長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

MAマジックエンジェルほたる「魔術天使螢のファンタジックな冒険活劇」小説6

2013年09月30日 05時17分55秒 | 日記
知的探求心のおおせいな学生たちに哲学だとか文学だとか歴史なんかを教えて…世の中を変えてしまうほどの立派な教育者になりたいのよ。もちろん、そのためにはうんとうんとお勉強をして、誰にも負けない知識を養わなくてはダメでしょう?英語、フランス語、ドイツ語だけじゃなくて…もっといろいろな言語をマスターしなくちゃならないし…。とにかく、そういうことでお勉強をしてるって訳なのよ」
 有紀はスラスラと微笑して言った。二人組は目を点にして、やっと尋ねた。
「英語、フランス語、ドイツ語だけじゃなく…?!」
「もちろん、お勉強だけが人間のすべてではないわ。今の日本のように、いい大学にはいるためにはいい高校に、いい高校にはいるためにはいい中学に、中学にはいるためにはいい小学校に、いい小学校にはいるためにはいい幼稚園に…っていう学歴社会・偏差値社会は正気の沙汰とは思えない。そういう閉鎖的な社会からは決して天才は生まれないもの。だから、私はおふたりに日本の大学にいくことは勧めない。でも……お勉強は大事よ。教養を高めるって意味でね。だから…蛍ちゃんも由香ちゃんも、きちんとお勉強してみたらいかがかしら?」
 蛍も由香も彼女の素直な言葉に「あ、はぁ…まぁ…」と茫然と答えるしかなかった。

 もうだいぶ日も暮れかかって、青山町という平凡な町並みも黄昏た感じだった。
蛍と由香と有紀の三人は、青山町南原にある”栄光塾”という建物の前にポツンと立っていた。ちなみに”栄光塾”とは超一流の進学塾であり、エリートだけが入塾できるようなポジションにある。そして蛍や由香にとっては無縁の場所…である。
「へぇーっ、栄光塾じゃないの。あのエリートしか入れないっていうさぁ。ここの卒業生はだいたい東帝大とか京帝大とか応早大とかに合格しちゃったりしなかったり…するっていう」
「そうそう。そしてここのOL(OB!)とかは大蔵省や三井戸、四菱とかっていう会社や役所とかに就職してさぁ…偉い訳よ」
 蛍と由香は建物をぼうっと見上げながら呟いた。白い壁の同道としたビルだ。さすがそこいらの安っぽい塾とは雰囲気が違う。
「あの。…東帝大に入学したからとか、四菱に就職したからとか…そんなことで偉いなんて判断するのは間違いじゃないかしら」
 有紀ちゃんは横にいるふたりに真剣な顔付きで、優しい優しいお母さんのような顔つきでいった。蛍と由香は不思議そうな顔をして、
「えぇっ。でもさぁ…やっぱりそういうとこに就職したりしたらさぁ、お金とかいっぱいもらって権力もって尊敬されたりしてさぁ…偉いっしょ?」
 有紀は瞳をくもらせてから、「いいえ、偉くないわ。人間として尊敬されるひとは、困っているひとのために役にたったり、ボランティア活動をしたりっていう社会的活動をしているひとね。それと、ただお金をもってれば偉い…なんていうのは拝金思考ともいえるわ」
 と悲しい口調で蛍たちに教えた。そして、「あの。じゃあ、私…塾の教室にいくわね。……今日はありがとう。とっても楽しかったわ」
 有紀は優しい表情に戻って、二人に頭を下げると可憐な足取りのまま建物の中へと姿を消した。蛍たちは、その後をつけて中にはっていった。そして、教室の中を覗いた。
 ー教室の中。鬼のような顔をした塾の講師は、
「あの、すいません。遅れました…あの……」
 と頭をさげて謝罪の態度をとった黒野有紀をキッと睨んだかとおもうと、次の瞬間、無慈悲に、有紀の可愛らしい頬に平手打ちをくらわした。彼女ははげしくよろけた。
 そして、その講師は、冷たい視線のまま手で頬をおさえて驚愕している黒野有紀に、
「さっさと席につけ!」
 と命令した。
 有紀は恐ろしくなって全身を小刻みに震わせた。涙が目を刺激したがなんとか堪えてトボトボと席のほうにあるいていった。そして当然のことのように他の生徒達は何ごともなかったように机に向かっているだけだった。
「な、な、な、何よっ。あの野郎!私たちの大事な有紀ちゃんになんてことすんのよっ!」 ふたりは怒りと驚きで眉をツリあげて、
「そうよ、そうよ、そうよ!女の子にとってお顔は大事なもんじゃんよぉ。あんなに強くビンタして、青痣でもできたらどうしてくれるっていうの?!」
 蛍と由香は激しく誰にもきこえないように怒鳴った。
  時間はだいぶ過ぎ、もう夜になっていた。蛍と由香は”ヒマ人”らしく、塾の建物の外の物陰に隠れるようにして建物から出てくる生徒達をぼうっと眺めていた。何をしているのか?まさか、お勉強に目覚めて入塾するのか?はたまた「あの野郎」こと塾の講師を襲撃するのか……?
「あ!出てきたよ。有紀ちゃんが…」
 由香は声を上げた。そう、ふたりは単に、有紀がでてくるのを待っていたのだ。
 彼女はいつものようにトボトボとうつ向き下限で歩いていた。ーあ、マズイ!ふたりはハッとして、有紀の後ろ姿を追った。
 だが、このふたり。…正義の味方と呼ぶにはあまりにもオソマツな少女らは、薄暗い遠くの夜空に浮遊してギッと有紀の後ろ姿を睨んでいる魔物・アラカンの存在には気付きもしなかった。アラカンの口元に冷酷な笑みが浮かぶ。
「あれが今度のターゲット、黒野有紀という少女か…」
 冷たく低い声が暗闇に微かに響いた。……

  夜遅くなって、黒野有紀はちっぽけなアパートに帰ってきた。
 有紀のご自慢の母親「黒野静」は珍しく台所で夜食をつくっていた。静は有名な東帝大の助教授で、知性と美貌を兼ね備えた中年女性だ。細い体格、黒色の瞳、白い肌、きらきらした髪は、明らかに有紀に受け継がれたようだ。だけど、有紀ちゃんの方が痩せていて可愛らしく魅力的で、母親にくらべて手も足も驚くほどすらりと細い。
「有紀、おかえりなさい」
 台所の壁を通して、静の少し疲れた声が薄っ暗い玄関に微かに響いた。
「あら、お母さん。今日はお仕事は?」
 有紀は少し驚いた声を出して台所に歩いていった。そして、「珍しいこともあるわね。お母さんがこんなに早く帰ってきて…しかもお食事を作っているなんて」
 静は娘の可愛らしい魅力的な笑顔を眺めてから、「まぁ、そうね」とうなずいた。
「あ。もう、危なっかしいわねぇ。お母さん…ほとんどお料理なんてした事ないんだから…指でも切ったら大変よ。いつものように私がやるわ」
 有紀は幸せそうにニコニコと笑ってから、手際よく母親の手から包丁を取ると「お料理」しだした。静は少しだけ呆気にとられたように立ち尽くして、娘の包丁さばきに見とれてから、インテリらしい顔をした。
「ねぇ、有紀。お勉強の方はどうかしら?きちんと学年トップのポジションをキープしているんでしょうね?」
「……え、えぇ。まぁ……はい」
「私はねぇ、有紀。あなただけが頼りなのよ。お父さんが数年前に交通事故で死んじゃってから、いままでずうっと、あなたのことだけ考えて暮らしてきたといっても過言ではないわ。あなたが、誰にも負けない頭のいい人間になること、そして、大学教授になること、…それらは私の夢でもあり有紀の夢でもある。そうよね?」
 静はまぶしそうな目で冷たい口調でいった。
「……は、はい。まぁ…えぇ。お母さんの期待はぜったいに裏切らないわ」と、有紀はうなづいた。
「そう、それはよかったわ。私にはあなただけが頼りなのよ。ぜったいにお母さんのことを裏切ったりしないで、勉強に打ち込みなとさい!…人間にとって必要なもの、手にいれなくてはならないものは知識だけよ。無学なもの怠惰なものでは誰にも相手にされないのよ。わかるわね、有紀」
 有紀は「でも……あの。えぇ」とうなづいてから少し寂しそうな表情をした。…知識も大事だけど、互いが互いを愛し合う精神や、それを理解できる知恵も大事なのに。心の中でそう呟きながら有紀は続けて、うれしそうな笑顔で、
「あの。あのねっ、お母さん。私……お友達ができたの!とっても明るい楽しい女の子でね。名前は蛍ちゃんと由香ちゃんっていって…今日はなんとふたりにゲームセンターや喫茶店に初めて連れていってもらって…とても楽しい時を過ごしたの。やっぱりお友達って最高…」
「有紀!うかれるのはよしなさい。そんなどうでもいい友達ならいない方がマシ!もっと気合いをいれてお勉強だけに集中しなさい。そんな蛍だか由香だかという人間とそんな所にいくなんて…あなたはもう少し「頭の働く子」だと思っていたのに…まったく。とにかく、もうそんな子たちとは付き合ってはいけませんよ」静はけしからんと言った感じで娘に冷酷な視線を投げ掛けてから、そのままそまの場を立ち去った。残された有紀は、ただ悩むばかりだった。………まるで暗闇にぽんと投げ込まれた気持ちだった。
 有紀のお部屋は、お馬鹿の蛍の部屋のような少女趣味的なものではない。また、皮肉屋で絵画おたくの由香の部屋みたいにキャンバスだけが並んで置いてある訳でもない。ただ、哲学書や歴史書などが本棚に並んでいる。本と水色のベットとクローゼットと机があるだけの部屋。しんと光る部屋。静かな空間。すべてが有紀らしい。
 机の上にポータブル・CDラジカセがあり、チャイコフスキーやモーツアルトといったCDがあるが、それはクラッシック・マニアらしい。
  有紀にはまるで「赤毛のアン」のアン・シャーリーのような一面もある。本だなに置いてあるピエロの人形を手にもって話しかけるのだ。しかも、熱心に情熱的に、少し寂し気に、
「ねぇ。あのねっ……私に…初めてお友達が出来たのよ。今まで、小さい頃からお友達なんて一人も出来なかったのに…。すごいでしょ?奇跡的よね?」
「それで?そのお友達は何て名前?」ピエロの声で、寝ぼけ気味に有紀はいった。
「うん。お名前は蛍ちゃんと由香ちゃんよ」
「それで?いっぱいいっぱい遊んだ?」
「えぇ。もちろんよ。いっぱいね」
「そう。お母さんはなんて?」
「………よかったね、お友達が出来て…って」
「…もう寝たらいいんじゃない?明日はお母さんのお弁当をつくったり朝食をつくったり…いろいろある訳だからね」ピエロは優しくいった。
「ねぇ、神様なんていないって思ってたけど、神様は本当にいるのかなぁ。神様が蛍ちゃんたちをつれてきてくれたのかなぁ」
「そうかもね。神様ってばやるわね」
「そうね。かなりやるわね」
 ピエロの頬にキスをしてから、有紀は優しくきらきらと微笑んだ。


  次の日、学校の図書館はほとんど誰の姿もなかった。時刻は正午過ぎの昼休み。
 有紀ちゃんはいつものように、大きなテーブルの隅っこの方に陣取って分厚い哲学書を熱心に読み耽っていた。
「ねぇ、ねぇ、有紀ちゃん」
 有紀が大きな瞳をきらきら輝かせて哲学書を読みふけっていると。背後からそんな声がした。彼女は振り返って、背後の二人組に、
「あらっ、蛍ちゃん、由香ちゃん、ごきげんよう」
 とニコリと微笑した。蛍はニヤリと、
「ねぇ、有紀ちゃん、探していた電話番号みつかった?」
「……え?この本は電話帳では…」
「相手にしなくていいわよ、有紀ちゃん。馬鹿蛍のつまんないギャグだから…」
 由香は真顔でいった。
「(無視して)…あのさぁ、有紀ちゃん。お願いがあるんだけどさぁ…」
「『お金貸してちょうだい』とかいうお願いかしら?」蛍は由香の皮肉を無視して、「あ…あのねぇ。お勉強を教えてもらいたいのよ」
「え?!何っ?お弁当を…ちょっと苦しい……お勉強って誰に?あんたんとこのセーラに?」「(無視して)…ダメかなぁ?少しは20点とか30点とかさぁ、テストで取ってみたいのよぉ」
 蛍は有紀にそういって、元気いっぱいに笑った。そして、「もち(ろん)、由香ちゃんも一緒に!」
 とお願いをした。ので、由香は、「え?え?えっ?!ちょっと、私も?!」と驚いた声をあげてしまった。
「…くすっ」有紀はそんな五流コメディアンのような二人組をジッと眺めて、魅力的な笑顔ですぐにいった。「えぇ、もちろんいいわよ。お勉強をお教えいたしますわ」
  しばらくして、例のふたり組は「……あぁ。全然わからないわっ!」と弱音を吐くことになる。当然、有紀という頭の良い女の子に優しく教えてもらっても、この二人には理解できるわけないからだ。
「……あの。二人とも…あきらめないで頑張りましょう。千里の道も一歩から、よ」
 有紀ちゃんは優しい優しいお母さんのように笑顔を見せた。横に座っていた二人は、
「え?山咲千里(日本の女優)?!」と尋ねた。
「…………ローマは一日にして成らず……よ」
 有紀は少し言葉をつまらせてから、言い直して教えた。そして、はぁ、っと思わずタメ息を洩らした。……

  もう午後になっていて、有紀と由香と蛍の三人は仲良く下校時を並んで歩いていた。 時刻は何時なのかはっきりしない。どよどよと薄暗い雲が天空をつつむように漂ってきて、何かしら怪しげにも見える。怪しげ…というより、雨がふってきそうな天気であり雲行きである。そして、次の瞬間、当然のことのようにポツリポツリと雨粒が静かに落ちてきて、やがてざあざあと激しく降出してきた。しんとした冷たさだった。
「うわぁ。ちょっと、雨だなんて。お天気お姉さんの嘘つき!今日は雨降らないっていったじゃんよっ」当然、こんな品のない言葉を叫んだのは例の二人だ。
 最悪の筋書きが現実の運びとなってしまっていた。でもたいして「最悪」ではない。単に、
「…やだよ、傘っ忘れちゃったよ!!」……だからだ。二人組はテレビのお天気お姉さんにひどく腹を立てていた。お天気お姉さんは約束したのだ。「とにかく、走って帰ろ!」
 三人は鞄を傘がわりに頭上にかざして、茫然とした顔のまま駆け出した。角を曲り、通りを二つ走って、公園の近くまでやって来た。途中で一度だけ足を止めて、
「じゃあ、有紀ちゃん、また明日ね」
 と由香と蛍は有紀にいった。そうして、二人は角を曲がって言った。ふたりと有紀ちゃんは帰る方角がちょっと違うのだ。
  それからしばらくして、有紀は驚愕に包まれたまま黙りこんで立ち尽くしてしまった。そして、道路の隅っこにまるでゴミのように捨ててある「ダンボールの中にいれられている一匹の子犬」を見た。こんな風に、動物が哀れに捨てられているのをダイレクトにみたのは初めてだった。冷たい雨に打たれ、くんくんと鳴いて誰かを必要とするような瞳をしたシバ犬の茶色い子犬。きっと誰かに可愛がられ、必要とされ、やがて忘れられて、ゴミのように捨てられてしまった子犬。
「…ひどいわ。可哀相じゃないの。…なんてこと?こんな可愛いワンちゃんを無責任に…ワンちゃんの気持ちなんて考えもしないで…こんなふうに捨てるなんて」
 彼女はやっとのことで声を出した。そして、冷たい雨に全身をうたれながらね純粋な気持ちで子犬をジッと見つめた。
 くんくんと子犬が彼女を見返し、有紀は一瞬、このワンちゃんをこのままにして置く訳にはいかないわ、きっと私が助けなくてはならないのね、と信じたが、少しだけ不安にもなった。彼女の可愛らしい大きな大きな瞳が不安気に曇っていった。
「ーどうしよう?お母さん……動物が嫌いなのよね。…でも、だけど……」
 ざあざあと冷たい雨にうたれながら、黒野有紀は捨て犬を同情の瞳でながめながら呆然と立ち尽くすしかなかった。

  ”可愛らしくおとなしい文学美少女”こと黒野有紀という優しく少し内気な美少女はやっぱり子犬を見捨てるという残酷な行動は取れなかった。有紀ちゃんがそんなことする訳がない。彼女は動物をポイ捨てしたり虐待するやからとは違って、人間や動物の心の痛みや苦悩を知っているからだ。それが彼女の優しさだ。しんと光るような心だ。
 日本では、捨て犬は保健所に隔離され、一週間たっても飼い主が訪所しない場合はガスで安楽死させられる。そして、当然のことのように飼い主などはまず現れはしない。
「しっ。…ダメよ。おとなしくしててね」
 玄関に忍び入った有紀は、胸元に抱き抱えたズブ濡れの子犬に静かな口調で優しくいった。彼女のきれいな黒髪も制服も鞄もなにもかもが冷たい雨に濡れていた。
 …でも、有紀はなにも気にせずに子犬に視線を向けて優しく微笑むとオドオドとお母さんがいないか見渡した。いない。
「ワンちゃん…待っててね。すぐに温かいミルクをあげるからね」
 有紀はニコリとして呟き、子犬はくんくん鳴いた。たが、この有紀ちゃんはやたらとのろい。「運動なんてまるでダメ!らしいよ…」という噂も本当で、足が遅いのだ。だから、のろのろと台所に歩いていく間にお母さんに見付かってしまった。
「ゆ、有紀!なんです?その胸元に抱きかかえている汚らしい犬は!」
 静の冷たい声が響いた。有紀の心臓が重く沈んだ。「あ、あの…お母さん……」
 一瞬、沈黙が訪れ、有紀は息をとめた。もし、捨てきなさいなんて命令されたらどうしよう…。
「……あの、お母さん。このワンちゃんとっても可愛いでしょう?世話とかは全部私がやるから…飼ってもいい?」
 歩きながら練習したように、おどおどと有紀はいった。「ほら、ワンちゃんって頭もいいし、可愛いからみてて心も安らぐし…とってもいいパートナーになるでしょう?縄文時代から人間のもっとも親しい友人と呼ばれてきたくらいだから…。ね?飼ってもいいでしょう?」
 静は顔色ひとつ変えずに「ダメよ。すぐにその汚らしい犬を捨ててらっしゃい」と冷たく言った。
「でも…お母さん…可哀相でしょう?」
 両手をきつく握り合わせ、目を遠くのあらぬところに泳がせ、すがるような表情で有紀はいった。そして、泣きそうになりながら、
「ねぇ、お願いよ、お母さん。……捨てるなんて嫌なのよ。だから」
「ダメよ!これは命令よ、捨ててらっしゃい」
 静は限りない冷たさに満ちた顔でいった。有紀は何も反論できずに黙り込み、下を向いて涙を堪えて立ち尽くした。ひどく悲しい気持ちだった。こんなにも自分の母親が分からず屋だったなんて…。
 まるで大蔵省のエリート役人みたい…。

 有紀はしかたなく、子犬を元のダンボール箱の中へ戻した。そして、じっと立ち尽くして顔を曇らせて、泣きそうな視線を向けた。
 くんくんと子犬は可愛らしく泣いて有紀を呼んでいる。ーどうしたらいいの…?
 彼女は冷たい雨に打たれながら悲しみの中で黙り込むしかなかった。
「……ごほっ、ごほっ」
 しばらくして、有紀はセキ込み、額に右手をあてて凍り付いた。ひどい無力感や哀れみに襲われて堪え切れなくもなった。私は無力だわ…彼女は自分をせめた。
 そしてまた有紀は、じっと立ち尽くすだけだった…。

  例の”出来そこない”のふたり組(蛍と由香)は相変わらずだった。時刻は朝の小休みの頃。ふたりは青山町学園の廊下を明るく笑いながら並んで歩いて、
「いや、はや…まいったっしょ。抜き打ちテストなんてぜんぜん出来なかったよ」
「まあね。私も。数学じゃあねぇっ。美術ならさぁ、楽勝なんだけどさぁ」
「…美術の抜き打ちテストなんてあんの?」
「…あったらいいなぁ。なぁーんてさぁ」
「じゃあ私は……アニメのキャラクター・ネーム(登場人物の名前)当て、とかさぁ。アニメ・ソングのイントロ当てクイズとかさぁ」
「馬鹿じゃないの?」
 ひたすら低レベルなふたりである。
 しかしそうした脳天気なピーヒャラピーヒャララ…という二人組とは別に、黒野有紀は掲示版の順位表を凝視して愕然と立ち尽くしてしまった。表情を凍らせ、激しくセキ込んでしまった。両手を胸のすぐ前で握り合せて、表情もなくした目でうつろに『表』をみつめていた。氷のような表情…どこかへ飛んでいってしまいそうな目だった。
「あ、有紀ちゃん。何みてんの?学級新聞の四コマ漫画とか…」
「馬鹿じゃないの?あんたじゃあるまいし…」
 すぐに由香が蛍にそう言った。有紀ちゃんが「馬鹿じゃないの?!」などという言葉を使うことはありえないことだ。こういうのは皮肉屋で絵画オタクの赤井由香の台詞だ。
「……」有紀は何も答えずに、ごほごほとセキこんで黙り込んでいた。頬が赤く火照っているようだ。風邪をひいたのかも知れない。
「あの……どうしたの?有紀ちゃん…」
 しかし、有紀の視線は『表』に向けられたままで、その顔は打ちひしがれていた。ふたりは不安気な不思議気な顔で順位表に目を向けると、
「…あれっ?あれ?あれ?あれっ?」
 と声をだした。由香は、「印刷ミスじゃないの?有紀ちゃんが学年で32位だなんてさぁ。あの横沢葵とか森山なつみより下なんてさ。…ミス・テーク(プリント)…ね」と言った。「そう、ミス(間違い)っしょ!ミス!!……ミス?…ミスって結婚してない女性のことじゃあ?」
「(無視して)あの…有紀ちゃん、有紀ちゃん?元気だして。あんまり気にすることないってるいつものトップじゃなくて32位だけどさぁ…私たちよりはずうっとマシな訳よ。だいじょうぶ!有紀ちゃんってば頭いいんだから、すぐにトップに返り咲くわよ」
 蛍は「…あ?!由香ちゃんってば…さっき印刷ミスって宣言したじゃんよぉ」といった。「(無視して)…とにかく明日にゃ明日の風が吹くってことだから…元気だしてね」
「そうそう。”持てばカイロは温かい”ってもいって…」
「”待てば海路の日和あり”(我慢していればやがてよいことがおとずれる)よ!この馬鹿蛍っ!!」
 しかし、有紀には慰めの言葉はもはや聞こえなかった。またしても自分の心の部屋に閉じ籠ってしまってから、氷と痛烈な寒さに満ちた場所へ逃げ込んでしまったのだ。小刻みに震え、風邪で咳き込みつつ『表』を凝視している。
「おい、黒野!ずいぶんと成績が落ちたもんだなぁ。いつもトップのお前が32位とは」
 いつの間にか、社会科の”メガネ猿”こと有田先生が三人に近付いてきて声をかけた。「…なにかあったのか?転んで頭でも強く打ったか?悪い物でも食ったか?」
 有田先生のいやみにも、有紀はなにも答えなかった。
「あの…有紀ちゃん」由香と蛍は彼女の肩にそっと手をかけて、やさしく包むように微笑んだ。
 有紀は二人の手の微かな温かさと、手触りと、優しさに包まれたことを感じて、ほんのわずかだが体の力を抜いた。震えが止まった。しかし、凝視を続ける目は『表』から離れようとしない。
 まるで催眠状態にでももかかったかのようだ。そして、次の瞬間、つぶやきが始まった。呟き、呟く、呟いていく、呟いたら…呟く。呟き呟き。
「なにいってんの?有紀ちゃん」ふたりはそっと耳を彼女の口元に近付けた。「…?」
「…そんなこと…信じられない…わ。こんなに成績が…。こんなんじゃ…立派な教育者なんて……。こんな……んじゃ…あ…」有紀ちゃんはつぶやくように同じ文句を唱えていた。「こんなんじゃあ…こんなんじゃあ…こんなんじゃあ…」何度も呟く。
 二人は驚くと同時に、無ねから全身へ痛いほどの哀れみが広がるのを感じて黙りこんだ。彼女を両手で抱き抱えて、慰めてやりたいとも感じたが、あえてしなかった。だけど、何とかしなくちゃならない。そうしなければ、彼女はまた元にもどってしまう。ーそうだ! 二人は流行りのポップスをうたいはじめた。

 ♪ウィー・ア・ポジティブ・ガール
 どんな時も あきらめないで 素直なまま恋して
 ウィー・ア・ポジティブ・ガール
 強がりいっても 何してても 許してほしいのよ
 ウィー・ア・ポジティブ・ガール
 一瞬の ときめきを忘れないで 歩いて
 ウィー・ア・ポジティブ・ガール
 臆病な 自分たちをすべてこわして 微笑(わら)うから!

  有紀の呟きが消えて、凝視もおさまった。

 立ち尽くさないで…  悩まないで……

  二人は歌いおえた。もちろんサビ(ブリッジ)の部分だけだったけど、それでも魅力的なメロディだった。有紀ちゃん、有紀ちゃん、愛してるよ。私たちは親友でしょ。だから、分かりあえるよね。大丈夫よね。
「有田先生。黒野が32位になった理由(わけ)を知ってますか?」
 またまた神保先生がやってきて、同僚の有田先生にニヤリと声をかけた。
「いえ。……理由なんてあるんですか?」
「えぇ。」神保は白く鋭い歯を見せて、「こいつらですよ。この青沢蛍と赤井由香にしつっこくまとわりつかれて勉強が手につかなかったんでしょう。まぁ、朱に交われば赤くなる(交際する人からずいぶんと悪い影響をうける)ってことわざがあるけれどね。まさに、それですなぁ。こんな馬鹿コンビと仲良くなったばっかりに……不幸なことです」
 神保の冷たい言葉に蛍はムッとして、
「先生!そんないいかたないっしょ?!」
 といった。由香は狼狽しながらも、
「そうですっ、先生!馬鹿コンビだなんてっ。蛍は全滅だとしても…私は美術は年間オール百点でしょっ?!だから…」
 しかし神保は何の表情もみせずに、ただ、
「黙っていろ、この馬鹿ども」と吐き捨てるようにいった。「お前たちが頭が悪いのは勝手だが……他人まで巻き込むんじゃない!」
「な、何?!この”機械”!学校中の嫌われもの!」
「なにっ、この馬鹿ども!”仏の顔も三度まで”だ!!」
 蛍と由香は神保の怒りに触れて、「…なによっ、何が仏よ。ずっと鬼の顔じゃんよ」と全身を恐怖で小刻みに震わせた。ーちょっと反論するのは無謀だった…ころされちゃうよ。 次の瞬間、ゲンコツが飛んだ!!
 けど、「待ってください、先生!」という有紀の言葉で、ゲンコツは螢と由香の頭すれすれで止まった。いや、止めた。
「私の成績がおちたのと螢ちゃんたちとは…何の関係もありません!ぜったいにありません!!」有紀はしぼり出すように必死に泣いたような声を出した。そして、目をぎらぎらさせて、言った。「成績が落ちたのは風邪をこじらせて頭がぼうっとしていたからです。…それに…螢ちゃんたちは、先生がいうような劣等生じゃありません!ぜったいに!!だからすぐに、先生」
 そして続けた。「すぐに謝って下さい!」
 神保は口をぽかんとあけ、狐につままれたような顔で彼女をみた。「な、なにっ!黒野っ、貴様」憤慨して叫んだ。「成績がトップだからって甘やかしてやればツケ上りやがって。私に命令するのか?私はお前なんかより知的レベルが上なんだぞ!ふざけるな!!」
「…それは違います。」有紀は切り返した。「知的レベルとは単に学問を知っているってことだけじゃないんです」
「で、学問じゃなくなんだっていうんだ?」
「人生をうまく泳ぐ知恵、博愛の思考、多くの知識を有しているだけでなくて何がよくて何が悪いか迅速確実に判断して他人の痛みをも知る能力…これらを身につけているひとが知的レベルの高いひとです」
 知恵?博愛?何をいってるんだガキが!正気か?狂ってる?まったくガキときたら夢みたいなことばかり考えやがって!神保は有紀をギッと睨みつけた。
「私は先生みたいな偏見でしか学生をみないひと、判断しないひとは好きではありません。先生は学生たちを悪くいうけど……むしろ先生のほうがいろいろと悪いところがあるんじゃないでしょうか」
 神保は癇癪を起こすまいと必死にこらえた。このガキにやられているのがわかるだけに、癪にさわった。彼は子供に論破されるのは慣れてない。
「螢ちゃんたちがどんなに素晴らしいか、先生にはわからないんですか?」有紀は暗い表情のまま、熱心な口調で続けた。「ちゃんとみてあげれば、すばらしい才能があるってわかるはずです。そして、いつか輝かしい人になれるってわかるはずです」
 彼女の声が同情に和らいだ。「…とってもすばらしい大人に…女性に…人間に」
 神保は手のひらを突き出し、有紀をさえぎって、怒鳴った。
「黙れ。このガキが…お前なんかに何がわかるっていうんだ?!ナマイキいってんじゃないっ!」
 彼女は頭から冷水を浴びせかけられた様に肩をすくめて立ち尽くし、黙り込んだ。そして、くやしくて情けなくって瞳から大粒の涙をぽろぽろ流して、
「先生はフィリステンね!」と断言した。
「どういう意味だ?」神保は息をのみ、目をまん丸にした。
「もぉ、いいです!」
 彼女は冷たくいうと、そのまま顔をそむけたまま、悲しい足取りでその場を駆け去った。「あ。待ってよ!有紀ちゃん」
 螢と由香は弾かれたように駆け出して、有紀の後ろ姿を追った。……

  有紀はフラフラと自宅の自分の部屋へと、青ざめた表情のまま涙もふかないで帰ってきた。こんな風にこんな時刻に家に戻ってきたことなど一度もなかった。
 ひどく疲れて悲しくて胸が張り裂けそうな気持ちだった。なんでもないことに嫌悪感を覚えそうな気分だった。
 ”可愛らしくっておとなしい文学美少女”黒野有紀は涙をポロポロと流しながら、震える指先でベットの下に置いてあったミカン箱を引き出した。ミカン箱には柔らかい毛布がしいてあり、そこにちょこんと「捨てたはずの子犬」が存在していた。
 彼女は可愛らしい子犬をじれったく思えるほどにゆっくりゆっくりと胸元まで抱き上げて、堪えきれなくなってギュッと抱き締めて号泣した。               

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MAマジックエンジェルほたる「魔術天使螢のファンタジックな冒険活劇」小説5

2013年09月29日 05時28分21秒 | 日記
 蛍は神保先生の机の前に立ち尽くし、たっぷりと「お説教」をうけてシボラれていた。「ほ、蛍、青沢蛍!なんだ?昨日の数学の抜き打ちテストの成績は?!0点ではないかっ」「……あの、ちょっと頭が痛くって……」蛍は泣きそうな顔で下をむいたまま呟いた。
「……ほんとうは簡単にできるんですよ、数学なんて。ピーター・ブランクルとかみたいに」
 神保先生は鋭い歯を見せて、眼をギラリとして、「馬鹿もの!おまえは外人か?!そんなみえすいた嘘いってるんじゃんない!」と怒鳴った。
 蛍は、神保の「怒り」に触れて、全身を恐怖で小刻みに震わせた。
「やだよぉ、誰か助けて!」
 そして、次の瞬間、ゲンコツが飛んだ!

  職員室を出て扉をピシャッと閉めた蛍は「イタタタ…」と頭を押さえて情ない声を出してから、眉をキッとツリ上げて、
「く、くそっ!!神保め!いまにみてらっしゃい。絶対に殴り殺してやるんだからっ!!」
 と、聞こえないように呟いた。そして、ガツン!と壁に飛び蹴りをくらわした。すると、 あの「可愛らしくておとなしい文学美少女」こと黒野有紀がそっと歩いてきてすれ違った。
 有紀はいつものようにうつむき加減で、肌はいっそう青白い。孤独さ、可憐さ、繊細さ、幼さ、可愛らしさ、優しさ、暗さ……そんな色々なオーラが黒野有紀という美少女をこの世に存在させているのかも知れない。
「お勉強」は出来るが「お話し」ができない美少女…。秀才の黒野有紀の可愛らしい大きなおとなしそうな瞳の奥には、いっそう「暗い闇」が見え隠れしていて、ちいさなちいさなピュア(純粋)な唇にも、白くて細長い手首足首にも全身にも、少し童顔の顔にも「性格の暗さ」を発見できる。…でも、彼女は暗い訳ではなくて、「友達がいないから」こうなるのだ。
 そして、有紀はいつもこう思っている。「お友達がほしい。そして、いっぱいいっぱい遊んでみたい。楽しく「お話し」がしたい。でも…」
 蛍はフト、有紀の行手を遮って、
「あ。あのぉ、有紀ちゃん!ひさしぶりね」
 と、少し遠慮ぎみに明るく声をかけた。
「……」有紀は少し驚いた様子で、静かに蛍の手をみつめた。そして、ドキドキとして胸を押さえた。彼女は、一度ならず二度までもそんな風に親しく声をかけられたことに興奮していた。ーこの子は…あら?お名前は…?!
 だが、有紀はほとんど何の感情も顔には現さなかった。いや、その大きな大きな瞳には、嬉しさと興奮と恐れが混じったようなきらきらした光が輝いてもみえる。
「……。」有紀は上目遣いで不安気な表情のまま、視線を蛍の顔瞳へとゆっくりと動かした。なんとなく有紀の可愛らしい肩や手足が少しだけ震えてもみえた。
「……あのぉ。あなたはどなた…?どんな、お名前でしたかしら?」有紀は微かな声を発した。しかし、やはり蚊の鳴くような微かな声であったため、蛍にはきこえなかった。
「へへへぇ、有紀ちゃんもテストで悪い点とって…先生に呼び出されたんでしょう!?」
 蛍は魅力的な笑顔で冗談をいった。
「…くすっ。」有紀は微かに、口元に笑みを浮かべた。そして、「あの、その……あなたの「お名前」を教えていただけないかしら?」
 と、オドオドと囁くようにいった。
「……え?何?今、なにかいった?」
 ほんの微かではあるが、蛍は有紀の声をきいた…ような気がした。
「……え?え?え?」蛍はふらふらと立尽くしている黒野有紀の口元に、静かに耳を近付けた。そして、「……あの有紀ちゃん。悪いんだけどさぁ、もう一度、大きな声でいってくれる?」と明るくお願いした。
「……だから…そのぉ。」有紀はやっと声をささやいた。「……あなたのお名前を教えて頂けるかしら?」
「……あぁ。名前っ!私の名前か?!」ほたるはニヤニヤと笑ってから、「私の名前は、青沢蛍よ!年は有紀ちゃんと同じ。趣味は、少女マンガとアニメをみること。そして、好きな食べ物はコロッケとエビフライと苺ケーキとカレー・コロッケ・パン!嫌いな食べ物はタコヤキとピーマンね!でっ…只今、ボーイフレンド募集中なのよっ。ケビン・コスナーみたいなのっ!!」
「…そう、蛍ちゃんっていうの。いいお名前ね。……でも……ケビン・コスナーって誰かしら?」
「……え?なんていったの?悪いけど…もっと大きな声で……」
「……あ、いいのよ。別に……ケビン・コスナーってひとがどういうひとなのかはあんまり関係ないことだから。…それじゃあ…私はこれで…」
 有紀は微かに微笑んで、そのまま可憐な足取りでゆっくりと職員室の中へと入っていった。…何ていったの?有紀ちゃんの声ってよく聞こえないんだよなぁ…。
 しばらくすると、「蛍ちゃん、蛍ちゃん」といいながら妖精セーラが飛んできて蛍の肩にフワリととまった。
「……なに?セーラ、わざわざ学校まで来なくたっていいっていったでしょ?いいこでお留守番してないと……エサあげないわよ」
 蛍は冗談めかしに言った。
「あの…ねぇ。私は犬や猫じゃないのよ」妖精はニガ笑いしてから、「それよりさぁ…いまのこ…なんか怪しい気がするわ。気をつけたほうがいいわよ。もしかしたら、魔界の手先かも…」
「まっさかぁ、あんな可愛いこが?!」蛍はカラカラと笑っていった。「だいたい怪しいのはあんたでしょ。妖精って「座敷童子」とか「ヌラリピョン」とか「ヌリガベ」とか「目玉焼きのおやじ」とか「大泣きじじい」とかいうのと同じもんじゃんよぉ」
「……蛍ちゃん…妖怪・アニメの観過ぎよ」セーラは呆れまくっていった。…

  昼間の学校の図書館はほとんど誰の姿もなかった。皆、知的探求心が無いのだ。しかし、そうした連中とは「可愛らしくておとなしい文学美少女」の黒野有紀は違っていた。 有紀ちゃんは、おおきなテーブルの隅っこの方に陣取ってぶ厚いフランス語の哲学書を熱心に読み耽っていた。…そう、有紀はフランス語と英語とドイツ語ができる。しかし、外国には一度もいったことはない。……
 有紀は大きな瞳をきらきらさせて哲学書を読み耽っていた。この知的探求心は凄まじい。本とのダイアローグ(対話)。活字という死んだ世界の言葉を生きた言葉としてエッセンスをとらえ、人生哲学を学ぶ訳だ。教養を身につけるとはまさにこのことであってねけしてアニメ番組やマンガ本では学べないし理解できない世界だ。
 そして、例の二人組”お馬鹿さんコンビ”も、有紀ちゃんのそんな「知的レベルの高さ」を理解などこれっぽっちも出来なかった。有紀の姿を、遠くの物陰からじっと覗きみていた蛍と由香は、
「すごいぶ厚いもの熱心に読んでるわねぇ」
「……きっと電話帳みてんだよ」
 などと囁いているレベルだ。さすが、”出来そこない”の二人組である。
「……あのねぇ。電話帳を読み耽っている訳ないでしょ!」ふたりの横にふわりと浮いていたセーラは呆れた声をだした。そして、
「しかし、さすがよねぇ。あなた達とはちがって、あの子には知性が感じられるものね。あ・な・た・達・とは違って…」
「ちょっと、しつっこいのよ!」由香が小声で妖精に注意した。蛍も「そうよ、そうよ、私だってあれ位ぶ厚いマンガ本読むことあんのよっ!!」と小声でいった。
「マンガ本を……あの子が読んでるってでもいう訳?!」セーラは顔をしかめた。
 しばらくして由香が、
「でも、あの黒野有紀ちゃんが頭がいいのも、うなづける訳があんのよねぇ。…有紀ちゃんのお母さんはあの有名な東京帝都大学の助教授なんだもの。……いわばあれは(頭の良さのこと)遺伝ね、多分」
 とニヤリと言った。
「東京帝都っ?!」蛍はビックリした顔で続けた。「東帝大っていえばさぁ……うんとうんと頭が良くないと入学できないっていう日本一ラベルの高い大学じゃんよぉ!」
「そうよ。そのラベルの高い大学よ。ラベル的には、イギリスのオックスフォード、ケンブリッジ…アメリカのイェール、ハーバード、MIT…フランスのソルボンヌくらいにっラベルが高い大学なのよっ!」
「ラベル(封印紙)じゃなくて……レベル(次元)ね。」妖精は呆れつつも素直に教えた。「そんなことどっちだっていいのよ」と、ふたり。
「……あのねぇ。」妖精は口癖を呟いてから、「”この地上で大学ほど美しいものはない。なぜならそこには無知を憎むものが心理の探求のために集まり、心理を知ったものがそれを広めようと努力しているからだ”っていったのは英国の教育者ジョン・メイスフィールドね。大学っていうのは本当は素晴らしい場所な訳…」
「ジョン……ジョン・トラボルタ?」
「……だから……MITにしてもイェール、ハーバード、ソルボンヌにしても素晴らしく輝いている訳。でも、日本の大学ってばダメね。日本の大学、学歴社会の象徴である東帝大にしても、単に一流会社や省庁に就職するためのステッピング・ストーンでしか過ぎないんだもの」
 セーラは語った。が、二人組は何も聞いてなくて、顔を向き合って『恋のおまじない』の話しをしていた。「…あのねぇ。」妖精はため息をつくしかなかった。

