねぇ…話しておかなくてはならないことがあるのよ…」
「ーえっ?何?!なに?」
「…さっき伝説の戦士のことを尋ねたでしょう?マジックエンジェルのことを…」
「そうだっけ?アハハハ…」
 セーラは無視して、真剣に続けた。
「マジックエンジェル…つまり魔術天使は、いわば地上を、そして地上にいる人類すべてを平和に導き、魔物を封印するため天界から舞い降りた伝説の戦士のことなの」
「伝説の戦士…?」
「そう。でも、戦士たちが地上に舞い降りたのは現在からもう数千年も前くらいになるわね。その頃、地上はケイオスにおおわれていて…」
「ケイオス…って?」
 セーラは眉ひとつ動かさず続けた。「ケイオス。つまり「混沌」に包まれていた地上の世界…怪物達が人類の住むあらゆる町並みに出没して破壊をくりかえしていた時代。そうした地上へと舞い降りて、人類の平和のために戦士たちは闘ったの!
 つらく苦しい闘いで、多くの戦士が倒されていったわ…。でも、最後には「最大の敵」を倒して、伝説の戦士たちは世界平和を達成したのよ」
 蛍はきょとんとした顔をして「ううーん。なんか三流ファンタジー小説みたいねぇ」とほざいた。
 セーラは目を剥いた。
「私は冗談をいっている訳じゃないのよ!全部、本当のことをいってるのよ!!」
「でもさぁ」蛍は皮肉っぽく「そういう話は、いまどきの幼稚園児でもしないってばさぁ」 セーラは深呼吸して、精神を落ち着かせてから、冷静な顔でゆっくりと話を続けた。
「…その後、マジックエンジェルの戦士たちは記憶をすべて失い、人間の姿となって地上で暮らし始めたの。でも…けして戦士としての誇りだったり闘争心を捨てたわけではなかった。ただ、神からのお告げを忠実に守った。「もし地上が再び悪の支配に犯されそうになったら、伝説のマジックエンジェルに覚醒して人類を救いなさい」っていう神とのホルコス(誓約)を」
「…ホ、ホルコス?!」
 セーラは少し感情を押さえきれずに、
「そして、その伝説の戦士マジックエンジェルは、いまのこの時代…この地上に覚醒しなければならないの!なぜなら、魔の女王ダンカルトの魔の手が、今、この地上に迫ってきているからなのよ!!」
 と、声を荒げて両手を広げた。ーそして、「魔の女王ダンカルトは、この地上を支配しようとしているのよ!私は、それを止めようと天界から来て、その道すがら…攻撃を受けてやられてしまったって訳…」
「ふーん。」
 蛍はどうでもいいかのように感心した。
 そして「頭の悪い人間」にしては珍しく、「それで、地上に墜ちてきたってわけね?…セーラはその伝説のマジッ…なんとかかんとかという戦士を探しに来たってのね?」
 と尋ねた。
「そう。そうなのよ」セーラはうなづいた。
「ーでも…伝説の戦士が本当に探し出せるかは疑問ね。もう何千年も前の話だし…」
「ノー・プロブレムよ!」
 蛍はなんと、英語で自慢気にいった。
「ノー・プロブレム?…心配ないわって意味ね。なんでそう思うの?なにか策でもあるの? 蛍はニコニコと大笑いして「わかんない。ただいってみただけですっ!」
「………あ、あのねぇ」セーラは呆れた。「でも、魔物たちを倒せば何でもひとつだけ願いが叶うのよ」「本当?! ラッキー! でも嘘っしょ?」

 しばらく、パッション・ピンク色の乙女チックな蛍の部屋に静寂が流れた。かなりの沈黙。セーラは、蛍のきらきらと輝く大きな大きな瞳をじっとみつめた。そしてハッとした。この娘には…やっぱり、何かのパワーがあるように感じられるわ。
 もしかしたら…この蛍ちゃんって…でも…まさかね?
「あ。あのさぁ」
 ナイーヴ(無邪気)な蛍にとって、黙っている、もしくはジッとしている…ということは「あまり好き」じゃない。この少女にとっては黙ってひとの話に耳を傾けるとかは不可能に近い。
「あのさぁ。…月刊少女ジャンプでも読む?」
 蛍は無邪気にほんわりと笑って、セーラにマンガ本を勧めた。英語で書けば、ホタル・リィコーミィンデッド・ザ・コミック・トゥ・セーラ…かしら?それはいいにしても、この青沢蛍のメンタリティは低すぎる。
 セーラはニガ笑いして、
「いいわよ…マンガなんて」と断った。
「でも、けっこうオモシロイのよ!主人公とかが可愛くてさぁ。それになかなか笑えんのよ。それにさぁ」
「あなた、お年はいくつかしら?」
 セーラは説教くさくいった。
「え?…さっきいったじゃん。十六才!キャピキャピのコギャルで…ボーイフレンド募集中!ケビン・コスナーみたいな!!」
「そんなことまできいてないでしょ!!」
 セーラは少し怒鳴った。ーそして、
「まぁ、いいわ」と声のトーンをおとして、燐とした表情をして、右手を頭上にのばして、「ラマス・パパス・ドモス…アリアテス・エカリーナ・ティターナ!」
 と、意味不明の呪文を、可愛らしい声で、それこそ大声で唱えた。ーと、次の瞬間、セーラの右手から青い閃光が四方八方に飛び散った。
「うあっ!」
 蛍は思わず眩しくって瞳をぎゅっと閉じた。そして、しばらくしてから目を開けると、「蛍ちゃん。…このお札をもってみて」
 と、セーラが微笑みながら、右手にもった青色の魔物封印用のお札を差し出した。
「わあっ」
「さあっ、蛍ちゃん」
「なにこれっ?もらっていいの?」
 蛍は、少女の瞳をいっそう輝かせながらセーラに問いかける。この物欲は凄まじい。
「へへへぇっ、ありがとう」
 そういったとき、蛍の顔は紅潮していた。まるで幼児とかわりない。幼い子供というものは何かもらうと興奮するものだ。それが例えどんなものでも…。まぁ、判断力がないといえばそれまでだけど。
 そして、
「それはねぇ、魔物を封印するためのお札なの。そのお札を天にかざして”お札よ魔物を封印せよ!”って叫ぶと、本物の魔術天使なら魔物を封印することができるのよ」「ふーん」蛍はなんとなく頷いた。セーラは、
「あの蛍ちゃん。ちょっとやってみてくれないかしら?」
「えーっ?嫌だよ」
「ど、どうして?別にいいじゃないの」
 蛍はうーんと頭をひねって悩んでから、ハッと名案を巡らせた。名案というよりは、悪知恵だ。螢は興奮し、瞳孔を大きく開いた。
「へへへ…っ」蛍は、小悪魔のようにニヤニヤと微笑を浮かべてから「じゃあさぁ」といった。そして、セーラの耳元で囁いた。
「え?!…なんですって?!」
 セーラは、蛍の囁く内容があまりにもバカバカしいので、思わず眉をひそめて唖然とした。怒りに声は震え、セーラは支離滅裂な言葉を発していた。
「あのねぇ……蛍ちゃん」
「へへへっ。私のいう通りにしないと、絶対に魔物…なんとかかんとかっていって封印したりとかしないもんね」
 彼女はナマイキに、宣言をした。
 セーラは呆れて何もいう気もうせて、しばらく宙に浮いていた。そして、まぁいいでしょう、という気持ちを込めてタメ息をついた。

  どんな時にも、何かを悩んでいる時も、嬉しくって胸をわくわくさせている時も、絶対に夜は訪れる。しんと深い夜。そして人々を眠りに誘っていく。そして夢をみる。淡い夢。それはかけがえのないような、奇跡のような、なにげないような感じだ。螢はそうした気持ちを心にしまう。今やってきた夜も、朝も、すべてはいずれ夢になってしまうだろうから。
 蛍もそんな人間のひとりだ。彼女はパジャマ姿で、ど派手なパッション・ピンクのベットで寝ていた。もう時計の針は、午前三時三十五分三十二秒をさしていた。
「うーんチョコレートパフェ、シュークリーム。ああん、食べましょうよ、タキシート仮面様!」 

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沙弥2 緑川沙弥・さや好評アンコール連続ブログ連載小説3

2012年01月29日 12時07分02秒 | 日記
 東京での日々



  私が東京にきてから、もう数年が経つ。
 私こと、黒野ありさが東京にきたのは、高校を卒業して、大学に入ったくらいの時だから、黒野ありさは東京通って訳でもない。それどころか、私はまだまだ東京について知らないことの方が、多い。…原宿とか渋谷とか青山とかTDL(東京ディズニー・ランド)とか、それからそれから…。いっぱい知っているようでも、私はまだ無知で、『異邦人』って感じなのだ。『東京砂漠!』なんていう言葉があるけど、私の住んでいるのは下町のせいか、そんなに東京のひとが冷たいとかは感じない。
 きっと、冷たいのは東京人じゃなくて田舎からやってきた異国人(?)の方だろう。そういうひとは訛りや外見やらを気にするあまり、他人を思いやる余裕がなくなっているのだ。だから、冷たい態度をとる。それが、東京でのことだから、「東京のひとは冷たい」ってなっちゃうのだろう。私もそんな風になる時もある。反省すべき点だ。
 でも、そういう東京での日々も、また楽しい。

 私の父が始めた食堂も、けっこう客がくるようになっていた。
『黒野食堂』は、東京の下町にある大衆食堂だ。下町だから、なんというか田舎くさいっていうか醤油くさいっていうか…とにかくそんな感じの店である。けして、青山や渋谷にあるようなお洒落なフレンチ・レストランとかそういう店ではない。
 何度もいうが『大衆の食堂』なのだ。近所の学生やおっちゃんおばちゃんの食堂!だ。だから、けして食堂のラーメンとか定食も(値段が)高くない。そりゃあそうだ。値段が高けりゃお客さんがこなくなる。官僚とかが接待で行く『向島の料亭』じゃないんだから、値段が高くては客がこなくなるだけだ。そんなに高級で美味な料理を出す訳じゃないんだから。でも、けしてマズい料理を出す訳でもないけどね。
 一方的に私こと黒野ありさの話しをしてきたので、これからは主人公の緑川沙弥の話しもしようと思う。
 沙弥が執筆を続けたが『鳴かず飛ばず…』って話は前にした。しかし、彼女は『M田ショック』に次ぐショックを受けていた。(『M田ショック』とは、沙弥が作家になる前、どうしても出版したくって「小平」という作品をM新聞出版局第一編集部に送り、そこのM田という中年男に罵倒された事件をいう。彼女は「ひとの読む水準に達してないんだよ!」などと罵倒された。)
『M田ショック』パート2ともいうべきショック…『白戦ショック』である!
 今度は「ゴースト・ホテル」という作品を白戦社に送り、そこのH田均という男に、また、罵倒されたのだ。また、彼女は「ひとの読む水準に達してないんだよ!」などと罵倒されたのだ。この『白戦ショック』に彼女はしばらく打ちひしがれたとさやかは言ってた。 当然だろう。偉そうに、「ひとの読む水準に達してないんだよ!」などというのはM田だけだと思っていたからだ。M田は特殊な特異な人物だと思っていたところに、「いや、もっともっとM田ならぬH田もいるよ!」と頭をこづかれた思いだったに違いない。
 とにかく、私が知らない間に、緑川沙弥は『白戦ショック』という事件に遭遇していた。 その頃、私はそんなことなどつゆ知らず、ただキャンパス・ライフを謳歌していただけだった。でも、知らないのもムリもなく、だろう。なぜなら、緑川沙弥はそうしたことを一言もいわないからだ。…弱さを見せるのが嫌いな娘なのだ。負ずぎらいの娘なのだ。だから、そういう情報は私にはのちのちになってからしか手に入らない。くやしい。
 そういえば、なぜ彼女は東京に住まないのだろう。その方が便利なのに。
 これに対して緑川沙弥は、
「東京にいなくても地方でも仕事は出来るさ。今や、インターネットで世界中とつながる時代なんだぜ。SOHOでな」
 と言った。私はわからなかったので、「SOHOって?」ときいた。
「バカだね、ありさは…。SOHOっていうのはスモール・オフィス・ホーム・オフィスって意味だよ。つまり、コンピュータと回線さえあれば地方にいながらにして東京でもNYでもどこにでも繋げられるってことさ」
「でも、仕事にいくには東京に住んだほうが便利でしょ?」
「……う~ん、まぁな。でも、やっぱり東京はひとの住むところじゃねぇよ。遊ぶにはいいけどな。物価も高いし、ひとが蟻の巣ひっかきまわしたようにウジャウジヤいるだろ?そういうのって私はあんまり好きじゃないんだ」
「やっぱり米沢が好きってこと?」
「ちがうよ!」
 沙弥は言った。でも、私にはそれが嘘であることもわかっていた。あの娘は故郷が好きなのだ。私はなんとなく嬉しくなったのを覚えている。

 しばらくしてから、電話のベルがリーンとなった。
「はい、黒野です。あ! 沙弥?」
 それは沙弥からだった。
「よう、ブス!ひさしぶりだな」
 沙弥はアハハと笑った。
「うん。ひさしぶり。……何か用?」
「あのさ。明日、ちょっと仕事の打ち合わせで東京まで行くんだ」
「あ、そう。それで?」
「あぁ、それでお前ん家にいこうかな、と思ってさ。いいか?」
「うん!いいよ、おいで!」私は微笑って頷いた。
「うん。…とにかく」
「とにかく?」
 沙弥の声が元気で明るいものになった。「とにかく、お前、どうせ暇なんだろ?迎えにきてくれよな」
「『つばさ』でくるの?東京駅ね?……わかった」
 私はもう一度、弾かれたように頷いた。

  緑川沙弥は次の日の午前中の新幹線で東京駅に着いた。
 その日は、あまりいい天気とはいいがたいものだった。雲はどんよりとしていて、それでいて太陽の光もちらほら見えたりもする。
「おそいぞ、ブス」
 沙弥は駅に着いて少し待ったのか、そう悪態を私についた。
「ゴメン、ゴメン」
 私は笑った。
「笑いごとじゃないよ……迎えに来ないかと思った」
「そしたらどうしてた?泣いてた?」
「ばーか、私は幼児じゃないんだぞ」
「そうでしょうよ」私はもう一度笑った。そして「ひさしぶりに顔合わせたね。元気だった? 沙弥」と言った。
「見えば分かるだろ。それより腹減ったな。なんか食わせろ!」
「奢ってよ……作家先生なんでしょ?私はまだ学生なんだから」
「いやだね!」
 沙弥はニヤニヤ笑いながら私に言った。
「わかったわよ」私もニヤニヤ言った。「じゃあ、割り勘ね。牛丼でいい?」
「あぁ」
 こうして、私と沙弥は安っぽい牛丼屋へ入り、食べ、それからなんとなく映画を観た。その映画は、『マザー・テレサ』というドキュメンタリー映画だった。そう、97年9月5日に心臓病のために亡くなったマザー・テレサの映画だった。あの、『スラム街の聖女』である。
 あらすじはこんな感じだ。

 1997年9月5日、「スラム街の聖女」と呼ばれたマザー・テレサが心臓病のために亡くなった。この死はダイアナ元英国皇太子妃の死からわずか一週間後のことだった。
 マザーの持ち物はいつもサリーと草履だけ。なぜ、あれほどまでにマザーや仲間たちは貧困者に愛をあたえつづけることが出来たのか?その愛に迫るのが、このドキュメンタリー映画だった。
 マザー・テレサは1910年8月26日、マケドニアのスコピエに生まれた。明るく活発なこの少女は、ある本にであう。聖人フランシスコの話だった。そしてテレサ(本名・アグネス)は決心する。神に仕えようと。そして彼女は修道女となり、インドへ渡る。
 インドで教師としての数年間は、平和そのものだった。が、第二次世界大戦や内戦による飢饉で餓死者が多くでる。悩むテレサの耳に、そんな中、神の声がきこえる。「貧しいものを救え」。こうしてテレサは修道院を後にし、スラム街に。しかし、そこは予想以上の酷さだった。必死に貧困者救済に勤めるマザー・テレサには迫害がまっていた。しかし、マザーの献身的な活動をみて、批判者もしだいに矛をおさめていく。50年、『神の愛の宣教者会』設立。以後、『孤児たちの家』や『死を待つひとの家』『ハンセン病患者の家』をつぎつぎと設立していく。やがて半世紀、マザーはノーベル平和賞を受賞。しかし、マザーの活動にも終りがくる。後継者も次々と育ち、さらに活動しようとしていたやさきの1997年、マザーはこの世を去ってしまったのだ。
 マザーは言います。「この国のどこに飢えたひとが?この国のどこに裸のひとが?
 この国のどこに家のないひとが?と尋ねられます。
 いえ、この国にも飢えはあります。”一切れのパン”を求める飢えではなく、”愛を求める”激しい飢えです。心の飢えなのです。愛を与えられず、誰からも必要とされない心の飢え……これが一番の飢えなのです」
「与えなさい、心が痛むほどに…」 マザー・テレサ

 なんともいいようもない感動的なドキュメンタリー映画だった。私はいいようもないほど感動し感銘を受けた。でも、沙弥はそうでもないようだった。別に、彼女が冷たいから…ではないだろう。きっと、沙弥はこの映画を何度もすでに観ているからだ。
 そうに違いない。
 なにせ、緑川沙弥っていうのは、冷たい人間にみえて、実はそうではない。マザーみたいな活動にひと一倍共鳴したり感銘をしたりするほうなのだ。もちろん、顔や表情ではわからないけどね。でも、裏では人一倍感動するたちなのである。だから、この映画を初めてみた時、緑川沙弥は涙でうるうるしたに違いない。きっとそうだ!

「なかなか感動的な映画だったわね」
 私たちは映画館を出て、東京の街を歩いているところだった。私はふいにそう言った。「……あんなもの。お涙頂戴ものじゃねぇか」
 沙弥は冗談をいった。私は、
「じゃあ、つまらなかった?」と歩きながら、尋ねた。
「いや………まぁまぁかな」
「まぁまあ?」
「まあな」
 これじゃあ、会話になっていない。しかし、それはそれで楽しい思い出だった。
 しばらく歩いていると、偶然、父をみかけた。私と沙弥が帰ろうとオフィス街を歩いている時だった。ちょうど夕方で、暮れゆく太陽の赤色がビルの窓に反射して、辺りをセピア色に染めていた。
 交差点にはひとがどっと溢れ、信号が青になるのを待っていた。皆、せわしなく、きびしい顔をして、なんだか変だった。そんな時、現付きバイクに乗った私の父がそんな集団の横を通り過ぎた。きっと出前だ。私はそう思った。
 でも、それは不思議な光景でもあった。
 ほんの少し前、銀行マンだった頃の父も、交差点にたまっているエリートのひとりだったに違いない。まじめできびしい顔をして、信号待ちをしていたに違いない。
 しかし、いまは違う。もうそんなんじゃない。父はいい意味で違ってしまったのだ。へらへらとTVをみて笑ったり、ゴロゴロして欠伸したり、そんな風にかわった。もちろんエリートのほうがいいってひともいるだろう。だけど、私はいまの父のほうが好きだ。
 セカセカ働いて、いずれ過労で死ぬより、ラーメンや親子丼やらを作って680円や800円もらうほうが人間らしいではないか。私はそう思う。
 その時、信号がかわり、どっと人が流れた。私と沙弥も歩きだす。そうしながら私は考えた。
 その父と会社員やOL達とのすれ違いはほんの一瞬だったのに、父の変貌をかい間みせてくれた。それまでの、父の長い生活。私と母があのなつかしい田舎町で生活していたのと同じ時間、父はこの東京で呼吸していたのだ。仕事したり、ごはん食べたり、映画をみたり、同僚と赤ちょうちんにいったり、時には私と母を思い出したりして。
 その間に、父は、私や母のことを捨ててしまいたい、と思ったこともあったろうか?
 多分、あったに違いない。きっとあったろう。
 父も人間だから、ストレスやいやなものをももっていたに違いない。人間は誰でも人生の中において嫌な目にあう。そして、どうしようもないドロドロしたものを心に持つようになる。それは誰だって例外ではないのだ。
 だが、父はそれがいやだったのかも知れない。だから、「脱サラ」で食堂を始めたのだ。そして、私も父のように心のドロドロしたものを捨てたいと思っている。だから、とりあえず、他人には親切にしよう……そう思ってる。
「ねぇ、沙弥」私は言った。「これからどこ行く?」
「そうだな…東京ディズニーランドとか?」
「あはは…。ねぇ、ノーパンしゃぶしゃぶ行く? 沙弥」
「バーカ。…お前んちいこうぜ。汚ねぇ食堂にさ」
 ふたりはあははと笑った。で、私が、「ねぇ、沙弥。うちのお父さんね。きっとあんたの顔みたらきくわよ」
「なんて?」
「”コンパとかないのか?”って」
「”コンパ”?」
「そう」私は笑った。そして続けた。「お父さんのクセなのよ。女の子みるとコンパは?コンパは?っていうのが」
「ふ~ん。かわったオヤジだな」
 緑川沙弥は横顔のまま、微笑んだ。

 やがて、私と沙弥は下町にある『黒野食堂』に歩きついた。すると、
「やぁ、沙弥ちゃん、ひさしぶり」
「沙弥ちゃん、元気だった?」
 と、私の父と母が沙弥を出迎えた。
 ここでも外ヅラのいい沙弥は、
「おひさしぶりです。おじさん、おばさん。お世話になります」と深々と頭をさげた。
「うんうん。まぁ……ちらかってるけど、中に入って」
「はい」
 沙弥はもう一度頭をさげた。
「ところで……作家になったんだってね」
「えぇ、まぁ、一応」
「すごいね」父は感心した。そして、「じゃあ、印税ガッポリって訳だ」と言った。
「いえ。売れてないから……印税はまだですよ」
「ところで…」
「はい?」
「ところで…沙弥ちゃん。恋してる?」父は馬鹿なことをニコニコと尋ねた。そういえば、沙弥のボーイフレンドだった、あの小紫哲哉の死から、もう一年以上がたった頃だった。彼女に浮いた話しのひとつやふたつあってもおかしくない頃だった。
「してませんよ」沙弥はあははと笑った。
「そうか。そりゃあ寂しいね。コンパとかないの?」
 父は私の予想どおりに、沙弥にそうきいた。ので、私は、
「ほらね」と彼女にウインクして見せた。
 それに対して、緑川沙弥は苦笑するだけだった。

  次の日、沙弥は仕事を終えると、足速に新幹線で米沢へと戻った。
 米沢駅では、銀音寺さやかが沙弥を出迎えたという。そして、ふたりは歩きだした。自宅に向かって。ペンション『ジェラ』に向かって。

「おかえりなさい先生……お疲れでしょう?」
「いや、だいじょうぶだ」
「そうですか?……東京はどうでした?」
「まぁまあかな」
「そうですか。…ところで、今度は『オードリー・ヘプバーン』の伝記小説書いてらっしゃるんですよね?どうです、先生、執筆の調子は?」
 銀音寺さやかは興味深々に尋ねたという。それに対して、沙弥は、
「それはやめた!というより保留だ。…いまさら『オードリー・ヘプバーン』の伝記小説じゃあ、世間や文壇へのインパクトが弱いからな」と言った。
「インパクト?先生は、そんなものを執筆の基準に…?」
「なぜ悪い?!」沙弥はキッとした目で言った。「私は成功するためにやっているんだ。そのためにはなんだってやるぞ」
「はぁ……そうですか…」さやかはそう言うしかなかったという。
 やがてペンション『ジェラ』の看板が見える。ちょうどそんな時、沙弥はとんでもないことをしでかした。
「きゃあ」さやかは小さく悲鳴をあげて、真っ赤になった。沙弥がさやかのスカートをおもいっきりめくったのだ。通りすがりの男らはうれしそうにニタッと笑うと、そのまま通り過ぎてどこかへいってしまった。それからしばらくしてさやかが、
「なにするんですか、先生!パンツみられちゃったじゃないですか!」と真っ赤になりながら言った。それでも沙弥は気にもせず、無邪気に笑って、こういった。「けちけちしてんじゃねぇよ。みられてへるもんでもないだろう」
「そういう問題じゃありません」
「ばーか、パンツくらいでムキになんなよ」
 沙弥は横顔のまま笑った、という。                       


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沙弥2 緑川沙弥・さや好評アンコール連続ブログ連載小説1

2012年01月29日 12時02分30秒 | 日記





緑川沙弥<沙弥2>


         みどりかわ さや     さや2


                    total-produced&Presented&written by
                     midorikawa Washu
                             緑川 鷲羽






  愁いを含んだ初夏の光りが、米沢市の河川敷に照りつけていた。五月三日、米沢では「上杉祭り」で、「川中島の合戦」が繰り広げられていた。白スカーフ姿の上杉謙信役が白馬に跨がり、武田信玄の本陣へ単身襲いかかる。そして、太刀を振るう。軍配で防ぐ信玄(三太刀七太刀)…。それは、米沢市で行われる上杉祭りのハイ・ライトであった。
 緑川沙弥は、その模様を大勢の観客とともに、眺めていた。
 沙弥は合戦をみながらも、もどかしさを隠し切れず、唇を噛んだ。作家として認められない。そう思うと、寒くもないのに、身体の芯から震えが沸き上がってくる。沙弥の身体は氷のように硬直した。「…どうしたの?沙弥……具合悪いの?」母の良子が問うと、沙弥は「なんでもない…」と言った。
 それは、きらきらした輝くような表情だった。






         あらすじ


  物語は東京から始まる。この物語のストーリー・テラーの黒野ありさは、東京のある大学に通う女子大生だ。そして、彼女のふるさとにはひとりの友達がいた。それは、緑川沙弥という女の子だった。沙弥は文学賞に受かり、作家デビューが決まったラッキーな娘。 確かに、沙弥はいやな女の子だった。
 意地悪で、自分のことしか考えず、病弱なくせにいつも憎まれ口ばかりたたく。でも、だからといって沙弥はブスではなく、とても綺麗な外見をしていた。そんな外見とヤクザのような言葉使いは、とてもギャップがあった。
 ある日、作家を目指す沙弥が文学賞をとる。そして、上京。しかし、パティー会場で待ち受けていたのは、のちのライバル、朱美里(しゅ・みり)だった。在日韓国人の朱は、学歴のない沙弥をバカにする。対立する沙弥だったが、日本の文学賞の最高峰・青木賞を先にとったのは朱美里のほうだった。緑川沙弥は頑張って執筆を続けるが、まったく売れず、鳴かず飛ばずの日々。失意の彼女の元に、弟子になりたいという美少女が現れる。それから死んだ彼女の恋人・小紫哲哉にそっくりのボーイ・フレンドまで出来る。作家としてはイマイチだったが、緑川沙弥は努力を続ける。
 そして、遂に、沙弥は、日本の文学賞の最高峰・青木賞を取る。至福の時を迎える沙弥。だが、彼女は学歴がないために日本文壇から拒絶されてしまう。華やかな歓迎はただの儀礼で、沙弥を招待したのは地方の弱小学校や講演会のみだった。学界レベルで招待したのはひとつもなく、大学からの招待などひとつもなかった。学歴がないため…日本はそういうシステムになっていたのだ。
 緑川沙弥は努力を続ける。しかし、執筆する作品はまったく売れず、悔しがる沙弥。そんな中、彼女の病気は進行していく。そして彼女はついに長編作品を執筆する。「やりましたね、先生。これでノーヴェル文学賞よ!」「そりゃあいいな…」「乾杯といきましょう」。しかし………沙弥はそのまま倒れて、病院に担ぎ込まれて、志なかばで死ぬ。希望の光りが消える時。沙弥は死んでしまう。珠玉の作品を残して。

 影をひきずりながら常に光をもとめ、上を見つづけた緑川沙弥。その姿は、沙弥を拒絶した日本の姿と、しばしば重なって見えるのである。

                                   おわり




         沙弥のライバルと弟子



 私は、東京のある大学に通う、女子大生だ。
 この物語は、私こと黒野ありさがストーリー・テラー…つまり語り部となってストーリーが展開するファンタジー風少女小説である。例えば、赤毛のアンとか若草物語とかみたいな、ね。そして、主人公は、私のふるさとの米沢市に住む、緑川沙弥である。
 確かに沙弥は嫌な女の子だった。
 病弱なくせに憎まれ口ばかりたたき、気に入らないことがあると暴れる。まったくもって嫌な娘、そんな感じなのだ。「バカヤロー!」「死ね!」「くそったれめ」などと汚い言葉を平気でいう沙弥。でも、彼女には特技がある。それは作家としての能力だ。まぁ、わかりやすくいうと文章がうまい。その結果、なんとか努力して文学賞に当選したくらいだ。私はうっとりと思う。沙弥は天才だった。って。
 沙弥が書くのはおもに小説で、恋愛小説がおもだ。もちろんそれだけではなく、エッセイや国際ジャーナリズム関係のものも書いている。で、やっとこさ認められて賞をとった!……って訳。まぁ、やっとこれで沙弥も「作家先生」ってとこだ。でも、浮き沈みの激しい文学界、しかも最近の活字離れ、なかなかペイするのも容易ではあるまい。プロになったはいいが仕事がこないためにHな小説連載で食いつなぐ、などという作家先生にならなければいいが。『失楽園』とか『チャタレイ夫人』みたいな、どうしようもないエロ小説連載とか。まあ、沙弥はプライドが高いから、『失楽園』に対抗して『動物園』、などと書くことはないだろうけどね。でも、金に困ったら執筆したりして。
 なぜ私がこんなに彼女のことを知っているかというと、私は彼女の親友で高校の同級生だったらだ。(もちろん彼女のすべてを知っている訳ではないけどね)
 何度もいうが、私の名前は黒野ありさ。東京の某女子大学に通う女子大生だ。
 年は彼女と同じ十八歳。
 ルックスのことで言えば、私は沙弥に比べればあまりパッとしないが、それでもけっこう可愛い、と自分では思っている。自惚れかなぁ?
 そう、確かに沙弥は美しかった。
 黒色の長い髪、透明に近い白い肌、ふたえの大きな瞳にはびっしりと長いまつ毛がはえている。細い腕や脚はすらりと長く、全身がきゅっと小さくて、彼女はあどけない妖精のような外見をしていた。沙弥の嘆声な顔に、少女っぽい笑みが広がった。少女っぽいと同時に大人っぽくもある。魅力的な、説得力のある微笑だった。私はたちまち怪しんで、一歩うしろにさがった。なんであれ、沙弥の片棒をかつぐのはごめんだ。ただでさえ、私の魂はぼろぼろなのだ。ただ………沙弥は美人だわ。
 細い腕も、淡いピンク色の唇も、愛らしい瞳も、桜の花びらのようにきらきらしていて、それはまるでこの世のものではないかのようにも思えた。
 それぐらい沙弥は美しかったってことだ。
 沙弥は、観光と温泉でもっているような米沢市に住んでいた。米沢市で有名な人物といえば、越後の龍・上杉謙信、上杉景勝、智君・上杉鷹山、軍師・直江兼続、前田慶次、政宗そして町で美少女と有名だった『変人』の緑川沙弥。彼女は、しんと光る満月のようだった。私こと黒野ありさは、観光で静かに活動するような故郷・米沢市を離れて東京の大学に進学した。まぁ、父親の仕事の関係ってこともある。東京での生活もまぁまぁ楽しい。 しかし、一瞬だが、故郷が妙になつかしく恋しく感じることもある。そしてそこで暮らす、沙弥や緑川家の人々のことも。

 緑川沙弥が作家になろうと思ったのはいつ頃だったろう?
 私は前に聞いたことがある。すると彼女は、
「小学校の時に、図書館でゲーテの詩集を読んで、なにがしかのインスピレーションを受けてさ。それで「作家になろう!」って決めたんだ」
 と、にやりと言った。
「ゲーテ?」
「あぁ、そうだ」
 ゲーテの詩集を読んで「作家になろう」と思ったと平然と言ったのだ。だけど、私はそれはちょっと嘘っぽいと思う。だから、
「ゲーテって詩人(注・ゲーテは詩だけでなく小説、音楽、絵画、政治もした)でしょ?詩人じゃなくて作家ってどういうこと?」と尋ねた。
 すると沙弥は「詩じゃあペイしない」といった。
 だから私は「ペイって?」と尋ねると、
「ありさって馬鹿だねぇ。ペイっていうのは儲かるって意味の英語だよ。詩人では儲からないってことを私は言ってんの」
 といって沙弥は私をせせら笑った。
「作家ならペイするの?」
「まぁな」
 沙弥はにやりとして言った。

 しかし、あの病弱な沙弥が作家なんて、なんともピッタリきて笑ってしまう。
 病気がちであるからいつも部屋にいるかベットで横になっている。で、原稿用紙に向かってセッセと小説やらを執筆する、なるほど!って感じがする。
 彼女はちょっとしたことでもすぐ病気になる。冷たい風にちょっと吹かれただけでも、少し気温が高くなっただけでも、冷たい雨に濡れただけでも……すぐに具合が悪くなる。 そのため彼女の母親の良子おばさんは苦労を惜しまず何度も病院につれていき、ちやほやと甘やかし、沙弥はニーチェばりの薬づけで生意気な女の子に育った。しかし、なまじっか普通の生活ができる程度には体が丈夫なので、彼女は本当にわがままで生意気な女の子に育った。わがままで、甘ったれでズル賢い……といったところだ。ひとの嫌がることばかりして、自分のことしか考えない…と、まるで悪女のようだった。
 でも、だからといって彼女はブスではない。それは前述した通りだ。
 私の母は、緑川家の経営するペンション「ジェラ」の隣の家に住んでいた。
 良子おばさんのご主人、つまり沙弥たちの父親はもうすでに亡くなっていて、ペンションはおばさんがひとりできりもみしている。私の父親は東京に単身赴任しているエリート銀行マンだった。が、何を思ったのか、突然脱サラして東京で食堂を始めた。それで私だけでなく、母も東京にきていまでは三人で忙しくやってる、って訳。
 まあ、私は平凡な娘って訳である。
 しかし、沙弥は違う。彼女は平凡ではない。というより少し異常だ。
 緑川沙弥はよく暴れる、きれる、部屋のものを壊したりガラスを割ったりもする。たんに気にいらないといってだ。良子おばさんや彼女の妹のまゆちゃんほどではないが、私も緑川沙弥に被害にあったほうだ。ものを投げられたり、頭をゴツンとやられたり…。それで私が「なにすんのよ!」と怒ると、
「私の機嫌がわるい時に目の前にいるほうが悪い!」
 などとのたまう。どういう理屈だか。こういうのを『屁理屈』というのだ。
  私はよく故郷の米沢市を思い出したりもする。
 私の住んでいた家の自分の部屋の窓からはきらめくような風景がみえたものだ。
 すごく眺めがよくて、窓からはきらきらと輝く湖がみえる。湖は昼には太陽を浴びてきらきらと輝き、夜は月明りが映って輝くような、美しい湖だ。
 私はよく米沢の光景を思い出す。きらきらとした朝日が差し込んで湖が輝く光景を…。それはしんとした静けさの中にあったっけ。
「あたしが死んだら骨は湖にまけ!」といつだったか沙弥は言ってたが、気持ちはわかる。 彼女はよく男の子を騙して湖の前を散歩した。散歩というよりデートだ。とにかく「外ヅラ」だけはいい沙弥はよく男の子と仲よく歩くことが多かった。
 夕暮れ。セピア色が空や森や山々を真っ赤に染め、きらきらと輝く。沙弥はゆっくりゆっくりと歩く。そして、細く白い腕を伸ばす。男の子が彼女の手を取り、沙弥は白い歯をみせてにこりと微笑む。その光景は私にはなんだかとてもかけがえのないものにも思えた。彼女の本性を知っているはずの私の胸にさえ、深いところに響くような、しみわたるような、そんな光景にも思えた。
 緑川沙弥から電話がきたのは、ちょうど私が東京の自宅でそんな物思いに耽っている時だった。ある日、電話がリーンとなった。で、私は「はい、黒野です」と出た。
 すると病院から彼女は電話でいった。
「おい!驚け、ありさ。受かったんだ!」
「え?何に?」
「バーカ、決まってんだろ!文学賞だよ、文学賞にうかったんだ!」
「文学賞?」
「そう、『文学新人賞』だ!出版だよ、出版までが決まったんだよ!賞とってさ……これで作家デビューだ!」
「ほんとう?!おめでとう!」
 私は思わず嬉しくなって言った。声がうわずった。
 そうか!あの緑川沙弥もとうとう作家か。作家先生か…。なんだか胸にこみあげてくるものがあった。自分が賞をとったわけでもないのに、なんだか嬉しかった。
 そうか!あの緑川沙弥もとうとう作家か!彼女の努力が遂に実ったのだ!
「それでさ……ありさ」
「なあに?」
「東京なんていったことないから……駅に出迎えにきてくれよ」
「東京駅に?」
「あぁ。『つばさ』でいくからさ」
「いいけど、大丈夫なの?」
「なにが?」
「あんた病弱なんでしょ?途中で死んだりとかしない?」
「バーカ、何いってんだよ。………とにかく、出迎え頼むぜ。そしたらお前んちの汚ねえボロ食堂も見てみたいな。後、文学賞の受賞パーティにも付き合ってくれ」
「いいわよ」
 私はそう言った。
 なにが、「お前んちの汚ねえボロ食堂」よ!と言いそうになったが、やめた。私は無駄なことはしない主義だ。冗談でいってるんだろうし、あの沙弥は絶対にあやまったりしない娘なのだ。それは私が一番よく知っている。
 だから私は、
「とにかく、気をつけて来てね」とだけいったのだ。
「あぁ。とにかく嬉しいな。賞とったのも……ひさしぶりにお前に逢えるのも、な」
 沙弥はそういってから「冗談さ」と照れくさそうに笑った。
 まぁ、冗談でしょうよ、私も笑った。

