ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

そういう話じゃないだろ

2014-04-30 00:00:00 | 社会時評

以前ちょっと調べごとをしていて、とある女性の闘病記を読んだことがあります。14人子どもを産んだという福岡県在住だった江口登代香さんという人で、彼女は1981年に乳がんで亡くなっています。私は詳しいことは知らないのですが、当時はけっこう有名だった方みたいです。

小学館の女性週刊誌「女性セブン」が連載記事にしたそうで、それが2冊発売されました。1980年と1981年です。

生きてん母ちゃん―14人の子の母がん闘病記

生きてん母ちゃん〈続〉

なお、兄弟でタイトルマッチを行ったというので話題になったことがある元ボクサーの江口兄弟というのは、実は彼女のお子さんです。

時代が違うので、いまだったらとても書けないようなこと(夫のDVとか)がかなり詳細に記されている闘病記なのですが、読んでいてそういう話じゃないだろと思ったくだりがあります。

つまり、江口さんは、結婚しても賭博や酒、女に狂っている彼女の夫(つまりそういう話も詳細に書かれているわけです)が自分に振り向くように(更正してほしいと願って?)子どもを生み続けたというのですが、たとえばこのようなことを語っています。「続」のほうからです。

>それにね、思うとですが、離婚するとかなんとかちゅうのは暇がありすぎのとやなかやろか。ウチには考える暇がとにかくなかった。なしてこんなに苦労が多かとやろかち考える前に、明日、買う米代の工面ばせないかんやったもん。とにかく子供たちに食べさせるお金をどこからつくるか。主人は給料入れてくれんやったでしょう。衣食住のうちの食がなかなかね、ありつかんやったもん。(p.36)

で、江口さんのお子さんは、最初の3人は高校へも行かず就職しました。

これを読んで、いくらなんでもひどいと私は思いました。それは、あなたはそれでもいいかもしれないけど、子どもたちがかわいそうじゃないか。子どもを産むんだったら子どもたちの食事くらいはきっちり食べさせてあげなければいけないし、また学校だって高校くらいは行かせてあげなければかわいそうでしょう。この本が書かれた1980年ごろだって、大学はともかく高校は誰だって行っていた時代だったんだから。

しかし、当時は(今でも?)こういう話が美談だったんですかねえ…。こんなこと言っても仕方ないけど、親は子どもを選べないというのとおなじように子どもだって親は選べません。なにもものすごい金持ちの子どもに生まれなくてもいいけど、学校も満足にいけない、食事もひどい、って、そんなん子ども生んで育てる権利ないよって思いました。それなら失礼ながら、養護施設に預けたほうがよっぽど子どもの人権だって確保されたんじゃないかという気すらします。

事実、とんかつ屋に住み込みで就職した3男の人は、次のように語ります。

>引っ越してから友人がひとりもできない。ほんとうはみんなと同じように高校に行きたかった。1日10数時間、立ちっ放しの仕事は辛い。辰二郎くん(引用者注:兄)のように朝8時半から夕方5時までと、時間が一定していない。帰宅は11時を過ぎる。休みも月2回しかない、給料が安い。自分の時間が全くない。みんなと同じように遊びたい…。(p.133~134)

なんだか読んでいてあまりに気の毒になってしまいました。でもこの労働条件て、労基法の観点から見ても、問題はないんですかね? まだ中学校を卒業したばかりの少年ですよ。

子どもってのは、産んだんだったらそれなりに責任があるだろ・・・・っていう気がするんですけどねえ。

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アジア周遊紀行(2013・夏)(49)

2014-04-29 00:00:00 | 旅(ミャンマー)

この女性も3年つづけて撮影(こちらこちら)。

図々しく写真を撮ってしまう私。

 

宝石類は中国系の客が多いんですかね。

店名も漢字でも書かれているし。

図々しく写真を撮る私に対する鋭い視線。

昼食を食べに向かったタクシーにはられていたステッカー。すくなくとも2011年の7月までは日本で使われていた車ということですね。最近は、走っている車もすっかり新しくなりました。2011年の時は、30年くらい前ではないかと思われる車が主流でしたが。

