ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

安倍晋三の死からしばらくたって、あらためて「日本の言論の自由なんてしれたものだ」と痛感する

2022-10-31 00:00:00 | 社会時評

過日このような記事を執筆・発表しました。

田中均元外務省アジア大洋州局長が、日朝首脳会談直前に米国高官に会談についての事前通告をしたことを認めた(高世仁とか家族会ほかの面々は、どんだけ馬鹿なのかと思う)

あらためて引用しますと、

日朝首脳会談20年 田中均氏が語る 拉致被害者帰国 交渉決裂寸前で回避 | NHK政治マガジン

>対米極秘ブリーフィング

交渉は再開された。その後は、小泉訪朝を前提にして、どういう外交シナリオを組んでいくかという交渉が進んでいくことになる。

そして、小泉訪朝が事実上固まり、交渉が最終盤を迎えていた2002年8月下旬。田中は、来日していた当時のアメリカ・ブッシュ政権の幹部に対し、東京・虎ノ門のホテルオークラで、北朝鮮との交渉と小泉訪朝の計画について、極秘のブリーフィングを行った。

出席者は、アーミテージ国務副長官、ケリー国務次官補、国家安全保障会議のマイケル・グリーン日本担当部長、ベーカー駐日大使という面々だった。
「日朝平壌宣言のドラフト(草案)も含めて、自分の見通しも含めて、全て話をした。彼らはじっと聞いていました。みんな。物音ひとつせず、じーっと聞いていた。日本がアメリカのブリーフを受けることって、よくあることですよね。それも驚くようなことをブリーフを受けることはある。だけど、その逆っていうのはあんまりないですよ」

「アーミテージがすくっと立ち上がって、『俺に任せろ』と。『自分は今からこの近くのアメリカ大使館に戻って暗号電話でパウエル(国務長官)に直接、話をする』と。『ついては、その次の日、小泉総理大臣からブッシュ大統領に電話をしろ』と言ってくれた」

その翌日、日米電話首脳会談が行われた。田中は、総理大臣官邸の執務室で電話をかける小泉の隣にいた。

「ブッシュが言ったのはね、『小泉、お前が言うことについて、俺が反対するわけがない』って、こう言ったんですよ。総理には、『自分はアメリカの利益を絶対に害さない』ということを言ってもらった」
「同盟国といっても、それぞれ違う利益はあるわけですよ。日本は日本のアジェンダがある。で、拉致っていうのは、日本のアジェンダなんですよね。これは、日本自身が解決しなければいけない問題だ」

田中均氏がこういう証言をしたこと自体も意外ですが(長きにわたって彼は、このような発言を封印していたわけです)、NHKというきわめて国営放送的な色彩の強い公共放送がこのような報道をしたということのほうが、私にとっては意外ですね。bogus-simotukareさんも、

>それにしても「安倍が死に」、NHKがこうした「田中氏に好意的な報道をする」。拉致問題がまともな方向に行くことを期待したいところです。

とお書きになっています。引用は下の記事より。

今日の朝鮮・韓国ニュース(2022年9月9日分)(追記あり)

それで、これは多くの方がたぶん同意していただけるかと思いますが、安倍晋三が山上徹也容疑者に殺されなければ、この報道はなかったんじゃないんですかね。田中氏も取材に応じないかもですが、NHKはまったくこんな報道をする見込みがないでしょう。

あるいはこちらはどうか。外務省の斎木昭隆元事務次官が朝日新聞9月17日の記事で興味深い話をしていますね。有料会員限定記事ですのでよそ様からいただきます。こちらの記事から。

>元政府高官も実名で証言 それでも政府が「黙殺」する拉致被害者2人の「生存情報」
2022年10月13日17時57分

   2人は、政府が北朝鮮からの拉致被害者として認定している神戸市の元ラーメン店員、田中実さん=失踪当時(28)=と、政府が「拉致の可能性が否定できない」としている金田龍光さん=同(26)=。2人が北朝鮮に入国したとの情報を日本政府が北朝鮮から伝えられていた、などと共同通信が2018年に報じていた。22年9月には、北朝鮮との交渉に携わってきた斎木昭隆・元外務事務次官も朝日新聞のインタビューに対して同様の発言をしている。ただ、政府答弁は「今後の対応に支障をきたすおそれがある」として「具体的内容や報道の一つ一つについてお答えすることは差し控えたい」。引き続き「ゼロ回答」を連発する状況が続いている。

としたうえで、斎木氏が

>北朝鮮からの調査報告の中に、そうした情報が入っていたというのは、その通りです。ただ、それ以外に新しい内容がなかったので報告書は受け取りませんでした

と発言しています。簡潔な発言ですが、つまりは、共同通信の報道は正しかったということを認めたわけです。これもねえ、ご当人がすでに外務省を引退している(2016年外務省退官)ということは当然として、やっぱり安倍が死んだからそのような話をしたということじゃないですかね。安倍が現在存命だったとしてこのようなことを斎木氏が新聞の取材で話したか。朝日新聞は、NHKよりは安倍政権に批判的なメディアですが、それにしたって存命だとしたら報道しましたかね。そしてこの外相の答弁はどうしたものか。朝日新聞から引用します。

>元外務次官の拉致被害者「生存情報」証言、林外相は「答弁控える」
田嶋慶彦2022年10月13日 17時00分

 北朝鮮による拉致被害者の田中実さんと知人の金田龍光さんについて、斎木昭隆・元外務事務次官が朝日新聞のインタビューに対し、北朝鮮側から生存情報が提供されたことを認めたことについて、林芳正外相は13日、「今後の対応に支障を来す恐れがあることから、具体的内容や報道の一つひとつに答えることは差し控えたい」と述べた。

 林氏は、衆院外務委員会などの連合審査会で、立憲民主党の徳永久志氏の質問に答えた。

 田中さんは政府が拉致被害者として認定し、金田さんは「拉致の可能性を排除できない」とされている。日朝は2014年、北朝鮮が拉致被害者らの調査を行い、随時通報することを盛り込んだ「ストックホルム合意」を結んだ。

 当時、外務事務次官だった斎木氏は朝日新聞のインタビューに対し、北朝鮮から田中さんや金田さんの生存情報が提供されたと報じられていることについて、「北朝鮮からの調査報告の中に、そうした情報が入っていたというのは、その通りだ。ただ、それ以外に新しい内容がなかったので報告書は受け取らなかった」と証言。インタビューは今年9月17日に朝日新聞デジタルで報じた。

 徳永氏は13日の連合審査会で、「外交の中枢にいた方の証言は非常に重い」とただしたが、林氏は斎木氏の証言への言及は避けた。その上で、ストックホルム合意以降、北朝鮮から報告書は提出されていないなどと説明。拉致被害者としての認定の有無に関わらず、即時帰国、真相究明をめざすと強調した。(田嶋慶彦)