  緑川沙弥が新幹線『つばさ』で上京するのは5月頃となっていた。その次の日に受賞パーティがあるのだという。それで、私は母親を誘って、わざわざ黒野食堂を閉めて、タクシーで東京駅までむかえにいった。私は母に、
「……お母さん、今日食堂閉めて。沙弥が東京にくるんだ。駅まで出迎え付き合ってよ」 と言った。
「…え? 沙弥ちゃんが?なんで東京に?」
「彼女ね、文学賞とったのよ!しかも大賞よ」
「へえ~っ、それはすごいわね」母は沙弥をほめた。
「だから一緒に、ね」
「はいはい、そういうことなら仕方ないわね」
 母は笑顔で答えたっけ。
  外に出ると、春だというのに外気がむっと暑かった。
 太陽のとても近い昼間頃だ。春だというのにぎらぎらした陽差しが照り付けて、アスファルトやビルに反射して、なんだか変な気分にもなっていた。
「よかったわね、沙弥ちゃん」
 東京駅に向かうタクシーの中で、母は微笑んだ。「ずうっと昔から作家志望だったものね」
「あれ?お母さん、なんで知ってるの?」
「そりゃあね、沙弥ちゃんにきいたのよ」
「いつ?」
「沙弥ちゃんが小学生の頃よ。「将来は何になりたいの?」ってきいたら「作家!」って言ってたもの」
「へえ~っ。じゃあゲーテの話し、知ってる?」
「まあね、あの話し、ちょっと嘘っぽいけどね」
 私たちはアハハと笑った。
 そして私と母のふたりは東京駅についた。
 凄いひとだ。夏休みでもないのに、しかも平日なのに、ラッシュのような混み具合だった。まぁ、私は大学までは自転車でいってるのでラッシュの満員電車とか、そういうのは知らないけどね。あと、列車でのチカンとか……。
「あいかわらず…すごいひとね」
 母は呆れていった。
「……ほんと」
 私はなんとなく同意した。
 あんまりすごい人ゴミで、沙弥がどこにいるのか分からないかも知れない。そう私は思った。そう思っていると、
「おーい!そこのブスのありさ!そこのブス!」
 と、聞き慣れた声がした。これは緑川沙弥の声だ。人の波の間から、沙弥の頭がぴょんぴょん飛び出していた。彼女は小柄だから、飛び上がらないとダメなのだ。
「よう、ブス!ひさしぶり!」
「沙弥!」
 こうして感動の再会(?)となった。
「よかったよ、出迎えにきてくれて。こないかと思った」
「あ!友達を信用してないな」
「まぁな、だってお前って性格もブスだろ?出迎えをスッぽかすんじゃないかってな。一瞬、そう思ったんだ」
「何いってんのよ、性格ブスはあんたでしょ」
「まぁな」
 私たちはアハハと笑った。
「あ!おばさん、こんにちは。おひさしぶりです」
 沙弥は頭を下げた。
「こんにちは、沙弥ちゃん。おめでとう、ね」
「ありがとうございます」
 沙弥はもう一度、頭を下げた。そして私たちは彼女を連れて、沙弥のいう『ボロ食堂…黒野食堂』へとタクシーで戻った。『黒野食堂』とは私の父が東京で始めた食堂だ。東京……とはいっても下町の方で、荒川の近くである。だから、お洒落なイタリアン・レストランとかフレンチ・カフェとか、そんなのとは一線をかくす。というより、『黒野食堂』とは単なる、大衆食堂で、近所のおっちゃんおばちゃんや学生らの食堂なのである。
 まぁ、確かに、『ボロ食堂』、だ。
 でも、まぁ、いいではないのって感じもするな私は。

  次の日の午前中に『受賞パーティ』が都内の某ホテルで行われるという。それで沙弥は私の自宅に泊まった。一銭でも浮かせようという、緑川沙弥のハイパー・どケチぶりが発揮されたようだ。まぁ、でも私はひさしぶりに彼女と一緒に眠って、おしゃべりして、とても楽しかった。

 次の日は午前中に都内の某ホテルで『受賞パーティ』が行われるということで、私も緑川沙弥も早めに起きて、パーティ・ドレスに着替えた。私は付き添いで、赤いドレス、沙弥のはパール・ホワイトのやつだ。くやしいけど、彼女は私より可愛かった。
 しかし、その時、誰が予想したろうか?『受賞パーティ』で、あの緑川沙弥の最大のライバル……朱美里(しゅ・みり)が登場しようとは……。
 朱美里(しゅ・みり)は在日韓国人の娘で、だいたい歳は緑川沙弥と同じくらいだ。新進気鋭の新人作家で、『家族の絆』だけが売りである。この後、日本文壇の最高頂『茶川賞』をとってからはもっといい気になって、「日本の教育の失敗は『家族の絆』が崩壊したからだ」とかなんとか評論家ばりに偉そうに主張するのだが、それは後述する。
 とにかく朱美里は、沙弥とくらべるとそんなに美人じゃない。キツネ目だし、面長の顔だし、性格の悪さは沙弥の方が上だけどね…。
 それよりなにより驚いたのは、新人文学賞の大賞が緑川沙弥だけでなく、この朱美里もだったことだ。つまり大賞は、同時受賞って訳で、なんだこりゃって感じなのだ。
 私たちがパーティ会場に入ると、みんなが沙弥の美しさにため息をもらした。確かに、沙弥は美しかった。隣にいると私なんかは引き立て役みたいで惨めなくらいだった。
「沙弥………皆、あんたに注目してるわよ」
 私がそういうと、彼女は、「人寄せパンダさ」と、訳のわからぬことを言った。
 私がクエスチョンな顔をしていると、「あなたが緑川沙弥ね」と、声をかける女の声があった。「え?」それが朱美里(しゅ・みり)だった。
「私と一緒に大賞取ったからっていい気にならないでね」
「いえ……私は黒野ありさ。緑川沙弥はこっち!」
 私は言った。すると、生意気な朱美里の態度に頭にきたのか、沙弥が、
「お前が、しゅ・みり…か?」と睨んできいた。
「そうよ。あんたみたいなのと一緒なんてヘドがでるわ。大学も出てないようなのと…」「なんだとこのアマッ…やんのか?!」
「暴力反対!…ですわ」
 パーティ・ドレス着ながらケンカはやめてよ…って私は思った。そして、とにかくこの瞬間から、緑川沙弥は朱美里(しゅ・みり)を徹底的に憎むようになった。
 宿命のライバルってところか、諸葛孔明と司馬仲達みたいな、っていってもわからないかな?もちろん、朱美里も沙弥を憎んでいたようだ。みればわかるか。
 とにかく、こうしてパーティは終わった。
 そして、後に残ったのは、単なる『憎しみ』だけだった。

  腹立たしい気持ちのまま、次の日、緑川沙弥は新幹線でふるさとの米沢市に帰ることになる。ここからずっと私が沙弥に付き添っていた訳ではない。だから、田舎での彼女の行動とかはのちに緑川沙弥の弟子になる、銀音寺さやか、や、沙弥の妹のまゆちゃんなどから聞いた話しを参照して書いているのでご了承のほどを。
 銀音寺さやか、って誰かって?
 それは後述する。                               


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沙弥 緑川沙弥・さや好評アンコール連続ブログ連載小説7

2012年01月28日 15時23分41秒 | 日記
 沙弥のボーイフレンド



  また、夏休みになった。
 ぎらぎらと太陽が照りつけてきて、外気がむっと暑かった。私の通う大学はけっこう休みが長い。7月の終り頃から9月中旬くらいまである。でも、アメリカの学校の夏休みは4ケ月あるわけだから、そんなに長いって訳でもないか。
 東京の夏はお祭りのようなにぎやかさだ。夏休みにはいった田舎の子供たちが親といっしょに『東京見物』に来るから、ますますひとでいっぱいになる。『東京タワー』『原宿』『東京ディズニーランド』。でも、それと同じくらい東京周辺の人は、外国にいったり、海にいったり、田舎へ帰省したり、ってこともあるから東京の街は観光地以外はガラガラになったりもする。
 かくゆう私も、田舎に帰省するひとりだ。沙弥と約束したのであの土地に戻る訳だが、実際には父の店が忙しいのでそんなに長く帰省するわけにはいかない。少しでもながくあの土地で生活していたいという気持ちもあるが、そういう訳にもいかない。むずかしいところだ。
 どうしてなんだろう?
 なつかしい山々や湖やらを汽車の窓越しにみると、昔から自分が外国からきたような気分になる。まったくこの土地を知らない人間のような、そんな気持ちだ。
 その街にずっと住んでいて、少し遠出して帰ってきた時なども、そんな気持ちになったりした。きっと、誰でも人間なんてひとりなのだ、ということがわかっていたせいだろう。
  私は新幹線であの懐かしいあの土地へと帰っていくところだった。
 田舎の県とはいえ、なんと、すでに新幹線が通っている。東京からはざっと2時間で着く。便利になったものだ。そして、その新幹線は「つばさ」と呼ばれていた。

 駅につくと、もうすっかり夕方だった。
 夕日が落ちようとしていて、空や山々をセピア色に染めていた。外は暑いのだろうが、新幹線の中はクーラーがききすぎているためか、寒いほどだった。ひさしぶりの田舎だ、そう思って駅のプラット・ホームにでた。すると、
 外気がむっと暑かった。
 この米沢という街は明らかに避暑地ではない。『夏暑く、冬寒い』という最悪の場所だ。なんと前まで日本で一番の『暑さ』を記録した地方の近くであり、冬には雪がたくさん積もる、という所なのだ。
 しかし、『住めば都』、とはよくいったもので、私は住んでいる時にはそんなに不便だとは感じなかった。それはそうだろう。ずうっとこの土地で暮らしてきたのだから。たとえ不便でも「これくらい当然よね」などと思うだけだったのだ。
  ゆっくりと歩いていって駅からでると、沙弥がすたすた歩いてきて、やぁ、よくきたなとも、何もいわずに
「遅いぞ、ブス」
 と言う……のだと思っていたが、違った。
 なんと!また、誰も迎えにきてない…。がっかり。
 まぁ、それも仕方ないのかも知れない。今日行く…とは電話でいったが、何時に着く…とは伝えなかったからだ。
 それで、仕方なく私はひとりで歩き始めた。
 もうすっかり辺りはセピア色だった。
 暮れ行く夕日が、山の間に見える。夏の雲も朱色に染まり、なんとなく静かな感じだった。ミンミンと蝉がうるさく鳴き、むっとした暑さだが、どこか心地好い感じもあった。これが私の故郷だ……そう思った。
 すぐに辺りは暗くなっていっていった。
 空には月がぽっかりとみえてきた。
 かなり暗い、湖にむかう道を、沙弥と犬のルーカスが歩いていた。ルーカスは白くて大きいセントバーナードのオスだ。ペンション『ジェラ』の前のジャリ道は、やがてちいさな森にぶつかる。その右向こうには湖が開け、月明りが青白くきらきらと輝きながらそんな夜の湖を光らせ、それはどこまでも続いているようにも見えた。きらきらと幻想的な湖。 私はちょうどそんな時、ペンション『ジェラ』に向かって歩いているところだった。なんとなくだが、あの沙弥とまた逢えるのはうれしくもあった。また、沙弥の妹のまゆちゃんにも逢えると思うと嬉しくもなった。
「なつかしいなぁ」
 道の横に向日葵や白い花がたくさん咲いていて夜風に揺れていた。なんとも幻想的な風景だった。私は、こんなに美しい光景を見るのもひさしぶりなこともあったので、つい言葉が口をついてしまっていた。
 蒼白い月明りが辺りを包み、少し淋しい感じもするが、私はなんとなくいいことがありそうな予感がして、少しばかりドキドキしていた。
 …それから「あ」と、私は息をのんだ。
 沙弥の真っ白いスカートが夏の風にはためく。
 そして、ニコリとも微笑まず、相変わらず無表情の彼女は闇にまばゆいばかりに浮かびあがってみえた。
 なんという偶然だろう。私は沙弥とバッタリであってしまったのだ。
「遅いぞ、ブス」
 と、私が考えていた通りに沙弥はニヤリとしてそう言った。
 父の仕事の関係で、私は東京へと引っ越し、それから、この土地を離れてしまってからは、彼女に逢うのは彼女が東京にきて以来だった。
「ひさしぶりね、沙弥」
 私はにこりと微笑んで言った。
「あぁ。なつかしいな。……元気だったか?」
「うん。そりゃあもちろん。沙弥は?」
 私はそう言って、すぐに「いうんじゃなかった」と心の中で思った。最後にあった頃にくらべると、沙弥はだいぶ痩せて元気がなかったからだ。どうも病気が進行しているようだ。
 それでも沙弥はニヤリと幸せそうに微笑んで、
「まぁな。元気さ」
 と、答えてくれた。最近涙もろくなっていた私は、淋しい気持ちを隠すかのように、
「きれいだねぇ」と言った。
「あ?何が?」
「あれよ!」
「なんだよ」
「あの月よ……蒼白く夜空にぽっかり浮かんでいてきれいでしょう」
「どこが?バカじゃないの?」
 と沙弥は言った。しかし、私には素敵な月に見えたのだ。
 暗い夜空にゆらゆらと浮かぶ月は、銀色に輝き、雲に隠れたり出てきたりする。なんともいい光景だった。蒼白い月明りが、夏の花や道や、沙弥の頬をいっそう青白く見せていた。
 すぐに私たちはペンションに向かって歩き始めていた。
「ねぇ、沙弥。小説書いてるの?」
「書いてるにきまってるだろう、作家なんだから」
「で?認められそう?」
「う~ん。まぁ、難しいところだ。出版がなかなか決まらないんだ」
「そう?」私はきいた。「売れないの?」
「まぁ。日本では活字離れがすすんでいるからな。なんたって一か月に一冊も活字本を読まないなんていうバカが大勢いるからな。それが一番ガッカリするね」
「ふ~ん」
 私は同情気味にいった。
 それから二人はしばし無言だった。しんとした寂しい気持ちで私は歩きつつ、沙弥のことについて考えていた。病弱なくせに作家になりたいって夢をもち、それにむけて努力し夢をかなえた沙弥。私が彼女と同じようだったら、私も努力できただろうか?そんな風に考えてしまった。それからペンションにつくまでなにを話したのかよく覚えてないけど、その夜の月や道に咲く花々ばかりが胸にしみついてくる感じは覚えている。
 やがて、ペンション『ジェラ』の看板の明りが光っているのが見える。私はなにか懐かしさと何かしっくりこないような感じを覚えた。それは、あまりにも昔のままだったからかも知れない。そう、なにもかも。だけど永遠なんてどこにもない。そう私が知るのはそんなに時間がかからなかったように思う…。
「おーい!ブスがついたぞ」
 沙弥は玄関を開けて言った。
 彼女がそういったとたん、私は現実に引き戻されたような気がした。犬小屋につながれたルーカスがワンワンと吠え、奥からは良子おばさんが、まぁひさしぶりありさちゃん、といい微笑みながらやってきた、まゆちゃんも顔を出して、あ、ありさおねえちゃん!と笑顔になった。なんとなくハーブくさいような、森の匂いをかいだら、なんだかドキドキした。
「良子おばさん、何か手伝いましょうか?」
「ううん、いいわ。ありさちゃんはお客さんだもの。沙弥たちとお茶でも飲んでゆっくりしてて」と私に微笑みを残して、良子おばさんは忙しい厨房へと去っていった。
 奥の部屋では、まゆちゃんがお菓子をパクつきながら、夕食を食べているところだった。「おい、まゆ。そんなに食べてるとブタみたいになるぞ」
 沙弥はニヤリと皮肉な笑みを浮かべていった。
「いいよ。そんなの」
「へん」まゆちゃんの言葉に沙弥は鼻を鳴らした。
「ねぇ、まゆちゃん」
「なあに?ありさお姉ちゃん」
「お土産があるの。まゆちゃんの大好きな、甘い甘いショートケーキ…。食べる?」
「わあっ!うん、食べる!」まゆちゃんは満天の笑顔になった。沙弥は、
「おいおい。そんなに食べると『トド』になるぞ、まゆ」と言った。
「トド?」
 まゆちゃんは目を点にした。
 私はフト窓の外を見た。星がきらきらとまばたぎ、月が暗闇にぽっかり浮かんでいる。その月明りをうけて、湖がきらきらと波うつ。森や湖の匂い、それらすべてがいつもと変わらない気がして、ぽーつとなっていた。ここで、この土地で生活していた毎日なんて、平凡そのものだった。朝起きて、夜眠って、食事をして、学校いって、森や湖をみて、沙弥や友達とおしゃべりをして、そんなことの繰り返しだった。でも、そんな平凡な毎日がひさしぶりにかえってきたようで、私はなんともいいようもない幸福な気持ちになった。 こうして、私の帰省の第一日目は終わった。

  はるか湖の彼方で、鳥の鳴き声がして、私はベットから出て窓の外を見た。朝もはやくて、辺りには白い霧がかかっている。ーすべてがあまりにも静かだった。
「起きたか、ブス」
 そんな声がきこえたので見下ろしてみると、沙弥がルーカスの首輪のひもをもったところであった。私は微笑んで、「おはよう、散歩にいくの?」と言った。
「みればわかるだろ」
「あ。待って!私もいくわ」私はそう言って素早く服を着替えると階段を降りていった。 それにしても沙弥はそんなに丈夫じゃない。散歩なんてして大丈夫だろうか。私はそっちの方が心配になったりもした。外はだいふ明るくなり、夏っぽさが満ちてくるようだった。「よし、いいか…」
 沙弥はルーカスをなでながら、なにやら語りかけているようだった。
「沙弥、ずいぶんと早起きね。いつもこんなに早いの?」
「まぁな。老人と同じさ。朝はやく起きるってのはな。後は『ゲートボール』でもやれば完璧だな」と彼女は笑った。
  散歩にでて歩き始めると、空はよりいっそう明るくなった。そして、みんみんと蝉の声もきこえた。それにしても、沙弥とルーカスは妙に仲良くなったものだ。私は感心した。 沙弥はあいかわらずルーカスに引っぱられながら、
「今日は疲れてるから、そんなに遠くにいかねぇよ」
 などと話しかけていた。
「沙弥、ずいぶんとルーカスと仲良くなったのね」私は歩きながら言った。
「仲良く?」彼女は皮肉な笑みを口元に浮かべた。「冗談じゃねぇよ。犬っころと仲良くなんてなるもんか!」
「なにそれ?照れてるつもり?」
「バーカ。そんなんじゃねぇよ」
 沙弥は横顔のまま言った。
 きらきらとした湖のはるか向うで、まるで爽やかな夏のメロディのように鳥や蝉が鳴いていて、そよ風が頬に当たった。それはあまりにも神聖なもののように思えた。そう、あの頃とまったく変わらないように思えた。
 しかし、ちょっとその日は違っていた。
 私たちが人通りのない湖ぞいの道を歩いていたある瞬間、不良かチンピラを絵に描いたような男たちが、私と沙弥の方をジッとイヤらしく見て話しているのに気付いた。確かにそいつらはあまり感じのいいとはおもえない。とてもチンピラ以外には思えない。見るからにいやらしい感じだった。性欲まる出し、って感じだ。
 私は一瞬、また?、いやだな、と思った。それは沙弥も同じだったようで、危険な気配を察知するように一瞬ビクっとして、それから平静をよそおって歩いていった。私たちはかなりいやな予感がして、無言のまま足速に通り抜けようとした。その時、ニヤニヤとしていた男の一人が急に踊るように近付いてきて、その後に同じような仲間が三、四人続いた。
 派手なシャツにサンダルばき、サングラスなどかけたりして、いかにもいやらしい。そいつらはスタスタやってきて、私たちの行く手を遮った。「へぇ。結構いけるやんけ」髭の男が言った。関西弁だった。
「なぁ、君たち地元の娘?」
「俺たち、車できたんや。一緒にドライブでもどうや?」
「いやだね!」
「…沙弥…。あの……もうし訳ありませんけど…けっこうです」私も沙弥もそいつらとあまり目をあわせないようにして足を速めて逃げようとした。が、チンピラたちはニヤニヤと私たちの前に踊り出て、本当に行く手を遮ってしまった。
「…なぁ、俺たちと茶でもせぇへんか?なんならホテルでもええけど…」
 私はここで弱腰になったらダメだと一瞬考えて、かなり動揺しているのにもかかわらず、平静をよそおってまっすぐに相手の目を見据えて、「どきなさいよ」とぃった。
「どきなさいよ……かぁ。へへへ…可愛いねぇ」男がいやらしく笑った。
「もう一度いいまっせ。俺らとドライブにいかんか?」
「いやだっていってんだろ!ルーカス、噛みつけ!」沙弥は怒鳴った。しかし、さすがにルーカスは男たちに噛みつかなかった。ただ、わんわん、と吠えただけだ。大事な時に役にたたない犬だ…。私はそう思った。
「やめなよ!嫌がってるじゃないか」ひとりの青年が不良たちの前にわってはいり、沙弥の肩にふれていた不良の手をはらいのけて言った。
「なんやてめえ!かっこつけやがって」不良たちはそう怒鳴った。そして、その青年とこ突き合いになった。私たちは心配そうに見ていた。本当に心配でどきどきした。
 しばらくすると、遠くから駐在さんが自転車に乗ってやってくるのが見え、不良たちは「くそっ!覚えてろよ」とほぞをかんだ後、あわてて逃げ出した。
 青年は微笑んで「大丈夫?怪我はなかった?」といった。私はそれから青年の顔を見て、どきりとなった。かっこいい。年は私たちと同じくらいか。すらりと細い長身にがっちりした肩、彫りの深い顔に、浅黒い日焼けした肌は爽やかで逞しい。短い髪も白いシャツも一分のすきもなくきまっていた。「あの…」
 私が声をかけようとする前に、沙弥が「ありがと。お前、名前なんていうの?」と聞いた。彼は、「俺は小紫哲哉っていうんだ。君たちは?」
「あたしは緑川沙弥。こっちのブスは黒野ありさ…だ」
「そう。よろしく。……あ!ごめん、俺急いでるんだ!またね」哲哉はそういって微笑んで遠ざかっていった。沙弥がしばらく上の空の様子だったので、私はふざけて、
「あの男の子に目をつけたんでしょ?」ときいた。それにたいして彼女は平然と、
「あいつ、ただ者じゃない」と言った。
「どこが?」
 私は尋ねたが、沙弥はそれっきり答えることもなかった。
 しかし、こうして沙弥は、その後、小紫哲哉と付き合うようになるのだった。
 しかし、それはまだ先の話しだ。





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沙弥 緑川沙弥・さや好評アンコール連続ブログ連載小説6

2012年01月28日 15時21分46秒 | 日記
 東京での日々



  私が東京にきてから、もう数年が経つ。
 私こと、黒野ありさが東京にきたのは、高校を卒業して、大学に入ったくらいの時だから、黒野ありさは東京通って訳でもない。それどころか、私はまだまだ東京について知らないことの方が、多い。…原宿とか渋谷とか青山とかTDL(東京ディズニー・ランド)とか、それからそれから…。いっぱい知っているようでも、私はまだ無知で、『異邦人』って感じなのだ。『東京砂漠!』なんていう言葉があるけど、私の住んでいるのは下町のせいか、そんなに東京のひとが冷たいとかは感じない。
 きっと、冷たいのは東京人じゃなくて田舎からやってきた異国人(?)の方だろう。そういうひとは訛りや外見やらを気にするあまり、他人を思いやる余裕がなくなっているのだ。だから、冷たい態度をとる。それが、東京でのことだから、「東京のひとは冷たい」ってなっちゃうのだろう。私もそんな風になる時もある。反省すべき点だ。
 でも、そういう東京での日々も、また楽しい。

 私の父が始めた食堂も、けっこう客がくるようになっていた。
『黒野食堂』は、東京の下町にある大衆食堂だ。下町だから、なんというか田舎くさいっていうか醤油くさいっていうか…とにかくそんな感じの店である。けして、青山や渋谷にあるようなお洒落なフレンチ・レストランとかそういう店ではない。
 何度もいうが『大衆の食堂』なのだ。近所の学生やおっちゃんおばちゃんの食堂!だ。だから、けして食堂のラーメンとか定食も(値段が)高くない。そりゃあそうだ。値段が高けりゃお客さんがこなくなる。官僚とかが接待で行く『向島の料亭』じゃないんだから、値段が高くては客がこなくなるだけだ。そんなに高級で美味な料理を出す訳じゃないんだから。でも、けしてマズい料理を出す訳でもないけどね。
 一方的に私こと黒野ありさの話しをしてきたので、これからは主人公の緑川沙弥の話しもしようと思う。
 沙弥が執筆を続けたが『鳴かず飛ばず…』って話は前にした。しかし、彼女は『M田ショック』に次ぐショックを受けていた。(『M田ショック』とは、沙弥が作家になる前、どうしても出版したくって「小平」という作品をM新聞出版局第一編集部に送り、そこのM田という中年男に罵倒された事件をいう。彼女は「ひとの読む水準に達してないんだよ!」などと罵倒された。)
『M田ショック』パート2ともいうべきショック…『白戦ショック』である!
 今度は「ゴースト・ホテル」という作品を白戦社に送り、そこのH田均という男に、また、罵倒されたのだ。また、彼女は「ひとの読む水準に達してないんだよ!」などと罵倒されたのだ。この『白戦ショック』に彼女はしばらく打ちひしがれたとさやかは言ってた。 当然だろう。偉そうに、「ひとの読む水準に達してないんだよ!」などというのはM田だけだと思っていたからだ。M田は特殊な特異な人物だと思っていたところに、「いや、もっともっとM田ならぬH田もいるよ!」と頭をこづかれた思いだったに違いない。
 とにかく、私が知らない間に、緑川沙弥は『白戦ショック』という事件に遭遇していた。 その頃、私はそんなことなどつゆ知らず、ただキャンパス・ライフを謳歌していただけだった。でも、知らないのもムリもなく、だろう。なぜなら、緑川沙弥はそうしたことを一言もいわないからだ。…弱さを見せるのが嫌いな娘なのだ。負ずぎらいの娘なのだ。だから、そういう情報は私にはのちのちになってからしか手に入らない。くやしい。
 そういえば、なぜ彼女は東京に住まないのだろう。その方が便利なのに。
 これに対して緑川沙弥は、
「東京にいなくても地方でも仕事は出来るさ。今や、インターネットで世界中とつながる時代なんだぜ。SOHOでな」
 と言った。私はわからなかったので、「SOHOって?」ときいた。
「バカだね、ありさは…。SOHOっていうのはスモール・オフィス・ホーム・オフィスって意味だよ。つまり、コンピュータと回線さえあれば地方にいながらにして東京でもNYでもどこにでも繋げられるってことさ」
「でも、仕事にいくには東京に住んだほうが便利でしょ?」
「……う~ん、まぁな。でも、やっぱり東京はひとの住むところじゃねぇよ。遊ぶにはいいけどな。物価も高いし、ひとが蟻の巣ひっかきまわしたようにウジャウジヤいるだろ?そういうのって私はあんまり好きじゃないんだ」
「やっぱり米沢が好きってこと?」
「ちがうよ!」
 沙弥は言った。でも、私にはそれが嘘であることもわかっていた。あの娘は故郷が好きなのだ。私はなんとなく嬉しくなったのを覚えている。

 しばらくしてから、電話のベルがリーンとなった。
「はい、黒野です。あ! 沙弥?」
 それは沙弥からだった。
「よう、ブス!ひさしぶりだな」
 沙弥はアハハと笑った。
「うん。ひさしぶり。……何か用?」
「あのさ。明日、ちょっと仕事の打ち合わせで東京まで行くんだ」
「あ、そう。それで?」
「あぁ、それでお前ん家にいこうかな、と思ってさ。いいか?」
「うん!いいよ、おいで!」私は微笑って頷いた。
「うん。…とにかく」
「とにかく?」
 沙弥の声が元気で明るいものになった。「とにかく、お前、どうせ暇なんだろ?迎えにきてくれよな」
「『つばさ』でくるの?東京駅ね?……わかった」
 私はもう一度、弾かれたように頷いた。

  緑川沙弥は次の日の午前中の新幹線で東京駅に着いた。
 その日は、あまりいい天気とはいいがたいものだった。雲はどんよりとしていて、それでいて太陽の光もちらほら見えたりもする。
「おそいぞ、ブス」
 沙弥は駅に着いて少し待ったのか、そう悪態を私についた。
「ゴメン、ゴメン」
 私は笑った。
「笑いごとじゃないよ……迎えに来ないかと思った」
「そしたらどうしてた?泣いてた?」
「ばーか、私は幼児じゃないんだぞ」
「そうでしょうよ」私はもう一度笑った。そして「ひさしぶりに顔合わせたね。元気だった? 沙弥」と言った。
「見えば分かるだろ。それより腹減ったな。なんか食わせろ!」
「奢ってよ……作家先生なんでしょ?私はまだ学生なんだから」
「いやだね!」
 沙弥はニヤニヤ笑いながら私に言った。
「わかったわよ」私もニヤニヤ言った。「じゃあ、割り勘ね。牛丼でいい?」
「あぁ」
 こうして、私と沙弥は安っぽい牛丼屋へ入り、食べ、それからなんとなく映画を観た。その映画は、『マザー・テレサ』というドキュメンタリー映画だった。そう、97年9月5日に心臓病のために亡くなったマザー・テレサの映画だった。あの、『スラム街の聖女』である。
 あらすじはこんな感じだ。

 1997年9月5日、「スラム街の聖女」と呼ばれたマザー・テレサが心臓病のために亡くなった。この死はダイアナ元英国皇太子妃の死からわずか一週間後のことだった。
 マザーの持ち物はいつもサリーと草履だけ。なぜ、あれほどまでにマザーや仲間たちは貧困者に愛をあたえつづけることが出来たのか?その愛に迫るのが、このドキュメンタリー映画だった。
 マザー・テレサは1910年8月26日、マケドニアのスコピエに生まれた。明るく活発なこの少女は、ある本にであう。聖人フランシスコの話だった。そしてテレサ(本名・アグネス)は決心する。神に仕えようと。そして彼女は修道女となり、インドへ渡る。
 インドで教師としての数年間は、平和そのものだった。が、第二次世界大戦や内戦による飢饉で餓死者が多くでる。悩むテレサの耳に、そんな中、神の声がきこえる。「貧しいものを救え」。こうしてテレサは修道院を後にし、スラム街に。しかし、そこは予想以上の酷さだった。必死に貧困者救済に勤めるマザー・テレサには迫害がまっていた。しかし、マザーの献身的な活動をみて、批判者もしだいに矛をおさめていく。50年、『神の愛の宣教者会』設立。以後、『孤児たちの家』や『死を待つひとの家』『ハンセン病患者の家』をつぎつぎと設立していく。やがて半世紀、マザーはノーベル平和賞を受賞。しかし、マザーの活動にも終りがくる。後継者も次々と育ち、さらに活動しようとしていたやさきの1997年、マザーはこの世を去ってしまったのだ。
 マザーは言います。「この国のどこに飢えたひとが?この国のどこに裸のひとが?
 この国のどこに家のないひとが?と尋ねられます。
 いえ、この国にも飢えはあります。”一切れのパン”を求める飢えではなく、”愛を求める”激しい飢えです。心の飢えなのです。愛を与えられず、誰からも必要とされない心の飢え……これが一番の飢えなのです」
「与えなさい、心が痛むほどに…」 マザー・テレサ

 なんともいいようもない感動的なドキュメンタリー映画だった。私はいいようもないほど感動し感銘を受けた。でも、沙弥はそうでもないようだった。別に、彼女が冷たいから…ではないだろう。きっと、沙弥はこの映画を何度もすでに観ているからだ。
 そうに違いない。
 なにせ、緑川沙弥っていうのは、冷たい人間にみえて、実はそうではない。マザーみたいな活動にひと一倍共鳴したり感銘をしたりするほうなのだ。もちろん、顔や表情ではわからないけどね。でも、裏では人一倍感動するたちなのである。だから、この映画を初めてみた時、緑川沙弥は涙でうるうるしたに違いない。きっとそうだ!