今日こそは、お目当ての店で食事をとるつもり。

サヴォイホテルです。高級ホテルです。

地図とにらめっこしながら、なんとかレストランを探します。

この近辺は、骨董屋(?)のたぐいも数軒店を出しています。

 これは家具製造工場。この奥に、お目当てのレストランがあります。

(つづく)

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安倍晋三をメーデーに呼ぶ馬鹿

2014-04-28 00:00:00 | 社会時評

こんな記事が出ました。朝日新聞の記事より。

>「残業代ゼロ」厚労省懸念 政権、前のめり 競争力会議

山本知弘、清井聡

2014年4月23日02時58分

政府は22日の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)で、労働規制を緩和し、法律で定める時間より働いても「残業代ゼロ」になる働き方を一般社員に広げる議論を始めた。働き手本人の同意が条件だが、厚生労働省は、経営者の立場が強いため、本人同意が強制されるとの懸念から慎重な考えを示した。長時間労働の拡大につながりかねず、大きな議論を呼びそうだ。

  • 「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ

 民間議員の長谷川閑史(やすちか)・経済同友会代表幹事が22日、労働時間ではなく、成果をベースに賃金を支払う仕組みを提案した。例えば、子育て中の女性などが退社後に自宅に持ち帰って仕事ができるようになれば、企業は子育て・介護世代を活用しやすくなり、雇用が増えると主張した。

 議長を務める安倍首相は「時間ではなく、成果で評価される新たな仕組みを検討してほしい」と指示した。今回の提案では、年収が1千万円以上など高収入の社員のほか、労使合意があれば一般社員も「残業代ゼロ」の対象とする。長時間労働の拡大を防ぐため、政府が労働時間の上限の基準を示し、労使で決定することも盛り込んでいる。

個人的な意見を書けば、安倍晋三(だけではもちろんありませんが)が考えそうなことです。inti-solさんがおっしゃるように

>こんな制度を導入して、働く人にとって得になることは、ほとんどないと思われるので、私は断固として反対です。

という以上のものではないでしょう。

で、しばらく前にこんなことも報道されました。今年3月の記事を(魚拓)。引用は一部。

>安倍晋三政権が成長戦略の柱と位置付ける国家戦略特区の最大のポイントは、雇用の規制緩和だった。現在の日本の労働法制は解雇を厳しく制約している。特区における規制緩和は、

(1)労働者と経営側が事前に契約を交わし条件や手続きを明確にしておけば、解雇しやすくなる
(2)有効契約で5年を超えて働いた人が、無期契約になれる権利をあらかじめ放棄できるようにする

ことを目指した。外国企業の進出やベンチャー企業の設立を容易にし、海外からの投資を呼び込む狙いがあった。

 だが、雇用の規制緩和は野党や労組、マスコミから「解雇特区」「ブラック企業特区」と批判された。首相周辺は「雇用軽視のレッテルを貼られたら、安倍政権の実績が吹き飛びかねない」として雇用の規制緩和を先送りした。しかし、「失業なき雇用の流動化」をスローガンに掲げ、雇用見直しを加速させたい安倍政権は、岩盤と見なされてきた雇用の規制を打ち破る突破口として、バーチャル特区の福岡市での実験的導入を目指す。

これも、そうとう好意的に考えても

>働く人にとって得になることは、ほとんどないと思われる

というものでしょう。が、これは別に意外ではありません。安倍なんてそんな男です。

がですよ、これはいくらなんでもひどいんじゃないんですかね。

首相、賃上げ成果強調 連合中央メーデー 与野党幹部が出席

産経新聞 4月27日(日)7時55分配信

連合は26日、第85回メーデー中央大会を東京・代々木公園で開催した。安倍晋三首相が自民党政権の首相では13年ぶりに出席。首相はあいさつで、「何としても賃金の上昇を実現させたいとの思いで政労使の懇談会をつくった」と述べ、春闘でベースアップが相次いだ実績を強調した。

(後略)

ここまでくると率直に言って笑っちゃいますね。いや、まじめに考えれば笑っちゃいけないんだろうけど、このような労働者に不利益な制度改革をしようとする人物をメーデーに呼ぶ労働組合の元締め団体って、私にはそれこそ肉屋を支持する豚というレベルだと思います。もちろん安倍だって、こんなところで解雇特区や残業代ゼロへの理解を求めるような演説なんかしはしないでしょうが、どちらにせよ安倍といい連合といい、どうしようもない連中です。いちおう私も労働組合員ですが、いいかげんうんざりしました。

