楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

羽黒山 五重塔(芭蕉の道を歩く 69)

2024年04月28日 04時07分21秒 | ひとり歩き旅
2012年に旅した記録です。
(長~い階段)

(五重塔)
羽黒山の三神合祭殿に来るには、
麓から2446段の2kmの及ぶ階段を、
一の坂、二の坂、三の坂と登ってくるのが普通であるが、
この階段を登るには年寄りには厳しかろうと、
旅行社が前もって組んだ計画が、
バスで最初に羽黒山頂のバスターミナルへ到着、
そして、三神合祭殿に出る、であった。

参拝後、バスで山を下り、
羽黒山への入り口、出羽三山神社への石の鳥居をくぐり、
その後ろにある古風な随身門をくぐり、
恐るべき長が~いの階段に沿って、
祓川(はらいがわ)を神橋で渡り、右手の祓川神社を横に見て進む。

(出羽三山神社の石の鳥居)

(古風な随身門)

(祓川を渡る神橋)

(橋の向こうに見える祓川神社)

(祓川神社後ろの須賀の滝が見える)

祓川神社の後ろにある滝、須賀の滝は、
江戸時代に遠く月山から水を引いて造られた。
階段をしばらく進むと、左手上の奥に五重塔が見える。

(五重塔)

出羽三山神社によると
【国宝五重塔は、1050年ほど前の承平年間に、
平将門の建立と伝えられる。
長慶天皇の文中年間に再建(約620年前)。
慶長十三年出羽守最上義光が修造し今日に至るとされる。    
               -中略
昭和四年国宝に指定され、素木(しらき)造りの柿葺(こけらぶき)、
釘一本使われていない。】

高さ24mほどあり見事なものであり感動した。

(2446段の階段の始まり、この先一の坂へ続く)

階段はこのあと続いて、一の坂、二の坂、三の坂となるが、
時間が合って休み休みならともかく、年寄りにはこれ以上無理と言うもの。
階段を下って随身門近くは、上り階段となる。

随身門を出るとここ羽黒山へは、
芭蕉が来た事を示す案内杭が立てられている。

「奥の細道芭蕉翁来訪の地」と白地に黒々と書かれている。

羽黒山で、芭蕉は、

・涼しさやほの三日月の羽黒山

の句を残している。

(芭蕉来訪の地の看板)


コメント (8)
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夏の装い?

2024年04月12日 04時39分33秒 | ひとり歩き旅
気温が異常に高い日が続きます。

植物も負けじと花開いて、

秋に実が付くのか心配です。

初夏の五月に咲く姫リンゴがもう咲きました。

1か月早いですね。

(姫リンゴの木)



(姫リンゴの花)

クヌギの木の花?が枝先にたわわに垂れ下がっています。

(クヌギと花)



(クヌギの花)

栗の木と同じで、
5房に一個ほどしか、
いいえ、五十房に一個かも知れませんが、
実が付くと大きなどんぐりになります。


コメント (2)
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御衣黄ー八重さくら

2024年04月10日 04時36分10秒 | ひとり歩き旅
緑の花をつける八重さくらー正式名は「御衣黄/ぎょいこう」

花が散る間際には、緑の花がピンクに変わる。
2023年4月のブログをご覧ください)

昨年までは、たくさんの花をつけていたが、
枝が朽ちてきたので途中から
バッサリ切り落してしまった。

残った枝にわずかに残ったグリーンの花を、
ご覧ください。

(緑色の八重さくら1)


(緑色の八重さくら2)

グリーンの八重桜。

この緑が、花が散るころにピンクに変わります。
2023年4月のブログをご覧ください)


ガールスカウトが植樹した二本のソメイヨシノ。

(枝垂れサクラも満開)




コメント (1)
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ニリンソウー二輪草

2024年03月30日 04時51分29秒 | ひとり歩き旅
二輪草の花が咲いた。
板橋区の花で、
(区の花「リンリンちゃん」板橋区ホームページから)

いつもは桜の咲く時と同じですが、
異常気温の寒さゆえに、
今年は二輪草だけが先に咲いている。

桜が満開の頃には、
二輪草も満開になるに違いない。

(3/28の二輪草)

(まだ、まばらな二輪草)


(You Tubeに載せた「にりん草」をご覧ください。)

にりん草(板橋区の花)

満開の桜の下に咲く様子がお分かりになるでしょうか?