「なかなか感動的な映画だったわね」
 私たちは映画館を出て、東京の街を歩いているところだった。私はふいにそう言った。「……あんなもの。お涙頂戴ものじゃねぇか」
 沙弥は冗談をいった。私は、
「じゃあ、つまらなかった?」と歩きながら、尋ねた。
「いや………まぁまぁかな」
「まぁまあ?」
「まあな」
 これじゃあ、会話になっていない。しかし、それはそれで楽しい思い出だった。
 しばらく歩いていると、偶然、父をみかけた。私と沙弥が帰ろうとオフィス街を歩いている時だった。ちょうど夕方で、暮れゆく太陽の赤色がビルの窓に反射して、辺りをセピア色に染めていた。
 交差点にはひとがどっと溢れ、信号が青になるのを待っていた。皆、せわしなく、きびしい顔をして、なんだか変だった。そんな時、現付きバイクに乗った私の父がそんな集団の横を通り過ぎた。きっと出前だ。私はそう思った。
 でも、それは不思議な光景でもあった。
 ほんの少し前、銀行マンだった頃の父も、交差点にたまっているエリートのひとりだったに違いない。まじめできびしい顔をして、信号待ちをしていたに違いない。
 しかし、いまは違う。もうそんなんじゃない。父はいい意味で違ってしまったのだ。へらへらとTVをみて笑ったり、ゴロゴロして欠伸したり、そんな風にかわった。もちろんエリートのほうがいいってひともいるだろう。だけど、私はいまの父のほうが好きだ。
 セカセカ働いて、いずれ過労で死ぬより、ラーメンや親子丼やらを作って680円や800円もらうほうが人間らしいではないか。私はそう思う。
 その時、信号がかわり、どっと人が流れた。私と沙弥も歩きだす。そうしながら私は考えた。
 その父と会社員やOL達とのすれ違いはほんの一瞬だったのに、父の変貌をかい間みせてくれた。それまでの、父の長い生活。私と母があのなつかしい田舎町で生活していたのと同じ時間、父はこの東京で呼吸していたのだ。仕事したり、ごはん食べたり、映画をみたり、同僚と赤ちょうちんにいったり、時には私と母を思い出したりして。
 その間に、父は、私や母のことを捨ててしまいたい、と思ったこともあったろうか?
 多分、あったに違いない。きっとあったろう。
 父も人間だから、ストレスやいやなものをももっていたに違いない。人間は誰でも人生の中において嫌な目にあう。そして、どうしようもないドロドロしたものを心に持つようになる。それは誰だって例外ではないのだ。
 だが、父はそれがいやだったのかも知れない。だから、「脱サラ」で食堂を始めたのだ。そして、私も父のように心のドロドロしたものを捨てたいと思っている。だから、とりあえず、他人には親切にしよう……そう思ってる。
「ねぇ、沙弥」私は言った。「これからどこ行く?」
「そうだな…東京ディズニーランドとか?」
「あはは…。ねぇ、ノーパンしゃぶしゃぶ行く? 沙弥」
「バーカ。…お前んちいこうぜ。汚ねぇ食堂にさ」
 ふたりはあははと笑った。で、私が、「ねぇ、沙弥。うちのお父さんね。きっとあんたの顔みたらきくわよ」
「なんて?」
「”コンパとかないのか?”って」
「”コンパ”?」
「そう」私は笑った。そして続けた。「お父さんのクセなのよ。女の子みるとコンパは?コンパは?っていうのが」
「ふ~ん。かわったオヤジだな」
 緑川沙弥は横顔のまま、微笑んだ。

 やがて、私と沙弥は下町にある『黒野食堂』に歩きついた。すると、
「やぁ、沙弥ちゃん、ひさしぶり」
「沙弥ちゃん、元気だった?」
 と、私の父と母が沙弥を出迎えた。
 ここでも外ヅラのいい沙弥は、
「おひさしぶりです。おじさん、おばさん。お世話になります」と深々と頭をさげた。
「うんうん。まぁ……ちらかってるけど、中に入って」
「はい」
 沙弥はもう一度頭をさげた。
「ところで…」
「はい?」
「ところで…沙弥ちゃん。恋してる?」父は馬鹿なことをニコニコと尋ねた。彼女に浮いた話しのひとつやふたつあってもおかしくない頃だった。
「してませんよ」沙弥はあははと笑った。
「そうか。そりゃあ寂しいね。コンパとかないの?」
 父は私の予想どおりに、沙弥にそうきいた。ので、私は、
「ほらね」と彼女にウインクして見せた。
 それに対して、緑川沙弥は苦笑するだけだった。

  次の日、沙弥は仕事を終えると、足速に新幹線で米沢へと戻った。
 米沢駅では、銀音寺さやかが沙弥を出迎えたという。そして、ふたりは歩きだした。自宅に向かって。ペンション『ジェラ』に向かって。

「おかえりなさい先生……お疲れでしょう?」
「いや、だいじょうぶだ」
「そうですか?……東京はどうでした?」
「まぁまあかな」
「そうですか。…ところで、今度は『オードリー・ヘプバーン』の伝記小説書いてらっしゃるんですよね?どうです、先生、執筆の調子は?」
 銀音寺さやかは興味深々に尋ねたという。それに対して、沙弥は、
「それはやめた!というより保留だ。…いまさら『オードリー・ヘプバーン』の伝記小説じゃあ、世間や文壇へのインパクトが弱いからな」と言った。
「インパクト?先生は、そんなものを執筆の基準に…?」
「なぜ悪い?!」沙弥はキッとした目で言った。「私は成功するためにやっているんだ。そのためにはなんだってやるぞ」
「はぁ……そうですか…」さやかはそう言うしかなかったという。
 やがてペンション『ジェラ』の看板が見える。ちょうどそんな時、沙弥はとんでもないことをしでかした。
「きゃあ」さやかは小さく悲鳴をあげて、真っ赤になった。沙弥がさやかのスカートをおもいっきりめくったのだ。通りすがりの男らはうれしそうにニタッと笑うと、そのまま通り過ぎてどこかへいってしまった。それからしばらくしてさやかが、
「なにするんですか、先生!パンツみられちゃったじゃないですか!」と真っ赤になりながら言った。それでも沙弥は気にもせず、無邪気に笑って、こういった。「けちけちしてんじゃねぇよ。みられてへるもんでもないだろう」
「そういう問題じゃありません」
「ばーか、パンツくらいでムキになんなよ」
 沙弥は横顔のまま笑った、という。                       


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沙弥 緑川沙弥・さや好評アンコール連続ブログ連載小説1

2012年01月28日 15時12分17秒 | 日記





沙弥


          さや


                    total-produced&Presented&written by
                     midorikawa Washu
                             緑川 鷲羽






  愁いを含んだ初夏の光りが、米沢市の河川敷に照りつけていた。五月三日、米沢では「上杉祭り」で、「川中島の合戦」が繰り広げられていた。白スカーフ姿の上杉謙信役が白馬に跨がり、武田信玄の本陣へ単身襲いかかる。そして、太刀を振るう。軍配で防ぐ信玄(三太刀七太刀)…。それは、米沢市で行われる上杉祭りのハイ・ライトであった。
 緑川沙弥は、その模様を大勢の観客とともに、眺めていた。
 沙弥は合戦をみながらも、もどかしさを隠し切れず、唇を噛んだ。作家として認められない。そう思うと、寒くもないのに、身体の芯から震えが沸き上がってくる。沙弥の身体は氷のように硬直した。「…どうしたの?沙弥……具合悪いの?」母の良子が問うと、沙弥は「なんでもない…」と言った。
 それは、きらきらした輝くような表情だった。






         あらすじ


  物語は東京から始まる。この物語のストーリー・テラーの黒野ありさは、東京のある大学に通う女子大生だ。そして、彼女のふるさとにはひとりの友達がいた。それは、緑川沙弥という女の子だった。確かに、沙弥はいやな女の子だった。
 意地悪で、自分のことしか考えず、病弱なくせにいつも憎まれ口ばかりたたく。でも、だからといって沙弥はブスではなく、とても綺麗な外見をしていた。そんな外見とヤクザのような言葉使いは、とてもギャップがあった。
 そしてひと知れず執筆活動を続け、作家を夢みている。そんな彼女のことをありさはいろいろ思い出していた。外ズラのいい沙弥が男の子とデートしている場面。彼女とふたりでおこなった幽霊屋敷の探検。犬の散歩にきらきら輝く湖。自分が引っ越したくないといって沙弥に泣きついたこと…。
 都会での暮らしもまあまあだったが、ある日、ありさの元に沙弥から電話がある。「夏休み遊びにこい!」
 こうしてありさと彼女の忘れられない夏が始まる。
 チンピラにからまれていたありさや沙弥をたすけたのが哲哉だった。こうして哲哉と沙弥は仲良くなり、恋が芽生える。ジャズ祭りでも、どこでも一緒のふたり。だが、そんな時、哲哉はチンピラに刺されて死んでしまう。沙弥はナイフをもって復讐を誓う。一見それは簡単なことに思えたのだが…。沙弥は結局、チンピラどもを殺せなかった。そして彼女は入院。でも、彼女の作家デビューが決まりハッピー・エンドへ。

                                   おわり




         米沢と沙弥



 私は、東京のある大学に通う、女子大生だ。
 この物語は、私こと黒野ありさがストーリー・テラー…つまり語り部となってストーリーが展開するファンタジー風少女小説である。例えば、赤毛のアンとか若草物語とかみたいな、ね。そして、主人公は、私のふるさとの米沢市に住む、緑川沙弥である。
 確かに沙弥は嫌な女の子だった。
 病弱なくせに憎まれ口ばかりたたき、気に入らないことがあると暴れる。まったくもって嫌な娘、そんな感じなのだ。「バカヤロー!」「死ね!」「くそったれめ」などと汚い言葉を平気でいう沙弥。でも、彼女には特技がある。それは作家としての能力だ。まぁ、わかりやすくいうと文章がうまい。私はうっとりと思う。沙弥は天才だった。って。
 沙弥が書くのはおもに小説で、恋愛小説がおもだ。もちろんそれだけではなく、エッセイや国際ジャーナリズム関係のものも書いている。でも「作家先生」ではない。いわば「作家もタマゴ」。でも、浮き沈みの激しい文学界、しかも最近の活字離れ、なかなかペイするのも容易ではあるまい。プロになったはいいが仕事がこないためにHな小説連載で食いつなぐ、などという作家先生にならなければいいが。『失楽園』とか『チャタレイ夫人』みたいな、どうしようもないエロ小説連載とか。まあ、沙弥はプライドが高いから、『失楽園』に対抗して『動物園』、などと書くことはないだろうけどね。でも、金に困ったら執筆したりして。
 なぜ私がこんなに彼女のことを知っているかというと、私は彼女の親友で高校の同級生だったらだ。(もちろん彼女のすべてを知っている訳ではないけどね)
 何度もいうが、私の名前は黒野ありさ。東京の某女子大学に通う女子大生だ。
 年は彼女と同じ十八歳。
 ルックスのことで言えば、私は沙弥に比べればあまりパッとしないが、それでもけっこう可愛い、と自分では思っている。自惚れかなぁ?
 そう、確かに沙弥は美しかった。
 黒色の長い髪、透明に近い白い肌、ふたえの大きな瞳にはびっしりと長いまつ毛がはえている。細い腕や脚はすらりと長く、全身がきゅっと小さくて、彼女はあどけない妖精のような外見をしていた。沙弥の嘆声な顔に、少女っぽい笑みが広がった。少女っぽいと同時に大人っぽくもある。魅力的な、説得力のある微笑だった。私はたちまち怪しんで、一歩うしろにさがった。なんであれ、沙弥の片棒をかつぐのはごめんだ。ただでさえ、私の魂はぼろぼろなのだ。ただ………沙弥は美人だわ。
 細い腕も、淡いピンク色の唇も、愛らしい瞳も、桜の花びらのようにきらきらしていて、それはまるでこの世のものではないかのようにも思えた。
 それぐらい沙弥は美しかったってことだ。
 沙弥は、観光と温泉でもっているような米沢市に住んでいた。米沢市で有名な人物といえば、越後の龍・上杉謙信、上杉景勝、智君・上杉鷹山、軍師・直江兼続、前田慶次、伊達政宗そして町で美少女と有名だった『変人』の緑川沙弥。彼女は、しんと光る満月のようだった。私こと黒野ありさは、観光で静かに活動するような故郷・米沢市を離れて東京の大学に進学した。まぁ、父親の仕事の関係ってこともある。東京での生活もまぁまぁ楽しい。 しかし、一瞬だが、故郷が妙になつかしく恋しく感じることもある。そしてそこで暮らす、沙弥や緑川家の人々のことも。

 緑川沙弥が作家になろうと思ったのはいつ頃だったろう?
 私は前に聞いたことがある。すると彼女は、
「小学校の時に、図書館でゲーテの詩集を読んで、なにがしかのインスピレーションを受けてさ。それで「作家になろう!」って決めたんだ」
 と、にやりと言った。
「ゲーテ?」
「あぁ、そうだ」
 ゲーテの詩集を読んで「作家になろう」と思ったと平然と言ったのだ。だけど、私はそれはちょっと嘘っぽいと思う。だから、
「ゲーテって詩人(注・ゲーテは詩だけでなく小説、音楽、絵画、政治もした)でしょ?詩人じゃなくて作家ってどういうこと?」と尋ねた。
 すると沙弥は「詩じゃあペイしない」といった。
 だから私は「ペイって?」と尋ねると、
「ありさって馬鹿だねぇ。ペイっていうのは儲かるって意味の英語だよ。詩人では儲からないってことを私は言ってんの」
 といって沙弥は私をせせら笑った。
「作家ならペイするの?」
「まぁな」
 沙弥はにやりとして言った。

 しかし、あの病弱な沙弥が作家なんて、なんともピッタリきて笑ってしまう。
 病気がちであるからいつも部屋にいるかベットで横になっている。で、原稿用紙に向かってセッセと小説やらを執筆する、なるほど!って感じがする。
 彼女はちょっとしたことでもすぐ病気になる。冷たい風にちょっと吹かれただけでも、少し気温が高くなっただけでも、冷たい雨に濡れただけでも……すぐに具合が悪くなる。 そのため彼女の母親の良子おばさんは苦労を惜しまず何度も病院につれていき、ちやほやと甘やかし、沙弥はニーチェばりの薬づけで生意気な女の子に育った。しかし、なまじっか普通の生活ができる程度には体が丈夫なので、彼女は本当にわがままで生意気な女の子に育った。わがままで、甘ったれでズル賢い……といったところだ。ひとの嫌がることばかりして、自分のことしか考えない…と、まるで悪女のようだった。
 でも、だからといって彼女はブスではない。それは前述した通りだ。
 私の母は、緑川家の経営するペンション「ジェラ」の隣の家に住んでいた。
 良子おばさんのご主人、つまり沙弥たちの父親はもうすでに亡くなっていて、ペンションはおばさんがひとりできりもみしている。私の父親は東京に単身赴任しているエリート銀行マンだった。が、何を思ったのか、突然脱サラして東京で食堂を始めた。それで私だけでなく、母も東京にきていまでは三人で忙しくやってる、って訳。
 まあ、私は平凡な娘って訳である。
 しかし、沙弥は違う。彼女は平凡ではない。というより少し異常だ。
 緑川沙弥はよく暴れる、きれる、部屋のものを壊したりガラスを割ったりもする。たんに気にいらないといってだ。良子おばさんや彼女の妹のまゆちゃんほどではないが、私も緑川沙弥に被害にあったほうだ。ものを投げられたり、頭をゴツンとやられたり…。それで私が「なにすんのよ!」と怒ると、
「私の機嫌がわるい時に目の前にいるほうが悪い!」
 などとのたまう。どういう理屈だか。こういうのを『屁理屈』というのだ。
  私はよく故郷の米沢市を思い出したりもする。
 私の住んでいた家の自分の部屋の窓からはきらめくような風景がみえたものだ。
 すごく眺めがよくて、窓からはきらきらと輝く湖がみえる。湖は昼には太陽を浴びてきらきらと輝き、夜は月明りが映って輝くような、美しい湖だ。
 私はよく米沢の光景を思い出す。きらきらとした朝日が差し込んで湖が輝く光景を…。それはしんとした静けさの中にあったっけ。
「あたしが死んだら骨は湖にまけ!」といつだったか沙弥は言ってたが、気持ちはわかる。 彼女はよく男の子を騙して湖の前を散歩した。散歩というよりデートだ。とにかく「外ヅラ」だけはいい沙弥はよく男の子と仲よく歩くことが多かった。
 夕暮れ。セピア色が空や森や山々を真っ赤に染め、きらきらと輝く。沙弥はゆっくりゆっくりと歩く。そして、細く白い腕を伸ばす。男の子が彼女の手を取り、沙弥は白い歯をみせてにこりと微笑む。その光景は私にはなんだかとてもかけがえのないものにも思えた。彼女の本性を知っているはずの私の胸にさえ、深いところに響くような、しみわたるような、そんな光景にも思えた。
 緑川沙弥から電話がきたのは、ちょうど私が東京の自宅でそんな物思いに耽っている時だった。ある日、電話がリーンとなった。で、私は「はい、黒野です」と出た。
 すると病院から彼女は電話でいった。
「おい!ありさ。夏休みあるか?」
「え?まあ」
「じゃあ、夏休み米沢に遊びに来い!お前にちの汚ねえボロ食堂からさ」
「いいわよ」
 私はそう言った。
 なにが、「お前んちの汚ねえボロ食堂」よ!と言いそうになったが、やめた。私は無駄なことはしない主義だ。冗談でいってるんだろうし、あの沙弥は絶対にあやまったりしない娘なのだ。それは私が一番よく知っている。
 まぁ、冗談でしょうよ、私は笑った。


  外に出ると、春だというのに外気がむっと暑かった。
 太陽のとても近い昼間頃だ。春だというのにぎらぎらした陽差しが照り付けて、アスファルトやビルに反射して、なんだか変な気分にもなっていた。
「よかったわね、沙弥ちゃん。元気で」
 東京駅に向かうタクシーの中で、母は微笑んだ。「ずうっと昔から作家志望だったものね」
「あれ?お母さん、なんで知ってるの?」
「そりゃあね、沙弥ちゃんにきいたのよ」
「いつ?」
「沙弥ちゃんが小学生の頃よ。「将来は何になりたいの?」ってきいたら「作家!」って言ってたもの」
「へえ~っ。じゃあゲーテの話し、知ってる?」
「まあね、あの話し、ちょっと嘘っぽいけどね」
 私たちはアハハと笑った。
 そして私と見送りの母のふたりは東京駅についた。
 凄いひとだ。夏休みでもないのに、しかも平日なのに、ラッシュのような混み具合だった。まぁ、私は大学までは自転車でいってるのでラッシュの満員電車とか、そういうのは知らないけどね。あと、列車でのチカンとか……。
「あいかわらず…すごいひとね」
 母は呆れていった。
「……ほんと」
 私はなんとなく同意した。

                      

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震災から11か月 東日本大震災からの復興「廃炉」まで30年

2012年01月27日 08時42分30秒 | 日記
「東日本大震災」 
 
放射能汚染は深刻ですね。除染には2014年3月までかかるそうです。それだけ汚染は深刻だ、ということですね。①汚泥(おでい)は東京下水だけで160トン・13都県6万9000t。②家庭用ごみ7県で1万5400トンです。焼いても沸騰させても放射性セシウムは減らないからたまるのです。今は原発から放射能汚染物質はでていません。国は8000ベクレル以下は埋め立ててもかまわないという方針です。が、また子持ちの母親の涙のプロパガンダで反対され「埋め立て」は進んでません。ちなみに1ベクレルは0.0001ミリシーベルトです。ごみを分担sるから「絆」ではなく東北地方にゴミ処理場や電力施設をつくって復興を図るべきです。東京電力は政府から9808億円の大借金をして、「2011年度の賠償金」を払いかえしていく予定です。政府は福島第一原発事故の「廃炉」まで30年かかると明らかにしました。やっぱりね。復興債の償還は25年間だという。また福島第一原発の2号機が一時臨界になり微量のキセノン(放射性物質)が検出されたという。震災で転校が2万5025人で7割が福島であるという。2011年3月11日の東日本大震災では義援金が3245億円が集まったが1109億円が渡っていない。義援金は税金ではないので政治家や官僚が配っている訳ではないのです。それぞれ国レベルの配分委員会(堀田力会長、プール金363億円)で被災者・原発避難者(避難地区認定住民のみ)・家が半壊または全壊したひと(家が壊れない被災地は☓)に渡される訳です。国単位の委員会から県単位の配分委員会(プール金403億円)にいき市町村単位の委員会(プール金343億円)から被災者に渡る。一家族に110万円から51万円くらい。募金では税金ではないので救えないのです。困っているひとの「一息」のためが義援金です。 9・11米国同時多発テロ事件から10年、東日本大震災から半年。米国ではアルカイダによる米国国内のテロの信ぴょう性の高い情報があるという。何も起こらないといいね。ただ、言っておくが我々が戦っているのはアルカイダなどのテロリスト集団でイスラム教徒ではない。9・11に歴史的必然などない。「脱原発」はテロリストレベルだと思います。3年間原発を一切使わなければ日本の産業はどうなりますか?一部の人は(1)世界唯一の被爆国日本こそ「核なき世界」を(2)再生可能エネルギーを国家戦略とすべき、と思っている。子供を抱えた母親の涙でプロパガンダですか?何度も言うが「原発の30%」は太陽光発電システムや風力発電ではカバー出来ない。結局火力に特価して電力料金値上げ電力不足で産業空洞化です。アメリカの国債が「Aaa(トリプルエー)」から「Aa+(ダブルエープラス)」に格下げになった。世界同時株安です。ですが米国が2013年までゼロ金利政策を続けると政策を発表して、世界同時株安は一服です。東証359円安、株価9300円割れです。心配していた「二番底」ですか?ここでは原子力発電と核兵器について述べます。「東日本大震災」復興財源と節電策。123号機はやはり炉心融解でした。浜岡原発停止「支持」は66%「原発全廃」は12%です。1号機の二重扉を開放し作業員が建家内部で作業しましたね。政府は30年以内にM8クラスで87%で起こるとされる東海大地震の対応として、静岡の中部電力浜岡原発の4号機5号機や全炉の停止(3670万KW)を決定した。(1号機2号機は廃炉、3号機は検査調整中)東北山形秋田新幹線全線開通。政府は「東北自動車道」の無料化です。原発賠償「交通費・宿泊費」「放射能検査料」「失業保証」「家畜の保証」「健康被害賠償」「計画停電」は何だったのですか?「計画停電」で信号や照明、店、工場がとまり経済観光をズタズタにしたのは明らかな「人災」です。消費者物価指数が下落したのも「人災」。政府はもっとちゃんとした判断をしてほしい。阿呆なら阿呆なりに「余計なこと」をしないで欲しい。クーラーは高いというがガスや灯油のほうが安くすむようになった。電気の冷暖房の方がお得。自粛は☓。お金はつかったほうが被災地の為になる。消費すると消費税と被災地の復興需要になる。56万人も宿泊場キャンセルだ。2ヶ月から6ヶ月間はステップ①準備作業、放射線量の測定方法検討。ステップ②冷却・放出の抑制、土地・家屋の計測・除染。現在2ヶ月の住宅などの建築期限を最長8ヶ月延長し、各地の農家を集約して、対規模化。東北地方を「食糧保管地区」へ。政府が土地を買いあげて高台に開発はコストが高いがやらねばならぬ。地震保険の支払が1854億円、東電の賠償金は8.3兆円だといいます。まあ、電気料金値上げと国からの公的資金導入でしょうね。原発から20Km圏内が「警戒地域」に指定されました。「警戒地域」とは罰金罰則があり、10万円以下もしくは拘束ですね。「震災復興賠償機構」が設立です。死者の9割が水死で、被災3県の60歳以上65%の死者もそういう老人であったそうです。汚染水の移送も開始されました。原発の炉心内部にロボットを搭載し、炉心内部が1時間あたり65mSv(ミリsh-ベルト)であると検知した。岩手県の地震と津波で壊滅した300Kmは「災害危険地域」に指定、政府も「原子力政策」を再検討するそうです。東電の石田顧問が辞任しました。半世紀にのぼる「天下り」の批判を受けてのことです。東電や原子力保安委員は放射線抑制まで6ヶ月から9ヶ月かかると発表しました。これで年内避難解除は困難になりました。2011年4月15日千葉県浦安にあり「液状化」の被害を受けていた東京ディズニーランドが一ヶ月ぶりで再開された。東北地方の宿泊施設では風評被害で39万人(うち6割外国人)ものひとがキャンセルしたといいます。気象庁は数ベクレルの放射線ヨウ素131が標高20mから500mで検出されたと発表した。こうなると浪江町や飯舘村は「安全です」とは言いにくい状態ですね。だが、原発から30Km内の500ミリシーベルト(mSv)とは1年間浴び続けて1万人に1人が癌になる、という程度です。過剰反応は駄目です。落ち着いて。あと「東日本大震災」という名称が外国人に混乱を与えています。「東日本大震災…日本の東側全部被災したのか?」というのです。名称変更がベストです。「復興構想会議」の五百旗頭真議長は「復興税」を提案してますね。なお「「義援金」「支援金」「寄附金」の違いは?」ですが「義援金」は被災者に直接渡る金で、「支援金」はボランティア活動の財源や支援物資や治療費などで、「寄附金」とはその都道府県の被災地のインフラやライフラインの復興やメンテナンスに遣われるお金です。義援金は大体「日本赤十字社」や「国連WFP協会」によって集められ被災地役所の「義援金配分委員会」に行き、そこから市町村役場→個人口座(あるいは直接支給)です。とにかく「罹(り)災証明」が必要なんですが、家や証明書すべて津波で流されて「本人確認」が出来ないというので「罹災証明」なしでも支給しようと決まりました。死者・行方不明35万円、家屋全焼全壊1戸35万円、半壊18万円、原発被害1戸100万円で、被害総額は25兆円になりそうです。第一次補正予算(5月)には4兆円だす(子ども手当なしに、高速道路無料化なしに、予算削減、年金半分税負担なしに)。増税は確かにすぐ出る金ではありません。法案を通すまででません。ですが900兆円も借金があるのにまた「赤字国債」ですか?日本国債の暴落の危険があり私は反対です。復興国債(2年から10年で元本返済(普通の国債は60年で元本返済ルール))しかないですね。その際「日銀」が買っては駄目。金融機関でないと。「復興税」というか被災地以外で10年間限定消費税2%(40兆円)増税です。また原発ですが今は更なる「水素爆発」を防ごうと「窒素」を炉心内部に注入しているところです。だが、ストロンチウムという放射線まで検知されました。ストロンチウムはカルシウムのように人骨に浸透する放射線です。チェルノブイリ事故では放射能汚染は10日間で520テラベクレル、福島第一原子力発電所事故では一ヶ月で63テラベクレルです。風向きによりあらたに福島県川俣町、飯舘村、南相馬市、田村町にも避難指示であるという。ちなみに「避難地区」は法的拘束力がない。「警戒地域」なら法的拘束力があり罰金もある。「電力ピークの夏が危ないなら4月5月6月に電気を貯めていればいいのでは?」は「電気」は貯められないのです。乾電池も「電気を貯めているのではなく元素反応で発電している」だけです。大きな乾電池が「発電所」という訳です。1987年7月24日の「大東京都心部大停電」の二の舞は避けたい。震災から1ヶ月以上過ぎればこんどは「心のケア」だ。欝、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、不眠、悪夢、生活やお金、病気…まだまだこれからだ。ボランティアさんは「自己完結型」で被災地にいってください。食料も水もテント、車、被災民に迷惑にならないで「お役に立つ」仕事をしてください。2000万トンの瓦礫を分別・撤去・処分するのに最低でも5年はかかるそうです。瓦礫処理代は3000億円、道路・港湾整備に1.3兆円です。トモダチ作戦には68億円かかったそうです。ちなみに「余震はいつまで続くの?」という質問ですが、何十年と弱まりながら続きます。震度0という微弱な地震が阪神淡路大震災の神戸地方ではまだ余震があるという。マスコミの広報でおなじみになったメガネの中年のおじさん・西山秀彦さんは経済産業省でTPPに関して担当していた方です。前任者の中村氏、根井(ねい)氏は専門家でしたが、専門的過ぎて説明がわからないと移動になりました。現在原発の処理班は257名です。東京電力社員207人、関連会社社員50名で免震重要棟というところでパンやレトルト食品を食べながら通路に雑魚寝して頑張っています。「原発はいつ終結するの?」は、せいぜい10年から20年です。ですが、日本の技術力は災害後わずか6日間で870Kmもの寸断された道路を復旧させたことです。それというのも「災害対応対策協定」というのをゼネコンや中小土木業者と協定を結んでいたからに他なりません。また「品薄」ですが確かに「納豆」「ヨーグルト」「牛乳」「ペットボトル水」「ビデオテープ」「紙おむつ」がないですが、「買い占め」というよりは容器の石油原料が足りないのと「計画停電」のせいです。教育の遅れも深刻です。震災孤児は阪神淡路大震災の64人を上回る150人以上だそうですね。政府は農作物・コメの作付け制限を実施、「原発事故での放射能汚染には賠償金を払う」と決めました。東京電力は当分の間「計画停電」を実施しない予定です。福島第一原子力発電所事故が長期戦となるとして20キロ圏の住民の一時帰宅在を政府が認めました。海水の放射性ヨウ素の濃度が通常の14万倍で、震災転校は1万1000人、一時補正4兆円、支援額1兆円だそうです。日米軍による「オペレーション・トモダチ(トモダチ作戦)」が終了しました。これから2、3ヶ月はボランティアさんが大勢きて「瓦礫の撤去」「掃除」「遺体捜索」「ペットの世話」などマンパワーが必要だが1年、3年となってくると「心のケア」「生活相談」「うつ病」「不眠」「PTSD」「猛暑」など精神科医や主婦やケア・マネージャー、ボランティア・コーディネーターが必要になる。ちなみにですが「4号機はメルトダウンしてないの?」は、4号機は地震津波時に休炉中で炉心に燃料棒そのものがない為、(使用済み核燃料棒以外では)危険が少ないということです。メルトダウンでプルトニウムや放射性ヨウ素・放射線セシウムが検知されたということは、「炉心の下」か「配管」か「サプレッション・プール」かにヒビがはいっていて漏れ出しているのですね。今、「集中環境室」に低濃度放射能汚染水が溜まっていて、高濃度放射能汚染水を入れたい為に海に仕方なく放出したのです。「苦悩の内陸部避難」が始まりました。宮城南三陸町、岩手県・宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市などの避難民が内陸部に「集団避難」しました。今、汚染水が直接海に流れている状態でした。ピット(電源ケーブル収納施設)に亀裂があり1000mSv/hの放射性ヨウ素が出ていました。一回コンクリートで固めて亀裂を埋めようとしたが失敗、高分子ポリマーという水をジェル状にするものを注入し、その後コンクリートを注入しましたが失敗。2011年4月6日早朝、2号機のピット(立て杭)から海に漏れていた高濃度放射能汚染水が、水ガラスという物質を注入したことにより海への流出が止まりました。これは一端の朗報です。 「大規模停電」を防ぐ為の「計画停電」は愚策である。しかも「計画停電」は栃木や埼玉、静岡という「田舎」ばかり…。「節電」というなら何故「東京26区」はダメなのだ?品川区や新宿区一回「計画停電」で神奈川県全体分ではないか。ならどうすればいいかをこの「プランナー」で「ストラテジスト(戦略家)」のフリージャーナリスト・緑川鷲羽(わしゅう)さんが献策する。まずは①「サマータイム導入」②「夏の高校野球・甲子園の延期(夏ではクーラーとテレビ齧りつきで電力の無駄)」③「電気の無駄使いに罰金(許容量の30%や50%なら無駄使いする度に罰金が重くなる)」④10年間限定で復興財源に消費税2%増税(40兆円)する。⑤地方分権化(道州制)。戦略とは顧客(国民)第一主義でなければならない。なんとか総研とか○○大学教授だの集めるだけ無駄。知恵や策略とはそんな学歴エリートには考えられないものなのだ。が、とうとう策がなくなって低レベルの放射線汚染水を海に「緊急避難で」放出しました。大事なのはメルトダウン(炉心熔解)が1号機2号機3号機ではすでに起こっていて、4号機の使用済み核燃料棒も危険だということ。メルトダウンしたからこそ原発付近で通常の3000倍や4000倍の放射能や「プルトニウム」がトレンチやピット(立て杭)から検出されているのです。1日に600tも冷却の為に放水すれば「満杯」になるのは道理。後、4、5年は放水をやり続けなければならない。10年後くらいで落ち着いたら燃料棒を搬出し、コンクリート漬けにするしかない。チェルノブイリ事故のときのような「直ちにコンクリート漬け」は「YES」といいがたい。コンクリートは熱に弱く、チェルノブイリ原発のいわゆる「石棺」はヒビがはいって放射能漏れが起きている。「コンクリート漬け」は10年後だ。原発付近は漁業権が放棄されている為、魚介類で「被曝」する訳ではありません。政府・民主党は東日本大震災の復興のために「復興構想会議」を設置して有識者を集めて「復興戦略」を考える予定であるといいます。また震災では内定取り消しが数百人、失業も何万人規模になりました。東電は1号機から4号機まで「廃炉」にすると発表しましたね。今は「合成樹脂」を瓦礫などに蒔いて「放射性物質」の飛散を止めようと足掻いています。「冷却水システム」は稼働確認され「電源」はいれました。仏の放水ロボット「タロン」も搭載するようです。基本的には「メガフロート」という「放射性物質汚染水貯蔵庫」に汚染水を移動させる予定であるそうです。なお海水ではなく今度は「淡水」を替りに注入しています。これは海水だと塩害があり、塩分が炉心の底にたまる為の処置です。だが「風評被害」が酷くなっています。福島第一原子力発電所から遥かに離れた九州や山口県の部品メーカーや繊維メーカーが「輸出先の外国企業」から「放射能に汚染されていないか証明書を下さい」などといわれているそうです。「日本の食料危ない」など明らかな「風評被害」が出ています。これにたいして説明責任がある「政府・民主党」ですがデマをとめる術を知りません。ちなみに福島第一原子力発電所の1号機(1971年3月26日)、2号機(1974年7月18日)、3号機(1976年3月14日)、4号機(1978年10月24日)、5号機(1978年4月18日)、6号機(1979年10月24日)という完成日です。でも古いから「安全じゃない」訳ではありません。1号機はGE製です。2号機からは「日本人」が一生懸命「真似して」作りました。部品交換やモデルチェンジしているので古いから事故…という因果関係ではありません。制御棒はきちんと入った為に核分裂・爆発にはなりません。だが燃料棒の「崩壊熱」で炉心が溶けてメルトダウンしたようです。なお「水素爆発」とは、炉心の燃料棒の冷却水が少なくなって燃料棒が露出して、化学反応を起し大量の水素が発生した。水素は空気より軽い為に建家の屋上にたまり引火して「水素爆発」したのです。「核爆発」ではありません。ですが福島第一原子力発電所の自主退避のエリアには「寝たきり老人」や「牛や鶏を飼っている酪農家」もいます。被害の「賠償金額」は物凄いことになりそうですね。「プルトニウム漏れ」はプルサーマル(プルトニウム・サーマルリアクター(プルトニウム軽水炉(ただの水の炉)和製英語))の3号機からでしょうと思います。プルサーマルとは「原子力発電」で「ウラン」や「プルトニウム」がでてその「プルトニウム」を再利用する原子炉です。ですが青森県六ヶ所村に処分する核燃料棒を集めることにはなっていますが、「最終処理場」はきまっていません。大前先生は「ロシアと仲良くなってシベリアやツンドラ地帯に燃料棒を埋葬するのがいい」といいますが違います。あの一帯の地下には「有毒ガス」が眠っていて掘れば「有毒ガス」が世界中に風で飛散してしまいます。なおプルサーマルの為の燃料は「MOX燃料」というものですが日本には処理後のプルトニウムを「MOX燃料」にする施設がありません。だから自衛隊の護衛をつけ、テロリストに「核爆弾の材料・プルトニウム」を盗まれないように、再処理施設のある仏のAREVAの工場まで運んだのでした。そのニュースを覚えていますか?今回の福島第一原子力発電所事故と「チェルノブイリ事故」の違いは「核爆発」と「メルトダウン」の違いです。水や食料が「摂取制限」「出荷制限」ときくと過剰反応してしまっては敵の思う壺です。もっと冷静になってください。また「SPEEDIって何ですか?」ですが「System Prediction of Einvriroental Emergency Dose Information.」(緊急時迅速放射能影響予想)というものです。風向きや温度、大気、気象、陸地や海面の起伏などを計算して放射能影響を地図上でグラフ化するシステムです。なお「原子力安全保安院」は経済産業省管轄の役人ですが、「原子力委員会」は「保安委員」を監視する有識者の団体です。2011年3月29日に海水から通常の3355倍の放射性ヨウ素が検出されたそうです。だが、1号機から6号機までのコントロール室などの照明が灯りました。実は日本の土壌にもウランが通常あります。東西冷戦下にアメリカや旧・ソ連が空気中、大気圏中で(今は地下で)核実験をしたからなんですね。だが、プルトニウムというのは重くて飛散しずらいので「放射性ヨウ素」や「セシウム」のように悪戯に恐れる必要はありません。ちなみに日本の電力の割合ですが、火力発電が60%、原子力発電が30%、水力が10%くらいです。水力発電所はもう日本中にダムをすべて造ってしまったので頭打ちです。火力発電はオイルショックなどがあったために原子力発電がいい、と始められたためです。放射線は細胞やDNAを傷つける為に恐れられています。が、大人や老人には免疫もあり、むしろ子供や赤ん坊の甲状腺(成長ホルモンや新陳代謝を司る喉のところ)がダメージを受けるといわれています。もちろんかなりの放射性ヨウ素をあびた場合は…ということですが。放射線は宇宙からも、大地からも、食料からも、大気からも出ています。世界平均放射線比率は2.4mSv(日本は1.24mSv)です。「暫定摂取制限」とは原子力安全保安院が決めていた摂取制限を、暫定的に政府が決めました。食べ物で(2000ベクレル/kg=0.049mSv/kg)、水で(大人(300ベクレル/kg=0.0007mSv)乳児で(100ベクレル/kg=0.002mSv))まで安全です。年間では50mSv(ミリシーベルト・日本は33.3mSv)まで安全。水で洗い流すだけで放射性ヨウ素は「半減」します。が、水を沸騰させては駄目です。放射性ヨウ素は「細菌」ではありません。沸騰すれば濃度が増して危険です。妊婦やおっぱいは安全です。「計画停電」ですが来年(2012年)夏くらいまで続きそうですね。ちなみに東京ドームの一回分のナイター戦で6000Kw(6000万世帯分) です。被災地に陸海空自衛隊10万人が派遣されていますが、キャンプをはって寝泊まりしています。自衛隊というのは「食料」「トイレ」「お風呂」など「自己完結」でできるから便利な軍隊なんです。在日アメリカ軍も「ともだち作戦(オペレーション・トモダチ)」で頑張ってました。仏からの専門家チームもありがたかったです。何故仏は原発に詳しいのか?は仏は世界一の「原発大国」だからです。原発59基、電力割合77%です。ちなみに日本の電力会社は「北海道電力」「東北電力」「東京電力」「北陸電力」「中部電力」「四国電力」「関西電力」「九州電力」「沖縄電力」があり、他に制御電力事業会社として「J-POWER」「日本原子力発電株式会社」などがあります。世界では仏EDF(4004wh)、ドイツEON(3454wh)仏ENEL(2877wh)日本・東京電力(2602wh)、米国エクセロン(1731wh)という順位になります。今回の東日本大震災の被害額は25兆円といわれています。阪神淡路大震災は10兆円でした。88年前の関東大震災は死者10万人で復興院の長官は歴史上の人物・後藤新平がなり、110兆円、遷都しない、耐震化などものの見事に決めていき首都は復興したのです。平成の後藤新平よ、いでよ!というところですが五百旗頭(いおきべ)真さんが「復興委員会会長」になりました。日本赤十字(1887年創設、トップ皇后陛下)には1160億円以上もの義援金が寄せられたそうです(経済界からはソフトバンクの孫正義氏が6300億円の自己資産から100億円の義援金。石川遼プロは今季(2011年)賞金全額寄付)。まだまだ日本人も捨てた物じゃあありません。仮設住宅建設も急ピッチで建てられていますが、コミュニティーごとで移動ということになりそうです。なぜなら1995年の阪神淡路大震災のときは「抽選方式」にしたため隣は見知らぬ他人で「老人の孤独死」などあったからです。地震保険(上限5000万円)は火災保険のオプションです。地震保険だけにはいることは出来ません。東北には472社の部品メーカーがありますが、大震災で「部品」がつくれなくなり「日本経済」が大打撃です。しかしテレビは「行政を動かす」「人命を救う」「支援を広げる」効果はあったと思います。民主党政権は「復興財源」として4000億円の赤字国債を発行するというが、あまりおすすめできません。これ以上借金が増えれば「日本国債」が暴落するからです。あと「過剰反応」にも罰則ですね。水道水にたった210ベクレルが…でペットボトル水を過剰反応で買い占める。それは1年間飲み続けてもレントゲン一回分でしかない。「専門家」ももっとちゃんと「説明」しないと「日本復興」は道さえなくなる。まずは「冷静な行動」をしてください。それにしても何故「政府・民主党」が「メルトダウンはしていない」と何故嘘の報道をしたのか?私には理解できません。まるで「大本営発表」です。嘘はすぐばれます。今回の2011年3月11日の「東北関東大震災」では未曾有の大災害で、死者・行方不明者2万9000人避難民12万人、福島第一原子力発電所の1号機から4号機まで大変な状態になりました。1号機と3号機では一時燃料棒内の冷却水が不足して、水素が建家にたまり「水素爆発」しました。これにより、1号機3号機の建物が爆破、2号機の圧力抑制室(サプレッション・プール)では一部破損炎上(鎮火しました)「電源復旧」を目指しています。3号機4号機に放水、1号機4号機2号機の通電を確認(中央制御室の照明など)しました。3号機5号機6号機も照明点灯。汚染たまり水が1000mSvという値です。だが、病院・避難所で死者が相次いでいます。福島第一原子力発電所付近の海水からは「放射性ヨウ素131,134,137」が検出されましたね。だが、人体に影響のないレベルです。この前210Bq(ベクレル)であった葛飾区の東京都の水道水の放射性ヨウ素131は2011年3月24日76Bqまで減り、東京都は「摂取制限」を解除しました。あまり「過剰反応」をし過ぎると「限度」がなくなりますよ。また3号機の地下室で作業中であった3人の作業員が被曝してそのうち2人が病院に搬送されたそうです。3号機のタービン建家地下室にたまっていた30cmの水に足をとられ、170から180mSv(ミリ・シーベルト)被曝したという。当然、作業員は放射能防護服だった。が、長靴とズボンの隙間から放射性水がはいり、知らぬ間に被曝したようです。「β線熱傷(火傷と同じ病状)」だそうです。だが、2011年3月28日3人は退院です。発電所を地下にしたのは愚ですね。雨水海水ですぐ駄目になる。ここで原子力保安院が「福島第一原子力発電所事故の「危機レベル」は7」といい世界中で納得です。何故ならスリーマイル島原発事故のレベル6より酷い状態であるからです。1時間あたりの放射性が1号機6万μSv、2号機100万μSv、3号機が75万μSv、4号機が500万μSvで、3号機建家の地下水から放射性ヨウ素134が69億ベクレル(Bq)、放射性ヨウ素131が13000万μSvです。一時39京ベクレルまでいったそうです。69億ベクレル(2011年3月27日深夜「検知されていない。誤りでありました」と原子力安全保安院(経産省管轄役人)が訂正しました。)など通常ならありえないことで、放射能炉心の一部が破損して漏れてる可能性が高いそうです。が、「原発の現場」でです。「過剰反応」はやめて下さい。
また1号機2号機3号機のタービン建家のトレンチ(配菅構)に放射能に汚染された水が発見されました。1号機が0.4mSv1h、2号機が1000mSv1h、3号機は?です。また原発事故では0.54ベクレルのプルトニウム(238,239,240)が検出されたそうです。「早くコンクリートで固めろ」というのは時期早々で5年から10年後ならいいでしょう。燃料棒はどちらにしても取り除く必要があり、地下800mから1000mに永久埋葬することだ。今回の福島第一原子力発電所の事故の反省を刈谷原発などに活かす必要があり、いいますが「原発に「絶対安全」」などない。もんじゅのような高速増殖炉はやめたらいい。放水車にしても5気圧以上必要です。売れなくなる東芝・日立・三菱の原発産業はGE、WH、AREGVAの傘下にはいること。被曝死亡者に国は9000万円だすそうだが米軍のアフガン戦争戦死者でも380万円です。被災地域減免(所得税・法人税・相続税・固定資産税・登録所得税の減免)です。津波で漁船2500隻が破壊、水没地区1万ヘクタール、ガソリンは1リットル150円台まで高騰しました。何故われわれが不安になるのか?それはニュースが理解出来ないから不安になるのだ。そこでこの緑川鷲羽がわかりやすく説明する。東京都葛飾区・埼玉県・千葉県・栃木県・茨城県・群馬県・福島県などの水道水で210ベクレル(Bq)の放射能(放射性ヨウ素131)が検出された。しかし、成人でも300Bq以下、乳児でも100Bq以下であり、これは一年間その水を飲み続けてもx線レントゲン一回分(0.03mSv)でしかない。悪戯に恐れることはない。もっと「冷静」になってください。水道水の放射能は「乳児」が一年間飲んだら…というレベルなのです。「赤ん坊以外」、例えば大人や小中学生、保育園児、老人、1才児以上は何ら問題も起こりません。「放射性ヨウ素131」などは「エイズ」や「エボラ出血熱」ではないのです。「ヒステリィー女」みたいな「過剰反応」は「カッコ悪い」し「みっともない」。入浴や歯磨き、野菜洗い、野菜ゆでなど問題無用である。だが、不安感からか、商店・コンビニ・スーパーのペットボトルはもうすべて売れきれだと聞きます。中には「飲料水」をネットで高値で売りつけようとする不貞な輩までいるそうです。政府は放射能で駄目になった野菜の摂取制限をはじめました。ホウレンソウなどの葉物野菜、キャベツなどの結球性野菜類、ブロッコリーなどの花蕾性野菜などです。以前に「大震災後に物資の略奪や窃盗がなかったのは日本人の道徳心だろう」とコメントしましたが、実際には今は略奪や窃盗が多くなっているそうです。残念ですね。4号機から2011年4月12日に黒煙があがりましたが、炎はみえないが何かが燃えたんでしょうね。鎮火しました。水蒸気なら白煙ですから。なお原発停止の3原則は「止める」「冷やす」「閉じ込める」です。地震時に制御棒が炉心の下から上にあがった。これは圧力が常にかかっているようにしてバルブで閉めていて、停電で自動的に燃料棒のウラン拡散を防ぐ制御棒がセットされたということです。まあ、フェールセーフ(安全保全)制御ですね。ちなみに放水を3号機4号機でやっていますが3、4年分やる必要がある。長期戦です。地震で宮城県牡鹿(おしか)半島が約5.3m移動、約1.2m沈降、岩手県・福島県は約2m移動し30cm沈降した。四国の8倍のプレートが動いたようだ(南北600km、幅200km)。電気も水道もガスも駄目。だが、少しずつだが、物資は安定的に届いているようだが、心のケア、お風呂、洗髪など要望は多岐に渡る。支援物資はよく「大人用」は届くが「子供用」はなかなか届かないという。避難県は26都道府県、避難民は12万人です。問題点は(遺体の身元確認、遺体の埋葬、窃盗の多発、ゴミの処理)です。ちなみに「災害救助法」とは国が都道府県・国民などと協力して、被災地・被災民に対して援助・保護を行うという法律です。(避難所、仮設住宅、医療、食料、水、服、病院器具、遺体の埋葬)一節には災害復興額は29兆円というおそろしいことを週刊誌は書いています。3万2800戸の仮設住宅を被災者は要望してます。阪神淡路大震災では4万戸に4ヶ月かかりましたね。よく「地震再保険特別会計(地震保険の被害額が1150億円を超えた場合の最保険)」を復興財源にあてればいいというひとがいるのですが、地震保険は2万人しかはいっていません。確かに地震保険の額が1150億円以上になったら国が50%税負担、2兆円を超えたら国が98%税負担します。が、たった2万人ですよ。また原発ですが福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所は11m距離が離れています。建家が水素爆発した…ときくと「水爆」と勘違いしたり「原子炉で爆発があった」と聞くと「核爆弾」と勘違いするかも知れません。ですが、後述しますが「チェルノブイリ事故」のようには絶対になりません。なお原子とはそもそも何か?ですが地球とリンゴくらいの差があります。リンゴが地球だとすれば、その地球のリンゴ程度の大きさしかないのです。原子の中に原子核(陽子、中性子)があり1兆分の1cmです。1937年ドイツのオットーハーンが原子力を発見します。ですが、悲劇的にそれは原爆として武器として広島・長崎につかわれた訳です。ウランに別のウランがぶつかると核分裂して熱を出す。ウラン238(陽子92中性子146。分裂しにくい)ウラン235(陽子92中性子143。分裂しやすい)で、ウラン235を濃縮して使います。ウラン鉱石を粉末状にして、遠心分離機という洗濯機のようなもので回転させて濃度を高めます。濃度3,4%が原子力発電用燃料棒、濃度90%が原爆です。そもそも濃度が違うので核爆弾のようには絶対になりません。原子炉の制御棒はウランの核分裂を吸収して制御するものです。日本の原子力発電所は1963年につくられた。日本には商業用に17箇所54基の原発がある。世界では30箇所432基ある。何故海の近くにあるか?は炉心の冷却(冷却水とはまざらない)する為に海水が必要だからです。欧米では大きな川の側にあることもありますが日本にはそんなおおきな川はないからです。原発のメリットは(少ない原料で莫大なエネルギーが得られる、二酸化炭素を出さない、燃料を再利用できる(プルサーマル))デメリットは(放射線の危機、核燃料の廃棄物が出る、大規模放射能事故のおそれ)です。ちなみに原発の格納舎は42mの高さです。燃料棒は4mあり、1本1本を束にして548本を束にして(燃料集合体棒・燃料棒)60本ある訳です。1本の燃料棒の中にペレットというものが370個(二酸化ウラン(ウラン238)をカチカチに焼き固めた物)入っていて摂氏2800度にならないと溶けないのです。だが、ペレットが溶けたからセシウム、放射性ヨウ素231,234,238が出たのでしょうね。ちなみに「原子力災害対策特別措置法」とは(事故の拡大防止策や自衛隊の派遣、住民の避難など国が判断)する法律です。2000年に法制化されましたが、1998年のJCO事故を受けてつくられた法案です。ベクレルBq(仏のアンリ・ベクレル氏発見)、グレイGy(英国のルイス・ハロイド・グレイ氏発見)、シーベルトSv(スウエーデンのロルフ・シーベルト氏発見)。例えば、Bqは雨の量、Gyは雨が地中に吸収される量、Svは人体に影響される雨の量ということです。モニタリングポストという言葉や器具が出てきますが昭和34年から観測している空気中の放射線濃度を測る機械です。原発事故のレベルは0,1(もんじゅナトリウム事故)2,3,4(JCO事故),5(スリーマイル島事故・福島第一原子力発電所事故),6,7(チェルノブイリ事故)くらいです。ちなみに1979年3月の米国ペンシルバニア州のスリーマイル島原発事故は(冷却水のポンプが壊れ核燃料棒の炉心が空焚き状態となり)放射線もれがおきました。1986年4月の旧ソ連・ウクライナ共和国チェルノブイリ事故はメルトダウン(炉心そのものがない。ウランが暴走して放射能大拡散した)しています。爆発したのではなく、水のかわりに黒鉛をつかっていてウランが暴走して止められなくなった。当時の旧ソ連政府は情報を隠し、情報隠蔽までしたため被害は甚大で未曾有なものになった。25年後も放射能に包まれている。

