楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

うさぎの餅つき

2015年09月28日 21時34分14秒 | 日記
昨日は仲秋の名月で、

今日は満月。

昨日の月は心なしか、左上が僅かに欠けているように見える。

さすが今日は満月、お月様の中で、ウサギが餅を搗いているように見える。

気の所為であろう。

PM21:30 雲が切れて良く見えた。

(満月のうさぎ)


欧州では皆既月食が見えると言う。

次回は18年後の2033年なるそうだ。
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お月様いくつ

2015年09月27日 21時34分48秒 | 日記
今夜、仲秋の名月、雲の切れ目から、一瞬、撮れたお月様。

自然と口をついて出てきた北原白秋の歌。


♪お月様いくつ、十さん七つ

 まだ年や若いな。

 あの子を産んで、

 この子を産んで、

 誰れに抱かしよ。 

 ・・・・・・(この後を知らない)♪

   -北原白秋ー



(雲の切れ間から出てきた名月)


(仲秋の名月)


(また隠れ行く名月)
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月下美人を食べる

2015年09月26日 05時13分15秒 | 日記
月下美人、二度目の開花は 9月22日 19:12分からでした。

蕾の頃は四個あった月下美人、異常気温の今夏、冷たい曇り日が4日続いて、

蕾は全部ダメかと思っていたら、5日目からカラッと晴れた暑い日が続き、

蕾は一つ落ちてしまったが、3個はどんどん成長して、

22日、夕食中に開花が始まった。

(19:12)

(19:31)


ゆっくりゆっくり開花して行くのを見ながらの花見酒を楽しんだ。

夜の8時には、咲き開いた。

(20:17)


満開になるには、まだ時間がかかる。ボクにとってはゆっくりの方が花見酒を長く楽しめる。

それでも何時までもという訳にはゆかない。

月下美人も芳香を放ちながら満開になった。

(満開の月下美人20:56)

(満開の三個の月下美人)


満開時の月下美人は、花の後ろへ花びらが反り返っている。

満開の時間はほんの僅かの時間で、21:01分には、

後ろへ反った花びらが、前の方へ垂れてくる。

(後ろの花びらが前に垂れてきた月下美人)


そこでボクはお風呂に入って寝てしまった。

カミさんが言うには、23:30頃までは花らしく見られるが、

その後は花もしぼんで垂れ下がってしまう。

(翌朝、みじめな姿をさらしている。)


(みじめな姿の月下美人。)


その朝、5時頃NHKラジオに寄せられた御便りに、

前日咲いた月下美人を、茹でて酢味噌でいただきましたと言う。

食べられるとは聞いていたが、前夜の美しい姿を見た後では、

なかなか食べる気にはならない。

お便りでは、花茎の部分は、短く切って花びらの部分は裂いて見ました。

味は、(オクラ)に似て、ねばねば、茎や花びらの部分はシャキシャキ歯ごたえがある、と言う。


その夜、思い切って食べてみることにした。

カミさんが言うには「私は、要りません」

仕方なく、自分で軸の部分は1cmほどに切って、

花びらは半分に裂き、中の雌しべを取って、さらに細かく裂いて、

お湯を沸かし1分間、茹でてさっと笊にあげて冷蔵庫へ。

(冷蔵庫から取り出した情けない姿の茹でた月下美人)