外相が事実無根であるといわない時点で、勝負あったですね。事実上認めたということです。

さて田中氏のほうは、彼を外務省から追い出した人物の1人は安倍晋三であるとすると、当然安倍にいい感情を持っているとは考えにくいものがありますが、斎木氏のほうは、彼が事務次官だったのは2013年から16年であり、まさに安倍政権時です。そして3年という役所の慣例を外れた長い期間事務次官を務めたわけで、つまりは安倍という人は、斎木氏をだいぶ買っていたということでしょう。つまり斎木氏は、安倍に恩義があるということです。で、斎木氏が安倍のことをどう考えているかは当方のような部外者が論じられるようなものではありませんが、このような発言をすれば、それは安倍晋三に対して少なくともプラスにはならないということを認識しないほど頭が悪いということもないでしょう。つまりは、安倍が死んだからこういう話をできるようになったということです。たぶん彼なりに、そのことを公表しないという方針への反発なのでしょう。

そう考えると、日本の言論の自由なんていうのもしれたものだと思いますね。けっきょく安倍晋三という1人の政治家が存命か死んだかで、こういった決定的な言論が封印されたり表に出るようになったのですから。安倍が死んだから封印が解禁されるなんて、これでは日本の民主主義や言論の自由というのもきわめてお粗末としかいいようがないでしょう。

ていうかさ、安倍晋三を絶賛する人たちは、こういう現状をどう考えているのか。安倍のことをやたら高く評価している人たちが、中国や北朝鮮の毛沢東(習近平でも可)や金一族を罵倒しているのは、実に馬鹿らしい光景としか思えませんね。といいますか、正直ここまで愚劣な光景も少ないのではないか。どんだけデタラメでダブスタでいい加減なんだか(呆れ)。

ところで必ずしも暗殺という非合法な話でなくても、ある人物が死んだらいろいろと事態が変化するということは確かにあります。スターリンが死んだり(1953年)、毛沢東が死んだ(1976年)あとは、スターリン批判が起きたり、四人組が逮捕されたわけです。死の直前まで実務をしていたスターリンはまだしも、毛は死の何年か前から体調を崩していて(1972年に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患していることが判明したとのこと)、75年以降はほぼ寝たきりの状態だったようですが、それでもやはりその死まで権威は絶大でした。スターリンが生きている間では「スターリン批判」なんかされるわけもないし(されたらクーデターでしょう)、毛がよいよいでも存命中の際は、四人組も逮捕には至りませんでした。

強権国家でなくても、イスラエルのイツハク・ラビン首相が暗殺された(1995)のちは、やはりイスラエルとパレスチナの関係もいろいろ変更を余儀なくされています。残念ながら、それは、彼の暗殺が大きな原因の一つであることは間違いないところです。そして似たようなことが、安倍暗殺でも起きたということです。

いわゆる1993年の政権交代時から、日本の国政も本格的な連立時代に突入していますが(それ以前もありましたが)、その後の長期内閣というと、小泉内閣と第二次安倍内閣が双璧ということになりますが、さすがに小泉氏が殺されるよりは安倍が殺される方が、言論の関係では影響が強いですよね。つまりは安倍晋三という人物は、いろいろな言論への圧力を有形無形に行ってきたわけであり、そういったことが彼の突然の死によって、もちろん限定されたものではあるとしてもNHKのようなメディアにいたるまで報道が積極的になったとなると、マスメディアへの批判も必要であることを認めるのはやぶさかでありませんが、ただ個々のマスコミを批判しても、残念ながら限界がありますね。けっきょく日本の社会が、そういった安倍らの圧力へきっちりと異を唱えなかったわけですから。あたりまえですが、安倍だって、あるいはそのたいこもちの産経新聞ほかだって、国民がそんなにうるさいことを言わないと見切っているからめちゃくちゃなことをする(した)わけで、最終的には国民が安倍晋三の暴挙に甘かったということです。私は、右翼や産経新聞や自民党はどんだけ安倍に甘いんだよとさんざん批判しましたし、その批判はもちろん正しいと考えていますが、つまりは最終的な安倍のバックに日本国民がいるわけですからね。さすがに積極的な支持ではないとしても、見て見ぬふりをしてきたことは確かでしょう。安倍のやってきたことは、私も期せずしてかかわってしまった森友から統計不正ほか、本来一発で首相辞任でしょう。

それでけっきょく安倍にさんざんえらそうな顔をさせたあげくに、紆余曲折の結果安倍は旧統一協会の関係で恨みを買って殺害されたわけで、まーったく世の中「塞翁が馬」とはこのことだといえますが、安倍にさんざんでかい顔をさせたことも、この暗殺の一因、要因であると私は考えています。まったく無関係でもないでしょう。それは、私たち日本国民の敗北であるなとあらためて考えさせられます。なんともはやです。

コメント (12)
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九州新幹線と未乗車在来線を利用しての九州一周旅行(2022年9月)(Day4-1)(10)

2022-10-30 00:00:00 | 旅(国内)

翌朝早朝、早々にチェックアウトして、駅へ向かいます。

宮崎県の延岡駅まで行く普通電車がこの時間のみの運行なので、遺憾ながらこの時間にこの街を出るのです。今度は、もっと滞在時間を長くしないと。

写真では閑散としていますが、私以外に何人か客はいました。

延岡行きが入線しました。

特急の車両で普通を運行するという、私にとっては都合のいい設定です。

やっぱりこういう車両よりは、

このような車両のほうがいいよね。

「グリーン車」ですか。

1号車のみ乗れるという設定です。

じゃあグリーン車に乗ってもええんかいなと思い、グリーン車に陣取ろうとしましたが、それは不可とのこと。割増料金を払えばOKというのですが、そこまでする気はありませんでした。しかし青春18きっぷを利用したままで乗れるのなら、乗ってもよかったかな。

出発します。

すみません。以下出来の悪い写真をふくめてえんえん車窓の写真をお見せします。

こういう車窓をえんえん見ていると、大分県とか宮崎県て、ほんとの田舎だと思います。日本で自分たちの住んでいる都道府県は田舎だと思う人の割合が一番多いのは宮崎県だという話を何かで読んだ気がしますが(出典HPなどは不明)、確かにそうかもしれません。

(つづく)

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九州新幹線と未乗車在来線を利用しての九州一周旅行(2022年9月)(Day3-3)(9)

2022-10-29 00:00:00 | 旅(国内)