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ヒットラー ブログ小説「独裁者の貪欲と性」ナチスの悪魔の真実1

2012年01月27日 03時49分07秒 | 日記
小説
     ヒトラー



                ~ナチスの悪魔!

           アドルフ・ヒトラーの生涯~  

                ヒトラー! ナチスの総統アドルフ・ヒトラー。
                 「ホロコースト」はいかにしてなったか。~
                ノンフィクション小説 Hitler
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ

          あらすじ
  ミュンヘンのビアホールで拳銃を撃ち、政府転覆を計った男がいた。ナチス党党首でちょび髭のアドルフ・ヒトラーである。しかし、そのミュンヘン一揆は警察やワイマール政権によって、鎮圧され、ヒトラーは逃げるが捕まってしまう。刑務所ではヒトラーは寛大な待遇を受け、刑務所の中で有名な『わが闘争』を執筆する。刑務所から出たヒトラーはナチスを率いて選挙に打ってでる。「国民に職とパンを与える!」わかりやすいスローガンで、ナチス党は第一党に躍進。ゲッベルスの宣伝で、ナチスの総統ヒトラーは独裁者としてドイツを率いていく。そして、政権をとったナチスドイツはラインラント、オーストリア併合。やがて第二次世界大戦に…ユダヤ人六百万人を虐殺していくナチス……しかし、敗北。ヒトラーは愛人エバとともに敵軍が迫る中、地下壕でピストル自殺する。
 こうして、ナチスは敗れ、やがて日本も原爆を落とされて降伏する。   おわり
         1 わが闘争




  一九二三年十一月九日、ミュンヘンのビアホールにそのチョビ髭の男は立った。
 男の名はアドルフ・ヒトラー……のちの独裁者そのひとだった。
 ヒトラーは狂人ではあったが、馬鹿ではなかった。
 誰よりも演説がうまく、練習して、パフォーマンスまでできる。
 この男の野望はワイマール政府転覆にあった。
 おりからの大不況で、それに加えて第一次世界大戦でドイツがやぶれ、法外な賠償金を請求され、失業者は山のようにあふれ、女たちは生活費のために街角にたった。
 混沌が、ドイツを支配していた。
 ビアホールには政府の閣僚も出席しているいう情報を得ての行動だった。
 ホールに入ったヒトラーは、入り口近くのテーブルの大グラスを床に叩き付けて、ブローニングをひき抜いた。突撃隊が重機関銃を据えていた。ヒトラーはテーブルに飛び乗り、天井にむけてピストルを発射した。壇上のカール総督は演説をやめた。
 ヒトラーは壇上に掛け上がった。
「国家革命がはじまった!」
 ヒトラーはするどいトーンで絶叫した。
「このホールは突撃隊に包囲された。静粛にせよ! バイエルン政府と、ドイツ中央政府は解体された。鉤十字の旗の下に、臨時中央政府ができた。国防軍兵舎も、警察も占領されている!」
 都合のいいことに、壇上には、州政府の政治と軍を握る三人男が顔をそろえている。
 むろん、調査ずみのことだ。
 カール州総督とロッソー国防軍司令官、ザイサー州警察長官の三人は、ブローニングに脅かされ、舞台裏に姿を消した。
 次にでてきたのは軍服を着たヘルマン・ゲーリングだった。長身、金髪、碧眼のゲルマン人だ。突撃隊の隊長をしていた。「みんな騒ぐな! 飲んで楽しもう!」}
 ゲーリングはいった。
「三人は同意した。革命政府ができた!」
 もちろん嘘だった。
 こうして『ミュンヘン一揆』は始まった。
 集団は二千だった。
 のちのナチス突撃隊である。レームという男の指示で、九時頃にはミュンヘン軍司令部を占拠したが、電信局の占領に失敗したこと、ヒトラーが街にでる前に、カール州総督とロッソー国防軍司令官、ザイサー州警察長官の三人を逃がしてしまったことは失敗だった。     
 真夜中から霙が降りだした。
「明日、ケーニヒ広場で、数万人の市民を動員して大デモンストレーションをやろう!」 という意見が提案されたという。
 夜が明けると、ヒトラーは元気を取り戻した。
 役所や住宅には鉤十字の旗が翻った。突撃隊は行進をはじめた。橋では警察隊が対峙する。ヒトラーはいった。「道をあけろ! 邪魔だてすると人質を殺すぞ!」
 夜の間に、閣僚を含む人質を取っていた。
 突撃隊は警察官たちを袋叩きにして、歌を歌いだした。ヒトラーは、ルーデンドルフ将軍がいる限り、ドイツ軍兵士は攻撃してこないと確信していた。…血は流れない…
 しかし、オデオン広場のむこう側に警官隊百五十人がいた。
 ヒトラーは「道を開けろ! ルーデンドルフ将軍がおられるのだぞ!」と叫んだ。
 しかし、警官隊は発砲した。激しい撃ち合いになる。たいして広い広場ではない。
 ルーデンドルフ将軍は撃たれなかった。まっすぐ警官隊に向かって歩いていき、逮捕された。政府転覆を計ったヒトラーはひとりで逃げ出した。ヘスも逃げた。
 しかし、ヒトラーは捕まった。
 ヘスはオーストリアに逃亡し、自首した。ルドルス・ヘスという男は、ナチス副総統になるゲジゲシ眉毛の男だが、エジプトにいたドイツ商人の息子で、十四歳でドイツ軍に入隊し、ヒトラーとともに第一次大戦で戦った戦友である。ヒトラーの演説に魅了されてナチス党に入党していた。
  ヒトラー裁判がはじまった。
 しかし、それは甘い裁判だった。ヒトラーは裁判で三時間も演説する。
「私は全身全霊を没頭させる……」
 ヒトラーはランツベルクの牢獄へいれせれた。
 しかし、大きな部屋で、鍵もなく、外の喫茶店にもでられた。裁判官もヒトラーの演説に魅了され、寛大な措置をした訳だ。ここでもし、ヒトラーを処刑していれば、ドイツは不幸のどん底に叩き落とされないで済んだかも知れない。
 この牢獄で、ヒトラーはあの有名な『わが闘争』を書く。
 しかし、多額の印税を脱税していたという。

  オーストリアのプラウナウで、アドルフ・ヒトラーは生まれた。
 一八八九年(明治二十二)四月一十二日の夕暮れとき、オレンジ色の壁のアパートの三階で、誕生した。父は税関の役人で、アイロス・ヒトラーといい、五十二歳だった。
 母はクララで、こちらは二十九歳だったという。
 クララはアイロスの三人目の妻であった。
 女中から、妻となり、アドルフを産んだ。前妻の子を含め、ヒトラーには六人の兄姉がいた。
「運命が、私の誕生の地としてプラウナウの地を選んだのは、私には神の摂理のように思われる」
 ヒトラーの自伝『マイン・カンプ』(わが闘争)には冒頭にそんな言葉がでてくる。ヒトラーが政権を奪取して、まずしたのがオーストリア併合だった。
 ヒトラーはプラウナウに凱旋している。
 おそらく長年の夢だったのであろう。
 ヒトラー親子はやがてリンツ市に移り住む。その頃、チェコとスロバキアの国はなかった。中東部のヨーロッパは、ハプスブルク(オーストリア)、ホーエンツォレルン(プロイセン・ドイツ)、ロマノフ(ロシア)、オットマン(トルコ)王朝の四大帝国の分割支配化にあったのだという。
 父・アイロスは高級官僚だったそうで、靴屋の倅のスターリンや村の鍛治屋の息子・ムッソリーニとはえらい違いである。
 ヒトラーは学校にいっているうちに、「画家になりたい」と思った。
 しかし、父が反対した。学校の成績も落ちる一方だったという。
 ヒトラーは大学にいってない。
 そのとき、世界大恐慌がおこった。失業者が町中にあふれ、女たちはパンのために街角にたった。アメリカではルーズベルトが政権をとったところだった。
 ルーズベルトはヒトラーより七つ年上だが、四十一歳で大統領になった。それはナチスが政権をとり、ヒトラーが総統となる時代と同じだったという。
 そして、ド・ゴール、スターリン、チャーチルも政権をとったのも同時期だったという。運命の皮肉だ。
 ヒトラーは一九一九年一兵士として第一次世界大戦に参加している。そこで毒ガスにやられるが、それは後述しよう。ドイツは敗れた。そこで民主的なワイマール政権ができたのである。皇帝はオランダに亡命し、将軍だけが残された。
 敗戦によって、ドイツは莫大な賠償金を払わされることになる。
 それはベルサイユ条約によって決められた。ドイツは再軍備も制限された。
 兵士、ヒトラーは憤った。

「百人以上の著名ドイツ人が人質にとられた」
「人質?」ヒトラーの眼が光った。
「そうだ。赤軍と紅衛兵が、家宅捜査をやりやがった。女もやられている」
「ベルリンはどうなんだ?」ヒトラーはきいた。
「ベルリンはひどいものさ」
「ロシア人やユダヤ人がドイツを食い物にしている!」
 若きヒトラーは激昴していった。
 その頃、ユダヤ財閥ロスチャイルドが世界経済を支配していた。ヒトラーはユダヤ人が大嫌いだった。しかし、それは妬みからくるものだ。
 ヒトラーは『わが闘争』でいう。
 ふんまん                                     「憤懣と恥辱の不名誉感が燃え上がった。私は自己の運命を自覚するにいたった。私は政治家になろうと決意した」

  ドイツは降伏した。
 カイゼルはオランダに亡命した。カイゼルとは国王、皇帝のことだ。
 一九一八年(大正7)十月十五日の夜であった。
  逃げ惑うドイツ兵士たちに、英軍から榴砲弾が放たれた。それは毒ガスだった。ヒトラーは眼をやられた。
「革命だ! 革命だ!」
 やっと護送された病院で、輪郭が見えてきたヒトラーは叫んだ。
 戦友はいった。
「ドイツは負けた訳じゃない。非国民がドイツを売ったんだ」
 ヴェルヘルム二世が祖国を棄てたとき、ヒトラーの運命は決まっていた。
「レーニンという男をロシアに輸送する気はないか?」
 ヒトラーはそうきかれたことがある。
 ウラジミール・レーニンはのちにロシアで共産主義革命をおこす狂人である。
「そんなことはしない。しかし、ドイツでもすぐに革命がおこるぜ」
 ヒトラーはにやりとした。
 この頃からチョビ髭にしていた。
 西部戦線にいた頃のヒトラーは、孤独な、変人だったという。
 酒を呑む訳でもなく、タバコも吸わず、家族からの便りもなかった。寡黙な男であったが、ことが政治になると塹壕の中で熱っぽく語るのだった。
 戦友たちは「えらく学のあるやつだが、変なやつだ」とヒトラーを敬遠した。
 ミュンヘンに政権を建てていたユダヤ系のアイスナーが、同じユダヤ人に暗殺されると時代は益々混沌としてきた。ロシアでは共産党革命が成り、ドイツにも広がる勢いであった。ヒトラーはこのとき二十九歳であった。
「ユダヤ人が世界経済を牛耳っている。ユダヤ人はこの世から抹殺せねばならない!」
 ヒトラーは危険な思想をもっていた。
 自分が成功しないのはユダヤ人がいるからだ……
 そういう偏見と一方的な思い込みが、彼の頭にはあった。
  ヒトラーが三十歳になると、ロシア人と話す機会があった。
 彼はにやりと笑っていった。
「君たち(ロシア人)が革命を押し進められないのは日本の軍事力を恐れてのことだろう? しかし、ドイツと手を組めば、すぐにでもドイツはシンガポールに六個師団の部隊を提供できるのだ」
 ヒトラーの反ユダヤ主義は、危険なものとなってドイツに浸透していった。
 かれは右翼政党に入党する。
 のちのNSDAP(ナチス)、である。                     


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特別記念リクエスト企画・脚本「チェンジ!」勧善懲悪の脚本原案

2012年01月25日 16時11分18秒 | 日記
脚本
  チェンジ


                         Change!with love
                    total-produced&presented&written by
                   WASHU MIDORIKAWA
                       緑川 鷲羽

<キャスト>
 城島  聰(35) … MIAエージェント IQ180 ユースケサンタマリア
 赤城 美奈(30) … 城島聰の生まれ変わりの美女   稲森いずみ
 ボルボ斎藤(42)  … MIAエージェント 城島の戦友 ステーブン・セガール
 オズワルド(53) … テロ集団「ムール団」ボス    ボブサップ
 美奈の父と母
 武田  武(36) … 赤城美奈のフィアンセ      天野ひろゆき
 石原珍太郎(64) … 東京都知事           津川雅彦
       他

         あらすじ

  ある夜、東京。マフィアと銃撃戦になるMIAエージェントたち。MIAとは秘密国際謀報組織のこと。そのMIAの中でもエリートの色男、城島聰が銃撃戦の末、死んでしまう。しかし彼はIQ180で銃の名手で、7か国語を話す天才。これはおしいとMIAの医師たちが、ちょうど交通事故で運ばれてきて死んだ美女(赤城美奈)に城島の脳を移植し、城島を生きかえらせる。女になった城島は、男のままの態度でいるため女としてのしぐさなどの特訓を受ける。馬鹿らしい…と美奈こと城島。美奈の両親は、城島に親切にするが迷惑。また、美奈のフィアンセまで出現。そんな中、MIAがある情報をキャッチする。国際テロ組織・ムール団が、東京都知事の石原珍太郎を殺すという計画を知ったのだ。城島も盟友のボルボもすぐに動き出す。果たして、テロをストップできるか!女になった城島らの運命はいかに……。
                              おわり