なお、参考になる記事を書いてくださったinti-solさんに感謝を申し上げます。

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アジア周遊紀行(2013・夏)(48)

2014-04-27 00:00:00 | 旅(ミャンマー)

 

また、ボージョーアウンサンマーケットへ行ってみることにします。

ATMがこんなところに設置されているのも、かつて(といったってほんの2年前(旅行時))のミャンマーを知っていると、「うひゃー」です。

奥に「VISA」のステッカーがはってありますが、クレジットカードOKなんですかね?

前2回もTシャツを買っている店でまた買います。今回は、もう1人の女性は見かけませんでした(こちらこちら)。

「VISA」のステッカーの左下にあるのは招き猫ですね。その下にはJCBのステッカーもあります。

著作権はクリアしているのでしょうか。

芸術的な価値はともかく、このような絵を買ってみるのもいいかも。

だんだんこのような服装の女性が増えてくるでしょう。私としては、民族衣装のほうがいいけど。

こういうのはいいですね。こんど土産に買ってこようか。

昼飯時です。

グリーンの服を着た女性、その右隣の女性は、わりと典型的ミャンマー人の容姿という気がしないでもありません。

宝石のセクションへ向かいます。

(つづく)

どうでもいい追記:プロフィールのBill McCreary氏の写真を変えました。変えたのは、4月27日午後9時50分ごろ。

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アジア周遊紀行(2013・夏)(47)

2014-04-26 00:00:00 | 旅(ミャンマー)

翌日のホテルの朝食会場にて。やや緊張気味かな。

こちらはリラックスした方。

これより、ココナツゼリーのほうがおいしいと私は考えます。隔日かどうか、出るデザートも日によって違います。

レセプションの女性。彼女からは滞在中何回かいろいろ親切にしてもらいました。なかなか優秀な女性です。この女性は、私の親しい女性に似ています。彼女は南方系の顔なんだと感じました。よく「沖縄の人? 九州の人? 東南アジアの人?」と聞かれるとか。生粋の関東の女性ですけどね。

ドアマン、じゃなくて今はドアパースン(というのか未確認)ていうんですかね。

ミャンマーというのは、この水色(空色)の服を着ている女性のような、すごいすらっとした人がいます。写真がぼわーっとしているのは、外の湿気が強烈なため、水滴がついたため。

この女性もなかなかの美女です。

犬もたむろっています。

日本人御用達のマッサージ屋にいる女性。前にも写真を撮ったことがあります(こちら)。

日本人の篤志家が、ミャンマーの視覚障害者の就労支援のために設立したとのこと(ガイドブック情報)。この時は「サクラタワー」というヤンゴンを代表するオフィスビルにありましたが、家賃高騰のあおりを受けたかどうかはさだかでありませんが、現在は移転しています。ガイドブックにも記されています。

トレイダーズホテルに行き、

デザートをいただきます。前に写真を撮ったドイツ人のカレンさんがいたので、明日この国を去るみたいな話をしたら、

「そうですか。あなたと会えてうれしかったわ」

とのこと。さすが、心にもないことをすらっと話すのは、模範的なホテル従業員の姿です。握手して(男性の方から求めちゃいけないんだけどね)分かれます。

通りを渡ります。一番上の右側のかんばんのレストランはおいしかったのですが、残念ながら閉店です。

遠くにモスクが見えます。

白人の観光客も増えました。

NLDのバッグなども堂々と売られる時代になりました。2011年ではなかったことです。

アウンサンスーチーのシャツもいろいろ売られています。

いろいろなものが売られているので、こういうところで買ってみてもいいかもしれません。

(つづく)

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カトリーヌ・ドヌーヴ 1970年のインタビュー(2)

2014-04-25 00:00:00 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)

(聞き手)あなたは乱暴だという噂さえありますが…。

(カトリーヌ・ドヌーヴ)そんなことはないわよ。私は神経質で心配性だわ。それでそれを注意深く隠しているのよもともと、私は自分の不安や困っていることをうまく隠したいのね。他人が私の感情を5分後には想像できるというのは私はいやなの。さらに、私の友人たちについても同じことなのよ。少しずつ友だちたちがどんな人間かを見つけていくのが好きなのよ。その人となりを少し夢みて想像する時間が必要なのね。

