楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

萩ー季節外れの

2017年06月28日 04時53分07秒 | 日記
季節外れの萩の花を見つけた。
公園の案内によると、「ヤマハギ」とある。

(ヤマハギ1)

(ヤマハギ2)

(ヤマハギ3)


おくのほそ道には、

「宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるる。」

と綴っている萩はどれだろうかと調べた。

これはミヤギノハギのことで「宮城野の萩」の歌枕から命名されたもので、
宮城県に多く自生する、高さ、1-2mの落葉低木の萩。
枝が枝垂れているので容易に解る。
紫紅色の花を8-10月頃に咲かせる。

(ミヤギノハギ1)

(ミヤギノハギ2)


まだ花が咲いていないが、
枝先が枝垂れておりミヤギノハギと解る。
秋のお彼岸頃になると、沢山の紫紅色の花を付け、
足元に散ると、地面が紅く染まっている光景はとても美しい。
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薬師の泉庭園(3)ー総泉寺(旧中山道番外記)

2017年06月24日 04時56分51秒 | ひとり歩き旅
旧中山道清水坂の途中に、江戸時代は大善寺の地蔵堂があった。
関東大震災以後、浅草の総泉寺が大善寺に間借りをして、以後総泉寺となった。

総泉寺は愛宕神社下の青松寺と忠臣蔵で有名な泉岳寺と並び、
曹洞宗の江戸三個寺の一つであった。

今は旧中山道も、付け替えられ道路も拡幅して国道17号線(中山道)となった。
その国道17号線の志村坂上から坂を少し下った所から、
右に登る道があり、道路を登ると総泉寺の山門がある。
そこに「妙亀山」の扁額が見え、
門前左手に「清水薬師如来」の石柱があり、
その石柱の右肩に「聖徳太子作」とある。  

(国道17号線中山道の途中を右に上がる)

(妙亀山総泉寺の山門1)

(妙亀山の山門2)

(山門の扁額)

(清水薬師如来の石柱)



門を入ると正面に本堂が見える。
本堂は階段を上がるようになっているが、
階段の中央に見事な彫刻が施されている。
名前の妙亀山に因んでか亀が沢山いることに気づく。
気を付けて本堂を見ると、本堂の周りに亀があちこちに施されていることが解る。
亀は萬年と言うからだろうか。

(本堂)

(本堂の正面出入り口は薬師如来だろうか)
(本堂の階段中央の彫刻と亀)

(階段手すりの亀)

(本堂回廊の下の亀)

(本堂回廊の下の亀2)


旧中山道の清水坂には地蔵堂があって、
その地蔵堂にあるものと同じかどうか解らないが、
境内に地蔵堂はある。
その地蔵堂の横に薬師堂があるが、薬師如来がいらっしゃるかどうか解らない。
この寺の薬師如来は(伝・聖徳太子作)とあるが、もともとは大善寺のご本尊であった。
江戸時代八代将軍吉宗が鷹狩りの途中に大善寺に立ち寄り、
境内の湧き水(薬師の泉)があまりに美味であったので
「清水薬師」と命名したと伝わる。
同地の地名「清水坂」の謂れとされている。
清水坂には地蔵が安置されており、子育て地蔵として信仰されていた。
この地蔵も現在は同寺境内にある事になっているが観ることはできない。

(薬師堂)
(地蔵堂)






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墓碑銘―母であり、姉であり、妻であった女、ここに眠る

2017年06月21日 02時15分11秒 | つれづれなるままに考えること
横浜の外人墓地に行くと、
日本で亡くなった外国人のお墓が、
故郷を見渡せるように、港が見える丘の上に、
並んでいる。

(ザクロの花)

その一つのお墓に英語で、
「日本の土地に上陸した最初の水夫ここに眠る」
と書いたお墓を見つけた。

異国で亡くなった水夫の功績を記念して、
書かれている。


これを墓碑銘と言うのであるが、他国はどうであるか知らないが、
少なくともイギリスでは、必ず墓碑銘が記されているようだ。

(ザクロの花と蝶々)

学生時代、大変奇妙な「墓碑銘」と言う題で書かれたEssay(随筆?)を読んで、
終生忘れることが無い物語となった。

それには次のように書かれていた。

「母であり、姉であり、妻であった女、ここに眠る」と言う墓碑銘である。

物語は、イギリスの片田舎で始まる。
周りには、他の農家もなく、広大な農地の中の一軒家の話。

女の赤ちゃんを産み落とした妻が産後の肥立ちが悪くて亡くなった。
(*産後の肥立ち=出産後の女性の栄養状態が悪いこと)
夫は生まれてきた娘を大切に育てる。
父と娘は、そのほかの農家や人との接触もなく、
農業で生活していくが、

ある日、娘の裸の姿を見た父と娘の間に間違いが起きる。
たった一度の過ちで、不幸なことに子供が出来、
やがて月満ち生まれた男の子―近親相姦の子供であるため、
娘は恥て、子供を遠く離れた町の教会に捨てた。

(ビョウヤナギ)


子供は神父様に拾われ育つが、青年になっても、
身元不明のため仕事もままならず、
農家の雇われ男として、転転と場所変えながら生計を立てた。

一方で子を捨てた娘は、相変わらず父親と農業に従事していたが、
父親がある日、突然の病で倒れ亡くなる。
女手一つで農家を支えることは大変で、
途方に暮れて居るところへ、
流れ流れて来た男を、雇い入れることになる。

男は農家の仕事になれており、真面目で誠実な人柄に、
女は魅かれて行く。
やがて想いが重なり、二人は結婚する。

(アジサイ1)