  もう放課後になっていた。なんとも時間の流れが早いものだ。「少年(物語の主人公が女の子だから少女でもいい)老いやすく学なりがたし。一寸の光陰軽んずべからず」という孔子の言葉が響くようだ。
 たしかに歳をとりやすいし、なかなか学べないものだ。人間とは嵐の中の塵でしかないのかも知れない。…しかも、そうした思考を理解できるのは黒野有紀ただひとりかも知れない。例のふたり組(蛍と由香)には死んでもわかるまい。……
 学校の校門ちかくの通路は帰宅する学生たちでいっぱいだった。当然ながら、皆には、「お友達」がいてワイワイと並んで楽しく話しながら歩いている。「お友達」がいないのはやっぱり黒野有紀ただひとりである。
 この有紀という人物のような存在は、ある意味では、日本中のどこにでもいるかも知れない(頭や美貌の違いはあるだろうけど…)。自分の意見を堂々といえない。もしくは意見などない。自分だけの殻に閉じ籠って、やがて、精神病で入院したりする。そして、自殺したりする。まったく弱々しい。女々しい。人生のレースから逃げてる。
 もっとも有紀には、そうした「連中」とは違って、知性(インテリジェンス)があり美貌がある。「可愛らしくっておとなしい文学美少女」の黒野有紀には、人生哲学がある。…が、孔子が「必ずしも書物を読むことだけが学問ではない」というように学問と実生活には少しも区別がない。その意味からいえば、黒野有紀の頭脳と実生活はかなりのギャップがある。
 つまり、彼女は”学問バカ”なのだ…。
 有紀はいつものようにしんとうつ向き気味で、一人、孤独に歩いていた。そして、可愛らしい大きな大きなおとなしそうな瞳をうらやましそうに下校する学生達に向けた。
 ちいさなちいさな純粋な唇も、白く細長い手足も全身も、おさげ髪も、なにもかもが孤独などんよりとした光に溢れているかのようだ。それはぼんやりとした光の殻だ。
 有紀は心の中で、フイに、「いいなぁ。私も…お友達がほしいなぁ。…あんな風に楽しくお喋りをしたり、遊んだり、並んで歩いたり……お勉強したり…図書館にいったり……心の悩みだとか夢や哲学なんかを一緒になって「お話し」できたら…どんなに素敵頭。でも…私には……」
 と寂しく呟いて、瞳を曇らせた。…でも、私にはムリ。だって…”ひととお話しする能力”が生まれつきないんだもの……。
 そんな暗くトボトボと歩く有紀の背後、かなり遠くの道路に蛍と由香がいた。ふたりは、そんな有紀の後ろ姿をジッと同情をこめた瞳でながめてから、しばらくして、
「有紀ちゃんってさぁ。…本当に、噂どおり”お友達”がひとりもいないのかなあ?」
「うーん、なんか…そうみたいねぇ。………可哀相な有紀ちゃん。まるで…シンデレラみたい」
 由香の呟きに、蛍は「でもさぁ。シンデレラってさぁ…。魔法使いのオバアさんに魔法をかけられて、お城にいって王子様と踊って…幸せになるってお寓話(はなし)よねぇ?」「まあね。…ちょっと”硝子の靴をおとしたり””カボチャの馬車に乗ったり””靴があうかどうかためされたり”っていうエピソードが抜けてるけれど……そうよ」
「へへへ…・じゃあさぁ。あたしたちが”魔法使いのオバアさん”になっちゃうっていうのは?!」
「魔法使いの”お馬鹿さん”じゃないの?あんたは」蛍は由香の皮肉を無視して、「私たちが魔法使いのオバアさんになって、孤独なシンデレラこと黒野有紀ちゃんにパッパッって魔法をかけてさぁ…明るく幸せにしてあげんのよぉ!!」
「まさか、レインボーなんとかで有紀ちゃんを攻撃するとか?」
「(無視して)…さぁ、いこう!有紀ちゃんを幸せにしてあげようよっ」
 蛍はそう宣言して元気よく駆け出した。
「ちょっと、無視しないでよぉ!」由香も続いた。間もなく、ふたりは有紀に追いついた。「あのさぁ、有紀ちゃん!!一緒に帰らない?」
 と蛍が明るく声をかける。由香も、「うん、うん、一緒に!!ムーン・ライトにいってオレンジ・ジュースでも飲み明かそうよっ!」と口元に笑みを浮かべて明るく声をかけた。 二人はオドオドと立ち止まった有紀の前にフワリと踊るように足った。そして、
「さぁ、いこう!ムーン・ライトへ!」と、元気よく笑顔で迫った。
「……え?ムーン・ライト……月明りに行く?どういう意味かしら?月面にいくのかしら……?」有紀は少しどぎまぎした様子で蛍たちの足首を見つめた。そして、大きな大きな瞳をきらきらさせて、上目遣いで二人の首を見つめた。少しだけ微笑んで、
「誘っていただいてありがとう。とっても嬉しいわ。でも……ごめんなさい。私これから塾なのよ。…だから行けないわ。月面には」
 と、有紀は蚊が囁くようにいった。
「……え?なんていったの?」ふたりは可憐に立尽くす有紀の口元に耳を近付けた。
「……あ。あの……いいです」
 有紀は微かに瞳をくもらせてから、そのまま歩き去ろうとした。ー何ていったの?有紀ちゃんの声って…まるで聞こえないんだよなぁ。
 しかし、二人組は呆然と有紀のうしろ姿を見送る…ということはしなかった。…そうはさせないわよ、シンデレラっ!… 
 ふたり組は顔を見合わせてニヤリと不敵で魅力的な笑みを浮かべると、バッと有紀の両腕に強引に抱きついた。
「ーあ、え?!」そして、ビックリする有紀の表情を覗きこんでからもう一度、ニヤリと笑うと、
「さぁ、有紀ちゃん…行くのよ!絶対に逃がさないんだからぁ」
 蛍と由香の二人組は明るい表情で、ほとんど強引に、唖然とする有紀を「ひとさらい」同然に連れ去った。

  場所は喫茶店「ムーン・ライト」。
 この喫茶店は、蛍と由香の「お気に入り」の店だ。なぜ気にいっているのかというと、その店内の雰囲気だ。ほんわりと白い壁やきらきらと輝くインテリアや、カシニョールの”庭の薔薇”の壁絵やちいさな愛らしい窓辺のモミの木やアール・デコ風の椅子やテーブルがオシャレだからだ。なにか、パリのシャンゼリゼ通りの喫茶店ともイメージが似てなくもない。店内に、いつもポップス音楽が流れているのも二人にとっては「好ましい」ことでもある。
 しかし、蛍にとっては「アニメ音楽」、由香にとっては「ビートルズ」、有紀ちゃんにっては甘美で優雅な「クラッシック」のほうがよかったかも知れない。しかし、アニメ音楽はさすがに流すまい…。
 三人はたいして広くもないほんわりほんわりした店内の奥にあるテーブルに向かい合って座っていた。なんとも幸せな雰囲気だ。
「さぁ、有紀ちゃん……コカインどうぞ!!」
 戸惑う有紀にかまわず蛍は笑顔で可愛らしい真っ白なカップを手に持って『コーヒー』をそっと有紀のテーブルの前へ差し出した。由香はすかさず、
「カフェインでしょ!馬鹿ね、コカインなんていうのは麻薬…覚醒剤のことよ!」
 と思わず呆れて注意した。「うるっさいのよ!」と蛍。
 由香は蛍の言葉を「なにさぁ。(セーラのマネで)蛍ちゃんなんてぇ……馬に蹴られて死んじゃえーっ!!」
 と明るい笑顔の冗談でかわした。
「なにぉ、セーラのマネしてんのよぉ!」
「けっこう似てんでしょ?あとねタレントの西田山ひかるの「ちいさいからトランシーバーと間違えちゃった」とか、ニュースキャスターの小宮さんの「はい、小宮です。では、国会前に待機している久米さんを呼んでみましょう、久米さん、久米さん…」とかいろいろできんのよっ」
 蛍はニヤリと不敵な笑いを浮かべて「…でも、ちょっと甘いわね」と告げた。
「え?なんでよぉ」
「いま一番流行っているアニメ『セーラー・ムフーン』の主人公うさうさちゃんのセリフ『地球にかわってオシリぺんぺんよ!』っていうのをやらなくちゃあ。」
「…なによそれっ?!もぉ…アニメのことばっかりいってるとぉ…あんたの「大っ嫌い」なタコヤキとピーマンを頭からザザッて振り掛けちゃうわよ」
「うわっ…」蛍は顔をゆがめて「や、やだよぉ!」と、両手で頭をかかえて叫んだ。
「…くすっ。」有紀はそんなコミカルな二人を眺めていて、微かに口元に笑みを浮かべた。このひとたちってオカシイわね。
「やぁ、蛍ちゃん、由香ちゃん」
 バイト中の鈴木先輩がウェイター姿のまま三人に近付いてきて、明るく声をかけた。
「あ、鈴木先輩。」蛍は鈴木先輩と目があって頬をポッと赤くした。しかし、憧れの先輩は蛍のことなど相手にしなかった。いや、別に無視した訳ではなく、蛍の気持ちを気付かなかっただけだ。それは、透明なきらきらした気持ちだ。恋だ。
 鈴木先輩は「…君は…そうか!君かい?学年まん年トップの秀才美少女…黒野有紀ちゃんっていう女の子は?」
 と優しいお父さんのように、もしくは優しい恋人のように魅力的な微笑みをたたえて尋ねた。ので、蛍は少しだけ癪に障って眉をピクピク動かした。…私だけの先輩なのに!…私だけのっ、私だけの鈴木先輩なのに!!
「ちょっと、あんた。そういうあからさまな嫉妬言葉は…心の中だけで叫んでよね」
 蛍が口にした言葉を耳できいて、呆れまくって由香が隣の席からなぐるように注意した。「あ?え?私、いま、何かいった?!」全員の冷たい視線が自分に集まっていることに蛍は恥ずかしさを感じ、目を点にして表情を凍らせた。
「………き……君が秀才の美少女、黒野有紀ちゃんだね?」
 有紀は大きな瞳をきらきらさせて鈴木先輩の顔を上目遣いでみつめて、恥ずかしさで頬を赤くして微かに微笑しながら、
「……いいえ。そんな、美少女なんてとんでもありません。私なんかよりずうっとずうっと可愛らしい女の子がいっぱいいますもの。例えば…蛍ちゃんとか由香ちゃんとか…」
 と軽く首をふって笑顔でいった。
「…え?いま何かいった?」
 有紀の声がかぼそくってあまり聞こえない為、鈴木は不思議な顔で尋ねた。
 有紀は少しだけ瞳を曇らせて、「あ、いえ」と誰でもわかるように首を可愛らしく左右に大きく振った。そして、いつもの不安気な表情になってオドオドとか弱い態度に戻った。また、自分の殻に閉じ籠った訳だ。…
 鈴木は狐につままれたかのような顔をしてしばし茫然と立ち尽くしてから、優しく笑顔で、
「じゃあ、有紀ちゃん、蛍ちゃん、由香ちゃん。まだ、仕事残ってるから…」
 といってカウンターの方へ歩き去った。
 しばらくしてから由香が、
「あのねぇ、有紀ちゃん……。もっとさぁ、明るく元気な態度でいなきゃダメよ。頭だけよくたってさぁ、人とお話し出来なくては”有紀ちゃんの良さ”を誰も理解できないでしょ?……有紀ちゃん、学校の生徒達になんていわれてるか知ってる?「あの子は頭や顔はいいかもしんないけど…暗くって大っ嫌い!あんな子…ぜったい中間にいれたくないわ」とか言われてんのよ」と優しい表情をしながら、同情をこめて有紀にいった。
 有紀は不安気な表情をいっそう曇らせて、泣きそうな瞳になった。
 蛍は魅力的な笑顔で「あのさぁ、有紀ちゃん。もっともっと大きな声を出してみるっていうのはどうかなぁ?大きな大きな声で話せば…自分に自信がついて性格だって明るくなるってもんっしょ?」
「うん。うん。うん!そうね、そりゃあグッディ(グッド)アイデアね!」
 そう笑顔でいったのはもちろん有紀じゃない。赤井由香である。そして、「ではっ」といった由香は皮肉屋らしい笑みを浮かべて、
「わあああぁーつ!」
 と、他人の迷惑も考えずに絶叫した。その次の瞬間、じっと有紀の顔を見て、大声を出すように促した。
 もちろん有紀はビックリした顔で由香の方をみつめて何も発声しなかった。
「さぁ、有紀ちゃん。叫ぶのよ!」
「そうそう、わあーでもきゃーでもうおーっでもいいからさぁ」
 それで有紀は、多少慌てながら「あーっ。」っと可憐な声を出した。でも、まだ弱々しい!
「もっとおおきな声で!」
「そうそう。もっとお腹に力をこめるっしょ!」
 有紀はちょっと顔を赤くして恥ずかしがってから、決心したような顔をして、目をつぶって必死に声をしぼりだして「あーっ!」と叫んだ。その声はやはり繊細で可憐で弱々しかったが、それでも今までの声よりはずっとずっとマシだった。なんせ、二人にも聞き取れたからである。
 由香はニッコリと笑って握手を求めた。蛍もニコニコと微笑して有紀をみつめた。
「よっしゃ。その調子よ、有紀ちゃん」
 ふたりはとても魅力的な顔をした。握手をオドオドと交わした有紀も微かに口元に笑みを浮かべていた。…
「よしっ、つぎはギルガメッシュに直行よっ!」
 ふたり組は元気いっぱいに席からバッと立ち上がってほんわりほんわり明るい声で叫んだ。
「…え?ギルガメッシュ……って?!」
 蛍と由香は有紀の質問には答えずに、またしても彼女を強引に連行して、金も払わずに喫茶店から飛び出していった。それに対して鈴木先輩は、
「おいおい、お金……」
 と呟いて立ち尽くすしかなかった。

 今度は、「ギルガメッシュ」という場所だ。ギルガメッシュ…というくらいだから『ディスコ』とか『ライブハウス』というような雰囲気がある。でも、ぜんぜん違う。はっきりいって単なる安っぽい『ゲーム・センター』…そのゲーセンの名前でしかない。
 午後四時二十六分くらいの時刻。だらだらとした春の一日と空間。そんなどうでもいいような場所に「可愛らしくておとなしい文学美少女」こと黒野有紀は、なかば強引に二人組によって連れてこられてしまっていた。そう、あの蛍と由香に。
「あ、あのっ。こういう場所には出入りしてはダメだって、生徒手帳の5ページの校則第十二項にちゃんと記されている…のよ」
 有紀は二人組に腕をひっぱられながら、微かな声を発した。以前と変わらない繊細で弱々しい蚊の鳴くような声…。しかし、努力して声をふりしぼってもう一度いったので青沢蛍も赤井由香も発言したことには気付いた。
「え?何?……あの、有紀ちゃん。さっき、声を出す練習をやったばかりでしょう?」
「そうだよっ。もっと”お腹”に力を込めて声をだしてっていったっしょ?!」
 蛍も由香も彼女の腕を放して、そう少し説教くさく語った。でも、そうしたネガティヴな感じもあまり続くことはなかった。
 すべに蛍と由香はニコニコとちょっと変な笑みを顔中に浮かべて『お気に入り』のゲーム機の前まで駆け寄って、
「有紀ちゃん、有紀ちゃん。さぁ、おいで!!」
「そうそう。これってば……すごく面白いんだよ!!」
 有紀は「え?で、でも…」としばらく不安気に立ち尽くしてから、もおっ、という感じで可憐にゆっくりゆっくりと二人の元へ歩いていった。そして、きらきらと輝く大きな瞳をゲーム機のディスプレイ(画面)に向けた。…なにかしら?これって、私の知っているチェスやオセロとどう違うのかしら…?
「ヒヒヒ…」蛍はニヤニヤ笑って続けた。「これってば、”バーチャル・バトルⅥ”っていう…いま若者の間で流行っているファイテング・ゲームな訳よ!」
「え?バーチャル(仮想)のバトル(闘争)のⅥ(6)…?」
 戸惑う有紀を無視して、由香は「そうそう。こうして、このファイター(戦闘人)を操って…」などとニヤニヤと呟きながら、素早く百円玉を投入して、座席について熱心に操作レバーとボタンに手をかけた。そして、画面を真剣にみつめた。…けして、お勉強の時にはみれない真剣な顔…。蛍はカラカラ笑い、
「けけけ…。どうかなぁ?由香ちゃんってばバーチャあんまりうまくないからなぁ。千五百点くらいがベスト・スコアって所っしょっ」といった。
 由香は眉をつりあげて、ディスプレイから目を離しもしないで「うるっさいのよ、この馬鹿蛍!みてらっしゃいよ、この由香ちゃんの天才的なテクってもんをみせつけてやるわ!ははは…」
 と反発して傲慢に笑った。蛍と有紀はジッとバーチャというゲーム機の画面を由香の肩越しから覗いた。ーどうかなぁ、由香ちゃん。
 ♪ビュロロロ…っ。ゲームが開始される。どういうゲームかというと、画面上のファイターを操って敵を殴ったり蹴ったりして倒していく遊びだ。仮想の世界でファイターを操って闘わせる……なるほどバーチャル(仮想)のバトル(闘争)だ!」
「ようっし、殺せ!」
 戦士を操作する由香は品のない言葉を叫んで、画面をギリリッと睨みつけた。しかし、蛍のいうように、由香はバーチャはあんまりうまくはなかった。ードオ・ン!
 あっという間にやられてゲーム・オーバーとなってしまったのである。得点は二千点ちょっと…。
「く、くそっ!な、なによっ、もおっ」
 蛍は馬鹿にして「けけけ…。下手っくそ!やっぱ、由香ちゃんってば、バーチャのやり方ってもんを知らないってことねっ!!」
 とカラカラ笑った。ーので、由香は癪に障って「な、何っ!?この馬鹿蛍っ!ナマイキいってんじゃないわよ。じゃあ…あんた、やってみなさいよぉ!」と怒鳴った。
 蛍は「うん。いいっしょ」と胸を張って宣言してバーチャを開始した。が、青沢蛍は赤井由香の倍くらい下手くそだった。なんとたった七百点でゲーム・オーバーだったのである。
由香は「なぁーに、よ。あんたさぁーっ、…たった七百点じゃないの、情ない。そういうのを飛んで火にいる夏の虫っていうのよ」と呆れた。
「なによ、それ?たしかに蛍って夏の虫の名前だけどさぁ。ジャンプして火で炒めてどうしようっていうのさぁ?」
「馬鹿じゃないの!?」
                                       ふたりのヨタ話しを耳にしながら、有紀は、「飛んで火にいる夏の虫じゃなくて、羊頭狗肉(見掛けだおし)ね」と心の中で思わず呟いていた。そして、「え?」と言った。
「ほらほら、次は有紀ちゃんの番よっ」
 などと二人組に強引にゲーム機の座席に座らされた黒野有紀はオドオドとふたりの顔をみつめた。そして、「私はいいわ」と声を出すわけでなく、首を可愛らしく左右に三回振った。ー私には、多分できないわ。
「さぁ、さぁ、さぁ、さぁ、さぁっ!」
 有紀は、そんな二人の瞳を見つめてニコッと魅力的な笑みを無理に浮かべた。そして、ポケットから小さな小さなお財布を取り出して、可愛らしい指先で中から百円玉をつまみ出した。(由香や蛍はけして奢ったりはしない。いや、お金を出したりはしない。なぜなら、ケチだからだ)ー有紀は、きらきらとした百円玉を投入した。…ガシャン!
 次の瞬間、バーチャル・バトルのゲームが開始された。有紀はほとんど何の表情も変えずに華麗に操作レバーを動かし、ボタンを連打していった。はっきりいって蛍にも由香にも有紀の「ゲームのうまさ」は『意外』と映った。ふたりとも「有紀ちゃんは多分…百点もとれないでやられちゃうんじゃない?」と鷹をくくってたからだ。
 だから有紀の肩越しで画面を覗いていたふたり組は「う、嘘?!すごいじゃないの、有紀ちゃん!」と驚いて越えをあげた訳である。
 ド・スン!バキ・ッ!可愛らしくおとなしい文学美少女こと黒野有紀の操るファイターはすばやい動きで敵を倒していく。
 画面をくいいるようにみていた有紀の無表情の顔もしだいに明るいなにかで輝いてみえた。そしておおきな可愛らしい瞳も、嬉しさと興奮とトキメキできらきらと輝いてもみえた。有紀はどきどきしてから、
「このゲームってねけっこうオモシロイわね」
 と、いつものように微かな声ではなく誰でもききとれる程に大きく魅力的な「薔薇色の声」で二人組にいった。小さな小さな桃色のピュアな唇も、白くて細長い手足も全身も、何もかもが輝いてきらきらしているように感じる。
 蛍と由香は一瞬、呆然とした顔をしてから、
「え?何?いま有紀ちゃん、今、あなたは…」
 と、やっとのことで声をだした。別にまた有紀ちゃんの声がきこえなかった訳ではない。あの有紀ちゃんが普通の声で微笑んだのでビックリしたのだ。
 有紀は可愛らしい笑みを口元に浮かべて、呆然と立ち尽くす二人組に顔を向けて、
「このゲームって、最高よ!」ともう一度、可憐に発言した。
 ーえ?最高?蛍と由香は不思議そうな狐につままれたような表情で顔を見合わせてからニッコリと笑って有紀に向かって、
「でしょ、有紀ちゃん。このバーチャってば最高っしょっ?!」
 といってとても魅力的なきらきらとした顔をしていた。しんとした輝きだ。

「…ところでさぁ。有紀ちゃんってば、どうして「お勉強」そんなに熱心にやっているって訳?何か理由でもあんの?」
 そう素直に尋ねたのは由香だ。ちなみに三人はいまだにギルガメッシュにいた。
「えぇ。理由はあるのよ。…私の夢はお母さんみたいな大学教授になることなの。そして、

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MAマジックエンジェルほたる「魔術天使螢のファンタジックな冒険活劇」小説4

2013年09月27日 05時25分08秒 | 日記
「こんなことするなんて最低っ!!最低の人間のすることだわ!!動物虐待でWWFに訴えてやるんだからっ!!」
「WWFって…女子プロレスの団体か何か?!」
「…何いってんのよ!もおっ。……世界的な野生動物の保護基金のことよ!!なにが、女子プロレス団体よっ、馬鹿じゃないの?!」
 蛍はセーラの言葉が癪に障った。「な、なによ!ちょっと!ちょっと!ちょっと!言い過ぎじゃないの?!それに、あんたいつから”野生動物”になったっていうの?!あんたこそ馬鹿じゃないの!」
「なんですって!」
「なによっ!」
 こうして低レベルな「言い争い」が続くのだが、話しが長いのでカットする。…
  由香は招待客らに挨拶をしていた父親に、「パパっ、パパっ!」と声をかけた。
「やぁ、由香」宝林はとても優しく笑顔のままで愛娘にいった。しかし、そうした幸福も一瞬で、宝林は急に、
「うぐあぁ…」と苦しそうにうなって頭をかかえてガクリと両膝を床につけてしまった。激痛で全身が小刻みに震えた。
 由香は「パパっ、大丈夫?!しっかりして!」と声を出して父親にもとに駆け寄り、背中を擦った。…どうしちゃったの?!パパ!
「……あ」宝林の両目がギラリと鷹のようにあやしく光ったことに驚いて、由香はゆっくりと後ず去った。だが、パペットと化した父親は、そんな由香を見逃さなかった。次の瞬間、由香は「きゃあぁっ!」と悲鳴をあげて背後のかなり遠くの壁に激突して倒れこんだ。パペットと化した父親に殴り飛ばされたのだ!このままでは由香が危ない!
「ゆ、由香ちゃん!」
 立ち尽くしていた蛍は驚愕して叫ぶと、不安気な表情をセーラのほうに向けた。
 セーラは力強く勇気をもって「さぁ。蛍ちゃん、封印よ!戦うのよ!」と命じた。
「うん」蛍は両手をバッと大きく開いてから、決心したように眉をキッとツリ上げて、そしてお札に手をかけ、頭上へと振り上げた。
「お札よ、魔物を封印せよ!」
 燐とした声が響いた。
 しばらくして、フィーロスの、
「皆、殺してしまうのよ!」という冷酷な声がどこからか会場内に響き渡った。そしてそのフィーロスはパペットの宝林の横に姿をあらわして、もう一度「粛清」を命じた。
 そんな時、いやその命令を遮るように、
「やめなさい!」
 という、少女の可憐だが勇ましい声が響き渡った。その声の主は「伝説の戦士」青沢蛍だ。フィーロスらは、その声のした方角へ視線を向けた。そして、戦士と対峙して攻撃を開始した。
 ドオォ・ンという爆風に吹き飛ばされ「うあっ!」っと蛍は床に激しく転がった。うつぶせに倒れた蛍は、
「あ、痛たたた…っ」と、身を起こして腰に手をあてて、そう情ない声を発した。まるで負け犬だ…。
 突然、由香が弾かれたように蛍の元に駆け寄って「蛍、だいじょうぶ!?」と心配して大声で言葉をかけた。「ゆ、由香ちゃん……」
 次の瞬間…悲劇はおこった。フィーロスの放った光剣が鋭く目の前に迫ってきて、蛍はよける間もなくなって恐怖で身を震わせた。ギュッ!と絶望で目を閉じた。絶対絶命!
「ーぐうっ!」しかし、光剣の直撃を受けて、激痛に顔をゆがめたのは蛍ではなかった。それは、由香だった。彼女が、自分の身をなげうって、蛍という「親友」を守ったのだ。「ーゆ、由香ちゃん!」
 蛍は思わず涙声で叫んだ。由香は、蛍の知っている「生意気」で「少し傲慢」な顔とは違っていた。激痛で表情はゆがんでいたけど、その美しく真っ白な肌も顔もセミ・ロングの髪の毛も、とてもきらきらと魅力的に輝いてみえた。まるで、マリア様のようだわ…。一瞬、蛍はそう思った。
「…ほ、蛍っ、怪我はない…?」
 由香は激痛をがまんして微笑した。
「…あ、うん。でも……由香ちゃん」
「…そう、よかった…わ」
 しかし、その微笑みも、次の瞬間、凍りついてしまった。
「由香ちゃん……私のために…こんな目に……」
「いいの…よ。私たち…親友…で……しょ?…」
 由香はもう一度だけ微笑してから、静かに床に倒れ込んだ。蛍は悲しみのあまり言葉を失った。そして、顔を凍りつかせた。ビュウウ…ッ、という音に気付いて振り向いたとたん光剣が迫ってくるのを知ったからだ。彼女はちいさな悲鳴をあげて飛びのいた。
「うわっ!」
 なんとか光剣をかわした。だが、今度は、フィーロスの両手から炎の剣が矢継ぎ早に放たれた。……直撃はなかった。が、蛍の近くの床面や壁にぶつかり、亀裂が走るとバウッ!と大爆発を起こした。なおも攻撃してくるフィーロスに底知れぬ恐怖を感じた蛍は、必死に、逃げ出した。ほんとに負け犬だ。
 だが、次の瞬間、恐怖は頂点に達した。「うあぁっ!」蛍は何十という炎の剣に周りを取り囲まれ、行く手を遮られてしまったのだ。悲鳴すら掠れ、足をひっかけて転んだ蛍に、容赦なく炎の剣が迫る。
「いやだぁーっ!誰かぁ、なんとかして!」
 彼女は思わず涙声で絶叫した。
「痛っ!」蛍は手首に軽い傷を負った。と、その後、パペットと化した宝林が「ブアァッ!」とわけのわからない叫びをあげながら彼女に襲いかかった。由香の苦悩の表情や自分の人生で楽しかったことなどが蛍の頭の中に走馬燈のように駆け巡った。…殺される!私……死んじゃうの?!
  ・
「由香ちゃん、大丈夫?!しっかりするのよ!」
 セーラは倒れ込んでいる由香に近付いて、少し泣きそうになりながら呼び掛けた。そして、じっと由香の顔を覗きこんだ。とてもきらきらとした表情をしている。
「う……痛たた…」しばらくして、由香は微かにうなって、全身を小刻みに震わせ、荒い息を何度もついた。…生きてるわ!
 妖精は「ま、待っててね、由香ちゃん。いま、楽にしてあげるから……!!」と同情を込めた口調でいった。そして、「タターナ…」と声のトーンをおとして、燐とした表情をして左手の人差し指を天にかざして、
「タターナ・ラーマヴァーナ・アンダージュ・パ・ダクシオン!!」
 と、”慈愛の神タターナそして天空の神ラーマヴァーナよ…癒しの風を与え給え”という意味の呪文を可愛らしい声で唱えた。すると、セーラの人差し指からきらきらと輝く癒しの風が吹いて由香の体を包み込んだ。やがて由香は瞳を開けて、
「…ううん。う……あ、あれっ?!」そんな風に驚いて、ゆっくりと起き上がった。そして、不思議そうに自分のからだを舐めまわすように視線を走らせた。「…な、なんで?!どこも痛くないし、傷もない。血もでてないわ!」
「由香ちゃん!」セーラは不思議そうに立ち尽くしている由香に熱心な口調でいった。
「あなたに出来るかどうかわからないけど…封印用のお札を渡すわ!」
「…?封印って何?!」
 妖精は質問には答えずに燐とした顔で右手を頭上に伸ばして、「ラマス・ハパス…」と呪文を可憐な声でとなえた。すると、次の瞬間、セーラの右手から赤い閃光が四方八方に飛び散った。
「な、なんなの?!」
 由香は思わず眩しくって瞳をぎゅっと閉じた。そして、しばらくしから目を開けると、「さぁ、由香ちゃん。…このお札を手にもってみて」と、セーラが微笑みながら右手に持った赤色のお札を差し出した。
「…なにこれ?…オモチャ…?」
「…あのねえ。…まぁ、いいから!もってみてよ!!」
 由香はオドオドとお札を手にもって、
 こんな安っぽいオモチャみたいなものがなんになるっていうの?」と、素直に尋ねた。「や、安っぽいオモチャ?!……あのねぇ。このぉ。……まぁねいいや。…それで「封印」するのよ!そのお札を天にかざして”魔物を封印せよ!”って叫ぶの!!」
「…え?」由香は呆れ顔で皮肉たっぷりな声で「なによそれ?オカルトアニメかなにかの観過ぎなんじゃないの?」
「…あのねぇ。もおっ!!」妖精は激しく反発して叫んだ。「ちょっと、ちょっと、ちょっと!蛍ちゃんじゃあるまいし、このセーラちゃんが「オカルトアニメ」なんてみると思ってる訳?馬鹿じゃないの?!」
「な、なによぉ!その言い方…頭くるわねぇ!この妖精ごときが!!だいたいあんたなんて空想の生き物じゃないのさぁ!」
「…なによっ、なによっ、なによっ!もぉっ!馬鹿にしてもらっちゃあ困るってもんよ!私たち妖精はあなたがたより偉いのよ。ビックで、ゴージャスで、スペシャルで、スーパーで、ハイパーな存在なのよ!…なにさぁ、由香ちゃんなんてぇ…馬に蹴られて死んじゃえーっ!!」と、妖精セーラは可愛らしい癇癪をおこした。
「馬なんて…いったいどこにいるっていうの?!」
「馬じゃなきゃ……カンガルーに蹴られてっ!」
「ここはオーストラリアかしら?」
「…じゃあ……ジャッキー・チェンにでも蹴られて死んじゃえーっ!」
「あんた香港映画の観すぎよ」
「…まぁね」セーラはそううなづいてから、熱意をこめて祈るようにいった。「…とにかく、やるしかないのよ!封印よ、由香ちゃん!!」
「…え?でも…さぁ」
 由香は躊躇しながらも赤色のお札に手をかけた。そして、ゆっくりゆっくり頭上へと振り上げた。…もおっ、やりゃあいいんでしょう!
「えぇーと」
 あ!そうだ!
「…お札よ間男を封印せよ!」
「……あのねぇ。間男じゃなくて魔物!お札よ、魔物を封印せよ!」
 セーラは呆れて、抑圧のある声で叫んだ。
「馬鹿じゃないの?!」
「………もおっ、わかってるわよ。今のはギャグよ、ギャグ!やりゃあいいんでしょ?!」 由香は大きく息を吸いってから、
「お札よ、魔物を封印せよ!」
 と、燐とした声で叫んだ。次の瞬間、カッと頭上にかざしたお札から赤色に輝く閃光が四方八方に飛び散り、しだいに由香の身体を包み込んだ。そして、赤色の光が消えると、フィーロスめがけて光が飛んだ。あの由香が伝説の戦士マジックエンジェルの仲間となったのだ。由香は、心臓が早鐘のように高鳴るのを感じた。
 セーラは由香に伝説の戦士のことなどを耳打ちした。そして、
「とにかく、あの通り…蛍ちゃんが危ないわ!はやくいって闘うのよ!」と、大声で命令した。

  あの通り…の蛍は、パペットと化した宝林から必死に逃げまわっていた。が、その姿はあまりにも滑稽である。まるで負け犬…いや三流コメディアンのようだ。
「もおっ!やだ、やだ、やだ、やだ、来ないでってばさぁっ!!」
 蛍はそう涙声で叫ぶと「アタッ」と転んだ。…なによっ、なんで私だけこんな目に…?!「あははは…はやいとこそこの「お馬鹿さん」を殺しちゃいなさい!」フィーロスは笑った。
 そんな時、
「スットップッよ!」
 という、ちょっとイントネーションの間違った英語(STOP)が響いた。少女の猛々しい声。…もちろん声の主は、赤井由香だ。フィーロスとパペットは動きをとめ、声のした方角へ振り返った。
 マジックエンジェルの由香は悠然とプリマ・ドンナのようにたって、
「ドント・ストップ!……じゃなくて…ストップ・アクション!もしくは…フリーズよ!この私が来たからには…もう悪いことをすることは許さないわよ!!罪を認めて私の前で堂々と謝罪しなさい!」と、正義の味方らしい口調で宣言した。
 そして、戦闘体制に入った。
 フィーロスはほんの一瞬、何がフリーズよ!何が謝罪よ!また”お馬鹿さん”が一匹増えたみたいね…と立ち尽くした。まぁ、いいわ…二匹とも殺してやるから!
 フィーロスはニヤリと笑って由香と対峙し、
「地獄へ落ちなさい!お馬鹿さん」
 と、両手から炎剣を矢継ぎ早に放って攻撃を開始した。由香はその攻撃を間一髪かわして、「うあぁっ!」と悲鳴をあげて転んだ。グアァッ、と近くの床や壁が爆発する。
「あ、由香ちゃん!由香ちゃん!」
 負け犬の蛍は、心配して叫んだ。
 急いでセーラが由香の元へと飛んで、
「由香ちゃん、必殺技を使うのよ!」
「必殺技って、コブラ・ツイストとかエンズイギリとか十六文キックとか?!」
 妖精は大慌てで逃げ回る由香に怒鳴るように教えた。「レッド・ハリケーンよ!レッド・ハリケーンって叫んで、右手を弓のように頭上から降り下ろすのよ!!」
「……わかったわ!」
 由香は、キッと目を鋭く輝かせると、右手をゆらゆらと蛇のように頭上にかかげて、
「レッド!…」と叫び、続けて「…ハリケーン!」と大声で全身の力を込めて右手を弓のように降り下ろして叫んだ。ビュウウ…ッ。右手のお札から輝かしく荒々しい「赤いハリケーン」が吹き荒れ、目にもとまらぬ速さできらきらと赤色に光りつつ、フィーロスに向かって放たれた。空間を走るハリケーン!!
「きゃあぁーっ!」
 ハリケーンの直撃をうけて、フィーロスは悲鳴を上げた。そして、そのままどこかへ姿を消していった。次の瞬間、パペットと化していた宝林が人間の姿へともどって、気を失って床に倒れこんだ。
「ゆ、由香ちゃーん!!」
 蛍は喜んで涙を流しながら由香のもとへ駆け寄った。「ほ、蛍!」そして、ふたりは感動的に強く強く抱き合った。
「どう?蛍。私の闘い方は……?」彼女は魅力的な表情で尋ねた。「とってもカッコよかったでしょう?」
 蛍があっけにとられて目をやると、彼女は視線を受け止めてニコリとさりげなくいった。「負け犬のあんたよりは」
 蛍は笑顔をみせた。さすがだ!さすが由香ちゃん……嫌味ったらしい。
「まぁ、そうね」蛍は明るい口調で答えた。
 やがて、気絶していた宝林が起き上がって「うう…ん」と頭を軽く振った。由香は弾かれたように父親のもとへ駆け寄った。「パパっ!」
「ははは…。由香、そんなにビックリしたような顔しないで」
「じゃあ、ぶん殴られたって顔はどう?」
「なら、やってみせて」
 由香はその表情をつくり、ふたりはぷっと笑いあった。そしてふたりは見つめ合い強く強く抱き合った。ほんわりほんわりとした抱擁。優しい優しいきらきらした時間が流れては過ぎていった。
 そんな眩しい一瞬……それは平和の瞬間だ。

  次の週の月曜日の昼間。さっさとお弁当をたいらげた蛍と由香は、だれもいない青山町学園の屋上で「フェンス」にもたれかかって話をしていた。
「……いろいろあったわね」と由香。
「そうね。いろいろ…〓人生いろいろ…ってな感じかなぁ。あははは…」
 ふたりは、もうんなにもかも終わった(エンディング)とでもいいたげな雰囲気で空の青を遠い目付きで眺めながらしばらく黙りこんだ。
 どこまでも透き通るような青い空、ゆらゆらふわふわと浮かぶ雲たち。ほんわりほんわりとした昼間のとき…。ソレハ青春の鼓動だ。
「そうそう、由香ちゃん。そういえばさぁ……かんてーん?!のほうはどうなった?」
「うーん」由香は少し残念な表情になって「…ダメだったわ。…落選しちゃった」と言って、しばらくして魅力的な笑顔を無理してみせた。
「…そう。そりゃあ残念だったわね。でも…まぁ、気にしないで。明日にや明日の雨が吹くっていうっしょ?」
「雨が吹く訳ないでしよ。風よ風!」
「……風邪?あのセキのでる病気の…?」
「バーカね」由香はそう冗談めかしに明るくいってから、もう一度、空の青を見上げた。「まぁ、みてらっしゃいよ。私の絵をおとした連中にも世界中の人々にも……この由香ちゃんのアーティステックなタレントってもんをみせつけてやるんだから!」
 由香は傲慢にではなく、素直に可憐な微笑みを口元に浮かべながら宣言した。
「タレント…って?由香ちゃんってば…いつから芸能人になったっていうのさぁ。…歌でも出したっけ?」
「……馬鹿じゃないの!!」由香はナイーヴ(無邪気)な皮肉屋らしい口調で蛍にいった。「タレントっていうのは才能って意味なの。これはフランス語ね」
 彼女はそういって不思議そうな蛍の肩にそっとふれて笑った。
 …ちなみに、タレントというのは、フランス語でもドイツ語でもなく「英語」である。