仕事のせいで、自分は利己主義者になったとおっしゃっていましたが…。

それは本当にそうね。私は利己主義者になったわ。むしろ自己中心かな。なぜなら私は絶えず、自分を最高に魅力的にするために、自分自身に興味を抱き、言動を慎み、自分を抑え、自分を観察しているから。メーキャップをして髪を結って美しく見せるようつとめて、そうするとナルシズムに身を突っ込んでしまう危険が等しくあるわね。

あなたの人生の中で、自己中心なのですか?

あなたにそんなことは答えられないわ。仕事の中ではそうなっていることはわかっているし、ある程度はそうなりたいっていう動物的本能ね。

敗北するとなると、それを悪く受け取られますか? 

敗北する・・・それってどういう意味? この仕事は誰かが勝つとか誰かが負けるというようなゲームじゃないのよ! 問題は、勝つとか負けるとかじゃなくて、興味を惹くようなことをやりながら、自分を維持することなの。あなたがたが失敗だと認める段階に達したいものね。その段階でならキャリアを台無しにするようなリスクなしに危険な試みに飛び込めるのよ。残念ながらこの仕事では、どんなに僅かでも気を緩めれば、高くつくことになるの! 

自殺しようとなど考えられますかね? 

誰もと同じように考えたことはあるわよ。それ以上あなたに言うと慎みを欠くことになるでしょうけど。

生きている中で、たくさんの一撃のようなものを受けたとお考えですか?

たぶんほかの人と同じように受けたわね。好奇心が強く、そのような目に合うことにも慣れていたから、ダメージは受けなかったわ。さらに幸いにも、反対のことが無関心を明示するの。自殺に容易に導くわ。固い一撃に刺激されて、人生の意味にいたるわね。やり直しをしたい気にさせるわよ。よりよく生きていることの証ね。

監督の中には、あなたを利用した人がいるとお考えですか?

監督さんたちは、あたしを利用したわよ。私も彼らを利用したようなものよ。まず私は、監督たちを注意深く選択したわ。私は、映画というのは主に作家のものだと思うわ。作品の中で、個性や感性をもって時を過ごさせる時、監督は、他のスタッフより上を行くわ。監督たちと仕事をするとすぐに、私の信頼は完全なるものになるわ。自分の知られざる側面を見いだし、わが才能の新たな側面を表すことを助けるために監督さんを当てにするの。自分をよりよく知るためにも監督さんを利用しているわ。

女優としてご自分をどのように見ていらっしゃいますか?

自分じゃわからないわ。自分の姿見えないもん。

あなたにも間違いを犯すことが生じました。私は、「恋のマノン」と「うたかたの恋」のことを言っているのですが。 

私は、ジャン・オーレル監督をとても尊敬しているの。「恋のマノン」が大成功しなかったのは、明らかに監督の調子が最高でなかったためね。私も同じく最高の状態ではなかったのよ。「恋のマノン」は失敗だったとはみなしていないわ。あるいはそうだとしても、教訓的側面だけは評価したいわ。「うたかたの恋」はというと、どんな映画になるかはあらかじめわかっていたわ。時代劇に出演したかったし、ロマンティックな人物を演じたいと切望していたの。

あなたが最高に気に入っている想い出の作品は何ですか?

「シェルブールの雨傘」への出演と、「暗くなるまでこの恋を」へのそれね。

幸せはパリで」への出演のための米国での経験は、あなたに何をもたらしましたか? 

別世界での想い出ね。金儲けを心配して働くということが、どんなことか分かったわ。米国人は、ひとが女性であることを考慮に入れないわ。夜明けまで立ち通しだったり、たとえ撮影のない時でも)スタジオのセットにいなければならないわ。それはひどく疲れるわ。

でも反抗心がお強いのでは?

すごい丈夫というわけではないけど、神経質でまあまあ反抗的だわね。

生活の中で、一番お好きなことは?

生きること。とても単純ね。ものすごく好まれている中で、私はすごく愛情を必要とするのよ。家族の中にそれを見いだしているわ。私は完全に家族第一主義の人間だわ。

一番嫌うことは?

