医療・介護を支える継続企業の知恵袋

毎日ブログを書き続け10年が過ぎました。2025年、2042年に向けた医療介護の厳しい時代を乗り切る策を考えます。

何が出来るのか・・・

2016-06-19 05:23:14 | 薬局
未だに仮設住宅が並ぶ。

2011年3月11日午後2時46分に東日本大震災が発生した。
震源地は宮城県牡鹿半島(おしかはんとう)の東南東沖130Kmである。
この地震の後、巨大津波が襲い多くの人命と被害が生じた。
亡くなった人や災害に合った人には心からご冥福を祈りたい。

今年に入って4月14日は熊本県を中心に大分県に渡る熊本地震も発生している。
2度の大規模な揺れはそこに住む人を恐怖に陥れ、今も余震が続いている。
未だに車中泊に人もいると聞く。

実は、今月18日と19日は、いつも行っているHSEセミナーの後の「薬局未来塾」を石巻で行っている。
東京から仙台に移動し、仙石線で石巻に着いたのは17時11分である。
それから地元の薬剤師を交えてささやかなセミナーを開催した。
時間は1時間15分程である。
19時半から懇親会を開催し、九州、四国、大阪、東京からの参加者と地元との交流が始まった。
地域は違えど“人間っていいなぁ”って感じで、お互いに心触れ合える時間を過ごした。
もちろん不測の事態に対する心構えなども聞かせていただき、まさかのために何を準備しておくべきなども参考になる。
今回の視察ツアーに子供を連れての参加もあった。
5年も経過しているので被災地の様子は雑草が生い茂った低地の様になってはいるが、きっと何かを感じ取ってくれると思う。

そして、今朝を迎えている。
地酒を飲み過ぎたせいかちょっと目が回っている。
今日の予定は貸し切りバスで石巻駅を出発し、市内が全貌出来る日和山公園へと向かう。
ここから津波の恐ろしさを実感する。
次に石巻市門脇町にある「がんばろう!石巻」の看板へと向かう。
既に5年も経過しているので、今の看板は2代目になる。
そして、まさかの女川医療センターに向かう。
この医療センターは旧女川町立病院である。
この旧病院は海から1kmほど離れた平坦な土地を経て、急な高さ18mの高台にあった。
その病院の1階部分が津波に襲われ沈んだ。

昼食は雄勝町の「おがつ店こ屋街(たなこやがい)」のすし屋でホタテ、うに、あなごの三色丼を用意している。
地域の活性化のお手伝いだと思い特産品も買いたい。
昼食の後は、多くの小学生と学校職員が犠牲になった「大川小学校の悲劇」である。
まさに「その時」の判断が運命を左右する。
手を合わせて合掌。

最後は道の駅「上品の郷」で三陸海岸の海の幸を皆さんにお土産として買ってもらう。
そして、石巻の産業育成と発展を多少なりともお手伝いできたらいいなぁ。

そんな思いを心に描きながら仙台駅にバスは向かう予定だ。

幸せは失って初めてわかるものだ。
あらためて今の自分に感謝したい。







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