下の江駅です。なかなか個性的な駅名です。

石がきれいに敷いてあるのが印象的でした。

黄色い塗装が鮮やかです。

臼杵駅に到着します。

私なんか思わず「うすすき」と呼びたくなりますが、「うすき」です。

臼杵駅のとなり、津久見駅でまたしばらく止まります。

なかなか個性的な形状のベンチです。

大学生だったかな? 女の子たちの集団が乗降しました。

ぼけてしまってすみません。ようやく終点の佐伯駅に到着です。

釣りバカ日誌19 ようこそ!鈴木建設御一行様』のロケーションがあったのですね。地元出身の竹内力が大分弁で活躍したとのこと(遺憾ながら当方未見)。

駅の改札を抜けます。

お手洗いを借りようと観光案内所(終了間際でした。担当者の方ありがとうございます)に行こうとしたら、あ、猫がいました。

たぶん人間から可愛がられているのでしょう。警戒しながらも、こちらをずっと見ていました。

こちらでお手洗いを借りて、また夕食を食べられる店を探すため、地図をいただきました。ありがとうございます。

が、疲れているので、まずは宿に行くこととします。

こちらです。駅至近で、たぶん長きにわたって佐伯市の看板宿だったのだろうと思います。フロントの女性は、2人いて1人は外国人(インド系?)でした。昨今珍しくもありませんが、しかしいかにこのようなことが一般的になっているかということを痛感します。

部屋です。

夕食を食べることとします。本来なら、なにしろ「釣りバカ日誌」のロケ地になる街なのですから、魚をいただくのが常道ですが、諸事情あり、どうしようか迷います。

近くにローストチキンの店があり、そこでローストチキンをいただくこととしました。部屋に持ち帰ります。

こちらの店です。おいしかったら宣伝すると話しておいたので、ここで宣伝します。

コンビニでおにぎりほかを仕入れて、ホテルに戻ります。

ローストチキンの店の人が、電子レンジありますか、切り方わかりますか? と立て続けにきいたので、大丈夫ですと答えたのですが、実は大丈夫ではありませんでした。が、ホテルに電子レンジがあったので、500W7分だったかであっためて食べました。おいしくいただきます。これがこの旅行の最後の晩餐です。疲れたので寝ますが、Amazonで、「好き! すき!! 魔女先生」をレンタルして、見てみました。

(つづく)

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いくらなんでもこれは失礼だろう(苦笑)

2022-10-28 00:00:00 | あまりに初歩的なところから粗雑すぎる

これはいくらなんでもひどいですよね。

「早紀江」だってさ(苦笑)。

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自宅の自分の机を模様替えしてみた

2022-10-27 00:00:00 | 映画

以前私は、職場の自分の机に、ケイト・モスの写真(雑誌からの切り抜きなど)をべたべたにはさんでいたのですが、時代の推移でそういうことに世間の目が冷たくなったので、そういうことはやめました。で、自宅の自分の机も、いろいろ写真をはさんでいます。以前は、自分の写真をはっていました。自分の写真といっても、つまりは旅先での(女性との)ツーショット写真とか、観光親善の女性との写真、有名人(これは男性もいる)との写真などですが(もちろん三原じゅん子との写真などはNGです)、自分の写真なんか見ていても面白くないので、それはすべてはずしました。

ではどのような写真をはさむかというと、ちょうどジャン=リュック・ゴダール監督も亡くなったことであり、彼の映画をふくむ映画のポストカードを配置するという模様替えをしました。それが上の写真です。

なんの映画かご説明しますと、一番下の左から、ゴダール監督の『勝手にしやがれ』、同監督の『気狂いピエロ 』、同監督の『アルファヴィル 』、ジャック・リヴェット監督の『北の橋』。その上が、『勝手にしやがれ』、クリスチャン・ド・シャローヌ監督『 L'Alliance』(アンナ・カリーナ主演)、ランソワ・トリュフォー監督『突然炎のごとく』、写真家のジョック・スタージェスの写真展のポストカード、一番上が、バーバラ・ローデン 監督『WANDA/ワンダ』。写真も同監督です。彼女は、エリア・カザン監督夫人です。その隣がジャック・ドゥミ監督の『ロシュフォールの恋人たち』、カール・Th・ドライヤー監督の『裁かるるジャンヌ 』、アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』です。1枚だけ、映画のものでないポストカードを配置しました。『友だちのうちはどこ?』については、ずいぶん以前記事を書きました。

「友だちのうちはどこ?」を見て

こういうのも、写真を入れ替えられるし、入れ替えたらまた気分も変わってくるものです。いろいろ楽しそうです。

 

 

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「否定という壁への挑戦」の行き過ぎが、栗城史多の死をもたらしたのだろう

2022-10-26 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

先日地元の公立図書館で本をあさっていて、面白そうな本を見つけました。

日本人とエベレスト―植村直己から栗城史多まで

これは全くどうでもいい話ですが、この山(エベレストあるいはエヴェレスト)について、ひところは、「チョモランマ」という表記が日本でも多くなったように記憶しますが、昨今はまた「エベレスト(エヴェレスト)」という表記に回帰していますね。英国人の測量技師ジョージ・エベレスト(Sir George Everest)にちなんだ名称ですが、中国政府の名付けというところが「チョモランマ」という呼称の忌避感にあるんですかね。なおネパールでは「サガルマータ」という名称にしているということで、双方の呼び名を一方的に採用するのは妥当ではないという認識から、一応第三の言語である英語(固有名詞ですから英国由来ということですが)の名称にしているということもあるのでしょう。

私がこの本を借りたのは、本全体に興味があるというわけでなく、副題にも登場する栗城史多氏についてです。彼について1つの章をさいています。私は、彼についてそんなに詳しいわけではありませんが、彼についていくつか記事を書いています。

「どうもなあ」と言わざるを得ない遭難死

栗城史多という人の周囲についてどれだけ書けているかが問題だ

11月末に発売になるとのことなので楽しみに読んでみたい

3番目の記事の中で私は、

>読んで面白ければ記事にしますが、つまらなければしませんので、そのあたりはご了解ください。

と書いています。つまり栗城氏について取材した本「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」(本の写真は引用省略)が「開高健ノンフィクション賞」を受賞したというので、では読んでみようと思ったわけです。これが2020年11月4日の発表です。それから2年たちましたが、現段階記事を書いていません。

で、なぜ記事を書かなかったかというと、読んだのですが、面白くなかったわけではないのですが(むしろかなり面白い本でした)、私が一番興味のあったところ

>ほかにも企業から一般ファンにいたるまでいろいろなところから金を集めたりというのも引っ込みがつかなくなった理由でしょうが、そういった部分がどれくらい受賞作では書かれているかがポイントですね。栗城氏個人の問題だったら、いまさら本にする必要もないでしょう。彼が相当話を盛ったり実態にそぐわないことを宣伝してたことはわかっている。彼自身よりも、そういった負の部分を知ってか知らずか彼を取り上げたり資金援助をしていたマスコミや企業、ファン個人にいたるまで、どのように彼を祭り上げてそして引き返せないところまで追いやったかということをどれくらい論じられているか。

