楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

ボケの実

2019年09月28日 04時44分29秒 | 日記
ボケの実が異常に沢山生っている。

異常気象の所為だろうか?


今年の7月の夏休みに入る月は、

いつも夏は暑くて

「早く夏休みにならないかなぁ」と、

子供も大人もその様に考えたのに、

今年は長雨で7月中は冷夏であった。

その所為か桃や梨などの果物は美味しくなく終わりそう。

8月に入るや暑い日が続いて少しは果物も美味しくなるか、

これからが楽しみだ。


そんな異常気象の所為か、ボケの実が異常に沢山生って居る。

(ボケの実1)


(実が沢山ついて居るボケの木)


誰も取らないところを見ると食べることも出ないに違いない。

(ボケの実2)


そう思って調べてみると、

10月頃に実を獲って薄切りにしてはちみつ漬けにしたり、

ホワイトリカーで梅酒よろしくボケ酒を作る手もありそう。

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卵のアルバイト

2019年09月25日 04時21分56秒 | つれづれなるままに考えること
20年ほど前に7か月入院して居た。

大学病院の担当医は、インターン(研修医)の先生。

医者になるのは大変年月がかかる。

大学の医学部に6年通い、医師の国家試験を受けてその後、

インターンが2年、ここで自分はどの分野を専門にしようか決める。

内科、外科、整形外科、泌尿器科、肛門科、眼科、歯科口腔外科、

脳神経科、精神科などなどを研修して決めるのだ。

2年間はいわゆる無給で生きた医学を学ぶ。


その間、国から授業料として病院に35万円/月(20年前のこと)支払われる。

その内研修医には5万円が渡される。

いくら20年前とは言え、5万円で1か月暮らすことは出来ない。

夜は20時まで、朝は8;30には仕事をしている。

しかも無休である。

そこで病院は、この研修医にアルバイトを週1回させるのだが、

その給料は時給1万円であった。

8時間勤務でも8万円/日、所がおよそ十時間は仕事がある様で、

週一回で十万円、月4回のアルバイト料で研修医は生活して居た。


自分は手を下さなくても、医療に関わる仕事は結構あるらしい。

例えば「育毛」頭に毛を埋め込んでいくが、

頭皮に埋め込むから結構血が流れるらしい。

黴菌が入らないか、痛みは無いかなどなど、

医療にかかわる問題が発生する。


他にもアルバイトはある。

最近多いのが「人生100年を生きるために」

歯科衛生の問題とか、精神衛生の問題とか、

筋肉補強の方法とか、歩行訓練や股関節の痛みとか、

物忘れ認知症予防のあり方とか、

数えだしたらキリが無い。

こうした内容の講演会、この時の時給は相当なものに違いない。

ボクだって専門のことについて講演を頼まれると、

それなりの待遇をうけるからだ。


それが研修医とは言え国家資格の医師であるから、

それ相応の待遇であろう。

でもこれはアルバイトの話、病院勤務のお医者さんの給料は、

一流企業の社長程は無いようで、意外に少ないように思われる。

表題の「卵のアルバイト」の卵とは、医者の卵と言うことを、

ご理解いただけただろうか。








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いつものように

2019年09月23日 04時55分58秒 | つれづれなるままに考えること
今年は冷夏だったから、

彼岸花の咲くのが少し遅くなったのだろうか、

そう思って居たのが先週の始め、

彼岸花の花芽を見つけた時にそう感じた。

(先週見つけた彼岸花の花芽、写真が悪くて少し見難くてごめんなさい)


それから一週間たったら見事に花開いた。

(花開いた彼岸花)


横一列に並んでいるところを見ると、

どうやらご近所の方が植えつけて置いたものらしい。



そう思って、ブログを作ったら、

goo blogからメールが入っていて、

昨年の同時期(2018/09/22)に、「稲刈りも間近に」の題名で、

彼岸花を投稿して居ることが解った。

思いこみとは恐ろしい、

冷夏だった八月の印象で、彼岸花が咲くのが今年は遅いと、

思いこんでいた。

(昨年載せたブログ)
稲刈りも間近に
彼岸花も咲いて、稲刈りも間近になった。(赤と白の彼岸花)(赤い曼珠沙華)ふるさと体験農家ののどかな景色。まもなく近所の小学校の生徒さんが稲刈り体験にやってくるだ......