 VOL・3 ”秀才少女”有紀に、蛍が、お勉強で挑戦?!
          マジックエンジェルブラック覚醒


  蛍が一人でトボトボと暗い夜道を歩いていると、突然、ガラスがガシャアンと激しく割れる音と「ほ…蛍ちゃん、食べておくれよ!!」という叫び声が辺りに響き渡った。彼女が驚いて振り返った瞬間、草原がブウウァッリッと『カスタード・クリーム』の海と化した。「なによ?!」トランプの兵隊たちに連行されていく大勢の『イチゴ・ケーキたち』が断末魔の悲鳴を上げながらラビュリンス(迷宮)の扉の中へと消えていく。それは蛍がかつてアニメでみた”不思議の国のアリンス”にも似ていた。
 …皆、私に食べてもらいたいと願ってるのにっ……きっと悪い奴らの所に連れていかれてパクパクやられちゃうんだわ!!もおっ、そうはさせるもんですか!!苺ケーキちゃん達!「あああっ!」彼女は小さな悲鳴を上げて飛びのいた。彼女の大好物の『カレー・コロッケ・パン』君が家畜のように引きずられていくのを目撃したからだ。カレー・コロッケ・パン君は何度かパクつかれたのか、顔中が穴だらけだった。これじゃあ、食べれないよ! 愕然と立ち尽くしていた蛍は、キッとした表情になり、
「ま、まって!待ってよ!カレー・コロッケ・パン君は私のものなのよ!私が…この蛍ちゃんがパクつくものなのよ!!」
 と叫びながら必死に駆け出した。しかし、走っても走っても、まるっきり追い付けなかったし、それどころか距離はどんどん広がっていった。カレー・コロッケ・パン君の悲しげな横顔が遠ざかっていく。と、次の瞬間、ほわほわのホイップ・アイスの波が襲いかかってきて彼女はギュッと目をつぶった。
 しばらくして蛍はふたたびビックリしてしまった。るり色の光の中で、草原に呆然と立ち尽くしている自分を発見したからだ。
 ーどうしたんだろう?彼は?!カレー・コロッケ・パン君は?!ー
 天からの陽差しがきらきらきらきらと辺りを照らしていた。誰もいない。
「……あっ、これは!!」
 蛍の目の前に、サビついて誇りに覆われて蔦まではいまわっているようなスクラップ寸前の『カンターム』があった。カンターム…それは蛍が小学生の頃に熱心にみていたアニメ番組『銀河戦士・カンターム』の中でヒーローのミーシャ・ゴルビーという美少年が乗って宇宙を飛び回るコンバット・マシーンだ!いわば、ロボットの主役だ。ちなみにM・ゴルビーのライバルは、ボリスン・エリツィーンという銀髪のシルバー大佐と呼ばれた敵のグレムリン軍のエースだ。
「カンタームだわ!本物のカンタームだわ!あの憧れのヒーロー、ミーシャ・ゴルビーの乗っていたマシーンよ!!なつかしいなぁ……よく小学生のときに熱中して観ていたもんなぁっ『銀河戦士・カンターム』!」
 なんともアーティステックな光景だった。蛍は茫然と立尽くしてまざまざとカンタームをみつめほわっとした表情になった。ー「よし!」
 サビついた機銃座にすわると、なんだかどうしようもない衝動にかられるのを感じた。 妖精セーラが低く、大地をかすめるように飛んでいる。蛍はそれをおおらかな気持ちで眺めてから、いささか興奮した気分で銃口を妖精セーラにあわせて、狙いを定めた。
「死になさい、セーラっ!!」
「ダダ・ダ・ダ・ダダダッ!」
 もちろん弾は一発も発射されなかった。彼女が自分の口でいっただけだ。だが、それでも蛍はなぜだかとても興奮してうれしくなって微笑んだ。「やったわ!やっつけたわよ!地獄に落ちちゃえっ、セーラ!!」
 しかし、その微笑みも、次の瞬間、凍りついてしまった。キャタピラのキュルキュルという音に気付いて振り向いたとたん、数百メートル前方からトランプ軍の戦車・大勢のトランプ兵隊が迫ってくるのを知ったからだ。しかも、蛍の大嫌いな「タコヤキ」を手に持っている!彼女は小さな悲鳴をあげて飛びのいた。
 トランプ軍の戦車の砲台が、矢継ぎ早にピーマンを噴いたからだ。
「や、やだっ!私、ピーマン大嫌いなのよっ!!」
 直撃はなかったが、蛍の近くの地面や樹木にぶつかり亀裂が走るとポワン!と大爆発をおこした。そして、緑色のソース状のものが飛び散った。なおも攻撃してくるトランプ軍に底知れぬ恐怖を感じた蛍は、戦慄し、そして、
「やだよぉっ、やだよぉっ!!ピーマンとタコヤキなんて大嫌いだあーっ!来ないで、来ないで、来ないでよぉ!」
 と、必死に逃げ出した。
 だが、その次の瞬間、恐怖は絶頂に達した。蛍は何万人という「タコヤキ」を手にしたトランプ兵たちに辺りを取り囲まれ、行手を遮られてしまったのだ。悲鳴すら掠れ、足を引っ掛けて転んだ蛍に、殺気だったトランプ兵たちが容赦なく迫る。
「なによぉ!!もおっ…」
 彼女は思わず涙声でいった。トランプ兵の狂気の叫びが聞こえる。
「さぁ、蛍ちゃん!たこやきを食べんだよ!」
「食べなさい!タコヤキ!大阪名物のタコヤキっ!!おいしいよ!!」
「い、いやよっ!誰がタコヤキなんて食べるもんですか!わあっ、待って!待って……話せばわかるってばさぁ!」
 彼女は手首をつかまれた。と、トランプ兵達は「食べぇにゃちゃい!」といってタコヤキを手に襲いかかった。…腐ったタコヤキを知らずに食べてお腹を壊した小学生時代やピーマンを食べて肌に赤いブツブツができて困った幼稚園の頃の苦悩な表情が、一瞬、走馬燈のように蛍の脳裏をかすめた。…「タコヤキ」が口に近付く!
 ………ーいやだぁーっ!……

  蛍は悲鳴を上げながらガバッとテーブルから飛び起きた。そこは自分の部屋だった。テーブルにうつぶして眠っていたのだ。額は汗びっしょりになって、窓からは午後のだらだらした眩しい陽差しがみえている。夢だったのか…?!びっくりしたよ…もおっ!
「…ちょっと、あんた!いい加減にしてよね」
 床に置いた座布団上の由香が呆れまくった顔でそんな蛍に嫌味ったらしくいった。そして右手で前髪をかきあげた。
「なにが、カレー・コロッケ・パン君よ!!なにが苺ケーキちゃん達よ!なに寝言いってんのよ!」
 横にいた妖精も黙っていない。「そうよ、そうよ、聞いたわよ!なにが、”死になさいセーラ!”よっ!!…なにが、”地獄に落ちちゃえ、セーラ!”よ!!……もおっ、知らない!蛍ちゃんなんて大っ嫌いよ!!」
 もおっ。なんにを考えてるのよ、蛍ちゃんってば。「今は作戦会議中だったんでしょ?!」「さくせんかいぎちゅう…?何よそれっ?!どういう意味よ?ネズミの名前?」
「バーカね、蛍は…」由香は無視するように言ってから、タメ息をついて珍しく『ことわざの本』のページをパラパラめくってから蛍に見せて、
「じゃあねぇ、…これっ、何て読む?」
「どれよっ?」蛍は、ジッとページに踊る文字、由香の白く細い指先がしめす『ことわざ』を覗きこんだ。ーえ?えーと……。
 窮鼠、猫を噛む。…と書いてある。蛍は、足りない頭をひねってから、明るい口調で、「そりゃあ、由香ちゃん。キューチュー、タヌキ(狸)をムシバムっよ」
 由香は「なにいってんだがか、この馬鹿蛍!何が、キューチューよ!」とニヤリと皮肉屋らしく馬鹿にした笑いを口元に浮かべた。
「でもさぁ、蛍ちゃんらしいわね。……確かに、鼠って…チューチュー鳴くものね。猫と狸って漢字が似てるし、同じ動物さんな訳だし……。噛むと蝕むは、まったく違うけど…でもお口の中で「甘いもの」を噛んでたらいつかムシ歯(む)になっちゃったりするわけだもんねえ」
 セーラは呆れ顔で、それでも優しい優しいお母さんのような笑顔を浮かべてそういった。「まったく情ないなぁ、こんな漢字も読めないなんてさぁ」
 蛍は由香の言葉にムッときて、「じゃあ、さぁ。何て読むのよ!由香ちゃん読めんの?!」「当然でしょ」由香はニヤニヤと自信あり気に笑っていった。「そりゃあ、あんた。このことわざは…………キュー?キュー?キュー……?…キューネズミ、キツネ(狐)をカーム!よ」
 セーラは「……あのねぇ、由香ちゃん。まったくとはいわないけど…九匹のネズミさんがキツネさんを噛んでいるみたいで…ちょっと意味が通じないわね」とズッコケて、呆れ顔で呟いた。そして、ちょっとインテリ風に、「キューソ、ネコをかむ…ね。意味は、弱いもの(ネズミさん)でもあまりにいたぶられて追い詰められれば頭にきちゃって強いもの(ネコさん)に反撃しちゃうっていうことね。だから弱者を甘くみちゃいけないのよ。つまり…弱いものの必死の反撃って意味ね」
「ふーん。」二人の”出来そこない”蛍と由香は少しだけ関心してうなづいた。しかし、意味は理解してなかった。……
「それよりさぁ。なんであの時の闘いでレインボー・アタックが効かなかったのかなぁ?」「レインボー・アタックって何?洗剤?」
「まぁ、いいから由香ちゃん…黙っててよ。ねぇ、セーラ…なぜかなぁ?」
 セーラは少し考えてから「わからないわ……でも敵もそんなに馬鹿じゃないってことね。きっと、蛍ちゃんの技を研究してるのよ」
「レインボー・アタックって何?洗剤?」
「まぁ、いいから由香ちゃん…黙っててよ。そうか…研究してるのかあっ」
「あの…レインボー・アタックって…?」
「黙ってて、っていってるっしょ!」蛍の冷たい言葉に由香は反発して「な、なによっ!何よ、なんなのよっ!!頭にくるわね、その言い方!なにがレインボー・アタックよ。スポーツ少女アニメ、例えば『アタック・ナンバーズONE』とかの観過ぎなんじゃないの?! と、皮肉たっぷりに怒鳴った。
「なによ、由香ちゃんってば…そんな古いアニメ番組名なんてだしちゃってさぁ。もっと新しい、『エンピツしんちゃん』とか『トラコンポールGT』とか『セーラ・ムフーン』とか『トラエモン』とか……そういうアニメ番組名いってよね」
「なにいってんだかわからないわ。そんなことばかりいってると…あんたの大嫌いなタコヤキとピーマンを口の中に押し込んじゃうわよ!」
「う…」蛍は顔をゆがめて、「やめてっ!!」
 と両手で頭をかかえて叫んだ。
 妖精は、敵がなぜすぐに地上に攻めてこないのか、敵がトゥインクル・ストーンという輝石を狙っていること、そして敵と闘うためには特訓とかして技を磨かなくてはならないことなどを”念仏”のように語った。
 しかし、例のふたりはその”念仏”をきいている内に、ぐっすりと眠り込んでしまった。 さすがに低レベルな二人組だ。……
「…あのねぇ。もおっ」
 妖精セーラはいつものように呆れてタメ息をついた。

  次の日は、水曜日というなんともあまり意味あいのない曜日のほんわりと晴れた一日だった。蛍と由香はいつものように学校の通路をかっ歩しながら「無駄話し」をしていた。 そこへ、あの「冷酷で無慈悲な機械」と噂されている神保先生が蛍の背後から声をかけてきた。
「おい、蛍!おい、この馬鹿蛍!」…と。
「……ちょっと、呼んでるよ蛍。神保が」
「………なんだろう?カンニング……じゃなくて神保の靴にガビョウいれたのバレたのかなぁ?それとも神保の椅子にカミソリ忍ばせたのが…バレたのかなあ?」
「あんた、あの「冷酷で無慈悲な機械」にそんなことした訳?怖いものしらずね」
「…ちょっと、本気(マジ)にとらないでよっ。冗談に決まってるっしょ?!」
「……でも、カンニングっていうのはマジでしょ?」
「…うっ」
 ふたりがボソボソと囁きあってると、神保はツカツカと背後から歩み寄って、蛍の肩に手をかけた。「おい、この馬鹿!ちょっと、職員室までこい!」
「先生っ!そんないいかたないっしょ?!」蛍はいったが、神保先生は何の表情もみせずに、ただ「いいから、来い!」と蛍を連行していった。
「…やだっ!ちょっと…はなしてよっ」
「……ありゃりゃ」
 由香は、唖然と立尽くしてしまった。
   ・
 職員室はたいして広いわけではない。机がかなり並んでいてい、机の上には書類などが山積みされていて汚らしい。とてもインテリジェンスとかノウレッジだとかが存在したり生み出されたりする空間とは思えない。ホーリー・エリアとは恥ずかしくていえない所だ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上杉謙信公「命もいらず名もいらず」上杉の義・謙信公の生涯ブログ連載5

2013年09月27日 05時23分20秒 | 日記
         殺人



  千代は、若狭屋にすべてを話した。
 景虎らに捕まったこと、雇主を明かしたこと、おのれの正体が露顕したので観念して全部しゃべったこと……すべて正直に告げた。
 どうせ景虎に殺されると思ってチクッた訳じゃないが、なにより重大な秘匿のはずの雇主の名をばらしたのには罪が重いと思っていた。だから、
「すぐさま殺して下さい」
 と頼んだのである。
 当然ながら、若狭屋は初め激しく怒った。
 しかし、すぐに「まてよ……」と思った。なぜ景虎は世の慣いに反して間者を解き放ったのだろう……?千代の話をきくうちに「相手がわしだから…」と思われてきた。雇主が自分だから……?
「なるほど、景虎殿はあのときの礼の意味で間者を解いたのだな。なんとも律義な方じゃ」 若狭屋はにこりとした。
 そして、
「越後の主となられた暁には、商人の払う税が必要で、商人を大事にせねばならぬということを若いながらわかっておられるのだ。なんと聡明な方じゃ」と関心した。
 ……若狭屋は千代らを許すことにした。…そういう事情なら仕方ない。自分のことを景虎が高く評価してくれたようで、悪い気はしない。私は必要とされているのだ!
 若狭屋は再びにこりとした。
 さらに若狭屋は景虎を褒めたうえ「よし、お前を自由にしてやる。命はとらぬ。どこへでもいけ」と言って千代を解いた。更に、一生縛りという生涯契約も解いて、もはや支払った莫大な契約金は返さなくてもよい、とまで言った。
「わたしを自由にしてくれるのですか?」
「そうじゃとも」
「……ありがたき幸せ」千代は礼を述べた。
「どこへでもいくがよい。お前ほどの器量よしなら都で幸せに暮らせるだろうよ」
 と若狭屋は勧めた。
「じゅうぶんな路銀を与えよう」
「有り難きお言葉……なれど私は都にはまいりません」千代は続けた。「この国にいて……あの方の行く末を見守りたくございます」
「景虎さまのことをか?」
「はい」
 すると、若狭屋はあははと笑った。
「さてはお前、栃尾にいって景虎さまを虜にする気じゃな」
「いいえ、めっそうもない」
 千代は真っ赤になって否定した。……するとその態度がおかしくて、若狭屋はまたあははと笑った。
「お前……あの方に惚れたのじゃな?」
「いえ」千代はますます真っ赤になった。…とてもごまかしきれぬ。千代はその後、
「恥ずかしながら…」と胸の内を打ち明けた。
「なるほど……。お前さんの恋が叶うとよいがの」
 若狭屋は言った。そして、はははと笑った。
「お前、せんだって栃尾にいった時はなんと名乗っておったのじゃ?」
「いえ。きかれぬうちに別れましたので…」
「よし、わしがよい名を考えてやろう」
「はっ」
「………琴とはどうじゃ?」
「琴?楽器の琴ですか?」
「うむ」
「わかりました。今日より私は琴と名乗ります」千代は礼を述べ、琴と名乗った。そして、そのままその場を後にした。
 その頃、景虎の耳には、頭を丸めてさすらいの旅にでた筈の黒田秀忠が黒滝城に戻ってきた……との情報が入っていた。「………黒田秀忠め!」景虎は怒りを感じた。
 そう思いながらも、彼は千代のことを考えていた。
 と、そんな時、櫓にいた本庄実仍が気付いた。
「あの者たちは何をしておるのかの?」
 新兵衛を手招いた。
「あの百姓たちでござるか」
 本庄実仍の視線を辿って麓の刈谷田川を見下ろした新兵衛も、手招きした。
「あいつらは百姓ではないぞ」
 景虎が気付いていった。「川で魚とりをやっているように装っているが、あの百姓ふたりは川の深さを測っておるぞ」
「御意」
 新兵衛たちも同意した。
「あの場所はよりによって、景虎さまが寝泊まりしている居館にさも近い。……刺客に狙わせる所存かと……」
「くそう、どうしてくれよう」
 いまや女子がどうのといっている時ではない。どうやってあの百姓ふたりを生け捕りにするのか……。そのことで頭がいっぱいになった。
 …生け捕りにしたいのは山々だが、これは殺すしかないな。…無益な殺生は避けたいが……しかし!
「いくぞ!やつらを血祭りにあげるのじゃ」
 景虎が言った。
 そしてすぐさま馬を駆けて、例の百姓たちに近付いた。「お主ら……なにをしておる?」 新兵衛が尋ねると、百姓は動揺した声で、
「魚とりでやんす」と答えた。
「問答無用!黒田の手先だな?!」
 景虎が言うと、百姓たちは狼狽し、そして逃げ出した。
「待て!」
 百姓たちは駆けたが、無駄だった。すぐに景虎たちに追い付かれ、ズババッ!と斬り殺された。……とうとうやってしまった……殺人を…。景虎は血飛沫をあびて、刀をかまえてしばらく立ち尽くしてしまった。
「無益な殺生をしてしまった……」
 彼は荒い息で、興奮しながら言った。そして、「人間死ねば皆…同じ…」と語った。

  天文十五年(1546)、景虎は十七歳になった。
  彼は節目を示すため、越後守護・上杉定実(さだざね)に「黒田が再びそむいたのですが…」と伺いを示した。それにたいして上杉定実から
「そなた自らが栃尾勢を率い、黒田の籠る黒滝城を攻め落とし、あまねく国人衆に采配をふるわれるのがよろしかろう」という書状が届いた。
 ……さては俺をおだてて、向こう見ずに突っ走らせる気だな…景虎には、定実の見え透いた考えが手にとるようにわかった。新兵衛も「その手にのらないよう」と言った。
 しかし、彼は、栃尾軍五百人だけで黒滝城を攻め落とすことに決めた。
「今度は、黒田秀忠や家臣全員が剃髪したとしても許さん。女子供も皆殺しだ」
 景虎は激しく怒っていた。……「さすらいの旅にでた筈の秀忠を迎え居れた家臣も同罪じゃ!おれは女子供でも許さぬ!」
 彼はまるで阿修羅の如き形相だった。新兵衛は「いやはや、若殿さまはまるで阿修羅…いや、毘沙門天の如きお方じゃ…」と関心した。
「毘沙門天か……それはよい。俺は今日から毘沙門天じゃ。毘沙門天の化身だ」
「……化身ですか?」
「うむ」景虎は頷いた。そして続けて「俺の軍の旗指物も毘沙門天の”毘”としよう」
 と強く言った。「突撃の旗頭は”龍”だ」
「………女子供まで皆殺しにするのですか……?」
「しかたなかろう。生き残せば将来の災いとなる」
「なるほど」新兵衛が言った。
  そもそも景虎は黒田秀忠にナメられていた。黒田は長尾景虎を恐れてはいなかった。もともとこの黒田秀忠という男は嫡流ではない。一説では、彼の実父で胎田常陸介(たいだひたちのすけ)という越前朝倉家の牢人が、いつごろからか上方に流れてきて、先代の守護代・長尾為景(景虎の亡父)に召し支えられた。その時、その息子(秀忠)が美男子だったので可愛がられ、黒田の名跡を継がせたばかりか執政として登用し、重要視された。
 つまりホモの相手として……である。ちなみに謙信も景勝も兼続もホモ(男色)ではない。
 先代の守護代・長尾為景(景虎の亡父)が生きているうちは随分と傍若無人に振る舞っていたそうな。
「新兵衛、いくぞ!」
「はっ」
 景虎と新兵衛はゆっくりと馬で黒田の城に近付いて、それから近くにいた侍女ふたりの首を太刀で斬り落とした。「きゃあぁあっ!」一斉に悲鳴があがる。
「火だ!火をつけろ!館に火をつけるのだ!」
 景虎らが馬を反転させて、飛んでくる無数の矢から逃れながら叫ぶと、待機していた部隊が火矢を放った。黒田の兵士どもは皆慄然とした。「火攻めだ!」と狼狽した。
「火を消せ…っ!」「うあぁぁっ!」
 この一部始終を櫓から見ていた黒田秀忠は、「もう終りじゃ…」と呟いた。「わしはあの若造を軽くみすぎた。まさか女子供残らず皆殺しにするために火を放つとは…」
 紅蓮の炎が辺りを包む。それは長尾景虎の勝利の炎…いや、怒りの炎だった。
 こうして逆臣・黒田秀忠は絶望し、切腹して果てた。…景虎が勝利したのだ!



         擁立


  長尾景虎は栃尾城へ凱旋した。
 しかし、黒田秀忠よりも更に強敵が現れていた。栃尾城を虎視眈々と狙っている坂戸城(六日町)の、上田長尾の房長・政景父子である。
  今度の敵は、黒田秀忠ほど簡単ではない。
 黒田秀忠の自滅の報を受けて、各地の豪族たちがぞくぞく栃尾に集まっていた。
 むかしから仲の悪い栖吉長尾家と上田長尾家は何度か本拠地近くで鍔ぜりあいをやったが、なかなか決着が着かなかった。だが、今、栖吉長尾家の栃尾には軍勢が滞在しているから上田勢が攻めてくることはないだろう。
 景虎は一息ついていた。
 だが、まだ安心できない…とも思っていた。
 上田長尾勢は、黒田秀忠ほど甘くない。黒田の場合は「皆殺しにする」という脅しを景虎が実行し、「毘沙門天の化身」という噂を信じて自滅した。しかし、上田長尾勢は、黒田秀忠ほど甘くない。
 上田長尾の房長・政景父子が、春日山城の俺の兄・長尾晴景と結託して俺を討つことも考えられるな。用心せねば……。今や、守護の上杉さえも敵だと思わねば…。
 景虎は用心を心に誓った。
 そんな時、金津新兵衛が、
「若殿さま。私ごとで憚りまするが、どうかきいて頂きたいことがございます」と気弱な態度で言った。
「なんだ?そちも一生不犯の誓いを立てたのか?」景虎はきいた。
「いいえ、恥ずかしながらそれは出来ませんが……あのとき春日山においてまいりました女房より手紙が届きまして…」
「女房殿も栃尾に来るのか?」
「いえ、実は……」金津新兵衛が頭をかいた。そして続けて、「離別して実家に帰りたいゆえ、去り状をくれと…」
「いまさら離別か?」
「はっ、さように申しております」
「だめだ!」
「はっ?」
「だめだ!」景虎は強く言った。「別れてはならぬ。なんとか仲直りせよ」
「………仲直りで…ごさいますか?」
「そうだ。別れたら残された子が可哀相であろう」
 景虎は強く言った。金津新兵衛は思い出していた。景虎が、もっと小さい頃、城の猫や犬の母親が子に乳をすわせている姿を幸せそうに、しかし少し寂しげに見つめている景虎の表情を……。景虎は母親というものの暖かさを知らない……何も…。母親の愛を与えられなかったから、「生涯不犯」などと言い出したのか?金津新兵衛は死んだ彼の幼恋人・美代のことを知らなかった……。
「わかりました。なんとか仲直りいたしましょう」
 金津新兵衛は言った。
「よし」
 景虎は頷いた。
  それから景虎は「女遊び」の家臣を叱ることもあったが、上田が攻めてくるまでは平凡な日々が続いた。……なんとも平和な日々で、ある。
 勝戦以来、「景虎を守護代に」という意見が楊北の国人たちからあがっていた。それと同時に本庄実仍が中心となって、楊北の中条藤資(ふじすけ)、中条の舅の高梨政頼(まさより)、箕冠の大熊政秀(まさひで)、与板の直江実綱(さねつな)、三条の山吉行盛、栖吉の長尾景信が連判し、「景虎を守護代に」と書状を守護に送る動きをした。
 長尾景虎、守護代へ擁立、である。
 昔から、越後の豪族たちが真っぷたつに別れている時は、楊北の国人衆を味方につけた方が勝つ、と決まっている。楊北の国人衆のほとんどは上田長尾家でなく景虎派だった。 上田長尾衆は予想以上に景虎に敵愾心を燃やしていたという。
 いまや越後は、守護代・長尾晴景派と次期守護代・長尾景虎派に分かれて、いつ戦が行なわれてもおかしくない状態だった。しかし、実際には戦はなかった。あったとしてもそれは軍記のフィクションに過ぎない。
 だが、あえて戦をした……というフィクションも面白いので、次に紹介したい。

 上田長尾衆の長尾房長・政景父子が、春日山城の長尾晴景と呼応して栃尾を攻めてきた。これは景虎にとっては予想していた通りだった。
「御大将、敵の先鋒が近付いてきます」
 櫓の物見が言った。
「きたか…」
 景虎が不世出の天才軍師・宇佐美定行(架空の人物)を伴って物見櫓から見ると、敵は五千だった。(景虎が天下の大大名となって率いた兵士が八千だから、五千人はあまりにも多すぎる。しかし、そこが軍記のフィクションだ)
 早暁に出発して山越え川越えやってきたというのに、この五千人の兵士はくたくたながら栃尾城に向かってくる。
 栃尾城がみすぼらしい小城と侮っていたのだ。
「御大将、敵は疲れきっております。今、出陣すれば勝てるかと」
 不世出の天才軍師・宇佐美定行がにやりと言った。
 いってるのが天才だから、景虎も「そうじゃ」と言うかと思ったが、そうではなく、
「いやならぬ」と言った。
「……なぜでございます?好機をみすみす逃すので?」
「いや。やつらは小荷駄(食料や武器などを運ぶ輜重隊)を連れておらぬから、闇にまぎれて引き上げるぞ」
「………あ!……なるほど!」
 天才もびっくりした。そういえば…。
 それから夜になると、あかあかと松明が燃え始めたけれど、敵は暗いところにばかりいる。景虎がいった通り、闇にまぎれて撤退しようとしたのだ。篝火は、ダミーで、まだここに駐屯しているぞ、と栃尾に見せる策略だった。「金蝉脱殻の計」である。この計は、上杉謙信も武田信玄との戦いの時に使っている。それはさておき、
 景虎は、敵がやれやれ撤退できた…と安心しているところで
「いまだ!進め!」と兵を走らせた。「引勢は弱いぞ!」
 わああああ…っ!かかれー!
 栃尾勢力はいっせいに上田長尾衆へ遅いかかった。逃げた上田兵たちはくたくたにくたびれていて、さらに予想もしなかった奇襲で、パニックになった。そして、大敗を喫して、春日山の晴景は手勢なんと一万を率いて出陣、米山峠を越えて柿崎の下浜に陣を布いた。 景虎も全軍三千を率いて出陣…!しかし、途中で「昼寝でもいたせ」と兵たちを休ませた。驚いたのは敗北軍の上田・晴景たちである。しかし、彼等は「しめた」と思った。
「これで楽に逃げることが出来る」
 敗北軍の上田・晴景たちが峠を越えて下りにかかると、突然、ゆっくり休んで疾風怒濤の景虎軍が襲いかかり、上田・晴景たちは諦めて切腹した。

 ……これが軍記に書かれてあるエピソードである。
 しかし、兵を一万も持っていたら誰も晴景たちには逆らうハズもない。また、先発隊だけで六千もいるなら、誰も逆らわないし景虎を擁立することもないだろう。まぁ、フィクションはフィクションとして考えてもらいたい。



「越後でおこった戦をどう思う?勝頼」
 武田晴信(信玄)は才能のない軟弱な息子にきいた。
「……越後で……?」
「越後で戦があったろう?!」武田晴信(信玄)は顎で合図をして、ひとばらいを命じた。すぐに、館からお側の者がいなくなる。
「……あぁ、越後で……たいした戦ではありません」
 勝頼は狼狽し、オドオドしながら言った。
「たいした戦ではない?」
「はい……多分」声が萎んだ。
 では、長尾景虎という男をどう思う?織田上総介信長は?」
「たいしたことありませんよ」
 勝頼は狼狽し、オドオドしながら苦笑すると、父親の武田晴信(信玄)は急に怒りを覚えて、「馬鹿野郎!」と怒鳴って平手打ちを食らわした。愚鈍の息子は畳みに衝撃でふっ飛ばされた。武田晴信(信玄)は「馬鹿もの!長尾景虎という男も織田上総介信長も強敵となる人物だ!……お前も、まがりなりにも跡取りなら……跡取りらしく頭をつかえ!」 と息子を罵倒した。それに対して愚鈍な息子は何も答えることが出来なかった。   


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MAマジックエンジェルほたる「魔術天使螢のファンタジックな冒険活劇」小説3

2013年09月25日 06時07分03秒 | 日記
 螢は魔法のお札に驚き、
「なに…これっ?どうなってんのっ?!」
 と、やっとのことで声を出した。息がするのもやっとで、心臓が止まりそうだ。
「あなたは伝説の戦士「マジック・エンジェル」に覚醒したのよ!人類を救うために地上に舞い降りた戦士…その戦士へと覚醒したのよ!」セーラは嬉しそうに熱っぽく続けた。「蛍ちゃん……あなたは伝説の戦士「マジック・エンジェル」!…そのリーダーのマジック・エンジェル・ブルーよ!!」
「え……っ?!」蛍は少し疑問を浮かばせて「でも…リーダーって、ひとりっきゃいないじゃんよぉつ」と皮肉をいった。
「…うーん。」妖精は少し言葉をつまらせてから「そのことは後で詳しく話すから、……とにかく、戦うのよ!!」と大声でいった。
「…うん。わかった!」
 蛍はそううなづくとなんとなくだが戦闘体制に入った。
 ダビデはほんの一瞬、伝説の戦士の覚醒に対して驚いて立ち尽くした。が、すぐに顔をギラリと鋭くして、由香をまるでゴミクズのように路面に投げ捨てると、蛍と対峙し、
「くらえっ!」
 と、両手を前方にかざして、手から光矢を何度も放って攻撃してきた。蛍はなんとかその攻撃を間一髪「うああぁっつ!!」と悲鳴をあげてかわした。その瞬間、彼女の立っていたアスファルトの路面が激しく爆発した。
「蛍ちゃん、必殺技を使うのよ!!」
「え?!…必殺技って……どうすんのっ?!」
 セーラは大慌てで敵の攻撃から逃げ回る蛍に大声で教えた。「レインボー・アタックよっ!!そう叫んで、両手をこうして前に突き出してポーズをとるの!」
「…えっ?!え?レイン……なにっ?!…うあっ」
「レインボー!」セーラは戸惑う蛍に少し感情的になって叫んだ。「レインボー・アタックっ!!」
 わかった!わかった!わかった!!…わかったわよ!やればいいんでしょう!!いいえ、やらなくちゃあ!ーよし!
 蛍はキッと目を鋭く輝かせると、両手を前方に突き出して、
「レインボーっ…」と叫び、続けて「…アターック!!」と大声で全身の力を込めて叫んだ。ビュウウ…ッ。あらゆる精霊たちのオーラが彼女の手のお札に吸い寄せられるかのように集まった。そして、次の瞬間、蛍の両手に輝かしい剣が出現し、まさにレインボー(虹)がダビデに向かってめまぐるしいスピードで放たれた。…七色に輝きつつ、ダビデにむかって空間を走る稲妻・ステロペスと雷鳴・ブロンテス、そして虹色の閃光・アルゲス!
「うああぁぁっ!」
 レインボー・アタックの直撃をなんとかかわしたダビデは衝撃でかなり後方に吹き飛ばされた。そして、倒れ込んだ。掌に血が滲み、激痛で意識を失いそうになった。
「や、やったわ!」
「はやく、封印して!」
 蛍もセーラも声をあげた。強敵を倒した?!だが、そうではなかった。倒れ込んでいたダビデは起き上がった。そして、「覚えてろよ、マジックエンジェル!」と捨て台詞をはくと激しい風とともに魔界へと姿を消していったのだった。しかし、とにかく…たすかった。「これで馬鹿にした連中を見返せる?」「もちろん!」螢に、セーラはいった。

  赤井由香は気を失ったまま道路に仰向けに横たわっていた。ジッとして動かないが、死んだ訳ではない。
「ゆ、由香ちゃん!!」蛍は大急ぎで由香のもとへと駆け寄った。彼女は体裁などぜんぜん気にしなかった。そんなことよりも由香の体のことの方が心配だったのだ。
 蛍はそっと由香の上半身を抱き上げて、
「由香ちゃん…しっかりして…!!」
 と、少し泣きそうになりながら呼び掛けた。そして、ジッと由香の顔を覗きこんだ。とても素晴らしい表情をしている。由香ちゃん!…由香ちゃん!
「うう…ん」しばらくして、赤井由香はそう微かにうなってから、静かにゆっくりゆっくりと瞳を少しずつ開け始めた。
「ゆ、由香ちゃん! だいしょうぶ?!」
「…ほ、蛍…。あなたが…たすけてくれたの?」
 由香は魅力的な微笑みを浮かべて、しぼり出すような声を発した。そして「ありがとう」 と、優しい笑顔で覗き込んでいる親友にいった。
「ううん。いいのよ…へへへっ」
「あ。」フト、そんな風に嬉しさで涙を流している蛍の肩越しにいた妖精の姿を見付けて、由香は控え目な口調で、囁くように
「あなたは妖精?…蛍…の…お友達なの…?」
 と尋ねた。「ーえっ?!」蛍とセーラのふたりは驚いて顔を見合わせた。どういうこと?!普通の人間には妖精の姿は絶対にみえないはずじゃなかったの!?なんで…?
「あ、あの由香ちゃん?!」
 ふたりは由香のほうへ顔をむけたが、彼女は何も答えなかった。疲れと安堵感からか、可憐な笑みを浮かべながら静かに眠りについていたからだ。
「………由香ちゃん」
 蛍とセーラはほっと安堵のタメ息を洩らして、ほんわりと微笑んでいた。



  VOL・2 アーティスト由香、画壇デビューか?!
         マジックエンジェル・レッド覚醒

  夜。月がきらきら輝いて、グレーの雲がゆっくり流れてふわふわ浮いていた。しんと光る月は、もの悲しくさえあった。
 蛍の部屋のド派手なパッション・ピンク色のベットに由香は安らかに眠っていた。蛍は、赤井由香を自分の部屋に誰にもみられずにそっと運ぶのに成功していた。
 蛍は優しい表情のまま、そっと由香の額にあてていた水タオルをとりかえた。そして、「…由香ちゃんって生意気なところもいっぱいあるけど、こうして眠っている顔をじっとみると…なんか可愛らしい顔をしてるわねっ」
 と、ほんわりと控え目な口調で微笑して呟いた。同じように顔を覗き込んでいたセーラも「ほんとよね」となぜか頷いていた。
 不思議な現実と空間と時間の流れが、三人(もしくは二人と一種)を包み込んでいた。 しばらくすると、由香の睫が少し動いた。
「ううん…」由香はやがて、瞳をゆっくりゆっくりと開けて目を覚まし、上半身を起こした。だけど、なんとなく「アタタ…」と頭が少し痛くなって両手でコメカミを押さえた。 いけない!セーラ弾かれたように蛍の背中のうしろへ隠れようと大慌てで飛んだ。
「あっ、いいのよ。隠れなくても…」
 由香がそんなふうに丁重な言葉で妖精に声をかけた。ーえ?なんで?!
「……あ、あのぉ。」
「蛍ちゃん、いるんでしょ?!お風呂冷めちゃうといけないから…早くはいっちゃいなさいね」
 妖精のオドオドとした呟きをさえぎるように、部屋の外の廊下から、蛍の母親「雅子ママ」の透き通る声がきこえた。雅子ママこと、青沢雅子は現在、四十才ではあるがけして「ブヨブヨの醜いオバタリアン」ではない。その美貌たるや、いまは亡きオードリー・ヘプバーンを日本風にしたくらい素晴らしい。
 細身で長身、長い睫に手足…。蛍はこの母親の血を受け継いだのかも知れない。
「あ、うん!わかったわ、雅子ママ」
 蛍は廊下の雅子ママに元気にいった。ちなみに、雅子ママは「蛍のような」馬鹿ではない。青沢蛍の頭の悪さは後天的なものである。
「あ、いけない!」
 由香は何かを思い出したらしく、そう大声で叫んだ。そして、ベットからバッと飛び起きて、
「じゃあ、蛍!私、急いでるから帰るね!!」といって駆け出した。
「あ、ちょっと、由香ちゃん!」
 由香は、蛍の声を無視するように扉を開けて、フト、振り返ってウインクをして微笑んで「じゃあ、蛍。妖精さん。またね!」
 と、駆け去ってしまった。
「妖精さん…だってさぁ」ふたりはそう呟くしかなかった。

  きらきら…。きらきらとした夜。まるで降ってくるような星座…夜空のパノラマだ。その星座の中で、一番輝かしい光を放つ赤い星が、由香の「お気に入り」の星だ。
「今夜も、ルノワールの赤い瞳、が眩しいわ」
 フト、由香は誰もいない道路で立ち止まって、夜空を見上げて呟いた。そして、なんとなく遠くを見るような寂しげな目になった。「ルノワールの赤い瞳」とは由香のオリジナル・ネーミングであって、そんな名前の星は存在しない。だが、「赤い瞳」とは、この少女にとっての「夢」「目標」「希望」そのものだ。赤色だから「情熱」でもある。
 しかし、夢みるのも一瞬で、
「いけないっ!こんなことしてられなかったんだわっ!早いとこ絵を描き上げなくちゃあ!…サロンの締切りに間に合わなくなっちゃうよ!!」
 由香はひとりごとを言ってから、弾かれたように駆け出した。サロン!サロン!サロン・デ・ラート!…締切りは後、数週間後なのよ!!

  由香が帰宅すると、平凡な母親が台所から、「あら、由香、おかえり」と声をかけた。そして「あなた…いったい今、何時だと思ってるの?少しは早く帰って勉強するとか…」 と、小言を言った。「もぉっ、ほっといてよ!」由香は冗談めかしにそう答えるだけだった。それから、彼女は、フト、リビングでテレビを観ている父親の存在に気付いて足をとめ、「パパ、いつスケッチ旅行から帰ったの?!」と、明るい笑顔になった。
 …そう、由香は、「凡人」の母親は嫌いだったが、「天才画家」の父親は大好きだったのだ。
「あぁ、ついさっき火星のコロニー(宇宙空間に浮かぶ人口衛星巨大都市)からスペースシャトルで、ネオ成田空港に着いて帰ってきたばかりだよ」
 由香の父親。少女の誇り。憧れの父は、もの静かな口調でそう答えた。この父親の名前は赤井宝林(ほうりん)という。ルックスは由香の大好きなルノワールのようにも見える。細身、パリジャンのようなスーツ、片手にもったパイプ、そしておだやかな瞳の五十才。 宝林とは、実はペンネームだ。本当は、赤井大という。だい…じゃない。まさる…だ。日本を代表する洋画家であり「天才」と呼ばれているくらい凄いひとだ。
「じゃあ、パパ」
 由香は魅力的な笑顔を父親にみせると、自分の部屋へと駆け出した。
 ちなみに、宝林は、お馬鹿の蛍のように「アニメ番組」をみていた訳でも、アイドル歌手がよく出没する「ミュージックS」という音楽番組をみていた訳でもないし、ましてや低レベルのワイドショーをみていた訳でもない。
「週刊美術」というNHHKの教養番組をジックリみていただけである。…

  由香の部屋は、お馬鹿の蛍のような少女趣味系の部屋ではない。というよりほとんど何もない。あるのは、おおきなキャンバスの山。絵の具箱にパレット…筆…。スケッチ・ブック…それと素朴なベットだけだ。それが彼女らしい。ほんわりした空間だ。
 どこにも教科書や哲学書・参考書などないのはこの少女のイグノランス(無知)さの現れでもある。でも…本は山のようにある。しかし、それらは美術雑誌である。ルノワール特集、ドガ、マネ、アングル、シャガール、ゴヤ、ダリ…著名な作家の名前が並んでいる。「…とにかく、頑張らなくちゃ!パパに負けてられないわ」
 由香は懸命に五十号の大作に取り掛かっていた。かなりにピッチで筆がキャンバス上を踊り狂う。繊細なタッチ、表現力、絵の具の塗り方…。それは、なにか少女らしい可憐さが漂っていて印象的なきらきらと光るような絵だ。
 絵のテーマは、やはり少女である。可愛らしいパリ・ジェンヌの日常の生活と喜び・幸福と夢…。なんのことはない……ルノワール風の絵である!!
 しかし、そんな自信満々の由香も、
「……ううん」と、筆をとめてから少し不安気に瞳を閉じていた。心の中での葛藤。
「サロンで入選できるかなぁ。でも…落ちたら…どうしよう。……私には絵しか…ないのに…さぁ」
 由香は珍しく落ち込んだ口調で呟いていた。

  一方、お馬鹿さんの部屋では、なにやら怪しげな二人組(蛍とセーラ)が真剣な表情で座って話をしていた。セーラが口火をきる。
「やっぱりおかしいわよ!私の姿がみえるなんてさぁ」
「でも…あたしにだって見えたんだから…」
「それは、蛍ちゃんが伝説の戦士だったからでしょう?!」
「…ううん」蛍はそわそわと立ち上がった。そして「あのさぁ。……テレビ観たいんだけどぉ。はやくしないと『セーラ・ムフーン』(アニメ)が始まっちゃうのよねぇ」
 と、馬鹿らしい主張をした。
「………え?」セーラは何とも情なくなったるなんでいつもいつも蛍ちゃんってばこうなのかしら?妖精は深く溜め息をついてから、
「あの蛍ちゃん。あの由香ちゃんって子、気をつけた方がいいわね。もしかしたら……魔界の手先かも知れないわよ」
「あはは…まさかぁ!」蛍はふりかえりもせずに一笑すると、リビングのTVでアニメ番組を観に部屋を出ていった。…なんとも低レベルな女の子である。…

  次の日の朝。由香の自宅の玄関先。
 由香は、元気いっぱいに学校に向かって
「いってきまぁーす!」
 と駆け出した。そんな由香を呼び止めるため、「あ、待って由香」と宝林は声を出した。そして、ニコリと笑って振り返った愛娘に、
「実は、今週の金曜日に、東京銀座四丁目にある画廊で個展を開くんだ。よかったら、友達もつれてみにおいで!」と、告げた。もちろん由香は、
「はーい!」と明るく返事をしたのだった。

  誰にでもなんらかの特技があるものだ。どんな人間にだって平等にチャンスは与えられる。そうしたチャンスを生かせないのは努力をしないからだろう。タレント(才能)などというものはダイヤの原石と同じで、磨かなくては光らないものだ。…そうした努力を、まがりなりにも、赤井由香はしているように思う。…レイジー(怠け者)の蛍とは大違いだ!
 由香は、午後の部活の時間に、学校の美術室で静物をなにやらニヤニヤとしながらスケッチしていた。もちろん椅子に座ってだ。だけど、広い室内には誰もいなかった。
 別に美術部員が赤井由香だだひとり…という訳ではない。単に、他の部員は「無気力」なだけであり、また由香ほどの才能もないだけ。だからサボってるのだ。
 別に美術部員というものは、日本中の学校でもそうであるように五人くらいいればマシな方である。蛍と由香の学校と有紀の通う青山町学園では六人なのでかなりいい方なのだ。そしてどこでもそうなように、担任は「画家になれなかった」美術の先生であり、例によってこの先生もサボッているっていう訳である。
 孤高のアーティスト由香はたった一人で……などと書いても仕方がない。
 いつのまにか蛍が美術室に忍び込んでいて、真剣な表情で由香の背後から「絵」を覗き込んで、
「いやぁ、さすがは、天才画家”赤井たからばやし”の娘だねぇ。上手なもんだわ!」
 と、感心してほめた。
「たからばやし…じゃなくて宝林(ほうりん)よ!宝林(ほうりん)!」
 由香は少し呆れ顔でいった。蛍は、
「…そ、そんなことわかってるわよ。ジョークよ、ジョーク!」なんて言ってる。
 ちなみに蛍は部活動はなにもやってない。幼稚さを生かして「マンガ部」にでも入部すればいいのかも知れない…。
「ねぇ、蛍」由香は、フト、筆を止めて、素直な顔で横にいる親友に「あんたも描いてみる?」と笑顔をみせた。
「うん、いいよ」蛍は自信たっぷりに返事をして「まあー…みててよっ。この蛍ちゃんの才能、才能ってもんをお見せするっしょ!!」
 と、いってサラサラと何かを描きあげた。
「ーどう?」
「どれっ?」由香は絵を覗きみて、思わずズッコケてしまった。…蛍の描いたのは、何と、”トラエモン”というアニメの主人公だったからだ。しかも、随分とヘタクソである。
 ひたすら蛍という女の子は低レベルだ!
   やがて夕暮れになって、蛍と由香はオレンジ色に染まる誰もいない下校道を、自宅にむかってトボトボと歩いていた。仲良しの二人…。オレンジの雲がゆっくりと流れていた。やがて、暗い夜がくる。二人はそれを待ちたい気にもなった。
「…そうだ。今度さぁ、うちのパパの個展があんだけどさぁ。どう?みんなと一緒に行かない?!」
「…あぁ。赤井たから…じゃなくて宝林さんのこてん…?こてん…っていうと古い話の?」「それは古典っ!」由香は静かに「個展っていうのは「個人が開催する展覧会」ってところかしらね」
「へぇーっ…」蛍はなんとなく感心した。そして、「もち(ろん)、その個展にいくっしょ!」と、明るくいった。ちなみに蛍に北海道系の訛りらしきものがあるのは別に北海道に住んでいたからではなくて、『北の故郷から…94初恋』とかいうテレビドラマの再放送を熱心に観ていたら口グセになっただけである。
「でもさぁ。」蛍は少し上目遣いで甘ったるい声で「私は、由香ちゃんが羨ましいよ。だってさぁ、絵の才能ってもんがあるんだもの…」と呟くようにいった。
「あんただって才能くらいあるわよ。例えば、あんたはアニメ・ソングを二百曲暗記しててカラオケで歌えるじゃないの」
「…でも、そんなの才能じゃないもん」
「……まぁ、ね」由香は冗談めかしにうなづいた。そして「まぁ、私の才能…いいえ、天才ってもんを見ててよね!絶対にサロン…つまり官展に入選して…いつかイタリアのパリ(フランスの!)に旅立つんだからっ!!」
「…かんてん…っていうとあのブヨブヨした…」
「ーそれは食べ物の寒天っ!」由香は感情的になって続けた。「私はパリに行ってさぁ。いつかは、日本の天才描家…もしくは日本の女ルノワールって呼ばれちゃったりする訳よ!」と夢を語った。いや、叫んだ。
「……ル、ルノワール……?」蛍はきょとんとして足りない頭で考えてから、「あぁっ!」と考えが浮かんだ。なんだ!ルノワールか!!
「へえーっ、由香ちやん…喫茶店始めるんだぁっ」
「…へっ?」
「だってルノワールって喫茶店の名前のことでしょ?よく、街にあるじゃん」
「なにいってんのよ!ルノワールってのは描家の名前のことよ!!」
 由香は思わず蛍に飛び蹴りをくらわした。

    ・
「……なんか、羨ましいなぁ。由香ちゃんには大きな夢があってさぁ。…私なんて何もないもんなぁっ。」
 由香と別れた蛍は、ひとりっきりの黄昏た街路地を歩きながらそう呟いた。そして、少しだけ遠くをみるような寂しげな瞳になった。確かに、蛍には「大きな夢」はない。「小さな夢」もない。何もないのだ!
 かなりの、自分に対しての失望感、諦めの気持ち、臆病者の気持ち、自分の無能さに対しての嫌悪感……それらは蛍のちいさなちいさな胸をえぐるには十分な程の大きさだった。「…はぁあ。」
 なんとなく蛍は、大きく溜め息をつくしかなかった……。

  赤井宝林の「個展」の準備はなんとかうまくいっていた。彼は、少し楽しそうな気分で、「絵」をどこに置くのかなどをアシスタントに指示していた。
「…あれがターゲットの男か……」
 壁にもたれかかって、遠くから宝林の姿を覗きみていたフィーロスは冷酷な瞳のまま低い声でそう呟いていた。あれが「輝石」の持ち主…?!