というところがいまひとつ食い足りなかったからでした。それは個人の内面の問題だし、著者の河野啓氏は、テレビ局のディレクターであり、そういった内面の問題については軽々しく論じられなかったのかもしれませんが、実際彼は、指を凍傷で第二関節から9本も落としているわけで、この時点で、常識的には、彼はエベレスト登頂から撤退すべきでしょう。そのような人物に、「初志貫徹してエベレストに登ってほしい」という人もいないし、いたら非常識です。あとは、講演活動や、他の登山者への支援などをしていれば十分でしょう。事実これ以降、どうも彼を支援していた個人や、スポンサー企業なども撤退、協力を断る、離れていったケースが多くなり、彼自身も資金集めに難航したらしい。エベレスト登頂に何回もチャレンジするということに宣伝価値や魅力がなくなってきたということもあるでしょうが、さすがに指を9本落とした人物の登山に協力するわけにはいかないという判断もあったはずです。

栗多氏という人物は、奇妙な魅力があったようで、2008年1月4日には、朝日新聞に全面広告で彼の写真を掲載する広告が出ています。それを私は、上記の山と渓谷社の本で知りました。筆者は、『山と渓谷』の編集長も務めた神長幹雄氏です。書下ろしの文章で、この本の実質メインライターでもあります。神長氏は、そういう広告があったなというあいまいな記憶があり、どうやらそれが2007年~2008年の朝日新聞の広告だったらしいという情報を入手、縮刷版をめくってなんとか見つけたと書いています。本に写真も掲載されています。

それ、ネットで情報なかったのかと思ったら、ありました(苦笑)。こちらです。広告の写真も掲載されています。

で、どうやってこれを私が調べたかというと、栗城氏のWikipediaにリンクされている注釈から見つけたのです。一番基本的なサイトじゃないですか。注釈に

2019年6月1日閲覧。

とありまして、神長氏が縮刷版を調査したのは、たぶんこの日以降だったのではないかと思いますが、そうすると神長氏は、しなくていい苦労をしたんですかね。なお上の写真は、個人様のブログに掲載されていたものであり、この記事に引用することにあるいは問題があるのかもしれませんが、ウェブアーカイヴからのものですし、カラー写真でもあり非常に貴重なので、あえて引用させていただく次第です。ご当人の私生活ほかの写真ではないということもあります。筆者の竹内洋岳は、

>ガッカリ…

と題してこの広告を批判しています。なお竹内氏は、Wikipediaから引用すれば

>世界で29人目で、日本人唯一の8000メートル峰全14座の登頂者

というスーパーアルピニストです。

これはこの記事の内容とは直接関係ないことですが、全国紙の全面に大きく顔を出す広告が出たあたりに、栗城氏という人物の特異な個性が出ているように思いますね。栗城氏より有名な人間はいくらでもいますが、新聞の全面広告にこのように大きな顔が掲載される人物は、そうはいないはず。昔と比べれば新聞広告も、価値も逓減しているのは事実ですが、それにしたってこれはそうそうあることではありません。

さてさて、栗多氏は、エベレスト登山について失敗・敗退を繰り返したにもかかわらず、だんだん難易度の高いコースを選択するようになりました。経験を積めば、自分の能力や限界はわかるわけで、その上で自分の実力にそぐわないことにチャレンジするというはいささか無謀です。栗城氏の死の直後に書かれた記事で、本の中にも登場するライター森山憲一氏は、

> まず、登山として。栗城さんは昨年、北壁というルートからエベレストに登頂しようとしていた。エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話。近年、最高齢登頂で話題になった三浦雄一郎さんや、日本人最年少登頂者となった南谷真鈴さんも、みなこの手法で登頂している。一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという。同じエベレストといえど、この両者は難易度において、「雲泥」という言葉では足りないほどの差がある。プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の強力登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ。

書いています

ではなぜ栗城氏は、そんな自殺行為と言われても仕方ない(そして事実亡くなってしまった)無謀なチャレンジを繰り返したか。本を読んでいて腑に落ちるところがありました。ちょっと引用します。

>栗城にはエンターテイナーとしての言葉のセンスがあったと思うが、時に「言葉遊び」が過ぎて上滑りしているように感じることがある。しかし「否定という壁への挑戦」というフレーズは、妙にひっかかるものがあった。彼の深層から発せられた表現のような気がしたからだ(p.403)。

なるほどね、と私も思いました。私は、栗城氏のドキュメントもろくすっぽ見ていないし(2010年に放送されたバース・デイ は観ましたが、大して記憶に残っていません)、著書も読んでいませんが、彼について書かれた本やその他さまざまなネットの文章などを読んでいて、ああ、そういうことなら、彼の行動をよく表しているなと思ったわけです。

>前記の「否定という壁への挑戦」は、二〇一二年、凍傷のため指を失ってから書かれた言葉だという。周囲の友人、知人はもちろん、だれからもエベレストは無理と言われ、ネットでの批判、誹謗中傷もさらに増えて、「否定」されることがよりいっそう強くなった時期と一致する。

「本人は指を失い、『否定』批判を受けて、どん底を味わったと思います。そうしたなかから考え、出てきた言葉が、『否定の壁を超える』、『否定という壁への挑戦』だったと思います。(マネージャーの小林幸子)(p.405)

たしかに世の中、否定されるということ自体を否定したら、怖いものはありませんよね。世の中絶対自分の誤りを認めたくない人というのがいて、たとえば稲田朋美など、防衛相在任時、東京都議会選挙の応援演説で

>「防衛省・自衛隊としてもお願いしたい」と投票を呼びかけた

までやらかしたにもかかわらず、「誤解」「誤解」と称して逃げようとしましたからね。こんなの逃げられるようなものじゃないじゃんですが、ご当人の脳みその中ではそうでもないのでしょう。

稲田なんかどうでもいいですが、こうなると様々な人間の説得などもききませんね。稲田はその後防衛相を辞任しましたが、公職についているわけでもない栗城氏は、ご当人が「やろう」と思えばできてしまいます。彼は、本気でやろうと考えていたのだから強いわけです。人間、本気の人間が一番強い(そして怖いし危険です)。栗城氏が本気で自分が無酸素・単独登頂、バリエーション・ルートでのエベレスト登頂を実現できると考えていたとは思いませんが、

>『否定という壁への挑戦』を一貫して言い続けてきた以上、「登頂できなかった」とは言えなかったのだろう。(p.406)

ということであったし、また前出の栗城氏のマネージャーであった小林さんが指摘するように

>『登頂できない』と言ってしまうと、自分の人生そのものを否定することになってしまいます。登れる可能性を強く信じて進むしか、道はなかったのだと思います。(p.406)

ということでしょう。彼も、引き返すタイミングはいろいろあったのでしょうが、もちろん指を落としたこともそうだし、それ以外にもいろいろあったのでしょうが、ある時点で彼は、突き進む以外の道が見えなくなったのでしょう。そして次の指摘も「ごもっとも」かと思います。