自分の本性に支配されなければならないことね。愚痴っぽかったり怠惰だったりすること。身体で努力するってことは、とてもつらいことだわ。それでも必要と感じるから、それをするのよ。

お年を召した際は、映画での仕事はされないとおっしゃっていましたが・・・。

そんなこと言った覚えはないわね。私は26歳にすぎないのよ。老人になることが関係あるとは感じないわね。はるか遠い問題を考えるのも、すごい気力が必要だわ。実際のところ、映画で老人になった日々を演じないなんて誰が言ったの?

黄昏に恐怖を感じるというのは事実なんですか?

そう、あたしがひどく落ち込み、苦痛をもって過ごす時間ね。夜が好きじゃないの。終わること、閉まること、暗くなることが好きでないわ。光の中の娘なの。こんなわけで、夕方の6時では、あなたに話をしているようには話せないの。人って、昼間の終わる時の午後6時ごろが、多くの場合一番打ち明け話をするでしょう。私にとっては、一番調子のいい時間は、午前11時ね。

(了)

 

インタビューの題名の意味は、インタビューのラストでご理解いただけたかと思います。

昨日と今日の記事に収録した写真は、雑誌の表紙以外にもこのインタビューが採録されていたサイトに掲載されていた写真です。3人でグラスを持っている写真の一番左の女性は、お姉さんのフランソワーズ・ドルレアックですね。妹も、うれしそうな表情でお姉さんを見ています。それから1番下の写真で、ドヌーヴのそばにいる子どもは、クリスチャン・ヴァディムかな? 彼は1963年生まれだから、たぶん1960年代終わりごろの写真ですかね。

私のフランス語の勉強もかねて、これからもカトリーヌ・ドヌーヴその他女優さんのフランス語のインタビューを拙ブログで発表していきたいと思います。乞うご期待。

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カトリーヌ・ドヌーヴ 1970年のインタビュー(1)

2014-04-24 00:00:00 | ドルレアック姉妹(フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴ)

カトリーヌ・ドヌーヴのインタビューの翻訳を発表します。1970年の雑誌より。出典は、こちら(魚拓)。フランス語なのでなかなか私も気合が入ります。題名の意味は、最後まで読んでいただければわかります。では。

 

11時の打ち明け話

映画の中で、ルイス・ブニュエルは「トリスターナ」という異名を彼女に与えた。日常生活の中では、カトリーヌ・ドヌーヴはとても美しい女性である。おそらくグレタ・ガルボに匹敵する。申し分のない容姿、何よりも神秘的な冷ややかさをあわせもち、近づき難さを備えているかのようだ。しかし、ガルボとは反対に、ドヌーヴは人間味のある女性であることを示しており、もろさと強さを同時にあわせもつ女性であり、明晰さと夢見がちな性格、かわいらしさときつさをも備えている。要するに偉大であり、優れた女性でもある。

(聞き手)デビューからはじめましょう。そうですね、あなたの人生のはじめについてです。7歳まで、哺乳瓶で食事を与えられていたというのは本当なんですか?

(カトリーヌ・ドヌーヴ)完全にそうだったっていうわけではないわね。幼かった時は、肉が大嫌いだったの。食欲が強かったわけでもなかったし。私に食事をさせるってのは面倒だったのよ。それで私に牛乳を飲ませるのも、哺乳瓶に入れておいたってわけ。というのはおまけに牛乳のにおいも耐えられなかったし。

いまもですか?

それは解決したわ。まだうんざりするけど。当然ながら哺乳瓶はやめたわよ。有無を言わさず、息子のクリスチャンのお守をするためにね!

人形ではけっして遊ばなかったとあなたはおっしゃっています。いつも本の世界に入りびたっていたと・・・。

ああ、そうではないわ! 本の中じゃないわよ。私はかしこい女の子では決してなかったから。人形で遊ぶのは大好きではなかったわ。それはたしかよ。人形の家や、小さなたんす、小さな食器で時間をつぶした姉たちとくらべるとね。私はというと、母のそばにいるのが好きだったわ。あとについていって、母を見ていることが。いわゆる、母の(スカートの)中に入りびたってかんじで過ごしていたわ。

おまけに、一挙にして姿を消したいと望んでいたとか・・・

一挙に、なんてことはないわよ。徐々にそんな気になったの。あたしがお仕事をはじめたのは、16歳になるちょっとまえのことだわ。自分で決めたっていうわけではなく、私のためにまわりがそう決めたのよ。偶然かな。その時から、自立して、家と家族から離れて、違うやり方で生きていくことが必要だなって感じたの。独立でさえもないわね。抑えがたい熱望だわ。私ってとても衝動的な人間なの。

お話に出てきた偶然のたまもの、というのはどの作品ですか?

