なぜかここ数日、カタリーナ・ヴィットのヌードの記事にアクセスが多いので、またちょっと彼女のヌードを探してみました。残念ながらあまり満足できる成果がありませんでしたが、当ブログの読者の皆さまに喜んでいただくために発表します。
すいません、今日はここまでです。
すいません、こんな記事を書いていると、お客がとても多いのはありがたいんですが、さすがにどうかという気がしてきましたので、少し「美女探求」はお休みすることにします。でも、たぶんすぐ復活します。
今日は、カタリーナ・ヴィットのヌードの写真を特集します。
なお、以下、かなりたくさんヌードの写真が出てきますので、いやな方は読まないでください。別に私は、女性の裸が苦手な方にこの記事を見てほしいとは思いません。
欧米では運動選手のヌードはめずらしくありませんが、なーんかね。
ついでに書いておくと、旧東独というのは、FKK運動なるものが盛んで、裸への抵抗感が強くないというのも事実みたいです。
一応この記事で、美女特集はちょっと休みます。
2012年8月20日追記:この記事へのアクセス数が多いので、ヴィットさんのヌードの写真の記事を追加しました。よろしければこちらをクリックしてください。
最後の写真で、カタリーナといっしょに写っている男性は、ブライアン・ボイタノですね。カルガリーでヴィットちゃんとともに金メダルを取りました。そして、リレハンメルでもヴィットとともに参加しています(リレハンメルでは、ヴィットは7位、ボイタノは6位)。「氷上のカルメン」でも共演しています。そして、同じ「氷上のカルメン」に、カナダのブライアン・オーサーも出演していまして、ボイタノは、カルガリーではこのオーサーとの「ブライアン対決」を制したわけです。ブライアン・オーサーは、サラエボ大会に続いての銀メダルに泣きました。そして言うまでもなく、キム・ヨナのコーチがこのブライアン・オーサー氏です。
余談:オーサー氏はゲイだそうですね。まあ、同性愛は悪いことではありませんけど。
しかし、ヴィットって、とくにカルガリー以降はかなり太っちゃいましたね。もともと太りやすい体質なんでしょうね。
明日は、ヴィットちゃんのヌードの写真を特集します(みんな、見たいでしょ!?)。
すいません、究極の美女っていうのはさすがに大げさかもしれませんが、カタリ(-)ナ・ヴィットです。
彼女は東ドイツ出身のフィギュアスケーターです。その美しさとスタイルのよさ、優雅なスケーティングで高い人気を誇りました。
正直いまとなっては当時の彼女のスケーティングは、時代の推移もありますがジャンプにさしたる切れはなく、やや鈍重な雰囲気もあります。が、美人でものすごく強いというまさに美女アスリートの権化といっていいすばらしいフィギュアスケーターであったことは論をまちません。
もっとも、サラエボ、カルガリーと金メダルを取った後の彼女は、本来だったら約束されたといっていい明るい将来がまっているどころか、それどころの話ではなくなってしまいましたが。
というわけで、何回か彼女の写真の特集をします。
余談:「ナンバー」のようなスポーツ雑誌から男性向け週刊誌など、バンクーバーの美女たちの写真をいろいろ特集していますが、このブログの写真のほうがずっと見応えがあります(笑)。ていいますか、そういった雑誌に載っている女性たちはほとんどこのブログで紹介していますね。
旧東独のトップであるホーネッカー議長と写っている写真がありますね。彼女はホーネッカー氏から可愛がられていまして、そのせいで東独が崩壊した後はしばらくドイツを去るはめになりました。要は、東独の体制派著名人として憎まれたわけ。彼女のような(当時)小娘に八つ当たりしても仕方ないんですけどね。
さて、ホーネッカー氏といえば、私にはちょっとした想い出(なーんて言うほどでもないですけど)があります。
2005年、ベルリン最古というレストランで食事をしていた時の話。
ウェイトレスの女性に(英語で)話してみました。
私「このレストランは、DDR(東独のドイツ語略称。 Deutsche Demokratische Republik の略)の時代も営業していたの?」
女性「ええ、していたわよ」
厳密には、私が「during the time of…」なんて言おうとしたら、彼女はすぐに答えました。たぶん同じような質問をする人が多いんでしょうね。
私「ホーネッカー議長はこのレストランに来たことは?」
女性「来たと思うけど、知らないわ。私、西の出身だから」
私「ああ、あなたヴェッシー?」
女性「ええ、そうよ」
ヴェッシーというのは、旧西独国民、旧東独国民はオッシーです(こちら参照)。
今はどうだか知りませんが、旧西独を歩いていたら、ほとんど白人の路上生活者は見かけませんでしたが、旧東独(ライプツィヒ!)を訪れたらとたんに見かけて、旧東独の経済の苦しさを感じました。
でも、実はプロイセンの伝統を受け継いで日本人にもなじみ深いのは、東独のほうだったりするんだけどね。
私の好きなスーゼン・ティートケも東独出身です。
で、私が何を言いたいかというと、旧東独とは実は美女の宝庫だったりするということです。来年旧東独を訪れますから、そうしたらごってり美女探求をしますのでお楽しみに。
そういえば、このブログの一番初めの記事にライプツィヒ紀行がありまして、けっこう美人な女性の写真を掲載しておきました。ついでながら、私は日本では怖くてこんな写真は撮れません。
次回はカラーの写真を掲載します。