「ねぇ、いこうよ個展っ!」
「ーこてんっていうと古い話しの…?」
「まぁ、いいからいいから!」由香は蛍の二度目のギャグをさえぎるように言うと、続けて、「さぁ、早く行きましょうよ!」
 と、元気よく、蛍とあや、良子、奈美にいった。ちなみに、ここは学校の教室だ。そして、もう下校の時間である。
 赤井宝林こと、由香のパパの個展開催の日になっていた。もう、金曜日だ。
 こうして、お馬鹿さんと仲間たちは、教室を抜けて廊下をかっ歩して出した。…すると、 あの「可愛らしくておとなしい文学美少女」こと黒野有紀が、そんな五人とすれ違った。有紀はいつものようにうつ向き加減で、肌は病人のように青白い。しかし、可憐でもある。「お友達がひとりもいないのよ」という噂はじつは本当であって、秀才の美少女「黒野有紀」はいつも孤独だった。誰とも話せない。ダイアローグ(対話)ができない。いや、したくっても「お友達」がいない。
 そんな影響だろうか?有紀の可愛らしい大きなおとなしそうな瞳の置くにはどこか「影」がある。ちいさな淡い桃色の唇は「暗さ」をあらわしているかのように、少しだけキュと閉じている。
 彼女は「お勉強が出来る」「可愛らしい」そして「やさしい性格」……それだけの女の子なのかも知れない。それはそれで素晴らしいのだけれど、自分自身でパフォーマンスできない、もしくは表現できない…という性格はマイナス面が多すぎる。
 誰だって「神」じゃないから、話しをしたり何かを見たりしなければ「そのひとの良さ」などわからないものだ。だから…黒野有紀という少女は他人からは「頭はいいかもしんないけど、なんかあの子暗いのよね。一緒にいるのも嫌って感じよね」といつも思われるのである。
 でも、蛍や由香は違った。彼女らは、
「あ。あのぉ、有紀ちゃん」
 と、少し遠慮気味ではあるけれど、ふりかえって、有紀の後ろ姿にそう声をかけた。
「……。」有紀は少し驚いた様子で、静かに立ち止まって蛍たちのほうへ振り向いた。有紀はちょっとドキドキしていた。なぜなら、そんな風に親しい口調で話しかけられたことがいままでなかったからだ。…私のこと…?
 しかし、有紀はほとんど何の感情も顔に現さなかった。いや、その大きな瞳は、どこか恐怖心と嬉しさが混じったようにきらきらと輝いても見えた。
「……。」有紀は人見知りのはげしい性格を現すかのように、ジッと上目遣いの不安気な視線を蛍たちに向けていた。なんとなく有紀の手足や肩が微かにふるえても見える。
「……あ、あの…」有紀はやっとのことで、微かな声らしきものを発した。と、同時に気の弱い子供がよくやるように細長い両手首を胸元にオドオドと持ってきて…ギュッと両手をにぎりながら、また静かに黙りこんでしまった。……なんとも弱々しい女の子だ…。
 有紀は確かに声を発した。しかし、それは蚊の鳴くように微かで、あまりにも繊細な声であったため、誰も発言したことには気付かなかった。
「あのさぁ、有紀ちゃん。私たち、これから…「絵」をみにいくことになってんのよ。」蛍に続いて由香が「そう。…それでさぁ。どう?一緒にいかない?楽しいかどうかはわからないけど、けっこうボンジョビ……じゃなくてエンジョイできるかもよ」
 と、魅力的な笑顔でいった。
「……」有紀は微かに、ほとんど誰も気付かないくらいに、微かに口元に笑みを浮かべた。しかし、それも一瞬で、すぐに不安な顔になり、
「……あの、その……ごめんなさい…。私、これから塾にいかなくちゃならない…の。だから…そのぉ…」
 と、オドオドと、蚊が囁くように呟いた。
 だけども、やっぱり誰にも聞こえなかった。
「…え?有紀ちゃん、今、何かいった?」
「まさか!幻覚…じゃなくて幻惑…じゃなくて幻想…じやなくて幻々?!…ね」
「ちょっと。何、ゲンゲンゲンゲンいってんのよ。由香ちゃんってぱさぁ、頭悪いんだから…あんまり難しい『英語』使わないほうがいいよっ」
「な、なに言ってんだか、この馬鹿蛍!」
 由香は少しムッときて怒鳴った。そして、気分を落ち着かせてから、おだやかな口調で、「あの、有紀ちゃん。一緒にいくわよね?」
「……あぁ。だから…その…私…」
 やっぱり有紀の声はきこえない。
「ねぇ、いこうよぉ。一緒にさあっ。たいした絵じゃないけどさぁ」蛍は失礼なことをいった。由香は呆れて「ぁんたねぇ…いっていいことと悪いことがあんでしょ…?!」
「…あの…ごめんなさい。その…」
「……え?」
 ほんの微かではあるが蛍と由香の二人組は有紀の弱々しい声を聞いた…ような気がした。「……え?え?え?」ふたりはオドオドと立ち尽くしている黒野有紀の口元に、静かに耳を近付けた。そして…、
「…あのっ。ごめんなさいね。もう一度、いってくれるかしら?」と明るくお願いした。「…あの…」有紀はやっと動揺した声で囁いた。「…だから……ごめんなさい。私…いけないわ」
「…?!何?」
「………いけないの」
「……あ?あぁ。いけない……え?行けないの?!」
「…えぇ。それじゃあ、私、これで……」有紀はそういうと、身を翻した。
「え?何っ?なんていったの?」
「……。」有紀は何も答えずに、そのまま可憐な足取りでゆっくりゆっくり歩き去った。 蛍と由香は、うーん、と頭をひねって「なんていったのかしら…ねぇ?」と思わず呟くしかなかった。

  東京銀座四丁目の画廊「ギャレット・ラ・パームズ」の室内はさほど広くはない。
 広くもない室内にはついたて板が並んでいて、絵は額に入れて吊されていた。その絵とはもちろん赤井宝林の洋画のことである。
 蛍たちは個展会場へ向かって明るく、やはり「無駄話しながら」並んで歩いていた。
「あのねぇ。蛍ちゃん、蛍ちゃん!そんなことしている場合じゃないでしょっ」
 突然、空からひらりととんできたセーラが蛍に近付いてきて、そんな風に呟いた。ほとんど、誰もがその存在を忘れるほどに、この妖精はどこかに姿を消していた。そんなこともあって…、
「…誰?あんたは誰かしら?あんまり姿がみえないんで私忘れちゃったよ」
 と、蛍は冗談めかしにいった。
「あの…ねぇ。もおっ」妖精は少し言葉をつまらせてから。熱っぽい口調で「そんなことより…魔の女王「ダンカルト」の魔の手がこの地上に刻一刻と迫ってきているのよ。特訓とかしてさぁ…戦士としての自覚をもってもらわなくちゃ困るのよねぇ。それに…」
「まぁ、まぁ!」蛍はカラカラと笑っていった。「いいじゃん、今が楽しけりゃ!」
「…あのねぇ」セーラはやたらと呆れてしまった。まったく蛍ちゃんってば…。
「そういう考えだから…!!…あ、ちょっと待ってよ!」セーラは「お説教」を呟き出したが、それは無駄だった。蛍が、何も聞きもせずにスタスタと遠くまで歩いていったからだ。 そして、そんな蛍に付き合って呆れた時に口ずさむセリフ、口癖になってしまったロゴス(言葉)「…あのねぇ。もおっ、知らない!蛍ちゃんなんて大っ嫌い!」を溜め息まじりに妖精セーラはあもわず言ってしまうのである。そして、
「……なによ、何よ、もおっ!妖精だとおもって馬鹿にしちゃってさぁ!蛍ちゃんなんて……馬に蹴られて死んじゃえーっ!!」と可愛らしく癇癪を起こしてしまうのであった。

  画廊「ギャレット・ラ・パームズ」の人気のない会場内の一角にたっていた赤井宝林は戦慄した。冷酷で無慈悲な魔物・フィーロスが襲いかかってきたからだ。
「…うっ」
 フィーロスは「静かにしなさい」と、暴れる宝林を押さえ込んで、左手を宝林の胸元にあてた。宝林の胸元から白い閃光が四方八方に飛び散って放たれていくと、芸術家は「…ぐうっ」といって気を失って気絶してしまった。だが、フィーロスの期待どおりにはならなかった。フィーロスの望んでいたものは手に入らなかった。
「…なによ。もぉ。この男…トゥインクル・ストーンの持ち主ではないじゃないの!!」
 フィーロスは怒りを顔に現して吐き捨てるようにそう言った。そして、しばらくして、「…そうだわ。この男を操って…例のマジックエンジェルをおびきだせば…」
 フィーロスはそう呟いてニヤリと悪魔の笑みをうっすら浮かべると、鷹のような鋭い目をギラリと光らせた。そう、魔術をつかったのだ。
「…ーヴうっ」赤井宝林は悪魔のパペット(操り人形)と化して、控え目な瞳を曇らせ手、ギラリと眼光を赤色に輝かせていた。つまり、エクソシスト(悪魔払い師)の造語でいう「悪魔付き」になったのである…。

 蛍たちは個展会場である画廊「ギャレット・ラ・パームズ」になんとか辿り着いていた。なんとか…とは、着くまでに、例によって「より道」を何度も繰り返したからである。個展会場はけっこう人込みがすごかった。そんな芸術の熱にすこしだけ押される感じで、蛍たちは会場をかっ歩していった。
「…あの…蛍ちゃん…蛍ちゃんってば……」
 妖精はこりもせず「出来そこない」の耳元の近くをひらひらと舞い飛びながら呟いた。「蛍ちゃん…!ちょっと…無視しないでよ!!」
 次の瞬間、蛍はセーラの顔をキッと睨んで「う、騒さいのよ!もおっ」と、なぜかポケットから殺虫スプレーを取りだして、噴射した。
「…ごほっ、ごほっ」セーラは煙りにむせかえってから、
「ち、ちょっと!ちょっと!なにするのよぉ。私はハエじゃないのよっ!!」
 と、激しく憤慨して叫んだ。いや、怒鳴った。もおっ、何を考えてるのよ蛍ちゃんは?

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MAマジックエンジェルほたる「魔術天使螢のファンタジックな冒険活劇」小説2

2013年09月23日 06時19分03秒 | 日記
 青沢蛍は「彼女らしい」寝言をいいながら眠っている。この娘は、バカか?
悦にひたる蛍の横のベットの端で、身体を横にしていたセーラは呆れ顔で眉をピクピク動かしながら、
「この娘ってば…ほんとうに伝説の戦士なのかしら?」と呟いた。そして、もおっ、と頬杖をついてプイっと顔をよこに向けていた。
 まったくなんて娘なの!!

  次の朝。蛍たちの通う青山町学園の期末テストの日だ。ドジな蛍は、いつものように寝坊すると、大慌てで学校にむかって駆け出していった。
「あ、待ってよ!蛍ちゃん!」
 セーラは蛍の後を追ってフワッと飛んだ。
  テストはいたって難しかった。いや、蛍にとって由香にとっては、とてつもなく難しかった。彼女たちにとっては「ルート」とか「645年大化の改新」とかいうのは暗号のようにでも思えるのだろう。まぁ、はっきりいって「そうした知識」は社会では何の役にもたたないけど…。それでも、知らないより知っていたほうがマシではある。
「…よし、いくのよ、セーラ!」
 机に座って答案用紙に顔をむけていた蛍は真剣な表情で、顔の近くに浮いていたセーラに囁くように小声で命令した。
「……でも…ねぇ。」
「さっさと行くのよっ。私のテストの成績がかかっているんだから!!」
「…だって……さぁ…」
「あんた、私がテストでまた0点とかとってもいいっていうのっ?!」
 セーラは眉をひそめて、おそるおそる、
「…そんなに頭が悪い…の?」と尋ねた。
「…そういう見方もあるかしらねぇ。でも、それもチャーム・ポイントのひとつよ。ほら、女の子は少し馬鹿な方が可愛い、って男の人がよくいうじゃないの」
「…そんなこときいたこともないわよ」
「ええっ?!でもさぁ、女性雑誌の『ティーンズ・エイジ』っていうのの占いコーナーにのってたもん!」
 セーラはやたら呆れてしまった。ひどく虚しくもあった。
「…あのねえ、蛍ちゃん。占いだとかオマジナイとかはほとんど嘘なの。デマでしかないのよ。だいたい少し考えればわかるでしょ?”牡羊座のO型の今月の運勢は?”とかいうのだって”牡羊座でO型の人間”なんて何百万人もいるのよ。その何百人もの人間がすべて”恋はちょっとダメ”だったり”勉強はまぁまあ”だったりとかすると思ってるの?
 そんなわけないわよね?それと…頭の悪い女の子の方が可愛い…なんていうのもデマね。誰だって「頭のいい女の子」の方が魅力的だとおもうんじゃないかしら?蛍ちゃんみたいに考えている女の子がいるとしたら、それはただの怠惰っていえるわね」
「タイダ…ってどういう意味っ?また英語っ?」
 セーラは首を少し振って、
「怠惰…。つまり怠けて努力しない。あなたは、お勉強をする努力をなまけているだけなのよ!」
「へん」蛍は癪にさわった感じで顔をそむけて、次の瞬間、セーラをキッと睨んで、
「…もおっ。いいからさっさと行くのよ!」
 と低い声で、もう一度、命令した。「そうしないと…封印なんて絶対にしないからね!」 セーラは「……う」としばし絶句して、それから「…わかったわよ」と情ない声でいった。本当に情なかった…。というより少しだけ腹立たしくもあった。なにも命令されたからではなく、蛍という少女のメンタリティの低さが情なく、また悲しかったのだ。
 どうして蛍ちゃんって、こうなのかしら?
  妖精セーラの姿は、答案用紙に目を通している同級生たちには絶対にみえない。それをいいことに、蛍は、セーラに「同級生たちの答案を覗き見て自分に教えるように」命令したのだ。恥知らずなオポーチェニズム…いやたんなるシェイムレスネス(恥知らず)もここまでくると絶賛に値する。…限りなく低レベル…だ。
 もぉ、なんで私がこんなことしなくちゃならない訳…?妖精セーラは愚痴を呟きながらも、「お馬鹿さん」に答えを伝えまくった。
「……なにかしら?あれっ」
 由香は、フト、妖精の姿や存在に少し気付いて独り言を呟いた。
   ・
 こうしてテストもすべて終了した。
 狡猾で老獪な蛍(この瞬間だけ)は、あまりに旨くいったので嬉しさが胸元から沸き上がってきて、笑顔になっていた。なにかすばらしいものが口から飛び出してそうな錯覚にも襲われた。とにかくハッピーだった。その表情は「お馬鹿さん」そのものだ。
 場所は、午後の体育館の裏であり、蛍とセーラは白い壁にもたれかかって話をしていたのだった。陽射しが辺りを真っ白にしていた。しんと光ってた。
「いやあ、それにしても…うまくいったねえ」蛍はニヤニヤして続けて「ごくろうさん、セーラ。あんたはよくやったよ!」
「…あのねぇ。」妖精は苦笑してから、気を取り直して熱心に言った。「そうそう、蛍ちゃん!ちゃんということきいてやったんだから…「封印」してくれるんでしょうね?そうよね?」
 その言葉の次の瞬間、蛍は
「嫌よ!」とカラカラ笑った。
「な?!なによっ。ひどいじゃないのっ!」
 セーラは激しく抗議した。「約束やぶるなんて最低っ!最低の人間のすることだわ!」「約束なんてやぶる為にあんのよ」
「そういうのを「身勝手」とか「恥知らず」とかいうのよっ!どっちにしてもレベルが低いわね!!」
「どうせノヴェルが低いですよ」
「ノヴェルなんて言ってないでしょ!レベルよ、レベル!ノヴェルなんていうのは小説のことよ」
 セーラは息を荒くして怒鳴った。…いやはや疲れる。この蛍という「出来そこない」には何をいってもわからない。馬鹿につける薬はない…とはこのことだ!
「蛍っ!」
 フト、気付かないうちに、赤井由香が近付いていて、そんな風に明るく声をかけてきた。由香はいつものように、可愛らしい猫のような瞳をきらきらと輝かせてとても眩しい。
 わっ、とセーラは驚いて素早く蛍の背の陰へとかくれた。なんとか見付からなかったらしい…。でも、まてよ!そういえば普通の人間には妖精に姿はみえないんだったわ。セーラは苦笑した。
「あら、由香ちゃん。何か用?」
「…あんた。」由香は皮肉たっぷりに微笑して、前髪を右手でかきあげながら、「あんた、カンニングしたでしょう?!」
 と、冗談めかしに尋ねた。ー確かに…。
「な?!な、な、な、な……何いってんのっ?!馬鹿じゃないのっ?!」
「ほらっ、そうやって慌てる所が怪しいのよ!」
「べ、別にっ、慌ててなんてないもん!!」
「慌ててるじゃないのっ。…もおっ、馬鹿なんだからさぁ。あたしはあんたとは幼稚園の時から一緒だったんだから…。そういう私に見えすいた嘘が通用すると思ってんの?!」
 蛍は少し黙ってから、苦しい声で「別に…嘘なんてついてないわよ!」と叫んだ。
「……」由香は、怪しいなぁ、という視線を蛍にむけてから、可愛らしい猫目をきらきらと輝かせて、
「…そういえばさぁ。話はかわるけど…あんたの瞳はいつもと違うわね。きらきらと輝いてるっていうかさぁ。何か特別なことでもあったんじゃない?」
「……え?なんでわかるの?」
「そりゃあ、ねぇ。」
「そりゃあ、ねえ……?まあ、いいや。じゃあ、何があったと思う?!」
「うーん」由香は足りない頭を回転させてから、ニヤリと笑って、「わかった!カラー・コンタクトにしたのね?」と真剣に言った。
「つまんない」蛍はつまらなくてズッコケてしまった。やっぱり由香も低レベルだ。
  螢は息を呑み、心臓が二回打ってから、「つまんないこといわないでよ」といった。 しばらくしてから由香は、
「そうだ!早いとこ『ムーン・ライト』に行きましょうよ!」と無邪気な笑みでいった。「うん。そうだね!!」
”お馬鹿さん”コンビはそういうと駆け出していった。ちなみに『ムーン・ライト』とは英語で「月明り」の意味だが、まさかふたりが月面にいった訳ではない。『ムーン・ライト』とは蛍たちの住む青山町にある喫茶店の名前のことである。

「うーん。やっぱり、勉強のあとに飲むオレンジジュースって最高よねっ」
「いやいや。やっぱ、さぁ…コーラで決まりっしょ!」
  蛍と由香の二人は、喫茶店『ムーン・ライト』のテーブルに座って顔を見合わせて、くだらない話をしていた。ーちなみに、日本のオレンジ・ジユースのほとんどは輸入品の「カリフォルニア・オレンジ」だったり「コカコーラ」が優位にたっているのは日本国内だけでアメリカ本土では「ペプシ」のほうが人気があることなどは詳しくは書かない。知らなくていいことだからだ。
「やあ、蛍ちゃん、由香ちゃん」
 喫茶店『ムーン・ライト』でアルバイトをしている蛍たちの一年先輩の鈴木直樹が笑顔で声をかけてきた。この男の子は、けっこうハンサムだ。だが、いかんせん男の「ダンディズム」だとか黒人男性にありがちな「セクシーさ」だとかは微塵もみられない。何処にでもいるような普通の男の子。誰もが「優しそうだね」と感じてしまうような少年だ。
 彼は確かに不思議な印象を与える人物だった。年は螢たちと同じように見える。すらりと細い身体に、がっちりとした肩や首がクールな感じにみえる。ちょっと見には彼の制服はぴったりなのだが、唯一、瞳だけはきらきら光ってみえる。
 鈴木先輩…っ。蛍は鈴木直樹と、フト、目が合って、ポッと頬を赤くした。恥ずかしかった。じつは蛍は鈴木先輩のことが好きだった…いや憧れていたのだ。惚れていた…のだ。 ラブ・アット・ファースト・サイト(一目惚れ)。
 いやいや、ファースト・サイトではない!なぜなら以前から存在は知っていたのだから…。
 愛や恋とは、ある種、突発的なものであるのかもしれない。「恋愛のおまじない」に毒されると「理性」や「知性」があっても逃げることは出来ないのかも知れない。…愛には「エロス(愛欲)」「クピード(欲望)」そして「アガーペ(神の愛)」などがある。
エロス、クピード…などというとなんとなく俗欲的な…下半身的な…というニュアンスがしないでもない。だが、それらはある種の意味あいがあるのだ。エロスとは人間関係ノなかで芽生える愛であり、クピードは欲望…言い換えれば「自分はこうありたい!」というハングリー精神ともいえる。…アガーペは、
 レイモンド・チャンドラー著「長いお別れ」の主人公フィリップ・マローウの有名な台詞「タフでなければ生きていけない。…優しくなければ生きる資格はない」という優しさと同意語だ。他人を思いやる優しさ、博愛「他人の痛みを自分の痛みのように考えて、時にはともに涙を流し、そして神のような心で他人を愛していく」
 たとえば、マザー・テレサのように…。ああいう聖なる愛こそがアガーペなのだ。
 ところが日本ではどうか?
 遊ぶ金欲しさ、ブランド品欲しさに「援助交際」などと称して売春し、「オヤジ狩り」などと称して強盗する。陰湿なイジメを繰りかえして自殺に追いこんでもなお反省もなにもしない。平気で他人に罵声を浴びせ掛けたり投石するメンタリティー。
 こういう連中には「愛」を語る資格などない!といえなくないだろうか?
 …話しを元に戻そう。
「…あたしさぁっ。今度のテスト…けっこう自信あんだ。もしかしたらクラスで一番かもしんないよぉっ」
 鈴木が立ち去って、しばらくしてから、蛍は甘ったるい声で由香にそう言った。
「ああ、わかってるわよ。…クラスで一番の最下位ってことでしょう?…いつものことじゃないの」
「…ち、違うわよ!!その逆!」蛍は反発して、オーバ・ジェスチャーで明るく宣言した。「今度のテストで、あたしは「クラスで一番のトップ」になってやるんだからぁっ!」
 由香は呆れて眉を少しだけ動かして「そりゃあ無理だわね。…例え地球が滅んだって、宇宙人が攻めてきたって…ありえないわよ!阪神タイガースがリーグ優勝する確率くらいに無理な話ね。ーいわば、そんなことをいうのは、クレイッ……クレイターよ」
「クレイター?何よ、それっ?!どういう意味なのよぉっ」蛍は皮肉っぽく尋ねた。
「……クレッターだったかしら…?クリッター?クラッター?クラッカー……?」由香は足りない頭をひねったが答えが出ずに、ついに、そんな自分自身に癇癪を起こした。「もおっ!!なんで私ってば…いつもいつもこんななのよオ!」
「そりゃあ由香ちゃんが、「お馬鹿さん」だからじゃないのかなぁ」
 蛍は堂々と熱意をこめて皮肉をいった。
「な、な、なんですって?!あんたねぇ!あんたみたいな本物の「お馬鹿さん」にそんなこといわれたくないわねぇっ」目を火のようにぎらつかせて、由香はいった。
「あんたはいつもいつも、ほとんど、毎日、テストで5点とか0点とかとってるじゃないのよぉ!そんな人に「お馬鹿さん」なんて言われたくないですよぉだ!この馬鹿蛍!」
 蛍はきっと由香を見た。「ち、ちょっとさぁ!それってば言い過ぎなんじゃないの?!」”憤慨して叫んだ。「由香ちゃんだってさぁっ、テストで6点とか1点とかばっかじゃんよぉっ!!ほとんど私と変わらないじゃんよ!!」
「じゃあねぇ」由香は切り返した。「じゃあ、一+一は?」
「…え?」蛍は少し考えてから、自信あり気に「そりゃあ決まってるっしょ?!もちろん漢字の”田”よ」
「はっ?」由香はそう声を出してから、馬鹿馬鹿しい、という顔でニヤリと笑って、
「そりゃあ、あんた。トンチじゃないのっ。金太郎じゃあるまいしさあっ」
「…違うよ。トンチで有名なのは…花咲か爺さんだよぉ」
「ええっ!そうだっけ?でも確か…牛若丸だったような気もするけどぉ…」
 ”出来そこない”のふたりは頭をひねった。冗談でいってるのではなく本当に知らないところは甚だ滑稽だ。(ちなみにトンチで有名なのはキッチョムさんだったり一休さんなどだ)
 フト、蛍と由香はじっと顔をのぞきこんだ。そして、何もかも忘れたかのようにほんわりとして、
「まぁ、いいか!そんなことどうだって!!」
 と声をそろえて笑いあっていた。


  魔界とは、文字通り「魔物の住む世界」のことである。ギリシア神話でいえばハデスが支配する冥界に似ている。石灰岩質の岩山ま多い地域に薄暗い鍾乳洞があって、そうした巨大な空間が冥界である。ハデスはその冥界の王だ。そして魔界をいま支配するのは魔の女王ダンカルトだった。ダンカルトは石造りの魔物のような大きな化物だ。
 薄暗い空間。長い支柱…。魔界の「三騎士」とよばれる人間らはゆっくりと魔の女王の前へと進んだ。この「三騎士」と呼ばれた人間たち…いや、正確には人間の姿をした魔物の名は、アラカン、フィーロス、ダビデ、であり、アラカンとは「魔天使」アルカンのことだ。アラカン、ダビデは男性の姿をした魔物で、フィーロスは美貌と知性と残忍性をかねそなえた女性の姿をしている。スマートな体躯、細長い顔に足首、きらきらした髪、鷹のような鋭い目、肌は青白く透明に近い。服装はまるでナチスのゲシュタポが着ていたような「道徳上好ましくない」ものでもある。腰には重そうなベルト、突撃隊のようなアグレッシヴなロング・ブーツ…。
 まさに人類にとって、ペルソナ・ノン・グラータ(好ましくない人物)たちである。
 フィーロスはダビデとピッタリとくっついて立ち、魔の女王ダンカルトと向き合った。忠僕アラカン、ダビデ、フィーロスは尊敬的で丁重な言葉で、
「御機嫌うるわしゆう、ダンカルトさま」と挨拶をして頭をさげた。魔の女王ダンカルトはスペインのガウディの塔くらいに巨大で凄まじい存在感がある。
「地上の侵略の具合はどうか?」
 ダンカルトは低く響く声で、穏やかな口調のままいった。
「はっ。」アラカンの太い眉がピクリと動いた。
「誠にこのましい状態にあるといえます。ですが…地上を支配するためには、伝説の「トゥインクル・ストーン」という輝石が必要となるのです!」ここぞとばかりに、アラカンは「輝石」のことについて熱心に説明した。しかし、ダンカルトは表情ひとつかえなかった。
「トゥインクル・ストーンがなければ、我々魔界の者は…地上でわずか数時間しか行動することが出来ません。そして、その「輝石」はピュアな心を持った人間だけが身体の中に持っているものなのです!」
「ならば…なぜ、その石を奪ってこないのだ!」魔の女王の顔がゆがんだ。しかし、すぐに態度を和らげた。
「ダンカルト様!すでにピュアな心をもっていると考えられる人間の娘をみつけております」
 ダビデはいった。絶妙のコンビネーションだった。
「ほぉ……それは誰だ?」
「この娘です」と、ダビデは熱っぽい口調で答えた。そしてその次の瞬間、ダビデの指差す空間にホロ・グラム(立体映像)がゆっくりと浮かびあがった。その映像は、とてもはかない硝子細工のように輝いていた。そして少しだけ幻想的でもあった。
 だが、そうしたメランコリックな気分には浸ってられないのが現実というものだ。
 それはそうだろう。なんせ、その立体映像に浮かび上がった人物とは、何と、赤井由香だったからだ…。蛍の親友…。主人公のかけがえもない友…。そして「小悪魔」的な美少女、由香だ。どことなく、ジョディー・フォスターを憎ったらしくしたようなコケテッシュな魅力を持つ少女…。

  喫茶店で、思いっきり「馬鹿話」に花を咲かせた蛍は、「じゃあ!また明日ねっ、由香ちゃん」と明るく言って由香と別れた。もう、陽も暮れようとしている頃で、蛍はそんなどことなく寂しげな街路道を一人で歩いていた。淡いセピアが辺りを包む。うすい雲がオレンジに染まり、早足で流れていく。それは、幻想、だ。
 だが、けして「黄昏て」ではない。むしろウキウキとした気分で歩いていた。
「明日の、テスト結果が楽しみだわ」
 と、嬉しさでヤニ上がっていたのだ。非常に低いメンタリティ(精神性)だ。自分の実力でテストを受けたわけでもないのに……。この少女には恥を知る心…というものがどこにも存在していないのだ。
「ねぇ、ねえ、蛍ちゃん!蛍ちゃん!蛍ちゃんってば!」
 いままで、どこかへ消えてて姿を現さなかった妖精セーラがフイに飛んできて、そう声をかけた。ひさしぶりのことであった。螢は思わず息を呑んだ。
「なによ、セーラ。あんたいままでどこにいってたのよ?」
「…うーん、ちょっとね。それよりさぁ…」セーラは少し微笑んで、丁重に言葉を選んで、「あの、蛍ちゃん。そろそろ封印とかしてみちゃったりしてくれないかしら?」
 その言葉をさえぎるように、蛍は、
「嫌です!!」と言って、プイっと横を向いた。
「なによっ、もお。そんな言い方ってないでしょ!!」
 セーラは反発して言った。「そんな性格だからダメなのよ!少しは正直になって「わかったわ」っとか言えないの?!」
「もぉっ、うるさいのよ。黙っててよ!だいたい、妖精のくせに人間様に文句を言うなんて、百年早いのよ!!」
 セーラは、蛍のナマイキで傲慢な態度に対して、あまり感情的にはならなかった。ただ、「…あのねぇ、百年たったら、蛍ちゃんはもう生きてないでしょう?だから…いまいってるのよ」
 と、控え目な言葉で母親のようにいった。
 しかし、「お馬鹿さん」は、すでに遥か彼方へと遠ざかっていたので、何も答えなかった。セーラは頭痛がして、氷の杭を心臓に突き刺された感じの無力感と痛みを覚えた。
「…はぁ」セーラはなんだか疲れてしまい、そんな風にタメ息をついてから、「…本当に、あの蛍ちゃんが伝説の戦士なのかしら?もしかしたら私…勘違いしているだけだったりして…」と、心の底から呟いていた。

  由香の家は、さほど広くない。でもまぁ、日本という島国で「豪邸」などというのはまず無理な話しだ。地方ならまだしも、蛍や由香たちの住む青山町は埼玉という首都圏の東京に近い場所にあるからだ。
「……こんなもんかしらねぇ!」
 夜もだいぶ過ぎた頃、赤井由香は自分の部屋で、机にむかって真剣な表情でいった。そして、自信ありげにニヤリと微笑んだ。興奮し、頬が火照ってきた。
 別に「お勉強」をしている訳ではない。この少女の特技ともいえる「絵」を描いていたのである。「絵」とひとことでいってもいろいろある。古典、写実、印象、抽象、シュールレアリズム…。その中で由香という美少女は「印象派が好き」なのであり「印象派のなかでも「やっぱりルノワールが最高よっ!」
 と、いつも考えているのである。
 とにかく、そう思っている由香はよく少女画を描いている。それは別に悪いことではない。可愛らしい少女にはアーティスティック・チャームがあるからだ。広告的にいえば、「美女と子供と動物」は注目を集める三大要素だ。そういう意味からいっても、美少女画は注目を集めるのには理想的ともいえる。
 そして、今夜も、由香はスケッチブックに少女画をスラスラと描いたのである。それがうまく描けたので、
「…こんなもんかしらねぇ」
 と、思わずニヤリとしたのである。それは、きらきらと輝く表情。由香は、命がけで絵画を愛した。
 しかし、才能溢れる(かは知らないが)由香をジッと睨んでいる人間がいた。いや、人間ではなく魔物の「三騎士」のひとり、ダビデである。
「あの娘か……?」
 ダビデは夜空にフワリと浮きながら、窓からみえる由香の横顔を遠くから観察して、恐ろしいくらい低い声でいった。……


「よし。ー次、青沢っ、青沢蛍!」
  次の日の教室で、テスト用紙が返されていたる担任の神保先生に呼ばれて、蛍は冷静さを保ちながら教壇の前まで歩いていった。そして…、
「…あのぁん」
 と、意味不明の言葉を呟きつつ、先生の手からテスト用紙を掴みとった。
 いつも「冷酷で無慈悲な機械」と呼ばれて恐れられていた神保先生は、驚愕するほどにほんわりと微笑んだ。
「ほ、蛍っ!!すごいじゃないか!!先生、びっくりしたよ。…お前もやれば出来るんじゃないか!」
 神保先生はとても魅力的な表情で、蛍を褒めて、鋭い歯をきらきらと見せて笑った。
「えっ?」蛍は弾かれたように、右手に握っていたテスト用紙をバッと開いて慌てて覗き見た。そして、次の瞬間、
「う、嘘つ!!」と驚きの声を上げた。なんと、九十点だったのだ。蛍は感動して、
「…九十点なんて、いままでとったことないよ。…夢じゃないのかなぁ…?!」
 と、呟いた。いや、夢ではない!しかし、夢のほうがよかったのではないかと思う。自分の実力でテストをうけた訳ではないし、こうした嘘やズルはすぐにバレるものだからだ。「みんな、蛍がこのクラスのトップだ!なんとこの難しいテストで九十点(カンニングしたなら百点とれるのでは?)という成績だ!みんなも青沢を見習って、勉強をしっかりやるんだぞ!」
 神保先生は堂々と、そして青沢蛍を誇らし気にアピールして大声で宣言した。
「青沢蛍はバカではなかった!!やれば出来る人間だったのだ!」
 クラスの同級生たちの驚き、センセーションは凄まじいものがあった。驚愕、狂喜乱舞、喚声と拍手。とにかく、”出来そこない”の変貌はクラスの話題となったのであった。

  通路の掲示板に張り出された成績表の順位をジッと見て、ニヤニヤしているのはもちろん蛍だった。そんなにたいした順位ではない。しかし「お馬鹿さん」にとっては奇跡的な順位でもあった。ー学年で82位だ。
「へへへへへへ…っ」「やっぱり、さあっ。あんた絶対にカンニングしたでしょう?」
 となりでジッと順位表を見ていた由香が、そう嫌味っぽく尋ねた。「あんたが学年で82位だなんてさぁ…、まさに、ミラ……ミラージュ…ねっ!」
「もおっ、何をいってんだかぁっ。そういうのを負け惜しみっていうのよォーっだ!」
 蛍はニヤリと言った。由香は癪にさわって、「だ、誰がっ?!誰があんたなんかに!!」
 と、顔を赤くして怒鳴った。
 フト、ほとんど何の存在感もなく、一人のちいさな美少女が歩いてきて、順位表の前で立ち止まった。この女の子は、いつでも学年トップの成績をとっている「知的レベルの高い」お嬢さん、だ。…蛍たちとは人間が違う。
 知性と教養と才能にあふれ、しかも美貌をも身につけたチャーミングな美少女だ。男の子なら誰もが好きになるような、可愛らしくておとなしい文学美少女…である。いや、秀才少女である。知性的というと、どこか「冷酷な人間」のようにも考えられるが、そんなことは微塵もない。この美少女は、他人の痛みを知る…博愛に満ちた性格なのである。だけど、その分、おとなし過ぎていつもチャンスを逃してしまうほどナーバスでもある。
 しかし、彼女には素晴らしいチャームがある。
 なんといってもインテリジェンス(知性)に裏付けされたルックスだ。丸い顔、長くてさらさらした黒髪は両肩でおさげにしている。そして、おおきくピュアな瞳はこの少女のおとなしさを現し、全身は細くて肌は真っ白だ。胸はやっぱり大きくないけれど、それも少女らしさをあらわしている。ぴしっと制服を着て、背は低く、それも可愛い。
 その愛らしい唇から発せられる声は「薔薇色の声」、というより「よくききとれない声」でもある。あまりにも「か弱い」ので響かないのだ。
 その少女は掲示板を上目使いでみて、何の表情もみせずに、そのうち歩き去った。
「…あの子だれ?ずい分とおとなしそうなこじゃないの」
「あんた知らないのっ?まったく「お馬鹿さん」なんだからっ。一年A組の秀才少女、黒野有紀ちゃんよ。いつもいつも学年トップの成績をとるんで有名なこよ」
 由香はインテリのように蛍に教えた。そして「あんたとは頭の出来がちがうって訳ね!」と続けた。
「ひとのこと言えないでしょ!」
 蛍は思わず由香に飛び蹴りをくらわした。

