「失われた30年」日本人は経済低迷三十年の本質がわかっていない。原因と責任を突き詰めないで、無駄削減やチェンジや構造改革、を進めなければ『停滞』はまだまだ続いていく
1990年……今から30年前、東京証券取引所は「大発会」(1月4日)から200円を越える下げをいきなり記録してしまう。昨年の「大納会」(1989年12月29日)での史上最高額3万8915円87銭から、一転して株式市場は下げ始め、その後30年が経過した今も低迷を続けている。今も最高値を四割も下回ったままだ。長期的に、株価はずうっと低迷したままだ。
『S&P500』(アメリカの代表的な株価指数)は、その間に、過去三十年で約800%上昇しており、353.40(1989年末)から3230.78(2019年末)へと、9.14倍もこの三十年で上昇した。日本は1989年から三十年以上も最高値を超えることすらできないでいる。
この違いはいったいどこにあるのか? その責任はどこにあるのか?
アメリカの経済紙であるウォールストリートジャーナルは、電子版(1月3日付)で「日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓」と題して、日本が構造改革を行わなかった結果だと指摘した。
日本は失われた40年を歩むことになるのか
確かに、この三十年間、日本の株価は上がらなかったが、街中にホームレスがウヨウヨいるような『極端な貧困』に陥ったという実感もない。
自民党政治体制は一時期だけは政権を明け渡したが、〝バブル崩壊〟の原因を作った自民党がいまだに日本政治を支配し、官僚と共に日本のあらゆるシステムを牛耳っている。
失われた30年とは、バブル崩壊の原因や責任を問わぬまま時間だけが無駄に過ぎたということだ。自民党政権がやってきたことは、景気が落ち込んだら財政出動で、〝お金じゃぶじゃぶ〟にしてお金を市場にばらまき、それで財政赤字になると、消費税などをあげて赤字を補填する……というあまりにも〝付け焼き刃〟なことだけだった。
当然、景気は悪化する。と、また財政出動で〝お金じゃぶじゃぶ〟……この繰り返しだ。
アベノミクス(2012年からスタート)は中央銀行の日銀(日本銀行)を財政出動の代わりに使い、『異次元の量的緩和』という名目の元、同じような政策(実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」)を展開してきた。政府の意のままで逆らうこともない日銀総裁の誕生も『失われた三十年』と無縁ではない。
日本の国際競争力の低下はあまりにも〝悲惨な状況〟であり、目に余るものがある。
少子高齢化に咥えて、日本人の生産能力は低下の一方である。新たな価値観をなかなか受け入れない国民や企業が蔓延し、失われた30年が過ぎたいま、日本はこれから失われた40年、50年、と、歩き始めているのかもしれない。
日本は恒常的なマイナス成長国家となり、経常赤字が続き、このままでは2030年代には、
先進国から陥落する日が来るのかもしれない。そんな予測をする専門家も多い。日本の失われた30年を、もう1度検証し振り返ってみたい。
日経新聞のデータを振り返ってみたい。
まずは、主要な統計上の数字の面でチェックしてみたい。
●平均株価(日経平均株価)……3万8915円87銭(1989年12月29日終値)⇒2万3656円62銭(2019年12月30日終値)
●株式時価総額……590兆円(1989年年末、東証1部)⇒648兆円(2019年年末、同)
●ドル円相場……1ドル=143.4円(1989年12月末、東京インターバンク相場)⇒109.15円(2019年12月末)
●名目GDP……421兆円(1989年)⇒557兆円(2019年)
●1人当たりの名目GDP……342万円(1989年)⇒441万円(2019年)
●人口……1億2325万人(1989年、10月現在)⇒1億2618万人(2019年、11月現在)
●政府債務……254兆円(1989年度、国と地方の長期債務)⇒1122兆円(2019年度末予算、同)
●政府債務の対GDP比……61.1%(1989年)⇒198%(2019年)
●企業の内部留保……163兆円(1989年、全企業現金・預金資産)→463兆円(2018年度)
(日経新聞系経済雑誌のデータ参照)
以下の数字で、理解出来るのはずうっと株価が低迷したままであることだ。
1989年大納会の3万8915円という高すぎる株価は、30年間回復できない。現実は日本経済に問題があるとしか言いようがない。
この三十年で、米国の株価が九倍になったことを考えると、日本の株価は異常状態となるだろう。ちなみにドイツの株価も7.4倍(1790.37(1989年末)から1万3249.01(2019年末)に上昇)になっている。