閉まるドア」ね。若い娘を必要とした映画だったの。私はリセにいて、卒業する年だったわ。応募しようととある木曜日に出かけたの。役柄と縁があったに違いないわ、というのは私が起用されたから。この映画の時は、まだ一生の仕事にするつもりだったわけでもないけど。15歳半だったわ!

その時から成功するまでにほとんど5年かかったと・・・

シェルブールの雨傘」まで5年かかったということだわ。その時までは成功していたとは言えなかったわね。25歳ごろまでは、人は理想には達しえないと思うわ。私はとても早く対応した、それは確かね。他人への義務が生じる仕事よ。努力して、用心したままでいて、新境地をひらいて、自己改善をしていくということよ。

早熟でいらしたんですね。

たぶん、でもそうは言いたくないわ。おませな子どもってぜんぜん好きじゃないの。感嘆し、おまけに立ち止まって他人に追随する相も変わらない時期ね。それからすべてが身になる経験がおきるわけ。

反撥」を撮影した時、ロマン・ポランスキーは、あなたは映画の中の役柄そのものだったと言明しています。

ロマンがそんなこといったのなら、それは映画の巧みな宣伝ね。ロマンがそんなに調子よく行ったなんて思わないわよ。あたしはそんなに神経質じゃないわ!

少しはそうでいらっしゃるんですか?

少しは・・・ほかの人みたいなものよ! パリに住んでいる他の人たちのようなものだわ。

あなたのお顔はまさに落ち着いていて穏やかですが・・・。

そんなことないわよ!

(つづく)

 

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祝! 700万PV突破!!!(2015年中に1,000万PV突破するつもり)

2014-04-23 00:00:00 | Weblog

拙ブログは、めでたく4月21日をもちまして、700万PVを突破しました。gooは1日たたないとアクセス数がわかりませんので、これは昨日付でわかった21日現在のアクセス数です。上は21日付の20日までのアクセス数です。

600万PVを突破したのが、昨年の12月23日ですので、ちょうど4か月での突破になりました。2月にソチオリンピックがあって、そこで美女特集をしたことがかなり早い100万PVクリアになったと思います。

で、美女の登場する大規模なスポーツイベントは、来年の世界陸上までないので、このブログがそんなにたくさんのアクセスを稼げるかどうかは不明ですが、どうやら2015年末中に1,000万PVに行きそうですね。別にそれでお金をもらっているわけではないし、単なる趣味ですが、しかし趣味でもまあまあそれなりのアクセス数と規模になったかなという気はします。

1,000万PVになったら、常連読者に呼びかけて、オフ会でもしようかという気もありますが、そうすると私を憎んでいる人間は多々いるので、そいつらに襲われる可能性がないとは言えないので、やはりやめます。もっともその時なったら気が変わるかも。

こちらの記事にも書いたように、

>そう考えると、このブログもそろそろ閉鎖してもいいかなという気がしてきました。そういう話は4月1日記事で何回も書いていますが、ブログを閉鎖して、HNも捨て、まったく違うHNでツイッターでもしてみてもいいかも。あれもひんぱんに更新しなければですから、わずらわしくはあります。なんだったらネット言論の世界から引退してもいい。

もっともこのブログは、無名の素人が運営しているわりにはお客が多いので、いまさら閉鎖するのももったいない気もしますので、そうしたら週2回くらいの更新でもいいかもしれませんね。いろいろ考えます。

とも考えますが、しかしけっきょくは貧乏性なようで、せっかく多くの人が遊びに来てくれるのだからと日々更新してしまいます。というわけで、明日からもこのブログをよろしくお願いします。

 

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実に面白い新聞記事(訂正あり)