>「否定という壁への挑戦」には、栗城の深層を探るうえで、もうひとつ手がかりがあるように思える。それは、「目的の在りか」だ。「登頂できる」でも「登頂できない」でもなく、「否定という壁への挑戦」そのものに目的があった、という見方である。

不可能だ、無謀だという批判に対しても挑戦する精神の大切さを掲げ、「否定という壁への挑戦」そのものを目的化してしまう。そうすれば「どう登るのか」という可能性を探る必要もなく、登れても登れなくてもどうでもよくなる。(p.406~407)

ということだったのでしょう。たぶん「否定という壁への挑戦」が、栗城氏の最後のよりどころだったのでしょう。そして彼は、ある段階から自分の命よりもこちらのよりどころの方を優先させたということなのでしょう。前出森山氏が指摘する

>支離滅裂

>アンコントロール

とはそういうことでしょう。

「引っ込みがつかなくなった」「名前(虚名かもしれませんが)があまりに大きくなりすぎた」という側面もあるでしょうし、また彼がかなり強く持っていたと考えられる特異なパーソナリティ(たぶん発達障害かことによったら精神障害もあったのではないか)の故というところもあったかと思います。

おそらく彼でなければ、あそこまで行く前に何らかの形で撤退をできたのでしょう。講演家としても活躍できたでしょうし、たとえばさまざまなパフォーマンスやイベントのコーディネート、コンサルティングみたいな事業を営む会社を経営することもできたのではないか。しかし彼は、少なくとも死の直前まで、そういう人生をまだ送る気はなかったということなのでしょう。登山界も、彼のようにややパフォーマンスが激しく、大言壮語が著しい人物とかかわることを嫌がり、見て見ぬふりを続けました。そういったことが、彼の暴走をさらにひどくしたことは否めません。どっちみち大人の行動ですから、他人が制止できるものではありませんが、世間に「栗城氏のやっていることは、かなりやばいんだよ」と教えることは、それ相応の意味はあるでしょう。一応世間が栗城氏の行動は危険であり無謀であるということを認識すれば、栗城氏は駄目だったかもしれませんが、あまりに無謀なことをするのをやめる人もいるかもしれない。そうなれば、無駄な死が1つでも減るというものです。

栗城氏の存在は、ヒマラヤ登山ならびにエベレスト登山の大衆化、テクノロジーの発達による通信や映像機器の小型化、世界中継も可能とする通信状況の発達、ほかにもいろいろでしょうが、そこに栗城氏というきわめて特異な個性がピタリとはまってしまったということなのでしょう。こういうことが、後世の警鐘になるのか、あまりに事例が特異すぎるし、またおそらく対象者がとても他人の意見などに耳を貸すとは考えにくいなど、いろいろな考えはあるかと思いますが、やはりいうべきことはいうことも必要かと思います。言わないで後悔するのなら、結果的には言った甲斐はなくてもやはり何らかの人間としてのやるべきことを果たしたということになろうかと思います。

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事実関係がきわめて怪しいと思う話(井上一馬著『英語できますか?』より)

2022-10-25 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

「井上一馬」といっても著述業をしている人と俳優がいまして、本日ご登場願うのは、前者です。題名を見ればわかりますね。

1956年生まれのエッセイスト、翻訳者であり、Wikipediaの「人物」には、

1956年昭和31年)、東京都生まれ。都立立川高校東京外国語大学フランス語学科卒業日本文藝家協会会員。

編集者として研究社に4年間勤務。その傍ら翻訳したボブ・グリーンのコラムがヒット。1984年に独立し[1]著述業に専念。はじめ米国のコラムなどを翻訳しつつ、エッセイ集、米国ポップカルチャー論などを刊行、のち英語の教科書を多く執筆する。小説も書く。

と、簡潔に紹介されています。いつものとおり、注釈の番号は削除します。

で、上にもありますように、彼はある時期から英語の勉強法の本を書くようになります。Wikipediaの著書・訳書の紹介によると、最初に記載されている訳書が1984年の出版、著書が91年の出版、最後の訳書が2008年12月、著書が2009年1月であり、理由は不明ですが、これ以降彼は単著あるいは訳書を世に出していませんね。なにかあったんですかね?

そのあたりの事情はともかく、ご当人の著作で、私がちょっと気になる記述を読んだ本がありました。1998年発売のこちらの本です。

英語できますか?―究極の学習法 (新潮選書) 

基本的に私は、「究極の学習法」なんて宣伝文句は、「そんなもんあっか、馬鹿」としか思わない人間なので、別にそんな文句を信じたわけではもちろんないのですが、この本は、なぜだか覚えていませんが、手に取って読んでしまいました。図書館から借りたのです。

この本には、文庫版もありますが、それは当方目を通していませんので、これはあくまで新潮選書版での話であることをお断りしておきます。選書は3円、文庫は1円から売られており、レビューも必ずしもいいとは言えないようです。私の読んだ感想を書けば、そんなに画期的なこと、個性的なことが書かれているわけじゃないじゃんですが、これはこの際どうでもいい話。

なおこの記事の内容とはあまり関係ない話をさせていただきますと、私は、英国の文化は大好きですが(米国は必ずしも好きではない。ただ私が、学生時代いちばん傾倒した小説家は、アースキン・コールドウェル)、英国や米国の国家自体はそんなに好きというわけではない。反英米、反アングロ・サクソン、反パックス・アメリカーナ、反パックス・ブリタニカな人間です。

そういう点でいうと、井上は、大学が東京外大のフランス語学科なのに、たいへん米国に傾倒しているというのもよろしくないと思います。彼は、フランスより米国が好きな人間なのでしょう。まあべつにいいけどさ。

そんな話はともかく、彼の著作を見ていると、どうもこの本が彼の英語教科書執筆デビューのようです。たぶんこの本が当たって、他社からも話がきたのでしょう。そして事実上英語教育関係の書籍執筆に特化したのかと思います。これ以降は、英語関係の本の執筆がほとんどです。

で、私が引っかかったのは、こちらです。

彼は、p.89の「Coffee Break ❽」というところで、

>英語で教える話

と題して、日本における公教育で、

>英語を教科として教えるのではなく、将来的には、たとえば算数と社会を英語で教える方向にもっていくべきではないか、という意見です。

と書いています。

うんなもんできっこないじゃんという以上の話ではないと思いますが、ここは私の個人的な意見を書くところではないのでそれ以上突っ込まないとして、彼は次のようなことを書いています。

>何も私は机上の空論を主張しているわけではありません。実際に、ワシントンに住んでいる私のアメリカ人の知人の子供が、公立の小学校で、算数と社会の授業を日本語で受けているんです。だから日本だって、同じようなことができないはずがないのです。

最初に、引用中の

>ワシントン

て、たぶんワシントンD.C.のことですよね? さすがにワシントン州ではないとおもいますが、どうなのか。わかりませんけどね。

で、これ読んで私

これほんと!?