『時価総額(株式市場の規模を示すときに使われる)』も、日本は三十年でわずかしか上昇していない。
日本人の株主は株価上昇の恩恵をほとんど受けていない。個人株主が投資して金融資産を大きく伸ばした米国に比べ、日本人が豊かになれないのはこういう事情がある。
『豊かさ』というものが日本人は実感できないのだ。
日本株保有率は1990年度には5%弱(海外投資家)だったのが、2018年度には30%に達している。この三十年で日本株の持ち主の三割が外国人になったのである。
日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によってかつては保有されていた。バブル崩壊によって個人投資家が株式投資から離れ、その後の個人の資産形成に大きな影を落とした。過去最低レベルの17%程度に現在はとどまっている。
アベノミクスが始まって8年間、政府は(「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」などの「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って)意識的に株価を下支えしている。(日銀も「ETF(上場投資信託)」を買い続けている)
このシステムのままだと、個人の投資家は儲からないし、意図的にババを引かされていることになる。株価が暴落したときに、個人株主が市場に参入する機会を失わせている。
株式市場は価格形成に任せるべきだが、それを政府が邪魔して、市場をコントロールしているようなシステムになっているのだ。
日本の名目GDP(1989年度には421兆円だったのが、30年を経た現在では557兆円になっている(米ドル建てで計算。1989年はIMF、2018年は内閣府推計))は一見すると国内総生産は順調に伸びているようにも見えるが、凋落が続いている。
1989年……15.3% 2018年……5.9%(アメリカのウェートが1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとやや低下したのに比べると、日本の落ち込みは大きい。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上昇している。新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大している)
明らかな日本の国力の低下「グローバル企業が示す日本の衰退」
日本の「失われた30年」を的確に示している指標には、「国際競争力」(日本全体)や「収益力ランキング」(日本企業)がある。
例えば、「国際競争力ランキング」(スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している)では、1989年から4年間、アメリカを抜いて日本が第1位となっていた。それが2002年に30位に後退、2019年版でも30位だ。
一方、アメリカのビジネス誌『フォーチュン』が毎年発表している「フォーチュン・グローバル500(グローバル企業の収益ランキング・ベスト500を示したもの)」は、1989年、日本企業は111社もランキング入りしていたが2019年版では52社に減少した。
日本の科学技術力も、で大きく三十年で、衰退してしまった。
「TOP10%補正論文数(日本の研究者が発表した論文がどれだけほかの論文に引用されているのかを示す)」というデータでも、1989年前後には世界第3位だったのだが、2015年にはすでに第9位へと落ちた。
このほかにも、国際ランキングで日本が順位を落としたものは数知れない。ほとんどの部分で日本以外の先進国や中国に代表される新興国に抜かれてしまっている。日本は今や先進国とは名ばかりの状態だ。
それなのに、日本のメディアは『日本の世界一の技術力』とか『日本が世界一の治安で安全安心』とか、数少ない日本の長所をことさらに主張して、『日本が世界をリードしている』という幻想を報道することしかしていない。
昔、1989年には、日本にやってくる外国人観光客は非常に少なかった。訪日外国人客は283万人(1989年)だった。日本は物価が高く、一部のお金持ちしか楽しめない国だった。
ところが、3119万人(2018年)にまでいまの日本への観光客が膨れ上がった。
つまり、日本はこの三十年間も物価が上がらず、経済成長もせず、観光客が楽しめる〝お金のかからない国〟に成り下がった……ということなのだ。
アベノミクスの掲げる『2%のインフレターゲット』さえ達成できない。
(国民生活にとっては)悪いわけではないが、日本の国力は明らかに低下している。
責任はどこにあるのか?