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伊達政宗の廟所ー瑞鳳殿(奥の細道番外編)

2019年09月22日 04時25分04秒 | ひとり歩き旅
瑞巌寺には、伊達政宗の正妻のお墓はあるが、政宗本人のお墓はない。

仙台へきて、青葉城跡にある政宗の颯爽たる馬上姿を見る人は多い。
お城の後ろに、深い谷間があり、松の枝が谷を覆うさまを見て、
土井晩翠の「荒城の月」が、ここで作詞されたことを知る人は多いに違いない。
まさに、「千代の松が枝分け出でし・・・」である。

ここで「千代の松」を(せんだいのまつ)と読む人は居ないが、
政宗が仙台に居城を移したとき詠んだ和歌、

・入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや
          千代とかぎらじ せんだいのまつ


と「せんだいのまつ」と詠んでいる。
もともとこの地を千代(せんだい)と云ったそうであるが、
この和歌で「千代に限らじ」とよみ、
あとの「せんだい」を千代=1000年の世にかけて、
「100年と言わず永遠にに栄あれ」と願いを込め、
これが「仙台」の地名の起源になった)と言います。(公財)瑞鳳殿より)


仙台では、伊達政宗を置いて語ることは出来ないが、
案外、伊達政宗のお墓を見に来る人は少ない。
伊達政宗は、生前、ホトトギスの初音を聞くために、
経ヶ峰に登り、家臣に死後はここに墓所を造るように命じていたと伝わる。
それが「瑞鳳殿」。

(瑞鳳殿は、霊屋と呼ばれる霊廟で、政宗は寛永13年江戸で70歳の生涯を閉じ、
仙台に送られて、ここ経ヶ峰に葬られました。
瑞鳳殿は政宗死後 翌年10月に完成し、
日光東照宮に次ぐ桃山様式の豪華絢爛たる廟として、
昭和6年に国宝に指定されましたが、
戦災で焼失、現在の建物は昭和54年再建された物と言う。
伊達政宗は、この瑞鳳殿の地下に眠っている。)(公財)瑞鳳殿)

(瑞鳳殿)

瑞巌寺を拝観し、本日は15:40の新幹線で帰京しなければならず、
列車に遅れる訳にはいかないので仙台に戻ることにする。
仙台に着いたらお昼頃で、昼食には寿司か牛タンと決めていたので、
仙台駅の新幹線改札口左側の、「すしと牛タン」通りに行く。
この通りは、右側に寿司屋、左側に牛タン屋が並んでいるが、
お昼時でどこも入口は長蛇の列。

一回りして、元の位置に戻ってきたら、
牛タン屋に並ぶ人が居なくなっていたので、入ることにした。
「牛タン」は、言い換えれば「ウシのベロ」と事で
反芻している牛がよだれを流しているさまを、
ボクはよく知っていて、それを食べるのはどうか・・・と思うのである。

ボクはゲテモノ喰いは嫌いであるが、カミさんは大好き。
ボクは一口サイズに切ったもの、カミさんは厚切りにしたものを注文した。
食わず嫌いと良く言うが、恐る恐る口に運んでみたが、
食べてみたら満足の行く美味しさであった。
仙台では牛タンは有名であるが、
どちらかと言うと銘酒「浦霞」と地魚のお刺身で一杯の方が良い。

話が反れてしまった。牛タンを食べ終わって、瑞宝殿を訪ねることにする。
まず案内所で、15時の新幹線で東京に帰るのですが、
それまでに瑞宝殿に行って見学して間に合いますか?
と尋ねると、充分間に合います、と言う。
バスで十分も掛からないが、瑞鳳殿まで坂道を少し歩く必要があると言う。
バスを降りた所で、帰りのバス停を確認して発車時刻表を見ておいてください。
ご丁寧な案内を頂いた。
「るーぷる仙台」と言う地図をいただいて、降りる場所はここ、
帰りに乗るバス停はここ、と印までつけて頂いた。
よほどおのぼりさんに見えたに違いない。
あるいは頼りないお年寄りに見えたのか・・・。

何番線か忘れたが、市営バスに乗って「霊屋橋」で降りて少し歩くと、
瑞鳳殿入口に出る。
ここから経ヶ峰へ登って行く坂道がある。

(瑞鳳殿への坂道)