  夕方。あらゆるものがオレンジ色に染まる時刻…そして空間。可憐な夕日とほんわりほんわりと揺れる雲たち。きらきらと光るファンタジック・ビジョン。それは永遠のように胸を締め付ける。なんともいえない景色だ。こういうものを大事にすべきだ。二人は思う。そして、螢と由香はそれを愛した。
 何ともいえないそんなしんと夕暮れの街路地を蛍と由香は歩いていた。ーそして、
「じゃあ由香ちゃん、また明日ね」といってふたりは別れた。しばらく歩いた由香は「ミッド・ナイト・ピース・ラブ・フォーエバー…」と上機嫌でなにかのアニメソングを口ずさみ、スキップした。もう蛍は、曲がり角を進んでいたので、姿は、見えなくなっていた。しかし、由香にとっては「そんなことはどうでもいい」ことであった。彼女の性格は、蛍のような「寂しがりやの甘えん坊」ではなくて「孤高を守る芸術家タイプ」なのだ。それが由香のパーソナリティだ。そして、それが彼女の強さだ。何が彼女をそこまで運んでしまったのだろう?しかし、そんな平凡で幸福な気分も、長続きはしなかった。おの残忍な「三騎士」のひとり、ダビデが由香に襲いかかったからだ。
「きゃああぁぁーっ!!」
 由香の激しい悲鳴を耳にした蛍は、ハッとして駆け出した。由香ちゃんが危ない!
 ダビデは「おとなしくしろ!」と、暴れる由香を押さえ込んで、左手を彼女の胸元にあてた。赤井由香の可憐な胸元から赤色の閃光が飛び放たれるていく。と、由香は、
「ううっ…」と小さくうなって気絶してしまった。だが、ダビデの期待していた通りにはならなかった。ダビデは怒りで声も震え、支離滅裂な言葉を発していた。
「くそっ。この娘は、トゥインクル・ストーンの持ち主ではない!」
 ダビデは顔をしかめて吐き捨てるようにいった。やがて由香の胸元から放たれていた閃光は輝きを失い、そしてフウッと音もなく消えた。次の瞬間、ダビデは、
「死んでしまえ!」と、ドスのきいた越えで叫ぶと由香の首根っこを締め始めた。このままでは赤井由香は死んでしまう!
「ゆ、由香ちゃん!!」
 やっと駆け付けた蛍はそう叫ぶと、頭から冷水をかけられたかのように驚愕して立ち尽くしてしまった。いったいどうしたらいいの?!あまりの恐ろしさで全身が小刻みに震えた。両脚がガタガタと鳴る。長くさらさらとした髪の毛が逆立つ。戦慄と恐怖で、体の力が抜けて、足はもつれる。「何やってるのっ?!蛍ちゃん、封印よ!封印するのよ!」
 いままで何処かに姿を消していた妖精セーラが猛スピードで飛んできて、慌てた口調で叫んだ。
「で、でも…」蛍は躊躇しながらも震える声で「…へ…封印ってどうするんだっけ…?!」「お札よ、魔物を封印せよ、よ!もってる赤いお札をかざして、いうの!叫ぶの!」
 セーラは熱意を込めて、祈るようにいった。もうやるしかないのよ!封印よ、蛍ちゃん! 蛍は大きく息を吐くと決心したように眉をキッとつりあげて、お札に手をかけた。そして、おもいっきり前にかざして、
「お札よ、魔物を封印せよ!」
 と、燐とした声で叫んだ。ー次の瞬間、カッ、と前にかざしていたお札から青色に輝く閃光が四方八方へと飛び散り、しだいに蛍の身体をつつみこんだ。
 そして、ついに、「封印」しようと光の塊が魔物に向かった。魔物はよけたが、あの蛍が、伝説の戦士マジック・エンジェルになったのだ。
 魔物を封印する、マジック・エンジェルに…。



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上杉謙信公「命もいらず名もいらず」上杉の義・謙信公の生涯ブログ連載3

2013年09月23日 06時16分37秒 | 日記
         初陣



     
  景虎は、兄・晴景にへりくだって下知を仰いだ。
 つまり、黒田秀忠を討つべきかどうか兄上が決めて下され…と仰いだのだ。このことは近隣の豪族や国人衆からも高く評価された。いい気分なのは晴景である。景虎が身分をわきまえて下知を求めてきたのだから…。しかし、彼は八年前、弟からうけた屈辱も忘れてはいなかったし、それを払拭できずにいた。
「景虎の栃尾軍が黒田秀忠軍に大勝したら、ますます自分の立つ瀬がない」
 無能の兄・晴景は思い悩んだ。
 しかし、グズグズもしてられない。事は急を要する。そこで、無能の兄・晴景は「黒田秀忠を討つべし!」という下知状をしたためて弟に送った。
「いざ、ものども!黒田秀忠、討つべし!」
 景虎は兵を率いて、馬上でいった。
 すると、「おおーっ!」と、雄叫びが響いた。
 若き武将・長尾景虎の初陣である。
 彼は漆黒の鎧を身にまとい、黒く凛々しい馬にまたがっていた。…近くにいる少年に変装している女忍者・千代が「もう待ちきれない。すぐにでも若と交わりたい」と思うほど、若き武将・長尾景虎は凛々しかった。
「御大将、ごらんあれ!」
 本庄実仍が馬を寄せてきて指差すと、その方角には栖吉城よりの兵・二千騎が見えた。軍勢がおのおの旗指物をはためかせながら進んでくる。率いるのは無論、長尾景信に違いない。「俺が春日山の兄上に下知を仰いだからこそ、栖吉城の長尾景信も動いたのだな」 長尾景虎は、本庄実仍の眼を見て微笑んだ。
 目指す黒滝城へ近付くと、すでに与板城主・直江実綱と三条城の山吉行盛が、陣を張っていた。地侍たちは、ふたりが挙兵したので、長尾勢に寄騎していた。
 長尾景虎(のちの上杉謙信)は、地侍たちが挨拶にくると、名前を、旗指物の名を読み上げ(教育が域届かず、漢字の間違いが多かったが、景虎は全員の名前を覚えていて)、「なんの誰それ、大儀!」と、挨拶をした。そのため、
「俺の名前を大将が覚えていてくれた」
 と、彼の評価は益々高くなった。
「あのものは来なかったの」
 景虎はわざと口の動きがわかるように、新兵衛に言った。
「いかがなさりましょう?」
「うむ。使いをやれ」
「はっ」新兵衛は言った。
 と、馬丁の少年が、腹を押さえて陣幕から出ていった。
「野糞か? 御屋形様がいるんじゃけぇ…遠くでやれよ」馬丁長のおやじが言って笑った。しかし、その少年は女忍者の千代だった。
 ……怪しと思ってたが、やっぱり……景虎は少年の正体に気付いて思った。
「しかし、あのもの自らが使いのもの(千代松と弥太郎)の跡をつける訳ではあるまい」お前たちの跡をつけるか、あるいは追い越していく者を生け捕りにせよ…そう命令してあるのだが、うまくやれるだろうか……?景虎は心配になった。忍者は生け捕りになるくらいなら自殺する、ということを知っていたからだ。
 自殺されてしまったら、こちらが間者に気付いた、と知らせるだけだ。
「ふたりは間者を生け捕りに出来ないかも知れない」
 しかし、誰が間者を放った……?兄上か?もっと違うものか?
 景虎は猛烈に頭脳を働かせてから、
「ふたりは間者を生け捕りに出来ないかも知れない」と新兵衛に言葉にして言った。
「ごもっともなお考えと存じます」新兵衛は言い続けて、「申し訳ありません、間者に最近まで気付きませんでした」
「しくじったの、ふたりは手ぶらで帰るやも知れぬ」
「なかなか腕のたつ間者でございました」
「まったく」景虎は続けた。「あの若者は、われらが栃尾にきてすぐに雇った馬丁……とすると雇主はやはり兄者…」
「でしょう」
 新兵衛も頷いた。……ふたりの推理は肝心なところで違っていた。まさか、雇っているのが若狭屋であることなどわかるハズもないが……。
 ふたりは長尾晴景への敵愾心を募らせた。
「兄上は腹黒い男じゃ」
 景虎は猛烈に腹を立てた。
 一方、千代は、林の奥に入ってから脱兎のごとく逃げた。…自分の正体がばれたのに気付いたのだ。「こりゃ、逃げるしかないよ」
 林をどんどんと進むと、やがて黒田秀忠の居館らしきところに着いた。誰もいない。人影がまるでなかった。皆、黒滝城に籠城しているからに違いない……千代は思った。
「しめしめ、これで化粧していい服でも着れば、姫さまにでも妾にでも化けられる」
 千代はにやりとした。
 今、千代は少年の変装をしているけれども、もともと美人なので「どこそこの姫」にでも簡単に化けられる。…それくらい千代は美人だった。
「しかし…どうしょう?」
 千代は迷った。
 このまま山を越えていけば、黒田勢の兵士に見付かる。こんな状態だから皆、むらむらと欲求不満であり、すぐにでも押し倒されて犯された後、殺されるに決まっている。では、といって栃尾勢の陣にいっても「何ゆえ女子がひとりで来たのか……?」と、怪しまれるに決まっている。「しかし…どうしよう?」
 そう迷いながらも、千代は三十分もしないうちに綺麗な美人の娘に変装してなよなよと黒田秀忠の居館から出てきた。そして、
「まてよ」と思った。
 黒滝城からもここが見える。城に近付いてくる手弱女は内通者と見られて、矢で射られるに決まっているではないか。こりゃヤバイ!景虎様と寝るまでは死ねないんだよ。
 千代は森にひそみ、日暮れを待つことにした。
 その頃、景虎は決断を迫られていた。
「なら、これより戦評定をいたそう」
 敵の黒田秀忠が”わしは頭をまるめてさすらいの旅にでるゆえ許してくれ”などと申し入れてきたのだ。…本心か?騙しか?
 各軍団の大将たちがぞくぞくと陣幕の中に集まってきた。景虎は礼儀正しく、丁重に意見を正し、自分の意見はいわなかった。しばらくすると、各軍団の大将たちはぽつぽつと本音を言い始めた。
 それは、受け入れるべし、という内容がほとんどだった。
 ……黒田秀忠勢力をそのままにしても我らの害にはならぬ。
 ”黒田秀忠が頭を丸めて旅立つのを見てから…”という案は景虎はとらなかった。…許すといったのにそれでは警戒されるだけじゃ…。
 千代の思惑は外れた。
 日暮れを待って栃尾兵にわざと掴まり、景虎の元へ連れていかれねんごろに一夜をともに…と考えていたが、
「なんだ、黒田の館より逃げてきたのか。気の強い女子だの。黒田の物見に見付からぬうちに戻れ。戦はなしじゃ。われらは引き揚げじゃ。鞍替えはならぬぞ」
 と物見の黒金孫左衛門に見付かって叱られた。
「えっ?城攻めをおやめになるので……?」
 千代は面食らった。
「そうじゃ。はよう戻れ」
「はい」
 千代は面食らったまま言った。
 しかし、のこのこと黒田城にいく訳にもいかない。誰ひとり知っている者がいないばかりか、今着ているのはすべて盗んだ着物である。このままいったら丸裸にされて犯され、その後すぐに殺されてしまうだろう。「まずい…」
 千代は頭をめぐらせた。そして、
「あぁぁぁ…」と色っぽい声で呻きながら、よろよろと足軽大将ののほうに倒れかかった。「いかがいたした?女」
 千代は発作でもおこしたような演技で、足軽大将のほうに倒れかかった。千代の色っぽい身体に触れ、白粉(おしろい)の匂いを嗅いで男は興奮してしまった。「おい、女!しっかりいたせ…誰か薬師を」
 足軽大将は頬を赤くして、鼻の下をのばした。いやらしいことを考えてしまった。
 この女(千代)の情報は、景虎たちの元へも届いた。
「女子が……?」
「用心いたせ」景虎が言った。「黒田の刺客かも知れん。あの黒田秀忠は降伏すると見せ掛けて刺客を送ってきたのやも知れない」
「酒を飲まないようにしましょう。念のために兵に禁酒させます」
 新兵衛が言った。
「そうだの、用心のためじゃ。俺なら酒を飲んでも酔わぬが、普通のものは酔っ払ったら役立たなくなるからの」
「さよう。弓もひけず、馬にも乗れなくなりもうす」
 新兵衛が頷いた。そして「女子の夜の相手もできなくなるかと」と笑った。
「ふふ……城攻めが二、三日も続けば彷徨い歩く女子供も珍しくないだろうが…」
「まったく」
「おい、あの馬丁の親方を呼べ」
 景虎が命じた。するとさっそく親方が震えながらやってきた。景虎は罰しないといい、安心させてから「さきほどの馬丁は?」と聞いた。
「服とももひきを残したまま姿を消しました」
 親方はぶるぶる震えながら、言った。
「さようか。ならば…」
「ならば…?」
「その女にそのももひきを履かせよう。ぴったりなら、それで分かる」
「しかし」新兵衛が、「では、女を丸裸にするので?」ときいた。
「そうだ!なにか差し障りがあるか?」
「いえ」
 新兵衛は言葉を失った。……これはまずいと思った。景虎はおそらく女子の裸を見たことがないはず。それがいきなりこのような戦場の神聖な場所で、女の裸をみたら…どうなるだろう?女のたわわな胸や尻、グロテスクな陰部を見たら……興奮か?勃起か?それとも女への幻滅か?とにかくロクなことにならない…。
 そう思っていると、幕の後ろで景虎の愛馬の鳴く声がした。
「なんだ?!俺の馬が……」
 そうしてると、馬に乗った千代が背後に駆け出した。
「おのれ、俺の馬を……追え!生け捕りにいたせ…!」
 景虎が大声で言った。
「やはり名うての間者でござりましたか」
 新兵衛はそういい「壁に耳あり…でしたな」と続けた。
「本当に女子だったのか?男の女装では?」
「いや。足軽の話によるとたわわな乳房があったと…」
「そうか」
 景虎がうなずいた。
 そこへ使いのもの(千代松と弥太郎)が帰ってきた。
「間者を見なかったか?」
「いえ。誰も…」
 ふたりは言った。で、景虎が「馬鹿もの!」と怒鳴った。
「申し訳ございません」ふたりは平伏した。
 …それから話題が、女子の話になると弥太郎は都の女の味は格別だ、と言った。その間者もそれで、若殿さまも味見をできたところを惜しうございました、と言った。
 しかし、景虎には「女の味見」の意味がわからなかったので、何度も説明を求めた。
 新兵衛は恥ずかしいことを説明せねばならず、難儀した。
 説明が終わると景虎はふたたび「馬鹿もの!」と怒鳴った。
「お主らは淫乱じゃ」というのである。
「五戒を知らぬのか?」
「………五戒でございますか?」
「うむ」景虎は言った。「五戒とは、不殺生、不盗、不邪淫、不妄語、不飲酒…これが五戒だと坊主に教わった。しかし、われら武士に不殺生は無理じゃわな。だが、不邪淫は守れる」
「不邪淫とは……女子と交わることで?」
「そうじゃ!交わることじゃ」
 景虎は言った。
「しかし……女子のやわ肌に触れ、何をいたすのは気持ちよきことで…」
 景虎はふたたび「馬鹿もの!」と怒鳴った。「それが、いかんのじゃ。煩悩を消せ!」「煩悩を………ですか?」
 家臣は景虎の純さに唖然とした。
 一方、逃げおうせた千代は、馬を降り、栃尾城に戻る算段を考えていた。
 男忍者に「これは御大将の馬らしいので届けにまいった…といえば入れてくれるよね」と、千代が笑顔で言った。彼等は、正体がまだばれてないと思っていた。
「そうだな」
 彼らはさっそく城に向かった。
 偶然に城の物見櫓から下界を見ていた景虎と新兵衛はふたりに気付いた。
「あいつらがきます」
「そうか……今度は逃がすなよ」
 景虎は言った。                                



  景虎が側近の黒金孫左衛門をつれて寺に到着したのは、新緑も目に鮮やかな、うららかな春の夜である。
 到着してから景虎は、礼を尽くしてから神社の中へはいっていって、見渡した。
 殺風景な寺ではあったが、その寺を景虎は愛した。
 信心深い上杉景虎はあらゆる越後の寺を見学し、手をあわせたが、なにか納得できぬものを感じていた。どうも景虎には気に入らない。
 有り体に言ってしまえば、贅沢で絢爛豪華すぎるのだ。
「神仏は華やかに飾ればいいってものではない。信仰心がなければ何にもならぬではないか」
 上杉景虎はいった。せっかく馬で遠出してきたのだから、よい寺でお参りしたいではないか。そう思うのは青年にとって当然のことであったのだろう。
 寺には『毘沙門天』の大きな像が奉ってある。
 上杉景虎は像に手を合わせ、「毘沙門天よ、われに力を与え給え!」と祈った。
 そして、景虎ははもどかしくなって、唇を噛んだ。神仏の加護があまりない。そう思うと、寒くもないのに、身体の芯から震えが沸き上がってくる。
 つぶった目の網膜の奥から闇が広がっていき、耳元に神仏の声がきこえた。
(……正義のために戦え!)
(民のために戦え!)
(この国の乱れを糺せ!)
(出陣せよ!神仏の名のもとに!)
 自分以外のものが精神を蝕んでいく感覚で、全身は氷のように硬直したままだ。
  かがりび        
  篝火がたかれている。
 篝火は大きくて、辺りを朱色に染めていた。火の粉が舞っている。
 毘沙門天の像も朱色に染まっている。
 とにかく、景虎は一生懸命に祈るので、あった。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MAマジックエンジェルほたる「魔術天使螢のファンタジックな冒険活劇」小説1

2013年09月22日 02時29分51秒 | 日記

マジックエンジェル 

                  ほたる
~JUST NOW 2050~
                -MAGIC ANGEL"hotaru-



    …”The future is not a gift;
             It is an achievement”…
”封印”のお札で戦う戦士たち!
 魔物たちを倒せばひとつだけ”願い”が
 叶うというが……!







                total-produced and presented and written  by
                              midorikawa washu
                               緑川 鷲羽












  第一章 マジック・エンジェル
 VOL.1 蛍とセーラの出会い
       マジックエンジェル・ブルー覚醒


 青沢螢は、親戚の叔父さんに買ってもらった宝クジで3億当たって、狂喜乱舞した。 蛍は夢をふくらませた。大金を手にして、興奮し、それから螢は強烈なフラッシュの光を眉間に食らった気がした。螢は目を覚まし、息を呑んだ。見覚えのある担任の神保の怒り顔があった。間違いない。螢は授業中に居眠りしていたのだ。宝クジ当選は夢だったのだ。今は、西暦2050年の近未来都市・東京の隣県、その学校の授業中である。第三次世界大戦後でも日本では復興しようともがいている。建物や山川も大戦争で一時荒廃したが「戦後20年」も経つと、復興著しい。当然、先の大戦(サード・インパクト)での被害は甚大で人類の1/3は死んだがもはや20年目の平和は「もはや戦後ではない」と感じさせてくれる。人類は進歩と後退を繰り返しながら成長と、知恵と叡智を獲得したのだ。
 螢は頭頂から爪先まで、冷気が走るのを感じた。そして、がつん、神保に殴られた。螢はレイジー(怠け者)で努力もしない。で、アニメ番組や少女コミックを読みあさる。まったくの”出来そこない”。
 だけども、その分、螢は可愛らしい顔をしている。丸い顔、長くてさらさらした髪、大きな瞳、全身が細くて肌が白い。胸はけしておおきくないけれども、それは少女らしさを現しているともいえなくもない。そして、これがチャーム(魅力)だ、といえばいいのか、性格が明るいのだ。極めて社交的であり、オプチュミストだ。百六十センチで、制服姿だ。 螢という少女に負けず劣らずの”出来そこない”もいる。しかも、蛍のすぐ近くに、同じクラスにいる。それは蛍と同じ埼玉県青山町学園一年の、赤井由香という少女である。 この螢の同級生であり、親友でもある由香も、やはり「お勉強」ができない。性格はどうかといえば、ひたすら明るい元気印の少女である。これは救いか(?)。そして、蛍に負けないくらいルックスはいいのである。螢と同じ、百六十センチで、制服姿だ。
 由香は蛍のような童顔ではないけれど、大人の魅力があるわけでもない。ある意味では「小悪魔」的な美少女である。髪の毛はセミロングで、後ろ髪がピンとはねている。瞳は猫のようだ。全身が細くて肌が白く、腕も脚もスラリと長い。彼女はナイーヴだ。
 ちなみに英語のナイーヴには、天真爛漫、素朴な、という意味がある。この言葉こそ由香にはふさわしいのかも知れない。青山町学園の女の子の制服は、黒色のセーラー・スカートに、純白のワイシャツ、胸元には赤いリボンをアクセントにつける。冬にはベストを着るわけだがあえて触れない。平凡な日々。…平凡な学校。緑の蔦と苔に覆われた壁はやや古ぼけてもみえる。いまはけだるい午後だ。
 学校は、期末テストの前日をむかえていた。
 蛍はニヤニヤと笑いながら、それでいて少し困った顔で、机に腰かけて、向かいあっている由香に、顔を真っ赤にして興奮して、それで抑圧のある声で、
「もおっ。なんでテストなんてもんが、この世の中に存在する訳?なにが期末テストよっ…そんなものどっかへ飛んでっちゃえ!ってなもんっしょ!」
 と、オーバーなジェスチャーで蛍はいった。さすがに「お馬鹿さん」である。話しに品がない。
「本当よねっ。テストで人間のなにがわかるっていうの?!お勉強なんて出来なくたって、成功したひとはいっぱいいるじゃないの!」
 由香は少し声を荒げて、少し早口で言った。そして続けて「例えば、エジソンとかアインシュタインとか…それから…それから…えーと、…エジソンとか……エジソンとか…」 声がしぼんだ。その瞬間、由香は心臓に杭を打たれたような感覚に襲われ、言葉を呑んだ。
 知性のない由香にとってはご立派な言葉ではある。確かに、エジソンもアインシュタインも勉強は出来なかった。エジソンが幼少のときに「出来が悪い」ので学校を追い出されたのは有名な話しだ。しかし、天才とはそこからが違う。ちゃんと努力をしたのである。「発明とは一%の霊感と99%の努力である」
 エジソンの有名な言葉だ。天才の彼でさえ、努力を続けたのである。そういった意味でいえば、努力もしないで「将来はお金持ちになりたい」などという輩は、ただの怠惰であり、限りなくアグリーなのである。
「もぉ、いっそのことさぁ…」
 蛍は小悪魔のような可愛らしい微笑みを浮かべた。そして「やっぱさぁ…」と小声でいった。なにか火照ってくるような感情の高鳴りに、心臓の鼓動を早めた。
「やっぱ…何よ?」由香は皮肉っぽくきいた。
「カンニングでもしちゃおうよ!」
「えぇ…っ??」
「私たちが救われる道はただひとつ、よ。カンニングっきゃないっしょ?やっぱ、さぁ」「でも…ねぇ。あんたはプライドってもんがないからいいけどさぁ。私の…芸術家としてのプライドが許さないのよねぇっ」
 蛍は嫌味ったらしく笑って、「あははは…由香ちゃんってばっ!!この前のテストで6点とっといてさあ。ブラインドウもなにもないじゃんよ!!」
「ブラインドウ?馬鹿じゃないの?!…そ、それに、あんたは0点だったでしょ!!」
 由香は真っ赤になって怒鳴った。蛍は、カラカラと笑っている。はっきりいってどっちもどっちであり、ふたりとも低レベルである。
「蛍ちゃん、由香ちゃん、カンニングなんてダメよっ!」
「そうよ、そうよ!」
 友達のあやと、良子、奈美がやってきて口をそろえた。この意見は至言である。しかし、この三人の女の子のルックスとかはあえて触れない。単なる脇役だからだ。
 夕方となり、辺りはオレンジ色に染まっていった。淡い黄昏…そんな雰囲気ではある。辺りがしんと光り輝くような。
「じゃあ、由香ちゃん、また明日ね!」
 蛍は校門で由香と別れて、元気よく駆け出していった。別に何をするわけでもない。ただ、好きな少女コミックとアニメ番組をみるのが蛍の習慣になっているのだ。
 チャンスはある意味では突然やってくる。突然、何のまえぶれもなく、いきなり目の前に訪れる。しかも、ほとんどの場合、人生において一度だけ訪れる。極言すれば、千載一遇の好機はたった一度きり、ともいえる。掴まなければ、暗い闇だ。
 平凡な少し頭の足りない美少女、青沢蛍にとってもやはりそうであった。
 彼女にとってのチャンスとは、妖精セーラとの運命的な出会い、であった。妖精…とは甚だコミカルだが、実は、この物語はファンタジーなので仕方がない。
 ひと気のない住宅街の路地を悠々とかっ歩していた蛍は、フト、何かの微かな音をきいて足をとめた。落ちつかなければと焦れば焦るほど動揺し、足の力が抜けて、もつれた。「なんの音かなぁ?…もしかして大川なんとかみたいにキリストの声とかがきけるのかなぁ?そうしたら本でも出版してお金をガッポリいただいちゃうっていうのもいいなぁ。でも……なんだろうなぁ?」
 左右に目を配っても何もみつからない。風を切る微かな音。何かの迫る気配!でも、何っしょ?!
「い、痛いぃぃっ!」
 蛍は顔面に直撃をうけて、少しよろけてしまった。突然に、何かが、彼女の頭上から降ってきて顔にぶち当たったのだ。螢は一瞬、棍棒で頭を殴られたような感覚に驚いた。
「な、なんだっていうのっ…もぉっ!」
 蛍は顔に手をあてて情なく叫んだ。
 そして、アスファルトの路上に横たわって動かない「あるもの」に気付いて動きをとめた。彼女はたいして驚かなかったけど、しばらく冷水を頭から浴びせかけられたように立ち尽くしてしまった。呼吸が荒くなり、心臓が早鐘ように高鳴った。
「な、な?!まさか、これって…」
 やっとのことで声がでた。そして、「これってば、妖精じゃないのさぁ!」
 そうだった。路上に横たわって動かないものとは、天空から降ってきた(墜ちてきた))妖精セーラだったのだ。死んだのか?それとも気を失っているのか?妖精はピクリとも動かない。
 妖精というくらいだから、身長は25センチもない。顔も全身も手も何もかも細く白く、睫がやけに長い。髪の毛は「栗色」でロングであり、ソヴァージュがかかっていて、可愛らしいリボンまでつけてある。洋服はフリルつきのもので背中に羽根がついている。とにかく、可憐でピュア(純粋)な妖精だった。
「…死んじゃってるのかなぁ?」
 蛍は妖精に近ずき、顔を覗きこみながら囁くように心配していった。妖精セーラは傷だらけでボロボロだった。透明にちかい羽根にも愛らしい顔にも傷がついていて痛々しい。 とにかく、ここに放って置くわけにはいかないわ!蛍は、そっと、優しく妖精を両手で包み込むと胸元にだいてバッ!と駆け出した。
 自宅へ!
  夜もどっぷりふけていた。蛍は夕食を素早く済ませると、すぐに自分の部屋へと戻った。ー乙女チックな部屋である。カーテンもベットもどこもかしこもピンク色の「少女らしい」部屋だ。彼女は、そうしたてきらきらとした空間を命がけで愛した。
 蛍は、心配そうにベットに近付いた。彼女は、あの「妖精」を誰にもみつからずに部屋まで運ぶのに成功していた。ピンク色のベットに、妖精は寝かされていた。一応、水タオルらしきものを額に当ててもらっている。これは蛍の「博愛」の証しだ。彼女には、こういう人間性もある。それは、しんと光るようなものだ。大事な、愛の証し。
「人間にとって忘れてはならないのは人間性だ。血も涙もない人間に誰がついてくるか!人間性とは何か?それはすなわち「愛」にほかならない。愛とは何か?それはけして見返りを求めることなく与え続けること」
 鉄の女、マーガレット・サッチャーの言葉だ。この言葉は尊敬に値する。
「…う…う……うん」
 妖精セーラは、そううなるように声をあげた。そしてセーラは少し頭を軽く振った。なんだか視点がぼやけたが、それはあまり気にしなかった。しかし、次の瞬間、セーラは思いっきり驚いた。なぜって?それは、
「あのぉ。妖精さん、お体は大丈夫かしら?」
 と、目の前で覗きこんでいた少女がオドオドと尋ねてきたからだった。まさか…そんな!「…妖精さん…お名前は…?喋れるの…?」
 蛍はオドオドと、微笑を浮かべてさらにいった。セーラは唖然としながらも「あ、あなた…私の姿がみえる…の?」とやっとのことで声を出した。とても可愛らしい声である。「妖精の姿は、普通のひとには絶対に見れないものなのよ。みえるのは、赤ちゃんかもしくはある種のパワーをもったような…」
「パワーって何っ?白い粉状の?」
「いいえ。…それは、つまりその……」そう説明しながらも、セーラはハッと気付いた。 まさか!この娘が?!…でも、まさか、ね。
 セーラはオドオドと「あなた…まさか…」といって、フト、言葉をにごした。この可愛らしいが、見るからに頭の悪そうな少女が、自分の探していた「戦士」だなんて、とても思えなかった。
「でも…まさかねぇ。伝説のマジックエンジェルが…まさか、こんな娘だなんて」
 セーラは顔をプイっと横に向けて、ニガ笑いして独り言をボソボソと言った。
「マジックエンジェルって、何っ?」
 蛍は元気いっぱいに明るくきいた。この少女はほとんど人の話をきかない。いや、それを理解するだけのメンタリティがないのだ。コギャルだかマゴギャルだとかみたいなのと同じだ。つまり、頭が悪いのだ。しかし、どうでもいいことだけは耳にする。そして、たまに傷ついたりもする。極めてナーバスなのだ。
 おかしな話だ。この青沢蛍という少女のどこにも「恋の悩み」だとか「生きていく苦悩」だとか「死への恐怖」「心の葛藤」といった心理が感じられないのに…。
 セーラは少し戸惑って、目を丸くした。あまりのことに動悸を覚え、手足が震えた。
「あ、あのねぇ。…そういえば!まだ、あなたの「お名前」をきいてなかったわよねぇ?」「私のお名前?!私は蛍(ほたる)!青沢(あおざわ)蛍よ。齢は十六才、キャピキャピの高校一年生で、趣味は少女マンガとアニメをみることかなぁ」
 蛍は嬉しそうに愛らしい微笑みを浮かべながら「それとただいまボーイフレンド募集中なのよっ!ケビン・コスナーみたいな。…そうだ!…妖精さん…あなたのお名前は?!」
「え?別にいいでしょう、そんなの」
「いいじゃんよ、別に…」
 セーラは「うーん。わかったわ。私は、セーラよ」と言った。
「セーラ?なんかきいたことあるわねぇ。えーと、アニメかなにかで…」
「別にそんなマニアックなこといわなくてもいいわよ」
 セーラは冷静にいった。
「え?え?マニ…ニ…マニ…って何?」
「マニアック!専門的な、とか、趣味的な…とかいう意味の英語ね」
「へぇーっ、セーラってば妖精のくせに、そんな難しい英語しってるんだあっ」
「…別に難しくなんてないわね」
「でもさぁ、私なんかさぁ。ハロー(こんにちは)、サンキュー(ありがとう)、グッバイ(さよなら)、ギブ・ミー・チョコレート(チョコレートください)、とかしか知らないもの」
「そ…それは、あなたが「お馬鹿さん」だからじゃないの…?」
「ヘヘヘ…っ。そうかなぁ?」
「…そうね、多分」
 セーラは冷たいラプテフ海のような言葉を彼女に言った。蛍は反発して顔をあげて声を荒げ、
「ち、ちょっと!何よ、何よ、そんな言い方しなくてもいいっしょ?!…もおっ。あたしだってねぇ、いっぱいいっぱい…いい所あるんだから。…そりゃあ、あんまり頭はよくないかも知んないけどさぁ。顔だって、スタイルだってものすごくいいんだから!」蛍は続けようとして、フイ、に下を向いた。そして、「それに…それに…」と震える声でいったっきり、沈黙した。こぶしをぎゅっとこわれそうなくらい握った。震えた。
 涙が目を刺激した。蛍はなんとか両手で止めようとしたが無駄だった。みるみるうちに大粒のきらきらとした透明な涙が頬をつたわって、ゆっくりゆっくりフローリングにポタポタと落ちていった。全身が悲しさで小刻みに震えた。単にルックスだけ。…なんとなく顔やスタイルがいいけど頭はカラッポ…という「薄っぺら」な自分の存在。
 何もかもが情なくって、そんな自分自身でいることが悔しい。…もう人間なんてやめちゃいたい!そんな風に、蛍はしんと心の奥底で感じた。螢は小学生のときにイジメられた記憶を思い出した。あの時自分は泣いた。でも、昔のことだ。しかし、その自分の”トラウマ”に螢はわれながら驚くのであった。
「あ…あの…蛍ちゃん…」
 セーラは同情をこめて小声でいって、フウッと宙に浮いて、立ち尽くして泣いている蛍の顔まで近づいて、「ちょっと言い過ぎたわ。ごめんなさいね」と謝った。
「いいのよ…どうせ「頭の悪い」のは本当のことだから…私なんてさぁ…結局…あんまり生きている価値ないのよね…多分さ。…あぁ、こんなことなら生まれてくるんじゃなかったよ」
 セーラはしばらく黙ってから、「それは違うわ」と声を高めて言った。
「生まれてはいけない人間なんて一人もいないのよ。人は生まれるときに、ある種の運命的な使命を与えられるものなのよ!…それは人によって違うけれどもね。ある人は、命を救う「お医者さん」だったり、国を動かす「政治家」だったり、そしてやさしいやさしい「お母さん」だったり…。
 人間にはそれぞれ可能性ってものがあるのよ。それは誰だって…どんな国の人だって…例外はないのよ。蛍ちゃんには「生きる価値」がある!きっときっと…いいえ、ぜったいにあるのよ!」
「でも…」
 セーラは魅力的な微笑を浮かべて、
「しっかりしなさい!泣いてたってなにも変わらないし、なんの変化もおこらないのよ!元気いっぱいに笑ってさぁ、明日という地図を手に駆け出すのよ!それっきゃないわ。さぁ、笑って!笑うのよ!」
 蛍は少し不思議そうな狐につままれたような顔をしたが、しだいに口元に微笑みを浮かばせた。「そうね。私を馬鹿にした連中を見返してやるわ!」希望の笑み…それはほんの少しの希望…駆け足ではなく、ようやく生きていく程の希望ではあるけれども、セーラの言葉は蛍に実に好ましい影響を与えたようだった…。
  しばらくして、セーラは少しだけ思い出したように、
「そうそう。蛍ちゃんにねぇ…話しておかなくてはならないことがあるのよ…」
「ーえっ?何?!なに?」
「…さっき伝説の戦士のことを尋ねたでしょう?マジックエンジェルのことを…」
「そうだっけ?アハハハ…」
 セーラは無視して、真剣に続けた。
「マジックエンジェル…つまり魔術天使は、いわば地上を、そして地上にいる人類すべてを平和に導き、魔物を封印するため天界から舞い降りた伝説の戦士のことなの」
「伝説の戦士…?」
「そう。でも、戦士たちが地上に舞い降りたのは現在からもう数千年も前くらいになるわね。その頃、地上はケイオスにおおわれていて…」
「ケイオス…って?」
 セーラは眉ひとつ動かさず続けた。「ケイオス。つまり「混沌」に包まれていた地上の世界…怪物達が人類の住むあらゆる町並みに出没して破壊をくりかえしていた時代。そうした地上へと舞い降りて、人類の平和のために戦士たちは闘ったの!
 つらく苦しい闘いで、多くの戦士が倒されていったわ…。でも、最後には「最大の敵」を倒して、伝説の戦士たちは世界平和を達成したのよ」
 蛍はきょとんとした顔をして「ううーん。なんか三流ファンタジー小説みたいねぇ」とほざいた。
 セーラは目を剥いた。
「私は冗談をいっている訳じゃないのよ!全部、本当のことをいってるのよ!!」
「でもさぁ」蛍は皮肉っぽく「そういう話は、いまどきの幼稚園児でもしないってばさぁ」 セーラは深呼吸して、精神を落ち着かせてから、冷静な顔でゆっくりと話を続けた。
「…その後、マジックエンジェルの戦士たちは記憶をすべて失い、人間の姿となって地上で暮らし始めたの。でも…けして戦士としての誇りだったり闘争心を捨てたわけではなかった。ただ、神からのお告げを忠実に守った。「もし地上が再び悪の支配に犯されそうになったら、伝説のマジックエンジェルに覚醒して人類を救いなさい」っていう神とのホルコス(誓約)を」
「…ホ、ホルコス?!」
 セーラは少し感情を押さえきれずに、
「そして、その伝説の戦士マジックエンジェルは、いまのこの時代…この地上に覚醒しなければならないの!なぜなら、魔の女王ダンカルトの魔の手が、今、この地上に迫ってきているからなのよ!!」
 と、声を荒げて両手を広げた。ーそして、「魔の女王ダンカルトは、この地上を支配しようとしているのよ!私は、それを止めようと天界から来て、その道すがら…攻撃を受けてやられてしまったって訳…」
「ふーん。」
 蛍はどうでもいいかのように感心した。
 そして「頭の悪い人間」にしては珍しく、「それで、地上に墜ちてきたってわけね?…セーラはその伝説のマジッ…なんとかかんとかという戦士を探しに来たってのね?」
 と尋ねた。
「そう。そうなのよ」セーラはうなづいた。
「ーでも…伝説の戦士が本当に探し出せるかは疑問ね。もう何千年も前の話だし…」
「ノー・プロブレムよ!」
 蛍はなんと、英語で自慢気にいった。
「ノー・プロブレム?…心配ないわって意味ね。なんでそう思うの?なにか策でもあるの? 蛍はニコニコと大笑いして「わかんない。ただいってみただけですっ!」
「………あ、あのねぇ」セーラは呆れた。「でも、魔物たちを倒せば何でもひとつだけ願いが叶うのよ」「本当?! ラッキー! でも嘘っしょ?」

 しばらく、パッション・ピンク色の乙女チックな蛍の部屋に静寂が流れた。かなりの沈黙。セーラは、蛍のきらきらと輝く大きな大きな瞳をじっとみつめた。そしてハッとした。この娘には…やっぱり、何かのパワーがあるように感じられるわ。
 もしかしたら…この蛍ちゃんって…でも…まさかね?
「あ。あのさぁ」
 ナイーヴ(無邪気)な蛍にとって、黙っている、もしくはジッとしている…ということは「あまり好き」じゃない。この少女にとっては黙ってひとの話に耳を傾けるとかは不可能に近い。
「あのさぁ。…月刊少女ジャンプでも読む?」
 蛍は無邪気にほんわりと笑って、セーラにマンガ本を勧めた。英語で書けば、ホタル・リィコーミィンデッド・ザ・コミック・トゥ・セーラ…かしら?それはいいにしても、この青沢蛍のメンタリティは低すぎる。
 セーラはニガ笑いして、
「いいわよ…マンガなんて」と断った。
「でも、けっこうオモシロイのよ!主人公とかが可愛くてさぁ。それになかなか笑えんのよ。それにさぁ」
「あなた、お年はいくつかしら?」
 セーラは説教くさくいった。
「え?…さっきいったじゃん。十六才!キャピキャピのコギャルで…ボーイフレンド募集中!ケビン・コスナーみたいな!!」
「そんなことまできいてないでしょ!!」
 セーラは少し怒鳴った。ーそして、
「まぁ、いいわ」と声のトーンをおとして、燐とした表情をして、右手を頭上にのばして、「ラマス・パパス・ドモス…アリアテス・エカリーナ・ティターナ!」
 と、意味不明の呪文を、可愛らしい声で、それこそ大声で唱えた。ーと、次の瞬間、セーラの右手から青い閃光が四方八方に飛び散った。
「うあっ!」
 蛍は思わず眩しくって瞳をぎゅっと閉じた。そして、しばらくしてから目を開けると、「蛍ちゃん。…このお札をもってみて」
 と、セーラが微笑みながら、右手にもった青色の魔物封印用のお札を差し出した。
「わあっ」
「さあっ、蛍ちゃん」
「なにこれっ?もらっていいの?」
 蛍は、少女の瞳をいっそう輝かせながらセーラに問いかける。この物欲は凄まじい。
「へへへぇっ、ありがとう」
 そういったとき、蛍の顔は紅潮していた。まるで幼児とかわりない。幼い子供というものは何かもらうと興奮するものだ。それが例えどんなものでも…。まぁ、判断力がないといえばそれまでだけど。
 そして、
「それはねぇ、魔物を封印するためのお札なの。そのお札を天にかざして”お札よ魔物を封印せよ!”って叫ぶと、本物の魔術天使なら魔物を封印することができるのよ」「ふーん」蛍はなんとなく頷いた。セーラは、
「あの蛍ちゃん。ちょっとやってみてくれないかしら?」
「えーっ?嫌だよ」
「ど、どうして?別にいいじゃないの」
 蛍はうーんと頭をひねって悩んでから、ハッと名案を巡らせた。名案というよりは、悪知恵だ。螢は興奮し、瞳孔を大きく開いた。
「へへへ…っ」蛍は、小悪魔のようにニヤニヤと微笑を浮かべてから「じゃあさぁ」といった。そして、セーラの耳元で囁いた。
「え?!…なんですって?!」
 セーラは、蛍の囁く内容があまりにもバカバカしいので、思わず眉をひそめて唖然とした。怒りに声は震え、セーラは支離滅裂な言葉を発していた。
「あのねぇ……蛍ちゃん」
「へへへっ。私のいう通りにしないと、絶対に魔物…なんとかかんとかっていって封印したりとかしないもんね」
 彼女はナマイキに、宣言をした。
 セーラは呆れて何もいう気もうせて、しばらく宙に浮いていた。そして、まぁいいでしょう、という気持ちを込めてタメ息をついた。