酢味噌の作り方が解らず、スーパーで(ゆず味噌)を買って、合えて食べた。

カミさんも半分手伝って食べたが、前夜の姿から想像して、

なかなか美味しいとはいえる味ではなかった。

シャキシャキして歯ごたえはあったが、

第二次世界大戦の後、自分で可愛がって飼っていた鶏を、

目の前で潰された鶏肉の味が、どんな名コックが料理しようと、

決して美味しいと言えないのと同じであった。



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ブドウ

2015年09月23日 09時00分55秒 | 日記
武道館ではない。

食べる果物の葡萄のことだ。

我が家では、朝食時にバナナと季節の果物を最後に食べる。

その果物を買ってくる役目が、いつの間にかボクの仕事になってしまった。

バナナは毎日一本、季節の果物は、いちご、サクランボ、メロン、スイカ、桃、ブドウetc.から一品。


今の時期はもっぱらブドウであるが、ブドウも、

デラウエア、スチューベン、巨峰、ピオーネ、マスカットベリーA・・・

ボクは食べるのに面倒なものは好きではない。

魚は骨があって出さねばならないし、ブドウは皮とタネを出さなければいけないから、

どちらかと言うと好きになれない。

魚の骨なしは見当たらないが、品種改良されて果物はタネなしが目立つ。

スイカ、柿など、ブドウもその域にある。


今の時期は、巨峰やピオーネである。

うちのカミさんはブドウが特に好きである。

ボクは前述したように、ブドウは皮があるから好きとは言えない。

ブドウも粒の小さいものより大きいものの方がボクは好きだ、

皮を剥く手間が省けて口に入る量が多いからだ。


ブドウの好きなカミさんは、ボクが食べるよりはるかに多い量を早く食べる。

デラウエアのような小粒なブドウは、5~6粒一度に口に入れて、

タネと皮をまとめて出すのだ。

「そんなこと良く出来るね。」というと、

「皮の中にタネを入れて出すことも出来る。」

と手品師のようなことも出来るらしい。

どんな舌を持っているのだろうか?

いくらなんでも舌を二枚持っている訳はない。

こちらで美味しいと言って置きながら、向こうで美味しくなかったなんてことは決して言わないからだ。



大粒な巨峰など、ボクは口に入れる前に、皮を丁寧に向いてから頬張るのに、

カミさんと来たら、皮ごとポイと口に入れ、あっという間に中身だけ食べて皮を吐き出す。

ボクが一粒、皮を剥くのに手間取って食べる間に、カミさんは三粒くらい食べてしまう。

「好きこそものの上手なれ」とは言うが、これには舌を巻いた。



所が魚になると、こう要領よく行かない。

不器用なボクが小骨を取る時間より、カミさんはもっと時間がかかる。

だから我が家では小魚が食卓に上ることは少ない。

せいぜい鯖、アジくらいだ。

それでも食べるよりも、骨についている身の方が多い位だ。

骨ナシなら何でもよいが、どんなに改良しても、

骨なしの魚は開発できない。

もし出来るとしたら、その頃は人も骨抜きになっているに違いない。










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長寿を祝う

2015年09月20日 07時10分59秒 | つれづれなるままに考えること
現役を引退してから、もう20年になる。

勤めていた会社が、卒業した人のためにOB会を毎年9月に開いてくれる。

凡そ300人は集まる中で、米寿、喜寿の人が、お祝いを受ける。

今回のOB会では、米寿4人、喜寿20人であった。


以前、ボクも喜寿のお祝いを頂戴したが、

米寿のお祝いを貰うことが出来るかなと、

同期の人と話をして、OB会は終わった。


一堂に300人を集め、飲み放題食べ放題、ホテルのホールを貸切って、

色々お手伝いをしてくれるコンパニオンの女性の費用など合わせると、

結構な金額になるに違いないが、これを経費で落とし、

毎年、OB会が開ける事を考えると、それなりに会社は利益が上がっているのだろう。


ボクは会社から年金も貰っている。

勤めている間、企業年金をかけた記憶がなく、従業員の給与に比例して、

会社が勝手に積み立ててくれたお金で年金が支給されている。


自分は命が短いから思った人、どうしてもまとまったお金が必要な人、

あるいは会社がいつまでも存続しないかもしれないと思う人には、

70歳まで払う年金をひとまとめにして、一時金でも払ってくれる。

ボクは人生80年時代だからと思い、毎月年金を戴いている。


話は違うが、

つい最近のニュースで、100歳以上の人口が、平成15年の時は2万人であったが、

平成26年の調査では、5万8万千人を超えたと発表した。

毎年100歳以上が凡そ7%増えて行く所から考えると、

2030年(平成32年)には、100万人になるだろうか。

そうすれば人生100年の時代は、もう目の前だ。
(参照:http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-12304250-Roukenkyoku-Koureishashienka/0000057762.pdf)


敬老の日には、総理大臣から100歳の方々に賞状と銀杯が贈られる。

ボクの住んでいる自治体からは、88歳と101歳にお祝いすると言う。

どうして101歳かと不思議に思っていたが、総理大臣が100歳でお祝いするから、

自治体では101歳にしたのだと思われる。




ボクの母も父も50代で亡くなってから60年になる。

人生わずか50年の時代から、80年に変わるまでに半世紀かかっている。

これが人生100年の時代になるには、40年先の2050年には到達すかもしれない。


もし足腰が自由で頭の回転が自由に動くなら、

(頭もボケないで身体が健康でいられるなら)

ボクもそのくらいまで生きて見たい。

難しいだろうか・・・





コメント (9)
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