と思ったわけです。それ、いつどこの学校の何年生がどのような形式の授業で行われたのか。生徒はどういう構成なのか。生徒の保護者は、「もう少しまともな教育をしろ」と文句を言わなかったのか。校長は、どういう認識でいるのか。教員は何者か。生徒はその教育をきっちり理解できたのか。試験はどうやったのか。考えれば考えるほど不審なところばかりです。

この情報ネタも、井上の知人の子どもの話ですからねえ。どうもあいまいです。こんなの与太じゃねえかとまでは私も書きませんが、どうも怪しいなあです。

これ以上は考えてもさっぱりわからないのでやめますが、もうちょっとこういう話は具体的な情報を書いてくれないとねえです。これでは信用するに値しない。

それはそうと、上にも書いたように、井上は昨今これといった活動をしていないように思いますね。彼のサイトを拝見しても、あまりアクティヴには思えない。そんなに年老いた年齢でもないのに、50過ぎくらいで本を出さなくなったのはなぜなのか。いろいろ考えさせられます。さすがに何もしないでも食っていけるだけの経済力があるということも可能性は低いと思います。

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いまさら中国と対外援助ではりあって勝負になるわけないだろう(日本政府はまだしも、日本のマスコミがそんな見解をたれ流してどうする)

2022-10-24 00:00:00 | 社会時評

bogus-simotukareさんの記事で、また興味深いものがありました(bogus-simotukareさんがおつけになった注釈の番号は削除します。以下同じ)。

新刊紹介:「経済」2022年11月号

>◆過渡期を迎えたTICAD(佐々木優)
(内容紹介)
 日本が「旗振り役」を務めたTICADが「中国の一帯一路」に押されて存在感を失ってる(佐々木氏の表現では『過渡期を迎えた』)との指摘がされています。

TICADとは、Wikipediaから引用すれば

>アフリカ開発会議(アフリカかいはつかいぎ、英語: Tokyo International Conference on African Development (アフリカ開発に関する東京国際会議)、TICAD(ティカッド)とは、日本が主催する、アフリカの開発をテーマとする国際会議。

ということです(注釈の番号は削除)。

その記事中複数の新聞記事が引用されています。

TICADで中国に対抗: 日本経済新聞2022.8.29

会員記事とのことで、bogus-simotukareさんの記事からの引用とさせていただきます。

> チュニジアの首都チュニスで27、28両日に開催したアフリカ開発会議(TICAD)は日本が中国へ対抗する舞台となった。資金力にものをいわせて援助攻勢をかける中国に対し、日本は人材教育や財政状況に目配りする「持続可能な成長」を強調した。
 岸田文雄首相が表明した支援額は3年間で官民あわせて300億ドル。中国が2021年の中国・アフリカ協力フォーラムで示した400億ドルを下回った。首相が金額の規模よりも重点を置いて訴えたのは「人への投資」と「成長の質」だった。
 首相は27日の開会式では「債務健全化の改革を進め、強靱で持続可能なアフリカを支援する」とも説明した。名指しはしなかったが、中国が借金のカタに途上国から重要インフラの使用権を得る「債務のわな」と呼ばれる問題が念頭にある。
 首相の発言は中国への債務を縮小させるよう促す思惑があった。
 今回のTICADへ参加した首脳級は20人で、前回2019年の42人から半減した。新型コロナ感染で首相が対面参加できなかった影響のほか、日本よりも中国との関係を重視した国があった可能性がある。
 アフリカは「最後のフロンティア」と呼ばれる成長市場だ。国連加盟国の4分の1を占める一大勢力でもあり、どれだけ味方につけられるかは国際世論を形成する外交力につながる。
 TICADを巡る日中のつばぜり合いは米欧を中心とする民主主義国と中国、ロシアなどの権威主義国の対立を反映したものにほかならない。

つまりこの記事すらも、

資金力にものをいわせて援助攻勢をかける中国に対し、日本は人材教育や財政状況に目配りする「持続可能な成長」を強調した。

として、銭の額については、中国に全くかなわないと認めているわけです。

それで、こういうことで、中国に対して日本がいまさら張り合ったところで勝負になるわけないでしょう。記事中の

「人への投資」と「成長の質」

>中国が借金のカタに途上国から重要インフラの使用権を得る「債務のわな」と呼ばれる問題が念頭にある。
 首相の発言は中国への債務を縮小させるよう促す思惑があった。

なんてのも、援助の実態というよりは、単なる日本政府のプロパガンダでしかないでしょう。それで、こういう話って、前そういえば読んだことあったなあですね。こちらの記事です。2019年4月の産経の社説です。

【主張】インドネシア ともにあゆむ海洋国家に - 産経ニュース

>(前略)

 ジョコ政権は経済成長の原動力としてインフラ整備の推進を掲げたが、日本が商談で先行していた高速鉄道建設が、二転三転し、中国に受注をさらわれたことは記憶に新しい。高速鉄道建設はその後、ずさんな計画が露呈し、工事は大幅に遅れることになった。

 代わって成果となったのは、日本の支援で完成したジャカルタの地下鉄である。選挙直前の3月に開業した。

 インフラ整備で目先の利益に惑わされてはならない。ジョコ氏には大きな教訓になったことだろう。インドネシアの2つの鉄道建設の対比は、日本の質の高いインフラ支援を如実に物語っている。インドネシアでの「成功」を積極的にアピールしていきたい。

(後略)

書いていることは同じです。

>インドネシアの2つの鉄道建設の対比は、日本の質の高いインフラ支援を如実に物語っている。

それでこれは3年前の話です。当時の実情は、この記事のようなことも確かにあったのかもしれませんが(詳細は知りません)、3年たてばこういうことでの日本の優位も、どんどんなくなっていくでしょうね。

たとえば、日本では地下鉄建設はもう飽和状態でしょう。いまさら新たに地下鉄を建設する自治体もないでしょうし、延伸もかなり限定的なはず。しかし中国は最近でも地下鉄建設がすさまじいですから、つまりは昔ながらの建設でなく最先端の建設に対応しているわけです。こういった形で、中国は、ハード面でも進歩が著しい。ソフト面も、当然中国だってどんどん援助のノウハウは蓄積しているし、それこそ世界中からこういう援助をしてくれという要望が殺到しているのでしょうから、そういうものに対して中国の国益とどうバランスを取って援助していくかなんてことも、どんどん巧みになっているでしょう。そういう現状で、日本の援助の方が役に立つなんていう話は、それこそ日本政府がするのなら、いいとは言いませんがまあ仕方ない側面もあるでしょうが、マスコミがそんな与太を堂々と報じてどうする(呆れ)。