坂道を息を切らしながら登ると、今度は瑞鳳殿の看板がある長い石段があり、
見上げるとその先に二段階になって今度は伊達家の家紋の看板がある石段がある。

(石段と二段階のその先伊達家家紋の石段)

(登り切った左に受付がある)


登りきったところで受付があり、
「お疲れ様です、この先は石段がありませんよ。
一息ついてお入りください。
観覧料はこちらで、550円です。」と言っている。

よく教育されている。
これを通り過ぎると、左手に門があり、「涅槃(ねはん)門」と言う。
「涅槃」とは、煩悩を取り払った悟りの境地となる状態を言い、
来世を指す。つまりあの世のことだ。
(瑞鳳殿の涅槃門は、樹齢数百年の青森檜葉を用いて、
焼失前と同様の豪華な飾り装飾が施されている。」(公財)瑞鳳殿管理事務所)

(涅槃門、菊の紋がある)

(涅槃門の上にある階段と瑞鳳殿の扁額)


涅槃門をくぐると、さら二十段ほどの階段があり「瑞鳳殿」の扁額がある門があり、
その中に目指す瑞鳳殿がある。
東北南部を中心に諸勢力を平定し、伊達62万石の藩祖として
「独眼竜政宗」の異名をとどろかせた、伊達政宗が眠っている瑞鳳殿である。
屋根には「独眼竜」と言われた政宗の廟らしく竜頭瓦を、柱には獅子頭を、
創建当時の姿に復元したのが2001年(平成13年)と言う。

(瑞鳳殿)

(瑞鳳殿、屋根に竜頭瓦が復元されている)

(瑞鳳殿2、柱に獅子頭が復元された)

(桃山様式の彫刻)


この瑞鳳殿の左に9個、右に11個の宝篋印塔が並んでいるが、
これは政宗逝去の際、葬儀に先だって殉死した家来のものと言います。

忠義のためとは言え、このように殉死すると言うことは、
今では考えることが出来ない。

記憶では、
明治天皇崩御の時、203高地で名を馳せた、
陸軍大将 乃木希典は妻と共に殉死している。
また、第二次世界大戦敗戦の時は、皇居の二重橋前の広場で、
割腹に及んだ人たちが何人かいたのが、ニュースに取り上げられた。
ボクの父は、時の総理で戦犯として投獄された東条英機こそ、
自決すべきとニュースを見て嘆いていたのを思い出す。
ついこの間まで、主君に殉じて死を選ぶ考えは、あった。

(左の宝篋印塔)

(右の宝篋印塔)


瑞鳳殿を出て、左へ回り階段を上ると、二代三代の華麗な霊廟が建っている。

(感仙殿)


これは二代藩主忠宗公の霊屋で、忠宗は、法治体制の確立を進め、
新田開発や治水、港湾の整備など産業・経済の振興を図り、
藩の基礎固めを成し遂げた。

(禅応殿)


右手には禅応殿がある。三代綱宗公の霊屋である。
三代綱宗は、幼いころから芸術的な才能にたけていて、
藩主に就いて二年後に、故あって幕府から逼塞蟄居を命じられ、
その後生涯を書画・蒔絵などに天分を発揮したと言われる。

更に右の方に行くと、九代11代藩主のお墓、藩主公子公女のお墓がある。
お墓とお墓の間には、石灯篭が何基かあるが、
大震災で倒れたままになっているものも見受けられる。

(倒れたままの石灯籠)

(公女の墓)

(杉木立の坂道)


帰りは杉木立の坂道を下り、仙台駅から特急「はやぶさ」で帰京した。
芭蕉が歩いた仙台の草枕は、まだ残っている。
あと一度訪ねて仙台の榴が岡、石巻市、登米市(とめし)を訪ねたいが、
寒さを避けて、雪解けの春三月ごろに訪ねたいと思っている。






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野に咲くユリ

2019年09月19日 04時33分22秒 | 日記
天然自然に花開いた鉄砲ユリ。

人が栽培したものと比較すると、

ずいぶん貧弱で小さいが、

これが自然、と言う感じがする。

(鉄砲ユリ)


(鉄砲ユリ花の拡大)


写真で見ると大きく見えるが、

直径は人差し指を立てたくらいである。

鉄砲ユリは花の直径がおよそ5~6cmと言うから、

鉄砲ユリと言うことにしておきたい。

ずいぶん 可憐である。

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