結婚初夜のこと、女は男の腹部に見覚えのあるあざを発見する。
この男は、自分が捨てた子であることを確信、
父との間に出来た忌まわしい思い出、
それに加え今度は息子との関係を持ったことで、
悩みに悩んだ挙句、翌朝、納屋で女は自殺した。

父との間に生まれた子供は、弟であり、
女は、その弟を生んだ母であり、
その後結婚した妻であった、この女を埋葬し墓碑銘を付けた。

「母であり、姉であり、妻であった女、ここに眠る」と。

(アジサイ2)
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薬師の泉庭園(2)ー大善寺の庭園(旧中山道番外記)

2017年06月17日 04時30分52秒 | ひとり歩き旅
清水坂の途中にあると言う大善寺-現在の総泉寺は、
志村坂上の交差点を旧街道の方に入らず直進する方が早い。
あるいは都営地下鉄三田線の「志村坂上駅」下車、
地上へのエレベーターで降りると、
信号を渡る所に薬師の泉の案内看板があるので、
案内に沿って進むと良い

(薬師の泉への案内看板)

(志村坂上の交差点)


上の写真の右側の道路、国道17号線(現中山道)の右側を進む。
志村坂上と言うから、ここから坂下へ向かって下って行くと、
途中で右に上る道に出る。
ここを昇った所が総泉寺である。
納骨堂の屋根が見え「妙亀霊廟」の金文字も目に入る。
その先に葬祭会館の看板が目に張るからすぐわかる。

(総泉寺の納骨堂の屋根)


しかし、今は「薬師の泉庭園」を目指すので、
この大善寺こと総泉寺を横目で眺め直進すると、
庭園があると思われる林と白壁が続いている。
もともと薬師の泉庭園は、大善寺、現在の総泉寺の庭であった。
白壁の途中に古風な屋根付きの門があり、くぐり戸が開いている。
そのくぐり戸の前に「薬師の泉」の案内看板がある。

(薬師の泉庭園の白壁)

(古風な屋根付きの門)

(薬師の泉の案内)

(くぐり戸)


くぐり戸を覗くと、森があり、その向こうにマンション」の五・六階の部屋が見える。
と言うことは、薬師の泉はこれから坂下に向かっておりて、
その下に庭園はあると見受けられる。

案内看板を見て、入口のくぐり戸を入ると急な下りの階段がある。
階段を進むと、粋な古庭園の枝折り戸が見え、
薬師の泉庭園の一部が見えてくる。

(下り階段)

(下り階段と中門)

(薬師の泉庭園の一部)


どうやら入り口とは言いながら、
裏口から入って来たような感じがするが、やはりここが正門である。
道路脇の白壁に沿って坂を下り、次の交差点で右折すると、
本来の薬師の泉庭園の入り口に思えるが、ここは北門になる。

(薬師の泉の看板)

(北門の入り口)


庭園の入り口から見ると、薬師の泉庭園はもっと下にあるらしく、
くだりの階段があり、その先に庭園の中門が見える。

(さらに下る階段の先の中門)


自然石のごつごつした階段を下る途中の右側に大きな説明板がある。

(薬師の泉庭園の説明板)

(説明板の左手の休憩場所)


挿絵の説明によると、

(「境内山の腰より清泉湧き出で」と
「江戸名所図会」の挿絵に描かれた薬師の泉は、
かってこの地にあった大善寺という曹洞宗寺院の境内にありました。

江戸時代、八代将軍徳川吉宗が志村周辺で鷹狩をした際、
大善寺に立ち寄り、境内に湧き出す清水を誉めて、
寺の本尊である薬師如来を「清水薬師」と命名したと伝わっています。
――中略――
板橋区では、先の挿絵(下図)をもとに庭園整備を行い、
平成元年12月に「薬師の泉庭園」を開園しました。
挿絵は、現在のあずまや付近から見下ろした境内の風景を描いています。
画面左上に見える道は、中山道の清水坂です。
泉の水は、中山道を通る旅人の喉をも潤していたでしょう。)とある。
(板橋区教育委員会)

(挿絵の拡大図の薬師の泉)(WEBより)

(薬師の泉庭園の中門)

(苔むした中門の屋根)

(湧き出る水屋)

(湧き出る清泉水)

(説明にあるあずまや)

(東屋の庭園内の位置)

(東屋から見た庭園)

(庭園の池ー薬師の泉)

(薬師の泉2)

(薬師の泉3)

(庭園内の地蔵)

(階段下無造作に置かれた自然石の石柱)

(薬師如来の線刻像が刻まれている)


つぎは大善寺=総泉寺の清水薬師へ

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孔雀サボテンが咲いた

2017年06月14日 04時10分53秒 | 日記
我が家の鉢植えの孔雀サボテンが咲いた。

その昔、黄色、白、赤の花が咲く三種類の孔雀サボテンの葉を頂いた。

葉を植えて置けば、やがて芽が出て葉が伸び、
さらに一年して花が咲いた。

一昨年、大きな鉢に三種類まとめて植え替えた。
今年は、花芽が数えたら40個付いている。

一度に40個咲くとは思えないが、やがて花が開いた。

先ず黄色の花が二個咲いた。
蕾の数を見て下さい。

(黄色の孔雀サボテン)

孔雀サボテンも月下美人と同じような形の花が咲く。
月下美人と違うのは、足掛け三日咲いていることだ。
月下美人は夜19時頃咲いて夜中にしぼんでしまう。

その翌日、黄色と白が混ざって12個咲いた。

(12個咲いた日)

次の日9個、その次に4個、6個・・・・。

(4個の時)


残念なことに、赤色の花が今年は見当たらない。

この後に遅れて咲くのだろうか、気になる所である。

(白い花)

(ピンボケだが黄色の花)
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