2014-04-21 00:00:00 | Weblog

といったって、こういう話を「面白い」と考えるかどうかの感性の問題だという気もしないでもないですが。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140418-00000012-ryu-oki

男性が銀行提訴 裁判官が異例の「忠告」裁判休止に
琉球新報 4月18日(金)9時56分配信

 「20年以上裁判官をしているが、こんな訴訟は初めて。結論から言うと認められない。悪いことは言わないからおよしになった方がいい」。17日、那覇地裁で開かれた民事訴訟の第1回口頭弁論で、鈴木博裁判官が原告の男性に対して異例の「忠告」をした。男性は、他人名義の銀行預金証書などの所有権が自分にあることの確認を求めたが、訴訟は休止扱いになった。
 訴状によると男性は、昨年12月に古物商で写真の現像用機材などを購入。数日後、機材の中から20年以上前の銀行の定期預金証書や印鑑などを見つけた。証書の額面は合計で1700万円以上あったという。銀行に対して「購入機材の中にあったので、(預金証書の)所有権は自分にある」と主張したが、応じなかったため提訴した。
 鈴木裁判官は、双方が主張をする前に、男性に対して「例えば総菜屋でコロッケを三つ買い、家に帰って袋を開けた時にダイヤの指輪が入っていても、指輪は返さなくてはいけない。売買の対象になってないのだから」と例を挙げ、購入した店か警察に届け出るべきだと指摘した。男性は、銀行や国税庁などに相談したとして、「拾得物ではなく買ったものなので警察には届けていない」と答えた。
 取り下げを勧める鈴木裁判官に対して男性は「時間をもらって考えたい」と要求。裁判は双方が出頭しながらも主張をしないまま休止という展開になり、1カ月以内に男性が期日の指定をしなければ自動的に取り下げられることになった。
 男性は、「何もしないと預金は銀行のものになってしまうと思って提訴した。今後どうするかは考えたい」と話した。銀行は一般論として「他人名義の証書の所有権が認められても、預金はその人のものにはならない」としている。(沖田有吾)

>20年以上裁判官をしているが、こんな訴訟は初めて。結論から言うと認められない。悪いことは言わないからおよしになった方がいい

わはははは。これは、裁判官氏もこのような説諭(っていうんでしょうか)でもしないわけにはいきませんよね。

それにしても、原告はやっぱり本人訴訟なんですかね。まともな弁護士なら、さすがに代理人になろうとも思わないでしょうが、しかし今の時代弁護士も余っているから、必ずしもそうでもないのかな。

同日の訂正:コメント欄でbogus-simotukareさんご指摘のように、URLが間違っていましたので訂正します。bogus-simotukareさんありがとうございます。

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アジア周遊紀行(2013・夏)(46)

2014-04-20 00:00:00 | 旅(ミャンマー)

別に店舗の撮影を拒否するマークがあるわけではないのでカメラを向けますが、トラブルにならないようにある程度慎重に撮影しました。

このような店に来る人は、やはり民族衣装を着ないみたいですね。

ミャンマー独自(?)のドーナツ屋。いずれミスドやダンキンが進出するんでしょうか。

シネコンまであります。

食べてみて、味を確認してもよかったな。

あれ、今日昼を食べた店じゃないですか。ここにも出店していたんですね。

「ダイソー」まであったのには驚きました。ただし価格は、100円よりは高かったみたいですが。どっちみちミャンマー庶民には高級品です。

ミャンマーでは、こんな短いスカートをはいている女性はあまり見かけません。

ガイドブックに載っている海鮮料理の店に行きます。

ミャンマービールをいただきます。

これがでてくるということは…。

私の相手をしてくれた店の女性。

うちわです。暑いから、これで仰いでくれとかしてくれました。

ロブスターのおじやです。

そして刺身です。ほんとはもっと大量に食べたかったのですが、この旅行では金の使い方を失敗してしまい、財布のひもを締めたので、遺憾ながらロブスター500gで我慢しました。

 彼は、私をうちわであおいでくれました。なんでそんなに親切にしてくれるのかさっぱりわかりませんでしたが、チップ目当てかあるいは、私が(あるいは唯一の)1人で食事をしている人間だったので、気をつかってくれたのかもしれません。

(つづく)

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