  どんな時にも、何かを悩んでいる時も、嬉しくって胸をわくわくさせている時も、絶対に夜は訪れる。しんと深い夜。そして人々を眠りに誘っていく。そして夢をみる。淡い夢。それはかけがえのないような、奇跡のような、なにげないような感じだ。螢はそうした気持ちを心にしまう。今やってきた夜も、朝も、すべてはいずれ夢になってしまうだろうから。
 蛍もそんな人間のひとりだ。彼女はパジャマ姿で、ど派手なパッション・ピンクのベットで寝ていた。もう時計の針は、午前三時三十五分三十二秒をさしていた。
「うーんチョコレートパフェ、シュークリーム。ああん、食べましょうよ、タキシート仮面様!」                                    

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上杉謙信公「命もいらず名もいらず」上杉の義・謙信公の生涯ブログ連載1

2013年09月20日 01時08分19秒 | 日記
小説 上杉謙信公「命もいらず名もいらず」


                      ーうえすぎ けんしんー
                ~「不犯の名将」上杉謙信公の戦略と真実!今だからこそ、上杉謙信~
                total-produced&PRESENTED&written by
                  washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.
        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”

                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ

         あらすじ

 長尾虎千代(のちの上杉謙信)は1530年、越後の守護代(守護の代官)長尾為景の末っ子として春日山城に生まれた。生母は栖吉城(長岡市)による。
 虎千代が七歳の時、父親の越後の守護代・長尾為景が死ぬと、兄と弟との骨肉の争いが始まる。虎千代は、兄・晴景より逃れ、家臣の新兵衛におんぶされて栖吉城へ。そこで文武に励む。やがて長尾景虎と名を改めた虎千代は、成長し、頭角を現しだす。
 しかし、そんな時、黒田秀忠によって守護代(守護の代官)長尾晴景(景虎の兄)が殺されてしまう。そこで初陣。不戦勝をもぎとる。だが、若輩の景虎は、カリスマがほしかった。そこで、「われは毘沙門天の化身なり」と称し、一生不犯を宣言する。
 つまり一生結婚も女とのセックスもしないというのである。しかし、それは若き頃の亡き恋人への貞操だった。いや、絆だった。
 武田晴信(信玄)との川中島の合戦では、天才的な謙信の戦略によって優位に。その間、何度か暗殺されかけるが、ある女忍者に命を救われる。それは、若き日の恋人にうりふたつだった。…だが、意気揚々の謙信のもとに疫病神がころがりこんでくる。関東領管・上杉憲政、である。景虎は上杉家を継ぎ、何度か上洛を試みる。しかし、武田信玄や信長の勢力におされ、遂には1578年、志なかばのまま、不世出の天才・上杉謙信は脳溢血のため死んでしまう。享年、四十九歳だった。
 この物語の執筆では、上杉謙信の生涯を通して、人間とは何か?戦略とは何か?人間愛とは何か?というものの理解の指針となるような物語をつくることに努めた。よって、すべてが事実ではない。フィクションも多々入っている。だが、エンターティンメントとしてご理解願いたい。
 では、ハッピー・リーデイグ!
                                   おわり


  愁いを含んだ早夏の光が、戦場に差し込んでいる。上杉軍と武田軍は川中島で激突していた。戦況は互角。有名な白スカーフ姿の上杉謙信は白馬にまたがり、単独で武田信玄の陣へむかった。そして、謙信は信玄に接近し、太刀を浴びせ掛けた。軍配でふせぐ武田信玄。さらに、謙信は信玄に接近し、三太刀七太刀を浴びせ掛けた。焦れば焦るほど、信玄の足の力は抜け、もつれるばかりだ。なおも謙信は突撃してくる。信玄は頭頂から爪先まで、冷気が滝のように走り抜けるのを感じた。「おのれ謙信め!」戦慄で、思うように筋肉に力が入らず、軍配をもった手はしばらく、宙を泳いだ。



         立志



             
  謙信公の名を知らぬ者はいまい。
 上杉謙信は特に、越後国(新潟県)と置賜(山形県米沢市)では「英雄」である。「戦国時代」の天才・織田信長が武田信玄とともにもっとも恐れたのが上杉謙信公といわれ、彼は、合戦の天才と称された。上杉家の祖であり、米沢藩を開いた景勝の叔父にあたる。上杉といえば私の郷里の米沢、米沢といえば上杉だが、上杉謙信は越後国(新潟県)の生まれ育ちで、米沢にきたこともない。天下分け目の「関ケ原の合戦」の後、置賜(山形県米沢市)に転封され米沢藩を開いたのは、謙信の甥にあたる上杉景勝である。また、有名なのが名君・上杉鷹山公だが、ここでは時代が違うのであえてふれない。
 上杉家の、初代・上杉謙信は、天才的戦略により、天下の大大名になった。越後はもとより、関東の一部、信濃、飛騨の北部、越中、加賀、能登、佐渡、庄内までも勢力圏を広げた。八〇万石とも九〇万石ともよばれる大大名になった。
 八〇万とも九〇万石ともよばれる領地を得たのは、ひとえに上杉謙信の卓越した軍術や軍事戦略の天才のたまものだった。彼がいなければ、上杉の躍進は絶対になかったであろう。
 上杉謙信こと長尾景虎は越後(新潟県)の小豪族・長尾家に亨禄3年(1530年)生まれ、越後を統一、関東の一部、信濃、飛騨の北部、越中、加賀、能登、佐渡、庄内までも勢力圏を広げた人物だ。 だが、上杉謙信は戦国時代でも特殊な人物でもあった。
 まず「不犯の名将」といわれる通り、生涯独身を通し、子を儲けることも女と性的に交わることもなかった。一族親類の数が絶対的な力となる時代に、あえて子を成さなかったとすれば「特異な変人」といわなければならない。
(この小説で登場するくノ一や幼き日の恋人などは架空の人物でありフィクションである) また、いささか時代錯誤の大義を重んじ、楽しむが如く四隣の諸大名と合戦し、敵の武田信玄に「塩」を送ったりもした「義将」でもある。損得勘定では動かず、利害にとらわず室町時代の風習を重んじた。
 上杉家の躍進があったのも、ひとえにこの風変わりな天才ひとりのおかげだったといっても過言ではない。
 しかし、やがて事態は一変する。
 一五七〇年頃になると織田信長なる天才があらわれ、越中まで侵攻してきたのである。ここに至って、上杉謙信は何度か上洛を試みる。結果は、織田の圧倒的な兵力と数におされ、ジリジリと追い詰められるだけだった。戦闘においては謙信の天才的な用兵によって優勢だったが、やがて織田信長の圧倒的兵力に追い詰められていく。
 そんな時、天正六年(五七八年)三月、天才・上杉謙信が脳溢血で遺書も残す間もなく死んだ。
 それで上杉家は大パニックになった。なんせ後継者がまったく決まってなかったからだ。この物語は、この非凡で不世出な天才・上杉謙信の物語である。
 上杉謙信の生涯を通して、人間とは何か?戦略とは何か?人間愛とは何か?というものの理解の指針となるような物語をつくることに努めた。よって、すべてが事実ではない。フィクションも多々入っている。だが、エンターティンメントとしてご理解願いたい。

  長尾虎千代(のちの上杉謙信)は1530年、越後の守護代(守護の代官)長尾為景の末っ子として春日山城に生まれた。生母は栖吉城(長岡市)による古志長尾氏の娘である。虎千代が七歳の時(1536年)、父親の越後の守護代・長尾為景が死んだ。
 為景は身まかる前、病の床に伏しながら、虎千代と晴景を呼び付けた。彼は咳混みながら、兄弟仲良く、長尾家を守れといったという。そして倒れ、そのまま死んだ。為景はかっぷくのいい体つきでせ、口髭を生やし、堂々たる人物であったという。
 謙信は幼児期をふりかえり、「父上が死んでから、葬儀の時、俺は甲冑をきせられ葬列に参加した。皆が敵にみえてたいそう怖かった」と家臣に何度も話したという。
 それも実は事実で、彼の父親の死によって、覇権を握ろうという豪族たちが葬儀にかなり参列していたという。もちろん、戦国時代だから、「下剋上」も考えられる訳で、七歳の虎千代(のちの上杉謙信)であっても怖かったろう。
 ……昨日の友は、今日の敵……というのが「下剋上」であり、戦国時代であるのだから。 上杉謙信にとって、父親の葬儀は忘れられない思い出である。
 参列者の中に、謀反を起こした家臣や、下剋上精神の豪族が沢山いたからだ。しかも、虎千代は幼い兄弟のみで、母もすでに亡くなっていてたいそう孤独で脆弱な立場にいた。「いつ、殺されてもおかしくない」
 虎千代(のちの上杉謙信)もさすがに震えただろうか?
 いや、そうではなかった。
 彼は、まだ、なぜ幼い自分や兄弟の命が狙われるのか理解していなかった。…つい先日までは親父のことを「大殿さま!大殿さま!」と呼んでペコペコしてやがったくせに…。彼(虎千代)は、たったひとりの家臣・金津新兵衛とふたりっきりで、奥座敷に入った。そこには、彼の父親・長尾為景が横たわっていた。
 柩には花がいっぱいしきつめられ、その中に、謙信の亡父・長尾為景が横たわっていた。硬直した「デスマスク」。それはなんとも哀れであった。しかし、その硬直し蒼白くなったその顔は、何かを言い掛けているようにも思えた。
「………いい顔をしている」
 虎千代は呟いた。虎千代は確かに、不思議な印象を与える人物である。年は七歳であったが、がっちりした首や肩がたくましさを示し、目はツリ上がっていて堂々とした印象の子供だった。
 十二月の寒い日だった。
 分厚いグレーの雲から、しんしんと雪が降りしきっていた。しかし、時折、雲の隙間から弱々しい陽の光が差し込んで、辺りを白く照らしていた。それは、とても幻想的で、気が遠くなるほどのしんとした感傷だった。
 彼(虎千代)と、家臣・金津新兵衛は襖から差してくるぼわっとした光を浴びながら、亡骸を見ていた。…それはかつて「越後の龍」とよばれて恐れられた「謙信の亡父・長尾為景」そのひとだった。新兵衛は腹部に収束感を覚えた胃が痛くなり、嘔吐を覚えた。
「「越後の龍」も死ねば…ただの亡骸か…」
 家臣・金津新兵衛がそう不遜なことを思っていると、
「なぁ」
 と、虎千代がきいてきた。
「はっ、なんでございましょう?」
「俺や兄上が弱いので、家来どもが刃向かうのか?」
 新兵衛は即答せず「……はぁ」としばらく迷ってから、
「つづめていえば、そういうことになりましょう」と言った。
「ふん、まるで獣だな」怒りが籠っていた。
「はぁ」
 家臣・金津新兵衛は怪訝なまま溜め息をついた。また 二十七歳の家臣だった。
「この春日山城に住みついている猫や犬ものう、幼き頃に親をなくすと…強い野良に酷い目にあわせられる」
「……はあ」
「要はそれと同一ということじゃ」
 虎千代が言った。新兵衛は改めて、この少年であるはずの虎千代の利発さに驚くのだった。「まったくその通りで」彼は頷いた。
 そして続けて、「そのけだもののような連中が、虎千代さまの命を狙う可能性も大きいかと……」と、真剣に言った。
「俺を殺しにくるというのか?」
「いかにも」
 金津新兵衛は強く言った。「そこで今しばらくは安全のために私や家来とともに行動して下さい」
「……家来? おぬしに家来がいるのか?」
「はっ。恐縮ながら四人だけですが……」
「四人も?」虎千代が驚いたように言った。「俺の家来はお前ひとりだけだ」
「なにをおっしゃいますか。私の家来はすなわち若殿様の家来にございます」
「……そうか」虎千代が言った。「ならば俺が大将になったらその四人をとりたててやる」「ありがたきお言葉にございます。四人も喜びましょう」
 金津新兵衛はにこりと言った。
 ふたりがふり向くと、前とかわらぬ硬直した「デスマスク」があった。
 それは豪族として生き、武将として生き、そして守護代として死んだ長尾為景の最期の表情だった。虎千代(のちの上杉謙信)はこの父親に、自分だってやれるんだ、ということを見せたかったのかも知れない。だが、残念ながら遅すぎた。父親が彼の成功を認めることはもうないのだ。
 失敗を咎めることも、息子のことを誇りに思うことも、もうないのだ。
 豪族の、ただの平凡な武将、守護代で革命の夢ばかり追っていたと決め付けていた父親…。しかし……。虎千代の背後に冷たいものが走った。
「なぁ、新兵衛」虎千代がきいた。「あそこにある刀覚えているか?」
「大殿さまが大事にしていらした名刀でございますか?」
「うむ。おやじの大事な「子供」だったんだ。あのくそったれの刀がさ」彼の声には、怒りをふくんだ苦しさがあった。「おれはあの刀には触れさせてももらえなかった。「名刀だからな」っていうのが親父の口癖だった。「敬意を払わなくては、童子の触るもんじゃない」っていうのさ」彼の声は気味悪いほど横柄で、金津新兵衛は長尾為景の言葉のこだまを聞いていたような気がした。
「もっと幼い時、俺はその糞ったれの刀をこっそり持ち出した」
 金津新兵衛は驚いたような顔をした。
「どうしてそんなことを」新兵衛の視線が虎千代の目にそそがれ、答えを待っていた。
「だって、息子として当然じゃないか!」
 虎千代(のちの上杉謙信)はこわばった声で言った。そして、「それで外で振り回してあそんでた。で…」彼の声が苦悩に満ちたものになった。「見付かった」
「大殿さまに?」
「あぁ、それで俺は暗い蔵の中に閉じ込められた……おやじは冷酷だった。母も助けもしなかった……二日間も」
「それは、ひどい」新兵衛は深いショックを受けて、呟いた。
「怖かったですか?」
「あぁ、最初の恐怖さ。それいらい、俺は父親も母親も信じなくなった。母はすぐ死んだが、父はやっと今……ってところさ」
 自分が家臣として雇われる前に、そんなことが。そんな事情があったのか。息子にたいして決して満足しようとしない、執念深い横暴な父親から逃げ出そうとした少年。自分だってやれるんだということを示したかった少年の物語。しかし、残念ながら遅すぎた。父親や母親が彼の成功をみとめることは決してないだろうし、失敗を咎めることもけしてないだろう。彼のことを誇りに思うこともけしてないのだ。
 虎千代が金津新兵衛に笑顔を見せた。それは”こんなの屁でもないさ”と強がってみせる笑顔だった。
「若殿さま!この刀をお持ちくだされ」
 それから、新兵衛が例の「糞ったれの刀」をもちだして彼に渡した。「これは虎千代さまのものです」
「…………新兵衛」
 虎千代が受け取って「すまぬ」と言った。
  それから、彼等は柩を見送った。
「俺や兄上が弱いので、家来どもが刃向かうのだな」
 虎千代が呟いた。そうしてると、いつのまにか可愛らしい少女が彼のもとに歩いてきて、ちいさな花を差し出した。彼はそれを無言で受け取ると、彼女は身を翻していってしまった。……誰だろう?虎千代は、心臓がどきどきするのを感じた。…なんだろう?この気持ちは……?
 その夜、虎千代は「悪夢」を見た。
 彼が独りふとんで眠っていると、父親の気配を感じた。目を移すと、遠くの座敷に、なんと父親が横たわっていた。その姿はまさに亡霊だった。蒼白く、透明なのだ。
「……虎千代」
 突然、為景の亡霊が息子のほうに顔をむけて言った。「……虎千代、闘え!自由のために…。お前ならやれる。お前には勇気がある。自由のために闘え!」
 虎千代は声も出なかった。そうして動揺していると、亡霊はふっと消えた。
 その次の朝、彼は金津新兵衛にそのことを言ったが、新兵衛は信じず笑うだけだった。…そのようなものはただの「夢」にござる、というのだ。
 そうだろうか?
  まもなく年が改まって、天文六年、虎千代は八歳となった。
 春日山城と目と鼻の先の府内(直江津)に館を構えている守護上杉定実が使いの者をよこして「大事な話があるから虎千代を連れてくるように」と言ってきた。
 金津新兵衛は「すわこそ……若殿さまの身が危ない」と緊張した。
 ……守護は、若殿さまを殺すかも知れない……もしや……。
「若殿さま、申し訳ござらぬが「仮病」を使って頂きたい」
「仮病?」
「はっ、このままでは虎千代さまの身が危うくござる。そこで病気なればのこのこ「虎の巣」へまいらなくてもようございます」
「そうか。……では俺は、炒豆と焼栗を食べ過ぎて腹くだりしたことにしよう。そちはもっともらしい言い訳をいいながら向こうの様子を探ってまいれ」
「はっ」
 金津新兵衛は、まだ八歳であるはずの虎千代の「智将の片鱗」に感動を覚えた。…もしかするとこの若殿さまは本当に大物になるやも知れぬ。…越後国一…いやこの天下一の武将に………。
 新兵衛は家臣たちに「くれぐれも警戒するように」と言って出掛けた。
 虎千代はあししげく厠に通った。「腹が痛い、腹が痛い」と言いながら、苦悩の表情で厠に何度も通った。そして、薬師のもってきた薬を、虎千代はわざと大袈裟に呻きつつ飲み込んだ。……あざやかな芝居である。まず家臣に見せて、敵にも嘘が伝わらないようにする。一番みせるのが召使の女たちにである。女は口が軽い。芝居で病気のふり……などと本当のことをいえば、たちまち守護の耳にも入るというもの。女、子供には注意しすぎるということはない。
 だが、だからといって虎千代は「女子嫌い」でもなかった。只、女は愚か、と思っていた。が、嫌いな訳でもなかった。この思いは、冷たかった亡き母親へのコンプレックスであろう。女子など糞っくらえだ!
 まだ、父親の長尾為景が健在で、城のあちこちを自由に歩きまわっていた頃、虎千代は猫や猿が赤ん坊に乳をやるのをみるのが大好きだった。幼い子供が母親の暖かい胸に抱きしめられて乳を飲む……なんとも幸せな気分になったものだ。それにひきかえ、俺の母親は……。虎千代は母を呪った。
「虎千代さま、仮病はつかわなくてよくなりました。さっそく府内(直江津)にまいりましょう」
 戻ってきた金津新兵衛は、言った。
「俺を府内につれていくのか?」
「はい、御屋形様はたいそう優しい方のようで…私の勘違いでございました」
「なんだと?」
 虎千代は怒った。…先程まで「仮病をつかえ」といっておいて、すぐ手の平をかえしたように「さっそく府内(直江津)にまいりましょう」と手前勝手なことをいうので怒ったのだ。金津新兵衛は、守護の上杉定実を虎千代の敵のひとりにあげていた。というのも、父親の長尾為景は守護代のくせに守護・上杉定実を圧迫したり、幽閉したりしたこともあり、さながら家臣を扱うような態度をとったからだ。しかも、上杉定実の養父で、先代の上杉房能(ふさよし)を襲って自害させたこともあったからだ。
 話をきいて虎千代は、
「ならば父上こそ逆臣ではないか?」と言った。
「話だけなればそうでしょう。ただ、御先代さまは守護が無能なため、あえてそのような態度をとったのでありましょう。すべて国人衆のためにです」
「俺が守護なら、そのようなやつの息子は殺してやるわ」
「だから、このようにお守りしておるのです」
「そうか。…………兄上は無事か?」
 虎千代は話題をかえた。
 兄上とは、虎千代の兄・長尾晴景のことである。晴景はうらなり顔で凡人だ。死期を悟った長尾為景はこの二十七歳の青年に守護代・当主の座を譲っていた。れっきとした春日山城主であるが、豪族の誰も彼を認めてはいなかった。
 上杉定実の元にいくと、たいそう優しく可愛がられ、りっぱな太刀や馬まで贈られた。「虎千代」は幼名を改め「景虎」ときょうから名乗ることになった。「まことにありがたく存じまする」
 景虎は晴景と定実に平伏して言った。
 越後守護・上杉定実は、色部、黒川、本庄、加地、水原、中条、新発田などの豪族たちを臣従させねば国主にはなれない、と説いた。それから守護は、加地の祖先のことを説いた。そのところ、それは佐々木四郎高綱のことでありましょう、と明晰に景虎が言った。「そちは物知りじゃのう?八歳とは思えん」
 無能の兄・長尾晴景は面目を保とうとして馬脚を現した。「そのようなことはわしも知っておる。佐々木四郎高綱が梶原景時と戦って勝った話しは有名だからな。いい気になるな」
 越後守護・上杉定実は吹き出した。
 …俺は知らなんだ、お前は物知りだのう…と褒めてやればいいのに…この守護代のおつむは弟の半分もない。女色だけは一人前だが…。
「守護代殿、景時は景季の親父じゃ。あまりいいかげんなことを申すと、弟に笑われまするぞ」
 無能の兄は、とたんに恥ずかしさで顔を真っ赤にした。そして、きっと弟を睨んだ。
「景虎殿、わしを亡父のかわりだと思ってよいぞ」
 上杉定実は言った。…馬鹿にするな!お前のような弱いやつを誰が父親などと思うか?!景虎はそう思ったが、ぐっと堪えて言葉にはしなかった。
 こうして、天才・景虎はのちにふたりの凡人に反感を買い、生命を狙われることになる。その危険を逸早く察知したのは、景虎の家臣・金津新兵衛だった。

「若殿さま!……今のうちに逃げましょう」
「逃げる?」
「はっ」新兵衛はうなづいた。「このところ毎週のように悪い噂がきこえてきます」
「噂とは?俺を殺すと……?」
「その通りにございます」新兵衛はふたたび頷いた。「さぁ、逃げましょう。私の家臣のもの四人も一緒に若殿さまをお守りいたします」
「……どこに逃げるというのか?」
 景虎は怪訝なままきいた。
「まぁ、若殿様の母君の実家、栖吉城へいくのが妥当かと」
「………栖吉城か。ならば、そこへいく道程、刺客がくるやも知れぬ。変装してまいろう」「変装?」
「そうだ。山伏の格好が妥当であろう。それならば怪しまれぬ」
 景虎の家臣・金津新兵衛や家臣四人は関心してしまった。……なるほど。さすがは景虎さま、それはいい。山伏か。………こうして六人は山伏の格好となり、山道を急いだ。
「俺がこの峠に陣を張れば、春日山城の兄上を攻め崩せると思うが、どうだ?」
 景虎は言った。新兵衛や家臣四人はハッとした。若殿はもう春日山城攻めを考えてらっしゃる。なんと野望の高き少年だろう。
 しばらくすると、太陽も沈みかけてうっすらと夜がきた。一行は足をとめ、「腹が減った」と景虎は言った。だから、ひとにぎりの家臣の者は用意していた弁当を開けた。
「俺の大好物が入っておるではないか」
 景虎は言った。…彼の好物の栗強飯と鮭の酢割だった。「箸をだせ」「はっこれに」弥太郎が箸を差し出すと、景虎は雪の上にどっしりと胡座をかいだ。そして食べようとした。その時、家臣の千代松が、
「お待ち下さい」と言った。
「……なんじゃ?」
「毒味をします。それがしが口にしたものだけをお食べ下され」
 千代松はそういって食べると「旨い」と言った。だから一同は笑った。「よし、食おう」食い始めると、誰かが竹筒の水を差しだした。ごくごくと飲む。
「おや」
 景虎は言った。「これは若狭屋に謀られたぞ」
「なんですと?!毒ですか!?」景虎の家臣・金津新兵衛や家臣四人はうろたえた。しまった!と思った。竹筒に毒を……?しかし、景虎は笑った。
「これは酒じゃ」景虎はまた笑った。「俺は初めて酒を飲んだが、とても旨いものじゃのう、はははは」
 一同はほっとした。
 こうして、景虎は八歳にして「大酒家」の片鱗を見せつけるのだった。       


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノ戦争 ピアノと少女との葛藤と純愛ブログ連載小説4

2013年09月11日 05時43分58秒 | 日記
ライバル出現




  上杉景虎と涼子は、三歳の景時を可愛がった。
 それはもう溺愛ぶりで、居候の石田みつ子が呆れるほどであった。
 しかし、面白くないのが継母の秀子である。上杉(旧姓・宇喜多)秀子は若くて、涼子と十五歳ほどしか離れてない。しかも、綺麗ではあるが、我儘で、怠け者で、料理も掃除も下手くそ。料理上手で、優しくて家庭的な涼子とは正反対の女なのである。
 だから、秀子はそんな涼子に嫉妬していた。
 ……あの娘は面白くない……気に入らない… そう思っていた。
 だから、秀子はそんな涼子に嫉妬して、涼子とふたりきりになったとき、
「涼子さん。私の子(景時のこと)をあやさないでくれる?」と、いった。それは威圧的な抑圧のある声だった。
「でも」
「でもも屁ったくれもないわ!」
「景時は私の義弟でもあるし」ためらった。
「だから?」秀子の目は危険な輝きをはなっている。
「可愛がってもいいのじゃないですか? 今が一番可愛い年齢ですし」
「ふん!」秀子は鼻を鳴らして、「それは屁理屈だわ」と、的はずれの言葉をはいた。
「どういう意味ですか?」
「ふん!」秀子はふたたび鼻を鳴らした。
「弟を可愛がっては悪いんですか?」
「えぇ!悪いわ!」
「なぜです?」
「嫌いなのよ。あたしはあんたが嫌いなの!」
 秀子は悪罵を浴びせかけるように涼子にいった。涼子は、何といっていいか分からず茫然と沈黙した。まぁ、薄々、自分のことを秀子は嫌いなのはわかっていたが、こうハッキリいわれるとは思いもよらなかったのだ。だから涼子は、「……私、秀子さんになにか悪いことをしましたか?」と、狼狽して尋ねた。
 すると秀子は、「いいえ。なにも、ただ」続けた。「そのお嬢さま顔が嫌い。目が悪いのもね」そう吐き捨てるようにいうと、横柄な態度で場を去った。
 涼子はひとりになり、どうしていいかわからなくなった。
 顔と……目が悪いのが……嫌い…?
 彼女にはどうしようもないことで、秀子に嫌われた。それがショックだった。
 そして、涼子は、私はこの先、秀子さんとどう付き合えばいいのだろう?
 と、苦悩した。




  涼子の苦悩と同じかどうかは分からないが、石田みつ子も悩んでいた。
 前述した通り、『石田みつ子ピアノ教室』の生徒が、どんどんと『徳川音楽学校』という大きいところにとられてしまっていたからだ。新規の生徒も伸び悩み、経営も逼迫する。 町の音楽教室も軒並み同じだったが、とくに、みつ子のような個人教室のダメージは計り知れないほどだった。
「このままでは教室は潰れるわ」石田みつ子は教室で弱音をはいた。   
 と、「いえ。そうとも限りますまい」島右近が宥めた。
「……でも…」
「心配していても始まりますまい」
 夕方の教室にはふたりしかいなかった。夕焼けのセピア色が室内をオレンジに染めていた。もうすぐ夜がくる。すべてを包むかのような夜が。しんと光る月…。それは、しんとした感傷だ。すべての感傷だ。愛しいほどの。
 石田みつ子は、「何かいい策はない?右近さん」と、問うた。すると、右近は、
「……ひとつだけ……策はあります」といった。
「どんな?」
「それは……」島右近は続けた。「『徳川音楽学校』は大きく設備も整っています。しかも駅前で、立地条件もいい。生徒としては最高のところかも知れません。…ただ、『徳川音楽学校』にはなく、『石田みつ子ピアノ教室』にあるものがあります。それは…実績です。教える側の実績や家格です」きっぱりいった。
「教える側の……実績や家格……?」
 石田みつ子は真剣にきいた。
「はい。『徳川音楽学校』には一流の先生が揃ってます。が、一流ということでいえば、みつ子さん……あなたのほうです。あなたは不慮の事故で引退したとはいえ、ショパン・コンクールで優勝した腕前。あなたにかなう人材がいるでしょうか?」
「でも」みつ子は暗くいった。「それは過去のことだし…今は指が動かずに…そんなにちゃんと弾けないありさまなのよ」
「いえ。それでも、あなたは一流です」
「ありがとう」みつ子はそっけなく言った。そして、「でも、過去の栄光なんて役にたたないわ。過去の栄光じゃあ食べていけないもの」と弱音を吐いた。
 で、「私は過去の遺物よ」石田みつ子はそう吐露した。
 すると、島右近が、「それは違います!」と大きな声でいった。
「みつ子さん、この教室はあなたでもっている。そして、策はあります!」
 右近はいった。「この教室は、『徳川音楽学校』のような規模はない。しかし、実績があれば勝てます。まず、実績を積み重ねなくてはなりません」
「実績?」是非答えがききたかった。
「そうです!まず、この教室の戦力である(上杉)涼子ちゃん(真田)幸代ちゃん(毛利)輝子ちゃんや(小早川)秋子ちゃんに頑張ってもらわなければなりません」
「あ!4人にコンクールで?」
「さよう」右近はにこりと頷いた。
「来年の冬に、関ケ原コンサートホールで『全日本ピアノ・コンクール』があります。そこで、4人には予備選から優勝まで、順調に駒をすすめてもらいます」
「天下分け目の関ケ原」
 みつ子は胸をどきどきとして興奮した。「あの4人がなんらかの成績を残せば」
「さよう!」右近は大きく頷いた。
「4人がなんらかの成績を残せば。いや、涼子ちゃんなら優勝もありえる。とにかく、関ケ原でなんらかの勝利を得れば、徳川を破ることも可能です」
「勝てるかしら?」
「勝てます!絶対に。石田、上杉、真田、毛利、小早川らが揃えば怖いものなし!まさに最強の布陣です」
「そう?」みつ子はそういったが、あながちまんざらでもなかった。
 そう、軍師・島右近のいうように、関ケ原の『全日本ピアノ・コンクール』でなんらかの結果をだせれば……生徒も戻ってくる…。
 石田みつ子は元気を取り戻した。
 とにかく、勝つのよ!関ケ原で!  みつ子は強く願った。
  あるとき、涼子は毛利輝子の脚や手のアザに気付いた。「どうしたの?輝子ちゃん」 「な、なんでもない」毛利輝子はそう暗く答えた。実は、彼女は父親に躾と称して暴力をうけていたのだ。
「痛くない?」心配気にゆっくりときいた。
「痛いけど、いいの。私が悪いんだから」輝子はいった。

  上杉涼子の眼は、前よりも一層悪くなっていた。
 視力が低下し、辺りが暗く感じられた。でも、涼子はそれでもピアノの練習を続けた。高校の野球部のマネージャーは、とうの昔にやめていた。もう高3だし、大学は受験しないけれど、ピアノの練習に没頭したかった。それで辞めた。
 涼子は『ショパン』の音楽が大好きだった。
 視力が悪い中、『雨だれ』や『幻想即興曲』『英雄ポロネーズ』『革命』などを弾き、練習した。華麗な旋律は、彼女の目の前の恐怖を少なからず忘れさせてくれた。
 彼女は、ピアノがうまかった。とくにショパンやリストの作品を弾くときは、石田みつ子でさえ驚くほどうまく弾いた。でも、……目が見えなくなったら……。という不安は拭えなかった。
 でも、涼子は負けない。挫けない。
 恋人の武田玄の帰国を待ち侘び、頑張った。とにかく必死で、ピアノに向かった。恐怖を忘れるために。お守りをポケットにしまい、とにかく必死に弾いた。

  数日後、島右近から来年の『関ケ原でのピアノ・コンクール』のことを生徒達はきかされた。「まさに、天下分け目の関ケ原です」右近は熱心にいった。
 とにかく、これは教室の存亡が懸かっている、とまでいった。
「もはやこれはコンテストではない。合戦なのです。ここ『石田みつ子ピアノ教室』が勝つか……『徳川音楽学校』が勝つのか……これは合戦です!」
「そう。徳川なんかに負けないで!一緒にコンクールで勝って……頑張りましょう!」
 石田みつ子も熱心にいった。
「わかりました」涼子や毛利らは返事をした。
 ……もはやこれはコンテストではない。戦争なのだ……。
 教室の主力メンバーはそのことを肝に命じた。


  ”戦争の名乗り”を知らされたあとのこと。
 それからしばらくして、涼子は真田幸代や毛利輝子とともに町の大手『楽器屋』にいった。気晴らしのウインドウ・ショッピングでのことだ。しかし、小早川秋子は「バイトがある」とかで来なかった。真田も毛利も小早川も、涼子に比べればパッとしないが、それでも華奢な体で、手足も細く、髪も綺麗で、美形である。
 彼女らは新型のピアノやシンセサイザーやらを見て回り、楽譜の品定めをしていた。
 涼子は目が悪いため、「輝子ちゃん。ショパンのいい楽譜ある?」ときいた。
「う~んとね。あるかも、待ってて」
 毛利は楽譜を探した。
 そんな時、「あなたが上杉涼子ね?」という女の声が響いた。
 涼子らが背後を振りかえると、そこに同い年くらいの髪の長い美少女がいた。いた……というか仁王立ちしていて、偉ぶった美少女がいた。となりには”お付きの者”の少女らがいる。その娘が涼子に声をかけたのだ。「…あなたが……上杉涼子ね?あの石田みつ子の弟子の…」
「あのぉ。どちらさまでしたか?」ためらった。
 涼子が戸惑っていうと、その娘は、「あたしの名は徳川朋美。徳川グループのオーナー、徳川康家の孫よ」徳川朋美は、偉そうに腕組みしていった。
 彼女は涼子と同じ年で、涼子のライバルになる。ちなみに”弟子かお付きの者”の少女ふたりは、名を、福島正子(16)と黒田長子(17)である。朋美はすらりとした体系に細い手足、長い黒髪で、瞳は大きくて、背は高く、セーラ服を着ている。”側近”たちもまあまあ美人なほうだ。涼子たちも学校は違うが、制服姿だ。
 一同は対峙した。
 しかし、優しい涼子だけは敵愾心を見せず、「そうですか。私は上杉涼子です。よろしくね、朋美ちゃん」と笑顔でいった。
 すると、徳川朋美は、ふん!と鼻を鳴らして、「冗談! あんたみたいなのと」とナマイキにいった。
「……あのぉ……そのぉ…」涼子が周章狼狽すると、輝子が「なによ、あんた!ナマイキよ!」と文句をいった。でも、朋美は動じず、「あなたは?石田みつ子の弟子?」ときいた。
「そうよ! 私は毛利…毛利輝子! そしてこっちは真田幸代ちゃん。あんたたち、ピアノ弾ける?どうせポップスとかロックのCD聴くのが専門でしょ?!」
「ふん! あたしはピアノの名手っていわれてるのよ。昔は『神童』って呼ばれてたんだから、正子も長子もそうよ!」
 朋美はまたまたナマイキにいった。
「ピアノの名手?神童?!」涼子たちはびっくりした。しかし、幸代は「でも、涼子ちゃんには勝てないわね。なんたってみつ子先生の一番弟子だもの」
 とタカをくくった。しかし、朋美は餌には食らいつかなかった。
「それはそれは、来年の全日本ピアノ・コンクールが楽しみだわ。私たちも出るのよ。”関ケ原”で待ってるわ!予備選で落ちなけりゃの話しだけど…ほほほ」
 徳川勢はそう笑うと、歩き出すだけだった。
 そして、朋美は「あんたの目が見えなくなったら、あたしには一生勝てないわよ」
 嫌味をいって歩き去った。その言葉があまりにも真実を突いていたため、涼子はこころもち身をこわばらせた。百本の薔薇の棘に刺されたように、突然、全身に痛みを感じた。「なにっ!このぉ!」と、いったのは輝子である。
 涼子は、その言葉に少なからずショックを受けた。
 だが、優しい性格の彼女は、憎悪の感は持たなかった。
 ただ、眼が見えなくなったら……と恐れた。


  涼子は近所の常安寺におまいりにいくのを日課にしていた。
 彼女の目は益々悪くなり、道路を歩くにもステッキが必要になっていた。でも、お参りは欠かさず行った。それは、朝にだ。
 早朝に寺で拝礼していると、直江和尚がやってきて、「やあやあ涼子ちゃん。今日もお参りかい?関心なこった」と笑顔を見せた。
「和尚さん」
「ん?なにか、悩みごとでも?」
「はい」涼子は頷いた。そして、「私……失明しちゃったらと思うと……ピアノも弾けなくなるだろうし…」
「ほう」
「私、どうしたらいいでしょうか?」
 和尚は真剣な顔になり、「他人にきいちゃあいかんな。そういうことは自分で考えなくちゃ」
「でも」
「涼子ちゃんはな、強すぎる、んじゃ」
「強い? どこがですか?」
「うむ」和尚はいった。「ピアノの腕にしても、目のことにしても、ずうっと我慢してきた。これは強くなければ出来ん。だが……それじゃあダメなのじゃ。涼子ちゃん……もっと弱くなれ。弱くなるんじゃ」
 和尚は諭した。「誰でもひとりっきりで生きてる訳じゃない。いろいろなひとに助けられて人は生きてる。それはすべての動物も同じ。もっと弱くなって……いろいろなひとに助けてもらいなさい。ときには甘えるのも必要なのじゃ」
「甘える?」
「そう。それもときには必要じゃ」
 和尚はそういって魅力的な笑顔をみせ、場を去った。
 上杉涼子はその諭しに励まされ、元気を少しとりもどした。
 …もっと弱くなって……いろいろなひとに助けてもらいなさい。ときには甘えるのも必要なのじゃ……。それは、彼女の胸にじんと響いた。そして、元気がでた。
 しかし、彼女は帰り際に『事件』に巻き込まれる。
 涼子はステッキで確認しながら歩道を歩いていた。すると、派手なシャツを着たチンピラたちが彼女の美しさに目をつけ、近付いてきた。へらへら笑って。
「ねぇ、彼女!」チンピラは涼子の前に踊り出て行く手をふさいだ。
 上杉涼子は怖くなったが、目が悪いためにぼんやりとしかチンピラの男たちの顔姿がみえない。でも、ガラの悪そうな男たちであることはわかった。
「あの…」恐怖で声も出せない。
「ねぇ、彼女。名前なんてえの?俺たちと遊ぼうぜ!」
「俺らと仲良くしてよ!ほら、怖がんないでさ」
「遊ぼうぜ!」
 チンピラたちはへらへら笑っていった。
 涼子はどうしていいか分からず、狼狽し、動揺した。誰も助けてくれない。……誰か!助けて! 彼女がそう思ったとき、「やめないか!」と男の声がした。チンピラたちが振り返ると、そこにはハンサムな青年が立っていた。彼がチンピラどもにいったのだ。
「なんだ?! テメえ!」
 チンピラどもが威嚇すると、ラッキーなことに自転車に乗った巡査がきた。それでチンピラどもは「覚えてろよ!」と、捨て台詞を吐いて去った。
 なんにせよ涼子は助かった。
「…あの……ありがとうございます」涼子は彼に言った。すると、彼は「いいって。当然のことをしたまでさ。…あ、俺は織田信忠っていうんだ。君は?」
「…私は………上杉……上杉涼子です」
「そう。いい名前だね」
「そうですか?……ありがとうございます」涼子は少し頬を赤くした。いけない! 私には玄くんがいるのに。
「助けたからってずうずうしいと思うかも知れないけど。いつか…いや、今度、俺とデートしてくれませんか?」涼子はびっくりしてから、「……あの。まぁ、そのうち…」と曖昧に答えた。そして、頬を赤くした。ほのかな恋……? いけない! 私には玄くんがいるのに…こうして、上杉涼子と織田は別れた。
  それは、新たなる事件の前触れで、あった。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贖罪・あゆみ 歌姫・浜坂あゆみの波乱の半生アンコールブログ小説8

