ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

「人を叱る時の四つの心得」と、金本知憲監督の、監督辞任(解任)について

2018-10-17 00:00:00 | スポーツ

旧聞ですが、阪神タイガースの金本監督が辞任して、矢野2軍監督が新監督に就任しました。建前は辞任でも、実際は解任だという話もありますが、それはこの記事の主眼ではありません。

先日記事でとりあげたノーベル賞を受賞した山中伸弥京都大学教授とラグビーの平尾誠二との交友関係や闘病を記した『友情 平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」』という本で、次のようなくだりがありました。つまり山中教授によると、平尾が次のようなことを述べたというのです。以下主要部分の抜粋ということでご了解ください。

>「人を叱る時の四つの心得」

プレーは叱っても人格は責めない

あとで必ずフォローする

他人と比較しない

長時間叱らない

(p.44~45)

で、これを読んで間もなく金村監督辞任のニュースを知り、思わず私

「金村って人は、人を叱るときは、人格を責めて、フォローなんか絶対せず、他人と比較しまくって、延々長時間叱ったんだろうなあ」

と考えました。それでまた次のようにも考えました。

「金村は、少なくとも野球に関しては、そういう叱られ方しかされていなかったから、自分でもそのようにしか叱れないのだろうなあ」

金村は、こと野球に関しては、人格で叱られ、叱られっぱなしにされ、他人と比較されまくり、長時間叱られる、といった叱られ方しかされなかったんじゃないんですかね。金村は、それでもそこをバネにして大きく飛躍できる才能と強い精神力と運(最後は思いのほか重要です)がありましたが、それを他人に要求するのは指導者として無理でしょう。

平尾が実際にどのように後輩なり他の選手を叱ったのかは当方知りませんが、伏見工業の山口監督から同志社大学の岡監督、および神戸製鋼の同僚、指導者、日本ばかりか他国もふくめた選手、指導者らとの付き合いの中で、他人を叱るとはどういうことかということを考えて、上のような結論にいたったのでしょう。

それに対して金村は、自分の経験から、自分はそのように叱られた大きくなった、だから他人も・・・という思考から抜け出せなかったのでしょう。虐待の連鎖という言い方がありますが、けっきょく人間は、自分がそうされたようにしかできないという部分があります。金村が、今はそういう時代ではないと考えたり、自分なりに勉強したり、あるいはブレーンに様々なアドバイスを求めて自己革新を進めていけばまた事態は違ったのかもですが、金村はそういう人間でもなかったのでしょう。

監督とかコーチというのは、これはスポーツに限りませんが、あまり自分の経験に固執していてもしょうがないと思います。時代の流れ、気質の変化、科学の知見といったことを重視していかなければしょうがないでしょう。金本の辞任(解任)については、そのようなことを改めて痛感しました。

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