だいたい援助なんてものは、金をくれるところが一番ありがたいわけです。質なんてのは、その次以降の問題。あたりまえでしょう(苦笑)。何をこんなわかりきったことを書くのか。産経新聞がこういうことを書くのはいつものことですが、日本経済新聞までがこんなことを垂れ流して、どこが経済専門紙の全国紙なのか(苦笑)。

というわけでこれらの記事を読んでいても、けっきょく

>TICADを巡る日中のつばぜり合いは米欧を中心とする民主主義国と中国、ロシアなどの権威主義国の対立を反映したものにほかならない。

なんていうことを指摘しているわけです。まあこういうことを書いてもしょうがないというレベルの話でしょうが、うんなもんアフリカ諸国からすれば関係ないでしょう。金をくれるほうがいいに決まっている。別に日本のアフリカ援助は、建前としては、アフリカのためにやっているものであり(それが日本のプラスにつながる)、中国との覇権争いのためではない。そしてそんなもの、いまさら中国に日本が太刀打ちできるわけもない。上の産経の記事は、既述したように2019年のものですが、最近のものはどうか。なお引用文中「中略」の部分は、ロシアにかかわる文章です。

【主張】TICAD8 中露の浸透看過できない - 産経ニュース2022.8.23

>「最後の成長フロンティア」であるアフリカを舞台に、中国やロシアは無謀な融資を行い、治安を請け負うなどで影響力を強めている。

強権統治を蔓延(まんえん)させる両国の手法は看過できない。米国などと連携し、対抗せねばならない。

北部チュニジアで27~28日開催される第8回アフリカ開発会議(TICAD8)は日本が主導し、アフリカ諸国の首脳が参加する貴重な外交のツールである。日本の存在感を明確に示すべきだ。

バイデン米政権は先ごろ、アフリカのサブサハラ地域(サハラ砂漠以南)との関係強化に向けた米国の新戦略を発表し、中露両国のアフリカへのアプローチに対して明確に警戒感を示した。

中国には「商業的、政治的利益追求のため透明性や開放性を踏みにじっている」と指摘した。

(中略)

日米が実現を目指す「自由で開かれたインド太平洋」は、アフリカ大陸の東岸に及ぶ。アフリカでの強権や腐敗を排除し、法の支配を貫かなくてはならない。

けっきょく覇権争いにばかり興味があるわけです。アフリカにも大変失礼です(呆れ)。読売新聞はどうか。

社説:アフリカ会議 質の高いインフラで発展促せ : 読売新聞オンライン2022.8.29

   >経済成長が見込まれるアフリカに世界の注目が集まっている。融資の透明性や人材育成を重視する日本の強みを生かし、存在感を高めたい。

   日本が主導するアフリカ支援の枠組み「第8回アフリカ開発会議」(TICAD8)がチュニジアで開かれた。国際ルールに基づく開発や融資の促進を明記した「チュニス宣言」を採択した。

 岸田首相は、今後3年間で官民合わせて総額300億ドル規模の支援を行う方針を表明した。このうち、3億ドルは食料支援に充て、アフリカ開発銀行と協力して行うことを明らかにした。

 ロシアのウクライナ侵略で、アフリカには食料危機に陥っている国が多い。時宜にかなった支援を継続していく必要がある。

 アフリカの人口は、2050年には現在より10億人増え、24億人に達する見通しだ。欧米や中国は投資を増やしている。

 日本は1993年のTICAD創設を機に、アフリカのインフラ整備や医療保健分野の支援に尽力してきた。ただ、近年は中国が圧倒的な経済力でアフリカに進出し始めたため、日本の直接投資額は中国の1割程度にとどまる。

 一方、返済能力を超える融資で借金漬けにする中国の投資は「債務の 罠わな 」として、アフリカでも警戒されている。

 日本の支援の特徴は、相手国の財政状況を勘案し、公正な手続きで雇用創出などによる健全な発展に協力することだ。粘り強く取り組み、アフリカ諸国に民主主義の下での成長を促し、貧困などの課題解決を図ることが肝要だ。

 日本は政府開発援助(ODA)で、途上国の鉄道敷設や道路整備を支えてきた。だが、施設の欠陥を放置したり、維持管理を 疎おろそ かにしたりしたことが原因で、インフラが使われなくなったケースが会計検査院に指摘されている。

 現地のニーズを的確にくみ取るとともに、施設が有効に活用されているか点検することが大切だ。ODAのあり方を改善したい。

 日本の支援でガーナに1979年に設立された「野口記念医学研究所」は、現在、新型コロナウイルス対策の西アフリカの拠点となっているという。こうした貢献を戦略的にアピールする外交を展開することが不可欠だ。

 各国が1票の投票権を持つ国連で、アフリカ54か国の影響力は大きい。安全保障理事会の常任理事国入りを目指す日本にとって、アフリカとの関係が重要な意味を持つことを忘れてはならない。

なおこれはこの記事の趣旨とはまた別ですが、

>安全保障理事会の常任理事国入りを目指す日本

って、そもそも日本が国連の常任理事国になる見込みがあるのか。またなるべきなのか。私は、見込みがあるとは思わないし、なるべきとも思いません。まず仮に英国とかフランスとかが日本の常任理事国入りに賛同しているとしたって、そんなものはなれっこないことを前提とした賛成でしかないでしょう。日本が常任理事国に入るのであれば、当然日本以外のいくつかの地域大国も入ることになるでしょう。具体的には、ドイツやブラジルやインド、あるいはオーストラリアなども候補になりうるかもしれない。そうなれば、常任理事国の価値など相対的に下がります。そんなことを各常任理事国が認めるわけがない。

さらに、仮に日本が常任理事国になったとします。そうなれば、これはもう確実に「国際貢献」とか称してやれ海外派兵だ、改憲だということになるでしょうね。改憲が実現するかどうかはともかく、そういう話に必ずなります。

だいたい憲法9条の改憲をしようというのは、つまりは自衛隊の海外派兵を目標としているのでしょう。否定する関係者もいるでしょうが、でなければわざわざ改憲する意味がない。そういうものに賛成するわけにはいきません。

が、それはともかくとして。常任理事国入りしたいのなら、中国を敵に回してどうする(苦笑)。中国の同意なくして日本の常任理事国入りなんかあり得ないでしょうに。なに、日本は中国と敵対するために常任理事国入りするんですか(呆れ)? そんなん中国が同意するわけがない。あたりまえでしょう(笑)。

そもそも日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(通称・日ソ共同宣言)だって、その締結の目的の一つは、Wikipediaから引用すれば、

>日本の国際社会復帰を完成させる国際連合加盟には、日本の加盟案に対して国際連合安全保障理事会常任理事国の一国として拒否権を発動するソ連との関係正常化が不可欠であった。