コメント (1)
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出羽三山 羽黒山(芭蕉の道を歩く 68)

2024年03月23日 16時45分13秒 | ひとり歩き旅
 いよいよブログのネタ切れになってきた。
これは2012年の旅の記録です。
下書きのまま残っていましたので、掲載します。

(羽黒山)
バスに揺られて羽黒山につく。

(出羽三山の配置地図)


頂上のバスターミナルには、すでに先客のバスが来ている。
回りは古い杉木立が並んでいて、
これこそ古い神社、という感じだ。
ボクにとっては、箱根の杉並木、日光東照宮の杉並木を想い起こさせる。

(羽黒山山頂のバスターミナル)

昼食をとって、羽黒山神社へ。
杉並木の中を抜けて、
しばらく行くと左手奥に、蜂子(はちこ)皇子陵があり、
墓には菊の御紋があり、今も宮内庁管理で、宮内庁と記され事務所用の小屋がある。

(*)蜂子皇子は父の崇俊天皇(西暦592年)が、蘇我馬子によって暗殺されたため、
蘇我馬子から逃れるため、海を船で北に向かい鶴岡市由良にたどり着いた。
カラスに導かれて羽黒山に登り出羽三山を切り開いた。


(杉並木)

(杉並木2)

(杉並木左手、宮内庁管理の蜂子皇子の墓)

さらに進むと、紅い大きな鳥居があって、
扁額に「出羽(いでは)神社、月山神社、湯殿山神社」とあり、
広々とした場所に出る。
三神合祭殿があるところである。
出羽(いでは)神社とあるのは羽黒神社のことを言うのかと思いながら進む。

(赤い大鳥居)

(下乗(馬は下りろ)の文字が見える大鳥居)

(鳥居の扁額)

右手前には、芭蕉の行脚銅像がある。
行脚像の右手に芭蕉句碑があり、三山巡礼の句が刻まれている。

・涼しさやほの三か月の羽黒山
・語られぬ湯殿にぬらす袂かな (加多羅礼努湯登廼仁奴良須當毛東迦那/変体仮名)
・雲の峯幾つ崩れて月の山

第一句と二句の変体仮名は読めたが、第三句は読めなかった。
ガイドさんに聞いて、やっと解かった。

(芭蕉の行脚像)

(芭蕉の三山巡礼句碑)

赤い鳥居をくぐると、右手に鐘楼があり、その奥に参集殿がある。
さらに左へ目を向けると、三神合祭殿がある。
厚い茅葺屋根に覆われた荘厳な神殿である。
仲間の人たちは競って階段を昇り御参りをする。
三神合祭殿の前に、鏡池がある。

(参集殿と鐘楼)

(鐘楼)

(三神合祭殿)

(三神合祭殿 2)

(鏡池)

古鏡と題して次のように説明板が建っている。
(鏡池は、御手洗の池といい、
古鏡が多数埋納されていたので鏡池とも言う。
今までに五百面以上の出土を見たが、
現在、神社の博物館に百九十面が収録されている。
これは平安から鎌倉時代に行われた、
池中納鏡の信仰によるものである。
殆んどが青銅鏡で、時代別に見ると、
平安九十一面・鎌倉五十三面・江戸三面・時代不詳三十七面である。
出羽三山の信仰を物語る貴重な資料で、
現在重要文化財に指定されている。)

杉木立に囲まれた池は、古鏡がなくなったせいか、
一面に浮き草が繁茂している。
どうやら黄色の花が咲く「こうほね」であるらしい。

(鏡池 2)

古い鏡を見るために、博物館へ入る。
入り口に大きな天狗の面とカラスの面が並んでいた。
展示室に入ると、ボク達夫婦二人だけの閲覧者で、
冷房が効いていてとてもさわやかであった。

霊山だけあって、山伏の衣裳などが展示してある中、
古鏡も何点か飾られていた。
大きな手鏡を予想していたボクには、
直径20cm以下の大きさの青銅製の鏡であったのには少々がっかり。

(天狗の面)

(山伏の衣裳)

(古鏡)

しかし平安・鎌倉時代の古鏡で貴重なものであろう。
当然、まわりの商人達は「古鏡」と名づけた和菓子を作って、
商売にするという抜け目無さは目に余る。

しかしカミサンが自分の友人のお土産に購入したのは、
言うまでも無い。

芭蕉の足跡を歩く事が目的のボクとしては、
今日は、まずまずの成果であった。
コメント (5)
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