2013年09月11日 05時39分59秒 | 日記
出生の秘密




  一月というのに、その日はとても暖かく晴れた一日であった。
 太陽ははるか遠くにあるが、きらきらとした陽射しが辺りを照らしていた。東京でも、雪が少し降った。でも、たいしたことはない。雪国の豪雪に比べたら、東京の雪なんて眉毛からおちるフケみたいなものだ。
 暖かい日はなにかいいことがおこる気がするわ。
 春子はそうおもった。家政婦の秀子ちゃんは結婚してしまい、やめていた。だが、春子は新しい家政婦を雇おうとはしなかった。
 これからはすべて自分でやらなくては…。
 春子は専業主婦のなんたるかを理解したようだった。
 春子は掃除機をかけながら、なんともいい気分になっていた。天気のせいだ。
 ひさしぶりにピアノを弾いてみたい。
 体の底から音楽が鳴り響き、口元や頭までぐんぐんのぼってくるような衝動に、春子はおどろいた。しかし、ピアノを弾くのは親友の奈々子が死んだとき以来である。
 ピアノを弾くのは七年ぶりだわ。でも弾いてみたい……
 あゆみにもピアノを習わせよう、と春子は前から考えていた。
 またピアノを弾こういう気になると、自然と掃除もリズミカルになった。
 掃除がおわると、春子は窓をしめた。家には春子以外誰もいない。
  亮一の書斎は、けっこう広い。
 八畳の洋室である。窓のところと扉のところ以外はすべて書棚である。
 英語やドイツ語の書物や、むずかしい書物が並んでいる。また、亮一は医学にも興味ああったらしく医学書も多くある。
 机には地球儀があり、筆記用具やノートなども並んでいる。
 几帳面な亮一は、机の上を春子にでさえさわらせない。
 春子は、どうして自分のことを秘密にするのかしら? と疑問におもった。         
 わたしたちは家族で、夫婦でしょうに。なんの秘密や憚りがいるというのか?
 なにかわたしにいえない秘密があるのかしら?
 春子は鋭く思った。
 女の勘は恐ろしい。
 しかし、”女心と秋の空”などというが、亮一の心のほうがよほど”秋の空”である。新婚当時はあれほど春子に夢中で、一日中愛し合っていたのに、今やセックスなどないに等しい。春子の美貌は少しも衰えてはいない。なのに…なぜ…?
 いや。亮一はいまだに「松崎奈々子」のことが忘れられぬのだ。
 しかし、そんなことは春子にわかる筈もない。
 だが、春子だって女だ。
 夫に愛され、抱かれて「愛してるよ」とでもいってほしい感傷にかられることもある。若い娘のようにストレートにはなれないが、春子だってまだまだ若い女なのだ。
 愛されたい それはセックスがすべてではない。「愛してるよ」と耳元で囁いてくれるだけでもいいのだ。若い娘のように”愛撫”や”挿入”がすべてではない。私は愛されたい…
 春子は悶々とした気持ちであった。
 若い娘のように気持ちをぶつけられたらいいんだけど、いい年して「抱いて!」はないだろう?ならどうすれば夫の気持ちが自分にむくのか…?それとも緑川さんともう一度情事を……。それって浮気だわ…不倫だわ……。
 春子は悶々とした気持ちと煩悩にとらわれ、頭をかるく振った。
 すべてがひっくり返るような出来事を知るのは、そのあとすぐだった。
 春子は、ふと、机の上にあった日記に目をうばわれた。それは黒い手帳で、亮一のものである。亮一は春子にでさえ日記の中身を読ませたこともない。
 ……それは秘匿の日記であった。
 魔がさした。
 春子は興味を抑えきれず、とうとう誰もいない部屋で、日記をそっと開いた。

 ……”○○月××日  ○○氏と会う。今後、××市の工事について……
    ○○月××日  会議で時間をつぶす。公共工事(図書館)について。
    ○○月××日  また会議。○×戦略会議。時間の無駄だ……”

  亮一の日記は、すべてについてこれであった。
 つまり、すべて仕事のことなのだ。
 春子は、「まぁ、全部お仕事のことばかりだわ」と溜め息をついた。
 そして、「少しは家族のこととか書けないのかしら」と呆れた。
 だが、次のページで、春子は驚愕することになる。
「……まぁ!」春子は全身が小刻みに震えてくるのが自分でもわかった。
 寒さからではない。
 亮一の日記の内容に驚愕し、身が震えたのだ。
 その内容は、春子の予想をはるかに越えていた。

 ……”あゆみはますます可愛く成長している。さすがは俺と奈々子の子供だ。
    松崎奈々子と俺の関係は、春子が知るすべもない。あゆみは俺と奈々子の子供だ。   俺たちの仲を春子は知らないだろう。知らずにあゆみを可愛がっている。ざまぁみ   ろだ!緑川なんかと不倫した報いだ!
    あゆみは俺と奈々子の子供だ!いずれ春子は自分の馬鹿さかげんを知るだろう。   いい気味だ。そして……”

  春子は動揺し、周章狼狽し、日記を閉じ、開いて読んだのがバレないように位置を整えた。日記は今までのままのように存在している。しかし、もはや春子は今までのように存在することが出来ないくらい動揺した。頭がフライにされたように疲れが襲った。世界の終りがきたときに何がいえるだろう。あまりの衝撃で、心臓がかちかちの石と化して胸にずっしりと垂れ下がると同時に、全身の血が凍りついていくのを感じた。
 なんてこと! 愛娘あゆみは………夫と奈々子の子供……? そ……そんな……!!
 春子は動揺した。
 自分のレゾン・デートル(存在理由)を疑うしかなかった。
 あれだけ信じていた亮一にも、そして親友だったと思っていた奈々子にも、裏切られた。夫と彼女は不倫していた。子供ができるようなことをしていたのだ!
 春子は憤慨までした。
 そして、春子は膝を床につき、崩れた。ひどい!ひどい!
 そのあとは号泣だった。
 自分にも落ち度はあったとはいえ、信じていた亮一にも、そして親友だったと思っていた奈々子にも、裏切られた。夫と彼女は不倫していた!
 そして、ふたりには子供が出来た。
 それが、もらってから今まで可愛がっていたあゆみ、浜坂あゆみだ。
 春子はひとりの部屋で、泣いた。すべてがしゅうしゅうと音をたてて、体中から生気が抜けていくかのようだった。とにかく、春子は泣き崩れた。

  春子が泣きやんで、鏡台にむかってぼうっと化粧していたのは、数時間後のことであった。豪邸には誰もいない。皆、出掛けていた。
 春子は無言だし、陰鬱な顔だった。
 外出する訳でもないのに化粧を直していた。
 口紅を塗り、ファンデーションを頬に塗り、とにかく無心で化粧した。
 ……なんて…こ……と……あゆみ…が…
 まるで化粧しなければ気が狂わんとばかりに、春子は鏡にむかった。春子の美人の顔は、化粧によってもっと美になった。もう三十代の子持女だが、とてもそんな風にはみえない。きっと、春子が若作りした服でも着て街をあるいたら男はほっておかないだろう。ナンパされることはほぼ間違いない。春子はそんな美人だ。
 しかし、春子にとってはそんなことはどうでもよかった。
 春子は憎悪の念を抱いていた。
 自分にも落ち度はあったとはいえ、信じていた亮一にも、そして親友だったと思っていた奈々子にも、裏切られた。夫と彼女は不倫していた!
 鏡の前から立ち上がり、茫然とキッチンで玉葱のせんぎりしているとき、小学生のあゆみがひとりで帰ってきた。
「ただいま~っ!」それはくったくのない声だった。
 あゆみは母親の憎悪の念など知るよしもない
「あれ? わぁ、お母さんきれい。お母さん、このあとどこかへ出掛けるの?」
 あゆみがキッチンにやってきていったが、春子は何も答えなかった。
「どうしたの?お母さん?怖い顔して、なにかあったの?」
 春子はなんの反応もみせなかった。いや、心の中で憎悪の炎を燃やしていた。
 信じていた亮一にも、そして親友だったと思っていた奈々子にも、裏切られた。夫と彼女は不倫していた!そして、あゆみはふたりの子供だ……!
「お母さん?」
 あゆみが低い声でいったとき、遂に春子は怒りを爆発させた。
 春子は激しく心臓を高鳴らせ、震えたまま包丁を振り回した。刃はあゆみの左腕をかすめ、微量に出血した。あゆみは「…痛い!…お…お母さん?!…」
 といったが、春子は鬼にでもとりつかれたように怒り顔である。
「お母さん?……ど…どうしたの?!」
「あ…あゆみ!殺してやる!」
 春子は正気を失っていた。怒りで、精神錯乱したのである。あゆみは「きゅあああ!」と悲鳴をあげて逃げた。春子が鋭い刃先の包丁をかまえて追いかける。そして、あゆみは行き止まりで足をとめた。ばっ!と恐怖のまま振り替えると、母の春子が包丁をかまえて静かに近付いてくるのだった。…家にはふたりだけだ。
「……お母さん……や……やめて…!あゆ……なにか……した?お母さん…に?!」
「…あ…あゆみ!殺してやる!」
 はあはあ息をしながら、動揺するあゆみのもとに、春子は迫った。
「…や……やめて…!あゆ……なにか……した?お母さん…に?!」
「…あ…あゆみ!殺してやる!」
 春子は包丁を落とし、娘の首に両手をかけ締めはじめた。あゆみの顔がどす赤くなった。…ううぅ。しかし、すんでのところで理性が勝った。春子はしだいに錯乱から覚め、両手をあゆみの首からはなし、床にへたりこんだ。あゆみは荒く咳をし、床に膝をつき、荒い息をした。あゆみは冷たい血が全身に広がるのを感じ、狼狽した。
「……お母さん……あ……あゆ…なにか悪いこと…した…?」
「…いいえ…許して…」
「お母…さん?」
「いまあったことは誰にも…いわないで…。お願い…」
 あゆみはききわけがよかった。今、母親は自分を殺そうとした。でも、あゆみはそんな母を許した。「…わかった……あゆ、誰にもいわない…」
 春子は泣いた。あゆみも泣いた。

  その晩、亮一が帰ってきた。純也も帰ってきた。
 だけど、春子はその日の”騒動”のことを誰にも気付かれないように隠しとおした。あゆみは黙っていてくれるといった。正直な子だから本当に誰にもいわないだろう。あゆみはそんな娘だ。しかし、どこかで騒動の根がバレるかも知れぬ…。春子は身震いした。
 だが、春子はあゆみの出生の秘密を知ったことをいわなかった。
 しかし、あゆみの姿が見えない。もう晩御飯の時間だというのに、彼女はいなかった。「あゆみはどうしたんだ? どこにいった?」
 亮一がいうと、春子は「さぁ」としらじらしく答えた。
 純也はTV番組『ガンダム』を熱心に観ていた。
「ちゃんとみてなきゃダメじゃないか」亮一はいった。
「すみません」春子は頭をさげた。そして「まだ遊びにいったきり帰宅してませんのよ」と嘘をいった。
「そうか」亮一はそういった。
 春子があゆみの出生の秘密を知ったことなど、亮一は露ほども知らない。もちろん、春子があゆみを殺そうとしたことなど知るすべもない。
「あゆみ遅いな。もう夕飯なのに」
 亮一はしつこくいって時計をみたが、春子は知らぬ存ぜぬを通した。

  あゆみは家出をしていた。少し泣きながら暗い道を歩いた。
 いかに、優しく芯の強いあゆみでも、今日の出来事は大きなショックであった。自分に優しくしてくれていた母親の春子が……自分を殺そうとした。包丁を振り回し、首を両手でしめた……。自分を殺そうとしたのだ。
 あゆ、なにかお母さんに悪いことしたのかなぁ
 優しい子である。
 けして、母親を呪ったり罵倒したりしない。
 だが、あゆみには行くあてなどなかった。御腹も空いてきたし、まだまだ外気は寒い。食事しようにも小遣いがない。どうしよう……
 そんなとき、「あら? あゆみちゃんじゃないかい?」と女の声がした。
 あゆみが振り替えると、そこに割腹のいい体躯の女がいた。その女はにやりと笑って、「あゆみちゃん。どこかいくのかい?」ときいた。
 それは小室みつ代であった。
「……おばさん…あの…」
「どうした?あゆみちゃん」みつ代は察した。「なにかいやなことがあったのかい?」
「…………別に…」
 あゆみは嘘をいった。
「そうかい?おばちゃんに嘘はきかないよ。春子と喧嘩でもしたんかい?」
「……う……ううん。してないよ」
「ふむふむ。まあいいか。それより、腹は減っとらんか?」
「ううん。御腹いっぱい」
 あゆみはまた嘘をいい、首を軽く左右にふった。と、同時に、あゆみのお腹がぐうぐう鳴った。みつ代は大笑いして、「わははは。あゆみちゃん、教会にきなさい。美味しいものたらふく食べさせてやるわな!」といった。
  教会にいき、食事を御馳走になると、あゆみは小室みつ代にお礼を述べた。だが、あゆみは口が堅く、春子が自分を殺そうとしたことなどは一切話さなかった。
「春子には電話しておいたから、安心しな。ここに泊まってもいいんだよ」
 小室が優しく声をかけると、あゆみは「ありがとうございます、おばちゃん」といった。「まあまあ、礼儀のいい子だねえ。春子の躾がいいのか…鳶が鷹を生んだんだか…。おばちゃんわからんよ」
 小室は笑った。
 そして「これからゴスペルの練習があって皆が集まる。見学するかい?」といった。
「はい!」あゆみは笑った。
 教会で、二十人くらいの女性たちが集まってゴスペルの練習をした。彼女等はセミ・プロでインディーズでレコードも出していた。団体名は、……”ボイス・オブ・ジャポネ”である。インディーズではあるが、さすがに歌がうまい。息がしっかり合っていた。
 しばらくすると、あゆみも歌を歌い出した。
 実は、あゆみの夢は歌手である。だから、いろいろなところで歌を唄っていたのだ。なかなかうまい。可愛らしい声であった。天使の声だ。
「ほう。あゆみちゃんうまいね!」
 小室が褒めると、あゆみは「あゆ……歌手になりたいの。それが夢なの」とにこりと笑った。小室は、「ほ~う。それはいいね」と笑った。
「あゆ……歌をみんなのまえで唄いたい。人気者になりたい」
「なら」小室は続けた。「おばちゃんのところへ通いなさい。ボイス・トレーニングしてあげるから。もちろん金はいらんよ」
「いいの?おばちゃん」
「あぁ!いいとも!」
「ありがとう、おばちゃん!」
 ふたりは抱き合い、抱擁した。
 なんにせよ、浜坂あゆみの夢へのワン・ステップを踏み出した瞬間で、あった。
 これからどうなるかわからないにせよ、貴重な一歩だった。ぐんぐんせまってくる雲の隙間から陽射しが照りつけてくるような、そんなしんとした瞬間だ。
 先は長い。それは繰り返しくるもので、永遠なものだ。
 確かに、永遠なんてどこにもない。でも、あゆみは永遠性を信じたかった。
 あゆ……絶対歌手になる……
 あゆみは心の中で叫んだ。


  春子が教会に迎えにきたのは、何時間も経ってからだった。
 とうぜんながら春子は”殺人未遂”のことはなにもいわない。あゆみも黙っている。あゆみは「…お母さん…」といった。するとどうだろう?春子は、「…あゆみちゃん。帰ろう」と優しい声でいった。
「うん」小室は薄々、気付いていた。ふたりのあいだに何かあったんだ。ということを。だが、それはきかなかった。ただ、あゆみという少女の素直な優しい心に感心するばかりであった。……春子には”出来た娘”だよ、あゆみちゃんって子は。
 小室みつ代はそう思った。そして、ふたりに手をふった。
 しかし、小室とて、春子があゆみを殺そうとした、などということまでは考えもつかなかった。それはそうだ!どこの世界に、娘を真剣に殺そうとする母親がいるというのか?  次の日に会社に着くと、亮一は溜め息をもらした。
 妻・春子は「あゆみをきつく叱ったからあゆみは家出をした」といっていた。しかし、はたしてそうだろうか?秘密がバレたのでは…?亮一は不安にかられ、胸が締め付けられるおもいであった。まさか…! 奈々子とのことは誰にもわからぬ筈だ!
 亮一は動揺した。
 しかし、そんな姿を誰かにみせるほど亮一は馬鹿ではない。
 奈々子とのことは誰にもわからぬ筈だ!
 亮一は大きく息を吸い、吐いた。わからぬ筈だ!
 そんなとき、秘書から電話を知らされた。
「誰だね?」
 問うと、秘書・鈴木杏子はやってきて「武田玄信さんという方からです」といった。
「……武田か……繋いでくれ」
「かしこまりました」
 やがて、電話が繋がった。
「もしもし?」
「おお!浜坂!」武田の電話の声は明るかった。
「なんだ?」亮一はいった。「なにかあったか?」
「緑川が」
 武田は続けた。「退院したらしい。また癌転移の心配もあるらしいが…」
「そうか」亮一は無表情のまま受話器にいった。
 武田玄信は、緑川鷲男と亮一の妻・春子とのことを知らない。
「ひとまずよかったって事で、お前に知らせたくなったんだ」
 武田は笑った。でも、亮一は笑わなかった。
 癌がよくなったか、ふん!
 でも亮一は、「そうか。そりゃあよかった。緑川のやつも大変だったな」というのだった。武田も頷きの声を発し、「まあな」と同調した。
 それから、二、三回言葉を交わし、電話はおわった。
 いつの間にか狭い社長室に、秘書の若い女性・鈴木杏子がいた。杏子は美人で、ひとなつっこい性格で、誰にでも優しい。若いのに礼儀もしっかりしている。秘書としては申し分ない娘であった。そんな杏子の様子がおかしい。つっ立って下を向いたままだ。
「どうしたんだ?鈴木くん」
 亮一が近付くと、鈴木杏子は急に亮一に強く抱きついてきて、「社長!わたし社長のことが好きです!抱いてください!」と嘆願した。そして、強く強く亮一に抱きつくのであった。
 亮一は狼狽し、「……や……やめないか!鈴木くん!…」といった。そして、両手で彼女を突き倒し、「…はあ…はあ…わたしには妻や子供がいるんだ!」と荒い息のままいった。声がうわずった。動揺と狼狽のためだ。亮一はこんな風に若い娘に迫られたことがない。だから動揺した。狼狽までしたのだ。一度は、確かに抱いた。だが、それだけだ。
 床に突き飛ばされた鈴木杏子のほうは、泣きだし、そしてそのまま社長室から飛び出していった。亮一は動揺しっぱなしで、なぜか春子のことを思った。
 春子も緑川にあんなふうに迫られたのだ、俺とどこが違うっていうんだ?
 亮一は動揺したまま、立ち尽くした。


   あゆみの小学校では学芸会があった。
 前々から、あゆみは母・春子にきてほしいと頼んでいた。春子は「わかったわ。絶対みにいく」と約束した。笑顔で、優しく。しかし、春子はいかなかった。
 学芸会では、あゆみはソロで歌を熱唱した。歌っている間も、あゆみは母の姿を探した。しかし、春子の姿はどこにもない。代わりに、小室みつ代の顔をみつけた。
 あゆみの歌は評判になり、拍手がやまなかった。しかし、春子はいかなかった。
 お母さん、どうしたのかなぁ?
 あゆみが不安なまま学校の校門までくると、小室が「あゆみちゃん、歌きいたぞ!すごいうまいじゃないか!あゆみちゃんなら…きっと歌手になれるよ」と褒めた。
 あゆみは「おばちゃん。お母さんなんでこないのかなぁ?」ときいた。
「さぁね。春子もしょうがない母親だね。娘の晴れ舞台をみにもこないなんて」
「なにかあったのかなぁ」
「ふん!なんもないさ。このあいだだって娘が家出しててもロクに迎えにこなかったじゃないか」
「でも」
「まぁ、元気だしなさい、あゆみちゃん!おばちゃんはあゆみちゃんの味方だからね」
 小室はほんわり微笑んだ。
 あゆみも笑い、
「ありがとう!おばちゃん……あゆ、絶対に歌手になる!」と誓うのであった。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノ戦争 ピアノと少女との葛藤と純愛ブログ連載小説3

2013年09月09日 09時32分23秒 | 日記
連弾と別れ



  石田みつ子は”暇”を出された。
 同居の家長・上杉景虎が、死んだ妻・良子の後釜に「若い女」をもらうためだ。
 独身のみつ子はすでに両親・親戚もなく、天涯孤独である。しかし、そうした事情も考慮してくれたのか?上杉景虎は「金をたんと出す。感謝の気持ちで」といった。
 しかし、みつ子は断った。
「ピアニスト時代の蓄えがあるので」といった。
 実際には蓄えも底を尽きかけていたが、ここで弱音を吐いたら”女”じゃない。
 景虎にほのかな思いをもつみつ子であったが、それは隠し通した。
 ………義兄さんへの思いは秘密に……。
 みつ子は決心していた。覚悟は出来ていた。ただ、私がいなくなったら涼子ちゃんはどうなるだろう? という不安をもっていた。
 言い知れない不安だ。どんよりと曇る空、泣きだしそうな天気のような。
  そして、不安を残しつつも石田みつ子はバックを手にひとりで上杉家を出た。
 ”あて”などなかった。でも、今は亡き両親の出身地である”米沢”の田舎にいこうと決めていた。あてなどない。田舎についたらアパートと手があまり動かなくてもできるパートでも探して…と、漠然と考えて家を出た。ピアノは置いていくことにした。涼子のためだ。
  上杉家を出て、長距離バスのバス停まで歩いていった。
 初夏のためか、むしむし暑い。石田みつ子は大きなバックを抱え、ハンカチで額の汗をふきつつ、黙々と歩いた。とにかく、もう東京ともお別れだ。そう思うと、泣きたいほど胸が痛んだ。これで、すべてとのお別れ……
 みつ子は絶望的な気持ちのまま茫然とバスを待った。

「みつ子おばさんは? どこにいったの?」
 学校から帰ってきた涼子は、百歳ちかくなる祖々母のたえにそう尋ねた。
「涼子ちゃん」たえはためらった。
「どこ?おばさんは?」
「涼子ちゃん」たえは暗くいった。「もうおばさんはいないのよ。出ていったの」
「どこへ?」
「米沢。とても遠いわ」
「な、なんで?!」涼子は急かせて尋ねた。
「涼子ちゃんのお父さんが若い妻をもらうんで、それで」
「嫌っ!」涼子は声を荒げた。そして、「私、みつ子おばさんがいないなんて嫌っ!連れ戻してくる!」といい、家を飛び出した。
「涼子ちゃん!」たえの声も届かなかった。
 とにかく、涼子は全力で必死に駆けた。途中、息切れしたが、とにかく駆けた。転んで膝小僧をすりむいたが、気にしなかった。
「涼子ちゃん! どうした?!」走っていく彼女を発見し、玄が声をかけて追いかけた。
「はあはあ……みつ子おば…さん……が…はあはあ…いっちゃうの。とめなきゃ!」
「みつ子おばさんが?!」ふたりはとにかく夢中で駆けた。
 途中、目の悪い涼子は車に轢かれそうになったが、玄が助けた。
 そして、駆けた。とにかく必死に駆けた。
  丁度、バスがきて、みつ子が失意のまま茫然とバスに乗って発車しだした時だった。駆けてきた涼子たちが「おばさん!待って!はあはあ…いかないで!」と叫んだ。
「……涼子ちゃん!」
 ふたりはゆっくりと発車するバスの背後を追った。それをみつ子は見つけて、「すいません!運転手さん……とめてください!おります!」と運転手に駆け寄り、言った。年寄りの運転手はいやな顔をしたが、とにかくバスをとめてくれた。
 石田みつ子はバスを降りて、「涼子ちゃん!涼子ちゃん!」といってなつかしい笑顔を見せた。走ってきた涼子はしゃがんだみつ子に抱きついた。甘い、ほんわりとした優しい抱擁…。暖かい愛情……。
「涼子ちゃん!涼子ちゃん!」
「みつ子おばさん……いかないで!ずっと涼子と一緒にいて!」
 ふたりは強く抱きあい、熱い涙を流した。玄も、その抱擁をみて、ほんわり微笑んだ。「わかった!おばちゃん…ずっと涼子ちゃんと一緒にいるわ!」
 みつ子が涙ながらにいうと、涼子が、「約束だよ!」といった。
 ふたりは、きらきらした愛情に包まれた。
 それはきっと……永遠だ。
  こうして、石田みつ子は涼子の願いで上杉家にとどまることが決まった。




  その後、みつ子は、上杉家の近くで『石田みつ子ピアノ教室』を開設した。
 それは、元・プロのピアニスト石田みつ子の音楽教室で、いわばヤ○○音楽教室とかの個人版といったところである。生徒も近所のピアノ好きの子供たちだ。その教室には、当然ながら上杉涼子も入った。そして、他は、近所のピアノ好きの少女たちである。……真田幸代、小早川秋子、毛利輝子……などといった涼子と同い年の才能ある少女も集まった。 皆、みつ子の人柄に魅かれて参加したのだ。
 真田も小早川も毛利も、涼子と同い年で、性格も優しく、すぐに4人は仲良しになった。ちなみに4人の中で”絶対音感”を持つのは涼子だけである。
 もちろん、石田みつ子も”絶対音感”を持つ。
 4人は大の親友同志となった。
  しかし、別れは突然にやってくる。
 武田玄の父親の武田聡が仕事でアメリカへ赴任することになった。聡は大手メーカーに勤めており、その米国法人のゾニー・アメリカへ赴任することになった。最初は聡だけが、海外単身赴任、と、いうことになっていたようだ。が、妻と子を残しては忍びないってことで家族でアメリカにいくことに決定した、という訳だ。
 当然ながら、息子の武田玄もアメリカにいく。
 それで、別れって訳だ。上杉涼子と武田玄の別れ。でも、けして永遠の別れじゃない。また、すぐ会える。涼子はそう思っていた。
  別れの数日前、涼子は玄と公園にいった。
  ふたりはひと気のない公園のベンチに座り、ソフト・クリームを舐めた。
「おいしい!」涼子がいうと、玄が、「だろ? あそこのソフトは最高なんだ」と笑った。涼子も笑った。そして、涼子が「お別れね。玄くんがいなくなると寂しくなるわ」としみじみ言った。すると玄が、横顔のまま
「いや、別れなんていっても永遠に別れる訳じゃない。父さんの仕事がうまくいけばすぐ帰れるよ」
「どれくらい?」
「5~8年後かなぁ」
「ふ~ん」涼子は寂しくいった。そして「私そんなに待てないかも知れない。他に恋人とかできちゃうかもよ」と冗談をいった。
「いいよ。ぼくを待ってなくていい」玄は真面目にいった。
 だから涼子は「冗談だよっ。私と玄くんは結婚するんでしょ? 待ってるって」
「でも、それは死んだ兄さんがいったことだし。本当に好きな男ができたら」
「できないわよ!」涼子が言葉を遮った。そして「私と玄くんは結婚するんでしょ?待ってるって」
 と、繰り返した。
 そして、しばらく沈黙し、辺りに静寂が訪れた。それから涼子は、
「そういえば…」と言いかけた。
「なんだい?」
「アメリカにいくのよね?」
「うん」
「言葉は大丈夫なの?英語」
「英語?あぁ」
「本当?英語の成績悪くなかった?」
「いや。まさか!問題ないよ。ノー・プログラムさ」
「それをいうならノー・プロブレムよ」にやっとした。
 ふたりは笑った。
 それからふたりは空を見上げた。真夏の空はどこまでもコバルト・ブルーで、ぎらぎらとした太陽の陽射しがさしこみ、公園の噴水池でハレーションを起こしていた。
 空にはふわふわの入道雲、まるで夏の幻想のようだ。
 でも、むしむし暑くて、ふたりの熱い気持ちと比例するかのようでもあった。
 蝉がどこかでみんみん鳴いている。しばらくして、黙っていた涼子が、「これ」といってポケットから何かを出した。「え?」玄が見ると、それは”お守り”だった。
 常安寺の”家内安全””健康”の小さなお守り袋だ。
「これ、もらってくれる?」涼子はほんわりと笑顔でいった。
 すると、玄がバツが悪そうに、「ぼくも」といってポケットからお守り袋を取り出した。これまた常安寺の、こっちは”病気回復”と”願望成就”の小さなお守り袋だ。
「一緒だ!」ふたりは笑った。
 そして、お守り袋を交換した。
「これでお別れじゃない、また会える」
「うん!」ふたりはそういって握手した。これでお別れじゃない……また会える。
 そして、それからしばらくして、武田家は飛行機でアメリカへと旅立っていった。
 永遠のお別れじゃない……また会える。
 涼子はひとり涙した。

  その後、涼子の祖々母・上杉たえが老衰で死んだ。
 しかし、故人の希望により葬儀は行われず、家族たちだけで火葬され、墓にいれられた。涼子は悲しんだが、老衰なら仕方ないことで、彼女はショパンの『葬送行進曲』を弾き、たえを悼んだ。それは、ひとつの時代の終りとともに、もうひとつの時代の始まり、でもあった。

   5年の月日が経ち、西暦1998年…上杉涼子は、十八歳になった。
 彼女は高校3年生となり、野球部のマネージャーをしていた。高校の名は、東京帝都第一高等高校である。なぜ音楽系の涼子が”野球部のマネージャー”か?というと、この高校には音楽のクラブがないから、である。
 もちろん、涼子はピアノの練習をやっていた。
 けして、さぼって訳じゃない。
 涼子のピアノの腕は確実にレベル・アップしていた。だが、不幸なことに”目の異常”も進行していて、益々視野が狭く、そして暗くなっていた。
 彼女はよく石田みつ子と連弾をした。
 その時が、涼子にとって一番のハッピーな瞬間であった。『石田みつ子ピアノ教室』の有望生徒たち(真田幸代、小早川秋子、毛利輝子ら)も元気で、こちらもだいぶピアノの腕があがっていた。
 しかし、平穏だった訳ではない。
 小規模個人経営の『石田みつ子ピアノ教室』は存亡の危機にあった。大手財閥系の『徳川グループ』が、最近、”音楽学校”を立ち上げたのだ。それは、とても大規模な音楽スクールで、施設も整っていて、教師も一流で、教室やホールも広かった。
 学校名はそのままスバリ、『徳川音楽学校』で、ある。
 徳川音楽学校に、石田みつ子ピアノ教室の生徒は奪われていっていた。
 ライバル学校は、大規模な音楽スクールで、施設も整っていて、教師も一流で、教室やホールも広い。しかも、建物が白亜の殿堂、となれば、外見や流行りで動く日本人の”琴線に触れた”としても不思議ではない。
 とにかく、石田みつ子は徳川勢に危機感をもった。
 自分の生徒をすべて取られてしまう。そう恐れた。そして、「徳川グループの総帥・徳川康家の好きにさせるもんですか!」とも思った。でも、相手は巨大財閥……勝ち目はない。象にたちむかう蟻だ。石田みつ子は馬鹿ではない。それくらいはわかっていた。だから、悩んだ。苦悩した。
 はがゆくて、みつ子はひとり下唇を噛み締めていた。何とかしなければと焦れば焦るほど全身が震えた。
  上杉涼子の目はだいぶ悪くなっていた。
 彼女には、遠く離れた恋人・武田玄からの”お守り”を握り締めて、祈る日々が続いた。 ……玄くん……私を助けて……神様仏様……お願い!失明なんて…したくない!
  涼子を病院に連れていくのは前までは石田みつ子だった。が、最近は忙しいみつ子のかわりに、親友で教室の参謀でもある”島右近”という男が涼子を送り迎えしていた。
 島右近は中年男で、髭面の白髪のひとで、ダンディーな優しい性格の男である。石田みつ子の部下にして参謀であり、”軍師”でもあった。
 そんな彼が、上杉涼子を車で送り迎えしていた。
「調子はどうだい?涼子ちゃん」右近はハンドルを握りながらきいた。
「目のことですか?」
「いや、ピアノさ」
「ピアノですか、まあまあです」
「まあまあってことはないでしょ?」右近は明るく言った。「石田みつ子ピアノ教室の最有力戦力の涼子ちゃんが」
「そんな……私はそんなに有力なんかじゃないです」
「謙遜を」にやっとした。
「いいえ、そんな」涼子は困った顔をした。そうしてから畏まって「本当に毎月すみません、右近さん。右近さんもお忙しいでしょうに、わたしなんかのために」と頭を下げた。「いいや。ぼくは忙しくなんてないよ。それに、涼子ちゃんが気をつかう必要なんてないんだよ。みつ子さんの姪っこじゃあ世話やかない訳にいかないでしょ?あ!……でも、いやいや世話してる訳じゃないよ。ぼくは涼子ちゃんのことが好きだから、それで世話してるだけさ」
 島右近がしみじみ言うと、涼子は「すみません。ありがとうございます」と、十八歳の美少女とは思えない謙虚さをみせた。
「いいって、いいって」右近はわらった。

  病院で、”モンキー先生”こと猿顔の豊臣吉秀先生が、涼子の目を診察した。
 そして、深刻な顔をしてから、「まっごどに言いにぐいんじゃああが」とボソボソいった。名古屋訛りだった。
「はい」
 涼子は暗く頷いた。
「だいぶ目の病気が進行してるぎゃあで。角膜の萎縮がエスカレートしとるがね。数年中の失明の可能性もありえるぎゃあもしれんで」
 涼子は言葉がでなかった。涼子は心臓に大きな杭を打たれたような気になった。
 先生はそれから、「今まで失明せんがっだ方がむしろ奇跡なことだがや」といった。
 ………今まで失明しなかった方がむしろ奇跡……。
 涼子はショックを受け、苦悩した。そして、我が身の不幸を呪った。
 ……失明…?嫌っ!目が見えなくなったら何もできないじゃないの…!
 彼女は、我が身の不幸を呪うことしか出来ず、やがて、「あぁ」と、自分が悲しくて惨めで、号泣してしまった。

  やがて、数か月後のこと。
 涼子と父親の上杉景虎のふたりは、父親の同僚の結婚式に出席した。もう春で、桜が可憐な白い花びらを風にゆらし、雪のように花びらが舞う。天気もよく、晴天で、うららかでほんわりとした雲が浮かぶ。まるで、幻想のような風景だった。
 結婚式は東京の式場で行われ、例によってゴンドラや、(無意味な)お色直し、キャンドル・サービス、ケーキ・カット、などがあった。が、式ではもっぱら花嫁よりも涼子の美しさが評判になっていた。参列した男たちが涼子の写真を撮っていたのもその現れでもあった。父・上杉景虎もそんな涼子を誇らしく思った。
 でも、当の上杉涼子は、「きれい」
 と、花嫁のウエディング姿をうっとり見つめていた。
  涼子と父親の上杉景虎のふたりが自宅に帰ると、景虎は、
「みんな涼子のことばかり見つめてた。同僚たちにも、美しい娘さんだ、って評判だったよ。涼子、父さんはお前を誇りに思うぞ!」と上機嫌だった。      
 そして、三才になる次男の景時をあやした。
 景時は彼の後妻(上杉(旧姓・宇喜多)秀子)との子である。涼子の異母弟にあたる。 涼子と秀子は仲が悪かった。といっても涼子が悪いのではなく、この若い継母・(旧姓・宇喜多)秀子は怠け者で偏見屋なため、まめで世話好きで病気の涼子を”毛嫌い”していたのだ。嫉妬ともとれる。彼女は料理も掃除もへたで、限りなくレイジー(怠け者)だった。
 でも、景時は姉になつき、父親にもなついていた。
「よしよし、景時!お父さんと一緒に風呂にはいろう!」デレデレと景虎はいうと、景時を抱き抱えて風呂にむかった。すると秀子が、陰で、ふん、と鼻を鳴らすのだった。
  この春、涼子の父・上杉景虎は会社で出世し、大事な海外プロジェクトをまかされるようになった。むろん、彼は上機嫌である。そこで、いつものように仕事のため夜遅く帰ってきてから、家族にその吉報を伝えた。
「おめでとうございます!」そういって笑顔になったのは石田みつ子だった。妻の秀子も賛辞をのべた。涼子も「おめでとう」といった。すると、父・上杉景虎は涼子に「お前に見合い話がある。取引先の社長さんの息子さんでな…」といいかけた。
 が、涼子は話の途中で席を立ち、駆けて自室にもどった。みつ子は追いかけた。
 みつ子は、「涼子ちゃん、いやなの?お見合い……」と深刻な顔できいた。
 すると、涼子は、「ううん」と首を横にふり、「嬉しいの。こんな目のわたしと結婚したいってひとがいるなんて」
「涼子ちゃん」
「私、ちゃんと結婚できるかなぁ? ウエディング・ドレス…着れる…?」
「もちろんよ」
「こんな目でも?」
「ええ。きっと世界一綺麗なお嫁さんになれるわ」
 石田みつ子はにこりと笑った。
 涼子は「でも」といった。
「なに?」
 彼女はポケットから”お守り”を取りだし、大事そうにもって、「……でも……私には玄くんが……でしょ?」
「そうね」みつ子はほんわりと笑って「涼子ちゃんには玄くんがいるものね」といった。 涼子もほんわりと笑った。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贖罪・あゆみ 歌姫・浜坂あゆみの波乱の半生アンコールブログ小説7

2013年09月09日 05時38分24秒 | 日記
イジメ




  珍しく、東京に雪がふった。
 しかし、ちょっとしか積もらなかったし、すぐに雪は消えてしまった。
 それから数日後、武田玄信が亮一の会社に訪ねてきた。
 秘書が社長室のドアをあけると、武田が、「よう!浜坂」と珍しく疲れた顔でいった。「武田、ひさしぶりだな」亮一は口元に笑みをつくった。
「どうした?こんなに早く」
「静岡からの帰りなんだ」
「静岡?あぁ、妹さんがいるっていう」
「あぁ。でな」
「ん?」
「その妹の次男坊が死んで葬式にいってきたんだ」
「ほう。病気でか?」
「いや。車に轢かれたんだ」
「ほう」
「妹は浜松のおくにいるんだ。それで次男は学校にいこうとしてて…」
「……車に轢かれた?」
「あぁ。天気が悪かったんで近道をしたらしんだ。で、ダンプに轢かれてな」
「それは」亮一は胸が痛んだ。そして続けた。「かわいそうなことをしたね」
「まったく」
「何年生だって?」
「まだ小学一年だよ」
「それは、かわいそうに」
 亮一はかわいそうな顔をしていった。
「まぁ、まだまだ可愛い年頃だよ。ダンプも悪い」
「子供を轢いて殺した訳だからな」
「まぁな。でも、それだけじゃないんだ」
「それだけじゃない、とは?」
「ダンプの運転手は酔っていた」
「なに?!」
「酒気帯び運転だった訳だ」武田は悔しくいった。そして煙草に火をつけ、深くすった。「まったく許せんよ!」
「そうだな。妹さんは憔悴してたかい?」
「いや」武田は首をふり、煙草の火を灰皿で消してから、「怒ってた。運転手に…」
「そうだろうな」亮一は頷いた。
「だが、いかに酒気帯び運転でも、今の法律じゃあ懲役三年ってところだ。やりきれんよ実際」
「お前は子供好きだからな。つらいのはわかるよ」
「どうも」武田はいって、それから話題をかえた。
「ところで、あゆみちゃんはどうしてる?しばらくあってない。あったのは君達にあずけた赤子のときだけだ」
「大きくなったよ。もう七歳だ」
「顔は?いい娘になったか?」
「あぁ。美人だよ」
 亮一は珍しく自慢した。すると武田が苦笑して、「そうだろうな」といった。「松崎奈々子の子だものな。綺麗になる訳だ」
「だが…」亮一はいいかけた。
「だが?」
「頭が悪い、それに視力も悪い。眼鏡が必要だな」
「ははは」武田はわらった。「じゃあ義母の春子さんに似た訳だ」
「そうだな」亮一が困った顔でにやりとすると、武田は「ごめんごめん!冗談だよ」 と謝った。
 亮一は「武田……何の用できたんだ?」と核心をついてきた。
「あぁ。なんの用もないよ。どうしてるかと思ったんだ。秘密は守っているかって」
「秘密か、だいじょうぶだ」
「ほんとかねぇ~」
「本当だ」
「秘密を春子さんや純也くんにバレるなよ。あゆみちゃんに罪はないんだから」
「あぁ。わかってる」亮一は強くいった。…秘密などバレるはずがない。そう思っていったのだ。

  あゆみはとうとう眼鏡が必要になり、春子とともに店にいき買ってもらった。度が強く、ぶ厚いレンズの眼鏡であった。
「お母さん、眼鏡似合う?」
 あゆみがきくと、春子は微笑んで「えぇ」といった。
 頭の悪いあゆみでも、インテリに見える。