ということです。この条約の署名が1956年10月19日、発効が同年12月12日、日本の国連加盟が同月18日です。日本の常任理事国入りだって、そのあたりの事情は変わらんでしょうに。

では日本と中国のGDP推移を見てみましょう。世界経済のネタ帳さんより。

>名目GDP(USドル)の推移(1980~2022年)

です。こちらをご参照ください。こんなのどこをどう見たって勝ち目がないでしょう。日本は、日本ができる範囲でアフリカの援助をしていけばよいのです。

そう言う点でいうと、こちらの記事における中国問題の識者のご意見はどうか。

[深層NEWS]習近平氏演説は「とにかく個人的な正当性アピール」…国分良成氏 : 読売新聞オンライン

それで国分氏は、次のように発言しています。

> 防衛大学校前校長の国分良成氏と神田外語大の興梠一郎教授が17日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、16日に開幕した中国共産党大会で習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)が行った演説について議論した。

 国分氏は「とにかく習氏の個人的な正当性をアピールしていた」と述べた。演説では2期10年の実績に言及しているが、習氏の外交や経済はうまくいっていないとして、「実際は成果がない。10年間、権力闘争に忙しかった」と分析した。

番組は見ていないので、この記事における国分氏の発言の要約が妥当なのかどうかは判断できませんが、上のグラフを見た限りでいえば、

>実際は成果がない。

というのはあまり妥当な発言とは思えませんね。習主席の経済運営が不十分で、ほかのやり方ならもっとうまくいったであろうという趣旨なのか。外交成果にしたって、上でご紹介したようなアフリカ進出、もちろん一帯一路(これらは経済の実績でももちろんあります)などもそれ相応の評価に値するでしょう。これらを成果がないとするなら、国分氏はどういうレベルなら「成果がある」と考えるのか。日本などお話にもならないということになりそうです。

ていうか、これ彼本気で言っているのかなあというレベルで疑問に感じますね。国分氏は、素人さんでなく現代中国の研究者です。そういう人がこういうことを言うか。これ、彼が

>防衛大学校前校長

という立場であるが故の恣意的な発言じゃねえのという気すらしますね。私による言いがかりだでは済まされないでしょう。なおこの国分氏批判のくだりは、bogus-simotukareさんの下の記事を参考にしていることを申し添えます。

今日の中国ニュース(2022年10月18日分)(追記あり)

いずれにせよ、こんなことで日本が中国と張り合えるわけがない。日本政府だって、いわばポーズとしての張り合いという部分も大きいのかもですが、このあたりは誰が何を言おうが、事実と現実で結果が証明されるだけでしょう。なおこの記事を書くにあたって、上に引用した記事のほか、bogus-simotukareさんのこちらの記事も参考にしました。感謝を申し上げます。

今日の中国ニュース(2019年4月18日分)(追記あり)

今日の産経ニュースほか(2019年4月19日分)

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九州新幹線と未乗車在来線を利用しての九州一周旅行(2022年9月)(Day3-2)(8)

2022-10-23 00:00:00 | 旅(国内)

こちらの電車に乗ります。ところでこの写真の後方に東横イン東横INN大分中津駅前)がありますが、私も昨今このチェーンをわりと使っています。コンフォートホテルや東横インは、私のような人間にとって使い勝手のいいホテルチェーンです。宿泊代が高くなく朝食付きで駅至近なのがありがたい。

大神駅で「おおが」と読むのだから、地名は難しい。

あまりに古典的な親子の姿です。これは電車の中にありました。駅にも同じポスターがありましたね。

九州新幹線と未乗車在来線を利用しての九州一周旅行(2022年9月)(Day2-1)(4)

あ、海が見えます。

豊後豊岡駅です。

海が近い。

別府駅です。下の表記がだいぶ時代ですね。別府は以前行ったことがありますが、フェリーで着いてバスで去ったので、鉄道は使いませんでした。

高速バス、鉄道、フェリー、LCCを利用した松山・別府紀行(2019年2月)(4)

なかなかいい車両です。

大分駅に到着します。いうと馬鹿と思うでしょうが、山とか田舎の光景をえんえん見続けたので、決して冗談でなく、大分市の駅前が、なにかものすごい大都会のように感じました(苦笑)。

フランシスコ・ザビエルの像です。彼は当地で宣教をしました。地元選出の村山富市氏の像でも作ればいいのにと思いました。まあご当人が辞退するでしょう。ご当人この記事執筆時点で98歳です。1回だけ私は、彼を見たことがあります。ここでしばらく休んで、時間をつぶします。ドトールコーヒーで休みました。

駅の中をぐるっと歩きます。写真を撮らなかったので触れませんでしたが、アミュプラザおおいたもざっとみてまわりました。

改札に入ります。

16時10分発の佐伯駅(さいき)行きに乗ります。

もうすぐ出発です。

(つづく)

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九州新幹線と未乗車在来線を利用しての九州一周旅行(2022年9月)(Day3-1)(7)

2022-10-22 00:00:00 | 旅(国内)

翌朝朝食をいただきます。コンフォートとか東横インは、朝食がデフォルトでついているので、ものぐさで食べることが好きな当方には、悪くありません。コンフォートはわりとメニューはどこのホテルでも同じですが、ここでは、白炊き風のスープが出ました。

部屋から博多駅をのぞみます。これなら、昨日夜写真を撮っておけばよかったなと後悔する私。

ホテルをチェックアウトします。

駅近くのラーメン屋で、昼飯代わりにラーメンをいただくこととします。

おいしくいただきます。ただまだ10時過ぎくらいの時間だったので、替え玉はいただきませんでした。

朝ラーメンもありましたが、私は昼食の代わりなので普通のラーメンをいただきました。

朝からラーメンでけっこう込んでいるのが、なかなかすごいと思います。

だいぶ雨が強くなりました。

改札を通ります。

電車を待ちます。

なかなかカラフルです。

こちらに乗ります。

北九州に向かいます。

小倉駅の手前の西小倉駅 で乗り換えます。鹿児島本線日豊本線の線路が分岐する駅です。

朽網駅 です。「くさみ」と読みます。昨年末のJR西日本のローカル線を旅したときも痛感しますが、ほんと地域によって独特の地名の呼び名がありますよね。知らなければこれだって「くさみ」なんて読めるわけがない。

海の写真を撮ります。

吉富駅です。ここが、福岡県で一番東に位置する駅であり、必然的に福岡県と大分県の境の駅です。

大分県に入ります。

中津駅です。中津市には、以前行ったことがあります。

門司港、小倉、中津その他紀行(2014年8月~9月)(3)

中津市といえば福沢諭吉です。慶應義塾の関係者にとっては聖地です。

本日は時間がないので、さらに電車に乗り続けます。

まだまだ長い旅路です。

(つづく)

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