●1 東京の埠頭。夜。(英語 字幕)
   黒い車のライトが眩しい。マフィアの闇麻薬取り引き…。辺りはひっそりと静か。スーパー”原作・脚本・総合プロデュース  緑川 鷲羽”
    ”チェンジ”(タイトル)
   黒ずくめの男たち、アタッシュ・ケースを抱えて…近付く…。
マフィア1「……物は?」
マフィア2「これだ(アタッシュ・ケースの中の麻薬をみせる)…そっちは?」
マフィア1「………(アタッシュ・ケースの中の現金をみせる)」
マフィア2「よし…」
●2 東京のある道路 夜
 赤城美奈(30)の運転する軽ワゴン車、さっそうと走る。彼女は楽しそう。にこにこ顔。美奈「…武さん…なんていうかしら……うふふ」(日本語)
●3 東京の埠頭。夜。(1と同じ)(英語 字幕)
   マフィアが物を交換したところで、バッ!バッ!とサーチライトがたかれる。
マフィアたち「!(眩しそうに)」
城島 聰(35)「(大声で)そこまでだ!」
ボルボ斎藤(42) 「国際謀報組織MIAだ!麻薬売買の罪で、全員逮捕する!(手帳を掲げて)」
マフィアたち「(あせって)くそう!」
 マフィアたち、逃げながら発砲。……よける城島たち数名。マフィアたちの車、急発進。城島「待て!……くそう」
 城島とボルボ、すぐに車に飛び乗る。急発進。サイレンとランプ…。
●4 東京のある道路 夜
  マフィアたち、逃げながら発砲。MIAの車、一台、弾丸を受けて激しく、横転。
城島「待て!……くそう(銃を発砲しつつ)……」
  マフィアの車、二台、弾丸を受けて激しく、横転。マフィア残り一台。カーチェイス。美奈「……!」
  マフィアの車、交差点で美奈の車とクラッシュ!二台、激しく、横転。辺りは惨状。  美奈、血だらけでグッタリ。マフィア即死…。MIAの車から城島がおりてくる。と、  瀕死のマフィアが銃で、城島を狙い(震える指)、発砲。
城島「………う!」
  城島、心臓に弾丸を受け、道路に倒れる。かけつけるMIAメンバーたち。
●5 回想シーン(ぼやけた、映像)救急車、車移動、夜景……手術室…。(日本語)
男1「……だめだ。城島はすでに死んでいる……」
男2「MIAのエリートでしょう?IQ180とか…もったいない」
男3「………なんとかならんか?もったいない逸材だ……」
医者「…このひとの脳はまだ生きてます。ただ…首から下はもうダメです」
医者2「同じく運ばれてきた女性は、脳死状態ですが、首から下はだいじょうぶですな」男3「………なんとかならんか?城島の脳を、その女に移植すれば…助かるかも…」
男2「MIAのエリートだ。IQ180の…もったいない。なんとか移植手術を!」
医者「………やってみましょう…」
  シーン、暗転。しだいに心音。ピー、ピー、ピー。
●6 病室 朝。
  美奈(城島)、目をひらく。彼女の視線で、医者や看護婦らが覗き込んでいる。
  視線、ボルボをみる。
美奈「ボルボ!俺はいったい……」
ボルボ「…城島……お前は一度死んだんだ」
美奈「……死んだ?この俺が……(といって手をみると女の手。声も女なのに気付く)」ボルボ「お前は生き返ったんだぜ、ゾンビのごとくよ(にやりと)」
美奈「………どうなってんだ?(胸をさわってビックリ)胸がふくらんでる!!…おい、い   ったい俺は……。(股間に手をやり)……ない!…鏡を貸せ!」
  しばらく時間の経過……。神様視点に戻る。
ボルボ「……って訳さ」
美奈「………(茫然と鏡に映る女の顔をみる。手が震える)……な…な…なんだ…?」
ボルボ「…よかったじゃないか……美人の女で。ブスだったら大変だぜ」
美奈「………なぜ女なんかに…………俺は男から女へ……?まるでオカマじゃねぇか!」ボルボ「まぁまあ(肩に触れ、慰める)…気にするな」
美奈「気にするな?!(歯をぎりぎり)」
●7 病院 男子トイレ 昼頃。
  美奈(城島)、ぶつぶついいながらトイレへはいる。と、そこに男たちがいて、女が  入ってきたのであわてて逃げる。
美奈「…………あ!そうか。俺はもう……女……か(落ち込む)」
  ボルボがやってきて、「そうだ」と。そして、美奈の運転免許をみせる。”赤城美奈  1976年1月6日生まれ…女…東京都渋谷区…”
美奈「…赤城美奈…1976年1月6日生まれ…女…30歳か。えらく若いな」
ボルボ「とにかくな、城島。もうお前は女として生きるしかないんだ。脳は城島聰だが、   体は赤城美奈っていう女なんだからな」
美奈「…赤城美奈…女?」
ボルボ「よし、じゃあ特訓だ」
美奈「……エージェントとしての特訓は十分だぜ」
ボルボ「……そうじゃない(にやりと)」
●8 病院 化粧室 昼
  美奈、メイクさんに化粧を教わっている。嫌そうな美奈。…口紅を厚く塗る…。
  次に、病衣を脱いで、女の洋服を着せられる。嫌そうな美奈。女の歩き方…。
美奈「……(ぼやく)馬鹿らしい」
ボルボ「(歩いてきて)……わはは(大笑い)」
美奈「(ムッとして)ボルボ!」
●9 病院 受け付け、昼
  美奈の初老の両親、受け付けで病室をきく。…うれしそう。礼をして歩いていく。
●10 秘密会議(薄暗い)(英語 字幕)
テロリスト1「……またMIAにやられた。10億分の物もパァだ」
テロリスト2「くそったれめ!」
オズワルド「よし、あのゲス野郎どもに恥をかかせてやろう」
テロリスト3「どのようにしてですか?オズワルド閣下」
オズワルド「われらムール団の名前を世界中に轟かせるのだ。そのためにはまずテロだ。   そうだな。……東京都知事の石原珍太郎を殺るってのはどうだ?MIAの目の前で」 …一同、ふくみ笑い。
●11 病院 通路 午後。(日本語)
  美奈、ぶつぶつ言いながら歩いてくる。美奈の初老の両親、彼女に気付く。
美奈の父「……み、美奈!(感激で涙)」
美奈の母「み、美奈!ほ、本当に無事だったんだね!」
  美奈の初老の両親、彼女に近付き、感動のあまり抱きつく。抱擁。
美奈「……な?な…なんだ?!おっちゃんたち…誰?」
美奈の父「……美奈、お父さんたちのことを忘れた訳じゃないだろう?」
美奈「……お父さん?お母さん?……(小声になって)あ!そうか。この娘の…」
  美奈の初老の両親、抱擁。「……美奈!美奈!よかった、よかった…」
美奈「………(まいったな、という顔)…」
●12 病院 屋上。夕暮れ…空はセピア色。沈みゆく太陽…。
  美奈、ひとりっきりで夕日を眺め、黄昏る。
美奈「………」
ボルボ「(歩いてきて)……よぉ、城島。なに黄昏てんだ?」
美奈「…………なあ、ボルボ。俺は孤児で、両親の顔なんか知らない。でも……この娘、  もっとも今は自分自身だが………やさしい両親がいる。あんなに喜んで…」
ボルボ「…………」
美奈「……この娘の両親には、俺の脳を……って秘密……隠しておいてくれ」
ボルボ「…………わかった」
 しばらく静寂。MIAのメンバー、あわてて走ってくる。
部下「大変です!」
●13 都庁 知事室 昼
   都知事、石原珍太郎(64)イスにふてぶてしく座って、話をきき、顔アップから。石原「暗殺計画だとぉ?!」
美奈「はい、よって…しばらくは知事の近辺をMIAがガードさせて頂きます」
石原「ふん、馬鹿らしい!だめだ、だめだ、目障りだ!」
ボルボ「殺されてもいいんですか?」
石原「……ふん、日本の警察がいれば十分。MIAなど必要ない」
美奈「………しかし…」
石原「しかし、もなにもないね!この都知事、石原珍太郎はそんなテロリストごときに逃  げたりはせん!だいしょうぶ、日本の警察だけで十分だ(大笑い)」
美奈・ボルボ「…………」
●14 ある通路 昼
  美奈・ボルボ、腹立たしく歩く。
美奈「……なんだありゃ?傲慢野郎め!殺されてもしらんぞ」
ボルボ「しかし…MIAとしては暗殺を指をくわえて見物という訳にもいくまい。相手は  プロのテロリスト集団だ。日本の警察では護衛は無理だぜ」
美奈「……だな」
ボルボ「今度、石原珍太郎都知事就任一周年パーティが都内のホテルである。やつらそこ に襲撃してくるかもしれんな」
美奈「……だな。まぁ、俺らにまかせりゃ一網打尽さ」
 美奈の初老の両親、やってくる。
両親「美奈ーっ!(笑顔で手をふる)……ごちそう作ったから、早く帰ろう」
美奈「…………ごちそう?(茫然と、少し狼狽)…(ボルボの方をみる)」
ボルボ「(ウインク)」
美奈「……ありがとう(両親に笑顔をつくって)…」
  美奈と両親、歩いていく。見送るボルボ。ボルボ、にこりと笑う。
●15 美奈の自宅 夜 
  美奈と両親、しあわせそうに食事、笑顔…。団欒。
美奈「……うまい」
美奈の父「そうか、そうか(笑顔)」
美奈の母「…ほら、これも食べなさい、おいしいわよ。あなたの大好物のソーセージ」
美奈「……うまい」
 城島、至福の時…。やがて美奈、シャワーを浴びる。(サービス・シーン)
●16 都内ホテル ”石原珍太郎都知事就任一周年パーティ”会場、外、 夜
スーパー”数日後”
  警備の警察菅が若干いる。そんな中、作業員に変装したテロリスト達、荷物をかかえ  てホテルの中へ。にやりとするオズワルド。
●17 都内ホテル”石原珍太郎都知事就任一周年パーティ”会場内
  石原珍太郎、大拍手で壇上へ。美奈とボルボも会場で護衛。目をくばる。
  パーティドレス姿の美奈が美しいので、皆みとれる。恥ずかしがる美奈。
ボルボ「(小声)……この中にムール団の連中が…?」
美奈「…だろうな。………!(ハッとして)」
ボルボ「どうした?」
美奈「……会場に潜伏してるんじゃない!」
ボルボ「は?」
美奈「…過去のムール団のテロの手口は?」
ボルボ「!(ハッとして)……爆弾テロ…まずい」
 ふたり、会場を早足で出て、ホテルの裏口へいく。
●17 都内ホテル 従業員通路 薄暗い
  テロリストたち、鞄から時限爆弾を取りだし……。
オズワルド「……(顎で、設置しろ、と合図)」
  テロリストたち、爆弾をもって早足で散る。テロリストたち、各所に爆弾設置。
●18 都内ホテル 従業員通路2 薄暗い(英語 字幕)
  美奈とボルボ、通路を駆け抜けていく。と、偶然、爆弾を設置中のテロリストの男ひ とりと遭遇(遠くにいる)。
美奈「…なにをしている?!」
テロリスト1「…!…(逃げようとして発砲)」
 ふたりよけて、追いかけ、階段のところで男を射殺。
 ふたり、仕掛けられた爆弾をみる。
ボルボ「時限爆弾だな。まだスタートされてねえ。」
美奈「……おそらく、遠隔操作でスタートし…爆発する仕組みだ…ホテルごと」
●19 都内ホテル 従業員通路3 薄暗い
テロリスト2「(無線で)…おい、T2!連絡しろ…T2!ミッション終了だ。早くエレベーターまで集まれ…おい」
●19 都内ホテル 従業員通路2 薄暗い
  テロリスト2の声が、射殺した男の無線からきこえる。”T2!連絡しろ…T2!”美奈「…エレベーターだ。いくぞ、ボルボ」
 美奈とボルボのふたりは銃を構えて、駆け出す。
●20 都内ホテル 従業員通路2 従業員用エレベーター前  薄暗い
  テロリストたち、集まっている。テロリスト2が、「T2が戻らない」とボスのオズ  ワルドに報告。
オズワルド「………まあいい。T2には石原もろとも死んでもらおう(にやりと遠隔操作  のボタン機器を手にして)…いくぞ」
  テロリストたち、集まってエレベーターの中へ。と、美奈とボルボのふたりが銃を構  えて、駆けてきて、
美奈とボルボ「……動くんじゃねぇ!(銃口を向けて)」
  テロリストたち、発砲して応戦。…ボルボたちも応戦。ボルボの右太腿に着弾。
ボルボ「…ぐあっ!」
美奈「ボルボ!」
 テロリストたちが銃殺されていく。エレベーターの扉がゆっくり閉じる。
美奈「………待て!」
(エレベーターの表示)8、7、6…下にいっている。
ボルボ「…(苦しく)…城島、俺にかまわず…やつを追え!」
美奈「……わかった!」
 美奈が銃を構えて、階段を急いで駆けて降りる。…はぁ…はあ…はあ…。待て!
●21 都内ホテル 従業員通路4 従業員用エレベーター前1F 薄暗い
 美奈が銃を構えて、駆けつける。エレベーターのドアに銃口を向け、
美奈「…はぁ…はあ………来い!オズワルド!」
 エレベーターの扉がゆっくり開く…。
美奈「……(緊迫)……」エレベーターのドアに銃口を向け……。
 しかし、エレベーターにはテロリストたちの死体があるだけで、ボス・オズワルドの姿 がない。……いない。どこにいった…。左右も見てみる。
美奈「……(緊迫)……!」
 ガチャリ!美奈の背後にいたオズワルドが、銃口を彼女のこめかみにつける。
美奈「(戦慄)!」
オズワルド「……そこまでだ、お嬢ちゃん(不敵な笑み)動くなよ!」
美奈「(戦慄)!」
オズワルド「…これがなんだかわかるか?(にやりと遠隔操作のボタン機器を手にして)   ……これで石原珍太郎都知事も集まったバカらもホテルごとぶっとぶ」
美奈「(それを横目でみて)…ば……ばかなこと…はやめろ!」
オズワルド「馬鹿なこと?これは芸術だよ。爆破テロという芸術なんだよ(不敵な微笑)」美奈「……お前は…く…狂ってる…」
オズワルド「そうだな(トリッガーをひこうとする)」
 廊下に銃声が響く。……美奈が殺された?いや違う。苦痛に耐えながらやってきたボル ボがオズワルドを射殺したのだ。胸を打たれて、床に倒れ込むオズワルド。
美奈「…ボルボ!」
ボルボ「城島……あぶないところだったな」
 しかし、死の間際のオズワルド、震える手で爆弾の遠隔操作のボタンを押す…。カチャ リ!そして生き絶える。
美奈「!まずい…(狼狽して)爆弾を…時限爆弾がスタートされちまった」
ボルボ「……とにかく、ホテル内の連中をすべて避難させるんだ!」
美奈「爆弾を除去できないか?!」
ボルボ「…むりだ。時間がなさすぎる」
 テロリストの脇においてあった時限爆弾作動…後20分で爆発…。(日本語)
●22 都内ホテル”石原珍太郎都知事就任一周年パーティ”会場内
  石原珍太郎、壇上で演説。拍手…。そんな中、美奈が駆けてきて、会場内に乱入。ボ ルボは足を引き摺りながら、ホテルを後に…。警備の人間に爆弾のことを報告。
美奈「このホテルに爆弾が仕掛けられた!皆、外に逃げるんだ!」
  会場の皆、パニックに。困惑する都知事…。
美奈「……しずかに外へ出て!」
  会場の皆、パニックで叫びまくる。そこで、美奈が銃を天井に向けて発砲し、だまら  せる。都知事もあたふた…。
美奈「……しずかに急いで外へ出て!」
●23 都内ホテル 外 外観…。夜
  石原もおどおどと外へ…。美奈や警備員たちもホテルの外へ……。一同、ホテルを見  上げる。ヘリ映像…サーチライト…と、
主婦「……大変!私の坊やがいないわ…(泣き叫ぶ)ホテルの中よ!」
美奈「…子供?!わかった、俺にまかせろ!」
  美奈、必死に、ホテルに突入…。爆弾の爆発が迫る。…警察車両…自衛隊…到着。
●24 都内ホテル 通路1
  子供がひとりで、あそんでいる。時限爆弾。後、10分で爆発…。
●25 都内ホテル 通路2
  美奈、必死にひっそりと静まりかえったホテル内部で、子供を探す!
  時限爆弾。後、7分で爆発…。
  なかなか見付からない。必死に探し駆けまわる。
  時限爆弾。後、5分で爆発…。
  なかなか見付からない。必死に探し駆けまわる。
  時限爆弾。後、3分で爆発…。
  なかなか見付からない。必死に探し駆けまわる。
美奈「坊や!……坊や!」
  時限爆弾。後、1分で爆発…。
美奈「坊や!」
  やっと見つかる。抱き抱える美奈。そして駆け出す。…時限爆弾。後、30秒で爆発…。●26 都内ホテル 外 外観…。夜
  一同、不安気にホテルをみる。ボルボは叫ぶ!
ボルボ「城島ーっ!」
主婦「……坊や…!」
  すると激しい爆音とともにホテルの最上階部分が大爆発!
ボルボ「城島ーっ!」
主婦「……坊や…!坊や…!(泣き叫ぶ)」
 次々とホテル大爆発!ドオオーン!辺りが火の海に…!(CG)皆が絶望し、悲鳴を上げ、ボル ボでさえも絶望して爆発を見た。そんな時、炎の中から人影が見えた。
一同「!」
 炎の中から駆け出して、近付いてくるのは美奈だった。服はぼろぼろになって火傷もあ ったが、美奈だった。彼女は坊やを抱えていた。
ボルボ「城島ーっ!」
主婦「……坊や…!坊や…!(泣き叫ぶ)」
 美奈がゆっくりと歩いてくる。炎がバック…。
ボルボ「……城島、……よくやった…」
主婦「坊や!(抱き抱える)」
美奈「……危なかったぜ。………服もボロボロだ…」
  美奈の服がぼろぼろでこげている。
ボルボ「…いいじゃねぇか。胸の谷間とか太腿がみえて色っぽいぜ(にやりと)」
美奈「……あほか。俺が色っぽくてどうするってんだ」
ボルボ「そりゃあ決まってんだろ!(ボルボ、城島の肩に手を触れる)」
美奈「………」
ホルボ「デートでもするか?城島」
美奈「…(銃口をボルボの顔にむけて)……セクハラすんな!今度、馬鹿なこといったら  殺すぜ」
ボルボ「わはは(大笑い)」
 そんな中、炎の中から瀕死のテロリスト4、サブ・マシンガンを抱えて歩いてくる。城島(美奈)の背後、ボルボも気付かず。テロリスト4、銃をかまえて美奈に発砲。…背中に着弾し、倒れ込む美奈。ボルボ、発砲!テロリスト4、倒れて生き絶える。
ボルボ「城島っ!しっかりしろ!」
美奈「…………う」
●27 ホテルの外観…。炎上する大型ホテル。(CG)……すべての終り…?
●28 都庁 外観
N(美奈)「こうして…テロ組織ムール団は全滅した。俺は、防弾チョッキをしていたの  で怪我は軽かった。ホテルは全壊したが、死傷者はでなかった。こののち、都知事の  石原珍太郎はスキャンダルをおこして、知事をリコールされた。そしてMIAも任務  終了というところで、俺もボルボも黄昏ていた。無理もない。犯罪壊滅のエキスパー  トに仕事がなくなったんだから。だが、俺たちのような人間の仕事は暇であればある  ほどいい。そのほうが平和なのだ。そうだろ?」
●29 あるビルの屋上 夕暮れ
  物悲しいような夕暮れのセピア。
  暮れゆく夕日、アップ。黄昏てそれをみる美奈とボルボ。
ボルボ「……これからどうする?城島」
美奈「そうだな………」
ボルボ「………」
美奈「このままさ。………女も悪くない……」
 しばらくすると、美奈の両親が歩いてきて、元気に笑顔で手をふる。
美奈「……(にこりとして手をふりかえす)」
 美奈の両親が歩いてきて、
美奈の父「美奈……武さんを連れてきたぞ」
美奈「……武……さん?」
 武田 武(36)、あるいてきて、笑顔をつくる。平凡な男。
美奈「……だれだ?」
美奈の母「やだわ……フィアンセの武さんじゃないの」
美奈「フ…フィアンセ?!」
 武、近付いてきて、彼女に抱きつき、抱擁する。
武「よかった……無事で……交通事故にあったってきいた時は心配したよ。今、ニューヨークから帰ってきたんだ。愛してるよ」
美奈「(小声、嫌そうに)…こら……やめろ…放せ」
 美奈、武から放れ、逃げ出す。駆け出す。
美奈「(独り言)じょ…冗談じゃねぇ。俺は……ホモじゃねぇ!」
 美奈、逃げ出す。駆け出す。ボルボ、大笑い。追う武と両親…。

 画面、暗転。クレジット流れる…。


*次回作の回想シーンのような感じで……。(ダイジェスト CG)


  美奈がドレス姿で、ワインを飲んで、外国人と話す。…ボルボと口喧嘩。

  ……ヘリコプターが東京都庁上空を飛ぶ…夜景…パノラマ…。

  ……ヒトラーのような独裁者が登場…カーチェイスの美奈とボルボ…発砲…。

  戦車で行軍…エレベーターの内部からケーブルの所へいく美奈。銃撃戦……。

  ミサイル発射……カーチェイスの美奈とボルボ…発砲…。

  美奈とボルボの前に手榴弾。びっくりして逃げるふたり…。飛行機爆発…。

  ……道を駆けていく美奈とボルボ………

  しだいに画面、暗転……。
                         チェンジ おわり       


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大前研一著「決別ー大前研一の新・国家戦略論」朝日新聞出版引用

2012年01月25日 15時57分49秒 | 日記
シンプルに生きる

 ものを持たない暮らしには、技術が必要です。フランスでは40万部のベストセラー。ヨーロッパを席巻した、心豊かな人生の過ごし方。「シンプルに生きる」変哲のないものに喜びをみつけ、味わう。ドミニック・ローホー著作、原秋子訳、幻冬舎刊行の概要を説明します。盗作ではありません。引用です。
1 嫌なことは引き受けない
2 ものを処分したり、他人にあげたりすることに罪悪感を抱かない
3 洗面台に香水サンプルコレクションを置かない
4 自分の家が火事になったと想定し、まずなにを買うかリストを作ってみる
5 その場合買わなくてすむものをリストアップする
6 好きだけど一度も使用してないものは写真に撮っておき、処分する
7 自分の経験を自分の予約に照らし合わせたうえで、迷いが出るものは捨てる
8 一年以上使わなかったものは捨てる
9 「大事なもの以外いらない」とおまじないする
10 「少なく」が「多く」をもたらすことを現実に実感してみる
11 欲求と必要の違いを区分する
12 自分にとって必需品がなくて何日もつか実験する
13 可能な限り物質的なものを排除する
14 場所を移動させただけで「片付けた」と思わない
15 シンプルにすることは「愛するものを排除するのではなく、
   幸せのためにも役にたたず、貢献しないものを排除するのだ」と自分にいいきかせる。
16 取替えのきかないものはないと肝に命ずる
17 とっておくものの数を決める(スプーン、シーツ、靴など)
18 それぞれのものの置き場所を決める
19 空き箱や袋、空き瓶を溜め込まない
20 家事作業に行うときの服は二揃え以上もたない
21 大事なDVD,TAPE、本などの整理する棚を用意する
22 ひとつひとつのものを必要かどうかチェックする
23 常に「どうしてこれをとっておくのか?」と自問自答する
24 泥棒が入っても、とっていくものがないくらいにしておく
25 過去の買い物の失敗にとらわれない。それを捨てることで過ちを償えばいい
26 自分の所有物を試しにリストアップしてみる
27 すでに排除したもの、捨てて後悔しているものをリストアップする
28 例えそれが思い出の品であっても、自分をいらつかせるものから自分自身を解放しなければならないといいきかせる
29 良いものを良いものと後悔するのに躊躇しない。そこで満足感が得られる
30 二流の選択をけっして受け入れない。自分の住環境を構築する要素ひとつひとつが、より完璧な状態に近づくことで平静さを得られる
31 手元にお金があるときだけ遣う
32 住まいが生き生きしている状態のなかに変化は訪れる
33 品質の良さを長年示してきた伝統的なものを信用する
34 これ以上段取りできないところまで段取りする。ほかはすべてカットする
35 関わっているさまざまの活動の数を減らす
36 新規に購入するものは、かさ、重さ、大きさにおいて小さいものにする
37 余計な装飾品は捨てる




        日本の警察と海上保安庁(海の警察)
 
2010年6月に就任したばかりの大林宏検察総長が一連の事件の責任をとり辞任です。後任は笠間治雄東京局検察長です。2010年11月23日、北朝鮮が韓国に砲撃した「朝鮮有事」のとき国家公安長官の岡崎トミ子氏が登庁しなかったという。このひとは警察のトップで、北朝鮮工作員などが国内でテロ行為を警戒するために指令を発しなければならない立場だ。どういう神経をしたおばさんなのか?多分、何も考えていないのだろう。仙谷官房長官は自衛隊を「暴力装置」というし、この内閣どうなっているの?まずは検察について紹介します。「検察官、裁判官、弁護士」になるには司法試験を合格する必要があります。日本ではよく「法曹三者と呼ばれるのは裁判官(3611人)、検察官(2667人)、弁護士(2万8891人)」です。ちなみにですが検察官はバッチをしていますが弁護士のひまわりではなく、秋霜烈日章という星型バッチです。検察組織はうえから「最高検察庁」、「高等検察庁(全国8箇所)」、「地方検察庁(全国50箇所)」、「区検察庁(全国438箇所)」です。また小室やホリエモン事件のときにきいた「検察庁特捜部」ですが「東京、名古屋、大阪」の「地方検察庁」にしかありません。特捜部は上から、特捜部長、副部長、主任検事、検事、事務官、という組織です。また保釈金はどんな悪いやつでも金払えば保釈できるの?という質問ですが、殺人事件犯人などは駄目です。また保釈とは逃亡しない、証拠隠滅の恐れはない被告になり、保釈金はそのひとの資産次第で値段も違うのです。保釈の条件は①住所確定②必ず出頭③事件関係者にあわない④1泊以上の宿泊や海外旅行は駄目、などです。保釈金払って過去に逃げたやついる?の質問ですがいます。保釈金の日本の最高額は2004年の牛肉偽装事件の20億円です。「反日デモ」の元となったのが、「日本の領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船にぶつかってきた」といういわゆる「尖閣領海事件」ですが海保は2001年には北朝鮮工作船と銃撃戦をしています。では「海上保安庁」って何ですか?ですが海の警察(Japan Coast Guard)です。海上保安官は1万6000人いて、拳銃を携帯して逮捕権もある国家公務員です。主な海保の活動は①不審船の監視②密輸、密入国を防ぐ③沿岸にある重要施設(原子力発電所などの警備)の警備④違法活動の取り締まり⑤救難活動(潜水士129名、機動救難士48名、特殊救難隊36名)⑥消防活動⑦交通整理⑧環境を守る⑨海洋調査(海図製作)などです。なお海保には年齢制限があって官僚を育てる海上保安大学校が18歳から24歳で全寮制で4年間。普通の海保保安官は海上保安学校で20歳から24歳で全寮制で2年です。だいたいは巡視船に配属されます。巡視船は「海のパトロール船」です。457隻あります。日本最大の巡視船は「しきしま」です。領土から12海里が「領海」(通交自由だが経済活動駄目)、領土から12海里から200海里は「排他的経済水域(いわゆるEEZ)」200海里以上は「公海」です。前代未聞の大事件です。2010年9月21日に大阪地検主任検事の前田恒彦被告(43)が厚生労働省局長であった村木厚子氏の事件(無罪確定)でFDのデータを改ざんしたとして証拠隠滅罪で逮捕されました。また大坪弘道被告、佐賀元明被告らの大阪地検元特捜部長らが「犯人隠避(いんぴ)罪」で逮捕されましたね。これはモラル・ハザードというか検察のクレディビリティ(信憑性)を揺るがす一大事です。また、よく聞かれる質問なのですが、「警視庁と警察庁の違いって何?」ということです。まあ、警視庁は「東京都の警察」で警察庁は「国の行政機関」です。ちなみに警察庁は公務員ですがスーツにネクタイ姿で制服は着ていません。皇宮警察は「天皇や皇族の身辺警護」をするところです。では警視庁はですが、総務部(備品調達)、警務部(捜査や不正)、交通部(駐車違反やひき逃げ)、警備部(要人警護)、地域部(100番)、公安部(テロ対策)、刑事部、生活安全部、組織犯罪取締部(ヤクザや暴力団対策)などに分かれています。
ちなみに刑事部は捜査一課(殺人、強盗、誘拐担当の為プロの目が必要であり、ノンキャリアがなります)、捜査二課は(詐欺、汚職)、捜査三課は(窃盗対策で、これもプロの目を持つノンキャリアがなります)。
では警察の階級を説明します。ピラミッド形でひらが「巡査」(「巡査長は巡査のリーダー」)→「巡査部長」→「警部補」→「警部」→「警視」→「警視正」→「警視長」→「警視監」→「警視総監」です。その上に「警察庁長官」がありますが「職務」であり、警察官僚のトップは「警視総監」です。
では「キャリアとノンキャリアって何?」という質問はいわゆる「キャリア組」は東大法学部の生徒でも難しい「国家公務員Ⅰ種試験」(年41人)を合格したエリートで、「準キャリア組」とは「国家公務員Ⅱ種試験」を合格したひと。「ノンキャリア組(もしくはノンキャリ)」はその他の高卒とか試験に合格しないひとです。警察用語でホシは「犯人」、レツは「共犯」、ニンチャクは「人相と着衣」、サンズイは「汚職」、ショクシツは「職務質問」です。



サッカー日本代表・長谷部誠「心を鍛える。」(幻冬舎引用)

1 意識して心を鎮める時間をつくる
2 決戦へのスイッチは直前に入れる
3 整理整頓は心の掃除に通じる
4 過度な自意識は必要がない
5 マイナス発言は自分を後退させる
6 恨み貯金はしない
7 お酒の力を利用しない
8 子供の無垢さに触れる
9 好きなものに心を委ねる
10 レストランで裏メニューを頼む
11 孤独に浸かる
12 先輩に学ぶ
13 若手と積極的に交流する
14 苦しいことは真っ向から立ち向かう
15 真のプロフェッショナルに触れる
16 頑張っている人の姿を目に焼き付ける
17 いつも、じいちゃんと一緒
18 集団のバランスや空気を読む
19 グループ内の潤滑油になる
20 注意は後腐れなく
21 偏見を持たず、まず好きになってみる
22 仲間の価値観に飛び込んでみる
23 常にフラットな目線を持つ
24 情報管理を怠らない
25 群れない
26 組織の穴を埋める
27 監督の言葉にしない意図・行間を読む
28 競争は、自分の栄養になる
29 常に正々堂々と勝負する
30 運とは口説くもの
31 勇気を持って進言すべきときもある
32 努力や我慢はひけらかさない
33 読書は自分の考えを進化させる
34 読書ノートをつける
35 監督の手法を記録する
36 夜の時間をマネージメントする
37 時差ぼけは防げる
38 遅刻が努力を無駄にする
39 音楽の力を活用する
40 ネット馬鹿ではいけない
41 常に最悪を想定する
42 指揮官の立場を想像する
43 勝負どころを見極める
44 他人の失敗を、自分の教訓にする
45 楽な方に流されると、誰かが傷つく
46 変化に対応する
47 迷ったときこそ、難しい方を選ぶ
48 異文化のメンタリティを取り入れる
49 指導者と向きあう
50 自分の名前に誇りをもつ
51 外見は自分だけのものではない
52 眼には見えない「土台」が大事
53 正論をふりかざさない
54 感謝は自分の成長につながる
55 日本のサッカーを強くしたい
56 笑顔の連鎖を巻き起こす


2011年8月4日、かつて「日本代表男子サッカー選手」で「ミスターマリノス」と呼ばれた松本山雅FCの松田直樹選手(34)が心筋梗塞で急死いたしました。改めてご冥福をお祈りします。
緑川鷲羽です。今回はわが師・大前研一先生の近著のご紹介です。
大前研一先生の著書『日本復興計画 Japan:TheRoad to Recovery』(文藝春秋)が
   2011年4月28日に緊急出版することになりました
 東日本大震災からわずか2日後の解説映像が反響を呼び、
 Youtubeでの再生は60万回を超えました。
 客観的データをもとに、「あの時点」で大前が考え出した
 「日本復興計画」は、今、現実化に向けて動き出していることは
 読者のみなさんだったらおわかりですね。
 さらに!
 4月28日(木)に、『日本復興計画』として
 緊急出版することが決まりました。
 復興の財源、エネルギー問題、外交政策など緊急提言します。
 『日本復興計画 Japan:TheRoad to Recovery』(文藝春秋)はこちら!
→ http://vil.forcast.jp/c/aofzarra2mqKnjae

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 目次:
第一章 これで原子力の時代は終わった
 ユーチューブにアップされ七十万回以上再生された、
震災二日後の『大前研一ライブ』から。
 原子炉の設計思想「スリー・アウト・オブ・ツー」はなぜ機能しなかったのか。
 日本の原子力産業はなぜ終わったと言えるのか。
 豪州クイーンズランドの災害復興の前例から、時限の消費税引き上げを提言。

第二章 三分の二に縮小する生活
 震災一週間を経ての『大前研一ライブ』から。
 日本の原子力産業は冬の時代へ。ピーク時の電力供給能力は、二五%減に。
 しかし、計画停電は愚の骨頂。
 ようは、ピーク時に電力需要が供給を上回らなければ、停電はおこらない。
 そのための三つの方法を提言。

第三章 日本復興計画
 原子炉の安全思想の根幹にある
 「ラスムッセンの確率論」が揺らいだ今回の事態。
 テクノロジーの哲学を考え直す。
 コンクリートで固める石棺計画はなぜ危険なのか。
 道州制と個人の意識改革。
三月十一日以前からこの二十年間進行してきた日本の危機の
ファンダメンタルズから、日本復興の道筋を考える。


 ※大前は印税を一切放棄、売上げの12%は被災地救援に寄付します。
 まずは私たちから「新しい、もっと強い日本」への第一歩を!

大前研一著「日本復興計画」要約、文藝春秋社(くわしくは私のトピックス東日本大震災で)とにかくも大前先生の「先見性」には驚くばかりです。さすがは「我が心の師」。盗作ではありません。引用です。

(1)「気圧が8」と東電が発表したとき、原子炉の格納容器の計器がまったく作動してい 
ないことがわかった。原子炉のキャパの限界は気圧4で、それ以上はないから。
すべての電気がなくなればメーターは読めない。マニュアルで育った大人達は何も
出来ない。すべての電源が切れるなど原子力工学では想定していない。DG(ディーゼ
ルエンジン)さえ止まった。
(2)スリーマイル島事故の場合、建物は丸いビルで、核物質は外にでなかった。
   *東芝日立(沸騰水型原子炉(BWR))
*三菱重工(加圧水型原子炉(PWR))
(内部被曝)ヨウ素、甲状腺癌、内部被曝の半減期(8日、放射線ヨウ素131)
セシウム、各種癌、白血病、内部被曝の半減期(30年、放射線セシウム
137)
ストロンチウム、白血病、骨の癌、半減期(30年、ストロンチウム90)
プルトニウム、肺がん、骨の癌、半減期(2万4000年、プルトニウム89)
(注入水、浄化施設)
       注入水一日380Kt(1日)
       油除去(東芝)…セシウム除去(米キュリオン)…沈殿(仏アレバ)…
       …浄化(日立)という具合です。
(3)アメリカやイギリスやフランスの「原子力の専門家チーム」を連れてこい!
(4)スマトラ地震(2004年)のときと東日本大震災(2011年3月11日)のではメディ
   アが違う。スマトラ地震では素人が撮った映像だけ。東日本大震災ではプロの撮
   った映像が満載です。これからの災害に活かせ!
(5)一箇所に原子力発電所を置くのは危険。政府も役人も学者もいい加減だし、3ヶ月
も「メルトダウン(炉心融解)」を隠蔽していた。
(6)計画停電の愚①は「問題は電灯ではなく大型コンピュータ(スパコン等)」
(7)被災民は資金力がない。災害保険も自動車保険も免責であろう。
(8)原発は「絶対安全か?」というと「いやいや何でも絶対安全はない」と言っても原発
住人は納得しない。「地球に隕石が落下してきてあなたが死ぬ確率と同じです」という
べきです。今回のことがアメリカやドイツやイギリスやフランスで起こるか?はそ
の確率と同じ。日本の「福島第一原子力発電所事故」は別格だ。ビル・ゲイツが4兆 
円もっていてそれを超えようというのと同じ。20mの津波、電力すべてDGすべてダ
ウンするなど世界でも稀。
(9)東北地方の工場は「世界一の技術」がある。だから中国やタイ、ミャンマー、バン
グラデシュより人件費が高くてもペイしている。東アジアや韓国のサムソンや米英
仏の企業の要だ。世界中がパニックになっているのは東北の工場が止まったから。
(10)計画停電の愚②は一日3時間順番で止めるのではなく、ピークを減らせ。東電は
配電会社として国有化だ。
今は原発をやりたがる会社は日本にはない。
(11)地域繁栄の為の道州制。
(12)日本人のメンタリティの変革(ノブレス・オブリージュ、イノベーション、論語と
   算盤、プリンシプル、パブリックサーヴァント意識、マネジメント)
(日本の老人は金持ちではないし、世界一の貯金額は米国に抜かれた)
(13)住宅は日本は耐用時期が短い。アメリカは63年、英国は84年、日本は27年。
   日本では10年で「売り物」にならなくなるが、アメリカはロケーションがよければ
   値段は上がり続ける。
(14)変人のリーダーを持ち、日本に「都」を6つか7つつくる。「大阪都」「名古屋都」
   「東京都」「京都都」「新潟都」「福岡都」など。東日本大震災の教訓を活かせ!
(15)ストレステストは欧米で原発のストレステストとして「事故前」に行っていた事
   である。しかも飛行機が原発に墜落したら…など「福島第一原子力発電所事故」
   のような「チェルノブイリ事故」的な事故を想定していない。日本独自のケース
   「日本版ストレステスト」を創造せよ。
(16)放射能汚染水は12万トン(小学生のプール水30杯分)。1000mSv以上は(そばにい
   ても吐き気や触ると火傷する)危険度。水のほとんどは冷却する距離は4Kmもある
   ので放射能を取り除かないとだめ(1日1200t)まだ除染施設は稼働未満(1週間で
   6回も停止している)である。放射能汚染水は2000トン(ドラム缶一万個分)で
   はあるが他社の施設を繋げているためつまらぬミス多い。
(17)被災と66年前の戦後の「焼け野原」からの(1945年)復興は同じ。歴史から学ぶ
   とはいいことは真似て失敗は反省しようということ。1945年広島長崎原爆、東京も
  大阪も名古屋も「焼け野原」。日本戦後の発展は3つ(農地解放(大地主から小作人に)、
財閥解体(財閥大会社の子会社を独立企業に(60代70代の社長クビ。30代社長20代社長が競争した。イノベーションがあった))傾斜生産(日本一丸に。石炭から鉄鋼で一丸となってインフラ整備。新エネルギー開発、新製品開発、イノベーション))


ここからは堺屋太一先生著作の「第三の敗戦」(講談社)からの引用です。盗作ではありません。引用です。

堺屋太一「第三の敗戦」

はじめに

2011年3月11日の東日本大震災は1860年代の幕末、1940年代の太平洋戦争敗戦につぐ「第三の敗戦」ともいうべき深刻な事態である。20年もの経済力低下、社会の格差化、文化の衰退と「戦後日本の繁栄」の終焉をはっきりさせるような事態である。
①日本の得意とされるアニメ、漫画世界でも21世紀にはいってから傑作が少ない。国際的に活躍する芸術家、建築家、ファッション、デザイン、絵画、映像、映画、音楽、などの分野の大半は60歳以上である。
②今こそ「文化の楽しみ」の早期復活が不可欠である。
③最悪のケースは、インフレとデフレの共存するスタグフレーションである。新資源や電力料金は不足値上がりし、国内の外資国内有数主要大企業が国外にいき失業率急増、ばらまかれた税金は溝の底に落ちる。これが「最悪のケース」である。

1 第一の敗戦(幕末ー黒船)

 1853年(嘉永六年)6月3日、アメリカ太平洋艦隊、いわゆる「黒船」が出てきた。徳川幕府は不幸続き、12代将軍家慶は病死、13代将軍家定は知恵遅れ。幕末のメッセージは「日本よ、安定だけでいいのか?進歩は?」という事。
①「明治維新」とは何か?
 幕末維新を書いた本は多い。だがそのほとんどは人物伝や政変ドラマで、当時の日本の姿を正確に描いていない。現実の日本は惨めだった。交通、経済、政治、産業、通信、通貨制度、などあらゆる面で「最貧の孤立国」でしかなかった。
②1868年(慶応四年)1月の鳥羽伏見の戦いから翌年の箱館戦争までのすべての動乱による戦死者は3万数千人。短期間で欧米とくらべ少ない。
③大改革を指揮した「一人の英雄」がいない。今日は西郷隆盛や大久保利通や桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、岩倉具視、坂本龍馬が活躍したようにクローズアップされるが所詮は「社会の歯車」のひとつでしかなかった。
④徹底的に変革(イノベーション)を「明治維新」は生んだ。
 武士社会から「富国強兵」「確産復興」「脱亜入欧」「廃藩置県」(中央集権国家)「学歴主義」「学校制度」(身分社会から職能社会へ)「新貨幣制度」(モノマネ経済)「明治の健軍」(強い軍を造った素人たち)「発展の仕組み」(坂の上の雲を目指して)

2 第二の敗戦(太平洋戦争敗戦後の繁栄)

敗戦後の日本はほとんど「無」からだった。一面「焼け野原」で、ハードも政府も財閥もなくなった。だがパックス・アメリカーナというアメリカの庇護はラッキーだった。世界一豊かな国・アメリカの支援、ボディーガード。
①「団塊の世代」(日本人は未来を信じていた)
②戦後日本の国是(脱亜入米欧・自由主義経済園)(官僚主義と学歴主義)
③戦後日本の倫理①安全(治安、経済、政治、施設、製品、道路、道徳)
        ②平等(一億総中流)
        ③効率(生産性のための向上、大型化、大量化、高速化)
④戦後日本社会を支えた「三角ピラミッド」①官僚主義(学歴主義)②日本型経営(終身雇用、年功序列)③人材教育(没個性、創造力や知力の低下)


     3 第三の敗戦(2011年3月11日東日本大震災)
 
バブル崩壊と冷戦体制崩壊。「人間の幸せは物財の多さではなく、満足の大きさだ」といつの間にか人々一般に広まった。
人生観(工業社会では①教育②経済③蓄財④結婚⑤出産⑥育児⑦老後)
①「追われる側」になった日本ーアジアの工業化
②大不況の対策①不良金融機関の整理、一時国有化
       ②健全銀行への公的資金の注入と金融系列の整理統合
       ③銀行預金の全額国家補償
      ④中小企業の借入の一定額まで政府保証
      ⑤巨額の補正予算による需要創造、景気振興
③少子高齢化
④公務員改革の挫折ー軍閥時代と思わす政治の無力
⑤ネットベンチャーで成功、金融と電力では失敗
⑥短命内閣(安倍、福田、麻生、鳩山、菅)
⑦鉱工業生産15.3%低下ー消費支出8.5%減少
⑧財政破綻ー「敗戦後の状態」貧困2000万人、生活保護受給者200万人
*国外へでていく産業ー失業率急増
*教育の低下ー考える頭、創造力や知力の低下、マインドの低下、拝金主義
*官僚依存と国家の「官僚アレルギー」「反官僚嫌官僚」
「省資源化社会」を目指す。復興財源は「エネルギー負担税」で
*国際的孤立ー思いつき政治からの脱却(道州制導入を)
*外国人労働者に愛されない国(脱工業化ー知価社会を目指す)
 復興三柱ー地域、文化、産業。人的支援を拡大しよう!



大前研一著「決別―大前研一の新・国家戦略論」朝日新聞出版2012年1月18日
   まとめ。ちなみに盗作ではありません。引用です。

第一章 迷走する日本
    1 馬鹿な政府を持つと高くつく
     過去の延長線上でしか考えない官僚と、政局しか頭にない政治家に任せていれば、日本は間違いなく衰退する。しかし馬鹿な政府をつくったのは国民であり、結局のところ自分たちでなんとかするしかない。過去に成功した「ニッポン・モデル」は陳腐化し、硬直化した。ゼロベースの大改革を断行し、新しい日本をつくるべきだ。
  原発災害は7兆円。「A地点で観測された放射線量は〇〇マイクロシーベルト/アワーです。B地点では〇〇マイクロシーベルト/アワーです。政府としては50マイクロシーベルト/アワーを超えた場合は避難をお願いしたい」といえば東電および政府の損害保証は最小限に済んだ筈である。出荷制限も「食材コット(単位)」でなく県全体にした為風評は凄かった。
   2 「東アジア共同体」「日米中正三角形」も中身がない。
   3 危機管理の低さを原発対応で世界にしらしめた(セミのしょうべんヘリによる放水作戦、メルトダウン隠ぺい)
   4 出鱈目だった計画停電(東京都心部は守る官僚中心主義)。馬鹿な政府は嘘をつく。
   5 首相選びは国民投票で
 
 2 輸入は日本が厳しすぎ
   1 アメリカには日本の一〇〇倍、何千万頭もの牛がいる。そのうち1から2頭がBSEや口蹄疫になっただけで全頭輸入禁止は厳しすぎる。日本産の牛肉もおなじことをされたら?
   2 中国食品工場は半導体工場と同じくらいクリーンだ。ネズミやカビなどはいってはいない。
   3 本当のグローバリズムとは「こういうことをされたら相手の国はどう思うか?その国民はどう思うか?」と常に考えることだ。日本や日本人のことばかり考えるな。
   4 日本は黒船、マッカーサー、オイル・ショック、ゴルバチョフ、オバマなど追い込まれなければ改革や変革できない。


第二章 混乱の原因はどこにあるのか?

   1 「官尊政民卑」馬鹿で不勉強な政治家に「政治主導」などできる訳ない。
結局、官僚の作文を棒読みするだけだ。官僚も「国家戦略」などもっていない。「過去の成功例」を何度も持ち出して何度も試すのみ。で、「失われた20年」。官僚と話すと「あんたみたいなひとが危ない危ないというから社会が混乱する。黙っててくれ」という。例えば子供の預かりは地域の経験豊富な高齢者に任せるとか何の戦略もない。役人は予算を付けるとか減らすとかだけ。花粉症にしても30年前に植えた古い杉を伐採して元の雑木材に戻せばいいだけなのに考えない。花粉ださない杉の改良だの「花粉飛散マップ」だの滑稽なことをするだけ。黙っていたら国が亡ぶ。
   2 自分たちの都合のいい法案しかつくらない(つくれない)
 憲法や法案には明治時代の法案も多数存在する。古い法律を廃止する法律(サンセット法律)がない。既存の法律に抵触しないで新・法律案を創るのは至難の業となる。となると官僚丸投げになるしかない。
   3 政局しか頭にない政治家
 日本の政治家はカッコのいいスローガンを求めるだけであまり勉強してない。60歳にもなって「この前ドラッガーのマネジメント読みました。話題なので」というレベル。
   4 馬鹿な政府・官僚をつくったのは「馬鹿国民」
 過去の延長線上でしか考えられない官僚、政局のことしか頭にない政治家、このままではこの日本という国は間違いなく衰退する。だが、政治家や政府閣僚は自分たちで選んだのだ。テレビの評論家やなんとか総研のエリート研究者や財界人や大作家のいうことを鵜呑みにし金科玉条のように崇め「自分で考える」という当たり前のことをしなくなった馬鹿国民が「馬鹿政府」をつくったのだ。分数の計算が出来ない大学生、何でも検索のガキ、コンピュータもまともに操れない高齢者…みんな同罪だ。誰が悪い訳でもない。みんな悪かったのだ。私の師匠である大前研一先生は「知の衰退」大家壮一は「一億総白痴化」という。が、誰も助けてはくれないぞ。自分のことは自分でやる。自分の頭で考えてみる、当たり前のことを復活させようではないか。
   5 偏差値教育とキャリア試験と学歴重視主義が「馬鹿国民」をつくる

   第三章 このままいけば日本は衰退する

1 二〇二五年、二〇五五年のビジョンはあるか?
日本の国家戦略には危機感がない。マレーシアのマハティール氏は凄いリーダーであった。台頭前の中国の経済成長を予知し危機感を持ってマレーシアをハイテクサイバー国家へした。(戦略「wawasan2020(ワワサン・ドゥワプル・ドゥワプル)」)
を実施したのだ(大前先生の献策だという)。アメリカと対峙してしまい謀略で首相辞任とはなったものの日本にとってお手本になる。
日本では国家戦略大臣を古川なんとかというひとが経済財政大臣と“兼任”している。このことからも「国家戦略」など名前だけなのがわかる。
2 GDP世界第三位の座も危うい
二〇二五年頃、インドやブラジル、インドネシアに抜かれる可能性がある。ちゃんとした「国家戦略」が日本にあれば…。
3 金融が国債頼りで危険
 一般的に銀行や金融を支援するのは「社会の血管」である金という血液を巡らすためという。が、今の日本は、企業が保有している大金を投資したり外国の銀行に預けて為替益を得ているだけで「社会の血液」である「お金」が回っていない状態である。で、日銀や金融機関はひたすら国債を購入しているだけだ。これは非常に危険な状態だ。つまり日本国債が破たんしたりデフォルト(債務不履行)すれば日銀や金融機関が全部コケル状態なのだ。こうなるとプライマリーバランスの正常化は「ネバーネバーギブアップ」だかなんだか知らないが政府には頑張って欲しい。これは我々日本人全員の首がかかっている話なのだ。経済のことを考えて金融に金を循環させても只々日本国債を買うだけという現実をまず知るべきである。危機の前でたじろぐな。まずは隗より始めよ。
4自分の子供ではなく自分や未来に投資しろ(宝籤ではない)。生涯にやりたいことが20あるか?
5 日本には個人金融資産1400兆円があり、300から400兆円の埋蔵金があるから大丈夫だ。というひとがいるが遣ってこその資産・埋蔵金だ。役に立たない。
6 日本国債は日本人金融機関がかっているから大丈夫?確かに外国人投資家は六%(44兆円)に過ぎない。しかし、彼らが一斉に売ればダイナマイト・インパクトだ。また日本国債がデフォルト(債務不履行)になれば1400兆円の個人金融資産も紙くずになる。
7 プライマリーバランス(財政の収支支出)の黒字化や安定は無理。「3年でプライマリーバランス(財政の安定化)に」という自民党の谷垣偵一氏がいわなくなったのも、どう計算しても無理だから。富裕層増税では金持ちや一流企業が海外にいくし、消費税40%でも1000兆円の日本国債の借金は穴埋めが無理ということ。
8日本人には上昇志向は出世欲がない。ハングリーさがない。自分のやりたいことをどんなになってもやりぬくという者が少ない。嘲笑したり、悪口をネットに書き込むクズが多い。IPO(新規株式上場)も香港・台湾の方が多い。
9移民しかない。


  第四章 三つの決別

1 江戸時代からの決別
 答えのない時代を生き抜け!誰も教えても助けてもくれないしマネもできない。
     いまだに残る幕藩体制(県に二空港、そのうちハブ空港は羽田成田だけ)
      100の空港と1200の貨物港
1 明治時代からの決別
都道府県を廃止して道州制を。地方のことは地方で。戸籍ではなく国民IDで(2003年からの住基ネットは人口のわずか4%しかない)
1 戦後からの決別
いまどき「日本人は手先が器用だ」「スキルがある」というと笑われる。鉛筆やリンゴの皮もナイフでまともに切れない日本人。中国人ベトナム人は忍耐強いし、SEとしても10時間フル労働しても入力ミスはほとんどない。日本人は2時間でミスが多くなる。もっと7京円のホームレスマネーを日本に呼び込む戦略が欲しい。スローガンだけは聞き飽きた。
      
 第五章 まず、小さな勝利を積み重ねる
    1 一国二制度でやりたいやつにやらせろ
    2 中国の英雄・小平(ドンシャオピン)は深釧、珠海、厦門など沿海部で発展させ中国全体に経済発展を成功させた。ロシアは天然ガスや原油輸出だけである。
3橋下徹や石原慎太郎や大村秀章や河村たかしなどに好きなようにやらせてみろ。(「変人特区」)
1地域間競争で風景が変わる
2競争を排除すると衰退する。
3変人に「偉大なる他国に誇れる社会」をつくってもらえ
4財政再建のためのノブレス・オブリージュ
*ボランティア教員  *遺産を寄付 *土地を寄付 
*介護を手伝う(中学高校の教科とする)*公的システムのPFI化(選挙、戸籍、住民票、免許など)*区役所・市役所などのヘルプボランティア
*社会に貢献したら生涯無税
      
 第六章  そしてゼロベースの大改革を断行
1国民データベース(国民DB)
2 政治や行政を根本からつくりかえる
3プライバシー保護の機関
4JCIA(緑川鷲羽私案)
5 クリエーティブな人材を育成する
3道州制
1日本人が日本のノウハウやプロセスを伝える社会貢献をする。
2韓国・カナダ・スイス・北欧に学べ
                     おわり
 

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前田利家とまつ 加賀百万石・秀吉の盟友の人生ブログ連載3

2012年01月22日 08時03分41秒 | 日記
第二章 天下布武




       3 秀吉 墨俣一夜城



         タヌキ家康


  織田信長は奇跡を起こした。桶狭間の合戦で勝利したことで、かれは一躍全国の注目となった。信長はすごいところは常識にとらわれないところだ。圧倒的不利とみられた桶狭間の合戦で奇襲作戦に出たり、寺院に参拝するどころか坊主ふくめて焼き討ちにしたり……と、その当時の常識からは考えられぬことを難なくやってのける。
 しかし、信長のように常識に捕らわれない人間というのは、いつの時代にも百人にひとりか千人にひとりかはいるのだという。その時代では考えられないような考えや思想をもった先見者はいる。しかし、それを実行するとなると難しい。周りからは馬鹿呼ばわりされるし(現に信長はうつけといわれた)、それを排除しよう、消去しよう、抹殺しようという保守派もでてくる。毎日が戦いと葛藤の連続である。信長はそれを受け止め、平手の死も弟の抹殺もなんのそのだった。信長の偉いところは嘲笑や罵声、悪口に動じなかったことだ。
 さらに信長の凄いところは家臣や兵たちに自分の考えや方針を徹底して守らせたこと、そうした自由な考えを実行し、流布したことにある。自分ひとりであれば何だってできる。馬鹿と蔑まれ、罵倒されようが、地位と命を捨てる気になれば何だってできる。しかし、信長の凄いところは、既成概念の排除を部下たちに浸透させ、自由な軍をつくったことだ。 桶狭間の合戦での勝利は、奇襲がうまくいった……などという単純なことではなく、ひとりの裏切り者がでなかったことにある。清洲城から桶狭間までは半日、十分に今川側に通報することもできた。しかし、そうした裏切り者は誰ひとりいなかった。「うつけ殿」と呼ばれてから十年あまりで、織田信長は領民や家臣から絶大の信頼を得ていたことがわかる。
 信長はさらに、既存価値からの脱却もおこなった。まず、「天下布武」などといいだし、楽市楽座をしき、産業を活発にして税収をあげようと画策した。さらに、家臣たちに早くから領国を与える示唆さえした。明智光秀に鎮西の九州の名族惟任家を継がせ日向守を名乗らせた。羽柴秀吉には筑前守を、丹羽長秀には明智と同じ九州の惟住家を継がせたという。また、柴田勝家と前田利家を北陸に、滝川一益を東国担当に据えた。ともに、出羽、越後、奥州を与えられたはずであるという。そうだとすると中部から中国、関東、北陸、九州まで、信長の手中になっていたはずである。実に強烈な中央集権国家を織田信長は考えていたことになる。まさに織田信長は天才であった。阿修羅の如き。天才。


  松平元康(のちの徳川家康)のもとに今川からの伝令が届いた。
「今川義元公が信長に討たれました」というのだ。
 元康は「馬鹿を申すな!」と声を荒げた。しかし、心の中では……あるいは…と思った。しかし、それを口に出すほどかれは馬鹿ではない。あるいは…。信長ごとき弱小大名に? 今川義元公が? 元康は眉をひそめた。味方からそんな情報が入る訳はない。かれはひどく疲れて、頭がいたくなる思いであった。そんな…ことが…今川と織田の兵力差は十倍であろう。ひどく頭が痛かった。ばかな。ばかな。ばかな。元康は心の中で葛藤した。そんなはずは…ない。ばかな。ばかな。悪魔のマントラ。
 しかし、松平元康は織田信長のことを前から監視していたから、あるいは…と思った。しかし、これからどうするべきか。織田信長は阿修羅の如き男じゃから、敵対し、負ければ、皆殺しになる。どうする? どうする? 元康はさらに葛藤した。
 しばらくすると、親戚筋にあたる水野信元の家臣である浅井道忠という男がやってきた。「織田の武将梶川一秀さまの命令を受けてやってまいりました」
 元康は冷静にと自分にいいきかせながら、無表情な顔で「何だ?」と尋ねた。是非とも答えが知りたかった。
「今川義元公が織田信長さまに討たれました。今川軍は駿河に向けて敗走中。早急にあなたさまもこの城から退却なされたほうがよいと、梶川一秀さまがおおせです」
 じっと浅井道忠の顔を凝視していた元康は、何かいうでもなく表情もかえず何か遠くを見るような、策略をめぐらせているような顔をした。梶川一秀というのは織田方に属してはいるが、その妻が元康の姉妹だった。しかも浅井の主人水野信元も梶川一秀の妻の兄だった。
「わかりもうした。梶川一秀殿に礼を申しておいてくれ」元康は頭を軽くさげ、表情を変えずにいた。浅井が去ると、元康は表情をくもらせた。家臣を桶狭間に向かわせ、報告を待った。「事実にこざりました!」その報告をきくと、元康はがくりとして、「さようか」といった。声がしぼんだ。がっかりした。そしてその表情のまま「城から出るぞ」といった。時刻は午後十一時四十二分頃だと歴史書にあるという。ずいぶんと細かい記録があるものだ。桶狭間合戦が午後四時であるから、元康はかなり城でがんばっていたということになる。味方だった今川軍は駿河に敗走していたというのに。
 このことから元康は後年「律義な徳川殿」と呼ばれたという。
  部下は当然、元康が居城の岡崎城に戻るのだと思っていた。
 しかし、かれは岡崎城の城下町に入っても、入城しなかった。部下たちは訝しがった。「この城は元々松平のものだが、今は今川の拠点。今川の派遣した城主がいるはず。その人物をおしのけてまで入城する気はない」
 元康は真剣な顔でいった。もうすべて知っているはずなのに、部下がいうのをまっていた。このあたりは狸ぶりがうかがえる。
 部下は「今川はすべて駿河に敗走中で、城はすべて空でござります」といった。
 それをきいてから元康は「では、岡崎城は捨て城か?」と尋ねた。
「さようでござる」
「さようか」元康はにやりとした。「ならば貰いうけてもよかろう」
 元康は今更駿河に戻る気などない。いや、二度と駿河に戻る気などない。しかし、元康は狡猾さを発揮して、パフォーマンスで駿河の今川氏真(義元の子)に「織田信長と一戦まじえて、義元公の敵討ちをいたしましょう」と再三書状を送った。しかし、氏真はグズグズと煮え切らない態度ばかりをとった。今川氏真は義元の子とはいえ、あまりにも軟弱でひよわな男であった。元康はそれを承知で書状を送ったのだ。
「よし! われらは織田信長と同盟しよう」元康はいった。
 元康はどこまでも狡猾だった。かれは不安もない訳ではなかった。しかし、織田信長があるいは天下人となるやも知れぬ可能性があるとも思っていた。十倍の今川を破り、義元の首をもぎとったのだ。信長というのはすごい男だ。
 元康は同盟は利がある、と思った。信長は敵になれば皆殺しにし、怒りの炎ですべてを焼き尽くす。しかし、同盟関係を結べば逆鱗に触れることもない。確かに、信長は恐ろしく残虐な男である。しかし、三河(愛知県東部)の領土である松平家としては信長につくしか道はない。
「組むなら信長だ。松平が織田と組めば、東国の北条、甲斐の武田、越後の長尾(上杉)に対抗できる。わしは東、信長は西だ」元康は堅く決心した。自分の野望のために同盟し、信長を利用してやろう。そのためにはわしはなんでもやゆるぞ!
 信長は桶狭間で今川には勝った。しかし、美濃攻略がうまくいってなかった。
「今のわしでは美濃は平定できぬ」信長はそんな弱音を吐いたという。あの信長……自分勝手で、神や仏も信じず、他人を道具のように使い、すぐ激怒し、けして弱音や涙をみせないのぼせあがりの信長が、である。かれは正直にいった。「まだ平定にはいたらぬ」
 道三が殺されて、義竜、竜興の時代になると斎藤家の内乱も治まってしまった。しかも、義竜は道三の息子ではなく土岐家のものだという情報が美濃中に広まると、国がぴしっと強固な壁のように一致団結してしまった。
 信長は清洲城で「斎藤義竜め! いまにみておれ!」と、怒りを顕にした。怒りで肩はこわばり、顔は真っ赤になった。癇癪で、なにもかもおかしくなりそうだった。
「殿! ここは辛抱どきです」前田(又左衛門)利家がいうと、「なにっ?!」と信長は目をぎらぎらさせた。怒りの顔は、まさに阿修羅だった。
 しかし、信長は反論しなかった。又左衛門の言葉があまりにも真実を突いていたため、信長はこころもち身をこわばらせた。全身を百本の鋭い槍で刺されたような痛みを感じた。 くそったれめ! とにかく、信長は怒りで、いかにして斎藤義竜たちを殺してやろうか………と、そればかり考えていた。
  利昌が死ぬと、長男・利久は荒子城をおわれ、かわりに利家が荒子城主となった。信長がきめたのだ。利久は反発したが、御屋形の命令ではしかたない。妻・つねと幼い慶次郎を連れて、荒子を出た。家臣・奥村家福も利久とともに浪人となった。まつが、秀吉殿は四千の兵をもったとか…というと、利家は「又兵衛は一騎当千だ」といったという。
イヌ(前田利家)とサル(羽柴藤吉郎秀吉)は信長の右腕左腕であり、信長が腹を割って話せる数少ない家臣であった。だが、信長は前田利家の兄・利久を毛嫌いしていた。屋敷にまねいて「お主に子はおるか?」ときく。「慶次郎と申す息子が…」「それは養子であろうが! この大馬鹿者! 去れ! 前田家はイヌに継がせる。お前は用なしだ!」
 信長の逆鱗に触れて、(とはいえ利久には逆鱗に触れた理由がわからんのだが)利久親子は荒子城を出た。浪人となった。ちなみに養子の慶次郎とはかぶき者として奇行で有名な人物であり、利家が親類みたいな者だから、「俺の家臣になれ」と誘った。
 が、慶次郎は「ひょっと斎」と号して、ついに利家の家臣にはならなかった。後に越後・会津・出羽米沢にいく上杉景勝の元にいって家臣となった風変わりな「変人」である。
 上杉の参謀で執政・直江山城守兼続を尊敬し、景勝の武勇に憧れて、関ヶ原・大阪の陣後、米沢にきて上杉家の家臣となった風流人でもある。



         尾三同盟

   松平元康は清洲城にやってきた。永禄五年(一五六二)正月のことであった。ふたりの間には攻守同盟が結ばれた。条件は、「元康の長男竹千代(信康)と、信長の長女五徳を結婚させる」ということだったという。
 そこには暗黙の条件があった。信長は西に目を向ける、元康は東に目を向ける……ということである。元康には不安もあった。妻子のことである。かれの妻子は駿河にいる。信長と同盟を結んだとなれば殺害されるのも目にみえている。
「わたくしめが殿の奥方とお子を駿河より連れてまいります」
 突然、元康の心を読んだかのように石川数正という男がいった。
「なにっ?!」元康は驚いて、目を丸くした。そんなことができるのか? という訳だ。
「はっ、可能でござる」石川はにやりとした。
 方法は簡単である。今川の武将を何人か人質にとり、元康の妻子と交換するのだ。これは松平竹千代(元康)と織田家の武将を交換したときのをマネたものだった。
  織田信長の美濃攻略には七年の歳月がかかったという。その間、信長は拠点を清洲城から美濃に近い小牧山に移した。清洲の城の近くの五条川がしばしば氾濫し、交通の便が悪かったためだ。
 元康の長男竹千代(信康)と、信長の長女五徳は結婚した。元康は二十歳、信長は二十九歳のときのことである。元康は「家康」と名を改める。家康の名は、家内が安康であるように、とつけたのではないか? よくわからないが、とにかく元康の元は今川義元からとったもので、信長と攻守同盟を結んだ家康としては名をかえるのは当然のことであった。「皆のもの」信長は家康をともなって座に現れた。そして「わが弟と同格の家康殿である」と家臣にいった。「家康殿をわしと同じくうやまえ」
「ははっ」信長の家臣たちは平伏した。
「いやいや、わたしのことなど…」家康は恐縮した。「儀兄、信長殿の家臣のみなさま、どうぞ家康をよろしい頼みまする」恐ろしいほど丁寧に、家康は言葉を選んでいった。
 また、信長の家臣たちは平伏した。
「いやいや」家康はまたしても恐縮した。さすがは狸である。
 井ノ口(岐阜)を攻撃していた信長は、小牧山に拠点を移し、今までの西美濃を迂回しての攻撃コースを直線コースへとかえていた。

       サル


  猿(木下藤吉郎)が織田家に入ってきたのは、信長が斎藤家と争っているころか、桶狭間合戦あたり頃からであるという。就職を斡旋したのは一若とガンマクというこれまた素性の卑しい者たちであった。猿(木下藤吉郎)にしても百姓出の、家出少年出身で、何のコネも金もない。猿は最初、織田信長などに……などと思っていた。
「尾張のうつけ(阿呆)殿」との悪評にまどわされていたのだ。しかし、もう一方で、信長という男は能力主義だ、という情報も知っていた。徹底した能力主義者で、相手を学歴や家柄では判断しない。たとえ家臣として永く務めた者であっても、能力がなくなったり用がなくなれば、信長は容赦なくクビにした。林通勝や佐久間父子がいい例である。
 能力があれば、徹底して取り上げる……のちの秀吉はそんな信長の魅力にひきつけられた。俺は百姓で、何ひとつ家柄も何もない。顔もこんな猿顔だ。しかし、信長様なら俺の良さをわかってくれる気がする。
 猿(木下藤吉郎)はそんな淡い気持ちで、織田家に入った。
「よろしく頼み申す」猿は一若とガンマクにいった。こうして、木下藤吉郎は織田家の信長に支えることになった。放浪生活をやめ、故郷に戻ったのは天文二十二、三年とも数年後の永禄元年(一五五八)の頃ともいわれているそうだ。木下藤吉郎は二十三歳、二つ年上の信長は二十五歳だった。
 だが、信長の家来となったからといって、急に武士になれる訳はない。最初は中間、小者、しかも草履取りだった。信長もこの頃はまだ若かったから、毎晩局(愛人の部屋)に通った。局は軒ぞいにはいけず、いったん城の庭に出て、そこから歩いていかなくてはならない。しかし、その晩もその次の晩も、草履取りは決まって猿(木下藤吉郎)であった。 信長は不思議に思って、草履取りの頭を呼んだ。
「毎晩、わしの共をするのはあの猿だ。なぜ毎晩あやつなのだ?」
 すると、頭は困って「それは藤吉郎の希望でして……なんでも自分は新参者だから、御屋形様についていろいろ学びたいと…」
 信長は不快に思った。そして、憎悪というか、怒りを覚えた。信長は坊っちゃん育ちののぼせあがりだが、ひとを見る目には長けていた。
 ……猿(木下藤吉郎)め! 毎晩つきっきりで俺の側にいて顔を覚えさせ、早く出世しようという魂胆だな。俺を利用しようとしやがって!
 信長は今までにないくらいに腹が立った。俺を……この俺様を…利用しようとは!
  ある晩、信長が局から出てくると、草履が生暖かい。怒りの波が、信長の血管を走りぬけた。「馬鹿もの!」怒鳴って、猿を蹴り倒した。歯をぎりぎりいわせ、
「貴様、斬り殺すぞ! 貴様、俺の草履を尻に敷いていただろう?!」とぶっそうな言葉を吐いた。本当に頭にきていた。
 藤吉郎が空気を呑みこんだ拍子に喉仏が上下した。猿は飛び起きて平伏し、「いいえ! 思いもよらぬことでござりまする! こうして草履を温めておきました」といった。
「なにっ?!」
 信長が牙を向うとすると、猿は諸肌脱いだ。体の胸と背中に確かに草履の跡があった。信長は呆れた顔で、木下藤吉郎を凝視した。そして、その日から信長の猿に対する態度がかわった。信長は猿を草履取りの頭にした。
 頭ともなれば外で待たずとも屋敷の中にはいることができる。しかし、藤吉郎はいつものように外で辺りをじっと見回していた。絶対にあがらなかった。
「なぜ上にあがらない?」
 信長が不思議に思って尋ねると、藤吉郎は「今は戦国乱世であります。いつ、何時、あなた様に危害を加えようと企むやからがこないとも限りませぬ。わたくしめはそれを見張りたいのです。上にあがれば気が緩み、やからの企みを阻止できなくなりまする」と言った。
 信長は唖然として、そして「サル! 大儀……である」とやっといった。こいつの忠誠心は本物かも知れぬ。と思った。信長にとってこのような人物は初めてであった。
 あやつは浮浪者・下郎からの身分ゆえ、苦労を良く知っておる。
 信長も秀吉も家康も、けっこう経営上手で、銭勘定にはうるさかったという。しかし、その中でも、浮浪者・下郎あがりの秀吉はとくに苦労人のため銭集めには執着した。そして、秀吉は機転のきく頭のいい男であった。知謀のひとだったのだ。
 こんなエピソードがある。
 あるとき、信長が猿を呼んで「サル、竹がいる。もってこい」と命じた。すると猿は信長が命じたより多くの竹を切ってもってきた。そして、その竹を竹林を管理する農民に与えた。また、竹の葉を城の台所にもっていき「燃料にしなさい」といったという。
 また、こんなエピソードもある。冬になって城の武士たちがしきりに蜜柑を食べる。皮は捨ててしまう。藤吉郎は丹念にその皮を集めた。
「そんな皮をどうしようってんだ?」武士たちがきくと、藤吉郎は「肩衣をつくります」「みかんの皮でどうやって?」武士たちが嘲笑した。しかし、藤吉郎はみかんの皮で肩衣をつくった訳ではなかった。その皮をもって城下町の薬屋に売ったのだ。(陳皮という) 皮を売った代金で、藤吉郎は肩衣を買ったのだ。同僚たちは呆れ果てた。
 また、こんなエピソードもある。戦場にいくとき、藤吉郎は馬にのることを信長より許されていた。しかし、彼は戦場につくまで歩いて共をした。戦場に着くとなぜか馬に乗っている。信長は不思議に思って「藤吉郎、その馬を何処で手にいれた?」ときいた。
 藤吉郎は「わたくしめは金がないゆえ、この馬は同僚と金を折半して買いました。ですから、前半は同僚が乗り、後半はわたくしめが乗ることにしたのです」と飄々といった。 信長はサルの知恵の凄さに驚いた。戦場につくまでは別に馬に乗らなくてもよい。しかし、戦場では馬に乗ったほうが有利だ。それを熟知した木下藤吉郎の知謀に信長は舌を巻いた。桶狭間での社内の物音や鳩のアイデアも、実は木下藤吉郎のものではなかったのか。 桶狭間後には藤吉郎は一人前の武士として扱われるようになった。知行地をもらった。知行地とは、そこで農民がつくった農作物を年貢としてもらえ、また戦争のときにはその地の農民を兵士として徴収できる権利のことである。
 しかし、木下藤吉郎は戦になっても農民を徴兵しなかった。かれは農民たちにこういった。「戦に参加したくなければ銭をだせ。そうすれば徴兵しない。農地の所有権も保証する」こうして、藤吉郎は農民から銭を集め、その金でプロの兵士たちを雇い、鉄砲をそろえた。戦場にいくとき、信長は重装備で鉄砲そろえの部隊を発見し、
「あの隊は誰の部隊だ?」と部下にきいた。
「木下藤吉郎の部隊でごさりまする」部下はいった。信長は感心した。あやつは農民と武士をすでに分離しておる。


         石垣修復


  織田信長は武田信玄のような策士ではない。奇策縦横の男でもなければ物静かな男でもない。キレやすく、のぼせあがりで、戦のときも只、力と数に頼って攻めるだけだ。しかし、かれはチームワークを何よりも大事にした。ひとりひとりは非力でも、数を集めれば力になる。信長は組織を大事にした。
 あるとき、信長は城の石垣工事が進んでいないのに腹を立てた。もう数か月、工事がのろのろと亀のようにすすまない。信長はそれを見て、怒りの波が全身の血管を駆けめぐるのを感じた。早くしてほしい、そう思い、顔を紅潮させて「早く石垣をつくれ!」と怒鳴った。城下町では千宗易が茶碗を売っていた。小一郎(秀長)は「まけてくれ」といってねぎっているところだった。信長は茶碗を千宗易から百貫で買っていた。藤吉郎(秀吉)はそれをみてショックをうけた。たかが茶碗に……百貫もの銭を……
 藤吉郎には理解のできないことであった。
   ある日、藤吉郎が「わたくしめなら、一週間で石垣をつくってごらんにいれます」とにやりと猿顔を信長に向けた。
「なんだと?!」そういったのは柴田勝家と丹羽長秀だった。「わしらがやっても数か月かかってるのだぞ! 何が一週間だ?! このサル!」わめいた。
 藤吉郎は「わたくしめなら、一週間で石垣をつくってごらんにいれます。もし作れぬのなら腹を斬りまする!」と猿顔をまた信長に向けた。
「サル、やってみよ」信長はいった。サルは作業者たちをチーム分けし、工事箇所を十分割して、「さあ組ごとに競争しろ。一番早く出来たものには御屋形様より褒美がでる」といった。こうして、サルはわずか一週間で石垣工事を完成させたのであった。
  信長はいきなり井ノ口(岐阜)の斎藤竜興の稲葉山城を攻めるより、迂回して攻略する方法を選んだ。それまでは西美濃から攻めていたが、迂回し、小牧山城から北上し、犬山城のほか加治田城などを攻略した。しかし、鵜沼城主大沢基康だけは歯がたたない。そこで藤吉郎は知恵をしぼった。かれは数人の共とともに鵜沼城にはいった。
 斎藤氏の土豪の大沢基康は怪訝な顔で「なんのようだ?」ときいた。
「信長さまとあって会見してくだされ」藤吉郎は平伏した。
「あの蝮の娘を嫁にしたやつか? 騙されるものか」大沢はいった。
 藤吉郎は「ぜひ、信長さまの味方になって、会見を!」とゆずらない。
「……わかった。しかし、人質はいないのか?」
「人質はおります」藤吉郎はいった。
「どこに?」
「ここに」藤吉郎は自分を指差した。大沢は呆れた。なんという男だ。しかし、信じてみよう、という気になった。こうして、大沢基康は信長と会見して和睦した。しかし、信長は大沢が用なしになると殺そうとした。
 藤吉郎は「冗談ではありません。それでは私の面子が失われます。もう一度大沢殿と話し合ってくだされ」とあわてた。信長は「お前はわしの大事な部下だ。大沢などただの土豪に過ぎぬ。殺してもたいしたことはない」
「いいえ!」かれは首をおおきく左右にふった。
 こうして藤吉郎は大沢を救い、出世の手掛かりを得て、無事、鵜沼城から帰ってきた。 この頃、明智光秀は越前で将軍・義昭と謁見した。サルは信長の茶屋によばれ、千宗易のつくる茶をがばっと飲んだ。「これ、サル!」信長が注意すると、千宗易は笑って「かましまへん、茶などでう飲んでもええですがな」といった。

         竹中半兵衛


  信長はこの頃、単に斎藤氏の攻略だけでなく、いわゆる「遠交近攻」の策を考えていた。松平元康との攻守同盟をむすんだ信長は、同じく北近江国の小谷山城主・浅井長政に手を伸ばした。攻守同盟をむすんで妹のお市を妻として送り込んだ。浅井長政は二十歳、お市は十七歳である。お市は絶世の美女といわれ、長政もいい男であった。そして三人の娘が生まれる。秀吉の愛人となる淀君、徳川二代目秀忠の妻・お江、京極高次という大名の妻となる初である。また信長は、越後(新潟県)の上杉輝虎(上杉謙信)にも手をのばす。謙信とも攻守同盟をむすぶ。条件として自分の息子を輝虎の養子にした。また武田信玄とも攻守同盟をむすんだ。これまた政略結婚である。