日本経済低迷のきっかけは、言うまでもなく株価の大暴落だが、それに追い打ちをかけたのが当時の大蔵省(現・財務省)が、高騰を続ける不動産価格を抑制しようと『総量規制』に踏み込んだことだ。
株価にブレーキがかかっているのに、土地価格にまでブレーキをかけたことが原因であり、そういう意味で、バブル崩壊、は、政府の責任だ。
日本は二十年も、アメリカがリーマンショックを経験したような出来事を味わっていたわけだ。が、そこでの対応の違いがアメリカと日本の差を決定的にした。
株価暴落や土地価格の暴落などによって実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、日本は、7年以上もの時間をかけてしまった(リスクを先送りにすることで、自民党を軸とした政治体制を守り、政権と一蓮托生になっていた官僚機構も、意図的に破綻処理や構造改革のスピードを遅らせた。その間、政府は一貫して公的資金の出動による景気対策や公共事業の増加などで対応)。
『赤字国債なしでは、日本は立ち行かなくなっている』当時の大蔵省主計局の局長はそう認めていたという。
この三十年、日本政府は大企業の救済のために資金(税金)を惜しげもなく支出してきた。税金を使うことを咎める米国の共和党のような勢力が、日本にはないからだという。
公的資金が効果なし、と見ると、今度は〝付け焼き刃〟で郵政民営化だの規制緩和を始める。だが、所詮は、様々な勢力に忖度して、結局、尻つぼみで、改革の半ばで挫折する。
アベノミクスの八年九年も、その繰り返しだといっていい。
消費税も1989年4月の導入から、2%、3%、5%、8%、10%と、ほんの少しずつ引き上げることで決定的なパニックに陥るリスクを避けてきた。
一方のアメリカは、リーマンショック時にバーナンキFRB議長は大胆に、そしてスピード感を持って解決策を打ち出した。責任を回避せずに、リスクに立ち向かう姿勢がアメリカにはあった。
日本はつねにリスクを回避し、事なかれ主義に徹し、改革のスピードや規模が小さくなってしまう。その結果、決断したわりに小さな成果しか上げられない。簡単に言えば、この30年の失われた期間は現在の政府に責任がある。
だが日本国民は、バブル崩壊の原因を作った政権に、いまも肩入れしてきた。その背景には補助金行政など、政府に頼りすぎる企業や国民の姿がある。
その結果が、国の財政赤字が1100兆円ということなのだ。
ただ単に「低い投票率」に支えられているだけ(自民党政権がいまも続いているのは)、という見方もある。が、国民の間の「諦め」の境地も事実だろう。
長期間デフレが続いたため、政府は経済成長できない=税収が増えない分を長期債務という形で補い続けた。収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿と言っていい。
日本はなぜ構造改革できないのか?
全国平均の公示地価を見ると、30年近い歳月、日本国民は土地価格の下落を余儀なくされた。株価や土地価格が上昇できなかった背景をどう捉えればいいのか。
簡単に言えば、日本政府は構造改革につながるような大胆な改革を行ってこなかった。都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り、消費税の導入や、税率アップのような構造改革ではない政策でさえ、選挙に負けるというトラウマで、一線を超えずにやってきたのだ(もっとも、構造改革をスローガンに何度か大きな改革を実施したことはある。例えば、企業の決算に「時価会計」を導入したときは、本来だったら構造改革につながるはずだった。これは、日本政府が導入したというよりも、国際的に時価会計導入のスケジュールが決まり、それに合わせただけのことだが、本来であれば株式の持ち合いが解消され、ゾンビ企業は一掃されるはずだった。
ところが政府は、景気が悪化するとすぐに補助金や助成金といった救済策を導入して、本来なら市場から退散しなければならない企業を数多く生き残らせてしまった。潰すべき企業を早期に潰してしまえば、その資本や労働力はまた別のところに向かって、新しい産業を構築することができる。負の結果を恐れるあまり、政府はつねにリスクを先送りしてきた)。
「PKO(Price Keeping Oparation)相場」、バブル崩壊後も、株式市場は長い間、そう言われて、政府によって株価が維持されてきた。長い間日本の株式市場はバブル崩壊後も政府によって株価が維持されてきた。世界と乖離した時期があった。官民そろってガラパゴスに陥った30年である。デジタル革命、 AI・IT革命といった「イノベーション」の世界の趨勢に日本企業がどんどん遅れ始めている。この背景には、企業さえも構造改革に対して消極的であり、積極的な研究開発に打って出ることができなかったという「リスク回避」の現実がある。欧米のような「リスクマネー」の概念が決定的に不足している。
新しい分野の技術革新に資金を提供する企業や投資家が、圧倒的に少ない。
ある分野では、極めて高度な技術を持っているのだが、日本はマーケティング力が弱く、それを市場で活かしきれない。日本企業は過去に、VHSやDVD、スマホの開発といった技術革新では世界のトップを走ってきた。
しかし、実際のビジネスとなると負けてしまう。技術で優っても、ビジネス化できなければただの下請け産業でしかない。
日本が製造業に固執しながら、最先端の技術開発に終始している間に、世界は「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に支配されていた。残念な結果といえる。
ガラパゴス化の背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在する。日本企業の多くは業種にもよるが、消費者ではなく、規制当局や研究開発費を補助してくれるお上(政府)の方向を向いてビジネスしている姿勢をよく見かける。政府が出してくれるお金を手放せないからだ。
とはいえ、日本にとって、今後は失われただけでは済まない。日銀には一刻も早く、金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も適正な株価形成のシステムに戻すことが求められている。「最低賃金の大幅上昇」や「積極的な円高政策」といった、自民党が避けてきたこれまでとは真逆の政策に踏み切るときが来ているのかもしれない。
そして、政府は財政赤字解消に国会議員の数を減らすなど、目に見える形で身を切る改革をしなければ、今度も「失われた40年……○○年」が続く可能性が高い。
(岩崎 博充氏著書参照*もっと詳しい記事は岩崎氏の著作を参照してください)