景福宮では、守門将交代儀式を10:00~15:00までの1日6回 所要時間15分間行われています 16:00には守門将の退場儀式もあり、12月~2月厳寒期と7月~8月の厳暑期は人数を減らして行うそうです 守門将は、都城門と景福宮などの国王が君臨する宮殿の門を守る責任者として、厳格な順序により、宮城門を開閉し、勤務を交代する事によって、王室の安寧はもちろん、国家の安危を守護していました 写真の後ろ姿の赤い服に黄色の裾が見えるのが、守門将の武官4品で、宮城門守護責任者で、服装は、天翼と方領 守門将の正面にいる青服に赤い裾の人は、従事官の武官7品 守門将補佐及び出門部管理で、服装は天翼と方領 左にいる黒の服に水色の裾の人は、傳漏軍の騎兵で、宮中の時刻伝達で、服装は天翼と図領 その奥の水色の人は、旗手で、宮城門の守兵で、服装は天翼です
勤政殿です 宮殿で最も荘厳な中心建物として王権を象徴し、王の即位式や文武百官との朝会。外国使節の接見など国家行事を行った場所です 朝廷には、階級別に並ぶ為の品階石が立っていて、この前で臣下達が敷いて座る座布団も階級によって、ヒョウ皮・虎皮・羊皮・犬皮と差別をつけたそうです
土俗村から歩いて5分程で、景福宮〔キョンポックン〕に到着 光化門〔クァンファムン〕には守門将が立っています 光化門は、1394年に初めて建てられたが、何度も焼失にあい、2010年復元され公開されました 景福宮 1395年 李成桂〔イ・ソンゲ〕によって建てられた最古の王室です しかし、1592年文禄の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)で全焼し、その後、270年間復旧される事なく放置されていたが、1867年 26代 高宗の父の主導で約500もの建物が再建されました。日本の植民地時代に、90%取り壊され、1990年に復元工事を行っていて、完了は2025年の予定です 写真にはないですが、光化門の左右に近い距離でおいて座っている‘ヘッテ像’がありますが、朝鮮時代は、光化門から約80m離れた所にあり、ヘッテ像の前にL字模様の石が置かれていたが、これは、王より地位の低いものは、ここで乗り物を降りろという下馬の表示だったそうです