「サル!」
 あるとき、信長は秀吉をよんだ。秀吉はほんとうに猿のような顔をしていた。
「お呼びでござりまするか、殿!」汚い服をきた猿のような男が駆けつけた。それが秀吉だった。サルは平伏した。
「うむ。猿、貴様、竹中半兵衛という男を知っておるか?」
「はっ!」サルは頷いた。「今川にながく支えていた軍師で、永禄七年二月に突然稲葉山城を占拠したという男でごさりましょう」
「うむ。猿、なぜ竹中半兵衛という男は主・今川竜興を裏切ったのだ?」
「それは…」サルはためらった。「聞くところによれば、城主・今川竜興が竹中半兵衛という男をひどく侮辱したからだといいます。そこで人格高潔な竹中は我慢がならず、自分の智謀がいかにすぐれているか示すために、主人の城を乗っ取ってみせたと」
「ほう?」
「動機が動機ですから、竹中はすぐ今川竜興に城を返したといいます」
「気にいった!」信長は膝をぴしやりとうった。「猿、その竹中半兵衛という男にあって、わしの部下になるように説得してこい」
「かしこまりました!」
 猿(木下藤吉郎)は顔をくしゃくしゃにして頭を下げた。お辞儀をすると、飄々と美濃国へ向けて出立した。この木下藤吉郎(または猿)こそが、のちの豊臣秀吉である。

  汚い格好に笠姿の藤吉郎は、竹中半兵衛の邸宅を訪ねた。木下藤吉郎は竹中と少し話しただけで、彼の理知ぶりに感激し、また竹中半兵衛のほうも藤吉郎を気にいったという。 しかし、竹中半兵衛は信長の部下となるのを嫌がった。
「理由は? 理由はなんでござるか?」
「わたしは…」竹中半兵衛は続けた。「わたしは信長という男が大嫌いです」ハッキリいった。そして、さらに続けた。「わたしが稲葉山城を乗っ取ったときいて、城を渡せば美濃半国をくれるという。そういうことをいう人物をわたしは軽蔑します」
「……さようでござるか」木下藤吉郎の声がしぼんだ。がっくりときた。
 しかし、そこですぐ諦めるほど藤吉郎は馬鹿ではない。それから何度も山の奥深いところに建つ竹中半兵衛の邸宅を訪ね、三願の礼どころか十願の礼をつくした。
 竹中半兵衛は困ったものだと大量の本にかこまれながら思った。
「竹中半兵衛殿!」木下藤吉郎は玄関の外で雨に濡れながらいった。「ひとはひとのために働いてこそのひとにござる。悪戯に書物を読み耽り、世の中の役に立とうとしないのは卑怯者のすることにござる!」
 半兵衛は書物から目を背け、玄関の外にいる藤吉郎に思いをはせた。…世の中の役に?  ある日、とうとう竹中半兵衛は折れた。
「わかり申した。部下となりましょう」竹中半兵衛は魅力的な笑顔をみせた。
「かたじけのうござる!」
「ただし」半兵衛は書物から目を移し、木下藤吉郎の猿顔をじっとみた。「わたしが部下になるのは信長のではありません。信長は大嫌いです。わたしが部下となるのは…木下藤吉郎殿、あなたの部下にです」
「え?」藤吉郎は驚いて目を丸くした。「しかし…わたしは只の百姓出の足軽のようなものにござる。竹中半兵衛殿を部下にするなど…とてもとても」
「いえ」竹中は頷いた。「あなたさまはきっといずれ天下をとられる男です」
 木下藤吉郎の血管を、津波のように熱いものが駆けめぐった。それは感情……というよりいいようもない思い出のようなものだった。むしょうに嬉しかった。しかし、こうなると御屋形様の劇鱗に触れかねない。が、いろいろあったあげく、竹中半兵衛は木下藤吉郎の部下となり、藤吉郎はかけがえのない軍師を得たのだった。

         墨俣一夜城


  美濃完全攻略、それが当面の織田信長の課題であった。
 そして、そのためには何よりも斎藤氏の本拠地である稲葉山城を落城させなければならなかった。稲葉山城攻撃も、西美濃からの攻撃だけでなく、南方面からの攻撃が不可欠であった。が、稲葉山城の南面には木曾川、長良川などの川が天然の防柵のようになっている。そこからの攻撃には拠点が必要である。
 信長は閃いた。墨俣に城を築けば、美濃の南から攻撃ができる。しかし、そこは敵陣のどまんなかである。そんなところに城が築けるであろうか?
 弟の小一郎はサルに「まず誰かにやらせてみて、それから兄じゃがやればよい」と忠告していた。しかし、誰かが城をつくってしまったら…。弟はいった。「誰かが出来ることを兄じゃがやっても仕方ないじゃろ? 誰も出来ないことをやれば兄じゃの天下よ」
 かくして、信長の家臣団は墨俣に城をつくることができないでいた。
「サル!」信長はサルを呼んだ。「お前は墨俣の湿地帯に城を築けるか?」
「はっ! できまする!」藤吉郎は平伏した。
「どうやってやるつもりだ? 権六(柴田勝家)や五郎左(丹羽長秀)でさえ失敗したというのに…」
「おそれながら御屋形様! わたくしめには知恵がござりまする!」藤吉郎はにやりとして、右手人差し指をこめかみに当てて、とんとんと叩いた。妙案がある…というところだ。「知恵だと?!」
「はっ! おそれながら築城には織田家のものではだめです。野伏をつかいます。稲田、青山、蜂須賀、加地田、河口、長江などが役にたつと思いまする。中でも、蜂須賀小六正勝は、わたくしめが放浪していた頃に恩を受けました。この土豪たちは川の氾濫と戦ってきた経験もあります。すぐれた土木建設技術も持っております」
「そうか……野伏か。なら、わしも手をかそう」
「ならば、御屋形様は木材を調達して下され」
「わかった。で? どうやるつもりか?」信長は是非とも答えがききたかった。
「それは秘密です。それより、野伏をすぐに御屋形様の家来にしてくだされ」
「何?」信長は怪訝な顔をして「城ができたらそういたそう」
「いえ。それではだめです。城が出来てから…などというのでは野伏は動きません。まず、取り立てて、さらに成果があればさらに取り立てるのです」
 信長は唖然とした。
 下層階層の不満や欲求をよく知る藤吉郎なればの考えであった。しかし、坊っちゃん育ちの信長には理解できない。信長は「まぁいい……わかった。お前の好きなようにやれ」と頷くだけだった。藤吉郎は、蜂須賀小六らに「信長公の部下にする」と約束した。
「本当に信長の家臣にしてくれるのか?」蜂須賀小六はうたがった。
「本当だとも! 嘘じゃねぇ。嘘なら腹を切る」藤吉郎は真剣にいった。
 信長はいわれたとおりに木材を伐採させ、いかだに乗せて木曾川上流から流させた。その木材が墨俣についたらパーツごとに組み立てるのである。まさに川がベルトコンベアーの役割を果たし、城は一夜にして完成した。墨俣一夜城で、ある。

「よくやったサル!」
 信長は、清洲城に着いて、秀吉をほめた。
 一同は平伏する。しかし、利家は動揺し、何もいえなかった。あのサルが…。まつは平伏しながら夫の腰をとんとんと叩いた。
”利家殿……まけてはなりませぬ”
 まつの顔はそんなことをいっているような顔だった。
「御屋形様!」利家はあえぎあえぎだが、やっと声を出した。「秀吉は……織田家の宝でごさる!」信長は関心して、「よく申したイヌ!」といった。利家は落胆した。だが、利家は一同に笑顔を見せた。”こんなの屁でもないさ”と強がってみせる笑顔であった。……こんなの…屁でもないさ……



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前田利家とまつ 加賀百万石・秀吉の盟友の人生ブログ連載2

2012年01月21日 11時18分29秒 | 日記
 2 桶狭間合戦




         今川義元


 戦国時代の二大奇跡がある。ひとは中国地方を平定ようと立ち上がった毛利元就と陶晴賢との巌島の合戦、もうひとつが織田信長と今川義元との間でおこった桶狭間の合戦である。どちらも奇襲作戦により敵大将の首をとった奇跡の合戦だ。
 しかし、その桶狭間合戦の前のエピソードから語ろう。
  斎藤道三との会談から帰った織田信長は、一族処分の戦をおこした。織田方に味方していた鳴海城主山口左馬助は信秀が死ぬと、今川に寝返っていた。反信長の姿勢をとった。そのため、信長はわずか八百の手勢だけを率いて攻撃したという。また、尾張の守護の一族も追放した。信長は弟・信行を謀殺した。しかし、それは弘治三年(一五五七)十一月二日のことであったという。
 信長は邪魔者や愚か者には容赦なかった。幼い頃、血や炎をみてびくついていた信長はすでにない。平手政秀の死とともに、斎藤道三との会談により、かれは変貌したのだ。鬼、鬼神のような阿修羅の如く強い男に。
 平手政秀の霊に報いるように、信長は今川との戦いに邁進した。まず、信長は尾張の外れに城を築いた今川配下の松平家次を攻撃した。しかし、家次は以外と強くて信長軍は大敗した。そこで信長は「わしは今川を甘くみていた」と思った。
「おのれ!」信長の全身の血管を怒りの波が走りぬけた。「今川義元めが! この信長をなめるなよ!」怒りで、全身が小刻みに震えた。それは激怒というよりは憤りであった。 くそったれ、くそったれ……鬱屈した思いをこめて、信長は壁をどんどんと叩いた。そして、急に動きをとめ、はっとした。
「京……じゃ。上洛するぞ」かれは突然、家臣たちにいった。
「は?」
「この信長、京に上洛し、天皇や将軍にあうぞ!」信長はきっぱりいった。
 こうして、永禄二年(一五五九)二月二日、二十六歳になった信長は上洛した。そして、将軍義輝に謁見した。当時、織田信友の反乱によって、将軍家の尾張守護は殺されていて、もはや守護はいなかった。そこで、自分が尾張の守護である、と将軍に認めさせるために上洛したのである。
 信長は将軍など偉いともなんとも思っていなかった。いや、むしろ軽蔑していた。室町幕府の栄華はいまや昔………今や名だけの実力も兵力もない足利将軍など”糞くらえ”と思っていた。が、もちろんそんなことを言葉にするほど信長は馬鹿ではない。
 将軍義輝に謁見したとき、信長は頭を深々とさげ、平伏し、耳障りのよい言葉を発した。そして、その無能将軍に大いなる金品を献じた。将軍義輝は信長を気にいったという。
 この頃、信長には新しい敵が生まれていた。
 美濃(岐阜)の斎藤義竜である。道三を殺した斎藤義竜は尾張支配を目指し、侵攻を続けていた。しかし、そうした緊張状態にあるなかでもっと強大な敵があった。いうまでもなく駿河(静岡)守護今川義元である。
 今川義元は足利将軍支家であり、将軍の後釜になりうる。かれはそれを狙っていた。都には松永弾正久秀や三好などがのさばっており、義元は不快に思っていた。
「まろが上洛し、都にいる不貞なやからは排除いたする」義元はいった。
 こうして、永禄三年(一五六九)五月二十日、今川義元は本拠地駿河を発した。かれは足が短くて寸胴であるために馬に乗れず、輿にのっての出発であったという。
 尾張(愛知県)はほとんど起伏のない平地だ。東から三河を経て、尾張に向かうとき、地形上の障壁は鳴海周辺の丘稜だけであるという。信長の勝つ確率は極めて低い。
  今川義元率いる軍は三万あまり、織田三千の十倍の兵力だった。駿河(静岡県)から京までの道程は、遠江(静岡県西部)、三河(愛知県東部)、尾張(愛知県)、美濃(岐阜)、近江(滋賀県)を通りぬけていくという。このうち遠江(静岡県西部)はもともと義元の守護のもとにあり、三河(愛知県東部)は松平竹千代を人質にしているのでフリーパスである。
  特に、三河の当主・松平竹千代は今川のもとで十年暮らしているから親子のようなものである。松平竹千代は三河の当主となり、松平元康と称した。父は広忠というが、その名は継がなかった。祖父・清康から名をとったものだ。
 今川義元は”なぜ父ではなく祖父の名を継いだのか”と不思議に思ったが、あえて聞き糺しはしなかったという。
 尾張で、信長から今川に寝返った山口左馬助という武将が奮闘し、二つの城を今川勢力に陥落させていた。しかし、そこで信長軍にかこまれた。窮地においやられた山口を救わなければならない。ということで、松平元康に救援にいかせようということになったという。最前線に送られた元康(家康)は岡崎城をかえしたもらうという約束を信じて、若いながらも奮闘した。最前線にいく前に、「人質とはいえ、あまりに不憫である。死ににいくようなものだ」今川家臣たちからはそんな同情がよせられた。しかし当の松平元康(のちの徳川家康)はなぜか積極的に、喜び勇んで出陣した。「名誉なお仕事、必ずや達成してごらんにいれます」そんな殊勝な言葉をいったという。今川はその言葉に感激し、元康を励ました。
 松平元康には考えがあった。今、三河は今川義元の巧みな分裂政策でバラバラになっている。そこで、当主の自分と家臣たちが危険な戦に出れば、「死中に活」を見出だし、家中のものたちもひとつにまとまるはずである。
 このとき、織田信長二十七歳、松平元康(のちの徳川家康)は十九歳であった。
 尾張の砦のうち、今川方に寝返るものが続出した。なんといっても今川は三万、織田はわずか三千である。誰もが「勝ち目なし」と考えた。そのため、町や村々のものたちには逃げ出すものも続出したという。しかし、当の信長だけは、「この勝負、われらに勝気あり」というばかりだ。なにを夢ごとを。家臣たちは訝しがった。


         元康の忠義


 この時期、利家は拾阿弥という坊主を斬り殺している。拾阿弥が利家の妻・まつの”こうがい”を盗み、悪態をつき、利家を嘲笑し、唾を吐きかけたからだ。利家は信長の面前で拾阿弥を斬り殺し、刀を鞘におさめ、「ご処分を!」と信長にいった。
 信長は烈火のごとく怒り「犬! 斬ったな!」と吠えた。「切腹いたせ!」
「なぜひとを?」まつは利家に必死に尋ねた。
 利家は「ほめてくれると思うたのに!」と不満をもらした。
 まつは「命ですよ…。ひとの命より”こうがい”が大事なのですか?!」と問うた。
 利家は押し黙った。まったくその通りだった。ぐさっ! ときた。
 しかし、柴田勝家が必死に利家の命乞いをし、まつが信長に直談判したため、利家は切腹をまぬがれた。が、浪人となり、ぼろぼろの庵での生活がはじまった。
 秀吉はよくその庵を訪れ、薪を運んでくれた。「おね殿!」秀吉はおねに夢中だった。しかし、おねはまつに会いにきただけで、秀吉などに目もくれなかった。「サル!」おねは不快感を露にしたという。

  松平元康(のちの徳川家康)は一計をこうじた。
 元康は大高城の兵糧入りを命じられていたが、そのまま向かったのでは織田方の攻撃が激しい。そこで、関係ない砦に攻撃を仕掛け、それに織田方の目が向けられているうちに大高城に入ることにした。そのため、元康は織田の鷲津砦と丸根砦を標的にした。
 今川の大軍三万は順調に尾張まで近付いていた。今川義元は軍議をひらいた。
「これから桶狭間を通り、大高城へまわり鳴海にむかう。じゃから、それに先だって、鷲津砦と丸根砦を落とせ」義元は部下たちに命じた。
 松平元康は鷲津砦と丸根砦を襲って放火した。織田方は驚き、動揺した。信長の元にも、知らせが届いた。「今川本陣はこれから桶狭間を通り、大高城へまわり鳴海にむかうもよう。いよいよ清洲に近付いてきております」
 しかし、それをきいても信長は「そうか」というだけだった。
 柴田勝家は「そうか……とは? …御屋形! 何か策は?」と口をはさんだ。
 この時、信長は部下たちを集めて酒宴を開いていた。宮福太夫という猿楽師に、羅生門を舞わせていたという。散々楽しんだ後に、その知らせがきたのだった。
「策じゃと? 権六(柴田勝家のこと)! わしに指図する気か?!」
 信長は怒鳴り散らした。それを、家臣たちは八つ当たりだととらえた。
 しかし、彼の怒りも一瞬で、そのあと信長は眠そうに欠伸をして、「もうわしは眠い。もうよいから、皆はそれぞれ家に戻れ」といった。
「軍議をひらかなくてもよろしいのですか? 御屋形様!」前田利家は口をはさんだ。
「又左衛門(前田利家のこと)! 貴様までわしに指図する気か?!」
「いいえ」利家は平伏して続けた。「しかし、敵は間近でござる! 軍議を!」
「軍議?」信長はききかえし、すぐに「必要ない」といった。そして、そのままどこかへいってしまった。
「なんて御屋形だ」部下たちはこもごもいった。「さすがの信長さまも十倍の敵の前には打つ手なしか」
「まったくあきれる。あれでも大将か?」
 家臣たちは絶望し、落ち込みが激しくて皆無言になった。「これで織田家もおしまいだ」
  信長が馬小屋にいくと、ひとりの小汚ない服、いや服とも呼べないようなボロ切れを着た小柄な男に目をやった。まるで猿のような顔である。彼は、信長の愛馬に草をやっているところであった。信長は「他の馬廻たちはどうしたのじゃ?」と、猿にきいた。
「はっ!」猿は平伏していった。「みな、今川の大軍がやってくる……と申しまして、逃げました。街の町人や百姓たちも逃げまどっておりまする」
「なにっ?!」信長の眉がはねあがった。で、続けた。「お前はなぜ逃げん?」
「はっ! わたくしめは御屋形様の勝利を信じておりますゆえ」
 猿の言葉に、信長は救われた思いだった。しかし、そこで感謝するほど信長は甘い男ではない。すぐに「猿、きさまの名は? なんという?」と尋ねた。
「日吉にございます」平伏したまま、汚い顔や服の秀吉はいった。のちの豊臣秀吉、秀吉は続けた。「猿で結構でござりまする!」
「猿、わが軍は三千あまり、今川は三万だ。どうしてわしが勝てると思うた?」
 日吉は迷ってから「奇襲にでればと」
「奇襲?」信長は茫然とした。
「なんでも今川義元は寸胴で足が短いゆえ、馬でなくて輿にのっているとか…。輿ではそう移動できません。今は桶狭間あたりかと」
「さしでがましいわ!」信長は怒りを爆発させ、猿を蹴り倒した。
「ははっ! ごもっとも!」それでも猿は平伏した。信長は馬小屋をあとにした。それでも猿は平伏していた。なんともあっぱれな男である。
 信長は寝所で布団にはいっていた。しかし、眠りこけている訳ではなかった。いつもの彼に似合わず、迷いあぐねていた。わが方は三千、今川は三万……奇襲? くそう、あたってくだけろだ! やらずに後悔するより、やって後悔したほうがよい。
「御屋形様」急に庭のほうで小声がした。信長はふとんから起きだし、襖をあけた。そこにはさっきの猿が平伏していた。
「なんじゃ、猿」
「ははっ!」猿はますます平伏して「今川義元が大高城へ向かうもよう、今、桶狭間で陣をといておりまする。本隊は別かと」
「なに?! 猿、義元の身回りの兵は?」
「八百あまり」
「よし」信長は小姓たちに「出陣する。武具をもて!」と命じた。
「いま何刻じや?」
「うしみつ(午前2時)でごさりまする」猿はいった。
「よし! 時は今じや!」信長はにやりとした。「猿、頼みがある」
かれは武装すると、側近に出陣を命じた。そして有名な「敦盛」を舞い始める。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり、一度生を得て滅せぬ者のあるべか」 舞い終わると、信長は早足で寝室をでて、急いだ。側近も続く。
「続け!」と馬に飛び乗って叫んで駆け出した。脇にいた直臣が後をおった。わずかに長谷川橋介、岩室長門守、山口飛騨守、佐脇藤八郎、加藤弥三郎の五人だけだったという。これに加え、城内にいた雑兵五百人あまりが「続け! 続け!」の声に叱咤され後から走り出した。「御屋形様! 猿もお供しまする!」おそまつな鎧をまとった日吉(秀吉)も走りだした。走った。走った。駆けた。駆けた。
 その一団は二十キロの道を走り抜いて、熱田大明神の境内に辿りついた。信長は「武運を大明神に祈る」と祈った。手をあわせる。
「今川は三万、わが織田は全部でも三千、まるで蟻が虎にたちむかい、鉄でできた牛に蚊が突撃するようなもの。しかし、この信長、大明神に祈る! われらに勝利を!」
 普段は神も仏も信じず、葬式でも父親の位牌に香を投げつけた信長が神に祈る。家臣たちには訝しがった。……さすがの信長さまも神頼みか。眉をひそめた。
 社殿の前は静かであった。すると信長が「聞け」といった。
 一同は静まり、聞き耳をたてた。すると、社の中から何やらかすかな音がした。何かが擦れあう音だ。信長は「きけ! 鎧の草擦れの音じゃ!」と叫んだ。
 かれは続けた。「聞け、神が鎧を召してわが織田軍を励ましておられるぞ!」
 正体は日吉(秀吉)だった。近道をして、社内に潜んでいたかれが、音をたてていたのだ。信長に密かに命令されて。神が鎧…? 本当かな、と一同が思って聞き耳をたてていた。
「日吉……鳩を放つぞ」社殿の中で、ひそひそと秀吉に近付いてきた前田利家が籠をあけた。社殿から数羽の鳩が飛び出した。バタバタと羽を動かし、東の方へ飛んでいった。
 信長は叫んだ。
「あれぞ、熱田大明神の化身ぞ! 神がわれら織田軍の味方をしてくださる!」
 一同は感銘を受けた。神が……たとえ嘘でも、こう演出されれば一同は信じる。
「太子ケ根を登り、迂回して桶狭間に向かうぞ! 鳴りものはみなうちすてよ! 足音をたてずにすすめ!」
 おおっ、と声があがる。社内の日吉と利家は顔を見合わせ、にやりとした。
「さすがは御屋形様よ」日吉はひそひそいって笑った。利家も「軍議もひらかずにうつけ殿め、と思うたが、さすがは御屋形である」と感心した。
 織田軍は密かに進軍を開始した。






         桶狭間の合戦


            
  太子ケ根を登り、丘の上で信長軍は待機した。
 ちょうど嵐が一帯を襲い、風がごうごう吹き荒れ、雨が激しく降っていた。情報をもたらしたのは実は猿ではなく、梁田政綱であった。嵐の中で部下は「この嵐に乗じて突撃しましょう」と信長に進言した。
 しかし、信長はその策をとらなかった。
「それはならん。嵐の中で攻撃すれば、味方同士が討ちあうことになる」
 なるほど、部下たちは感心した。嵐が去った去った一瞬、信長は立ち上がった。そして、信長は叫んだ。「突撃!」
 嵐が去ってほっとした人間の心理を逆用したのだという。山の上から喚声をあげて下ってくる軍に今川本陣は驚いた。
「なんじゃ? 雑兵の喧嘩か?」陣幕の中で、義元は驚いた。「まさ……か!」そして、ハッとなった。
「御屋形様! 織田勢の奇襲でこざる!」
 今川義元は白塗りの顔をゆがませ、「ひいい~っ!」とたじろぎ、悲鳴をあげた。なんということだ! まろの周りには八百しかおらん! 下郎めが!
 義元はあえぎあえぎだが「討ち負かせ!」とやっと声をだした。とにかく全身に力がはいらない。腰が抜け、よれよれと輿の中にはいった。手足が恐怖で震えた。
 まろが……まろが……討たれる? まろが? ひいい~っ!
 この合戦を、利家の父・利昌は遠くからみていた。家臣が「犬千代殿はどこに?」ときくと、「ほら。あそこじゃ」と指差した。「親よのう。子のことはすぐわかる」
 利昌は遠くの息子の奮戦を眺めた。表情はおだやかであった。
「御屋形様をお守りいたせ!」
 今川の兵たちは輿のまわりを囲み、織田勢と対峙した。しかし、多勢に無勢、今川たちは次々とやられていく。義元はぶるぶるふるえ、右往左往する輿の中で悲鳴をあげていた。 義元に肉薄したのは毛利新助と服部小平太というふたりの織田方の武士だ。
「大将! 義元の首を!」利家のたったひとりの家臣・村井又兵衛(長頼)が利家にいった。「又兵衛!」利家は叫んだ。「お前が首をとれ!」
「下郎! まろをなめるな!」義元はくずれおちた輿から転げ落ち、太刀を抜いて、ぶんぶん振り回した。服部の膝にあたり、服部は膝を地に着いた。しかし、毛利新助は義元に組みかかり、組み敷いた。それでも義元は激しく抵抗し、「まろに…触る…な! 下郎!」と暴れ、新助の人差し指に噛みつき、それを食いちぎった。毛利新助は痛みに耐えながら「義元公、覚悟!」といい今川義元の首をとった。
 義元はこの時四十二歳である。
「義元公の御印いただいたぞ!」毛利新助と服部小平太は叫んだ。
 その声で、織田今川両軍が静まりかえり、やがて織田方から勝ち名乗りがあがった。今川軍の将兵は顔を見合わせ、織田勢は喚声をあげた。今川勢は敗走しだす。
「勝った! われらの勝利じゃ!」
 信長はいった。奇襲作戦が効を奏した。織田信長の勝ちである。
  かれはその日のうちに、論功行賞を行った。大切な情報をもたらした梁田政綱が一位で、義元の首をとった毛利新助と服部小平太は二位だった。それにたいして権六(勝家)が「なぜ毛利らがあとなのですか」といい、部下も首をかしげる。
「わからぬか? 権六、今度の合戦でもっとも大切なのは情報であった。梁田政綱が今川義元の居場所をさぐった。それにより義元の首をとれた。これは梁田の情報のおかげである。わかったか?!」
「ははっ!」権六(勝家)は平伏した。部下たちも平伏する。
「勝った! 勝ったぞ!」信長は口元に笑みを浮かべ、いった。
 おおおっ、と家臣たちからも声があがる。日吉も泥だらけになりながら叫んだ。
 こうして、信長は奇跡を起こしたのである。
  今川義元の首をもって清洲城に帰るとき、信長は今川方の城や砦を攻撃した。今川の大将の首がとられたと知った留守兵たちはもうとっくに逃げ出していたという。一路駿河への道を辿った。しかし、鳴海砦に入っていた岡部元信だけはただひとり違った。砦を囲まれても怯まない。信長は感心して、「砦をせめるのをやめよ」と部下に命令して、「砦を出よ! 命をたすけてやる。おまえの武勇には感じ入った、と使者を送った。
 岡部は敵の大将に褒められてこれまでかと思い、砦を開けた。
 そのとき岡部は「今川義元公の首はしかたないとしても遺体をそのまま野に放置しておくのは臣として忍びがたく思います。せめて遺体だけでも駿河まで運んで丁重に埋葬させてはくださりませんでしょうか?」といった。
 これに対して信長は「今川にもたいしたやつがいる。よかろう。許可しよう」と感激したという。岡部は礼をいって義元の遺体を受け賜ると、駿河に向けて兵をひいた。その途中、行く手をはばむ刈谷城主水野信近を殺した。この報告を受けて信長は、「岡部というやつはどこまでも勇猛なやつだ。今川に置いておくのは惜しい」と感動したという。
 駿河についた岡部は義元の子氏真に大変感謝されたという。しかし、義元の子氏真は元来軟弱な男で、父の敵を討つ……などと考えもしなかった。かれの軟弱ぶりは続く。京都に上洛するどころか、二度と西に軍をすすめようともしなかったのだ。


   清洲城下に着くと、信長は義元の首を城の南面にある須賀口に晒した。町中が驚いたという。なんせ、朝方にけっそうをかえて馬で駆け逃げたのかと思ったら、十倍の兵力もの敵大将の首をとって凱旋したのだ。「あのうつけ殿が…」凱旋パレードでは皆が信長たちを拍手と笑顔で迎えた。その中には利家や勝家、そして泥まみれの猿(秀吉)もいる。「勝った! 勝った!」小竹やなかや、さと、とも、も興奮してパレードを見つめた。
「御屋形様! おにぎりを!」
 まだうら若き娘であったおねが、馬上の信長に、おにぎりの乗った盆を笑顔でさしだした。すると秀吉がそのおにぎりをさっと取って食べた。おねはきゃしゃな手で盆をひっこめ、いらだたしげに眉をひそめた。「何をするのです、サル! それは御屋形様へのおにぎりですよ!」おねは声をあらげた。
「ごもっとも!」日吉は猿顔に満天の笑みを浮かべ、おにぎりをむしゃむしゃ食べた。一同から笑いがおこる。珍しく信長までわらった。
  ある夜、秀吉はおねの屋敷にいき、おねの父に「娘さんをわしに下され」といった。おねの父は困った。すると、おねが血相を変えてやってきて、「サル殿! あのおにぎりは御屋形様にあげようとしたものです。それを……横取りして…」と声を荒げた。
「ごもっとも!」
「何がごもっともなのです?! 皆はわたしがサル殿におにぎりを渡したように思って笑いました。わたしは恥ずかしい思いをしました」
「……おね殿、わしと夫婦になってくだされ!」秀吉はにこりと笑った。
「黙れサル!」おねはいった。そして続けた。「なぜわらわがサル殿と夫婦にならなければならぬのです?」
「運命にござる! おね殿!」
 おねは仰天した「運命?」
「さよう、運命にござる!」秀吉は笑った。
利家は妹のようなまつを可愛がった。しかし、おねに懸想(ラブ)していたという。「しかし世の中わからん。何でおね殿はあんな猿顔の秀吉などいいんだ?わしのほうが顔はいいのに」利家はまだ少女のまつに愚痴った。子供の頃から荒子城で居候のように育ったまつは「苦労人」である。「好きになるのに理由などありはしません。利家さまにはわたくしがおるではありませんか。それともわたくしでは不服ですか?」  
 利家は只、納得したように頷くしかない。「不服ではないがのう…」
 かくして、秀吉はおねと結婚した。結婚式は質素なもので浪人中の利家とまつ(利家二十二歳、まつ十二歳、2男9女に恵まれる)と一緒であった。秀吉はおねに目をやり、今日初めてまともに彼女を見た。わしの女子。感謝してるぞ。夜はうんといい思いをさせてやろう。かわいい女子だ。秀吉の目がおねの小柄な身体をうっとりとながめまわした。ほれぼれするような女子だ。さらさらの黒髪、きらめく瞳、そして男の欲望をそそらずにはおけない愛らしい胸や尻、こんな女子と夫婦になれるとはなんたる幸運だ! 秀吉の猿顔に少年っぽい笑みが広がった。少年っぽいと同時に大人っぽくもある。かれはおねの肩や腰を優しく抱いた。秀吉の声は低く、厄介なことなど何一つないようだった。
 利家はまつを見た。あのあどけない幼女だったまつが、こんなに可愛い娘になり、嫁になってくれた。利家は嬉しかった。本当に。心よりの底から。
  信長が清洲城で酒宴を繰り広げていると、権六(勝家)が、「いよいよ、今度は美濃ですな、御屋形様」と顔をむけた。信長は「いや」と首をゆっくり振った。そして続けた。「そうなるかは松平元康の動向にかかっておる」
 家臣たちは意味がわからず顔を見合わせたという。

  利家の父・前田利昌が死んだ。知らせをきいた利家だったが、戦の準備で葬儀に出席できなかった。そこで、利家は神社で号泣しながら、信長に「御屋形様! 『敦盛』を! わたくしめにみせてくだされ!」と嘆願した。
 信長は「誰か死んだか?」と尋ねた。利家は答えず、涙をぼろぼろ流し続けた。
 信長は『敦盛』を舞いはじめた。
 ……人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり、一度生をえて滅っせぬもののあるものか………
  それは、信長からのレクイエムだった。利家は只、号泣するのみ、だった。    


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金融危機からの脱出 イーストマン・コダックと富士フィルム

2012年01月20日 09時13分50秒 | 日記
 金融恐慌から脱出するには? 
  