「春子さん大変だ! 浜坂が大変なんだ!」
 武田が、浜坂の自宅玄関で大声でさけんだ。
 春子がでてきて、丁寧におじぎした。
「あら。武田さん。いらっしゃいませ」
 春子は微笑んだ。
「浜坂が大変なんだがなぁ~」武田が照れて頭をかいた。
 と、春子が「なにが大変なんですの?」と笑った。
「いやぁ」
「もう騙されませんわ。武田さんは学生のころからいつもそう。だまされるものですか」 客間は日の光りが差し込み、あたたかかった。
「学生のときから武田さんはいつもそうですわ。大変だ! 大変だ!…って」
「ははは」
「学生のころ、「春子さんのお父さんが大変だ!」っていうので驚いたら、家の寝室からわたしの父親がひょっこり現れて「どうしたんだい?」といいましたわ。そっちのほうが驚きましたわよ」
「そうですか?ははは」
「それ以来、武田さんの「大変だ!」には騙されません」
「そうですか?それはそれは」
「浜坂は会社にいってますけど、何か急用ですの?」
「いえ。とくに用はないですよ。春子さんの顔を見にきたんですよ」
「そうですの?うれしいですわ。でもわたしの顔なんて皺がちょっと目立ってきたくらいでかわりませんわ」
「いえいえ。春子さんはまだまだお美しい。まだ二十代でも通ります」
「まぁ。お上手ですこと」
「本当のことをいっているだけですよ」
 春子は微笑んだ。
 武田玄信は葬式があったことを告げた。
「そうですの、妹さんのお子さんが」
 春子が同情すると、武田は「人間なんていつ死ぬかわからないものですな。緑川なんかも今にも死にそうだったらしいが、今は元気で仕事復帰したようです」
「まあ、そうですの?」
 春子はさりげなく答えた。
「それにしても、小室さんはどうしてるかねぇ。もう二、三年くらい会ってないが」
「あら。元気ですわよ。ピンピンしてますわ」
「そうですか。まぁ、昔を思い出しますよ。ぼくは結婚してなくて、めんどくさいから小室さんとでも結婚しようか…っていいますと。彼女は、武田さんとなんかと結婚したらそれこそめんどくさいわよ…なんていわれました」
「みつ代らしいわ」
 春子は笑った。
「しかし、あれでも女かねぇ。浮いた話もとんときかないし。レズだったりしてね」
 武田が冗談をいうと、春子は笑った。ふたりは笑った。
「ところで」
「はい?」
「あゆみちゃんはどうしてます?元気ですか?」
「えぇ。元気ですわ」
 春子は微笑んだ。すると、玄関から「ただいま~!」と声がして、あゆみが帰ってきた。それは可愛らしい少女の声だった。小学校からの帰りだ。
「おかえり!あゆみちゃん」
 春子が笑顔のまま声をかけると、あゆみは歩いてきて来客の武田におじぎした。
 あゆみは礼儀正しい美少女になっていた。ただ、ぶ厚いレンズのメガネをかけ、頬にそばかすが目立っていた。その点を除けばあゆみは完璧な美少女だった。
 頭が悪いっていうのはわからない。しかし、女は顔で勝負するもので、「知性」はほとんど関係がないともいえる。医者や弁護士や外交官になるなら勉強も必要だろうが、あゆみはそんな夢などもっていない。
「あゆみちゃん、こちら武田さんよ。お医者さんなの。あゆみちゃんの産まれた病院のひとよ」
「こんにちは、あゆです」
 あゆみはまた頭を深く下げた。礼儀を身につけている。
「こんにちは、武田のおじさんだよ」
 武田はほんわり笑い、いった。そして、
「可愛くなったね、あゆみちゃん。うんうん綺麗だ」といった。
「ありがとうございます」
「ところで」武田は心臓が二回打ってから、「あゆみちゃんは将来なんになるの?」
「あゆ、歌手になりたい」
「歌手?」
「うん。山口百恵やウィンクみたいになるの」
「ふ~ん。そうか」武田はわらった。なるほど……山口百恵か…。
「あゆみは歌がとってもうまいんですの」
 春子は至福の顔で、娘を自慢した。春子の端整な顔に笑みが広がった。
 武田は「歌手とはまたいい夢ですな。そういえば緑川は音楽プロデュースもやっていたはずですな。頼んでみては?」
「え、えぇ。そうですね」
 春子はしらじらしく答えた。「考えときます」
「あゆみちゃん、頑張ってね。立派な歌手になりなさい。おじちゃん応援してるからね」「はい!ありがとうございます」
 あゆみは小学生とは思えないほどの礼儀正しさで頭をさげた。
 武田は只只、感心するしかなかった。
 さすがは松崎奈々子の子だ、彼女も礼儀をわきまえていたものな
 思うたび、武田は溜め息がでた。もし、浜坂と松崎奈々子のことを春子さんが知ったら。


  武田の訪問から、三四日がたっていた。
「あゆみちゃん、着てみて」
 夜、春子は娘・あゆみのためにセーターを編み上げたところであった。
「はい」
 ソファによってTVをみていたあゆみは答えた。顔が幾分青ざめている。しかし、春子は編んだ白いセーターに満足気に夢中で、気付かなかった。
 あゆみは着ている服を脱ごうとして、とまどった。
「どうしたの?あゆみちゃん」
「ううん。なんでもない」
 あゆみは服を脱ごうとするが、腕がぎこちなかった。
「どうしたの?あゆみちゃん。どこか痛いの?」
「ううん。なんでもないの」
「あゆみは少しあとずさりした。顔色が悪い。
「熱はないようね」
 春子は額をあゆみの額にふっつけて、そういった。
「どこかが痛いの? どれ。お母さんにみせてごらんなさい」春子はいった。
「ううん。どこも痛くない…」
 あゆみは顔色が悪いまま、そういった。
「なんだい?あゆみちゃん病気かい?」
 純也がやってきていった。
「ううん」
「お母さんにみせてみなさい。どこが痛いのか」        
 春子はあゆみの服を脱がせ、ハッとなった。あゆみの肩に青痣があったからだ。
「ど、どうしたのこれ?!あゆみちゃん!」春子はその場で凍りつき、一瞬目をとじた。
「……わかんない」
「わかんないことないでしょ!こんなに痣になって」
「…あゆ……わかんない」
 あゆみはいった。                
 事実は、イジメられっ子を庇って、投石が肩に当たったのである。
 しかし、あゆみはそんなことは一言もいわず、痛みに耐え、「お母さん、セーターありがとう」と微笑むのだった。
「病院にいきましょう?ね、あゆみちゃん」
 春子は泣きそうな顔でいった。
 亮一はあとでその話しを知った。
 そして、亮一は、さすがに奈々子と俺の子だ。優しく、強い、泣きもしない。と思うのであった。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贖罪・あゆみ 歌姫・浜坂あゆみの波乱の半生アンコールブログ小説6

2013年09月08日 03時36分34秒 | 日記
兄と妹



  初春、浜坂春子は帰宅した。
 今までは産婦人科に入院したということになっていたが、実際はホテルに缶詰になっていたのである。春子は赤子を抱いて、タクシーで帰ってきた。
 赤子は、間違いなく奈々子の子である。
 しかし、春子はそんなことは一切知らない。もちろん、奈々子と亮一との情事のことなど知るよしもない。
 春子は赤子を抱き締めて、至福の顔でもどってきた。
「お母さん、おかえり!」
 純也はそういって母を出迎えた。
 彼の顔も、至福であった。
 しかし、亮一だけは、その子は、俺と奈々子の子だぞ!などと考えていた。
「あなた!みて!」春子が赤ん坊の顔を亮一にむけた。
 奈々子に似ている。亮一が思わずハッとすると、春子は不思議な顔をして「どうなさったのですの?」と尋ねてきた。
「…い…いや…なんでもない」
「そう。おかしな方」
 春子は微笑んだ。
 そして、また赤子を笑顔のままあやしていた。
「お母さん、なんて名なの?」
 純也がきくと、春子は、「あゆみよ。あゆみちゃん」
「あゆみ?へ~え、いい名前だね」
 ふたりは笑った。だが、亮一だけは笑わなかった。
 だが、「君の手料理をひさしぶりに食べたい」とはいった。
「まぁ!」春子は笑った。「あなたはいつもそう。食欲ばっかり」
「秀子ちゃんは?」
「用があって出てるよ。休暇日だ」
「そう。じゃあわたしが作るしかない訳ね」
 春子はとにかくハッピーだったので返事もなめらかであった。
「じゃあ、ぼくカレー!」
 純也はハシャイでいった。
「カレー?」
 春子はまた笑った。
 しかし、亮一は心おだやかではなかった。
 ここにきて、奈々子の子をひきとるのはマズいのでは、と後悔の念が頭に浮かんできていた。もし、春子が俺と奈々子とのことを知ったら。だが……春子だって緑川と……
「どうなさったんですの?」
 春子は、深刻な顔の亮一に尋ねた。
 亮一は、「い、いや、なんでもない」というだけだった。
「おかしな方ね。カレーだって純也はいってるけどカレーでいいんですか?」
「な、なんでもいいよ」
 亮一は深刻な顔のままだった。
「そう」春子は呟くようにいった。
 そして、また赤子をあやした。
 やめないか!俺と奈々子の子だぞ!
 亮一は苦悩するのだった。

  食事も食べおわり、純也はベットで眠りについた。
 もう夜の二十三時である。子供はもうおねんねの時間だ。寝室にはなぜかベビー・ベットがあった。春子からの電話で、家政婦の秀子ちゃんが用意したものだ。
 そのベットに、今、あゆみと名付けられた赤子が寝かされていた。
 亮一は風呂に入ると、テレビでNHK特集を観て、それから寝室にむかった。
 あいかわらず春子は赤子をあやしている。
 やめないか! 俺と奈々子の子だぞ!
 亮一は怪訝な顔を一瞬したが、春子は気付かなかった。
「あなた。みて!可愛いわねぇ。あら、笑ったわ」
 亮一は苦悩しながら、
 やはり引き取るべきではなかった、と思った。
 こんなことなら、引き取るべきではなかった
「どうなさったのですの?怖い顔なされて」
 春子がきくと、亮一は、「やはり」といいかけた。
「やはり?」
「やはり、その赤ん坊は返そう」
「え?!」春子は仰天した。そんなことを夫がいうとは思いもよらなかったからだ。
「返す?」
「そうだ」亮一は強くいった。「その子は返そう。その方がいい」
「いやですわ!返すなんて、あゆみはわたしの娘です」
「しかし、本当の子じゃない」
「あなたはおかしいわ!さっきから」
「返すんだ!」
「いやです!」春子は反発した。「この子はわたしの娘です!」
「あとで後悔するぞ。自分の子じゃないんだ」
「いや! 返すなんて、この子は孤児になりますわよ」
「そんなことはあるまい」
「どうして?」
「誰か優しい家族がもらってくれる」
「わたしたちは優しい家族じゃないの?」
「いやぁ、その」
「それに」春子はいった。「もう出生届も役所に出してくれましたんでしょう?もうわたしたちの子ですわ」
「いや」亮一は首を横にふった。そして「まだ届けは出してない」といった。
「まぁ!」
 春子はふたたびビックリした。「まだ?出してない?なぜ?」
 彼女には、夫の亮一の行動が理解できなかった。まだ届けも出してないし、子供を施設にでも返せという。でも、まさか春子にも、子が奈々子の子だとは知るよしもない。
 亮一は沈黙して、心臓が二回打ってから、
「迷ったんだ。養女でほんとうにこの子が幸せなのかって」
「幸せにしますわよ!一生懸命育てて、可愛い子にします」
「しかし」
「しかしもへったくれもないですわ。すぐに出生届けを役所にだしてきて下さいな」
 春子はピシャリといった。
 亮一は、もし、春子が俺と奈々子とのことを知ったら だが、春子だって緑川と などと考え、そして、どうせ子供の出生の秘密がバレたら困るのは春子だ……天誅だ…。などと思うのであった。で、「わかった」といった。
「お願いしますわ。あなた」
 春子は何も知らずに微笑んだ。


  亮一はあゆみの出生届けを市役所に出すか迷っていた。
 なんといってもネックは、母親と父親である。
 頭の中では、
 俺と奈々子の子、というのがある。
 だが、届けを出してしまえば、『春子と俺の子』となる。
 俺と奈々子の子が、春子と俺の子
 亮一は苦悩した。が、結局、役所で届け出をすました。苦汁の選択だった。もし、子の出生の秘密がバレたら、だが、そのときはそのときだ……
 役所の玄関を出て駐車場に向かうと、緑川鷲男と偶然であった。
 亮一は、「やぁ、緑川!」といった。
「先輩、おひさしぶりです」
 緑川は無理に微笑んだ。
「病気はもういいのかい?」
「……いえ。まぁまあです」
「まあまあ?」
「えぇ。でももう少し静養先にいるつもりです」
「今日は東京に?」
「えぇ。どうしても用がありまして」
「そうか」
 亮一は頷いた。どっちにしても、病気じゃあ春子をくどけまい。もっとも春子は赤ん坊に夢中でそれどころじゃないが。
「奥さん、女の子を出産なされたとか。おめでとうございます」
 亮一はギクりとした顔をしてから、狼狽を隠し「いや。どうも」といった。
「でも、子供を産めないというようなことをきいていたんですが…変だなあ」
「いや」亮一は動揺しながら「それはデマだ。ちゃんと出産したよ」
「そうですか。とにかく、おめでとうございます」
 緑川は微笑んだ。
 少し病気で痩せたのか、体調も悪そうだった。
 そんな緑川をみて、亮一は、ざまあみろ。と思った。
 春子とキスなんかしやがって、亮一の顔はそんな顔だった。

  夜。亮一が自宅に戻ると、あいもかわらず春子は赤子をあやしていた。
「あゆみちゃん、あゆみちゃん!ばぁ~つ!」
 春子は至福の顔で、あやしていた。
 この地球がひっくりかえっても、春子とあゆみだけは無事のような。地獄の釜に放り込まれ漆黒の闇に投げ出されても平気なような。そんな笑顔だった。
 ? オカルト映画じゃないんだから。
 とにかく、春子はあゆみをあやして笑っていた。
 亮一は不快に思い、「やめないか!」と怒鳴った。
「あら。どうしましたのあなた。そんな怖い顔をして」春子は狐につままれたような顔をした。どうしたのかしら? そんな顔だ。亮一はわめいたが、春子はきかなかった。
 子供をあやすのに一生懸命で、亮一の言葉などきいてもいなかったのである。





  それから七年の時が流れた。
 あゆみも七歳となり、兄の純也も小学校高学年の少年になっていた。
 あゆみは顔は美人ではあったが、そばかすが目立っていた。視力も悪く、眼鏡が必要に思えるほどであった。頭も悪い。が、義母の春子に似ているともいえなくもない。
 純也は、まさに亮一に似ていてハンサムであった。
「早いものですわね」
 春子は眩しい顔のままいった。
「ん?」亮一はきいた。
 家族はそろって、ハワイの海にきていた。コバルトの青が眩しい。ぎらぎらと太陽が照らし、南国の雰囲気を醸し出していた。ふたりの子供は水着で、海で泳いだりしていた。 春子と亮一はYシャツにズボンで、砂浜に敷いたビニールシートに座っている。
「もう、あゆみをもらってから七年にもなりますわ」
 春子はいった。
「そうだな。もう七年か」
 亮一は複雑な思いであった。奈々子と俺の、今は春子と俺の子 ……あゆみ…か……浜坂あゆみ……
 ふたりの子供は仲良しで、波間でハシャいでいる。
「あゆみちゃんもあんなに大きく、可愛くなって」
「だが、頭が悪いじゃないか」
「あら!」春子は笑った。「女は頭でなく顔で勝負できますわ」
「勝負?」
「女は顔が資本なんですわ」
「ははは」亮一はわらった。「顔が資本か」
「そうです。丈夫な子供を産めればいいんです」
 春子は平然といった。
「お母さ~ん!」
 ふたりの子供が走ってやってきた。
 ふたりとも満天の笑顔である。
「どうしたの?」
「これ!」
 純也とあゆみは掌を差し出してみせた。
「貝殻、いっぱいとれたよ」あゆみは笑った。
「そう。きれいね。あゆみちゃんいっぱい集めたよね」
「うんうん。あゆみだけが集めたんじゃないわ。お兄ちゃんも」
「そう」
 春子は微笑んだ。すると純也は「お母さんも貝殻集めようよ」といった。
「お母さんはいいわ。ふたりで集めてらっしゃい」
「どうして?」
「お母さん具合が悪いの」
 春子がいうと、亮一が「時期が狂ったようだな」と苦笑した。
「定期日より早くきてしまったわ。飛行機に乗ったせいね」
 春子はいった。
 しかし、子供には何のことだかわからなかった。
「じゃあ、お父さんいこうよ!」
「いや。お父さんはいいよ」
「そう?」
 ふたりはそういって、心臓が二回打ってから波間まで駆け出した。
「あゆみも大きくなったものだな」
 亮一はふたりを見ながらいった。
「そうね」春子もいった。
「学校はどうする?純也と同じところか?」
「そうね。そうなるわね」
「そうか」亮一は、ビールを喉に流しこんだ。そして、遠くを見るような目をした。
 ふたりの子供は、幸せいっぱいのようだった。
 奈々子の子が、純也と、まるで本当の兄妹のようだ。
 亮一は思った。
 子供たちがふたたび駆けてくる。と、「お父さん!」とあゆみがいった。
「ん?」
「これあげる!」あゆみは大きな貝殻を亮一に差し出した。それはルリ色の貝殻だった。 亮一は受け取った。あゆみはくったくもなく笑ったが、亮一は笑わなかった。
 彼は、今だに養女のあゆみを抱きあげることもできなかった。
  太陽が暮れかかってきてから、一家はホテルにもどった。
 英語がペラペラな亮一がいるため、他のひと(春子たち)は困らない。
 純也はあゆみと手をつないでいた。
 亮一は不快におもった。
 俺と奈々子の子が、純也と
 あゆみは「大きくなったらお兄ちゃんと結婚する。お兄ちゃんのお嫁さんになる!」
 と、無邪気にわらった。
 純也も、「よし。あゆみと結婚する。ぼくのお嫁さんだよ」とわらった。
 瞬間、亮一は憤慨し、「ばか!」と、純也の頬に平手を食らわした。
 突然のことで、純也は驚愕した顔をして無言になった。が、泣かなかった。
「あゆみは妹だ。兄と妹は結婚できないんだ!」
 亮一は激しく怒り、いった。抑圧のある声だった。春子たちは呆気にとられた。なぜそんなに怒るのだろう? しかし亮一は、奈々子の子は俺のものだ。と思うだけであった。つまり、幼い純也に嫉妬したのだ。奈々子の子は俺のものだ……。俺の…

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オウム真理教の狂 何故オウム信者は悪魔・麻原彰晃に騙されたのか?1

2013年09月07日 19時06分24秒 | 日記
オウム真理教1
ドキメント小説
  オウム真理教 最期の真実


   DANGER                   ~the last  story ~
                ~「オウム真理教の真実!」
                   今だからこそ、オウム真理教の狂気
                ハーフノンフィクション小説
                 total-produced&PRESENTED&written by
                  Washu Midorikawa
                   緑川  鷲羽わしゅう

         this novel is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.

        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”
                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ


          あらすじ

 「オウム真理教(改名名はアレフ)」…社会に衝撃を与えた「松本サリン事件」(死者8人負傷者150人超)、「地下鉄サリン事件」(死者13人負傷者6300人超)あの狂気と暴走とはなんであったのか?毎朝新聞報道部佐藤良夫は「なぜオウムは暴走したのか?」の著者・早坂 武禮(はやさかたけのり・仮名)に取材の為あった。早坂はオウム真理教の古参幹部ではない。しかし、本を読んでも「暴走の謎」がわからない佐藤は、早坂からオウム真理教・元古参幹部で塀の外にいる女性・鈴木麗子(仮名)を紹介される。彼女と早坂は婚姻関係にあるという。子どもはない。かわりは猫たちだ。麗子はオウム真理教・古参幹部のなかでは何の罪も犯しておらず、教団発足当時から「麻原彰晃(本名・松本智津夫)」逮捕まで知っていた。だが、教団暴走の謎は理解できていない。オウム真理教からの脱退はしたもののまだ「何故オウム真理教が暴走したのか?」の答えがない。それは佐藤良夫との取材で、明らかになる。
1 オウム真理教の狂気

「オウム真理教」は「テロリスト集団」であった。
今では当たり前のことだが、当時はまだ「麻原彰晃が悪魔だ」、とはわからない状態である。ちょうど第二次世界大戦のナチスドイツのヒトラーが「悪魔だ」と当初わからなかったのに似ている。ヒトラーはユダヤ人600万人を大量殺戮(ホロコースト)した。麻原彰晃(本名・松本智津夫)は暴君と化し、「オウム真理教(改名名はアレフ)」…社会に衝撃を与えた「松本サリン事件」(死者8人負傷者150人超)、「地下鉄サリン事件」(死者13人負傷者6300人超)をおこした。あの狂気と暴走とはなんであったのか?毎朝新聞報道部佐藤良夫は「なぜオウムは暴走したのか?」取材をまかされていた。あの地下鉄サリン事件や麻原彰晃逮捕から早いものでもう20年くらい経つ。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
なのか?オウム真理教(改名名・アレフ)には38億円の賠償金の懲罰がある。が、20億円は未払い。しかし、アレフは当時3200万円しかなかった資産が2012年時点で4億円あるという。オウムのテロリズムを知りもしない無知なガキが入信しているという。
 馬鹿な奴ら、といってしまえばそれまでだ。
今なお世界のテロ専門家たちは「オウム真理教(アレフ)」の事件を調査している。
元・米国海軍長官リチャード・ダンジク氏もそのひとりだ。氏は「世界中の人々が化学兵器サリンによるテロがふたたび繰り返されない為にも、オウム真理教のテロから学ぶべきときにきている」と辛口だ。
 毎朝新聞報道部は毎朝ビルの4階だ。毎朝ビルは戦後すぐに建てられた建物で、永い歳月によるいたみも目立つ。報道部の佐藤良夫は現在42歳、オウム事件の時はまだかけだしの20代のペイペイであった。当時は右も左もわからず山梨県上九一色村の教団のサティアン前で取材をしていた。彼はイケメンな方だ。現在はまだ結婚はしていないが、どこかアイドルの田原俊彦を彷彿させる男前であるから、女性がほってはおかない。無論、良夫が童貞な訳ない。恋多き男前である。
だが、恋愛と結婚は別だ。
彼は毎朝新聞から「オウム真理教の暴走」について取材するように依頼されていた。もし新聞で連載して、反響がいいなら出版化や電子書籍化してくれるという。これはやらねばならない。これは自分の記者生命が懸っている、佐藤良夫はストイックに思った。
根が「まじめ人間」なのだ。
死刑囚や数多い元・信者からデータをとり、700本にも及ぶ極秘テープなどから「オウム真理教の暴走」に迫る。麻原は教団発足当初から毒ガス・サリン70トン(致死量70億人超)をつくり、「アルマゲドン(世界のおわり)」を実現しようとしていた。
 サリンは(*塩化メチル*ヨウ化メチル*塩化チオニル*三酸化リン*フッ化ナトリウム*フッ化水素*フッ化カルシウム*フッ化カリウム*イソブロビルアルコール*メチルホスホン酸ジクロリド*メチルホスホン酸ジメチル*メチルアルコール*五酸化リン*亜リン酸トリチミル)からなる。元・神奈川県警はサリンまで後少しに迫っていた。だが、教団の中に警察関係者の親戚がおり、「ガサ入れ情報」が教団に漏れていたという。
元・警視庁警備局長(公安トップ)の菅沼清高氏は「オウム真理教をマークしておけ、とは警視庁内に指示してはいた。が、まさかオウムが猛毒ガス・サリンを使うとまでは想像もしていなかった」と下唇を噛む。無念であったろう。
 ちなみにオウム真理教の設立の目的というものがある。以下のようなものだ。
「主神シヴァ神として崇拝し、松本智津夫(別名・麻原彰晃)はじめにシヴァ神の意思を理解実行する。その指導のもとに、古代ヨーガ、原理仏教、大乗仏教を背景とした教養を広め、行事を行い、信者を強化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目的とし、その目的達成するために修行する」
何じゃそりゃ?言っている理想とテロ行動が結びつかない。
所詮は教祖の指示を妄信しただけだ。
ちなみに教祖・松本智津夫(別名・麻原彰晃)の風貌を知らぬものはすくないだろう。ぶくぶくと太って背は低く髪や髭が長く、髭ダルマ親父みたいな感じだ。視力が悪い(頭も悪いのだろうが(笑))。盲学校卒でインテリでもイケメンでもない。おっさん、だ。
何故このような男に騙された人間が多かったのか……?「結果論」ならいくらでもいえるが当時はどうだったのか…? 何故オウムの暴走を止められなかったのか?
「おい、どうだ?佐藤」
毎朝新聞編集部のデスクの一席で佐藤良夫は、時代遅れのテープ式ウオークマンのイヤフォーンからの音声に聞き入り、ネコ背で椅子に座りしきりにメモをとっていた。
当然というか、上司の野田部長の声は聞こえない様子である。
「おい佐藤!」
野田部長が佐藤良夫の肩を叩いた。それでやっと佐藤は、
「あ、部長」と気付くのだった。イヤフォーンを外して佐藤良夫は昼飯もまだだったことに今更気付いた。「そんなにオウムの説教テープが面白いか?」
「いいえ」佐藤は間をおいてたどたどしくいった。「面白いとかそういうんじゃないんです」
「じゃあなんだ?」
「なんというか麻原の言葉は死んだオヤジに似ているんです」
「おまえのおやっさん死んだのか?」
「はい、交通事故で…」
「そうか。でもお前オウムに入信するなら原稿上げてからにしろよ」
 部長は冗談をいった。ふたりは笑った。
「しかし、部長。よくこれだけの極秘テープ音源が警察に押収もされず残っていましたね」
「ああ」部長はタバコを口にして「全部で700本…しかも極秘テープだ」
「警察は何で押収しなかったんですかね?」
「まあ1995年の地下鉄サリン事件…そして麻原彰晃逮捕で「おわった」ってことだろう?警察は俺らジャーナリストと違ってさ、逮捕して送検しておわりだ。おわりの元など興味なかったんじゃねえか」
「なんか日本の警察らしいですね」
「まあな、アメリカとかイギリスなら二度と同じテロが起きない様にさ、CIAやFBIやMI6がいろいろ研究したりするんだろうがな」
「ほんとに日本の警察って大丈夫なんですかね?こんなに教団の極秘テープをうち(毎朝新聞)に流出されても平気なんて…」
「そういやお前バイリンガルだったな」
「ええ、アメリカ時代は近所で麻薬事件があっただけで僕ら家族まで何度も捜査対象になったり、日本の警察よりなんていいますか……タフ…そうタフなんですよ」
「日本の警察はソフトボールか?」
ふたりは笑った。
「まあ、とにかくオウム事件を風化させたり研究しなければ日本はまた「いつかきた道」に逆戻りですよ。部長、俺、この早坂にあってみます」
「「なぜオウムは暴走したのか?」の著者・早坂 武禮(はやさかたけのり・仮名)か?」
「そうです。彼自身古参信者であるそうです」
「だが、いいか佐藤」野田部長はゆっくり言った。「世の中は「今更オウム真理教?」みたいな風潮もある。インパクトだよ。朝日の橋下徹伝記連載や文春の孫正義伝記みたいな…」
「3・11東日本大震災以後「脱原発オンパレード」でしょう?今更のオウムでも…どかんとインパクトある連載にしますよ」
佐藤は顔を紅潮させていった。「必ずヒットしますよ。北朝鮮拉致事件記事みたいなものに!」
「そりゃ頼もしい」野田はたばこをくゆらせた。「早坂にはアポとってんのか?」
「はい、もちろん。もう少し時間がありますんで俺はもう少しテープ聞いています」
佐藤はまた猫背でイヤフォーンを耳にあて、再生させた。
「おいおい、昼飯忘れてまでオウムか?本当にオウム真理教…ったっていまは「アレフ」か?に入信せんでくれよ」部長は苦笑した。

 そうオウム真理教は1995年「地下鉄サリン事件」を起こした。事件というよりテロである。地下鉄の丸ノ内線などの霞が関駅近くで、実行犯の林郁夫・林泰男・広瀬健一・横山真人・豊田亨らが、新聞にくるんだビニール袋入り液体サリンを混雑する列車内部で床にそっと落とし、先の尖った傘で袋を突き、逃げ去り、大量殺戮を犯したのだ。
実行犯を突き動かしたのは「救済の為ならポアしても構わない」という麻原彰晃の教え、であった。
「警察は何をやっていたのか?」
夫の高橋一正さん(列車のサリンを拭いて亡くなった)の妻・高橋シズエさんは故人となった一正さんの遺影で涙を堪える。故人となったのではない。麻原彰晃とオウム真理教に殺されたのだ。麻原彰晃(本名・松本智津夫)はカルト教団をつくるにあたり、ある新興カルト教団の男からアドバイスを受けている。
「宗教や占いやカルトに入信する輩は心が弱い人間だ。魚釣りみたいに餌で何人も釣り上げればいい。お金を吐き出させ、「お金は命の次に大事なものだ。それを献上させて「解脱」だのといい」お金儲けしろ」
何ともいかがわしいアドバイスだが、オカルトや占い師など殆ど全部嘘っぱちである。皆さんはオウムの「ポア」が理解できないだろう。福永法源の「(手相ならぬ)足相」などわかるまい。勿論、私だってわからない。
 占いだの宗教だの「お金儲けの手段」なだけだ。
くだらないんだよ。血の海を泳ぎ、地獄を見てきた私にしたら「何を戯言言ってんだ、馬鹿!」でしかない。
自身も元古参信者で、元・オウム真理教広報部長で、偽証罪で懲役3年の刑を受けた上祐史浩氏(宗教団体「ひかりの輪」代表)はいう。
「オウム真理教の武装化は1993年ではなく1990年熊本県波野村(なみのそん)で、麻原は集団救済の為ではなくヴァジラヤーナ(殺人の教え)の為に軍事兵器をつくろうとしていた。熊本県波野村に300人を送り込んだのです」
今は上祐氏は「オウム真理教(現在・反上祐派「アレフ」と上祐派「ひかりの輪」)」の派生宗教団体で生活している。事実上のオウムの元・幹部ではあった。
しかし、麻原の教えは間違いであった、と認めてもいる。
麻原はテープで「第二次大戦で何人死んだ?」と上祐に問う音源があるという。
麻原「第二次世界大戦では戦死者は?」
上祐「え?第二次世界大戦でですか?世界でですか?」
麻原「市民も含めて…」
上祐「爆撃で死んだ市民だけで9000万人くらいでしたか」
麻原「兵士も含めると」
上祐「億いくんじゃないですか?」
麻原「だろう?一度戦争が起こると億単位でひとが死ぬんだよ」
上祐「世界大戦は起こるんですか?ソ連も崩壊してしまいましたが…」
麻原「いいか。世界大戦…いわゆるアルマゲドンは絶対にくるんだよ」
上祐「アルマゲドンで何億人くらい死にますかね?」
麻原「多分オウム真理教信者以外全員死ぬ」
上祐「え?全員ですか?」
麻原「そうだ。だから教団は武装する。攻撃は最大の防御、だよ」

 アルマゲドン(世紀末戦争)を信じて暴走したオウム真理教。
オウム真理教の犯罪事件は「信者A殺人事件」「坂本弁護士一家殺人事件」「サリン・プラント建設・殺人予備事件」「LSD密造事件」「覚せい剤密造事件」「麻酔薬密造事件」「メスカリン密造事件」「元信者B殺人事件」「滝本弁護士殺人未遂事件」「自動小銃密造事件」「松本サリン事件」「元信者C殺人事件」「経営者VX殺人未遂事件」「会社員VX殺人事件」「被害者の会会長VX殺人未遂事件」「宮崎資産家拉致事件」「公証役場事務長監禁致死事件」「都庁郵便物爆破事件」「新宿駅青酸ガス事件」「地下鉄サリン事件」
 首謀者の麻原彰晃は一切証言しないまま「死刑確定」した。
麻原彰晃(本名・松本智津夫)は認知症(ボケ)の仮病をつかいおむつをしてボー然と監獄の天上の照明を眺めている。だが、「死刑確定」の日はひとりになると「何でなんだよ!糞っ!」と悔しがった。病気なんだから死刑はないだろう、などと浅知恵だった訳だ。
麻原彰晃にはまだ「一連の事件の証言」が残っている。
死刑は当たり前だが、殺さず一日でも地獄の日々を送らすのだ。
本当のことを話す日まで。

  麻原の音源テープはうつろな声でささやく。
麻原「私はこの世の救世主だ。オウム真理教は世界一の教団だ。イスラム教でもキリスト教でもない仏教でもないオウム真理教が世界を救うんだ。アルマゲドン…第三次世界大戦は必ず来るしそのためにオウム真理教が救済の為に…」
麻原「救済するぞ!救済するぞ!救済するぞ!」

 1995年山梨県上九一色村には30棟のサティアンという工場みたいな白い壁の建物があった。(現在は更地になり平和碑がある)毒ガス対策で籠の鳥をもった機動隊ガスマスク隊がいき、遠まきに報道陣が報道している。まだ20代の毎朝新聞記者の佐藤良夫の姿もある。
ガスがないと知ると、盾と武装した機動隊が出撃。鋼鉄の壁を電気カッターできり、突入!会談の中2階の隠し部屋に札束を積んで寝そべっていた麻原彰晃が発見された。
機動隊の男は壁を壊しながら「浅原か?」ときく。
「…はい」麻原は赤い教団着のまま言った。髭ダルマみたいな男が連行され護送車に入れられる。マスコミのカメラは鉄格子の護送車の窓に見える髭ダルマを写し、
「浅原です!麻原彰晃代表逮捕です!」
「浅原逮捕です!」
と大々的に報道する。
あれから17年……。2012年42歳となった佐藤良夫は、旧式のウオークマンで「オウム真理教極秘テープ」をイヤフォーンで聴いていた。場所はある山梨県の湖畔のホテルに向かう自家用車内である。まだ午後少し、くらいだ。
毎朝新聞報道部佐藤良夫は「なぜオウムは暴走したのか?」の著者・早坂 武禮(はやさかたけのり・仮名)に取材の為あった。そのホテルでアポイントメントをとっていたのだ。
早坂は意外と若い感じを与える中年男である。
白髪頭に猫背で、華奢な感じにも見える。服装は佐藤は背広なのに早坂は普段着である。
「どうも、毎朝新聞の佐藤良夫です」
「早坂です。オウム真理教のことを聞きたいそうですね?」
ふたりは握手をすると、ホテルのまどろむ日差しの中のロビーのイスに座った。
「早坂さんも古参信者でしたね?ほとんどの古参信者は塀の中です」
「私に何が聞きたいのですか?本にすべて書いていますから読めば大体はわかりましたでしょう?」
「確かに…しかし、肝心な何故オウムが暴走したのか?わからなかったんです」
「文章が弱かったかなあ」
早坂の冗談に佐藤は笑わなかった。
「私は二度とオウム真理教のテロ事件が起きない様に「オウム真理教のすべて」が知りたいのです!」
早坂はちょっと考えてから、「ちょっといいですか?」と席を立ち、携帯で話した。
そして戻ってきて、
「佐藤さん猫大丈夫ですか?」ときいてきた。
「え?」
意味が解らない。
とにかく佐藤は早坂を乗せて、案内通りに…地方の假家に猫たちと住むオウム真理教の元・古参幹部で同棲中の鈴木麗子(仮名・50代)を紹介した。
鈴木麗子は最古参信者で髪の長い平凡な顔をしたおばさんだった。太ってはいない。
「彼女はサマナナンバー30番、選挙にも出ましたよ。村井、早川より入信は早い」
早坂は苦笑いした。
「おふたりはご夫婦ですか?」
家でお茶をだす鈴木麗子に聞いた。麗子は質素な服のままで「いいえ、同棲っていうんですか?身分が身分ですし……。私たちだけが幸せになってもオウム真理教の被害者の方たちに申し訳ないですし…」とか細い声だ。子供はない。かわりは沢山の猫たちだ。
鈴木麗子(仮名・NHK未解決ファイルでの仮名は深山織枝)…オウム真理教元・古参幹部。
村井秀夫(同じ時期に入信し、地下鉄サリン事件後刺殺される)佐伯(岡崎)一明死刑囚(松本弁護士殺害)、オウムのすべての殺人に関わった新実智実死刑囚(にいみともみつ・禿頭)、教団の武装化を進めたのが早川紀代秀死刑囚…しかし鈴木麗子(仮名・NHKでは深山織枝)はそうした面々と同時期に教団に入信して、事件に関わることがなかった稀有な存在だという。
早坂は「このひとは鈴木麗子…もちろん仮名でNHKでは深山織枝だけど(笑)」と彼女を紹介した。「どうも毎朝新聞の佐藤です」名刺を差し出す。
「早速ですいませんが、オウムに入信したところからでいいんで…お話を聴かせてもらえますか?」
佐藤ははやる気持ちを隠しきれず聞いた。
「はあ」麗子は戸惑った。「私のような人間の経験談がお役にたつかどうか…」
「是非オウムの真実をお聞きしたいのです。貴女と同期の古参幹部はすべて塀の中です。あなたに聞く以外考えられません。無論早川や新実や佐伯には手紙のやりとりはしているのです。ですが、彼らの証言は検察のフィルターがかかっていて真実に辿り着けない」
「はあ」麗子は覚悟した。「子供の頃から夢と現実がわからなかったんです。自分のまわりが違うんじゃないかって」
 時代は1986年11月、バブルの入り口…。
麗子はコンサバな服を着て眉毛を太く書いた厚化粧で、広告のイラストレーターをしていた。「よう麗子ちゃん、髪形決まってるね。この間みたいな広告頼むよ!お金なら幾らでも出すしね」ショップで派手な背広の上司は笑顔でいった。「まかせといて!そういやあ遠藤さん今日も合コン?」「そうさ!お金はじゃんじゃんつかわなきゃね!バブル万歳!」
ひょっとこみたいな顔の遠藤上司は上機嫌で出て行った。
 麗子は当時20代、ボーイフレンドと同棲していた。夜にタバコをふかして帰ると、
「ああ、なんか疲れるなあ。ねえ、もっといい給与の会社にトラバーユしちゃおうかなあ?」
と当時のボーイフレンドに愚痴った。「何読んでるの?」
ボーイフレンドの読む本は「超能力の研究 著者麻原彰晃」あのあぐらをかき宙に浮いている写真がカバーであった。(あぐらをかいて本当に宙に浮けるわけではなく、あぐらのままぴょんぴょん脚をしていると一瞬だけ宙に飛び上がりすぐ床に落ちる。飛び上がった瞬間を撮影しただけ)
「この麻原ってどう?」当時のボーイフレンドは麗子にきいた。
「浮いたってしょうがないでしょう?」
麗子は当時苦笑いをしたという。
しかしそこからが違った。何故か麗子(NHKでは織枝)は麻原の本を朝方まで熱心に読みふけった。熱中したといっていい。朝方起きだしてきた同年代のボーイフレンドは、
「あれ?その本眠らずに朝まで?」
「うん。あっくんなんかね。このひとの言っていることすごくわかるの!」
「宙に浮く人の?(笑)」
「まあ、それはそれでね。でもこのひとも孤独なのよ。夢と現実の狭間で孤独に耐えているの」
「(笑)…そう?」
 ボーイフレンドは上っ面ばかりだ、麗子は不満である。本にある電話番号に電話してみた。当時は携帯電話もスマートフォンもない。
「はい、オウム神仙の会です」
「あのう、麻原彰晃さんの本を読んで電話したものですが?」
「ああ、合宿の予約のお電話ですね?」
「合宿?」麗子は戸惑った。が、女の電話の声は合宿はこれこれで幾らお金がかかってとロボットのように速射砲だ。「わかりました」
 鈴木麗子(NHKでは深山織枝・仮名)らは中規模バスに乗せられ人気のない山道を登っていた。ポロシャツの村井秀夫は前の席で「麻原先生はアルマゲドンが必ず起こるっていっていたよ」という。「それホンマ?」早川紀代秀は怖がった。
麗子とボーイフレンドは顔を見合わせ「これってそういうところ?」と囁いた。
バスは雪の積もる木造合宿所(清流荘)前に着いた。赤い教団服の新実ともうひとりが出迎える。「ごくろうさまです。オウム神仙の会(オウム真理教の前身)へようこそ」
 新実らは頭を下げる。
「さあ、こちらです」
木造の合宿所はオンボロだが、年期がはいっている。中に入ると意外と綺麗に整頓してあると驚く。麗子は私服の麻原の姿を見かけた。
大きな部屋には20人が入った。教団服の佐伯(岡崎)一明は「皆さん床にお座りになって座禅を、ダメな方は蓮華座でいいので」
「蓮華座ってなんでっか?」早川はきいた。
「座禅のくずしたもので片足だけ組む座禅ですよ」
一同は座禅を組む。
そこに金色のマントと宗教服の麻原が来た。髭ダルマみたいな太った男だ。
説法が始まった。
麻原「例えばあるひとがお金があれば高価な車も買える。彼女は玉の輿に乗ったといっても何も感じない。昨日今日のコメがあればいいではないか?一千万円も百万円もいらない。そう思えるようになる。つまり世の中にあふれているインフォメーション、情報というものが役に立たなくなる。それが「解脱(げだつ)」だ。いいですか?皆さん」
 一同は案内されて外の通路をあるいていくと、
「あれ見て!」
「すごい!」
と、感心した。髭ダルマ麻原彰晃が、上半身裸で雪の上で座禅を組んでいる。少し距離がある。真冬である。「寒くないのかなあ?」一同はざわざわしだした。
寒かったに違いない(笑)。我慢したのだろう(笑)。
新実は「先生は最終解脱しているため寒さを感じないのです!」
とにやりと自慢する。
なにが最終解脱だ?(笑)
だが、一同は関心した。凄い!凄い!

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする