ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

私も同じようなものだろうが、人間なかなか自分がよろしくない状況にあるということを公然とは認めたがらない

2022-01-31 00:00:00 | Weblog

私の父親が、その死のどれくらい前かは定かでないのですが、ある時今度京都に行くという話を私にしたことがあります。日帰りで帰ってくると父がいったので、思わず私「泊ってくればいいじゃん」といいましたところ、父は笑いながら「いやあ、いいんだよ」と答えました。なにがいいのか当時さっぱり理解できませんでしたが、そして今も大して理解できていないのですが、どうも考えるに、父はその時点ですでに1人で宿泊施設に滞在するというのが精神的に難しくなっていたようです。そして、多分その時が、父が最後に京都に行った機会だったと思いますが、おそらくですが、1人で遠出したのもその時が最後だったのかと思います。

あとで母が私に語ったところによると、イタリアに1人で行った際、どうもかなり嫌なことがあったらしいということです。具体的なことはわかりませんが、犯罪とかそういうことでなく、自分の判断力の衰えに起因する何かだったのかなという気がします。

母によると、ショッピングセンターだかスーパーマーケットだかに夫婦で買い物に行った際、父が母から離れたがらず、それがかなり不自然だったので、店の保安関係者から万引きと疑われてマークされたこともあったようです。どうもこれも、父が単独になるのが不安で仕方なかったかららしい。私はそういうところを直接は知らないのですが、その話を聞いた際は、なるほどなという気はしました。

で、父は、たとえば私から「泊ればいいじゃん」と言われた際に、「自分は、どうも1人で宿泊施設にいるのが非常に不安なので、それで日帰りするのだ」なんて話はしませんでした。父の居住地から京都まで日帰りで往復することは可能ですが、ビジネスで行くのならともかく観光なら時間がないので、泊まるのが当然ですが、それを理由はともかく父はしなかったというのは、あまり人には言えない理由があったのかと思います。そしてこれは、たぶんですが、父は母に「自分が1人なのが不安だ」なんて話はしませんでした。

世の中一時的に金がない人間なら、他人に「(今)金がない」と言えますが、常に金がない人間は、正直に「金がない」とは言えないという話を聞いたことがあります。たぶんそうなのだろうとは思いますが、私の父のように、かつて世界中を一人で旅して歩いた時代が不可逆的に戻ってこないとなると、自分が現在それがかなわない状況にあるというのは、認めたくないところもあるし、また他人には知られたくないということでもあるのでしょう。

それで思い出しましたが、認知症になると、自分のミスを取り繕うという話もあります。正直に「自分のミスである」なんてことは認めないらしい。父もそういうところがあったのでしょう。そして多分私もそうなのだろうと思います。今の私は、特にそのような問題はありませんが、しかし今後はどうなるかわからない。そうならないことを望みますが、自分の努力だけではしょうがない部分もある。いろいろ考えさせられます。

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青春18きっぷを駆使してJR未乗車路線を踏破する旅(2021年12月南九州編Day2-3)

2022-01-30 00:00:00 | 旅(国内)

終点志布志駅に到着します。

この光景私大好き。

駅舎の写真を撮ります。最初の予定では、うなぎを食べに行こうかと思っていたのですが、途中列車が線路状態の悪さで遅延したので、その時間がありませんでした。折り返しの列車は遅延なく出発します。

このような超ローカル線です。

このようなポスターには、いつも暗い気分にさせられます。

そんなに長い時間があるわけではありませんが、近くのスーパーで弁当を仕入れることとします。

お。安いじゃんで買ってしまいました。ダイレックスの志布志にある店です。ダイレックスの寿司については、かつて拙ブログで紹介したことがあります。「伊予津島店」です。

高速バス、鉄道、フェリー、LCCを利用した松山・別府紀行(2019年2月)(3)

また宮崎駅方面に戻ります。

油津駅でまた乗り換えます。

このように広島カープ仕様の駅なわけです。

この列車に乗ります。

宮崎駅へ向かいます。

途中青島駅では、わりと多くの客が乗り、満席をはるかに超える乗車率100%越えでした。私も以前青島に行った際、バスで行きましたが、列車のほうがいいなあとは思いました。

一泊二日の簡易な宮崎紀行(2019年1月 Day2)

宮崎駅に到着します。

改札を抜けます。どうでもいい話ですが、現在各JRは、女性のスカートの制服を廃止しているので、九州のスカート姿の女子社員は、ちょっと新鮮(?)な印象がありました。

(つづく)

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青春18きっぷを駆使してJR未乗車路線を踏破する旅(2021年12月南九州編Day2-2)

2022-01-29 00:00:00 | 旅(国内)

待っているとようやく列車がやってきました。

乗ります。

以下車窓から撮影した写真を。

真冬でも、さすがに南九州の海は、陽光が鮮やかです。

いよいよ終点の志布志に近づきます。

(つづく)

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亡くなるちょっと前の、アニセー・アルヴィナの姿(2004年~2006年ごろの彼女)

2022-01-28 00:00:00 | アニセー・アルヴィナ

何回も同じことを書きますと、私がこのブログをしている理由は、イラン系フランス人女優のアニセー・アルヴィナの話を書きたいからです。ほかの記事は、アニセーのことを読んでもらうためのものでしかありません。

彼女は2006年11月に亡くなっていまして、その11月と彼女の生まれた1月28日の近辺には、彼女についての記事を書くこととしています。今回は、彼女が亡くなる少し前に出演した映画での彼女の姿をご紹介します。

彼女は2005年にフランスのテレビドラマである「 Les Enquêtes d'Éloïse Rome,」の第4シーズンの1話「Les Feux de l'enfer」に出演していまして、彼女は、Melinda Rocheという役名を演じています。その時の彼女の姿を私は知らなかったのですが、動画サイトにアップロードされていたので、ついに彼女の姿を知ることができました。

Les enquetes d eloise Rome S04E01 Les feux de l enfer

上の動画の46分25秒くらいからです。以下彼女が映っているシーンのスクリーンショットを。

壁に貼ってある写真に、彼女が写っています。

彼女は、ビデオメッセージで登場します。

こんな感じです。ビデオメッセージのメディアがVHSなのが時代ですね。テレビの形も相当昔です。画面が湾曲しているのも、いまでは見かけません。

うーん、彼女の美しさには、なんら衰えがないですが、やはりやつれは否めません。このドラマがフランスで放送されたのが、2005年の1月10日で、すると撮影は2004年である公算が強い。彼女が亡くなったのが2006年の11月10日あるいは11日なので、彼女の亡くなる2年前くらいのお姿ですかね。もうこの時彼女は、不治の肺がんを患っていたのでしょうか。彼女の命を奪った肺がんと煙草は、私にとって憎んでも憎み足りません。それしても彼女のこの髪型は、ほんと彼女の美しさを最高に引き立てていると思います。

次が、彼女の遺作である「Charell」です。アニセーさんは、Suzanneというう役名です。中編映画だし、彼女の写っている写真も満足に入手できませんでしたが、ようやくそれらしきものを見つけることができました。

"Charell" et "Montparnasse" - Mardi 8 octobre 2019, 20 heures, Théâtre des Variétés

上の動画の1分33秒あたりが下のスクリーンショットの近辺です。

彼女がアニセーだと思いますが、暗くて正直絶対彼女だという確信はありません。

「Charell」を観るのはまず難しいと思いますが、これが彼女の遺作となりました。

これからも彼女についての情報は、見つけ次第記事にしますので、ファンの方はもちろんでない方も乞うご期待。

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韓国人であると考えられる美女モデルたちの写真をご紹介(4)

2022-01-27 00:00:00 | 美女探求(韓国人と思われる美女モデル)

飽きもせず、また写真をご紹介します。同じ人が重複して登場しているのは、乞うご容赦。

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生活保護の受給は、けっきょく青葉真司被告(京都アニメーション放火事件)や故・佐藤忠志氏(元予備校講師)らを救うにいたらなかった

2022-01-26 00:00:00 | 社会時評

inti-solさんが非常に勉強になる記事を発表してくださいました。

その可能性はゼロではないが、可能性が高い、とも言えない

つまり雨宮処凛が、昨年末に起きた大阪の北新地におけるビル放火殺人事件で、実行犯が生活保護の受給相談したにもかかわらず最終的な申請に至らず需給にならなかったことが、この事件の原因(あるいは遠因)ではないかという指摘をしたわけです。

もし生活保護を利用できていたら。大阪の放火事件についての新事実

それでinti-solさんは、

>では、もし受給していたらこのような事件を起こしていなかったのでしょうか?

本人も死んでしまい、「たられば」をいっても実際には分かりませんが、確かに生活保護を受けていれば事件を起こさなかった可能性は、ゼロではないでしょう。しかし総合的に考えて、その可能性が高いとも言えません。

とお書きになったうえで、京都アニメーション放火殺人事件の犯人である青葉真司被告(この記事では実名を表記します)を例に出しています。北新地の事件の犯人は、この京都の事件を参考にした形跡があり、青葉被告は生活保護受給者でした。inti-solさんは、

>生活保護で最低限度の生活を保障されても、このような凶行に走った容疑者がいる以上は、今回の犯人も「生活保護を受けていれば凶行に走らなかっただろう」とは言えません。

とお書きになっています。

>生活保護制度は金銭的貧困という「結果」を最低限度は解決しますが(充分な額、とは言わないにしても)、貧困に至る「原因」を解決するわけではありません。
お金がないという結果を解決すれば全体の問題が解決できるのは、社会性に、少なくとも致命的な問題は抱えていない人に限られます。社会性に大きな問題を抱えている人の中には、生活保護によって最低限度の生活かが保障されていても犯罪を犯す人が、どうしても出てくる。人間というのは社会的生物であり、社会的との接点を失っても「まとも」でいるのは難しいからです。

上の青葉被告のような犯罪者ではなくても、ある意味文字通り廃人のようになってしまい生活保護を受給する人というのも出てきます。それで私が思い出したのが、このブログで繰り返しご紹介している元予備校講師の佐藤忠志氏です。佐藤氏は、2019年9月某日(死亡日不明)に亡くなりましたが、その数か月前から生活保護を受給していました。本人の弁によると19年の5月からとのこと。そうだとすると佐藤氏は生活保護受給から半年も生きられなかったということになります。生活保護受給の前には、彼は近所に金を恵んでもらっていたそうです。その3年くらい前には、彼はリバースモーゲージのような形で自宅を売却して1億円の現金で高級車を購入、さすがに愛想をつかされて奥さんが家出したくらいです。で、死の直前に取材を受けた当時の佐藤氏の状況は、

>「電気代もガス代も払えなくてね。今年の5月から生活保護を受けていて、来週、保護費の7万8000円が入ってきたらそこから光熱費を払います。謝礼をもらうと保護を止められちゃうから……」

「(服は)着ない」という佐藤さんは、近くにあった椅子に腰を下ろすと、おもむろにタバコに火をつける。灰がポロポロと床に落ちるが、まったく気にする素振りはない。室内は思いのほか整理されているが、ところどころに吸殻や灰が落ち、黒くくすんでいる。

しばらく無言のままタバコを吸っていたが、「ついて来ていいよ」と言うと、階段に向かった。まだ68歳だったにもかかわらず、歩くのもやっとの様子だった。

壁に手をつき、一段一段ゆっくりと上がっていく。ようやく寝室にたどり着くと、ベッドに腰掛けた。枕元にあるのは近所のセブン-イレブンで売られているワンカップの焼酎と、吸殻で埋め尽くされた灰皿。近くには日本刀のカタログも置かれていた。ベッドはタバコの火種を落としてできた焦げ穴だらけだった。

「いま口にするのは焼酎とタバコくらい。アルコール度数が20度の焼酎が好みで朝も夜もこれを飲んでいます。タバコはケントの1ミリ。食事? ほとんど食べません」

話している途中で思い出したように枕元の焼酎を手に取り、あおり始める。しかし、なかなか喉を通らない。なんとか飲み込んだが、ゴホゴホと咳き込むとベッドの上でもだえてしまう。心配になり、「飲まないほうがいいのでは」と声をかけるものの、「大丈夫、大丈夫だから」と聞く耳を持ってくれない。

という始末です。この取材が、8月末だということなので、たぶん佐藤氏はこの後何週間かで亡くなったかと思われます(遺体が発見されたのが9月24日。すでに死後時間がたっていた状態だったとのこと)。

正直言って生活保護受給となった時点で彼は、アルコール依存症治療と禁煙してニコチン依存症を断つ必要もあったのでしょうが、すでに彼は死へまっしぐらの状況だったかと思います。

これもinti-solさんがお書きになっていることを引用いたしますと、北新地の事件の犯人は、

>犯した犯罪の中身、報じられている前科や様々な行動を総合して考えると、かなり「ヤバイ」人であることは間違いないでしょう。そして、そのヤバさが原因となって社会との接点を失って、疎外、孤立状態にあったとすれば、生活保護を受けてもそれが解消されるわけではなく、従って時期は違っても結局は同様の凶行に至った可能性は高い、と私は思います。

というわけです。青葉被告にしても佐藤氏にしても、明らかにまともな人間ではありませんでした。青葉被告は、単独犯行としては史上最も犠牲者数の多い殺人事件をしでかしてしまったし、DVをした可能性はありますがあからさまな重大な犯罪をした人物ではない佐藤氏は、しかしまったく生活力がない人物でした。おそらく彼は非常に強い発達障害をもっており、まともな生活をすることができずに、孤独死・困窮死をしてしまったのです。

さらに生活保護受給者ではありませんが、附属池田小事件の犯人である宅間守は、Wikipediaから引用すれば(注釈は削除)

>1981年末、18歳のときに航空自衛隊に入隊したが、1983年(昭和58年)1月に1年強で除隊処分を受けている。除隊の理由について、鑑定書は「家出した少女を下宿させ、性交渉した」ために懲罰を受けたと記述している

1993年(平成5年)、宅間は30歳のとき非常勤の地方公務員になり、伊丹市営バスの運転手やゴミ収集(1997年)、伊丹市立池尻小学校の用務員(1998年より)などを務めていたが、この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に「香水の匂いがきつい」ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし懲戒処分を受けている。小学校で用務員を勤めていた際には、ごみを収集場所に持ってきた児童に「入れ方が悪い」と大声で怒鳴ることもあり、児童が校長に、宅間を辞めさせるよう頼んだこともあったという1998年(平成10年)10月には、別れた妻を殴った傷害容疑で逮捕されている

1999年(平成11年)3月12日、池尻小学校の用務員を務めていた宅間は、小学校教諭等が飲む茶に精神安定剤を混入させる事件を起こし、同月14日に傷害容疑で伊丹警察署に逮捕され、翌15日に書類送検された。調べによると宅間は12日正午、技能員室で精神安定剤入りの数錠の錠剤を急須の茶に溶かして飲んだが、約40分後に昼食を摂るため部屋に入ってきた教員が同じ急須にポットの湯を注ぎ足すと、宅間は精神安定剤が混ざっていることを知っていたにも関わらず、そのまま教員らの湯呑みに茶を注いだ。約1時間半後になって、教員4人が目まいや口の痺れ、眠気などを訴えて、その後3日間入院した

逮捕された宅間は調べに対し「妻から別れ話を切り出されたうえ、職場でもうまくいっておらず、視線を冷たく感じていた。教諭四人にうらみはないが、うっぷんをはらそうと、軽い気持ちでお茶を出してしまった」「先生達に無視され家族とも上手くいかず、人間関係による鬱憤を晴らしたかった」と話している。

校長は、宅間に怒鳴られた児童から苦情があったことを述べた上で「本人が家庭や仕事で悩んでいたようなので、何度か話し相手になって励ましてきたが残念」と述べている。14日に開いた臨時児童朝礼では、宅間の逮捕には触れなかったが「皆さんに心配をかけた」と頭を下げ、「命を大切に、明るく安全な学校を作りましょう」と話した。しかし宅間は「責任能力なし」として刑事処分は受けず、神戸地方検察庁により処分保留となった。その後、宅間は同年4月12日付で分限免職となり、精神保健福祉法に基づき、西宮市内の病院へ措置入院させられ(精神分裂病と診断)、本事件を起こすまで4回にわたり、入退院を繰り返した。また、同年11月には民家に忍び込んだとして住居侵入容疑で逮捕され、本事件直前の2001年(平成13年)2月には暴行器物損壊容疑で書類送検されている。

というわけです。それにしても宅間の場合、自衛隊とか非常勤ではありますが地方公務員になったり(正直よく採用されたなと本気で驚いています)とかまともな職にも就いているのですが、未成年者との性行為や、お茶に精神安定剤を混入させるなどの非行で職を失っているわけです。あまりの非常識さに絶句しますが、その後の彼は、こんなものなど比較にならないほどのひどい犯罪をしてしまったわけです。inti-solさんは、私のコメントへの返しで、

>この人は、人格障害系の障害があることは裁判で認められていますが、人格障害は心神耗弱やまして心神喪失の対象とはならないので死刑になっています。
この犯人がこの犯行に及んでいなかった場合、やはりその後何年かのちには生活保護、ということになっていた可能性は高いと思います。
社会に相手にされず、仕事も長続きしないような人間が、他に収入を得る手段がなければ、最後にたどり着く先は生活保護しかありません。それ以外のすべてに相手にされなくなれば、他に選択肢はありません。
でも、そういう人は結局生活保護でも救うことはできないのでしょう。まさしく、お金があってももちろん、生活保護を受けている人間がそういう人ばかりだ、ということではありません。

とお書きになりました。そうだろうなとおもいます。金銭だけでは、遺憾ながら人を救うことができない(場合がある)わけです。青葉、宅間といった人たちもそうですし、佐藤氏もたぶん発達障害だけでなく亡くなる前には明らかに精神疾患にもなっていたのではないかと思いますが、そのあたりの真偽はさておき、まともでない人間というのは、金だけではしょうがないということなのでしょう。佐藤氏は、金がなくなったら人も近づかなくなり、さらに自分も他人を遠ざけたようですが、社会的との接点を失ったことが、彼の暴走をさらにひどくしたのでしょう。これもinti-solさんからのコメント返しを引用させていただきますと、

>結果的に家を買い取ってお金を全額渡してしまったことが、最後の破綻に結び付いたということなんでしょうね。本当にリバースモゲージを使えば、基本的には月に定額の貸付金という形になるので、一挙に全額を消費、ということはできません。

というのも、まさに致命的でした。家を買った人は、たぶん佐藤氏を支援するつもりもあったのでしょうが、この事態には、絶句にもほどがあったのではないか。

すみません、本日の記事は、ほとんどinti-solさんの記事と私へのコメントの返しの引用に終始してしまいました。inti-solさんに感謝を申し上げてこの記事を終えます。

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2021年に行った旅行のご紹介

2022-01-25 00:00:00 | 旅(海外旅行一般 あるいは上以外の国々 旅行全般)

2021年に行った旅をあらためてご紹介します。なお2020年12月末~21年1月初めの旅行は、便宜上2021年の旅とします。旅行はすべて記事にしていますので(南九州のJR線踏破の旅のみ未完)、最初の1回目の記事をはりつけます。なお旅行の定義は、仕事の出張でなく主として観光目的で、私の居住地でない道府県に1泊以上した場合とします。

13年ぶりの沖縄紀行(あと福岡ほかも)(2020年12月~2021年1月)(Day1‐1)(1)

京都の桜(2021年3月)(京都駅近辺・平安神宮・岡崎公園)(1)

連休中名古屋へデカ盛りの店へ行った(しかし葬式が入ったので、中途半端に終わる)(事務連絡あり)

名古屋と浜松でのデカ盛りほか食事関係の写真(2021年6月)

東京オリンピック開会式を無視すると称して京都と大阪へちょびっと行ってきた話

なお上の記事については、下の記事もご参照ください。

京都で、松本酒造の写真を撮ってきた(映画『無宿』(やどなし)のロケ地でもある)

オリンピックを無視してコロナ蔓延の東京を脱出して九州(宮崎・福岡)を旅する(Day1-1)(1)

帯広でカッサンドル展を観てきた(札幌と帯広にちょびっと滞在)(2021年9月)(Day-1)

「秋の乗り放題パス」を活用して、東海・関西方面をゆく(1)

北陸を行く(Day1~Day2(1))

青春18きっぷを駆使してJR未乗車路線を踏破する旅(2021年12月南九州編Day1-1)

こうやってみると、ほぼ毎月どっかに行っていますね。まあ正直映画と旅以外で、そんなに金を使う目的もないし、旅行も、LCCや青春18きっぷ、高速バスなど金のかからない交通手段を使っているので、大して金は使っていませんが。今年は、毎月どっかに行こうかと思います。なお上のリンクは、カテゴリー(タグ)は、旅(国内)フォトログがあります。

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北京五輪で期待したい美女たち

2022-01-24 00:00:00 | 美女探求(2022北京五輪の美女たち)

では、そろそろ北京五輪モードで。美女を張り切って紹介します。なお、実際にエントリーしているかは未確認ですので、出なかったらごめんなさい。

まずは、スウェーデンのバイアスロン、ハンナ・エーベリ(Hanna Öberg)を。「O」のウムラウト(スウェーデン語)ですので、発音はお約束の範疇で。

平昌五輪での金メダリストです。

エストニアのスピードスケート、サスキア・アルサル(Sasukia Alusalu)。バルト3国も、現地系、ロシア系と美女には事欠かない国々です。特に金髪の多さは、大きなポイントとなります。

カナダのフリースタイルスキー(モーグル)ジュスティーヌ・デュフール=ラポワント。名前でわかるとおり、モントリオール出身の、バリバリのフレンチ・カナディアンです。

ニュージーランドのゾイ・サドゥスキー=シノット(Zoi Sadowski-Synnott)。スノーボーダー。

フランスのフリースタイルスキーのペリーヌ・ラフォン(Perrine Laffont)。いかにもフランス人らしい美女です。私こういう顔大好き。

まあほかにもいろいろいますが、これからも美女をご紹介しますので乞うご期待。

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青春18きっぷを駆使してJR未乗車路線を踏破する旅(2021年12月南九州編Day2-1)

2022-01-23 00:00:00 | 旅(国内)

翌日の朝 朝食をいただきます。会場へ行くエレベーターでANAの客室乗務員の女性がいたので、「お疲れ様です」と意味なく挨拶したら「ありがとうございます」と返してくれました。さすが日本の客室乗務員は礼儀正しい。考えてみれば、今までずいぶんいろいろな国内外のホテルで、さまざまな航空会社の客室乗務員とすれ違ったと思います。

このあと歯を磨いてチェックアウトしたのですが、風呂に入りませんでした。風呂は嫌いではありませんが、この時は入らなかったのです。しかし入湯税を払っているので、それなら入ればよかったと後で相当後悔しました。払っていなければまだしも、払ったのだから入らなければ損です。

あ、朝食はおいしくいただきました。宮崎のホテルは、朝食に力を入れています。

宮崎駅から日南線に乗ります。前回は、飫肥までしか乗らなかったので、本日は終点の志布志駅まで行きます。

なお、実は災害でしばらく日南線は普通になっており、この日から全線再開となりました。かつていまはなき三江線に乗った際、私が乗った日に運行再開となったことを思い出しました。その日が再開でなければ、私はこの線に乗るチャンスを失っていたわけです。

さようなら三江線(1)(3月29日更新)

上の写真のような次第のわけです。

海の写真を撮ります。

普段海とはあまり関係ない環境にいるので、海を観るとうれしくなっちゃいます。

油津駅に到着します。ここで乗り換えます。

乗り換えにしばらく時間がかかるので、ホームほかをぶらつきます。

駅舎へ行ってみることとします。

行ってみて、あーら驚きました。広島東洋カープだらけじゃないですか。油津駅のWikipediaによると、

>もとは白を基調とした駅舎であったが、日南市が長きに亘り広島東洋カープのキャンプ地であることから地元のカープファンの提案により、2018年2月より駅舎を赤く塗りかえ「カープ油津駅」の愛称がつけられることになった

であり、また

1937年昭和12年)の開業当時からの駅舎が使用されている

とのこと。さらに

>無人化に危機感を抱いた日南市は、市の外郭団体である日南市観光協会を市役所内から油津駅舎内に移転させて観光案内所を開設、同時に出札業務を受託し、簡易委託駅となった

だそうです。そういえば女性の駅員さんがいましたが、彼女は受託業者の人だったということなのですかね。

キャンプ時は、大勢の人が来るのでしょうね。しかしこのコロナ下の現状ではそれも厳しいでしょうね。

レンタサイクルもあるので、今度はそれを使ってもよさそうだな。これは、後で痛感することとなります。

ホームに戻って写真を撮ります。

私が乗る列車が遅くなっていましてだいぶ時間が過ぎてしまっています。

(つづく)

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青春18きっぷを駆使してJR未乗車路線を踏破する旅(2021年12月南九州編Day1-4)

2022-01-22 00:00:00 | 旅(国内)

前にも泊まったホテルです。「宮崎観光ホテル」です。地元資本系のホテルのほうが、全国あるいは世界展開のチェーンホテルよりも、個性があります。

スポーツ関係のメッカなので、いろいろ有名どころの人たちが泊っています。

部屋です。アネックスですが、いい部屋です。

写真を撮ります。きれいです。

一休みして街に繰り出します。しかしこの日は、公務員のボーナス支給日(12月10日)だったので、街がだいぶ込むことまでは予想していませんでした。地方都市では、公務員の消費動向がその町の経済を左右します。ましてや宮崎市のように、県庁所在地ですと、県庁と市役所の職員が双方たくさんですから、当然この日が書き入れ時になるので、街は当然活気づきます。これは、昨今のコロナの状況でもです。

街を歩いて、どこか私のような単独の旅行者でも潜り込めそうな店を探します。

幾軒かの店に断られて、駅前まで徘徊します。

ガイドブックで注目していた宮崎駅構内にある店へ行ってみることとします。

そうしたらOKでした。すだれが下がってスペースが確保されます。

焼酎をいただきます。

カツオをいただきます。これは絶品のうまさ。

帆立をいただきます。

鶏の炭火焼きです。これはいまいち。

店を出ます。なぜ日章旗? 別に祝日でもないのに。

ホテルへ戻ります。

(つづく)

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