  米国映像機器大手イーストマン・コダックは3日、NY証券取引所(NYSE)から上場基準に抵触する恐れがあると警告。ずるずると経営は悪化、ついに2012年1月19日経営破綻しました。コダックと世界を2分していた富士フィルムは2000年就任した古森社長は構造改革を行った。インフォメーション・ソリューション部門(メディカル・システム機材、記録メディア、ヘルスケア商品)・ドキュメント・ソリューション部門(複写機、複合機、プリンター)で見事に活路を見出しました。ドキュメント・ソリューション部門は富士フィルムでは富士ゼロックスや富山化学の株を75%も買占め完全連結対象とした。この快挙は2兆円もの内部留保の企業資金があった為です。また政府税制調査会は所得税の最高税率を現行の40%から45%に引き上げる検討に入りました。日本の限界税率である40%は米国の35%に比べても高い数値で、50%フランス、スウェーデン(約56%)、デンマーク(約55%)に続く数値です。国のサービスが充実しているが日本はまったくダメ。喫煙家に八つ当たりした「たばこ税率」のアップと全く同じ構図です。反対票が少ないから。現行の3大税収(所得税、消費税、法人税)は約49兆円ですが、この方法を採用するだけで2009年度の租税総額約75兆円をカバーできる計算になります。これに加えて付加価値税と資産税を導入するべきでしょう。発展途上国の税制をそのまま成熟国に当てはめていると、徐々に効率が悪くなっていきます。「(反対票が少ないからと言って)たばこや酒などの懲罰的な税率を上げる」ではあまりにも能がありません。日本の政治家や役人にも、もっと知恵を出して欲しいところです。野田政権も消費税を強引に10%に引き上げたら、長くは続かないでしょう。その後「一体誰が?」を考えると、暗澹たる気持ちになってしまいます。また野田首相は消費税増税について「ネバーネバーネバーネバーギブアップ」といい決断をした。というか財務官僚の操り人形(パペット)になっている。とにかく官僚の作文を棒読みしてないで「解散総選挙」で国民に信を問え。大体にして何で役人の給与2%削減やリストラ、議員リストラなどしないで国民に負担を強いるのは本末転倒ではないか?まずパブリック・サーバント(公僕)のあんたらが手本を見せるべきではないのか?自分たちは炬燵にはいって国民は寒空の外に放り込むことは国辱行為だ。まず公務員改革こそ「ネバーギブアップ」で臨め。消費税増税の前に公務員改革だ。まずは隗より始めよ、ということだ。つまり財務省の増税シナリオには無理がある。個人金融資産が1400兆円あるだの成長率がまだ4%はある等は机上の空論だ。社会保障は毎年1兆円ずつ自然増し超少子高齢化…国民も馬鹿でない。なら何故公務員議員のリストラ・給与ボーナス削減をしないのか?まず自ら手本となるのが公僕というものではないのか?また定年が65歳に延長されそうです。また消費税10%増税(1%増で2兆7000億円つまり27兆円。だが15兆円足りない)そもそも国の借金1000兆円のプライマリーバランスの黒字化自体不可能な画餅だ。5%引き上げる消費税は1%ずつ「高齢化(2015年408万人増)」「国民年金(借金→税金)」「制度改革」「機能維持」「社会保障等」ともっともらしい説明書がある。だが、消費税はポール・タックス(人頭税)ではない。「軽減税率制度(食品や生活必需品は無税)」にしても欧州では100年の歴史がある。日本でやったら「利権だらけ」だ。だからとりあえず消費税を10%均等に取ってそのうえで「生活困窮者」に金を戻すことだ。これはオーストラリアやニュージーランドでやっている。参考にするといい。それと議員役人のリストラや給料・ボーナスのカットだろう。また日本を代表する高品質カメラ大企業「オリンパス」が20年前のバブル崩壊からの損失(1000億円)を今年発覚するまで損失隠ししていたことが明らかになった。が、基本的に「他山の石」でも何でもない。というのは日本株の株主の4分の1は外国人投資家だからだ。ご存じの通り日本の年金の融資は日本株だ。外国人投資家が「日本の会社はおかしい」と融資を引けば日本年金の資産が減る可能性も大である。一番悪質なのは外国人社長(当時)が「不正融資」に疑問をもって告発しようとしたら日本陣営が「解雇」にして隠ぺいを続けようとしたこと。「日本の会社の「陰湿性」」をいみじくも示したのだ。他社もオリンパスを「反面教師」とする覚悟がいる。これが今回の教訓である。オリンパスが1000億円の粉飾決済発覚して20年間も粉飾決済をしていたのがわかりました。またM&Aに660億円も使ったというが「損失隠しの飛ばし」までやっていたという。ちなみに飛ばしとは例えばA社が10億円の株を持っていたとしてそれが5億円に値下がりしたとしよう。そのとき信用ある会社B社に買った時の10億円で「一時預かり」します。これでA社の損失がなくなる。これが「飛ばし」行為なんです。2011年10月31日政府・日銀は「歴史的な円高」対策として、円売りドル買いの「市場介入」に踏み切りました。財務大臣は「市場がどう思おうが介入する」として長期戦も覚悟しています。スタンスはいいのですが…ねえ。また安住財務大臣はG20で「日本は消費税を10%にあげます」とまで約束をしています。反対派対策ですね。今回の円高株安デフレ不況や大震災などの一連の危機を前に野田首相(というより財務省内閣)の「増税」路線は間違いだと私緑川鷲羽わしゅうは思う。復興財源なら復興国債や富裕税だろう。このままならデフレスパイラルと産業の空洞化です。財務省のいいなりになって「官僚の作文棒読み」の「財務省のポチ」は経済すら理解がない。財務省案で日本は破綻だ。これだけのデフレ不況下で過度な円高株安電力不足、電力料金値上げの大不況下に本当に「増税」する気ですか?このままなら大不況になり大企業の本社や工場が中国やベトナムに全部いって「産業の空洞化」「失業率50%」です。まずは公務員議員皇族のリストラやムダの削減がはじめの筈です。増税では「失業率50%」ですよ。ちなみに増税は「法人税 2012年4月から5%引き上げた上で3年間2.5%UP」「所得税 2013年1月から10年間4%UP」「たばこ税 2012年10月から国税は10億円 地方税は6億円 1本2円UP」「住民税 2014年6月から5年間50円/年UP」です。計9.2兆円です。また政府株は「日本郵政9.6兆円」「日本政策金融公庫4.5兆円」「日本政策投資銀行2.2兆円」「商工中金0.1兆円」「NTT2.0兆円」「JT(日本たばこ産業)1.7兆円」「高速道路6社0.4兆円」「東京メトロ0.1兆円」「成田国際空港0.2兆円」「産業革新機構0.08兆円」「中部国際空港0.03兆円」「日本アルコール産業0.003兆円」「輸入・港湾周辺情報処理センター0.004兆円」「日本環境安全事業0兆円」「エネルギー特会の保有株0.8兆円」(財務省HPより)。2011年9月23日財務G20サミットがあり行き過ぎた為替レートの正常化や欧州基金の強化が促された。だが日本の格差社会が深刻です。年収200万円以下が74%です。またパナソニック社が調達部門を海外移転です。遂に日本産業の空洞化の始まりです。何故日本はデフレ不況なのに世界で「円高」になっていると思いますか?まずは欧州ではPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の経済悪化、米国は大不況でどこも悪いので消去法的に円買いが起こっている訳です。また欧米は通貨供給量(マネーサプライ)を盛んにやっています。つまりお札を大量に刷っている訳です。だが日銀はあまり刷っていないのです。過度なインフレやハイパーインフレに警戒しているのですね。円高のメリットは海外商品が安く買えることですがそれよりデメリットの方が大きいです。円高では輸出産業が儲かりません。日本の基幹産業は「輸出産業」です。このまま円高・デフレ・電力不足・電力料金値上げでは「産業も空洞化」がもっと増加します。つまり、工場や本社などが海外に出て行って雇用は逼迫するのです。だが、欧米の経済が改善されないなら円高は改善されないでしょう。また金(きん)の値段が高騰しています。2001年に1g1000円だった金が2011年に1g4623円です。金は紙幣と違い価値があると皆思っているからですよ。なんせ地球上に380万トンしかないのです。だが金のデメリットは①金利がつかない②配当がない③保管が大変などです。金の7割はインドと中国が集めてる。米国は2割だけ。意外ですよね。だが、一部のエコノミストは2020年には中国は米国を抜いて世界一の経済大国になる、と言います。なら世界の基軸通貨が米ドルから人民元になる可能性もなくもないですね。リカの景気対策とは全然ダメです。日本の二の轍を踏んでいるようでは長期低迷は避けられない。バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長はアメリカの経済低迷長期化に「深刻に受け止めている」と明言。私は良くない内容だと思います。「具体的にこうした対策をとっているから大丈夫」というべき。米国経済はこれから二番底を迎え、長期低迷に入り、回復が難しい。日本の「失われた20年」と同じ。米国の次の不安は住宅価格が回復しないこと。住宅価格指数(SPケース・シーラインデックス)の指数も2000年からリーマン・ショックまでから下落続き。バラマキでは駄目。もう一度「米国には投資する価値がある」と思わせよう。「ゼロ金利」より「金利5%」のほうが金が集まる。日本も同じ。現在の日本のGDP(国内総生産)は520兆円から540兆円です。円高ドル安なのでドル換算すると日本のGDPは伸びていると海外から見られます。が、国内の我々は「成長している」と感じられません。輸出の落ち込みの乱高下が激しい。レジャーで見るとかつて30兆円を誇っていたパチンコ市場はかなりユーザーに飽きられているようです。また観光も東日本大震災の影響で減少しています。2011年8月23日ムーディーズが日本国債をAa2(イタリアやクエートと同じレベル)からAa3(中国、チリ、サウジアラビアと同じレベル)に格付けを下げた。民間の会社が格付けしてもいちいちコメントすることはない、と野田佳彦財相はいうがそういう問題ではない。「通貨=円」と日本人が無意識に信じているのは、お上(政府・日銀)が自分たちを裏切ることなど絶対ないと信じ切っているからだ。そこで私緑川鷲羽わしゅうは聞きたい。日本というのは本当に、将来にわたって国民が、大切な金融資産を預けても大丈夫な国なのだろうか?今後とも円のままでいいのか? 外国為替市場で円が主要通貨に対して独歩高。円売りドル買いの為替介入を日本政府・日銀が行っても円高です。「日本円ひとり勝ち」は錯覚だ。日本人は莫大な借金があっても日本国債を買っているからきっと大丈夫だろう、という思い込みの結果だ。日本、中国、欧州、米国の「地雷」が2011年、2012年爆破するだろう。中国の地雷は「不動産バブル」だ。増税のための増税は愚である。勿論国民も馬鹿ではないから社会保障費の消費税増税は理解している。だが、今は有事である。東日本大震災の復興財源は建設国債、赤字国債でしかない。景気情勢を鑑みればデフレ不況下の増税は消費マインドが冷え込む。増税の前に徹底した歳出削減が先の筈だ。戦略を考えよ。「脱原発」はテロリストレベルだと思います。3年間原発を一切使わなければ日本の産業はどうなりますか?一部の人は(1)世界唯一の被爆国日本こそ「核なき世界」を(2)再生可能エネルギーを国家戦略とすべき、と思っている。子供を抱えた母親の涙でプロパガンダですか?何度も言うが「原発の30%」は太陽光発電システムや風力発電ではカバー出来ない。結局火力に特価して電力料金値上げ電力不足で産業空洞化です。アメリカの国債が「Aaa(トリプルエー)」から「Aa+(ダブルエープラス)」に格下げになった。世界同時株安です。ですが米国が2013年までゼロ金利政策を続けると政策を発表して、世界同時株安は一服です。東証359円安、株価9300円割れです。心配していた「二番底」ですか?2011年8月4日政府・日銀が為替介入した。一時80円まで回復した。経産大臣の海江田万里氏はいわゆる「やらせメール問題」で政務三役を更迭した。海江田万里大臣も辞任するという。日本時間2011年8月1日午前に米国債債務上限引き上げでオバマ大統領は野党共和党と合意した。一応「デフォルト(債務不履行)」は避けられた。「増税」の前に「徹底した歳出削減」を!どこでも良い国は徹底した歳出削減をした後「増税」した国だ。では日本のパブリックサーヴァント(公僕)は徹底した歳出削減をしたか?私から言わせるとまったくしていない。国会議員も官僚も皇族も多すぎる。今、増税の前にデフレ不況や産業の空洞化、復興計画や円高問題や電力不足こそダイナモだ。日本政府は優先順位を間違えている。日本共産党はバカの一つ覚えのように「大企業増税・金持ち増税」などというが実質経済がわかってない。原発にしても「反原発」など阿呆である。原発の30%は再生可能エネルギーでは今は補えない。結局火力に特価して電気料金値上げ、更なる失業者急増、失業率50%だ。もっと民主党政府は「実質経済」を学び、「戦略の見直し」を求める。消費税10%というのはあくまで「構想」であり、決まった法案ではない。しかし、それはけして「東日本大震災の復興支援」ではなく毎年1兆円ずつふえる社会保障費(介護、医療費、年金財源、育児)の補填のためである。先進国では消費税は「軽減税率方式」で贅沢品に消費税をかけ、食品や服には消費税をかけない方式である。消費税は1%あげれば2兆6000億円分である。円相場が一時77円台の円高となった。これはEUのまたのギリシャ危機を受けてでした。輸出が難しくなり「円高」とは日本の基幹産業である輸出産業に大打撃だ。なぜ「円高」か?はアメリカの国債と関係している。もうアメリカは借金できない。アメリカの借金は(日本の借金は998兆円)14兆3000億ドル(1144兆円)である。アメリカでは法律で14兆3000億ドルしか借金できないことになっている。法律改正をしようとオバマ大統領は何とかしようとしたがアメリカ議会も「ねじれ国会」である(上院(100人中与党民主党53人、野党共和党47人)下院(435人中与党民主党193人、共和党242))。デフォルト(債務不履行)になれば日本も73兆円分の国債保有しているアメリカ国債が返せない状態になり、米国債価格や金利が暴落して、アメリカは「破産」する。日本の貧困率は16.0%で貧困者数は2000万人、生活保護者は200万人だ。IMF(国際通貨基金)の前理事長ストロスカーン氏のいわゆる「下半身スキャンダル」で判決は、セクハラを受けて訴訟を起こしたという女性の信頼性がない(売春行為をしていた、麻薬組織との関係があるなどや証言がチグハグ)として「無罪」になった。が、このストロスカーン氏とは大物で、次期フランス大統領候補であり、今回の訴訟は「陰謀」ではないか?という「陰謀説」が流れている。真相は謎だが有りうる。要は誰が徳をしたか?である。また日本政府は2010年代をめどに消費税を10%に段階的に増税することで閣議決定しました。何か「火事場泥棒」的な政策です。社会福祉の財源としては仕方ないのですがねえ。震災後の対日M&A(企業の合併や買収)が低迷しています。その一方で日本企業の海外でのM&Aは4割り増だそうです。これは東日本大震災で工場などを海外へ…という危険なシフトです。2011年5月の倒産件数が1071件、国際機関は日本の2011年度の日本成長率を「ゼロ成長」と判断しました。ムーディーズが日本国債の格付けを「Aa2」から格下げを検討中です。東日本大震災を受けてのことです。これは国債の金利と負担に影響することですね。みずほ銀とコーポ銀が2013年春をめどに合併合意です。IMF(国際通貨基金)のストロガーン専務理事が女性に性的暴力をしたとして、逮捕されました。ストロカーン氏は辞任、後任はクリスティーヌ・ラガルド仏財務相(女性)ですね。IMFの信憑性が揺らいでいます。東日本大震災では原発事故、エネルギー不足、財政悪化、農産物の危機の「負の連鎖」だ。TPP(環太平洋パートナーシップ)に参加し強い農業、21世紀型のエコタウンをつくることだ。復興財源は恒久ではなく10年限定で被災地以外で消費税2%増税と復興国債だ。だがここにきて投資マネーが変調の兆しだ。円高高騰で一時79円台、原油価格(WTI)も急騰した。投機筋がいかに大金(1600兆円)をもっているかがわかる。パナソニック社は4万人リストラすることを発表です。こういうのをみると日銀の「来年度(2012年)V字景気回復シナリオ」に疑問を持ちます。「7月9月で回復」「夏、一時停滞」「秋、電力回復・イノベーション」「冬・来年度・生産増加、景気回復」だそうです。が、米国民間格付け会社「スタンダード&プアーズ」が日本国債の格付けを「安定的」から「ネガティブ」に下げました。これは「東日本大震災」で20兆円から50兆円かかるからだと言われています。消費者物価指数(2人以上の世帯)が3月は「東日本大震災」を受けて2.6ポイントマイナスです。「買い物する気にならない」という消費マインドの冷え込みは危険なことです。今回の2011年3月11日の甚大で未曾有の災害「東北関東大震災」では死者・行方不明2万9000人、避難民12万人です。この大震災が日本経済に与える影響は甚大だとして「リスクを減らしたい」と東証の日本株価が大暴落です。1015円安で、この大震災で「世界同時株安」となっています。これは「リーマンショック」以上の反動不況です。ここまで株価が落ちるのは戦後3位だそうです。日本は大震災からリカバリー出来るまで1年はかかるだろう、と観られています。だが、買い戻しで株価は9000円台に回復です。だが、投機目的による外国人投機家からの円買で、一時為替市場で76円もの円高になりました。(現在は円安傾向です)日本政府からは「災害で大変なときに不見識だ」という意見がきかれました。が、こうした投機はある程度予定されたことで、自分たちのお粗末な災害対策・為替対策・経済復興対策を「棚上げ」して、それを不見識だという民主党政府こそが不見識だ。G7政府・日銀が円売りドル買いの協調為替介入を実施し、危機的状態であった為替市場は回復しました。菅首相は27日、預金者の死亡などで長期間利用でない「休眠口座」に関して「制約を打ち破って国として活用できる道がないか検討したい」という。英国のキャメロン首相が推し進めている「ビッグソサイエティ」という社会政策の多くを慈善団体や社会起業家などにゆだねる構想です。NGOやNPOにもさらに広げる「グレートソサイエティ」がいいと思う。英国では15年、日本では10年で「休眠口座」とされるが3年で充分です。ちなみに休眠口座の英国の預金残高は4億ポンドです。中国の国営紙チャイナデイリーは中国の著名な経済学者・金永定氏の寄稿を掲載しました。「中国の成長モデルは持続不可能であり、緊急の経済・政治改革を断行しない限り経済の減速に見舞われる」というものでした。バブル時の日本と同じように「軟着陸(ソフトランディング)させる」というが、バブルは崩壊する。また米国の富は西欧に移行し、インドは300億ドルを投資するというが、インドはハイパーインフレになると思います。日本を含む世界経済の4つのリスクは①「米国ドルの崩壊」②「欧州経済危機の連鎖」③「隣国中国で起きる可能性のある不動産バブルの崩壊」④「日本国際暴落」リスクを避けるには何百兆ドルもの「ホームレスマネー」の制御のシステム構築です。908兆円の国の債務(借金)ですが、2009年には52兆円(税収30.7兆円)、2010年は44.3兆円(税収39.6兆円)でした。毎年9兆円ずつ減らして10年で借金しなくて済むが、消費税35%で25年かかる。プライマリーバランスの黒字化だの908兆円の全額借金返済だの無理です。ですが、借金を減らす努力はできます。まずはそれですね。よく「ヘッジファンドって何ですか?」と聞かれるのですが、「お金儲けの危険なことはしない、財産を増やさなくても減らさない基金」と「「サブプライムローン」のようなハイリスク・ハイリターン基金」のような運用基金会社のことです。また日本は少子高齢社会でデフレ化しています。子どもがいなくなることで「こども用品が売れなくなる」「車を買わない」など諸説があるそうです。法人税減税5%つまり法人税は35%だという。つまり、1兆5000億円の減税です。まだ高い。せめて法人税は20%ぐらいがいい。だが、その一方で配偶者控除が廃止、相続税・所得税・住民税は増税だという。つまり6200億円の増税です。1400兆円の循環の為には相続税や所得税は増税してはいけない。何故わからないのか?戦略がない国である。よくきく「○○ホールディングス」というのは何だかわかりますか?これは「ホールディングス Hold company」という他の会社の株式を持っているだけの会社です。社員は少ないのですが、株を持っているだけの会社です。親会社とは違います。会社のオーナーみたいなもの。配当金が利益です。他の会社を指導する会社で財閥みたいなもので、昔の財閥(三井、三菱、住友、安田、鈴木)はGHQの規制(独占禁止法)で解体されました。が、1997年に見直されてホールディングスが国際競争力教化のため生まれました。また格付け会社とは国や会社のレベルを格付けする会社です。(日本格付研究所(JCR)、ムーディーズ・ジャパン、ムーディーズSFジャパン、スタンダード&プアーズ・レーティング・ジャパン(S&P)、格付投資情報センター(R&I))また格付会社が賄賂をもらってAAAを付けたら?ですがもしいい格付けをしてその会社が倒産したら「格付け会社」そのものが信用を失います。その為、賄賂をもらって…など現実的ではありません。悪い例がサブプライムローンで失敗したムーディーズのレイモンド・マグダニアルCEOの「我々はAAAを付けたがあくまで自己責任です」という開き直りだ。また日銀は10月11月の成長分野への融資は、10月に4625億円が11月には9983億円、47会社から106会社となっているが、議論するのも馬鹿馬鹿しい。問題点は①融資を日銀が判断するのが正しいのか?②成長分野への投資というが成長分野とは誰が決めているのか?です。亀井静香元金融担当大臣のときの「モラトリアム法案」と同じように大量の焦げ付きを出すのは必然で、また「不良債権まみれ」になりそうです。海江田万里経済産業大臣は2010年11月9日に、デフレ脱却目標について「2012年度中」と目標を掲げました。2007年から2008年もデフレで消費者物価指数も下がっており、財政当局が何を寝ぼけた事を言っているのか?と私は思います。まるで経済評論家です。評論家ならただ「評論しているだけ」ですが、このひとは大臣です。何故900兆円もの国の借金を抱えたのか?NHKの番組を観ました。そのときの元・官僚も「評論家」みたいに他人事のことのように語っていて思わず激怒して私はTVをぶん殴りました。まあ、所詮は諸悪の根源は田中角栄と大蔵官僚です。彼らが本当に「頭のいいエリート」なら馬鹿な政治家のバラマキ予算やバブル経済そのものもおきなかった筈です。また為替市場は一時15年ぶり80円21銭になりました。G20共同声明が採択され「行き過ぎた通貨安競争をストップする」ことで合意しました。過去、日本やドイツ、中国、らが米国などへの輸出で貿易黒字を抱える一方、米国は巨大な貿易赤字を抱えていました。「円高」ではなく「ドル安」なのです。米国は「ドル安」の方がいいと意図的に「ドル安」「円高」を容認してきました。中国の人民元金利引き上げを要求していますが、中国は呑みそうにありませんね。経済産業省と財務省はこのまま円高株安が続いたら60兆円の経済的損失と300万人規模の失業者が出るとの試算を発表した。私は日本の法人税40%は高すぎると思う。確かに米国も同じくらいだが、何でも米国の真似をすればいいってものではない。法人税は20%いやゼロでもいい。戦略的に。80円もの円高は輸出企業おもにソニーやトヨタや東芝といった日本の冠たる大企業に悪影響を与えている。よく「大企業減税に反対」とか共産主義者はいいますが大企業の本社や国内工場が中国やベトナムに出て行ったら下請け会社や孫受け会社がバタバタドミノ倒しの如く倒産しますよ。それでもいいのですか?2010年10月5日、日銀(日本銀行)の白川総裁は「ゼロ金利政策」(金利0~0.1%)を実施しました。資金供給も5兆円規模で行うということです。これは景気回復の為と円高対策だといわれています。まずは「ゼロ金利政策」ですが、皆さんは金利をどうやって調整するかご存知ですか?日銀が銀行などの保有している国債を買ったり、もしくは日銀が保有している国債を売ったりして金利を調整しているのです。ちなみに金利とはお金などを借りるときのコスト(金利)です。例えば金利が安ければ会社や個人が銀行金融機関からお金を安く借りれますよね?これでお金が市場にジャブジャブとなれば「円安」になるということなんですね。次に「物価を1%に上昇させるまでゼロ金利政策を続ける」政策で一見、「物価が高くなれば物が売れないんじゃないの?」と思うでしょ?でも違うんです。今、デフレで消費者物価指数もどんどん下がり「消費ゼロ」のような状態で「あの商品は1万円だけど1年まてば6000円になるかも…それまで待っていよう」では不況はなくならないんです。だから消費者物価が1%上がれば「今、あの商品は1万円だが1年後は2万円になるかも…今のうちに買っておこう」という消費が増え景気が上向くという政策。次に「投資信託を購入」政策があります。これは証券会社の金融商品(ETF Exchange Traded Fund・証券取引所で取引されている投資信託でTOPIX連動型の東商1部上場株を買う。これは株価を上昇させる狙い。またREIT Real Estate Investment Trust・不動産投資信託も買う。これは不動産資産の高騰が狙い)を購入します。当然、リスクはありますが日銀は費用5000億円でこの異例の政策に踏み込みました。さすがはインテリたちです。だが、本当にどうなるかはマーケット次第ですね。2010年9月、約6年ぶりに政府と日銀による「為替介入」があった。しかし、日本単独であり、効果は微妙だ。何故なら「円高」ではなく「ドル安」「ユーロ安」で「消去法」で「円買い」になっているからだ。大事なのはアメリカやヨーロッパ政府がやっているような「マネー・サプライ(通貨供給量)の充実」と「低金利政策」しかない。「円高」は「日本経済における悪」であり、もっと頭を使って欲しいものだ。日本振興銀行が経営破たんしましたね。戦後初の「ペイオフ(預金1000万円までの元本と利子を国が補償)」が発動されました。しかし、日本振興銀行は中小零細企業向けの銀行であり、影響はあまりありません。ほとんどの中小零細企業は資金を引き上げた後ですから。しかし1000万円以上預けているひとは3400人以上いて、110億円が返済されないという。平成22年度予算(2010年)BEST5は1位、社会保障(医療年金介護など)27兆円。2位、国債費(借金返済)20.6兆円。3位、地方交付税交付金、17兆円。4位、公共事業、5.7兆円。5位、文教及び科学振興、5.5兆円。ちなみに1兆円「政策コンテスト・アイデア」ですが、まず景気回復策で「法人税所得税半減減税」「円安誘導策で円金利0.0004%」「1400兆円の個人金融資産循環のため相続税贈与税廃止」「インフレ・ターゲット」「公務員給料2割りカット」「マネー・サプライ(通貨供給量)の充実」です。SDRって何かわかりますか?SDRとは「特別引出権」のことでSDRの構造比率が、ドル44%、ユーロ34%、ポンド11%、円11%などとなっています。IMF(国際通貨基金)が国家に貸し出す通貨量をSDRのマネー・サプライともいいます。デフレが長期間しています。政権は「デフレ判断」をしましたね。かなり遅い判断です。デフレスパイラルは(物価下落→売り上げ減→給料減→消費低迷→)のサイクルです。消費者物価指数が2・4%下落しましたね。子ども手当て月2万6000円など無理です。今度の衆院選までに日本経済はデフォルトしてしまいます。「消費税15%にしてはいかがか?」とIMFにいわれること事態恥ずかしいことです。スウェーデンの消費税は25%ですが老後の安心という「見返り」があるため国民は誰も文句はいいません。25%とはいかないまでも消費税15%はありではないか?円高(14年ぶり84円台)デフレスパイラルです。これは円高というよりドル安ユーロ安ですね。日経平均株価も9000円割れ。つまりアメリカやユーロの経済が悪いために「日本の景気が回復していないにも関わらず」利ざや目的で投機筋が円を買っているのです。ですがIMFは世界不況は「終結」したと宣言しましたね。まあリーマンショックからはひと息ついたということです。が、個人向け国債の人気が低迷しています。日銀はやっと円高対策つまり「量的金融緩和」と「為替介入(PKOプライス・キーピング・オペレーション)」をやるそうです。今更ですか?個人向け国際の目標の6割、1・1兆円の減収です。NYの株価が1万ドルに回復しましたね。が、アメリカ合衆国の財政赤字が1兆ドル(129兆円)という深刻な状態は続きます。まだ世界経済は余談を許しません。また予算案について予算15・4兆円のうち執行8・3兆円、未執行7・1兆円です。未執行予算を減らすと地方が困るという。が、天下り団体に流れているだけです。地方には迷惑がかからない。オバマ米国大統領は挨拶で21世紀を牽引していくのは米国と中国だという。2010年には中国は日本を抜いて第二位の経済大国になります。ニューヨークでのサミット会議には胡錦涛国会主席は出席しました。米国の大統領と会談しましたね。時代はG2G20なのです。日本は20分の1の価値の国になった訳です。例えば中国と日本は2003年まで2000億ドルくらい米国に輸出して売っていました。それが2008年には日本が4000億ドルくらいで中国は8000億ドルです。米国への投資は日本は800億ドル。中国の400億ドルです。それが差がどんどん縮まります。10年後は倍以上抜かれているでしょうね。また留学生も中国インドがダントツで日本人はあまりアメリカ合衆国に留学生として行きません。「草食系男子」は留学や野心がないのかもしれない。アメリカ人からみたら「日本はどこにいった?」と思うかもしれない。 FRBは連邦公開市場会(FOMC)が景気底入れを宣言して、29兆円の支援を凍結する予定だという。だが、ゼロ金利は続けるとい
う。だが、財政出動の「出口戦略」はまだはやい。が、少し補足しますが、アメリカの経済はだいぶ良くなっています。また中国経済も凄いです。ギリシャの財政危機から端を発した金融危機ですが、悲惨なのはEUだけです。女性の再就職環境。日本ではいわゆる「出産子育て後」に女性が就職できるのはコンビニかスーパーや工場のパートタイマーだけです。これは高卒専門学校卒業生と同じレベルです。悪質なのは女性の場合は学歴があってもパートタイマーなことです。だから子供がいらないと女性が思っている訳です。日本は今不況でデフレにあります。失業率5・4%求人率0・43%です。新車販売数は回復しました(また中国頼み)が、マンション着工が過去最低レベルです。確かに工場単純労働は中国に勝てないでしょう。何故なら中国人の人件費が日本人の30分の1だからです。が、日本には「世界一の技術」があります。アイデアで乗り切ってください。頑張ってください。リーマンショックからしばらく経ってパニック状態は納まったって思う。が、不良債権を莫大に抱えた金融機関や個人が大量に発生しました。金融と家計のバランスシートを回復しなければ経済的発展や回復はありません。それと学歴
がなくとも成功出来る社会を作ることです。また、ここのところ企業の資金調達運用が回復だという。が、09年一月から六月までの企業倒産件数は8000件、負債は4兆円で深刻です。株価も下落して円高が加速しています。10年までの日本のGDP(国内総生産)がプラス0・5%から0・7%に増加することが明らかになったものの、深刻さはなお続きます。また政府は来年度のシーリング(概算要求)を95兆円にすることを明らかにしました。それを査定で削減して無理やり92兆円にしましたね。やはり景気刺激策にはかなりいるようです。50兆円はまた国債になります。つまり借金です。与党としては景気回復だけは実績として残したい訳です。まあ、妥当でしょうか。わかりません。景気回復はまだ先です。なお、消費税ですが日本の5%は諸外国と比べて低く、このままなら増税25%です。増税に至る前のシステムとフロチャートが必要で、徹底的な歳出削減と経済成長を優先してそれまでは増
税をするべきではない。法人税相続税贈与税廃止で本来ならば日本は年目4%から5%の成長ができるんだけどね。馬鹿ばっかりだから成長出来ないのです。雇用リスクが大きなアドバンテージです。IMFの2009年の世界経済成長率は-1・4%(日本-6%、米国-2・6%EU-4・8%中国+8%)です。神風財政のようなお金じゃぶじゃぶでは駄目です。山高ければ谷深いです。今は谷底です。V字回復は無理じゃないか。W字回復するでしょうね。つまり二番底です。必ず二番底を打ちます。麻生さんみたいな100兆円お金じゃぶじゃぶでは駄目です。財政出動の過剰の問題はない金を遣うことと、国家政府頼みになるところです。強制経済はよくありません。ただ悲観的なことではよくありません。これからはグリーンニューデールとバイオでしょう。アジアは日本化つまり貯蓄に偏り過ぎです。戦前の大英帝国や戦後のアメリカ合衆国のような「屋台骨」を中国がなれるか?というのは違います。中国経済はまだ
弱く、過大評価は危険でしょう。中国経済はまだ不安定です。アメリカ合衆国の代わりは無理やり過ぎです。まあ、100兆円も使ったらそれは少しは景気回復するでしょう。が、二番底を覚悟してください。今は「偽りの夜明け」です。実は世界中にどれだけ金があるかというと1京6000兆円です。そのうちいわゆるホームレスマネーは6000兆円です。日本もアメリカ合衆国のような「ストレスチェック(金融機関の負債額の格付け)」をやってみる覚悟をするべきなのです。日本はよく「ものつくり」の国と言われます。が、アメリカ合衆国が「ものつくり」を忘れたか?というのは違います。実は世界中の優良百社の中に米国企業は60社入ります。日本企業は8社だけです。アメリカ合衆国の世界的巨大企業は例えばコカ・コーラやインテル、ペプシコなどです。ポスト自動車は例えばグリーンニューデールなど環境商品です。今は米国ドルより実はユーロの方が通貨価値は高いのです。何故ならアメリカ合衆国がドルを大量に刷っていて、インフ
レの恐れがあるからです。大量のアメリカ国債を持っている中国と日本はダメージが大きい。経済的に言えば雇用の確保でしょうか。例えばハウジングプア(失業して住宅をなくした失業者)は深刻です。住所がなければ職業選択どころか公共サービス内容によってのサービスが受けることが出来ません。「日銀金融政策会議」が開かれました。課題は世界的な「普通株」の金融政策機関のフローです。が、待ってください。「普通株」は欧米の金融政策機関は大量に持っています。が、日本の金融政策機関は「普通株」をあまり持っていません。圧倒的に不利なマネーゲームです。また不況の財政難で小泉内閣での「骨太の方針」の社会保障金の削減基準2200億円は保留になりました。私は正しいやり方であると思います。が、但し「はこもの」や「無駄な公共事業拡大」だけでは駄目でしょう。まずは石油に替わるエコロジーグリーンニューディールへと舵をきる必要があります。経済的危機に対処出来る対策プログラムが必要です。あとちょっとだけですが、自民党と民主党
のマニフェストを比べていくつかピックアップして見ました。自民党(10年後に2%成長)「方法不明」民主党(最低賃金引き上げ)「中小企業大混乱必死」自民党(200万人雇用創出)「方法不明」民主党(ムダ遣いゼロ)「未知数」自民党(幼児教育ただ)「財源不明」民主党(子育て手当て)「効果未知数」…景気が底を打ったのか、株価が一万円台を回復しました。それはリーマンブラザーズ破綻のいわゆる「リーマンショック」から「GMの破綻」で「もうこれ以上はない」という安堵感が広がったからです。これからはレガシィコスト(年金医療費などの負の遺産)をどうして解決するか?です。米国の社会福祉制度未加入者は2700万人(国民の六分の一)だからです。案の定政府はプライムリーバランス黒字化を先送りしました。財政出動か救済か?である。各国は「ガバナンスの安定」を打ち出して景気回復を狙う。私は40兆円50兆円遣うがカンフル剤に過ぎない。
という意見には賛成できない。デフレになると安くてもものが売れなくなる。節約パラドックスである。つまり貯金するとものが売れず給料も下がる。景気完全回復まで私は3年から4年はかかるって思う。日本は輸出中心(GDP15、2%下落。輸出は25%ダウン)である。日本は失われた10年から2003年のゼロ金利政策で失われた16年になっただけでしょう。是非インフレターゲットをしてもらいたい。ドイツと日本は輸出中心ということでよく似ています。が、ユーロに縛られたドイツよりもっと財政出動ができる。信用フロー(金融の流れをよくする)と消費フロー(需要を作る)の二兎を追うべきだ。それがワイズ・スペンティングということである。「囚人のジレンマ」というものがあって今がそうですね。つまり逮捕された二人がどうして罪を軽くしようか?といって共倒れになった。デフレの恐怖は「囚人のジレンマ」なんです。金融危機では、金融工学の発展で21世紀型の金融市場になっていたのに関
わらず、規制が追いつかなかった。金融機関の間で「何をしてもいい」という空白が生じていた。サブプライムローンの貸してや証券化したひとたち、商品を格付けしたひとたち、ファンドや投資銀行などに対する規制に空白が生じていた。規制がなくとも金融に携わるものなら、自己規律を働かせるべきだった。しかし、「法的には問題ない」という理由で、なすべきことをしていなかった。ただ、現在のように危機が終息していない局面では、新たに規制を導入することは注意が必要です。導入を急ぐあまり行き過ぎた規制になってはならない。専門家同士で時間をかけて、冷静な議論をするべきではないか。エコノミストの中には景気の底をうったという。中国マーケットが鍵です。まあ、中国マーケットは大きい。景気を本格的に回復させ、雇用拡大を実現するためには、民間需要を堀り起こし、内需を拡大させる必要がある。現在における眠っている需要に対した新しい仕事・産業の堀り起こしによって経済を再生させなければならない。失業率も下げなければならない。それには公共事
業の転換、福祉などの雇用育成、観光などの新規雇用をふやさなければならない。役人にビジネスは無理だ。役人が成功出来るのはギャンブルだけ…。いたずらに税金を無駄に遣うだけで、「新銀行東京」などと言っていたずらに税金を無駄に遣うだけである。また高齢者の暮らしや、子育て、介護などで不安解消のための需要と消費を拡大させる必要がある。 高速道路無料化や公共事業を削減すれば大丈夫です。財政投融資や税金を金融や為替にばらまく前に、有望な中小企業や起業家に投資するべきだ。その際官僚ではなく、第三者機関が審査するべきだ。日本は今は世界第二位の経済大国(すぐに中国に抜かれる)であり1600兆円の個人資産がある。が、個人金融資産はほとんど老人がもっている。が、今は「買うべきではない」とみんな思っている。しかも個人金融資産の大半は預貯金に偏りかなり異常です(1600兆円のマネーを循環させる為に相続税贈与税を廃止してください)。金融ビックバンとはその個人金融資産をリカネントつまり市場に循環
させることなんです。 銀行は特に1990年代から貸し出しを抑制し出しました。この背景にあるのはBIS規制と呼ばれる国際ルールなんです。BISというのは国際決済銀行のことです。国際ルールとは、BISが自己資本比率を八%まで維持するようにというルールです。日本の金融は弱いから世界では通用しません。自己資本比率も七%以下です。1990年代まで世界的に競争しているのはだいたい二七億人だった。が、ソ連がロシアになり13億人の中国も市場に入ってきた。市場経済競争は六十億人になりチャンスが広がった。だが、経済産業省が企業支援をした訳ではないだろう。トロン、CD、MD、DVD、有機ELにしても、民間のアイデアである。トヨタ、ソニー、パナソニック、東芝など戦後の企業は企業家がいかに大事か産業にとっていかに大事かわかる。旧・通産省(現・経済産業省庁)の貢献は、これらを、株主、法、カネ不足、人材不足、組合など産業の敵から守ってくれたことでした。これから
経済産業省庁がやらなければならないのは、ビジョンを国家レベルに移すことや地方分権(廃藩置県でなく廃県置藩)や産業の新興は企業の自主性にまかせること。経済産業省庁は何もせずすべて民間に任せ何もせず、傍観していればいい。

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